とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

ボーダレスタイム「盆」。

今年も盆が終わりましたねぇ。
管理人は1年の行事の中で盆が一番好きです。
「いや、結構そういう人は多いんじゃないかな」
と勝手に思っています。

小さいときは単純に 盆提灯が好きで。
あの水色っぽい、内側が電動で回転するやつ。
描いてある草花が水色の灯りの中で
ゆっくり回って綺麗だったんですよねー。

祭りの、暗い夜の中で ぽつぽつ灯る
赤い提灯しか見たことがなかった管理人。
昼の座敷の中で水色の提灯が灯るのが
幻想的で好きでした。幼稚園ながらに。

(*´ω`*)

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うちの仏壇などお見せして恐縮だが、
いつもより豪華な提灯や
ワサワサと御供えが上がっているのは、
なんとなくうれしい感じがする。

いつもカミサマの話をして
真面目に祀ってるかと思えば
神棚にダルマだのなんだの置きすぎだろ!
配置を考えろ!
と言われそうだが…

ともかく盆というのは
「現代人がナチュラルに霊性と関わる」というか。
「闇」とか「恐れ」とかの手伝い無しに
人が霊性を意識できる貴重な期間かなと。

しかしなんだかキュウリの馬とナスの牛を作って
玄関先で火を燃やすこの行事は、
夏休みで祖父母の家へ遊びに行った時の風物詩…的な
まぁ古くからの風習だろう…的な

逆に身近すぎて「ウン、日本の風物詩だな」と
単純に納得してしまいそうになるのがキケンな行事。

実はこの行事、国際色豊かな行事なのだ。
勿論、この みんなが懐かしむような情景は
日本独自のモノではあるのだが。

*お盆という名称*
何なんだろうか。
あの、ご飯とかを乗せて食卓まで運ぶヤツだろうか。

こないだ話した知人が
「覆水盆にかえらず」ってのは
「某お寺の跡継ぎ・覆水くんは
 お盆に里帰りしない悪い子なんだよ」
転じて
仏教由来の行事に参加しない仏教徒
「自分の専門分野で無責任な行いをすること」
の意味なのだ!

とホラを吹いていた。
オイコラ。嘘を教えるんじゃない(゚д゚)!

…全然話がずれてしまったが、
「お盆」とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略。

モトモトの盂蘭盆会はバリバリの仏教行事で、
中国でも最初は僧侶に飲食物を供えたりしていたらしい。
しかし、そこに儒教の「孝(=親に対する忠行)」が流入
そして先祖の霊に供物を備えて供養する行事になり、
さらには「施餓鬼」と言って餓鬼になってしまった先祖に
施しをして飢えと渇きから救う行事となった。

対象は完全に宗教的実行者である「僧侶」から
血縁関係者である「先祖」にシフトしてしまったのだ。

そして朝鮮半島を経て大体日本にもこの形で
「盆」が入ってきたのだと思うが…
大陸と我らが島国ではこの「施」の対象が微妙に違う!
という話である。
(管理人が実際行って韓国とかの人に訊いたわけではないが)

韓国などは儒教の影響が強く、
この「先祖」には直系の親or父系の男親しか含まれないとか。
ところが日本は超ザックリしていて、
なんかもう今までに死んだ人は家族も何も関係なく
1つの「ご先祖様だんご」みたいなカタマリ~(´ω`。)
的なイメージらしいのだ。

なので、日本ではお盆時期
家の中だけでなく通りにも施餓鬼棚が設置されたりして
どこのおうちの先祖さんでもテイクフリーですよ~。
って感じがすごい出てる。
(無論地域によるが)

ちなみに
サンスクリット語を音訳した仏教用語
というのは沢山あるが、
この「盂蘭盆」も「ウランバナ(倒懸)」
つまり「逆さにぶら下がっている」という意味だという説がある。

日本でもユウレイさんたちは
「足がない」というイメージで描かれる以前は
「逆さにつるされている」という姿だった。
(歌舞伎を描いた錦絵などを見るとそうゆうのがある)
それは「吊るされるタイプの刑に処された」というよりは
真っ逆さまに地獄へ堕ち
未だ救われていないことの象徴であるらしいのだが。

だとすれば盂蘭盆会ウランバナ会)は
「逆さ吊りにされている先祖を救うぞ会」ということか。

ちなみにWikipedia先生によると
さらにこのサンスクリット語ウランバナ」の語源は
古代イラン語の「ウルヴァン(=霊魂)」であるらしい。

その古代イランで信仰されたゾロアスター教では
森羅万象各々に宿る小さな神々を「フラヴァシ」と呼ぶそうだが
人間のウルヴァン(霊魂)の中で最も清い部分にもまた
この小さな神が宿っているそうだ。

太古の宗教ではこのような考え方が多いかもしれないが、
管理人はこの宗教・自然観を聞いたとき
仏教より日本神道の考え方に近く感じて親近感が湧いた。

多くの日本の人が仏式の葬式しか知らない
というのを管理人は結構残念に思っているのだが、
神道式の葬式は、そもそも葬式でなく「神葬祭」という。

葬式では、故人が浄土に行けるようお経をあげたりするが、
神葬祭では、
産土の神・家の神棚・先祖の魂が入っている祖霊舎
「この人が帰幽しました(亡くなりました)よ~」と報告。
そして故人もまた祖霊の一員になり家に留まるための儀式を行うのだ。

ココからは完全な想像だが、
この「祖霊の一員になるための儀式」こそつまり
ルヴァン(霊魂)の清らかでないモノを
ワサワサとピーリングして
清らかなタマゴ肌の「フラヴァシ」を取り出し
それを「ご先祖様だんご」に練りこむ作業なのでは?
と、管理人は考えている。

*盆商戦*
朝鮮半島・中国→インド
そしてさらにはイランにまで遡ってみたが、
今度は逆に現代日本の盆の話。

コチラ↓近所のスーパーの盆コーナーである。
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大体は常設のお線香コーナー横に設置されるが、
ココの商品をちょっと覗いて見る。

お寺さんに納めるオカネ用の「御仏前」袋、
提灯に使う「ローソク」が左の小さな棚にある。
そして正面の棚にあるのが 下から
・まこも(ムシロみたいなやつ)、
・おがら(その後ろの木の枝みたいなやつ)
・その横の白い棚にあるのが盆花(蓮など)の造花
・そして蓮の葉っぱの造花
・後ろの棚には様々な果物をかたどった飴
・盆提灯(緑・白2種類あるようだ)
そして食品サンプルと言っていいのか…
ナマモノではないので毎年使えそうな
・キュウリ馬とナス牛

以上。
提灯以外はほとんど、
さっき少し話した「精霊棚(盆棚)」グッズだ。

ちょっと商品名が写っていなかったので
これが本当に真菰(まこも)なのか…
管理人も心配なのだが、おそらくそうだろう。

実際は両端が畳のフチのような布で補強されていて、
左右はわざとパラパラと突き出すように作られている。
そして仏教行事らしく五色の糸で編んであるものもある。
これは台の上に敷いてその場を清浄に保つ働きがある。

そして「おがら」。
漢字では苧殻と書き、その名の通り
※古代布の原料となる麻=苧麻(ちょま)という
糸を作るために皮を使った麻の殻。
つまり糸の材料にならない茎の中心部分だ。

迎え火・送り火として玄関先で火を焚くときに
この「おがら」を焙烙(ほうろく)に入れて燃やす他、
今は馬と牛を作るときに脚→割り箸のことが多いが
正式には「おがら」を使うことになっている。

精霊棚に使う盆花はお墓の花と同様
トゲがないものなら良いとされているが、
セットとして上記のモノに
蓮の造花が付いていることも多い。

いまでは家族の構成員も少なく
生の果物をたくさん供えても
傷む前に食べきれないという背景もあってか
最近こうした果物の形の飴をよく見かける。

このセットで作るより本格的な精霊棚には
「水の子」といって小さく切ったキュウリなどを
器に入れた水に入れたり
水(閼伽水)とミソハギ(禊萩)を添えて
蓮の葉に盛ったりするのだが。

これは普段何も口にできず
喉も細くなってしまっている餓鬼が
呑み込みやすいようにという心配りである。

それを考えると、考えようによっては
「丸ごとの果物ではなく飴」
というのも一理ある!と言えるかもしれない。

お年寄りと同じで、
喉の通りが悪いのだ(´・ω・`)

そして提灯が二種類置いてある。
一番上の棚の岐阜提灯は、
六寸とサイズが小さく手ごろなヤツ。
岐阜は古くから提灯を伝統工芸として売り出している。
鮮やかな花の絵や卵型が可愛い提灯。

その下も手軽な「こんばん提灯」。
こちらはなぜ「こんばん」と書かれているか分からないが
うちの行っているお寺では毎年一番よく見る提灯だ。
繰り返し使う提灯に対して「今晩」しか使わない、
という意味なのか…もっと深い意味があるのか?
まだまだ勉強不足である。

ちなみに我が家は弓張り提灯といって
普通の、家紋が入っているやつを使っている。
普通というが、持ってみると結構デカいものだ。
(仏壇の写真の端に少し写っているが)

こうゆう家紋入りのは繰り返し使う一方、
上記2つは送り迎え専用なので
使い終わったら送り火の時に
提灯自体に一度火をつけて紙に包んで処理する。

ちなみにホウズキも
この時期スーパーではよく売っているが
これは盆花として飾るほか
提灯に見立ててご先祖様の道しるべにしたり
昔は
御備えに十分な食料が用意できないと
その代わりにホウズキで補うという使用法も。

ちなみに御供えの主食(?)は
お米ではなく素麺が一般的らしい。
これも「水の子」と同じく喉の通りの問題だろうか。
(しかし乾麺のまま供えてあることが多い)

そして名残惜しいが
数日経つと ご先祖様たちは
また向こう側へ帰っていく。

盆の、スペシャルなボーダレスタイム終了だ。
また霊的な世界と現代社会は
かなり厚い壁で隔絶されてしまう。

管理人はお盆休みとかない仕事なので、
大抵は運よく送り迎えどちらかに参加できても
じいちゃんたちが霊界から帰ってきている間
とくに何もできずに気づいたら
テレビとかで京都・五山送り火の中継とかやってて
あ。今日仕事してる間にもう帰っちゃったのか…
ということが多いのだが。

おそらく
じいちゃんが遠いどこかに居る時も毎日
仏壇の前で朝晩お経をあげている祖母には
「今日はそこにじいちゃんが帰ってきている」
というのは特別な気分なんだろう。

通販でセット買って
説明書見ながら適当にやる。

って感じでも全然いいから
この行事がちゃんと続いてほしいなぁと思っている。

*カミサマトンボ*
ただの蛇足なのだが、
画面下の白い茎に黒いトンボがとまっている。
管理人はこのトンボが好きである。
羽がビロードのように黒く、
この季節 よくド田舎の神社にいる。
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ちょうど先祖の霊が帰ってくる時期に
大量に現れるので、
「ご先祖様がトンボの姿で帰ってきた」
もしくは
「稲の出来栄えを見に来てくれた」
と言って、神様トンボという名前で呼ぶのだ。


ちなみに、都心生まれ都心育ちの人には
「なんで今更盆の話だ。1ヶ月前に終わっただろ」
と言われそうだが、
農業をやっている地域は特に
8月に盆をやるのが普通なのだ。

東京あたりが7月に盆をやるのは、
「旧暦の」7月が盆だったからなのである。
あとは日本全国同時に盆だと色々
経済的とか交通的に、滞ったり混乱が起きるからだ。

世は盆踊りラッシュだが
管理人はもう夏季休暇がない。
(3日しかないので既に祭りに使ってしまった)
方々の盆踊りを泣く泣く見逃している今日この頃だ。
(´・ω・`)

上野国八ノ宮・火雷神社。

火雷神社境内*
天然の鳥居かという立派な松が出迎えてくれた、
コチラは群馬県佐波軍玉村町火雷神社
「火雷」は「ほのいかづち」とも「からい」とも読まれる。
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そんなに大々的でもなく、
この村の神社ですよというような風貌で鎮座しているが
ここは上野国八ノ宮である。
前回記事を書いた七ノ宮・小祝神社の1個下だ。
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どの神様宅か分からないのだが、
前回見たときは普通に建ってるだけだった。
なんか今回は地鎮祭みたいに囲われてる。

なんだろう。
今日はこの神様にとって特別な日なのか?

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本殿を見てみると、
ぐるりと一周七福神デザインのようだ。
恵比寿・寿老人(か?)↑
毘沙門天・大黒天・福禄寿↓
(福禄寿ってはしご架けて剃髪してもらってたのか…)
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そして弁財天・布袋様↓
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この七福神はあんまり好きな顔ではないが、
その上や横の彫刻も細かくて手は込んでいるみたいだ。


こちらが拝殿。
小祝神社ほどではないが、
ちょっと可愛らしい彫刻がパラパラとある。
梅の花。菅原道真公が居るからだな、きっと。
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そして、なぜか船があるんだな。
この日は前に書いた「玉村五料の水神祭」を見に行った日。
なので目的の神社にたどり着く前に火雷神社で藁舟を見つけて
ちょっと驚いた管理人だった。

もしかして、
あの地鎮祭みたいになっていた祠と関係あるんだろうか。

一応この神社の例祭なども調べてみたが、
4月と10月にこの神社の例祭と小祭りがあるだけで
あとは重要無形文化財の「ムギマキゴシンジ」のみだ。
群馬県内に「麦蒔御神事」はいくつかあるようだが、
それぞれに謂れが少しずつ違ったりする。

ココのは
10月の最後の午の日・丑の刻に神事を行う。
大きな音を出してはいけないので
宮司さんもコソコソした声で祝詞をあげるらしい。
境内には注連縄が張られ、
翌11月の初午の日まで境内に踏み入ることはおろか
氏子さんたちは大声でしゃべることも禁止!
ちなみに約束やぶるとエラい災害が起きるぞ。

というかんじなんだそうだ。

さて、拝殿を覗いてみる。
左の額には昔の境内のような白黒写真が飾られている。
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奥にある燈篭は、遠くてよく見えないが
透かしの入ったきれいなデザイン。
上のトンガリ部分も水煙宝珠のようになっている。

そして向かって右には、
軍艦らしき写真がある。
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軍艦フェチ諸兄ならばこの写真だけで
名前くらい軽く言い当てられるのだろうけど…
にわか艦これ提督な管理人には分からん。

この火雷神社に関連深いといえば、
勧請モトが奈良県葛城市・笛吹神社内にある
葛木坐火雷(かつらぎいますほのいかづち)神社である。
ということは雲竜型航空母艦・葛城か?
と言いたいところだが、
葛城は飛行甲板上にこんなに突起物はなかったような気もする。

それなら我らが赤城神社を艦内社とする
航空母艦・赤城だろうか。
(ココも赤城のふもとなので)
…考えてもわからないので無責任だが放っておこう。

そしてこちら↓が、八坂神社遷座記念の額。
主祭神火雷神だが、
八坂神社ということは牛頭天王かスサノヲがお住まいのはず。
道真公がココにお住まいのように、
スサノヲもまた本殿でシェアハウス中なのかもしれない。

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玉村八幡宮宮司さんが遷座担当者だったようだ。
たしかに現在、この辺の神社のことは
玉村八幡宮のHPに結構詳しく載っているので…
八幡様の宮司さんがこの辺の神社も兼務しているのか?


*ホノイカヅチノカミについて*
さて、この火雷神社主祭神火雷大神
火と雷ってこと?
とおもうが、火の神でなく雷神。
八雷神(やくさいかづちのかみ)という名前もある。

日本神話ではどこで登場するかというと、
火の神・カグツチを産んだことで
火傷を負い死んでしまったイザナミが再登場するシーン。
黄泉に住まう彼女の「私の姿はまだ見ないでください」
という言葉を守らなかった夫・イザナギ
ウジが湧き、その体に稲妻をまとった妻をチラ見して
度肝を抜かしたシーンである。

このイザナミがまとっている稲妻こそが
ココの祭神・火雷大神なのだ。

今回訪問した玉村の火雷大神は、
(先ほどの軍艦の写真の時にも話に出たが)
奈良県葛木・笛吹神社境内にある
葛木坐火雷神社」からお招きしたと言われている。

この「笛吹神社」の祭神は天香山(あまのかぐやま)のみこと。
昔このあたりに居た笛吹連の神様だと言われている。
そのアマノカグヤマノミコトでなく、
どうして末社のホノイカヅチノカミをお招きしたのか?

…と思ったのだが、
玉村の火雷神社書物に初登場するのは796年。
奈良の火雷神社の歴史を調べると、
社の衰退により笛吹神社に吸収合併されたのは927年。

つまり、このホノイカヅチ@玉村は
衰退&吸収される前の「元祖・火雷神社」の神様なのだ。
それならはるばる招かれたというのも納得か。

次回は、利根川を挟んで
この火雷神社と対峙している倭文神社
記事を書くのが遅すぎて行った神社が溜まっていく…。

|д゚)ヒエー!

上野国七ノ宮・小祝神社。

高崎市石原町にある小祝神社に来てみた。
そこそこの難読神社だが、「おぼりじんじゃ」と読む。
寺が隣接しているせいか…
神社名が書いてある石碑はどことなく墓石チック。
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境内の面積は広くはないが、
実は 我らが群馬県の「七の宮」である。
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苗字や地名で「二宮」というのがよくあるが、
これもおそらくは昔むかし
土地の二の宮に関連深かったことが由来だろう。

ちなみに群馬の一の宮以下は

一ノ宮=貫前(ぬきさき)神社
二ノ宮=二宮赤城神社or三夜沢赤城神社
三ノ宮=三宮神社
四ノ宮=甲波宿禰(かわすくね)神社
五ノ宮=若伊香保神社
六ノ宮=榛名神
七ノ宮=今回来た小祝神社
八ノ宮=火雷神社
九ノ宮=倭文(しどり)神社

これは律令制ができたころにできた考え方らしく、
律令制の国ごとに社格が最も高いものから「一の宮」としたのだ。

結構人気の高い榛名神社がまさかの六番目
というところでも分かっていただけると思うが、
この順番は決して神様の位の高さで決まるわけでもなければ
神社の豪華さや大きさで決まるわけでもないらしい。

昔、国司さんは自分の任務地の神社を
順番に参拝しなければならないという決まりがあった。
なので、その参拝した順番なのではないか?
という説も出ている。

また「神位の高さがあまり関係ない」
というところとも少し関係しているが、
「全国でどれくらいの規模の神様か」というよりは
地元で強く信仰された神様が選ばれているようだ。
という話もある。

さて、拝殿を見てみると、
なかなかハデハデで可愛らしい感じの装飾である。
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瓦もかなり豪華な感じの模様が。
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そしてその下には霊亀に乗ったおじいさんが!
波の造りがめちゃくちゃ細かい!
そして表面だけじゃない彫り!
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さらに虹梁はじめ、
いろんなものが竜宮城的な感じで
ハデな可愛さである。
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どことなく竜宮城ってゆうか中国っぽいってゆうのは
この亀に乗ったおじいさんと言い
なんとなく仙道思想っぽい装飾なせいかなぁ。

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本殿裏↓はさらにスゴイぞ!
本殿を建て替えたのは享保の頃、ということなので
色はさすがに塗りなおしていると思うが
なるほど、当時こんな感じのデザインと造りしてたのか。
すごいなー。なんだこの彫刻!と一人で感心。

境内にあった案内によると拝殿と幣殿は後から作ったので
はじめは本殿だけが立っていたらしいということだった。

「山とかが信仰対象で建築物は拝殿のみ」
という諏訪大社形式と逆パターン!
なんというか、まぁ
普通の末社とかは全部この本殿のみパターンなわけだが。

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そして、
この神社が文化的に評価されているポイントの1つが
この本殿裏にはめ込まれた彫刻。
これは後付けでなく作った当初からはめ込まれているらしく、
こうした形式の装飾では小祝神社が県内最古なんだそうだ。

ところで、
この本殿裏の小さな鳥居↑って何なんだろうか。
祭神がスクナヒコナさんだから、
そのサイズに合わせて作ってある?

ということは、
神様って本殿裏から出入りしてるのか!?

まぁ、裏の神域内に神木が切られた跡↓みたいのあったし?
昔は本殿の裏に薬師堂があったらしいし?
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裏側が、実はなんか大事なスポットなんだろうか。
(ざっくり適当なこと言いすぎだな…)

さて、
この神社は建物こそ少々新しそうに見えるが、
敷地内で多数の縄文土器が出土したりしている。

他に 古い信仰である証拠と言っては何だが、
享保年間に本殿を作った際の記録では
「御神体は石」と明記されているらしい。
巨石かはわからないが、原始の石信仰!
ミシャグジ様!

なので、この形(神社)になる前から
この土地の人にとって
祭祀的に重要な地位を占める場だった!
と考えていいのかもしれない。

また古い文献では、小祝神社は
「おぼり」ではなく「おはふり」神社と書いてあるらしい。
昔読んだ本で
神官を表す「祝(ほうり、はふり)」という語は
「屠り(ほふり、はふり)」と同じ意味である。
古く神官とは生贄を屠ることを許された職だったのだ。
という文を読んだのを思い出した。

縄文時代から祭祀的な場だったのであれば、
そうした古い時代の生贄を伴うような祭祀や
その神官の名称が残っていても不自然ではない。
この神社も古くはそうした場だったんだろうか。

さて、妄想は止まらないが
巳待塔を発見したのでちょっとコレの話。
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巳待塔というのは、
庚申塔などと同じく特定の集団が「講」として
ある神様を信仰する中で作ったものだ。

巳待講の神様は蛇を神使とする弁財天さんで、
繭を襲うネズミを蛇が食べてくれることなどから
養蚕農家であるメンバーがほとんどのようだ。

やっぱり群馬は養蚕関係の信仰が盛りだくさんだなぁ。

(=゚ω゚)
今回は七ノ宮だったが、
八・九ノ宮もこないだ行ってきたので
近々何か書こう…。

大胡祇園の天王さん&暴れ獅子!

さて、昨日に続き上毛電鉄で数駅。
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ちなみに大胡方面へ行く電車は、
この時期おまつりラッシュなので祭り仕様。
天井からは提灯や水鉄砲、法被などが下がっていて
夏休みの高校生も相まってイイ感じに夏だ。
(もっと大きな写真で見ていただきたいが、
 顔が判別できない大きさで、とか気にするとね…)

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午前の天王さんの御渡りより早く着いたので、
ちょっと散策。
お、何だこの石碑は?
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…えっ!
すごい貫禄ある顔の馬頭観音
なんてゆうか、明王様みたいな憤怒相を想像してたけど
なんかおでこにシワあるし意外と年寄り!?
馬もすごく立体的!

こんなところで何気なく出会ったけど、
今までで一番インパクトある馬頭観音かも。

民俗学とかカミサマとかと別に
単純に馬が大好きなので二重にテンションが上がる。
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その横には…「ムンカスタスウヱル之碑」とある。
〇〇スウェルという名前の競馬馬は結構いるが、
この名前はヒットしない。
と思ってよく見ると、
上のほうに「國有種牡馬」と書いてあるではないか。

国有種牡馬というのはおそらく、
日露戦争後に馬の改良政策が持ち上がったころの話だ。
日本の軍馬がダメダメだったので、
国有の種牡馬と民間の牝馬を交配させる計画が練られた。
群馬はその際に全国で数個の「種馬所」が設置されたのだが、
もしやそれが大胡だったんだろうか。

この土地がムンカスタスウェルにとって
一体どんな場所だったのか分からないのだが。
とにかく、国有の種牡馬なんてきっと
そのころの話なんじゃないかと思う。


*天王さんの御渡り*
変な所で時間を食ってしまったが、
コチラが当日の神様ポイント。八坂神社だ。
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…え?

これ神社ッすか?って人もいるかもしれないが、
中にはちゃんと本殿もあって注連縄もあるし。
れっきとした神社なのだ。
超コンパクトな、近代神社である!

題名にもあるように祇園祭なので、
当然、京都でなくとも主役は牛頭天王だ。
つまり、あの御神輿に天王さんが乗ってるのだな。
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そしてこの顔を見ると誰もが
「あ、天狗だ」と思うだろうけども、
これが道端によくいる(?)サルタヒコだ。

そして神馬ちゃんが…寝とるやないかーい!
かわいすぎる!居眠り!
お兄さん、至近距離でガン見しすぎ!
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練り歩く際の御旅所的な感じだろうか、
ちゃんと太鼓とかも設置されている。
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さて、いよいよ神輿が八坂神社の神域から人間界へ!
注連縄をくぐるために、屋根の上の鳳凰が取ってある!
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神馬ちゃんも目を覚まし、先頭でスタート。
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な、なんと、全然車が規制されておらず
神馬をバンバン追い抜いてゆく!
不良っぽいバイクもブイブイ言いながら通っていったが、
神馬、動じず。大したもんだ。
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そして神輿に先立って青年会さんが
「御賽銭お願いしまーす!」と言いながら走り回る。
お賽銭を渡すと、御榊でパッパッと払うような動作をして
箱に持っている塩をくれる。
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そしてついに行列が進み始めた(*'▽')
御榊の後ろに鉾(だと思う)。
そしてその後ろに八坂神社の御神輿。
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本場京都の祇園祭では絢爛な山車のような山鉾が出るが、
おそらくはこの榊の後ろの鉾も同じ役割ではないかと思う。
子供が乗っていて非常にかわいいが、
将軍様みたいな帽子を腰に下げているので
偶然乗せてもらったのでなくそうゆう役目で乗っているんだろう。

さて、この鉾は
本場京都ではもともと鉾(武器)ではなく
尖った木(神様の依代)だったと言われている。

そう考えると、
祇園の山鉾にも大胡の鉾にも子供が乗っている
というのも、憑子・尸童(よりまし)が原型なんだろうか。

ともかく、木の枝だったころは
悪い神様をアンテナ的に集めた後は
木ごと煮るなり焼くなり処分してしまえばよかったが…
京都ほど豪華な山鉾を作ってしまえばそうは行くまい。

なのでせめて(効果があるか分からないが)
京都の祇園祭は山鉾を午前に曳き終えて早く仕舞うらしい。
大胡の祇園祭でも天王御渡は午前で
暴れ獅子が午後なのはそういうわけだろうか?
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鳳凰も無事付いて、立派である。
個人的に、なんだかあの神輿についている小さい鳥居が好き。
いつも住んでる本殿から、
分身みたいに小さな姿で出てきて
神輿に乗り込むカミサマを想像すると可愛すぎる。

そしてこちらが先ほどのサルタヒコだが、
道案内の神、道を拓く神だというのに
どういうわけかしばらくは鉾より神輿より後ろ。
という状態だった。どっかでフォーメーション変えるのか?
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というところで、ちょっと用事があっていったん家へ。
いやー。電車で十数分で祭り会場に着くってなんて楽なんだ!

*暴れ獅子*
さて、用事と昼寝を終えて再び大胡へ。
よいさ、よいさ、の掛け声とともに
超男らしい獅子が登場!
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獅子舞の獅子頭同様、
中は空洞になっている。
だがおそらく、耳は動かない。
(獅子舞の頭は耳がピコピコ動く仕組み)
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暴れ獅子の先頭には、
提灯を持った兄さんたちがいる。
この人たちが獅子が寄る家の前に立って
目印になるのだ。
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そして、午前と同じく
お賽銭をもらって塩を授与する兄さんも。
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しばし休憩。みんなでお茶飲んだり。
暑いから倒れないように気を付けないとね。

と、補給したところで再び出発!
そして町内の家々を…襲撃!
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疫病を追い払うために激しく暴れるというが、
まさに襲撃というのが一番シックリくる。

ただし、とにかく暴れまわっているというわけでなく
先導してる提灯の兄さんのひとりが
「オイ、ヒトんちぁ触んじゃねぇぞ!(゚д゚)ゴルァ」
と凄む。どうやら、民家に被害がないように
かなり気を付けて運営しているようだ。

そしてよく見ると、
門の近くに獅子を担いでいない兄さんたちが集まり
ドカンドカン押してくる獅子を押し返して
いわば緩衝材になっているようだ。

このように門戸を襲撃するほか、
広場などで獅子がすごい勢いで回転するのも
結構迫力がある。
大変なのは布の一番後ろを持っている兄さんである。
よく見ると回転する獅子頭のまわりを飛び回っている。
そして、この動画 よく見ていると
歩道周辺で飛んできた兄さんを避けて縁石につまずき
尻もちをついているおっちゃんが小さく映っている。


暴れ獅子(大胡駅前)


ちなみに、駅舎やテント、店には結構容赦ない。
大胡駅も襲撃を受け、後で見たら庇に獅子の塗料がついていた。

さて、獅子の塗料というところで
上の写真でも兄さんたちがみんな赤錆みたいな色で
一体どうしたことだろうと感じたかもしれないが。

この暴れ獅子はベンガラで彩色されて、
毎年どこか破損するので毎年作り直しているという。

ベンガラは古来から
人を埋葬するときにこれで化粧をして
あの世に生まれなおすように願ったと言われたり、
古墳の内壁の装飾に使われたりと重要な顔料だ。
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この祭りでも、
獅子頭をおいて青年会の兄さんたちが休んでいる間は
子供たちが集まってきて獅子頭をべたべた触り
手に着いた顔料を自分の顔に塗りたくっている↑
※一応、不自然だがお子さんたちの顔はぼやかしてみた。

そして、このJA広場での休憩の後は…
お約束の「警備本部襲撃」!
これこれ。これが見たくて待ってたのだよ!
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獅子頭が向かってくると同時に、
警察官たちが総員、長机を思い切り押さえる!
そして次の瞬間…
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ドカーン!
腕っぷし強そうな警官さんたちが押さえてるとあってか
ここが一番容赦ないぶつかり方な気がする( *´艸`)

写真ではイマイチ伝わらないので最後に動画を貼って
今回は終わり~。


暴れ獅子(JA広場前 警備本部襲撃)

けっこうな夕立が来た後だったので、
テント後方から撮っていた管理人に
屋根にたまっていた水が思い切り降ってきたよ(´・ω・`)

玉村町五料の水神祭!

群馬県玉村町五料にある飯玉神社。
ここで先週末7/24に「五料の水神祭」が行われた。

以前、長野県茅野市にある達屋酢蔵神社の記事
「今は日本神話の神が祀られているが、
 もとはミシャクジ様と五龍(五料)姫神が居た」
と書いた時から、この地名で水神祭というのは気になっていた。
結果的に言うと水神様が神社にいるわけではないので
具体的な名前はわからなかったのだけど…。
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グーグルマップでは、
周辺で「神社」と検索しただけでは出てこなかったので
かなり小さな村社なんだろうとタカをくくっていたのだが…
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こちら。
拝殿前には今日の主役「水神丸」が!
そして、拝殿、大きくてキレイだぞ!
(=゚ω゚)♪
ここ五料は、
こちらの地図を見ていただければ分かるが
利根川がちょうど二股に分かれた所にある土地。
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むかし、まだ利根川が水運の要所として栄えていた頃
五料は渡し舟の船頭たちが住む村だったらしい。
当時は五料宿といって小規模な宿場町ができるほど栄えたとか。
神社から出た舟が、最後川に向かう際に通る道には
関所まであるのだ!
(関所というのはそうポコポコあるものではない)

そして、その船頭たちの村で行われた祭りが
今でも水難除け・安全祈願として
藁舟を川に流す祭りとして続いているそうだ。

安曇野みたいに
「古来、この土地には
 九州から海人の一族が移住してきていた。
 その名残で今もこの土地には海がないのに
 舟が登場する祭事・神事が数多く存在するのだ…」

…みたいな古代ロマンでなくて悪かったな(´Д` )

冗談はさておき、水神丸に近づいてみる。
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人が乗るわけではないのだが舵?も付いていたり…↑
そして停泊するわけでもなしに錨↓も完備しているのだ!
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この船は祭りの1週間前に作るらしい。
そして1週間この神前に安置された後に
地域を練り歩くのである。

何とも素朴な
太鼓と子供を乗せたリヤカーに先導され…
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夕方4時ごろから「水神丸」は近所をぐるぐるとめぐり、
ひとしきり練り歩くと再び神社へ帰還。
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そしてここからが本番!
再び利根川の近くまで舟を曳いたところで、
土台になっていたリヤカーから舟を外して…
大人たちだけで担ぐ!
山車状態だった水神丸が神輿状態に!
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おっちゃんたちのシルエットがかっこいいぜー!

そして堤防を越えて川に近づき…
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さらに臆することなく蚊の温床に殴り込み!
草がね、もうバッサバサですよ!
手ブレも ひとしおですな↓
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そしてそのまま川へ!
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無事に進水式(?)を終えた水神丸でしたとさ。
堤防には「玉村にこんなに人がいたのか」という人だかり。
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梅雨も明けて子供も夏休みになったけれど
今年もあんまり水難事故が起きませんようにー。

さて、舟が川に流される前。
舟が地区内を練りあるき神社から人が出払ったスキに
建物のほうをゆっくり見てきた。
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横からきれいに光が入り、
拝殿内は明るい雰囲気である。
本殿は古そうだが、拝殿内は新築のよう。
とってもピカピカだった。
( ´ ▽ ` ).:*☆
堀口の飯玉神社からお招きしたということなので、
ウケモチさんがお住まいなんだろうか?

→後で調べたら、ウケモチさんのほか

境内の末社だった蠶玉神社

石神社(字保養森、地図では飯玉神社右下)の
ヤチマタヒメ・ヤチマタヒコ・クナド神

白山神社(旧沼之上村なのでやはりこの近所)の
ククリヒメ・イザナミ

大杉神社(新川岸。どれも近所の川沿いの神社)の
サルタヒコ

が引っ越してきてシェアハウスしているとのこと。
コダマ神社は、格上げされたということだろうか。

さて
ヤチマタ=道がいくつもに分かれた場所 で
つまりヤチマタヒメ・ヤチマタヒコは
道祖神・賽ノ神系のカミサマ。
御存じのとおりイザナギさんは
黄泉の国で醜い姿になった奥さんを見てしまい、
奥さん(イザナミ)はキレて追いかけてくるわけだが。
命からがら逃げきったイザナギさんが
黄泉の国の汚れを落とすために禊を行ったとき、
このヤチマタ2神が生まれたと言われている。

そしてまた、ククリヒメは
白山信仰という独自の信仰を持っているが
日本神話の中で言えば
キレたイザナミと逃げるイザナギの夫婦喧嘩を収め
結局別々に暮らすとはいえ
2人の仲を取り持った神とも言われている。
(なので縁結びの神様として有名だったり)

そしてサルタヒコは
ニニギが国を治めるために天下ったとき
交差点(=ヤチマタ)に立ちふさがり
「私が先導しよう」
と名乗り出た神様である。
これが道祖神とサルタヒコが同一視される所以。

ちなみにサルタヒコの奥さんはアメノウズメ
と言われているが、二人の馴れ初めはココである。
ニニギが従者であるアメノウズメに
「この先に立ち塞がっている者がいる。
  その者がどういう者だか訪ねなさい」
と指示したのである。
そしてなぜかアメノウズメは
「胸を露わにし腰紐をヘソの下まで下げて」
サルタヒコのもとに出向いたのである。
なんでやねん。痴女か。
勿論サルタヒコは相手の名前を確認するより前に
「あなたはなぜそのような格好をしているのですか」
と訊いたらしい。まっとうな疑問である。
しかし明確な答えはなく、
ともあれサルタヒコは道を拓き
ニニギを導いたのである。
(ということで道案内・道中安全の神となった)

 

さて こちらが、その本殿↓
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この、覆殿と言っていいのか
本殿を覆っている骨組みと、張りめぐらされた細かい金網。
ちょっと初めて見た形態だ。
本殿自体の大きさも立派。

なぜこの神社がグーグルマップで
かなりズームアップしないと表示されないのか謎。

神社裏には水神社などがあったが、
扁額のあるものは少なくて何の神様がいるのかはわからない。
そして、以前鳥居にかかっていたと思われる大きさの扁額。
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赤持宮大明神?赤梓宮か?
2文字目がよく見えない。
梓宮と言えば古来中国では
身分の高い人の住まいのことだったはずだけど…
なんか違いそうだな。要再確認。

駅から歩くと超遠い…というか、
19時まで祭→新町駅まで歩いたら
途中で日が暮れて周りは田んぼしかないし
むちゃくちゃ怖かったので、
できれば車の練習してからリベンジしたい。
まぁ暗かっただけで正味1時間くらいだったかな?

この日は祭りが始まるまで
上野の国 八ノ・九ノ宮である
火雷神社倭文神社に行ってきたので。
それもそのうち書こう…

今回はこれで終了~

「綿のおばば」に会いに行く。

さすが新宿2丁目!
ガチムチ系なDVDばかり取り扱っているお店やら、
ちょっと怪しげな雰囲気漂う通りがすぐ近くにある…。

まぁお寺自体は大通りの近くで
至極わかりやすい位置にあったので助かった。

*綿のおばば*
さて、小ぢんまりした敷地ではあるが
入ってすぐ右にあるのが「綿のおばば」さんのいる御堂。
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子育老婆尊、という
温和そうなお名前が付いているようだが…
そのご尊顔やいかに…!
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こ…こわいじゃないか! 泣く子も黙るわ!
目の虚ろさで怖さ倍増!
口のあたりが薄ら赤いのも怖いよ!
絶対人食べてる!
((((;゚Д゚)))))))
しかし、子育老婆尊というだけあって
子供の健康祈願 特に疫病・百日咳の平癒が御専門だとか。
そしてその御礼に母親たちが綿をそなえたので
「綿のおばば」と呼ばれているんですな。

現在のは実際に奉納されたものか分からないけれど
頭から肩にかけてかぶっている白いのが綿。

ちなみに、綿の量で言えば
世田谷にある宗円寺さんの奪衣婆のほうが上。
社からあふれ出んばかりの綿で、
雲間から出てきた大神のような奪衣婆が神々しい。
(顔は、まさに鬼神というキツイ顔である)


*針塚と百度箱*

女性が御参りに来る場合が多いせいか、
すぐ隣には針塚がある。

既にある目玉商品の需要層をターゲットに
さらに商品(?)を打ち出してくるとは…。
なんだか新商品の企画を見ているような気分だ。
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おそらくだが、
日本ほど供養塔(塚を含む)が多い国も珍しい。
人間はもとより食品となる家畜・魚介、
そして無機物である針や靴までもが供養の対象に!
そのうち供養塔・塚のことも書きたいところですな
(=゚ω゚)ノ
そして、こちら↓は「百度箱」。
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日本には古くから願掛けを成就させるために
同じ神様に100回お参りするという方法がある。
本当は日に一度×100日を一日も欠かさず行うのだが
案外せっかちな日本人は
鳥居と神前を100往復するという方法を編み出してしまった!

その際に回数が分からなくならないよう小石を並べたり
あるいは算盤のように棒に通した珠が設置されていることがある。
これが「百度箱」や「百度石」と呼ばれるもので、
箱の場合はその中に枝や小石を入れて数える目的で設置される。

神様にしてみれば
「横着せんで毎日来いや(´Д` )!」
という感じではあるだろうが…。

*奪衣婆とは何なのか*

さて、
そもそも奪衣婆って誰だ?

というところかもしれないが、
奪衣婆は地獄の入り口にいるおばあさんだ。
そもそも地獄はどこからが入り口だかわからないが、
三途の川を渡ったあたりに居るとゆうウワサだ。
(ということは地獄というより死後の国の入り口か)
読んで字のごとく死人から衣類を剥ぎ取るおばあさんだが、
変態だとかそういうことではない。いやがらせでもない。

その脇に懸衣翁というおじいさんがいて、
彼女は彼とバディを組んで働いているのだ。
奪衣婆が剥ぎ取った衣服を懸衣翁が枝に引っ掛けて
生前の罪の重さをはかるという。

…じゃあ閻魔大王の玻璃の鏡いらないじゃん!

というところだが、
まあスクリーニングというかスキミングというか。
警察官と裁判官みたいなもんなのかな(違うかも)。
わるい!いい!って大体分けるのが高齢コンビで、
検挙されてきた死人の詳細をみて送る地獄を決めるのが大王?

というところである。

「勿論バディを組んでいる二人が夫婦だ」
という意見も多いわけだが、
実は奪衣婆は閻魔大王の奥さんという声もある。
閻魔夫妻のルーツについては

金剛寺の摩多利神さま - とまのす

の中でも書いたが、
奪衣婆が閻魔大王の奥さんだとすれば
そのルーツはヤマ(閻魔のルーツ)の妻であり
疫病を背負う神・チャームンダーである可能性が高い。

チャームンダーは「遮文荼天」という尊格として
奪衣婆と別に仏教に取り込まれてはいるが。
「痩せて病をまとった恐ろしい老婆」という
チャームンダーの姿に忠実なのは奪衣婆のほうだろう。

*なぜ咳に効くのか*

残念ながら、管理人の力ではそこまで調べがつかなかった。
ただ、これはこの寺に限定された御利益ではなく、
そして東京限定でもないらしい。
というのも、むかし長崎へ行ったときに見たのである。
そこでは「コンコンばあさん」と呼ばれていたが、
閻魔大王像の隣にいたし姿も垂れ乳のおばあさんだったし。
まちがいなく奪衣婆だろう。

そして、遮文荼天と
その原型・金剛亥母(ヴァジュラヴァラーヒ)は
猪の頭を持ち、その鳴き声で疫病を蹴散らす女神。

なぜ咳が得意分野になったかはわからないが、
もともと疫病バスターな女神さまなのだ。

*おまけ*
よく奪衣婆像に関しては
「これが日本で一番怖い顔の奪衣婆!」
みたいのがいくつもある。
鬼的な意味ではなくホラー的な意味では
今回の奪衣婆もなかなかでは?と思うのだが。

まぁ逆に言えば
「これが日本一ユルい奪衣婆だろ」
みたいのもあるわけで。

とりあえず今まで管理人が見た中で
一、二、を争うユルさなのは…
我らが群馬県 みどり市にある草木八沢の奪衣婆坐像か
長野県小諸市にある布引観音の奪衣婆坐像だな…
♪( ´θ`)ノ
見てのお楽しみという感じだが、
気になる方は画像検索でカンニングどうぞ(笑)

王子稲荷の巣穴跡。

上野から乗り換えなしで何駅か、
JR王子駅が最寄り駅となる。

駅からも10分そこそこなのだが、
何せこの日は暑く しかも上野を散策した後。
だんだんとフラフラしてきたので
ワキに冷え冷えのペットボトルをはさみつつ
コンビニに退避(´Д` )

一番下の棚の白玉粉と片栗粉を両手に、
悩んでるふりをしてしゃがんで休んでいた。
しかし一向に良くならない!
なぜだ。

試験的に、バッグの中の秩父飴をパクッと行くと
あら不思議。とたんに体調が回復するではありませんか。
なんと、秩父・オオカミの御加護か⁉
ありがたや…じゃなくて単なる低血糖ですな。

お稲荷さんに砂肝そなえてる場合か。
自分もちゃんと食べろってことですねー。

さて、すっかり良くなったので出発してほどなく
立派な鳥居が見えてきた。
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階段を登り切ると、
比較的新入り風ながらもイケメンなキツネが!
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その後ろに控える狛犬は、
土台が透かし彫りでなんだかオシャレ。
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そしてこちらが拝殿。
思っていた以上に豪華だぞ!
周りが板橋みたいなごっちゃりした住宅地だから
なんか小さい神社かもと思っていた…。
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四色の紐の先には、
それぞれ大小の鈴が。
真ん中の大きい鈴には紐がない。
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「ほかに御参拝中の方がいない時は
 どうぞ中まで上がって天井絵をご覧ください」
という旨の張り紙に甘えて上がらせてもらう。
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そしてこの天井絵である。
パッと見、鮮やかなので「なんだ新しいのかな」と
ちょっと気落ちしかけたが …
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グラデーションなども使われつつの
細やかな表情をした雉タイプ(←頭が)の鳳凰。
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さて何人か参拝者はいたものの、
みんなこの豪華な拝殿にお参りして帰ってしまう。
こっちが管理人的にはメインなんだがなぁ。
とおもいつつ、拝殿の横を通ってさらに奥の鳥居へ。
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入口のより古参っぽい狐↓が神域を守っている。
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そしてその先にお堂があり、
その扁額には「本宮」の文字が。
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「本宮」ということは、
先ほど入った大きな建物でなくコチラの方が、
もともと信仰の中心だったということになるわけだが。
権力者に、あのイイ建物を建ててもらう前は
コチラにお住まいだったんだろうか…。
しかし、さっきの稲荷社が「里宮」的な所で
コチラが「奥宮」というには少し近すぎる。
稲荷社に対する本宮なのだったら、
こんなに近いのに別々の建てる意味は何だったのか…
そして、2つの社殿が違う方角を向いているのも気になる。
しかし情報が少なすぎてわからない。

江戸時代にはすでにさっきの稲荷社は大人気で、
浮世絵などにも描かれているそうだ。

ここ王子稲荷は古くは荒川がこの付近を流れ
その岸に建っていたため岸稲荷と呼ばれていたという。
(今もこの辺りは岸町という)
寛政の改革までは、
「東日本一帯の狐が大晦日になると
 装束を正し提灯を持って王子稲荷社に集う」
と言われ、東日本のお稲荷さんの総元締とされた。
(改革時に「関東一帯」に修正されてしまったのである)

東の王子・西の伏見ということか?
だったら伏見系とは別物なのか?
でも関東の稲荷社だって伏見から勧請してるの多いし…
東ブロック本部!みたいな感じなのか。

まぁさておき、
民話によると、この地域の村人たちは
先述の「大晦日の狐火行列」の規模によって
翌年の豊作を占ったというが…

この行列を隠れて覗いた村人によると
「狐たちは方々から集い行列をなして社に向かった。
 装束松(現在は装束榎)の下を通った狐から裃姿になり、
 すべての狐が裃になったところで白狐が現れ皆を先導し
 王子稲荷の森へ入っていった」
らしい。その時に狐たちは口々に
「自分たちが聞き届けた願いをここにお届けしよう」
という内容のことを話していたという。

そして大層な行列の翌年は豊作となるので、
この行列を守って、多くの狐に行列してもらえるよう
王子稲荷の上(奥?)の山に白狐を祀った社を建てた。


残念ながら白狐社は現存しないという話で、
どうやら上のほうの草ボーボーの土地に
石鳥居だけが遺されているとHPには書いてあった。

ともかく、この本宮のさらに奥が目的地。
先ほどと同じように御宮の向かって右の鳥居へ。
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こちら↓は「願い石」もしくは「お石様」。
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この狐はとても大事にされている風だ。
古いのか、壊れやすい材質なんだろうか?
そして、上の写真では見えづらいが
コレ↓がお石様。
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よくあるやつだが、
願い事を念じながら持ち上げて
思ったよりも軽ければ「すぐ叶う」
思ったより重ければ「努力が必要」
と書いてあった。

あまり観光地だとこういうのやるタイプではないが、
やってみたところ重くて持ち上がらず!

ひぇええ嗚呼、しかし…
思ったより重ければ「叶わない」
と言わないところが優しいではないか…(泣)

こんなことなら花園稲荷で
柑橘類を供えてお願いしておけばよかったか…
と、思ったりもしたが仕方あるまい。

石の奥には無数の白狐がいて、
願いを見透かして審議されてる雰囲気満々である。
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…まさか、この石はお稲荷様の商売道具か⁉
「叶わなそうなのか?力を貸してやろうか」という
呼び込みのためにこんなモノが⁉
(※考えすぎです)

さて、蚊に集られながらさらに奥へ。
そして階段を上ると今日の目的地!
「狐の巣穴跡」。
この右の穴↓がそうらしいのだが…
まぁ本当に「この穴」が巣穴だったかは別としても、
農村だったわけだし昔は鎮守の森が厚くて
本当に狐も住める場所だったんだろうなぁ。
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ここの狐さんは
御揚げでなく厚揚げ派らしい。
開けてあるヤツは誰かに食べられている。
カラスか?タヌキか?

ここの巣穴から見ると、こんな感じ↓
左がお石様。右が本宮の後ろ側。
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キレイな社殿も見られて、
民間信仰っぽいのも見られて、
結構充実の境内だった

さて、立派な稲荷社の前を通り過ぎると、
もう一つの出入り口が。
すごく急な坂に建っているので、
幼稚園側から入るとすごい階段だが
コチラは数段の階段のみ。

コチラにいるのは、なかなか古そうな狐さんだ。
土台は火炎宝珠の模様。
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そして相方の土台は鍵↓。
コチラも形はきれいだが年季が…
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…目、タレすぎじゃない?
きつねだよね?つるべじゃないよね?
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入り口の藪の中には、
さらに重みのある狐さんも。
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ついでに(と言っては失礼だが)
王子神社にも行ってこようと思ったが、
もう暑さが限界である。顔が塩吹くわ。
今んとこ髪の毛に困ったりもしてないし!
もう群馬に帰ろう(つД`)

というわけで、今回はここまでー。

王子神社は蝉丸と逆髪姫が祀られているため
 カツラの神社といわれている。
 そこから転じて薄毛に御利益が…
 とも言われているのである。