とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

シシが集まる立石寺。

もう1ヶ月以上たってしまったが、
岩手県北上市で8/4に「みちのく芸能まつり」を見た翌日、
8/5に山形県山形市にある宝珠山立石寺(りっしゃくじ)さんに行ってきた。
(山寺、といったほうが分かりやすいという方が多いらしい)
ここは清和天皇の勅願により、860年に慈覚大師が開いた天台宗の山。

山寺といっても1つの堂宇を指しているわけではなく、
その山一帯が山寺と呼ばれているという。
今回行ったのは、登山口側から上ってすぐにある「根本中堂」。
ブナで作られた建物としては国内最古ともいわれている。
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堂内には「不滅の法灯」が灯っている。
え?それって何?という方もいると思うが、
まずはじめに最澄さんが比叡山延暦寺の根本中堂において
「後世まで 仏法を照らし伝え続けてくれるように」
との願いを込めて灯したと言われている。

それが同じく天台宗の寺院である立石寺にも分灯されたわけだが、
なんと 大本である延暦寺の法灯が消えてしまったことがある。
皆さんご存知、織田信長の“延暦寺焼き討ち”である。
幸い、この立石寺に分灯してあったため
比叡山の灯は立石寺からの分灯で復活したという。
ちなみに、立石寺も一度 仙台伊達氏の肩を持ったために
仙台藩に対抗する氏族に攻められ灯が消えてしまったらしい。

根本中堂から向かって左のほうへ行くと、日枝神社がある。
この山寺の鎮守社となっているようだ。
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あれ?神社はサラッとだね?めずらしい。
と言われそうだが、今回は「磐司祭」を見に来たのだ。
磐司とは、山寺ができる以前にこの土地で権力を持っていた
マタギ・磐司磐三郎のことである。

慈覚大師が
「仏様の教えはこうでね、それで、殺生はやめてほしいのです」
というような話をしつつ、この山一帯を譲ってほしいと話した。
これに感じ入った磐司磐三郎は、殺生をやめ山を譲るばかりか
自らも出家し開山を助けたとも言われている。
なんという説得力。慈覚大師、カリスマ営業マンではないか。

まぁそんなことで、マタギの頭領が猟をやめ
殺生もしないと誓ったことで救われたのは動物たちだ。
イノシシやシカたちが喜びと感謝で舞を舞ったのが
この磐司祭でシシ踊りが奉納される由来らしい。
現在では、二人の功績をたたえるとともに
山の霊たちを供養する祭りとして続いている。

*夜行念仏*

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これは磐司祭の中で行われた奉納なので昼間だが、
本来は磐司祭の前夜に行われているもの。
夜行念仏講の講員さんが鉦を鳴らしながら
夕暮れから夜にかけて山中の各所(御堂や祠)で
回向文(えこうぶん)または回向念仏を唱えて回る。
夜までに目指すのは「奥の院」。
そこには、亡くなった方の写真や髪
そして「ムカサリ絵馬」などが置かれているという。
ムカサリ絵馬とは山形周辺に残る習俗で、
とくに夭折した者の死後の幸福を祈り供養するため
架空の結婚式や入学式など
「生きていたら迎えるはずだった祝い事」
を描いた絵馬である。

1960年代、ビートルズが大ブームだった頃までは
奥の院の手前にあるにある華厳堂や中性堂には
身内を亡くした参詣者(オツヤ-キャク)たちが詰め、
普段は存分には語れない故人との思い出や悲しみを
残された者同士で語り合いながら
夜行念仏が回ってくるのを待ったと言われている。
当時の様子が比較的細かに記されているのがコチラ。

この本によると、
オツヤキャクのもとに講中が到着すると
遺族たちも一緒に御詠歌を詠じたという。
これが済むと、オツヤキャクは講中の金剛杖から
垂(シデ)をちぎって御守りとしたという。
この角材のような杖が「金剛杖」。
そこから下がっている紙が「垂(シデ)」。
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講中は、経文が書かれた帷子をつけている。
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…ッと思ってみていたら肩にトンボが!
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山形のトンボは懐っこいのか、

後で会った知り合いの腕にも長時間とまっていた…。

長瀞猪子踊り*

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夜行念仏が終わり、シシの一番手として登場したのは
東根市長瀞(ながとろ)地区に伝わる長瀞猪子踊り。
春先に地元の日枝神社で踊りを奉納するため
新聞では「春を告げるシシ」などと紹介されることもある。
慈覚大師が東根周辺を歩いた際に
「この一帯は泥だからば拓けば肥沃な土地が現れるだろう」
ということで碁点山を切り開き、長瀞地区を開墾。
長瀞猪子踊自体は先祖供養や五穀豊穣を願う芸能だが、
山寺に関しては長瀞地区を開墾してくれた慈覚大師への
感謝のために奉納されるようになったという。

猪子踊という名前の通り、
イノシシをかたどったカシラをつけて踊る。
カシラの額には「南無阿弥陀仏」と書かれたお札が。
現在はわからないが、
かつては山寺への奉納の日 立石寺の世話役たちが
天童のあたりまで迎えを出したという。
そうしてそこから道踊りが始まり
山寺までの道では家々が香を焚き
道を清めて迎えたという。
なんと素敵な光景だろうか(*'ω'*)!

こちらは花笠+女装姿の「ササラ」。
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岩手のシシ踊りに馴染みがある方にしてみれば
ササラ=背中に付いてる長い棒
というイメージだと思うが、こちらのササラは棒ササラ。
竹などで作った楽器である。
顔を隠し、直立したまま棒ササラで拍子をとる姿は
なんだか見ていて不思議な気分になった。
埼玉の三匹獅子舞に登場する「花笠」と似た感じがする。

そしてシシと共に踊るのは「かねぶち(鉦打ち)」。
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岩手の幕踊り系で言う「たねふくべ」のような感じだろうか。
見たところ結構高齢とお見受けするが、
シシとともにこの躍動感!ほぼ残像!↓
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かなり短めのバチや小さ目の太鼓など
群馬の三匹獅子舞に似た感じもあり親近感…。
ちなみに、この激しいのは
山中ではぐれた雄雌のシシが
無事再開を果たし喜びの舞を舞うという場面。

*土橋獅子踊り*
さて、次に登場したのは土橋地区に伝わる土橋獅子踊り。
一説には、土橋地区の住人が福井県永平寺から
獅子踊りの免許皆伝を受けて当地に伝わったとか。

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何と言っても特徴的なのはそのカシラ!
額には太陽や月、金色の御幣束が付いている。
頭には、ヤマドリの羽。歯が大きめで顔は長細い。
何というか、個人的には龍のような印象を受けた。
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先程の長瀞猪子踊りに比べ、かなり背が高い。
7頭で広い会場がいっぱいに!

ちなみに、これら山寺に関わるシシたちは
みんな背中に斧を付けている。
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これは山寺から頂いたモノといわれている。
地区によって色々な名前で呼ばれているとも聞いたが
通行人の会話の聞きかじりなので詳細は分からなかった…。
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カメラ目線いただきましたー(/・ω・)/!
(いや、ちょうどこっち向きそうな場所に構えてただけだけど)
ちなみに、地方(じかた)の人たちはこんな感じの装束。
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*沢渡獅子舞(さわたりししまい)*

いや、もうね。何といっても
このレトロかわいいフォント、好き(*'ω'*)!
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そして現れたのは、カラフルな3匹のシシたち。
いや、太鼓 小ぃさッ!でんでん太鼓くらいしかない!
しかも鞨鼓じゃなくて上向きについてるの斬新!
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顔はどうやら、長瀞と同じくイノシシ風。
カシラから下がった前幕は、顔を覆う程度の大きさ。

そして、この団体にもササラが。
今度はなんと、四方に鳥居まで付いとるー!
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どの団体もササラは女装、というのは
どんな由来があってのことなんだろうか。
ちなみに、こちら↓が「棒ササラ」。
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粗い茶筅のように加工した竹の突起のあいだに、
両脇をギザギザにカットしたヘラ状の竹を差し込み
ギロのような音が出る楽器(説明下手だな…)。

獅子よりも太鼓が前というフォーメーション。
コミカルな動きの獅子とは対照的に 太鼓は威勢がいい。
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基本的にしゃがんだ姿勢が多い。
四本足で動くなど、動作的には一番リアルに近いシシかも?

この「シャキーン!」みたいな動きがカワイイ。
そして、こちらの団体も腰には山寺から頂いた斧。
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入退場の際の先導役・天狗も大きな斧を持っていた。
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*高擶聖霊(たかだま しょうりょう)菩提獅子踊*

さきほどの土橋獅子踊りの流れを汲むシシ。
永平寺→土橋地区→高擶地区と踊りが伝わったという。
途中 何度か途絶えたが、
平成10年に「獅子踊り会」ができて復活を遂げたとか。

聖霊菩提」という名前からは
まさに霊を弔うための踊りだというコトが分かる。
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土橋から伝わったというだけあって、
背の高さやカシラの形には近いものがある。
目は少しハッキリして大きめ。歯は短め。
シシの額には「南無阿弥陀仏」と書かれた札。

演目は、管理人の好きな「かかす」!
(/・ω・)/♪

様々な地域のシシおどりに
「かかす(かかし)」という演目はあるけれど、
管理人が見たものはこんなような筋書きが多かった。
“ 畑に立つ案山子(かかし)を発見したシカが
 「なんだこいつ?人か?ちがうのか?」
 と、おっかなびっくり集まってきて警戒するが
   生き物ではないとわかり案山子の周りで遊ぶ ”
とても動物らしくカワイイ一場面である。

しかし、高擶のシシはちょっと違う。
この「かかす(藁人形)」は悪いモノの集まり。
それを祓う かかすバスターズなシシたちなのである!
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さて、かかす↑が立っている。
「悪いことしちゃうぞ~。悪霊だぞー!」
そこへ前幕をバッサバサ振りながらシシが登場。
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マタドールみたいでカッコイイな(*'ω'*)!
という謎の感想を抱きつつ幕の下を見ていると、
意外と近代的な装束であることが分かる。
袴も短くて(特に前に立ってる方)動きやすそう!

そして、三匹の獅子が かかすを攻撃!
しかし、一回では倒さない。
解説によると回数で振りが決まっているわけではなく
リーダー格のシシが指示を出して倒すので
いつ倒すかは その人にしか分からないらしい。
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動きが一番動物っぽかったのは沢渡だけれど、
この高擶のシシが鳴くのも管理人は好き。
ザッと振り返ったり、攻撃するときに
「ウオッ」「グオ!」と鳴き声が聞こえる。

金津流の鹿子躍りでも、
仲立が鋭く息を吐くような「シュゥーッ」という音を出す。
なんかこういうの動物み感じるから好きだなぁ。
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ちなみに、こちらも肩の後ろに斧。

*唐楽招旭踊(からおぎ あさひおどり)*

さて、ついに最後の団体となる高瀬地区のシシたち。
何だか名前が華やかですな。装束も可愛い。
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カシラの輪郭は土橋や高擶にも似ているけれど、
目の周りの金のモシャモシャした感じの縁取りが
どことなく香港のライオンダンスの獅子みたい。
なんか、シースルーの前幕すごく前が見やすそう!

こちらも慈覚大師と磐司の伝説を起源とする踊りで、
2人への感謝をカモシカが踊った様子を真似たという。
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御幣束が目立つが、ちゃんと斧も持っている。
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「いただきました~」という顔(*´ω`*)
プルプルと首を振る動作が多い。

会場にいた先生によると、
日本にいない動物をモデルにした
外来の芸能・獅子舞が全国に広まっているのに対し
シシおどりは(名前は似ているが)東日本にしか無い。
南限は静岡県掛川、北限は北海道だという。
その中でも東北は鎮魂や供養のため躍られる。
対して関東は3匹が多く、雨乞いや厄払いのため踊る。
というのが「シシおどりの概要」。

まぁ宇和島とか例外はあるだろうし、
管理人は西日本に行く頻度が極端に少ないので
そうだとも違うとも言えないのだが…
姿や動きの似た系統があり、また逆に
近隣でもびっくりするほど違うシシが居て。
色々謎も多いシシたち。
今後もいろんなシシに出会えるといいな。
たまには西のほうにも行ってみたいな。

そんなことを思った磐司祭でした(/・ω・)/!
ちなみに、山寺せっかくいったから
山を一回りしようと思ったけれど、
偶然会った知り合いに蕎麦に誘われて食欲に負けました(笑)
また今度来たときは、ぜひ上のほうまで散策します!

燃やして 願って、吉田の火祭り。

まだ全然、立石寺の全国シシ踊りフェスティバルとか
書く記事溜まっているわけだが…。
いろいろ忘れないうちに、吉田の火祭りのメモ。

というわけで、8/26に山梨県富士吉田市へ行ってきた!
(/・ω・)/ワーイ!
吉田の火祭りといえば「日本三大奇祭」。
管理人は「奇祭」というと勝手に
危険さや 想像を凌駕するビジュアルを想定してしまう。
例えば、奇祭の王座に(私の中で)君臨する御柱祭
コレと比べると、吉田の火祭りは マイルドな印象がある。

日本にはもっと危険な祭りも
見た目がヤバい祭りもたくさんあるのだが、
なぜコレが「三大奇祭」なのか。そもそも奇祭って?


*行き当たりばったり火祭り*

色々と考えながら歩いていると、金鳥居に到着!
この辺りから松明や出店が増えて祭っぽくなってくる。
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地元の人が組み上げた櫓状の松明と、
企業や団体から奉納された大松明がある。
高さは まちまち。組む人の力量に懸っているみたい。
中には成人男性の背丈ほど高いもの↓も。
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実は寸前まで火祭りに行くかどうか決めておらず、
ほとんど下調べもしないまま来てしまった管理人。
そもそも吉田の火祭りって
たまにテレビで見るけど何の祭なの?と調べてみると
富士吉田市浅間神社諏訪神社の祭りだという。
今回偶然、長野から車に乗せてもらい吉田に来たので
「山梨にも、お諏訪さまが居るの!?」
と俄然テンションが上がる。

まぁ それは一旦置いといて、
浅間神社なので当然、富士山が関わっている祭である。
日程的には富士山の「お山じまい」の祭らしいが、
では町中に松明を灯し 何を願っているのか?
と考えていると、神社を出発した神輿が近づいてきた様子。
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いやぁ、やっぱり富士山 キレイな形してますな!
(*'ω'*)
その富士山を背景に、真榊が進んでくる。
それに続いて来た賽銭籠を見ると…
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「鎮火」という文字が見える。
しかし、こんな乾燥していない時期に鎮火祭?
と思っていると それに続く諏訪神社の神輿。
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そして!それに続く赤富士!
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え、これ神輿っていうのか?インパクトあるわー。
てゆうか何コレ。なぜ赤?やっぱり火?と思って調べてみる。

先程の御神輿らしい御神輿に乗っているのは
・お浅間さま3柱→コノハナサクヤ&ニニギ夫妻、オオヤマツミ
諏訪神社の2柱→タケミナカタ&ヤサカトメ夫妻

対して、赤い富士山(御影、お山さん)には
浅間大神の「荒魂」が乗っているらしい。
富士山の神様の荒々しく恐ろしい一面といえば
勿論、噴火のコトだろう。
そうか。町の火災ではなく噴火への鎮火祭なのね。

浅間神社主祭神・サクヤヒメさんも、
山の神・オオヤマツミを父に持ち
燃え盛る産屋の中で無事3柱の息子を出産した女神様。
お山の安全を願い、火を鎮めるにはうってつけの方だ。

 

*富士山と富士信仰

何となく火祭りの輪郭がボンヤリ見えてきたところで、
この富士山と、それを信仰する人たちについて少し考える。

今でこそ誰でも(体力と備えがあれば)登れる山だが、
かつては人が踏み入ってはならない「禁足地」だった。
現代人はやれ霊山だパワースポットだとバシバシ登るが
昔の山というのは富士山に限らず「神の領域」であり、
信仰の場には巫女的な特定の人間しか入れなかったと思われる。
山によっては裾野の森を「入らずの森」と呼んだ地域もあるとか。
さらに、普段は林業や狩猟のため人が入る山すら
「師走と睦月の12日は山の神が木を数える」
などと言って何人たりとも入れない日があったという。

それが少しずつ変わったのは、仏教伝来後と言われている。
山に入るという修行の方法(荒行)があったためだろうか。
そして、室町時代ごろにはついに一般人の登山が解禁。
※おそらく行楽目的ではない

しかし、解禁されたとて 地元から富士山へ→登り→帰る
という 人の脚で1週間以上かかるであろう行程には
体力のみならず経済的な問題も付いて回った。
しかも、かかる銭コは移動中の食費だけではない!
富士山を登るにあたり、寝具等々全て自分で持って行くことはできない。
そこで、荷物を持ってくれる人を雇う必要があった。
もともと家来や使用人がいる身分ある人なら良いが
時代が下り庶民が登るようになると
強力(ごうりき)という職の人に
荷物の一部を持ってもらい登ったのだ。
実物を見たことはないが、きっと
山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)さん的な感じだろう。

話が逸れたが…とにかくお金がかかるのである。
そこで、江戸の人たちは「富士講」という仕組みを確立。
地域や有志で団体を作り全員でお金を出し合って
代表者を富士山へ送り出すというシステムだ。
そうして一定期間に一度 この「富士詣」をする他、
普段は塚や祭壇をもうけ、それを信仰の拠り所とした。

一時は江戸幕府が禁制を敷くほど富士信仰が盛り上がり、
富士詣に来た一般人の世話をする「御師(おし)」が増加!
宿の提供のほか、様々な手続き、取り次ぎ、指導を行った。

ところが、明治時代になり国家神道的な圧力がかかったり
さらに 女人禁制の解禁、登山のレジャー化などが重なる。
そうして神秘性が薄れたという背景もあり富士信仰は衰退。
最盛期には86軒あった御師さんも現在は40軒となり、
実際に御師として活動している家は2軒しかないらしい。
浅間神社HPより)

しかし、今回の祭りでも 祭の法被を着た人とは別に
行衣に身を包んだお年寄りたちを見ることができた。
行を積む方たちが行衣に御朱印を集めるのは
なにも富士講に限ったことではないが、
場所とタイミングからし富士講員さんなのだろう。
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たくさんの朱印が付いた行衣、ステキだなぁ…
と その姿を見送り神社に向かって歩く管理人でしたとさ。

*5柱の渡御*
さて、富士信仰から祭の話に戻るが
さきほどの神輿と御影は どんな動きをするのかというと。

まず浅間神社から諏訪神社へ浅間さまが遷される。
多くの神社の遷座祭のように絹垣に遮られての移動は、
威勢のいい神輿渡御と対照的に神事然としている。
その後、神社から神輿に相乗りになったカミサマたちが出発。
そして神社から富士山駅方面へ参道を下り
鳥居と神社の中ほどにある「御旅所」へ向かう。
(先程の神輿・御影の写真はこの時に撮ったモノ)

この間、御影は決して神輿を追い越すことは無いらしい。
噴火という自然の猛威を神の「荒魂」と崇めつつも、
それが人を守る神々の「和魂」を超えることは無い!
という噴火抑止への願いが垣間見える。

ちなみに、小さな祭に行くことが多いせいか
御旅所というと「石の台と屋根だけ」的な
神事の間に神輿を置いておく小屋…
というようなイメージがあったのだが、
予想に反して この豪華さである↓
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神紋は、コノハナサクヤヒメらしい桜。
神輿が2台並んで入るとあって豪華な御旅所である。
写真を撮った時は神輿到着前だったが、
既に待ち構える人で御旅所はごった返していた。
そして、こちらに神輿が到着すると
間も無く「迎え神楽」として富士太々神楽が舞われる。

いつもならいつまでしつこく見ているが、
同伴者が居たので、今回神楽はちょっとだけ。
見られたのは「綿津見の舞」。
神輿への参拝の列に並んでいると、
ちょうど奥の扉から舞手の人が出てきた。
参拝客に交じって、神輿に一礼。御影に一礼。
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舞の奉納自体は、御旅所横の舞台で行われる。
御神輿の真ん前でやる、とかじゃないのがチョット意外。
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こうして歓迎されながら、カミサマたちはこちらで一泊。
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そして、神輿が通り過ぎた街中では
ものすごい勢いで大松明を燃やす準備が始まる。
道の端に準備してあった土を
スコップやネコ車を手に どんどん道路中央の枠の中へ!
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この上に大松明を置き、
金鳥居から浅間神社に向かって順次火をつけていく。
このメインの通りはもちろんのこと、
ここから外れた細い路地でも
各家の前に組まれた松明に火を灯す。

そして、実は街中が明るすぎて見えづらいのだが
富士山にある多くの山小屋でも同様に松明を燃やす。
祭の最中に富士山がよく見える暗めの場所へ行くと、
その山頂へ細々と続く光の道を見ることができると思う。
(山開きの日などにも光の道が見えるが、
 これは御来光を拝もうとする登山者の
ヘッドライトの列)

今回は1日目しか見られなかったのだけれど、
御旅所に一泊した神輿は2日目に氏子地域を練り歩き、
夜に神社境内へと戻っていく。
境内へ戻った神輿は高天原とよばれる広場
浅間神社拝殿前の神楽殿諏訪神社の間あたり)
を奇数回グルグルと練り歩き、
それに氏子や参拝者が続く様子は圧巻だという。
この時に参拝者が無病息災や安産を願って
すすきで作った玉串を持つことから
特に2日目を「すすき祭り」と呼ぶのだとか。

*北口本宮富士浅間神社

さて、祭の流れを把握したところで
神社から下ってきた神輿と それを追う人の群れに逆流。
松明に火が灯るまでの間で神社に向かうとする。
進んでいくと、急に町がプツッと終わり
道のむこうに急に鎮守の森が広がるような印象。
鳥居をくぐると木々に遮られて急に暗くなり、
今時珍しくロウソクが灯された燈籠が並んでいる。
暗い参道に 火が灯って神社へと続いていく様は幻想的だった。

町はまだ明るいが、鬱蒼とした鎮守の森に囲まれ
境内は日の入り後のように暗かった。
ので、ここからは夜撮カメラアプリでの写真となります!
画像の粗さや手振れは どうか御見逃しくだせぇ
(;´・ω・)
まず、こちらが浅間神社。参拝者で賑わっている。
こちらから見て、拝殿のむこうに富士山がある。
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拝殿に上がってみると、奥にはピッカピカの本殿が!
今日は長野のほうから来ました、と挨拶。
そして上を見上げると、大きな天狗面が2つ飾ってあった。

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烏天狗と大天狗なのだろう。
「大天狗のほうが格上」「迦楼羅天のような顔」
というイメージの烏天狗だけれど、
なんかここのは烏天狗も鼻が長くて鷲鼻に近いくちばし。
烏天狗のほうが貫禄あるような…。

そして、大天狗といえば
口を真一文字に結んでいる絵が多いが
ココのは口が開いている!
烏天狗と大天狗で阿吽になっているようだ、

さて、富士講の発展に寄与した御師
山岳で修行を行う行者さんたち。
なので富士山で天狗と言われても不自然ではない。
しかし、ためしに「浅間神社 天狗」で検索検索ぅ!
(*゚▽゚)ノ
すると、意外にもヒットせず。
出てくるのは今回の北口本宮か小御嶽神社ばかり。

ちなみに急に出てきた「小御嶽」とは、富士山の前身。
この小御嶽を土台に噴火と堆積を繰り返し
小御嶽を覆うように山は高くなって現在の標高になったらしい。
そして、いまは山梨側の富士山5合目に
小御嶽の頂上部分が少しだけ出ている状態だそうだ。
その付近は「天狗の庭」と呼ばれ、
そこにある小御嶽神社にも天狗面が飾られているという。
祭神はコノハナサクヤヒメの姉・イワナガヒメ

富士山土産で天狗とかあまり無いので、
富士山全体としては天狗推しではないようだが…
御師町として栄えた富士吉田では
小御嶽の天狗信仰も富士山と併せて大切にされていたようだ。

ちなみに、拝殿の横をぐるっと回って
ずらっと並んだ境内社たちを通り越すと西宮が現れる。
西宮は重要文化財にも指定されていて、
アマテラスさんやトヨウケさん、金毘羅さんが居る御宮。
その横にさらに通路は続いていく。
その通路と西宮の間に 小ぢんまりと建っているのが
「小御嶽遥拝所」である。
あまり目立たない場所ではあるが
小御嶽が重要な場として扱われたことがコトが分かる。
さらにその通路の奥へと鎮守の森の中を進んでいくと
小高い丘に鳥居と小さな祠がある「大塚丘」に着く。

ここは北口本宮浅間神社の「モト」ともいえる場所。
なんでも、ヤマトタケルが 当地を訪れた際に
富士山に向かって祈願した場所だという。

さっきから喋ってばかりで写真がないぞ!
位置関係とか様子が分かりづらいぞ!
と言われそうだが、
もはや暗すぎて写真撮れませんでしたm(_ _)m

ちなみに、この大塚丘からはさらに奥へと道が続き
そのまま富士山の登山口となっている。

さて、まっくらけで怖いので 早く戻ろ(´・ω・)
先程の小御嶽遥拝所や西宮まで戻ると、
通路があって浅間神社の裏が通れるようになっている。
神社の構造によっては裏から本殿が全部見えたりするが
ココは厳重に壁がありそうはいかないようだ。
なーんだ。と思っていると…
ま、まさかの、本殿裏の壁に恵比須&大黒コンビが祀られている!
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なんじゃこれは。コノハナサクヤヒメとどんな関係が!?
大黒様はオオクニヌシ、恵比寿様はコトシロヌシと同一視される。
と考えてみるのはどうだろう。

アマテラスが地上も天津神によって統治しようとした時
地上を統治していたのがオオクニヌシだ。
アマテラスが派遣したタケミカヅチたちは地上に降臨し
オオクニヌシを訪ねて国譲りの交渉をする。
すると大国主は「俺の息子のコトシロが答えるよ」と。
なので釣りをしているコトシロヌシに訊いてみると
「承知した」と答えて舟を柴垣に変えて隠れてしまった。
(なんでやねん)

これで穏便に国譲りか、という時に異議を唱えたのが
もう一人の息子 諏訪神社主祭神タケミナカタだった。
結局は武力で対抗しようとしたタケミナカタ
彼より強いタケミカヅチに追われ諏訪に逃げ込むに至る。

そうして天津神に譲られた地上を治めたのが
コノハナサクヤヒメの夫・ニニギである。
こうしてみると全く無関係という訳でもないのか?
いや、でも実は単純に 富士講とか流行ったので
江戸の人に人気の大黒&恵比須【祀ってみた】的な?

ちなみに、この恵比須様たち
彩色が鮮やかで「新しいのかな」と思いきや
東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎の作品らしい。
見落としがちな場所にある恵比須社だが、
「投げた小銭が穴に入ると願いが叶う」
というアトラクション要素もあるので是非御参拝を。

さて、チラッとタケミナカタの話が出たが
この吉田の火祭りは浅間神社諏訪神社の祭り。
しかも、調べてみればココは モトは諏訪神社だという。
現在でこそ浅間神社境内社となっているが、
実は諏訪神社のほうが先にあり その境内に浅間大神を勧請。
富士信仰の興隆とともに勢力を増した浅間大社
もともとあった諏訪神社を飲み込むような形で発展したらしい。
現在、諏訪神社浅間神社の向かって右にあり
完全に浅間神社メインのような様相を呈している。

楼門のような拝殿に提灯が灯っている。
本殿は暗くて見えづらい。
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神紋は、長野で見慣れた諏訪梶や明神梶でなく
一枚の「梶の葉」となっている。
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冒頭で「なぜ松明を燃やすのか」と言ったが、
実はこれに関しては未だによく分かっていないらしい。
サクヤさんが燃え盛る産屋で無事出産したことに因む、
という説もあるが、管理人は もうひとつの説が好きだ。
それは、タケミナカタが諏訪へと敗走する途中のハナシ。
どうやらミナカタさんは諏訪へたどり着く前に
このあたりでミカヅチさんに追いつかれそうになったとか。
そのとき、吉田の住民たちが松明を持って
「神さん!たいへん逃げて、えれぇずら。ここで休んでけし!」
と(言ったかどうかわからないが)村人総出で出迎えたのである。
それを見た追手・タケミカヅチたちは援軍と勘違い。
「これはしばらく様子を見た方が…」と追跡の手を緩めた。
おかげで、吉田で数日の暇を得たタケミナカタ
無事諏訪まで逃げ伸びることができたというのである。

なんか、人と神様のフラットな関係というか
こういう逸話は好きだなぁ。

ちなみにタケミナカタさんは蛇神とされることも多いが、
神社→御旅所へと神輿が参道を下ると同時に
その参道と並行して流れる2本の川を蛇たちが下るので
渡御の前には川を清浄にしておかなければならない。
という言い伝えがあるのだとか。

今回はこのあたりまでしか調べられなかったけれど、
この話で行くとタケミナカタさんは
諏訪市よりもさきに富士吉田市を通ったわけで。
諏訪大社からの勧請かな?でも周りにはないけど何故?」
と思っていたが実は富士吉田のほうが先なのかも?

どうやら諏訪と富士吉田は方言や風習に類似点があったり
諏訪大社系の神事に似た名称を持つ祭事もある…
なんてハナシも聞いたので
だんだんと そのへんも掘り下げていきたいなぁ。
と思ったのでした。

そうこうしていると、
いつの間にか点火が進んでいたようで。
楼門手前の 最も本殿に近い松明に最後の点火!
最近管理人の形態のケータイはポンコツで、
ビデオに音が入らなかったりするので正確には文字に起こせないが
「ちゃんと火が付いたら拍手をお願いします」
みたいなことをもっと厳かな言葉づかいで言っていた。と、思う。
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暗くて提灯しか見えないが、
この火を付けているのは「世話人」さんという方たち。
火をつけるのが最も目立つ仕事かもしれないが、
実際は春先から松明の奉納者集めに奔走したり
祭の前などはお仕事も休んで世話人に徹するとか。

お諏訪さまの御膝元・諏訪の御柱祭りもそうだし
きっと日本中の祭りがそうだけれど
見る人にとってはたった数日の非日常でも
春咲く花が 冬より前から咲くための力を蓄えるように
地元の人は 観光客が知らないようなたくさんの準備を
かなりの時間をかけてやっているワケですな。

そうゆう地面の中で伸びる根のような努力あってこその
誰もが振り向くような大樹の祭。

でも、こんなに有名なのに
本当の由来や 元々の姿は謎も多い。
単に「やってることが変わってる」だけじゃなく
すぐには理解しきれない 踏み込んだら出られない
そんな沼のような所があってこその「奇祭」かな。
と思った旅でしたー。
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*おまけ*
御師さんのうちか分からないけれど、
家の横にたくさんの神棚がくっついてるみたいな
ちょっと変わった家を発見。こんなの初めて見た! 

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藩の境のオニとシシ。

御無沙汰しておりましたが、
岩手県北上市の「みちのく芸能まつり」に行ってきました!
(=゚ω゚)ノ♪

ちょうど涼しくなってきた夕方から
駅チカの大通りに居るだけで
県内はもちろん県外の民俗芸能もいくつか見れちゃう!
という観光客にやさしい祭りでもあるが…
実は、駅前だけじゃなく
いろんな場所でいろんなことをやっている。

土曜の朝、まず向かったのは「国見山」。
目的地は、北上展勝地から歩いて1時間ほどの如意輪寺さん。
(おそらく多くの方は歩いていかないと思うが)

道中ではカラスウリの花らしきものも見ることができた。
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朝にだけ咲き、すぐ萎びてしまう不思議な形の花。
見たくてもタイミングを逃してしまうことが多いが、
何だか今日は運が向いている気がしてきた( *´艸`)

そして道を進むと 傍らに大きめの鳥居が。
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階段を上ると草がワサワサの境内。
その草むらの中に、紅紋アゲハがいた。
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背中側はビロードのような黒でステキだが、
実は羽をたたむと羽の裏も体も
アカハライモリのように派手なヤツ!

蝶々はさておき、なかなか立派な拝殿である。
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手前は草が管理人の背丈ほどあるが、
拝殿の周りは さすがに短く刈り込まれている。
戸の両わきには剣。不動明王の剣だろうか。
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鳥居の額には「国見山神社」とあったが、
モトは「偵岡(ものみおか)神社」というらしい。

坂上田村麻呂が北へと攻めていった時
その拠点となったのが胆沢城(いさわじょう)。
その胆沢郡の北東の隅を「偵岡」と呼んだのだそうだ。
偵察の「偵」。見晴らしのよい 小高い「岡」。
その名前から何となく想像が付くかもしれないが、
偵岡は 敵の動きをいち早く察知できる場所のことだ。
勿論、護りの要所なので神様をお招きする。
そうして作られたのが、元祖・偵岡神社である。

そして、その偵岡神社の「遥拝所」として作られたのが
この国見山の偵岡神社だということらしい。

モトからあった極楽寺の僧侶が神社の別當となり、
神社では僧によって舞や祝詞が上げられていたという。

坂上田村麻呂が出てきた時点で
否応なく戦勝祈願色が強くなってくるが、
その祭神は農耕神であるウケモチとも稲荷神とも。

不思議な感じもするが、
地方地方で狩猟や雑穀の耕作が行われていた時代
大陸からやってきて全国へ広がった稲というものは
朝廷の「国の統一の象徴」だったのかもしれない…
と管理人は勝手に思っている。
だって、これだけ縦長の国土を持つ国だもの。
国内の気候の差はかなり激しいものである。
それなのにすべての地域で同じ作物を作ろうとする、
というのは ある意味不自然な感じがしないだろうか。

そんなことを考えながら神社を後にすると、
先程からたくさん立っていた看板に写真が付いている。
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「国見山神社登り口付近で撮影」

…おう。さっき 通ってしもうたやんけ!
こうゆうのは鳥居くぐる前に言ってもらわんとッ!
Σ(・ω・ノ)ノ!

まぁ今年は熊大量発生ですし。
鈴は持ってきてますけども。

そして、極楽寺を越えて辿り着いた「如意輪寺」さん。
朝の9時から、コチラで護摩法要が行われる。
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御堂の横には小さな小屋(?)があった。
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中を覗いて見ると、石仏が居る。
結構ユルイ感じで細かいところはよく分からないが、
手を見ると智拳印を結んでいるように見える。
大日如来なんだろうか。
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来月9月ごろになると、
住職さんが株分けで増やした曼珠沙華が見ごろとなり
それを見に来る観光客も多いというハナシ。
しかし、夏真っ盛りの8月も花が元気にしていた。
管理人のお気に入りはコチラ。
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この花の近くに、屋敷墓のような
草木に囲まれた墓石的なモノがあって。
そこのすぐそばにあった
舟の形に刈り込んだ植木が印象的だった。
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この如意輪寺がどういう寺院かと言うと、
山にポツンと寺があったのではなく
この国見山全体が巨大な敷地を持つ寺院だったらしい。
そのため、現在でも山中では広範囲にわたり
神社や御堂、塔etc…さまざまな遺構が散在する。

そもそもココは、あの征夷大将軍坂上田村麻呂
戦勝祈願のために毘沙門天を祀った山らしい。
いまでも北麓には「立花毘沙門堂」があるが、
この像は田村麻呂が奉納したモノだったりするのか…?

昔の国見山がどのような様子であったか、
それを描いた屏風が如意輪寺さんにあるらしい。
今回はあまり長居しなかったのだけれど
是非今度行ったら堂内もゆっくり観てみたい。

さて、ここで行われた護摩法要の火は
祭の各会場に分火される。
ココが祭りの始発と言ってもいいのかもしれない。

そんなわけで、次なる会場で火を待ち構えるため
再び盛岡駅へ速足で移動。
北上展勝地、いつも思うのだけど
もっと橋が多ければ駅まで近いのに…(´・ω・)
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朝から片道1時間強の道のりを往復し、
「さすがにちょっとウンザリしたわ」
と思っていたところで
芸能公演のリハに向かっていた知り合いに
偶然発見され車内から撮られる案件発生(笑)

しかし、なんだ。
こうやって群馬を離れ東北の地に来ても
偶然管理人の姿を発見して連絡して戴ける
というのはなんだかうれしいですな(*'ω'*)

*岩崎城址の合同供養*

さて、気を取り直して岩崎城址へ。
(と、サラッと言ったが最寄り駅から徒歩45分)
さっきより歩行時間は短いが気温が上がっていてツライ。
着いた頃には水を浴びたような汗をかいていた。

さあさあ。もう既に鬼だらけですよ!
各団体の大口ゴザ(腰に付けている四角いヤツ)が
後ろから見るとキレイなこと!壮観!
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岩手と鬼と おもうこと。」の中盤でも少し触れたが、
この鬼剣舞北上市奥州市周辺に伝わる芸能。
仏教や修験道要素の強い念仏踊り(念仏剣舞)の一種だが、
五大明王を表す迫力ある面から「鬼剣舞」の名が付いたという。

鬼剣舞を初めに踊ったのは、
修験道の僧とも役小角とも言われるわけだが。
それから時は経ち、
鬼剣舞は 北上の開祖・黒沢尻五郎に愛され
出陣や凱旋のたびに舞われたという。
さらに、ここ 岩崎城の主・岩崎弥十郎
主君を館に招き もてなしとして鬼剣舞を見せたとか。
その際、その見事な舞に感銘を受けた主君から紋を賜り
今も鬼剣舞の装束には「笹竜胆」があしらわれている。

現在、この岩崎城址には剣舞供養碑↓が建てられ
鬼剣舞にとって大切な場所の1つとなっているのだそうだ。
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そして、その剣舞供養碑と
広場を挟んで向かい合うように立つ「和賀忠親弔魂碑」。
武将である彼は 領地奪還のため花巻城を攻めるも
南部軍の反撃に圧され、この岩崎城に籠城。
落ち延びた先の国分尼寺で自害したとされる。
戦史としては悲劇的な印象のある彼だが、
仏教などの信仰を庇護することに力を入れ
彼の時代に多くの民俗芸能も花開いたと言われている。

弔魂碑前のロウソクに灯されたのが、
法輪寺さんの護摩から分火された火。
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火が灯ると、弔魂碑に囃子が奉納される。
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そして、いよいよ舞の奉納!
トップバッターは、地元・岩崎鬼剣舞
演目は「一人加護」。
この一人加護を舞えるのは、白面の舞手。
つまり、団体の中で最も上手い「一剣舞」だけ。
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ヒェー!カッコいい(*´Д`*)‼︎
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三番庭の狂いとか狐剣舞が好きだけれど
久々に見る一人加護、ステキだ(*´ω`*)

さて、ここまで徒歩で頑張って来たが
わたしは12時半までにさくらホールに行きたいのだ…
しかし、もはや到底間に合わない。
バス停まで歩いたところで、乗り合わせが悪すぎる。

こんな時は…テレレレッテテー♪
「乗せてもらう」ー!(ドラえもん風に)

そんなわけで、地元出身で歴史・旅行好き
とゆうおじいちゃんの車にお世話になった。
鬼剣舞見たの?あの岩崎城は、どうゆう場所かわかる?」
管理人が質問の意図を量りかねて静かにしていると
「あれはね、藩の境ちかくにある城だったわけ」と話は続く。
ココらへんは かつて南部藩仙台藩の境目だった。
ということは、度々争いの砦となる城というコトである。

そしてアイヌ語地名の話もしてくれた。
「岩崎城の横に夏油川ってのがあるでしょう」
そう。岩崎城は地形に恵まれ、
2つの川に守られた舌状地帯に建てられている。
その1つが夏油川。(川より温泉のほうが有名だろうか)
この夏油(げとう)という地名、
見るたびに「珍しい読み方だな」と思っていたが、
アイヌ語だから こんな無理な当て字になっているんだ」
とおじいちゃんが言っていた。

意味までは言っていなかったので帰ってから調べると、
「クッ(崖)」が「オ(ある)orトォ(険しい)」場所
というのがアイヌ語での意味らしい。
そして、アイヌ語地名なのはアイヌの人々が居たからで。
この辺りにも当たり前に住んでいたアイヌの人たちを
坂上田村麻呂が軍を進めては要塞を作り追い込んでしまった。
その要塞が、胆沢城であり志波城なわけで。
だからここはアイヌ民族とヤマト民族の境でもあったわけ。
と、そんな話だった。

勇ましい戦と。様々な死。
それが繰り返される藩の境・民族の境だからこそ、
鬼のように猛々しい明王たちが
念仏に乗せて舞う「鬼剣舞」が生まれたのかもなぁ。
なんて思いながらおじいちゃんの話を聞いていた。

*躍るササラ*

さて、面白い話を聞かせていただき
あっと言う間に さくらホールに到着!
公演にも余裕で間に合いました。車ってスゴイね!
(*'ω'*)
「躍るササラ 日高見の丘 シシオドリ大図鑑躍動の狂宴」!
コチラの公演では、シシたちが一堂に会し
涼しい部屋に座りながらにしてたくさんの団体が見られる。
逢いたかったシシに相見えつつ
熱中症予防の小休止までできるなんて…。贅沢!

様々な団体が登場するのですべて写真付きで紹介したいが、
とりあえず今回の記事では藩境つながりで
金津流野手崎獅子躍さん。
今回は「三光の儀」「礼庭」を見ることができた。
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遠すぎて画像が荒いが、
この舞台前方に立っている3本の御幣↑が「三光」。
つまり月、星、太陽を表しているという。
三光の儀は、そこに向かって
「これから躍らせていただきます」とゆう儀式。

続いて「礼庭」。
一番始まりの「さあ、みんな おどるぞ!」とゆう躍り。

〽昔より三式礼とは申せども
 一礼申して 立てや我がツレ 立てや我がツレ

〽南風 そよりそよりと吹くならば
 今年の稲穂は 八穂で八石 八穂で八石

未来の成功(大豊作)をあらかじめ祝って
現実となるよう願う「予祝」的な唄であるが。
さて、一体どれくらい豊作なのか。
1石は約180リットル。米俵1つは約72リットルらしい。
つまり「八穂で八石」は 1つの穂から
なんと俵2.5個分のコメが穫れる程のハイパー豊作!
すごいな。もはや豊作とかじゃなく品種改良の域。
Σ(・ω・ノ)ノ!

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金津流は、春日流や行山流と同じく太鼓踊り系。
頭の上には赤い華鬘結び。ながーいササラを付けている。
馬の尻尾で作られたザイはどことなく おどろおどろしい。

そんな共通点はありつつの、
ターコイズブルー(?)が目を引く春日流に対し
カシラや装束では赤が際立っているように見えたり。
中立のササラに黒い横線があったり。
パッと見ではそんな差があった。
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鳥居に向かっているシシたちを見ると、
華鬘結びの下 後頭部あたりに
四角いプレートの様な「金津次橋」の文字が見える。
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次橋は岩手でなく宮城県
現在の大崎市松山にあった次橋村のことだとか。
そこから犬飼さんという人によって江刺に伝授。
いまも複数の地域に金津流の踊りが受け継がれている。

躍るのを見て一番感じたのは
堅固さというか厳しさ?みたいな印象だった。
管理人は普段 屋外での奉納を見ることが多いので、
ホールでの音響がそうゆう印象になったのかもしれないが…
足さばきやカシラの振り方、重心など
素人ながらに どこがどうとは言えないのだが
なんだかバリアを張られているようなビリビリを感じた。
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司会の方からは、
これまた藩の境に近い奥州市江刺の芸能なので
「境を守る」という意味での重厚さや猛々しさ
なんてのもあるかもしれないですね。
というようなハナシもあったので、
あながち間違った印象でもなかったのか…?

この後は、幕踊り系の長野獅子踊り(岩手・遠野)。
子供たちの踊るカワイイ 子踊り、中太鼓、太刀振りを従え
ヤマドリの羽とかんながら(カンナで削った薄い木)を纏い、
種瓢(たねふくべ)とともにバッサバサ踊る!
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岩手の太鼓踊り系は だいたいシシのみが踊るけれど
幕踊り系は人とシシがともに踊ったり入れ替わりながら踊る。
というのが多い気がする。
ちなみに種瓢とは、夕顔の実(ふくべ)のうち
若いうちに干瓢(かんぴょう)にされず
翌年の種を取るために完熟するまで置いておくもののコト。
子孫繁栄や豊穣を連想させるアイテム。

続いて、お初にお目にかかる萩野鹿子踊り(山形・新庄)!
眼光鋭い他のシシとは全く違い、
ミステリアスな前髪に隠れて目が見つからない(あるのか?)
そして、シシの多くはキレイにそろった歯が見えているのだが
これは…顔が平べったすぎて歯もない!?
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知ってる物の中で一番近いのは河童かな…。
(現物は見たことないけど)
というこのカシラ、実はカモシカを模しているのだとか。
昔、カモシカを真似て踊ってみたら豊作になったので
それから踊られるようになったという。
岩手の太鼓踊り系のような大きな太鼓でなく
小さ目の鞨鼓(かっこ)をつけ脚絆を履いている所は
我らが群馬県の3匹獅子舞にちょっと似ていて親近感。
背中に「十日」という幟が見えているが、
後ろから見ると「十日雨」と書かれている。
そして、もう一方のシシは「五日風」の幟。
それが交互に来れば稲の実りが良いということらしい。

そして、最初に紹介した金津流野手崎獅子躍と同じく
岩手の太鼓踊り系である春日流八幡鹿踊(花巻)。
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水色(特にターコイズブルー)好きの管理人は
コチラの装束が大好きなので、
初めて芸人の春日(オー〇リー)を見た時
「こやつ…春日なのに水色じゃなくピンクだと…?」
という謎の感覚に襲われた(発想がおかしい)

いや、そんなことはさておき
今回見られたのは「二番庭」。
こちらも豊作を予祝する歌となっている。

〽白瀧の 水を引かせてかけたなら
  今年のお穀は八穂で八石
〽八穂で八石とるならば
  この御屋敷に 倉は七並み
〽七並みの倉の御子息は
  二階やぐらに昼寝して
   銭の枕に 金の手遊び

前の歌の最後を受けて
次の歌の初めの歌詞とする感じの歌。
「八穂で八石」は野手崎獅子躍と同じだが、
その結果 そこの息子が
おカネを枕に昼寝をして黄金で手遊びする
という様子まで歌われている。

ちなみに、昔 奈良で踊りを奉納した折に
春日大社から「春日」の名を賜ったことにより
春日流という名前になったそうだ。

後半の伊勢流なども見たかったが、
まだまだ外回り(?)でも見たいものがあったので
さくらホール公演は前半で退散。

始まりはシンプルに、
大切な人や生活に欠かせない獣たちへの眼差し。
でもそれが、人の願いをどんどん吸い上げ
地域ごとに少しずつ姿を変えていく。
たくさんのシシたちを一度に見て、
それをすごく感じるさくらホール公演だった。
(*'ω'*)

*おまけ*
詩歌の森公園で久々に見た「七頭舞」も
相変わらずステキでした(*´ω`*)
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キツネとヤギと冠稲荷。

たまには近場に…ということで、
群馬県太田市にある「冠稲荷神社」に行ってきた。

古墳時代から信仰の地であり
神社としては1125年、新田氏の始祖・源義国が創建。
源氏ゆかりの社だというコトで、
なんとあの源義経伏見稲荷を分霊を鎮祭したとか。
その際、神様を冠の中に勧請して連れてきたので
「冠稲荷」と呼ばれるようになったのだそうだ。
その後も、数々の武人の信仰厚く
幕府討伐に向かう新田義貞が祈願に訪れ金木犀を残したり
乃木希典将軍の石碑が残るなど当時の勢いが偲ばれる。

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大きな鳥居に 深い鎮守の森。
入口からしてかなり立派な面立ちであるが、
この神社のすごいところは神社そのものだけではない。

婚活から…
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恋愛・結婚が成就した暁には結婚式…
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さらに お子様が生まれたら
保育園やら 七五三のレンタル衣装・撮影まで…
手広くガッチリやっている感じの神社なのだ!

勿論、悪い意味で言っているわけではないですよ!
(/・ω・)/!

宗教法人とはいえ出ていくものは出ていくので、
よほどの観光地や有名神社でない限り
純粋な神社収入(?)のみでは限界がある。
神社が生き残れるかという問題には
いかに本業以外で収益を上げられるか?
という問題も付いて回るのだ…と、思う。
(知ったようなこと言ってすいません)

ちなみに、上の写真は甲鳥居だが
南鳥居の扁額に漆を塗ったのは
なんとタモリさんらしい(;゚Д゚)

さて、神社自体に話題を戻して
メインの鳥居(甲大鳥居)の横には、猿田毘古社。
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なんと、大幣が置いてあって
セルフでバサバサやる方式らしい。斬新!

そしてその横に「ペット社殿」というものがあるが、
ペットの神様(?)を祀ってあるのか
ペットのことを願う社なのか
ペットが参拝する社なのか…は、謎。
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コチラも鈴が置いてあり、
セルフでシャンシャンする方式。
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広い境内の中央にある木瓜(ぼけ)は県の天然記念物。
(何の下調べもしなかった所為で 開花には早すぎた…)
他にも新田義貞公が戦勝祈願に植栽した金木犀など、
普段はあまり神社で見かけないような
可愛らしい花の多い神社である。

境内には、どこが何社か分からなくなるくらい
色々な社がひしめき合っている。
その1つ・七福神社には巨大な絵馬が。
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縁起物として有名な松のほか、
よく見ると椿が彫られているのが分かる。
椿は縁結び・魔除けの力があるとされ
縁結び推しの冠稲荷らしいデザインだな~と思ったり。

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八坂神社と諏訪神社が並んでいる。
2人とも若かりし頃は喧嘩っ早かったことを考えると
うまくやっているのか心配になったりするが…。
2人とも愛妻家であることを考えると
意外と話が合うのかもしれない( *´艸`)
と妄想したり。

そして、こちらは厳島社。
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ちゃんと弁天様が住みやすいように(?)
周りは池のようになっていた。

中はこんな様子。
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広々としたお住まいである。
目が悪くてよく見えないのだが、座像のようだ。
神道系の宗像三女神というよりは
仏教系の弁財天(それも八臂弁財天)だろうか。

帰宅してから調べると、
頭上に宇賀神(おじいさんの顔をした蛇)を乗せた
宇賀弁財天だと書かれていた。
江ノ島の弁天様のような御姿なのだろう。
さらに、ここの像は両脇に毘沙門・大黒を従え
周りには童子がたくさん集まっているという
なんだか珍しい構図である。

やぁしかし、管理人が普段行っている
イイ感じに鄙びた田舎神社とは違いますなぁ!
とピカピカさに圧倒されていると…
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ひときわごうか な しゃでん があらわれた!
▷にげる
▶︎さんぱいする

拝殿はピッカピカだし、
彫刻はカラフルだし 建物大きいし。
ってゆうか、なんか鹿の頭飾ってあるじゃないか。
ここは諏訪大社前宮か。御頭祭なのか。(独り言です)
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はぁ、この豪華さ。さすがは日本七稲荷の1つ!

ちなみに、ほかの6社は というと
京都の伏見、愛知の豊川、大阪の信田。
北区の王子、湯島の妻恋、佐野の一瓶塚。
まだ妻恋稲荷と一瓶塚稲荷には行ってないなぁ。
「近いんだし いつでも行けるだろう」
と思っているうちに後回しになっている。

…そして、拝殿もカラフルだが
さらにスゴいのが 市重要文化財にもなっている本殿↓。
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説話の一場面が題材なんだろうか。
中国の仙人みたいな人たちがたくさん彫ってある。
そして、パッと見 四方の角には白い動物がいて
稲荷神社だけに白狐さんだろうと思ってしまうのだが…。
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じつは!ヤギさんも混ざっている(右)。
冠稲荷さんのブログによれば、
山羊は昔から日本人にとって
農作業や畜産など多方面でなじみ深い動物らしい。
そうかぁ。確かにヤギミルクは飲んだことある。
でも、耕作民文化圏のお祭とか見てると
踊りの中に馬や牛は出てきてもヤギいないよ…?
まさか群馬県太田市周辺に限って農耕ヤギ文化が?

冠稲荷さんのブログに書いてあったので、
間違いないと思うのだけど。ムズムズが残る。
「あのへんはヤギの踊りがあるがね!」
「うちは農業用にヤギ飼ってるんさ」
という方や、
他にヤギ関連(?)の稲荷神社をご存知の方
もし居たら情報をお恵みください…(´・ω・)

ヤギとキツネ、というと もう1つ。
乗物(ヴァーハナ)の白牛を日本人に認識されず
日本に入国した途端 白ヤギと一緒に描かれた
摩訶迦羅天ことマハーカーラ(シヴァ)さんと

ジャッカルと群れ死肉をむさぼっていたはずが
日本に入国したら急激に上品になり
いつの間にか狐にまたがる天女になっていた
荼枳尼天ことダーキニーさんを思い出す…。

が、ダーキニーはシヴァの力に威圧され
彼に服従した獰猛な女神たちである。
キツネさん(ダーキニー)メインの稲荷神社で
その征服者たるシヴァ(ヤギもとい白牛)
と一緒に彫刻されているとは考えづらい。

やはりインドでなく純粋に
日本の農耕文化の中での農耕神と家畜なのかなぁ。
(まだモヤモヤしている)

拝殿の奥に本殿、というのは普通の造りだが。
その本殿よりさらに後ろに
竹の生えた小さな丘のような場所があった。
本殿の真後ろなので何かあるのではと登ってみると、
石造りの祠が3つならんでいた。
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全てに白狐さんがいらっしゃるが、
それぞれが何社なのかは よく分からなかった。

その上、帰ってから本殿の御祭神を調べると
驚くほどの大所帯過ぎて3柱どころではなかった!

ウカノミタマ・ウケモチという稲コンビのほか

太田神というどう見ても地元っぽい神様、
スサノヲ・クシナダ夫婦
オオナムチ・スクナヒコの開拓コンビ、
品陀和気神・市杵島毘売神・菅原道眞天照大御神
大宮能売神・菊理日売神・大物主・健御名方・祓戸四神
果ては仏教圏の薬師菩薩明神まで。

なんと鮮やかな本殿には20柱もの神様が!
乗車率は通勤ラッシュの山手線並みである。

そして、拝殿まで戻ってみると
その横にはなんと…狐にまたがる稲荷大神
か、顔出しパネルが…!
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この発想にビックリやでぇ。
誰が記念撮影すんねん!
と思わず(内心)関西弁になりつつ、
日も暮れてきたので帰路へ着くべく戌亥鳥居へ。

途中には、陶器の白狐さまを納める「白狐社」。
見てみると、お稲荷スタジアム状態!
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かなり満席に近いですな。ワールドカップ決勝戦並み。
大小様々の白狐さんがひしめく光景はなかなかのもの。
奥行きのある下段に至っては、もはや兵馬俑の如し!
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普段は目には見えない人の願いというものの
膨大さ多様さを まざまざと見せられているような気分である。

神無月に出雲に集まる神々たちは
1年間自分に集められた願いを並べ、
どれを先に叶えるか会議するという話を聞いたが。
ここに居並ぶ白狐さんたちも
奉納した人の願いを提示し合い
この大会議室で話し合いをしているだろうか。
と考えると少し楽しい。
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絵馬と一緒だと安心するそうです(笑)
なんだか可愛らしいですな(*´ω`*)

ちなみに狐さんは蚕の天敵・ネズミを食べるので
稲作のみならず養蚕の守り神でもある。
実物は拝殿にでも仕舞われているのだと思うが、
駐車場にある「繭扁額」の写真を見ることができた。
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一つひとつの繭の下にある
木の札に何と書いてあるのかが気になる…。
地域ごとの生産者だろうか。
それとも繭の品種か何かだろうか。

是非実物を見られる機会があれば
文字が何と書いてあるか読んでみたいなぁ
(/・ω・)/!

ところで、管理人はひそかに
群馬って三匹獅子舞の宝庫だな~と思っている。
個々の知名度ではやはり東北の獅子舞に勝てないが、
県内かなり多くの地域で
未だに多数の地元獅子舞が受け継がれている!
という意味では群馬もなかなかなではないか…と。

そんな獅子舞の1つ「細谷冠稲荷の獅子舞」↓
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コチラは案内板にあった写真だが、
3月の初午大祭・7月の祇園祭に見ることができるそうだ。
現在まで伝わっている演目は 三匹獅子舞でよく見られる
「四方固め」「雌獅子隠し」など5演目。
是非見に行きたいなぁ(*'ω'*)

ちなみに、初午大祭は大々的にポスターも出て
獅子舞の時間もネットで調べれば大体わかる。
が、7月にやる祇園祭に関しては
あまりタイムテーブルがヒットしなかった。

問い合わせてみると、
祭の日は朝9:30ごろに神輿が神社を出発。
それと一緒に獅子舞は地区内を回り、
10:30から11:00前後に神社に帰ってきたら
最後に舞を神社に奉納するらしい。

その日のまわり具合によって
多少時間は前後するらしいのだが…。
今後の自分のための覚書の意味も込めてメモ。

今回はあまりの暑さと無計画さで
祇園祭に見られる獅子舞を見逃してしまったので…
次のチャンスは来年の初午だな。
という訳で、大してまとまってませんが今回はこの辺で。
(=゚ω゚)ノ

鹿と阿闍梨と早池峰神社。

さて、前回は
早池峰山の山開きで奉納された権現舞について少し書いてみた。
その際、岳神楽の本拠地・早池峰神社にも少し触れたかと思う。
大償神楽と岳神楽を合わせて早池峰神楽と呼ぶわけで、
出来れば3つの神社を見たいなぁと思ったのだが…。

早池峰神社と大償神社というのは そこそこ離れている。
そして、2つの神社へ神楽を伝えたとゆう田中神社は
大償よりさらに南東。こんな位置関係↓である。
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ちなみに、田中神社の「たなか」は
「真中(ただなか)」の転訛とも言われている。
何の真中かと言えば、「内川目集落の」真中 らしい。
今回は残念ながら田中神社には行けなかったので、
詳しい紹介は またの機会に(/・ω・)/

とりあえず、花巻側から早池峰山頂へ向かうと
峰南荘さんとゆうロッジがあるが
その少し手前に早池峰神社への鳥居が立っている。
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一ノ鳥居は木造。注連縄の房が 何と表現したら良いのか
ネコヤナギの雄花のような全体がポワポワとした小さな楕円形。
フリンジのような房とは様子が違う。
形式は、4つの稚児柱を持つ「両部鳥居」となっている。
「両部とは、胎蔵界金剛界のことである」説があり、
曼荼羅の話?仏教っぽいな。と思った方が御察しのとおり
神仏習合を表した形式とされている。

まぁ確かに、早池峰神社はかつて寺院メインだったらしい。
ただ 昔は今ほど「寺だ」「神社だ」と分けてなくて
結構神社にお坊さんがお勤めに来たりしていたというし。
両部鳥居がある=神仏習合の神社だった
つまりそれ以外の鳥居がある神社は生粋の神道神社?
と区切って考えてしまうと山ほど例外は出てきそうだ。

さて、鳥居を通り抜けて ふと参道右を見ると、
やたら巨大な剣が!Σ(° Д ° )デカッ!
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剣とゆうことは お不動様か⁉︎どこにいるんだ?
と周りを探すと、なんだか気持ちの良い沢が。
そして丸太でできた橋の向こうに…
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いた!お不動様が 激しい迦楼羅炎を纏って!
漂うラスボス感!しかし、正面からは顔が見えない。
ので、さらに近づいてみる。
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お顔がなんとも特徴的!
不動明王といえば童子形。とゆうイメージが強いだけに、
面長で頰骨が目立つタイプはインパクト大だなー。

そして、その周りに咲いていた
同じ茎からピンクと水色の花が咲いている不思議な花。
なんてゆう花だろう?調べても名前がわからない。
詳しい方 ご教示くださいm(._.)m
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さぁ、続いて 二の鳥居は石造。
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私の知ってる注連縄と何か様子が違う…と思ったら、
なんだか 綯ってあるのではなく
軸に繊維を巻きつけたような感じの縄だった。
ゴボウか何か、頑丈な根っこみたいだ。
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さらに少し進むと、たくさんの花が素朴に咲く草地。
奥に何やら供養塔的なものが。
後で調べたところによると、歴代住職の墓所らしい。
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そしてついに第三の鳥居が登場。
注連縄の房が一つ取れているが、立派な木造の鳥居である。
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ここも、ビニール製だが先ほどの注連縄同様
綯ってあるのでなく横に巻いていくような感じ。

鳥居をくぐると、まもなく左手に土塚神社?木塚神社?
と書いてある石碑のようなもの。
前に、賽銭箱。コレについては詳しくはわからなかった。
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そして石碑の前の道を入ると、
格子の付いた御堂のようなもの。
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格子戸から入る光が反射して 全体が写らなかったが…
ガラス張りになっていて仏像などがキレイに飾られている。
真ん中に立像と厨子。そして御幣。その脇にエライ僧侶さん。
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あれ?神社なのに?と思われるかもしれないが、
コレは早池峰神社の前身「妙泉寺」の持佛堂。
ここらで早池峰神社の縁起を話すと、

まず、大同2年(807年)に田中兵部&始閣藤蔵という人が
早池峰山頂に姫大神を祀ったのが大モトらしい。
なんでもこの2人、別々に山へ猟をしに入ったところ
両人とも額に白い柄のある鹿を見つけたという。
その美しさに「どうにか捕らえたい」と追ううち山頂に導かれ、
両人は山頂で出会った。
2人が出会ったところで鹿は消えてしまったが、
2人は「神の導きだ」として山頂に社を建てることにした。
鹿が消えた場所が分からなくならないよう
各々の狩りの道具を目印に置いて下山し、
雪解けを迎えた春に再び山頂を訪れ奥宮を建立したという。

そしてこれに伴い冒頭で触れた田中神社も建立されたとか。
「内川目集落の」真中(ただなか)だから田中神社、と書いたが
この「額の」真中に柄のある鹿にちなんで田中神社、説もある。

まぁそれはさておき、その後 大火で堂宇や物上を焼失し
天下の霊地と名高いわりに落ち目になっていた早池峰山
天安2年(1300年)、越後から早池峰を訪れた阿闍梨円性が
この地に留まり一宇を建立したのが再興のきっかけとなっている。
その後 盛岡藩の鎮守 また南部氏の臨時要塞として復活するも
明治維新の廃仏棄釈により廃寺となった。
以降、ここは瀬織津姫を祀る早池峰神社となっている。
とゆうのが妙泉寺と早池峰神社のザックリした歴史だ。

現在、妙泉寺跡には
住職さんが住んでいた庫裡(くり)や
上の写真の仏像、仁王像の立つ随身門↓だけが残っている。
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中には、そこそこ大きな立像。
表面は剥がれてしまっているが立派なものである。
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さらに隋神門をくぐると、一気に神社感が増す。
拝殿手前の、向かって左側に小さめの社。
軒の下をのぞいてみると「白髭社」と書いてある。
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全国で白髭神社といえば、
道案内と海上安全の神・猿田彦か寿老人を祀った神社が多い。
だが、ここの場合は「白髭水」が由来ではないかと思われる。
白髭水というのは岩手周辺の方言というか言い習わしで、
「荒れて白波を立てる水」のことだそうだ。
(青森・十三湖にも白髭水の伝説があるので岩手限定ではなさそう)

この白髭水に関する伝説は2パターンくらいで、
①白髪の老人が毎日餅や握り飯を取りに来るので
 白い石を焼いて待ち構え、餅or飯だと言って渡した。
 それを口に入れた老人は熱さのあまり逃げ回り
 翌日見ると崖から落ちていた。という怪老人退治譚
②水が襲ってきた際に波の上には白髭の老人が立っていた。
 それから、氾濫した荒れる水を白髭水と呼ぶようになった。
 という、単に「人が偶然見た」ことに基づく言葉の由来譚

そして、①の物語と「白髭水」の由来を併せて
「老人は熱さのあまり雨よ降れと願い大水になった」
「退治の翌日から暴風雨になり人は祟りと恐れた」
だから、白髭の老人が降らせた暴風雨による「白髭水」。
というまとまりの良い形もある。

①は実は対象が鬼だったり山姥だったり
いろんな地方に様々なパターンがある。
人間が何か怪しいものに脅かされているとはいえ、
餅を取られたくらいで焼石を食べさせ殺害するとは…
人間のほうが鬼の所業ではないか。といつも思ってしまう。
(*_*;

そして、その白髭水が早池峰神社の何なのかというと。
伝説自体は白髭水伝説のパターン①と変わらないのだが
円性が餅を焼くと、毎日のように鬼婆or山姥がもらいに来る。
その後どうなったかは以下略なのだが、
なんと結末が微妙に①と違う。
老人が死んだあと例によって大水が起こり
何人もの村人が暴風雨の中で波上に立つ白髭明神を見た。
ここから何故か村人たちは
「円性さんは白髭大明神の化身だったんじゃ」
「山姥を退治するため白髭大明神が
 僧侶に姿を変えて村を訪れてくれたのじゃ」
「大水に乗って帰ってゆかれる」
という思考回路になったのであった!

長くなったが、つまり
白髭神社猿田彦でも寿老人でもなく
円性阿闍梨を祀った社ということになりそうだ。

長くなってしまったからあとは気楽に、
写真でも見ながらサラッと行きましょ
(*'▽')

拝殿前の狛犬は、口の中の球が動くタイプ。
子獅子も一丁前にエラそうでかわいい。
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拝殿内は工事中の様子。
ある方のブログを拝見したら、
かなりヘタウマな狛犬orコマ狼さんが居るらしいのだが…
どうも見られない雰囲気だ。残念…。
また来いよ、とゆうことか。

ちなみに、本殿も覆われていて よく見えないのだが
廃仏棄釈以前の「新山堂」とゆう建物が
そのまま本殿として使われて居るという。
拝殿内にも、お寺らしく鰐口が見られた。
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現在は神社なので、表には鰐口でなく鈴。
房になった持ち手のヒモに、
5円がたくさんしばってある↓のが印象的。
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岳の早池峰神社は南部家の臨時要塞 兼 祈願所
という立ち位置からも、その門は南部家の「向かい鶴」・
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拝殿向かって左隣には、山神社(早池峰権現社)。
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中を覗いてみると…
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山頂で見たのより大きな権現様がいる!
またいろんな地区の山伏神楽をめぐって、
いろんな権現様にお会いしたいなー(*'ω'*)

夏ですね。祭りラッシュ来ますね。
民俗芸能ラッシュもね。
女川の獅子振り披露会は2018.7.29!
北上のみちのく芸能祭りは8月第1土曜~!
(八王子まつり、ねぶたetcと被りまくりで体が10個くらいほしい)
太田市細谷の冠稲荷夏季例祭での獅子舞とか。
あとは富士吉田の火祭りとか。
安曇野熊野神社お舟まつりとか。
皆さんも、いろんなお祭りお楽しみください!

権現様と、山開き。

*賢治と鹿踊りの里*

仕事を終え、その足で群馬から岩手へ。
賢治と鹿踊の里・花巻(/・ω・)/!
いや、実際そう呼ばれてるか分からないけど、
管理人の中での花巻のキャッチコピーです(笑)

駅前で管理人を迎えたのは、大胆な鹿リメイク自販機。
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右のササラが折れているので直してあげたいけれど、
ガムテも何も持っていないので諦めた。
(ちかくにコンビニもないし)

花巻駅ちかくのネットカフェに泊まる予定なのだが、
新花巻→花巻の終電が終わっていた。
あえなくタクシーを利用することとなり、
到着早々から財布に大打撃をくらったのであった。

翌日は「宮沢賢治童話村」へ。
児童文学というにはあまりに深淵で 時に難解。
子供の時分、賢治さんの童話は特に好きではなかった。
ただ、まだ芸能とゆうものを知らなかった管理人を
鹿踊りと出会わせてくれたのは 賢治さんである。
そしてまた、森というものについて
それまで読んだ童話では単なる「背景」だったが
恐ろしさや人ならぬ美しさをもつ「世界」なのだ!
と認識させてくれたのも賢治さんだった。

そんな原点回帰も兼ねて気楽に観光。
たまにはいいもんですね(*´ω`*)
といいつつ、ここに至るまでには
朝方 釜石へ行って偶然鹿に出会ったり、
田舎道で終バスを逃したおばあちゃんに出会い
ヒッチハイクして御礼におこわを貰ったり…etc
いつも通り歩きまくりな半日だったわけだが。

童話村の建物内は、
日差しの強い屋外とは打って変わって
暗め&涼しめの安らぎ空間。
銀河鉄道の世界を再現した一面の宇宙のような部屋。
有名な作品の場面が再現されたミニチュア。
その建物を出ると、いくつかの小さなログハウスがあり
星のこと 石のことなど テーマごとの展示がある。
管理人が一番好きなのは、この石の展示。
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(この写真だと広そうに見えるがそんなではない)
小学校の教室ほどの部屋に、鉱物と その名前。
そして賢治さんがその鉱物を登場させた文章が展示されている。

夜は、明日一緒に登ってくれる友人と合流。
閉店(?)ギリギリではあったが、
日帰り温泉も楽しみフル充電。


早池峰山の山開き*

そして翌日。ついに!今年の山開きですよ!早池峰山
霧がすごくて全然山頂見えないけど(;゚Д゚)!
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皆さん、固有種だからか
この「ハヤチネウスユキソウ」↓に非常に注目していた。
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もう霧がすごいせいで、
ウスユキソウの白いホワホワに水滴がついて
なんというか正体分からなくなってる。
名和晃平氏の作品みたいな感じである。

しかし管理人はミヤマオダマキ↓が好みだなぁ、
と一人で思っていたり。
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ガレ場を進んでいくと、一瞬だけ霧が晴れて
(というか風に吹き飛ばされて?)
遠くに登山口のあたりが見えた。
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友人の話では、天気が良い日に登れば
登山口のさらに下まですべて見渡せるらしい。
というコトは、逆に
里からも山頂まで綺麗に見えるというコトだ。

里からよく見える山だからこそ、
早池峰の信仰は
直接山の恵みを生業とする人々に留まらない。
水の神として、里を見守る神の座として、
農家からも厚い信仰を受けてきたそうだ。
また直接山に入る猟師や樵(きこり)のみならず、
木材を扱う建築関係者も早池峰に無事故を願うという。

さらに登ると
八合目付近の名所(難所?)梯子。
※登っているのは管理人でなく友人です
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現在のものは分からないが、
以前コチラに懸っていたハシゴは
沿岸部の方が奉納したものだったとのこと。

実は早池峰山というのは、
天候が安定していれば海からもハッキリ見えるらしい。
山々の位置から船の場所を測っていた昔の人にすれば、
自分の位置を知る標であり
風や霧が出て その姿が消えたら荒天の前触れ。
漁師さんの安全さえ守ってきた山なのである。
(奉納した方が単に沿岸部に住んでいたか漁師さんかは不明)

頂上に近づくと気温もぐんと下がり
雪渓に出会うこととなった。
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そしてやっとの思いで頂上へ!
いやもう、霧がすごくて!あたり一面真っ白!
しかも超強風で寒すぎる!Σ(・ω・ノ)ノ!
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お、奥宮の前に権現様がいらっしゃる!
(*'ω'*)オオー!
さっそくお近づきに!
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千本木龍頭神舞(群馬・伊勢崎)や
青笹獅子踊(岩手・遠野)の長いタテガミとはまた違う、
本海獅子舞番楽(秋田・鳥海)的な短いタテガミ。
※本海の獅子はタテガミが色とりどりの端切れ布なので
 権現様とはまた少し様子が違うのだが。長さに限った話。

この早池峰山に伝わる早池峰神楽では、
権現舞」という演目で このシシを使う。
権現とは、神や仏が「人に見える姿となり現れること」。

なので、この権現様というのは
「神の先導」として露払いをするシシや
「動物を模して」供養のため躍るシシとは
少しちがうのかもしれない。
「カミサマ自身」が人前に顕現するために、
姿を変え 獅子頭に身をやつしているということだろうか。

ちなみにこの黒い獅子頭の「権現様」は
今回観た早池峰に限らず黒森、石鳩岡など
各地の神楽に登場する。
タレ目だったり耳が大きくて可愛らしかったり
微妙に違いがあって面白いので、
是非いろんな権現様を見ていただきたい!

老いも若きも山頂に集まり、
吹きすさぶ風と霧に見舞われながら祝詞を聞き
皆で奥宮に向かって頭を下げ
何かを願ったり思ったり感謝しているのだろう。
というのは素敵な光景だった。
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それが終わると、権現舞の奉納!
権現様が登場する前に、
曲芸的要素のある下舞(したまい)が舞われる。
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舞手は扇や鈴木を投げ上げては舞いながらキャッチ!
ちなみに鈴木ってなんやねん。というと、
ちょっと小さくてハッキリ見えないかもしれないが
この右手に持っている 麻で作られたフサ+鈴をつけた木。
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これが早池峰神楽で言う「鈴木」なのである。
巫女さんが持つ神楽鈴や鉾先舞鈴と違い、
鈴は少なく小さいので そんなにシャンシャン言わない。
こんな強風で 足元は石ゴロゴロの中…と
感心しながら見ていた。

下舞が終わると、ついに権現様が始動!
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獅子頭を完全にかぶる前に、
舞手が自ら左手に持った獅子頭と見つめ合うような
この動作↓が印象的だなぁと。
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そして、少し舞ったあとに「あげものほめ」。
奉納されたお酒などを権現様が
一つひとつ「うん、いいネ」と確認している感じスキ。
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そして皆さんお待ちかねの「胎内くぐり↓」。
権現様のカシラと尾先のトンネルをくぐることで
子供が健やかに成長するとも 人が浄化されるとも言われる。
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そのあとは、首都圏の獅子舞でもみられる
頭上でパクッとやってくれる「頭かじり」。
それが終わると権現様は柄杓を持って四方を回り、
火伏のおまじないにピッと水を撒く。
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とんでもなく寒い中、
少量ではあるが水が飛んでくるだろうか
という本来の趣旨とは関係ないスリルも味わえましたとさ。
(*'▽')

早池峰神楽について*
早池峰神楽早池峰山麓の内川目という地域に伝わる神楽。
地域内には「岳」「大償」という集落があり、
それぞれが別の団体として神楽を舞っている。
しかし、その2つを合わせて「早池峰神楽」という。
というのも、2つの神楽は大モトは同じで
内川目「金沢」にある田中神社の山伏神楽だという。
しかしそれが、岳の早池峰神社と 大償の大償神社
それぞれの地域で神社に奉納するために伝承された。

演目などは ほぼ同じらしいのだが、
微妙なリズムなどに違いがある(らしい)。
管理人のリズム感の悪さは相当なものなので、
観たところで差は分からないのだが…。

1つ、明確な差として
岳神楽に登場する山神の面は口を結んだ「吽形」。
対して 大償の山神は猛々しく口を開いた「阿形」。
一説には、岳と大償は「一対の舞」であるから
このように対照的な面になったという説があるという。

早池峰神楽囃子方は4人。
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太鼓を担当する方が「胴取(胴前)」。
その両脇には手平金を打つ「銅鈸子方」。
(写真左下に写っているのが手平金)
舞台や屋内で神楽が舞われる場合は
観客からは この3人しか見えない。

なぜなら、舞台後方には幕が張られ
一番奥にいる「笛方」は その幕向こうにいるからだ。
この幕から向こうは舞台裏であり「彼岸」とされている。
人ならぬ世界、神様の世界だ。
ふがいないことに、圧倒的勉強不足で
なぜ笛が彼岸で打楽器は此岸なのか分からないが…。
であるから、面をつけた神々たちも 幕の奥からやってくる。

しかし、庭先で行われる「門打ち」や山頂での奉納は
幕が無いので笛方さんも普通に見ることができる。

写真を見ていただいても分かる通り、
なんだか太鼓のバチの先端が変わった形をしている。
なぜあの形なのか気になる…(; ・`д・´)
これは宿題だな。

普段平地をひたすら歩いている管理人には
山道は非常に苦しく帰宅後3日ほど筋肉痛に苛まれたが…
山頂で当日だけ配布される「山開き絵馬」にもありつき、
良い山開きとなりましたとさー。
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今年度もいろんな神様やお祭りに出会うため
足腰も体調もイイ調子でありますように、
と書こうかどうしようか。
でもあんまり「おねがい」はしない方針なんだよね。
(大体神前では「あいさつ」しかしていない)
と悩み、いまだに白紙(?)のままです(´・ω・`)

かえりに早池峰神社に寄ったけれど、
長くなりそうだから一旦 山の話題で切り上げますー。

でか山めぐる青柏祭

さて、もう6月だというのに
今回はGW中に行った石川県・七尾の記事(;'∀')
どんだけサボるんだ、といいたいところである。
(いや、自分ですけど)

七尾の電車は落ち着いた あずき色。
凹凸多めのレトロな車体でかわいらしい。
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宵山
今回の目的は青柏祭(せいはくさい)。
巨大な曳山(通称・でか山)が登場する迫力ある祭りだ。
登場するのは3つの「山町」から出る3台の曳山。
その3台が山王社に集まるのが見どころらしい。

ということで、まずは その集合場所・山王神社へ!
※案内や地図によっては大地主神社と書かれている
七尾駅から徒歩10分ほど。
三角屋根のような装飾がある「山王鳥居」が立っている。
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実際曳山が集まるのは明日の昼だが、ちょっと下見。
鳥居から参道までには距離があり駐車場的スペース。
きっとここに並ぶのだろう。

この祭りの難しいところは、
3つの曳山が別々の動きをすること。
経路云々よりも時間差がかなりあるのだ。

例えばこの鍛冶町の山車↓は、
5/3の21時に地元である山王神社付近の三差路に停まり
しばらくはそこで写真を撮られたりしている(宵山)。
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両脇の商店と比べても、巨大さはお分かりいただけるだろう。
これが、青柏祭の曳山が「でか山」と呼ばれる所以だ。
そして21時半ごろ山王神社に向けて曳き出しが始まる。
本山では若衆たちが木遣り台(曳山前後の足場)に乗るが、
宵山では小さな子たちが祓彩(ザイ)を振る姿が見られる。
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未来の木遣り衆たち。こんなに遅くまで起きてて大丈夫か?
(既に22時を回っている。おねーさんはもう眠いよ…)
山王神社に到着するのは23時過ぎ。
そして鍛冶町の山車は神社で一泊し、明朝に動き出す2台を待つ。

次に動き出すのは府中町の山車↓
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日が変わってから動き出すので、
この曳行は「宵山」でなく「朝山」と呼ばれている。

雨と寒さに見舞われ 眠気も限界に達し
「午前1時は朝ではない!」と叫びたい管理人だった。
午前1時に画面奥の印鑰(いんにゃく)神社から曳き出し、
山王神社に到着するのは朝7時。
ほぼ夜通し曳いているようなものである。

そして その到着の1時間後。朝の8時。
最後の魚町の曳山が山王神社へ向かう。
魚町については「宵山」は無く、
この山王神社へ向かう曳行がいきなり「本山」。
※あと2町の本山と言えば山王神社から帰る曳き出しのこと

いや、でもそんな 全ての曳行を始終見ていたら
ひ弱な管理人は睡眠不足で倒れてしまうからね。
府中町↑の出発は見届けたし、
魚町↓も何とか曳行前に発見して写真に収めたので…。
今夜はもう寝ます!(と言ってこの後40分くらい道に迷った)
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ちなみに、手前に建っている電柱を見ていただくと
小さな赤いランプが設置されているのが見えるだろうか。
夜間、このでか山たちが電柱に当たらないよう
曳行経路にある電柱にはこのランプがついているのだそうだ。
加えて、電柱自体の高さも他の道より高くできているらしい。

そしてこの大きな車輪!
20tにもなる巨大な山車を支えるため、劣化は免れない。
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これだけの車輪の材料となる木はなかなか手に入らず、
国外から木を仕入れることもあるようで…。
これはもはや日本中の山車・屋台・曳山に言えることだが、
本当に維持費・修繕費を工面するのは大変らしい。

*本山*
さて、翌日の昼過ぎ。
管理人がぐっすり寝ている間に
府中町のでか山は山王神社に到着し、
のんびりゴハンなど食べている間に
魚町のでか山も 神社まで来たことだろう。

という訳で、再び山王神社前へ。
おおおおぉぉ!3台 揃ってる!
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そして昼過ぎ、
着いたのとは逆の順番で
山王神社からでか山たちが曳き出されていく。

*知恵の結晶・辻回し*
さて。ここで、
青柏祭の見どころの1つ「辻回し」を見てみたい。
秩父夜祭の「屋台」や京都祇園祭の「山鉾」もだが、
この青柏祭の「曳山」も例に洩れず操舵性がない。
自動車などは車輪の角度が変わるので舵が効くけれど、
基本的には「まっすぐしか進めない」ということだ。
ソレを様々な方法で方向転換させる辻回しは
多くの祭りで見どころとされている。

秩父夜祭では2本の梃(てこ)で屋台を持ち上げ、
軸になる芯棒を屋台の下に入れて回す。

祇園祭では山鉾の車輪前に青竹を並べ
その上を滑らせるように曳いて進行方向を変える。

青柏祭の曳山は 梃を使う点では秩父と似ているが、
なんと梃は1本しか使わない。
ザックリ言うと 梃子で曳山を持ち上げたら
曳山の車輪と90°軸のちがう小さな車輪を下ろし、
曳山を横から押して方向転換する。

人は多いが、辻回し1回に結構な時間がかかるので
場所さえ確保すれば写真には収めやすい。
辻に差し掛かったでか山は一旦止まり、
若衆たちが「ヤーンサーのドッコイショ」の掛け声で
方向転換させたい方の車輪に大梃子↓をかませる。
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45°ほどの大梃子に1人目の若衆が登り、
大梃子と直角に交わるよう角材↓を結わえ付ける。
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結わえ付けた角材と大梃子の先端で、
最初に乗った若衆を中心に数人で櫓↓を組む。
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そして櫓から大梃子の根元まで 若衆が次々に乗っていく。
木遣り衆やOBらしき人の唄う「大木遣り」が上がる。
歌詞の内容は目出度いものが多いが、
結構艶っぽい…というかもはや下ネタも少なくない。
この動画に関しては初っ端から下ネタ(´・ω・`)
「新幹線は~男か女かを問~えば、答えは男よ~」
さぁ、そのココロは!?続きはWeb(動画)で!

青柏祭(2018.5.4)大梃子と若衆

続きを聞くと、下ネタながらひねりの利いた理由で
「きっと渾身のネタだろう」と勝手に関心(笑)
こういうのは言葉遊び的要素も多くて、
しかもなんといっても唄なので語呂が良い。
(祭が終わってもふとした瞬間に脳内リピートされる)
何よりそれでテンション上がっている
楽しそうなおじさんたちを見るのが好きです。

まぁ管理人の趣味はさておき、
掛け声に合わせ全員で大梃子を上下に揺らしながら
少しずつ地面と同じくらいの角度まで下げてゆく。
すると梃子の原理で巨大なでか山が傾く。
人が多くてあまり写っていないが、
その間に「地車(じぐるま)」と呼ばれる車輪を下ろし
行きたい方向へ引っ張れるよう綱を付け替える。

地車は通常の車輪と90°違う方向を向いているので、
一旦これを下せば方向転換自体は一気に90°回せる。
そして、また地車を抜くために前述の工程を繰り返す。
遠くで見ていると何をやっているのか全く見えず
「えらい時間かかるなぁ。何してるのかなぁ」
と感じてしまうのだが、近くで見るとこんなに楽しい。

そして、少し時間をおいて最後に
昨夜山王神社に着いた鍛冶町のでか山が出発。
曳き出し前には「七尾まだら」が歌われ、
着流し風の法被を着た木遣り衆たちが舞う。


青柏祭 七尾まだら(2018/5)

宵山でも見られるが、
「これで今年の祭りも終盤」という
哀愁のこもった七尾まだらはいいものだなぁ。
と一人でしみじみ。

関東の山麓に住む管理人は船方歌にあまりなじみがなく
「七尾まだら」という名前が非常に気になった。
調べてみると「まだら」の語源はいくつもあり、
玄界灘の馬渡島(まだらとう)の船方が歌い始めた
曼荼羅から転じた言葉
など色々な説が載っていた。
ちなみに七尾だけでなく「輪島まだら」などもあるとか。

正直、自分で撮った動画を見ても聞き取れないが
「めでためでたの若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」
というたった二節の言葉の 音を伸ばして伸ばして
なんと5分間かけて歌い上げるという驚異の祝儀唄。
青柏祭では木遣り姿で舞うが、
結婚式や祝い事では紋付き袴を着て舞われるという。

役付きの人だけでなく、
祭を見に来ている地元の人も結構歌える
というのが何だか「いいなぁ」と思ったり。
長野県民で言う「信濃の国」みたいなもんなのかなー。
(ちょっとちがうか?)
群馬ってそういうの無いなぁ。
みんな八木節唄えるわけじゃないし。
ちょっと羨ましい。

 

犬猿を弔う祭?

さて、祭りの様子を紹介してきたが
一体この祭りは何のために始まったのか?
というと 戦って相打ちになった霊犬と猿神のためだとか。

その昔、この山王社には猿神がいて
年に一度村の娘を捧げさせていたという。
しかし ある年。
その年に捧げられるハズだった娘の父親は
猿神が恐れているものを知るのである。
それは「シュケン」という名の者だというので、
父親は期日まで必死で「シュケン」を探した。
果たして、そのシュケンとは白い狼(山犬)だった。
人に害をなす猿神は もとは三匹であったが、
シュケンは二匹を噛み殺し一匹逃してしまった。
その一匹が山王神社の猿神であるとシュケンは語る。
そして父親を背に乗せ七尾へ駆けつけると、
祭の夜 娘の代わりに猿神の元へ向かった。
死闘は夜通し続き、翌朝村人が様子を見に行くと
二匹は相打ちとなって横たわっていたという。
シュケンを弔い、猿神の怒りを鎮めようと
七尾の人々は毎年神社に大きな曳山を奉納することとした。
これが青柏祭の始まりだという。
蛇足だが、
犬猿の仲というだけあって、猿神退治と言えば山犬。
信州にもこれに似た「早太郎伝説」がある。

山王神社と言えば猿は神使とされているので
その山王神社で猿神をやっつけてしまうのって
NGじゃないの?大丈夫?と思う部分はあるが…。
その猿神が居心地が良くて勝手に住み着いたのか
もともとはカミサマ的だったものが変質して害をなしたのか
というのは謎が残るトコロ。

気になることは色々あるが、
何週間たっても更新できないループにはまりつつあるので
この辺で一旦終了しますー。
(/・ω・)/マタネー