とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

神倉神社のゴトビキ岩。

*神倉神社と石たち*
前の記事に書いたが、クジラの町・太地には
あまり安く泊まれる普通のビジネスホテルがない。
なので、数駅離れた新宮で宿泊したわけだ。

最初は太地だけが目的地だったので
今回は熊野系には手を出すまいと思っていた。
(ゆっくり見るにはGWでは足りない気がした)

しかし、いつもはネットカフェに泊まっている管理人。
ビジネスホテルとはいえちゃんとしたベッドに寝たら
リラックスし過ぎて寝過ごしたわけですよ(笑)
大した寝坊ではないけれど、5時に起きるつもりが6時。

乗ろうと思った電車には間に合わず、
紀伊本線は本数が少ないので結構時間ができた。
そこで、出来心で行っちゃったんですね~。
神倉神社↓
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下調べ全くナシなので
「あれぇ、あんな山の中に鳥居みたいな色が見えるよ!」
※管理人はすこし視力が悪い
みたいな軽い気持ちで、神倉神社だとは思わずに…(オイ
まぁとりあえず吸い寄せられちゃったんです。鳥居見えたんで(笑)
こんな近くまで来て、神倉神社と気付かずに
電車まで時間があるから行ってみようなんてノリで…
もはや無茶をとおりこして無知!(ノД`)・゜・。
神社のブログを書いている人間とは思えない!
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遠くからは緑に埋もれた拝殿しか見えなかったが、
御膝元までくると立派な橋が現れた。
橋をわたると正面に
サルタヒコさんと三宝荒神さんの社がある。
三宝荒神さんについては「台所の三宝荒神さま。」に書いたので
細々したことについては省略。
特徴としては 明王様のような憤怒相で穢れを厭離し、
”仏法僧”=三宝を守る、荒々しいカミサマ=荒神
なぜサルタヒコさんと一緒に居るのかは調査中。

さて、それを横目に左折すると 立派な鳥居と
源頼朝が寄進したという石段がそびえ立つ。
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階段が「そびえ立つ」というのも おかしな表現だとは思うが
まさにそんな感じなのである。
あとで調べたら、階段は全部で538段あるらしい。
のぼれども、のぼれども、目前には段があるばかり。
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長野・布引観音の経験から
階段下にあった木の杖を迷いなく手に取ったが
やはりそうして正解だった…(´・ω・`)

そして、やっと到着。
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朝早くから、観光している家族連れが2組いた。
しかし、管理人がゆっくり見ていると
家族連れは写真を撮ったりしてアッサリ去って行った。
こんなに気持ちがいい場所なのになぁ。

人の声がしない。風が吹いている。

ここの風に当たっていると
風が体に入ってきて渦を巻くような感じだ!
(/・ω・)/ウォオオオ!
…あ。管理人はオーラが見える人とかじゃないので、
単純に朝の澄んだ空気でテンションあがったダケっす。
騒いですいませんね。

でもなんというか、
神社とか神様のいる場所というのは
「なんかココ気持ちいいわ~」
「いいところだしカミサマにはここに住んで戴くべ」
みたいな感じで決まることも多いのではと思う。

もしくは、スサノヲのように神様自らが
「やべぇ、超すがすがしい!新居ココにするわ!」
という場合もあったりね。
※スサノヲとクシナダの新居・須賀神社の話。
 (正確には清々しかったのは気候でなく彼のキモチである)

勿論、危険や苦しみのある土地だからこそ
救いを求めてカミサマが作り出された!
というパターンもあるけれども…。

さておき、こちらが名物(?)
神倉神社の「ゴトビキ岩」である。
ゴトビキとは新宮の方言でヒキガエルのことだそうな。

あまり目立たないようにとっているが、
ゴトビキ岩のすぐ下でヨガだか座禅を組んでる
旅人っぽいお兄さんがいた。
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神倉神社の祭神は
アマテラスとタカクラジ(高倉下と書く)ではあるが、
このゴトビキ岩が「御神体」とされている。
そして、実際この岩の 周辺からは経塚の形跡や
さらに昔の銅鐸なども見つかっているのだそうだ。

なので、おそらくこの場所は
神社という人工的な形になる以前から
岩に対する信仰が盛んだったのだろう。
「神倉」は「高倉下」と関連して「倉」なのか?
と一瞬思ったが、
イワクラ(磐座)という言葉のことを考えると
カミクラ=神座 つまりカミサマのいるところ
というのがモトの意味なのかもなぁ…。

とも思った。
ちなみに磐座というのも
信仰対象となる石や岩のこと。
つまりカミサマだったり、そのいる場所。

 

*熊野・信仰レイヤー*

レイヤーってコスプレイヤーじゃなくて
あの写真加工ソフトとかで重ねていくヤツね。
下書きレイヤーとか、線画レイヤーとか。
(熊野信仰コスプレイヤー、ある意味気になるが)

この神倉神社とか
それに関する神様がイマイチつかめないのって、
おそらく熊野が聖地すぎて神道にも仏教にも
それどころかもっと原始的な宗教でまでも特別視されて
その結果、レイヤー重なり過ぎたせいだと感じるのだ。

いろんな口伝や書物とか、別のレイヤー上にあるものが
あれもこれも同一視されたりこじつけられた結果
「レイヤーがすべて統合」された状態かな。
と、管理人は思った。
…某ア〇ビのフォト〇ョuserでない方、
イメージ湧きませんよね…すいませんねホント。

どんな伝説や歴史にも
「実はこうだった説」とか
「地元ではこんな伝説も」的なのはある。
だが、熊野の場合どれもこれも大御所(?)過ぎて
どれが大モトだか見えづらい!
自分で調べていてそう思った。

たとえば、
神倉神社でいえば
原始信仰レイヤーでは信仰対象は岩。
しかし神道レイヤーではアマテラスとタカクラジ。

そして日本書紀レイヤーで
カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇である)
が登ったのが天磐盾という山であるが、
いつの間にかこれが
天磐盾=神倉山であるという話になっていた。

さらに、
日本書紀レイヤーでは東征の経路の一部
というだけだった天磐盾が
「それってリアルでいう神倉山よ」
ということになってしまったがために

熊野権現が最初に降臨した地=神倉山」
という熊野権現レイヤーが重なったとき
天磐盾=熊野信仰の聖地!
ということになったわけだ。

そのうえ、当の熊野権現
「本宮」「速玉大社」「那智大社
3柱の神を合わせて熊野権現と呼ぶよ!とか
本宮に居るケツミコ=阿弥陀如来
速玉大社のハヤタマオ=薬師如来
那智大社のフスビ=千手観音
それぞれの神様に対応する仏様がいるよ!とか
それ以前に那智大社って元々は
修験道の修行をする場所だったから
「3社」の仲間じゃなかったよ!
とかいろいろなことを言い始めるので
それは もう大混乱である。

やはり、
そのうち那智には行きたいが
さすがにその時はよく勉強していかねば…
と思う管理人でしたとさ。



*タカクラジって誰だ*

レイヤーはまぁいいけど、
それ以前にアマテラスと一緒にいるの誰よ?
という方もいらっしゃるはずだ。

タカクラジノミコト
というとカミサマっぽいのだが、
彼じつは一般男性(?)である。
日本書紀に登場するのだから
何かしらの身分はあるのかもしれないが、
それにしてもカミサマではない。

では一体何をした人かというと、
熊野にやってきたものの
地元勢力にてこずって遂には気を失った
カムヤマトイワレビコに剣を持ってきた人物。

この剣、ただの剣ではない。
タケミカヅチ紀伊を平定した時に使用したもの。
つまりプレミア付きである。
ではどうしてそんなスゴイものを
人間であるタカクラジが持っていたのだろうか?

実は難航しているイワレビコを見て
アマテラスがタケミカヅチに言ったのだ。
「アンタか治めたあの辺、また騒がしいわよ」
「行って何とかしてしなさいよ」
それにこたえてタケミカヅチが言うことには
「俺が行くまでもねぇ。平定に使った剣でも落としとくわ」

そして、はたして
なぜかタケミカヅチは剣を落とす場所に
タカクラジのうちの倉庫を選んだのである。
タケミカヅチ
「お前んとこの倉庫に俺の剣落とすから、
 それイワレビコに持ってってやってくれよ」
といった夢を見たタカクラジは夢告の通りに動き
イワレビコの窮地を救ったわけである。

こう書くとイワレビコは主人公なので
冒険を繰り広げるヒーローのようだが、
地元からしたら攻めて来たヨソモノである。

某海賊王になる漫画で
「正義が勝つのではない、勝ったものが正義なのだ」
というようなセリフがあるのだが、
これもまさにそうだという気がする。

イワレビコが勝ち進んだので正義になっただけの話。
そのために日本書紀古事記では
地元民がよく分からない部族や動物のように描かれ
簡単に殺されたりしてしまう。
さらに、古くから信仰対象になっていた岩の横に
敵であるイワレビコの祖先であるアマテラスと
彼を助けたタカクラジが祀られている始末である。

気持ちのいい場所なのはサイコーだが、
たった一言「誅された(=悪人を討った)」
とゆう表現で登場するのみの地元勢力は
実際どんな存在だったのだろう。
と風の中で考える管理人でしたとさ。

次回はちょっとそんなことも話をしたいなぁ
(*'ω'*)