とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

みちのくシシの、集う春。

さて、3・11を目前に控えた3/10。
今年は浅草へ行ってきた(/・ω・)/!
祭用品などの販売をしている宮本卯之助商店さんにて
「岩手シシトーク&装束展」「芸能のミカタ写真展」
が行われていたからだ。
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この日はなんと、岩手県内の9地域から
浅草の地にシシ頭が集結!
神様や精霊の権化ともされるシシが11頭(?)も!
(夫婦で来たシシとか新旧来たシシ居るので9団体だけど11頭)
鹿とか獅子とか踊とか躍とかいろんな表記があるので、
今回は一応特定の団体でない時はカタカナ表記ということで。
シシオドリは超ザックリ2つに分けると、
シシ役がカシラから垂らした幕を振って躍る「幕踊系」と
シシ役が太鼓を付けて踊る「太鼓踊系」がある。
もちろん細かく言えば、
「え、コレは長い幕の中に太鼓があるみたいですけど」
とかいろいろあるけど本題にたどり着かなくなるからね!
話を進めていきますよー。

目次

参加団体さん

今回の団体さんの比率は 太鼓踊4:幕踊5。
登壇してくださったのは南から

①根反鹿踊り(ねそり-ししおどり)
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岩手県 一戸町 根反)
加賀国・八幡太朗義家が苦戦を強いられた際
鹿の角に松明をくくり敵陣に突っ込むという戦法で勝利。
その宴の席で鹿を称え武者を労うために踊ったものを
山伏が根反に伝えたといわれる。
そのためか、角は非常に特徴的なデザイン。
口の周りがモシャモシャで野性味ある。
毎年8月(最終 金土日)一戸まつりにて奉納している。

②澤目獅子踊り(さわめ-ししおどり)
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起源には謎も多い澤目獅子踊り。
親獅子(雄のリーダー的なヤツ)と女獅子のカシラは
「決して離してはならない」
とのことで今回も夫婦仲睦まじく上京(右の見切れているのが雌)!
角の間を彩る図柄には
龍・鯱・唐獅子・狐・虎・鹿などがあるとのこと。

③夏屋鹿踊(なつや-しかおどり)
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宮古市 夏屋)
大和国・春日の清原形部之助という人が
夏屋に巻物を持ち込んで教えたと伝わる踊り。
上が新しいカシラなのだが、この古いカシラがスゴイ。
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リアル鹿っぽいカシラといえば田野畑とかもそうだが、
なんてゆうかこれは素朴感が無い。
(ディスっているのではない。仕上がってる感があると言いたい)
1つのカシラは一木から彫り出されたもので、
6つのカシラは全て違う顔だといい、
一説に「喜怒哀楽を表している」のだそうだ。

④春日流八幡鹿踊(かすがりゅう-はちまん-ししおどり)
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(花巻町 石鳥谷町 八幡)
管理人は先月京都に行ったが、
その時の記事で書いた空也上が鹿を悼むエピソード。
アレを由来として語り継ぐ団体の1つ。
その空也の踊りを武蔵野国豊田村の人が
シシの芸能として確立させて伝えたとも言われている。
八幡神社例祭のほか、石鳥谷まつり、花巻まつりetcに出演。

⑤橋野鹿踊り(はしの-ししおどり)
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釜石市 橋野町)
附馬牛の東禅寺しし踊りから習い橋野に伝わったとのこと。
幕踊り系シシの特徴ともいえる大きなタテモノ(角の間の飾り)には
色んなエピソードがあるようで面白い…。
モテたい一心でタテモノどんどん目立つようになったとかね(笑)
「ドロの木」を削った「カンナガラ」をタテガミにし、
バッサバッサ踊る。そして当然ちぎれてたくさん落ちる。
それを拾うといいことがあるらしい。
今年7月には瀧澤神社例大祭にて奉納予定。
集落総出の奉納となるため見てくれる方募集中!
(/・ω・)/だそうです!

⑥臼澤鹿子踊(うすざわ-ししおどり)
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大槌町 小槌)
コチラの踊りは、房州から伝わったとされている。
房州とは千葉のあたりのコト。
昔、大槌の人が鹿島神宮へ行った際に
房州の船乗りの間に伝わる「房州おどり」に出会い
それを習って地元に持ち帰ったのだそうだ。
大槌まつり(9月第3土日。雨天決行)では
虎舞などとともに2Kmにも及ぶ行列を作るらしい!
明るい色調の幕が目を引く。

⑦金津流石関獅子躍(かなつりゅう-いしぜき-ししおどり)
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奥州市 江刺区 稲瀬)
去年の夏に見た金津流野手崎獅子躍さん同様、
頭の後ろには「金津次橋」と書かれたプレート(?)。
そこからも分かるように宮城県からやってきた踊り。
宮城 松森村・浦田源十郎→江刺郡 石関村・小原吉郎治
と伝授され、その後も仙台藩士の犬飼さんや
本場 次橋村・遠山休左衛門さんからも習った
と言った話が伝わっている。

⑧奥山行山流地ノ神鹿踊(おくやまぎょうざんりゅう-じのかみ-ししおどり)
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奥州市 江刺 伊手)
東磐井郡大東町 山口屋敷・喜左衛門→地ノ神・円蔵
とゆう道のりで伝授された踊りと伝わっている。
行山流山口派の古い特徴を残している、と言っていた。
仲立&女鹿の「ながし」(背中部分の長い布)には
「みちのくの しのぶ牡鹿の女鹿の里 聲を揃えて遊ぶ鹿かも」
と 山口派に縁深い和歌が染められている。

⑨行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう-とどり-ししおどり)
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奥州市 胆沢 南都田)
三陸・伊藤伴内→(弟子)行山清左衛門
平泉町・三代行水軒中津川清左衛門義胤 
と伝授されたと伝わる。
今回登場した太鼓系シシの中では、
唯一 頭の上に「華鬘(けまん)」が無くて
「ウワザイ」とゆうザイのつけ方をしているそうだ。
個人的には幕の染め抜き部分の着色が可愛らしくて好き。

ちなみに、地図上での場所はこんな感じ↓
幕踊系は青・太鼓踊り系は赤にしてみた。
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シシを見比べる

幕踊りのシシたちに立ってもらうと、幕の意匠も様々。

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そして、同じ幕踊りの中でも シシの髪の毛部分に注目すると
根反鹿踊り(左)は障子紙を使っているのに対し
橋野鹿踊り(右)はカンナガラ(鉋で削った木)を使っている。
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さらに、同じドロノキを使ったカンナガラでも
橋野鹿踊りは薄くまっすぐに削ってあるのに対し…
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澤目獅子踊りは お蝶夫人の様な縦ロール!
(例えが古い)
削り方も厚い。鉋の刃自体が違う形なんだろうか。
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一方の太鼓踊り系。
鹿角使っていたり幕に九曜紋があったり、
似てるところも多いからこそ並んで戴くと差が分かる。
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特に後ろを向いてもらうと、
それぞれ流派や団体の特徴ある「ながし」が。
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都鳥鹿踊さん(一番左)は先ほども紹介したように
華鬘(後頭部で結んである赤い綱みたいの)が無く、
頭の頂点までザイ(ウワザイ、髪の毛部分)が付いている。
他団体の華鬘がある位置には赤い九曜紋。
ながしには「冨士麓 行山躍 五穀成就」の文字。

その右、地ノ神鹿踊さんのながしには
陸奥濃信夫牡鹿廼牝鹿乃里聲遠楚呂遍天阿曽婦志加可毛」
と先ほど紹介した和歌が染め抜かれている。
ちなみに、今回来てくれたのは仲立(リーダー)シシだが
仲立と女鹿以外の鹿は ながしには倶利伽羅剣が描かれているという。

そのさらに右、石関獅子躍さんのながしは
加藤清正」と聞こえた気がしたのだけれど
ココにそう書いたら公開後に清正ではないとご指摘を戴いた!
追記:伺った所、石関の中立のながしは
   本来神功皇后の「三韓征伐」なのだそうだ。
   しかし最近は山姥、渡辺綱坂田金時になっていて
   ほかには富士の巻き狩りなど…とのことだった。

そして何より今管理人が気になっているのが
太鼓系シシたちの幕に施された「かがり」。
上の写真を見ていただくと分かるように、
幕踊り系でなくともシシたちには幕がある。
シシの顎から喉元にかけては 井桁つなぎの中に九曜紋。
(都鳥鹿踊さんは井桁は無く九曜紋のみ)
その幕はなぜか、
上半分と下半分の2枚の布を縫い合わせて作られている。
そして、目立たないよう紺色の糸で縫うこともできるのに
敢えて生地とは異なる色で様々な形でかがられている。
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これが気になるんよ、とゆうことで つぶやいたら
石関獅子躍さんのtwitterアカウントから
意味については「天地・要害・陰陽と団体により様々」
「1枚ではダメで必ず2枚でなければならないとあります」
と親切に教えていただけた。ありがたや。
人に圧倒されて会場で訊けないところが、
なんてゆうか 管理人のダメな所だ…(´・ω・`)

縫い方の名前とかもあれば気になるけども、
それ以上に その縫い方に意味や謂れがあるのか
それとも「境目を目立たせる」こと自体が目的なのか。
とにかく かがりについては気になる。
どこかに見に行ったら次こそは誰かに聞く…。
(漠然とした目標)

そして なんと司会からの突然の無茶ぶり(笑)で
各団体の「しらさぎ」の歌の聴き比べができた!
シシ踊りや獅子舞では 実は団体が違えど似た歌も多く、
この「しらさぎ」もその1つ。
しかし、歌詞は同じ(または似ている)でも節回しが全然違う!
突然のフリながら、各団体さん
ステキなしらさぎを聞かせていただきました(*´ω`*)

継ぐ人を探して

さて こんなに個性豊かで興味深いシシたちだが、
やはりやりたい人が自動的に集まってくるわけではなく
各団体の方は日夜色々な努力をしているそうだ。

若いころから習う団体であれば学校と協力し、
小学校に「芸能クラブ」があって教えに行ったり
見に来たいと思った子が すぐ繋がれるように
普段の練習を公開していたり。
江刺では、高校に「獅子躍部」があるのだそうだ。
そして、大学のサークルを受け入れている団体も。
そもそも、岩手の子の6割くらいが
小学校で何らかの芸能を習うのだそうだ。
(保育園や幼稚園でやっている所もある)

さすが岩手県いや、私も小学校で八木節やったかも…。
とにかく管理人は以前、みちのく芸能祭りで
「〇〇ちゃん、鬼剣舞観ようよ」という母親に対し
「やだ。虎舞が見たいの!」と言い返す子供を見て
見たい芸能がある幼稚園生すばらしい…。
と感心したのを覚えている(*´ω`*)

では、芸能に触れる機会が多くて
習える場所も色々あって安泰かというと。

さいころに全員に教えるからこそ
「ぼく、アレきらい」となってしまう子も居る。
そして、生活の一部でなく
習い事や育成会(子供会)の行事的に始めた場合
部活動が始まる年齢になるとそちらへ行ってしまう子も。
そして大学生は地元を離れて来ている人も多いので
卒業・就職と共に地元へ帰ってしまい抜けることも多々。

各団体、教えに行った中学・高校で
地元出身で 体力があって 頑張り屋な子etc…
をスカウト(?)してみたり、
とにかく小さな子に教える時は褒めまくって
まずは「楽しい!」と思ってもらえる対応をしたり、
お母さんたちに役割を与えて巻き込んだり、
また社会人向けにはホームページやツイッターをして
練習や公演の情報にアクセスしやすい工夫をしたり…。
「女性も可だよ」「地区外でもいいよ」
とハードルを下げても中々確保は大変な様子だった。


姿を残す

ところで伝統(民俗)芸能って
基本は人から人に伝える”コト“としてできている。
でも、伝承する人が急にいなくなってしまったら?
もしくは 引き継ぐ人が居なくなってしまったら?

それは、東日本大震災のような災害だけでなく
過疎・人口構成の変化・生活様式の変化
むしろ継承者が少ない場合は個人の病気や事故など
ほんの1つの原因でも起こりうることだったりする。

そうしたことへの危惧は以前からあったと思うが、
震災以降 具体的にそれを考えたり実行し始めた団体は増えた。
という気がしている。
踊りや囃子を映像に残したり 楽譜に起こしたり。
そして今回、会場の端で静かに行われていたのが
「シシガシラのデータ化」の作業だった。
協力できるよ、という団体さんのカシラが
電子レンジのお皿のようなものに乗って1回転する間に
ピカピカ光るカメラのようなもので撮っているようだった。
(ハイテクに弱い人間が実況するとこうなる)

今回会場となった宮本卯之助商店さんは、
被災後の東北で カシラのみならず
芸能・祭用品の修復に尽力したのだそうだ。
その時のことを、
「芸能は、やっている人にとっては生活の一部」
「家の中のなにもかもを正確には思い出せませんよね」
「写真なども流れてしまい修復は意外と記憶だより」
「話をもとに直したが、写真が見つかってみたら色が違って」
と話された。だからこそ客観的な保存が必要と。

そういえば以前、どれかの記事に(どれだかは忘れてしまった…)
話し手と聞き手が同時に存在しなくても成立する、
例えばブログとかって 伝承ならぬ「電承」かね。
というようなことを書いたのだが。
電子媒体への姿かたちの記録もまた「電承」の1つかもな。
と、ひとりで 撮影装置を眺めていた。

そして、姿のモトとなる「作り方」。
コチラは、震災以降の取り組みか それ以前からあったか
訊くことができなかったのだが橋野鹿踊りさんのカシラ。
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会場から「着色前のものですか?」と質問があったが、
これは「見本」というか「手本」というか。
全てのパーツが針金で固定され、バラせるようになっている。
つまり、(師匠が居てもこれがあれば分かりやすいが)
万が一 教えられる人がいない状況でも
コレをバラして型を取れば同じものが作れるというワケだ。

人を介さない可能性がある継承
というのは切なさも感じるが、
その可能性と向き合ったからこその対策かもしれない。
「習うより慣れろだ」「見て盗め」じゃなく、
万が一のことがあっても作りたいと思った人が困らない方法。
「絶やしてはいけない」という気持ちだけでなく、
継いでくれる人にできるだけの備えを残そうという
優しさが垣間見える気がした。

見に行くというコト

今回のイベントもそうだが、
岩手の芸能は 比較的 地区外に出て
外向けの公演というモノが行われている印象がある。
県外でも知名度が高い芸能も結構あったりする。
なので、外から見ていると
「岩手は芸能の宝庫」「芸能に関心のある人が多い」
「震災後も各地で芸能が無事復活を遂げた」
というイメージを持たれがちな気がする。

確かにそれは事実でもあるのだけれど、
事実の一部だというコトは忘れないでいたいと思う。
たとえば、いかに関心を持っている住民が多くとも
地域自体の人口構成が限界を迎えつつあったり。
震災後、芸能の再開が復興の象徴のように報じられても
その後の後継者不足や避難生活の継続は知られず続いたり。
どうしても、住んでいる人以外には分からないことがある。

だからせめて「分かっていない」ことを忘れないで
地元の人と話したいし どんな地域なのかなというあたりも
気にしながら見ていたいと思う。
そうでないと、テレビやネットで見ただけで
分かりやすい物語に落とし込んで「分かった気」になりそうだ。

だって 一定のまとまりがある映像や番組を作るためには、
どうしても「話の流れ」が必要となる。
発信者は それなりに共感しやすく起伏のある筋を考える。
そうすることで、見る人も興味を惹かれる。
それは、発信にはある程度必要なことだから
悪いことだと言いきりたいわけじゃない。
3・11でも、番組やネット上の発信があったことで
東北以外の人も現地の状況や情報を知ることができた。

ただ 人の中に1度取り込まれたモノを貰うのは、
いわば親オオカミが捕えた毛むくじゃらの動物を
肉として噛み 子オオカミに与えるようなものだと思う。
受け取る側は納得しやすい筋を与えてもらうことで
消化が良いので簡単に呑み込めてしまうはずだ。
でも、そこで もし興味を惹かれたとしたら
消化しきれなくてもいい。 ひとかじりでもいい。
ナマの状態を食べてみることはとても大事だと思う。

管理人とて基本的に人に話しかけたりが下手で
何かを見に出たとて しっぽの先をかじっただけで
あるはずの肉には辿り着けないことも多い。
ので、偉そうなことは言えないのだけど。
やっぱり興味持ったものは特に「現地で」見たいと。
そして見てほしいなぁと。思ったりするわけですよ。

そうゆう時に、一堂に会する系の
(あんまりないけど)こうゆうトークイベントとか
地区や県ごとの民俗芸能大会とかを活用するというか。
そこで座りながらにしていろいろ見て
何とゆうか推しを見つけてもらえたらと思うわけで。
見た目でも、やってる人でも、エピソードでも
何かしら とっかかりがある団体をまず見に行ってみる。
そうすると、見に行くことへのハードルって下がってくる。
(…はず。ハードル見えてないので憶測で言ってます。スイマセン)
見に行く人が増えるだけでも
姿を残したり やりたい人が稀に現れたり
やってる人もモチベーション上がると言ってくれたり。
色んな良いことがあるみたいだ、と
今回のイベントで あらためて思ったのでした。
見に行く人が急に増え過ぎちゃうと、
行事の様子が変わってしまって大変だという場合もあるようだけど…

※お願い※
イベント内で奉納の日程が聞き取れた団体さんだけ
記事に日程を書かせていただきましたが…
一応行く前に日程や雨天時の対応など調べてみてください。
岩手シシたちはTwitterやHPなどが比較的得意なので
日程書いてない団体さんも是非調べて逢いに行っていただければと!