とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

上野国七ノ宮・小祝神社。

高崎市石原町にある小祝神社に来てみた。
そこそこの難読神社だが、「おぼりじんじゃ」と読む。
寺が隣接しているせいか…
神社名が書いてある石碑はどことなく墓石チック。
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境内の面積は広くはないが、
実は 我らが群馬県の「七の宮」である。
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苗字や地名で「二宮」というのがよくあるが、
これもおそらくは昔むかし
土地の二の宮に関連深かったことが由来だろう。

ちなみに群馬の一の宮以下は

一ノ宮=貫前(ぬきさき)神社
二ノ宮=二宮赤城神社or三夜沢赤城神社
三ノ宮=三宮神社
四ノ宮=甲波宿禰(かわすくね)神社
五ノ宮=若伊香保神社
六ノ宮=榛名神
七ノ宮=今回来た小祝神社
八ノ宮=火雷神社
九ノ宮=倭文(しどり)神社

これは律令制ができたころにできた考え方らしく、
律令制の国ごとに社格が最も高いものから「一の宮」としたのだ。

結構人気の高い榛名神社がまさかの六番目
というところでも分かっていただけると思うが、
この順番は決して神様の位の高さで決まるわけでもなければ
神社の豪華さや大きさで決まるわけでもないらしい。

昔、国司さんは自分の任務地の神社を
順番に参拝しなければならないという決まりがあった。
なので、その参拝した順番なのではないか?
という説も出ている。

また「神位の高さがあまり関係ない」
というところとも少し関係しているが、
「全国でどれくらいの規模の神様か」というよりは
地元で強く信仰された神様が選ばれているようだ。
という話もある。

さて、拝殿を見てみると、
なかなかハデハデで可愛らしい感じの装飾である。
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瓦もかなり豪華な感じの模様が。
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そしてその下には霊亀に乗ったおじいさんが!
波の造りがめちゃくちゃ細かい!
そして表面だけじゃない彫り!
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さらに虹梁はじめ、
いろんなものが竜宮城的な感じで
ハデな可愛さである。
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どことなく竜宮城ってゆうか中国っぽいってゆうのは
この亀に乗ったおじいさんと言い
なんとなく仙道思想っぽい装飾なせいかなぁ。

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本殿裏↓はさらにスゴイぞ!
本殿を建て替えたのは享保の頃、ということなので
色はさすがに塗りなおしていると思うが
なるほど、当時こんな感じのデザインと造りしてたのか。
すごいなー。なんだこの彫刻!と一人で感心。

境内にあった案内によると拝殿と幣殿は後から作ったので
はじめは本殿だけが立っていたらしいということだった。

「山とかが信仰対象で建築物は拝殿のみ」
という諏訪大社形式と逆パターン!
なんというか、まぁ
普通の末社とかは全部この本殿のみパターンなわけだが。

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そして、
この神社が文化的に評価されているポイントの1つが
この本殿裏にはめ込まれた彫刻。
これは後付けでなく作った当初からはめ込まれているらしく、
こうした形式の装飾では小祝神社が県内最古なんだそうだ。

ところで、
この本殿裏の小さな鳥居↑って何なんだろうか。
祭神がスクナヒコナさんだから、
そのサイズに合わせて作ってある?

ということは、
神様って本殿裏から出入りしてるのか!?

まぁ、裏の神域内に神木が切られた跡↓みたいのあったし?
昔は本殿の裏に薬師堂があったらしいし?
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裏側が、実はなんか大事なスポットなんだろうか。
(ざっくり適当なこと言いすぎだな…)

さて、
この神社は建物こそ少々新しそうに見えるが、
敷地内で多数の縄文土器が出土したりしている。

他に 古い信仰である証拠と言っては何だが、
享保年間に本殿を作った際の記録では
「御神体は石」と明記されているらしい。
巨石かはわからないが、原始の石信仰!
ミシャグジ様!

なので、この形(神社)になる前から
この土地の人にとって
祭祀的に重要な地位を占める場だった!
と考えていいのかもしれない。

また古い文献では、小祝神社は
「おぼり」ではなく「おはふり」神社と書いてあるらしい。
昔読んだ本で
神官を表す「祝(ほうり、はふり)」という語は
「屠り(ほふり、はふり)」と同じ意味である。
古く神官とは生贄を屠ることを許された職だったのだ。
という文を読んだのを思い出した。

縄文時代から祭祀的な場だったのであれば、
そうした古い時代の生贄を伴うような祭祀や
その神官の名称が残っていても不自然ではない。
この神社も古くはそうした場だったんだろうか。

さて、妄想は止まらないが
巳待塔を発見したのでちょっとコレの話。
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巳待塔というのは、
庚申塔などと同じく特定の集団が「講」として
ある神様を信仰する中で作ったものだ。

巳待講の神様は蛇を神使とする弁財天さんで、
繭を襲うネズミを蛇が食べてくれることなどから
養蚕農家であるメンバーがほとんどのようだ。

やっぱり群馬は養蚕関係の信仰が盛りだくさんだなぁ。

(=゚ω゚)
今回は七ノ宮だったが、
八・九ノ宮もこないだ行ってきたので
近々何か書こう…。

大胡祇園の天王さん&暴れ獅子!

さて、昨日に続き上毛電鉄で数駅。
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ちなみに大胡方面へ行く電車は、
この時期おまつりラッシュなので祭り仕様。
天井からは提灯や水鉄砲、法被などが下がっていて
夏休みの高校生も相まってイイ感じに夏だ。
(もっと大きな写真で見ていただきたいが、
 顔が判別できない大きさで、とか気にするとね…)

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午前の天王さんの御渡りより早く着いたので、
ちょっと散策。
お、何だこの石碑は?
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…えっ!
すごい貫禄ある顔の馬頭観音
なんてゆうか、明王様みたいな憤怒相を想像してたけど
なんかおでこにシワあるし意外と年寄り!?
馬もすごく立体的!

こんなところで何気なく出会ったけど、
今までで一番インパクトある馬頭観音かも。

民俗学とかカミサマとかと別に
単純に馬が大好きなので二重にテンションが上がる。
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その横には…「ムンカスタスウヱル之碑」とある。
〇〇スウェルという名前の競馬馬は結構いるが、
この名前はヒットしない。
と思ってよく見ると、
上のほうに「國有種牡馬」と書いてあるではないか。

国有種牡馬というのはおそらく、
日露戦争後に馬の改良政策が持ち上がったころの話だ。
日本の軍馬がダメダメだったので、
国有の種牡馬と民間の牝馬を交配させる計画が練られた。
群馬はその際に全国で数個の「種馬所」が設置されたのだが、
もしやそれが大胡だったんだろうか。

この土地がムンカスタスウェルにとって
一体どんな場所だったのか分からないのだが。
とにかく、国有の種牡馬なんてきっと
そのころの話なんじゃないかと思う。


*天王さんの御渡り*
変な所で時間を食ってしまったが、
コチラが当日の神様ポイント。八坂神社だ。
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…え?

これ神社ッすか?って人もいるかもしれないが、
中にはちゃんと本殿もあって注連縄もあるし。
れっきとした神社なのだ。
超コンパクトな、近代神社である!

題名にもあるように祇園祭なので、
当然、京都でなくとも主役は牛頭天王だ。
つまり、あの御神輿に天王さんが乗ってるのだな。
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そしてこの顔を見ると誰もが
「あ、天狗だ」と思うだろうけども、
これが道端によくいる(?)サルタヒコだ。

そして神馬ちゃんが…寝とるやないかーい!
かわいすぎる!居眠り!
お兄さん、至近距離でガン見しすぎ!
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練り歩く際の御旅所的な感じだろうか、
ちゃんと太鼓とかも設置されている。
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さて、いよいよ神輿が八坂神社の神域から人間界へ!
注連縄をくぐるために、屋根の上の鳳凰が取ってある!
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神馬ちゃんも目を覚まし、先頭でスタート。
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な、なんと、全然車が規制されておらず
神馬をバンバン追い抜いてゆく!
不良っぽいバイクもブイブイ言いながら通っていったが、
神馬、動じず。大したもんだ。
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そして神輿に先立って青年会さんが
「御賽銭お願いしまーす!」と言いながら走り回る。
お賽銭を渡すと、御榊でパッパッと払うような動作をして
箱に持っている塩をくれる。
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そしてついに行列が進み始めた(*'▽')
御榊の後ろに鉾(だと思う)。
そしてその後ろに八坂神社の御神輿。
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本場京都の祇園祭では絢爛な山車のような山鉾が出るが、
おそらくはこの榊の後ろの鉾も同じ役割ではないかと思う。
子供が乗っていて非常にかわいいが、
将軍様みたいな帽子を腰に下げているので
偶然乗せてもらったのでなくそうゆう役目で乗っているんだろう。

さて、この鉾は
本場京都ではもともと鉾(武器)ではなく
尖った木(神様の依代)だったと言われている。

そう考えると、
祇園の山鉾にも大胡の鉾にも子供が乗っている
というのも、憑子・尸童(よりまし)が原型なんだろうか。

ともかく、木の枝だったころは
悪い神様をアンテナ的に集めた後は
木ごと煮るなり焼くなり処分してしまえばよかったが…
京都ほど豪華な山鉾を作ってしまえばそうは行くまい。

なのでせめて(効果があるか分からないが)
京都の祇園祭は山鉾を午前に曳き終えて早く仕舞うらしい。
大胡の祇園祭でも天王御渡は午前で
暴れ獅子が午後なのはそういうわけだろうか?
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鳳凰も無事付いて、立派である。
個人的に、なんだかあの神輿についている小さい鳥居が好き。
いつも住んでる本殿から、
分身みたいに小さな姿で出てきて
神輿に乗り込むカミサマを想像すると可愛すぎる。

そしてこちらが先ほどのサルタヒコだが、
道案内の神、道を拓く神だというのに
どういうわけかしばらくは鉾より神輿より後ろ。
という状態だった。どっかでフォーメーション変えるのか?
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というところで、ちょっと用事があっていったん家へ。
いやー。電車で十数分で祭り会場に着くってなんて楽なんだ!

*暴れ獅子*
さて、用事と昼寝を終えて再び大胡へ。
よいさ、よいさ、の掛け声とともに
超男らしい獅子が登場!
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獅子舞の獅子頭同様、
中は空洞になっている。
だがおそらく、耳は動かない。
(獅子舞の頭は耳がピコピコ動く仕組み)
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暴れ獅子の先頭には、
提灯を持った兄さんたちがいる。
この人たちが獅子が寄る家の前に立って
目印になるのだ。
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そして、午前と同じく
お賽銭をもらって塩を授与する兄さんも。
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しばし休憩。みんなでお茶飲んだり。
暑いから倒れないように気を付けないとね。

と、補給したところで再び出発!
そして町内の家々を…襲撃!
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疫病を追い払うために激しく暴れるというが、
まさに襲撃というのが一番シックリくる。

ただし、とにかく暴れまわっているというわけでなく
先導してる提灯の兄さんのひとりが
「オイ、ヒトんちぁ触んじゃねぇぞ!(゚д゚)ゴルァ」
と凄む。どうやら、民家に被害がないように
かなり気を付けて運営しているようだ。

そしてよく見ると、
門の近くに獅子を担いでいない兄さんたちが集まり
ドカンドカン押してくる獅子を押し返して
いわば緩衝材になっているようだ。

このように門戸を襲撃するほか、
広場などで獅子がすごい勢いで回転するのも
結構迫力がある。
大変なのは布の一番後ろを持っている兄さんである。
よく見ると回転する獅子頭のまわりを飛び回っている。
そして、この動画 よく見ていると
歩道周辺で飛んできた兄さんを避けて縁石につまずき
尻もちをついているおっちゃんが小さく映っている。


暴れ獅子(大胡駅前)


ちなみに、駅舎やテント、店には結構容赦ない。
大胡駅も襲撃を受け、後で見たら庇に獅子の塗料がついていた。

さて、獅子の塗料というところで
上の写真でも兄さんたちがみんな赤錆みたいな色で
一体どうしたことだろうと感じたかもしれないが。

この暴れ獅子はベンガラで彩色されて、
毎年どこか破損するので毎年作り直しているという。

ベンガラは古来から
人を埋葬するときにこれで化粧をして
あの世に生まれなおすように願ったと言われたり、
古墳の内壁の装飾に使われたりと重要な顔料だ。
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この祭りでも、
獅子頭をおいて青年会の兄さんたちが休んでいる間は
子供たちが集まってきて獅子頭をべたべた触り
手に着いた顔料を自分の顔に塗りたくっている↑
※一応、不自然だがお子さんたちの顔はぼやかしてみた。

そして、このJA広場での休憩の後は…
お約束の「警備本部襲撃」!
これこれ。これが見たくて待ってたのだよ!
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獅子頭が向かってくると同時に、
警察官たちが総員、長机を思い切り押さえる!
そして次の瞬間…
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ドカーン!
腕っぷし強そうな警官さんたちが押さえてるとあってか
ここが一番容赦ないぶつかり方な気がする( *´艸`)

写真ではイマイチ伝わらないので最後に動画を貼って
今回は終わり~。


暴れ獅子(JA広場前 警備本部襲撃)

けっこうな夕立が来た後だったので、
テント後方から撮っていた管理人に
屋根にたまっていた水が思い切り降ってきたよ(´・ω・`)

玉村町五料の水神祭!

群馬県玉村町五料にある飯玉神社。
ここで先週末7/24に「五料の水神祭」が行われた。

以前、長野県茅野市にある達屋酢蔵神社の記事
「今は日本神話の神が祀られているが、
 もとはミシャクジ様と五龍(五料)姫神が居た」
と書いた時から、この地名で水神祭というのは気になっていた。
結果的に言うと水神様が神社にいるわけではないので
具体的な名前はわからなかったのだけど…。
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グーグルマップでは、
周辺で「神社」と検索しただけでは出てこなかったので
かなり小さな村社なんだろうとタカをくくっていたのだが…
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こちら。
拝殿前には今日の主役「水神丸」が!
そして、拝殿、大きくてキレイだぞ!
(=゚ω゚)♪
ここ五料は、
こちらの地図を見ていただければ分かるが
利根川がちょうど二股に分かれた所にある土地。
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むかし、まだ利根川が水運の要所として栄えていた頃
五料は渡し舟の船頭たちが住む村だったらしい。
当時は五料宿といって小規模な宿場町ができるほど栄えたとか。
神社から出た舟が、最後川に向かう際に通る道には
関所まであるのだ!
(関所というのはそうポコポコあるものではない)

そして、その船頭たちの村で行われた祭りが
今でも水難除け・安全祈願として
藁舟を川に流す祭りとして続いているそうだ。

安曇野みたいに
「古来、この土地には
 九州から海人の一族が移住してきていた。
 その名残で今もこの土地には海がないのに
 舟が登場する祭事・神事が数多く存在するのだ…」

…みたいな古代ロマンでなくて悪かったな(´Д` )

冗談はさておき、水神丸に近づいてみる。
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人が乗るわけではないのだが舵?も付いていたり…↑
そして停泊するわけでもなしに錨↓も完備しているのだ!
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この船は祭りの1週間前に作るらしい。
そして1週間この神前に安置された後に
地域を練り歩くのである。

何とも素朴な
太鼓と子供を乗せたリヤカーに先導され…
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夕方4時ごろから「水神丸」は近所をぐるぐるとめぐり、
ひとしきり練り歩くと再び神社へ帰還。
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そしてここからが本番!
再び利根川の近くまで舟を曳いたところで、
土台になっていたリヤカーから舟を外して…
大人たちだけで担ぐ!
山車状態だった水神丸が神輿状態に!
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おっちゃんたちのシルエットがかっこいいぜー!

そして堤防を越えて川に近づき…
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さらに臆することなく蚊の温床に殴り込み!
草がね、もうバッサバサですよ!
手ブレも ひとしおですな↓
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そしてそのまま川へ!
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無事に進水式(?)を終えた水神丸でしたとさ。
堤防には「玉村にこんなに人がいたのか」という人だかり。
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梅雨も明けて子供も夏休みになったけれど
今年もあんまり水難事故が起きませんようにー。

さて、舟が川に流される前。
舟が地区内を練りあるき神社から人が出払ったスキに
建物のほうをゆっくり見てきた。
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横からきれいに光が入り、
拝殿内は明るい雰囲気である。
本殿は古そうだが、拝殿内は新築のよう。
とってもピカピカだった。
( ´ ▽ ` ).:*☆
堀口の飯玉神社からお招きしたということなので、
ウケモチさんがお住まいなんだろうか?

→後で調べたら、ウケモチさんのほか

境内の末社だった蠶玉神社

石神社(字保養森、地図では飯玉神社右下)の
ヤチマタヒメ・ヤチマタヒコ・クナド神

白山神社(旧沼之上村なのでやはりこの近所)の
ククリヒメ・イザナミ

大杉神社(新川岸。どれも近所の川沿いの神社)の
サルタヒコ

が引っ越してきてシェアハウスしているとのこと。
コダマ神社は、格上げされたということだろうか。

さて
ヤチマタ=道がいくつもに分かれた場所 で
つまりヤチマタヒメ・ヤチマタヒコは
道祖神・賽ノ神系のカミサマ。
御存じのとおりイザナギさんは
黄泉の国で醜い姿になった奥さんを見てしまい、
奥さん(イザナミ)はキレて追いかけてくるわけだが。
命からがら逃げきったイザナギさんが
黄泉の国の汚れを落とすために禊を行ったとき、
このヤチマタ2神が生まれたと言われている。

そしてまた、ククリヒメは
白山信仰という独自の信仰を持っているが
日本神話の中で言えば
キレたイザナミと逃げるイザナギの夫婦喧嘩を収め
結局別々に暮らすとはいえ
2人の仲を取り持った神とも言われている。
(なので縁結びの神様として有名だったり)

そしてサルタヒコは
ニニギが国を治めるために天下ったとき
交差点(=ヤチマタ)に立ちふさがり
「私が先導しよう」
と名乗り出た神様である。
これが道祖神とサルタヒコが同一視される所以。

ちなみにサルタヒコの奥さんはアメノウズメ
と言われているが、二人の馴れ初めはココである。
ニニギが従者であるアメノウズメに
「この先に立ち塞がっている者がいる。
  その者がどういう者だか訪ねなさい」
と指示したのである。
そしてなぜかアメノウズメは
「胸を露わにし腰紐をヘソの下まで下げて」
サルタヒコのもとに出向いたのである。
なんでやねん。痴女か。
勿論サルタヒコは相手の名前を確認するより前に
「あなたはなぜそのような格好をしているのですか」
と訊いたらしい。まっとうな疑問である。
しかし明確な答えはなく、
ともあれサルタヒコは道を拓き
ニニギを導いたのである。
(ということで道案内・道中安全の神となった)

 

さて こちらが、その本殿↓
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この、覆殿と言っていいのか
本殿を覆っている骨組みと、張りめぐらされた細かい金網。
ちょっと初めて見た形態だ。
本殿自体の大きさも立派。

なぜこの神社がグーグルマップで
かなりズームアップしないと表示されないのか謎。

神社裏には水神社などがあったが、
扁額のあるものは少なくて何の神様がいるのかはわからない。
そして、以前鳥居にかかっていたと思われる大きさの扁額。
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赤持宮大明神?赤梓宮か?
2文字目がよく見えない。
梓宮と言えば古来中国では
身分の高い人の住まいのことだったはずだけど…
なんか違いそうだな。要再確認。

駅から歩くと超遠い…というか、
19時まで祭→新町駅まで歩いたら
途中で日が暮れて周りは田んぼしかないし
むちゃくちゃ怖かったので、
できれば車の練習してからリベンジしたい。
まぁ暗かっただけで正味1時間くらいだったかな?

この日は祭りが始まるまで
上野の国 八ノ・九ノ宮である
火雷神社倭文神社に行ってきたので。
それもそのうち書こう…

今回はこれで終了~

「綿のおばば」に会いに行く。

さすが新宿2丁目!
ガチムチ系なDVDばかり取り扱っているお店やら、
ちょっと怪しげな雰囲気漂う通りがすぐ近くにある…。

まぁお寺自体は大通りの近くで
至極わかりやすい位置にあったので助かった。

*綿のおばば*
さて、小ぢんまりした敷地ではあるが
入ってすぐ右にあるのが「綿のおばば」さんのいる御堂。
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子育老婆尊、という
温和そうなお名前が付いているようだが…
そのご尊顔やいかに…!
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こ…こわいじゃないか! 泣く子も黙るわ!
目の虚ろさで怖さ倍増!
口のあたりが薄ら赤いのも怖いよ!
絶対人食べてる!
((((;゚Д゚)))))))
しかし、子育老婆尊というだけあって
子供の健康祈願 特に疫病・百日咳の平癒が御専門だとか。
そしてその御礼に母親たちが綿をそなえたので
「綿のおばば」と呼ばれているんですな。

現在のは実際に奉納されたものか分からないけれど
頭から肩にかけてかぶっている白いのが綿。

ちなみに、綿の量で言えば
世田谷にある宗円寺さんの奪衣婆のほうが上。
社からあふれ出んばかりの綿で、
雲間から出てきた大神のような奪衣婆が神々しい。
(顔は、まさに鬼神というキツイ顔である)


*針塚と百度箱*

女性が御参りに来る場合が多いせいか、
すぐ隣には針塚がある。

既にある目玉商品の需要層をターゲットに
さらに商品(?)を打ち出してくるとは…。
なんだか新商品の企画を見ているような気分だ。
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おそらくだが、
日本ほど供養塔(塚を含む)が多い国も珍しい。
人間はもとより食品となる家畜・魚介、
そして無機物である針や靴までもが供養の対象に!
そのうち供養塔・塚のことも書きたいところですな
(=゚ω゚)ノ
そして、こちら↓は「百度箱」。
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日本には古くから願掛けを成就させるために
同じ神様に100回お参りするという方法がある。
本当は日に一度×100日を一日も欠かさず行うのだが
案外せっかちな日本人は
鳥居と神前を100往復するという方法を編み出してしまった!

その際に回数が分からなくならないよう小石を並べたり
あるいは算盤のように棒に通した珠が設置されていることがある。
これが「百度箱」や「百度石」と呼ばれるもので、
箱の場合はその中に枝や小石を入れて数える目的で設置される。

神様にしてみれば
「横着せんで毎日来いや(´Д` )!」
という感じではあるだろうが…。

*奪衣婆とは何なのか*

さて、
そもそも奪衣婆って誰だ?

というところかもしれないが、
奪衣婆は地獄の入り口にいるおばあさんだ。
そもそも地獄はどこからが入り口だかわからないが、
三途の川を渡ったあたりに居るとゆうウワサだ。
(ということは地獄というより死後の国の入り口か)
読んで字のごとく死人から衣類を剥ぎ取るおばあさんだが、
変態だとかそういうことではない。いやがらせでもない。

その脇に懸衣翁というおじいさんがいて、
彼女は彼とバディを組んで働いているのだ。
奪衣婆が剥ぎ取った衣服を懸衣翁が枝に引っ掛けて
生前の罪の重さをはかるという。

…じゃあ閻魔大王の玻璃の鏡いらないじゃん!

というところだが、
まあスクリーニングというかスキミングというか。
警察官と裁判官みたいなもんなのかな(違うかも)。
わるい!いい!って大体分けるのが高齢コンビで、
検挙されてきた死人の詳細をみて送る地獄を決めるのが大王?

というところである。

「勿論バディを組んでいる二人が夫婦だ」
という意見も多いわけだが、
実は奪衣婆は閻魔大王の奥さんという声もある。
閻魔夫妻のルーツについては

金剛寺の摩多利神さま - とまのす

の中でも書いたが、
奪衣婆が閻魔大王の奥さんだとすれば
そのルーツはヤマ(閻魔のルーツ)の妻であり
疫病を背負う神・チャームンダーである可能性が高い。

チャームンダーは「遮文荼天」という尊格として
奪衣婆と別に仏教に取り込まれてはいるが。
「痩せて病をまとった恐ろしい老婆」という
チャームンダーの姿に忠実なのは奪衣婆のほうだろう。

*なぜ咳に効くのか*

残念ながら、管理人の力ではそこまで調べがつかなかった。
ただ、これはこの寺に限定された御利益ではなく、
そして東京限定でもないらしい。
というのも、むかし長崎へ行ったときに見たのである。
そこでは「コンコンばあさん」と呼ばれていたが、
閻魔大王像の隣にいたし姿も垂れ乳のおばあさんだったし。
まちがいなく奪衣婆だろう。

そして、遮文荼天と
その原型・金剛亥母(ヴァジュラヴァラーヒ)は
猪の頭を持ち、その鳴き声で疫病を蹴散らす女神。

なぜ咳が得意分野になったかはわからないが、
もともと疫病バスターな女神さまなのだ。

*おまけ*
よく奪衣婆像に関しては
「これが日本で一番怖い顔の奪衣婆!」
みたいのがいくつもある。
鬼的な意味ではなくホラー的な意味では
今回の奪衣婆もなかなかでは?と思うのだが。

まぁ逆に言えば
「これが日本一ユルい奪衣婆だろ」
みたいのもあるわけで。

とりあえず今まで管理人が見た中で
一、二、を争うユルさなのは…
我らが群馬県 みどり市にある草木八沢の奪衣婆坐像か
長野県小諸市にある布引観音の奪衣婆坐像だな…
♪( ´θ`)ノ
見てのお楽しみという感じだが、
気になる方は画像検索でカンニングどうぞ(笑)

王子稲荷の巣穴跡。

上野から乗り換えなしで何駅か、
JR王子駅が最寄り駅となる。

駅からも10分そこそこなのだが、
何せこの日は暑く しかも上野を散策した後。
だんだんとフラフラしてきたので
ワキに冷え冷えのペットボトルをはさみつつ
コンビニに退避(´Д` )

一番下の棚の白玉粉と片栗粉を両手に、
悩んでるふりをしてしゃがんで休んでいた。
しかし一向に良くならない!
なぜだ。

試験的に、バッグの中の秩父飴をパクッと行くと
あら不思議。とたんに体調が回復するではありませんか。
なんと、秩父・オオカミの御加護か⁉
ありがたや…じゃなくて単なる低血糖ですな。

お稲荷さんに砂肝そなえてる場合か。
自分もちゃんと食べろってことですねー。

さて、すっかり良くなったので出発してほどなく
立派な鳥居が見えてきた。
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階段を登り切ると、
比較的新入り風ながらもイケメンなキツネが!
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その後ろに控える狛犬は、
土台が透かし彫りでなんだかオシャレ。
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そしてこちらが拝殿。
思っていた以上に豪華だぞ!
周りが板橋みたいなごっちゃりした住宅地だから
なんか小さい神社かもと思っていた…。
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四色の紐の先には、
それぞれ大小の鈴が。
真ん中の大きい鈴には紐がない。
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「ほかに御参拝中の方がいない時は
 どうぞ中まで上がって天井絵をご覧ください」
という旨の張り紙に甘えて上がらせてもらう。
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そしてこの天井絵である。
パッと見、鮮やかなので「なんだ新しいのかな」と
ちょっと気落ちしかけたが …
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グラデーションなども使われつつの
細やかな表情をした雉タイプ(←頭が)の鳳凰。
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さて何人か参拝者はいたものの、
みんなこの豪華な拝殿にお参りして帰ってしまう。
こっちが管理人的にはメインなんだがなぁ。
とおもいつつ、拝殿の横を通ってさらに奥の鳥居へ。
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入口のより古参っぽい狐↓が神域を守っている。
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そしてその先にお堂があり、
その扁額には「本宮」の文字が。
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「本宮」ということは、
先ほど入った大きな建物でなくコチラの方が、
もともと信仰の中心だったということになるわけだが。
権力者に、あのイイ建物を建ててもらう前は
コチラにお住まいだったんだろうか…。
しかし、さっきの稲荷社が「里宮」的な所で
コチラが「奥宮」というには少し近すぎる。
稲荷社に対する本宮なのだったら、
こんなに近いのに別々の建てる意味は何だったのか…
そして、2つの社殿が違う方角を向いているのも気になる。
しかし情報が少なすぎてわからない。

江戸時代にはすでにさっきの稲荷社は大人気で、
浮世絵などにも描かれているそうだ。

ここ王子稲荷は古くは荒川がこの付近を流れ
その岸に建っていたため岸稲荷と呼ばれていたという。
(今もこの辺りは岸町という)
寛政の改革までは、
「東日本一帯の狐が大晦日になると
 装束を正し提灯を持って王子稲荷社に集う」
と言われ、東日本のお稲荷さんの総元締とされた。
(改革時に「関東一帯」に修正されてしまったのである)

東の王子・西の伏見ということか?
だったら伏見系とは別物なのか?
でも関東の稲荷社だって伏見から勧請してるの多いし…
東ブロック本部!みたいな感じなのか。

まぁさておき、
民話によると、この地域の村人たちは
先述の「大晦日の狐火行列」の規模によって
翌年の豊作を占ったというが…

この行列を隠れて覗いた村人によると
「狐たちは方々から集い行列をなして社に向かった。
 装束松(現在は装束榎)の下を通った狐から裃姿になり、
 すべての狐が裃になったところで白狐が現れ皆を先導し
 王子稲荷の森へ入っていった」
らしい。その時に狐たちは口々に
「自分たちが聞き届けた願いをここにお届けしよう」
という内容のことを話していたという。

そして大層な行列の翌年は豊作となるので、
この行列を守って、多くの狐に行列してもらえるよう
王子稲荷の上(奥?)の山に白狐を祀った社を建てた。


残念ながら白狐社は現存しないという話で、
どうやら上のほうの草ボーボーの土地に
石鳥居だけが遺されているとHPには書いてあった。

ともかく、この本宮のさらに奥が目的地。
先ほどと同じように御宮の向かって右の鳥居へ。
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こちら↓は「願い石」もしくは「お石様」。
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この狐はとても大事にされている風だ。
古いのか、壊れやすい材質なんだろうか?
そして、上の写真では見えづらいが
コレ↓がお石様。
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よくあるやつだが、
願い事を念じながら持ち上げて
思ったよりも軽ければ「すぐ叶う」
思ったより重ければ「努力が必要」
と書いてあった。

あまり観光地だとこういうのやるタイプではないが、
やってみたところ重くて持ち上がらず!

ひぇええ嗚呼、しかし…
思ったより重ければ「叶わない」
と言わないところが優しいではないか…(泣)

こんなことなら花園稲荷で
柑橘類を供えてお願いしておけばよかったか…
と、思ったりもしたが仕方あるまい。

石の奥には無数の白狐がいて、
願いを見透かして審議されてる雰囲気満々である。
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…まさか、この石はお稲荷様の商売道具か⁉
「叶わなそうなのか?力を貸してやろうか」という
呼び込みのためにこんなモノが⁉
(※考えすぎです)

さて、蚊に集られながらさらに奥へ。
そして階段を上ると今日の目的地!
「狐の巣穴跡」。
この右の穴↓がそうらしいのだが…
まぁ本当に「この穴」が巣穴だったかは別としても、
農村だったわけだし昔は鎮守の森が厚くて
本当に狐も住める場所だったんだろうなぁ。
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ここの狐さんは
御揚げでなく厚揚げ派らしい。
開けてあるヤツは誰かに食べられている。
カラスか?タヌキか?

ここの巣穴から見ると、こんな感じ↓
左がお石様。右が本宮の後ろ側。
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キレイな社殿も見られて、
民間信仰っぽいのも見られて、
結構充実の境内だった

さて、立派な稲荷社の前を通り過ぎると、
もう一つの出入り口が。
すごく急な坂に建っているので、
幼稚園側から入るとすごい階段だが
コチラは数段の階段のみ。

コチラにいるのは、なかなか古そうな狐さんだ。
土台は火炎宝珠の模様。
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そして相方の土台は鍵↓。
コチラも形はきれいだが年季が…
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…目、タレすぎじゃない?
きつねだよね?つるべじゃないよね?
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入り口の藪の中には、
さらに重みのある狐さんも。
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ついでに(と言っては失礼だが)
王子神社にも行ってこようと思ったが、
もう暑さが限界である。顔が塩吹くわ。
今んとこ髪の毛に困ったりもしてないし!
もう群馬に帰ろう(つД`)

というわけで、今回はここまでー。

王子神社は蝉丸と逆髪姫が祀られているため
 カツラの神社といわれている。
 そこから転じて薄毛に御利益が…
 とも言われているのである。

花園稲荷と「御穴様」

今回はなかなか重鎮感のあるお稲荷様を訪問!
ということで人間の肝は用意できないが、
色々悩んだ挙句に「肝」の字がつく砂肝を買った。
…よく考えたら肝とは言うが「砂嚢」というやつで、
全然心臓でも肝臓でもないんだよな。
色々考えたつもりだが、キツネ怒るかなぁ。

後で某漫画を読んだら、
肝は酸っぱい味がするということで
古来から柑橘類で代用してきたという情報が!
Σ(´Д` ||)
すまん。砂肝、全然酸っぱくないな!
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全然霊とかカミサマとか見えないし、
人の考えや風習を見たくて神社を回っているのだが。
気になるときは気になるのである。

普段全然神様を信じていない人が、
処理しがたい問題に当たった時だけ
「これは何の天罰か」
「何をしたらカミサマは助けてくれるんだ」
と考えてしまうのと似た感じかな。


威圧感の強い神社に行ってビビったときだけ、
ちゃんと二礼二拍手するとか。
そんな感じで今回も、
願掛けとかするつもりはないけど
御供物用意して行こう、と。

*花園稲荷*
さて、今回訪れた花園稲荷は、
みんな大好き(?)上野公園の敷地内。
管理人にしては珍しく観光地っぽいスポットだが…
しかし上野公園は広くて出入り口も多く
各々目指す美術館や博物館へ一直線に行ってしまうためか、
案外「花園稲荷」に参拝している日本人は少なかった。
ここは外国か、と思うほど参拝者は外国出身者ばかり。
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人面っぽい狛犬とか、パグ系とか獅子系とか
いろんな顔のがいるけどココのはなんてゆうか…
ワニとか龍に近いものを感じる
奥行きがなさすぎるのか?口が張り出しているからか?
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参道のあちこち
道の真ん中はもちろん鳥居の外(土の部分)にまで、
海の向こうからやってきた自撮り棒マスターたちが
様々な角度で立ちはだかっている!
誰も写っていない写真を撮るのに一苦労だった…
(;´Д`A
さて、この花園稲荷という神社。
ラグビー選手が参拝しに来そうな名前だが、
モトの名前は「忍岡稲荷」さん。


その昔、廃墟のようになっていた社を
天海のお弟子さんが再興させたらしいのだが…
ココは戊辰戦争でも激戦の舞台となったので、
おそらくまたボロボロになったものと思われる。

その後、かつてこの地にあった寛永寺
この稲荷社周辺を花畑として整備していたため
明治になって「花園稲荷」と改称されたそうだ。
(今は花は全くないのだが…)
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参道の真ん中をふさぐ人々を見て、
「まったくもう、真ん中は神様の通り道なのに!」
と思ってからふと疑問が…

神様って、そんな年中ウロウロしてるのか?
どこに出かけてるんだ?

いや、きっと何かの時に神様が通るから…
普段も通るなよってことかね。

イイ感じに苔が生えた手水鉢↓
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一瞬ただの石かと思ったが、
よく見ると4人のおっさん(?)が支えていた。
神社だが、護法善神なんだろうか。
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これ↑険しい顔と対照的に葉っぱが生えていて
トロールみたいな感じで可愛い。推しメンだな(笑)
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小さめだが奥行きがありそうな拝殿。
縁結びにかなりの御利益があると聞くが、
砂肝しか持っていないので挨拶だけして退散。
しかも
「旧跡(穴稲荷)のほうに砂肝供えますんで
 なんとゆうか気が向いたらお召し上がりください…」
と腰が引けた挨拶である。

五條天神社は後で勧請されたという話で、
昔はこの稲荷社だけで
現在の花園稲荷+五條天神の面積の
およそ2倍あったというから驚きである。

しかも周りは花畑…どんな風景だったのだろう。
昔の日本で花畑と言えば、
いったいどんな花を植えていたんだろうか。


*穴稲荷さん*
そしてついに本丸(?)お穴様へ。
花園稲荷から五條天満宮に行く途中の、
梅紋の入った倉庫(なのか?)の隙間に入り口がある。
小さいが気の強そうな狐が神域を守っている。
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なんと、扉が設置されている!
開けて入っていいよ、と書いていなければ、
入ろうと思えない感じである。

これだけ外国の人がいる場所で
日本語でしか案内を書いていないあたり
観光地じゃありませんよという意思を感じる…。
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撮影は禁止とのことなので、写真はナシ。
風景とか描くの下手くそなのでわかりづらいかもしれないが、
中はこんな感じになっていた↓
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入って正面の祠は、天海が寛永寺を建てる際に
忍ケ丘の狐が住処を失うのを憐れんで建てたそうだ。
つまり花園稲荷を展開の弟子が復興させたのと
同じくらいのタイミングで建てられたということだろうか。
そして右にある菱型で囲まれた丸い窓のようなものは…
暗くて、しかも私の身長では覗いて見ることもできないのだ。
(管理人=149cm)

ただ、入り口付近の穴稲荷の説明を読むと

・左の社は天海が新たに建てたもの
・穴稲荷は花園稲荷(忍岡稲荷)の旧跡

という書き方なので、
この暗い穴が穴稲荷様ということになるのだろう。

上の絵で、その穴の上には宝珠があって
注連縄が掛けてあるのだが…
そこに、戸袋のような細い窓があるのだ。

細い上に格子がついていてよく見えないのだが、
その向こうには社のようなものが見える。
土台の部分しか見えず、
窓の下半分は草や枯葉が見える。

あんなに高いところにある窓なのに、
ここの天井くらいの高さまでは地中ということだ。
そして、あそこに社の足元だけ見えるということは
この暗い穴は社の真下の地下空間ということになる。

なんだろう。
狐が住んでいたであろう岩穴に神域を作って
その岩の上に祠を建てていたのを、
時代が過ぎてから
この穴稲荷の壁と覗き窓(?)を作って
保護した結果こういう配置になったのか?

しかし、窓を作ってあるということは
覗いても無礼はないということなのだと思うが。
(覗くというか、見て参拝するというべきか)
もう少し身長があればなぁ…

雰囲気はあるというものの、
怖い圧力じゃないから居心地はよかったし
怖くて見る気が起きなかったってゆう雰囲気ではないんだが。

せめて地上の祠を見ようと思ったが、
おそらくここだろうという位置
(公園内の歩道から普通に見える位置)
にはトタンやらが張ってあって中が見えない。
隙間からは、かなり積もった落ち葉が見えるだけ。

うーん。
地下は窓があって見えるようになっているのに
地上の祠は見えちゃいけないってか。
なんでだ。不思議だな。
あの細い窓からも、祠は土台しか見えないし。

有名な縁結びのパワースポットだけに
名前を調べればヒット数は多いものの…
歴史とか、考察的なのは少ないし情報不足。

今回は砂肝を置いて、無難に帰ろう。
お口に合うかわかりませんがお納めください。
((((;゚Д゚)))))))
観光地として整備された地域の神社は
隠すべきトコはビッチリ隠されちゃって
隙がありませんなぁ。
でも隠しすぎず何かある感が出てるところが
穴稲荷様の人気の秘密かな。
全部覆うこともできたはずなのに、窓付けたり。

余談だが、
仏教系のダーキニーも女神様だが、
神道系でもウカノミタマ(おじいちゃん)でなく
トヨウケビメ(おねえさん)を祀っている神社がある。

そうしたこともあってか
また「良い願いでなくとも叶えてくれる」
という謳い文句からか、
お稲荷様は女性さらに言えば遊女の信仰を集めた。

特に「穴稲荷」は その名称からだとおもうのだが
遊郭などで働く女性は
性病除けのお稲荷様として信仰していたそうである。

さて、当日は暑い日だったけれど
このまま電車で数分の王子稲荷へ出発ですねー
(=゚ω゚)ノ

意外と気になる達屋酢蔵神社。

*達屋酢蔵神社に出会う*
下社御柱里曳を見に下諏訪に行った先月、
守矢資料館に行くため茅野にも降りた。
駅から資料館方面に歩き出して数分、神社を発見。f:id:ko9rino4ppo:20160618213737j:image
拝殿のほうへ行き、扁額を見てみると…
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「達屋酢蔵」で1つ、ではなく
「達屋」と「酢蔵」は並列の関係のようだ。

境内には、今までこの神社の御柱だったらしき丸太↓
やっぱりどの神社も建てるんだな。
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*酢蔵とオモイカネ*
境内にあったステンレスの説明版を読むと、
酢蔵神社は「酒蔵」の字を当てることもあるらしいが。
原義は「簀蔵」。簀の子(すのこ)の「簀」だ。
つまり食糧貯蔵用の校倉造りの倉庫のコト、だそうだ。
倉庫であるからして、たいていは寺社や館屋に付属する。
とも書かれていた。

こちらの祭神「八意思兼(ヤイオモイカネ)」は
知恵や知識・思考の神様といわれ受験生に人気の神様。
受験生の見方は天満宮だけではないのだ!

その明晰な頭脳で、天の岩戸御隠れ事件でも
「どうやってアマテラスを外に出すか」
の案を出し見事成功させた神様だったりする。
そんな彼はそのほかにもいろいろな仕事をしたわけだが、
結局信州に降り立って「信之阿智祝」の祖先となった。

信之阿智祝は、阿智村を治めた豪族らしい。
祝(ほうり)というからには諏訪大社の大祝などと同じく
宗教的権力と政治的権力の双方を掌握していたのだろう。
(昔は大体そうだった、といえばそうだが)

阿智といえば昼神温泉と阿智神社。
この阿智神社の祭神もオモイカネさん。
あとは、戸隠神社にもオモイカネさんがいらっしゃる。
(戸隠には天の岩戸事件の立役者たちが沢山いるが、
 当のアマテラスだけは見当たらないところが気になる)

 

*「達屋」と明治政府がつれてきた神様*
一方の達屋は「館屋」が原義で、客人をおく建物のコトらしい。
ほかにも立屋、建屋という字を当てたことから
「建築に関係ある神社だろう」という
明治政府の短絡的な考えのもとに
手置帆負(タオキホヒ)・彦狭知(ヒコサチ)が祭神となった。

この二神は、何をした神様かというと
アマテラスが岩戸の隠れてしまったときに
木を伐りミスノミアラカ(瑞殿)という御殿を作った。
後はご存知の通りアメノコヤネらが祈り
アメノウズメがセクシーな原初神楽で神々を笑わせ
無事に出てきたアマテラスはこの御殿に入ったのである。
だから、建築の神様。

さて、神社を見てみると
ほかの神社と同じく風通しがよさそうな
前面総格子の拝殿↓。
もっと蔵っぽかったりしないのが少し残念。
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さて、話を戻し…タオキホヒ&ヒコサチについて
「明治政府の短絡的な考えのもと」
とわざわざケンカ売ってる書き方をしたのは、
この説明板が明確に
「現在の祭神は明治以降のものである」
と書いてくれているからだ。
さらにありがたいことには、
それ以前の祭神についてもしっかり書いてくれている!
2つの神社の名前と新入り祭神さんについて話したので、
つぎはモトの神様について。

*天白神と五龍女神*
説明板を読むと、まず達屋神社の古参祭神さんは
「天白神(ミシャグジ)」と書かれている。
ミシャグジ様には天白さんとゆう名前もあったの?
さらに読んでみると
「諏訪二十八天白の総社・天白七五三(しめ)社の聖地」
と書かれている。
どうゆう流れでミシャグジ様は「天白」という名前に?
ということについては一切かかれていない。
自分で調べよということか…。

そして、次の行に「神長守矢書曰」として
「楯屋神社は天白楯・天白太刀を併せ祭っている由」
という内容が書かれている。
そして、御神体は霊石であり今もあるのだとも書いてある。
御神体は、ミシャグジ様だからやはり石なんだな。
ということはその太刀と楯は「神器」という扱いか?

そして、もうひとりの古参祭神は五龍女神。
説明板には「達屋二社 五龍三尊 二体あり」とかかれている。
(語呂がイイが別に俳句ではない)
この神様は奈良時代から陰陽寮(つまりは朝廷)に重用され、
江戸時代までその影響が残ったそうだ。
そのため神社としての勢力はなかなか強大で、
南北栗林郷の産土神として長く栄えたそうだ。

この栗林郷というのは、
ここら辺の古い地名なわけだが。
言い回しからすると
「力が強大だから招いて祀った」のではなく、
この土地にモトモトいた神様が朝廷にも重用されたので
長いこと地元でも勢力を持った神様になったということだろうか。

五龍という言葉は色々なところでよく出てくるので、
この五龍はどこからとった五龍なのかよくわからない。

長野で五龍といえば白馬五竜!
と、スキーが好きな人なら思うかもしれない。
しかし、この山に「五竜(御菱)」と名がついたのは
江戸時代か、早くとも武田信玄が現れてからである。

また、島根にも五龍山という山があり
五色の龍がいる「新宮神社」というのがある。
祭神はウケモチ・ウカノミタマ・オオヤマツミなので
あんまり龍神・姫神な雰囲気はないが…。

陰陽寮に重用されたということだから、
五行説が入ってきてからと考えれば単に五行の「五」か。
それともそれ以前から「五竜」という名前だったから
五行説に乗っかってもてはやされたのか謎。
それか、5つの川とかを神格化したかもしれないし。

まぁ、龍そして女(ひめ)という字がつくのだから
十中八九、水神系神様なのだろうとなんとなく思った。
なんといっても境内の水がキレイだったしなぁ。
鯉が、空中に浮いてるようだよ。
大袈裟にいうわけじゃなく、すごい透明度。
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ここの水はキラキラした気持ちいいパワーありそう。


*横内不動尊さんたち*
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そして、その神社に隣り合って建っているコチラ。
下がっているのは鰐口ではなく鈴だし、
またこの風通しのよさそうな覆殿に末社でも入ってるのかな?
と覗いてみると…

…((;゚Д゚)!?

予想外に大迫力の不動明王様が!
そして俱利伽羅龍と両脇侍の童子まで揃っている!
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説明板を読んでみると、
この土地(横内村)には古くから護摩講があり
信者たちは行屋にこもって修行を行ったそうだ。
そして高島城主・忠誠が病気になった際に
この土地の講を招いて護摩を焚いてもらったところ
たちまち平癒したのを喜び 太刀を二振与えたと書かれている。
これを神社の宝物として奉納したと書いてあるので、
さっきの太白太刀とはコレなのかもしれない。

参道には将軍地蔵尊↓が居たり
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魔王第六天↓が居たりと盛りだくさん…。
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将軍地蔵尊愛宕修験の神様・愛宕大権現の本地仏
つまり愛宕権現が「人を救うために現れた姿」で、
その本当のお姿は将軍地蔵尊ですよー。という本地垂迹説。

一方の魔王第六天は他化自在天さんの別名。
「他化」とは他人の得た教化を奪って自分のものにするコト。
たびたび修行を妨害する悪魔として登場する一方で、
仏法を守護する天部として修験道では大事にされている。

どちらも修験道カラーの強いカミサマ。

*おまけ*
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これが、達屋酢蔵神社の拝殿内。
かなりスッキリしていて、
「本来拝殿とはこうあるものかもしれない」
と思ったり。

ところであの奥の扉の透かし彫りは「梶」。
諏訪大社の神紋と同じではないか!
と調べてみると、ここはモトモト大社の摂社とのこと。
「達屋社」「酢蔵社」という2つの摂社が合体して
この土地に独立(?)したらしい。
ほかにも周辺にそういった神社がいくつかある。

ちなみになんと、
摂社の中でこの神社だけは
大社の御柱と同じ「八ヶ岳御小屋山」から
御柱御用材切り出すことを許されているそうだ!

そしてこちら。
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実は、1回目にここに来たときは
「何この島津藩マーク…」と思っただけで
写真も撮らずにスルーしてしまったのだが。

そのあと神長官守矢資料館に行って
祈祷殿(だったか?)の屋根に入っている
守矢家の家紋を見た時の衝撃たるや。
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コレじゃん!
なんでさっき写真撮らなかったの!
知らないって恐ろしい!
(「左十字」と守矢氏の雑考はこちら

そして上社宝殿遷座祭に行った先日。
無事、再訪して写真撮影しましたとさ。
赤い字はボンヤリしていてうまく読めないのだけれど、
「〇矢 年戌〇」(〇は読めなかった字)と書いてある。
サンズイは見えないけれど一文字目は
文字の下の線からして「守」じゃなく「洩」っぽい。

守矢氏の家紋は左十字、洩矢神社の神紋は柏…
とゆう謎の食い違いに「?」となっている管理人だが、
もしこの字が「洩」なら洩矢も左十字と関係あることになる。

でも中のものを覗くわけにもいかないし、
何の神様の祠かわからずじまいだった…。

かなり摂社の中でも特別な位置にありそうな…
気がする、達屋酢蔵神社でした。