「新・忘れられた日本人」、「サンカの真実」の筒井功せんせい。
しばらく前に「猿まわし 被差別の民俗学」が発売!
お金がなくて買えなかったけれど、やっと立ち読みが完了
(´・ω・)
※書店員さん、筒井先生、お金が入ったらちゃんと買います・・・
- 作者: 筒井功
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/07/10
- メディア: 単行本
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今回は、内容メモでなく猿について
になりそうなのでカテゴリは
「どくしょ」でなく「みんぞくがく」にしときます。
皆さん想像する「猿回し」といえば
見世物、大道芸という性質が強いのではないでしょうか。
しかし、古くから猿は
馬や厩の守り神とされていました。
つまり猿回しを演じることには、
人の目を楽しませるだけでなく
馬に関する神事的な意味もあったのです。
ちなみに
神事を行う人
というと大事にされそうですが、
浄める、祓う、祈る、舞う、演じる
などなどの担い手は中世以降
差別(賤視)されてきたのでした。
ですが、差別については
今日は置いといて…
●そもそも猿が何故、馬の守り神?
これには色んな説があって、
実際 由来もひとつではないのだとおもいます。
日本では、
(というより陰陽五行説では)
馬=火の気を多く含む動物 です。
一方の猿は水の気を持っているので
馬の気や病を鎮めるとされたとか。
また中国の伝承では、
その昔馬を知らなかった人間のもとに
空から馬が遣わされました。
しかし、
互いの扱いのわからない人間と馬は
恐れ合って馴染むことができません。
そこで神は猿を遣わし、
馬の乗り方を人に教え
馬が病を患えば猿が治しましたとさ!
みたいな話があるとか。
インドではいまでも
馬小屋で猿を飼っている地方があるらしいですし…。
※日本でも、東北を中心に厩に実際猿を飼ったり
体の一部や猿絵馬を祀る「厩猿信仰」があったそうです。
が、馬が生活場面から離れて行くに連れて厩舎も壊され
痕跡が残っている家は少なくなりました。
有名どころでは日光東照宮の「三猿」 もその一例。
「写真ではみたことあるけど
厩の彫刻だとは知らなかった…」
みたいな方も案外多いみたいですΣ(´Д‛;)
あの猿たちは、
東照宮の神馬を守る猿なのです!
*〜*〜*〜*〜*〜*〜
ついでに、なんで三なの?
なんで見ず、言わず、聞かないの?
とゆうところ
こないだ訊かれたので考えてみました。
サルとは関係なく、
「見ず、聞かず、言わず」という言い方は
仏教でもキリスト教でも
煩悩・惑いの元になるものへの対策
として使われるらしいのです。
それを「さる」という語尾にして
ダジャレっぽくしたのが
見ざる、聞かざる、喋らざる。
ちなみに、
日光の三猿があまりにメジャーなので
あれは日本の伝承に由来した構図!
と思われがちですが、
サルが三匹ならんでいる彫刻は
古くからアジアに広く見られるのだそうです。
しかし三匹であるそもそもの理由は、
調べきれませんでした。残念。
いつか本の中や神社仏閣でその理由に出会えますように…。
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日本の三猿に限定していえば、
3という数字は庚申信仰の影響では?
ということは言えそうです。
庚申信仰というと、
十二支で猿を示す「申」の字がついていることから
猿に関する信仰であると思われることがあります。
が、
庚申信仰の手引きを僧侶が作る過程で、
仏教のうち
猿を神使とする山王信仰とミックスされました。
もともとは猿とは関係なく、
単に道教の「三尸説」をモトにした信仰なのです。
三尸説とは、
人には生まれながらにして
三尸(さんし)=病を起こしたり、欲を起こさせる虫
を体の中に持っている。
これが庚申の日の夜、
人が寝ている間に体を抜け出して
その悪事を天帝に告げ口するので人の寿命は減る。
そのため、この虫が抜け出ないように
この庚申の晩は寝ずにいるのがよい。
という考え方のことです。
1人で起きているのはなかなかしんどいので、
「庚申待」と言って皆で集まり芸事を行ったりしたとか。
※この風習は平安貴族にも見られたそうなので、
日本に道教が伝わった時点ではかなり原型に近い形だったようです。
それが徐々に、
青面金剛を本尊とした仏教的信仰に変化。
↓
青面金剛の遣いである猿が、
三尸それぞれに対応する形で3匹に固定されていった。
↓
御本尊なしで、
脇役だった猿たちを信仰するようになった。
↓
3匹の猿の独立した彫刻・絵馬に。
みたいな形で定着していったのでは?
耕作の神様・ウカノミタマノカミから
狐が独立して御社を建ててもらったり、
菅原道真から離れても
牛が疫病除けでちやほやされたり。
そんなかんじですかね。
たくさん理屈を並べましたが、
猿の顔。
深く刻まれた皺
人よりも美しい色の瞳
見つめられると不思議な、
高村光雲の彫刻のように
獰猛さと思慮深さ
人に近い部分と野生である部分
対極的なものが入り混じっていて。