とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

二度目の「君の名は。」※ネタバレ含む

映画館で二度目の「君の名は。
何度見てもいいなぁ。
…というわけで今回はネタバレを含むかもしれません。

ネタバレされたくない方はコチラ!

君の名は。 - とまのす(1回目の感想です)


※ほぼ妄想です。ガイドブックとか持ってて
 「ちげーよ!インタビューにこうだって書いてあったぞ!」
 という方は教えてください
 (´・ω・`)ガイドブックホシイ…

 

*水宮家と三葉ちゃんについて*
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ヒロインである三葉のほうが
妹の四葉よりも活躍するのは当然の話なのだが。

普通に考えたら、不思議な力を持った女の子の方が
四葉」っぽいと思わないか?
ほら、四葉のクローバーとか言うし。
奇跡と幸運の象徴みたいな。

それなのに「三葉」が一番すごい力がある女の子だって、
あやしいなぁ。しかも、三葉の読みは
「みつば」ではなく「みつは」。

そして彼女の名字は「宮水」。
「口噛み酒」の神楽を奉納した時の装束は
龍の髪飾りに、龍の鈴である↓

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龍や蛇というのは
一般的に水の神の化身とされることが多い。
そこから考えても ほぼ間違いなく、
宮水神社は水とその神様を祀る御宮である。
(たぶん…)
そもそも「水の御宮」だから宮水なのだろうし。


そうかんがえれば、
「みつは」も水の女神であるミヅハノメから取ったのでは?
と勝手に妄想せざるを得ない。

ミズハノメは、
多くの島や神の産み親であるイザナミ
火の神・カグツチを産んだことで女性器に大火傷を負い
苦しみながら死ぬ間際にその尿から生まれた女神である。
三葉の母親がすでに他界してしまったというのも、
なんとなくそれを連想させる。

死んでゆくイザナミと産まれるミヅハノメ
神という清い存在の死という穢れ。
尿という汚物から生まれた清らかな水の神。

その正と負のあわいに生まれた女神の名を持つ
「みつは」だからこそ
過去と未来、男と女、生と死という
真逆の事象の中を行ったり来たりできるのでは…

なんてのは妄想し過ぎだろうか。

*「かたわれどき」と糸守*

作中で、三葉の祖母は三葉の作った口噛み酒を
「アンタの半分」と表現する。
口噛み酒を作るということは
自分が失われても残る「自分の半身」を作る
一種の呪術を行使することなのだと言える。

不思議な「入れ替わり」の夢を見るのは
代々水宮家の女性である。
また、口噛み酒を奉納できるのも
同じく水宮家の女性だけである。

なので、入れ替わりの能力は水宮家だけのものだ
とも考えられるのだが、

「黄昏(誰そ彼)時」を意味する「かたわれどき」
は糸守全体に浸透している方言であるし、
瀧が図書館で借りた本に「糸守の伝統工芸」として
三葉たちが作っていた組紐が取り上げられている。
つまり、もとは集落皆が組紐を作ることができたのだ。

考えようによっては、
以前は糸守の皆が多かれ少なかれ持っていた能力が
約200年ほど前に起きたという「繭五郎の大火」以来
その方法も使い方も失われ
水宮家にかろうじて形だけ残ったとも考えられる。

謎なのは、この大火の規模と被害。
「水宮家に伝わる書物も皆焼けたので
 今や口噛み酒の意味は誰も分からない」
と三葉の祖母は言う。

昔の水宮家の人たちはその意味を知っていたというなら
水宮家の大人たちは火災で死んでしまったのだろうか。
書物が燃えても人が生き残れば
口頭で伝えたり再び文書に起こすことができたはずではないか。

それとも、詳細を記してある書物を代々守ってきたが
記してある内容は知らないまま大火に遭ったのだろうか。

「糸守」地区、つまり
作中で祖母の使う言葉「ムスビ」の象徴ともなる
「糸」を守る、という名の村でその糸の原料となる
「繭」の名を持つ繭五郎が大火を起こしたことには
きっと作品的に意味があるはずなのだが…。

三葉が母が死にかけたことで産まれたミヅハノメならば
繭五郎は母に大火傷を負わせたカグツチなのだろうか。
だとしたら、
繭五郎の大火が三葉の「入れ替わり」に何か一役買っているんだろうか。
それとも単に伝統(神、イザナミ)を殺しかけた男(男神カグツチ
と、その消えかけた伝統の中に生まれてきた少女(女神、ミヅハノメ
というだけの話なんだろうか?
※そもそも「三葉がミヅハノメと関係ある」という前提を
 疑わずに話を進めていることがキケンだろうか…。

この辺はガイドブックでも買った後でまた要検討ですな。

*時系列と水宮神社について憶測*

作中で、テッシーが検索した記事に
「糸守湖は1200年前の隕石落下によってできた隕石湖」
と書いてある。
つまり、糸守には1200年前にも隕石が落ちている。
そして今回隕石が落ちたのは2013年。
前回は813年ごろということだろうか。

その時代であれば、
もう世の中に神社というものは存在したはず。
だが、ここが山深い村であったことや
山頂付近であることを考えれば
この地域の祭祀は神社より古い形態を残していて

いま御神体を屋根のように守る大きな岩は
もとは天体や太陽を祀る磐座(いわくら)
=祈りをささげるため座る場所や祭壇だった
と考えることもできる。

もとは天体全般を祭祀対象としていたが、
1200年前の彗星落下の際に
岩の下に隠れた村民がその様子を
岩陰の天井に残しそれを信仰した可能性もある。

もしくは、
作中に登場はしないが
彗星を見ていないはずの時代の誰かに対し
彗星を見た水宮家の女性が「入れ替わり」を行って
彗星落下の事実を後世に伝えるために
岩に彗星を描かせた可能性もある。

※…と思うのは、
 1200年前の絵にしては色彩がはっきり残っているためだ。

蛇足だが、
この御神体がある場所は
山頂にある窪地。つまりカルデラの可能性がある。
だとすればここでも
火山(火の神、カグツチ)により
窪地・水のある土地(水の神、ミヅハノメ)が生まれる。
という構図となる。
(いや、その考えに取り憑かれているだけかな…)

さらに、813年の隕石落下から数十年か数百年経って
隕石の落下によってできた窪地が豊かな湖となり
その周辺には人が集まるようになったはずだ。
その時代に、糸守湖の水神を祀るため作られたのが
現在の水宮神社だろう。

その時代にも御神体のある山頂は信仰されていたが、
若者の脚をしても辛い道のりである。
自然と信仰の中心は山頂(奥宮的な位置づけ)から
今の水宮神社(里宮的位置づけ)に移っていっただろう。
実際日本にある神社でも、観光客に有名な神社は
どこかしらの奥宮の里宮である場合も多い。

作中で代々続く神事とド田舎にうんざりした三葉が
神社の階段を下って糸守湖に向かって叫ぶシーンがある。
これは、つまり水宮神社の参道が
まっすぐ糸守湖の方を向いているということだ。
三葉・四葉姉妹が神楽を舞った神楽殿も
湖の方を向いているように見える。
(作中で建物の位置関係が分からなかったので違うかもしれない)

これは、長野の諏訪大社諏訪湖の位置関係に似ている。
今でこそ諏訪大社から諏訪湖は(多分)見えないが、
昔は諏訪湖の水位が今より高く
もっと諏訪大社の近くギリギリくらいまでは
諏訪湖だったと言われている。

もしそうだったとしたら、
諏訪大社の境内からも水宮神社と同じように
鳥居を通して湖が見えていただろう。

前回見た時よりは
「〇年前」とか人の名前や
神社と周辺の位置関係を気にして見ていたつもりだったが、
全然、考えてもわからないことがいっぱいである。

これはもう、3回目を見に行くしかない!
(/・ω・)/ヨッシャ