6年に一度の祭、御柱。
先月の山出しに続き、今回は里曳きへ。
…と突然書き始めたが、
ここ数日で「御柱祭り」の意外な知名度の低さが判明。
(長野の人が怒りそうだが)
これだけニュースになっているにも拘わらず、
なぜ知らない人が多いのか…。
理由はわからないが案外何人もに
「何それ」と訊かれた管理人であった。
マジか!
((((;゚Д゚)))))))
ということで、とりあえず まず
信濃の国は一ノ宮・諏訪大社のお祭り。
開催は6年に一度、寅年と申年である!
日本三大奇祭のひとつですよ!?
(よく「7年に一度」と言われるのは数え年で数える為)
観光客的視点で行くと
祭りのメインはおそらく
巨大丸太に人がまたがり急坂を落とす
「山出し」の「木落とし」。
たまに(よく?)死亡事故が起きたりするやつである。
行事の流れとしては、
事前に見立てておいた木を伐り、
それを山から里の辺りまで下ろすのが
4月に行われる「山出し」
そして約1ヶ月後、その里に下ろした柱を
里の道を曳いて神社まで行き
諏訪大社各宮の四方に立てるのが
今回の記事の「里曳き」である。
ちなみに、いま「諏訪大社各宮」と書いたのは
諏訪大社とはひとつの神社ではなく
別々の土地を持つ4つの御宮で構成されているからである。
山出し・里曳きともに、上社の分をさきに行い
その2週間ほどあとに下社の分を引くのである。
さて、では実際どんな感じだったかというと
かなり個人的で自由すぎる感想になるのだけど…
仕事明けに家にも帰らず寝る間も惜しんで移動した甲斐あって
まだ氏子さんしかいないような時間に注連掛(しめかけ)に到着した。
先月 山から下りてきた御柱たちは、
今回の里曳きまで ここ注連掛でお休みしているのだ。
スタート2時間前。
準備は着々と進み、縄を抱えた氏子さんたちが行ったり来たりしている。
これを見たとき、なんか
「ああ、これって蛇のお祭りなのかな」と感じた。
御柱というのだから、まぁそこは当然
山からやってくる柱が主役ではあるのだろうけれど。
たくさんの人が縄を持って山道を上へ下へ準備している。
他の地域の山車とかだって縄で曳くけども、
何故か今回だけは「蛇だ」ってそう感じたわけですよ
(・Д・)ノ
そういえば「龍踊り(じゃおどり)」で有名な
あの「長崎くんち」だって お諏訪様のお祭りだし。
さて。それはまぁ置いといて。
いよいよ午前8時も近づき坂の上から御柱を落とす頃、
1人が木遣り歌を歌うと それに付き従うように
周りじゅうから歌の声が上がる。
高音で歌われる「木遣り歌」は、山間に高く揚がり
個人的にはモンゴルのオルティンドーや
あとはブルガリアンヴォイスみたいな印象だった。
おじさんが歌ってるコトが多いハズなんだけど不思議だー(=゚ω゚)
※昭和以降、木遣り衆には女性も参加OKになったそうだが。
木遣歌については、こちらに超詳しく
動画もたくさん載っているので是非御照覧あれ!
そして坂から落とすといえば一般的には山出しの時だけれど、
この下社里曳きのはじめも小さな坂から落とす。
短いが角度なら山出しにも負けまいという急勾配。
そんなワケでしばらく御柱を見た後に諏訪各社へ。
一応、今回行った場所の位置関係はこんな感じ。
ピンクの文字が下社、水色が上社である。
蛇足だが、冬の諏訪湖名物「御神渡り(おみわたり)」は
上社から下社方向に入った氷の亀裂のみを指す。
というのも、本宮にいるタケミナカタさんが
下社にいる妻・ヤサカトメの元に向かった形跡だからだ。
*下社春宮*
これが下社里曳きの開始地点・注連掛から一番近い。
こちらが下社の最初の鎮座地だといわれている。
上社・下社まではよく聞くが、春宮・秋宮とは?
とおもうのだけど、
昔を考えれば春宮(とうぐう、東宮)は皇太子の官舎。
秋の宮は皇后様の宮殿のことかと考えられる。
しかし、両社ともに妃神・ヤサカトメを祀っているとされ
別に春宮の主祭神が御子神というワケではない。
下社周辺は農耕が盛んであるとのことなので、
もしや単に季節の春秋だったりするんだろうか。
春宮の大鳥居は、
近くにある万治の大仏と同じ作者と言われている。
なんでも鳥居を作るときに石を削ろうとしたら
なんと血が流れたので石工さんはビビリまくり、
同じ石材で大仏を作り石の魂を鎮めながら
大鳥居を完成させたらしい。
これが万治の大仏。
かなり独特な風貌の大仏で、
あの岡本太郎も大絶賛だったそうである。
*下社秋宮*
もうちょっと駅に(そして諏訪湖に)近づくと
下社の秋宮がある。
設計図的には同じらしく、構造は春宮と変わらない。
両宮の間で職人たちが腕を競ったというだけあって、
どちらの彫刻も見事。
こちらの狛犬は
青銅製のものの中では最大級らしい。
ちなみに、下社では一年の間に神様が
春宮に住んだり秋宮に住んだりする。
春宮にいるのが2~7月。
秋宮にいるのが8~1月。
なのでもしかしたら、さっき言ったように
春宮にいるあいだ成長する稲を見守り
秋宮にいるあいだ刈り取った稲(米)と
村人の生活を見守っていたのかもしれない。
もしくは。二毛作で、
春から作る作物と秋から作る作物を
別の場所で見守っていた可能性もあるわけである。
おそらく、あれだけ蕎麦があるコトを考えても
米だけでは生きていけないからこそそうなったはずだ。
いずれにしろ推測の域を出ないので、
この話題はこれくらいにしておく。
さて、この秋宮。
管理人が不思議に思っているのは
多くの摂社のなかにタケミカヅチもお住まいだ!
というところ。
タケミカヅチといえば
諏訪大社本宮の神様といわれるタケミナカタが
国譲りを突っぱねた際に彼を懲らしめまくり
南方から諏訪にまで追いやった張本人である。
なぜ旦那のカタキが奥さんのうちにお住まいか…
摂社とは言え気になるところである。
あと、超どうでもいいけど
この書体の幟旗テンション上がる
ψ(`∇´)ψ
*上社本宮*
さて、
さすがに電車に乗って茅野まで来ましたよ、と。
こちらが現在タケミカヅチさんがお住まいの場所。
鳥居の中に見えているのが、
今月はじめに立ちたてホヤホヤ(?)の御柱!
なんてゆうか本宮は、
四宮の中で一番豪華(だとおもう)。
この廊下とかもね。
あれだよね、資料館のモノクロ写真で神官さんたちが
「ザイゼン教授の総回診です!」
みたいにゾロゾロ歩いてたとこじゃん(オイ)。
そして温泉も有名らしく境内には
温泉の手水鉢(?)みたいのもあった。
何せ信玄の隠し湯があるくらいですからねー。
獅子のよだれ状態。結構熱い!
下社の神様は春宮と秋宮をいったり来たりするが、
それプラス春・秋・本宮には各宮の中だけで2つの宝殿がある。
この宝殿とは、宝物殿みたいな意味ではなく
普通の神社で言う本殿みたいなものと思っていいのかも。
神様の乗り物・神輿が入っているらしく、
これが御柱の年に片方からもう一方へ移る。
神さま移動しまくりである!
ちなみに宝殿に神輿はあるが
御神体は拝殿の向こうにある山自体。
こっちの方が本来の信仰に近い気がして、
個人的には好きだ。
ウィキペディアとかで見てみると、
すべての末社の名前が書いてあるのだが。
これを見ると日本神話の神さまでなく
より地域密着型っぽい名前がたくさんあって良い。
昔はどこもこうだったんだろうなー
と少しうれしくなる管理人でしたとさ。
*上社前宮*
こちらが諏訪信仰発祥の地と言われることも多いわけだが、
もはやどこからが諏訪信仰なのか…
と言うそもそもな疑問も湧いてくるころである。
でもいったんそれはおいといて、
一番原初の信仰の情報が色々あるのは
たしかにこの前宮かもしれない。
それもそのはず
県指定史跡としての名前は
「前宮神殿跡」
つまり単に「神社」というだけでなく、
大祝(おおほうり)と呼ばれる諏訪大社最高神官の
「居館」だったわけである。
そしてなぜ居館が神殿と呼ばれるかというと、
諏訪大社においては御神体は山だが
最高神官そのものが「現人神(あらひとがみ)」なのである!
現人神なんて天皇さんしか知らなかったよ。
というのが普通なのだが、
ここの神官さんもまたそういう立場だったのである。
あと、この前宮にだけは
2つの宝殿ではなく一般的な「本殿」がある!
これはもともと「本宮の末社だった」からとされている。
↑本殿
ちなみに、
最初に載せた地図の後に御神渡りのことを書いた。
上社から下社へと
ミナカタさんが奥さんのところへ通った跡だ、
と書いたが
ここ上社前宮の祭神もヤサカトメとされている。
あれ?渡らなくても会えるのか…?
まぁ、以前は本宮の末社だったということなので、
本宮にいるミナカタさんにしてみれば
テレビ電話はあるけど直接会いに行くよ。
と言う感じだろうか(違うか…)
来る人来る人、本宮を見てから来るせいか
「意外とショボい」「ここまで歩いてきたのに」
みたいなコトをのたまうが、
別に私はそんなにガッカリしなかったぞ。
しかも、そこのカップルならびにご夫婦
歩いてきたの駐車場からでしょー。
見てたんだからなー!
(¬_¬)
私は早朝より
下諏訪駅から注連掛まで坂道を駆け上がり
里曳きの道中、道路枠の斜面に見つけた鳥居を目指して
道なき道を四本足(?)で登り、
(↑この記事はまた後ほど 笑)
茅野駅から神長官守矢資料館まで歩き
本宮に行く前に北斗神社の鬼のような階段を登って下りて
本宮からまたこの前宮まで歩いて…
もう足がプルプルだよ!
駐車場から歩いただけで疲れたなんて言わせない!
と、愚痴ったところで
諏訪大社と御柱のザックリな説明はだいたいこんな感じ。
次はミナカタ夫婦より昔から諏訪にいた
「モリヤ神」やら「守矢氏」やら
自分でもぜんぜん整理し切れてないとこについて書いていく予定ですー。
(整理できてないのに書く!)
*補足*
一般的にそうゆうコトになっているので
今回は諏訪大社の神さまはタケミナカタと
その妻・ヤサカトメだと書いたわけだが。
公式な諏訪大社のページには
どの社にこの神さま、
みたいのは明記されていないし
見た限りタケミナカタとも書かれていない。
と、ゆうのをとりあえずお伝えしておきたい。
諏訪信仰迷宮である。