部屋の掃除をしていたら、
いろんな物の隙間からメモ紙を発掘。
(つまり部屋がとても汚い)
アシタカについての民俗学的憶測まとめ。
*キャラクター設定の時点で
アシタカの帯は他の男性より高い位置に決まった。
↓
アシタカがまだ大人でないことを示している。
今でも成人男性は腰骨あたりで帯を締めますが、
こどもはウエストあたりあたりで帯を締めますよね。
これはアシタカの「境界性」を表した設定なのかも。
*アシタカは「もののけ姫」の中で
あらゆる意味での境界人。
↓
上記の「大人と子供」の境界のほか、
「神と人」の境界、「生と死」の境界。
●神と人の間という存在
人間でありながら森と共に生きるサンより、
むしろアシタカの方が実は神様に近い気がするんです。
作中の境遇に至る生い立ちを見れば、
サンは人身御供としてモロに投げ与えられた赤ん坊。
アシタカは神殺しにより呪いを受けた身。
未開社会の信仰や神話を扱った
弱体化した宗教的王を殺した者が新たな王となる「王殺し」は
古今東西の神話に登場します。
アシタカがタタリ神にしたことは、
この「王殺し」的な意味を持つのかもしれません。
また、日本には昔から妖怪や幽霊と力比べをすることで
この世ならぬ力を得るという民話がたくさん残っています。
アシタカも(呪いと同時に)神の力を与えられていますね。
そういう意味でも、彼は人より一歩神様側に近いかもしれません。
●生と死の境を行き来する
元々髪を結っていたアシタカ。
村を出る時に髪を切り、頭巾をかぶります。
力士がマゲを切るのは引退の時。
武士も命を失う程の覚悟でマゲを切ります。
宮崎監督自身も、
「マゲを切るというのは人間でなくなること」
という表現をしています。
髪というのは今でこそ自由だけれど
昔は結い方によって立場を示すものだった。
それを切るということは、
いままでの身分や立場を捨てることであり
共同体所属者としての権利をなくすことです。
加えて、
頭巾で頭/顔を隠すということは
常世へ往来する者=死者を表します。
<例>
死装束の白頭巾のほか、
秋田・西馬内盆踊りの彦三頭巾など。
つまり、
アシタカはエミシの村から死者として送り出された
と言ってもいいのかもしれません。
しかし!
私の頭の中では
アシタカが生死の往来を始めるのはここから。
生死の境界を往来する、というのは決して
「死の呪い」を受けたという意味だけではありません。
作中での頭巾の有無は場面ごとのアシタカの心情が
・人間社会/神話世界どちら側にあるのか
・定住民/漂泊民どちらの立場なのか
に対応して変化しているような気がします。
死者としてエミシの村から送られた彼は
木霊の森の中で倒れている牛飼いの甲六に出会い、
死んだと思われていた彼らをタタラ場へ連れ帰ります。
エボシに「旅の御方、ゆるりと休まれよ」と言われ、
アシタカは頭巾を一度外します。
=神話・黄泉・漂泊民世界からの浮上
しかし、浮上したものの
片腕に宿る神の力をゴンザに向け
サンと両成敗とはいえエボシに刃を向けることで、
エボシを慕うタタラ場の女性に撃たれ瀕死の重傷を負います。
このシーンでは、アシタカは頭巾を被っています。
=コミュニティからの再離脱、再び神話・漂泊世界へ
と、こんなかんじで。
そして最後にサンたちの傍らに居ながら
「私はタタラ場で暮らそう」と言葉にするシーン。
このシーンでは頭巾を身に付けていません。
なんとなく頭巾を気にして全体を見ると、
カヤによって神話・漂泊の世界に産み落とされたアシタカが
サンによって史実・定住の世界に産み直される物語
それが「もののけ姫」であるという気がしてきます。
いろいろ散らかっていますが、
すごく眠いのでキレイにまとめないままオヤスミナサイ…
く(・ω・;)