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とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

海をみまもる 津守神社。

先日書いた記事の久ノ浜から海を眺めると
左の方に海に突き出したような島みたいのが見える。
近くに居たおばあちゃんに聞いたら、殿上岬というらしい。

そして、その岬を眺めていたら
重いブーツで18km歩いたがために足はロクに上がらず
舗装路すら足を引きずって歩いているというのに…
見つけてしまったんだなぁ。鳥居を!
ここに!
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さて、足を引きずりながら歩くこと数分
工事中の橋の下に低い橋がみえた。
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橋の下はもう、すぐに海だ。
ちょうど大久川が海に注ぐ河口であり
津波の時はきっと押し寄せる津波がこの川をさかのぼったのだろう。
そうして大勢の人や物をさらった海かと思うと
当日は穏やかだったが空恐ろしかった。
※管理人はグンマーで育った山の民なので、
 そもそも海というもの自体が未知の領域であり怖い。
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その橋を渡り、緩やかなアスファルトの上り坂を歩いていく。
平地でも股関節が痛いので、緩やかでも坂であればさらに痛い。
そのうえ、ダメ押しのように…
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きゅうなかいだん が あらわれた!
▶︎たたかう
▷にげる

だぁれも人がいないので、
遠慮なくうめきながら登る。
そして、拝殿に到着。

通常よりお正月らしい縄の懸り方。
そして戸口のミカンが…干からびている!
あまり頻繁にはお手入れが入っていないのかもしれない。
(´・ω・`)

福島県神社庁HPに載っていないので御祭神がわからない…

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拝殿を見て、鳥居の方を振り返ると
登って来た時には気づかなかったが海が綺麗に見えた。
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さらに拝殿の脇の草の中を登っていくと、
大きな石碑のようなものがある。
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戒道大龍女 龍道大龍王
とあってなんだか仏教チックな雰囲気が出ている。
ココでの意味は情報が少なすぎてわからないが、
秋田・善寶寺で信仰されている龍神と同名である。

どうやら調べてみると善寶寺さんの龍道大龍王とは
法華経に登場する「八大龍王」の一人沙迦羅龍王らしい。
サーガラ=大海という意味らしいので、
沙迦羅龍王(サーガラ・ナーガラージャ)は8人の中でも
特に海に関連深い龍王様なんだろうか。

ちなみに戒道大龍女は、彼の奥さんではなく
三女である善女龍王(または八歳竜女)の別名らしい。
岩手にある報恩寺の記事でも少し触れたが、
彼女は龍王の娘というよりかは
「初めて成仏した女性」として有名神。しかも八歳で。
成仏した証に男性になったというトンデモ展開のため、
絵や仏像では女性でないこともあるのだが…。

このパパと娘、東北ではちょくちょく
海産物の供養塔や 漁業関係者の海上安全祈願
農村の雨乞いを龍がかなえた伝説などに登場する。

ココの場合、立地的に海上安全祈願かなあ。
「津守」神社だし。
3.11以降、東北で「津」と見ると津波を連想してしまうが
津とは船の停泊する場所=港のコト。
津守というのも「港やその周辺を守る」という意味のはず。
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上空から見ると津守神社はこんな感じの地形で
この津守神社の建つ「殿上岬」というでっぱり(?)は、
その北が港として利用されている。

この近くは南からの波浪が強く難破も多かったそうで、
南に岬が立ちはだかり波風を防いでくれる殿上岬は
まさに久ノ浜港にとっては「津守」だったのだ。

東日本大震災でも、津波は画像右下からやってきて
南寄りから殿上岬にぶつかるようにやってきたらしい。
そのため港は海に近い割には浸水は少なかったとのこと。

しかし殿上岬にぶつかった波と南からの津波
まともに大久川に流れ込んだため、
大久川周辺(特に津波の力の加わる側であった秋義神社側)
は川に沿ってだいぶ内陸まで浸水し火災も起きたという話だ。


地形というのはなんとすごいんだろう、
としみじみしながら海の方を見る。
すると、体を張って港を守っているばかりか
沖に出た舟までも見守れそうな風景だった。
管理人の写真がショボいので感動が伝わりづらいが…
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痛みに耐えて登った誰もいない神社から
この深い紺色の海と町を眼下に眺めて、
その海岸からは供養として
日蓮宗のお坊さんたちの少し変わった節回しの読経が聞こえたり
エイサーの太鼓の音なども風に乗って聞こえる。

管理人にはこれ以上ないようなご褒美である。
この風景を自分への今年の誕生日プレゼントとしよう。

(*‘ω‘ *)ではまた次回~

津波と神社と 念仏おどり。

ちょっと3月は色々処理できずマゴマゴしているうちに
なんとブログを書かずに終わってしまった。
大反省。

ということで、
ちょっと3/11に福島へ出かけた時のことを思い出して
とりあえず1つ記事を書きたいと思いますー(´・ω・`)

管理人は誕生日が3.11なので
・自分への誕生日プレゼントに民俗芸能や神社を巡る
東日本大震災を自分の中で少しでも色褪せさせない
という目的で毎年3.11付近は東北の神社や祭りに出かけている。

今回は、いわき駅付近に泊まり
目的地の久ノ浜まで神社を巡りながら歩いた。
総歩行距離18km前後だろうか。

「東北は寒かろう」みたいな安直な発想から
今回ブーツで来わけたが、これまた
「脚に重りをつけて修行しているのか」
というような重たいブーツを履いてきてしまった。
山道でないにしろ18kmという移動距離を考えれば、
このチョイス 愚の極み以外の何物でもない。

久ノ浜に着くころには股関節が疲労しまくり
足が何センチも上がらなくなっていた(笑)

まぁ私の股関節のことはさておき東北には
「想定外」と言われた大津波にもかかわらず
波にさらわれず残った神社が多数現存している。

今回はそうした神社を巡ったので
その中のいくつかをご紹介~(*´ω`*)

*四倉諏訪神社

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まずはこちら。
いわき市四倉町西にある諏訪神社
海岸線からは700mほどではあるが、
高台に登らなければ海は全く見えない。

しかし、この写真に写っている白い鳥居は
東日本大震災の揺れで倒壊し
津波も鳥居まで到達したそうだ。
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階段を上ってみると、
手水鉢はタツノオトシゴデザイン!
なんとかわいいんだ!初めて見た!
(/・ω・)/♪

富山県・八尾の「蚕手水鉢」が管理人の中では歴代1位だが
造りが雑ではない点、このタツノオトシゴいい勝負!
(あくまで管理人のテンションupランキング)

さて、上がってみれば
見慣れた(?)諏訪梶の御神紋が。
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別に長野出身じゃないけれど、
去年御柱祭ホリックになっていたからね。
すっかりお諏訪さまは親しみのある神様になりました。
(一方的に…笑)
確かに神社自体立派な神社だけれど、
大きな階段を上がった高台にあるのでさらに立派に見える。
津波が鳥居までで止まったことを考えても やはり、
津波を想定し「拝殿・本殿が安全な高さ」に建てられたのだろう。


拝殿の脇には摂社として
船玉神社」の扁額がかかった神社が。
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群馬・埼玉辺りにある「飯玉神社」が
稲魂(または稲の神ウカノミタマ)を祀る社であるように
船玉とは「船の魂」のことだろうか。
だとしたら、舟orその守神を祀る神社なのだろうか。
漁業や海水浴場に携わる地域らしい神社である。

そこからまたしばらく歩き、道なりに進む。
海に向かっているはずなのにどんどん山に入っていくような
「あれ?道まちがった?」的な不思議な感じに。

しかし、突然視界が開けたかと思うと
その遠く先はもう広い海だった。
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波立薬師まで行くと、もう道を渡れば海である。
現在も海沿いは津波の名残で更地が広がっていて、
話を聞いたタクシー運転手さんが
「アレだいたいは除染の人が買ったらしい」
と話す真新しい建売だけがまばらに建つ。
「地元の人はもう津波のコト考えたら買いづらいよココは」
と、自分も地元民だというドライバーさん。

この運転手さんも被災した時は一時、
我らが群馬県あたりに避難していたという。
不思議な御縁である。

あんなことがあった海ではあるが、
堤防ができてしまい街からは海が見えないのは
やはり寂しいし海が見たい。と運転手さんは言う。

パチンコ屋とビジネスホテルや旅館は
除染業者さんで潤っている。
いまも、常磐線は竜田-浪江の区間は運休である。

それを聞いて この風景を見ると
震災なんてとうに忘れて電気を使いまくっている
関東の生活なんなんだろうなぁと思ってしまう管理人だった。

そういえば震災ついでに、
先ほど紹介した諏訪神社のある「四倉」は
おそらく災害地名では?と管理人は思っている。

「倉(くら)」が付く地名というのは
「抉(えぐ)る」「刳(く)る」を意味するらしい。
つまり、津波で抉られる土地。
実はココだけでなく、
福島第二原発のある「波倉」もそうだと言われている。
さらには、ところ変わって有名どころ「鎌倉」も。
内陸部では洪水で川の濁流に削られる土地に
「倉」「暮」の字が使われることもあるようだ。

勿論、数ある地名の「倉」という字が
すべて同じ意味とは限らない。
しかし、災害地名の一般的なルールに沿って
全国の地名を見てみるのも何かの役に立つかもしれない。

それで何かが起きた時に被害が防げるなら。
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愛宕神社

しばらく海沿いを道なりに道なりに。
すると、そんなに新しくなさそうな神社発見。
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手前に何もないことから、
ココも津波に遭ったことは想像に難くない。
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神社に近づくと、鳥居の手前に小さな石標。
津波到達地点」。
少し高台にはなっているモノの、
先ほどの四倉諏訪神社が海から700mほどなのに対して
コチラは海から100mちょっと。
しかし、その距離の差にも関わらず
どちらの神社も鳥居の手前辺りで浸水が止まっている。
不思議なもんだな。

古めかしい「愛宕神社」の文字も
津波の被害をまぬがれたからこそ古くさいままなのだ。
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境内からは、堤防越しに海が見えている。


*久ノ浜諏訪神社
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さらに北上すると、
久ノ浜の諏訪神社が。
拝殿の中を覗くと天狗の面が飾られている。
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単に、修験道とかかわりの深い土地でしたよー
という理由かもしれないけれど(´・ω・`)デモ…
いわき周辺の地図を見た時いくつか
「大杉神社」の文字を見たのが気になる。

今回の福島では大杉神社には行ってみなかったが、
名前からして茨城県稲敷の大杉神社から分祀したのかな?
と感じた(裏を取った方がいいとは思うが)

その大杉神社は名前の通り
大きな杉の木が御神木となっている。
その杉は昔、常総内湾の船乗りたちにとって
船が自分の位置を知る指標になったため
大杉神社は海上安全の守り神ともされたのだそうだ。
※今はレーダーやらGPSやら便利なものがたくさんあるが、
 船乗りさんたちは海上から見える山の形や大木の位置関係
 そして夜は星や月の位置から現在地や天気を測っていた。

そのころ、土地の名前から大杉神社は
安婆さまor安波さまと呼ばれていたそうで。
さらに、海だけでなく利根川による水運が発展し
その信仰は利根川流域に広がった。
全盛期には仙台・千島方面にまで拡大したというから驚きだ。

さて、これが天狗面と何の関係があるかというと
昔、常陸海尊という有名な御坊様がいましたとさ。
この海尊が大杉神社の御神徳でたくさんの奇跡を起こした!
という伝説が残っているわけだが、
その容姿は赤ら顔に高い鼻。目は碧眼だったといわれている。
今考えれば「外国人だったのかなぁ」という気がするけれど、
もう当時の日本人は「天狗様だ!大杉神社の眷属・天狗様が奇跡を!」
みたいな感じでアゲアゲになったんだろう。
そこから大杉神社=アンバさまは天狗の姿で描かれることも増えた。
また海の神様であり「安波さま」という名前も手伝って
波を安らがせるカミサマというイメージがかなり強かったらしい。

長々した話になってしまったが、
津波が多く起きる福島で 大杉神社があることはもちろん
大杉神社でない神社にも天狗面が浸透している!
というのはちょっと興味がある。
ここ以外に波立薬師や四倉周辺の神社でも天狗面を見た。

またゆっくり行ける時に
福島のアンバさま関連神社めぐりとかしたいなあ。
さっきの「愛宕神社」もモトは修験道系の神社であり
(現在はイザナミカグツチかもしれないが)
愛宕太郎坊天狗or愛宕権現を祀ることの多かった場所だ。
福島は、けっこう天狗圏なのかもしれないなぁ
(*'▽')
狛犬はなかなかユルイ顔をしていて可愛かった。

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*秋義神社*
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そしてついに、秋義神社に到着。
地図には秋義神社と表示されているが、
地元では単に稲荷神社と呼ばれている様子。
海から本当に50mほどかもしれない。
本当に周りは何もなく、すべて押し流されたのだろうと思う。

説明書きを読むと
3.11では奇跡的に回拝柱と鳥居が倒れるにとどまったこと、
昔から大火が起こり 疫病が流行り 高波の被害を受けるたびに
鬼渡神社 秋葉神社 稲荷神社と名を変えて
先人の心の拠り所になってきたことが書かれていた。
本殿も、道理でいろいろなカミサマがいそうだ。
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なにかのニュース番組で、
「東北の沿岸部にあるいくつかの神社は津波到達線上にあった」
という話が出ていた。
つまり、先ほどの四倉諏訪神社愛宕神社のように
鳥居は被害を受けたが拝殿・本殿は無事だったパターン。
テレビでは、宮城にある「浪分(なみわけ)神社」が
名前の分かりやすさからもずいぶん取り上げられたようだが、
そのほかの神社もずいぶん同じパターンがあったようだ。
また、今回紹介した中にはなかったが
神社の名前自体が津波に関するモノも東北には多い。

神社は、古くさいもので。
でもだからこそ昔からの生き残る知恵が詰まった場所だ。
先人の多くが神社の名前や立地に
かつての災害時「安全だった場所」の情報を詰め込んだ。

それを今回どれくらい活かせただろうか。
どれくらい、その情報は今に伝わっていただろうか。
別に被害にあった人が悪いというのじゃない。
日本全体が、世界全体が、きっとそうゆう状況で
その中で偶然今回は東北だった。そうゆうことなんだろう。

伝統芸能や神社が見直されてきたとしても
まだまだそれは直接の担い手以外にとって
珍しい・美しいという意味での「文化的な」とか
普通に生活が成り立ったうえで楽しむ「余暇的」な
というレベルでの「見直された」なのかもしれない。

今回福島に行った1週間後に
人前で少し神社や祭りの話をさせていただく機会があった。
福島で「津波到達線上神社」を巡りながらいろいろ考えて、
その時に「伝承」というモノに関して
・伝承というものは語らないと力を失ってしまう
・語るということは災害情報をファイリングするようなもの
 新人にファイルの存在と内容を伝えるとともに更新する作業。
・それを途絶えさせてしまうのは
 先輩が作ったファイルをなくしてしまうのと一緒。
というような話をさせてもらった。

今回の震災をきっかけに、
今度は次の地震まで生きる伝承を。
と願った。願うだけじゃ足りないよな。
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震災の時間に合わせて、黙祷が行われた。
堤防で黙祷している人は、管理人以外おそらく地元の人。
学生さんも多かったが、ただ行事としてやっているのではない
今も顔が思い浮かぶような近しい方が亡くなったのでは
と感じる表情が印象的だった。

黙祷後、地元の「じゃんがら念仏踊り」と沖縄のエイサー。
不思議なコラボに見えるが、
エイサーの方の代表さんの話では
東北のお坊さんが念仏踊りを広めながら全国を歩いたときに
琉球の貴族王族に人気を得て芸能として発展したのが
「エイサー」なんだそうだ。
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エイサー↓って、よく聞くけれどそもそも何かというと
盆の時期に踊られる「盆踊り」の一種。
本土の盆踊りと様相はかなり違うが
仏教行事である「盆」と踊り念仏ルーツの「エイサー」!
と考えるとマッチしているのかもな。
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そして、こちら↓が「じゃんがら念仏踊り」!
コレを見るために、
1時間に1本しかない電車を2本ほど逃した管理人であった。
(だって、予定表にあった時間と全然違ったんだもん…)
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じゃんがら念仏踊りは、
このいわきを中心にいくつかの地域で伝わっている。
本来は8月中ごろに新盆を迎えた家々を回る民俗芸能。
供養のほか、農業に関連して豊作や雨乞いのために踊られる
と説明されているものもあった。

鉦(金属の楽器)と太鼓を使って踊る。
じゃんがらというのは、
その2つの音「じゃん」「ぐわら」が語源だそうだ。

ちなみに長崎にもじゃんがら踊りというのがあるが
やはり鉦と太鼓を使う。
そして踊られる時期や目的も似ている。
※ラーメン屋「九州じゃんがら」さんは
 この長崎のほうのじゃんがら踊りがモトらしい…

もとはお坊さんが民衆の慰安をしつつ
識字率の悪い土地にも念仏と仏教を普及させるために
娯楽の要素を含んだ「踊り念仏」を始めたというが、

使う楽器や太鼓と体の位置、
バチの動きや輪になって踊るところ、
そして供養だけでなく農業にかかわりが深いところなどは
韓国の農楽(プンムルノリ/ 풍물놀이 )にもつながる気がしてくる。

ちなみにプンムルノリでは
金属を使った鉦が星(天)を表し
皮を張った太鼓が人(地)を表して
その2つが輪のなかで調和することが
天地の調和がとれた状態を表現している。
と、長鼓(チャング)をやっている先生に聞いたことがある。

そうか、
材質にまで意味があるのね、とそのとき思ったものだった。
まぁプンムルの思い出は置いといて。
(*‘ω‘ *)ダッセンシタゼィ

途中で切れている、
というか前半は踊っていないので
踊っているのは本当に最後の数分だが動画どうぞ。
(´・ω・`)粗茶デゴザイマス…


じゃんがら念仏踊り(2017.3.11 久ノ浜)

じゃんがらは鹿踊りや盛岡さんさ踊りのように、
身体の正面に太鼓を横向きにつけて踊る。
けれど、その位置はひざ上くらいと低め。
太鼓のバチは一般的な和太鼓のように太い木の棒でなく、
細めの木の先端に毛皮?のようなものが巻いてある。

ただ、よく見ると一番先端は木が出ていて
その端っこに毛か糸のようなものが挿してある。

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あー コレの意味とかも知りたいなー
あの巻いてあるのは毛皮なのか何なのか
先端の木が出てるところでたたいてるのか、
繊維が巻いてあるとこでたたいてるのか?

訊けばよかったー!
結構長いこと広場で待機してたじゃん
じゃんがら念仏の方たち!

ま、そんなこんなで穏やかな2017年の3.11でした。
このあと、足が疲れてバキバキの中
ちょっと遠くに鳥居が見えたもんで行ってきました!
次回はそちらの神社のことを書きますー。
(/・ω・)/♪

二度目の「君の名は。」※ネタバレ含む

映画館で二度目の「君の名は。
何度見てもいいなぁ。
…というわけで今回はネタバレを含むかもしれません。

ネタバレされたくない方はコチラ!

君の名は。 - とまのす(1回目の感想です)


※ほぼ妄想です。ガイドブックとか持ってて
 「ちげーよ!インタビューにこうだって書いてあったぞ!」
 という方は教えてください
 (´・ω・`)ガイドブックホシイ…

 

*水宮家と三葉ちゃんについて*
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ヒロインである三葉のほうが
妹の四葉よりも活躍するのは当然の話なのだが。

普通に考えたら、不思議な力を持った女の子の方が
四葉」っぽいと思わないか?
ほら、四葉のクローバーとか言うし。
奇跡と幸運の象徴みたいな。

それなのに「三葉」が一番すごい力がある女の子だって、
あやしいなぁ。しかも、三葉の読みは
「みつば」ではなく「みつは」。

そして彼女の名字は「水宮」。
「口噛み酒」の神楽を奉納した時の装束は
龍の髪飾りに、龍の鈴である↓

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龍や蛇というのは
一般的に水の神の化身とされることが多い。
そこから考えても ほぼ間違いなく、
水宮神社は水とその神様を祀る御宮である。
(たぶん…)
そもそも「水の御宮」だから水宮なのだろうし。


そうかんがえれば、
「みつは」も水の女神であるミヅハノメから取ったのでは?
と勝手に妄想せざるを得ない。

ミズハノメは、
多くの島や神の産み親であるイザナミ
火の神・カグツチを産んだことで女性器に大火傷を負い
苦しみながら死ぬ間際にその尿から生まれた女神である。
三葉の母親がすでに他界してしまったというのも、
なんとなくそれを連想させる。

死んでゆくイザナミと産まれるミヅハノメ
神という清い存在の死という穢れ。
尿という汚物から生まれた清らかな水の神。

その正と負のあわいに生まれた女神の名を持つ
「みつは」だからこそ
過去と未来、男と女、生と死という
真逆の事象の中を行ったり来たりできるのでは…

なんてのは妄想し過ぎだろうか。

*「かたわれどき」と糸守*

作中で、三葉の祖母は三葉の作った口噛み酒を
「アンタの半分」と表現する。
口噛み酒を作るということは
自分が失われても残る「自分の半身」を作る
一種の呪術を行使することなのだと言える。

不思議な「入れ替わり」の夢を見るのは
代々水宮家の女性である。
また、口噛み酒を奉納できるのも
同じく水宮家の女性だけである。

なので、入れ替わりの能力は水宮家だけのものだ
とも考えられるのだが、

「黄昏(誰そ彼)時」を意味する「かたわれどき」
は糸守全体に浸透している方言であるし、
瀧が図書館で借りた本に「糸守の伝統工芸」として
三葉たちが作っていた組紐が取り上げられている。
つまり、もとは集落皆が組紐を作ることができたのだ。

考えようによっては、
以前は糸守の皆が多かれ少なかれ持っていた能力が
約200年ほど前に起きたという「繭五郎の大火」以来
その方法も使い方も失われ
水宮家にかろうじて形だけ残ったとも考えられる。

謎なのは、この大火の規模と被害。
「水宮家に伝わる書物も皆焼けたので
 今や口噛み酒の意味は誰も分からない」
と三葉の祖母は言う。

昔の水宮家の人たちはその意味を知っていたというなら
水宮家の大人たちは火災で死んでしまったのだろうか。
書物が燃えても人が生き残れば
口頭で伝えたり再び文書に起こすことができたはずではないか。

それとも、詳細を記してある書物を代々守ってきたが
記してある内容は知らないまま大火に遭ったのだろうか。

「糸守」地区、つまり
作中で祖母の使う言葉「ムスビ」の象徴ともなる
「糸」を守る、という名の村でその糸の原料となる
「繭」の名を持つ繭五郎が大火を起こしたことには
きっと作品的に意味があるはずなのだが…。

三葉が母が死にかけたことで産まれたミヅハノメならば
繭五郎は母に大火傷を負わせたカグツチなのだろうか。
だとしたら、
繭五郎の大火が三葉の「入れ替わり」に何か一役買っているんだろうか。
それとも単に伝統(神、イザナミ)を殺しかけた男(男神カグツチ
と、その消えかけた伝統の中に生まれてきた少女(女神、ミヅハノメ
というだけの話なんだろうか?
※そもそも「三葉がミヅハノメと関係ある」という前提を
 疑わずに話を進めていることがキケンだろうか…。

この辺はガイドブックでも買った後でまた要検討ですな。

*時系列と水宮神社について憶測*

作中で、テッシーが検索した記事に
「糸守湖は1200年前の隕石落下によってできた隕石湖」
と書いてある。
つまり、糸守には1200年前にも隕石が落ちている。
そして今回隕石が落ちたのは2013年。
前回は813年ごろということだろうか。

その時代であれば、
もう世の中に神社というものは存在したはず。
だが、ここが山深い村であったことや
山頂付近であることを考えれば
この地域の祭祀は神社より古い形態を残していて

いま御神体を屋根のように守る大きな岩は
もとは天体や太陽を祀る磐座(いわくら)
=祈りをささげるため座る場所や祭壇だった
と考えることもできる。

もとは天体全般を祭祀対象としていたが、
1200年前の彗星落下の際に
岩の下に隠れた村民がその様子を
岩陰の天井に残しそれを信仰した可能性もある。

もしくは、
作中に登場はしないが
彗星を見ていないはずの時代の誰かに対し
彗星を見た水宮家の女性が「入れ替わり」を行って
彗星落下の事実を後世に伝えるために
岩に彗星を描かせた可能性もある。

※…と思うのは、
 1200年前の絵にしては色彩がはっきり残っているためだ。

蛇足だが、
この御神体がある場所は
山頂にある窪地。つまりカルデラの可能性がある。
だとすればここでも
火山(火の神、カグツチ)により
窪地・水のある土地(水の神、ミヅハノメ)が生まれる。
という構図となる。
(いや、その考えに取り憑かれているだけかな…)

さらに、813年の隕石落下から数十年か数百年経って
隕石の落下によってできた窪地が豊かな湖となり
その周辺には人が集まるようになったはずだ。
その時代に、糸守湖の水神を祀るため作られたのが
現在の水宮神社だろう。

その時代にも御神体のある山頂は信仰されていたが、
若者の脚をしても辛い道のりである。
自然と信仰の中心は山頂(奥宮的な位置づけ)から
今の水宮神社(里宮的位置づけ)に移っていっただろう。
実際日本にある神社でも、観光客に有名な神社は
どこかしらの奥宮の里宮である場合も多い。

作中で代々続く神事とド田舎にうんざりした三葉が
神社の階段を下って糸守湖に向かって叫ぶシーンがある。
これは、つまり水宮神社の参道が
まっすぐ糸守湖の方を向いているということだ。
三葉・四葉姉妹が神楽を舞った神楽殿も
湖の方を向いているように見える。
(作中で建物の位置関係が分からなかったので違うかもしれない)

これは、長野の諏訪大社諏訪湖の位置関係に似ている。
今でこそ諏訪大社から諏訪湖は(多分)見えないが、
昔は諏訪湖の水位が今より高く
もっと諏訪大社の近くギリギリくらいまでは
諏訪湖だったと言われている。

もしそうだったとしたら、
諏訪大社の境内からも水宮神社と同じように
鳥居を通して湖が見えていただろう。

前回見た時よりは
「〇年前」とか人の名前や
神社と周辺の位置関係を気にして見ていたつもりだったが、
全然、考えてもわからないことがいっぱいである。

これはもう、3回目を見に行くしかない!
(/・ω・)/ヨッシャ

児玉神社の台湾狛犬。

今年に入って、だいぶ更新をさぼっている。
神社自体に行っていないわけではないのだが…。

1月末ごろに江ノ島へ行っているが、
そのこともまとめられず今日にいたる
(´・ω・`)ショボーン

江ノ島と言えば中津宮の弁天様であるが、
今回は御供してくれた方が居たので
中津宮への御参りはやめておいた。

というのも、弁天様は非常に嫉妬深いカミサマで
男女ではお参りに行かない方がよいとよく言われるからだ。
まぁ逆に考えれば、
同伴の女子そっちのけで弁天様に大興奮な男性なら
男女で行っても問題ないのかもしれないが。

さておき、今回のメインは「児玉神社」。
日露戦争の名参謀・児玉源太郎↓を祀った神社だ。

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管理人は「地域の中の神社」とか「産業と信仰」
という部分が気になる分野なためか
普段あまり個人が祀られている神社に行かない。

大抵、天皇家か軍人の偉い人が祀られていて
その恩恵を受けた人が祀っているのでは…
という変なバイアスがかかっているのかもしれない。

それを拭い去るいい機会かもしれないので、
たまには人の勧めてくれた神社に行こう!

ということで、Let's 江ノ島
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ものすごくあったかい日だった。

橋を渡って江ノ島に上陸し、仲見世通りを過ぎて
中津宮の大鳥居がそびえ立つ手前を左に曲がる。
江ノ島の喧騒が嘘のような静かな階段を登り切ると…
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見えた!ブルーシートが!(オイ
工事中とは聞いていたので、想定内です。
この可愛らしい狛犬が顔を出しているので、
それだけでも十分です(*´ω`*)
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毛布をかぶって遊ぶ仔犬のごとし。
動きがあって可愛い。

日本の狛犬
①何も持っていない
②左右で仔獅子・玉(毬)を持つ

の2パターンが多いわけだが、
ここの狛犬
オスが銭・メスが子供を持っている。
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↑オス
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↑メス

狛犬が銭を持っているというのは
日本狛犬では(私は)見たことがない。
ではこのデザインはどこのモノかというと…
このタイプは台湾型。
台湾の狛犬の写真をネットで片っ端から漁ってみると、
「圓山飯店」というところにある狛犬
まさにこれそっくりのデザインだった。

ちなみに、
同伴者の方は毎年この神社にお参りに来るそうだが
口の中は覗いたことがなかったとのこと。
覗くと、ソフトボール大の石が入っている。
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日本では 玉をくわえていたとしても
歯とくっついた状態で彫られていて動かないものが多いけれど
これは動くんですよ!
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これも台湾狛犬によくある特徴だそうで、
台湾では皆が玉を動かすため摩耗して小さくなり
小さくなって口から出せる大きさになった石が
どこかへなくなったり盗まれたりすることもあるのだとか。

正確には分からないけれど、一説には
「玉(宝)つまり財産、お金の回りがよくなる」
という意味と聞いたような聞かなかったような。

ではなぜ江ノ島の神社に台湾っぽい狛犬があるかというと、
この狛犬は台湾の有志が寄贈してくれたのだそうだ。

同伴してくれた方から、
児玉源太郎は戦後 台湾総督となって
 後藤新平とともに台湾を統治することになった。
 その時にインフラ整備や教育環境の整備に尽力したので、
 台湾は植民地であったが親日的な人も多いらしい」
と聞いた。

後で調べると、当時台湾では伝染病も流行する中
病院などにもずいぶん資金を投じたようだ。
神社の鳥居も台湾婦人会が寄贈してくれたらしい。

しかし、
拝殿はブルーシートがかかっているものの
盛んに工事をしている様子でもない。

まぁ土曜日だったから休工していた可能性もあるが、
実はこれには事情がある。

というのも、お金が足りないんだそうだ。
工事中のブルーシートには、
小さく募金のお願いのようなものが書いてあるが…
小さすぎるだろっ!(;゚Д゚)
控えめにもほどがあるわ!

そのわりに一口の金額は大きめだった記憶が…
(写真撮ってこなかった)

一口の金額を小さくした方が集まるな。これは。
そして、もう少し募金してることを宣伝すべきだな。

「いくらだったっけ」
と思って敢えて調べても出てこない。
もう、江ノ島って調べたら
まず募金ページへのリンク出てきちゃうくらいじゃないと
いつまでも集まらないんじゃないかと心配だよ。

さておき、全額いくらだったか忘れたが
そんなにかかるのには理由がある。
ここの拝殿は台湾ヒノキを使っているのだそうだ。

勿論台湾にゆかりのある神社だからという意味もあるが
台湾ヒノキは日本のヒノキより質が良いのだそうで
明治神宮の大鳥居や靖国神社の神門も台湾ヒノキ。
台湾の阿里山という地域には特に樹齢の高いヒノキが多く
大手の神社にはココの木材が人気だとか。

そんな状態なので、阿里山の神木たちは日本に伐採されまくり。
阿里山といえども樹齢2000年を超える古木は稀となってきた。
あの明治神宮が必死に探して、
やっと一つの古木にありつくような状態なのである。
江ノ島の中でも控え目な様子の児玉神社が
拝殿に足りる木材を調達するのがいかに大変か、
想像すると頭が痛くなりそうだ。
明治神宮の大鳥居ほどの巨木でなくても良いのかもしれないが)


だけど、
台湾と児玉源太郎のつながりを知ればこそ
ココは是非台湾ヒノキで頑張っていただきたいところ。

きっと台湾の名工が彫ったという狛犬
台湾・観音山の石で作ったという鳥居も
喜ぶことだろう。

どうにか募金へのアクセスをよくしたいところだ。
やっぱクラウドファンディングかな。
目標の値段が集まったら一口として奉納するか?
(/・ω・)/

命の源、泥宮(どろのみや)。

*正月早々、過酷な目に遭う*
正月のうちにダルマの記事とか書こう!と思いつつ
書かずに七草粥を食べ終えてしまった。
そんな1/7です。今年もよろしくお願いいたします。

毎年1/7には芦ノ尻の道祖神さんを新調するということで…
まぁ朝早くから電車に乗って、
さらに最寄「篠ノ井駅」からバスで50分少々。
「それもう最寄りじゃないじゃん?」
と言いたくなるところだが恐ろしいことに
その市営バス(大岡方面行)の終点「支所前」で降車したのち
さらに徒歩1時間で目的地に到着するのである。

乗車スキルもないのに冬の長野北半球に行こうなんて
そんな無計画なヤツは私くらいかもしれないが、
もし同じ方法で行こうとしている勇者がいたら
このバスは超本数が少ないので注意してくだされ。

そんな疲労困憊状態で、
体力を回復するべく別所温泉へ。
こちらは上田駅から鉄道が通っていて
温泉自体も別所温泉駅から徒歩15分くらい。
そして、回復したところで泥宮に向かった。


生島足島神社のこと*

そもそも、泥宮とは何なのかということになると
まず生島足島神社を紹介すべきかもしれない。
今回は忙しかったので寄らなかったが、
泥宮の最寄駅「塩田町」の隣「下之郷」に
生島足島(いくしまたるしま)神社である。

長野に住んでいる(神社に造詣の深くない)友人が、
生島足足(いくしまタルタル)神社とか
島島生足(しましまなまあし)神社とか
好き勝手な誤字メールをしてきたことがあったが、
違う。全然違う!(;゚Д゚)ヤメロ!

まぁ、その名前の通り
万物を生かす「生島大神」と
万物に足るを与える「足島大神
の2柱が主祭神となっているわけだが。

古式ゆかしい神社では本殿が無く
「拝殿の向こうにある山や木や池が御神体です」
というパターンがたまにあるのだけれど、
この生島足島神社の場合は
本社(内殿)があるが床板の無い造りになっていて
そこに見えている地面自体が御神体とされている。

そして、今回訪れた泥宮は
その旧鎮座地(モトあった場所)ではないか?
と言われている場所なのである。

方々の解説によると、
土は土でも稲を育む「泥」が元々の御神体では?
とのことなので…

生島足島神社も神池と神島を混ぜて
日本でも珍しい「泥の上に建つ社殿」にしたら…
だめですかね。すいませんね。

生島足島神社は本殿の建つ神島と
 それを濠のように囲む神池から成る。

*上窪池と泥宮*
駅から歩いて15分ほど。
道祖神に比べたら何のことはない近さだ。
その泥宮の道を挟んで反対側に貯め池がある。
現在は「上窪池」と呼ばれているが、
江戸時代ごろまでは「泥池」と呼ばれていたらしい。
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寒くて、昼過ぎだというのに薄氷が張っている
(;´・ω・)
この「泥池」は「泥宮」と一対のものと考えられていたそうな。
そして、ため池の水は周辺の稲田を潤すことから
単に泥への信仰でなく「稲」の特別視ありきの泥信仰なのでは。
とも考えられる。

そうすれば信州に逃げて来たタケミナカタ
諏訪に着く前に生島足島のもとに参じ、
狩猟的性格が強い神であるにもかかわらず
2柱の神に粥を作って奉じた!
という謎神話も少し辻褄が見えてきそうだ。

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鳥居は金属製らしき両部鳥居(前後に小さい柱があるやつ)。
両部鳥居は神仏習合と関連深い形式だが、
新しそうなので土地の歴史と関連付けるのは難しいのかな…。
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そして、この聖火リレーできそうな形の正月飾り。
群馬では見たことなかったのだけど、
今回 上田付近で結構よく見る。後で調べよう。
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ちゃんと拝殿もお正月らしい感じになっている。
扁額には「泥宮大神」の文字。
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社殿は、ちゃんと本殿があるパターン。
本殿は貯め池の方を向いているような感じで建っている。
なので、この池自体が御祭神というのではなさそうだ。
しかしなにか、この池の泥を何かするような神事が
あったりするんだろうか。
あったらうれしいが、例祭がいつなのかも不明。
今後も要サーチですな。

境内には地蔵菩薩みたいなヘアスタイルの青面金剛が。
しかし結構足先まで立体的に作られてるし、
足元の動物もくっきり残っている。
クオリティ高め(*´ω`*)
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さて、駅へ戻る途中、道端に薬師堂を発見。
どんな薬師如来が居るのか覗いて見ると…。
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なんか白塗りっぽいのとか、
頭巾じゃないモノかぶってるのとか
大きさも作風もいろいろ!
薬師如来しかいなかったところに
地域の人がお地蔵さんとか作って奉納したんだろうか…
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御堂の隅っこには、
なんか大名が乗る籠みたいなやつが。
何を運ぶんだろうか。
しかし年に一度の神事に使うにしては
ホコリかぶりすぎてる気もするな。
何に使うんだ…誰かに聞きたいのに誰も歩ってない…。

そして、その薬師堂の裏には小さな神様宅が。
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参道がかなり狭いが、
祠の大きさにしては立派な鳥居。
扁額には「飯綱大明神」と書いてある。
うちの方や東京なら絶対に
このポジションは「稲荷大明神」だろう。
飯綱とは、さすが長野とゆうべきか。
飯綱大明神は飯縄山から発生した神様で、
狐に乗った烏天狗の姿で描かれることも多い。
(東京・高尾山にも飯綱様の像がある)
狐憑きと似た意味での「イイヅナ(イヅナ)使い」は
この飯縄山付近の管狐使いのこととも言われる他、
イイヅナは狐ではなくオコジョに似た動物であり
その動物霊を使役する呪術師がイヅナ使いとも言われている。

ちなみに飯縄山の「イイヅナ」はオコジョのことではなく
砂のように見えるが食べられる菌類の一種で
もとは飯砂と表記していたというのが定説である。

飯縄山はスキーリゾートとして有名かもしれないが
妙高・戸隠などと同じ北信五岳。
天狗伝説も残る修験道の名所である。
飯綱大権現については
高尾山の記事で書いた気がするので割愛。

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なんか、印象だけれど
神社か寺院かにかかわらず
長野は信仰が濃いよね…と思った。

いろんな県に接してるのに
ちゃんと濃い文化があるというか。
多分外から何かが入ってきても
それに競り負けない土地の神様がいるんだろうか。

もうこれからは雪シーズンだから無理だけれど、
また長野の遅い春が来たら少しずつ散策していこう。

高尾稲荷とリップグロス。

東京メトロ茅場町駅から徒歩数分。
住宅街や高齢者施設のある日本橋箱崎町
「高尾稲荷神社」がある。
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本当に、村のお稲荷さんのように小さな
大きな神社の裏に合祀されている摂社のような規模。
しかし、キャラの濃さから知る人ぞ知る神社である。
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高尾稲荷といっても、
高尾山の飯縄大権現を勧請した神社ではない。
新吉原で名を馳せた遊女「高尾太夫」が居るのだ。

新吉原京町1丁目の妓楼・三浦屋。
ここの一番人気が高尾だが、
これは個人の源氏名ではなかったらしく、
この名を名乗った遊女は数名いると言われている。
その中でも浄瑠璃などの題材にもなり有名なのが
この神社に祀られている「万治高尾」。
仙台藩の第三代当主・伊達綱宗との物語から
「仙台高尾」とも呼ばれているが。

遊女が藩主に身請けされたシンデレラストーリー
…ではないのだ。残念ながら全然違う。
浄瑠璃の題材になったと言った時点でバレたかもしれないが、
完全な悲恋物である。

容姿端麗で芸達者な売れっ妓・高尾は
新吉原の妓楼にありながら仙台藩主を射止めてしまう。
彼女を身請けすると言って大金を積んだ綱宗だが、
高尾は想い人に誠を立て藩主の申し出を断ったために
隅田川の三又(この神社より少し上流)で
逆上した綱宗に切り捨てられてしまう。

…そうだよな。
「君の自由のためなら金は惜しくないから、
 心置きなく想い人のところへお行き☆彡」
  (見よ、これが僕の愛のデカさだ!)

みたいな男なら、あるいは
高尾ちゃんだって選んだかもしれないが。
これじゃ身請けされたって後が思いやられるよな。

そんなわけで、生前いかに売れっ妓とはいえ
殿様が河原で切り捨てたのでは
すぐに誰かが助けるでもなし。
高尾ちゃんの遺体は隅田川を流れ流され
ここ箱崎に流れ着いたのだった。
…ずいぶん流れたな!

切り殺されたのが
新吉原に近い隅田川河岸だとしたら
流域的には向島あたりか。三囲神社とか。
スカイツリーって言った方が分かりやすいな。
(一般的には…)
それが、両国も超えてこんなところまで。

まぁ、距離はさておき
流れ着いた高尾ちゃんは
彼女を憐れんだ町の住職さんと
住民たちによって手厚く葬られたらしい。

しかし、手厚く葬った割には
この神社の御神体は世にも珍しい
「遊女の頭蓋骨」
だということでこの神社は有名なのである。

切腹介錯じゃないんだから、
ふつう切り捨てるって言ったら首は切らないよね。
なので流れ着いて火葬してから敢えて頭蓋骨を神社に?
身体だけは住職さんの寺に手厚く埋葬?

…わからん。
わからんけど、非業の死を遂げた割には
この神社、菅原道真平将門的な祟りイメージは少ない。
御神体が頭蓋骨であり、また生前女性で
悩み多き人生をたどった遊女であるせいか…
この神社の御利益は「神経症・うつ・頭痛etcの改善」。
なんと。結構実用的で現代人も使える御利益!

また、遊女・女性といえば髪。
(演歌などでも情念を表現するのに使いますな)

管理人は黒髪ソング(もとい情念ソング)としては
坂本冬美の「千すじの黒髪」が好きです。

〽千すじの黒髪が 夜道を追いかけ夜叉になり~。
ってね。怖ぇよってね。
浮気するやつが悪いんだけど。

黒髪関係ないけど坂本冬美の「夜叉海峡」もいいですなぁ。

〽貴方がそちらで倖せならば 殺したいほど憎みます
 心だけでは いや  抱かれるだけでは いや。

…何だこの歌詞。荒木とよひさ天才か。
いや、そりゃ天才だよね。
こんなヤンデレ歌詞を書いておきながら
たしか、しれっと
ミンキーモモの主題歌とか書いてるしね荒木さん。

…何の話だっけ…。
(´・ω・`)ハテ?

うん、それで、遊女といえば豊かな黒髪
ってことで髪の悩みにも御利益があったらしい。
あとは美人祈願や縁結びもできると言われている。

願掛けの方法としては社の櫛を借り受けて
願いが叶ったら新しいのを添えて返すのが良いらしい。

んんん。社って、この社じゃないよな。
櫛置いてないし。こんなとこあったらすぐ無くなるよね。
どっかに社務所があるのか、まさか後ろの建物?
わからない。

しかし、そんな方法は知らなかったので
とりあえず高尾ちゃんへの手土産には
美容リップグロス買ってきたよ!
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これから冬でカサ付くけど
まさか太夫にメンタームリップは無いよね。
ということでこのチョイスだ。
自分はメイクもしやしないのに|д゚)

願掛けがあったわけじゃないが
ちょっと話を聞いてもらったお礼である。

そういえば、
今でこそ化粧は女性メインの文化となっているが
これは「口紅」の伝来によるとも言われている。
(あくまで、わが島国での話だが)
ここでも「丹」の話を何度かしたと思うが、
古墳時代以前の赤い顔料といえば
鉱物から作るモノが多かったと考えられている。

当時の使い方としては、
刺青のように体に模様を描いたり
または重要な場所に塗ることで
自分の体を守ったり力を表していたのでは?
などという説があったりする。

しかし、大陸から「紅」という
植物由来の鮮やかで深い赤が伝来した。
紅は金にも匹敵するほどの高級品であり、
必然的に塗る面積は小さくなっていった。
また鉱物由来のものと違い身体への害がない。
だから唇に塗っても大丈夫なのである。

赤は力を表し命を守る色から
飾るための色となり女性寄りの存在になった。

さらに江戸時代、
遊女というのは非常に所得の高い職業で
(それだけ身支度にとんでもない出費もあるのだが)
そんな彼女たちにとっても高級な「紅」
どれだけ身体に纏えるかは1つのステータスだった。

マニキュアやペディキュアとして爪に塗るほか
イヤーチークのように耳のフチにうっすら塗る
というのも流行ったらしい。

今や口紅を爪に塗ったらえらいことになるが、
昔の紅というのは貝殻に入って売っていてほぼ固形。
円形の固形水彩絵の具を水筆で溶くように使うのだ。
なので、どこに塗っても支障は無かったはずである。

そして、贅沢の極み「笹紅」。
浮世絵で見たことのある方もいると思うが、
本当の紅花から作った紅というのは
赤の純度があまりに高く
なんと赤色の光を吸収してしまうのである。
そのため、この紅を何度も塗り重ねると
唇は玉虫の羽のように笹のような緑に光る。
(笹紅、でググって戴けば画像たくさん出てきます)
これを利用して、
バッチリ稼いでいる遊女さんたちの間では
「上唇はうっすら紅を指し下唇は厚塗りで薄緑に光る」
というメイクが流行した時代があったのだ。

Wikipedia先生によると、
庶民やあまり稼いでいない遊女たちは
下地に墨を塗った上に紅を指すことで
これに近い色を出し節約した。
というようなことが書いてある。
すごいな。友人が「おしゃれは我慢だ!気合いだ!」
と言っていたが、今も昔も変わらんな。

管理人は流行りのオシャレをする為に唇に墨は…
ちょっと遠慮しておきたい。
女子力と気合いが足りないのだ。

なんだか話が外れてしまったが、今回はこんなところで。
ではまた~(/・ω・)/!

秩父神社の妙見様。

秩父神社の神輿たち*

前回の記事にも同じ写真を乗せたが、
秩父夜祭翌日の朝に撮ったので
写真手前の公道には車輪の跡が付いている。
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コチラ↑が一番新しそうな御神輿。
昨日の夜 屋台を引き連れて練り歩いたのは、
この御神輿なのだろうか。
徳川家の三つ葉葵の御紋が付いている。

そしてコチラ↓はちょっと古い御神輿。
手前にあった板を読んでみると、
この社にゆかりのある者を募り千人講を結成。
そのメンバーで昭和58年に奉納したものらしい。
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ちなみに秩父神社で一番古い神輿は
神社近隣の「まつり会館」で展示されている。
これは写真には取れなかったが、なんと埼玉県内最古。
結構古い神社のある埼玉で最古とは…中々ですな。

ちなみに、その「まつり会館」には
笠鉾が三層の笠を付けた状態で展示されている。

ん?笠鉾ってゆうんだから笠ついてんじゃないの?
と言われそうだが、実は秩父夜祭では
笠鉾は笠を付けていないのだ!
Σ(゚д゚)ガーン
曳行の順路に電線が引かれたことが原因であり、
実際の祭事で笠を付けている姿が見られるのは
秩父夜祭と対比される「川瀬祭り」のときだとか。

その姿は非常に美しいので、
皆様是非、夏も秩父へ!
ヽ(・ω・)ノソレッ

※川瀬祭りまで待てないセッカチさんは
 祭り会館へお越しくださいませ。

そして、秩父神社に戻って…いよいよ拝殿!
何とも色鮮やかで、さらに彫刻が見事!
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笠鉾や屋台を「動く陽明門!」と言っているあたりで、
日光でもないのに東照宮ネタ?あやし~|д゚)
と思ってはいたが、
この社殿 徳川家康さんが造営したらしい。
さっきのNew御神輿に三つ葉葵の御紋が入っていたのも、
それなら納得ですな…。

そして、その社殿に施された彫刻の数々!
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これ↓は「子育て虎」として有名な彫刻で
日光東照宮の「眠り猫」などを彫った名匠
左甚五郎の作品と言われている。
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…これジャガーじゃないの?と言うなかれ。
どうしてこの柄になったか分からないが
今のように動物園なども無い世の中で甚五郎さんが
寅年・寅の日・寅の刻うまれのタイガーマン家康のために
一頭入魂で彫った彫刻である。

そして、虎がいれば龍もいる!
こちらも甚五郎さん作といわれる「つなぎの龍」。
身体の周りに彫刻なのか実際の鎖なのか
この龍の動きを封じるように鎖がかかっている。
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この彫刻には伝説が残っている。
昔この近くの池でたびたび龍が暴れたらしいのだ。
そのあと不思議と 彫刻の下に水たまりができるのを見て、
人々がこの彫刻を鎖で縛りあげると
それ以来池で龍が暴れることはなかった…という話だ。

扁額の周りの緻密な龍↓もさることながら
右側の鶴と亀も遠近感・立体感があってイイ感じ。
ちなみに今は「秩父」と書かれるけれど、
本来のチチブ神社の表記は「知知夫」のようだ。
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そしてコレ↓は「お元気三猿」と呼ばれている三猿像。
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日光のが「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対して
見てるし聞いてるし喋っている(*´Д`)!
そんなところからも、また
祭神の妙見様(もしくはアメノミナカヌシ)が
人の寿命を司ると言われる北極星の神であることからも、
長寿に御利益のある「お元気」三猿と呼ばれるのだ。

そして、こちら↓が「北辰の梟」。
社殿後ろ(=北向きの面)に居て、
身体はキチンと本殿内の神様の方を向きながら
目は信仰対象である北極星を見つめている。
顔を真後ろに向けられる梟ならではのポーズである。
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秩父神社の神様とは*

秩父夜祭で愛人・妙見ちゃんの話をしたせいか
妙見菩薩が最前面に出てしまったわけだが…。

もともとはチチブの初代国造・知知夫彦さんが作った神社。
彼は自分の御先祖様と言われている
八意思兼(ヤゴコロオモイカネ)を祀ることにした。
その名前の意味は「多くの思慮を併せ持つ神」。
思想や思考、知恵の力を神格化した神様である。

前にも話したが、アマテラス岩戸隠れ事件でも
「みんなで楽しそうにするといいんじゃね?」
「少し開いたら鏡をアマテラスに向けるのもアリだな」
と提案したのは彼だった。

そして時代は下り、
この神社を作った知知夫彦自身も神として合祀。
しかし、律令制がくずれ豪族のパワーはダウン。
国造一族がベースだった知知夫神社も落ち目になった。


さらに、追い打ちをかけるように
鎌倉時代 落雷で社殿が消失。
建て直しにあたり宮地地区にあった妙見宮を合祀。

このころの妙見様は、
平良文という武将の戦勝祈願を見事にかなえ
彼を祖とする秩父平氏の間でも人気者に!
※この戦いで良文は平将門の旧領を獲得したので、
 平将門に勝って乱を治めたと言う説もある。
 しかし将門と戦ったのは良文の兄・国香であり
 良文はむしろ将門に味方して
 妙見菩薩の加護で将門&良文が逆転Vだった。
 という話もある。
 

まぁ、落ち目の古株と大人気の新人を比べれば
民衆の気持ちが 乗りに乗っている妙見様に向くのは
至極当然な流れだっただろう。

その勢いといったらもう、
こんな大きな「妙見様扁額」ができてしまうくらいだ。
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かくして
明治の神仏分離ストームが吹き荒れるまでの間、
秩父神社では妙見様がセンターを務めてきた。
秩父神社」でなく「秩父妙見宮」と呼ばれていたほどだ。

今でも秩父夜祭で主役を張っている時点で
実質的なセンターは妙見様なのかもしれないが、
一応神仏分離の結果
妙見様は 同じく北極星の神である神道のカミサマ
「アメノミナカヌシ」と名前を変え、
ヤオモイカネとチチブヒコも返り咲いた。

秩父神社の女神様*

ちなみに本殿に居る神様はそのあたりだが、
忘れてはいけないのが
「柞乃杜(ははそのもり)」の女神様。

ハハソとはコナラの仲間の古称だそうで、
この神社の鎮守の森はふるくから「柞の杜」と呼ばれた。
柞(ハハソ)は「母巣」「母蘇」とも表記され、
和歌の世界では「母」という言葉を導く枕詞でもあった。

そんなイメージで、
この森の神様も女神様となったわけだ。
そしてなんと、妙見様が社に招かれる以前は
夜祭で武甲山の山神と逢瀬を重ねていたのは
この女神様だったともいわれている。

そもそも、
妙見様というのは男神であることが多い。
様々な宗教に北極星信仰があるためか
その像容はかなり様々だが…

妙見菩薩を考案した中国でも
仏教の故郷インドでも
死と寿命の神は男性神だったはずだ。
(エジプトや日本は女性だけど)

「乳の神さん」として有名な
伊勢神宮(外宮)の妙見堂の妙見様ですら、
本人(?)は武装した男性神である。
※この武人がどうして乳神サマなのかは
 こちらの記事(河童と妙見様)の後半で。

そのため、この秩父の妙見様は
柞の杜の女神様とミックスされたために
途中から女性になったのでは?
と考える方が自然な気がするんだな。

…もし
「適当なこと言いやがって!」
秩父の妙見様は最初から女よ!」
等々なにか知っている方がいたら教えてください…
(; ・`д・´)

ちなみに、
四方を守る四神というものがいるけれど
北を守っているのは「玄武」というカメである。
そして、このカメさんはしっぽが蛇なのである。
武甲山の蛇神と、秩父の妙見ちゃんが乗っているカメ。
ふたつ合わせて玄武に…とか考えてしまうわ。

山の神様が蛇神だなんて
別にそれだけ聞けば珍しくもなんともないんだが(゚д゚)。


秩父祭り4日目*
先日の夜祭の記事にも書いたのだが、
秩父夜祭は宵祭(2日目)と本祭(3日目)で終わりではない。
4日目は蚕糸祭。
その年の農作物の実りや蚕糸の出来を感謝する、
地域が地域のために行う祭事という感じがして好きだ。

うちの群馬も蓄光繭とか黄金繭とかあるけど、
秩父秩父でいろんな色や品種を作ってるみたいですな。
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観光名産品協同組合が
自信を持ってお勧めする一品たちを奉献!
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…JA養蚕部会は分かるけど、
こんにゃく部会なんてのもあったのね…
(手前の紙にそう書いてあった)
他のイモ類とか野菜とは分ける必要があるんだろうか。
それとも、トマト部会とか各農産物ごとに部会が⁉
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そんな秩父祭は5日間であるが、
元来この期間は地産の絹市を開く期間だったのだ。
そういう意味では
この4日目の蚕糸祭が本祭でも良いくらいなのでは…。
と、個人的には思っている。

すっかり屋台・笠鉾が主役になっちゃってるけど
あの絢爛な屋台と笠鉾でさえ、例祭の「付け祭」であり、
全国から絹市に来る絹バイヤー(?)たちに
見せるために始まった説もあるというのだから…

サービス精神というかもてなし好きというか。
それとも「どや!」という感じなのか、
逆に「あなたたちが買ってくれるからこんなの作れたよ」
という感謝のフィードバックなのだろうか。
まぁ確かに富山・八尾も、
繭売ってスゴイ山車作ったりしてるけど。

その、屋台・笠鉾行事が
今やユネスコ無形文化財ですよ!
大したもんだなぁ。おめでとー!
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「有名になって混む」だけでなく、
この地域の歴史や祭りの由来が広く知られて
観光行事でなく神事として広まってくれることを
願う管理人でしたとさ。


*おまけ*
秩父夜祭と言えば、
絢爛な笠鉾のバックに悠然と広がる
大輪の花火でしょう!
と、いうところだが
曳行を後ろで見ていた地元ッティが言ってたんですよ。

「明日市役所勤めてる友達がアレのカスめっちゃ拾う」

そう。羊山公園から打ち上げている花火たちの忘れ形見。
それを拾う行程は「黒玉拾い」と呼ばれる。
ちゃんと名前までついているのだ。
市役所職員だけでなく、消防、打ち上げた業者
そしてもちろん観光協会も協力する。

観光客は
「もっとバンバンあげてくれないと写真うまく写らない」
などと勝手なことをおっしゃるが、
そこは何とかうまくシャッターを切ってくれ。
そんなに打ち上げたら黒玉の山ができてしまうわ!

我々外部の者にとっては一夜の祭でも
それは地域にとっては一年かけてきた祭事であり
祭りの場は生活の場である。

秩父に限らず祭事では 観光気分で
持ってきちゃいけないものを持ってきたり
入っちゃいけないところに入ったり
触っちゃいけないものを触ったり
捨てちゃいけないところに捨てたり
撮っちゃいけないものを撮ったりするのはやめよー。

※これの最たるものが岡本太郎のイザイホー事件。
 (岡本太郎は観光気分ではなかったかもしれないが)
 あんまりやりすぎると、今まで見れていた貴重な行事が
 誰も見られなくなる可能性もあるという事例である。