とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

吉田神社と鬼やらい。

前回の記事では、
民俗芸能やシシ関連寺社巡りしましたけどね。
京都に来るのは去年の祇園祭以来なわけで、
だから もう管理人の中での気温差がすごいのなんの。
祇園祭では暑すぎて花傘鉾の巡行が一部中止になり
「中止なんて応仁の乱以来」と騒がれていたのに、
今回は 昼でも裏起毛ズボン履いて震えてる始末。

さて、そんな京の「底冷え」の洗礼を受けつつ
吉田神社の疫神祭&追儺式へ行ってきたよ(/・ω・)/!


まずコチラ↓が朝の様子。
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まだ祭としては稼働していない状態で、
屋台の設営している人や地元の方がチラホラ居るのみ。

なんか、屋根部分の内側が市松模様みたいでかわいい。

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前日 仏像巡りでテンション上がって寝つき悪かったけど(子供か)
節分前日祭&疫神祭はAM8時~ですからね!
頑張って起きたよ(/・ω・)/!

最高気温は春並みのハズとはいえ、
朝方は一度息を吐くと周りがモワモワになる寒さ!
何℃?何℃なのコレ?
手がかじかんで携帯で気温確認する気にもなれない。
と思いつつ本宮前へ急ぐ。

すると、恵方巻を持った おばぁが現れた!
「店で聞くの忘れたわ。今年どっち向いて食べるのか知らん?」
え、なんだろうこれ。これも洗礼?
「今年の恵方も知らん奴は吉田神社に踏み入る資格ないわ」
的な神の使い? いや、正解しないと何かが起こる妖怪だろうか?
失礼な妄想で頭がいっぱいになりつつ 検索することにした。
しかし、かじかんでいてなかなか打てない!
「悪いわぁ、そんなン調べてもろて」
こっちこそ遅くて申し訳ない…。
恵方も知らんですいません。で、夜は結構混みますか」
「あんた初めてなんか。1年生?えらい人やで?」
「あ。恵方、東北東です。結構早くから人出ますか」
「北北東?あんなん、鬼さん見たいんやったら2~3時間前やわ」
「いや、東北東ですよ。あー、そんななんですね…」
「助かったわ、東北東なぁ。私は足悪いし、よう行かんわアレは」
京大1年生ではないが、かじかみ検索は無事完了。
どさくさに紛れて聴き込みも終えたところで 参道を上がる。

この吉田神社というのは京都御所から見て丑寅の方角。
つまり、都の鬼門除けとして作られた神社である。
本殿に祀られているのは、
健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
伊波比主命(いはいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)
そしてコヤネさんの奥さん=比売神(ひめがみ)。

漢字の表記は多少違うが、
みなさんご存知(?)のタケミカヅチである。
剣の力を神格化したともいわれる勝利と地震抑えの神。
生れ落ちる瞬間に母・イザナミの体を焼き
父・イザナギに切り捨てられた火の神・カグツチの、
ほとばしる血から生まれたカミサマだ。

次のイハイヌシは「神祇の祖神」つまり
カミサマを祀る仕事をしている方の御先祖様。

そしてアメノコヤネさんは、
天岩戸事件の時 戸が開いた瞬間に
鏡を差し出した神の一人とされている。

…あれ?この顔ぶれ、どこかで見たことないですか?
前回の記事も読んでくれた方は覚えていると嬉しいが、
実は(イワイヌシ以外)奈良・春日大社と同じなのである。
というのもココは、貞観元年(859年)藤原山蔭という人が
春日大社の神様をお招きして作った神社なのだ。

管理人はこの日 朝に吉田神社へ来て、
午前中にお世話になる団体さんと落ち合い、
奈良で鹿を堪能した後に春日大社に参拝し、
追儺式のために焦って吉田神社に戻ってきた。
よく考えたら、同じ神様の元を
奈良へ京都へ行ったり来たりしている管理人であった…。

拝殿に着いてみると、周囲を奉納品のテントに囲まれ
なんだか建物の輪郭がわからない状態になっている。
入口付近にある赤や黄色のかわいらしい袋は 聖護院の八ッ橋だ。
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酒とともに、餅も奉納されている。
鏡餅って正月に限らないんだなぁ。神饌が鏡餅なのか…」
と思っていたが よくよく考えると
旧暦では節分って大晦日だったと聞いたような気もする。
じゃあコレは一般的な意味での鏡餅か…と考えていると祭事が始まる。

本宮前に集まった神職さん&役員さんぽい人たち。
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やけに福豆の看板が目立っているが、
吉田神社の抽選券付き厄除福豆は景品が豪華と有名である。
食事券や家電はもちろん、なんと車まで当たっちゃうのだ!
2月の京都では吉田神社に限らず方々で福豆授与があり、
後で乗ったタクシーの運転手さんが
「京都は”豆屋”ゆう、もうそれだけ売る店があるんですわ」
と話していた。普段は豆菓子や調理用の豆を売っているとか。
管理人は例年 スーパーの節分コーナーとかで買ってるなぁ。
さすが京都は違うわ。まだ専門店が生きていける環境なんだなぁ。
とあらためて感心。

さておき、この方たちが列になって本宮のほうへ入っていく。
が、なんか おじぃちゃん達の足取りが危なかしい…(´・ω・`)
後ろの人が 前の人を支えながら入ってゆく。
(そして最後尾には前原さんらしき方が)
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中では祝詞が上がったり雅楽の音がするモノの、
何が行われているのかは殆ど見えない。
ので、今のうちに大元宮へ移動して場所取りをさせてもらう。

中での動きが全く同じかは ちょっとわからないのだが、
この「節分前日祭」は本宮と大元宮という2カ所で行われる。
ので、本宮よりは見通しの良い大元宮で場所取りをした方が
何をやっているか見えるのでは?と思ったわけですよ。

さて。
大元宮の鳥居横には漬物屋さんが陣を構え、
この寒さの中でもあたり一面漬物フレーバーとなっている。
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「待ってよ、そもそもさっきのが本殿で、大元宮って何なの」
そうですよね。なんのモトなんだよってね。
で、コレがまたトンデモスポットなのだけど
ここには宇宙の軸(中心)があって、
そこから生まれた神様を全員祀っています!
神様で満室の超大型マンションみたいな場所なんですわ。
(; ・`д・´)ナンダッテー!?

なので、ここにお参りすれば
全国の神社へ詣でたのと同じ効果があるとか。
神様へのお礼や祈願であればココ1軒でオールオッケー!
…まぁ管理人は 神社には大体神事か芸能見に行ってるから、
現地じゃないと意味なくて飛び回るんだけど…。
まぁ、アレですな。
地方に行った時にお世話になったカミサマに
お礼を言いたいときなんかに使えそうですな。
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この中門のすぐむこうに宇宙の軸を表す大元宮があり
中心に「虚無大元尊神」という始まりの神様と
そこから生まれた「天神地祇八百万神」を祀り、
神明社にアマテラスさん、西神明社にトヨウケさんを配す。
伊勢神宮で大事にされている2人の女神様ですね)
そして、その周りを囲むように「式内社3132社」がある。

この社殿がまた変わっていて、
八角形の建物の後ろに六角形の建物がくっついたような形だ。
そして、千木は手前が内削ぎ・奥が外削ぎ(普通は前後で同じ)。
鰹木に至っては手前は円柱が3本纏まったモノ。奥は四角柱。
管理人には難解過ぎて どこがどういう意味か分からないが、
神道と仏教の折衷、陰陽説・五行説などとの融和など
吉田神道が目指したものを物理的に表現した形なのだとか。
正月三箇日・節分祭期間中・毎月1日には
中門より先に入って中で参拝できるので是非!

さて、節分祭期間中は大元宮前に
この「厄塚」が設置されているので是非御参拝いただきたい。
参拝者の厄を請け負ってくれる、ありがたーい塚なのである。
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なんか祇園祭の山鉾に付いてる真木にも似ている。
カミサマは神籬(依代になる木)とかに降りてくるけど、
疫神とかもアンテナみたいなもんが好きなんだろうか。

そうこうするうちに、本宮で神事を終えた一行が到着。
中門をくぐって入って行った。
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中で大元宮のほうに向かって祝詞的なモノを唱えた後は、
先ほど通った中門付近に台と供物が置かれはじめ
全て並べ切るとコチラに向かって神事が始まる。
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これは疫神に「どっかいけ」ではなく
「荒ぶることなく山川の清い地に鎮まってね」というための神事。
後半、供えてあった米(塩か?)と御神酒が そのへんに撒かれる!
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前のほうの人は、かかった人もいるかもしれない…。
この後、大元宮の扉を開けて御簾を上げたりして
中の鏡とかも一瞬見えたりしていた。

そろそろ、集合時間も近づいてきたので京都駅に急ぐ。
この後の様子は前回の記事に書いたとおりだ。
そして「シシめぐりの割に春日大社がサラッとだったな」
と思った方も居るかと思うが、
恵方巻おばぁちゃんの忠告通り追儺式2時間前に着かねば
というコトで春日大社ではのんびりできなかったというワケだ。

吉田神社境内にも夕闇が迫り始め、
朝とは打って変わって人の波が押し寄せている。
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朝は まだスッカラカンだった「火炉」にも
明日の御焚上げを待つ御札やお守りが続々と集まってきた。
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群馬へ帰らねばならないので
明日2/3の火炉祭(PM11時~)は残念ながら観られないが、
直径5mほどの火炉が燃え盛る様子は壮観である。
ちなみに管理人が見たのは2017年だが、
環境への配慮という観点から中止されていた火炉祭が
3年ぶりに復活した年だったのを覚えている。

忠告通り2時間前くらいに到着してみたものの、
既に舞殿前は人でごった返している。
しかも、非常に規制がしっかりしていて
舞殿の周囲に群がって観るようなことが一切できない。
観覧場所として舞殿の正面がロープで四角く囲われており、
既に四角の中は山手線の超満員電車さながらの状況。
ロープの中には潜り込めそうだが、
150cmがココに紛れ込んだところで見られる気がしない。

山の上から鬼が下りてくるという情報を手に入れたので、
本宮前から上がって大元宮方面へ移動。
吉田神社は山の斜面に立っていて、
その山の中に摂末社が点在しているのだ。
上がれども上がれども 道の人がハケる気配は無く、
地元の方々が道脇の斜面に居るのでそこに紛れ込んでみた。
斜面なので、目の前に人がいて撮れないという恐れも無さそう。
( *´艸`)

開始時間が近づくと、
係の方が路にいる人を脇道へ流し始める。
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しかし、人が脇道から敷地外へ出ていくものの
湧き出るかの如く延々と人が流れるだけで道が空いてこない。
まだ鬼は通らなそうなのでポチポチと調べてみると、
なんとこの節分祭全体では約50万人の参拝者が来るらしい。

ややすると、提灯に先導され一行がやってきた。
提灯には「吉田神楽岡町」と書かれている。
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この神社がある山は「吉田山」と呼ばれているが、
またの名を「神楽岡」(神様たちが集う山)と言い
吉田神社創建前から信仰の対象になっていたのだという。
提灯に続いて法螺貝を持った山伏風の男性2人、
松明を持った子供たち(と、道に水を撒く消防隊員さん)、
検非違使の様な恰好をした男性2人、神職っぽい人たち、
そしてまた松明を持った子供たちが続く。

沿道の人混みから歓声や子供の悲鳴が聞こえ始め、
待ちに待った方相氏が登場!
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赤い顔に、金に光る4つの目。
左手に三叉矛・右手に黒い盾を持っている。

続いて、この世のすべての「怒り」の化身
赤鬼が雄叫びを上げながら登場。
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そして、この世のすべての「悲しみ」の化身
青鬼が唸り 金棒を振り回しながら登場。
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最後に、この世のすべての「苦しみ」の化身
黄鬼が登場し一行は舞殿へ向かってゆく。
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管理人はさらに斜面を登り、
地元の子供に混ざって木立の間から舞殿を見ていたが
どうにも遠すぎて載せられるような写真が撮れず。

流れとしては、
舞殿で神職さんたちが儀式を執行している所に
先ほどの一行が登場する。
暴れまわる鬼が方相氏に向かってくる度に
方相氏は縦で金棒を受け止めつつ
鬼のごとき雄叫びをあげながら鉾で鬼を撃退。
鬼が数歩後退したところで、
方相氏が引き連れている侲子(しんし)という子供たちも
「オー!オー!」
と声をあげながら方相氏と共に鬼を追って数歩進む。
というのを舞殿の周りを一周するまで続ける。

最後に、舞殿にいた人たちが桃の弓で葦の矢を放ち
鬼たちはまた山へ退散していくという筋書きだ。

一連の流れを見ていただければ、
あの「一番強い鬼」みたいな方相氏が
鬼を追い払う立場の存在だと分かっていただけるかと思う。
この方相氏&侲子が厄を払うという行事は、
装束などに多少の違いはあるが中国から来た文化だそうだ。
中国では鬼というのは「姿の無い存在」とされているので
鬼が登場することになったのは日本に来てからのはず。

調べてみると、宮中行事の様子を描いたものの中に
平安時代前期頃まで「儺う側」だったはずの方相氏が
葦の矢を向けられる絵が残っているらしい。
ということは、そのタイミングで
見えない鬼を追い払っていた方相氏自身が
見える鬼として払われるようになって初めて、
鬼に「姿」ができたのかもしれない。

多分、そのあとで
「鬼門は丑寅だから牛の角に鬼のパンツね」
とゆう方角擬人化みたいなことが起きて
さっきの3色の鬼のようなイメージが一般的となった。

最近ではほとんどの行事で
豆を撒いて悪い鬼を追い払う形になっているが、
平安神宮の節分祭にも方相氏が登場する。
平安神宮の方相氏は 吉田神社よりヒーローっぽさがあって
白い面に4つの目を持った神様然とした姿である。

調べてみると、京都以外でも
何カ所か方相氏に逢える節分祭があるらしい!
是非、来年以降 方相氏に逢いに行って
祓う者から鬼へと姿を変えたヒーローに思いを馳せてみてほしい。
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鬼に姿ができ、恐れるモノの形を取らえたことで
人は それを撃退する方法を必死に編み出し
日本全国に鮮やかな行事が残ってきた。

京都の人はみんな、鬼「さん」と言っている
というのが今回 印象だったなぁ。

鬼さんは、恐ろしいモノでありながら
人が分からないものに対抗する手段でもあったわけ。
だからこそ、あんなに恐ろしい姿なのに
時に人に愛され 拝まれるのかもしれないですね(*'ω'*)

次は何県にお出かけかなー
と楽しみにしつつ、今回はこの辺で。

シシ年、旅はじめ②:シシの足跡、めぐる古都。

前回に引き続いて京都になるが、
シンポジウム&公演でもお世話になった東京鹿踊さんの
シシオドルーツアー(訳:シシ踊りのルーツ巡るツアー)
にご一緒させていただけることとなった(*'ω'*)

鹿踊での「シシ」は鹿だが、
昔、狩猟の対象となる大きめの動物は皆 シシと呼ばれた。
鹿は「かのしし」。羚羊は「かもしし」。猪は「いのしし」
もののけ姫でも、「シシ神さま」が山・生命の神として登場するし
アシタカは「アカシシに乗った少年」と言われていましたね!

彼らは信仰の対象となることも多く、
ここ京都でも方々の寺社にその姿が残っている。
いざ、シシや東北に縁のある寺社へ!

護王神社

まずは手始めに、今年の干支さんにご挨拶に伺う。
ココは上京区にある護王神社
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チョイと見ただけでも境内にあふれかえるイノシシ像たち!
手水鉢も、舞殿の両脇に構えるのも みんなイノシシ!
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そしてコチラ↑は、
みんなの願いを受け付けている「願掛け猪」。
護王神社では一般的な「絵馬」も売っているが、
折角なので 御参拝の折には この
座立亥串(くらたていぐし)↓を使ってみては?
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イノシシの付いた可愛い紙札である。
氏名と願い事を2本の串に同じように記入。
片方は 先ほどの願掛け猪の周りに刺し、
もう一方は持ち帰って家で大事にお祀りする…
という、護王神社独自の願掛けなのである!

さて、ところで
何故こんなにイノシシ推しなの?というと。

日本史にも出てきたが 昔むかし
弓削道鏡という僧侶が法王となって権力を振るい、
ついには天皇の座をも奪おうとウソをついた!
「宇佐八幡の御神託で私を天皇にって言ってたよ」

困った天皇は、和気清麻呂さんを呼び出した。
「ねぇ、道鏡がなんかスゴイこと言ってるけどアレ本当?」
清麻呂さんは真意を訊きに九州へ。すると八幡神が言うのです。
「いやいや、後継者は皇族にしなよ」
「ってゆうか危ないから道鏡とか追放しちゃいなYo」

さっそく京へ帰って、天皇にコレを報告。
当然、計画を台無しにされた道鏡は激おこである。
「お前なんか、鹿児島に流罪なんだから!」
清麻呂は穢麻呂(きたなまろ)と改名させられたうえ、
流される途中で道鏡からの刺客に足の腱まで切られた。
しかし、そんな満身創痍状態でも清麻呂さんは
八幡様に感謝を述べるため宇佐八幡宮へ立寄ろうとする。

すると、どこからともなく大群のイノシシが現れ
彼の一行を取り囲み 守りながら宇佐八幡へ誘導!
不思議な水で足も治癒し、1年後には帰京も叶った。
そんな彼の神霊は今もイノシシたちに守られ、
この護王神社に鎮座しているというわけである。
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*東寺・三十三間堂

この後は東寺・三十三間堂を案内していただいた。
…のだが、なにせ仏像さんたちというのは
国宝とかに指定されると撮影禁止になってしまう。
しかも、この2軒はシシ文脈(?)で行ったワケではない。
ので、感想だけにとどめようと思う。

どちらも共に、仏像が山とある「天国のような場所」だ。
えーと、これはアレですよ。
①鎌倉仏師好きの管理人にとってはパラダイスですよね(*´ω`*)
②仏様たちがまさにそこに居る!浄土を見ているようです!
…ってゆうダブルミーニングですわ。
まあ、そんなのは置いといてε-(´∀`; )

いや、でもほんとにね。
日本の仏教は、仏を人に「体感させる」仕掛けだらけだ。
と東寺・三十三間堂を見てあらためて思ったワケです。
たしかに寺院とゆうのは修行場であり信仰拠点なのだけど、
同時に劇場だな と。某アイドル的な。逢いに行ける仏。

雑誌で見て憧れていただけの あの子のライブを、
息遣いが聞こえるほど近くで見られる!
自分の応援の声が、あの子に聞こえてる。
そしたら、もっと好きになる!
それと同じだと思うわけですよ。

経典に出てくるとか聞いたなぁ、というレベルだったのが
まさに目の前に来迎されたかの如く
天部に守られ菩薩に囲まれた如来が自分と対峙している!
「なんて勇ましい四天王じゃ…これなら守って下さるに違いねぇ」
「見ろ、阿弥陀様だ。浄土ってのは、こんなに有難ぇトコか…」
そして、手を合わせているのを 静かに見ていてくれるのだ。

仏像だけではない。仏様たちを視覚化する仏画、掛け佛。
のみならず、教えや念仏の文字情報を簡素化し
目を楽しませ 容易に実践できる踊りへ変身させた踊念仏など。

「ありがたーいモノなのよ?簡単に届かないのよ?」
「お空のたかーく、海の果てにいるのよ?」
と遠ざけるのでなく
教えを知る者が まだ知らない者へ 仏をググっと近づける。
日本の仏教にはそんな部分がある気がした。


六波羅蜜寺

さあ、精神のチャンネルが仏教に合ってきた所で
東山区六波羅蜜寺へ!
仏像ファンでなくても、京都詳しくなくても、
みんなこの人↓ 覚えてますよね?
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六波羅蜜寺さんのパンフレットから拝借しています)

口からなんか出てるこの人が、この六波羅蜜寺の開祖。
さぁ、名前 覚えてますか(=゚ω゚)ノ?
円仁じゃないよ、行基じゃないよ。「空也」だよ!
薄い着物に草鞋という簡素な姿からは考えづらいが、
実は醍醐天皇の第二皇子だと言われている。
若くして出家し、五畿七道を歩いて修行を積んだ彼。
京に戻ってからも豪華な寺院に籠ることなく、
常に民衆の中にいて「市(いち)の聖」と親しまれた。

京都で疫病が猛威を振るうと彼は 自ら十一面観音を彫り、
台車に乗せて市中を曳いて歩いたという。
そして仏前に献じた梅昆布茶(皇服茶)を病人に与え、
踊りながら念仏を唱え ついには病魔をやっつけたのだとか。

そんな彼が今に残る「念仏踊り」の起源というが、
もう一つ彼が起源とされている踊りがある。
それがズバリ「鹿踊」である!

彼が山に庵を結んで暮らしていたとき、
よく庵のそばへ戯れに来る鹿たちがいたという。
空也上人も彼らを可愛がっていたのだが、
ある日その中の1頭が猟師に撃たれてしまう。
悲しんだ空也は その猟師から毛皮と角をもらい受け、
それを身に着け 生前の鹿を真似て踊り 供養したとか。

このエピソードが東北の一部のシシ踊りで
「シシ踊りの始まり」として紹介されている。
(個人的には、春日流に多い気がしている)

その供養の後も 鹿皮を腰に巻き 角を杖に付け、
一生肌身離さなかったとも言われている。
そこには「僧侶としての生命への慈しみ」を越えた
「彼自身として可愛がった鹿を失った悲しみ」
みたいなものを感じる。
(それが悟り的には好ましいか分からないが)
そうゆう揺らぎのある人間くささに人は惹かれるから
空也も、踊念仏も、鹿踊りも今なおファンが多いのだ。
という気がした。


鹿踊りの起源には
鹿に関わる供養の物語が深く関わってくるようだが、
これにもいくつかパターンがあって
・狩猟の対象である鹿を猟師が供養する
・鹿の盾になって弾に当たった猟師の妻を鹿が弔う
(その様子を見た猟師が感じ入ってそれを模す)
など流派や地域によって様々な言い伝えが残っているようだ。

そして、どの話も 単に仏教的(儀式的?)な供養でなく
愛着を持っていた鹿への「明日からは戯れに来ないのだな」
人の糧になる動物への「すまない」や「ありがとう」
亡くなった妻への「なぜ」「自分は平気で鹿を撃っていた」
そして妻を弔う鹿への「獣も人と同じ感覚を持っているのか」
という複雑で締め付けられるような感情を伴う気がしている。
もしかすると踊るというコトは、
失われた「相手の命」だけでなく
解きほぐす必要がある「自分の感情」との対峙でもある。
だからこそ、芸能は人の気持ちの拠り所になれる
…のかもしれない。と思った管理人だったとさ。


清水寺

はい、妄想が長くなったところで
皆さんご存知 修学旅行の定番・清水寺ですよ~。
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工事用足場で掛造りがパワーアップした感じが逆にレア!(笑)
まぁね、いいんですよ舞台のほうは。
もちろん、堂内にある仏像たちは素晴らしかったけれども。
やっぱり玉眼(仏像の目に水晶を用いる技法)の魅力は
暗がりで仏像がロウソクの灯りに照らされたとき最高潮に達しますな!

でも、今回の目的はコチラ!
阿弖流為アテルイ)・母禮(モレ)の碑!
シシ直通の史跡ではないけど、
シシ踊りの宝庫・東北と京都の関わりが垣間見える場所。
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モレって、漢字のイメージのせいで女性的なんだけど
阿弖流為の弟とも腹心の部下とも言われていて。
アテルイは これまた教科書にも載ってるけれど
アイヌというか蝦夷の強くてエライ人(ザックリだな)。
蝦夷に攻めてきた坂上田村麻呂が非常に強いので、
この2人は投降することで戦を終えようとしていた。

そして田村麻呂さんも
「敵ではあるけど優秀な武人だし人望も素晴らしい」
と感じ、朝廷に2人を許してもらえるよう掛けあうと言った。
単に人徳に厚いという考え方もできるが、
「民衆が慕うトップを生かしたほうが平和に統治できる」
という知略に富んだ部分もあったかもしれない…。

いずれにせよ、そう悪い雰囲気ではなく
あくまで赦しを請うために京へ向かった3人。
しかし、田村麻呂の願いは空しく 朝廷は
「いや、絶対ダメだから。危ないし許せないし!」
の一点張りでついにはアテルイとモレを処刑。
2人は枚方に埋葬され、塚が残っているという。

当然、北の民衆たちは田村麻呂の計略と考えた。
「なんてヤツなんだ。嘘をついて連れて行って殺した!」
そうして長いこと、田村麻呂さんは嫌われていた(´・ω・`)
しかし、時代が経つにつれ
「実はそういう状況だったのか」と明らかになってきた。
そしてついに、平安京ができて1200周年となった1994年!
胆沢の人たちからの申し出により、
2人のことを後世に伝える石碑が建ったのであった。

芸能の中には陣中や出陣に際し踊られたものもあって、
争いや苦しみがあったからこそ生まれた濃い文化もある。
でも、その芸能をきっかけに そうゆう過去を知ることで
二度とそうならないように過ごしていきたいものである。


奈良公園

さて、京都から一時離脱し 一路奈良へ。
管理人は高校の修学旅行で高熱を出して
東大寺の前で集合写真を撮って
即ホテルへ連れ戻された思い出しか無いので。
なんかいつもは一人で祭や神社巡ってるけど
大勢で旅するこのタイミングで奈良来たかったわけ。
修学旅行リベンジ。
夕方には京都へ戻らねばならないので、
管理人だけは超弾丸奈良だけども…。

というコトで、やってきました奈良公園
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管理人の住まいは群馬の中ではまぁまぁ都会、
というか住宅地なんだけれど ちょっと上ると山なわけで。
確かに道端とかでこっち見てるヤツとかいるけれど、
なんかもっとイカツいし。居ても2頭くらい。
ココは、チマい鹿いっぱいいて すっごい可愛いんだけど
自然界では見ない密度なのでシュールな気分に。
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鹿せんべい売りが 客寄せのために破片を撒いたら
さらに鹿が一気に集まってきた。
鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿!鹿がゲシュタルト崩壊しそうである。

一番好きなパーツは おしりのクッションみたいな毛。
夜、林の中で見るとコレだけ目立って可愛いんだわ。
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…イヤー、すいませんね、
完全にシカ愛でるモードになってて。神社の話しろよってね。
(;´・ω・)
さぁさぁ。管理人のタイムリミットが近づいてきた。
ひとまず春日大社にちょっとだけ入ることに。

手水鉢の鹿、トナカイみたいに巨大…。
公園にいる実物とは大違い。
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春日大社といえばシカ。だから奈良には鹿がいる。
岩手・水沢のあたりでも、鹿踊のはじまりとして
「神使を模した踊りを春日大社に奉納したのが発端」
と伝えている地域があるらしい。
それほどに、昔から春日といえばシカだったのである。
しかし、このシカどっから来たの?モトからいたの?
とゆうかなんでシカなの?というと。

春日大社の祭神は
タケミカヅチ・フツヌシ・アメノコヤネ夫婦。
このタケミカヅチさんは常陸(茨城)の神様で
今も茨城の鹿島神宮に祀られている。
そこから白鹿に乗って奈良の三笠山にお呼ばれした。
そうか、茨城から鹿に乗ってきたのね。
と、鹿島神宮を見てみると 確かにここにもシカがたくさん。
でもタケミカヅチ自体には別に鹿要素をあまり感じない。
…鹿どっから来たんだ?と、古事記を見てみると
天迦久(あめの-かく)という神霊が登場する。

高天原にいるアマテラスさんは、
「地上も天つ神が治めたほうが良くない?」
と考えて談判の使者を選定していた。
(当時は国つ神であるオオクニヌシたちが統治していた)
「そうだ。アメノオハバリとかイイじゃん。
 ちょっとカクちゃん、行って伝えてきてよ」
このカクちゃんが鹿の形をした神霊なのである。
伝言を聞いたアメノオハバリだったが、
「マジ恐縮なんだけど、俺的には息子が適任と思うんよ」
と息子を推薦。この息子がタケミカヅチさんなのである。

談判の時は カクちゃんに乗って行ったわけじゃないし、
カヅチさんとカクちゃんの関わりはこの瞬間だけ。
これってミカヅチさんでなく、アマテラスの使いでは…。
と管理人的にはちょっと納得いかないのだが、
この一瞬の出来事によって地名も香島→鹿島になったとか。
カクちゃんどんだけインパクトあんねん!Σ(・ω・ノ)ノ!

そして藤原氏常陸から奈良へ彼を勧請した時、
カヅチさんの分霊は鹿島神宮の鹿に乗せられ
なんと1年かけて奈良までやってきたという。
えっ、鹿の神霊に乗って天降った的な神話じゃなくて
リアルに鹿に乗って来たなんて…鹿も大変だったな。
なので、この奈良にいる鹿たちは
昔むかし茨城にいた鹿たちの子孫らしいという話だ。 

鹿の疑問が解決したところでもう1つ、
藤原氏はなんで茨城の土地の神様を奈良に呼んだんだ?

この話をするには もしかするとこの神様を
タケミカヅチでなく鹿島様と呼ぶべきかもしれない。
今では同一視…というか鹿島様が呑まれてる感あるが、
モトは別々の存在だったはずだ。

鹿島様は日本神話には登場しない、
鹿島(香島)に昔からいた土地の神様である。
蝦夷に攻め入る少し前、
朝廷は その全段階として東国支配を頑張っていた。
その時 東国へ派遣された氏族の中に「中臣氏」がいたワケ。
中臣鎌足が一番有名だが、藤原氏の祖となる氏族である。
彼らは東国に派遣されると、
土地神である鹿島様に戦勝祈願をしたらしい。
また、鹿島様は元々 操船や水運の神とも言われる。
東へ攻め続けるつもりだった朝廷にとっては、
立地的にも神徳的にもベストな神様だったのだ。

しかし、シシおどりの起源を調べていると、
タケミカヅチ藤原氏)と鹿島は
最初から友好的な関係だったわけではない
と感じるエピソードが。

タケミカヅチは ある時、常陸国に天降った。
すると彼を追い出そうとする鹿島の民たちが野に火を放つ!
絶体絶命のピンチに どこからともなく無数のシカが現れ
自らの体に水を浴びては火中を駆け回り
ついには火を消し止めタケミカヅチを救ったという。

…ミカヅチさんめちゃくちゃ抵抗されとるやんけ。
まぁ、九死に一生を得たミカヅチさんは
「鹿たち!消火してくれてマジでありがとね!」
というコトで鹿たちを模した踊りを踊った。
これを秩父の畠山氏が赴任先の田野畑に伝えたのが、
あの めちゃくちゃ鹿っぽさのある菅窪鹿踊とされている。

まぁそんな感じで 東国支配は何とかうまくいって
常陸は東国 そしてそれに続く蝦夷制圧の拠点となった。
当然 しがない地方神だった鹿島様の株はダダ上がり。
藤原(中臣)氏も中央政府での勢力を増したのであった。
中臣鎌足藤原不比等あたりからは もう
権力・信仰バブル状態だったのではないかと思っている。

藤原氏が手柄を上げたぞ!昇進だ!
都の大事な所を守る神社には やっぱりあの神様だね!
あの藤原一族の神社なんでしょ?ステキ!
鎌足さま病気だから、奥様がお寺建てたそうよ?
今度平城京に引っ越すから お寺も移動するんですって。
今度は息子の不比等さんが新しい御堂を建てるらしいわよ!

…ってゆうのは、あくまで想像だけど。
ちなみに、
鎌足の奥さんが病気平癒を願って建てた「山階寺」が
現在の興福寺の大モトではないかと言われているそうだ。
そして、不比等が建てたお堂が興福寺の「中金堂」。

管理人はそろそろ京都に戻って吉田神社へ行くけど
東京鹿踊の皆さんは興福寺まで行くらしい。
いいなぁ、いいなぁ(ノД`)・゜・。
大人気アイドル・阿修羅は置いといて、
中金堂の不空羂索観音さんに会いたかったよ私は…。

彼、世間的には知名度どうなんだろうか?
アモーガ(空しからぬ)パーシャ(羂索=投げ縄)
という名が表す通り その手には縄を持ち、
一切の衆生の信心が「空しいモノ」にならぬよう
信心する者は洩れなく投げ縄でとらえて救い上げる菩薩様。
もともとインドでは狩猟の神様だった名残か、
その肩には鹿皮を纏っているのだ!なんてワイルド!

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実物見れなかったし写真も取れなかったから
居ても立ってもいられなくて描いたよもう!
100分de名著ならぬ10分de菩薩!
(もはや奈良でのんびりできないの残念過ぎて何言ってるか分からない)
今度奈良に行った時は、
絶対もっとのんびりするんだ…中金堂も行くんだ…
と心に決めつつ 独り京都へ戻る管理人だったとさ。

*おまけ*

さぁ、京都に付いたので最後に
ちょっとだけこの塔頭に立ち寄りたい。

亥年はじめの シシめぐりの旅は、
イノシシに始まりイノシシに終わる!
ということで建仁寺の中にある「禅居庵」である。
こちらでは 摩利支天さんが御本尊様となっている。

コチラの摩利支天さん、
日本では武将に人気があった関係で
「猪に立ち乗りしてるイカツいおっさん」
とされているが実はインド・チベットでは美女!
陽炎を神格化した「マリーチー」と呼ばれる女神様で、
陽炎であるがゆえに何人たりとも傷つけることができない。
だから武将にも人気だったのである。
「強くなる」でなく「傷を負わない」故に勝てる、
というのは もっともな考え方ですな。

マリーチーのタンカ(チベット仏画)とか検索して戴くと
大陸にいたころからイノシシに乗っていたことが分かる。
なので、日本に来てからも摩利支天といえばイノシシ。
禅居庵の中はどこもかしこもイノシシ!!

手水鉢はもちろん、おみくじの入れ物も…
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そして狛イノのバリエーション豊か過ぎる…
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奉納されている額には、びっしりイノシシの大群!
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いやぁ、マリーチーのみならずヴァジュラヴァラーヒーとか
チベットの女神様は意外とイノシシ要素あるから、
さがしてみると意外と日本の寺院の中にもイノシシ居るかも。

今回の京都では、いろんなシシに逢いつつ
何だか日本史の授業の端々を思い出した管理人でした。
そして仏像みると、もっと見たさが止まらなくなりますな。
炭水化物食べて血糖上がると、もっと炭水化物取りたくなる的な。
(なんか違うか…)
今回 合間合間に行っていた吉田神社については、
一緒に書くとわけわかんなくなるので次回に回します~。
(/・ω・)/デハマタ!

シシ年、旅はじめ①:伝わるものと、変えるもの。

「2019年こそは節分前夜の吉田神社追儺式を見るぞ!」
とは去年の秋から決めていたのだが、
そんな最中の12月後半に お知らせが舞い込んできた。
「2/3は京都でトーシカ踊ります」
トーシカ=東京鹿踊の方からである。

せっかく(いの)シシ歳だから、
今年はシシの芸能たくさん見たいなー。
と思っていた管理人にはうってつけの今年の旅はじめ。
いや、もうその土日ピンポイントで京都居ますし!
えっ しかも神社で奉納とかじゃなくイベントなの?
まさかの、他県の芸能がいくつも見れちゃうの?
しかも、真冬には嬉しい屋内イベント!

ということで 棚から落ちてきた牡丹餅を
有り難く食べることにした管理人であった。
(/・ω・)/ヤッター!

ちなみに、このイベント↓でした。


いつもは離れてポチッと見ていることが多いが、
今回は裏側まで入れていただいた。
装束やカシラなども 近くで見放題である。

  ツノつけてもらってるよ! /
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この「角を付ける」という光景、
実はどの鹿踊りの団体でも見ることができるワケではない。
というのも本来、角は取り外しできる構造ではないのだとか。
しかし、地域から出て様々な場所で踊ることを考えると
これが取り外しできることで格段に持ち運びの利便性up!
シシたちが 伝承されている地域から
県内外へ出向くようになった現代だからこその進化かも。
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  ツノ付いてカッコよくなったよ! /
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続いて、躍っているときは背中に垂れている「ながし」。
甕と、龍と、いかついオジサン。
この組み合わせは…そう。スサノヲのヤマタノオロチ退治。
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アマテラスの弟・スサノオ
あまりのヤンチャぶりに高天原を追い出された。
その後、出雲のあたりを歩いていると
老夫婦が泣いているのを見つけて事情を尋ねる。
彼らには娘が8人いたが 越ノ国のヤマタノオロチ
年に一度現れては一人ずつさらって喰うのだという。
「それで、このクシナダヒメが最後の娘なんです」
すると、天界の問題児っぷりはどこへやら
「オロチを退治するから娘を私の妻にくれないか」
と申し出たスサノヲ。まるで童話の王子様である。
しかも、武力にモノを言わすのでなく頭を使い
8つの甕に入った酒を用意させたのだった。
この 流しの絵は甕を挟んで対峙したスサノヲとオロチ。
そして 現れたヤマタノオロチは酒に惹かれ、
8つの頭をそれぞれの甕に垂らし酒を飲み始める。
ややもすると酔いが回り、オロチは眠ってしまった。
すかさずスサノヲが十拳剣(とつかのつるぎ)で切り付け
有言実行を遂げるという物語である。

…あれ?
神社に奉納してるのをよく見るけど、
装束には仏教要素も多いんだよって話したかったのに
なんか日本神話っぽい流し撮っちゃった感ある(;゚Д゚)
まぁ、流しの絵はそれぞれ違って
不動明王と俱利伽羅龍とか仏教色強いのもあるんですわ。

そして、カシラの迫力もさることながら
遠目でのインパクトは絶対これで決まってる「ササラ」。
その付け根付近には五色の布が付いている。
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(覚えている限りでは)赤・白・水色・群青・黄の5色。
五行を表しているというコトなんだろうか。
この5色の布が、躍ると吹き流しのように靡く。
今回まで気づかなかったのだが、
この布 カレンダーを捲るように一枚めくると
一番表面に来る色を変えられるのだ。

「今回、何色にする?」
「今日節分だからなんかそれっぽく」
「節分っぽさって何w」
恵方が東北東だから…」
「東は青ですよ」
「いやむしろ節分って境目でしょ」
「じゃあ黄色じゃない?」
「中央ですね」
「ってゆうか黄色珍しくない?」
「今までなかったよね」

…なんか楽しいぞ!そんな風に選んでたのね!

そして、唐突に始まる新旧「大口袴」展示会(笑)
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馬の尻尾のザイ(髪の毛部分)、鹿の角、木のカシラ、麻の布。
そんな自然素材(?)に包まれて、
仏教や神道道教の思想やモチーフが花を添えるシシのデザイン。
そんな控室で管理人のテンションが上がる中、
シカさんたちの準備が整ってきた。

    じゃーん! /
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本来何の棚なのかよく分からないが、
丸窓も相まって なんか丁度よくカシラが並んでいる。
さて、控室を堪能したので公演会場へ。

*備中神楽*
さて、最初に登場したのは備中神楽・芳友会の方たち。
ところで、先ほど鹿踊の流しに酒甕が描いてあったけど、
そんな恐ろしい八岐大蛇もイチコロの絶品アルコール
一体どこの誰が作ったの?
というと…この方が生産者です!
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この方は松尾明神さん。酒造りの神様である。
オロチ退治の物語の中ではモブ感ハンパないけど、
備中神楽では大人気の神様。
というのも、この神様がひとたび登場すると
会場は笑いの渦に巻き込まれるのである。

神楽って、
お面付けた人がコブシ効いた声でなんか言ってるけど
よく分からないし なんか長いけど一体いつ終わるの?
という あまりテンション上がらないイメージかもしれない。

しかし!松尾明神さんと太鼓の掛け合いは まるで漫才!
今回も
「皆さんホントにたくさん来ていただいて」
「空席以外は皆満席だ」
から始まり「ストトン節」の替え歌など
笑いと拍手の絶えない公演となった。

実はこの方、岡山県神社庁所属の神楽師さんであるばかりか
大学時代は落語研究会に在籍していたり、
ケーブルテレビで「いちからかぐら」という番組を持ち
神楽を落語風に紹介したりしている方なのだ。
笑いと神楽のプロですな(;゚Д゚)!

小学校に入る前から神楽をやっている神楽師さんが
「神楽は神が遊ぶ姿。つまり楽しいものなんです」
と言い切ると説得力がある。

しかし、伝統芸能と呼ばれるものの中には
流儀や作法などの形や 精神が受け継がれていても、
見ている人には意味が伝わりづらいものがある。
「この芸能では、誰が何と言おうとコレが見せ場なの」
「この場面で、こうなったら山場なの」
と、調教済みの客になるのも知識が深まるかもしれないが
やっぱり見てる人には面白いと思って笑って欲しいし、
見せ場では本気で「オオッ!」ってなって欲しい。

この備中神楽も、もとは荒神神楽といって神事的で、
土地神のさらに親的な「臍乃緒荒神」に奉納されていた。
演じるのはもちろん神職のみ。
しかし、京都で国学を学んでいた西林国橋さんとゆう人が
「なんか日本神話テーマにした神楽とかイケてない?」
と、能や狂言 日本の神話を参考に演目を追加。
神職のみならず太夫さんなど演者も広がりを見せ、
演劇的な娯楽要素が増えたため人気が出たという。

それが文化・文政時代に
備中神楽に起きた大革命なのだけれど、
それから200年くらい経った今では最早それが「伝統」。

伝統って「古くてずっと変わってない」んじゃなく
あとに続く人が どんどん どんどん繋がって行って
それがいつのまにか伝統に「なっていく」わけで。

ゆく川の流れは絶えずして
しかも元の水にあらず

という感じ。な気がした。
「なんかずーっとそこに川流れてるよなぁ」
と思っても、二度と同じ水が流れることは無い。
昔からその地域にあると思われていても実は、
当時めちゃくちゃ流行った歌とか装飾を取り込んで
「あ、こうゆうのカッコいいんじゃね?」
みたいに、ある時急に尖がった特徴ができたり
環境や時代が変わる境目に巻き込まれて
「今まで通り続ける」ために変化が必要だったり。
同じように在り続けるためには、同じままではいられない。
のかもしれない。

*讃岐獅子舞*
さて、そんなことをしみじみと考えていると
なんだかサラつやな可愛い動物が現れた!
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800もの獅子が棲む、日本一小さな県!
獅子舞王国・香川県から
中組獅子保存会さんの毛獅子が京都に来てくれた。
まぁ獅子舞といえばツルッとした 漆でピカピカの
赤いカシラに緑の布というのが想像しやすいが、
讃岐獅子舞のカシラは和紙でできているという。
そのため細かいデザインや細工が可能で
一般的な伎楽系の獅子舞より動物的な顔をしている。
しかも、毛獅子というからには毛が生えているのである。
マルチーズの様な耳だが「猫獅子」とも呼ばれ、
長い前髪の下では 口の周りにも綺麗にヒゲが植わっている、
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最近、地元・群馬の3匹獅子や 東北のシシたちなど
一人立ち(1人が1匹のシシを演じる)ばかり見ていたので、
2人が1つのユタン(布)をかぶって舞う獅子舞は久々。
一糸乱れぬ太鼓と鉦の音に、
ちょっとガムランみたいな気分になりつつ観賞。
東北だと金属といえば手平鉦な印象だし
地元の群馬だと祭で鉦って祇園祭の山車くらいだなー。
と、慣れない音に緊張していると獅子がバッと顔を上げる。
顔が見えた!しかし管理人のiPhoneショボすぎてブレブレ!
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現在、香川では毎年10月の地域ごとの秋祭りだけでなく
11月に「獅子舞王国さぬき」というイベントを開催。
様々な地域の獅子舞が 舞を披露し また交流しているという。

しかし 小さな香川県に800もの獅子となると、
最早 地区ごとに獅子がいるのは当たり前。
最初は「それがどうかしたの?」みたいな感じで
それを「貴重なこと」と思う人は少なかったとか。

ちょっと違うかもしれないけど、
東京の大学行ったら 自分が方言使ってることに気づいた。
地元にいる時は方言かどうかすら意識したことなかったし。
って感覚に近いんだろうか。

他と比べて初めて
「えっ?他の県には無いの?」
「うちってこんなにあったの?スゴイの?」
と気づく。気づくとさらに
「守ろう」「盛んにしよう」「うちの売りはコレ!」
という意識が出てくるというインフレスパイラル。
中組獅子保存会代表の方も
「他の団体と交流しようってゆうのは本当に最近の話」
「他を見て初めて、井の中の蛙どころじゃないって気づいた」
というような話をされていた。

管理人も(大した数とは言えないが)
いろんな地域の芸能を見ているうちに、
単純に「単体を」楽しむだけでなく自分の中で
「あれ?これってあの県のアレにそっくり」
「えっ、こんなの見たことない。スゴイ面白い」
というような「比較の楽しみ」を感じることがある。

もちろん芸能好きだから比較を楽しく感じる
ということもあるかもしれないが、
その「あれ?」や「えっ」を発信する側が意識することで
「どれも同じに見えるんだけど…」
「どこが見どころかよく分からないよ」
という方にも楽しんでもらえる方法があるかもしれない。
と思ったり。

*東京鹿踊
全く同じことが鹿踊にも言えて
むしろ鹿踊に留まらず様々な芸能で
舞歌に同じ歌詞や似た部分があったりする。

それって自分の県だけ見ていたりすると
全然違和感なく当たり前とスルーしてしまうのだが、
他の県の思いもよらない芸能と繋がって
芸能が伝わってきた道筋まで見えてきそうな時もある。

東京鹿踊さんが踊るのは東北の鹿踊という芸能で
腰に太鼓をくくり 背中には長いササラを付け
鹿を模したカシラを付けて踊る。

もちろん、岩手の中だけでも
「アソコとココは隣村だけどカシラが全然違う」
「あの村は、あっちの村から教わったから似てる」
「ココは一時途切れたけど昔教えた村から逆に教えてもらった」
というような繋がりがあるのだけれど、
県をまたいでも地域間でいろんなつながりが垣間見える。

例えば岩手の鹿踊で太鼓を打ちながら歌う中に
「太鼓の調べキリリと締めて ササラを揃え」
という歌詞が登場するが、
管理人の地元・群馬の獅子舞でも
「太鼓の胴をキリリと締めて ササラをしゃんとすりこめよ」
と似たような歌を唄う。(なんか以前も別の記事に書いたかもしれない…)
あとは群馬なのに「京で生まれて伊勢育ち」と唄う獅子が居たり。
転勤族かというほどの移動っぷりであるΣ(・ω・ノ)ノ!
さらに「京から下りの唐絵の屏風―」と唄う地域があるが、
滋賀に残る「かんこ踊り」という芸能にも
「京から下る唐絵の屏風―」という歌詞があるという。
…あれ?群馬の獅子舞の話になってる…。

とにかく、他の地域と関わったり比べることで
「自分の所のモノがどちらからやってきたのか?」
「同じ文化、そんな方まで波及してるの?」
が見えてきたりするワケだ。
そうすることで、さっきの方言の話じゃないけど
「あれ?ココ他と違う。うち独自だ」という気付きが
ルーツの掘り起こしになったりもするんだなぁ、と。

ちなみに今回見たのは「二人狂い」!
今まで見たことなくて(いつもは三人狂いを見ることが多い)
「なんかいつも三匹で輪になってるけど、今日は二匹だ…」
「よく分かんないけど、三匹の時よりリアル戦闘感ある」
と素人丸出しで見ていた管理人だったとさ。

正しいか分かんないけど、ガン付け合ってる感がスゴイ
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こうやって闘ってる野生鹿↓いる!
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長いササラがしなって 床を打ったり
互いのササラを触れ合わせながら跳ねる鹿に、
会場が静かに「おぉー…!」ってなってるのが嬉しい。
(自分がやっているわけじゃないのに)
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ディスカッションの時

・発信した芸能”だけ”の知名度じゃなく、
 芸能を通して地域を知ってもらえたらと活動している。
文化財とかって「保存」に力が入りがちだけど、
 実は同時に「活用」していくことが必要だと思う。

という話が出ていて 1人でボンヤリ
「芸能って地域の血みたいなもんだなぁ」
と考えていた。

どちらかだけが元気って状況は無くて、
体に元気がなけりゃ新しい血球は作られなくて
血液はうまく代替わりできないし。
そうすると古い血球だけじゃ血液自体の質が落ちる。
逆に、血がうまく巡れば体も健康な状態になる。
日本全国、良い血液が流れてくれたらうれしいなぁ
(*´ω`*)

*綾傘鉾 棒振り囃子*

そして大取は、地元・京都の綾傘鉾さん。
祇園祭へ鉾目的で行った人にとっては
「綾傘鉾って小さいね…」
なんて言われているのを目撃してしまったことがあるが、
鉾は大きさじゃないですよ!奥さん!
もちろん長刀鉾の大きさには感嘆しちゃいますが!

知ってる方には今更だが、
この綾傘鉾の特徴は何と言っても「棒振り」。
このシマシマの棒を、最初は緩やか~に回す。
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そして、太鼓と鉦の音が激しくなるにつれて
ものすごい勢いで棒を振り回す!
なんでも、最初の優雅な動きで疫神をおびきよせ
近づいてきたところで跳ね飛ばす!
とか聞いたことがある。スゴイ物理的な疫病除け。

ちなみに、
浴衣の腰や袖口のあたりに三角模様がある。
鱗紋といって水や蛇と関連深かったり、
あとは「カド」のある鱗で身を護る意味もあるとか。

シシ踊りの装束でも、
袖口に鱗紋が付いていたりするのもある。

祇園祭本番では棒を振る人は
赤熊(しゃぐま)をかぶって白布で顔を覆うが
今回は宵祭と同じく浴衣に素顔!
去年、祇園祭を昼に見に行った時は熱すぎて
「赤熊、なから暑そうだわ…」という
ぐったりコメントしか浮かばなかった思い出…。

今回、控室で囃子方の人から聞くまでは
「綾傘鉾の囃子方と六斎念仏の関係って?」
「なんかよく同じような地域とか文脈でみるけど…」
と思っていたが、
どうやら昔から 壬生六斎念仏の講員が
綾傘鉾の囃子方として奉仕することになっているとか。

最初はなんでそうなったとかkwsk
と思ったが、本番前だし
そもそも人に話しかけるの苦手過ぎて諦めた
(´・ω・`)

しかしまぁそんなわけで、
綾傘鉾としてだけでなく六斎念仏でも
子どもに教えたり 口伝だったものを楽譜化したり
他の六斎念仏の団体さんの復活を手伝ったり
色々な取り組みをしているのだそうだ。

そして、まずは絶やさないために
「変えてはいけないこと」を固めつつ
「次世代のために変えなければいけないこと」
「次世代の感性で変えていこうと思うこと」
を考えていかなくては、というような話もあった。

そしてもちろん絶えないことが大事だが、
もし一旦なくなってしまった物を復活させるには
同じような芸能をやっている団体の協力が必要だ。
中には、その芸能が始まったころに
自分の村が どこかの村に踊りを教えたことで
自分の村で踊りが途絶えてしまったときに
逆に教え返してもらって復活したという所もある。

どこかに分けて、広めておくことで
大モトが消えてしまっても
分灯から また灯をもらって点けることができる。
なんだか「不滅の法灯」のようだ。

伝承自体は芸能をやっている方にしかできないが
それを支えるのは芸能を楽しむ人 観る人すべて。
最初は神事や弔いのためだけにやっていた儀式も、
その「芸」の域に達した「能」力に
みんなが「おおー!」「すっげー!」「おもしろい!」
って注目したからこそ 人の感性に合わせて
さらにカッコよく 激しく 美しく洗練されたんじゃないか
と思ったり。
これからも、芸能を見てテンション上がったり
追っかけてみよう と思う人が1人でも増えたらな。
と思ったイベントでしたとさー!


折角京都に行ったので、
今回は東京鹿踊の方たちと
神社仏閣巡りご一緒させていただきました。
でも、ここまででいいかげん長くなったので…
また次回の記事で(/・ω・)/!

年の初めの、だるま市。

さぁ、ニューイヤー駅伝も終わって
今年も前橋市に「初市」の季節が来た!
(*'ω'*)
現在は ダルマがメインなので
「だるま市という呼び方のほうが馴染みがある」
という方も多いだろうか?

この日は大通りを交通規制して、
通りは全てダルマの海と化す。
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客足は夜まで途絶えることがなく、
ヨボヨボと歩くおばあちゃんも若者も
両腕でやっと抱えられるほど巨大なダルマや
大小様々なダルマをビニール袋に入れて帰路に就く。
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車道は売り場となり、
歩道にはダルマを入れてきた段ボールが山積みとなる。
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東和銀行本店前には、大きなダルマと本町の神輿・相生大獅子が並び
寒空の下で参拝する人たちが列をなしている。
その近くでは、青年会などにより甘酒のふるまいも。

ちなみに、この大獅子とダルマは 普段も「げんき21」の中に飾ってある。
前橋市民以外には「何のこっちゃ」という感じだと思うが、
市民の方は機械があればぜひ大獅子も近くで見てみては?
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さて、
この「年始にダルマを買って、翌年どんど焼きに出す」
というのが全国的にも当然だと思い込んでいたのだが、
東京の大学へ行き いろんな県の同級生に
「え?部屋にダルマ置いてんの?選挙じゃん」
「ってゆうかダルマってどこで買うの?売ってる?」
どんど焼きって、お札を燃やすやつ?」
と言われて初めて ”初市や寺でダルマを買う年始”は
全く一般的ではないと知った管理人であった…
Σ(・ω・ )アリャー!

ちなみに東京でも深大寺ダルマがあったり、
長野出身の友人が玄関に善光寺ダルマを飾っていたり、
身近に 一定数のダルマ人口が居るようだった。

*初市の はじまり*

では そもそも初市とは、何の市だったのか?
初市の始まりは どうやら「六斎市」というモノで、
なにも前橋に限ったモノではなく
全国各地で開かれていた月6回の市のことらしい。

前橋で始まったのは1600年代初め。
つまり家康さんが将軍様になった頃である。
世界遺産になった富岡製糸などは明治時代の話だが、
上州は この頃すでに生糸の生産を頑張っていたわけで。
特に現在初市が開かれる本町付近は
生糸の取引が盛んな地域だったと言われている。

そして当時 厩橋城主だった酒井重忠公が
「え?城下で市やって生糸とか売りたい?いいよ?」
と許可したのが始まりで
特産である生糸を中心に扱う市が立ったとさ。

加えて、生活用品や農具が並び
人が集まるにつれ 年始は縁起物も並ぶようになったとか。
世間一般では年末の酉の市グッズである熊手も
このように↓初市で購入することができる。
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また 手打ち刃物屋さんには 包丁・剪定バサミなどが並び、
業務用みたいな量の落花生や 乾燥果実などを売る店も。
こうした屋台を見ると、日常や仕事に根差した
本来の「市」の姿が垣間見えている感じで嬉しいですな!
(*'ω'*)

*ダルマと願い*

さて、この初市の主役とも言えるダルマ。
彼(?)について少し考えてみたい。

達磨(菩提達磨[Bodhi-Dharma]、達磨大師)は
中国禅宗の開祖といわれる高僧。
中国で有名だが、ペルシアor天竺生まれだと言われている。

「壁前で長年の座禅を続け、四肢が腐り落ちてしまった」
という伝説から赤い衣に身を包み手足がない姿となったとか。
中学時代「そんなことあんのか、クレイジーだな」と思ったが、
文献によれば達磨大師はインド方面から来たわけである。

インドには今も「サドゥ」と呼ばれる苦行僧たちがいて、
その苦行には決まりがなく、片足で立ち続けたり
はたまた「転がる」という移動法のみで目的地を目指したり。
そして私は「片手を10年以上挙げ続ける」サドゥを
高校時代にテレビで見たのである。
苦行を実践し挙げている側の肩は その角度で硬直し
上へ伸びた腕は枯れ枝のように骨と皮だけの状態になっている。
その時「四肢が坐禅で腐り落ちるってホントかも知れん…」
と妙に納得したような思い出が。

とはいえ実はコレ
壁観(壁の如く動じぬ境地で真理を観る)という禅宗の宗旨が
曲解orカン違いされて生まれた伝説とも言われている。
そのため、本場中国では彼が歩行している姿の像などもあったり。
(日本でも、絵画の場合は手足があり座禅をしている姿が多い)

生年も没年も、ひいては年齢も不詳。
亡くなった後も片方だけ履物を履いてインドへ帰る姿が見られ
中国にある墓を開けてみたら履物が片方だけ残されていたり。
様々な伝説が残る達磨大師さんなのである。

日本に禅宗が入ってきてからも達磨大師の像や絵は
仏像などと同じく寺院の中に置かれ修行の支えとなってきた。
また、高崎の黄檗宗少林山達磨寺などは 配り札として
達磨の姿を描いたものを正月に配っていたという。
一説にはそうした仏教の中で活躍していた達磨絵たちが
民芸品である「起き上がり小法師」と混ざり、
今のだるまの姿が生まれたと言われている。

達磨大師はもともと赤い僧衣に身を包んでいたらしいが、
「赤いものが災厄(特に病)を祓ってくれる」
という考えが日本人の中にあったのも確かである。

人間は昔から、血の色である赤から
生命力や生まれ変わりを連想し重要な場面で利用してきた。
確かに、その頃から「赤」への信仰は続いているのだけど
日本における病除けの赤というのは
「荒ぶる動的な鬼(赤鬼)が病をもたらす」
「それを退けられるのは同じく赤の属性を持つもの」
という中国方面から伝わったらしい文化からかな、
と管理人は思っている。

いずれにせよ、医療が発達した現在ですら
真っ先に感染症の打撃を受けるのは幼い子供たちである。
今では予防接種という便利なものもあるが、
昔は 子供の身近にある玩具たちに「赤」の力を込め
恐ろしい病から子供たちを守ろうとしたのだろうと言われている。

そのため、ダルマのみならず
赤べこ」「さるぼぼ」「獅子頭」など
子供や家庭の安全を見守る者たちは赤であることが多いとか。
※塗料による耐久性や防虫・防腐性の向上、
 漆で塗装することでの豊かさや工芸品としての価値upなど
 赤にも様々な理由があるので全てが病除けとは言えないが…

*群馬とダルマ*
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こちら↑の巨大ダルマが
初市で東和銀行本店前に安置されていたもの。
群馬でダルマといえば全国シェア8割の「高崎だるま」だが、
そもそも高崎にはいつからダルマがいるのだろうか。

先ほど言ったように、
おそらく始まりは達磨寺のお札からなのだが。
では張り子のだるまが生まれたのは?というと。
当時、すでに江戸では疱瘡除けのだるまが商品化されていた。
それを参考に独自のだるまを作り始めたのが
高崎藩豊岡村出身の山縣友五郎(やまがた-ともごろう)。

はっきりした年代はわからないが、
人形師を目指して武蔵国の人形屋に住み込んでいた
という経歴を考えると郷に帰ったのは20代くらいか?
とすれば実際だるまを作り始めたのは1815年ごろ。
それから達磨寺の七草大祭や六斎市でだるまを売り、
だるまは豊岡村の経済を大いに助けたらしい。
彼は生涯だるまを作り続け1862年に亡くなったが、
一代限りの生業には終わらず
それからも山縣家ではダルマの製法が守られることとなる。
天明の大飢饉(1782-1788)や浅間山噴火(1783)による被害を見て
 何とか災いを退け村の経済力も復活させなければと
 達磨寺の僧侶からダルマづくりの構想が持ち上がってきた説もある。
 その際、配り札をもとにダルマを作成したのが山縣さん家だとか。

その秘伝の製法を民間に広めたのは、
奇しくも友五郎が没した年に生まれたという
金沢(または会津藩士・葦名鉄十郎盛幸なる人物である。

彼は高崎出身ではないが、豊岡の地を訪れていた。
仕事のためとも、豊岡で病に倒れ村人の看病を受けたとも言うが
ともかく、豊岡に住まうこととなったわけだ。

だるまというのは張り子。
つまり木型に和紙を張り重ねて、
乾いたら型から外し塗装を施すのであるが。
そうなれば矢張り、肝心なのは木型である。

もともと木彫りを得意としていた彼は
村人の求めもあってだるまの木型を作成。
そのクオリティの高さたるや村人ビックリ。

山縣家が門外不出にしていたともいう木型を
外から来たものが新作して民衆に広めてしまう、
というのは何らかの軋轢を生まなかったのだろうか…?
とも思うが、そのあたりはかくにんできず。
そんなこんなで、木型が手に入れば
今まで作っていなかった人たちもダルマを作れる!
というわけで農閑期の副業としてダルマづくり大はやり!

実はこのころ東京では既にダルマが廃れ始めていた。
が、群馬では相変わらずダルマが大人気だったのである。
(´っ・ω・)っナゼ?

それは、江戸で売られていたのは疱瘡除けのダルマだったから。
歴史をちゃんと勉強した方は覚えているかもしれないが、
すでに山縣友五郎が生きている1850年代に
牛痘法という疱瘡のワクチン接種が広まっていたのである。
当然、江戸の人たちはダルマに疱瘡除けを願う必要性がなくなった。

一方の群馬では、疱瘡除けだけではない御利益が信じられていた。
それは「養蚕が上手くいく」というもの。
当然、明治に入り港が開いてからは生糸の輸出も増加。
加えて、今まで貴重だった鮮やかな赤の顔料だが
外国から安価で鮮やかな赤色顔料が輸入され入手が容易に!
そうして豊岡のダルマはさらに勢いを増したのであった。

「え?なんで急に養蚕出てきた?」となるかもしれないが、
まずは先ほど書いた「起き上がり小法師」との融合。
地方や大きさにも寄るが 多くのダルマは
土台部分が重く寝かせても起き上がるようにできている。

養蚕の中で お蚕様が脱皮の準備のために
一旦動かなくなってスタンバイすることを「眠る」
脱皮することを「起きる」と表現する。
多くのお蚕様は4回眠り繭を作るに至るが、
スタンバイしたまま体調を崩して亡くなったり
そこに至らずネズミにやられたりすることも多かった。

そこで、何度でも起きるダルマは養蚕の縁起物とされ
形も養蚕農家のニーズに合わせて繭を連想させる
丸みを帯びた縦長の球形に近づいたのだとか。
たしかに、
高崎市ホームページで初期のダルマを見ることができるが
普通に仏画の達磨禅師のように衣を着て座禅を組んでる。
球形ではなく、普通に人間のおじさんぽい。

そうして上州人たちの経済のみならず心に根付いたダルマは
疱瘡も落ち着き 養蚕も盛んではなくなってしまった今も
それぞれの家庭で一年間家族みんなを見守り
学校では教室や部室で先生と共に生徒を見守り
一年の役目を終えると各地域で神社や寺院の納処に集い
お焚き上げの日まで過ごすのである。
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職人さんが手塩にかけた 新品のダルマ集う初市もさることながら、
やはり管理人は 願いを一年背負って両眼を得たダルマが
再び集う この姿が何より大好きである。
ダルマを買った皆さんも、ダルマがない地域の皆さんも
今年一年また息災で よい年になりますように(*'ω'*)

*おまけ*

ちなみにこちらが、旧・豊岡村のほど近くにある
黄檗宗少林山達磨寺さんである。
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管理人個人は毎年前橋の初市に行くが、
家族として神棚に上げるダルマは達磨寺へ行って買っている。
前橋初市は平成31年は1/9だったが
七草大祭の名残というか達磨寺は1/6,7がダルマ市となる。
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ここに一年の仕事を終えて戻ってくるダルマたちは
企業や強豪校で働いてきたつわものたちが揃っているようで、
基本的に大きさも堂々たるものであり 個性豊か。
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群馬県警の交通機動隊や 市立前橋高校のものもある。
そして境内に立つ ダルマ型イルミネーションらしきもの。
昼にしか行ったことないけれど、きっと光るんでしょうね…。
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そんなわけで、祖母の家に置く大きめのダルマと
私の家に置く小ぶりなダルマ↓は高崎で購入しましたとさ。
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面白かわいい、ぐんま獅子。

12月1日、群馬県生涯学習センターで
「ぐんまの獅子舞公演」が行われました!
(≧∀≦)パンパカパーン!

毎年行われているらしく、
去年どこかでポスターを見たときには
既にその年の公演が終わった後だったという思い出…。
その反省を生かし今年は秋頃から警戒態勢を敷いた!
ちゃんと手帳にも書いたぞ(/・ω・)/ヨシ!

というワケで会場に向かう。
群馬のシシを数団体一気に見るの久々だなぁ。
普段管理人が好んで行く東北(特に岩手)は
芸能だけで数日間に渡るイベントを開催できるスゴイ地域。
もちろん 単純に団体数も多いと思うが、
小さな頃から芸能に親しむ環境づくりだったり
集落で行っていたものを人前で見せるための構成作りetc…
様々な努力があっての芸能大国(?)だと思う。

それに比べると、残念ながら群馬のシシたちは
なかなか地域の外で会うことができない気がする。
しかし、今回は多目的ホールにいながら
県内各地の獅子を見られる貴重な機会なわけだ!
しかも、地元のシシや大好きなシシもくるよ!
ということで、風邪気味だがシシウォッチング(*'ω'*)

那須獅子舞*
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初めから見た目のインパクトがスゴイが、
こちらは群馬県甘楽郡甘楽町に伝わる獅子舞。
旗には「稲荷流宗家群馬県那須獅子舞」と書かれている。
本来は毎年10月第一日曜に稲含神社例祭にて奉納される。

保存会さんには2組の三匹獅子舞のカシラがあり、
1つは一般的な漆塗りの獅子頭
そしてもう一方が こちらの個性的な獅子頭
このカシラは「龍頭」や「重箱獅子」と呼ばれ
表面は漆でなく金紙・銀紙であるという。
毎年、例祭にて新しい紙に張り替える慣わしだそうだ。
重箱獅子というと、まさに重箱を重ねたような
平たく四角張った獅子頭のイメージがあるが
このカシラは正面からの丸い輪郭が印象的。


龍頭と呼ばれるだけあって、
袴にはビッシリと鱗紋があしらわれている。
頭にはヤマドリの羽。
夏に行った山形・立石寺でも
ヤマドリの羽をつけているシシたちがいて、
「あ、群馬の獅子と似てるとこある(*'ω'*)」
とテンションが上がったのを思い出した。
袖口から体側に向かって
鋭い山型の模様が染め抜かれている。
外側に向かって尖ってるなら魔除けっぽいけど
内側に向かってるのってどういう意味だろうか。
忠臣蔵の服を見たときから不思議に思っている)

歴史としては700年代、京都で伝授されたものが
田村市郎左衛門という人により那須に伝わったという。
なんでも、全国から20人ほどを集めて獅子舞の振り付けをし
各地の祭礼で奉納すべく その振り付けを国に持ち帰らせたとか。

詳細な説明が書いていなかったので、
みんなで考えた一連の演目を各地に広めたのか
様々な踊りを考え 各々全国に広まったのか分からない。
しかし、離れた県でも似た演目や装束があるのを見ると
1つの「モト」になるものがあって
元から地域にあるシシと雑種になったりもしながら
今の姿になっていったということだろうか。

ちなみに、群馬には この「稲荷流」が結構多く
・今回見た「那須獅子舞」
太田市「阿久津の獅子舞」
みなかみ町「藤原獅子舞」
を合わせて県内の「稲荷流三宗家」と呼んでいる。
その他、
吉井町の長根神社宿獅子舞・大藪獅子舞、
藤岡市の下大塚獅子舞、下仁田町の鎌田獅子舞
なども稲荷流であると伝わっている。
一説に、この「稲荷流」の名は
大陸からの獅子渡来伝説に基づくという。

昔むかし、天竺に住んでいた悪神(獅子)は
大陸の人々を食らい尽くしてしまったので
「食べるもの無いから移動しよ」と日本に向かう。
それを察知した日本の神が稲荷を差し向け、
「日本では人でなく悪霊や魔物を召し上がってはどうです」
「さすれば人どもは感謝し、貴方を崇め、食べ物を供える」
と言葉巧みに説得しながら日本へ先導させた。
すると獅子も「え、魔物食べていいし、ゴハンも出るの?」と
到着する頃には悪霊を食らう清めと厄払いの神になっていたという。
確かに、群馬の獅子舞って
正月行事とかでなく10月が多いかも。
ずばり祇園祭の一環として厄病除け祈願で奉納したり。
あとはお稲荷様と関連深い2月の「初午」とかも多い。
ま、どっちにしろ気候が厳しい時期やねん…(´・ω・`)←虚弱

そんなわけで、群馬の獅子舞では
結構キツネ役が獅子に先立って歩いたりする。
以前記事を書いた上新田稲荷獅子舞にも
“御稲荷(オトウカ)さん”こと狐様が登場したが、
今回の那須獅子舞さんの狐様はなんだか神々しいぞ!f:id:ko9rino4ppo:20181227063428j:image

*月田近戸神社獅子舞*
さて、4団体あるのに初っ端から長くなってしまった。
次の団体は前橋市粕川の近戸神社に伝わる獅子舞。
上毛電鉄粕川駅は管理人宅の最寄り駅から数駅なので、
まぁ勝手に地元感を抱いている団体さんである。
何といってもシシが一番生き生きしているのは
祭り(というか奉納?)の日だと思うので、
この団体については以前の記事を貼らせていただきたい。

コチラの記事と今回の写真を比べていただくと
今回、雌獅子(真ん中のシシ)が結構小柄なのが分かるだろうか。
あんまり男の子に小さいというのは可哀想なのでアレだが、
2年前に見た時とは違う子が入っているというコトである。
3匹獅子舞なので演目に登場するシシ自体が少なかったり
観光資源化の進んだ芸能より披露の場が少ないので、
層がどれくらい厚いのかはわからないが…
獅子っ子が新しくなっているというのは嬉しいことである。
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近戸神社獅子舞保存会では小学校高学年で獅子連に入り、
年齢が上がると笛掛かり→歌掛かりと役割が変わっていく。
笛掛かりは大きめの笠をかぶっているのでよく見えないが、
みんな成人男性のように見えた。
高校では部活や勉強に追われ抜けてしまう子も多いのだろうか?
それとも、今回居ないか大人っぽく見えるだけだろうか?

中断からの復活を果たしたという獅子連も多い中、
室町時代から一度も絶えることなく続いているという
この「月田のささら」こと近戸神社獅子舞。
是非今後も、末永く続いて欲しいところである。

ちなみに、群馬県内では
獅子舞の歌が残っている団体は少ないらしい。
が、この月田の獅子舞では多くの歌が残っているという。
節がハッキリせず聞き取りづらいのだが、
端々で岩手シシたちの舞歌に似た部分があるように感じる。

〽廻れや車廻れや車 つれて回れや水ぐるまよな

という歌に関しては「水車」しか被っていないが、
岩手県大槌町の上亰(かみよ)鹿子踊に
〽廻れ廻れと水車 細く廻れ(や) 堰に止まるな 堰に止まるな
という歌があるのを思い出す。

また、
〽朝日さす夕日輝く日の下に 黄金づくりの宮が建ちそろ
という歌も歌詞こそ違えど「褒め歌」チックだったり。

〽岩が崩れてかかるとも 心しづかに遊べ友だち
というのは東北シシが踊る「狂鹿」「鉄砲おどり」の
〽天竺の 岩が崩れてかかるとも 心静かに 遊べ友だち
と ほぼ同じである。

〽太鼓の糸をきりりと締めて ササラをさらりとすりこめたよな
というのも「ササラを」以降は様々なバリエーションがあるものの
多くの東北シシたちが
〽太鼓の調べ きりりと締めて ササラを揃え…
と歌っている。ネット情報なので地区や団体は分からないが
これに関しては九州にも似たような歌があるらしいので驚き!

月田の獅子舞の流派「日挟流」は栃木に残る流派だというし、
探ると流派や歌詞の分布からシシの足跡が見えてきそうだ。
(=゚ω゚)!

*千本木龍頭神舞*

前半2団体、後半2団体の公演があって
その間に一回休憩が入ったわけですけどね。
管理人、ちょっとショックなことがありましたよ。
休憩でトイレから帰ってきた小さい子が、
「この後はどれかなー?これかな?」というお母さんに
「帰る。帰りたい。つまんない」とグズり始めた。

あーあー。残念だなー。
この後、いっちばんオモシロイ龍頭神舞なのに。
わかるよ。群馬の獅子舞はさ、
もちろん管理人は大好きなんだけどさ、
動きが緩やかだったり躍動感が
ちびっこを楽しませるにはちょっと足りないってのは。
だからこそ!これは見てほしかったんだよ!
残念ながら帰っちゃったけど。
まぁ、あの小さい子を獅子舞公演に連れてくるお母さんの子なら
まだ今後 面白さに気づくチャンスがあると信じてるけど!

まぁ、気を取り直して…(*´ω`*)
さてさて、モッシャモシャのシシが登場しましたよー!
伊勢崎市千木地区に伝わる獅子舞で
獅子とは言いつつ耳は無く鱗のある「龍」である。
なんてゆうか、見た目がキャッチーなシシなんだな。珍しく。
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ちなみに、三匹獅子舞のシシというのは
前(先)獅子・中獅子・後獅子
または雄獅子・雌獅子・子獅子という組み合わせが多い。
しかし、千本木の場合は少し違って
雄獅子・雌獅子と「鳳凰元」というのがいる。
上の写真で手前に写っているのが鳳凰元。
腰に付けた鞨鼓は「一つ巴」で角は螺旋状。
紫のタテガミ(トブサ)で見えないが、
角の付け根には人面のようなカミサマの顔が彫ってある。

その後ろに小さく写っている雌獅子の鞨鼓は「二つ巴」。
角は龍や鹿の角のように枝分かれし、トブサは赤。

雄獅子が写っていないが、角は螺旋の無いまっすぐな2本角。
鞨鼓は「三つ巴」。トブサは黄色。

普段は昭和62年に制作したレプリカのカシラを使うそうだが、
実は この日使ったのは文化財に指定されている本物のカシラ。
ひぇえええ。貴重なもの見てしまった!

さて、龍というだけあって雨乞いと関連深い千本木のシシ。
通常 雨乞いの舞を祭で舞うことは無いのだが、
去年の秋まつり(宵宮)で披露したところ雨で本祭が中止になった
Σ(・ω・ノ)ノ!
というエピソードが面白すぎて…
いやいや。自爆じゃん。というか効果テキメン過ぎますやん…。

そして、みんな大好き 参加型イベント(?)が
コチラの「ささらぐるい」。
参加といっても一緒に踊るわけじゃなくて、
せどりの藁とかハネト鈴みたいな
「落ちたの拾って飾るといいことある」系のヤツ。


岩手の幕踊り系にも負けない、バサバサMAX!
これは是非、さっきお帰りになった子にも見てほしかった…!

そしてコチラ↓は管理人が大好きな「ボンゼン掛かり」という演目。
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鳳凰元がジッと見ているのは「ボンゼン」。
御幣束のような物である。
東北のシシが踊る「かかす」のように、
人工物におっかなびっくり近寄り
最後には直接触れてみるという流れの演目。

なんかねぇ。このモサモサの体で
前のめりになったり 伏せたりしながら近づくのも
カミサマながらに動物感あって可愛いし、
ボンゼンをつかんで大股で歩き回りながら
周囲をお祓いしてボンゼンふりふりするのも可愛くて。
個人的には「ささらぐるい」の場面より好きだなぁ。
( *´艸`)

携帯が「ストレージがなんちゃら」とか言い出すもんだから
今回は動画あまり撮れなかったのだけど…。
この団体さんは比較的子供や女性が参加したり
いろんなとこで舞を披露しているのでヒット数は多いはず。
宜しければ、検索して誰かが撮った動画見てみてくだされ。
そして、ちょっとでも興味湧いたら 是非現場へ(/・ω・)/!

*羽場日枝神社の獅子舞*
最後の団体は、みなかみ町に伝わる獅子舞。
お初にお目にかかるのだが、
四方に立てた青竹に注連縄を貼り
その中だけで舞うという ちょっと珍しい感じの獅子舞。
コチラは設営風景。室内で数団体出ると場面転換が大変ね。
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下の写真を見ていただくとわかると思うが、
伎楽系の獅子舞のような赤い顔で頭上に宝珠や角を付けた
東京の方などには見慣れた獅子頭だ。
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ゴツい獅子頭に華やかな衣装という組み合わせは
増田神社伊勢大神楽の「魁曲」を思い出す。
シシの後ろでササラスリがササラを鳴らす様子なども
どことなく猿田彦と獅子のやり取りを思い出すなぁ。

…と思ってパンフレットを開くと
「1533年、伊勢の神官夫婦が旅の途中に伝えた」
というようなことが書いてあった。
今日は冴えてるなぁなどとニヤニヤしながら読んでいると
「獅子は撥を持って舞いますが、腰には太鼓を付けず」
とある。ほ、ほんとだ!
バチ持ってるのに 太鼓ないぞΣ(・ω・ノ)ノ!
代わりに、シシと別に太鼓担当がいる!

コチラの団体のシシは
男獅子・女獅子・子獅子の3匹で、
男獅子だけが1本の角。他の2匹は宝珠が頭に付いている。
その獅子の後ろに各々一人ずつ簓摺(ささらすり)が付き、
演目によってはその輪に2人の小太鼓が加わる。

中腰の動作も多く脚の筋肉に限界が来ているのか、
たまに片足で立って制止する場面↓があるが
全員めちゃくちゃグラグラしている。
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でもなんだか不思議なもので、それがあるために
見物客は皆「あ、大丈夫か?」「がんばれ」という感じで
笑いが起きたり拍手が起きたり 会場は一体感に包まれる。
これは…計算のうちなのか?それとも…?

ちなみに、この羽場日枝神社の獅子舞の演目に
「順逆(じゅんぎゃく)」というのがあるのだが、
この部分では 歌が一節終わるごとに
「やぁ順逆よ」という囃しのようなモノが入る。

順逆って何?順番が反対ってこと?
と思ったのだが、
県内の獅子舞を調べてみると吾妻郡のほうでは
どうやら「順逆よ」でなく「やぁジンヤクや」というらしい。
そして、その掛け声は三重・滋賀のあたりにある
「ジンヤク踊り」という踊りの中にも登場するとか。
伊勢から伝わった踊りとはいえ、
遠く離れた地域の思わぬ共通点にビックリですよ。
ジンヤクおどり、見てみたいな。

そんなこんなで、
日本のヘソを自称するだけあって
遠く離れた地域の芸能との共通点や
伝播の道筋を感じた「ぐんまの獅子舞公演2018」でした~!
(*'ω'*)

願い渦巻く、三の酉。

さて、酉の市については前回書いたばかりだが
都心の「まさに酉の市」という姿もお伝えしたいので連投!
由来などについては前の記事に書いたので省略(/・ω・)/

*新宿・花園神社*
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まずは、よく行く新宿から。
ビルの隙間の参道だが、提灯があるので普段より目立つ。
鳥居をくぐると既に長蛇の列。
参道の両脇には一般的な屋台のほか、
南天箸や切山椒 七味売りなど無病息災を願う伝統的な屋台も。
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南天を見たことがある方は分かると思うが、
南天の枝というのは非常に華奢で箸ほど太いものは少ない。
なので、世で「南天箸」と銘打って売っている物の中には
南天を原材料としていないのに南天箸!
という不思議なものが多いらしいのだ…。
※ここに写っている御店がどうこうという訳ではない

しかし、それでも南天は「難を転ずる」縁起物。
また語呂合わせだけでなく、
実際 葉や枝に含まれる物質が食品の劣化を遅らせたり
水銀などに触れると変色するため毒見的な役割も果たしたとか。

「そうした効果にあやかって健康に過ごしたい」
と願う人たちと
「本物は希少だけどみんなに南天箸を売ってあげたい」
という職人さんの間で生まれた箸と考えると
一概にズルいとか まがい物だとは言いづらいですな。

管理人は、切山椒が好きなので小袋ひとつ買いましたよ。
(*'ω'*)
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さて 花園神社の祭神はウカノミタマ&ウケモチ
古くは三光院稲荷・四谷追分稲荷などと呼ばれていたそうだ。
いま花園神社と呼ばれているのは、
ここが嘗て 尾張藩下屋敷の花園があった場所だからだという。

そこに末社大鳥神社を合祀し
ヤマトタケルさんも本殿に住むことになった!
その大鳥神社の行事として行われていたのが酉の市。
意外にも、始まったのは明治時代なのだとか。

大学の頃 何の行事もない日に花園神社に来たことがあった。
当時からゴテゴテの彫刻や無彩色の社殿が好みだったので
「随分だだっ広い境内だな。社殿もピカピカで彫刻も無いや」
と 大して見ずに帰ってしまった思い出…(´・ω・)

それがこんなに有機的な場所に様変わりするなんて!
やはり 祭りのみならず、
神社そのものも人で出来てるんですなぁ。
村社とかに比べて、やっぱ大きいなあ と感じた拝殿も
今日は一面の提灯と人に埋もれて小さく見える。
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熊手も 所狭しと並んで、キラキラしてますな。
なにより、土地柄 ギャルっぽい姉さん方や
チャラチャラしてそうなホスト感あるお兄さん、
コミュ力高そうな おネエさん方がたくさん!
そして大きな熊手を買って行く!

なんとゆうか、若い人が当然のように
「熊手、あれが良くない?」
「こっちのほうが御利益ありそう〜」
千客万来にする?商売繁盛にする?」
と真剣に熊手トークしていると 嬉しくなってしまうなあ
(*'ω'*)♪
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やはり人の願いあってこその縁起物ですわ。
願いというと綺麗すぎるから、欲と言ってもいいかな。

悪い願いでも 利己的な願いでも
ちゃんとした方法で願えば聞いてくれる!
というのが日本のカミサマな気がする。

管理人はあまり神様にお願いはしないけれど、
実際 講とかでストイックに身近に
神様を拝んで人生の節目節目で願ってきた人が
「カミサマはちゃんと拝めば悪い願いだって聞いてくれんだ」
と地域を問わず言うのを聞いていると そう思う。
そして、日本はそういう神様が人気がある。気がする。

拡大家族から核家族へ、とか
昔は数人いなければ作れなかったような音楽や映像が
パソコン1つで部屋に引きこもって作れちゃったり。
どんどん人が「個人化」しているような話を聞くけれど。

稲が実りますように。獲物が取れますように。
そういう「集団の利益」から
商売が繁盛しますように。健康に過ごせますように。
という「個人の願い」へ。
現代になる前から個人化は進んでたのかもな。
なんて思ったり。
そして、それは決して悪いことじゃなく
そうなったからこそ人の目に触れた人がいて
そういう環境だからこそ信仰を拡大できた神様がいる。
そんなことを思ったり。

*花園神社見世物小屋

ちなみに、この花園神社は舞台関係者の崇敬厚い。
というのも江戸時代、数回の大火に見舞われた花園神社は
社殿再建のために座を設け 踊りや見世物などの興行を行った。
これが花園神社と芸能の 縁の始まりと言われている。

…と言うと昔の話のようだが、
アングラ四天王・唐十郎も花園神社に赤テントを張った。
「見たコトないよ そんなコアなの」と言う勿れ。
天井桟敷の寺山修二や赤塚不二夫とも数々の逸話を残した、
破天荒な劇作家であり役者。大鶴義丹さんのお父様でもある。
舞台芸術以外でも「世にも奇妙の物語」に出演したほか
なんと「おじゃる丸」に声優として出演したこともあるらしい。
さすが唐十郎氏、神出鬼没すぎる。


さて、もちろん境内で上演するのはアングラばかりではないが
見世物や成人向けの舞台など
かつて妖しげな魅力いっぱいだった花園興業。
現在では見世物小屋なんてのも絶滅危惧娯楽(?)だが、
実は 花園神社の酉の市では見れちゃうんです!
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いや、もうね「本日のラインナップ」からし
ヤバいニオイしかしないよねΣ(・ω・ノ)ノ!
樺太から来た野人
・伝説の女総長
・串刺し
・鼻の芸人
・ヤモリ女
・狂ったOL
そして劇団「ゴキブリコンビナート」の看板。
さすが3Kミュージカル劇団、ハンパないです…。


管理人が近づいた時には、
ちょうど「ヤモリ女」が舞台に上がっていたようだが
会場からは悲鳴にも似た声が(;゚Д゚)


最近ストリップ劇場が減ってたりするのもそうだけど、
最近人って「こわい!」「エロい!」「ステキ!」
みたいのを人前で享受する機会が減ったと思うのね。

それは、みんなでお金を出して1つのものを見なくても
自分の部屋で見られたり 個室で楽しむサービスが増えて
それを受け取れる人が増えたからかもしれないのだけど。


祭も舞台芸術も競馬もなんでもそうで
「自分-見る対象」とゆう1対1の関係じゃなく、
そこに歓声や悲鳴を上げたり息をのむ「大勢」がいて
初めて受け取れる種類の興奮や感情の揺らぎがあるわけで。

そうゆうのを感じられる場所が
一つでも多く1年でも長く日本に残ってくれたらと思ったわけですわ。

そんなことを考えながら、一路 浅草へ。

*鷲神社 酉の市*

新宿は既に祭りのようだけれど、こちらは午前0時。
つまり三の酉になった瞬間に色々始まるワケです。
早く着いたので、本日の宿に大きなリュックを置いて目的地へ。
いやー。めちゃ混みのトコに登山みたいなリュック背負ってって
揉みクチャになって邪魔にされるの嫌だからね(´・ω・)

淺草の町は 新宿と違い生活感があって、
やたら厚いコートを着ていても疎外感がない。
(だけどタンクトップの外国人も居て、マジかよって思う)
からしばらく歩くと商店街的な感じになってきて
出店が並ぶ通りが見えてきた。
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この出店ロードの奥がお酉さま!…なのではなく
ココを素通りして矢印方向へ行くとお酉さまらしい。

鷲神社に近づくと、歩道の半分をふさぐ行列が!
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普通に境内に入りたいだけなら並ばなくて良く、
どうやら0時前からの御祭儀に参列するための列らしい。
あとは、0時の鐘と共に「熊手守り」の授与が始まるのだが
「一番に買った人には一番札が渡される」
というイベントがあるらしく早々と並んでいる人も多い。
ただし、境内には数カ所の札所があって
「どの札所から一番札が出るかはナイショ」だそうだ。
単に早く並ぶだけじゃなく、
運を味方に付けないと戴けないワケですな。

鳥居には、もはや熊手本体が全く見えない
豪華な巨大熊手が!
達磨とかまねきねこも、普通に単体で飾る大きさ。
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提灯いっぱいの門、両脇にはボンボンのような大幣を持った男子が。
常に一定の速度で、シャワシャワと振り続けている!
中にヒートテックとか着てカイロ張ってるか知れんけど寒そう…

提灯の多さは花園神社のほうがすごいかもだが、
低い位置に所狭しと並ぶ提灯もイイですなぁ
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参道のすぐ脇にも札所があるため、
参拝の列とお守り購入列を分けるために黄色いテープが。
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警備員さんも拝殿の前だけで大忙しっぽく、
0時過ぎから始まる「鷲舞ひ」について聞こうと思ったが
「ちょっとどの辺でやるかよく分からない…」と。

えぇ!?境内で行なわれる行事については
すべて時間と場所把握してなくて大丈夫なの?
と思うとともに「まさかそんなに知名度高くないの?」と
やや不安になってくる管理人。

しかし、
やさしい警備員さんが神社の関係者の方に聞いてくれて
無事 どんな感じで どのあたりで動くのか確認できたとさ。

舞が始まるまで少し時間があるし、
どんどん混んでくるという様子でもないので熊手散策。
いやぁ。新宿でも「キラキラだ!すごい!」と思ってたけど
もうケタ違いですわ。「熊手商店街」って感じですよ!
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どの角を曲がっても、その先も熊手!熊手!
テントで覆われトンネルのようになった通路が
金色に見えますよ。たまげたなぁ。
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そしてなんと、
サンリオが依頼したと思われる巨大熊手が。
かわいいな!まぁ管理人は「ぽちゃっこ」派だが、
プリンもシナモもかわいいぞ!何Kgくらいあるんですかねぇ。
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あとは、神棚(というかもはやプチ神社)みたいのとか
色合いは地味なんだけど亀が丸ごと乗ってるのとか
他ではお目にかからないような熊手がたくさん…!
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…と散策していると、神社の出口まで来た。
ここで終了かと思いきや、道の向かいは「長国寺」さん!
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前回の「酉の市の由来」で仏教側の起源だとお話しした
あの鷲妙見大菩薩さんがご本尊となっている。
前回は菩薩さんが顕現した千葉・鷲山寺だけ紹介したが、
そこにあった鷲妙見菩薩像が こちらの長国寺さんに移され
浅草酉の市の起源となったという。

中くらいの鈴が5個くらい付いているのはよく見かけるが、
小さな鈴が まさに「鈴なり」になっているのも中々いい音だ。
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「鷲妙見尊」の横に ルビのように「おとりさま」とあって本気と書いてマジと読む、的な感じか…と独りで楽しんでいた。
庇の下まで行くと、鷲の彫刻が。
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ちなみに、こちらの長国寺さんでは
「三の酉まである年は火事が多い」という言い習わしにより
三の酉がある年にだけ限定販売される「火除け護り」がある!
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今年「知らなかった!買い逃した!」という方も、
三の酉は数年に1回くらいあるので
ぜひ次のチャンスに買ってみては?
ちなみに、三の酉まである年には
一の酉・二の酉でも販売されているようですよー。

さて、そろそろ0時を少し回ったので
「鷲舞ひ」が行われる瑞中鷲渡殿へ戻る。

0時に合わせ、各札所では御守の授与が始まり
御守りを手渡す際に巫女さんが鈴をシャラシャラしたり
お坊さんが火打ち石を打つ音が境内に満ちる。
舞の時間に合わせて境内が静まるということはなく、
熊手やさんたちも熊手が売れるたび気合の入った手締めを続ける。

そんな中、最初は笛を吹くオカメ・太鼓のヒョットコ2人が登場。
身長や体格から子供だと思うのだが、
コミカルな動きが板についていて可愛いやら感心するやら。

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3人が演奏を終えると、いよいよ堂々たる鷲が登場。
まずは拝殿方面に向かって舞う。
管理人はその反対側から見ていたので始めは音楽しか聞こえず。
ようやく数分後に姿を見ることができた。
地上に建てた舞殿ではなく渡り廊下のような場所なので、
鷲さんがちょっと奥へ行ってしまうともう見えない
(´;Д;`)

でも、その反作用というか
手前にバサッと姿を見せると見物客たちが
口を揃えて「おお〜っ!」ってなって拍手するのがイイ!
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舞とか踊りとかやってない身で生意気だが
やっぱり芸能は、見た人に「おおー!」ってなって欲しい。
なんてゆうか神様と同じで芸能って「有る」だけじゃ続かなくて
やる人、見にくる人、応援する人、何かあった時リカバリーする人
いろんな人に囲まれていないと絶えてしまうと思うわけで。
だから、観光化されすぎたりするのも考えものではあるけど
人の目に触れる機会が増えたり
おもしろポイントが見てる人にうまく伝わるといいなー。
と考えたりしている。

あヽ(´o`;
当然のように「鷲舞ひ」と紹介したっきり
全く説明なしの放置プレイになってしまった…。

この舞は、神楽によくある演目とかではなく
この鷲神社の地舞として考案されたもの。
平成25年に初披露されたと神社HPで紹介されていたので、
かなり最近作られた舞ということになりますな。

今年の夏に宮城県栗原で創作神楽というのを見たけれど
こうゆう一般に「古くさい」とも思われてしまいがちな分野で
新しい演目が完成して 人目に触れるって嬉しいことだと思う。

上空(?)で舞った後は、地上に降りてきて
熊手テント街を練り歩くので近くで見ることができる。
ぱっと見では烏天狗のようにも見えるが、
よく見ると ちゃんと猛禽類の顔をしている(*´ω`*)
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この舞によって邪気は払われ、
熊手で掻き込んだ福を 存分に迎えることができるワケだ。
管理人の場合はここで 風邪菌も掻き込んだようで
この2週間後くらいに熱を出すことになるワケだが
(´・ω・)
ともあれ寒さが厳しさを増しますが、
寒い時期こそ行事ラッシュ!
皆様も体調に気をつけつついろんな行事楽しんでくださいな

(*´ω`*)♪

福を掻っ込む、酉の市。

こないだ記事を書いたのがハロウィン前だったので、
もう1ヶ月くらい経ってしまったわけですね。
寒くなってきたので、もはや更新頻度も冬眠寸前ですわ。
(´・ω・)

さて、11月といえば「酉の市」。
管理人は通勤コースに鳥系神社があるので、
平日開催の市でも気軽に見に行くことができる。
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今回行ったのは11/1に開かれた「一の酉」。
ちなみに、今年の二の酉は先週11/13(火)だった。
そして、ちょっと珍しい「三の酉」は 今週11/25(日)。
日曜日だから、平日仕事の人も市が見れるぞ!
(/・ω・)/♪

いや、もうね。前の晩にテンション上がって
独りで酉の市イメージキャラクター↓勝手に作って、
翌日仕事なのに25時すぎまで落書きしてましたよ。
遠足前日の子供か、ってね。
(マジメに仕事に備えろ)
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社名が目立たないが、ここ↓は前橋市千代田町の「熊野神社」。
まぁグンマーなので、長國寺さんや花園神社に比べたら
賑わいは何分の一なわけだが…。
管理人はこの、商店街のアーケードから直接
参道につながっている感じが好きだ。
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祭神は櫛御気野命(クシミケヌノミコト)=スサノヲノミコト。
本家の熊野神社でも熊野大神と呼ばれる3柱の神が祭神であり、
その中の「家都美御子大神」という神様がスサノヲにあたる。

酉の市といえば「鳥」。
特に鷲や鶏にちなんだ神社仏閣で行われることが多い。
が、こちらの神社は「神使がカラス」となっている。
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まぁ辛うじて鳥つながりではあるけど、
日本神話だけ見たらそもそも
スサノヲと八咫烏って そんなに絡みあったっけ?
神武天皇のもとに八咫烏を派遣し導いたのも
スサノヲでなくタカミムスビだと言われているし。
タカミムスビの子孫(の仮の姿)=八咫烏という話もある。
どっちかっていうと八咫烏と縁が深いのは
造化三神タカミムスビでは…。

ただ 熊野三山全体において八咫烏は「ミサキ(御先)」
つまり神霊の現れる前触れや使いとみなされている。
なので、熊野の神であるスサノヲの使いも
もちろん八咫烏が務めている、というコトなのだろう。
※管理人は熊野信仰を全く体系立って理解できていません。
 「適当言うな。スサノヲさんと烏にはこんな繋がりがあるんや」
 という方や詳しい方がいらっしゃれば是非ご教示願いたいです…。

前橋の熊野神社では毎年
酉の市にだけ「八咫烏 御影」が御開帳となるが、
その仰々しい名前とは裏腹(と言っては失礼か)に
タレ目で可愛らしい キャラクター的なカラスさん↓である。
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神武天皇を導いたことから
導き・案内・戦勝のシンボルとされることが多いが、
古代中国において兎が月・烏が太陽を表す動物だったことから
日本神話においても太陽と関わる場面で登場したりする。
つまり、お天道さんがなくては始まらない農業にとっても
八咫烏は大切な動物なのかもしれない。
(それとも単に酉の市だから稲穂持たされているんだろうか)

市は日中からで、管理人が着いたのは終了1時間前。
熊手もだいぶ売り切れてしまっている様子だ。
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周りが商店街ということもあり、
店に置くような大きめのモノを買っていく人もいた。
管理人は、小さい方から2番目の大きさを購入。
「ちょっと小さかったか?」と思ったものの、
部屋が狭いので飾ったらまあまあな存在感だったとさ。
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ちなみに、酉の市は神社だけでなく寺院でも開かれる。
というのも、神道由来と仏教由来 どっちの起源もあるから。

まず神社的には、
ヤマトタケル鷲宮神社に戦勝祈願をした。
そして、東征で勝利を収めたため大鷲神社で戦勝を祝った。
そして死後、棺に衣を残し白鳥となって飛び立ったことに因み
彼が最後に降り立った地に「大鳥神社」(大阪府)を建立。 
このように、鳥系神社に縁が深いヤマトタケル
それにちなみ、彼の命日である11月の酉の日に市が立ち
これが酉の市の起源だというのが1つ。

そして寺院的には、
日蓮鷲山寺(千葉県)で国家の平穏を願った。
すると、明星が輝き出し鷲の背に乗った菩薩さまが現れた。
折しも11月の酉の日であった。
以来、11月の酉の日には鷲妙見菩薩の出開帳が行われ
それに合わせて立った市が酉の市の起源だという。

ちなみに、酉の市といえば熊手。
この熊手を売るようになった由来は、
ヤマトタケルが熊手(武具)を奉納し
東征前に戦勝祈願したからという説があったり。
また庶民的な所では、農具市だった酉の市で
年の瀬が近いこともあり縁起物をオマケにつけた。
という説もあるのだとか。

*おまけ*

ちなみに「酉の市は鳥系神社でやる」という話で、
熊野神社は烏がいるから鳥系に入るのかな~?
というようなことを言ったが、
実は前橋市千代田町熊野神社に関しては
モトは別の神社で行われていた酉の市を引き継いだ(?)
のだというコトが分かった。

別の神社というのは、
元々この近くにあった小石神社という社だそうだ。
え…烏よりさらに遠ざかってるじゃん…。と言う勿れ。
ココはもともと八坂神社とされており
栃木県佐野市大鷲神社から分霊された社もあった。

現在は、この小石神社
群馬県民以外に通じない話で申し訳ないが)
敷島公園の近くに鎮座している。
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中はキレイに整い、ウサギの扁額や円空仏的なモノが。
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小石と「恋し」を掛けているようで、
恋愛成就や縁結びに関する絵馬が目立つ。
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ココに願いを書いた「小石」を置くと叶うとかで、
小石が集まっているエリアが。
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外観的には歴史は浅そうな感じではあるが、
さくらがキレイなので前橋在住の方は是非!
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…あれ?
何だか小石神社の紹介が始まってしまったが、
話を戻して酉の市である。

この小石神社移転に伴い、
併せて祀られていた大鷲神社の分霊は
現在の熊野神社へ預けられることとなった。
そこから、熊野神社が酉の市を引き継いだのだそうだ。

さあ、いよいよ この週末は三の酉。
酉の市は11月の酉の日ごとに開かれるため、
三の酉が無い年もあるわけで。
この三の酉がある年は火事が多いと言われ、
神社によっては三の酉の年限定で
「火除け守り」を売るところもあるらしいですよ
(/・ω・)/♪

一説には、
酉の市にかこつけて吉原へ行こうとする男どもに
奥さんたちが釘を刺すために始まった言い習わしとも。
ともあれ、今週末は皆さん思い思いの場所で
酉の市楽しんでくださいね!

管理人は東京の酉の市を見に行こうかと考えてます!
(*'ω'*)