とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

君の名は。

レイトショーで新海誠監督の「君の名は。」見に行ってきた。
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まぁ、この作品がどんなに綺麗か
どんなところがどうだという総評や
あの部分はこういう意味だとゆう解釈は、
いろんな人がいろんな所でしてくれているだろう。
後、もちろんネタバレしてほしくない人もいるだろう。

なので書きたいことだけ書くけれど
管理人的には「災害と神事の伝承」というところが
意外につぶさに描かれていてステキだった
(*´ω`*)

もっと個人的に言えば
なぜ自分がこんなにいつも神社のことを書いているのか言語化できた。

これぐらい↓は内容をバラシても許されるだろうか。
この話のヒロインは田舎の神社の子である。
そして神社に伝わる神事の担い手であるわけで、
祖母は毎度村に伝わる話を彼女らに話している。

ヒロイン姉妹は少し聞き飽きて耳タコであるが、
要は 大火事で村が壊滅状態となったことがあり
いまヒロイン姉妹が継承している神事は
「意味」の伝承が失われ「形」のみが残った。
そして今も形だけが語り継がれて行われているとゆう話だ。

しかし(何が起きるとは言わないが)
作中で今度こそその「形」の伝承までもが
完全に消え去ろうかという事態に見舞われる。

アニメだからこそ劇的な展開にはなるが、
これ自体は今も日本中で起きていることなのではないか。
意味が失われても、その形を続けている人たちがいる。
形が一度失われていても演じていた人
(さらに言えば映像だけでも誰か残していれば)
形は記憶されている。

だが、逆に後継者がいても
その土地でその形を伝承していかない場合もある。
それを再び形になるまで復興するか、
人に伝えて残すか、残さないかは当事者次第だが。

そういう部分含め、
絶滅危惧神事の若い担い手に関して
アニメにありがちな特殊な設定とかじゃなく
結構リアルに近いんじゃないかと感じた。

作中で登場人物たちは色々印象に残るセリフを言うが、
管理人が一番共感したのは
主人公の一人・タキが就職面接で志望理由を話す場面だ。
彼もテンパってゴニャゴニャだったし、
そんなにはっきり記憶できていないけど、
「日常的にそこにあるものが ある日突然なくなる
 というのは例えこの東京でもあることだから、
 心にも残る風景(建物?)を作りたいと思って…」
みたいなことを言っていた気がする。

実際彼は内定をまだ一個も取れていないので、
この言葉はあまり大人たちに響いてないようなのだが。
でも、曖昧さや無力感も含めてタキの気持ちは
自分が神社の写真を撮っているときの気持ちに結構近い気がした。

自分が何を想定して
「いつかこの神社が無くなってしまうかも」
「いつかこの神事が途切れてしまうかも」
と思っているのか分からない。そこは漠然とだが。

東日本大震災熊本地震が起きて、
実際 学生の頃に行ったことがあった神社が
いくつか無くなっているのである。

だから、例えばこのブログにのせた祭りが
数年後何かの理由で続けられなくなるかもしれないし
ココに書いた神社が明日天災で無くなってしまうかもしれないと、
とてもリアルに想像することがある。

国宝や文化財になっているモノが天災の被害を受ければ
全国の人はすぐにそれを知るし
資料もたくさんあるから修復も早いかもしれない。

でも、村社の例祭なんかはどうなのだろう。
その地域の人以外あまり見に来る人もなく
もし、その地域が壊滅的な被害を受けることがあったら。
誰がその小さな、いまさらもう
どんな神様がいたかも分からない社を立て直すだろうか。
その土地の人の暮らしを守るための神事を
他の土地で暮らす誰が覚えているだろうか。

だから、有名どころの祭りも見たいし
華やかな祭りも撮りたいけれど、
なるべく小さな祭りを見つめていたいのである。

顔が見える人に確かに伝える「口承」は大事だが、
誰が見ているか分からなくとも
紙に書いたモノがこの世に存在するのでなくとも

ここに浮かべて不特定多数の目に触れ
その中の何人かは最後までちゃんと読んでくれて
たまにはシェアまでしてくれたりする。
管理人の記事に限らず
ネットに浮かんだ全てについて言えることだ。

語り手(発信者)不在時も
聞き手(読み手)が受け取ることが出来
語り手(配信者、シェアラー)になれる
とゆうのも1つの伝承の形になり得るのかもしれない。
と、思うことがある。
伝承ならぬ「電承」とでも言おうか。

大袈裟だと思うかもしれないが、
いつもなんとなく考えていたことが
この映画を見て言語化できそうかも、とゆう気分になったので。
自分が忘れないためにも書いておかせてもらった。


*蛇足・その1*

ミツハの家は神社だが、いわゆる里宮だ。
集落の南西にある山を越えたあたりに奥宮があるらしい。
そして、ココは何か
東北の「不地震地」のような場所なのかもしれないと思った。
地震地とは、地震が来ても揺れの少ない土地のことだ。
こうした土地には、それらしき地名が残り
地震が来たとき逃げ込むべき場所として語り継がれていたりする。

まぁ作中の天災は
地震津波とは頻度が違うし
奥宮の地名はわからないのだが。

しかし前回の被災後に安全な土地に奥宮が作られ
やがて通いづらい奥宮より
里宮が信仰の中心になったのではないだろうか。

そして、
ミツハの祖母が語る「繭五郎の大火」によって
神事の意味だけでなく
奥宮の場所の意味や里宮との関係も 語る人はなく
記録も消えてしまったのかもしれない。

※作中の「入れ替わり」という不思議な力を
 この奥宮や神酒や災害回避とつなげると…と考えると
 キリがないしネタバレになってしまうので
 実際の神社に言える部分だけ書いていきますー。

この奥宮もそうだが信仰の場とゆうのは本来、
生きようとする土地の者みんなにとって
意味のある場所だったハズだ。

天候の変化をいち早く知らせる山であったり、
大きな津波に飲み込まれずに残った土地だったり、
日照りの時も そこだけは水が絶えない川だったり。

つまり、誰でも意味を知っていた。

それが段々と生活と信仰は離れてしまい、
生活は技術を介して地に接するようになり、
人は風や雲を読めなくなり 重要な場も忘れ、
信仰は空に浮いているような感じになってしまう。
そうして意味が忘れられてしまえば。

次の天災が来るまでに
人は「伝える」ことも忘れてしまうはずだ。
生き残った人が、
次に誰かが生き残るために伝えていたものを。

そう思うと、
昔々のおとぎ話を聞くような心地であっても
語る人すら 本当の意味を知らなくても
伝承をつなぐ!
というのは重要な責務のようにすら思えて来る。

*蛇足・その2*
とつぜんだが作中で、
かなりハッキリ背景に道祖神が描かれるシーンがある。
道祖神は大抵
道の分岐点や集落の出入り口(境)に祀られる。
ミツハが酷い転び方をしたあの時
物理的な道だけでなく時間・未来・そして2人の分かれ道を
おそらくあの道祖神は見守っていたのだと
管理人は勝手に思ったのだとさ。

ちょっとネタバレしてしまったかもしれないが、
自分が神社や祭りについて思うところを
再確認できた映画鑑賞でした~。
(*'ω'*)