とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

でか山めぐる青柏祭

さて、もう6月も第3週が終わるというのに
今回はGW中に行った石川県・七尾の記事(;'∀')
どんだけサボるんだ、といいたいところである。
(いや、自分ですけど)

七尾の電車は落ち着いた あずき色。
凹凸多めのレトロな車体でかわいらしい。
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宵山
今回の目的は青柏祭(せいはくさい)。
巨大な曳山(通称・でか山)が登場する迫力ある祭りだ。
登場するのは3つの「山町」から出る3台の曳山。
その3台が山王社に集まるのが見どころらしい。

ということで、まずは その集合場所・山王神社へ!
※案内や地図によっては大地主神社と書かれている
七尾駅から徒歩10分ほど。
三角屋根のような装飾がある「山王鳥居」が立っている。
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実際曳山が集まるのは明日の昼だが、ちょっと下見。
鳥居から参道までには距離があり駐車場的スペース。
きっとここに並ぶのだろう。

この祭りの難しいところは、
3つの曳山が別々の動きをすること。
経路云々よりも時間差がかなりあるのだ。

例えばこの鍛冶町の山車↓は、
5/3の21時に地元である山王神社付近の三差路に停まり
しばらくはそこで写真を撮られたりしている(宵山)。
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両脇の商店と比べても、巨大さはお分かりいただけるだろう。
これが、青柏祭の曳山が「でか山」と呼ばれる所以だ。
そして21時半ごろ山王神社に向けて曳き出しが始まる。
本山では若衆たちが木遣り台(曳山前後の足場)に乗るが、
宵山では小さな子たちが祓彩(ザイ)を振る姿が見られる。
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未来の木遣り衆たち。こんなに遅くまで起きてて大丈夫か?
(既に22時を回っている。おねーさんはもう眠いよ…)
山王神社に到着するのは23時過ぎ。
そして鍛冶町の山車は神社で一泊し、明朝に動き出す2台を待つ。

次に動き出すのは府中町の山車↓
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日が変わってから動き出すので、
この曳行は「宵山」でなく「朝山」と呼ばれている。

雨と寒さに見舞われ 眠気も限界に達し
「午前1時は朝ではない!」と叫びたい管理人だった。
午前1時に画面奥の印鑰(いんにゃく)神社から曳き出し、
山王神社に到着するのは朝7時。
ほぼ夜通し曳いているようなものである。

そして その到着の1時間後。朝の8時。
最後の魚町の曳山が山王神社へ向かう。
魚町については「宵山」は無く、
この山王神社へ向かう曳行がいきなり「本山」。
※あと2町の本山と言えば山王神社から帰る曳き出しのこと

いや、でもそんな 全ての曳行を始終見ていたら
ひ弱な管理人は睡眠不足で倒れてしまうからね。
府中町↑の出発は見届けたし、
魚町↓も何とか曳行前に発見して写真に収めたので…。
今夜はもう寝ます!(と言ってこの後40分くらい道に迷った)
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ちなみに、手前に建っている電柱を見ていただくと
小さな赤いランプが設置されているのが見えるだろうか。
夜間、このでか山たちが電柱に当たらないよう
曳行経路にある電柱にはこのランプがついているのだそうだ。
加えて、電柱自体の高さも他の道より高くできているらしい。

そしてこの大きな車輪!
20tにもなる巨大な山車を支えるため、劣化は免れない。
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これだけの車輪の材料となる木はなかなか手に入らず、
国外から木を仕入れることもあるようで…。
これはもはや日本中の山車・屋台・曳山に言えることだが、
本当に維持費・修繕費を工面するのは大変らしい。

*本山*
さて、翌日の昼過ぎ。
管理人がぐっすり寝ている間に
府中町のでか山は山王神社に到着し、
のんびりゴハンなど食べている間に
魚町のでか山も 神社まで来たことだろう。

という訳で、再び山王神社前へ。
おおおおぉぉ!3台 揃ってる!
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そして昼過ぎ、
着いたのとは逆の順番で
山王神社からでか山たちが曳き出されていく。

*知恵の結晶・辻回し*
さて。ここで、
青柏祭の見どころの1つ「辻回し」を見てみたい。
秩父夜祭の「屋台」や京都祇園祭の「山鉾」もだが、
この青柏祭の「曳山」も例に洩れず操舵性がない。
自動車などは車輪の角度が変わるので舵が効くけれど、
基本的には「まっすぐしか進めない」ということだ。
ソレを様々な方法で方向転換させる辻回しは
多くの祭りで見どころとされている。

秩父夜祭では2本の梃(てこ)で屋台を持ち上げ、
軸になる芯棒を屋台の下に入れて回す。

祇園祭では山鉾の車輪前に青竹を並べ
その上を滑らせるように曳いて進行方向を変える。

青柏祭の曳山は 梃を使う点では秩父と似ているが、
なんと梃は1本しか使わない。
ザックリ言うと 梃子で曳山を持ち上げたら
曳山の車輪と90°軸のちがう小さな車輪を下ろし、
曳山を横から押して方向転換する。

人は多いが、辻回し1回に結構な時間がかかるので
場所さえ確保すれば写真には収めやすい。
辻に差し掛かったでか山は一旦止まり、
若衆たちが「ヤーンサーのドッコイショ」の掛け声で
方向転換させたい方の車輪に大梃子↓をかませる。
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45°ほどの大梃子に1人目の若衆が登り、
大梃子と直角に交わるよう角材↓を結わえ付ける。
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結わえ付けた角材と大梃子の先端で、
最初に乗った若衆を中心に数人で櫓↓を組む。
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そして櫓から大梃子の根元まで 若衆が次々に乗っていく。
木遣り衆やOBらしき人の唄う「大木遣り」が上がる。
歌詞の内容は目出度いものが多いが、
結構艶っぽい…というかもはや下ネタも少なくない。
この動画に関しては初っ端から下ネタ(´・ω・`)
「新幹線は~男か女かを問~えば、答えは男よ~」
さぁ、そのココロは!?続きはWeb(動画)で!

青柏祭(2018.5.4)大梃子と若衆

続きを聞くと、下ネタながらひねりの利いた理由で
「きっと渾身のネタだろう」と勝手に関心(笑)
こういうのは言葉遊び的要素も多くて、
しかもなんといっても唄なので語呂が良い。
(祭が終わってもふとした瞬間に脳内リピートされる)
何よりそれでテンション上がっている
楽しそうなおじさんたちを見るのが好きです。

まぁ管理人の趣味はさておき、
掛け声に合わせ全員で大梃子を上下に揺らしながら
少しずつ地面と同じくらいの角度まで下げてゆく。
すると梃子の原理で巨大なでか山が傾く。
人が多くてあまり写っていないが、
その間に「地車(じぐるま)」と呼ばれる車輪を下ろし
行きたい方向へ引っ張れるよう綱を付け替える。

地車は通常の車輪と90°違う方向を向いているので、
一旦これを下せば方向転換自体は一気に90°回せる。
そして、また地車を抜くために前述の工程を繰り返す。
遠くで見ていると何をやっているのか全く見えず
「えらい時間かかるなぁ。何してるのかなぁ」
と感じてしまうのだが、近くで見るとこんなに楽しい。

そして、少し時間をおいて最後に
昨夜山王神社に着いた鍛冶町のでか山が出発。
曳き出し前には「七尾まだら」が歌われ、
着流し風の法被を着た木遣り衆たちが舞う。


青柏祭 七尾まだら(2018/5)

宵山でも見られるが、
「これで今年の祭りも終盤」という
哀愁のこもった七尾まだらはいいものだなぁ。
と一人でしみじみ。

関東の山麓に住む管理人は船方歌にあまりなじみがなく
「七尾まだら」という名前が非常に気になった。
調べてみると「まだら」の語源はいくつもあり、
玄界灘の馬渡島(まだらとう)の船方が歌い始めた
曼荼羅から転じた言葉
など色々な説が載っていた。
ちなみに七尾だけでなく「輪島まだら」などもあるとか。

正直、自分で撮った動画を見ても聞き取れないが
「めでためでたの若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」
というたった二節の言葉の 音を伸ばして伸ばして
なんと5分間かけて歌い上げるという驚異の祝儀唄。
青柏祭では木遣り姿で舞うが、
結婚式や祝い事では紋付き袴を着て舞われるという。

役付きの人だけでなく、
祭を見に来ている地元の人も結構歌える
というのが何だか「いいなぁ」と思ったり。
長野県民で言う「信濃の国」みたいなもんなのかなー。
(ちょっとちがうか?)
群馬ってそういうの無いなぁ。
みんな八木節唄えるわけじゃないし。
ちょっと羨ましい。

 

犬猿を弔う祭?

さて、祭りの様子を紹介してきたが
一体この祭りは何のために始まったのか?
というと 戦って相打ちになった霊犬と猿神のためだとか。

その昔、この山王社には猿神がいて
年に一度村の娘を捧げさせていたという。
しかし ある年。
その年に捧げられるハズだった娘の父親は
猿神が恐れているものを知るのである。
それは「シュケン」という名の者だというので、
父親は期日まで必死で「シュケン」を探した。
果たして、そのシュケンとは白い狼(山犬)だった。
人に害をなす猿神は もとは三匹であったが、
シュケンは二匹を噛み殺し一匹逃してしまった。
その一匹が山王神社の猿神であるとシュケンは語る。
そして父親を背に乗せ七尾へ駆けつけると、
祭の夜 娘の代わりに猿神の元へ向かった。
死闘は夜通し続き、翌朝村人が様子を見に行くと
二匹は相打ちとなって横たわっていたという。
シュケンを弔い、猿神の怒りを鎮めようと
七尾の人々は毎年神社に大きな曳山を奉納することとした。
これが青柏祭の始まりだという。
蛇足だが、
犬猿の仲というだけあって、猿神退治と言えば山犬。
信州にもこれに似た「早太郎伝説」がある。

山王神社と言えば猿は神使とされているので
その山王神社で猿神をやっつけてしまうのって
NGじゃないの?大丈夫?と思う部分はあるが…。
その猿神が居心地が良くて勝手に住み着いたのか
もともとはカミサマ的だったものが変質して害をなしたのか
というのは謎が残るトコロ。

気になることは色々あるが、
何週間たっても更新できないループにはまりつつあるので
この辺で一旦終了しますー。
(/・ω・)/マタネー

龍と比羅夫と 穂高神社。

せっかく中萱のお舟祭りまで来たので、
今までなかなか来られなかった穂高神社にも来てみた。
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祭神は、
ワダツミの息子であり安曇氏の祖先・ホタカミノミコト。
併せて、
ホタカミの父でもある海神・ワダツミ、
安曇氏出身の武人・阿曇比羅夫(アズミノヒラフノミコト)
なども祀られている。

神社名については
穂高見命を祀っているから穂高神社」というのが無難なところ。
北アルプスの名峰・穂高岳の鎮守であるから」説もある。
穂高岳はホタカミノミコトが降り立ったと伝えられている山。
境内には、その奥穂高山頂に座す「嶺宮」の遥拝所が。
社は小さいが、池が広がる良い場所だった。
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ちなみに、奥穂高の嶺宮は こんな↓かんじ。
※池の近くにある説明板の写真を拝借
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この写真を見ても御想像いただけると思うが、
標高3000m超にあっては参拝もままならない。
ということで、
管理人が訪れた里宮のほうがメジャーではある。

境内にはいろいろなものがあって、
たとえば、道祖神の聖地・長野にふさわしく
「日本最大の道祖神」があるというのだが…
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…まじか!石に彫ってあるんじゃないのか。
なんかちょっと磨崖仏並みの岩壁に
双体道祖神が彫られているのを期待してたんだけど…
なんかすごく予想の斜め上!
まさかのステンレス道祖神!しかも立体的!
Σ(; ・`д・´)
コレが一体、どんなタイミングで作られたかと言うと
長野県が長寿日本一になったのを記念して作ったらしい。
だから2人は若い男女でなく翁と媼なのね。
そして素材も、変質しづらいステンレスと。
(*´ω`*)
ちなみに境内には、「塩の道」千国街道沿いから
寄進という形でやってきた道祖神たちも。
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寄進とは言っても 地域で管理しきれなくなり
縁ある穂高神社に預けられた道祖神さんも多いようだ。
かつては栄えた街道沿いも 過疎に見舞われ、
道祖神のお世話ができる人も減ってしまったのだろうか。
境内の径沿いに並んでいる道祖神を一つ一つ見てみれば、
同じ双体道祖神とはいえバリエーションは様々。
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こちらは、我らが群馬県安中にある
通称「餅つき道祖神」を復元したもの。
復元と言っても無くなってしまったわけでなく、
秋間にある飽馬神社付近に今もあるのだが…
残念ながら風化が激しく表面はガリガリ。
「そう言われればそう見える」レベルとなっている。

八衢(やちまた)神・塞神(さいのかみ)のほか
性神としての伝承も残る道祖神
この「餅つき」というのも男女の睦事の隠喩とされる。
それを道端に建てるとは、なんとオープンでおおらかな…。

道祖神たちに別れを告げ 境内の奥へ進むと、
大仏の螺髪のようなパンチパーマ系狛犬
牙は短めの、カエル風な口をしている。
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そして、こちら↓の神馬は
ちゃんと木曽馬がモデルとなっている。
ので 、一般的な神馬像より頭身が低く可愛らしい!
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※こっち↓は瞳孔開いててちょっと怖い
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…とまぁ、神社境内の紹介はこんなところで。

 

*ふたりの比羅夫*

前回の記事で写真を使った安曇比羅夫像も
境内に入ってすぐのところにある。
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さて、この人。前回も少し紹介したが もう少し。
彼が生きたのは朝鮮半島と日本のつながりが強い時代。
百済へ使者として派遣されたのをきっかけに、
日本でも百済の遣いや王子の接待役を務めた。
また白村江の戦い(唐&新羅vs百済&日本)では、
当時日本にいた百済の王子(豊璋)に
百済の王位を継がせるべく水軍を率いて出征。
結果的には倭国軍は敗戦し新王擁立は叶わなかったが、
政治的に重要なポジションを任されていたことが分かる。

ちなみに、同じころ蝦夷攻めで猛威を振るっていた
阿倍比羅夫という人物が教科書に載っていたはずだ。
同名だが別人だという意見がある一方で
2人が同一人物だという人もいる。
安曇族が長野まで来た理由についても、
白村江での敗戦でなく蝦夷攻めのための派遣だ。
とも言われたり。

確かに名前は同じだし活躍した時代もかぶっている。
かぶるどころか両者とも白村江の戦に水軍を率い参戦。
共通点は非常に多い。
ただ、阿倍氏と安曇氏と言われるとやはり別物では?
という気もしてくるのだった。

*安曇族の足跡*
まぁしかし、いずれにせよ
そのように水軍を扱える海人系氏族ということは
どう考えても水がある土地に強いのではないか?
もっと西にも大きな湖はあるのに…。
なぜ琵琶湖を通り越して長野を本拠地に?

と思っていたら、実は西にも安曇族の足跡が!
彼らが元々本拠地にしていたのは
九州の「志賀島」という島なのだそうで。
滋賀県の「シガ」は志賀から来ているという。
また、琵琶湖の西側には「アド川」という川があり
「安曇」と書いて「アド」と読むのだそうだ。
どうやらこのあたりにも安曇族は根を張っていたらしい。

そして、長野の中で考えると
諏訪には湖があるが安曇野には無い。
できることなら安曇氏の人たちも
水が豊かな諏訪に住みたかったかも知れない。

しかし諏訪の地には 当然のごとく諏訪氏がいたハズだ。
諏訪氏は既に欽明-推古天皇(620年代まで)の時代
信州から全国に名を轟かせていた。
であるから、
安曇氏が白村江の戦いをキッカケに北上したなら、
諏訪に到着したころソコは既に
確固たる諏訪氏の土地であったことだろう。

安曇野と水*
ただし、安曇野では全く水運技術が役立たないか
と言うと それは違う。
皆さんも大王わさび農園でわさびソフトを食べたり
安曇野のおいしい水、的なミネラルウォーターを飲んだり
したことありませんか?ありますよね?
(なんで強気)

安曇野信濃川水系の河川がいくつも流れ、
湧水も川の水も豊かな土地。
明治時代までは犀川を利用した水運事業が盛んで、
今でもちゃんと2つの漁協がある。
山に囲まれた内陸とはいえ
水上に生きる術が活用できる土地だったはずだ。

加えて、松本・安曇野の民話の世界を見てみると
安曇野には遠い昔 湖があった可能性が記されている。

たぶん以前も話題に上げたような気がするが
辰の子太郎として有名な「日光泉小太郎伝説」である。

大筋としては、
ある所に小太郎とゆう少年がいて、
母親は犀龍という雌龍である。
産まれた息子を人間の夫婦に託し姿を隠したが、
ある日 小太郎と母は再会を果たすことができた。
最終的には犀龍が息子を背に乗せて湖を突き破り
人が住めるよう切り開いた…とゆう話である。

かなりはしょったが、
気になるのは息子に再会した母が
「私は諏訪明神の化身なのです」と
結構重大な事実をカミングアウトすること。
そして一方の小太郎は、
母の住む安曇野の湖を拓き耕作地とすれば
人間が豊かに暮らせると母に相談している。

この相談をした小太郎が安曇氏であり
当然諏訪明神の化身である犀龍は諏訪氏なのだ!
諏訪氏が土木技術を以て安曇氏の開拓事業を援助したのだ!

…という考えもあるようなのだが、
安曇野の治水の歴史にはもっと古い記録がある。
(書物上の話ではあるが)

もっともっと昔(ヤマトタケルの東征より昔)
垂仁天皇の弟という人が安曇野を訪れた際
「この土地では度々水害があり皆困っております」
との訴えを聞き治水を命じたと言われている。
この時に工事の指揮を任されたのが
日光(ひかる)白水郎(あまこ)という人物らしい。
あまこ とは潜水を得意とする者=海人族のこと。
ひかる はその集団の長の名だとされている。

縦書きにすると「白水」が「泉」となることからも
日光泉小太郎=日光白水郎 であり、
龍と小太郎の伝説は
龍神の導きで治水を行ったヒカルさんの話!
という説の方が、管理人は腑に落ちる感じがした。

それがいつから安曇氏と結びついたかは謎だが…
もともと安曇野に伝わる白水郎の物語に
安曇氏の安曇野開拓の話がミックスされたか、
外から来た安曇氏が自らの権力の根拠を示すために
地元の伝説に乗っかったのかもしれない。

*湖を突き破るカミサマたち*
こうした「湖を破って土地を拓く」神話は
蹴裂(けさき、けさく)伝説と呼ばれ各地に存在する。
有名どころでは
安曇野では諏訪明神(=タケミナカタ
甲府盆地はオオナムチ
・出雲の亀岡盆地もオオナムチ(&オオヤマクイ)
阿蘇山カルデラはタケイワタツ(タケイオタケ)
が湖を蹴破ってできた土地とされている。

気になるのは、これら3柱のカミサマが
結構近い親類関係だということだ。

オオナムチはオオクニヌシと同一視されている。
つまり、タケミナカタの父にあたる。
一方の阿蘇神社の祭神・タケイワタツについては
彼のお嫁さんがタケミナカタの曾孫(or夜叉孫)だ。
ちなみに、授かった次男坊はタケイナセ。
母の地元・長野(科野国)国造に就任し、
諏訪大社神職・金刺氏の祖になった言われている。

日本の神話や各神社の社伝というのは
特定の氏族・政権に都合のよい筋書へと編纂され、
婚姻関係が捏造される可能性もあるが…。
しかし、この神々の関係性がそのまま
実際の氏族間の関係や功績を反映していると考えたら、
離れた土地ながら婚姻を以て強い親戚関係となった
治水や土木技術に長けた系譜だったと考えられる。
勿論、これらの神とは親戚関係ではない神も
蹴裂を行うことがあるので一概には言えないのだが。

*蛇足*
今回の穂高神社に行くまで、
龍が自分の姿を恥じるってどうゆうこと?
子供は人の姿なのに龍だからって意味?
子供のことを思って人間の夫婦に子供を託し
自らは人ならぬ姿だから姿を隠したの?
と思っていたが…
この像を見て納得とゆうか衝撃
((((;゚Д゚)))))))
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えっ⁉︎犀龍って、サイみたいな体型の龍ってこと⁉︎
白龍とか呑龍とか、そういう感じの単なる名前かと…。
たしかに、龍の世界でこの体型だったら
言葉通り姿を恥じて身を隠したと言われても納得。
この発想は無かったので、管理人的には衝撃でしたとさ。
(;゚Д゚)

春の安曇野、お舟の祭り。

長野は諏訪に行くことが多いが、
今回は北へ行って安曇野に行ってきた。
安曇野は(諏訪に比べて)なんて近いんだ!」
というのが第一印象。
群馬から新幹線だと、愛しの諏訪は松本のさらに先…
東京からあずさで行けば乗り換えナシですぐなんですけどね。
(´・ω・`)


松本はオシャレ雑貨や漆器、こだわりの工芸品etc…
を扱う店が立ち並び メチャクチャ都会だった
(((;゚Д゚))
今回の目的は「お舟祭り」。
安曇野では穂高神社のものが最も有名だと思われる。
が、実は松本〜安曇野にかけて多くの神社で
海から離れていながら「お舟」が主役となる祭事が行われる。
時期は様々で、GWや秋の収穫の季節など
場所を選べば見られる機会の多い祭りである。

春に行う神社は多くはないが、
今回は安曇野市三郷の楡(にれ)の住吉神社へ。
最寄り駅から徒歩30分。途中にはいくつかの神社がある。
(とゆうより、神社以外に道しるべになるような店がない)

*三郷 熊野神社
まず通ったのは熊野神社
陽が傾き始め、逆光で神々しい…!
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境内と道路は水路で隔てられ、橋が橋として機能している。
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「橋が橋として」って何言ってんの?と言われそうだが、
境内の渇いた場所に(嘗ては水があったのだろうが)
突然ポッコーン!と設置されていて
単に神様が降りてくる場所としての神橋
もしくは「ココから神域ですアピール」になっている、
という状況の橋が多いというのを前提にした感想である。
まぁ、ちょうど田植えの時期だったので
ここも冬になれば農業用水は止まり渇いてしまうのかもしれないが。

狛犬はいかついポメラニアンみたいな感じで、
顔は強めだが体型は可愛い。
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おお、これ↑は もしや
台湾の狛犬みたいに口の中で球が動かせるのか?
(高すぎて確かめられず)

そして、境内には御神木「加助の逆さ杉」。
慶応2年に暴風により倒れ舎利古木となった、
という記録が残されているとのこと。
加助とは貞享騒動を主導した多田加助のことで、
彼が逆さに差した枝から大きくなったという伝説があるとか。
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拝殿に挨拶し、また公道を少し進むと御堂が出てきた。
どうやら広大な神宮寺だったらしいが、
松本城の築城にあたり木材として徴発され廃寺…!
(;゚Д゚)ナンチュウコッチャ…
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先ほどの熊の神社と、次に行く伍社宮。
どちらの神宮寺だったのだろうか?

*伍社宮*
そこからすぐ伍社宮に到着。
まず目に入るのは、この立派な狛犬
狛犬自体がさほど大きいわけではないが、
石を積み上げた山の上にいて躍動的なポーズ。
毛の流れや爪の一本一本が精巧な感じがした。
管理人は狛犬にそんなに詳しいわけではないので
このつくりは何年代の特徴があるとか誰の作だとか
そういうのは分からないが…。
狛犬好きの方にはオススメしたい
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拝殿の前には千度石らしきものが埋まっている。
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本殿は元・穂高神社のものだという。
1829年式年遷宮で払い下げられ、
以降この伍社宮の本殿となっているそうだ。
そのため(囲われていて見えないのだが)
向拝部分のデザインには共通する部分が多いらしい。

各地の大きそうな「伍社宮」「五社宮」を探すと、
日・月・星+天王(スサノヲ)・トヨウケ
という5柱を祀っている所がいくつか。
それとまた別系統で、
1柱の大神+4柱の合祀された神
を合わせて「五社」と呼んでいる所がいくつか。

この伍社宮は、どちらなのだろう。
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神紋は諏訪梶↑(=諏訪大社上社と同じ)なので、
祭神はタケミナカタさん+4柱なのか?
それとも神紋を戴いた上社摂社?
祭神については調べても分からず。
直接問い合わせてみるしかないのかもしれないが…
電話が苦手なので先延ばしになりそう。
(´・ω・`)

さて、拝殿の向かって左奥へ進むと
何やらモシャモシャした社!なんか野生みある!
と覗いてみたら、中には「三峯神社」のお札が。
オオカミさんでした(*'▽')
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オオカミさんの護符と言えば
関東では「御嶽山」が多いイメージだが、
信州は なんとなく三峯さんが多い気がする。
偶然目についたのが三峯さんばかりだった可能性もあるが…。

夕暮れに近づく山並み、
本当に長野とゆうところは美しいなあ としみじみ。
(地元・群馬の山も好きだが)
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*三郷 楡 住吉神社
そしていよいよ、住吉神社到着。
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神社の前が公園のようになっていて、
宵祭の日には ココで山車が御披露目される。
とゆうわけで、明日の本祭を前に船型の山車「お舟」を拝む。
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…語彙が貧困で申し訳ないが、
とにかくデカい。とゆうのが管理人の感想。
船上には穂高人形(ほぼ成人の等身大程度)が飾られ、
歴史や伝説上の名場面が再現される。

今回は「頼朝の猜忌 ついに義経の館を襲ふ」。
義経の手腕に妬みや懐疑の心を募らせ、
ついに頼朝が弟の館を襲う場面だ。

ちなみに、同地域には他の地区にもお舟がある。
こちら↓は最寄り駅・中萱にあったカレンダー。
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神紋が描かれた幕なので、今回の住吉地区ではなさそうだ。

ちなみに、住吉神社のお舟祭は
楡と住吉という2つの地区が行っているらしい。
であるから、お舟も2つある。

あたりが暗くなった19時ごろ、
遠くから太鼓の音がして もう1つの山車が登場。
動くとさらに巨大に見える!
軋みながら 揺れながら 広場に到着!
しかし管理人のiPhonでは暗くて全く撮れない!
Σ(´・ω・`)
とゆうわけで、
地元のおじいちゃんに明日の開始時間を確認し、
スゴスゴと松本に帰ることとした。

*豊科 踏入八幡宮

本祭の日の朝。
実は、この日 近くで別のお舟祭りが 行われる。
中萱から2駅離れた豊科駅で下車し、
だいたい徒歩20分で踏入八幡宮に到着する。
踏入(ふみいり)という地名を見て、
誰が踏み入ったのか非常に気になったが…。
唯一見つけた情報では
湿地帯に民が「踏み入り」水田を開墾した。
という由来が語られていた。
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新しげな、綺麗な拝殿だ。
伍社宮と同じく、拝殿前に千度石のようなもの。

お舟祭りは「宵祭」をする所が結構あるので、
運が良ければ 神社付近に一晩 山車が飾られているのでは?
と踏んだのだが…どうやら読みが外れた。
近くに空き地はなく、お舟は見つからない。
しかし、いろんな方向を向いて耳を澄ませると
すごく遠くで太鼓の音がしている…。
それを聞き分けて位置を特定しようとしているのに、
神社のBGMがうるさすぎる…
その後、田んぼの畦道などに侵入しつつ なんとか発見。
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こちらが豊科・踏入八幡宮の「お舟」。
住吉神社の大型船舶のような山車とは、
だいぶ様子が違うのがお分かりいただけるだろうか。
あの大型船舶みたいなのは「穂高型」と言うらしい。
八幡宮のお舟を曳いていたオニイサンたちが口々に
「こんにちはー!」「インスタにupしてくださいw」
と言っている。真に受けてアップしておこうか
とも思ったが、結局まだやっていない…。
|д゚)(←アップロード不精)

本当は こちらの祭も見たいのだが、
お兄さんたち ゴメン!私は中萱へ急ぎます…
(´・ω・)
2駅しか離れていないとはいえ、電車は1〜2本/時。
逃すとマズイ。炎天下の中、走ったり歩いたりして
無事 おじいちゃんが教えてくれた時間に到着。

*楡 住吉神社(本祭)*
お舟が境内に入る前の舞殿では
地域の女の子たちが舞を奉納していた。
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ここの地域の子は、みんな巫女舞を踊れるとゆうことなのか?
君の名は。」の三葉と四葉を思い出した。
クラスの好きな子が踊ってたら絶対見に行っちゃうよね!
(*'ω'*)※煩悩男子脳です
そして、舞が終わると ついに お舟が境内へ!


安曇野市三郷 住吉神社 お舟祭り(2018.4.29)

鳥居の高さギリギリ、参道の広さギリギリ。
昨日は暗くて見えづらかったが、
ブワブワと大きく揺れながら近づいてくる!
とゆうのも、この巨大山車
真ん中の骨組み以外は竹で作られているのだ。
内側から見るとこんな感じ。
(パノラマ撮影ヘタクソなのでガタガタしてます)
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拝殿前に2台のお船がハの字に並ぶと、
地域を曳行する前に拝殿で神事が始まる。
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この後 氏子地域を曳行し 境内で餅まきをして祭りは終了。

まあしかし、
何故こんな山に囲まれた地域で「お舟」なのか?
…というと、まず
この土地に何氏が住んでいたかという話になる。

そもそも ここが安曇野と呼ばれるのは
安(阿)曇族と呼ばれる氏族が住んでいたから。
この安曇族の始祖はワダツミ(海神)とされている。
モトは福岡あたりを本拠地とし、
漁業・塩作り、交易を生業としていたらしい。

福岡に居た海人系氏族が長野まで来た理由は、
・指導者であった安曇比羅夫の戦死
・もしくは その敗戦自体?  
…など諸説あるらしいが、正確な所は分かっていない。
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こちらが安曇族の長・安曇比羅夫
※写真の像は穂高神社のもの
安曇族について考えるとまたキリが無くなるので、
とりあえずその辺は そのうち
穂高神社の記事にでも書くとして…。

その海人系氏族・安曇氏の皆様が住んでいたので
山間部でありながら
巨大な「お舟」が登場する祭が多いのだとか。

ちなみに、
他のお舟祭もいくつか紹介すると…
数あるお舟祭の中で最大のお舟は
記事の前半で立寄った中萱熊野神社のもの。
8月の最終土日と社会人にも優しい日程となっている。

そして船の数ではやはり穂高神社だろうか。
5艘の船が各町内を回った後
穂高神社境内に集まり大人舟同士をぶつけ合う。
コチラは毎年決まって9/27。
これは先程の安曇比羅夫の命日とも言われている。
ちなみに今年(2018)は木曜日です(ノД`)・゜・。

ついでと言っては何ですが、
安曇野のみならず諏訪大社にも
下社お舟祭り というのがありまして。
これまた今年は8/1水曜(宵祭りは火曜)。

持て余すほどの夏休みがあった大学時代に
もっと平日の祭りを攻めておけば…!
と思う社会人ウン年目の管理人だったとさ。

まぁ、いつかは こう
他の祭りと曜日と仕事の業務量の兼ね合いで
平日の祭りも毎年ちょっとずつ見れたらな…。
と思っとります。
(/・ω・)/!
とりあえず、安曇族出てきた辺りから
強引にはしょった感あるけど今回はここまで!
記事長くなると更新どんどん遅くなるからね。
祭4/29だったのに この文章書いてるの5月半ばだからね…。

シシの故郷の菅原神社。

4/21朝、管理人は新幹線に乗りながら考えていた。
とりあえず岩手には向かっているが、
日曜日は結局どこに何を見に行こうか。

候補としては
中根子・地蔵堂の上根子神楽
大迫・大償神楽 春の舞
舞川・菅原神社の鹿子踊り

駅から近い上根子神楽に一票、
3年に一度とお貴重な菅原神社例祭に一票、
かねてより憧れている大償神楽に一票、
東京や東北六魂祭で見たことがあり
なんとなく愛着を感じている上根子神楽・鹿子踊りに各一票…

うーん、こいつは接戦だ。
車に乗れればハシゴもできるが、
二級危険運転士である私がレンタカーなど借りたら
地域の皆さんにもレンタカー屋にも家族にも迷惑だろう。

…というようなことをSNSでつぶやいていたら
友人になっていただいている鹿子踊りの踊り手さんが
「一関でピックアップできるかメンバーにきいてみようか」
という超☆棚ぼた提案が!!!何と恐れ多い!
例えばジャニヲタに置き換えてみてくださいな。
「地方でライブあるけどペーパードライバーだから歩いていく」
ってツイートしたら 偶然ソレを見たアイドル自身に
「これからゲネプロだから車でピックアップしてあげる」
って言われたようなもんですよ!
ジャニヲタじゃないのでよく分かってないし、
そもそもライブのリハもゲネプロっていうか分からんけど。

ちなみに、舞川と一関の距離感はこんな感じ。
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まぁそんなこんなで今年の運を使い果たすレベルの僥倖により
なんと行山流舞川鹿子踊りの練習を拝むことが出来、
さらには採りたての たらぼ(たらのめ)の天ぷらと
お風呂&フカフカお布団を恵んでいただいたのであった。
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↑敷地内で採らせていただいた たらぼ。

そんなわけで(遅くまで飲んではいたが)
心身ともにハイオク満タンな朝を迎え、
泊めてくださった鹿子踊りの方たちとともに伝承館へ。
(神社直行でなくココで準備をするとのこと)
みなさんが慌ただしく準備をする中
置いてある装束などを少し見学させていただいた。

その後は 一旦お暇して単独で神社へ。
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のどか~な風景である。
たんぽぽも咲いて、いい季節。

岩手には巨石が多いというが、
石碑や庚申塔など全体的に大きい。そして多い。
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境内では既に今年厄年の方が集まり、神輿の準備。
(御輿を担ぐのは厄男さんたちなのだそうだ)
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前日の夜聞いた話では、
菅原神社の神事自体は毎年やるのだが、
今回のように「お祭り」的な行事となるのは3年に一度。
なので、担ぎ手は本厄+前厄・後厄の方も入って
ちょうどよく3年周期で回っているのだとか。
ちなみに神輿を担げるのは男性だけらしく、
女性はスーツに神社の法被という姿で後ろの方に控えていた。

そして、なにより気になっていたホルスタイン神牛と対面!
ピックアップを提案してくれた方がやっているシシ踊りが
「行山流舞川鹿子踊り」というものだと知った時、
どこの神社をホームにしている踊りなのか調べていて
この衝撃的な神牛の写真を見つけたのである。
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何より面白いのは、同じ方が作ったであろう説明板に
「道真公のピンチに どこからともなく黒い牛が現れて」
とゆうようなことが堂々と書いてあることである…
(*´ω`*)黒くないやんけ…

このカラーリングに関しても昨晩訊いてみた。
私の知り合い(40代)の方は
「そういえばアレ誰がいつ塗っちゃったかな」
と言っていたが、泊めていただいた家のおじいちゃんが
「や、アレ最初からああだった」と。
奉納された当時を知っている方が言うなら間違いない!
さらに「牛ったらこういうもんだと思ってたのかもね」と。
まぁたしかに酪農の盛んな土地で育ったら
「牛=ホルスタイン!」
とゆう刷り込みも当然といえば当然か…?
とにかく長年気になっていた牛さんについても
いろいろ聞けてよかった~。

神社の拝殿はこんな↓感じ。
中は薄暗くて上手く取れなかったが、
入った両脇に左大臣・右大臣がいる様子。
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神輿の出発までまだ時間があるようなので、
境内社を見てみる。
立て札があって非常に助かった…。
なければどなたが座す神社だか分からず
眺めて終わってしまった。

まずこちら↓は「若木神社」と書いてある。
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管理人の知っている若木神社と同じ神様であれば
秋田生まれの天然痘・疱瘡除けの神様のはず。
発疹の出る病気に効くとあって、
本家若木神社では皮膚病平癒を願う人もいたとか。
(読みは「おさなぎ」神社ですよー)

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次は「大日霊(おおひるめ)神社」。
オオヒルメはアマテラスさんと同じ神様とされることが多い。
アマテラスはイザナギ夫婦の三貴子であり
また天皇家と関わりの深い伊勢神宮におわすので、
どことなく「最高神」的な特別感を醸しているが…
それに対し「オオヒルメ」は彼女を単に
太陽の女神(+それに伴い農耕神)的な意味で祀る
というニュアンスが強いような気がする。

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そして山神社。
山の神といえば箱根駅伝…ではなく
オオヤマツミやオオヤマクイ、オオモノヌシ。
そのあたりが連想されるだろうか。
しかし、社でなく石仏風の像のみが祀られている。

御幣?大幣?を持っているので、
山岳密教系の仏様とかではなさそう。
社殿はないが神道系なのだろうか?
それとももっと古層の土着系の…
姥神さまとかソレ系の神様なんだろうか。
社殿で覆わず覆殿的に屋根だけで守られている。

管理人が気になったのは、
屋根の骨組みに付けられている
この(玉入れの)玉のようなもの。

岩手という空間的繋がりで 思い出したのは
遠野のカッパ淵にあった紅白饅頭のようなもの。
そちらはどうやら妙見信仰に基づく乳神さん
(布で乳房を象ったものを作り母乳が出るよう祈願)
だったのだが今回は形がちょっとソレっぽくない。
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どうなんだろう。
その手のものは どの地方でも、
乳房を象るというだけあって饅頭型が多い。
しかしこれはちょっと米俵型である。
赤いのに関しては、もはや唐辛子のような形だ。
遠野の紅白饅頭との関連性、自信がなくなってきた。

「何言ってんの?山神様と紅白の布と言ったらアレだよ」
という方がいたら是非ご教示願います…

さらに、その三社の後ろには手すりと坂があり
登ると横には本殿が見える。
拝殿とは結構な高低差だ。
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そして、その手すりの先には八臂弁財天。
頭上に鳥居があるので宇賀神も乗っていると思われる。
(宇賀神=おじいさんの顔をした蛇体の神様)
不明瞭だが、頭上の鳥居の中の
こんもりしたモノがそうだろうか…。
余談だが、サッカー選手の宇賀神の名字を見たときは驚いた。
何地方のどんな氏族出身か非常に興味ある。
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しかし、この大きな川のない舞川で
しかもこの水害もなさそうな高い土地で
なぜ弁財天なのか?
と、実際神社にいるときは思った。

しかし 帰って地図を見れば舞川は広く、
北上川に近い平地までもが舞川なのである。
それも、北上川が大きく湾曲した弧の外側。
洪水などで川が決壊すれば外側の方が被害は大きいだろう。
そして、管理人の行った地域は一関市街から見ると山だが
地形のわかる地図で見ると山あいの低地だった。

実際に災害が起きているか検索すると、
思いの外すぐにたくさんの記事がヒットした。
それだけ被害が大きかったということなのだろう。
具体的には、昭和のカスリン・アイオン台風。
2度とも磐井川が氾濫し市街地は被災。
カスリン台風では死者・行方不明者100人超え。
アイオン台風に関しては473人が犠牲になっている。

後者の方が氾濫時の水位は低かったようだが、
2年連続で台風に見舞われたために
前年の被害から復旧途中での被災であり、
また夜間だったことも被害拡大の要因かもしれない。
詳細は、参考にさせて戴いたこちらを読んでいただきたい。
伝えたい、あの記憶 - 一関市

こちらの画像は
岩手河川国道事務所さんのホームページから。
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この地図の「第3遊水池」あたりから下が
(画像には入りきらないが)舞川地区となる。
低地の周りに堤防を築き 氾濫をプールすることで、
被害が市街地に及ぶことを防ぐという方法である。

うーん、結局この弁天様は
水害が多い地域だからというより
水害の際に助かる場所と示す弁財天さんか?
それとも水害に見舞われていた地域から
合祀みたいな形でやってきたんだろうか?

前日に一回神社を下見して、
生き字引なおじいちゃんに聞いてみればよかった…
と後悔(´;ω;`)
ちなみに弁天様の近くに小さめの梵鐘があった。
災害用時の警報用か、純粋に仏教的梵鐘かは謎。


さて、管理人がそんなことをしていると
定刻になったようで拝殿の前に神輿が移動。
本殿→神輿へと神様に移動していただくのだろう。
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そうしているうちに準備を終えた鹿さんたちが、
太鼓の音とともに道を歩いて登場。鳥居の前に並ぶ。
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もともと門付け芸(寿ぎや供養のため家々を回って演じる芸能)
であるため、踊るときに歌う「舞い歌」のほか
その場所を褒める「褒め歌」というものがある。

相変わらず 完全には聞き取れないが
というか管理人は日常生活でも
人の言っていることを年中聞き違えているので諦めよう。

立った状態で始めに歌っているのは
「太鼓の調べきりりと締めてささらを揃え」
(調べ=太鼓の皮を張っている調べ紐のこと?)
つまり自分たちの仕度について言及しているみたい。
そして褒め歌は
「参り来てこれの(や)鳥居(を)見申せば
  二本柱は白金(しろかね)の
 笠(かさ)と貫(ぬき)には黄金(こがね)なるもの」
と聞こえる。違ってるかもしれないけど…

つまり、神社に到着してみたら
なんてすばらしい鳥居なんだろう!
って感じで褒めてるんですな。
管理人は殆ど神社以外で見たことがないので、
門褒め・家褒め・庭褒めなどは聞いたことない。
神社では この「鳥居褒め」が多いように思う。

本来は結構即興性を求められるものらしく、
昔、ある屋敷の家長が
「ちょっと仲立(シシのリーダー的な人)を困らせてみよう」
と褒めづらいような料理を出してみたり、
また武家の方は賜りづらいような刀や冠(だったか?)
をあげると言ってみたり…etc
みたいな記録が残っているらしいのだが
(それぞれ別の本に書いてあったような気が。出典忘れ)
いずれの場合も見事に即興で褒め歌を返され
一本取られたね、みたいな笑い話が多いようである。

さて、
それが終わると、いよいよ氏子地域への行列。
ただ登るのも(そこそこ)しんどい階段を
ゆっくりと注意深く神輿が降りてくる。
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階段もさることながら、この注連縄も難関っぽかった。
鳳凰がバサバサぶつかっている(;゚Д゚)
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さらに、神籬(ひもろぎ)・猿田彦・御供物と続き…f:id:ko9rino4ppo:20180425214148j:image
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道に出てからは法螺貝を持った方がその前に立っていた。
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階段は草履→道ではちゃんと高下駄になっていた。

その後ろに民謡流し的な方々が続き、
鹿子踊りがしんがりをつとめるというフォーメーション。
(民謡流しのBGMが、やや不調だった…)f:id:ko9rino4ppo:20180425214414j:image
鹿さんたちのそばにいたので気づかなかったが、
道に出てからは いつの間にか神馬ちゃんが合流していた。
鹿さんたちを見に来たはずが 馬愛がはみでて、
ストーカーのように神馬ちゃんの周りをウロウロし
あらゆる角度から写真を撮りまくる管理人。
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行列の休憩中、
馬を眺めてニヤニヤいている私に気づいたのか
馬を曳くお兄さんが 配られているジュースをくれた。
(子供だと思われたか?)
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前髪まとめてる!Kawaii!…ビニテ、取るとき痛くない?
そして目の上擦りむいてしまっている…。

飼い主さんらしきおじさんに話しかけると、
なんと「チャグチャグ馬コ」の先頭馬を勤めている子だとゆう。
草モリモリ食べてんのに鼻とか頤とか触りまくってごめん…
可愛くて つい(*´ω`*)

大きなおしり!きれいな模様!
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…そういうえば、以前 チャグチャグ馬コを見ていて
他の観光客の方が自分のお子さんに
「みてごらん、道産子だよ!おおきいね!」
と言っているのを見て訂正したい気持ちでいっぱいだったことが。
道産子じゃない!道産子は日本の在来馬で、小さいんだ!
ばんえい競馬の「ばん馬」と勘違いしていないか父さん!

道産子ちゃんは木曽馬や与那国馬などと同じ国産馬。
基本的に日本の在来馬はモンゴルの馬がルーツらしく、
体型もソレに準じている様な感じだ。
ポニーよりはスラッとした体型で、おとなしめ。
身体も強く扱いやすい とっても日本に向いた馬なのだ。

だが、北海道の開拓や産業の効率化を進め
更には戦争へと向かう時代が来た。
御上の意向で 馬匹の大型化が図られるようになり、
小型の馬である在来馬は去勢を余儀なくされ
一度は絶滅してしまったりもした。
(そして今も、天然記念物に指定されはしたが減少し続けている)

そんな流れの中、日本にやってきたのが
フランス生まれの「ペルシュロン種」。
ちなみに この子もノルマンディー地方出身らしい。
せっかく遠く東の果て・日本に来て、
地元に根付いてくれたペルちゃんたち。
現在はこうした祭事以外にはあまり仕事がないそうだ。

祭りを守るためには馬っこたちは必要で、
でも農耕も機械化され荷物もトラックな現代。
馬を飼っていることで上がる生産性と比べると
経済的な負担の方が上回ってしまうことがほとんどらしい。

普段乗馬クラブでお仕事している
アラブ馬ややサラブレッドたちですら、
結婚式場や歴史祭り的なものにバイトに行っている。

祭りを担ってくれている馬や飼い主さんのためにも
保護したり指定するだけでなく
良いお仕事が色々広がったらいいなと思う。
森を傷つけない 木材の馬搬とかね。
…ハッΣ( ・∀・)馬が可愛すぎて脱線した…

特に今回の祭りでは ここに寄ったりはしないが、
行列の途中にお寺さん発見。
曹洞宗の常川寺(じょうせんじ)さんというらしい。
山門前には石碑・石仏が何体かあった。
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表面が磨耗してしまい、
仏さんの種類までは判別が難しい。
(分かる人は分かるかもしれないが)
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そして、左側に小さめのお堂。
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中はこんな感じだった。
四角っぽい帽子をかぶった像がいくつも転がっている。
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仏様じゃないっぽいいけど閻魔様かな。
それとも、ほかの十王様たちも全員揃っているんだろうか。
(閻魔様が有名だが、地獄の裁判官は10人います)
そして真ん中には掛け軸。ご本尊様一尊の絵ではなさそう。
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13尊いらっしゃるので、おそらく「十三佛」。
亡くなった方が無事極楽へいけるよう手助けしてくれる
と言われている仏様たちだ。

そして池。棚田の名残みたいな自然な感じの池。
姿はよく見えないが大きい鯉的な魚が
たまに「ボシャッ」と虫を食べにあがってくる。
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季節も良かったのか、花がたくさんで美しい。
その花たちに囲まれて、道の脇に猟友会さんの鳥獣供養塔。
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曹洞宗なので、禅宗らしい彩色なしの彫刻。
でもかなり造りが細かくて素敵。
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さて、無事行列が終わった後
一行は舞川市民センターへ。
といっても学校の体育館レベルの大きさで、
管理人の町内の公民館とは全くレベルが違う。

そして広場に神輿を置き、
神職さんや氏子総代らしき人たちが集まっている。
御神輿を担いだ=厄年の方たちと神事をしているみたい。
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それが終わると、いよいよ鹿さんたちの出番!
(*´ω`*)
こないだ多摩動物公園では雌鹿隠しだったけど、
今回は…三人獅子?三人狂い?(←演目聞き逃したやつ)


菅原神社例祭(2018.4.21)


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相変わらずの跳躍力!
しかも今回は若シカさんが多く平均年齢低めらしく。
春の始まりにエネルギー補給できた!
この充電を使って来たるGWに備えるぞ!
(と書いているのはGW真っ只中。更新遅くてすいません)

中洲を偲ぶ、諏訪湖畔めぐり。

皆さん、なんと4月になってしまいました。
風邪をひいて外出できない時こそ
下書きに溜まった記事の消化を…。
ということで、
諏訪湖畔の寺社について記憶を発掘する
インドアな年度始めとなります。
(とか言っていたらパソコンの不調でさらに更新遅れた)

*甲立寺(こうりゅうじ)*

岩手やら鹿踊りの記事を挟んだので
ちょっと脳みそが諏訪モードから離れてしまったが…。
前々々回(前前前世みたいに言うな)は
八剣神社の祭神や神社名を燃料に だいぶ妄想が捗った。→http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2018/02/17/000000

その八剱神社と同じブロック(というか隣)に
八剱山・甲立寺 というお寺さんがある。

どうやら木造の愛染明王坐像が有名らしく、
山門に「市指定有形文化財」的な張り紙がある。
が、その愛染明王は あくまで「脇侍」という扱いであって
現在 ここの御本尊様は十一面観音なのだそうだ。
※後で調べてみたら、さらに昔は本尊:大日如来だったという情報が。
 当時、愛染&十一面には各々御堂が与えられ本堂には居なかったらしい。

あとで考えてみると十一面観音といえば
水難・水害除けの願いを込めて建てられることも多い。
つまり水とはとてもつながりの深い菩薩サマなのだが、
訪れている最中は 八剱神社-甲立寺-水が上手くつながらず。

足長神社(山側)から散々歩いて甲立寺に至り
また街中にある寺院で直接湖が見えなかったせいもあり、
諏訪湖との位置関係がイマイチつかめていなかったようである。

現地にいる時は極々単純に
「鏝(こて)塚」なんてあるんだ~。
包丁とか針はよく見るけど日本人は本当に塚が好きだな!
左官屋さんたちが作った鏝塚の隣に太子堂
さすが建築(大工)のカミサマ聖徳太子
とか そんなことしか考えていなかった
(´・ω・`)我ながら浅い…。

中でも最も単純だったのが
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「この八臂弁財天、造り細かくてスッゲー…!」
というまさに小学生並みの感想である。
この弁天様が後で妄想の燃料になるとも知らず…。

*八剱神社*
さて 前回あれだけ好き勝手に長々語ったのに、
また登場です八剱神社!(八剱神社のせいではない)
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ちなみに前回「御渡神事は八剱神社の特殊神事」と言ったが、
その神事の度 毎年御神渡りの様子を記録し続けた2つの書物
「當社神幸記」と「御渡帳」というものが現存している。

しかも、神社秘伝で宮司以外見られない!とかではなく
諏訪市博物館の常設展示で見られるのだ。
オモシロイものが色々あって入館料は良心的な300円!
是非、諏訪に行ったら入ってみてくだされ。
※月曜・祝日翌日は休館らしいので注意!

余談だが、この御渡帳という名前からも分かるように
湖に氷堤がせり上がる現象自体は「御神渡り(おみわたり)」
諏訪湖の神事に関わる文脈の場合は「御渡(みわたり)」
というように似たような言葉だが使い分けがされている。

ちなみになぜ記録が2種類あるかと言うと、
「神幸記」は1682年までの記録。その先は「御渡帳」に続く。
2つ合わせれば、その記録は429年間にもわたるという。

それを踏まえると、御渡神事の年占いというのは
非科学的な神託のようなものでなく
ビッグデータを参照した統計的予測に近い…のかも知れない。

諏訪の年占いで有名なのは
諏訪大社下社で1月に行われる筒粥神事
そしてこの八剱神社で行われる御渡神事。

片やミクロ、片やマクロな神事であるが
どちらも、空気中の温度変化や湿度はもちろん
酸素濃度、地中・水中の環境変化etc…目に見えないことを
目に見える形に変換して観察するという超すごい方法だ。
と、管理人は感じている。
ちなみに、管理人が一番好きな年占いは
餅や粥を一定期間放置して生えたカビを観察し
種類・位置・量などで一年を占うというヤツである。

こうして見ると、そもそも神託や占いというのは
夢に出たとか神がかりの人がこう言ったとか
そういう「超常現象」的なことではないのではないか。
自然をつぶさに見続ければ知ることができる小さな徴を
集団全員が見える形に増幅する装置が神事…なのかも。
と考える管理人でしたとさ。


*浜中島弁財天*

さて、突然だがトコロ変わって諏訪湖のほぼ対岸・岡谷。
かの(?)洩矢神社がある地域だ。
ここに道路を挟んで弁財天と御社宮司社がある。
まずこちらが弁財天。
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丸みを帯びた可愛らしい屋根に、
葛井神社や先宮などで見られる「注連掛鳥居」。
(鳥居の一番上の横棒がないパターン)
ここまでは「ちょっと変わった社だなぁ」的な感じ。

そして覗くと 琵琶を持った弁財天がいた。
石材店で売ってるような石造りのモノだが、
なんだか祀られている感じで奥に居るのではない。
御堂の格子戸のすぐむこうにいる。
そしてその横には弁財天の御姿を描いた絵が、
少し狭そうに(しかもどことなく雑然と)飾ってある。

なんだかツッコミどころ満載な配置だが、
さらに扉には賽銭投入用と思しき穴のほか
向かって右の底辺あたりに前方後円墳形の穴が開いている。
覗いて見ても流木のようなものが見えるだけで謎。
何なんだこの穴。何のために開いてるんだ。

あまり年季が入っていない弁天像や
扉の謎の穴を見ているうちに、
「昔からの社に個人で色々やっちゃった謎のB級社」
の仲間では…という失礼な気持ちが湧いてきた。

さらに、運よく合流できた長野の知人が隣で
「変だよねぇ。なんか角度が変なんだよねぇ」
と独り言(なのだろうか)を言っている。
たしかに、そう言われてみるといろいろ角度がおかしい。
いや。おかしいというと失礼だが、めずらしい。

というのも、この弁天様は鳥居が湖と反対側で
社は鳥居と90°曲がって…いや、
文章で説明できる自信がないので
こちら↓を見ていただきたい(´・ω・`)
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このように、次に話す御社宮司神社と弁天様は
道を挟んで「鳥居は」相向かい状態だ。
では社も相向かいかというと、それは違う。
常に見つめ合っていると気まずいからか?
(そんなわけあるかい)


そもそも諏訪湖畔の神社というのは
結構諏訪湖のほうを向いている神社が多い。
拝殿から鳥居のほうを見ると諏訪湖が見える感じだ。
御社宮司神社は諏訪湖畔グループの例に倣い、
諏訪湖の方を向いている。
対して弁天様は天竜川に背を向けるような角度で
東の方を向いている。
これだけ湖のそばに建っていながら
90°そっぽを向いていて違和感がすごい。

しかし、考えてわかることではないので
山のような疑問を抱えたまま、道を渡って御社宮司神社へ。

*御社宮司神社(下浜)*
写真を撮り忘れてしまったので、
Google mapさんからストリートビュー画像を拝借。
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これで御社宮司神社のほうの鳥居と拝殿は
まぁ一般的な神社と同じ感じと伝わるだろうか。
この向きで神社を見ると、ちょうど背後が諏訪湖
先ほどの弁財天さんも背後に座すことになる。

境内の隅には、石祠と並んで石碑のようなものが。
注連縄で囲まれた黒い直方体の石を見て、
隣で知人が「墓石か…?」と呟いている。
(たしかに、そう見えなくもないが)
「濱むら 御社宮司神社元宮」と書かれているので、
どうやら、御社宮司神社の旧鎮座地らしい。
(なぜこんな数mばっかし移動したのかは謎)

平成になってから作られた石碑なので、
書いてある文字は問題なく読める状態。
この石碑は「開創350年祭記念」として
「浦太郎社小まき中」という人たちが作った
というような内容が書いてある。

「まき」というのは、
同じカミサマの氏子さんたちを指す
このあたり独特の表現らしい。
つまり「浦太郎社」の氏子さんたちが
この御社宮司神社の元宮碑を奉納したというコトだ。
浦太郎社って何だ?浦島太郎的な?桃太郎的な?

病的に稲荷神社ばかりを巡っていた頃の話だが、
市民球場周辺と湖北にある火葬場のあたりに
「浦野太郎」と名のつく稲荷神社があった。
が、浦太郎と浦野太郎が同じかどうか確信が持てない。

しかし 調べども調べども、
「浦太郎」で調べれば神社に関する記事はほぼ無く
記者を経て弁護士となった矢島浦太郎ばかりがヒット。
(管理人にとって大学の大先輩らしいので文句は言うまい)
「浦野太郎」では誰かのSNSアカウントがヒット。
有力な情報は得られぬまま浦太郎事件は迷宮入りとなった。

仮に浦野太郎と浦太郎が同じであるとしたら、
浦太郎社の小まきで管理していたらしい御社宮司神社もまた
浦太郎社自体と同じく稲荷神社なのだろうか?
ミシャクジといえば縄文的な自然の神。
強いては狩猟に関連深い神様かと考えていただけに、
農耕神的な面を持つ稲荷神社との関連は意外だ。

いや、もしくは 狐といえど稲のみの神にあらず。
岡谷市役所のそばには「蚕糸公園」があるではないか!
蚕の天敵・ネズミを食すキツネは養蚕の守り神でもある。
ヤサカトメも人々に養蚕を教えたというし、
この社は養蚕の守り稲荷だった可能性も…?

浦太郎については今後要調査ですな。

諏訪湖と2つの島*

浦太郎に気を取られすぎて
「90°の謎」がどうでも良くなりかけていたが、
八剱神社と甲立寺・弁財天と御社宮司神社は
それぞれなぜ90°違う方を向いているのか。

住職さんや宮司さんに聞けば
一発で真実がわかるのかもしれないが、
プロのコミュ障と言われて久しい管理人が
そんな難易度の高いことをできるはずがなかった。

そこで、「これか?」と思ったのが
諏訪湖の歴史の中で消えた「2つの島」である。
昔、中洲や三角州だった場所を見てみると
現在でも「島」という地名が残っている場合が多い。
1つは、諏訪市役所付近の「高島」だ。
高島城が かつて水上の城とされていたことからも、
この辺りは昔 水に囲まれた島だったとわかる。

今は小和田にある八剣神社だが、
高島城築城以前は この高島にあったとされている。
それが築城に伴い島から立ち退きを余儀なくされ、
神社周囲の漁村ごと小和田に移ったという形だろうか。

正確な移築の経緯はわからないが、
この辺りは大雨のたびに浸水を繰り返す土地。
甲立寺の観音様は、無数の川に囲まれた地で
水害の原因とも言える川の上流見据えていたのでは…。
という気がしてきた。

そう考えると、
さらにその水害に関連深いのが浜中島弁財天である。
弁財天さんと御社宮司神社はこんなに近いのに
別の地名を冠していることに違和感が無いだろうか?
しかも、弁天さんのほうは浜中「島」である!
そう。元々は、この弁財天さんは島の上にあったのだ。

ではなぜ現在、湖岸にあるのか。
高島城のように、水位減少や埋め立てで陸続きに?
というと、それは違うらしい。
度重なる水害を防ぐため、諏訪の人々は
「湖から流出する量」を増やすことを考えたのだ。
つまり、天竜川の流量を増やすということ。

そのために、天竜川の入り口を広げる必要があった。
まず一気には無理なので、①の水路を作ったらしい。
(そうして浜中島ができた)
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それでも大きな改善は見られなかったため、
さらに大きな浜中島を分割する形で②の水路を。
こうして島は2つに分かれ、浜中島から弁天島ができた。
やがて浜中島自体を取り除き、①と②は1つの水路に。
(その際に浜中島弁財天が下浜村へ移ったのだろう)
そして最終的には弁天島もなくなり、
天竜川の川幅は昔の2倍近くになったのだという。

当時から弁財天さんが今の方向を向いていたとすれば、
増水のたび島へと押し寄せる大水に対して
真っ向から向かい合うように立っていたことになる。
湖畔の2人の弁天様(甲立寺/浜中島)は、
事あるごとに荒れる川の抑えだった…かもしれない。

今回もまた妄想に満ちた記事ではあるが、
神社ばかりでなく甲立寺さんや弁天様のおかげで
神域としての諏訪湖だけでなく
その災害との戦いの歴史を知る資料にたくさん出会えた。

ともかく、足長神社のことがまだ書けていないが
やたら長くなってしまったのでとりあえず一旦〆るとする。

*追記*
後半の方は国会図書館にある
「土木史研究  22号」(土木学会土木史研究会 編)
諏訪市史 中巻」(諏訪市史編纂委員会 編)
を参考にさせて頂きましたー。


動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

まぁ難しいことはさておきホンモノを観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
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管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
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輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
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ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
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この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りと似たものは残っていたりします。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)

岩手と鬼と おもうこと。

3.11はできる限り東北へ行こうと思って数年過ごしてきた。
が、ついに7年目の今日、家族から
「アナタたまには誕生日に家に居てよー」
と言われた。まあ確かにそれもそうだよな…。
とゆうわけで、せめて東北のことを考えて過ごそうと思う。


*盛岡・三ツ石神社と羅刹鬼*

その東北の中でも管理人が最も好きなのが岩手である。
しかし、なぜ この県が「岩手」なのか御存知だろうか。
以前、報恩寺さんとゆう羅漢だらけのお寺の記事を書いた。

報恩寺の五百羅漢さんたち。 - とまのす

そこからほど近い場所に、三ツ石神社とゆう神社がある。
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この神社こそ、岩手 という名前(そして さんさ踊り)の源なのである。
境内に入るとすぐに、パッカーンと割れた感じの巨岩が見える。
その大きさたるや、拝殿とあまり変わらない。
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2つしかないように見えるが、この後ろにもう1つ欠片がある。
これが「三ツ石」の由来だそうだ。
岩手山が噴火した時に飛んできた噴石だと言われていて、
昔は隣接している東顕寺さんの敷地内にあったとか。
神社として成立する以前より村人からの信仰は篤く、
三ツ石さまと呼ばれ親しまれていたらしい。

桜山神社烏帽子岩と言い 三ツ石様と言い
盛岡は巨石が多いな…同じ噴火で飛んできたんだろうか。

拝殿の扉は金属で、格子とかはないので中は真っ暗。
子供のこぶしほどの穴が開いているだけである。
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どうにかこうにか覗くと、
中は結構整っていて鏡や榊などが綺麗に並んでいるようだ。
神紋は二羽の鶴なんだろうか。
肉眼では何一つ見えなかったので携帯のカメラがあって助かった。
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拝殿と本殿の間(だったと思う)には、
本殿か拝殿にあると思しき鬼面と木像の写真が貼ってあった。
暗すぎて写真にはうまく映らなかったのだが、
何の解説も書いていないのでどういう所以のモノなのかは謎。
神社に神様の像があることは少ないが、
この木像は祭神・スクナヒコナのレアな御姿なのか?
それとも、その本地仏とされる金剛蔵王権現
または三ツ石様とはこんな姿だったんだろうか。
今度盛岡に行くときは、懐中電灯持参でちゃんと確認してきたい。

さておき、この巨岩には「鬼の手形」が押されているという。
雨が降ると薄っすら見えるという話だが言った日は快晴。
それらしきものは全く確認できなかった。
拝殿横に分かりやすい絵が奉納されているのだが…
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…なんだかホラーな感じだな…。
※実物は全然ここまではっきりして居ないのでご安心くだされ。

ともあれ この岩の手形こそ、「岩手」の語源。
ちなみに、なぜ手形が押されたかというと
昔この村で悪事をはたらく羅刹鬼という鬼がおったとさ。
困り果てた村人は、村にある三ツ石さまに助けを求めた。
すると三ツ石の神様は巨石に鬼を縛り付けて懲らしめた。
驚いた鬼は必死に謝り、二度とこの地に踏み入らないと言った。
そして「ならば誓いを立てなさい」と言われ手形を押したという。

釈放された後は北へ逃げたとか京へ逃げたとか。
京都へ逃げたバージョンは、
京都でに有名な鬼退治譚へと繋がって行く。
北へ逃げたバージョンは
「この三ツ石より南下しないからゆるしてくれ」
と言ったというようなことが書かれていて、
なんとなく大和朝廷の東北平定を思わせる。

いずれにせよ
この地には鬼は踏み入らないということで
この地域は「不来方(こずかた)」と呼ばれた。
現在 三ツ石神社の住所は盛岡市那須川町だが、
今もこのあたりを不来方と呼ぶこともあるのだそうだ。

ちなみに鬼がいなくなったことを喜び
村人たちが三ツ石様の周りで踊り明かしたのが、
盛岡さんさ踊りのはじまりと言われている。

管理人の中で「目が離せない踊り」No.1を
越中おわらと競う 盛岡さんさである(*'ω'*)!
阿波踊りもイイ勝負なのだが)

そんなことを考えていたらふと目に入ったのが
神社の近くにある「鬼蕎麦 かむら屋」さん。
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よく見ると、鬼子母神堂の扁額などがそうであるように
鬼という時の一番上の「‘」が無い(暖簾は普通の鬼だけど)。
この字は多く、
鬼を好意的に捉えている地域の神社や
仏教に帰依した鬼神の御堂で用いられる。

地域全体でこの字が使われているわけでは無いので
本当のところはわからないが、
羅刹鬼は最後まで忌み嫌われたのでなく
村人がその改心を認めていたということだろうか。

余談だが、鬼蕎麦は卵やら海藻やら入っていて
旅人にはありがたい栄養バランス◎な外食でした。
この辺りへ行くことがあれば是非ご賞味くだされ。


*北上の鬼剣舞*

ツノのない鬼、で思い出したが
盛岡から少し移動し、同じく岩手の北上市に話題を移す。
この辺りには鬼剣舞という民俗芸能が伝わっているのだ。
鬼のような面を付けて踊るのでそう呼ばれるようになったが、
この面にはツノがない。これも改心した鬼だから?
「いやいや、実は鬼でなく憤怒相の仏様だから角がないのだ」
というのがよくある答えだが、
仏さまとはいっても如来系でなく明王様らしい。
とすれば明王は天部と一緒でヒンズー出身神が多いので
ある意味 仏教に帰依した鬼(異教の神)で合っているのでは…。

…まぁ屁理屈はおいといて(/・ω・)/
鬼剣舞というのは面の表情から明治以降についた名前。
モトは念仏踊りの1つで、剣や扇で勇壮に舞う念仏剣舞である。
面は五色あり「五大明王」を表しているらしい。

青面は東と春を表す降三世明王の化身。
赤面は夏と南を表す軍荼利明王の化身。
(↓撮っていたらカメラ目線してくれた!)
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最も踊るのが上手い人のみ付けられる白面は、
西と秋を表す大威徳明王の化身。
白面を付けている人を「一剣舞(いちけんばい)」と呼び、
一人加護という演目はこの人しか踊れないらしい。
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黒面は北と冬を表す金剛夜叉明王の化身である。

東西南北・春夏秋冬出揃っちゃったけど、
残りの黄面は…?というと、五行説では「中央」とされる。
踊りの中ではカッカタ(道化役)を務め、不動明王の化身。

こういうのは込められた意味も大事だけれど
やはり目と心を奪われるのが入口かなと思うので
とりあえず動画をどうぞ。
(最初は伴奏的な感じなので、気が短い方は50秒くらい~見てね)


谷地鬼剣舞(三番庭の狂い)

この剣舞は北上展勝地で見たもので、
桜の時期は日時によって様々な地域の剣舞が見られる。
「谷地」というのが地域の名前。
「三番庭の狂い」という演目である。
一番庭、二番庭、三番庭という演目があって
その三番庭の「狂い」とは
祈祷・呪術・供養など本来の形から
より「魅せる」ことを強化するため崩しを入れた、
というようなニュアンスだろうか。

ちなみに鬼剣舞には一、二、三番庭や
一、二、三、八人加護の他にも色々な演目がある。
中には特定の系統の剣舞にしかない演目や
現在は舞われていない演目などもあったりする。

中には余興的な演目もあるのだが、
こちらは「宙返り」といって
剣を持ったままでんぐり返し(と言っていいのか)する。
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手 地面についてないから、
でんぐり返しとは言わないな多分…
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↑最終的には8本持って宙返りする。
つまり、両手に3本ずつ+両手で横に1本+口に1本。
よって、鬼剣舞だけど面も外す。
現在使われているのは模造刀だと思うが、
真剣を使っていた時代は緊迫感も相当のものだっただろう。
(なんでこの写真だけ白黒で撮ったんだ…)

ちなみにこの宙返りを披露してくれたのは
「二子鬼剣舞」という団体の方。
この二子鬼剣舞こそ全国に鬼剣舞の名を知らしめた団体!
と言っても過言ではない(かもしれない)。
というのも昭和の話ではあるが、
全国の民俗芸能の大会みたいのがあるワケで。
そこで三人加護を踊って優勝したのが二子鬼剣舞。

いくつもの団体が舞うのを見ていると、
「あれ これさっきのと似てる」
「おや?こんな演目ほかの団体にはなかったぞ」
みたいのが出てきて楽しいので、
「どこもそんなに変わんないでしょ」
なんて言わずにいろんな剣舞を見ていただきたい。


*鬼って何なんだ*

とりとめもなく岩手と聞いて思い出したことを話したが、
鬼が登場する民俗芸能は岩手以外にも多い。
河童同様、鬼の居ない地方を探すのは難しいのだ。

どの地方でも 鬼との物語は山のように語られてきた。
しかし鬼が単にひどく恐ろしいだけの存在ならば
そこまで頻繁に語られることはあるまい。
時に人を助け 時に旅人を喰おうと画策し
時に人に騙され 時に人の娘と恋に落ちる。
ただ怖いだけじゃない日本の鬼たち。

鬼とは日本人にとって一体何なのか。

民俗芸能に物語にと度々現れ、
鬼の姿というのはハッキリ思い描ける方が多いはずだ。
「角」に「虎皮の腰巻」
何といっても鬼の最もポピュラーな姿はコレであろう。
一般にコレは鬼門=丑寅をキャラ化(?)したものという。

しかし、鬼の語源は一説に「隠(おん)」だという説がある。
つまり、見えないもの・捉えられないものという意味。
おそらく日本に様々な文化を教えた中国の影響で
鬼=「悪霊」的な嫌な意味が強かったと考えられる。

しかし訳がわからないままでは
対処法もわからないし恐ろしいままである。

そんな考えからか、
昔の日本人は鬼に前述のような姿を与えた。
鬼に姿が与えられてからというもの
鬼と呼ばれるものの範囲は爆発的に広がる。

恐ろしい自然現象や広がる伝染病に
鬼の姿を与え何とか追い払おうと様々な行事を行い、
侵略者や まつろわぬ民 製鉄民など、
自分とは違う立場や宗教に属する人間のことすら
鬼の名で呼ぶケースも出てきた。

なんというか、つまりは
自分の理解の及ばないものすべてが鬼になりうる。

勿論その言葉を人に対して使うときは排除の意図が強く、
その見知らぬ「鬼」と和解できなかった歴史もあるだろう。
しかし、鬼と村や家庭を築いた人たちも少なからずいた。

そして自然や疾病を「鬼」と呼び姿を与えるとき
人は見えない力を必死に捉え克服しようとしている。

鬼自体が恐ろしさの化身のような存在でありながら、
鬼は人間が恐ろしさと必死で向き合った証でもあるのだ。

だからこそ日本の鬼は、
時に荒々しく 時に哀しく 時に愛しく 時に滑稽に
こんなにも民のそばにいるのだろう。
と、何となく思うことがある。

7年前の震災でも、
到底捉えきれない大きな力が猛威を振るった。
地震の仕組みも分からない 放射能なんて言葉もない
テレビもないネットもない世の中なら、
とっくに東北に鬼が出たと言われているのではないか。

「こないだ北へ行ったら建物の山があったんだ」
「鬼が民家をかき集めて山を作った」
「村に一人も人がいない。鬼が来てみんな喰われたのか」
「あのあたりの村ではみんな首を病むらしい」
「浜に住む鬼が吐く瘴気に当たるんだそうだ」
(科学が未発達なのに原発があることにツッコんではいけない)

しかし、テレビやネットができて科学が発達して
鬼が出なくなったからそれでいいのか?
実は鬼が生まれないのは「全部わかった」からでなく
直接「向き合ってない」からという可能性も考えられないか。

なんとなく、
ここ数年自分の誕生日前後にテレビをつけると
いろんなことがすごくキレイな形や
もしくはとても感情だけにフォーカスされた形で
調整されて伝えられてると感じてしまう。

もちろんテレビ番組を作っている方だって仕事だ。
感情にうったえない まとまりの付かないストーリーでは
視聴率はとれなくて お偉いさんに怒られてしまうだろう。

それは分かる。だから、テレビはテレビでいいのだ。

ただ、番組でもブログでも動画でもいい。
何かを見て「おっ」と思ったら 行ってみてほしい。
(別に被災地いったことないヤツわかってない的なアレではない)
神社でも祭りでもロックフェスでも(?)なんでもいいのだ。
人の書いたモノ撮ったモノはあくまで入口に過ぎない。
直接行ってみれば今この時代でも
計り知れないもの 未知のもの 怒り 不安 熱狂
いろんな「鬼の素(もと)」に出会えるはずだ。

いろんなものに実際向き合うことで、
自分だけの鬼を生んだり飼ったりしてみてほしい。

勿論ブログを楽しく読んでくれる方が
ちょっとずつだが だんだん増えているようで。
管理人としてはとっても嬉しい(/・ω・)/!
ただ、贅沢を言えば
読んだ人が読んで「へぇ、そうか」ってなるだけでなく
直接行きたくなるような記事が書けたらなお嬉しいな。
と思う29歳の誕生日でしたとさ。

*蛇足*

今回は鬼に関連して話したが
「鬼の付く祭・民俗芸能」しばりで全国を巡る!
とかも楽しいかも。いや、考えただけで楽しい。
たとえば鬼剣舞の他にも鬼太鼓、鬼来迎、
鬼怒川温泉鬼まつり、豊橋鬼祭、だだ堂の鬼走り。
鬼越蒼前神社のチャグチャグ馬コ↓もまたいきたい!
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やっぱりしばりがあると
なんかもう該当する祭りを見つけただけで嬉しくなって
見つけた=いくぞ! みたいな謎の熱量を感じますな。
※管理人は去年、河童しばりをやろうとして晩秋にバテました。
 お祭りは用法容量を守って正しくお楽しみください(笑)

 
今回は実際出かけてないので
薄っぺらな割に長くなってしまいましたが…
(しかも報道に対するモヤモヤみたいな不純物入り)
また一年色々なものに生で触れていきたいですね!
(*'ω'*)