とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

東福寺に再会。

群馬県前橋市三河町にあるお寺。
今日、市内の神社を自転車で巡っていたら偶然、
このお寺の屋根が見えた。
なんだろう、屋根のとんがりに岡本太郎を感じる…。
※個人の感想です

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パッと見からして和風ではない。
でも、外国の寺院のこととか全然わからないし
アジアへの渡航経験はほぼ無いので
「この屋根は何風」とか「この窓の形式は」とか
そういうもっともらしいことは何も言えない。
(;´・ω・)

*仏足石*
入口の正面には、
なにやら新しそうな仏足石。

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仏足石というのは、仏様の足跡を刻んだ石のこと。
日本のお寺は仏像メインだけれど、たまに見かける。
古代インドは偶像崇拝圏ではなかったので、
お姿ではなく足跡を拝むのがメインだったとか。

ちなみに、仏様の手足というのは
指は長い&水かきがあるという特徴がある。

これは衆生をもれなく救うためともいうが、
アジアではたびたび(仏様に限らず)
人ならぬ力を持つ者を描くときは
水かきでそれを表現したりするし。
むしろ世界中に
海からやってきた半魚人(みたいな神様)が
人類に文字や火、数学を教えたみたいな神話もある。
なんとなくそれらも関係あるんじゃなかろうか…
と勝手に思っている管理人です(*'ω'*)
あと、仏さまは偏平足。

足底に刻んである法輪と卍はどちらも仏教のシンボル。

法輪はもともとは投擲して使う武器。
武器色の強い「煩悩を破壊する」という意味と、
八方の突起から「仏法を遍く広める」という意味らしい。

卍はもともと太陽の力の象徴などと言われ
世界中で吉祥の印とされたマークだった。
「外国人が日本の地図を見たらナチスの支部だらけだった」
という笑い話をよく聞くけれど、
ナチスハーケンクロイツ
遺跡から出土した模様を採用したもので
インド・ヨーロッパ語族の象徴」
という視点で選ばれたらしい。
アメリカでもWWⅡ以前は幸運の印として使われていたそうだ。

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入口は一般的なお寺よりかなり閉鎖的な感じ。
この「違い輪(〇が重なったマーク)」も仏教のマーク。
それぞれの〇は金剛界胎蔵界とも、人と人とも言われる。

EUでは公共の場でハーケンクロイツを表示することは
煽動罪に当たるとされる場合があるため、
少林寺も卍でなく違い輪をロゴにしている…
みたいな話を聞いたことがあった気がする。

*鰐口*
ここに掛かっている鰐口は市の重要文化財と書いてあった。
鰐口は「よく見るけど名前は知らない」という人が多いが、
神社の鈴と同じく 神様に「これからお参りしますよー!」
と知らせる呼び鈴のようなもの。
あと、その音を立てる行為自体が魔を祓うことであり
音を仏様にお供えすることでもあるそうだ。

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ところで日本神話の因幡の白兎の章について、
「日本にワニはいなかったので
 日本神話の鰐(和邇)とはサメの事」
という話はよく聞くけれど

鰐口のような法具にも使われるし
日本神話にも登場するなんて
ワニのことにしろサメのことにしろ
日本人は結構ワニを特別視してたかも?
とよく思う。

狼や蛇など口の大きいもの・牙の多いものは
昔から畏れられ信仰されてきたわけだし。


インドにはワニがヴァーハナ(乗物)の神様もいるし
絵として入ってきた可能性は皆無じゃない。
それに日本人は渡来人だらけの島だし
オオゲツヒメのエピソードだって
インドネシアのハイヌウェレ神話そっくり。

本当にいたかどうかはわからないけれど、
少なくとも姿は知っていたと思っていい気がする。

余談だが、寺院の鰐口は女性器・神社の鈴は男性器の象徴
という説を展開している人が少なからずいる。

*聖天さま・ガネーシャ

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本堂の柱には、イチョウのようなマーク。
とりあえず日本のメジャーな模様とかではなさそう。

お寺の方に話を聞けたわけではないのでわからないけれど、
江戸時代 このお寺のご本尊は「聖天さま」だったそうで。
(今もそうなのかまで調べられなかった…)
聖天さまというのは歓喜天
インドで言うガネーシャの事と言われている。

ただ、ポッコリおなかのガネーシャと違い
歓喜天は象頭人身の2人が抱き合った姿で表現される。
向かい合ったイチョウの茎が絡むこの模様は
もしかして向かい合った象の鼻の象徴…?

というのは考え過ぎか(;´・ω・)?

そして聖天さま(ガネーシャ)を祀ったお寺だからなのか、
日本では珍しくなんと舞踏するシヴァ神の像が!
※シヴァさんはガネーシャのパパです(*'▽')

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ここに「大自在天」でなく「シヴァ」なあたり、
結構日本仏教でなく大陸寄りな雰囲気のお寺なんですかねー。

円空仏(っぽい)*
一通り見終わって敷地から出ようとすると、
門の付近のお地蔵様の下
私の膝下くらいのとても低い場所に…

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なんか円空仏っぽいのが居る。
しかもちょっと離れた場所のもう一体!
「それっぽいだけ」なのか「本当に円空作」なのか。
そこは不明だけれど、石にはめ込まれている。
木で作ったのに雨ざらしのためか劣化が…(ノД`)

円空は一生で本当にたくさん仏像を彫った人なので
あっても不思議じゃない気もするし…
この素朴な笑顔、素敵だなぁ(*´ω`)

*女人講・聖徳太子講*

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円空仏のあるあたりからさらに外に出ると、
路の両脇に女人講と聖徳太子講の石碑がある。
女人講の石碑には観音様らしきものが彫られていた。

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左手に払子(ほっす)と数珠。
右手には斧と水瓶のようなもの。
胸の前で手を合わせる六臂の観音様。


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こちらは聖徳太子講の石碑。
聖徳太子は大陸で使用されている器具を広め
建築技術の輸入を行うなど寺院建築の発展に努めた!
ということで、建築に携わる人たちに信仰された。

その建築関係の同業者で行うのが
聖徳太子講」というわけ。

*天狗坂*

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これが、大通り側から見た東福寺
右側にはお寺の名前より大きく「馬頭観世音」!
ということは今のご本尊様は馬頭観世音さんで、
聖天さん信仰は完全になくなってしまったのか?

ともあれ、この参道は「天狗坂」と呼ばれている。
いろんなサイトの説明では

「聖天さまは男女間の願いを聞いてくれる」
ということで江戸時代は若い男女でこの坂がにぎわい、
これを天狗に見紛うとしてここは天狗坂と呼ばれた。

と書かれていたが、
そう聞いてもまったく意味が分からず。
なんで若い男女を天狗に見まがうの?
赤かったの?山伏姿だったの?(まさかね(*_*;) 

そのなかで、
ちょっと言い回しの違う説明を発見。
「若い男女”が”見紛えた」
というのがあって。
何を見紛えたか主語がないのだけど…
「鼻の長い聖天さまを、天狗に見紛えた」
と思うと少し納得。

帰ってから母に「こんなお寺があった」
と写真を見せると
「あなたが赤ちゃんの頃よく散歩に行ったのよー」
とのこと。なんだってー!?
この面白いお寺を既に25年前に知ってて
しかもよく行ってたのか!
Σ(・ω・ノ)ノ!
母、恐るべし。