とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

「すずめの戸締まり」を見てきた③要石とダイジンのこと

考え続けていると他のことが手に付かないので、ひとまず考えをまとめて日常に戻ろうシリーズ。一応、今回で一区切りします。今回は、要石(かなめいし)と「ダイジン」のことを考えていきます。

鹿島神宮の要石

今回は、さすがにストーリーの内容に触れずに書くことはできなかったので多少のネタバレ含みます。

また、未鑑賞の方には分かりにくい部分もあると思うので 見たり読んだりした後で読んでいただくことをオススメいたします

m(_ _)m

 

要石とは

ググれば出てくることなので詳細の検索は皆さまに任せるとして、簡単に言うと、地震を抑えるとされた石のこと。かなり深く埋まっているので地表に出ているのはほんの一部で、これが揺るぐ大地を繋ぎとめるとも、地震の原因であるナマズや龍を突き刺し固定することで地震を抑えるとも言う。

 

日本書紀の頃から日本には「大海原を漂う島を今の場所に繋ぎとめている杭のような場所が数カ所ある」という考え方があったらしいが、これに関しては地震に特化して固定しているという意味合いは薄そうだ。

 

その時代から度重なる地震に見舞われる中で地震と関連深そうなものを祀ったり、それに関する和歌や絵を家に貼ることで地震除けとすることが流行ってだんだんと要石への信仰も集まってきたという部分もあると思う。

 

現在、実在する有名な要石と言えば鹿島神宮(茨城県)香取神宮(千葉県)。ちなみに、今回のサムネイルには鹿島神宮の要石を使わせていただいた。しかし、作中での要石の位置を見ると茨城と千葉は関係ないっぽいので今回はあまりこちらには触れないこととする。

 

動く「要石」

「すずめの戸締り」に登場する要石は、時代によって位置が変わる。時の流れで地中にうごめく龍脈の経路も災害の形も変化するから、ずっと同じところに刺しておくのでは意味がないらしい。

 

草太の持っている古文書の中には、その位置を示した目録がある。小説版を読むと、初期の地図は「島のようなものの端と端に」剣が刺さっているらしいが、中世の地図には北海道が描かれていないであろうことを考えると端というのは東北と九州のどこかかもしれない。

 

時代を下り、もう一段階新しい地図では「さっきと少しずれた場所」に剣。そして、その次の時代には「東北の端と琵琶湖の下」となる。現代人として気になるのは、これが東日本大震災阪神淡路大震災に対する要石なのかということだ。

 

もしそうであれば、その次のページに記された現存する要石の位置=東京と宮崎(すずめの地域に在ったもの)は未来の地震を表していることになる。そして、その位置から想像できるのが首都直下型地震南海トラフ巨大地震ではないだろうか。

 

当事者ではない人々が東北大震災を忘れた今、南海トラフもしくは首都直下型地震を連想させて警鐘を鳴らすというのも新海監督の伝えたいことの一つかもしれない。

 

ただし、物語の中の要石が実際に大震災の震源を予想する物かと言えば少し疑問ではある。もしそうであれば最新の要石が明治時代に東京・宮崎に刺されたのに、なぜ東北が観測史上最大震度の被災をしてしまったのか。

 

もしかすると、作中の要石の位置は私たちに歴代の大震災を連想はさせるが、その位置は実際には震源とは関係がなくその時代時代の「ミミズの尾と頭」の位置に過ぎないのだろうか?

 

それとも(なぜ現代に東北に要石が無かったのかということは一旦置いておいて)今回のように大地震前触れとして要石が抜けるのであれば、作中で現存する宮崎と東京の要石が記されたページは明治34年。それ以前の要石はその年より前に機能を果たさなくなったということになる。

 

もしかすると「東北の端と琵琶湖の下」の要石は現代の地震を予測するものではなく

明治29年の明治三陸地震
明治30年宮城県沖地震
明治32年紀伊大和地震

の前に抜けてしまい、やっと明治34年に新たな要石を刺すことができた…のかもしれない。完全に妄想だけど。

 

まぁでもダイジンが「うしろどは またひらくよ」と言っていたように、地震は繰り返す。もし作中の要石がこれからの地震を予知する物でなく過去の地震に関する物だったとしても、またいつ起きても不思議ではないということに変わりはないだろう。

 

映画を見ているときも、そのメッセージが繰り返し、色々な言葉や方法で伝わってくるような気がするなと思っていた。

 

ダイジンのこと

管理人は、映画を見て数日はダイジンのことを思い出すたびに涙が出て「いじめられたのか」「大丈夫か」と心配される日々だった。いや、いじめられてないから…。

 

ダイジンは、宮崎ですずめが抜いてしまった要石が生物(仔猫)として顕現した姿。顕現とは、普段姿を見せず声も発しない神などが見える&やり取りできるような形態で人の前に姿を現すことだ。

 

そう考えると、要石(ダイジン)は神様なのだろうか。神様っぽいなという印象を受けたシーンは、すずめに必要とされれば全身がふっくらと生命力を帯びた姿になり、拒絶されればやせ細ったみすぼらしい子猫に戻ってしまうあたり。

 

信仰を得れば永らえ、信仰を失えば存在が危うくなる。神様は、人が思うほど永遠の存在ではなくて、むしろある意味ではただ役割も持たず必要とされずには存在し続けられないものかもしれないと思うことがある。

 

しかし、たしかに神のような力があることは確かなのだけれど、管理人はその姿の通り「まだ神としては子供」という印象を受けた。

 

例えば後に登場する「サダイジン」と比べれば体も小さく、常世に入って巨大化した際の大きさや大きくなっていられる時間も頼りない。なにより、サダイジン登場シーンではまさに子猫というかんじで首根っこをくわえられている。

 

おそらく、神的な者としてはサダイジンのほうが先輩なのだろう。名前から考えても、サダイジン=左大臣という前提で話を進めれば、それと対をなすダイジンは正式名称:ウダイジンの可能性もある。

 

いずれも昔の朝廷で最高機関の官職であったが、一般的には左大臣のほうが右大臣よりも年長者が務めることも多いらしく、実質的な太政官最高位とされている。つまり、ダイジンが「ウダイジン」だったとしてもサダイジンよりは下の立場となる。

 

もしかすると、自らをウダイジンと名乗るシーンは無いので、ウダイジンとなるべく研鑽中の身なのかもしれない。

 

では、神になる前は何だったのか。いや、産まれたときから神で、しかし子供の神であるから研鑽中なのか?そう考えたときに手掛かりになりそうなのが草太の祖父の発言だ。

・これから何十年もかけ要石になっていく
・要石は神を宿している
・人の身には望み得ぬほどの誉れ
・最後に覚悟を示したか

つまり、要石は最初から神ではない。そして「神を宿」すということは、神自体ではなく依り代(よしりろ)ということだ。そして、祖父がその一連の話をしたときに複雑な感情はあっても「驚き」は感じなかった。つまり、人が要石になるのはあり得ることなのだろう。

 

ということは、もしかすると今の要石であるダイジンも人間だった可能性はある。証拠はないが、神戸のスナックでダイジンが座っている席を見て店員の女性が「物静かで品がある」「渋めで素敵」と言っているので…それが人だった時の姿なのかもしれない。

 

久々に常世から出て、現世の暮らしを満喫していたのだろうか。しかし、そうであればすずめの前での幼子のような純粋さは一体何なのだろうか。

 

草太の人としての意識がどこか深くへ沈んで凍ったようになってしまったのと同じく、元の人格や記憶は顕現しても復元されるとは限らず、神としての経験値だけが精神年齢に現れた状態なのだろうか。

 

そうであれば、本来果たすべきはずの要石としての役割に飽きた、もしくは寂しくなって自分を抜いてくれたすずめに懐くのも理解できる。まだ、神を宿すものとしての責任感は未熟なのかもしれない

 

この場合、要石としての役割を失っても人には戻れない時点で、新たな存在意義を見つけなければ消えてしまったりするのだろうか。その新たな存在意義を与えたのが、すずめの「うちの子になる?」という言葉かもしれない。

 

奇しくも、これは彼女の叔母が災害で母を失った彼女に掛けた言葉と同じだった。幼い頃のすずめと今のダイジンが重なることで、今のすずめを連れ戻しに来た叔母が、ダイジンの首根っこをくわえるサダイジンと重なるような気もした。

 

では、叔母に溜まり溜まった悪い感情を吐き出させたのは、サダイジンの悪い作用というわけでなく「一旦そうした方が後の解決につながる」というサダイジンの判断だったのだろうか。

 

このあたりはちょっと分からないが、この感情は草太がミミズの説明に使った「ひずみが溜まれば噴き出す」という言葉を思わせる。それを抑え癒すのは、要石の本領なのかもしれない。

 

だんだん神様の話ではなくなってきたのでこのあたりで終わる。そういえば、管理人は草太の祖父の言葉や反応から「彼は要石を刺した側の人間なのかもしれない」と少し感じた。人だったものを、永遠に現世には戻れない場所に置き去りにすることだと分かっていながら刺す葛藤や、自分だけが人間として現世に戻ってくる辛さを知っているからこそ言葉の上ではすずめを称えた。ただ、自分の孫がその場所へ行ったのだという感情も相まって穏やかに伝えることはできなかったのでは、とか。とか。

 

ということで、見たけどよく分からなくてやっぱり気になっている方も、まだ見ていないのにうっかりこの記事を最後まで読んでしまった方も、是非映画館で。

 

地震に関してはかなり頻繁に速報が鳴るシーンがあったり津波の後の町を思わせる常世の風景があったりするのでそのあたりは自分と震災の距離感によってかなりストレスに感じる方がいると思います。管理人は地震のとき東北に居た人間ではないけれど、それでも不安や怖さが沸き上がってきました。

「すずめの戸締まり」を見てきた②「閉じ師」と祝詞のこと

映画「すずめの戸締り」を見て主人公・鈴芽の名前のことに続いて書いたが、今日は少し閉じ師のことを考えてみる。

今回、考察というほど掘り下げるつもりはなく用語に触れるだけなのでネタバレにはならないと思いますが…設定や作中の場面には言及するので未鑑賞かつ鑑賞予定の方はご注意ください。

 

 

閉じ師と後ろ戸

この物語の中ではミミズの化け物のようなものが地震の原因という設定になっている。普段は現世に出てこないハズのものだが、人知れず存在する「後ろ戸(うしろど)」という場所からコレが現れると地震が起きる。

この後ろ戸を特殊な方法で閉めることで地震を抑えるのが「閉じ師」だ。物語に登場するロン毛イケメン・宗像草太(むなかた そうた)は大学生として教員を目指す傍ら、家業の「閉じ師」をしている。

ところで、最初に発見された後ろ戸はかなり特殊な場所にあったものの、その後は廃校になった校舎の出入り口や閉演した遊園地の観覧車のドアなどが後ろ戸となっていた。

つまり、後ろ戸は神域にある特殊な物などではない。むしろ、人に忘れ去られた場所に取り残された扉が「後ろ戸」となり常世(あの世)につながる“境界”に変化していく。

もともと扉は場と場を繋ぐ境界ではあるけれど、そこを開ける人も無く、扉の先に人が行くべき場も無いなら、その境界は人ならぬものに使われてしまうのかもしれない。

なんだかそれは、持ち主を失ったまま長年存在し続けた器物が付喪神になる様子や、柳田國男先生が考えたように人の信仰を失った神が零落して妖怪化していく過程を思わせるなと感じた。

ただ、草太がすずめに古文書を見せるシーンによれば

・普通の地震なら後ろ戸で抑えられる
・ただし100年に一度レベルの大震災は無理
・そのために要石がある

とのことらしい。つまり、後ろ戸は厄介なものと言い切ることもできない。一部の人間にとってはミミズの出現目星を付け、閉めるという行為により人為的に地震を封じることができる場でもあるから。

 

蛇足だが、映画を見ながら管理人は「こうであったらよかったのに」と泣きたいような気持になった。地震で何かを失った人ならなおさらそう思うかもしれない。もし、既に起き始めている地震を察知し、少しずつ降り積もるような日々の人の想いや営みの重さで地震を鎮められるなら。そこに住む人が奪われなかったものは、たくさんあったから。

それだけに、ミミズを見て顔色を変えるすずめと一切ミミズが見えないクラスメイトの隔たりは「見える見えない」だけでなく、現実世界での震災を体験した福島の子と、そうではない宮崎の子の対比にも見えたし

地震速報に対して「大きく出すぎ」「結局何ともなかった」と退避行動をとらずに画面を見続ける人たちは、まだ地震に奪われたことのない私たちそのものだという気もした。

 

祝詞のこと

神を祀る際に、神に向けて(多くは古語で)唱える言葉を祝詞(のりと)という。草太が扉を閉じ鍵を閉める過程で唱えるのも祝詞の一種なのだろう。せっかく小説版を読んだので、この祝詞について少し考える。

 

かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ

遠つ御親(みおや)の産土(うぶすな)よ

久しく拝領つかまつったこの山河

かしこみかしこみ、謹んでお返し申す

 

「かけまくもかしこき」は、言葉にするのも畏れ多いということ。最後の「かしこみかしこみ」や「謹んで」と併せて、語りかけている神に対して敬意を表すための文言。

そして「日不見の神」だが、日不見とは読んで字のごとく日を見ることが無い=目が見えない、もしくは地中に住んでいるという意味。つまり、あのミミズのようなものをとして扱い語り掛け、鎮めようとする言葉だと分かる。

次の「産土」には生まれ育った土地土地の神々という2つの意味があるが、日不見の神と同じく呼びかけられていることから後者なのだろう。

というより、後に閉じ師の古文書のようなもので“ミミズ(龍)”を見たときに鈴芽は「龍と土地とは一体のような印象」を受けていた。小説のその部分を読むと、日不見の神と産土は多分同じ神なのだろうと感じる。

前者は荒魂(あらみたま)、つまり神の荒々しく人を害する一面。そして後者は和魂(にぎみたま)、要は人間に恩恵をもたらしたり穏やかに坐す姿を指しているだけなのかもしれない。

いずれにせよ、神々のものだった山や川を人が「拝領」していたというのは、なるほどなとも思う。戴いた土地だったにもかかわらず、単に経済の動向で人足が遠のいたり、もしくは災害で使えなくなり人が土地ごと捨ててしまった

閉じ師のしている作業はどっちつかずになってしまった場を、手放した人々に替わって神々に返す神事のようなものなのだろう。

 

今回は見れば何となくは分かることをあらためて話したような内容だったので、さほど…という感じだったかと思いますが、最後まで読んでくださった方 お付き合いありがとうございました。

 

次回は要石について考えてみようと思います。

 

 

 

「すずめの戸締まり」を見てきた①名前のこと

映画『すずめの戸締まり』公式サイトより


「久々に復活したと思ったら神社じゃなくて映画の話かよ!」

 

…と言われそうだが、5年前に「君の名は。」の話をした時そうであったように今回もほぼ神様や信仰のことしか考えていないので許していただきたい。(誰に許しを乞うているんだ一体)

 

君の名は。」の記事はこちら↓

tomanosu.hatenablog.com

 

では、早速本題に移るけれどあくまでも「雑感」であり、ちゃんと裏を取った考察ではないのでご了承ください。では、①の今回は、主人公の名前の話

 

さきの君の名は。に登場するヒロイン・宮水三葉(みやみず みつは)の名前は、水の女神であるミヅハノメから来ているのではないかと考えたわけだ。(今思えばクラミツハなども“ミツハ”が付く水の神なので候補にすべきだったか)

 

今回のヒロイン・岩戸鈴芽(いわと すずめ)はどうなのだろうか。と、考えたとき目を引くのは「岩戸」という姓だった。個人的には、もはや弟・スサノヲの蛮行にキレたアマテラスが引きこもった天岩戸しか思い浮かばない。

 

日本神話よく分からない!自分、置いて行かれてる!という人も居ると思うので簡単に言うと、アマテラスという太陽の女神が岩戸に閉じこもったことで世が闇に包まれ、困った神々はどうにか天岩戸を開かせ彼女に出てきてもらおうと画策する。

 

いろいろな案が出た結果、アメノウズメという女神が露出の多い格好で力強く踊り神々は大いに喜んだ。その楽しそうな声を聞いて「え?アタシ隠れちゃったのに超楽しそうじゃん!なんで?」と気になったアマテラスが戸を開けるというストーリー。

 

ここで天岩戸に関連深い女神に照準を絞るのは早計かもしれないが、1回見ただけの現時点では他にめぼしい手掛かりがない。と、言うことで次に「すずめ」という名前のほうに目を向ける。

 

可愛らしい名前だ。しかし、日本神話に雀なんて登場したか?鳥と言えば、セキレイ・ニワトリ・カラス・ハクチョウ・ワシ・キジくらいではなかったか。では鳥でないスズメとは何なのか。

 

そう考えたときに藁にもすがる思いで掴みたいのが、先ほどの「天岩戸」というヒント。妖艶な舞踏で神々を笑わせ天岩戸を開いたアメノウズメの「ウズメ」がすずめに変化したのではないか?

 

「ウズメとスズメじゃ違うだろう、こじつけだ!」と言われそうだが…埼玉県熊谷市の柿沼には雀神社という社が鎮座する。この神社の御祭神はアメノウズメであり「祭神の名前が転じて雀となった」としている。

 

しかし、ウズメ→スズメの転訛が1件しか見つからないのでは弱いのではないか…ということで、保険として考えておきたいのが同じくスズメに転訛されやすい「鎮め」という言葉。

 

洪水を鎮める・疫病を鎮めるといった願いから「雀神社」と名付けられた神社は数件あるようだし、すずめが“後ろ戸”を閉めて地震を鎮めているという劇中の行動にもなかなかマッチしているはずだ。

 

と、個人的に納得できる説にたどり着いたものの友人Aから「来場者特典の新海誠本にすずめの名前はアメノウズメからインスピレーション受けたって書いてあったわ」という爆弾を投げつけられたのだった。最終奥義「作者が言ってる」を食らったら、そりゃ負けるわ!

 

ともあれ、多くの神話好きは「すずめちゃんがアメノウズメとリンクしているというなら、戸締りでなく戸開きではないか?アメノウズメは扉を“開く”女神だろう?」という疑問を感じるはずだ。

 

このあたりは物語の終盤をネタバレしてしまいかねないのでぼやかすが…おそらく映画を見てみれば彼女の行為中で最も重要度が高いのは「閉める」のではなく「開ける」ことだったのかもしれないというのは分かる。ので、ぜひ実際に見てみていただきたい。

 

余談だが、鈴芽(すずめ)の母親の名前は椿芽(つばめ)という。そして、アメノウズメの配偶者とされる猿田彦を祀る神社の総本宮三重県鈴鹿市椿大神社。それゆえ椿からは夫とともに祀られるアメノウズメも連想されるが、母親の名前に椿の文字が付くのは偶然だろうか。

金の目のシシ、溝祭。

ちょうど桜も満開の4/7(日)、
高崎市吉井の溝祭・三宮神社へ。
いや、溝祭ってゆう祭りに行くワケじゃなく
ミゾマツリという地域ね。
田畑の水路とか、そういう溝に神様がいて
その方たちが豊作をもたらしてくれると。
そういう発想に基づいてつけられた地名だというコトだ。
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自転車には非常に良い気候なので、
うちの近所の川に沿って吉岡へ向かう。
各地にある一宮とか二宮と言うのは
昔の人が、各地の神社に付けた順位と言う。
順位と言うか順番と言うか、
これには社格or神階だとか国司が参拝した順だとか
色んな考え方があって定かではないらしい。
群馬(上野国)では、
一ノ宮が貫前(ぬきさき)神社。二ノ宮が赤城神社
そして三ノ宮が今回訪れた三宮神社である。
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さて、現在この三宮神社に祀られているのは
ヒコホホデミトヨタマヒメ夫婦と
そしてスクナヒコナ

なぜこの3人の組み合わせなのか分からないが、
この三宮は温泉で有名な伊香保神社の里宮ではと言われている。
伊香保神社の祭神はスクナヒコナとオオナムチであり、
そのスクナヒコナがココにいるのではないかと思う。
(なんでスクナヒコナだけ里宮に居るかと言われると見当がつかないが)
2人は日本の地形を作ったので山の神とされることもあり、
また医薬の祖というコトで温泉の神と言われることも。
那須玉造温泉など国内各所に点在する「温泉神社」も
多くは祭神としてこの2人が採用されている。
そういう点では伊香保にもぴったりの神様なのだろうと思う。

一方、伊香保神社には居ないヒコホホデミ夫婦。
この名前に聞き覚えが無くても
海幸彦・山幸彦の話は知っているという方はいるはずだ。
釣針を持った兄と、弓矢を持った弟の話なのだが、
弟・山幸彦がヒコホホデミ(またはホオリ)とされる。

2人はたまには道具を交換してみることにしたが、
てんで獲物は取れず「やっぱいつも通りにしよ」となる。
が「ゴメン兄ちゃん、俺、釣針なくしちゃった…」
と言うヒコホホデミに兄ちゃん激怒。
彼も代わりに自分で釣針を作ってみたりしたが、
兄ちゃんはキレ続けていて受け取ってくれそうも無い。
なので海へ探しに行くことにしたのだが、
海の神様でもないので沈んだ釣針が見つかるハズなかった。
(でも普通に海中に探しに行けるあたりは神様だよね…)

そんな時、海の中で困っている彼を見つけたのは
ワダツミの愛娘・トヨタマちゃん。
「ねぇパパ、なんか外で困ってる人がいるの」
そうしてワダツミの屋敷に招かれた彼は事情を話し、
ワダツミは周辺の魚たちに釣針について訪ねてくれた。
結果、無事に釣針は見つかったのだが
「ねぇ、ワシ見つけてあげるのタダとは言ってないよね」
ということでトヨタマヒメと結婚することになった彼。
そんな立派な神様の娘(しかも可愛い)と結婚なんて、
ラッキーじゃない。と思うが彼は地上が恋しい。
しばらく海中で生活したが 物憂げな彼を心配した妻が
「ねぇパパ、可哀想だから返してあげて」
と交渉し、彼は陸へ帰れることとなったのだった。

別れ際にトヨタマちゃんはヒコホホデミに言う。
「おなかに貴方の子がいるの。産屋を建てて待ってて」
なので家に戻った彼は産屋を建て彼女を迎える。
そして出産は絶対に見ないでほしいと言われるが、
そこは「みるなのタブー」のお約束というか
彼は産屋の中を覗いてしまう。
すると、そこでは和邇(わに)が産褥に苦しんでいた。
無事ウガヤフキアエズという男の子が誕生したが、
本当の姿を見られたことを恥じて彼女は海へ帰ってしまう。

前後や帰った後のことをいろいろ省いているが、
これが2人の出会いから別れまでである。
ヒコホホデミ
オオヤマツミの娘・コノハナサクヤが
火を放った産屋の中で産んだ子供であるからし
山とも火とも縁が深いカミサマと言える。
度重なる噴火と、それにより形成された岩がちな姿から
厳つ峰(いかつほ)と呼ばれていた伊香保には
マッチした神様と言えるのかもしれない。
(それならなぜ山宮である伊香保には居ないのかと聞かれると焦る)

…とまぁ、そんな3人がいるのだが
そうした日本神話の神様が いつから居たのか分からない。
中世に書かれたという「神道集」では
伊香保の神は山に居る時には本地は薬師
里に下りては本地は十一面観音であると書かれている。
また、伊香保の神は男女2柱であり
男体は伊香保、女体は渋川保三宮におわすともいう。
同一の神が本地仏を変えながら山と里を行き来するか、
男女の伊香保神が山と里に分かれて祀られるか。

信仰に「どちらが本当」は無いかもしれないが、
女性が入山できない時代などは特に
里宮は女性の崇敬厚かっただろうと想像する。
周産期医療も発達していなかった時代、
女神にあやかりたい女性も多かったはずだ。
そういう意味では、同一神であろうと2柱であろうと
里宮は女神様のほうが腑に落ちる感じはするなぁ。

さて、最近、獅子の話が多くて 神社の話できてないかな?
と思ったので神様の話を少し長めにしてしまったが、
この神社にも獅子舞が伝わっている。

通常4月の第一日曜に春祭りだと聞いていたが、
今年はちょうど地方選の時期と重なり
県内の獅子は日程がズレたり今年やりませんという所も。
三宮はどうなんだろう?と役場に問い合わせるが分からず。
困っていたら 最近よく獅子舞に誘っていただく友人が
「会長さんと連絡付くから確認しますよ」と言ってくださり、
無事見に行くことができたのだった。
いつも皆様の厚意に甘えっぱなし…(ノД`)・゜・。

境内で忙しそうにして居たおじいちゃんに声をかけると
「獅子は最初8時半過ぎっからだろ」と教えていただいた。
少し時間があるので境内を見て回った後、鳥居付近へ。
実はこの神社 高速道路にほど近いのだが、
大きな道からは一本奥まっていて参道は落ち着いた雰囲気。
神社横の建物で支度を済ませた一同は、
一旦参道の始点まで移動して そこから鳥居へ向かう。
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陣羽織を着けた成人のカンカチに先導され、
獅子と その後ろに子供のカンカチたち。
階段をのぼり境内へ上がると、宮廻りをする。
舞いながら、拝殿・本殿の周りを時計回りに1周。
時折、獅子が駆け足のように大股で進むところが
個人的には可愛らしくてツボ。
それが終わると、獅子舞は一旦 神社横の建物へハケる。

拝殿は赤と黒で、どっしり存在感。
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拝殿横には、大きな扁額が奉納されていて
太々神楽三樂講設立記念 昭和二十三年四月吉日」
と書かれている。
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タイムテーブルを見せてもらうと、
獅子舞と太々神楽が交互に奉納するような形で
獅子たちは2庭ごとにインターバルを入れることができるし
見る側はずっと居ても何かしら見られるという感じだった。

獅子の宮廻り後は拝殿で式典が行われるほか
社務所にも人が集まり感謝状の贈呈や会計報告が行われてる。
神事(祭)と自治的な行事が ちゃんとリンクしてるのね。

その間、獅子舞の方たちは休憩。
休憩している獅子舞保存会さんにチョロチョロ近づくと
まず声をかけてくださったのは会長さんの奥様。
「私も獅子舞のことはあまり知らなかったけど、
 主人が会長をやるようになって手伝ってるうちに
 何となく色んなこと聞いたり覚えて来たんですよ」
と、非常に話しやすい方で 人見知りの管理人も一安心。
事前に連絡を取ってもらったので
会長さんも資料などをいくつか用意してくださっていた。

それによると、溝祭の里には
1583年(江戸時代)頃より稲荷流佐々良獅子舞があって
別名「雨乞い獅子」とも呼ばれていたという。
そうして代々伝わってきた舞の唱歌を、
1877年(明治)柳田權八さんという方が文字起こし。
その後も1915年(大正)の大祭にあたり、
竹内さん、小谷野さんという方が權八さんの本をもとに
獅子舞や資料の復元に努めたと書かれていた。
そうした先人たちの努力により保持されてきた獅子は
1936年(昭和)、靖国神社の大祭での奉納に至ったという。

口伝であったことを文字化した柳田さんの偉業に
芸として伝える・教えるにとどまらず
「さらに確実で伝わりやすい形で残していこう」
というような意気込みを感じる。

以前、溝祭のシシ見に行きたいなぁとネットで調べた時に
小さな写真で獅子の御顔を拝んだことがあった。
群馬県教育文化事業団「ぐんま地域文化マップ」)
そのとき、よく見えないけれど他の獅子と違う
なんだか不思議な感じがしたのだったが…

実物を見て、その理由が明らかに!
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そう。瞳が描かれていないのである。
金一色の眼というの初めて見たなぁ。
会長さんも近場に限らず獅子を見て回るとのことだが
「私も他ではどこも見たことはないんです」と。
修繕に出した際に、職人さんの方からも
「何故目が無いのか、描いても良いか」や
「こんな目くら獅子は居ない」と言われたそうで…。
しかし、会長さん(当時まだ会長さんでは無かった)は
他にこうしたシシが居ないか必死で資料を探したそうで、
「ある資料で、東京の方に1カ所あると読んだんですよ」と。
その情報も助けに、何とか職人さんを説得。
よく聞く「直しに出したらデザイン変わった」を
見事まぬがれたということだった。よかった…。

その話を伺った後、
町内の役員さん達の行事も一通り終わったようで
再び獅子舞の出番となる。
場を清める「沢の平」と、「剣の舞」という演目。

間近でカシラだけを見た時よりも、
瞳の無い「不思議な感じ」が引き立つ。
一般的な獅子頭が ある意味キャラクター的なのに対し
動物的と言うかなんというか、そんな印象を持った。
剣の舞では、剣を咥えさせる前に獅子に塩をまき
獅子は剣を咥える前と後に「伸脚」のような恰好で片膝をつき
バチを持った両手を「回旋」の様に大きく回す。
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いずれの剣が勝っているかと競い合う獅子。
このタッツケ袴の生地、爽やかな柄で好きだなぁ。
こんな柄の夏着物あったら可愛いだろうなぁ。
( *´艸`)
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まぁまぁ、雑談は置いといて。
剣の舞が終わると、また舞殿のほうでは
太々神楽が始まり禊祓いの舞・猿田の舞などが行われる。
その間、「雨乞い」について伺うことができた。
先ほどの資料にも「雨乞い獅子」と書かれていたが
ココの獅子は古くより、日照りが続くと
吉岡町内にある船尾滝まで登り雨乞いをしたという。

町内と言っても吉岡町と言うのは非常に長細い。
吉岡の先端にギリギリ船尾滝が入るという感じで、
この三宮神社からは11kmほど離れている。
地名が少し分かる人向けに言うと
伊香保榛東村より少し榛名山山頂寄りにある。
船尾滝は地酒の名前にもなる そこそこ有名な滝で、
昔は神聖視され一般人は入れない場所だったという。
(現在は土砂崩れと言う意味で近づけないが…)
ちなみに、水源は榛名湖である。
気になるのは、ここに掛かる「おんべ氷橋」。
御幣を口語的に「おんべ」というが
儀礼を行っているとそれが凍るほど寒い橋
だったということだろうか?(妄想)

ともかく、こうした雨乞いというのは
水道の整備とともに自然に任せる必要性が薄れ
各地で行われなくなっていったのだと思うが。
「いまでも船尾滝まで登るんですよ、真似ごとですけど」
と会長さんが仰っていたのが嬉しかった。
定期的に行くワケではないようなのだが、
形式的にでも祭礼以外での奉納が続いているとは!

会長さん自身、子供の時分を思い出すと
獅子舞での雨乞いは記憶にないそうなのだが
神社で雨乞いのために火を焚くことがあったという。
「子供心に、なぜ雨を降らせるのに火を燃すか不思議でした」
と当時の素朴な疑問も伺うことができた。
火と言うと思いつくのは護摩だけれど、
そういう修験道的な儀礼が行われていたんだろうか。
いずれにせよ貴重なお話(/・ω・)/!
地元の方の記憶って、本当に
ありがたく大切なものだなぁとしみじみ…。

しみじみしていると神楽のターンが終わったようで、
獅子たちが再び境内へ。今度は子供の獅子舞である。
コチラの演目は「ぼんでん」。
県内でもボンゼンとかボンデンとか発音に多少違いはあるが
ザックリ言うと幣(へい、ぬさ)のこと。
今までブログに乗せてきた中で、
大人の身長より大きなものを持っているのは
羽場日枝神社の獅子舞くらいか。
…と書こうとしたが
見返してみたら見切れてた!写ってない!(動揺)
しかも、秋田の梵天祭も、行ったのブログ書き始める前だ
…というわけで、今までブログに写真を載せた中では
一番大きいボンデンになりますかね。
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当日、演目の初めのアナウンスで言っていたのは
「ボンデンは神様へつながるもので
 その周りに獅子が集まって地域の人々の願いを
 ボンゼンへ注入して神様へ送り届けているのでは」
というイメージだった。たしかにそれ、分かりやすい!

ただ、獅子舞に関する資料というのは
先人の努力により まとまりを持って残っているが
以前 地区内の東漸寺に保管されていた衣装や資料が
明治時代に火災に見舞われ一旦は焼失しているという。
特に演目や衣装の意味付けについては明文化されておらず
今では正確には分からないということだった。
そのため、上記のように意味などは
他の地域での祭や祭具を参考に想像するしかないとのこと。

その話の中でも、ボンデンと発音は濁るが
秋田にある梵天と同じものだろうという話も出た。
いやぁ、管理人は そもそも
なぜ梵天と呼ぶのか とかも非常に気になってまして…
梵天耳かきとかね。山伏の梵天袈裟とかね。
どれが一番先に出てきて、
どれがどれを語源にそうなったのか。
そう思って調べてたら、
トイレのスッポンすら梵天と呼ぶ地域があるらしくて。
何だ。もう棒の先に何か付いてれば梵天か。
チュッパチャップスも梵天なのか!?
…オイ(´・ω・`)シッカリセェ…

でもなんか、梵天(=ブラフマー)は
インドの神話では一番最初の創造神だし
仏教でも梵天さんは結構高いところにいる。
「一番上のモノ」とかそういう意味なんだろうか。
棒の「一番上」になんかついてるヤツ、的な。
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ちなみに、コチラのボンデンは紙だけでなく
結構たくさん麻も入っている。
会長さんは
アイヌが儀式に使うものの中にも
 このボンデンと似たようなものがあったので
 アレがぼんでんの元ではないかと思っています」
とも話されていた。
機能や見た目からすると、会長さんが仰っていたのは
イナウ(木幣)のことかなぁと管理人は考えている。
本州の「削り花」や「ケズリカケ」のような感じで…
(といってうまく伝わる気がしないので画像検索をお願いします)
木の棒を刃物や鉋で薄く削り、花のようにしたものである。
そういえば本州では「大幣(おおぬさ)」などのように
御幣のことを「へい」でなく「ぬさ」と呼んだりするが、
アイヌでは祭壇のことをヌサと呼んだりするなぁ。
アイヌ語が本州で転じて祭壇に置くものをヌサと呼んだか
逆に交易が始まってから本州から伝播した言葉か
それとも偶然出会ってぜんぜん別物なのか。
時間を作って調べてみなければ。

話がずれてしまったが、
午後は大久保屋台囃子保存会さんも見ることができた。
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ここ溝祭は正式には吉岡町 大久保 字宮という場所で
大久保地区には現在5つの屋台があり夏祭りで見られる。
かつて養蚕で得た収益で各地域が屋台を購入したのだそうで、
現在は不定期となっているが以前は10年に一度
本祭例というコトですべての屋台が列を成し、
この溝祭三宮獅子舞が先導して地区内を回ったという。

後で会長さんの奥様から
「前回は橋が開通した時かしら、まだ娘が小さかったの」
という話があった。
ということは平成になってから掛かった平成大橋だろうか。
もしそうなら平成3年くらいのはずなので20年以上前…?
と思ったが、立地を考えてみれば新坂東橋かもしれない。
だとすれば2010年の春に開通したので ちょうど9年ほど前か。
どうやら、そろそろ大祭礼をやろうかという話もあるようだ。
あれかなぁ。改元記念ってことでやってくれないかしら。
準備とか大変なのだろうと思うけれど見てみたいな。

その話し合いなどもあり会長さんもお忙しいとのことで、
管理人も一旦 獅子舞保存会さんから離れ神楽を見学。
ちょうど蛭児(ヒルコ)の舞をやっていた。
エビスさまと同じ神様とされる「ヒルコ」さんは
漁業の神様とされ よく釣りをしている。
今まで見た物では、ヒルコさんが最初に魚を釣って
通りがかったヒョットコが「それちょうだい!」
と何とか頼み込んで手に入れた鯛を人に取られたり、
もしくは恵比須様の御供のヒョットコが
恵比須様が鯛を釣って魚籠に入れるそばから
それをどこかへやってしまうという話が多かった。
が…今回は最早、どれがヒルコさんなのかすら…
だって、面的にはコレがヒルコでは?って思うけど
この人、ドクター役なんだよ(´・ω・`)?
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お帽子かぶって、Dr.コトーみたいなバッグ持って。
で、なんでドクターが来たかって、
最初はオカメっぽい面の人が魚を釣ってたんだけど
それを盗人に取られてショックだかやられたかで倒れる。
暫くして、普通に釣りをしに来たヒョットコ。
撒き餌みたいに見てる人たちにお菓子を撒いて、
魚を釣るんだけど そのあと倒れてる人を発見。
舞殿の柱とかに隠れたり抱きついてビビりまくる。
そうそうしてるとこのドクターが来たので
ヒョットコは助けを求める。
釣りをする、のでなく釣り人を助けるのがヒル
という解釈であればヒルコさんが医者でも納得できるけど
いや、もう近くに立っているおじいちゃんに
「どれがヒルコさんですか」て訊けばよかった。
ちなみに治療に用いられたのはコチラ。
…いや待て、これで治療できるか(;゚Д゚)!
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見てるおじいさんは「ああ、注射だw」とゴキゲン。
かなりハッキリとした金精様ではないか…。
これを倒れたひとに刺して
「意識戻らんなぁ」と言うように2人で様子を見ている。
シュール…倒れたオカメに あの棒が刺さっているのを
観客たちが見守る この状況…!
釣りをするのは男性が多いところ、何となく
最初の釣り人がオカメの面だったのは得心行ったが。
初めて見たパターンのヒルコさんに
テンションが上がるとともに動揺しつつ、
管理人もみんなと一緒にしばらくそれを見守っていた。

話し合いから戻られた会長さんが声を掛けてくださり、
演目が「女獅子隠し」から「ぼたんの舞」に変更とのこと。
その後は予定通りに「天神林」「おいと」となって終了。
ちなみに、ぼたんの舞に使われた立派な椿は
会長さん宅の御庭にある椿を少し切ったのだとか。
これで「少し」て…結構おおきいですやん。
立派な御庭が目に浮かびます…(*´ω`*)

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大人のカンカチさんは陣羽織に鉢巻き。
鉢巻に付いている金属の丸い飾りが、
今年見たところは3つが多かったのだけれど
ここ三宮の獅子舞は2つだった。
あの金の丸の意味を聞いてみたけれど、
会長さんでもご存知ではないとのことだった。
カンカチは本来、獅子3匹に対し1人らしい。
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なので、子供の獅子舞では
本来のカンカチの子だけが獅子と同じ装束で
その他のカンカチは普段着に法被姿。
獅子の装束を着た一人だけが、
通常の金属のカンカチ棒を持っている。
他の子は樫の棒を代用しているとのことで、
(全員金属のところが殆どなので)木である理由を伺うが
「全員金属だとうるさくなってしまうので」
とのことだった。なるほど。

太鼓のバチは朴の木でできているが、
カンカチ棒は棒同士をぶつけた時に樫くらい固くないと
すぐにボコボコになってしまうのだそうだ。

カシラの内側を見せていただくと、こんな感じ。
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向かって右側が獅子の鼻先なワケだが
顎の下に当たる部分に薄っすら弧を描いた段差が見える。
以前は頭の入る部分がもっと大きく、
この線のあたり=おでこな感じだったのだそうで。
今の人の頭にマッチするカゴの大きさにはなったものの、
中の人の頭より かなり獅子のカシラが前に出ているので
気を付けないとシシが猫背に見えてしまうとか。

子供用のカシラはプラスチックで作成し
なんと瞳も入っているのだった。
なぜ敢えて目を入れたのか不思議だが…。
ちなみに、剣の舞で使用した剣は
なかなか真に迫る見た目で重さもズシッとしている。
実はこれ、現在笛方をやっている方が
ステンレス?を削って作ってくれたのだそうだ。
↑材質名を教えていただいたのに記憶が曖昧になってしまった。
でもアルミだとかなり軽くなってしまうのでステンレスと言っていたはず…。

この笛方さん、
普段はケーナ(あのアンデスの笛)を吹いているそうで。
本当に芸能って話を聞けば聞くほど 何てゆうか
「他の楽器や踊りできる人」が多くてビックリさせられる…。
会長さんも他の団体の笛を習ってみたり、
東北の方の人とか、神楽とシシやってます、とか。
この楽器やるにはこっちが分かってないとうまく合わないから
これもこれもやってるうちに出来るようになっちゃいましたとか。
アレですよもう。芸能バイリンガル的な…。
管理人などはひとつの楽器ですらヒエーってなってるのにね。

笛と言えば、会長さんが「唱歌」ではなく
笛の「どの穴を押さえるか」で表現した譜面を作ったそうで。
通常は、と言うか日本の楽器と言うのは口承することを前提に
音階や間などを言葉で表現する方法が採られてきた。
三味線で言えば「口三味線」とかがソレ。
(管理人は三味線しか分からないので三味線で言うけれど)
例えば「チリタラ」と言われたら
人差し指で3、薬指で4を押さえた状態から

チ=両方押さえたままバチを打つ
リ=人差し指(3)のみ押さえて薬指で弦をはじく
タ=両方の指を離して撥で弦をすくう
ラ=解放弦のまま人差し指で弦をはじく

と弾く、という具合に。

このゴシャゴシャした情報が4文字で伝わるのが
唱歌というモノなのである。
ただしこの方法、師匠と練習する時間が短いと
なかなか活用しづらいのが欠点の1つ。

また現在は学校でも五線譜に触れる機会しかないため
笛を全て五線譜に落とし込んで子供に教える団体も。
しかし、それでは細かな「ため」や「間」が伝わらない!
それじゃ本来の笛とどことなく違ってしまう!イカン!

というわけで、基本的にはまず
唱歌を歌って覚えてもらうのだけども
このような感じ↓の譜面(?)を会長さんが作成。

と●●○●○○
ろ  ↓2回たたいて下へ
お●●●●○○


ろ●●●●●○
 
管理人はリコーダー以外の笛は吹いたことが無いので
見てみただけではもちろんどう吹くのか皆目わからないが…
唱歌の横に「笛のどの穴を押さえるか」が書かれ
1人で練習していて指の動きが曖昧になった時などに
効果がありそうだという気がした。

終盤、子供たちによる御神輿の奉納が行われた。
約4年前に寄贈された新しい御神輿だが、
装飾は細かく見事なモノ。

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そして、誰もが心待ちにしていた(?)餅まき!
「市杵島の舞」「天狐の舞」「国治の舞」が続く間、
餅まきを待ちわびる子供たちがワイワイ騒いでいる。
世の中美味しいモノなんていっぱいあるのに
子供が餅に熱狂できるってイイことだ…と思うの半分、
ゆっくり神楽を観させてくれ…と思うの半分。
(子供の押し合いへし合いに巻き込まれた)
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狐が片手で餅を投げながら面の口に餅を咥える。
モグモグ。ほおばっているような仕草、可愛い。
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すると子供たちが一斉に騒ぎ始める!
「あー!キツネ!食べてるー!」
「俺の餅が減る―(;゚Д゚)!」
「早く餅よこせー!くれー!」
「餅食わせろー(゚Д゚)ノ!」
キミら、もはや暴動とか打ちこわしじゃないかwww

でもまぁ、食べ物につられてでもいいから
「よく分からんけどあの高いとこでは楽しいことやる」
みたいな意識が小さい子たちに根付いてくれたらなぁ。
これで、餅まき「する側」に興味を持ったり
そんでもって神楽に興味持ってくれたらいいんだけどなぁ。
最後は役員さんぽい方たちが一斉に餅まき。
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管理人は子供に圧倒されて餅拾えなかったけれど、
お祭りでよく会う方が「あれ?1個も持ってないの」と
お餅を1枚 恵んでくれたとさ。ありがとうございます!
帰ってからあっためて食べたけど、
はぁ、なっから美味しー(*´ω`*)
味付けしてない団子とか餅が大好きです。

そんな感じで、一日まるまる楽しめる
溝祭三宮神社の春祭りでしたー!

角を切られた、田島の獅子舞。

いやぁ、春めいてきましたね(*´ω`*)
最近金欠で、あまり遠出していない管理人だが
3/17は東京から群馬へ帰る道すがら
さいたま市桜区の「田島の獅子舞」を見てきた。
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始まるのは16時なので、獅子で混む前に神社の拝殿を見て…
と思ったらすでに見物テントが満席!
実は、獅子舞が始まるまでは民踊や囃子のほか
地域の方のカラオケ大会的なものが行われているらしかった。
しかし、カラオケってこんな人気あるもんなんだなぁ。
活気があるのはいいことだ。

神社拝殿には数人のおじいちゃん達が出たり入ったり。
獅子の準備やカラオケの出番に追われているようだ。
よし、あの角に居るおじいちゃんに獅子のこと聞いてみよう!
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「すいませーん」「すいませーん」
「あの…」「すいませーん…」
あかん!管理人の声が小さすぎて聞こえてない!
Σ(・ω・ノ)ノ!
声をかけたおじいちゃんは、
管理人の存在にすら気づかないまま拝殿の奥へ。
すると、その奥に居たおじいちゃんが気づいてくれた。
「獅子舞、どの辺から始まりますか?鳥居の向こうですか?」
拾われた捨て犬のような気分でワンワンと近づく。
すると「なに、こうゆうのが好きなの?どうぞ上がって」
と、ピカピカの獅子の前まで招いてくれた!
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なんか…なんかニコニコしてる感じがする(*'ω'*)
狛犬のような顔の 眉毛がいかつい獅子ではなく、
鼻先は長くて 角はシュッと後ろに流れていて龍頭っぽい。
これ↓が大獅子。
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いや、もう可愛くて つぶらな瞳にばかり目が行ってしまうが
角をよく見ていただきたい。何か文字が書いてある。
読んでみると「江戸本角兵衛」と書いてあるわけだが、
角兵衛って誰なんだ。
獅子で角兵衛といえば越後獅子か…?
たしかにコレも1人立ちだし 鞨鼓つけてはいるが
しかし、角兵衛獅子は新潟から来た大道芸。
ちょっと3匹獅子舞とは違うような気もするので
これは宿題にします(´・ω・`)

そしてこちらが女獅子・中獅子↓
(いやぁ、大獅子じゃない方の雄獅子のこと、
  自分の地元では後獅子とか子獅子と言うのでなんか混乱する)

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女獅子には角が無く、中獅子の角は洗濯板状(?)。
ツノ・白いおひげ・顔の周りの毛はオスにだけ生えている。
寛永年間に輪王寺宮(日光山輪王寺の住職さんになった皇族の方)が
田島の獅子舞を台覧され「菊の御門つけてイイよ」と許可したので、
3匹とも おでこには菊の御紋が!
獅子頭は修繕して綺麗にし直すと1つで50万くらい、とのこと。
頭に付いている羽は軍鶏のもの。
ホカン(顔にかかる布)は京都・西陣から買っているのだとか。
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置かれていた酒瓶にもオリジナルラベルΣ(・ω・ノ)ノ!
ちなみに、腰に付ける太鼓が写っているが
何となく皮がピンと張っておらず
中央に行くほど微かに窪んでいるのが見えるだろうか。
しかも、調べ紐(両側の皮と皮を張っている紐)が
胴の部分に触れてるのって鞨鼓ではあまり無い気がする。
「形も歪んでるし、どことなく原始的なイメージだな」
…という感想を持った。
後で聞いた話によると(胴の部分については聞けなかったが)
昔のモノはもっと中心に向かって凹むように張られていて
パァンと響く高い音でなく
ボコボコと鈍く鳴るように張られているのだという。
拝殿の中には道具だけでなく装束も置いてあり、
「袴は昔のまま直していないので今の人には短いよ」
と話していた。たしかに小さめ。
ちなみに、茜色というか干し柿のような色だったが
この袴は郡山で染めているとの話だった。
拝殿の外には草鞋が置かれている。
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一通り道具を見て、
拝殿の裏まで行ってみると小さな社があった。
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中にはキツネがいっぱいいるし、
ふっくら油揚げが置かれている。稲荷社だ。
他にも鹿島社、天王社など何社か末社があるらしい。

末社はさておき、ココは「田島氷川社」という神社で
氷川社というコトはスサノヲノミコトを祀っている神社だ。
スサノヲが居る神社には色々な呼び名があって
「天王(八坂)」「須賀」などが有名だろうか。
スサノヲが牛頭天王と同一視されていたのは有名だし、
奥さんと初めてのマイホームを持った彼が
「すがすがし!」と気持ちを表現したという話から
清・須賀・素鵞という社名になったというのも分かる。
が、氷川とは一体…きよし?(´・ω・`)ジャナイダロ…

氷川とは、どうやら八岐大蛇のモデル(?)となっている
斐伊川(肥の川)のことではないかという説がある。
住民を苦しめる暴れ川・斐伊川を治めることで
流浪の身から地盤を持つ立場へ変化したスサノヲ。
彼をヒカワノカミというコトがあるのだそうだ。
そして異説として、現在氷川社・氷川神社と呼ばれる社は
もともとスサノヲでなく水神を祀っていたという話も。
その神が何らかの経緯でスサノヲ信仰と結びつき
いつしか氷川社の祭神はスサノヲとなったというものだ。
うん、確かに氷川社にスサノヲさんがいると知るまでは
荒川に集中してるから流域の神様なのかしらと思っていた。

さぁ、そんなことを考えているうちに間もなく16時。
二の鳥居の外側に一行が並び始める。
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群馬では花笠=おじさん、山形では女装のおじさん
というイメージだが(雑なイメージだな…)
ココの花笠は未成年の女子と決まっているらしい。
巫女さんスタイルで可愛い感じだ。
「まだだ、まだ」
「4時のヤツが鳴ってからやるから」
と、おじいちゃんたちが口々に言っている。
なんでも 16時にスピーカーから夕方の音楽が流れるとかで
以前先走って獅子舞を始めたら舞っている最中に
時報の音楽が鳴り始めてしまったのだということだった。

提灯、花笠。それに続いて、
「お宝」「御幣」「弓」を持ったおじいちゃんたち。
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さぁ、この「お宝」が何かといえば
先ほど見ていただいたカシラの古いツノだという。
「え?なんでツノ…?」
先ほどツノに「江戸本角兵衛」と書かれていたと思うが、
実は昔は その上に「天下一」という言葉が彫ってあったそうな。
輪王寺宮には菊の御門を賜ったシシたちだったが、
将軍様はこの「天下一」という言葉を許してくれず。
「いや、天下一はイカン。将軍の専売特許だぞ」
というコトで、この角を使えないようにと
刀で切られてしまったのだという(;゚Д゚)ヒエー

ただ、別に将軍家と仲が悪いとかではなく
三代将軍・家光が日光山輪王寺へ出かけるときに
その街道を清めるために奉納されたりしている。
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二の鳥居をくぐった一行は橋を渡って境内へ。
さぁ、管理人も拝殿前へ移動して待機だ!

…しまった。近すぎた!Σ(・ω・ノ)ノ!
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いやぁ、軍鶏の羽、美しいですね。
そして、なんか腰から紐が2本出ている。
何だろう。あんまり見たことない紐だ。
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辿ってみると、この紐はホカンの角っこと結んであって
飛んだり跳ねたり廻ったりしても布が翻らないようになっている!
たしかに、結構長くて かなり薄い布なんだけれど
これがあることで一切ぶわぶわしない。
そして、腰紐とか鞨鼓釣りと結んであるのかと思いきや…
腰に刺した御幣に巻いてある(;゚Д゚)
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でも、間違いなく固定したいだけなら
抜けちゃうかもしれない御幣より紐に付けるはずでは?
御幣と幕を縄でつなぐことで獅子の中に小さな結界を作る…
とかそんな意味があったりするのかなぁ。
舞の意味とか、装束の細かいことを訊いてみたのだけれど
実は氷川社本殿にしまってあった重要な道具や記録は
一度、火災によって失われている。しかも放火だという。
全く悪いヤツも居たものだ(;´・ω・)
なので、
ちょうど手入れだか練習で外に出ていたカシラたちと
一部の火災をまぬがれた道具のほかは資料が非常に少ない。
各演目の意味なども分かる方はあまり居ないという。
そんなわけで、謎は謎のまま…
演目については近隣の団体に残ってる伝承があれば
そちらを参考にして「この辺は同じだったのかな」とか
憶測するしかないのかもしれない。

舞は下記の11あるとのこと。
庭回り、女獅子・中獅子・大獅子の出端、ふっかけ、
獅子歌、ふんがえし、骨かえり、弓掛、オンベ掛、しまい

「庭回り」は地固め的なコトなんだろうか。
ホカンを上げ人の顔が見える状態で太鼓を打ちながら
3匹が列になって拝殿前をゆっくりと一周。
そのあとが各獅子の「出端」に移っただと思うのだが、
まずは女獅子から、中獅子・大獅子の順で
ホカンを下ろし拝殿前の御幣に向かって屈み、
バチを持った手を合わせる。
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シシ舞やシシ踊りは、長い演目も多かったりして
見せる時は2,3の演目を選んで見せるというのが多いけれど
今回は短い時間ながら獅子の色んな動きを見ることができた。
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猫っ手のような形で手を太鼓の上へ。
バチを持った反対の手は腰へ当てて中腰。
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この手を交差する動き、鹿子踊りの二人狂いを思い出す。
(*´ω`*)初夏が過ぎたら、東北のシシたちにも会いに行きたいなぁ
そして、何みたいとも言えない節回しで
何かを唱えては腕を上へ…
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ドカドカと太鼓を打ち鳴らしながら
観客へグワッと迫っていく場面では、
中獅子に迫られた子があまりの迫力に泣きだすと
舞っていた他の獅子のホカンの中から
「あっ、泣かせたw」とゆうつぶやきが…
( *´艸`)
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泣いている子のお兄ちゃんは小さいながら心得たもので
「〇〇、怖くないよ。獅子が風邪追い払ってくれたよ」
と。イイお兄ちゃん!獅子舞の意味も知ってるなんて!
きっと君のお父さんお母さんが、
昔キミが泣いた時そう言って育ててくれたんだねぇ。
(*'ω'*)なんていい子なんだ!

そしてその小さいお兄ちゃんが妹に
「ゆみがかりやるよ!カッコイイから見よ?」と。
演目の名前も覚えているとは…
家族が団体の人なのか、相当好きなのか。

田島の獅子舞 一番の見せ場ともいう「弓掛かり」。
大獅子が弓の弦の間を飛び越える演目。
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見事に飛び超えると、観客からは拍手が。
コレを向こうからこちらへ、こちらから向こうへ
往復して 手に持った御幣で あちらとこちらでフリフリ。
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イヤぁ、しかしホントに、
ちょっと近くに場所取り過ぎたかなぁ(笑)
参道の向こう側にいるシシは写るけれど、
折角すぐそこにいるシシが あまりに近すぎて
全然全身が写真に入りきらない…まぁいいか。
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ちなみに、獅子頭の金色の部分が
釜肌のように凸凹しているのが見えるだろうか。
(頭だけ写したやつのほうが見やすいかな…)
釜に施した柚子肌のような意匠のおかげで、
金色だがすべてがピッカピカなワケではなく
落ち着いた感じがあるとともに
その分、目がキラキラに見える!素晴らしい!

と思って後でおじいちゃんに訊いてみた。
「これはワザとですか」「昔のもこうでしたか」
するとまさかの
「ああ、コレね。直しに出したらこうなったんだよ」
出たよー!直したら勝手にそうなったパターン!
なんか ソレ群馬でもよくあるけど どうなん…?

ちなみに、さらに聞くと
どうやら昔はもっとカシラ全体が黒っぽかったとか。
絵巻物に残っている昔の祭礼の様子を見ると
獅子の顔は金というより黒に近いらしく、
例の「お宝」の箱に入っているツノも
今のツノに比べるとずいぶん黒っぽいという。
ちなみに「お宝は見ると目がつぶれる」と言い習わしがあるが
おじいちゃん周辺の人は何人か開けて見たらしい(オイ)
その頃は目だけがハッキリした金色だった…
なんてこともあるんだろうか。

全ての演目が終わった後は、
老若男女 獅子頭で頭の上をシャンシャンしてもらえる。
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獅子に噛んでもらったり、神主さんに大幣でバサバサされる
というのと同じ効果があるらしい。
みんなしばらくは集まってコレをやってもらっている。
私も2回くらいバサバサとやってもらえた。
よし。これで今年は風邪をひかず祭を巡れるはず!
(/・ω・)/♪

バサバサついでにカシラの中を見せていただく。
籠の部分は非常にシンプルな感じの造りだが、
カシラ自体はきっと かなり重いのだろう。
あの顔が付いてるワケだし…ツノも立派だし。
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ちなみに、昔は言ったモン勝ち的な所があって
毎回大体かぶる人が決まっていたので、
その人にジャストサイズとなるように作ってしまったとか。
なので、カシラによっても籠の大きさは結構違い
カシラを見せてくれたおじいちゃんは
「私は、なんか中獅子がちょうどいいんですよ」と。
ちなみにキツいのをかぶると、やはり痛いらしい。
動きも結構激しいので、顎もかなりきつく締めるとのこと。

久々にみた県外の獅子舞は
見たことない動きも多くて楽しかったー(*´ω`*)
現在は人のほかは花笠とシシが登場しているが、
実は 火災の時に運び出した道具の中に
猿田彦神の「一本歯のゲタ」があったのだという。
絵巻物を見ても天狗面を付けた人物が
獅子舞を先導しているような様子が描かれているらしい。
なので、おじいちゃんの話では今その
猿田彦を復活させようという計画があるのだそうだ。

面を作るにもお金はかかるし、衣装もそろえなきゃだ。
猿田彦なら、鉾も持っていたんだろうか。
まだ時間はかかるかもしれないけれど
もしかしたら数年後見に来た時に猿田彦が居たら嬉しいな。
あんなに小さい子からお年寄りまでみんなに囲まれて
火災で意味の伝承が失われてしまっても
シシは皆に愛されてるんだなぁと感じる春祭りだったとさ。
(*'ω'*)

*追記*
獅子の前幕を「ホカン」と呼ぶのは、
どうやら私の地元・群馬あたりに多い呼び方らしい。
と、読んでいる方から教えていただきました!
田島獅子舞さんが何と呼んでいるかってトコ、
そういえば確認していなかったぁあああΣ(・ω・ノ)ノ!
ナチュラルにホカンゆうてるけど何やねんソレ」
と思った方々、誠に申し訳ありませんでした…。

みちのくシシの、集う春。

さて、3・11を目前に控えた3/10。
今年は浅草へ行ってきた(/・ω・)/!
祭用品などの販売をしている宮本卯之助商店さんにて
「岩手シシトーク&装束展」「芸能のミカタ写真展」
が行われていたからだ。
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この日はなんと、岩手県内の9地域から
浅草の地にシシ頭が集結!
神様や精霊の権化ともされるシシが11頭(?)も!
(夫婦で来たシシとか新旧来たシシ居るので9団体だけど11頭)
鹿とか獅子とか踊とか躍とかいろんな表記があるので、
今回は一応特定の団体でない時はカタカナ表記ということで。
シシオドリは超ザックリ2つに分けると、
シシ役がカシラから垂らした幕を振って躍る「幕踊系」と
シシ役が太鼓を付けて踊る「太鼓踊系」がある。
もちろん細かく言えば、
「え、コレは長い幕の中に太鼓があるみたいですけど」
とかいろいろあるけど本題にたどり着かなくなるからね!
話を進めていきますよー。

目次

参加団体さん

今回の団体さんの比率は 太鼓踊4:幕踊5。
登壇してくださったのは南から

①根反鹿踊り(ねそり-ししおどり)
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岩手県 一戸町 根反)
加賀国・八幡太朗義家が苦戦を強いられた際
鹿の角に松明をくくり敵陣に突っ込むという戦法で勝利。
その宴の席で鹿を称え武者を労うために踊ったものを
山伏が根反に伝えたといわれる。
そのためか、角は非常に特徴的なデザイン。
口の周りがモシャモシャで野性味ある。
毎年8月(最終 金土日)一戸まつりにて奉納している。

②澤目獅子踊り(さわめ-ししおどり)
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起源には謎も多い澤目獅子踊り。
親獅子(雄のリーダー的なヤツ)と女獅子のカシラは
「決して離してはならない」
とのことで今回も夫婦仲睦まじく上京(右の見切れているのが雌)!
角の間を彩る図柄には
龍・鯱・唐獅子・狐・虎・鹿などがあるとのこと。

③夏屋鹿踊(なつや-しかおどり)
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宮古市 夏屋)
大和国・春日の清原形部之助という人が
夏屋に巻物を持ち込んで教えたと伝わる踊り。
上が新しいカシラなのだが、この古いカシラがスゴイ。
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リアル鹿っぽいカシラといえば田野畑とかもそうだが、
なんてゆうかこれは素朴感が無い。
(ディスっているのではない。仕上がってる感があると言いたい)
1つのカシラは一木から彫り出されたもので、
6つのカシラは全て違う顔だといい、
一説に「喜怒哀楽を表している」のだそうだ。

④春日流八幡鹿踊(かすがりゅう-はちまん-ししおどり)
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(花巻町 石鳥谷町 八幡)
管理人は先月京都に行ったが、
その時の記事で書いた空也上が鹿を悼むエピソード。
アレを由来として語り継ぐ団体の1つ。
その空也の踊りを武蔵野国豊田村の人が
シシの芸能として確立させて伝えたとも言われている。
八幡神社例祭のほか、石鳥谷まつり、花巻まつりetcに出演。

⑤橋野鹿踊り(はしの-ししおどり)
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釜石市 橋野町)
附馬牛の東禅寺しし踊りから習い橋野に伝わったとのこと。
幕踊り系シシの特徴ともいえる大きなタテモノ(角の間の飾り)には
色んなエピソードがあるようで面白い…。
モテたい一心でタテモノどんどん目立つようになったとかね(笑)
「ドロの木」を削った「カンナガラ」をタテガミにし、
バッサバッサ踊る。そして当然ちぎれてたくさん落ちる。
それを拾うといいことがあるらしい。
今年7月には瀧澤神社例大祭にて奉納予定。
集落総出の奉納となるため見てくれる方募集中!
(/・ω・)/だそうです!

⑥臼澤鹿子踊(うすざわ-ししおどり)
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大槌町 小槌)
コチラの踊りは、房州から伝わったとされている。
房州とは千葉のあたりのコト。
昔、大槌の人が鹿島神宮へ行った際に
房州の船乗りの間に伝わる「房州おどり」に出会い
それを習って地元に持ち帰ったのだそうだ。
大槌まつり(9月第3土日。雨天決行)では
虎舞などとともに2Kmにも及ぶ行列を作るらしい!
明るい色調の幕が目を引く。

⑦金津流石関獅子躍(かなつりゅう-いしぜき-ししおどり)
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奥州市 江刺区 稲瀬)
去年の夏に見た金津流野手崎獅子躍さん同様、
頭の後ろには「金津次橋」と書かれたプレート(?)。
そこからも分かるように宮城県からやってきた踊り。
宮城 松森村・浦田源十郎→江刺郡 石関村・小原吉郎治
と伝授され、その後も仙台藩士の犬飼さんや
本場 次橋村・遠山休左衛門さんからも習った
と言った話が伝わっている。

⑧奥山行山流地ノ神鹿踊(おくやまぎょうざんりゅう-じのかみ-ししおどり)
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奥州市 江刺 伊手)
東磐井郡大東町 山口屋敷・喜左衛門→地ノ神・円蔵
とゆう道のりで伝授された踊りと伝わっている。
行山流山口派の古い特徴を残している、と言っていた。
仲立&女鹿の「ながし」(背中部分の長い布)には
「みちのくの しのぶ牡鹿の女鹿の里 聲を揃えて遊ぶ鹿かも」
と 山口派に縁深い和歌が染められている。

⑨行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう-とどり-ししおどり)
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奥州市 胆沢 南都田)
三陸・伊藤伴内→(弟子)行山清左衛門
平泉町・三代行水軒中津川清左衛門義胤 
と伝授されたと伝わる。
今回登場した太鼓系シシの中では、
唯一 頭の上に「華鬘(けまん)」が無くて
「ウワザイ」とゆうザイのつけ方をしているそうだ。
個人的には幕の染め抜き部分の着色が可愛らしくて好き。

ちなみに、地図上での場所はこんな感じ↓
幕踊系は青・太鼓踊り系は赤にしてみた。
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シシを見比べる

幕踊りのシシたちに立ってもらうと、幕の意匠も様々。

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そして、同じ幕踊りの中でも シシの髪の毛部分に注目すると
根反鹿踊り(左)は障子紙を使っているのに対し
橋野鹿踊り(右)はカンナガラ(鉋で削った木)を使っている。
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さらに、同じドロノキを使ったカンナガラでも
橋野鹿踊りは薄くまっすぐに削ってあるのに対し…
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澤目獅子踊りは お蝶夫人の様な縦ロール!
(例えが古い)
削り方も厚い。鉋の刃自体が違う形なんだろうか。
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一方の太鼓踊り系。
鹿角使っていたり幕に九曜紋があったり、
似てるところも多いからこそ並んで戴くと差が分かる。
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特に後ろを向いてもらうと、
それぞれ流派や団体の特徴ある「ながし」が。
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都鳥鹿踊さん(一番左)は先ほども紹介したように
華鬘(後頭部で結んである赤い綱みたいの)が無く、
頭の頂点までザイ(ウワザイ、髪の毛部分)が付いている。
他団体の華鬘がある位置には赤い九曜紋。
ながしには「冨士麓 行山躍 五穀成就」の文字。

その右、地ノ神鹿踊さんのながしには
陸奥濃信夫牡鹿廼牝鹿乃里聲遠楚呂遍天阿曽婦志加可毛」
と先ほど紹介した和歌が染め抜かれている。
ちなみに、今回来てくれたのは仲立(リーダー)シシだが
仲立と女鹿以外の鹿は ながしには倶利伽羅剣が描かれているという。

そのさらに右、石関獅子躍さんのながしは
加藤清正」と聞こえた気がしたのだけれど
ココにそう書いたら公開後に清正ではないとご指摘を戴いた!
追記:伺った所、石関の中立のながしは
   本来神功皇后の「三韓征伐」なのだそうだ。
   しかし最近は山姥、渡辺綱坂田金時になっていて
   ほかには富士の巻き狩りなど…とのことだった。

そして何より今管理人が気になっているのが
太鼓系シシたちの幕に施された「かがり」。
上の写真を見ていただくと分かるように、
幕踊り系でなくともシシたちには幕がある。
シシの顎から喉元にかけては 井桁つなぎの中に九曜紋。
(都鳥鹿踊さんは井桁は無く九曜紋のみ)
その幕はなぜか、
上半分と下半分の2枚の布を縫い合わせて作られている。
そして、目立たないよう紺色の糸で縫うこともできるのに
敢えて生地とは異なる色で様々な形でかがられている。
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これが気になるんよ、とゆうことで つぶやいたら
石関獅子躍さんのtwitterアカウントから
意味については「天地・要害・陰陽と団体により様々」
「1枚ではダメで必ず2枚でなければならないとあります」
と親切に教えていただけた。ありがたや。
人に圧倒されて会場で訊けないところが、
なんてゆうか 管理人のダメな所だ…(´・ω・`)

縫い方の名前とかもあれば気になるけども、
それ以上に その縫い方に意味や謂れがあるのか
それとも「境目を目立たせる」こと自体が目的なのか。
とにかく かがりについては気になる。
どこかに見に行ったら次こそは誰かに聞く…。
(漠然とした目標)

そして なんと司会からの突然の無茶ぶり(笑)で
各団体の「しらさぎ」の歌の聴き比べができた!
シシ踊りや獅子舞では 実は団体が違えど似た歌も多く、
この「しらさぎ」もその1つ。
しかし、歌詞は同じ(または似ている)でも節回しが全然違う!
突然のフリながら、各団体さん
ステキなしらさぎを聞かせていただきました(*´ω`*)

継ぐ人を探して

さて こんなに個性豊かで興味深いシシたちだが、
やはりやりたい人が自動的に集まってくるわけではなく
各団体の方は日夜色々な努力をしているそうだ。

若いころから習う団体であれば学校と協力し、
小学校に「芸能クラブ」があって教えに行ったり
見に来たいと思った子が すぐ繋がれるように
普段の練習を公開していたり。
江刺では、高校に「獅子躍部」があるのだそうだ。
そして、大学のサークルを受け入れている団体も。
そもそも、岩手の子の6割くらいが
小学校で何らかの芸能を習うのだそうだ。
(保育園や幼稚園でやっている所もある)

さすが岩手県いや、私も小学校で八木節やったかも…。
とにかく管理人は以前、みちのく芸能祭りで
「〇〇ちゃん、鬼剣舞観ようよ」という母親に対し
「やだ。虎舞が見たいの!」と言い返す子供を見て
見たい芸能がある幼稚園生すばらしい…。
と感心したのを覚えている(*´ω`*)

では、芸能に触れる機会が多くて
習える場所も色々あって安泰かというと。

さいころに全員に教えるからこそ
「ぼく、アレきらい」となってしまう子も居る。
そして、生活の一部でなく
習い事や育成会(子供会)の行事的に始めた場合
部活動が始まる年齢になるとそちらへ行ってしまう子も。
そして大学生は地元を離れて来ている人も多いので
卒業・就職と共に地元へ帰ってしまい抜けることも多々。

各団体、教えに行った中学・高校で
地元出身で 体力があって 頑張り屋な子etc…
をスカウト(?)してみたり、
とにかく小さな子に教える時は褒めまくって
まずは「楽しい!」と思ってもらえる対応をしたり、
お母さんたちに役割を与えて巻き込んだり、
また社会人向けにはホームページやツイッターをして
練習や公演の情報にアクセスしやすい工夫をしたり…。
「女性も可だよ」「地区外でもいいよ」
とハードルを下げても中々確保は大変な様子だった。


姿を残す

ところで伝統(民俗)芸能って
基本は人から人に伝える”コト“としてできている。
でも、伝承する人が急にいなくなってしまったら?
もしくは 引き継ぐ人が居なくなってしまったら?

それは、東日本大震災のような災害だけでなく
過疎・人口構成の変化・生活様式の変化
むしろ継承者が少ない場合は個人の病気や事故など
ほんの1つの原因でも起こりうることだったりする。

そうしたことへの危惧は以前からあったと思うが、
震災以降 具体的にそれを考えたり実行し始めた団体は増えた。
という気がしている。
踊りや囃子を映像に残したり 楽譜に起こしたり。
そして今回、会場の端で静かに行われていたのが
「シシガシラのデータ化」の作業だった。
協力できるよ、という団体さんのカシラが
電子レンジのお皿のようなものに乗って1回転する間に
ピカピカ光るカメラのようなもので撮っているようだった。
(ハイテクに弱い人間が実況するとこうなる)

今回会場となった宮本卯之助商店さんは、
被災後の東北で カシラのみならず
芸能・祭用品の修復に尽力したのだそうだ。
その時のことを、
「芸能は、やっている人にとっては生活の一部」
「家の中のなにもかもを正確には思い出せませんよね」
「写真なども流れてしまい修復は意外と記憶だより」
「話をもとに直したが、写真が見つかってみたら色が違って」
と話された。だからこそ客観的な保存が必要と。

そういえば以前、どれかの記事に(どれだかは忘れてしまった…)
話し手と聞き手が同時に存在しなくても成立する、
例えばブログとかって 伝承ならぬ「電承」かね。
というようなことを書いたのだが。
電子媒体への姿かたちの記録もまた「電承」の1つかもな。
と、ひとりで 撮影装置を眺めていた。

そして、姿のモトとなる「作り方」。
コチラは、震災以降の取り組みか それ以前からあったか
訊くことができなかったのだが橋野鹿踊りさんのカシラ。
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会場から「着色前のものですか?」と質問があったが、
これは「見本」というか「手本」というか。
全てのパーツが針金で固定され、バラせるようになっている。
つまり、(師匠が居てもこれがあれば分かりやすいが)
万が一 教えられる人がいない状況でも
コレをバラして型を取れば同じものが作れるというワケだ。

人を介さない可能性がある継承
というのは切なさも感じるが、
その可能性と向き合ったからこその対策かもしれない。
「習うより慣れろだ」「見て盗め」じゃなく、
万が一のことがあっても作りたいと思った人が困らない方法。
「絶やしてはいけない」という気持ちだけでなく、
継いでくれる人にできるだけの備えを残そうという
優しさが垣間見える気がした。

見に行くというコト

今回のイベントもそうだが、
岩手の芸能は 比較的 地区外に出て
外向けの公演というモノが行われている印象がある。
県外でも知名度が高い芸能も結構あったりする。
なので、外から見ていると
「岩手は芸能の宝庫」「芸能に関心のある人が多い」
「震災後も各地で芸能が無事復活を遂げた」
というイメージを持たれがちな気がする。

確かにそれは事実でもあるのだけれど、
事実の一部だというコトは忘れないでいたいと思う。
たとえば、いかに関心を持っている住民が多くとも
地域自体の人口構成が限界を迎えつつあったり。
震災後、芸能の再開が復興の象徴のように報じられても
その後の後継者不足や避難生活の継続は知られず続いたり。
どうしても、住んでいる人以外には分からないことがある。

だからせめて「分かっていない」ことを忘れないで
地元の人と話したいし どんな地域なのかなというあたりも
気にしながら見ていたいと思う。
そうでないと、テレビやネットで見ただけで
分かりやすい物語に落とし込んで「分かった気」になりそうだ。

だって 一定のまとまりがある映像や番組を作るためには、
どうしても「話の流れ」が必要となる。
発信者は それなりに共感しやすく起伏のある筋を考える。
そうすることで、見る人も興味を惹かれる。
それは、発信にはある程度必要なことだから
悪いことだと言いきりたいわけじゃない。
3・11でも、番組やネット上の発信があったことで
東北以外の人も現地の状況や情報を知ることができた。

ただ 人の中に1度取り込まれたモノを貰うのは、
いわば親オオカミが捕えた毛むくじゃらの動物を
肉として噛み 子オオカミに与えるようなものだと思う。
受け取る側は納得しやすい筋を与えてもらうことで
消化が良いので簡単に呑み込めてしまうはずだ。
でも、そこで もし興味を惹かれたとしたら
消化しきれなくてもいい。 ひとかじりでもいい。
ナマの状態を食べてみることはとても大事だと思う。

管理人とて基本的に人に話しかけたりが下手で
何かを見に出たとて しっぽの先をかじっただけで
あるはずの肉には辿り着けないことも多い。
ので、偉そうなことは言えないのだけど。
やっぱり興味持ったものは特に「現地で」見たいと。
そして見てほしいなぁと。思ったりするわけですよ。

そうゆう時に、一堂に会する系の
(あんまりないけど)こうゆうトークイベントとか
地区や県ごとの民俗芸能大会とかを活用するというか。
そこで座りながらにしていろいろ見て
何とゆうか推しを見つけてもらえたらと思うわけで。
見た目でも、やってる人でも、エピソードでも
何かしら とっかかりがある団体をまず見に行ってみる。
そうすると、見に行くことへのハードルって下がってくる。
(…はず。ハードル見えてないので憶測で言ってます。スイマセン)
見に行く人が増えるだけでも
姿を残したり やりたい人が稀に現れたり
やってる人もモチベーション上がると言ってくれたり。
色んな良いことがあるみたいだ、と
今回のイベントで あらためて思ったのでした。
見に行く人が急に増え過ぎちゃうと、
行事の様子が変わってしまって大変だという場合もあるようだけど…

※お願い※
イベント内で奉納の日程が聞き取れた団体さんだけ
記事に日程を書かせていただきましたが…
一応行く前に日程や雨天時の対応など調べてみてください。
岩手シシたちはTwitterやHPなどが比較的得意なので
日程書いてない団体さんも是非調べて逢いに行っていただければと!

藤岡、鮎川獅子舞。

ここ最近、芸能の奉納を見るとなると県外が多くなりがちでした。しかし!今回は地元群馬県藤岡市の「鮎川の獅子舞」に行ってきましたよ。

目次はこちらからどうぞ。

 日時の確認

群馬は獅子舞(三匹獅子舞)の数がとても多い。しかし「内々の行事」という色合いが濃いのか、日時は各団体に問い合わせないと分からない場合も多い。日付はまだしも時間は本当に謎で、(関係者の連絡先を知らない限りは)

・過去に行った時のことを参考に見当で行ってみるか
・PDF化された広報誌をネットの海から探すか
・役所に問い合わせて各団体に訊いてもらうか

という感じである。(役所の担当課さんには大変お手数かけております…)

今回は、大まかな目星だけ付けて突撃しようとしていたら、獅子舞を長く見てきた大先輩からオンラインで「公会堂前で9:30~」と情報を戴くことができた。

おかげさまで30分ほど余裕を見て前橋駅を出発。高崎で乗り換えたら、まったり15分くらい八高線。そしてJR八高線群馬藤岡駅から徒歩1時間ほどで鮎川!

管理人が行く場所の中では比較的都会で、駅から目的地・鮎川公会堂に着くまでの1時間でコンビニが4軒くらいある。そんなこんなで、猶予が30分あったハズだが着いたのは9:30ジャスト。方向音痴具合だけは計算通りである。

祭礼開始前

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国旗が交差した状態で掲げられ、公会堂には梅花紋の入った幕が張られている。皆さん「梅」といえば思い浮かぶ神社があると思うが、この鮎川獅子舞が奉納される北野神社の紋である。

ジャストに着いたが、まだ獅子の姿が見えず立っていたオジサンに「こっから始まるんですよね?」と聞いたりしていると 近所のお母さんが現れた。そして「あれ?孫!?」とオジサンに言う。「違ぇよw」とオジサンが全力で否定している。

お母さんはさらに「獅子舞好きなんて珍しいね。中学生?高校生かな」と。最早アラサーとは言い出せない状況に陥り「いやぁ、意外と若くないんですよ」と言うに留めた。

そうこうしていると獅子が姿を現し、花笠も登場!山形とか東京(多摩)で見た獅子舞に登場する花笠は女性だったり女装だったりしたが、鮎川の花笠は 裃姿(同じ藤岡だと紋付き袴とかも居るらしい)。
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一同が出揃ったが、獅子と一緒にいたおじいちゃんが「おーい、誰だコレ!綿菓子邪魔だよ!」と大声を出している。どうやら綿菓子機を載せた軽トラがこれから舞う場所のド真ん中に停まっている様子。

「今どかす!」と走って行ったのは、先ほど管理人が話しかけたオジサンだったとさ…。 

神社までの道中

公会堂前での「街道下り」を終えると、先ほどの国旗をくぐるようにして獅子舞連中は北野神社へ。幟を先頭に 花木持ち、花笠が続く。少し間をあけて囃子方、シシとカンカチが列になって進んでいく。
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以前は「道行(みちゆき)」として公会堂から神社までの間も演奏や舞を行っていたが、高齢化により終始舞い続けるのがしんどいとのこと。そのため、現在は公会堂を出てから&神社の手前 各数十メートルのみ舞うらしい。

公会堂~神社の途中あたりでは、普通に話をしながら歩いている。担い手の高齢化は悲しいコトだが、その間に地元の方とお話しすることができた。

それによると、幟の後ろを歩いているのは「花木持ち」。持っている花のようなものは、今回は舞われない演目「花水」に使われるものだそうだ。今日は公会堂と神社を往復するのみだが、秋祭には地区の辻で「花水」や「幣がかり」を舞うらしい。

「ちょうどこの道から一本外れた普寛堂の前でもやるよ」

と言うオジサンの言葉に、

「不吹(ふかん)堂!?富山から来た風鎮めの文化が藤岡に?」

と一人で興奮したが、列を外れて見に行ったら御嶽信仰のほうの普寛堂でしたわ。残念ちゃん(´・ω・`)…”ふかん”違いやでぇ…。

携帯のストレージをケチって写真撮らなかったので、一応Googleマップ↓で再確認。やはり鳥居に「御嶽山」の文字。

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普寛さんという人は 秩父・三峰山などで修行を積み、木曽御嶽山を信仰対象とする御嶽信仰の祖となった行者さん。※開祖はまた別の方なので「第2の祖」と言われることもあります。

この藤岡にある御荷鉾(みかぼ)山よりさらに郊外の上野村のあたりに「三笠山」という山があるのだが、この三笠山は普寛さんが開いたと言われている。この鮎川の地も訪れて布教してたのかもしれないなぁ。

列に戻ったところで、春にはやらない「村回り」が話題に上ったのだが、鮎川獅子舞は どうやら家々を回る「門付け」と言うよりT字路やY字路など「辻」「岐(くなと)」で舞うモノらしい。(元から門付け要素が薄かったのか徐々にやらなくなったかは未確認)


北野神社に到着

さて、そんな話をしていると あっと言う間に神社。鳥居の手前から再び演奏が始まり、そのまま境内へ。鳥居を入って正面の大きな建物が北野神社と思われる。屋根瓦に梅の紋も入っているし。

が、一同は その建物を通り過ぎて脇にある小さな境内社へ。
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そのまま、小さな社の前で一庭舞う。ちなみに獅子以外に 獅子と同じ装束の男子が1人。そして可愛らしい桃太郎のような恰好をした子が1人。どちらも銀の棒を打ち鳴し「カンカチ」と呼ばれる。
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舞が一旦終わると、一同は先ほど素通り(?)した大きい方の神社前に並ぶ。神職さんが拝殿内から登場し、清めてもらっている様子。ちなみに鮎川北野神社の神職さんは女性でした。
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それが終わると、再び小さな社の前へ戻り「剣の舞」。少し舞ったところで、まず先獅子が社の前で四つん這いに。そして、首と腕を横へ振り 上へ仰ぐ。このポーズ、なんだかシャキーンとしててカッコイイ。
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その後、いったんカシラの紐を緩め(ているように見えた)世話役さんみたいな人たちがカシラの口に短刀を咥えさせる。
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咥え終えてカシラを締めると、再びグゥワッ!っとゆう感じでこのポーズ!
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後ろから見ても前から見てもカッコイイなー。ちなみに、鮎川のシシも腰に御幣↓を付けている。
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なんかこのへんの動物的な動き、好きだなぁ。遠吠えするみたいに真上を向いたり4本足で這うように動いたり。
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そして、先獅子に続いて後獅子も短刀を咥えると2匹とカンカチたちは揃って舞い始める。(この間、雌獅子は横にハケて太鼓を打っている)
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2月に獅子舞というコトは モトは初午2/11だったのでは?と思うわけだが、初午と言えば稲荷神の祭り。だとしたらあの小さい社は稲荷社なんだろうか。

いつもなら明記してなくとも しつこく「扁額は無いか」「神紋は?」「狐いるかな」
などと見ているのだが、写真を撮っている人を邪魔するまいと思ったせいか何だかわからないが詳細を確認し忘れるという失態。だって人の写真に写り込んだら悪いなと思うじゃないか…(小心者)

仕方がないので帰ってから県立図書館へ行き、モトは「初午の日」に奉納だったのではないのか?と調べていると石川博司さんの冊子にたどり着いた。その「獅子舞雑記帳」「私のまつり通信」などを読んでいると、

どうも当初は初午の日だったらしいのだが「その時期では寒くて笛が吹けない」という理由から日程が2月終盤へと変わったらしい。「人が集まらないから休日に移動」だけじゃなく寒さの問題があったのね…(´・ω・`)

寒さというか、湿度が低すぎて笛が鳴らないという意味かな。

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結局、何社なのか自分の目で確認することはできないまま、獅子舞連中とともに公会堂へ戻る管理人。

公会堂への帰路

その途中、獅子頭にまつわるエピソードが明らかに!

「漆を塗り直すとき髪も頼んだら元と違う感じになった」

…え?獅子頭って結構大事なモノだよね?直すときって、なるべくモトと同じになるように直すんじゃ…。公会堂に戻ってからも獅子の毛が気になって、カシラを外そうとしているオニイサンに近づいてみる。
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頭の上にまくり上げてある茶色い布が舞っているときは後頭部から背中まで垂れていて、そこに獅子のタテガミになるように馬の毛が付いている。

オジサンの話によると「後頭部の部分の毛(巻き毛)がモトの感じなんだけど」とのこと。布の両脇から見えてるウェーブ毛のことね。一方、獅子頭に直接植えてある毛は中の人(?)の頭の両脇に垂れているヤツ。

…え…毛質まるっきり違いますやんΣ(・ω・ノ)ノ!どれくらいって、マドンナと有村架純くらい違う。いや、もう獅子的にはこんな気分だよね↓
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なんかこうね、勝手に「伝統芸能ってずっと姿が変わらないのかな」「昔っからずーっとおんなし道具使ってるのかな」みたいに思っていたんだけども、新調した時に結構変わっちゃう団体さんもあるらしい。

それは職人さんの考えとか団体の意向とかいろんな理由があると思うのだけど。だからこそ、見たことあっても ちょくちょく見に行かなければ現状は分からないし、ファインダー覗いてばかりは嫌だが写真とかも大事だなとか思ったりしたわけでして。

ちなみに、カシラの裏側(中身?)を見せていただいたら頭にかぶるカゴ部分に 紐で作ったネットみたいなものが!手ぬぐい巻いて 直接カゴ被るんじゃないんですな。痛さとか安定感が良くなるんだろうか?逆にポヨンポヨンしたりしないのか?
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そんなことを考えながら写真を撮りまくっている間、皆さんはカシラを脱いで 水分補給。これも以前は無かった風景なのだそうだが、休憩ナシでは獅子たちの息が上がってしまうためインターバルを入れることになったらしい。

一息入れた後は、公会堂前で「綱切り」。花笠の持つ縄に引っかかったり、縄を挟んで前獅子・後獅子が闘うような場面があったり。
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管理人は以前から、この「綱切り」という演目を不思議に思っている。神楽で「綱切」って言ったら大蛇に見立てた綱を真剣で斬って無病息災を願う演目か最後に行う神送り的な演目だけれど、この綱、大蛇ほど太くないし コレ最後の演目でもないし。

いや、分かる人に訊けば一発なんだと思うけれど…。縄って結界的なモノの象徴なのかな と思う事は多くて、各地の祇園祭とかでも巡行が始まる時に先頭で稚児が綱を切って始まったりするワケで。

あとは、門付けとかでも獅子を先導する人が家に張られた注連縄を切って 提灯を持って立つのが、「次は、この家に門付けだよ」の合図だったりするし。

でも、獅子舞の綱切りはカンカチや獅子が この綱の向こうとコッチを結構行ったり来たりするワケですよ。くぐったり、越えようとして引っかかったり。それがすごく不思議でならなくて。あれ?コレ別に結界的なモノじゃないんだな、と。

だからむしろ紙垂とか付いてないし 単なる「綱」なのか?と考えたり。例えば「ボンゼン掛かり」とか「かかす(カカシ)」的な、偶然そこに在った人工物に興味を持って
おっかなびっくり近づいたり飛びのいたりを繰り返して最終的には それを手に取ったり跳ね飛ばしたりする感じの。

「綱切り」でも 何度も同じような動きで近づいた後に、太鼓のバチを振り下ろして…綱を切る! ↓
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次こそチャンスがあったら誰かに訊こう…。

そしてついに最後の「雌獅子隠し」。中央に立った花笠2人の間に雌獅子が居て2本のバチを水平に持っている状態で雄獅子から「見えていない」コトを表しているらしいとのこと。
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他の団体や演目と比べて、この雌獅子隠しは すごく歌が聞き取りやすいというのが一番の感想。

〽思いがけじの朝霧に 霧に雌獅子を隠されたの
〽霧に雌獅子を隠されて 心ならずも狂う獅子かの

いや、聞き取りやすいとか言っておいて「狂う獅子かの」か「苦ししかな」か「苦しい鹿の」か謎…。ともかく、急に霧で雌獅子を見失って動揺している場面だ。

その後、〽南無薬師 想いし妻に逢わせてたまわれ
薬師如来さんに「大好きなあの人に逢わせて」と願掛け。

〽薬師の御夢想 はや見え候 尾花隠れの見ゆる嬉しや
薬師様の御夢想(ごむそう=夢のお告げ)が早くも見えた!
ススキの蔭に居るって分かって嬉しいよ!

と、無事雌獅子に出会えた様子。よかったよかった。
※歌は分かった範囲で文字にしたので正確ではない可能性があります

雌獅子隠しが終わると、お弁当などが届いて関係者の方は公会堂で昼食に入るようだった。直会的な感じなんだろうか。管理人はここでカシラの写真を撮らせて戴いたり、獅子舞を長く見ている大先輩方の会話を聞いて自分のヒヨっ子具合を実感したり。

獅子頭
前獅子が緑。毛は栗毛(茶)
中獅子が赤。毛は葦毛(白)
後獅子が黒。毛は青鹿毛(黒)
雄2匹は2本角、雌は宝珠を頭上に頂く。
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さらにこの後「髪が多すぎて顔が見えないから近所の美容室の人が切った」という獅子頭かみのけエピソードⅡを聞くこととなった。もう、タテガミが気になってしょうがなくなってきたよ…。

ちなみに以前は高崎競馬から貰ったりしていたそうだが、現在はもう高崎競馬は運営していない。ので、馬の尻尾の毛自体が入手困難になりつつあるとか。確かに、ある程度の長さがないとだしなぁ。

昔はよく手に入ったモノも、わざわざお金を払って誰かから買うようになる。藁とかもそうかもしれないですな。県内、いくつか乗馬クラブがあるのでそんなとことも協力体制的なの出来たらいいな。なんて思いましたとさ。

カンカチのこと

後で聞いた話では、本来は獅子と同じ装束を着たカンカチが2人居て前獅子・後獅子と対になり全く同じ動きをするのだという。

管理人は今まで比較的

・そもそもカンカチが居ない
・獅子と違う派手な装束の幼いカンカチのみ

という獅子舞を見ることが多かったので「カンカチ=獅子とは別物の御稚児さん的なにか」という感じで見ていたが…。今回の獅子の動きを「模倣する」役回りというのを見て「カンカチの本番の中に獅子になる練習が組み込まれている」というような不思議な感じがした。

そう言われてみれば板橋春夫先生が「カンカチは獅子の予備軍」というようなことを書いている本があったような…。

名称については様々な表記があるが、子供らの鳴らす金属の棒の音が「カン、カチ」というのでこの役回りや棒自体を「カンカチ」と呼ぶらしい。そこまではなんとなく腑に落ちた気にもなるのだが、カンカチという存在自体も結構謎で県内だけでも

・カンカチを打ち鳴らす子供をカンカチと呼ぶ地域
・天狗面を付けた役をカンカチ(冠勝)と呼ぶ地域
・かと思えば 天狗役とカンカチが別に存在する地域

など役割や年齢、人数などには差がある。

カンカチは鳴らし方と言うか打ち方が、ササラで獅子を鼓舞する様子に似ているような気がした。羽場日枝神社獅子舞などに登場する竹製のアレだ。

この「ササラ」が指す対象も幅広く

・獅子を鼓舞する道化役が使用する竹製の楽器
・花笠が持つ竹製の楽器。
・獅子舞自体を「ささら」と呼ぶ
・シシが背中に付ける依代をササラと呼ぶ

などかなり多岐にわたる。

しかし!カンカチ・ササラ共にこれだけ多くの意味を持ち、使い方が似ている地域も多いながら、多分だけど金属の棒をササラと呼ぶところは無い。

韓国の農楽(ノンアク)の楽器ように、金属-植物/皮みたいな材質の違いが何か重要なんだろうかと考えたり。※韓国の芸能・ノンアクやプンムルノリでは金属が天、皮や植物が地を表していると聞きかじったことがある

カンカチと獅子、天狗、金属の関係は気になる。カンカチが登場する地域の獅子舞も
もっといろいろ見てみたいなぁ。

*おまけ*

この後、鮎川の近くの平地神社へ行ったら「ハンドメイドのために、よく木の実を集めに神社に来るの」というお母さんに遭遇。手元には杉の実や松ぼっくりが。鎮守の森にそんな使い方があったとは…(;゚Д゚)

そんな感じで神社を年中回っている方でさえ「え?今日獅子舞があったの?」「群馬に獅子舞ってあったんだねぇ」「えッ3匹もいるの!」という状況。

三匹いて一人立ちなのは普通だと思っていたので、東京に行ってから「え、獅子舞って3匹じゃないし4本足なの」と驚きはしたけれど…。たしかに管理人も最近まで、こんなに多くの地域に獅子舞があるとは知らなかった。

当ブログでも群馬の方から「群馬に獅子舞があったのか」「見たことなかった」「群馬の獅子は二足歩行(一人立ち)なんですね」という旨のコメントを戴くことがある。

観光化された祭礼を見ると「内々で」続けることで本来の姿を守ることに意味があると感じる一方で、もっと県内の人に群馬にも獅子がいると知ってほしいかも…とも思った日曜日でしたとさ。
(/・ω・)/