粕川・月田のささら。
*1日目*
群馬県前橋市粕川にある近戸神社。
前回来た時には蜂に怯えながら
群馬県最古の狛犬を見て帰ったわけだが。
8/27、今日は拝殿もオープン!
お祭りがあるときの神社はイイですな~(*´ω`*)
血が通って生き生きしてる感じ。
そして、親切にもタイムテーブルが!
助かるー!明日も来るからすごく助かる!
小さな末社たちもみんな
新しい幣束をもらって気分一新だな。
勿論、古狛ちゃんも新品の幣束。
見ての通り結構降っているのだが、
雨天に関係なく決行なので出発!
今日は神社境内には行かず
神社裏の獅子舞練習場から町会長さん宅へ向かう。
ムシムシと暑い上に、ここ数日の雨。
草たちの生命力はMAX。
どこもかしこも鬱蒼としている。
そして、コレ↓が月田のささら の「ささら」である。
おそらく東北の人で獅子舞(鹿踊)が好きな人などは
「え!?ささらって人が手にもって音を鳴らす楽器じゃ…」
と思うかもしれない。
たしかに獅子(鹿)に関する民俗芸能では
「ササラスリ」等と呼ばれる人がそういう楽器をもっている。
しかし、
もともとの「箲(ささら)」が竹や枝を束ねた洗浄用具
ということを考えれば形状としてはこちらの方が
楽器のささらより原型に近いのかもしれない。
さて 明日が本祭りなので、今日は宵祭りなわけだが。
まず町会長宅で とゆうのは、昔
神様に奉納するより先に村の長に
「これから獅子舞やらせていただきます」
と挨拶代わりに舞ったのが今も残っているらしい。
真ん中の、角1本のがメス。
両脇の、角2本のがオスである。
バチ自体が比較的短いのに
こんなに真ん中を持つとゆうのは大変そうだ。
バチ自体の重さとか長さに頼れず手の筋肉すごく疲れそう。
先ほど、ささらに書いてあったとおもうが
この獅子舞は天下一日挟(てんかいちひばさみ)流という流派。
獅子舞の中には歌が残っておらず囃子のみのモノもあるので
歌が残っているのは結構 貴重なことなのかもしれない。
*2日目*
本祭りにあたる2日目。
この日は午前から祭りが始まる。
そして午後15時ごろ神社を出発した一行は
近戸神社の「外ノ宮」へむかう。
石造りの鳥居の向こうには長い橋が。
そこには粕川が流れ、
渡ったところに近戸神社・外ノ宮がある。
外ノ宮には御旅所があるが、
拝殿を備えた一般的な「神社」らしきものはない。
パッと見はこんな感じだ↑
正面に見えているのは「御旅所」と呼ばれるもの。
ココの場合は神輿の目的地にあたるが、
祭りによっては
神輿の巡幸の途中途中に設けられた休憩所を指す。
結構新しそうなモノで、
天井には龍が描かれている。
そしてその左手前にあるのがこちらの石社。
一番上に乗っている本体こそ
よくある摂社と変わり映えしない大きさだが…
しかしこの城のような石垣。立派(*'ω'*)!
この手前の少し広い部分に近戸神社の神輿を乗せるのである。
…なんて事前偵察をしているうちに、一行が到着!
提灯を持った重役っぽい人に先導され、
神輿が鳥居をくぐる!
神輿はいつ見てもキレイだなー。
瓔珞(ようらく)がジャラジャラ揺れてステキだー。
ベリーダンスのヒップスカーフについてるコインみたい。
(え、なんか違う(゚д゚)?)
続いて笛↓
この笠の飾りも何なのか気になるんだけどなー。
雨じゃなけりゃビニールはついていないんだろうか。
そして、ささら。
…おい、引っかかってるぞ。
大丈夫か?通れるのか?
もうね、草すごすぎて見えないけど
川が流れてるんだな。この下。
ちなみに、この橋は「ささら橋」と呼ばれている。
橋のゲタには「月田のささら」のレリーフが。
周りが草モリモリなので、結構正面に行かないと見えない。
さて、神輿が据え置かれて神事開始。
獅子舞も始まった。
しかし、獅子舞をゆっくり見ていると
もう一つの見どころ「御川降り(おかおり)神事」が
アッという間に終わってしまうので、
この藪の裏側に回り込む。
回り込むと言っても、すぐには回り込めない。
いったんこの広場を後にして、
先ほどの橋が架かった川の堤防を少し歩き
トウモロコシ畑を回ってその畑の奥に入ると
この藪の向こうに出ることができるのだ。
この藪の中にある
非常に狭い川で行う神事なので、
神職さんの背後から見るよりも正面からのほうが
邪魔にならずよく見えるに違いない。
…というプランだ。しかし…。
ちょっと出遅れたか⁉と思ったので
長靴ながらに猛ダッシュしたのだが…。
間に合ってない!もう終わった後!
本当に一瞬の神事なのだ。
なにせ、風呂桶一杯分ほどの酒粕を
この川に流すだけなのだから。
くっそ~。
しかも私が遠慮して、
「神聖な行事だし神職さんのお側には寄れまい」
と遠慮していたのにカメラマンに取り囲まれとる!
悔しいので、神事は終わっちゃったけど
現場の写真を撮ってみる。
一瞬「ん?農業用水路か?ドブか?」
と思うような細々とした流れである。
ココに酒粕流すのだ。
しょんぼりしながら、
喉の渇きに耐えかねて道端の自販機で水を買う管理人。
するとなんと…!
ピコピコという電子音とともに
液晶の数字がゾロ目になり
「30秒以内にもう一本選んでください!」
と自販機が催促するではないか!
こんなもの生まれてこのかた当たったことがないのに!
おかおり神事を見逃したノロマへの
赤城の神の慰めなのか?
なんだかわかんないけどいただきます!
さて、お気付きかもしれないが、
この酒粕を川に流す神事こそが
ココの地名と川の名称
すなわち「粕川」の由来なのである。
なぜ酒粕を流すのかについては、
「昔 この上流にある三夜沢赤城神社(親神)は
神事が無事終わったことを子神に知らせるため
下流へ酒粕を流した」
というのが形式的に残ったモノらしい。
以前、灼熱地獄の中
死ぬような思いで折り畳み自転車をこぎ
三夜沢赤城神社→二宮赤城神社
をハシゴした管理人だが。
おそらく三夜沢赤城神社が親神だとすれば
子神とは二宮赤城神社のことだろうと言われている。
三夜沢が奥宮(元宮)で
二宮が里宮と考えられているからだ。
さらに、この二社間は
年に二回神輿が巡幸するのだが。
それは二宮にいる娘神が
三夜沢の父神に衣替えの服を届けるため
とも言われている。
いずれにせよ、
その二社の間で神事の完遂を知らせるために
この川を使っていたらしいのだ。
その赤城神社の神事が近戸神社と関係あるのか?
というところだが、
その長い道のりの間で神輿の休憩所になったのが
この周辺の近戸神社だと言われている。
近戸神社はいくつもあるので、
どの近戸神社が休憩所になったかは分からないが…
今の地図で考えれば
2つの神社を結ぶ道から一番逸れていないのは
大胡神社だろうか。
※大胡神社の旧称は近戸神社である
ただし、村史などをみると
そこに「月田近戸神社」と地名が書かれているので
この村の近戸神社も間違いなく休憩所だったのだろう。
祀っている神様も赤城神社と同じだったりするし。
(オオナムチ&豊城入彦)
ここまでくると、なんで名前を分けたかの方が不思議だな。
そして依然として
長野の千鹿頭(ちかとう)神社との関係も判明しないし…。
まだまだ鍛錬が足りないなぁ。
さて、外ノ宮での獅子舞が終わると
一行はまた近戸神社まで戻ってくる。
あたりも暗くなり始め、提灯がキレイだ。
そしてここで!
注目の演目「雌獅子隠し」開演!
結構どの三頭立て獅子舞にもあるような気がするが、
「一頭のメスをめぐり、二頭のオスが競い合う」という
至極動物的な演目である。
その表現は流派によってさまざまだが、
月田の獅子は争い方が激しめだぜ!
この、いつもは人っ子一人いない境内に人があふれて
「おお~!」とかどよめいたり
その様子を見て笑ったりしているのが、
管理人はとっても好きだ。
なんとなく、こういうのを見るといつも思う。
人がやってる祭りは「天の岩戸」の再現なのではないか。
まぁアメノウズメは巫女の祖というのだから
その踊りが祭りのルーツなのは「当たり前」と言われれば
それまでなのだが…
今回は特に強くそれを感じた。
アメノウズメは、
胸を露わにし、着物の紐を股に垂らすという
ある意味「やりすぎだよお前」ラインに立ちながら
剽軽なダンスで神々を笑わせて楽しませ
岩戸の隙間からアマテラスがそれを覗く。
雄獅子がこれでもかというほど
組み合っては観客のほうになだれ込み、
まぁ映像にあるように私も結構激突されたが
負けてる方の獅子の滑稽なしぐさに笑い
今年も若人が思い切り舞っていることに歓声を送る
その人の輪を
今日限り開いている拝殿の扉から
赤城の神は覗いて顔をほころばせているだろうなぁ、と。
日本語が下手すぎて
この感動をうまく伝えられないのだが…
こういうときに管理人は
祭りこそ神と人とをつなぐもの
そしてその神とは
山や川や雨など自然そのものであると同時に
それに圧倒されながらも意思疎通を図ろうとする
昔の人の気持ちソノモノなのだと強く感じる。
さて、ちょっとマジメくさったところで
今回は終了。
今回散歩している間に
いろいろ石仏など見かけたので
ちょっと時間があったらその写真とかも
ちゃんと由来を調べて書きたいのだけど…。
なんか写真アップロードするだけ(´・ω・`)
とかになりそうな予感だなコレ。