とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

藩の境のオニとシシ。

御無沙汰しておりましたが、
岩手県北上市の「みちのく芸能まつり」に行ってきました!
(=゚ω゚)ノ♪

ちょうど涼しくなってきた夕方から
駅チカの大通りに居るだけで
県内はもちろん県外の民俗芸能もいくつか見れちゃう!
という観光客にやさしい祭りでもあるが…
実は、駅前だけじゃなく
いろんな場所でいろんなことをやっている。

土曜の朝、まず向かったのは「国見山」。
目的地は、北上展勝地から歩いて1時間ほどの如意輪寺さん。
(おそらく多くの方は歩いていかないと思うが)

道中ではカラスウリの花らしきものも見ることができた。
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朝にだけ咲き、すぐ萎びてしまう不思議な形の花。
見たくてもタイミングを逃してしまうことが多いが、
何だか今日は運が向いている気がしてきた( *´艸`)

そして道を進むと 傍らに大きめの鳥居が。
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階段を上ると草がワサワサの境内。
その草むらの中に、紅紋アゲハがいた。
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背中側はビロードのような黒でステキだが、
実は羽をたたむと羽の裏も体も
アカハライモリのように派手なヤツ!

蝶々はさておき、なかなか立派な拝殿である。
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手前は草が管理人の背丈ほどあるが、
拝殿の周りは さすがに短く刈り込まれている。
戸の両わきには剣。不動明王の剣だろうか。
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鳥居の額には「国見山神社」とあったが、
モトは「偵岡(ものみおか)神社」というらしい。

坂上田村麻呂が北へと攻めていった時
その拠点となったのが胆沢城(いさわじょう)。
その胆沢郡の北東の隅を「偵岡」と呼んだのだそうだ。
偵察の「偵」。見晴らしのよい 小高い「岡」。
その名前から何となく想像が付くかもしれないが、
偵岡は 敵の動きをいち早く察知できる場所のことだ。
勿論、護りの要所なので神様をお招きする。
そうして作られたのが、元祖・偵岡神社である。

そして、その偵岡神社の「遥拝所」として作られたのが
この国見山の偵岡神社だということらしい。

モトからあった極楽寺の僧侶が神社の別當となり、
神社では僧によって舞や祝詞が上げられていたという。

坂上田村麻呂が出てきた時点で
否応なく戦勝祈願色が強くなってくるが、
その祭神は農耕神であるウケモチとも稲荷神とも。

不思議な感じもするが、
地方地方で狩猟や雑穀の耕作が行われていた時代
大陸からやってきて全国へ広がった稲というものは
朝廷の「国の統一の象徴」だったのかもしれない…
と管理人は勝手に思っている。
だって、これだけ縦長の国土を持つ国だもの。
国内の気候の差はかなり激しいものである。
それなのにすべての地域で同じ作物を作ろうとする、
というのは ある意味不自然な感じがしないだろうか。

そんなことを考えながら神社を後にすると、
先程からたくさん立っていた看板に写真が付いている。
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「国見山神社登り口付近で撮影」

…おう。さっき 通ってしもうたやんけ!
こうゆうのは鳥居くぐる前に言ってもらわんとッ!
Σ(・ω・ノ)ノ!

まぁ今年は熊大量発生ですし。
鈴は持ってきてますけども。

そして、極楽寺を越えて辿り着いた「如意輪寺」さん。
朝の9時から、コチラで護摩法要が行われる。
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御堂の横には小さな小屋(?)があった。
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中を覗いて見ると、石仏が居る。
結構ユルイ感じで細かいところはよく分からないが、
手を見ると智拳印を結んでいるように見える。
大日如来なんだろうか。
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来月9月ごろになると、
住職さんが株分けで増やした曼珠沙華が見ごろとなり
それを見に来る観光客も多いというハナシ。
しかし、夏真っ盛りの8月も花が元気にしていた。
管理人のお気に入りはコチラ。
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この花の近くに、屋敷墓のような
草木に囲まれた墓石的なモノがあって。
そこのすぐそばにあった
舟の形に刈り込んだ植木が印象的だった。
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この如意輪寺がどういう寺院かと言うと、
山にポツンと寺があったのではなく
この国見山全体が巨大な敷地を持つ寺院だったらしい。
そのため、現在でも山中では広範囲にわたり
神社や御堂、塔etc…さまざまな遺構が散在する。

そもそもココは、あの征夷大将軍坂上田村麻呂
戦勝祈願のために毘沙門天を祀った山らしい。
いまでも北麓には「立花毘沙門堂」があるが、
この像は田村麻呂が奉納したモノだったりするのか…?

昔の国見山がどのような様子であったか、
それを描いた屏風が如意輪寺さんにあるらしい。
今回はあまり長居しなかったのだけれど
是非今度行ったら堂内もゆっくり観てみたい。

さて、ここで行われた護摩法要の火は
祭の各会場に分火される。
ココが祭りの始発と言ってもいいのかもしれない。

そんなわけで、次なる会場で火を待ち構えるため
再び盛岡駅へ速足で移動。
北上展勝地、いつも思うのだけど
もっと橋が多ければ駅まで近いのに…(´・ω・)
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朝から片道1時間強の道のりを往復し、
「さすがにちょっとウンザリしたわ」
と思っていたところで
芸能公演のリハに向かっていた知り合いに
偶然発見され車内から撮られる案件発生(笑)

しかし、なんだ。
こうやって群馬を離れ東北の地に来ても
偶然管理人の姿を発見して連絡して戴ける
というのはなんだかうれしいですな(*'ω'*)

*岩崎城址の合同供養*

さて、気を取り直して岩崎城址へ。
(と、サラッと言ったが最寄り駅から徒歩45分)
さっきより歩行時間は短いが気温が上がっていてツライ。
着いた頃には水を浴びたような汗をかいていた。

さあさあ。もう既に鬼だらけですよ!
各団体の大口ゴザ(腰に付けている四角いヤツ)が
後ろから見るとキレイなこと!壮観!
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岩手と鬼と おもうこと。」の中盤でも少し触れたが、
この鬼剣舞北上市奥州市周辺に伝わる芸能。
仏教や修験道要素の強い念仏踊り(念仏剣舞)の一種だが、
五大明王を表す迫力ある面から「鬼剣舞」の名が付いたという。

鬼剣舞を初めに踊ったのは、
修験道の僧とも役小角とも言われるわけだが。
それから時は経ち、
鬼剣舞は 北上の開祖・黒沢尻五郎に愛され
出陣や凱旋のたびに舞われたという。
さらに、ここ 岩崎城の主・岩崎弥十郎
主君を館に招き もてなしとして鬼剣舞を見せたとか。
その際、その見事な舞に感銘を受けた主君から紋を賜り
今も鬼剣舞の装束には「笹竜胆」があしらわれている。

現在、この岩崎城址には剣舞供養碑↓が建てられ
鬼剣舞にとって大切な場所の1つとなっているのだそうだ。
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そして、その剣舞供養碑と
広場を挟んで向かい合うように立つ「和賀忠親弔魂碑」。
武将である彼は 領地奪還のため花巻城を攻めるも
南部軍の反撃に圧され、この岩崎城に籠城。
落ち延びた先の国分尼寺で自害したとされる。
戦史としては悲劇的な印象のある彼だが、
仏教などの信仰を庇護することに力を入れ
彼の時代に多くの民俗芸能も花開いたと言われている。

弔魂碑前のロウソクに灯されたのが、
法輪寺さんの護摩から分火された火。
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火が灯ると、弔魂碑に囃子が奉納される。
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そして、いよいよ舞の奉納!
トップバッターは、地元・岩崎鬼剣舞
演目は「一人加護」。
この一人加護を舞えるのは、白面の舞手。
つまり、団体の中で最も上手い「一剣舞」だけ。
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ヒェー!カッコいい(*´Д`*)‼︎
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三番庭の狂いとか狐剣舞が好きだけれど
久々に見る一人加護、ステキだ(*´ω`*)

さて、ここまで徒歩で頑張って来たが
わたしは12時半までにさくらホールに行きたいのだ…
しかし、もはや到底間に合わない。
バス停まで歩いたところで、乗り合わせが悪すぎる。

こんな時は…テレレレッテテー♪
「乗せてもらう」ー!(ドラえもん風に)

そんなわけで、地元出身で歴史・旅行好き
とゆうおじいちゃんの車にお世話になった。
鬼剣舞見たの?あの岩崎城は、どうゆう場所かわかる?」
管理人が質問の意図を量りかねて静かにしていると
「あれはね、藩の境ちかくにある城だったわけ」と話は続く。
ココらへんは かつて南部藩仙台藩の境目だった。
ということは、度々争いの砦となる城というコトである。

そしてアイヌ語地名の話もしてくれた。
「岩崎城の横に夏油川ってのがあるでしょう」
そう。岩崎城は地形に恵まれ、
2つの川に守られた舌状地帯に建てられている。
その1つが夏油川。(川より温泉のほうが有名だろうか)
この夏油(げとう)という地名、
見るたびに「珍しい読み方だな」と思っていたが、
アイヌ語だから こんな無理な当て字になっているんだ」
とおじいちゃんが言っていた。

意味までは言っていなかったので帰ってから調べると、
「クッ(崖)」が「オ(ある)orトォ(険しい)」場所
というのがアイヌ語での意味らしい。
そして、アイヌ語地名なのはアイヌの人々が居たからで。
この辺りにも当たり前に住んでいたアイヌの人たちを
坂上田村麻呂が軍を進めては要塞を作り追い込んでしまった。
その要塞が、胆沢城であり志波城なわけで。
だからここはアイヌ民族とヤマト民族の境でもあったわけ。
と、そんな話だった。

勇ましい戦と。様々な死。
それが繰り返される藩の境・民族の境だからこそ、
鬼のように猛々しい明王たちが
念仏に乗せて舞う「鬼剣舞」が生まれたのかもなぁ。
なんて思いながらおじいちゃんの話を聞いていた。

*躍るササラ*

さて、面白い話を聞かせていただき
あっと言う間に さくらホールに到着!
公演にも余裕で間に合いました。車ってスゴイね!
(*'ω'*)
「躍るササラ 日高見の丘 シシオドリ大図鑑躍動の狂宴」!
コチラの公演では、シシたちが一堂に会し
涼しい部屋に座りながらにしてたくさんの団体が見られる。
逢いたかったシシに相見えつつ
熱中症予防の小休止までできるなんて…。贅沢!

様々な団体が登場するのですべて写真付きで紹介したいが、
とりあえず今回の記事では藩境つながりで
金津流野手崎獅子躍さん。
今回は「三光の儀」「礼庭」を見ることができた。
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遠すぎて画像が荒いが、
この舞台前方に立っている3本の御幣↑が「三光」。
つまり月、星、太陽を表しているという。
三光の儀は、そこに向かって
「これから躍らせていただきます」とゆう儀式。

続いて「礼庭」。
一番始まりの「さあ、みんな おどるぞ!」とゆう躍り。

〽昔より三式礼とは申せども
 一礼申して 立てや我がツレ 立てや我がツレ

〽南風 そよりそよりと吹くならば
 今年の稲穂は 八穂で八石 八穂で八石

未来の成功(大豊作)をあらかじめ祝って
現実となるよう願う「予祝」的な唄であるが。
さて、一体どれくらい豊作なのか。
1石は約180リットル。米俵1つは約72リットルらしい。
つまり「八穂で八石」は 1つの穂から
なんと俵2.5個分のコメが穫れる程のハイパー豊作!
すごいな。もはや豊作とかじゃなく品種改良の域。
Σ(・ω・ノ)ノ!

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金津流は、春日流や行山流と同じく太鼓踊り系。
頭の上には赤い華鬘結び。ながーいササラを付けている。
馬の尻尾で作られたザイはどことなく おどろおどろしい。

そんな共通点はありつつの、
ターコイズブルー(?)が目を引く春日流に対し
カシラや装束では赤が際立っているように見えたり。
中立のササラに黒い横線があったり。
パッと見ではそんな差があった。
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鳥居に向かっているシシたちを見ると、
華鬘結びの下 後頭部あたりに
四角いプレートの様な「金津次橋」の文字が見える。
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次橋は岩手でなく宮城県
現在の大崎市松山にあった次橋村のことだとか。
そこから犬飼さんという人によって江刺に伝授。
いまも複数の地域に金津流の踊りが受け継がれている。

躍るのを見て一番感じたのは
堅固さというか厳しさ?みたいな印象だった。
管理人は普段 屋外での奉納を見ることが多いので、
ホールでの音響がそうゆう印象になったのかもしれないが…
足さばきやカシラの振り方、重心など
素人ながらに どこがどうとは言えないのだが
なんだかバリアを張られているようなビリビリを感じた。
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司会の方からは、
これまた藩の境に近い奥州市江刺の芸能なので
「境を守る」という意味での重厚さや猛々しさ
なんてのもあるかもしれないですね。
というようなハナシもあったので、
あながち間違った印象でもなかったのか…?

この後は、幕踊り系の長野獅子踊り(岩手・遠野)。
子供たちの踊るカワイイ 子踊り、中太鼓、太刀振りを従え
ヤマドリの羽とかんながら(カンナで削った薄い木)を纏い、
種瓢(たねふくべ)とともにバッサバサ踊る!
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岩手の太鼓踊り系は だいたいシシのみが踊るけれど
幕踊り系は人とシシがともに踊ったり入れ替わりながら踊る。
というのが多い気がする。
ちなみに種瓢とは、夕顔の実(ふくべ)のうち
若いうちに干瓢(かんぴょう)にされず
翌年の種を取るために完熟するまで置いておくもののコト。
子孫繁栄や豊穣を連想させるアイテム。

続いて、お初にお目にかかる萩野鹿子踊り(山形・新庄)!
眼光鋭い他のシシとは全く違い、
ミステリアスな前髪に隠れて目が見つからない(あるのか?)
そして、シシの多くはキレイにそろった歯が見えているのだが
これは…顔が平べったすぎて歯もない!?
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知ってる物の中で一番近いのは河童かな…。
(現物は見たことないけど)
というこのカシラ、実はカモシカを模しているのだとか。
昔、カモシカを真似て踊ってみたら豊作になったので
それから踊られるようになったという。
岩手の太鼓踊り系のような大きな太鼓でなく
小さ目の鞨鼓(かっこ)をつけ脚絆を履いている所は
我らが群馬県の3匹獅子舞にちょっと似ていて親近感。
背中に「十日」という幟が見えているが、
後ろから見ると「十日雨」と書かれている。
そして、もう一方のシシは「五日風」の幟。
それが交互に来れば稲の実りが良いということらしい。

そして、最初に紹介した金津流野手崎獅子躍と同じく
岩手の太鼓踊り系である春日流八幡鹿踊(花巻)。
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水色(特にターコイズブルー)好きの管理人は
コチラの装束が大好きなので、
初めて芸人の春日(オー〇リー)を見た時
「こやつ…春日なのに水色じゃなくピンクだと…?」
という謎の感覚に襲われた(発想がおかしい)

いや、そんなことはさておき
今回見られたのは「二番庭」。
こちらも豊作を予祝する歌となっている。

〽白瀧の 水を引かせてかけたなら
  今年のお穀は八穂で八石
〽八穂で八石とるならば
  この御屋敷に 倉は七並み
〽七並みの倉の御子息は
  二階やぐらに昼寝して
   銭の枕に 金の手遊び

前の歌の最後を受けて
次の歌の初めの歌詞とする感じの歌。
「八穂で八石」は野手崎獅子躍と同じだが、
その結果 そこの息子が
おカネを枕に昼寝をして黄金で手遊びする
という様子まで歌われている。

ちなみに、昔 奈良で踊りを奉納した折に
春日大社から「春日」の名を賜ったことにより
春日流という名前になったそうだ。

後半の伊勢流なども見たかったが、
まだまだ外回り(?)でも見たいものがあったので
さくらホール公演は前半で退散。

始まりはシンプルに、
大切な人や生活に欠かせない獣たちへの眼差し。
でもそれが、人の願いをどんどん吸い上げ
地域ごとに少しずつ姿を変えていく。
たくさんのシシたちを一度に見て、
それをすごく感じるさくらホール公演だった。
(*'ω'*)

*おまけ*
詩歌の森公園で久々に見た「七頭舞」も
相変わらずステキでした(*´ω`*)
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