とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

「すずめの戸締まり」を見てきた②「閉じ師」と祝詞のこと

映画「すずめの戸締り」を見て主人公・鈴芽の名前のことに続いて書いたが、今日は少し閉じ師のことを考えてみる。

今回、考察というほど掘り下げるつもりはなく用語に触れるだけなのでネタバレにはならないと思いますが…設定や作中の場面には言及するので未鑑賞かつ鑑賞予定の方はご注意ください。

 

 

閉じ師と後ろ戸

この物語の中ではミミズの化け物のようなものが地震の原因という設定になっている。普段は現世に出てこないハズのものだが、人知れず存在する「後ろ戸(うしろど)」という場所からコレが現れると地震が起きる。

この後ろ戸を特殊な方法で閉めることで地震を抑えるのが「閉じ師」だ。物語に登場するロン毛イケメン・宗像草太(むなかた そうた)は大学生として教員を目指す傍ら、家業の「閉じ師」をしている。

ところで、最初に発見された後ろ戸はかなり特殊な場所にあったものの、その後は廃校になった校舎の出入り口や閉演した遊園地の観覧車のドアなどが後ろ戸となっていた。

つまり、後ろ戸は神域にある特殊な物などではない。むしろ、人に忘れ去られた場所に取り残された扉が「後ろ戸」となり常世(あの世)につながる“境界”に変化していく。

もともと扉は場と場を繋ぐ境界ではあるけれど、そこを開ける人も無く、扉の先に人が行くべき場も無いなら、その境界は人ならぬものに使われてしまうのかもしれない。

なんだかそれは、持ち主を失ったまま長年存在し続けた器物が付喪神になる様子や、柳田國男先生が考えたように人の信仰を失った神が零落して妖怪化していく過程を思わせるなと感じた。

ただ、草太がすずめに古文書を見せるシーンによれば

・普通の地震なら後ろ戸で抑えられる
・ただし100年に一度レベルの大震災は無理
・そのために要石がある

とのことらしい。つまり、後ろ戸は厄介なものと言い切ることもできない。一部の人間にとってはミミズの出現目星を付け、閉めるという行為により人為的に地震を封じることができる場でもあるから。

 

蛇足だが、映画を見ながら管理人は「こうであったらよかったのに」と泣きたいような気持になった。地震で何かを失った人ならなおさらそう思うかもしれない。もし、既に起き始めている地震を察知し、少しずつ降り積もるような日々の人の想いや営みの重さで地震を鎮められるなら。そこに住む人が奪われなかったものは、たくさんあったから。

それだけに、ミミズを見て顔色を変えるすずめと一切ミミズが見えないクラスメイトの隔たりは「見える見えない」だけでなく、現実世界での震災を体験した福島の子と、そうではない宮崎の子の対比にも見えたし

地震速報に対して「大きく出すぎ」「結局何ともなかった」と退避行動をとらずに画面を見続ける人たちは、まだ地震に奪われたことのない私たちそのものだという気もした。

 

祝詞のこと

神を祀る際に、神に向けて(多くは古語で)唱える言葉を祝詞(のりと)という。草太が扉を閉じ鍵を閉める過程で唱えるのも祝詞の一種なのだろう。せっかく小説版を読んだので、この祝詞について少し考える。

 

かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ

遠つ御親(みおや)の産土(うぶすな)よ

久しく拝領つかまつったこの山河

かしこみかしこみ、謹んでお返し申す

 

「かけまくもかしこき」は、言葉にするのも畏れ多いということ。最後の「かしこみかしこみ」や「謹んで」と併せて、語りかけている神に対して敬意を表すための文言。

そして「日不見の神」だが、日不見とは読んで字のごとく日を見ることが無い=目が見えない、もしくは地中に住んでいるという意味。つまり、あのミミズのようなものをとして扱い語り掛け、鎮めようとする言葉だと分かる。

次の「産土」には生まれ育った土地土地の神々という2つの意味があるが、日不見の神と同じく呼びかけられていることから後者なのだろう。

というより、後に閉じ師の古文書のようなもので“ミミズ(龍)”を見たときに鈴芽は「龍と土地とは一体のような印象」を受けていた。小説のその部分を読むと、日不見の神と産土は多分同じ神なのだろうと感じる。

前者は荒魂(あらみたま)、つまり神の荒々しく人を害する一面。そして後者は和魂(にぎみたま)、要は人間に恩恵をもたらしたり穏やかに坐す姿を指しているだけなのかもしれない。

いずれにせよ、神々のものだった山や川を人が「拝領」していたというのは、なるほどなとも思う。戴いた土地だったにもかかわらず、単に経済の動向で人足が遠のいたり、もしくは災害で使えなくなり人が土地ごと捨ててしまった

閉じ師のしている作業はどっちつかずになってしまった場を、手放した人々に替わって神々に返す神事のようなものなのだろう。

 

今回は見れば何となくは分かることをあらためて話したような内容だったので、さほど…という感じだったかと思いますが、最後まで読んでくださった方 お付き合いありがとうございました。

 

次回は要石について考えてみようと思います。