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とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

三夜沢&二宮赤城神社

二宮赤城神社
いままで当然、赤城山山頂にある赤城神社
「大洞赤城神社」が赤城神社総社だ!
と思っていたのだが…
今回行った2つの赤城神社も交えて
どれが大元かはいまだに定まっていないらしい。

まずは二宮赤城神社
我が家から国道50号沿いに9km、自転車をこぐ。
平地なので楽なものではあるが、
到着し近づいてみると鎮守の森に烏が巣食い、
町のカラスのような朗らかな声でなく
ギャッ!ギャッ!と
悪魔のような声で鳴いているではないか!f:id:ko9rino4ppo:20160531013624j:image
決して山奥ではないのだが、
鎮守の森の中は結構暗い。
しかも参道には、カラスたちが食べて
木の上から殻を捨てたのか大量の卵の殻が。
鶏のものよりは少し小ぶりだが、真っ白。
f:id:ko9rino4ppo:20160531013557j:image
小心者なので恐れおののきながら
参道を抜けると随神門が。
中には右大臣・左大臣のようなもの。
手前には神様の名前が刻んである五角の石。f:id:ko9rino4ppo:20160531013734j:image
オオナムチ、スクナヒコナ
ハニヤスヒメ、ウカノミタマ、アマテラス。
f:id:ko9rino4ppo:20160531013823j:image
仏像の足元で踏みつぶされている邪鬼のような
かわいらしいおじさん(?)たちが灯篭を支えている。
f:id:ko9rino4ppo:20160531013849j:image
中に入ってみると、
案外広く平らにひらけている。
f:id:ko9rino4ppo:20160531013946j:image
案内板はところどころ消えてしまって、
大事なところが読めなかったりする。
f:id:ko9rino4ppo:20160531014033j:image
拝殿は、階段に柵がしてあって覗けなかった…

末社たちを見てみると、
こちらの奥まったところにいるのは秋葉大明神。f:id:ko9rino4ppo:20160531014131j:image
天満宮庚申塔道祖神など大手全国チェーンの他…f:id:ko9rino4ppo:20160531014206j:image
f:id:ko9rino4ppo:20160531014227j:image

「石尊宮」つまり石尊大権現さん↓
f:id:ko9rino4ppo:20160531014433j:image

こちらは養蚕と関連深い神様たち、
「蝅影大神」さん↓
f:id:ko9rino4ppo:20160531014449j:image
「絹笠天神(大明神)」さん↓かな。

f:id:ko9rino4ppo:20160531014508j:image
などが居た。

石尊大権現は、
神奈川県伊勢原の大山信仰が出所と言われている。
ちなみにこの大山の頂上には霊石が祀られていた、
と言われているので名前の通り石信仰なのだろう。

蚕影大神に関しては、
茨城県つくば市の蚕影神社が総社らしい。
群馬も「富岡製糸場」があるように
養蚕が非常に盛んな地域だったことから、
(拝殿を持つような蚕影神社は多くはないが)
このような末社としては結構あちこちで見かける。

絹笠天神は、
咲先神社の記事で話したかもしれないが
弁天様のように唐人風の服でよく描かれる女神様。
繭の育成や養蚕に従事する女性を見守るほか、
蛇信仰と習合し蚕を狙うネズミを除けてくれると言われたそうだ。

二宮赤城神社」は奥宮か里宮かと言ったら、
大洞や三夜沢と比べて明らかに里宮なわけだが。
※位置関係↓
f:id:ko9rino4ppo:20160608201918j:image
しかし、
権力者の墓である古墳が周辺に多いことや
3つの赤城神社で唯一「二宮」と名乗っている
(=上野国二宮であると明言している)
ことから赤城神社の大元ではないかと推されているのである。
さて、どちらがモトかは分からないものの、
この二宮赤城神社と里宮-奥宮関係にあるのでは?
と言われている三夜沢赤城神社に向かう。

 

*三夜沢赤城神社
なんと、15kmの上り坂である。
手元の気温計は37℃を超えている。心して掛かるべし
( ̄Д ̄)ノ!
なんだか途中には
「ここ、畦道じゃん。ちゃんと公道に出るんだろうね」
「え?森の中に入っていっちゃうよ」
とゆう道もあり、さらに季節柄ハチが!
スズメバチが!
((((;゚Д゚)))))))
※管理人は一度スズメバチにやられているので、
 次はヤバイと思っている。
 アナフィラキシーで人気のない山林で死にたくない。

暑い中、長袖を引っ張り手の甲まで隠して
フードをかぶった上 タオルを鼻から下に巻いている。
コイツは怪しい。即通報だ。しかも熱がこもる。
汗をかいたそばから蒸発して、
触ってわかるほど顔は塩ふいている!f:id:ko9rino4ppo:20160601014549j:image…とゆう状態でやっと到着。
二宮赤城神社と比べると、シブくて大きな鳥居である。
私のちっぽけな折りたたみ自転車も写っているが、
小さすぎて見えないレベル(笑)
鳥居をくぐると、そこにはなんとも豊かな
鯉の池に囲まれた手水鉢が…!f:id:ko9rino4ppo:20160601013730j:image
無礼かもしれないが、洗顔するべし!
首にも水をかける!手の先と言わず、腕全体を清めるべし!

…かくして、
シャワーを浴びたのかコイツは とゆう瑞々しい(?)状態になり、
サッパリしたところで赤城大神 訪問!f:id:ko9rino4ppo:20160601014721j:image石灯籠には 赤 城 の文字!f:id:ko9rino4ppo:20160601003446j:image
これより奥は完全に山とゆう感じなので
鎮守の森もなかなかの面積なのだが、
木の間から光がキレイに入ってきて重たい暗さを感じない境内。f:id:ko9rino4ppo:20160601003524j:image他にも何組か参拝者が居た。
当然の如く、みんな車のようで涼しい顔をしている(´Д` )
拝殿はうまく覗けなかったが、
むしろ周囲が上り坂なので本殿周辺がよく見えた。
きれいに光が差している。
f:id:ko9rino4ppo:20160608202028j:image
本殿はあまりジロジロ見てはいけないのかもしれないが、
「天然記念物 赤城神社たわら杉」という立て札もあるし
覗かれることを前提にしているのだろう。
という言い訳のもと覗くと、なにやらロケットのようなものが。
f:id:ko9rino4ppo:20160608202053j:image
仏塔か?宝塔か?
確かにこの辺りは宝塔の多い地域ではあるが、
なんだかちょっと違いそうだ…。
後で数枚撮った写真を拡大してみると、
土台?部分に
「戦利兵器奉納ノ記」とある。

「明治三十七八年役戦利品の一にして
 我が勇武なる軍人の熱血ヲ濺キ
 大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ献…」

…までしか読めない!
形からして納められている戦利兵器は砲弾かな。
拝殿(いや、神楽殿だったかな)の横の扁額も、
宮城村出身の陸海軍・青年会から奉納されたものだった。
f:id:ko9rino4ppo:20160608202118j:image
昔、グンマーを統治した上野毛氏が創祀して以来、
統治者や武将の信仰も篤かったそうだし。
赤城神話で助太刀をした俵藤太も弓の名手だったし。
戦勝・武運にはゆかりのある神社なのかもしれない…。

ちなみにこちらは、
赤城山山頂にある大洞赤城神社が「総社」を名乗った際に
「我が社こそ総社である」と訴えを起こしているわけだが。

総社がどちらであるかはまた別としても、
年に2度(4月と12月の初辰の日)
先ほどの二宮赤城神社から御神体が日帰り遷幸する「御神幸」が行われる。

日帰り遷幸の意味はもっと調べないとまだ謎だけれど、
この2つの宮が特別な関係なんだろうなぁというのは何となく伝わる。
これは今後も要追跡調査(=゚ω゚)ノ!

*赤城神話*
どんな山にも神話はあるものだけれど、
その山のある地域の人以外は大抵知らない。

なので、ついでに赤城神話について紹介。

大まかな話の流れとしては、
群馬は赤城山の神・大ムカデと
栃木は男体山の神・大蛇が戦うわけであるが。

どうやら赤城山には水が乏しかったので、
栃木・中禅寺湖の水を奪おうとした赤城の神が発端らしい。
日本昔話を見てみると、
赤城の神様が傍に仕える仁王に「盗んでこい」と言っている。

略奪!侵略戦争!((;゚Д゚)))
どうやら赤城の神が全面的に悪役らしい。

とりあえずココからは
全国展開(?)されているほうのストーリーを紹介するが、

男体山の大蛇は押され気味である。
そこで、弓の名手に助太刀を頼むことにする。
そして見事に人間は大ムカデの目を射り形勢逆転。
侵略者の大ムカデはあえなく撤退してめでたしめでたし。

的なあらすじである。
助太刀にはいくつかのバリエーションがあり、

①先ほど紹介した俵藤太

本名は藤原秀郷。一番有名な功績は平将門を討ったこと。
下野国あたりが彼に与えられていたので
栃木というのはあながち間違ってはいないのかもしれないが…
ただし、彼のムカデ退治伝説はもともと
「琵琶湖の竜神の娘に助けを求められ、
 竜神の地を荒らす滋賀県三上山のムカデを討った」
というお話らしい。

遠い土地の話では流行らないからと
こっちで語られるときに関東バージョンができたんだろうか…

②小野猿
人物の詳細は不明だが、三十六歌仙の一人ともいわれる。
「奥山に もみじ踏みわけ鳴く鹿の―」の猿丸太夫サンである。
話によって「猟師」or「狩猟の名手」とかかれる場合あり。
その情報では正直、身分も職業もよくわからない。
二荒山の神職が小野氏という家系であることと関係があるのかも。
しかし、二荒山の神が直接彼に頼んだのではなく
白い鹿の姿をした神が彼を山まで引き寄せたとされる場合もある。
この白い鹿は「二荒山の神」と名乗ることもあれば
鹿島神宮の神」と名乗っていることもあるらしい。

鹿島神宮は茨城だから近所といえば近所だが…
男体山にいるのは神道で言えば
オオナムチ・タゴリヒメ・アヂスキタカヒコネ
香取神宮タケミカヅチとは大して親密とも思えない。

だとすれば、
天津神タケミカヅチがこの地に勢力を伸ばす以前
つまり大和政権による地方平定が進む以前に鹿島を収めた
「香島の天の大神」が、二荒山大神に助け舟を出した。
という風にも考えられるだろうか?

③磐次磐三郎

こちらは、あまり日光・赤城の神話の流れでは語られない。
東北や、関東北部の民話が主な活躍の場。
彼は狩猟民の祖で、弓の腕で日光の神を助けたことにより
狩猟を行う権利を神から得たのだという話らしい。
(管理人も今回調べていてはじめてであった人物だった)…


とゆう3バージョンがあるらしい。
ちなみにバリエーションとゆうのは憚られるが、
群馬県民である管理人は
「目を射られた大ムカデは温泉で傷を癒やして勝利した」
と聞いて育った。
(実在する「老神温泉」がその現場であるらしい)

ちなみに、
赤城山には大沼と小沼があり それぞれに神様がいる。
本地仏は千手観音さん(大沼)と虚空蔵菩薩(小沼)とされた。
覚満淵の地蔵菩薩とあわせて、赤城三所明神と呼ばれている。
実際の神様は赤城大神とか大沼明神と呼ばれたりするのだが、
本地垂迹説により神様の真の姿は仏様だとされた名残である。
赤城山麓の寺院でも
神仏習合時代は赤城山の神様を祀っていましたよ」
とゆうことでご本尊が虚空蔵菩薩、とゆう場合も多い。

この大沼&小沼だが、
伝説上は先述の赤城の仁王さんが
中禅寺湖の水を盗んでこい」と言われて
最初に右手ですくって投げた水が大沼。
次に、
奪われまいと迎え撃った二荒山の仁王様を振りほどき
左手でかろうじて救って投げたのが小沼。
と言われている。

と、いうことは…だ。
いまは各沼や淵に神様があてがわれているが、
本当は大沼と小沼ができる前から
赤城山自体の神様が居たことになるわけだな。
きっとそれが赤城大神という神様なんだろう。

好戦的な性格や今までの話からは
猛々しい男神なのかという気もするけれど。

もう一度三夜沢赤城神社の本殿を見ていただくと、
千木(屋根の両先端部分にあるV字状のパーツ)が
内殺ぎ(うちそぎ)となっているのが確認できる。
つまり先端の切り口が地面と平行になっているということだ。

例外はあるものの、
基本的にはいらっしゃる神様が女性の場合内殺ぎ
男性ならば外殺ぎ(切り口は縦=地面に垂直)とされている。
そう考えると、ここにいるのは山の女神さまなのかもしれない。

しかし、二宮赤城神社
現在の名目上の神様はこの三夜沢と同じはずだが、
本殿の千木は外殺ぎだったような気がするなぁ。
(ハチにおびえてゆっくり撮影できず記憶だけが頼り)

しかし、男神と女神だとすれば
年に2度の日帰り逢瀬もなんとなく納得できる。

…まぁ、千木には結構例外もあるので
殺ぎの向きだけであれやこれや言うのも早計なんですけどね。

ちなみに山頂にある大洞赤城神社
小学校のオリエンテーリングで登ったことあるけど
めっちゃハデハデの朱色で
個人的にはあんまり好みじゃない。

赤城山麓で育った赤城っ子だから、
赤城山は好きだけどね!
夏の夕立でドッカンドッカン落雷する姿なんて最高!

でも神社的好みで言えば完全に榛名神社が好きだよ!
あのほとんど木地の色が出てるゴテゴテ彫刻の…

管理人の本名も、榛名山に由来する名前だしね!

…最後の最後で何が言いたいかよくわからなくなったけれど、
こんなに山体信仰の色濃い地域に生まれて
なんだか恵まれてるなぁ。と思う今日この頃です。
(全然まとまってない)