蛇穴山古墳と弁財天さん。
「蛇穴山古墳」見てきた。
「古墳なんて社会の教科書の中の話でしょー」
という人のほうが多いのかなーとも思うけど、
私の故郷グンマーにはポコポコ大量に古墳があったりする。
現代日本では影の薄い(;´・ω・)群馬だが、
8000基を超える古墳があったり
国宝・重要文化財指定の埴輪のうち4割強が群馬出土だったり。
古墳と埴輪のメッカなんですよ(*´ω`)!
ちなみに、群馬の古称に
「上毛」とかいて「かみつけ」
「上野」とかいて「こうずけ」
というものがあり、後者は前者が訛ったものなのだそうですが。
みんな大好き上野動物園の「上野」という地名は
こうずけの国での任期を終えた小野篁(だったかな)が
京まで戻る際の中継地点として
一旦現在の東京・上野に居を構えたことが由来。
みたいな説を聞いたことがあります。
さて、横穴式石室の古墳というのは、
この入り口から遺体を安置する石棺のある部屋まで
「羨道」と呼ばれる長めの道があるものが多いハズなのだけれど…
この入口、入ったらもう石棺ルーム!
みたいな感じでした。
玄関開けたら居間でした!みたいな感覚(´・ω・`)
中の壁は薄く苔が生えて分かりづらいけれど、
漆喰のような、人口の 粒子の小さいものを
全面に塗って それが剥げたような跡があった。
漆喰だとしたら、昔は内側全部白い壁だったのかなぁ。
そこに絵とか描いてあったのかなぁ。
入口両脇の石組みは
とっても正確な切り出しの大きな石。
技術力高いなー。内側も同じく。
登ってみると、赤いコーンが立っていた。
どうやらビニールシートで
斜面を滑って遊ぶ人がたくさんいるようだな…( *´艸`)
小さなころ「前橋の歴史」みたいな漫画で、
蛇穴山古墳という名前について
「大蛇に守られ盗掘する者は大蛇の毒気で死んでしまった」
と読んだのを朧げに覚えているのだけど…
裏を取ってから記事に書こうとインターネットで調べてみると、
びっくりするくらい名前の由来が載っていない。
まあともあれ、
水とも関連深い大蛇のいる古墳だからかな。
こんなところに弁天様。
調べてみると、
この古墳の水濠に水が張られていたころは
それを弁天池に見立てて弁天様が祀られていたそうで。
その濠は後に「五千石用水」として整備しなおされ、
秋元氏が建てた総社城の水濠のほか
名前の通り五千石に及ぶ地域の用水として利用されたらしい。
(時代が下ってからは地域の防火用水としても役立ったとか)
そんな中、もともと誰かが祀っていた弁才天さまを
「江ノ島弁財天をここにお招きしました!」
という形であらためて祀りなおしたのがこの弁天様だそうで。
江ノ島弁財天といえば日本三大弁財天の1つ。
お姿はないけれど、由緒ある弁天様なんですねぇ(*'▽')
お隣には、不動明王さんらしき石仏も。
みたいな場所は多いらしく…その関係も気になるなー。
庚申塔なら、丘に建てることも多いから
古墳に立っててもおかしくないかもしれないけど
そのへんは宿題ですねー(´・ω・`)
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ここからは群馬を離れて、
弁財天さんと宗像三女神の話。
他の記事でも少し書いたような気もするけれど
弁財天さんはインドから中国を通って来日した神様。
なので蛇穴山弁財天のルーツ・江ノ島弁財天も、
神仏習合の流れに乗る前は弁財天ではなく
という日本神話の三人の女神さまを祀っていた。
タギリとタキツは水が勢いよく流れる「滾る」が語源とか、
タギリは「田霧」と書いて水面に出る霧のことだとか、
タギリヒメはイチキシマヒメの別名だとか…
文献によって様々(*_*;
イチキシマヒメは「斎き島姫」。
身を清め神に仕える島の女神さまという意味になる。
(厳島神社の「いつくしま」も「斎き島」だったと聞いた覚えが…)
いずれにせよ、水に関連深い女神さまたち。
この3人はいずれもアマテラスとスサノオの娘さん。つまり三姉妹!
単独で祀られることは少なく、
三姉妹でいるときのユニット名は「宗像三女神」。
今では弁財天に習合されたりしてあまり目立たない印象だけれど、
大陸との交易や留学が盛んだった大和朝廷時代には
海上の安全を守る宗像三姉妹がとっても大事にされたり。
他にも残り5人の弟たちも合わせた五男三女神が
神仏習合において牛頭天皇の八人の息子「八王子」に対応していたり。
(私が住んでいた八王子市の「八王子」も、この八人兄弟のことらしい)
マイナーに見えて結構仏教のメジャーどころと組んでいる姉妹。
名前だけでも覚えておくと、
たまにどこかの神社でお見掛けするかもですね(*'▽')