とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

春の安曇野、お舟の祭り。

長野は諏訪に行くことが多いが、
今回は北へ行って安曇野に行ってきた。
安曇野は(諏訪に比べて)なんて近いんだ!」
というのが第一印象。
群馬から新幹線だと、愛しの諏訪は松本のさらに先…
東京からあずさで行けば乗り換えナシですぐなんですけどね。
(´・ω・`)


松本はオシャレ雑貨や漆器、こだわりの工芸品etc…
を扱う店が立ち並び メチャクチャ都会だった
(((;゚Д゚))
今回の目的は「お舟祭り」。
安曇野では穂高神社のものが最も有名だと思われる。
が、実は松本〜安曇野にかけて多くの神社で
海から離れていながら「お舟」が主役となる祭事が行われる。
時期は様々で、GWや秋の収穫の季節など
場所を選べば見られる機会の多い祭りである。

春に行う神社は多くはないが、
今回は安曇野市三郷の楡(にれ)の住吉神社へ。
最寄り駅から徒歩30分。途中にはいくつかの神社がある。
(とゆうより、神社以外に道しるべになるような店がない)

*三郷 熊野神社
まず通ったのは熊野神社
陽が傾き始め、逆光で神々しい…!
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境内と道路は水路で隔てられ、橋が橋として機能している。
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「橋が橋として」って何言ってんの?と言われそうだが、
境内の渇いた場所に(嘗ては水があったのだろうが)
突然ポッコーン!と設置されていて
単に神様が降りてくる場所としての神橋
もしくは「ココから神域ですアピール」になっている、
という状況の橋が多いというのを前提にした感想である。
まぁ、ちょうど田植えの時期だったので
ここも冬になれば農業用水は止まり渇いてしまうのかもしれないが。

狛犬はいかついポメラニアンみたいな感じで、
顔は強めだが体型は可愛い。
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おお、これ↑は もしや
台湾の狛犬みたいに口の中で球が動かせるのか?
(高すぎて確かめられず)

そして、境内には御神木「加助の逆さ杉」。
慶応2年に暴風により倒れ舎利古木となった、
という記録が残されているとのこと。
加助とは貞享騒動を主導した多田加助のことで、
彼が逆さに差した枝から大きくなったという伝説があるとか。
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拝殿に挨拶し、また公道を少し進むと御堂が出てきた。
どうやら広大な神宮寺だったらしいが、
松本城の築城にあたり木材として徴発され廃寺…!
(;゚Д゚)ナンチュウコッチャ…
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先ほどの熊の神社と、次に行く伍社宮。
どちらの神宮寺だったのだろうか?

*伍社宮*
そこからすぐ伍社宮に到着。
まず目に入るのは、この立派な狛犬
狛犬自体がさほど大きいわけではないが、
石を積み上げた山の上にいて躍動的なポーズ。
毛の流れや爪の一本一本が精巧な感じがした。
管理人は狛犬にそんなに詳しいわけではないので
このつくりは何年代の特徴があるとか誰の作だとか
そういうのは分からないが…。
狛犬好きの方にはオススメしたい
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拝殿の前には千度石らしきものが埋まっている。
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本殿は元・穂高神社のものだという。
1829年式年遷宮で払い下げられ、
以降この伍社宮の本殿となっているそうだ。
そのため(囲われていて見えないのだが)
向拝部分のデザインには共通する部分が多いらしい。

各地の大きそうな「伍社宮」「五社宮」を探すと、
日・月・星+天王(スサノヲ)・トヨウケ
という5柱を祀っている所がいくつか。
それとまた別系統で、
1柱の大神+4柱の合祀された神
を合わせて「五社」と呼んでいる所がいくつか。

この伍社宮は、どちらなのだろう。
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神紋は諏訪梶↑(=諏訪大社上社と同じ)なので、
祭神はタケミナカタさん+4柱なのか?
それとも神紋を戴いた上社摂社?
祭神については調べても分からず。
直接問い合わせてみるしかないのかもしれないが…
電話が苦手なので先延ばしになりそう。
(´・ω・`)

さて、拝殿の向かって左奥へ進むと
何やらモシャモシャした社!なんか野生みある!
と覗いてみたら、中には「三峯神社」のお札が。
オオカミさんでした(*'▽')
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オオカミさんの護符と言えば
関東では「御嶽山」が多いイメージだが、
信州は なんとなく三峯さんが多い気がする。
偶然目についたのが三峯さんばかりだった可能性もあるが…。

夕暮れに近づく山並み、
本当に長野とゆうところは美しいなあ としみじみ。
(地元・群馬の山も好きだが)
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*三郷 楡 住吉神社
そしていよいよ、住吉神社到着。
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神社の前が公園のようになっていて、
宵祭の日には ココで山車が御披露目される。
とゆうわけで、明日の本祭を前に船型の山車「お舟」を拝む。
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…語彙が貧困で申し訳ないが、
とにかくデカい。とゆうのが管理人の感想。
船上には穂高人形(ほぼ成人の等身大程度)が飾られ、
歴史や伝説上の名場面が再現される。

今回は「頼朝の猜忌 ついに義経の館を襲ふ」。
義経の手腕に妬みや懐疑の心を募らせ、
ついに頼朝が弟の館を襲う場面だ。

ちなみに、同地域には他の地区にもお舟がある。
こちら↓は最寄り駅・中萱にあったカレンダー。
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神紋が描かれた幕なので、今回の住吉地区ではなさそうだ。

ちなみに、住吉神社のお舟祭は
楡と住吉という2つの地区が行っているらしい。
であるから、お舟も2つある。

あたりが暗くなった19時ごろ、
遠くから太鼓の音がして もう1つの山車が登場。
動くとさらに巨大に見える!
軋みながら 揺れながら 広場に到着!
しかし管理人のiPhonでは暗くて全く撮れない!
Σ(´・ω・`)
とゆうわけで、
地元のおじいちゃんに明日の開始時間を確認し、
スゴスゴと松本に帰ることとした。

*豊科 踏入八幡宮

本祭の日の朝。
実は、この日 近くで別のお舟祭りが 行われる。
中萱から2駅離れた豊科駅で下車し、
だいたい徒歩20分で踏入八幡宮に到着する。
踏入(ふみいり)という地名を見て、
誰が踏み入ったのか非常に気になったが…。
唯一見つけた情報では
湿地帯に民が「踏み入り」水田を開墾した。
という由来が語られていた。
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新しげな、綺麗な拝殿だ。
伍社宮と同じく、拝殿前に千度石のようなもの。

お舟祭りは「宵祭」をする所が結構あるので、
運が良ければ 神社付近に一晩 山車が飾られているのでは?
と踏んだのだが…どうやら読みが外れた。
近くに空き地はなく、お舟は見つからない。
しかし、いろんな方向を向いて耳を澄ませると
すごく遠くで太鼓の音がしている…。
それを聞き分けて位置を特定しようとしているのに、
神社のBGMがうるさすぎる…
その後、田んぼの畦道などに侵入しつつ なんとか発見。
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こちらが豊科・踏入八幡宮の「お舟」。
住吉神社の大型船舶のような山車とは、
だいぶ様子が違うのがお分かりいただけるだろうか。
あの大型船舶みたいなのは「穂高型」と言うらしい。
八幡宮のお舟を曳いていたオニイサンたちが口々に
「こんにちはー!」「インスタにupしてくださいw」
と言っている。真に受けてアップしておこうか
とも思ったが、結局まだやっていない…。
|д゚)(←アップロード不精)

本当は こちらの祭も見たいのだが、
お兄さんたち ゴメン!私は中萱へ急ぎます…
(´・ω・)
2駅しか離れていないとはいえ、電車は1〜2本/時。
逃すとマズイ。炎天下の中、走ったり歩いたりして
無事 おじいちゃんが教えてくれた時間に到着。

*楡 住吉神社(本祭)*
お舟が境内に入る前の舞殿では
地域の女の子たちが舞を奉納していた。
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ここの地域の子は、みんな巫女舞を踊れるとゆうことなのか?
君の名は。」の三葉と四葉を思い出した。
クラスの好きな子が踊ってたら絶対見に行っちゃうよね!
(*'ω'*)※煩悩男子脳です
そして、舞が終わると ついに お舟が境内へ!


安曇野市三郷 住吉神社 お舟祭り(2018.4.29)

鳥居の高さギリギリ、参道の広さギリギリ。
昨日は暗くて見えづらかったが、
ブワブワと大きく揺れながら近づいてくる!
とゆうのも、この巨大山車
真ん中の骨組み以外は竹で作られているのだ。
内側から見るとこんな感じ。
(パノラマ撮影ヘタクソなのでガタガタしてます)
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拝殿前に2台のお船がハの字に並ぶと、
地域を曳行する前に拝殿で神事が始まる。
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この後 氏子地域を曳行し 境内で餅まきをして祭りは終了。

まあしかし、
何故こんな山に囲まれた地域で「お舟」なのか?
…というと、まず
この土地に何氏が住んでいたかという話になる。

そもそも ここが安曇野と呼ばれるのは
安(阿)曇族と呼ばれる氏族が住んでいたから。
この安曇族の始祖はワダツミ(海神)とされている。
モトは福岡あたりを本拠地とし、
漁業・塩作り、交易を生業としていたらしい。

福岡に居た海人系氏族が長野まで来た理由は、
・指導者であった安曇比羅夫の戦死
・もしくは その敗戦自体?  
…など諸説あるらしいが、正確な所は分かっていない。
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こちらが安曇族の長・安曇比羅夫
※写真の像は穂高神社のもの
安曇族について考えるとまたキリが無くなるので、
とりあえずその辺は そのうち
穂高神社の記事にでも書くとして…。

その海人系氏族・安曇氏の皆様が住んでいたので
山間部でありながら
巨大な「お舟」が登場する祭が多いのだとか。

ちなみに、
他のお舟祭もいくつか紹介すると…
数あるお舟祭の中で最大のお舟は
記事の前半で立寄った中萱熊野神社のもの。
8月の最終土日と社会人にも優しい日程となっている。

そして船の数ではやはり穂高神社だろうか。
5艘の船が各町内を回った後
穂高神社境内に集まり大人舟同士をぶつけ合う。
コチラは毎年決まって9/27。
これは先程の安曇比羅夫の命日とも言われている。
ちなみに今年(2018)は木曜日です(ノД`)・゜・。

ついでと言っては何ですが、
安曇野のみならず諏訪大社にも
下社お舟祭り というのがありまして。
これまた今年は8/1水曜(宵祭りは火曜)。

持て余すほどの夏休みがあった大学時代に
もっと平日の祭りを攻めておけば…!
と思う社会人ウン年目の管理人だったとさ。

まぁ、いつかは こう
他の祭りと曜日と仕事の業務量の兼ね合いで
平日の祭りも毎年ちょっとずつ見れたらな…。
と思っとります。
(/・ω・)/!
とりあえず、安曇族出てきた辺りから
強引にはしょった感あるけど今回はここまで!
記事長くなると更新どんどん遅くなるからね。
祭4/29だったのに この文章書いてるの5月半ばだからね…。

シシの故郷の菅原神社。

4/21朝、管理人は新幹線に乗りながら考えていた。
とりあえず岩手には向かっているが、
日曜日は結局どこに何を見に行こうか。

候補としては
中根子・地蔵堂の上根子神楽
大迫・大償神楽 春の舞
舞川・菅原神社の鹿子踊り

駅から近い上根子神楽に一票、
3年に一度とお貴重な菅原神社例祭に一票、
かねてより憧れている大償神楽に一票、
東京や東北六魂祭で見たことがあり
なんとなく愛着を感じている上根子神楽・鹿子踊りに各一票…

うーん、こいつは接戦だ。
車に乗れればハシゴもできるが、
二級危険運転士である私がレンタカーなど借りたら
地域の皆さんにもレンタカー屋にも家族にも迷惑だろう。

…というようなことをSNSでつぶやいていたら
友人になっていただいている鹿子踊りの踊り手さんが
「一関でピックアップできるかメンバーにきいてみようか」
という超☆棚ぼた提案が!!!何と恐れ多い!
例えばジャニヲタに置き換えてみてくださいな。
「地方でライブあるけどペーパードライバーだから歩いていく」
ってツイートしたら 偶然ソレを見たアイドル自身に
「これからゲネプロだから車でピックアップしてあげる」
って言われたようなもんですよ!
ジャニヲタじゃないのでよく分かってないし、
そもそもライブのリハもゲネプロっていうか分からんけど。

ちなみに、舞川と一関の距離感はこんな感じ。
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まぁそんなこんなで今年の運を使い果たすレベルの僥倖により
なんと行山流舞川鹿子踊りの練習を拝むことが出来、
さらには採りたての たらぼ(たらのめ)の天ぷらと
お風呂&フカフカお布団を恵んでいただいたのであった。
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↑敷地内で採らせていただいた たらぼ。

そんなわけで(遅くまで飲んではいたが)
心身ともにハイオク満タンな朝を迎え、
泊めてくださった鹿子踊りの方たちとともに伝承館へ。
(神社直行でなくココで準備をするとのこと)
みなさんが慌ただしく準備をする中
置いてある装束などを少し見学させていただいた。

その後は 一旦お暇して単独で神社へ。
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のどか~な風景である。
たんぽぽも咲いて、いい季節。

岩手には巨石が多いというが、
石碑や庚申塔など全体的に大きい。そして多い。
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境内では既に今年厄年の方が集まり、神輿の準備。
(御輿を担ぐのは厄男さんたちなのだそうだ)
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前日の夜聞いた話では、
菅原神社の神事自体は毎年やるのだが、
今回のように「お祭り」的な行事となるのは3年に一度。
なので、担ぎ手は本厄+前厄・後厄の方も入って
ちょうどよく3年周期で回っているのだとか。
ちなみに神輿を担げるのは男性だけらしく、
女性はスーツに神社の法被という姿で後ろの方に控えていた。

そして、なにより気になっていたホルスタイン神牛と対面!
ピックアップを提案してくれた方がやっているシシ踊りが
「行山流舞川鹿子踊り」というものだと知った時、
どこの神社をホームにしている踊りなのか調べていて
この衝撃的な神牛の写真を見つけたのである。
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何より面白いのは、同じ方が作ったであろう説明板に
「道真公のピンチに どこからともなく黒い牛が現れて」
とゆうようなことが堂々と書いてあることである…
(*´ω`*)黒くないやんけ…

このカラーリングに関しても昨晩訊いてみた。
私の知り合い(40代)の方は
「そういえばアレ誰がいつ塗っちゃったかな」
と言っていたが、泊めていただいた家のおじいちゃんが
「や、アレ最初からああだった」と。
奉納された当時を知っている方が言うなら間違いない!
さらに「牛ったらこういうもんだと思ってたのかもね」と。
まぁたしかに酪農の盛んな土地で育ったら
「牛=ホルスタイン!」
とゆう刷り込みも当然といえば当然か…?
とにかく長年気になっていた牛さんについても
いろいろ聞けてよかった~。

神社の拝殿はこんな↓感じ。
中は薄暗くて上手く取れなかったが、
入った両脇に左大臣・右大臣がいる様子。
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神輿の出発までまだ時間があるようなので、
境内社を見てみる。
立て札があって非常に助かった…。
なければどなたが座す神社だか分からず
眺めて終わってしまった。

まずこちら↓は「若木神社」と書いてある。
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管理人の知っている若木神社と同じ神様であれば
秋田生まれの天然痘・疱瘡除けの神様のはず。
発疹の出る病気に効くとあって、
本家若木神社では皮膚病平癒を願う人もいたとか。
(読みは「おさなぎ」神社ですよー)

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次は「大日霊(おおひるめ)神社」。
オオヒルメはアマテラスさんと同じ神様とされることが多い。
アマテラスはイザナギ夫婦の三貴子であり
また天皇家と関わりの深い伊勢神宮におわすので、
どことなく「最高神」的な特別感を醸しているが…
それに対し「オオヒルメ」は彼女を単に
太陽の女神(+それに伴い農耕神)的な意味で祀る
というニュアンスが強いような気がする。

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そして山神社。
山の神といえば箱根駅伝…ではなく
オオヤマツミやオオヤマクイ、オオモノヌシ。
そのあたりが連想されるだろうか。
しかし、社でなく石仏風の像のみが祀られている。

御幣?大幣?を持っているので、
山岳密教系の仏様とかではなさそう。
社殿はないが神道系なのだろうか?
それとももっと古層の土着系の…
姥神さまとかソレ系の神様なんだろうか。
社殿で覆わず覆殿的に屋根だけで守られている。

管理人が気になったのは、
屋根の骨組みに付けられている
この(玉入れの)玉のようなもの。

岩手という空間的繋がりで 思い出したのは
遠野のカッパ淵にあった紅白饅頭のようなもの。
そちらはどうやら妙見信仰に基づく乳神さん
(布で乳房を象ったものを作り母乳が出るよう祈願)
だったのだが今回は形がちょっとソレっぽくない。
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どうなんだろう。
その手のものは どの地方でも、
乳房を象るというだけあって饅頭型が多い。
しかしこれはちょっと米俵型である。
赤いのに関しては、もはや唐辛子のような形だ。
遠野の紅白饅頭との関連性、自信がなくなってきた。

「何言ってんの?山神様と紅白の布と言ったらアレだよ」
という方がいたら是非ご教示願います…

さらに、その三社の後ろには手すりと坂があり
登ると横には本殿が見える。
拝殿とは結構な高低差だ。
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そして、その手すりの先には八臂弁財天。
頭上に鳥居があるので宇賀神も乗っていると思われる。
(宇賀神=おじいさんの顔をした蛇体の神様)
不明瞭だが、頭上の鳥居の中の
こんもりしたモノがそうだろうか…。
余談だが、サッカー選手の宇賀神の名字を見たときは驚いた。
何地方のどんな氏族出身か非常に興味ある。
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しかし、この大きな川のない舞川で
しかもこの水害もなさそうな高い土地で
なぜ弁財天なのか?
と、実際神社にいるときは思った。

しかし 帰って地図を見れば舞川は広く、
北上川に近い平地までもが舞川なのである。
それも、北上川が大きく湾曲した弧の外側。
洪水などで川が決壊すれば外側の方が被害は大きいだろう。
そして、管理人の行った地域は一関市街から見ると山だが
地形のわかる地図で見ると山あいの低地だった。

実際に災害が起きているか検索すると、
思いの外すぐにたくさんの記事がヒットした。
それだけ被害が大きかったということなのだろう。
具体的には、昭和のカスリン・アイオン台風。
2度とも磐井川が氾濫し市街地は被災。
カスリン台風では死者・行方不明者100人超え。
アイオン台風に関しては473人が犠牲になっている。

後者の方が氾濫時の水位は低かったようだが、
2年連続で台風に見舞われたために
前年の被害から復旧途中での被災であり、
また夜間だったことも被害拡大の要因かもしれない。
詳細は、参考にさせて戴いたこちらを読んでいただきたい。
伝えたい、あの記憶 - 一関市

こちらの画像は
岩手河川国道事務所さんのホームページから。
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この地図の「第3遊水池」あたりから下が
(画像には入りきらないが)舞川地区となる。
低地の周りに堤防を築き 氾濫をプールすることで、
被害が市街地に及ぶことを防ぐという方法である。

うーん、結局この弁天様は
水害が多い地域だからというより
水害の際に助かる場所と示す弁財天さんか?
それとも水害に見舞われていた地域から
合祀みたいな形でやってきたんだろうか?

前日に一回神社を下見して、
生き字引なおじいちゃんに聞いてみればよかった…
と後悔(´;ω;`)
ちなみに弁天様の近くに小さめの梵鐘があった。
災害用時の警報用か、純粋に仏教的梵鐘かは謎。


さて、管理人がそんなことをしていると
定刻になったようで拝殿の前に神輿が移動。
本殿→神輿へと神様に移動していただくのだろう。
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そうしているうちに準備を終えた鹿さんたちが、
太鼓の音とともに道を歩いて登場。鳥居の前に並ぶ。
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もともと門付け芸(寿ぎや供養のため家々を回って演じる芸能)
であるため、踊るときに歌う「舞い歌」のほか
その場所を褒める「褒め歌」というものがある。

相変わらず 完全には聞き取れないが
というか管理人は日常生活でも
人の言っていることを年中聞き違えているので諦めよう。

立った状態で始めに歌っているのは
「太鼓の調べきりりと締めてささらを揃え」
(調べ=太鼓の皮を張っている調べ紐のこと?)
つまり自分たちの仕度について言及しているみたい。
そして褒め歌は
「参り来てこれの(や)鳥居(を)見申せば
  二本柱は白金(しろかね)の
 笠(かさ)と貫(ぬき)には黄金(こがね)なるもの」
と聞こえる。違ってるかもしれないけど…

つまり、神社に到着してみたら
なんてすばらしい鳥居なんだろう!
って感じで褒めてるんですな。
管理人は殆ど神社以外で見たことがないので、
門褒め・家褒め・庭褒めなどは聞いたことない。
神社では この「鳥居褒め」が多いように思う。

本来は結構即興性を求められるものらしく、
昔、ある屋敷の家長が
「ちょっと仲立(シシのリーダー的な人)を困らせてみよう」
と褒めづらいような料理を出してみたり、
また武家の方は賜りづらいような刀や冠(だったか?)
をあげると言ってみたり…etc
みたいな記録が残っているらしいのだが
(それぞれ別の本に書いてあったような気が。出典忘れ)
いずれの場合も見事に即興で褒め歌を返され
一本取られたね、みたいな笑い話が多いようである。

さて、
それが終わると、いよいよ氏子地域への行列。
ただ登るのも(そこそこ)しんどい階段を
ゆっくりと注意深く神輿が降りてくる。
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階段もさることながら、この注連縄も難関っぽかった。
鳳凰がバサバサぶつかっている(;゚Д゚)
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さらに、神籬(ひもろぎ)・猿田彦・御供物と続き…f:id:ko9rino4ppo:20180425214148j:image
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道に出てからは法螺貝を持った方がその前に立っていた。
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階段は草履→道ではちゃんと高下駄になっていた。

その後ろに民謡流し的な方々が続き、
鹿子踊りがしんがりをつとめるというフォーメーション。
(民謡流しのBGMが、やや不調だった…)f:id:ko9rino4ppo:20180425214414j:image
鹿さんたちのそばにいたので気づかなかったが、
道に出てからは いつの間にか神馬ちゃんが合流していた。
鹿さんたちを見に来たはずが 馬愛がはみでて、
ストーカーのように神馬ちゃんの周りをウロウロし
あらゆる角度から写真を撮りまくる管理人。
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行列の休憩中、
馬を眺めてニヤニヤいている私に気づいたのか
馬を曳くお兄さんが 配られているジュースをくれた。
(子供だと思われたか?)
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前髪まとめてる!Kawaii!…ビニテ、取るとき痛くない?
そして目の上擦りむいてしまっている…。

飼い主さんらしきおじさんに話しかけると、
なんと「チャグチャグ馬コ」の先頭馬を勤めている子だとゆう。
草モリモリ食べてんのに鼻とか頤とか触りまくってごめん…
可愛くて つい(*´ω`*)

大きなおしり!きれいな模様!
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…そういうえば、以前 チャグチャグ馬コを見ていて
他の観光客の方が自分のお子さんに
「みてごらん、道産子だよ!おおきいね!」
と言っているのを見て訂正したい気持ちでいっぱいだったことが。
道産子じゃない!道産子は日本の在来馬で、小さいんだ!
ばんえい競馬の「ばん馬」と勘違いしていないか父さん!

道産子ちゃんは木曽馬や与那国馬などと同じ国産馬。
基本的に日本の在来馬はモンゴルの馬がルーツらしく、
体型もソレに準じている様な感じだ。
ポニーよりはスラッとした体型で、おとなしめ。
身体も強く扱いやすい とっても日本に向いた馬なのだ。

だが、北海道の開拓や産業の効率化を進め
更には戦争へと向かう時代が来た。
御上の意向で 馬匹の大型化が図られるようになり、
小型の馬である在来馬は去勢を余儀なくされ
一度は絶滅してしまったりもした。
(そして今も、天然記念物に指定されはしたが減少し続けている)

そんな流れの中、日本にやってきたのが
フランス生まれの「ペルシュロン種」。
ちなみに この子もノルマンディー地方出身らしい。
せっかく遠く東の果て・日本に来て、
地元に根付いてくれたペルちゃんたち。
現在はこうした祭事以外にはあまり仕事がないそうだ。

祭りを守るためには馬っこたちは必要で、
でも農耕も機械化され荷物もトラックな現代。
馬を飼っていることで上がる生産性と比べると
経済的な負担の方が上回ってしまうことがほとんどらしい。

普段乗馬クラブでお仕事している
アラブ馬ややサラブレッドたちですら、
結婚式場や歴史祭り的なものにバイトに行っている。

祭りを担ってくれている馬や飼い主さんのためにも
保護したり指定するだけでなく
良いお仕事が色々広がったらいいなと思う。
森を傷つけない 木材の馬搬とかね。
…ハッΣ( ・∀・)馬が可愛すぎて脱線した…

特に今回の祭りでは ここに寄ったりはしないが、
行列の途中にお寺さん発見。
曹洞宗の常川寺(じょうせんじ)さんというらしい。
山門前には石碑・石仏が何体かあった。
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表面が磨耗してしまい、
仏さんの種類までは判別が難しい。
(分かる人は分かるかもしれないが)
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そして、左側に小さめのお堂。
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中はこんな感じだった。
四角っぽい帽子をかぶった像がいくつも転がっている。
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仏様じゃないっぽいいけど閻魔様かな。
それとも、ほかの十王様たちも全員揃っているんだろうか。
(閻魔様が有名だが、地獄の裁判官は10人います)
そして真ん中には掛け軸。ご本尊様一尊の絵ではなさそう。
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13尊いらっしゃるので、おそらく「十三佛」。
亡くなった方が無事極楽へいけるよう手助けしてくれる
と言われている仏様たちだ。

そして池。棚田の名残みたいな自然な感じの池。
姿はよく見えないが大きい鯉的な魚が
たまに「ボシャッ」と虫を食べにあがってくる。
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季節も良かったのか、花がたくさんで美しい。
その花たちに囲まれて、道の脇に猟友会さんの鳥獣供養塔。
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曹洞宗なので、禅宗らしい彩色なしの彫刻。
でもかなり造りが細かくて素敵。
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さて、無事行列が終わった後
一行は舞川市民センターへ。
といっても学校の体育館レベルの大きさで、
管理人の町内の公民館とは全くレベルが違う。

そして広場に神輿を置き、
神職さんや氏子総代らしき人たちが集まっている。
御神輿を担いだ=厄年の方たちと神事をしているみたい。
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それが終わると、いよいよ鹿さんたちの出番!
(*´ω`*)
こないだ多摩動物公園では雌鹿隠しだったけど、
今回は…三人獅子?三人狂い?(←演目聞き逃したやつ)


菅原神社例祭(2018.4.21)


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相変わらずの跳躍力!
しかも今回は若シカさんが多く平均年齢低めらしく。
春の始まりにエネルギー補給できた!
この充電を使って来たるGWに備えるぞ!
(と書いているのはGW真っ只中。更新遅くてすいません)

中洲を偲ぶ、諏訪湖畔めぐり。

皆さん、なんと4月になってしまいました。
風邪をひいて外出できない時こそ
下書きに溜まった記事の消化を…。
ということで、
諏訪湖畔の寺社について記憶を発掘する
インドアな年度始めとなります。
(とか言っていたらパソコンの不調でさらに更新遅れた)

*甲立寺(こうりゅうじ)*

岩手やら鹿踊りの記事を挟んだので
ちょっと脳みそが諏訪モードから離れてしまったが…。
前々々回(前前前世みたいに言うな)は
八剣神社の祭神や神社名を燃料に だいぶ妄想が捗った。→http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2018/02/17/000000

その八剱神社と同じブロック(というか隣)に
八剱山・甲立寺 というお寺さんがある。

どうやら木造の愛染明王坐像が有名らしく、
山門に「市指定有形文化財」的な張り紙がある。
が、その愛染明王は あくまで「脇侍」という扱いであって
現在 ここの御本尊様は十一面観音なのだそうだ。
※後で調べてみたら、さらに昔は本尊:大日如来だったという情報が。
 当時、愛染&十一面には各々御堂が与えられ本堂には居なかったらしい。

あとで考えてみると十一面観音といえば
水難・水害除けの願いを込めて建てられることも多い。
つまり水とはとてもつながりの深い菩薩サマなのだが、
訪れている最中は 八剱神社-甲立寺-水が上手くつながらず。

足長神社(山側)から散々歩いて甲立寺に至り
また街中にある寺院で直接湖が見えなかったせいもあり、
諏訪湖との位置関係がイマイチつかめていなかったようである。

現地にいる時は極々単純に
「鏝(こて)塚」なんてあるんだ~。
包丁とか針はよく見るけど日本人は本当に塚が好きだな!
左官屋さんたちが作った鏝塚の隣に太子堂
さすが建築(大工)のカミサマ聖徳太子
とか そんなことしか考えていなかった
(´・ω・`)我ながら浅い…。

中でも最も単純だったのが
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「この八臂弁財天、造り細かくてスッゲー…!」
というまさに小学生並みの感想である。
この弁天様が後で妄想の燃料になるとも知らず…。

*八剱神社*
さて 前回あれだけ好き勝手に長々語ったのに、
また登場です八剱神社!(八剱神社のせいではない)
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ちなみに前回「御渡神事は八剱神社の特殊神事」と言ったが、
その神事の度 毎年御神渡りの様子を記録し続けた2つの書物
「當社神幸記」と「御渡帳」というものが現存している。

しかも、神社秘伝で宮司以外見られない!とかではなく
諏訪市博物館の常設展示で見られるのだ。
オモシロイものが色々あって入館料は良心的な300円!
是非、諏訪に行ったら入ってみてくだされ。
※月曜・祝日翌日は休館らしいので注意!

余談だが、この御渡帳という名前からも分かるように
湖に氷堤がせり上がる現象自体は「御神渡り(おみわたり)」
諏訪湖の神事に関わる文脈の場合は「御渡(みわたり)」
というように似たような言葉だが使い分けがされている。

ちなみになぜ記録が2種類あるかと言うと、
「神幸記」は1682年までの記録。その先は「御渡帳」に続く。
2つ合わせれば、その記録は429年間にもわたるという。

それを踏まえると、御渡神事の年占いというのは
非科学的な神託のようなものでなく
ビッグデータを参照した統計的予測に近い…のかも知れない。

諏訪の年占いで有名なのは
諏訪大社下社で1月に行われる筒粥神事
そしてこの八剱神社で行われる御渡神事。

片やミクロ、片やマクロな神事であるが
どちらも、空気中の温度変化や湿度はもちろん
酸素濃度、地中・水中の環境変化etc…目に見えないことを
目に見える形に変換して観察するという超すごい方法だ。
と、管理人は感じている。
ちなみに、管理人が一番好きな年占いは
餅や粥を一定期間放置して生えたカビを観察し
種類・位置・量などで一年を占うというヤツである。

こうして見ると、そもそも神託や占いというのは
夢に出たとか神がかりの人がこう言ったとか
そういう「超常現象」的なことではないのではないか。
自然をつぶさに見続ければ知ることができる小さな徴を
集団全員が見える形に増幅する装置が神事…なのかも。
と考える管理人でしたとさ。


*浜中島弁財天*

さて、突然だがトコロ変わって諏訪湖のほぼ対岸・岡谷。
かの(?)洩矢神社がある地域だ。
ここに道路を挟んで弁財天と御社宮司社がある。
まずこちらが弁財天。
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丸みを帯びた可愛らしい屋根に、
葛井神社や先宮などで見られる「注連掛鳥居」。
(鳥居の一番上の横棒がないパターン)
ここまでは「ちょっと変わった社だなぁ」的な感じ。

そして覗くと 琵琶を持った弁財天がいた。
石材店で売ってるような石造りのモノだが、
なんだか祀られている感じで奥に居るのではない。
御堂の格子戸のすぐむこうにいる。
そしてその横には弁財天の御姿を描いた絵が、
少し狭そうに(しかもどことなく雑然と)飾ってある。

なんだかツッコミどころ満載な配置だが、
さらに扉には賽銭投入用と思しき穴のほか
向かって右の底辺あたりに前方後円墳形の穴が開いている。
覗いて見ても流木のようなものが見えるだけで謎。
何なんだこの穴。何のために開いてるんだ。

あまり年季が入っていない弁天像や
扉の謎の穴を見ているうちに、
「昔からの社に個人で色々やっちゃった謎のB級社」
の仲間では…という失礼な気持ちが湧いてきた。

さらに、運よく合流できた長野の知人が隣で
「変だよねぇ。なんか角度が変なんだよねぇ」
と独り言(なのだろうか)を言っている。
たしかに、そう言われてみるといろいろ角度がおかしい。
いや。おかしいというと失礼だが、めずらしい。

というのも、この弁天様は鳥居が湖と反対側で
社は鳥居と90°曲がって…いや、
文章で説明できる自信がないので
こちら↓を見ていただきたい(´・ω・`)
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このように、次に話す御社宮司神社と弁天様は
道を挟んで「鳥居は」相向かい状態だ。
では社も相向かいかというと、それは違う。
常に見つめ合っていると気まずいからか?
(そんなわけあるかい)


そもそも諏訪湖畔の神社というのは
結構諏訪湖のほうを向いている神社が多い。
拝殿から鳥居のほうを見ると諏訪湖が見える感じだ。
御社宮司神社は諏訪湖畔グループの例に倣い、
諏訪湖の方を向いている。
対して弁天様は天竜川に背を向けるような角度で
東の方を向いている。
これだけ湖のそばに建っていながら
90°そっぽを向いていて違和感がすごい。

しかし、考えてわかることではないので
山のような疑問を抱えたまま、道を渡って御社宮司神社へ。

*御社宮司神社(下浜)*
写真を撮り忘れてしまったので、
Google mapさんからストリートビュー画像を拝借。
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これで御社宮司神社のほうの鳥居と拝殿は
まぁ一般的な神社と同じ感じと伝わるだろうか。
この向きで神社を見ると、ちょうど背後が諏訪湖
先ほどの弁財天さんも背後に座すことになる。

境内の隅には、石祠と並んで石碑のようなものが。
注連縄で囲まれた黒い直方体の石を見て、
隣で知人が「墓石か…?」と呟いている。
(たしかに、そう見えなくもないが)
「濱むら 御社宮司神社元宮」と書かれているので、
どうやら、御社宮司神社の旧鎮座地らしい。
(なぜこんな数mばっかし移動したのかは謎)

平成になってから作られた石碑なので、
書いてある文字は問題なく読める状態。
この石碑は「開創350年祭記念」として
「浦太郎社小まき中」という人たちが作った
というような内容が書いてある。

「まき」というのは、
同じカミサマの氏子さんたちを指す
このあたり独特の表現らしい。
つまり「浦太郎社」の氏子さんたちが
この御社宮司神社の元宮碑を奉納したというコトだ。
浦太郎社って何だ?浦島太郎的な?桃太郎的な?

病的に稲荷神社ばかりを巡っていた頃の話だが、
市民球場周辺と湖北にある火葬場のあたりに
「浦野太郎」と名のつく稲荷神社があった。
が、浦太郎と浦野太郎が同じかどうか確信が持てない。

しかし 調べども調べども、
「浦太郎」で調べれば神社に関する記事はほぼ無く
記者を経て弁護士となった矢島浦太郎ばかりがヒット。
(管理人にとって大学の大先輩らしいので文句は言うまい)
「浦野太郎」では誰かのSNSアカウントがヒット。
有力な情報は得られぬまま浦太郎事件は迷宮入りとなった。

仮に浦野太郎と浦太郎が同じであるとしたら、
浦太郎社の小まきで管理していたらしい御社宮司神社もまた
浦太郎社自体と同じく稲荷神社なのだろうか?
ミシャクジといえば縄文的な自然の神。
強いては狩猟に関連深い神様かと考えていただけに、
農耕神的な面を持つ稲荷神社との関連は意外だ。

いや、もしくは 狐といえど稲のみの神にあらず。
岡谷市役所のそばには「蚕糸公園」があるではないか!
蚕の天敵・ネズミを食すキツネは養蚕の守り神でもある。
ヤサカトメも人々に養蚕を教えたというし、
この社は養蚕の守り稲荷だった可能性も…?

浦太郎については今後要調査ですな。

諏訪湖と2つの島*

浦太郎に気を取られすぎて
「90°の謎」がどうでも良くなりかけていたが、
八剱神社と甲立寺・弁財天と御社宮司神社は
それぞれなぜ90°違う方を向いているのか。

住職さんや宮司さんに聞けば
一発で真実がわかるのかもしれないが、
プロのコミュ障と言われて久しい管理人が
そんな難易度の高いことをできるはずがなかった。

そこで、「これか?」と思ったのが
諏訪湖の歴史の中で消えた「2つの島」である。
昔、中洲や三角州だった場所を見てみると
現在でも「島」という地名が残っている場合が多い。
1つは、諏訪市役所付近の「高島」だ。
高島城が かつて水上の城とされていたことからも、
この辺りは昔 水に囲まれた島だったとわかる。

今は小和田にある八剣神社だが、
高島城築城以前は この高島にあったとされている。
それが築城に伴い島から立ち退きを余儀なくされ、
神社周囲の漁村ごと小和田に移ったという形だろうか。

正確な移築の経緯はわからないが、
この辺りは大雨のたびに浸水を繰り返す土地。
甲立寺の観音様は、無数の川に囲まれた地で
水害の原因とも言える川の上流見据えていたのでは…。
という気がしてきた。

そう考えると、
さらにその水害に関連深いのが浜中島弁財天である。
弁財天さんと御社宮司神社はこんなに近いのに
別の地名を冠していることに違和感が無いだろうか?
しかも、弁天さんのほうは浜中「島」である!
そう。元々は、この弁財天さんは島の上にあったのだ。

ではなぜ現在、湖岸にあるのか。
高島城のように、水位減少や埋め立てで陸続きに?
というと、それは違うらしい。
度重なる水害を防ぐため、諏訪の人々は
「湖から流出する量」を増やすことを考えたのだ。
つまり、天竜川の流量を増やすということ。

そのために、天竜川の入り口を広げる必要があった。
まず一気には無理なので、①の水路を作ったらしい。
(そうして浜中島ができた)
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それでも大きな改善は見られなかったため、
さらに大きな浜中島を分割する形で②の水路を。
こうして島は2つに分かれ、浜中島から弁天島ができた。
やがて浜中島自体を取り除き、①と②は1つの水路に。
(その際に浜中島弁財天が下浜村へ移ったのだろう)
そして最終的には弁天島もなくなり、
天竜川の川幅は昔の2倍近くになったのだという。

当時から弁財天さんが今の方向を向いていたとすれば、
増水のたび島へと押し寄せる大水に対して
真っ向から向かい合うように立っていたことになる。
湖畔の2人の弁天様(甲立寺/浜中島)は、
事あるごとに荒れる川の抑えだった…かもしれない。

今回もまた妄想に満ちた記事ではあるが、
神社ばかりでなく甲立寺さんや弁天様のおかげで
神域としての諏訪湖だけでなく
その災害との戦いの歴史を知る資料にたくさん出会えた。

ともかく、足長神社のことがまだ書けていないが
やたら長くなってしまったのでとりあえず一旦〆るとする。

*追記*
後半の方は国会図書館にある
「土木史研究  22号」(土木学会土木史研究会 編)
諏訪市史 中巻」(諏訪市史編纂委員会 編)
を参考にさせて頂きましたー。


動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

まぁ難しいことはさておきホンモノを観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
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管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
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輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
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ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
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この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りと似たものは残っていたりします。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)

岩手と鬼と おもうこと。

3.11はできる限り東北へ行こうと思って数年過ごしてきた。
が、ついに7年目の今日、家族から
「アナタたまには誕生日に家に居てよー」
と言われた。まあ確かにそれもそうだよな…。
とゆうわけで、せめて東北のことを考えて過ごそうと思う。


*盛岡・三ツ石神社と羅刹鬼*

その東北の中でも管理人が最も好きなのが岩手である。
しかし、なぜ この県が「岩手」なのか御存知だろうか。
以前、報恩寺さんとゆう羅漢だらけのお寺の記事を書いた。

報恩寺の五百羅漢さんたち。 - とまのす

そこからほど近い場所に、三ツ石神社とゆう神社がある。
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この神社こそ、岩手 という名前(そして さんさ踊り)の源なのである。
境内に入るとすぐに、パッカーンと割れた感じの巨岩が見える。
その大きさたるや、拝殿とあまり変わらない。
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2つしかないように見えるが、この後ろにもう1つ欠片がある。
これが「三ツ石」の由来だそうだ。
岩手山が噴火した時に飛んできた噴石だと言われていて、
昔は隣接している東顕寺さんの敷地内にあったとか。
神社として成立する以前より村人からの信仰は篤く、
三ツ石さまと呼ばれ親しまれていたらしい。

桜山神社烏帽子岩と言い 三ツ石様と言い
盛岡は巨石が多いな…同じ噴火で飛んできたんだろうか。

拝殿の扉は金属で、格子とかはないので中は真っ暗。
子供のこぶしほどの穴が開いているだけである。
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どうにかこうにか覗くと、
中は結構整っていて鏡や榊などが綺麗に並んでいるようだ。
神紋は二羽の鶴なんだろうか。
肉眼では何一つ見えなかったので携帯のカメラがあって助かった。
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拝殿と本殿の間(だったと思う)には、
本殿か拝殿にあると思しき鬼面と木像の写真が貼ってあった。
暗すぎて写真にはうまく映らなかったのだが、
何の解説も書いていないのでどういう所以のモノなのかは謎。
神社に神様の像があることは少ないが、
この木像は祭神・スクナヒコナのレアな御姿なのか?
それとも、その本地仏とされる金剛蔵王権現
または三ツ石様とはこんな姿だったんだろうか。
今度盛岡に行くときは、懐中電灯持参でちゃんと確認してきたい。

さておき、この巨岩には「鬼の手形」が押されているという。
雨が降ると薄っすら見えるという話だが言った日は快晴。
それらしきものは全く確認できなかった。
拝殿横に分かりやすい絵が奉納されているのだが…
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…なんだかホラーな感じだな…。
※実物は全然ここまではっきりして居ないのでご安心くだされ。

ともあれ この岩の手形こそ、「岩手」の語源。
ちなみに、なぜ手形が押されたかというと
昔この村で悪事をはたらく羅刹鬼という鬼がおったとさ。
困り果てた村人は、村にある三ツ石さまに助けを求めた。
すると三ツ石の神様は巨石に鬼を縛り付けて懲らしめた。
驚いた鬼は必死に謝り、二度とこの地に踏み入らないと言った。
そして「ならば誓いを立てなさい」と言われ手形を押したという。

釈放された後は北へ逃げたとか京へ逃げたとか。
京都へ逃げたバージョンは、
京都でに有名な鬼退治譚へと繋がって行く。
北へ逃げたバージョンは
「この三ツ石より南下しないからゆるしてくれ」
と言ったというようなことが書かれていて、
なんとなく大和朝廷の東北平定を思わせる。

いずれにせよ
この地には鬼は踏み入らないということで
この地域は「不来方(こずかた)」と呼ばれた。
現在 三ツ石神社の住所は盛岡市那須川町だが、
今もこのあたりを不来方と呼ぶこともあるのだそうだ。

ちなみに鬼がいなくなったことを喜び
村人たちが三ツ石様の周りで踊り明かしたのが、
盛岡さんさ踊りのはじまりと言われている。

管理人の中で「目が離せない踊り」No.1を
越中おわらと競う 盛岡さんさである(*'ω'*)!
阿波踊りもイイ勝負なのだが)

そんなことを考えていたらふと目に入ったのが
神社の近くにある「鬼蕎麦 かむら屋」さん。
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よく見ると、鬼子母神堂の扁額などがそうであるように
鬼という時の一番上の「‘」が無い(暖簾は普通の鬼だけど)。
この字は多く、
鬼を好意的に捉えている地域の神社や
仏教に帰依した鬼神の御堂で用いられる。

地域全体でこの字が使われているわけでは無いので
本当のところはわからないが、
羅刹鬼は最後まで忌み嫌われたのでなく
村人がその改心を認めていたということだろうか。

余談だが、鬼蕎麦は卵やら海藻やら入っていて
旅人にはありがたい栄養バランス◎な外食でした。
この辺りへ行くことがあれば是非ご賞味くだされ。


*北上の鬼剣舞*

ツノのない鬼、で思い出したが
盛岡から少し移動し、同じく岩手の北上市に話題を移す。
この辺りには鬼剣舞という民俗芸能が伝わっているのだ。
鬼のような面を付けて踊るのでそう呼ばれるようになったが、
この面にはツノがない。これも改心した鬼だから?
「いやいや、実は鬼でなく憤怒相の仏様だから角がないのだ」
というのがよくある答えだが、
仏さまとはいっても如来系でなく明王様らしい。
とすれば明王は天部と一緒でヒンズー出身神が多いので
ある意味 仏教に帰依した鬼(異教の神)で合っているのでは…。

…まぁ屁理屈はおいといて(/・ω・)/
鬼剣舞というのは面の表情から明治以降についた名前。
モトは念仏踊りの1つで、剣や扇で勇壮に舞う念仏剣舞である。
面は五色あり「五大明王」を表しているらしい。

青面は東と春を表す降三世明王の化身。
赤面は夏と南を表す軍荼利明王の化身。
(↓撮っていたらカメラ目線してくれた!)
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最も踊るのが上手い人のみ付けられる白面は、
西と秋を表す大威徳明王の化身。
白面を付けている人を「一剣舞(いちけんばい)」と呼び、
一人加護という演目はこの人しか踊れないらしい。
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黒面は北と冬を表す金剛夜叉明王の化身である。

東西南北・春夏秋冬出揃っちゃったけど、
残りの黄面は…?というと、五行説では「中央」とされる。
踊りの中ではカッカタ(道化役)を務め、不動明王の化身。

こういうのは込められた意味も大事だけれど
やはり目と心を奪われるのが入口かなと思うので
とりあえず動画をどうぞ。
(最初は伴奏的な感じなので、気が短い方は50秒くらい~見てね)


谷地鬼剣舞(三番庭の狂い)

この剣舞は北上展勝地で見たもので、
桜の時期は日時によって様々な地域の剣舞が見られる。
「谷地」というのが地域の名前。
「三番庭の狂い」という演目である。
一番庭、二番庭、三番庭という演目があって
その三番庭の「狂い」とは
祈祷・呪術・供養など本来の形から
より「魅せる」ことを強化するため崩しを入れた、
というようなニュアンスだろうか。

ちなみに鬼剣舞には一、二、三番庭や
一、二、三、八人加護の他にも色々な演目がある。
中には特定の系統の剣舞にしかない演目や
現在は舞われていない演目などもあったりする。

中には余興的な演目もあるのだが、
こちらは「宙返り」といって
剣を持ったままでんぐり返し(と言っていいのか)する。
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手 地面についてないから、
でんぐり返しとは言わないな多分…
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↑最終的には8本持って宙返りする。
つまり、両手に3本ずつ+両手で横に1本+口に1本。
よって、鬼剣舞だけど面も外す。
現在使われているのは模造刀だと思うが、
真剣を使っていた時代は緊迫感も相当のものだっただろう。
(なんでこの写真だけ白黒で撮ったんだ…)

ちなみにこの宙返りを披露してくれたのは
「二子鬼剣舞」という団体の方。
この二子鬼剣舞こそ全国に鬼剣舞の名を知らしめた団体!
と言っても過言ではない(かもしれない)。
というのも昭和の話ではあるが、
全国の民俗芸能の大会みたいのがあるワケで。
そこで三人加護を踊って優勝したのが二子鬼剣舞。

いくつもの団体が舞うのを見ていると、
「あれ これさっきのと似てる」
「おや?こんな演目ほかの団体にはなかったぞ」
みたいのが出てきて楽しいので、
「どこもそんなに変わんないでしょ」
なんて言わずにいろんな剣舞を見ていただきたい。


*鬼って何なんだ*

とりとめもなく岩手と聞いて思い出したことを話したが、
鬼が登場する民俗芸能は岩手以外にも多い。
河童同様、鬼の居ない地方を探すのは難しいのだ。

どの地方でも 鬼との物語は山のように語られてきた。
しかし鬼が単にひどく恐ろしいだけの存在ならば
そこまで頻繁に語られることはあるまい。
時に人を助け 時に旅人を喰おうと画策し
時に人に騙され 時に人の娘と恋に落ちる。
ただ怖いだけじゃない日本の鬼たち。

鬼とは日本人にとって一体何なのか。

民俗芸能に物語にと度々現れ、
鬼の姿というのはハッキリ思い描ける方が多いはずだ。
「角」に「虎皮の腰巻」
何といっても鬼の最もポピュラーな姿はコレであろう。
一般にコレは鬼門=丑寅をキャラ化(?)したものという。

しかし、鬼の語源は一説に「隠(おん)」だという説がある。
つまり、見えないもの・捉えられないものという意味。
おそらく日本に様々な文化を教えた中国の影響で
鬼=「悪霊」的な嫌な意味が強かったと考えられる。

しかし訳がわからないままでは
対処法もわからないし恐ろしいままである。

そんな考えからか、
昔の日本人は鬼に前述のような姿を与えた。
鬼に姿が与えられてからというもの
鬼と呼ばれるものの範囲は爆発的に広がる。

恐ろしい自然現象や広がる伝染病に
鬼の姿を与え何とか追い払おうと様々な行事を行い、
侵略者や まつろわぬ民 製鉄民など、
自分とは違う立場や宗教に属する人間のことすら
鬼の名で呼ぶケースも出てきた。

なんというか、つまりは
自分の理解の及ばないものすべてが鬼になりうる。

勿論その言葉を人に対して使うときは排除の意図が強く、
その見知らぬ「鬼」と和解できなかった歴史もあるだろう。
しかし、鬼と村や家庭を築いた人たちも少なからずいた。

そして自然や疾病を「鬼」と呼び姿を与えるとき
人は見えない力を必死に捉え克服しようとしている。

鬼自体が恐ろしさの化身のような存在でありながら、
鬼は人間が恐ろしさと必死で向き合った証でもあるのだ。

だからこそ日本の鬼は、
時に荒々しく 時に哀しく 時に愛しく 時に滑稽に
こんなにも民のそばにいるのだろう。
と、何となく思うことがある。

7年前の震災でも、
到底捉えきれない大きな力が猛威を振るった。
地震の仕組みも分からない 放射能なんて言葉もない
テレビもないネットもない世の中なら、
とっくに東北に鬼が出たと言われているのではないか。

「こないだ北へ行ったら建物の山があったんだ」
「鬼が民家をかき集めて山を作った」
「村に一人も人がいない。鬼が来てみんな喰われたのか」
「あのあたりの村ではみんな首を病むらしい」
「浜に住む鬼が吐く瘴気に当たるんだそうだ」
(科学が未発達なのに原発があることにツッコんではいけない)

しかし、テレビやネットができて科学が発達して
鬼が出なくなったからそれでいいのか?
実は鬼が生まれないのは「全部わかった」からでなく
直接「向き合ってない」からという可能性も考えられないか。

なんとなく、
ここ数年自分の誕生日前後にテレビをつけると
いろんなことがすごくキレイな形や
もしくはとても感情だけにフォーカスされた形で
調整されて伝えられてると感じてしまう。

もちろんテレビ番組を作っている方だって仕事だ。
感情にうったえない まとまりの付かないストーリーでは
視聴率はとれなくて お偉いさんに怒られてしまうだろう。

それは分かる。だから、テレビはテレビでいいのだ。

ただ、番組でもブログでも動画でもいい。
何かを見て「おっ」と思ったら 行ってみてほしい。
(別に被災地いったことないヤツわかってない的なアレではない)
神社でも祭りでもロックフェスでも(?)なんでもいいのだ。
人の書いたモノ撮ったモノはあくまで入口に過ぎない。
直接行ってみれば今この時代でも
計り知れないもの 未知のもの 怒り 不安 熱狂
いろんな「鬼の素(もと)」に出会えるはずだ。

いろんなものに実際向き合うことで、
自分だけの鬼を生んだり飼ったりしてみてほしい。

勿論ブログを楽しく読んでくれる方が
ちょっとずつだが だんだん増えているようで。
管理人としてはとっても嬉しい(/・ω・)/!
ただ、贅沢を言えば
読んだ人が読んで「へぇ、そうか」ってなるだけでなく
直接行きたくなるような記事が書けたらなお嬉しいな。
と思う29歳の誕生日でしたとさ。

*蛇足*

今回は鬼に関連して話したが
「鬼の付く祭・民俗芸能」しばりで全国を巡る!
とかも楽しいかも。いや、考えただけで楽しい。
たとえば鬼剣舞の他にも鬼太鼓、鬼来迎、
鬼怒川温泉鬼まつり、豊橋鬼祭、だだ堂の鬼走り。
鬼越蒼前神社のチャグチャグ馬コ↓もまたいきたい!
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やっぱりしばりがあると
なんかもう該当する祭りを見つけただけで嬉しくなって
見つけた=いくぞ! みたいな謎の熱量を感じますな。
※管理人は去年、河童しばりをやろうとして晩秋にバテました。
 お祭りは用法容量を守って正しくお楽しみください(笑)

 
今回は実際出かけてないので
薄っぺらな割に長くなってしまいましたが…
(しかも報道に対するモヤモヤみたいな不純物入り)
また一年色々なものに生で触れていきたいですね!
(*'ω'*)

八剱神社で考えごと。

ええ、当初はね。
上諏訪の八剱神社・甲立寺、
岡谷の御社宮司社・浜中島弁財天
の4つをまとめて1つの記事にしようと思ってました。

しかし、話がムダに長い管理人が
そんなコトができるはずもなかったのだ!
(ノД`)・゜・。
…というわけで諦めて、
八剱神社に付いてグルグル考えたことを話して
とりあえずソレで1記事として区切ることにした。

今回は、ほぼ全部妄想なので、
「時間が余って余って仕方がないから読んでやるよ」
という方のみドウゾ(´・ω・`)
八剱神社とは題名ばかりで神話の話しかしてません…。

*八剱神社の第一印象*

管理人は、森に囲まれて 古そうな鳥居があって
土地の神様とかがいる神社が好きである。
なので、正直今まで何度も諏訪には来ていたが
あまり「八剱神社に行こう!」と思ったことは無かった。

まず、祭神が八千矛神大国主の別名)
そして、日本武尊ヤマトタケル)・誉田別(ホンダワケ)。

八千矛神タケミナカタのお父さんだから居てもいいとして…
(許可できる立場かっΣ(´・ω・`)!)
ヤマトタケル・ホンダワケという名前を見るとどうしても
土着の神々の物語(しいては日本各地それぞれの文脈)が
中央集権的に「1つの筋書」に合わせて変形させられてしまう!
という謎の強迫観念が発動してしまう病気なのである。
(少しずつ治していかねばなるまい)

…いやしかし、今回ばかりは避けて通れないのだ。
なにせ 御渡の様子から今年を占う「御渡神事」は、
この「八剱神社」が執り行う特殊神事なのだから!
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コチラ八剱神社の宮司さんは、
手長神社の宮司さんと兼務なのだそうだ。
それはさておき前の記事でも書いたが、
諏訪湖にヒビが入れば何でも御神渡りというのではない。
なので実際 ただ境内で神事~みたいな感じでなく、
早朝から話し合いやヒビ観察の後「認定」が行われる。
しかも神事は氷 つまり凍った諏訪湖の水上で執り行う。

できればこの御渡神事自体も見たかったが、
まぁ用事があったのだから仕方あるまい。

*八剱ってなんだ?*
ところで、管理人がなんとなく前から違和感を感じているのが
この「八剱」という武神然とした名前。
諏訪にはあまりない感じの攻撃的な名前だな~。
一体、この「剣」とは何の剣のことなのか?

管理人が一番に気になっているのはヤマトタケル
彼が祀られていることから「剣=草薙剣」が1つ考えられる。
彼の代に関していえば「剣で草を払うことで野火の難を逃れる」
という使われ方をした草薙剣だが そもそも誰の剣だったか遡ると。

スサノオが 妻となるクシナダヒメを救うため
ヤマタノオロチを退治し切り刻んだ時のことである。
大蛇の尾から「都牟刈大刀(つむがりのたち)」が現れた。
これが後の「草薙剣」が最初に登場した場面だ。

クシナダヒメは「串(奇)稲田姫」と表記されることが多い。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」の名は
ヤマタノオロチの上には常に雲が垂れこめていたことに由来する。

それを踏まえると(勝手な解釈だが)この場面は
土地神の娘と婚姻を結ぶ(土地の支配権を得る)ことを条件に
雨雲を頭上に頂く大蛇(激流)を退治(治水)した余所者が
居を構えクシナダと暮らす(稲作を生業とし定住する)物語
のように見えるのだ。(いつもどおり妄想だけど)

つまり、ココでの剣とは
荒ぶる自然界の水を 制御した力の象徴、みたいなトコか。
しかし、この場合「剣」は1本なので
八剣の「八」については説明が付かない感じになってしまう。

え?いや、そもそも剣の本数とか以前に、
今の話 諏訪に関係あった?
遠く出雲の話では…と、思うだろうか。

しかし、諏訪大明神タケミナカタさんは
出雲から追われ諏訪へ逃げ込んだのではないか。
その上、諏訪には手長・足長神社がある。
この二社の祭神は 現在 テナヅチアシナヅチ
何を隠そう、クシナダヒメの御両親である。
さらにいえば、その手長・足長神社の間に八剱神社は ある。

ほーら、だんだん関係あるように見えてきた…
(催眠術かΣ(´・ω・`))

しかも、スサノオタケミナカタ
天津神に逆らって追い出される
・辿り着いた土地の神と戦って勝利
・土地の女神さまをお嫁にもらって定住
と、類似点が多い。


*製鉄に首を突っ込む*

いやしかし、剣が治水の証だとしたら
スサノオ天叢雲剣に対応する
タケミナカタが手に入れた「水を治める力」の象徴は?

そんなことを考えていて ふと思い出したのが
御神渡りを見るために行った岬の地名である。
「赤砂」ですよ「赤砂」(/・ω・)/!
だから何だ と言われそうだが
どう考えても鉄分を多く含む砂のことではないか?
古くから製鉄が行われた土地で「赤」地名は、
その原料が取れる場所に付いたりすることがある。

タケミナカタが諏訪に入ると
先住神・モレヤは「鉄輪」を持って迎え討った。
つまりタケミナカタが来る以前から
諏訪湖周辺では製鉄をしていたというコトだ。

現在洩矢神社がある場所は
その赤砂から遠くもなく また天竜川が通っている。
砂鉄を採るにはもってこいの場所だった可能性はある。
川を挟んでの戦いは、川の利用権をめぐる争いだったのでは。
…という妄想がはかどる。

実際は現在も
洩矢神社が岡谷」「八剱神社が上諏訪」にある。
モレヤ神とタケミナカタの民は天竜川と上川で
支配権を分け合う形で和解(?)したのかもしれない。

モレヤたち先住の民族が行っていた製鉄技術では
祭祀用の鉄鐸(サナギ)くらいまでが限界だったが、
製鉄先進国・出雲から流入した民族が
武器に利用できる強度の高い鉄を作ったかもしれない。
※当たり前のように突然鉄鐸(サナギ)が登場したが、
 現在では詳細が分からない大社の「湛神事」や
 今も続く「御射山祭」で神器として登場するモノである。

いずれにせよ何が言いたいかというと
大蛇の剣を授かったスサノオに対し
川と湖の支配権を得たタケミナカタもまた
蛇の体(川)から剣(こっちの場合はリアル鉄剣)
を授かった可能性はあるという妄想である。

つまり、八剱とは特定の8本の剣のことではなく
八百万とか八千矛、八幡、ヤサカトメetcの「8」と同じ。
たくさんの剣(鉄)を産出した土地(or氏族)の神社!
と考えることもできるのでは?なんて話である。
惜しむらくは祭神にスサノオが含まれないことだが。

まぁ今回はあまりに妄想率高すぎたので、
裏を取りつつ修正したり宿題山積ですな。

次こそは、ちゃんと何社かまとめて書くぞー。
(/・ω・)/!

カミの通い路、御神渡り。

2018年、節分すぎに5年越しの御神渡りが出た!
と聞いてから幾日が経っただろうか。
今すぐにでも見に行かねば!という気持ちのまま、
土日に研修が入ったりなんだりという災難(?)に巻き込まれていた。

しかし!今週こそ行くぞ!
と思い立った週の中頃 長野に住む知人から連絡が。
「きみは御神渡りを見たか!」
そう頻繁に連絡を取るわけではない方から
このタイミングで こんな連絡が舞い込むなんて。
これはもう御神託と言ってしかるべきであろう!
(いや、神様じゃなくて知人からの連絡だけど)

朝に晩に昼休みに 諏訪の気温をチェック!
どうか私が会いに行くまで溶けないで…(ノД`)・゜。

そんな1週間を終え、金曜の仕事終わりでそのまま駅へ。
新幹線に乗り、長い 長い 篠ノ井線に揺られ…
この時間を利用して寝ようと考えていたのに
不思議なおじいちゃんに一時間以上話しかけられ続け…
とにかく着いたぞ!諏訪!
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ヨイサー(/・ω・)/!御柱の年でなくとも御柱推し炸裂!
そして、下諏訪には何回も来ているはずなんだけど
なんか今回衝撃を受けたのが
改札にあった「万治の石仏」のプチレプリカ。
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え…。こんなん前もありましたっけ?
とにかく、この日はさっさとネットカフェに赴き
早起きに備えて明日への英気を養うことに。
だってせっかく御神渡りというスペシャルな状態を見るなら
まずは超キレイな朝焼けタイムに見たいのだ!
(勿論、昼も夕方も見ます)

御神渡り
というわけで一夜明けて、諏訪湖に向かって出発。
諏訪に来るたびに会っていたけど、冬に会うのは初めてだ!
とドキドキしながら歩いていくと…

ふぉおおおおお(* ゚Д゚)!
今日も諏訪湖が美しい!
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凍ってる!ホントに凍ってる!
しかも天気に恵まれて富士山まで見える!
そのまま諏訪湖沿いに歩き、勧めてもらった赤砂岬へ。
岬から左を見ると「高木」方面へ伸びる亀裂。
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右を見ると、亀裂は「小坂」のほうから伸びている…
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本当に、うねるような軌跡だ。
絶対コレ見た昔の人「お諏訪さまは大蛇に違ぇねえ」ってなったはず!

ココから見ただけでは、
「小坂のシタテルヒメ姉ちゃんが弟嫁に会いに行った軌跡では」
と思ってしまうような亀裂の走り方だが、
湖畔に張ってあった御神渡りマップを見るとその全貌が分かった。
(分かりやすいように文字を加えさせていただきました)
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下座は「くだりまし」と読み、神様が湖に入った場所。
反対に上座は「アガリマシ」と読み、湖から上がった場所。

今いるのが赤砂なので、
一枚目の写真がアガリマシに向かう道。
二枚目のは、小坂から来たように見えたが
タケミナカタさんは小坂方面で諏訪湖に入ったのでなく
「すわっこランド」のあたりから諏訪湖に入り
お姉さんの居る小坂(小坂鎮守神社)方面にふらっと寄って
赤砂岬をかすめて下社のヤサカトメに逢いに行った…。
みたいな形の御神渡りである。

ちなみに「一之御神渡り」というのがメイン的な感じで、
初めに現れた南北方向に延びる亀裂のこと。
諏訪湖の下のほうに青線で示された「二之御神渡り」というのは
一之御神渡りと同じ方向(南北)に走る亀裂のこと。
古くは「かさねての御渡」とも呼ばれたそうだ。

今回は一之御神渡りがV字のような形なので
同じ方向に走っているかはわかりづらかったかもしれない。
結構短く、しかも上川が流れ込んでいるので
管理人が見に行った週には 既に溶けてしまっていたが…。
年によっては一之御神渡りと同じくらいの距離割れたり
綺麗に南北方向の亀裂が2つ入ることもあるようだ。

御神渡りをめぐるカミサマたちの話*

ちなみにアガリマシの近くにペロッと出ているのが
「佐久之御神渡り」。
定義としては「一、二之御神渡りに交差するもの」だとか。
つまり東西方向に延びる第三の(?)御神渡りである。
佐久市にある新海三社神社のオキハギ(タケミナカタJr.)が
湖上を歩む父に会いに来た跡とも
小坂鎮守神社に居る姉に会いに行く跡とも言う。

ただし、日本神話で語られる系図を考えれば
小坂鎮守神社に居るシタテルヒメ
地祇・オオクニヌシと 水神・タギリヒメの子。
そのオオクニヌシ諏訪大明神タケミナカタの父でもある。
(めちゃくちゃモテるから奥さん何人もいる)
なので、新海三社から「姉に」会いに来るとすれば
オキハギとともに祀られているタケミナカタではないか。

オキハギが伯母・シタテルヒメの弟となるには、
タケミナカタはタギリヒメ(つまり異母姉妹の母)を妻に
ということにならないと成り立たない。
オキハギはヤサカトメとタケミナカタの子だというし、
タケミナカタと荒船の貫先神の子 説もあるが(; ・`д・´))
いくつかの伝承が混ざっていつの間にかそう伝わったと思いたい。

しかし、管理人は誰が誰の姉とか子とか細かいことより、
「昔の諏訪に住む人々は この夫婦神から
 養蚕や稲作など多くを学び共に暮らした時期が長く
 タケミナカタとヤサカトメ双方のことがとても好きだった。
 喧嘩して別居した二人をいたく心配していたが、
 御神渡りを見て(夏も通っていたが、御渡ができて村人にバレた)
 タケミナカタが別居後も下諏訪へ通い続けていたことを知り
 みんな 安心したし嬉しかった」
という話が好きだ。

美しいヤサカトメのことが大好きで 喧嘩したのは後悔してて、
でも通ってるのが人間にバレると恥ずかしいから…と
夜に舟を出して諏訪湖をコッソリ渡る姿。
「いつも威厳と生きる知恵を与えて神様らしくしていなきゃ!」
みたいな「神様の見栄」を張ってしまう可愛らしささえ感じる。
もう完全に妄想だが、
様々な知恵を与え 既に村人に慕われているのに
「バレたら村人に笑われちゃうんじゃないか…」という自信の無さ。
九州方面から逃げ伸びて新しい土地に住むと決めた神様の
「まだ完全なホームとは思えない」というような心細ささえ垣間見える。
なんだか余計、お諏訪さまが好きになれる民話である。

かなり様々な話が伝わっていて、
話によっては家を飛び出したヤサカトメから
諏訪湖の上が歩ける時だけ来ていいわよ」
「来てもいいけど一年に一回だけよ」
みたいな条件が出されるパターンもあるらしい。
ともあれ今年もタケミナカタさんのヤサカトメ愛は
バッキバキに絶好調である( *´艸`)
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それにしても
別居されるほどの喧嘩をする「些細な事」っていったい何なんだ。
浮気か?秩父の妙見ちゃんか、荒船の貫先ちゃんのことなのか?
(どちらも養蚕や織物にまつわるカミサマなのが気になる)
ともあれ、朝の御神渡りを心行くまで観賞したので風呂へ向かう。
まだ朝の6時だが、本日目指すお風呂はなんと5:30からやっているのだ。

*下諏訪の温泉へ*

何を隠そう下諏訪は至る所お湯だらけ。
駅前にもホカホカしたモニュメントがある。
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そして下社の程近く。
実家が風呂工事中で2日入れていなかったので
水道水の銭湯でもありがたく戴けるような気持ちだが…
折角なのでコチラで。
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下社秋宮の近所にある、旦過(たんが)の湯!
仏教に詳しい方は旦過という単語をご存知なのだろうか?
(管理人は調べるまで全く知らず…)

禅宗の修行僧のことを「雲水」というが、
自分の実家などの寺を出て修行用の寺に赴いた雲水さんは
初めに庭詰というものを行うとされる。
「玄関先で入門を乞うが断られ続け それでも乞い続ける」
というものだそうで数日間玄関先に居ることになるとか。
この時に寝泊まりに使う部屋が旦過寮だそうだ。

庭詰が終わると課されるのが旦過詰。
庭詰のときに泊まった小さな 満足な灯りもない部屋の中で
寝食以外はひたすら坐禅を組み続けるらしい!
コレをクリアしたら、そこで初めて入門が認められる。

旦過寮は永平寺総持寺のモノが有名らしいのだが、
長野もかなり仏教色も濃い土地である。
まぁ言わずもがな信州で一番有名な寺は善光寺だろうが、
この下諏訪にある有名な寺といえば「慈雲寺」。
下社春宮の鬼門を守るために、大祝・金刺氏が建てたお寺。
(勿論、開山したのは金刺さんではない。建長寺の住職さんだ)
このお寺は曹洞宗 つまり禅宗の寺で、
その雲水さんのために開かれた旦過寮が旦過の湯のモトだとか。
現在は建物もキレイで温泉ホカホカ~♪な感じだが、
実際に寮だった頃は やはり厳しかったのだろうか…。
ちなみに諏訪周辺には武田信玄公関連の温泉が山ほどあるが、
慈雲寺・旦過の湯ともに信玄公の庇護厚く、
特に温泉は「切り傷にも効く!」と武士たちも訪れたとか。
現在は脱衣所や浴場は地元のおばあちゃんだらけ。
「おはよー」「おつかれさまー」「お先ー」と挨拶を交わして
なんだか部活の朝練に来た女子高生の部室みたいだな。
とちょっと楽しくなった。

公衆浴場としてはお安く、
大人 230円と(首都圏の銭湯に比べて)かなり良心的。

そして、驚くべきは その泉温。まさかの58℃だという。
もちろん湯船の湯は水でうめてあるが、
それでも44℃と46℃の2択。あ、あついΣ( ゚Д゚)!
寒い中歩いて目は覚めていたつもりだが、
さらにもう一段階 目が覚めそうなパンチのある熱さだった。

数分後に入ってきた 地元のおばあちゃんが
「あらぁ、若い人には熱いでしょ。露天の方がぬるいよ」
と教えてくれたが、その頃には体は温まりきっていた。
(もう少し早く来てほしかった…)

後で調べて知ったのだが、
この旦過の湯 下諏訪一熱い湯なのだそうだ。
地元のおばあちゃんたちは平気で46℃に入ってはいるが、
お湯に触れていた部分だけクッキリと赤くなっていた。
いくら切り傷に効くとはいえ、傷がある状態で入ったら
目が覚めるどころではない激痛なのでは…。
まぁともあれ久々のお風呂な上 急速に体が温まり、
清潔感とか体温とか いろんなものが回復。
身も心もスッキリした状態で神社へ向かうことができる!

もう長くなってしまったので、
この後に行った神社はまた次回の記事で順次…!
↑さばくのが間に合っていない(´・ω・`)

*おまけ*
この後に行った上諏訪も、
間欠泉が見られるところや宿など温泉関連の施設が多い。
そして、上諏訪駅はなんとホームに足湯が!
入浴を終えて上諏訪に着いたのが8時だったのだが
残念ながら足湯は9時(いや、10時だったか?)からだそうで入ってみられなかった。
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