三夜沢&二宮赤城神社
*二宮赤城神社*
いままで当然、赤城山山頂にある赤城神社
「大洞赤城神社」が赤城神社総社だ!
と思っていたのだが…
今回行った2つの赤城神社も交えて
どれが大元かはいまだに定まっていないらしい。
まずは二宮赤城神社。
我が家から国道50号沿いに9km、自転車をこぐ。
平地なので楽なものではあるが、
到着し近づいてみると鎮守の森に烏が巣食い、
町のカラスのような朗らかな声でなく
ギャッ!ギャッ!と
悪魔のような声で鳴いているではないか!
決して山奥ではないのだが、
鎮守の森の中は結構暗い。
しかも参道には、カラスたちが食べて
木の上から殻を捨てたのか大量の卵の殻が。
鶏のものよりは少し小ぶりだが、真っ白。
小心者なので恐れおののきながら
参道を抜けると随神門が。
中には右大臣・左大臣のようなもの。
手前には神様の名前が刻んである五角の石。
オオナムチ、スクナヒコナ、
ハニヤスヒメ、ウカノミタマ、アマテラス。
仏像の足元で踏みつぶされている邪鬼のような
かわいらしいおじさん(?)たちが灯篭を支えている。
中に入ってみると、
案外広く平らにひらけている。
案内板はところどころ消えてしまって、
大事なところが読めなかったりする。
拝殿は、階段に柵がしてあって覗けなかった…
末社たちを見てみると、
こちらの奥まったところにいるのは秋葉大明神。
天満宮や庚申塔、道祖神など大手全国チェーンの他…
「石尊宮」つまり石尊大権現さん↓
こちらは養蚕と関連深い神様たち、
「蝅影大神」さん↓
「絹笠天神(大明神)」さん↓かな。
などが居た。
石尊大権現は、
神奈川県伊勢原の大山信仰が出所と言われている。
ちなみにこの大山の頂上には霊石が祀られていた、
と言われているので名前の通り石信仰なのだろう。
蚕影大神に関しては、
茨城県つくば市の蚕影神社が総社らしい。
群馬も「富岡製糸場」があるように
養蚕が非常に盛んな地域だったことから、
(拝殿を持つような蚕影神社は多くはないが)
このような末社としては結構あちこちで見かける。
絹笠天神は、
咲先神社の記事で話したかもしれないが
弁天様のように唐人風の服でよく描かれる女神様。
繭の育成や養蚕に従事する女性を見守るほか、
蛇信仰と習合し蚕を狙うネズミを除けてくれると言われたそうだ。
「二宮赤城神社」は奥宮か里宮かと言ったら、
大洞や三夜沢と比べて明らかに里宮なわけだが。
※位置関係↓
しかし、
権力者の墓である古墳が周辺に多いことや
3つの赤城神社で唯一「二宮」と名乗っている
(=上野国二宮であると明言している)
ことから赤城神社の大元ではないかと推されているのである。
さて、どちらがモトかは分からないものの、
この二宮赤城神社と里宮-奥宮関係にあるのでは?
と言われている三夜沢赤城神社に向かう。
*三夜沢赤城神社*
なんと、15kmの上り坂である。
手元の気温計は37℃を超えている。心して掛かるべし
( ̄Д ̄)ノ!
なんだか途中には
「ここ、畦道じゃん。ちゃんと公道に出るんだろうね」
「え?森の中に入っていっちゃうよ」
とゆう道もあり、さらに季節柄ハチが!
スズメバチが!
((((;゚Д゚)))))))
※管理人は一度スズメバチにやられているので、
次はヤバイと思っている。
アナフィラキシーで人気のない山林で死にたくない。
暑い中、長袖を引っ張り手の甲まで隠して
フードをかぶった上 タオルを鼻から下に巻いている。
コイツは怪しい。即通報だ。しかも熱がこもる。
汗をかいたそばから蒸発して、
触ってわかるほど顔は塩ふいている!…とゆう状態でやっと到着。
二宮赤城神社と比べると、シブくて大きな鳥居である。
私のちっぽけな折りたたみ自転車も写っているが、
小さすぎて見えないレベル(笑)
鳥居をくぐると、そこにはなんとも豊かな
鯉の池に囲まれた手水鉢が…!
無礼かもしれないが、洗顔するべし!
首にも水をかける!手の先と言わず、腕全体を清めるべし!
…かくして、
シャワーを浴びたのかコイツは とゆう瑞々しい(?)状態になり、
サッパリしたところで赤城大神 訪問!石灯籠には 赤 城 の文字!
これより奥は完全に山とゆう感じなので
鎮守の森もなかなかの面積なのだが、
木の間から光がキレイに入ってきて重たい暗さを感じない境内。他にも何組か参拝者が居た。
当然の如く、みんな車のようで涼しい顔をしている(´Д` )
拝殿はうまく覗けなかったが、
むしろ周囲が上り坂なので本殿周辺がよく見えた。
きれいに光が差している。
本殿はあまりジロジロ見てはいけないのかもしれないが、
「天然記念物 赤城神社たわら杉」という立て札もあるし
覗かれることを前提にしているのだろう。
という言い訳のもと覗くと、なにやらロケットのようなものが。
仏塔か?宝塔か?
確かにこの辺りは宝塔の多い地域ではあるが、
なんだかちょっと違いそうだ…。
後で数枚撮った写真を拡大してみると、
土台?部分に
「戦利兵器奉納ノ記」とある。
「明治三十七八年役戦利品の一にして
我が勇武なる軍人の熱血ヲ濺キ
大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之ヲ献…」
…までしか読めない!
形からして納められている戦利兵器は砲弾かな。
拝殿(いや、神楽殿だったかな)の横の扁額も、
旧宮城村出身の陸海軍・青年会から奉納されたものだった。
昔、グンマーを統治した上野毛氏が創祀して以来、
統治者や武将の信仰も篤かったそうだし。
赤城神話で助太刀をした俵藤太も弓の名手だったし。
戦勝・武運にはゆかりのある神社なのかもしれない…。
ちなみにこちらは、
赤城山山頂にある大洞赤城神社が「総社」を名乗った際に
「我が社こそ総社である」と訴えを起こしているわけだが。
総社がどちらであるかはまた別としても、
年に2度(4月と12月の初辰の日)
先ほどの二宮赤城神社から御神体が日帰り遷幸する「御神幸」が行われる。
日帰り遷幸の意味はもっと調べないとまだ謎だけれど、
この2つの宮が特別な関係なんだろうなぁというのは何となく伝わる。
これは今後も要追跡調査(=゚ω゚)ノ!
*赤城神話*
どんな山にも神話はあるものだけれど、
その山のある地域の人以外は大抵知らない。
なので、ついでに赤城神話について紹介。
大まかな話の流れとしては、
群馬は赤城山の神・大ムカデと
栃木は男体山の神・大蛇が戦うわけであるが。
どうやら赤城山には水が乏しかったので、
栃木・中禅寺湖の水を奪おうとした赤城の神が発端らしい。
日本昔話を見てみると、
赤城の神様が傍に仕える仁王に「盗んでこい」と言っている。
略奪!侵略戦争!((;゚Д゚)))
どうやら赤城の神が全面的に悪役らしい。
とりあえずココからは
全国展開(?)されているほうのストーリーを紹介するが、
男体山の大蛇は押され気味である。
そこで、弓の名手に助太刀を頼むことにする。
そして見事に人間は大ムカデの目を射り形勢逆転。
侵略者の大ムカデはあえなく撤退してめでたしめでたし。
的なあらすじである。
助太刀にはいくつかのバリエーションがあり、
①先ほど紹介した俵藤太
本名は藤原秀郷。一番有名な功績は平将門を討ったこと。
下野国あたりが彼に与えられていたので
栃木というのはあながち間違ってはいないのかもしれないが…
ただし、彼のムカデ退治伝説はもともと
「琵琶湖の竜神の娘に助けを求められ、
竜神の地を荒らす滋賀県三上山のムカデを討った」
というお話らしい。
遠い土地の話では流行らないからと
こっちで語られるときに関東バージョンができたんだろうか…
②小野猿丸
人物の詳細は不明だが、三十六歌仙の一人ともいわれる。
「奥山に もみじ踏みわけ鳴く鹿の―」の猿丸太夫サンである。
話によって「猟師」or「狩猟の名手」とかかれる場合あり。
その情報では正直、身分も職業もよくわからない。
二荒山の神職が小野氏という家系であることと関係があるのかも。
しかし、二荒山の神が直接彼に頼んだのではなく
白い鹿の姿をした神が彼を山まで引き寄せたとされる場合もある。
この白い鹿は「二荒山の神」と名乗ることもあれば
「鹿島神宮の神」と名乗っていることもあるらしい。
鹿島神宮は茨城だから近所といえば近所だが…
男体山にいるのは神道で言えば
オオナムチ・タゴリヒメ・アヂスキタカヒコネ。
香取神宮のタケミカヅチとは大して親密とも思えない。
だとすれば、
天津神・タケミカヅチがこの地に勢力を伸ばす以前
つまり大和政権による地方平定が進む以前に鹿島を収めた
「香島の天の大神」が、二荒山大神に助け舟を出した。
という風にも考えられるだろうか?
③磐次磐三郎
こちらは、あまり日光・赤城の神話の流れでは語られない。
東北や、関東北部の民話が主な活躍の場。
彼は狩猟民の祖で、弓の腕で日光の神を助けたことにより
狩猟を行う権利を神から得たのだという話らしい。
(管理人も今回調べていてはじめてであった人物だった)…
とゆう3バージョンがあるらしい。
ちなみにバリエーションとゆうのは憚られるが、
群馬県民である管理人は
「目を射られた大ムカデは温泉で傷を癒やして勝利した」
と聞いて育った。
(実在する「老神温泉」がその現場であるらしい)
ちなみに、
赤城山には大沼と小沼があり それぞれに神様がいる。
本地仏は千手観音さん(大沼)と虚空蔵菩薩(小沼)とされた。
覚満淵の地蔵菩薩とあわせて、赤城三所明神と呼ばれている。
実際の神様は赤城大神とか大沼明神と呼ばれたりするのだが、
本地垂迹説により神様の真の姿は仏様だとされた名残である。
赤城山麓の寺院でも
「神仏習合時代は赤城山の神様を祀っていましたよ」
とゆうことでご本尊が虚空蔵菩薩、とゆう場合も多い。
この大沼&小沼だが、
伝説上は先述の赤城の仁王さんが
「中禅寺湖の水を盗んでこい」と言われて
最初に右手ですくって投げた水が大沼。
次に、
奪われまいと迎え撃った二荒山の仁王様を振りほどき
左手でかろうじて救って投げたのが小沼。
と言われている。
と、いうことは…だ。
いまは各沼や淵に神様があてがわれているが、
本当は大沼と小沼ができる前から
赤城山自体の神様が居たことになるわけだな。
きっとそれが赤城大神という神様なんだろう。
好戦的な性格や今までの話からは
猛々しい男神なのかという気もするけれど。
もう一度三夜沢赤城神社の本殿を見ていただくと、
千木(屋根の両先端部分にあるV字状のパーツ)が
内殺ぎ(うちそぎ)となっているのが確認できる。
つまり先端の切り口が地面と平行になっているということだ。
例外はあるものの、
基本的にはいらっしゃる神様が女性の場合内殺ぎ
男性ならば外殺ぎ(切り口は縦=地面に垂直)とされている。
そう考えると、ここにいるのは山の女神さまなのかもしれない。
しかし、二宮赤城神社も
現在の名目上の神様はこの三夜沢と同じはずだが、
本殿の千木は外殺ぎだったような気がするなぁ。
(ハチにおびえてゆっくり撮影できず記憶だけが頼り)
しかし、男神と女神だとすれば
年に2度の日帰り逢瀬もなんとなく納得できる。
…まぁ、千木には結構例外もあるので
殺ぎの向きだけであれやこれや言うのも早計なんですけどね。
ちなみに山頂にある大洞赤城神社は
小学校のオリエンテーリングで登ったことあるけど
めっちゃハデハデの朱色で
個人的にはあんまり好みじゃない。
赤城山麓で育った赤城っ子だから、
赤城山は好きだけどね!
夏の夕立でドッカンドッカン落雷する姿なんて最高!
でも神社的好みで言えば完全に榛名神社が好きだよ!
あのほとんど木地の色が出てるゴテゴテ彫刻の…
管理人の本名も、榛名山に由来する名前だしね!
…最後の最後で何が言いたいかよくわからなくなったけれど、
こんなに山体信仰の色濃い地域に生まれて
なんだか恵まれてるなぁ。と思う今日この頃です。
(全然まとまってない)