とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

中洲を偲ぶ、諏訪湖畔めぐり。

皆さん、なんと4月になってしまいました。
風邪をひいて外出できない時こそ
下書きに溜まった記事の消化を…。
ということで、
諏訪湖畔の寺社について記憶を発掘する
インドアな年度始めとなります。
(とか言っていたらパソコンの不調でさらに更新遅れた)

*甲立寺(こうりゅうじ)*

岩手やら鹿踊りの記事を挟んだので
ちょっと脳みそが諏訪モードから離れてしまったが…。
前々々回(前前前世みたいに言うな)は
八剣神社の祭神や神社名を燃料に だいぶ妄想が捗った。→http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2018/02/17/000000

その八剱神社と同じブロック(というか隣)に
八剱山・甲立寺 というお寺さんがある。

どうやら木造の愛染明王坐像が有名らしく、
山門に「市指定有形文化財」的な張り紙がある。
が、その愛染明王は あくまで「脇侍」という扱いであって
現在 ここの御本尊様は十一面観音なのだそうだ。
※後で調べてみたら、さらに昔は本尊:大日如来だったという情報が。
 当時、愛染&十一面には各々御堂が与えられ本堂には居なかったらしい。

あとで考えてみると十一面観音といえば
水難・水害除けの願いを込めて建てられることも多い。
つまり水とはとてもつながりの深い菩薩サマなのだが、
訪れている最中は 八剱神社-甲立寺-水が上手くつながらず。

足長神社(山側)から散々歩いて甲立寺に至り
また街中にある寺院で直接湖が見えなかったせいもあり、
諏訪湖との位置関係がイマイチつかめていなかったようである。

現地にいる時は極々単純に
「鏝(こて)塚」なんてあるんだ~。
包丁とか針はよく見るけど日本人は本当に塚が好きだな!
左官屋さんたちが作った鏝塚の隣に太子堂
さすが建築(大工)のカミサマ聖徳太子
とか そんなことしか考えていなかった
(´・ω・`)我ながら浅い…。

中でも最も単純だったのが
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「この八臂弁財天、造り細かくてスッゲー…!」
というまさに小学生並みの感想である。
この弁天様が後で妄想の燃料になるとも知らず…。

*八剱神社*
さて 前回あれだけ好き勝手に長々語ったのに、
また登場です八剱神社!(八剱神社のせいではない)
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ちなみに前回「御渡神事は八剱神社の特殊神事」と言ったが、
その神事の度 毎年御神渡りの様子を記録し続けた2つの書物
「當社神幸記」と「御渡帳」というものが現存している。

しかも、神社秘伝で宮司以外見られない!とかではなく
諏訪市博物館の常設展示で見られるのだ。
オモシロイものが色々あって入館料は良心的な300円!
是非、諏訪に行ったら入ってみてくだされ。
※月曜・祝日翌日は休館らしいので注意!

余談だが、この御渡帳という名前からも分かるように
湖に氷堤がせり上がる現象自体は「御神渡り(おみわたり)」
諏訪湖の神事に関わる文脈の場合は「御渡(みわたり)」
というように似たような言葉だが使い分けがされている。

ちなみになぜ記録が2種類あるかと言うと、
「神幸記」は1682年までの記録。その先は「御渡帳」に続く。
2つ合わせれば、その記録は429年間にもわたるという。

それを踏まえると、御渡神事の年占いというのは
非科学的な神託のようなものでなく
ビッグデータを参照した統計的予測に近い…のかも知れない。

諏訪の年占いで有名なのは
諏訪大社下社で1月に行われる筒粥神事
そしてこの八剱神社で行われる御渡神事。

片やミクロ、片やマクロな神事であるが
どちらも、空気中の温度変化や湿度はもちろん
酸素濃度、地中・水中の環境変化etc…目に見えないことを
目に見える形に変換して観察するという超すごい方法だ。
と、管理人は感じている。
ちなみに、管理人が一番好きな年占いは
餅や粥を一定期間放置して生えたカビを観察し
種類・位置・量などで一年を占うというヤツである。

こうして見ると、そもそも神託や占いというのは
夢に出たとか神がかりの人がこう言ったとか
そういう「超常現象」的なことではないのではないか。
自然をつぶさに見続ければ知ることができる小さな徴を
集団全員が見える形に増幅する装置が神事…なのかも。
と考える管理人でしたとさ。


*浜中島弁財天*

さて、突然だがトコロ変わって諏訪湖のほぼ対岸・岡谷。
かの(?)洩矢神社がある地域だ。
ここに道路を挟んで弁財天と御社宮司社がある。
まずこちらが弁財天。
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丸みを帯びた可愛らしい屋根に、
葛井神社や先宮などで見られる「注連掛鳥居」。
(鳥居の一番上の横棒がないパターン)
ここまでは「ちょっと変わった社だなぁ」的な感じ。

そして覗くと 琵琶を持った弁財天がいた。
石材店で売ってるような石造りのモノだが、
なんだか祀られている感じで奥に居るのではない。
御堂の格子戸のすぐむこうにいる。
そしてその横には弁財天の御姿を描いた絵が、
少し狭そうに(しかもどことなく雑然と)飾ってある。

なんだかツッコミどころ満載な配置だが、
さらに扉には賽銭投入用と思しき穴のほか
向かって右の底辺あたりに前方後円墳形の穴が開いている。
覗いて見ても流木のようなものが見えるだけで謎。
何なんだこの穴。何のために開いてるんだ。

あまり年季が入っていない弁天像や
扉の謎の穴を見ているうちに、
「昔からの社に個人で色々やっちゃった謎のB級社」
の仲間では…という失礼な気持ちが湧いてきた。

さらに、運よく合流できた長野の知人が隣で
「変だよねぇ。なんか角度が変なんだよねぇ」
と独り言(なのだろうか)を言っている。
たしかに、そう言われてみるといろいろ角度がおかしい。
いや。おかしいというと失礼だが、めずらしい。

というのも、この弁天様は鳥居が湖と反対側で
社は鳥居と90°曲がって…いや、
文章で説明できる自信がないので
こちら↓を見ていただきたい(´・ω・`)
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このように、次に話す御社宮司神社と弁天様は
道を挟んで「鳥居は」相向かい状態だ。
では社も相向かいかというと、それは違う。
常に見つめ合っていると気まずいからか?
(そんなわけあるかい)


そもそも諏訪湖畔の神社というのは
結構諏訪湖のほうを向いている神社が多い。
拝殿から鳥居のほうを見ると諏訪湖が見える感じだ。
御社宮司神社は諏訪湖畔グループの例に倣い、
諏訪湖の方を向いている。
対して弁天様は天竜川に背を向けるような角度で
東の方を向いている。
これだけ湖のそばに建っていながら
90°そっぽを向いていて違和感がすごい。

しかし、考えてわかることではないので
山のような疑問を抱えたまま、道を渡って御社宮司神社へ。

*御社宮司神社(下浜)*
写真を撮り忘れてしまったので、
Google mapさんからストリートビュー画像を拝借。
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これで御社宮司神社のほうの鳥居と拝殿は
まぁ一般的な神社と同じ感じと伝わるだろうか。
この向きで神社を見ると、ちょうど背後が諏訪湖
先ほどの弁財天さんも背後に座すことになる。

境内の隅には、石祠と並んで石碑のようなものが。
注連縄で囲まれた黒い直方体の石を見て、
隣で知人が「墓石か…?」と呟いている。
(たしかに、そう見えなくもないが)
「濱むら 御社宮司神社元宮」と書かれているので、
どうやら、御社宮司神社の旧鎮座地らしい。
(なぜこんな数mばっかし移動したのかは謎)

平成になってから作られた石碑なので、
書いてある文字は問題なく読める状態。
この石碑は「開創350年祭記念」として
「浦太郎社小まき中」という人たちが作った
というような内容が書いてある。

「まき」というのは、
同じカミサマの氏子さんたちを指す
このあたり独特の表現らしい。
つまり「浦太郎社」の氏子さんたちが
この御社宮司神社の元宮碑を奉納したというコトだ。
浦太郎社って何だ?浦島太郎的な?桃太郎的な?

病的に稲荷神社ばかりを巡っていた頃の話だが、
市民球場周辺と湖北にある火葬場のあたりに
「浦野太郎」と名のつく稲荷神社があった。
が、浦太郎と浦野太郎が同じかどうか確信が持てない。

しかし 調べども調べども、
「浦太郎」で調べれば神社に関する記事はほぼ無く
記者を経て弁護士となった矢島浦太郎ばかりがヒット。
(管理人にとって大学の大先輩らしいので文句は言うまい)
「浦野太郎」では誰かのSNSアカウントがヒット。
有力な情報は得られぬまま浦太郎事件は迷宮入りとなった。

仮に浦野太郎と浦太郎が同じであるとしたら、
浦太郎社の小まきで管理していたらしい御社宮司神社もまた
浦太郎社自体と同じく稲荷神社なのだろうか?
ミシャクジといえば縄文的な自然の神。
強いては狩猟に関連深い神様かと考えていただけに、
農耕神的な面を持つ稲荷神社との関連は意外だ。

いや、もしくは 狐といえど稲のみの神にあらず。
岡谷市役所のそばには「蚕糸公園」があるではないか!
蚕の天敵・ネズミを食すキツネは養蚕の守り神でもある。
ヤサカトメも人々に養蚕を教えたというし、
この社は養蚕の守り稲荷だった可能性も…?

浦太郎については今後要調査ですな。

諏訪湖と2つの島*

浦太郎に気を取られすぎて
「90°の謎」がどうでも良くなりかけていたが、
八剱神社と甲立寺・弁財天と御社宮司神社は
それぞれなぜ90°違う方を向いているのか。

住職さんや宮司さんに聞けば
一発で真実がわかるのかもしれないが、
プロのコミュ障と言われて久しい管理人が
そんな難易度の高いことをできるはずがなかった。

そこで、「これか?」と思ったのが
諏訪湖の歴史の中で消えた「2つの島」である。
昔、中洲や三角州だった場所を見てみると
現在でも「島」という地名が残っている場合が多い。
1つは、諏訪市役所付近の「高島」だ。
高島城が かつて水上の城とされていたことからも、
この辺りは昔 水に囲まれた島だったとわかる。

今は小和田にある八剣神社だが、
高島城築城以前は この高島にあったとされている。
それが築城に伴い島から立ち退きを余儀なくされ、
神社周囲の漁村ごと小和田に移ったという形だろうか。

正確な移築の経緯はわからないが、
この辺りは大雨のたびに浸水を繰り返す土地。
甲立寺の観音様は、無数の川に囲まれた地で
水害の原因とも言える川の上流見据えていたのでは…。
という気がしてきた。

そう考えると、
さらにその水害に関連深いのが浜中島弁財天である。
弁財天さんと御社宮司神社はこんなに近いのに
別の地名を冠していることに違和感が無いだろうか?
しかも、弁天さんのほうは浜中「島」である!
そう。元々は、この弁財天さんは島の上にあったのだ。

ではなぜ現在、湖岸にあるのか。
高島城のように、水位減少や埋め立てで陸続きに?
というと、それは違うらしい。
度重なる水害を防ぐため、諏訪の人々は
「湖から流出する量」を増やすことを考えたのだ。
つまり、天竜川の流量を増やすということ。

そのために、天竜川の入り口を広げる必要があった。
まず一気には無理なので、①の水路を作ったらしい。
(そうして浜中島ができた)
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それでも大きな改善は見られなかったため、
さらに大きな浜中島を分割する形で②の水路を。
こうして島は2つに分かれ、浜中島から弁天島ができた。
やがて浜中島自体を取り除き、①と②は1つの水路に。
(その際に浜中島弁財天が下浜村へ移ったのだろう)
そして最終的には弁天島もなくなり、
天竜川の川幅は昔の2倍近くになったのだという。

当時から弁財天さんが今の方向を向いていたとすれば、
増水のたび島へと押し寄せる大水に対して
真っ向から向かい合うように立っていたことになる。
湖畔の2人の弁天様(甲立寺/浜中島)は、
事あるごとに荒れる川の抑えだった…かもしれない。

今回もまた妄想に満ちた記事ではあるが、
神社ばかりでなく甲立寺さんや弁天様のおかげで
神域としての諏訪湖だけでなく
その災害との戦いの歴史を知る資料にたくさん出会えた。

ともかく、足長神社のことがまだ書けていないが
やたら長くなってしまったのでとりあえず一旦〆るとする。

*追記*
後半の方は国会図書館にある
「土木史研究  22号」(土木学会土木史研究会 編)
諏訪市史 中巻」(諏訪市史編纂委員会 編)
を参考にさせて頂きましたー。


動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

まぁ難しいことはさておきホンモノを観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
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管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
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輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
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ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
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この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りと似たものは残っていたりします。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)

岩手と鬼と おもうこと。

3.11はできる限り東北へ行こうと思って数年過ごしてきた。
が、ついに7年目の今日、家族から
「アナタたまには誕生日に家に居てよー」
と言われた。まあ確かにそれもそうだよな…。
とゆうわけで、せめて東北のことを考えて過ごそうと思う。


*盛岡・三ツ石神社と羅刹鬼*

その東北の中でも管理人が最も好きなのが岩手である。
しかし、なぜ この県が「岩手」なのか御存知だろうか。
以前、報恩寺さんとゆう羅漢だらけのお寺の記事を書いた。

報恩寺の五百羅漢さんたち。 - とまのす

そこからほど近い場所に、三ツ石神社とゆう神社がある。
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この神社こそ、岩手 という名前(そして さんさ踊り)の源なのである。
境内に入るとすぐに、パッカーンと割れた感じの巨岩が見える。
その大きさたるや、拝殿とあまり変わらない。
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2つしかないように見えるが、この後ろにもう1つ欠片がある。
これが「三ツ石」の由来だそうだ。
岩手山が噴火した時に飛んできた噴石だと言われていて、
昔は隣接している東顕寺さんの敷地内にあったとか。
神社として成立する以前より村人からの信仰は篤く、
三ツ石さまと呼ばれ親しまれていたらしい。

桜山神社烏帽子岩と言い 三ツ石様と言い
盛岡は巨石が多いな…同じ噴火で飛んできたんだろうか。

拝殿の扉は金属で、格子とかはないので中は真っ暗。
子供のこぶしほどの穴が開いているだけである。
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どうにかこうにか覗くと、
中は結構整っていて鏡や榊などが綺麗に並んでいるようだ。
神紋は二羽の鶴なんだろうか。
肉眼では何一つ見えなかったので携帯のカメラがあって助かった。
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拝殿と本殿の間(だったと思う)には、
本殿か拝殿にあると思しき鬼面と木像の写真が貼ってあった。
暗すぎて写真にはうまく映らなかったのだが、
何の解説も書いていないのでどういう所以のモノなのかは謎。
神社に神様の像があることは少ないが、
この木像は祭神・スクナヒコナのレアな御姿なのか?
それとも、その本地仏とされる金剛蔵王権現
または三ツ石様とはこんな姿だったんだろうか。
今度盛岡に行くときは、懐中電灯持参でちゃんと確認してきたい。

さておき、この巨岩には「鬼の手形」が押されているという。
雨が降ると薄っすら見えるという話だが言った日は快晴。
それらしきものは全く確認できなかった。
拝殿横に分かりやすい絵が奉納されているのだが…
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…なんだかホラーな感じだな…。
※実物は全然ここまではっきりして居ないのでご安心くだされ。

ともあれ この岩の手形こそ、「岩手」の語源。
ちなみに、なぜ手形が押されたかというと
昔この村で悪事をはたらく羅刹鬼という鬼がおったとさ。
困り果てた村人は、村にある三ツ石さまに助けを求めた。
すると三ツ石の神様は巨石に鬼を縛り付けて懲らしめた。
驚いた鬼は必死に謝り、二度とこの地に踏み入らないと言った。
そして「ならば誓いを立てなさい」と言われ手形を押したという。

釈放された後は北へ逃げたとか京へ逃げたとか。
京都へ逃げたバージョンは、
京都でに有名な鬼退治譚へと繋がって行く。
北へ逃げたバージョンは
「この三ツ石より南下しないからゆるしてくれ」
と言ったというようなことが書かれていて、
なんとなく大和朝廷の東北平定を思わせる。

いずれにせよ
この地には鬼は踏み入らないということで
この地域は「不来方(こずかた)」と呼ばれた。
現在 三ツ石神社の住所は盛岡市那須川町だが、
今もこのあたりを不来方と呼ぶこともあるのだそうだ。

ちなみに鬼がいなくなったことを喜び
村人たちが三ツ石様の周りで踊り明かしたのが、
盛岡さんさ踊りのはじまりと言われている。

管理人の中で「目が離せない踊り」No.1を
越中おわらと競う 盛岡さんさである(*'ω'*)!
阿波踊りもイイ勝負なのだが)

そんなことを考えていたらふと目に入ったのが
神社の近くにある「鬼蕎麦 かむら屋」さん。
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よく見ると、鬼子母神堂の扁額などがそうであるように
鬼という時の一番上の「‘」が無い(暖簾は普通の鬼だけど)。
この字は多く、
鬼を好意的に捉えている地域の神社や
仏教に帰依した鬼神の御堂で用いられる。

地域全体でこの字が使われているわけでは無いので
本当のところはわからないが、
羅刹鬼は最後まで忌み嫌われたのでなく
村人がその改心を認めていたということだろうか。

余談だが、鬼蕎麦は卵やら海藻やら入っていて
旅人にはありがたい栄養バランス◎な外食でした。
この辺りへ行くことがあれば是非ご賞味くだされ。


*北上の鬼剣舞*

ツノのない鬼、で思い出したが
盛岡から少し移動し、同じく岩手の北上市に話題を移す。
この辺りには鬼剣舞という民俗芸能が伝わっているのだ。
鬼のような面を付けて踊るのでそう呼ばれるようになったが、
この面にはツノがない。これも改心した鬼だから?
「いやいや、実は鬼でなく憤怒相の仏様だから角がないのだ」
というのがよくある答えだが、
仏さまとはいっても如来系でなく明王様らしい。
とすれば明王は天部と一緒でヒンズー出身神が多いので
ある意味 仏教に帰依した鬼(異教の神)で合っているのでは…。

…まぁ屁理屈はおいといて(/・ω・)/
鬼剣舞というのは面の表情から明治以降についた名前。
モトは念仏踊りの1つで、剣や扇で勇壮に舞う念仏剣舞である。
面は五色あり「五大明王」を表しているらしい。

青面は東と春を表す降三世明王の化身。
赤面は夏と南を表す軍荼利明王の化身。
(↓撮っていたらカメラ目線してくれた!)
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最も踊るのが上手い人のみ付けられる白面は、
西と秋を表す大威徳明王の化身。
白面を付けている人を「一剣舞(いちけんばい)」と呼び、
一人加護という演目はこの人しか踊れないらしい。
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黒面は北と冬を表す金剛夜叉明王の化身である。

東西南北・春夏秋冬出揃っちゃったけど、
残りの黄面は…?というと、五行説では「中央」とされる。
踊りの中ではカッカタ(道化役)を務め、不動明王の化身。

こういうのは込められた意味も大事だけれど
やはり目と心を奪われるのが入口かなと思うので
とりあえず動画をどうぞ。
(最初は伴奏的な感じなので、気が短い方は50秒くらい~見てね)


谷地鬼剣舞(三番庭の狂い)

この剣舞は北上展勝地で見たもので、
桜の時期は日時によって様々な地域の剣舞が見られる。
「谷地」というのが地域の名前。
「三番庭の狂い」という演目である。
一番庭、二番庭、三番庭という演目があって
その三番庭の「狂い」とは
祈祷・呪術・供養など本来の形から
より「魅せる」ことを強化するため崩しを入れた、
というようなニュアンスだろうか。

ちなみに鬼剣舞には一、二、三番庭や
一、二、三、八人加護の他にも色々な演目がある。
中には特定の系統の剣舞にしかない演目や
現在は舞われていない演目などもあったりする。

中には余興的な演目もあるのだが、
こちらは「宙返り」といって
剣を持ったままでんぐり返し(と言っていいのか)する。
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手 地面についてないから、
でんぐり返しとは言わないな多分…
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↑最終的には8本持って宙返りする。
つまり、両手に3本ずつ+両手で横に1本+口に1本。
よって、鬼剣舞だけど面も外す。
現在使われているのは模造刀だと思うが、
真剣を使っていた時代は緊迫感も相当のものだっただろう。
(なんでこの写真だけ白黒で撮ったんだ…)

ちなみにこの宙返りを披露してくれたのは
「二子鬼剣舞」という団体の方。
この二子鬼剣舞こそ全国に鬼剣舞の名を知らしめた団体!
と言っても過言ではない(かもしれない)。
というのも昭和の話ではあるが、
全国の民俗芸能の大会みたいのがあるワケで。
そこで三人加護を踊って優勝したのが二子鬼剣舞。

いくつもの団体が舞うのを見ていると、
「あれ これさっきのと似てる」
「おや?こんな演目ほかの団体にはなかったぞ」
みたいのが出てきて楽しいので、
「どこもそんなに変わんないでしょ」
なんて言わずにいろんな剣舞を見ていただきたい。


*鬼って何なんだ*

とりとめもなく岩手と聞いて思い出したことを話したが、
鬼が登場する民俗芸能は岩手以外にも多い。
河童同様、鬼の居ない地方を探すのは難しいのだ。

どの地方でも 鬼との物語は山のように語られてきた。
しかし鬼が単にひどく恐ろしいだけの存在ならば
そこまで頻繁に語られることはあるまい。
時に人を助け 時に旅人を喰おうと画策し
時に人に騙され 時に人の娘と恋に落ちる。
ただ怖いだけじゃない日本の鬼たち。

鬼とは日本人にとって一体何なのか。

民俗芸能に物語にと度々現れ、
鬼の姿というのはハッキリ思い描ける方が多いはずだ。
「角」に「虎皮の腰巻」
何といっても鬼の最もポピュラーな姿はコレであろう。
一般にコレは鬼門=丑寅をキャラ化(?)したものという。

しかし、鬼の語源は一説に「隠(おん)」だという説がある。
つまり、見えないもの・捉えられないものという意味。
おそらく日本に様々な文化を教えた中国の影響で
鬼=「悪霊」的な嫌な意味が強かったと考えられる。

しかし訳がわからないままでは
対処法もわからないし恐ろしいままである。

そんな考えからか、
昔の日本人は鬼に前述のような姿を与えた。
鬼に姿が与えられてからというもの
鬼と呼ばれるものの範囲は爆発的に広がる。

恐ろしい自然現象や広がる伝染病に
鬼の姿を与え何とか追い払おうと様々な行事を行い、
侵略者や まつろわぬ民 製鉄民など、
自分とは違う立場や宗教に属する人間のことすら
鬼の名で呼ぶケースも出てきた。

なんというか、つまりは
自分の理解の及ばないものすべてが鬼になりうる。

勿論その言葉を人に対して使うときは排除の意図が強く、
その見知らぬ「鬼」と和解できなかった歴史もあるだろう。
しかし、鬼と村や家庭を築いた人たちも少なからずいた。

そして自然や疾病を「鬼」と呼び姿を与えるとき
人は見えない力を必死に捉え克服しようとしている。

鬼自体が恐ろしさの化身のような存在でありながら、
鬼は人間が恐ろしさと必死で向き合った証でもあるのだ。

だからこそ日本の鬼は、
時に荒々しく 時に哀しく 時に愛しく 時に滑稽に
こんなにも民のそばにいるのだろう。
と、何となく思うことがある。

7年前の震災でも、
到底捉えきれない大きな力が猛威を振るった。
地震の仕組みも分からない 放射能なんて言葉もない
テレビもないネットもない世の中なら、
とっくに東北に鬼が出たと言われているのではないか。

「こないだ北へ行ったら建物の山があったんだ」
「鬼が民家をかき集めて山を作った」
「村に一人も人がいない。鬼が来てみんな喰われたのか」
「あのあたりの村ではみんな首を病むらしい」
「浜に住む鬼が吐く瘴気に当たるんだそうだ」
(科学が未発達なのに原発があることにツッコんではいけない)

しかし、テレビやネットができて科学が発達して
鬼が出なくなったからそれでいいのか?
実は鬼が生まれないのは「全部わかった」からでなく
直接「向き合ってない」からという可能性も考えられないか。

なんとなく、
ここ数年自分の誕生日前後にテレビをつけると
いろんなことがすごくキレイな形や
もしくはとても感情だけにフォーカスされた形で
調整されて伝えられてると感じてしまう。

もちろんテレビ番組を作っている方だって仕事だ。
感情にうったえない まとまりの付かないストーリーでは
視聴率はとれなくて お偉いさんに怒られてしまうだろう。

それは分かる。だから、テレビはテレビでいいのだ。

ただ、番組でもブログでも動画でもいい。
何かを見て「おっ」と思ったら 行ってみてほしい。
(別に被災地いったことないヤツわかってない的なアレではない)
神社でも祭りでもロックフェスでも(?)なんでもいいのだ。
人の書いたモノ撮ったモノはあくまで入口に過ぎない。
直接行ってみれば今この時代でも
計り知れないもの 未知のもの 怒り 不安 熱狂
いろんな「鬼の素(もと)」に出会えるはずだ。

いろんなものに実際向き合うことで、
自分だけの鬼を生んだり飼ったりしてみてほしい。

勿論ブログを楽しく読んでくれる方が
ちょっとずつだが だんだん増えているようで。
管理人としてはとっても嬉しい(/・ω・)/!
ただ、贅沢を言えば
読んだ人が読んで「へぇ、そうか」ってなるだけでなく
直接行きたくなるような記事が書けたらなお嬉しいな。
と思う29歳の誕生日でしたとさ。

*蛇足*

今回は鬼に関連して話したが
「鬼の付く祭・民俗芸能」しばりで全国を巡る!
とかも楽しいかも。いや、考えただけで楽しい。
たとえば鬼剣舞の他にも鬼太鼓、鬼来迎、
鬼怒川温泉鬼まつり、豊橋鬼祭、だだ堂の鬼走り。
鬼越蒼前神社のチャグチャグ馬コ↓もまたいきたい!
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やっぱりしばりがあると
なんかもう該当する祭りを見つけただけで嬉しくなって
見つけた=いくぞ! みたいな謎の熱量を感じますな。
※管理人は去年、河童しばりをやろうとして晩秋にバテました。
 お祭りは用法容量を守って正しくお楽しみください(笑)

 
今回は実際出かけてないので
薄っぺらな割に長くなってしまいましたが…
(しかも報道に対するモヤモヤみたいな不純物入り)
また一年色々なものに生で触れていきたいですね!
(*'ω'*)

八剱神社で考えごと。

ええ、当初はね。
上諏訪の八剱神社・甲立寺、
岡谷の御社宮司社・浜中島弁財天
の4つをまとめて1つの記事にしようと思ってました。

しかし、話がムダに長い管理人が
そんなコトができるはずもなかったのだ!
(ノД`)・゜・。
…というわけで諦めて、
八剱神社に付いてグルグル考えたことを話して
とりあえずソレで1記事として区切ることにした。

今回は、ほぼ全部妄想なので、
「時間が余って余って仕方がないから読んでやるよ」
という方のみドウゾ(´・ω・`)
八剱神社とは題名ばかりで神話の話しかしてません…。

*八剱神社の第一印象*

管理人は、森に囲まれて 古そうな鳥居があって
土地の神様とかがいる神社が好きである。
なので、正直今まで何度も諏訪には来ていたが
あまり「八剱神社に行こう!」と思ったことは無かった。

まず、祭神が八千矛神大国主の別名)
そして、日本武尊ヤマトタケル)・誉田別(ホンダワケ)。

八千矛神タケミナカタのお父さんだから居てもいいとして…
(許可できる立場かっΣ(´・ω・`)!)
ヤマトタケル・ホンダワケという名前を見るとどうしても
土着の神々の物語(しいては日本各地それぞれの文脈)が
中央集権的に「1つの筋書」に合わせて変形させられてしまう!
という謎の強迫観念が発動してしまう病気なのである。
(少しずつ治していかねばなるまい)

…いやしかし、今回ばかりは避けて通れないのだ。
なにせ 御渡の様子から今年を占う「御渡神事」は、
この「八剱神社」が執り行う特殊神事なのだから!
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コチラ八剱神社の宮司さんは、
手長神社の宮司さんと兼務なのだそうだ。
それはさておき前の記事でも書いたが、
諏訪湖にヒビが入れば何でも御神渡りというのではない。
なので実際 ただ境内で神事~みたいな感じでなく、
早朝から話し合いやヒビ観察の後「認定」が行われる。
しかも神事は氷 つまり凍った諏訪湖の水上で執り行う。

できればこの御渡神事自体も見たかったが、
まぁ用事があったのだから仕方あるまい。

*八剱ってなんだ?*
ところで、管理人がなんとなく前から違和感を感じているのが
この「八剱」という武神然とした名前。
諏訪にはあまりない感じの攻撃的な名前だな~。
一体、この「剣」とは何の剣のことなのか?

管理人が一番に気になっているのはヤマトタケル
彼が祀られていることから「剣=草薙剣」が1つ考えられる。
彼の代に関していえば「剣で草を払うことで野火の難を逃れる」
という使われ方をした草薙剣だが そもそも誰の剣だったか遡ると。

スサノオが 妻となるクシナダヒメを救うため
ヤマタノオロチを退治し切り刻んだ時のことである。
大蛇の尾から「都牟刈大刀(つむがりのたち)」が現れた。
これが後の「草薙剣」が最初に登場した場面だ。

クシナダヒメは「串(奇)稲田姫」と表記されることが多い。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」の名は
ヤマタノオロチの上には常に雲が垂れこめていたことに由来する。

それを踏まえると(勝手な解釈だが)この場面は
土地神の娘と婚姻を結ぶ(土地の支配権を得る)ことを条件に
雨雲を頭上に頂く大蛇(激流)を退治(治水)した余所者が
居を構えクシナダと暮らす(稲作を生業とし定住する)物語
のように見えるのだ。(いつもどおり妄想だけど)

つまり、ココでの剣とは
荒ぶる自然界の水を 制御した力の象徴、みたいなトコか。
しかし、この場合「剣」は1本なので
八剣の「八」については説明が付かない感じになってしまう。

え?いや、そもそも剣の本数とか以前に、
今の話 諏訪に関係あった?
遠く出雲の話では…と、思うだろうか。

しかし、諏訪大明神タケミナカタさんは
出雲から追われ諏訪へ逃げ込んだのではないか。
その上、諏訪には手長・足長神社がある。
この二社の祭神は 現在 テナヅチアシナヅチ
何を隠そう、クシナダヒメの御両親である。
さらにいえば、その手長・足長神社の間に八剱神社は ある。

ほーら、だんだん関係あるように見えてきた…
(催眠術かΣ(´・ω・`))

しかも、スサノオタケミナカタ
天津神に逆らって追い出される
・辿り着いた土地の神と戦って勝利
・土地の女神さまをお嫁にもらって定住
と、類似点が多い。


*製鉄に首を突っ込む*

いやしかし、剣が治水の証だとしたら
スサノオ天叢雲剣に対応する
タケミナカタが手に入れた「水を治める力」の象徴は?

そんなことを考えていて ふと思い出したのが
御神渡りを見るために行った岬の地名である。
「赤砂」ですよ「赤砂」(/・ω・)/!
だから何だ と言われそうだが
どう考えても鉄分を多く含む砂のことではないか?
古くから製鉄が行われた土地で「赤」地名は、
その原料が取れる場所に付いたりすることがある。

タケミナカタが諏訪に入ると
先住神・モレヤは「鉄輪」を持って迎え討った。
つまりタケミナカタが来る以前から
諏訪湖周辺では製鉄をしていたというコトだ。

現在洩矢神社がある場所は
その赤砂から遠くもなく また天竜川が通っている。
砂鉄を採るにはもってこいの場所だった可能性はある。
川を挟んでの戦いは、川の利用権をめぐる争いだったのでは。
…という妄想がはかどる。

実際は現在も
洩矢神社が岡谷」「八剱神社が上諏訪」にある。
モレヤ神とタケミナカタの民は天竜川と上川で
支配権を分け合う形で和解(?)したのかもしれない。

モレヤたち先住の民族が行っていた製鉄技術では
祭祀用の鉄鐸(サナギ)くらいまでが限界だったが、
製鉄先進国・出雲から流入した民族が
武器に利用できる強度の高い鉄を作ったかもしれない。
※当たり前のように突然鉄鐸(サナギ)が登場したが、
 現在では詳細が分からない大社の「湛神事」や
 今も続く「御射山祭」で神器として登場するモノである。

いずれにせよ何が言いたいかというと
大蛇の剣を授かったスサノオに対し
川と湖の支配権を得たタケミナカタもまた
蛇の体(川)から剣(こっちの場合はリアル鉄剣)
を授かった可能性はあるという妄想である。

つまり、八剱とは特定の8本の剣のことではなく
八百万とか八千矛、八幡、ヤサカトメetcの「8」と同じ。
たくさんの剣(鉄)を産出した土地(or氏族)の神社!
と考えることもできるのでは?なんて話である。
惜しむらくは祭神にスサノオが含まれないことだが。

まぁ今回はあまりに妄想率高すぎたので、
裏を取りつつ修正したり宿題山積ですな。

次こそは、ちゃんと何社かまとめて書くぞー。
(/・ω・)/!

カミの通い路、御神渡り。

2018年、節分すぎに5年越しの御神渡りが出た!
と聞いてから幾日が経っただろうか。
今すぐにでも見に行かねば!という気持ちのまま、
土日に研修が入ったりなんだりという災難(?)に巻き込まれていた。

しかし!今週こそ行くぞ!
と思い立った週の中頃 長野に住む知人から連絡が。
「きみは御神渡りを見たか!」
そう頻繁に連絡を取るわけではない方から
このタイミングで こんな連絡が舞い込むなんて。
これはもう御神託と言ってしかるべきであろう!
(いや、神様じゃなくて知人からの連絡だけど)

朝に晩に昼休みに 諏訪の気温をチェック!
どうか私が会いに行くまで溶けないで…(ノД`)・゜。

そんな1週間を終え、金曜の仕事終わりでそのまま駅へ。
新幹線に乗り、長い 長い 篠ノ井線に揺られ…
この時間を利用して寝ようと考えていたのに
不思議なおじいちゃんに一時間以上話しかけられ続け…
とにかく着いたぞ!諏訪!
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ヨイサー(/・ω・)/!御柱の年でなくとも御柱推し炸裂!
そして、下諏訪には何回も来ているはずなんだけど
なんか今回衝撃を受けたのが
改札にあった「万治の石仏」のプチレプリカ。
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え…。こんなん前もありましたっけ?
とにかく、この日はさっさとネットカフェに赴き
早起きに備えて明日への英気を養うことに。
だってせっかく御神渡りというスペシャルな状態を見るなら
まずは超キレイな朝焼けタイムに見たいのだ!
(勿論、昼も夕方も見ます)

御神渡り
というわけで一夜明けて、諏訪湖に向かって出発。
諏訪に来るたびに会っていたけど、冬に会うのは初めてだ!
とドキドキしながら歩いていくと…

ふぉおおおおお(* ゚Д゚)!
今日も諏訪湖が美しい!
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凍ってる!ホントに凍ってる!
しかも天気に恵まれて富士山まで見える!
そのまま諏訪湖沿いに歩き、勧めてもらった赤砂岬へ。
岬から左を見ると「高木」方面へ伸びる亀裂。
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右を見ると、亀裂は「小坂」のほうから伸びている…
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本当に、うねるような軌跡だ。
絶対コレ見た昔の人「お諏訪さまは大蛇に違ぇねえ」ってなったはず!

ココから見ただけでは、
「小坂のシタテルヒメ姉ちゃんが弟嫁に会いに行った軌跡では」
と思ってしまうような亀裂の走り方だが、
湖畔に張ってあった御神渡りマップを見るとその全貌が分かった。
(分かりやすいように文字を加えさせていただきました)
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下座は「くだりまし」と読み、神様が湖に入った場所。
反対に上座は「アガリマシ」と読み、湖から上がった場所。

今いるのが赤砂なので、
一枚目の写真がアガリマシに向かう道。
二枚目のは、小坂から来たように見えたが
タケミナカタさんは小坂方面で諏訪湖に入ったのでなく
「すわっこランド」のあたりから諏訪湖に入り
お姉さんの居る小坂(小坂鎮守神社)方面にふらっと寄って
赤砂岬をかすめて下社のヤサカトメに逢いに行った…。
みたいな形の御神渡りである。

ちなみに「一之御神渡り」というのがメイン的な感じで、
初めに現れた南北方向に延びる亀裂のこと。
諏訪湖の下のほうに青線で示された「二之御神渡り」というのは
一之御神渡りと同じ方向(南北)に走る亀裂のこと。
古くは「かさねての御渡」とも呼ばれたそうだ。

今回は一之御神渡りがV字のような形なので
同じ方向に走っているかはわかりづらかったかもしれない。
結構短く、しかも上川が流れ込んでいるので
管理人が見に行った週には 既に溶けてしまっていたが…。
年によっては一之御神渡りと同じくらいの距離割れたり
綺麗に南北方向の亀裂が2つ入ることもあるようだ。

御神渡りをめぐるカミサマたちの話*

ちなみにアガリマシの近くにペロッと出ているのが
「佐久之御神渡り」。
定義としては「一、二之御神渡りに交差するもの」だとか。
つまり東西方向に延びる第三の(?)御神渡りである。
佐久市にある新海三社神社のオキハギ(タケミナカタJr.)が
湖上を歩む父に会いに来た跡とも
小坂鎮守神社に居る姉に会いに行く跡とも言う。

ただし、日本神話で語られる系図を考えれば
小坂鎮守神社に居るシタテルヒメ
地祇・オオクニヌシと 水神・タギリヒメの子。
そのオオクニヌシ諏訪大明神タケミナカタの父でもある。
(めちゃくちゃモテるから奥さん何人もいる)
なので、新海三社から「姉に」会いに来るとすれば
オキハギとともに祀られているタケミナカタではないか。

オキハギが伯母・シタテルヒメの弟となるには、
タケミナカタはタギリヒメ(つまり異母姉妹の母)を妻に
ということにならないと成り立たない。
オキハギはヤサカトメとタケミナカタの子だというし、
タケミナカタと荒船の貫先神の子 説もあるが(; ・`д・´))
いくつかの伝承が混ざっていつの間にかそう伝わったと思いたい。

しかし、管理人は誰が誰の姉とか子とか細かいことより、
「昔の諏訪に住む人々は この夫婦神から
 養蚕や稲作など多くを学び共に暮らした時期が長く
 タケミナカタとヤサカトメ双方のことがとても好きだった。
 喧嘩して別居した二人をいたく心配していたが、
 御神渡りを見て(夏も通っていたが、御渡ができて村人にバレた)
 タケミナカタが別居後も下諏訪へ通い続けていたことを知り
 みんな 安心したし嬉しかった」
という話が好きだ。

美しいヤサカトメのことが大好きで 喧嘩したのは後悔してて、
でも通ってるのが人間にバレると恥ずかしいから…と
夜に舟を出して諏訪湖をコッソリ渡る姿。
「いつも威厳と生きる知恵を与えて神様らしくしていなきゃ!」
みたいな「神様の見栄」を張ってしまう可愛らしささえ感じる。
もう完全に妄想だが、
様々な知恵を与え 既に村人に慕われているのに
「バレたら村人に笑われちゃうんじゃないか…」という自信の無さ。
九州方面から逃げ伸びて新しい土地に住むと決めた神様の
「まだ完全なホームとは思えない」というような心細ささえ垣間見える。
なんだか余計、お諏訪さまが好きになれる民話である。

かなり様々な話が伝わっていて、
話によっては家を飛び出したヤサカトメから
諏訪湖の上が歩ける時だけ来ていいわよ」
「来てもいいけど一年に一回だけよ」
みたいな条件が出されるパターンもあるらしい。
ともあれ今年もタケミナカタさんのヤサカトメ愛は
バッキバキに絶好調である( *´艸`)
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それにしても
別居されるほどの喧嘩をする「些細な事」っていったい何なんだ。
浮気か?秩父の妙見ちゃんか、荒船の貫先ちゃんのことなのか?
(どちらも養蚕や織物にまつわるカミサマなのが気になる)
ともあれ、朝の御神渡りを心行くまで観賞したので風呂へ向かう。
まだ朝の6時だが、本日目指すお風呂はなんと5:30からやっているのだ。

*下諏訪の温泉へ*

何を隠そう下諏訪は至る所お湯だらけ。
駅前にもホカホカしたモニュメントがある。
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そして下社の程近く。
実家が風呂工事中で2日入れていなかったので
水道水の銭湯でもありがたく戴けるような気持ちだが…
折角なのでコチラで。
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下社秋宮の近所にある、旦過(たんが)の湯!
仏教に詳しい方は旦過という単語をご存知なのだろうか?
(管理人は調べるまで全く知らず…)

禅宗の修行僧のことを「雲水」というが、
自分の実家などの寺を出て修行用の寺に赴いた雲水さんは
初めに庭詰というものを行うとされる。
「玄関先で入門を乞うが断られ続け それでも乞い続ける」
というものだそうで数日間玄関先に居ることになるとか。
この時に寝泊まりに使う部屋が旦過寮だそうだ。

庭詰が終わると課されるのが旦過詰。
庭詰のときに泊まった小さな 満足な灯りもない部屋の中で
寝食以外はひたすら坐禅を組み続けるらしい!
コレをクリアしたら、そこで初めて入門が認められる。

旦過寮は永平寺総持寺のモノが有名らしいのだが、
長野もかなり仏教色も濃い土地である。
まぁ言わずもがな信州で一番有名な寺は善光寺だろうが、
この下諏訪にある有名な寺といえば「慈雲寺」。
下社春宮の鬼門を守るために、大祝・金刺氏が建てたお寺。
(勿論、開山したのは金刺さんではない。建長寺の住職さんだ)
このお寺は曹洞宗 つまり禅宗の寺で、
その雲水さんのために開かれた旦過寮が旦過の湯のモトだとか。
現在は建物もキレイで温泉ホカホカ~♪な感じだが、
実際に寮だった頃は やはり厳しかったのだろうか…。
ちなみに諏訪周辺には武田信玄公関連の温泉が山ほどあるが、
慈雲寺・旦過の湯ともに信玄公の庇護厚く、
特に温泉は「切り傷にも効く!」と武士たちも訪れたとか。
現在は脱衣所や浴場は地元のおばあちゃんだらけ。
「おはよー」「おつかれさまー」「お先ー」と挨拶を交わして
なんだか部活の朝練に来た女子高生の部室みたいだな。
とちょっと楽しくなった。

公衆浴場としてはお安く、
大人 230円と(首都圏の銭湯に比べて)かなり良心的。

そして、驚くべきは その泉温。まさかの58℃だという。
もちろん湯船の湯は水でうめてあるが、
それでも44℃と46℃の2択。あ、あついΣ( ゚Д゚)!
寒い中歩いて目は覚めていたつもりだが、
さらにもう一段階 目が覚めそうなパンチのある熱さだった。

数分後に入ってきた 地元のおばあちゃんが
「あらぁ、若い人には熱いでしょ。露天の方がぬるいよ」
と教えてくれたが、その頃には体は温まりきっていた。
(もう少し早く来てほしかった…)

後で調べて知ったのだが、
この旦過の湯 下諏訪一熱い湯なのだそうだ。
地元のおばあちゃんたちは平気で46℃に入ってはいるが、
お湯に触れていた部分だけクッキリと赤くなっていた。
いくら切り傷に効くとはいえ、傷がある状態で入ったら
目が覚めるどころではない激痛なのでは…。
まぁともあれ久々のお風呂な上 急速に体が温まり、
清潔感とか体温とか いろんなものが回復。
身も心もスッキリした状態で神社へ向かうことができる!

もう長くなってしまったので、
この後に行った神社はまた次回の記事で順次…!
↑さばくのが間に合っていない(´・ω・`)

*おまけ*
この後に行った上諏訪も、
間欠泉が見られるところや宿など温泉関連の施設が多い。
そして、上諏訪駅はなんとホームに足湯が!
入浴を終えて上諏訪に着いたのが8時だったのだが
残念ながら足湯は9時(いや、10時だったか?)からだそうで入ってみられなかった。
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御篝神事で、バーニング節分。

前回は下見ということで桐生賀茂神社を訪れたわけだが、
今回は「御篝神事」本番である。

毎年2/3(節分)の夜に行われるというが、
夜とは一体 ゴールデンタイムなのか深夜なのか?
桐生市役所に確認したところ、
メインとなる「火投げ」は午後19~21時ごろ行うとのこと。
良心的な時間でよかった…。

そして、その前に氏子さんたちは18時ごろから
①人形(ひとがた)に名前・生年月日を書き
②体の悪いところに当てて人形に災厄を移す
③人形と氏子さんが一緒にお祓いを受ける
④豆まき
⑤境内中央に積んだ浄薪に御札や達磨なども乗せる
⑥点火
という流れで火投げに備えるのだとか。

なんとゆうか、
厄除けというのは基本的に正月~節分が多いが
そこに小正月に行う「どんど焼き」的な⑤と
④の豆まきが組み合わさっているという不思議な行事だ。
ということは、この地域は1月にはどんど焼きはしないのか?
とゆう疑問が。気になる。
ということで最初から見たかったが、少々出遅れた。

「食事のプライオリティが低い」と言われる管理人だが、
今回は単独行動ではなかったため まったり夕飯…
という、らしくないことをしていた結果である(笑)
いや、ガストの明太スパ美味しかったから全然いいんだけどね。

遅ればせながら車を停めようと神社に近づくと、
境内の外からでも 巻き上がる火の粉が見える勢い!
前回の写真を見ていただければ分かるように、
鎮守の森がそんなに小さいわけではないのだが…。

車を停め、鳥居をくぐると
想像をはるかに上回るバーニング具合だった。
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水しぶきの如く 火の粉が吹き上がっている!
寒さに備えてコート下に着るウル◯ラライトダウンと
裏起毛のジョギング用ズボンを用意していた管理人。
しかし、炎の勢いが凄すぎて寒さはほぼ感じず。

そして なんとなく
「火を投げ合うとは言え 束ねた藁的なモノだろう…」
と勝手に想像していた管理人。
しかし、いざ見てみれば50cmはあろうかという棒ではないか。
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↑このガンガン焚いている火に、どんどん棒をくべていく。
そして、氏子さんたちがその中から
イイ燃え具合のをチョイスして持っていくシステム。

ああ、そういえば説明書きにも
「火を付けた薪」って書いてあったかも…。
そんなもの投げたら危ないだろうという勝手なバイアスで、
薪→藁に脳内変換されていた…。

さて、なぜ火を投げ合うか気になるところだが
実は詳細な起源は分からないらしい。
しかし遅くとも江戸時代には行われていた記録があるとか。
戦後に一旦は途絶えたというが、その後は無事復活。
現在は保存会などもでき安定した運営が行われているそうだ。

というわけで、まずはどんな様子か動画をどうぞ。


2018.2.3 御篝神事

事前に見たネット情報では
「火投げは3投ワンクールで、30分毎に全部で3クール行われる」
と書かれていたりしたが、1クールは明らかに3回以上投げていた。
(何投かした後「ラストスリー!」的なこと言ってたので間違いない)

なので意外とシャッターチャンスはあるのだが、
今回初めて夜間撮影用アプリを使って撮ったので
なかなか調整がうまくいかず。
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↑他の人のフラッシュで漁夫の利な撮影。

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↑ボウリングの如く美しいホームで薪を投げるおじさん

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まぁトイカメラでお遊びをしたような写真だが、
少しでも様子が伝わればとゆうことで一応載せてみる。

そんなことをしていたら、
対面に立っていた氏子さんの薪が大きく弧を描き
管理人から1mほどの場所でカメラを構えていた方に命中。
大きなカメラのおかげでケガは免れたように見えたが、
同行者に聞いたら「いや、顔に命中してたっぽい」だそうな。
御篝神事、恐るべし。

その後も、すぐそばで火を回していた氏子さんの薪が
前方でなく後ろに飛んでくる案件などが発生。
(手を離すのが遅すぎたんだろうか)

先日の下見の際にはひっそりしていた拝殿も、
平時はポッカリと広い境内も、今日は人であふれている。
ワケイカヅチさんも喜んでいるのではないだろうか。
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氏子さんによると
終わる時間は「火の燃え加減次第」とのこと。
どうやら火力が強いと時間が短いらしい。
今回は20時ちょっと過ぎには終わったので、
火力が結構強かったということだろうか…。

火投げが終わると
氏子さんたちが浄薪を囲んで三本締めをし、
御篝神事は無事終了となる。
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さぁ、遠足は帰るまでが遠足。ここで全てが終了ではないのだ!
鳥居の外に消防車が待機していたので
「万が一のために待機しているのかな」と思っていたら、
火投げが終わった後 境内に入って来た。
そして、薪を差していたドラム缶を浄薪のそばへ寄せ
火のついているモノを1ヶ所に集めたのち、全力で放水!
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煙が朦々と立ち上がり、大火事の現場さながらである。
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な、なんてゆうか消防士さんが放水してる現場初めて見た。
近所で火事は何回か起きてるけど、
ここまで消火活動をちゃんと見たことはなかった…。
こんなすごいホース2本がかりで水をかけまくっているに、
一度燃えた薪というのは意外といつまで消えないもので。
かなり長い時間放水が行われていた。

火の粉もだいぶ飛んでいたため、
燃えていたものだけでなく境内の木の枝にも放水。
「建物当てないように気を付けろよ!」
と隊長(?)的な人が声をかけたりしながらやっていた。
確かに、あの水圧が神楽殿に当たれば
彫刻の一つや二つくらいは吹っ飛びそうだ。

かなり入念に放水し、境内はビッチャビチャである。
明日の朝全部凍っているのではと思うと恐ろしいが、
無事に火も消えたようで全てが終了。

ちなみに、火が燃えているうちは暖かく
火投げのインターバルには見物人も注連縄の中に入り
ボーボー燃えている浄薪の火に当たることができる。
が、この消火活動を見守っている時間は寒い。
さすがに火が消えれば冬の桐生が寒くないはずない。
終了後しばらくは、同行者の車で震えている管理人だった。

今回の御篝神事に限らず、
湯かけ祭りとか春駒とか 冬の群馬は奇祭の宝庫!
なんか最近よう雪が降るけど、
信越や東北に比べたらイージーモードなので…
是非来年の冬はグンマーの奇祭見にきてね
(*'ω'*)

ワケイカヅチと白瀧姫。

管理人は、神社へ行く以外の外出は極度に少ない。
加えて去年の夏バテを引きずって
ここのところ体力の回復に努めていたので…
久々の上電(上毛電鉄 *'ω'*)!
中の装飾は…犬だらけ!「戌年」だからだな!
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上電のこういう感じホント好き。
通学に使ってる子たちに比べたら利用回数低いけど、
粕川やら大胡やら桐生やら お祭り行くとき重宝してます!
上電、応援してます!

さて、そんなわけで終点・西桐生で一旦下車。
徒歩数分のJR桐生駅から両毛線で小俣へ。
今回の目的地は群馬県桐生市にある賀茂神社なのだが、
どっこい最寄り駅は桐生でなく小俣なのである。

ちなみに、桐生の賀茂神社では毎年2/3節分の夜に
桐生市指定重要無形民俗文化財でもある「御篝神事」が行われる。
白装束の氏子さんたちが火のついた薪を投げ合う奇祭だそうだ。
今回はその下見も兼ねての 突撃!となりの賀茂神社、である。

 

*小俣 伏見稲荷神社*
さて、目的地までは徒歩30分ほど。
そんなにド田舎ではなく比較的大きな通りに沿って歩く。
すると、途中で稲荷神社を発見。
交差点にふっと現れた そんなに広くない神社。
だが、かなり立派な鳥居↓がドーンと立っている。
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正面に見える白壁の建物は、
社務所かと思いきや「以学文庫」と書いてある。
え、なになに?地域史の本とか置いてあるの?
それなら面白そうだけど、誰もいる気配がない。

敷地面積の割にシッカリした授与所もあって、
見本の御守りも日焼けしてないしケースも汚れていない。
管理は行き届いている風だが、やはり人はいない。
例祭の日に来ればいいのか?そんなに遠くないし。

軒下には絵馬↓が奉納されている。
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絵馬といえば、お願いを描く五角形ないし長方形の板!
というイメージの方が多いかもしれないが、
モトは神様への供物や御礼としてホンモノの馬を奉納していた。
それを、絵で代用するようになったのが絵馬のはじまりらしい。

社殿を見てみると、鳥居や授与所のわりには小さい印象。
鈴は、とても大きい(軒が低いので余計にそう感じるのか)。
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しかし新しそう&キレイになっていて
氏子さんや宮司さんに大事にされてる感。
オカネを入れて自由に持っていくおみくじあり。
御参拝の折には是非どうぞ(=゚ω゚)ノ
管理人は年始に引いたので、
しばらく新しいのは引かないでおきます…。

 

*桐生 加茂神社*
さぁ、この橋から向こうは群馬県桐生市
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ちなみに栃木県民の方はご存じだろうが
先程の「小俣」は栃木県足利市だ。
群馬県桐生市の神社へ行くのに最寄り駅は栃木県とゆう…
なんかこのへん、県が入り組んでるんだよね(´・ω・`)

県境である渡良瀬川を渡ると、住宅地へ突入。
道、合ってんの…?と思っていると
「加茂神社 旧参道」という立て札が現れた。
そして公民館を過ぎ お寺に差し掛かったところで…
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見えた!奥に鳥居が!
そして鎮守の森が…予想より大きい!

鳥居をくぐると、すぐ右手にメインの鳥居とは別に鳥居。
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扁額には「賀茂御祖神社」と書かれている。
カモミソではなく かも-みおや と読み、
読んで字の如く「親」が祀られている神社。
祭神はカモタケツヌミ(賀茂建角身)・タマヨリヒメと思われる。
「本殿に居るワケイカヅチの両親ってことだね!御親だし!」
と早まるなかれ。おじいちゃんと、お母さんである。

そして、左手には「八坂神社」の扁額がかかった鳥居。
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祠は3つ。真ん中は祠の扁額に「天王社」と彫られている。
なので真ん中は牛頭天王もといスサノオがお住まいなんだろう。

京都の八坂神社のことを考えると、
現在は中御座(つまり中央)にスサノオ
東御座にクシナダ・カムオオイチヒメ・サミラ(全部奥さん)
西御座に8人の息子と、クシナダの両親(アシナヅチ&テナヅチ
が祀られているので、
ここの場合も両脇は后神と御子神(+義父母)か?

その八坂神社の隣には御神輿が保管されていた。
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神輿の四方に「ドリル刃かな?」とゆうような
ギュルギュルした形の柱が付いてる。
今時はこういうデザインなのか?

その横に「豊機神社」があるが、最後に行くとする。
さて、こちらがメインの賀茂神社
桐生には、天満宮や美和神社など
なんとなく西の都からお呼びした神様が多い。
おそらく先程の御祖神社も この賀茂神社も、
賀茂御祖神社(通称・下賀茂神社)と
賀茂別雷神社(通称・上賀茂神社)からの勧請とおもわれる。
※以前、群馬の八ノ宮・火雷神社の記事では
 この桐生にある賀茂神社について「奈良の高鴨神社から」と書いたが、
 高鴨神社の主祭神はアジスキタカヒコネである。
 こちらは上述のとおりワケイカヅチ主祭神なので、
 高鴨でなく上賀茂神社からお呼びしたのだろうと思う。


神社って例祭の日以外は閉まっていることも多いのだけど、
ココは結構オープンな感じだった。提灯の神紋は「二葉葵」。
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祭神は、賀茂別雷命(かも-わけいかづちの-みこと)。
先程の御祖神社におわすタマヨリヒメの息子さんである。

少し日本神話に詳しい方は
「あれ?お母さんはタマヨリヒメ?トヨタマヒメの妹の?」
と思うかもしれないのだが、
実はタマヨリヒメというのは固有名詞ではないのだとか。
魂(たま)の依代(よりしろ)となることができる女性、
つまり巫女的な性質のある女性たちをこう呼ぶらしい。

こちらのタマヨリヒメはカモタケツヌミの娘。
タケツヌミは賀茂氏の祖先にして カミムスビの孫。
そして神武天皇を導いた日本建国の立役者でもある。
※光を放ってナガスネヒコの目をくらませた金鵄なのか
 熊野から大和への道案内をした八咫烏なのか混同されているが、
 結局どちらもタケツヌミの化身だということになっている。

おじいちゃんとお母さんは分かったけど、
じゃあ お父さんは誰なのか?と言うと、
京都・乙訓坐火雷神社の祭神・ホノイカヅチとされている。
(群馬の八ノ宮・火雷神社佐波郡玉村にあります。小さめ神社。)
ただ、スサノオやニニギのように恋をして結婚♡
というわけではなく

丹塗矢に姿を変え賀茂川を流れてきたホノイカヅチ
賀茂川で遊んでいたタマヨリヒメが拾ってお持ち帰り。
寝所に矢を置いておいたら いつの間にか懐妊したよ!
という斬新な通い婚の結果である。
斬新と言えど、かの(?)オオヤマクイもオオモノヌシも
これと同様の方法で女性にアプローチしている。
当時の神様の間で流行していた方法なのかもしれない…。

さておき、そんなこんなで生まれたワケイカヅチだが
肝心のタマヨリヒメも誰の子だかわかっていなかったとか。
そんなある日、宴会をしていたタケツヌミは
よちよち歩きのワケイカヅチに杯を持たせて言ってみた。
「この酒はおいちいから、おまえのパパにもあげまちょうねー」
するとなんとワケイカヅチは屋根を突き破って空へ!
そうして雷神であるホノイカヅチが父親だと分かったとさ。

…あれ?屋根突き破った後、ワケイカヅチってどうなったんだ?
地上には戻ってこなかったの?(´・ω・`)ハテ…

ちなみに、ワケイカヅチの名前の解釈としては
①「別雷」稲妻を別(わか)つほどの力を持つ神
②「若雷」若々しく力のみなぎる雷の神
などがあるらしい。

さて、拝殿横を通り本殿のほうへ進むと、燈籠↓発見。
何気なく立っているが、市の指定文化財
造立年が分かるものでは桐生最古(1378年)の石燈篭だとか。

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遠目ではわからないけれど、
いや、もう苔でモッサモサですよ。
近づくと小さな森みたいな感じでイイ(*'ω'*)
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そして本殿。
なんか上泉(前橋)とか伊勢崎とか太田とか、
結構県内の神社、彫刻がすごいなーって思うこと多い。
ココも例にもれず本殿は全面彫刻。
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彩色もちゃんと残っているみたいだけれど
修復とかしてもらってるのだろうか。
ベンガラ色の部分は結構最近直したかなという感じ。
色が落ちてないし、彫刻のエッジがはっきり。

本殿右奥には、関東の地震除けコンビ・鹿島&香取社。
つまりフツヌシとタケミカヅチが並んでいる。
地震メインじゃなくて武神なんスけど…と言われそうだが)
鳥居が…他の境内社は石なのになぜか木材…!
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2つだけ並んでいるように見えるが、
奥まで行ってみると両脇にも小さな祠がズラリ。
(暗い写真ですみません)
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2つの祠の横にある石塔は…
一文字目がうまく読めない。土?丑?立?
そして3文字目も微妙。幸?桒?
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近くにあった祠には、お稲荷様っぽい装飾。
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この季節はこういう奥に分け入っても
全然 蚊も蜂もいなくて本当に平和ですね(/・ω・)/!

そして、最後にとっておいた豊機神社!
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鳥居から、まっすぐ階段が続いている。
鳥居の奉納は明治と書かれていた。
階段を昇っていくと、両脇に燈籠が立っている。
最初の一対には「糸まき」↓の装飾。
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そして2つ目は、一見 幾何学模様のようだが
機織りに使う「杼(ひ)」↓が4つ組み合わさった絵。
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幸い、上がるのがきついほど長い階段ではない。
(まあまあ長いかもしれないが)
秩父武甲山の麓にある稲荷神社↓や
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信州・諏訪大社付近にある北斗神社↓に比べたら…
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(管理人の中での二大 鬼直線階段です)

話はズレたが、全国的には機織りの女神といえば
タカミムスビの子(or孫)でありニニギの母である
タクハタチヂヒメが祀られていることも多い。

またおとなりの足利にある「織姫神社」は
天棚機姫の娘or孫・ヤチヂヒメが祭神とされている。

たまにはタナバタヒメとヤチヂヒメは同一人物だとか、
挙句の果てには そこへタクハタチヂヒメまで混ざることも。

しかし、桐生で機織りの女神様といえば
なんといっても白瀧姫サマである。
桐生にある白滝神社も、白瀧姫とヤチヂヒメを祀っている。
上記のような神話の中の女神様とは違い、
白瀧姫は身分こそ高いが人間の女性とされている。

時は昔、平安京がまだできた頃の話。
我が群馬県桐生市川内町あたりから宮仕えした男がいた。
東京が首都である現在すら「未開の地グンマー」と言われる場所。
京が中心だった時代、都の人からして見れば
もはや場所すら見当のつかないような場所だったかもしれない。
(いや、埴輪と古墳すごいから逆に昔のほうが…的な可能性も…)

さておき、どうやら彼は宮中の庭掃除係として働いていたらしい。
御簾の奥にいる姫(官女であったとされている)を垣間見て
一瞬で恋に落ちてしまう。
身分の違いを思い、諦めようとするも諦めきれず、
彼は思い切って歌合わせの際に彼女に歌を送った。
当たり前だが、当時の歌といえば和歌である。
ギターを弾きながら歌う自作ラブソングではない。

すると、なんと彼の歌は中々センスが良かったのである。
最初は「私、身分高いのよ。そんなに恋い焦がれないで」
みたいな返歌をしていた姫だったが、
彼女のお父さんが彼の歌と一途さをベタ褒め。
天皇も「いいんじゃない」と言い出す始末。
姫は身分違いのお掃除ボーイの家へ嫁に行くことになった。
その才色兼備な姫が 白瀧姫である。

上州がどんなところかも知らずに
庶民の家に嫁に来ることになった京都のお嬢様。
色々心配ではあるが、ともあれ彼女は
都で習得した養蚕や絹織物を桐生の人々に教えてくれた。

このエピソードも様々な地域で
少しずつ脚色されたりしながら伝えられてきたため、
本当のところというのは分からないわけだが。
姫は単に桐生の人々に機織りや養蚕を教えただけでなく、
彼女自身も織った布を京へ納めていたとも言われている。

この白瀧姫がみんなに教えた機織りって、
どんな布を作っていたのだろうか。
まず、養蚕も教えたというのだから材料は繭だろう。
繭といえば絹。絹と言えばツルツルで薄手の布だろうか。
が、その後の記録に残る桐生の織物「仁田山織」は
ツルツルのヤツでなく「紬」のような生地と考えられる。

そもそも、みんなが知っているピカピカの生糸というヤツは
御存知と思うが繭玉を煮て一本一本の糸口を探し出し
その一本一本を均一に撚り合わせて糸にするのだ。
生産性を上げるには結構大規模な施設や作業場所、
そして言うまでもなくそれなりに高い技術が必要なわけで。

それに比べれば、紬に使う糸というのは
繭を煮てほぐし、広げてワタ状態にしたものから
こより的な感じでネジネジしながら太めの糸を作っていく。
使う繭も、穴が開いたものなどでも使える。
なので、難易度がやや低く広めやすいのである。

それまで関東北部からの調(税を布で納める)は
苧麻(ちょま)を原料としたものが多かったらしい。
※からむし織についてはこちらの過去記事で紹介してます。
が、丁度この桓武天皇あたりの時代から
「あしぎぬ(ふとぎぬ)」とよばれる布も納付され始めたとか。
名前から、紬の糸のように太めの糸で作る絹製品と思われる。
白瀧姫の話には そんな時代背景が垣間見えている、のかも。

も…もしや歌ウマなシンデレラボーイが
「奇跡的に姫様をお嫁さんにできた」のではなく、
地方から納付される布の品質を上げるために
養蚕と機織りに長けた美女を地方に「お持ち帰りさせる」作戦!?
おのれ孔明!謀ったな!(; ・`д・´)

いや、まぁそれは妄想だとしても…。
なんにせよ、これがキッカケで
桐生は織物の街としての第一歩を踏み出したようだ。
ちなみに先程 桐生の織物を「仁田山織」と呼んだが、
仁田山というのは今でいう石尊山(@小俣)のこと。
白瀧姫が「アレは京にあった山と似た山じゃ」と言ったので
ニタヤマという名前になってしまったとか…。
…ホントかよ(;゚Д゚)!

そんな仁田山織は
京都などの上質な布に比べれば当然質は低く、
長い間「田舎反物」の代名詞とされてきたのだそうだ。
昔の書物や歌舞伎などのセリフを見ると
「優れたものと一見似ているが劣っているもの」
というような意味で「仁田山」が慣用句化しているとか。
しかし、逆に考えれば 質が劣る代わりに安価であり、
全国に広く流通しているからこそ
誰にでも通じる慣用句として使われるのだろう。

上方や西洋の技術を吸収し、
「桐生は日本の機どころ」(上毛かるた
となるには少し時間がかかったモノの、
白瀧姫のもたらした技術は
確実に仁田山の麓を潤したのである。

そんな彼女が祀られているのが「豊機神社」。
保護色で見えずらいが、後ろの崖に同化して祠がある。
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本殿と拝殿の位置関係…にも見えるがコレは一体。
ちなみに、文献によっては 賀茂神社には
アメノハヅチオノミコトも合祀されているらしい。
香取・鹿島社の両脇にあった祠のどれかかも知れないが、
機織の神ということを考えると
できれば(?)ここに一緒にいてほしい。

ちなみに、この豊機社の奥は山なわけだが
社の左を見ると上のほうへ道が続いている。
そちらにどうやら「賀茂山祭祀跡」というのがあるらしい。
行ってみようかとも思ったが、ちょっとやそっとでは着かなそうだ。
いやぁ、そういうのはもうちょっと暖かくなってから…
という軟弱な思考が働き、管理人は山を後にしたとさ。

追記:
あとでいくつかのブログを読むと、
どうやら暖かくなると草が伸びて行けなくなるので
奥まで行きたいなら冬が良いそうである。
御篝神事の日にでも登ってみるか…?