とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

福を掻っ込む、酉の市。

こないだ記事を書いたのがハロウィン前だったので、
もう1ヶ月くらい経ってしまったわけですね。
寒くなってきたので、もはや更新頻度も冬眠寸前ですわ。
(´・ω・)

さて、11月といえば「酉の市」。
管理人は通勤コースに鳥系神社があるので、
平日開催の市でも気軽に見に行くことができる。
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今回行ったのは11/1に開かれた「一の酉」。
ちなみに、今年の二の酉は先週11/13(火)だった。
そして、ちょっと珍しい「三の酉」は 今週11/25(日)。
日曜日だから、平日仕事の人も市が見れるぞ!
(/・ω・)/♪

いや、もうね。前の晩にテンション上がって
独りで酉の市イメージキャラクター↓勝手に作って、
翌日仕事なのに25時すぎまで落書きしてましたよ。
遠足前日の子供か、ってね。
(マジメに仕事に備えろ)
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社名が目立たないが、ここ↓は前橋市千代田町の「熊野神社」。
まぁグンマーなので、長國寺さんや花園神社に比べたら
賑わいは何分の一なわけだが…。
管理人はこの、商店街のアーケードから直接
参道につながっている感じが好きだ。
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祭神は櫛御気野命(クシミケヌノミコト)=スサノヲノミコト。
本家の熊野神社でも熊野大神と呼ばれる3柱の神が祭神であり、
その中の「家都美御子大神」という神様がスサノヲにあたる。

酉の市といえば「鳥」。
特に鷲や鶏にちなんだ神社仏閣で行われることが多い。
が、こちらの神社は「神使がカラス」となっている。
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まぁ辛うじて鳥つながりではあるけど、
日本神話だけ見たらそもそも
スサノヲと八咫烏って そんなに絡みあったっけ?
神武天皇のもとに八咫烏を派遣し導いたのも
スサノヲでなくタカミムスビだと言われているし。
タカミムスビの子孫(の仮の姿)=八咫烏という話もある。
どっちかっていうと八咫烏と縁が深いのは
造化三神タカミムスビでは…。

ただ 熊野三山全体において八咫烏は「ミサキ(御先)」
つまり神霊の現れる前触れや使いとみなされている。
なので、熊野の神であるスサノヲの使いも
もちろん八咫烏が務めている、というコトなのだろう。
※管理人は熊野信仰を全く体系立って理解できていません。
 「適当言うな。スサノヲさんと烏にはこんな繋がりがあるんや」
 という方や詳しい方がいらっしゃれば是非ご教示願いたいです…。

前橋の熊野神社では毎年
酉の市にだけ「八咫烏 御影」が御開帳となるが、
その仰々しい名前とは裏腹(と言っては失礼か)に
タレ目で可愛らしい キャラクター的なカラスさん↓である。
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神武天皇を導いたことから
導き・案内・戦勝のシンボルとされることが多いが、
古代中国において兎が月・烏が太陽を表す動物だったことから
日本神話においても太陽と関わる場面で登場したりする。
つまり、お天道さんがなくては始まらない農業にとっても
八咫烏は大切な動物なのかもしれない。
(それとも単に酉の市だから稲穂持たされているんだろうか)

市は日中からで、管理人が着いたのは終了1時間前。
熊手もだいぶ売り切れてしまっている様子だ。
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周りが商店街ということもあり、
店に置くような大きめのモノを買っていく人もいた。
管理人は、小さい方から2番目の大きさを購入。
「ちょっと小さかったか?」と思ったものの、
部屋が狭いので飾ったらまあまあな存在感だったとさ。
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ちなみに、酉の市は神社だけでなく寺院でも開かれる。
というのも、神道由来と仏教由来 どっちの起源もあるから。

まず神社的には、
ヤマトタケル鷲宮神社に戦勝祈願をした。
そして、東征で勝利を収めたため大鷲神社で戦勝を祝った。
そして死後、棺に衣を残し白鳥となって飛び立ったことに因み
彼が最後に降り立った地に「大鳥神社」(大阪府)を建立。 
このように、鳥系神社に縁が深いヤマトタケル
それにちなみ、彼の命日である11月の酉の日に市が立ち
これが酉の市の起源だというのが1つ。

そして寺院的には、
日蓮鷲山寺(千葉県)で国家の平穏を願った。
すると、明星が輝き出し鷲の背に乗った菩薩さまが現れた。
折しも11月の酉の日であった。
以来、11月の酉の日には鷲妙見菩薩の出開帳が行われ
それに合わせて立った市が酉の市の起源だという。

ちなみに、酉の市といえば熊手。
この熊手を売るようになった由来は、
ヤマトタケルが熊手(武具)を奉納し
東征前に戦勝祈願したからという説があったり。
また庶民的な所では、農具市だった酉の市で
年の瀬が近いこともあり縁起物をオマケにつけた。
という説もあるのだとか。

*おまけ*

ちなみに「酉の市は鳥系神社でやる」という話で、
熊野神社は烏がいるから鳥系に入るのかな~?
というようなことを言ったが、
実は前橋市千代田町熊野神社に関しては
モトは別の神社で行われていた酉の市を引き継いだ(?)
のだというコトが分かった。

別の神社というのは、
元々この近くにあった小石神社という社だそうだ。
え…烏よりさらに遠ざかってるじゃん…。と言う勿れ。
ココはもともと八坂神社とされており
栃木県佐野市大鷲神社から分霊された社もあった。

現在は、この小石神社
群馬県民以外に通じない話で申し訳ないが)
敷島公園の近くに鎮座している。
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中はキレイに整い、ウサギの扁額や円空仏的なモノが。
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小石と「恋し」を掛けているようで、
恋愛成就や縁結びに関する絵馬が目立つ。
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ココに願いを書いた「小石」を置くと叶うとかで、
小石が集まっているエリアが。
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外観的には歴史は浅そうな感じではあるが、
さくらがキレイなので前橋在住の方は是非!
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…あれ?
何だか小石神社の紹介が始まってしまったが、
話を戻して酉の市である。

この小石神社移転に伴い、
併せて祀られていた大鷲神社の分霊は
現在の熊野神社へ預けられることとなった。
そこから、熊野神社が酉の市を引き継いだのだそうだ。

さあ、いよいよ この週末は三の酉。
酉の市は11月の酉の日ごとに開かれるため、
三の酉が無い年もあるわけで。
この三の酉がある年は火事が多いと言われ、
神社によっては三の酉の年限定で
「火除け守り」を売るところもあるらしいですよ
(/・ω・)/♪

一説には、
酉の市にかこつけて吉原へ行こうとする男どもに
奥さんたちが釘を刺すために始まった言い習わしとも。
ともあれ、今週末は皆さん思い思いの場所で
酉の市楽しんでくださいね!

管理人は東京の酉の市を見に行こうかと考えてます!
(*'ω'*)

御嶽神社と、都心のオオカミ。

さて、今回カワイイ電車に乗って目指すのは
東京都大田区・嶺町にある御嶽神社
まぁ目指すと言って
五反田から東急池上線で15分程度で最寄り駅。
その御嶽山駅からは徒歩数分。
かなり気軽に行ける神社である。

…と余裕をこいていたら五反田で階段から落ち
あわやヒザの皿が割れるかという事態に(´・ω・)
※大きな青アザだけで済んだ
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この日はハロウィン前の土曜だったため、
日中から そこかしこに仮装している人が溢れていた。
そしてまさかの…
神社前でも町内会だか商店街の仮装コンテストが!
人を入れずに鳥居撮ること能わず(´・ω・`)
ちょっとボカシ入れてみました。
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御嶽(おんたけ)神社は名前からも分かるように
木曽にある御嶽山への信仰から生まれた神社。
大きな被害を出した御嶽山の噴火は記憶に新しいが、
あらためて調べてみたら2014年のことだった。
もう4年前だなんて、時の経つのは何と速いことよ…(´・ω・)

手水鉢には今年の登山を記念した布が掛けてある。
講中の方が納めたものだろうか。
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富士山信仰に励む富士講などでは、同じく上部に山を掲げ
下には講ごとに円で囲んだ漢字を配置しているものが多い。
例えば、参を〇で囲んだのが「丸参講」嘉なら「丸嘉講」。
一方の御岳山信仰で用いられるのは、この↑山と円のマーク。
本殿横の戸にも飾ってあった↓山が謎の形になってるけど…
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これは通称「山丸三」「山に丸三」などと呼ばれ、
御嶽山に関わる神社の神紋として使われるほか
御嶽山で採った薬草を原料とする百草丸のロゴにも。
あれ…もしや今時の若者は「百草丸」知らないのか?
黒い小粒の、おなかのお薬ですよー(*'ω'*)!

余談だが、
山が付いていないバージョンは「丸に三つ引き」といって
武家であった家系に多い家紋とされる。

“円は宇宙、三本線の真ん中は大日如来
上下の線は その分身である不動明王と摩利支天を表す”
と日野製薬さんのブログに書いてあった。
略式の曼荼羅みたいなものだろうか(違うかな)

手水鉢を後にして境内に向かうと、
駅近&住宅地の割に敷地は広い。
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賽銭箱もかなり立派なものだった。
地域や講中の方に大事にされている神社なんだなぁ。
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拝殿向かって左を見ると、
もう1つ神社のようなものがある。
扁額を見ると「一山神社」と書かれていた。
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祭神となっている一山(イッサン)行者という人は、
この神社の「中興の祖」ともいえる人物らしい。
本名は治兵衛さんといって神奈川県津久井で誕生。
埼玉県与野に婿入りするも 家族を残し出家してしまった。
というのも「下化衆生」本願を叶えるためだったという。
下化衆生とは、衆生(惑いつつ生きとし生けるもの)を
教化・救済する(教えを説くことで導こう!)という意味。

ちょっと聞いてよ。こないだウチに来た婿、
衆生を救うとか言って出て行ってさ。
こないだ見たらホントにお坊さんになってたんだよ…。

宗教的に見れば志高く素晴らしいことだが、
一般人からすると「変わった人」では…(´・ω・)
まぁしかし、彼の熱意はホンモノで
寺での修業に留まらず山岳修行にまで赴いた。
秩父・三峯から駒ケ岳を経て木曽・御嶽山へ。

そして御嶽山に籠り修行を続ける一山の夢に
御嶽山の神とされる3柱が現れて言ったのである。
「Hey、You!すぐに山を下りよ!衆生を救おうYo!
 ラッキーなことに江戸の近くに 縁深い場所があるYo!」

…そんなに軽くは無かったと思うが
ともかくそんな感じのお告げ通り江戸に向かい、
一山行者は教えを広めながら その場所を探した。

すると、なんと武州・嶺村というトコロに
御嶽山の小さな社があったのである。
一山さんは社に留まり 教えを広めつつ
住民の信頼と協力を得て小さかった社殿を再興。
一山神社の手前には、
地域の信者が水行をするための水行堂まである。
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屋根付近には彫刻も施され、火灯窓もステキだ。

洋菓子・カヌレのような形の「火灯窓」は
名前の通り、火焔を象っていると言われている。
(管理人は、最初に火灯窓を見た時 言われるまで気づきませんでした…)
安土桃山時代以降は神社や城郭にも用いられたが、
大陸から伝わっただけあってモトは禅宗の寺院に多い意匠。

流行ってからは神社にも使われたとはいえ、
水行をする場所が禅宗デザインってなんかいいなぁ。
山岳信仰の習合感 出てる感じがする(*'ω'*)!

水行堂の手前に見えているお地蔵さまは
延命地蔵」と呼ばれ地域に親しまれているらしい。
なんでも、昭和13年に起きた「阪神大水害」の際には
様々なものが濁流で押し流される中にあって
数人の子供が この地蔵尊の傍らで助かったという。
それから、様々な人に大切にされながら
現在のこの地に安置されるに至るという。

また、一山神社の鳥居側には稲荷神社もある。
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そう大きいものではないが、
ガラス張りの戸から中を覗いて見ると…
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おお、意外と重厚というか深みのある感じ。
そして、オアゲでなく柑橘類が供えてあるのがイイ!
花園稲荷の記事に書いたかもしれないが、
狐さんたちは元々肉食系。
願いを叶える対価として人の肝を備えるΣ( ゚д゚)
という風習があったようだが
ご想像の通り そう簡単に手にはいるものではない。
話によると肝というのは酸味があるので
同じく酸味のある柑橘類で代用したのが始まりという。
それで良かったのか…?

さぁ、そして!
管理人は稲荷を愛するイナラーだが、
今回なぜこの神社に来たかというと
コチラのオオカミさんに会いに来たワケですよ。
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伏せた耳に 浮き出た肋骨。
口は大きく裂け 細い牙が並んでいる。
右の子は耳と巻物が欠けているが、縄と紙垂は比較的新しい。
定期的に替えてもらっているようだ(/・ω・)/♪

狛犬じゃなくて狼?珍しい!
秩父奥多摩じゃないと見れないと思った!
という方もいるかと思うが、
実は都心にも狛狼さんが結構いる。
世田谷・砧(きぬた)の三峯さんや
渋谷・宮益坂の御嶽さんが有名だろうか。

今回訪れた御嶽(おんたけ)神社は
木曽御嶽山を信仰の源とし、
御嶽大神と呼ばれる3柱の神
クニトコタチノミコト
・オオナムチノミコト
スクナヒコナノミコト
を祭神としている神社である。

対して、宮益御嶽(みたけ)神社は
青梅の御嶽神社からの勧請か?と思いきや
奈良・吉野の金峯神社からの勧請。
現在の祭神は
ヤマトタケルノミコト
・秋葉神
オオクニヌシノミコト
・菅原の神
となっており、
江戸の民衆が信仰した神様も
メンバー入りしているような気が。
大元の金峯神社を見てみると、
金峯山寺蔵王権現をメインに広がった
山岳密教カラーの濃い信仰である。

そして、砧三峯神社
秩父三峯神社からの勧請で
イザナギイザナミ夫婦を祭神とする。

地域や祭神こそ違えど、
いずれも お山に対する信仰がベースであり
狼さんはそうした神社を守っているのである。

特に、先ほど名前を出した
青梅の武蔵御嶽(みたけ)神社では
祭神・櫛真智命ヤマトタケルを差し置き、
大口真神」「ご眷属様」「お犬様」と
様々に呼ばれ狼さんが活躍中だ。

都心のみなさんも、
ぜひお近くの狼さんを探してみては?
(*゚▽゚)ノ♪

さて、もはやどこの神社の話だっけ?
という状態になってしまったが、境内に戻ります。

拝殿の脇から裏へ回ってみると、
なんと見事な本殿が!
浦島太郎や、それを見送る乙姫。
温公の甕割りなど細密な彫刻が…!
(*´ω`*)♡
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個人的には、
彩色がないところが また良い!
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そして、鳥居が目に入り ふと見ると
イイ感じの苔と釣瓶の滑車のようなものが。
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こちらは、地域の方向けでは無く
一山行者自身が水行に使った古井戸跡らしい。
今は井戸では無くなっているが、
綺麗な水を湛え 生き生きした苔が繁る良い場所。
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さらに奥へ行くと、ちょうど本殿の真裏に
「霊神の杜」と書かれた場所が。
石碑などが立ち並び落ち着いた雰囲気。
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おや?なんか人がいる。アレが一山さん?
と思ったが、御嶽教創始者・渡辺菊太郎さんでした。
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この「霊神」の石碑群というのが
ひとつ木曽御嶽山信仰の特徴かな…。
と個人的には思って居て、
実際の御嶽山中にも多くの石碑が佇んでいる。
コレは御嶽信仰の信徒さんたちの
「私たちは死んだ後 童子としてお山に迎えられる」
という考えによるものらしい。

亡くなったら
伊弉冉治める根の国へ行くでもなく
阿弥陀仏のいる浄土へ昇るのでもなく
生前拝んできたお山に還る。

いまでは馴染みのない考え方かもしれないが、
お山へ上がって田畑を見守る
山から里へやってくる田の神の一部になる
多くの獣を擁する山神の懐へ帰る
という考え方は多くの地域で耳にする。

亡くなっても
この世の信仰や生業から分断されない
シームレスな死生観とゆう感じかなぁ。

現代社会ではなかなか
復活が難しいかもしれないけれど、
管理人は病院で働いているので
亡くなって行く方や家族を見るたび
この考え方がベースにあればと思うことがある。

自分の家系のお墓が「家」だとして
もちろん家が安泰なのも大事だけど、
それより大きなくくりで
ここに帰るんだ、っていう「地域」とか。
あとは
一緒に山を巡ったあの先輩たちのところへ仲間入りだ。
ってゆう「サークル」が
死後の世界にも想像できたらいいね。
って、少し思ったのでした。

*おまけ*
境内には大鳥神社もあったが、
ここの狛犬はなかなか個性派だった。
あまりの上目遣いで、もうほぼ白目!
でも彫りは細かく深く、いい狛犬
またお気に入り狛が増えたとさ(*゚▽゚)
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刀と狐の粟田神社。

京都には数え切れないほどの名物がありそうだが、
恐ろしい数の観光客も その1つでは…と管理人は思っている。
(´・ω・)
大通りは特に、人も車も建物もミッチミチ。
「これでは神社にいますカミサマも窮屈だろう」
などと思いながら目的地・粟田神社へ向かう。

しかし、角を一つ曲がると意外なほど閑静だった。
山へ向かって 緩やかに登っていくような、
思いのほか長い参道が続いている。
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どんな神様がいるところか知らずに入ったが、
調べると「感神院新宮」だったと書いてあった。
感神院といえば八坂神社が「神社」になる前の名前である。
そこの新宮ということは八坂神社と 何か関係が…?

というと。昔むかし、
「今年は飢饉とか疫病とか悪いこと盛りだくさん!」
という占いの結果が出た年があった。
出羽守藤原興世という人は「なんとかせねば」と
感神院に作った八坂社(現・八坂神社)に籠り、
ナムナムと祈願しまくっていた。
すると夢枕に一人のお爺さんが出てきて言うのである。
「わし、オオナムチだよー。知ってるっしょ?
 ここの北東にイイ感じの土地があって、
 疫病の神・牛頭天王ともつながりが深い場所なのよ。
 そこにワシを祀れば国も民も守るけど、どう?」
疫病をどうにかしてくれるらしいので、
藁にもすがる思いで指定された土地に御宮を建立。

そうして完成したのが、この粟田神社
その御利益は「厄除け・病除け」に留まらない。
粟田口(京都西の出入り口)に位置し多くの旅人が行き交うため、
東海道が整う頃には「旅立ち・旅行安全の神」ともなった。
さらに、あとでお話しするが刀匠にも縁が深い神社となっている。
そのため、製鉄・鉄工業者のみならず
刃物を使う料理人さんなどにも信仰されていると聞く。
コチラが現在の拝殿。
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ちなみに、旧名は感神院新宮・粟田天王宮というそうだ。
確かに主祭神も八坂神社とほぼ同じで、
中央にはスサノオ牛頭天王と同一視)がいる。
ただ、オオナムチ(大国主)も同居しているので
「なんだか ソリが合わなそうな二人だな」
と不思議に思っていたのだが、そういう経緯があったわけか。

その左座にはスサノオの8人の息子「八王子」。
右座にはクシナダ、オオイチ、サスラという3人の姫神
クシナダは皆さんご存知の通り、スサノオの妻である。
ヤマタノオロチに捧げられそうになったクシナダ
櫛に変えて自らの髪に差して戦う場面は有名なハズ。
しかし、いずれは母・イザナミのいる根の国へ行かねば…
と考え、円満な家庭を離れることを決めたスサノオ
その旅の途中で出会ったのがオオイチヒメである。
昔のヤンチャ癖が出たのか 彼女との間に双子をもうけ
その2柱は日本人に無くてはならない神に成長。
それが大歳神とウカノミタマである(/・ω・)/!
そして最後のサスラヒメはというと、
祓戸四神という清めの神様の一人であり
またスセリビメと同一視されることもある女神様。
もしここでもスセリビメだとすれば、
彼女はスサノオの娘でありオオナムチ(大国主)の正妻。
オオナムチに一目惚れした熱烈な彼女と、
女性がキッカケのトラブルに巻き込まれやすいが
半面、女性の助けでピンチを切り抜ける色男・オオナムチ。
そして娘を嫁にやりたくないモト問題児・スサノオ

そんな愉快なメンバー(?)で一悶着あったので、
先程「ソリが合わなそうだ」と言わせていただいたのである。
そうでなくても主祭神の第一妻・第二妻が同居。
拡大家族世帯かと思いきや内情は複雑そうである(;゚Д゚)

さて、神様の話はこれくらいにして境内を散策。
まず、京都でたまに見る感応式手水鉢!
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数日京都に滞在していると慣れてくるが、
最初は「!?」となったΣ(・ω・ノ)ノ!
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神馬ちゃん↑注連縄モシャモシャ喰っとる…。
寅の扁額↓は年季が入った為か、かなり輪郭が曖昧な感じに…
Σ(・ω・ノ)ノ!
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こちら↑は扁額ながら躍動感のある神馬ちゃん。
そして、そのすぐ手前には
この神社にゆかりのある「刀」↓も奉納されていた。
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刀とどんな関係が?というと、
この粟田神社境内には鍛冶神社↓という末社があり
製鉄の神・アメノヒトツメ
短刀づくりの名工・粟田口藤四郎吉光
そして刀匠・三条小鍛冶宗近が祀られている。
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小鍛冶宗近は刀匠の中では(多分)有名なほうで
能が好きな方や「刀剣女子」なら知っている名前のはず。
彼は昔、一条天皇から刀を作るよう申し付かったが
なかなか良い刀を鍛えることができずに苦心していた。
すると、彼が常日頃から信仰していた稲荷神の神使が
「いつも信心してくれる彼を助けなきゃ!」と現れた。
そのキツネが相槌を打ち、出来上がった刀が
「小狐丸」である!

九条家が所有していたというが、現在の所在は不明。
狐と刀匠が鍛えたというユニークな出自から、
能「小鍛冶」として演じられたり
刀剣女子ブーム(?)の火付け役・某「とう〇ぶ」にも
「大きいけれど小狐丸」というセリフと共に登場する。

粟田神社境内にある北向き稲荷↓には
小鍛冶宗近と刀を打ったキツネ・雪丸稲荷が祀られているという。

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その近くには、昔からこの土地を守ってきた土地神さん。
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「太郎兵衛稲荷」とは書いていないが、
狐が控えているし 神紋を見る限りは稲荷神のようだ。
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一方の吉兵衛神社は土地神様と言うだけで
具体的にどんな神様なのかはよく分からなかった。
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小さな石の前に平たい石が盾のように建っている様子が
「御前立」のような位置関係で気になる。
いまは神社境内に移動しているが、昔は青蓮院御門のそばにあり
吉兵衛神社は御門の東、太郎兵衛は御門の西にあったらしい。
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二社の近くに石碑があり、
ロシア艦であるワリヤーク号の6吋(インチ)砲が
戦利品として粟田神社に納められた書いてあった。

そして、もうひとつ寄っていただきたいのが
境内にある「出世恵比須神社」である。
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源義経が源氏再興を祈願した神様とされ、
この恵比須様を拝んでから奥州下向に旅立ったため
出世恵比須のほか門出恵比寿とも呼ばれるらしい。
昔は三条蹴上の夷谷にあったが、
なんと土砂崩れで三条神宮道付近の夷町まで流出。
紆余曲折を経て、ここに移動されたという。
今の日本最古の寄木造のえびす様と言われているので、
出世に興味のない無欲な方も是非社を覗いてみてほしい。
へにゃっとした満面の笑みの恵比寿様とは
ちょっと違う「凄み」を感じる恵比寿像だった。

このように境内社も多い粟田神社だが、
ココで満足せず道を渡って相槌稲荷にも行ってみていただきたい。
はじめこそ朱塗りの小さな鳥居がいくつも建っているが、
どんどん住宅地の中に入って行き
最終的には家と家の隙間を通るような感じで辿り着く。
周辺住民の方が自宅の壁に「相槌稲荷はコチラ」と
札を貼ってくれているので通れるが 不法侵入感は否めない。
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先程の雪丸稲荷には相槌を打った狐が祀られているというが、
名前からするとコチラの方がそれっぽい。
小鍛冶宗近が日ごろ信心していた稲荷社は
この相槌稲荷か、都ホテル内にある稲荷社ではといわれている。
小鍛冶宗近のエピソードが謡曲や歌舞伎にもなったことで
江戸時代以降は芸事の守り神ともなっているらしい。
すぐ隣には二ノ富弁財天も祀られている。
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分かりづらい場所と小さな社ながらも
管理人がいる間に6人以上の人が参拝に来ており、
人気者具合が窺えた。

さて、実際行ったのは春先だったわけだが
なぜこのタイミングで粟田神社の記事だったかというと。
更新が遅れに遅れただけじゃないですよ(それもあるけど)
粟田神社には「祇園祭の山鉾の原型」と言われる剣鉾があり、
昔は「祇園祭をしない年は粟田祭を御霊会とす!」と言われていた。
その粟田祭が、この10/6,7,8の三連休に催行されます!
(/・ω・)/パンパカパーン!
台風が近づいてきているのが心配だが、
土曜日の石見神楽・おいでまつりに続き
日曜日には御迎え行列や夜渡神事
月曜(体育の日)には神幸祭・剣鉾の行列が予定されている。

ちなみに粟田神社の祭りではあるが、
青蓮院門跡で行われる神事があったり
相国寺の僧侶による読経があったり
神官と僧侶が一緒に神霊を迎え入れるという
ちょっと珍しい「れいけん祭」があったりと、
神仏習合度の高いイベントである。

そして管理人的一番の見どころは…
祇園祭では鉾が巨大なヤマの上に付いているので
鉾が小さすぎて見えないッ((( ゚Д゚)))!
(ハ〇キルーペのケンさん風に)
でも、粟田祭ではハッキリ見えちゃうんです!
夜渡りの際、町内各所に剣鉾が飾られ、
また月曜の神幸では鉾差しの方が腰に差し革を付けて
6~7mもある剣鉾を持って行列するのである。
剣鉾はいずれも美しい細工で飾られ 鈴が付いている。

独特の歩様で竿をしならせ、
先に付いた鈴を鳴らしながら鉾が神輿を先導する風景は
視覚的にも聴覚的にも美しい。

是非見てみてください(*'ω'*)
今回は台風のこともありますし、
日程等に関しては神社HP等でこまめに確認し
安全な御旅行を!

シシが集まる立石寺。

もう1ヶ月以上たってしまったが、
岩手県北上市で8/4に「みちのく芸能まつり」を見た翌日、
8/5に山形県山形市にある宝珠山立石寺(りっしゃくじ)さんに行ってきた。
(山寺、といったほうが分かりやすいという方が多いらしい)
ここは清和天皇の勅願により、860年に慈覚大師が開いた天台宗の山。

山寺といっても1つの堂宇を指しているわけではなく、
その山一帯が山寺と呼ばれているという。
今回行ったのは、登山口側から上ってすぐにある「根本中堂」。
ブナで作られた建物としては国内最古ともいわれている。
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堂内には「不滅の法灯」が灯っている。
え?それって何?という方もいると思うが、
まずはじめに最澄さんが比叡山延暦寺の根本中堂において
「後世まで 仏法を照らし伝え続けてくれるように」
との願いを込めて灯したと言われている。

それが同じく天台宗の寺院である立石寺にも分灯されたわけだが、
なんと 大本である延暦寺の法灯が消えてしまったことがある。
皆さんご存知、織田信長の“延暦寺焼き討ち”である。
幸い、この立石寺に分灯してあったため
比叡山の灯は立石寺からの分灯で復活したという。
ちなみに、立石寺も一度 仙台伊達氏の肩を持ったために
仙台藩に対抗する氏族に攻められ灯が消えてしまったらしい。

根本中堂から向かって左のほうへ行くと、日枝神社がある。
この山寺の鎮守社となっているようだ。
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あれ?神社はサラッとだね?めずらしい。
と言われそうだが、今回は「磐司祭」を見に来たのだ。
磐司とは、山寺ができる以前にこの土地で権力を持っていた
マタギ・磐司磐三郎のことである。

慈覚大師が
「仏様の教えはこうでね、それで、殺生はやめてほしいのです」
というような話をしつつ、この山一帯を譲ってほしいと話した。
これに感じ入った磐司磐三郎は、殺生をやめ山を譲るばかりか
自らも出家し開山を助けたとも言われている。
なんという説得力。慈覚大師、カリスマ営業マンではないか。

まぁそんなことで、マタギの頭領が猟をやめ
殺生もしないと誓ったことで救われたのは動物たちだ。
イノシシやシカたちが喜びと感謝で舞を舞ったのが
この磐司祭でシシ踊りが奉納される由来らしい。
現在では、二人の功績をたたえるとともに
山の霊たちを供養する祭りとして続いている。

*夜行念仏*

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これは磐司祭の中で行われた奉納なので昼間だが、
本来は磐司祭の前夜に行われているもの。
夜行念仏講の講員さんが鉦を鳴らしながら
夕暮れから夜にかけて山中の各所(御堂や祠)で
回向文(えこうぶん)または回向念仏を唱えて回る。
夜までに目指すのは「奥の院」。
そこには、亡くなった方の写真や髪
そして「ムカサリ絵馬」などが置かれているという。
ムカサリ絵馬とは山形周辺に残る習俗で、
とくに夭折した者の死後の幸福を祈り供養するため
架空の結婚式や入学式など
「生きていたら迎えるはずだった祝い事」
を描いた絵馬である。

1960年代、ビートルズが大ブームだった頃までは
奥の院の手前にあるにある華厳堂や中性堂には
身内を亡くした参詣者(オツヤ-キャク)たちが詰め、
普段は存分には語れない故人との思い出や悲しみを
残された者同士で語り合いながら
夜行念仏が回ってくるのを待ったと言われている。
当時の様子が比較的細かに記されているのがコチラ。

この本によると、
オツヤキャクのもとに講中が到着すると
遺族たちも一緒に御詠歌を詠じたという。
これが済むと、オツヤキャクは講中の金剛杖から
垂(シデ)をちぎって御守りとしたという。
この角材のような杖が「金剛杖」。
そこから下がっている紙が「垂(シデ)」。
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講中は、経文が書かれた帷子をつけている。
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…ッと思ってみていたら肩にトンボが!
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山形のトンボは懐っこいのか、

後で会った知り合いの腕にも長時間とまっていた…。

長瀞猪子踊り*

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夜行念仏が終わり、シシの一番手として登場したのは
東根市長瀞(ながとろ)地区に伝わる長瀞猪子踊り。
春先に地元の日枝神社で踊りを奉納するため
新聞では「春を告げるシシ」などと紹介されることもある。
慈覚大師が東根周辺を歩いた際に
「この一帯は泥だからば拓けば肥沃な土地が現れるだろう」
ということで碁点山を切り開き、長瀞地区を開墾。
長瀞猪子踊自体は先祖供養や五穀豊穣を願う芸能だが、
山寺に関しては長瀞地区を開墾してくれた慈覚大師への
感謝のために奉納されるようになったという。

猪子踊という名前の通り、
イノシシをかたどったカシラをつけて踊る。
カシラの額には「南無阿弥陀仏」と書かれたお札が。
現在はわからないが、
かつては山寺への奉納の日 立石寺の世話役たちが
天童のあたりまで迎えを出したという。
そうしてそこから道踊りが始まり
山寺までの道では家々が香を焚き
道を清めて迎えたという。
なんと素敵な光景だろうか(*'ω'*)!

こちらは花笠+女装姿の「ササラ」。
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岩手のシシ踊りに馴染みがある方にしてみれば
ササラ=背中に付いてる長い棒
というイメージだと思うが、こちらのササラは棒ササラ。
竹などで作った楽器である。
顔を隠し、直立したまま棒ササラで拍子をとる姿は
なんだか見ていて不思議な気分になった。
埼玉の三匹獅子舞に登場する「花笠」と似た感じがする。

そしてシシと共に踊るのは「かねぶち(鉦打ち)」。
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岩手の幕踊り系で言う「たねふくべ」のような感じだろうか。
見たところ結構高齢とお見受けするが、
シシとともにこの躍動感!ほぼ残像!↓
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かなり短めのバチや小さ目の太鼓など
群馬の三匹獅子舞に似た感じもあり親近感…。
ちなみに、この激しいのは
山中ではぐれた雄雌のシシが
無事再開を果たし喜びの舞を舞うという場面。

*土橋獅子踊り*
さて、次に登場したのは土橋地区に伝わる土橋獅子踊り。
一説には、土橋地区の住人が福井県永平寺から
獅子踊りの免許皆伝を受けて当地に伝わったとか。

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何と言っても特徴的なのはそのカシラ!
額には太陽や月、金色の御幣束が付いている。
頭には、ヤマドリの羽。歯が大きめで顔は長細い。
何というか、個人的には龍のような印象を受けた。
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先程の長瀞猪子踊りに比べ、かなり背が高い。
7頭で広い会場がいっぱいに!

ちなみに、これら山寺に関わるシシたちは
みんな背中に斧を付けている。
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これは山寺から頂いたモノといわれている。
地区によって色々な名前で呼ばれているとも聞いたが
通行人の会話の聞きかじりなので詳細は分からなかった…。
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カメラ目線いただきましたー(/・ω・)/!
(いや、ちょうどこっち向きそうな場所に構えてただけだけど)
ちなみに、地方(じかた)の人たちはこんな感じの装束。
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*沢渡獅子舞(さわたりししまい)*

いや、もうね。何といっても
このレトロかわいいフォント、好き(*'ω'*)!
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そして現れたのは、カラフルな3匹のシシたち。
いや、太鼓 小ぃさッ!でんでん太鼓くらいしかない!
しかも鞨鼓じゃなくて上向きについてるの斬新!
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顔はどうやら、長瀞と同じくイノシシ風。
カシラから下がった前幕は、顔を覆う程度の大きさ。

そして、この団体にもササラが。
今度はなんと、四方に鳥居まで付いとるー!
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どの団体もササラは女装、というのは
どんな由来があってのことなんだろうか。
ちなみに、こちら↓が「棒ササラ」。
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粗い茶筅のように加工した竹の突起のあいだに、
両脇をギザギザにカットしたヘラ状の竹を差し込み
ギロのような音が出る楽器(説明下手だな…)。

獅子よりも太鼓が前というフォーメーション。
コミカルな動きの獅子とは対照的に 太鼓は威勢がいい。
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基本的にしゃがんだ姿勢が多い。
四本足で動くなど、動作的には一番リアルに近いシシかも?

この「シャキーン!」みたいな動きがカワイイ。
そして、こちらの団体も腰には山寺から頂いた斧。
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入退場の際の先導役・天狗も大きな斧を持っていた。
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*高擶聖霊(たかだま しょうりょう)菩提獅子踊*

さきほどの土橋獅子踊りの流れを汲むシシ。
永平寺→土橋地区→高擶地区と踊りが伝わったという。
途中 何度か途絶えたが、
平成10年に「獅子踊り会」ができて復活を遂げたとか。

聖霊菩提」という名前からは
まさに霊を弔うための踊りだというコトが分かる。
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土橋から伝わったというだけあって、
背の高さやカシラの形には近いものがある。
目は少しハッキリして大きめ。歯は短め。
シシの額には「南無阿弥陀仏」と書かれた札。

演目は、管理人の好きな「かかす」!
(/・ω・)/♪

様々な地域のシシおどりに
「かかす(かかし)」という演目はあるけれど、
管理人が見たものはこんなような筋書きが多かった。
“ 畑に立つ案山子(かかし)を発見したシカが
 「なんだこいつ?人か?ちがうのか?」
 と、おっかなびっくり集まってきて警戒するが
   生き物ではないとわかり案山子の周りで遊ぶ ”
とても動物らしくカワイイ一場面である。

しかし、高擶のシシはちょっと違う。
この「かかす(藁人形)」は悪いモノの集まり。
それを祓う かかすバスターズなシシたちなのである!
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さて、かかす↑が立っている。
「悪いことしちゃうぞ~。悪霊だぞー!」
そこへ前幕をバッサバサ振りながらシシが登場。
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マタドールみたいでカッコイイな(*'ω'*)!
という謎の感想を抱きつつ幕の下を見ていると、
意外と近代的な装束であることが分かる。
袴も短くて(特に前に立ってる方)動きやすそう!

そして、三匹の獅子が かかすを攻撃!
しかし、一回では倒さない。
解説によると回数で振りが決まっているわけではなく
リーダー格のシシが指示を出して倒すので
いつ倒すかは その人にしか分からないらしい。
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動きが一番動物っぽかったのは沢渡だけれど、
この高擶のシシが鳴くのも管理人は好き。
ザッと振り返ったり、攻撃するときに
「ウオッ」「グオ!」と鳴き声が聞こえる。

金津流の鹿子躍りでも、
仲立が鋭く息を吐くような「シュゥーッ」という音を出す。
なんかこういうの動物み感じるから好きだなぁ。
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ちなみに、こちらも肩の後ろに斧。

*唐楽招旭踊(からおぎ あさひおどり)*

さて、ついに最後の団体となる高瀬地区のシシたち。
何だか名前が華やかですな。装束も可愛い。
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カシラの輪郭は土橋や高擶にも似ているけれど、
目の周りの金のモシャモシャした感じの縁取りが
どことなく香港のライオンダンスの獅子みたい。
なんか、シースルーの前幕すごく前が見やすそう!

こちらも慈覚大師と磐司の伝説を起源とする踊りで、
2人への感謝をカモシカが踊った様子を真似たという。
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御幣束が目立つが、ちゃんと斧も持っている。
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「いただきました~」という顔(*´ω`*)
プルプルと首を振る動作が多い。

会場にいた先生によると、
日本にいない動物をモデルにした
外来の芸能・獅子舞が全国に広まっているのに対し
シシおどりは(名前は似ているが)東日本にしか無い。
南限は静岡県掛川、北限は北海道だという。
その中でも東北は鎮魂や供養のため躍られる。
対して関東は3匹が多く、雨乞いや厄払いのため踊る。
というのが「シシおどりの概要」。

まぁ宇和島とか例外はあるだろうし、
管理人は西日本に行く頻度が極端に少ないので
そうだとも違うとも言えないのだが…
姿や動きの似た系統があり、また逆に
近隣でもびっくりするほど違うシシが居て。
色々謎も多いシシたち。
今後もいろんなシシに出会えるといいな。
たまには西のほうにも行ってみたいな。

そんなことを思った磐司祭でした(/・ω・)/!
ちなみに、山寺せっかくいったから
山を一回りしようと思ったけれど、
偶然会った知り合いに蕎麦に誘われて食欲に負けました(笑)
また今度来たときは、ぜひ上のほうまで散策します!

燃やして 願って、吉田の火祭り。

まだ全然、立石寺の全国シシ踊りフェスティバルとか
書く記事溜まっているわけだが…。
いろいろ忘れないうちに、吉田の火祭りのメモ。

というわけで、8/26に山梨県富士吉田市へ行ってきた!
(/・ω・)/ワーイ!
吉田の火祭りといえば「日本三大奇祭」。
管理人は「奇祭」というと勝手に
危険さや 想像を凌駕するビジュアルを想定してしまう。
例えば、奇祭の王座に(私の中で)君臨する御柱祭
コレと比べると、吉田の火祭りは マイルドな印象がある。

日本にはもっと危険な祭りも
見た目がヤバい祭りもたくさんあるのだが、
なぜコレが「三大奇祭」なのか。そもそも奇祭って?


*行き当たりばったり火祭り*

色々と考えながら歩いていると、金鳥居に到着!
この辺りから松明や出店が増えて祭っぽくなってくる。
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地元の人が組み上げた櫓状の松明と、
企業や団体から奉納された大松明がある。
高さは まちまち。組む人の力量に懸っているみたい。
中には成人男性の背丈ほど高いもの↓も。
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実は寸前まで火祭りに行くかどうか決めておらず、
ほとんど下調べもしないまま来てしまった管理人。
そもそも吉田の火祭りって
たまにテレビで見るけど何の祭なの?と調べてみると
富士吉田市浅間神社諏訪神社の祭りだという。
今回偶然、長野から車に乗せてもらい吉田に来たので
「山梨にも、お諏訪さまが居るの!?」
と俄然テンションが上がる。

まぁ それは一旦置いといて、
浅間神社なので当然、富士山が関わっている祭である。
日程的には富士山の「お山じまい」の祭らしいが、
では町中に松明を灯し 何を願っているのか?
と考えていると、神社を出発した神輿が近づいてきた様子。
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いやぁ、やっぱり富士山 キレイな形してますな!
(*'ω'*)
その富士山を背景に、真榊が進んでくる。
それに続いて来た賽銭籠を見ると…
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「鎮火」という文字が見える。
しかし、こんな乾燥していない時期に鎮火祭?
と思っていると それに続く諏訪神社の神輿。
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そして!それに続く赤富士!
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え、これ神輿っていうのか?インパクトあるわー。
てゆうか何コレ。なぜ赤?やっぱり火?と思って調べてみる。

先程の御神輿らしい御神輿に乗っているのは
・お浅間さま3柱→コノハナサクヤ&ニニギ夫妻、オオヤマツミ
諏訪神社の2柱→タケミナカタ&ヤサカトメ夫妻

対して、赤い富士山(御影、お山さん)には
浅間大神の「荒魂」が乗っているらしい。
富士山の神様の荒々しく恐ろしい一面といえば
勿論、噴火のコトだろう。
そうか。町の火災ではなく噴火への鎮火祭なのね。

浅間神社主祭神・サクヤヒメさんも、
山の神・オオヤマツミを父に持ち
燃え盛る産屋の中で無事3柱の息子を出産した女神様。
お山の安全を願い、火を鎮めるにはうってつけの方だ。

 

*富士山と富士信仰

何となく火祭りの輪郭がボンヤリ見えてきたところで、
この富士山と、それを信仰する人たちについて少し考える。

今でこそ誰でも(体力と備えがあれば)登れる山だが、
かつては人が踏み入ってはならない「禁足地」だった。
現代人はやれ霊山だパワースポットだとバシバシ登るが
昔の山というのは富士山に限らず「神の領域」であり、
信仰の場には巫女的な特定の人間しか入れなかったと思われる。
山によっては裾野の森を「入らずの森」と呼んだ地域もあるとか。
さらに、普段は林業や狩猟のため人が入る山すら
「師走と睦月の12日は山の神が木を数える」
などと言って何人たりとも入れない日があったという。

それが少しずつ変わったのは、仏教伝来後と言われている。
山に入るという修行の方法(荒行)があったためだろうか。
そして、室町時代ごろにはついに一般人の登山が解禁。
※おそらく行楽目的ではない

しかし、解禁されたとて 地元から富士山へ→登り→帰る
という 人の脚で1週間以上かかるであろう行程には
体力のみならず経済的な問題も付いて回った。
しかも、かかる銭コは移動中の食費だけではない!
富士山を登るにあたり、寝具等々全て自分で持って行くことはできない。
そこで、荷物を持ってくれる人を雇う必要があった。
もともと家来や使用人がいる身分ある人なら良いが
時代が下り庶民が登るようになると
強力(ごうりき)という職の人に
荷物の一部を持ってもらい登ったのだ。
実物を見たことはないが、きっと
山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)さん的な感じだろう。

話が逸れたが…とにかくお金がかかるのである。
そこで、江戸の人たちは「富士講」という仕組みを確立。
地域や有志で団体を作り全員でお金を出し合って
代表者を富士山へ送り出すというシステムだ。
そうして一定期間に一度 この「富士詣」をする他、
普段は塚や祭壇をもうけ、それを信仰の拠り所とした。

一時は江戸幕府が禁制を敷くほど富士信仰が盛り上がり、
富士詣に来た一般人の世話をする「御師(おし)」が増加!
宿の提供のほか、様々な手続き、取り次ぎ、指導を行った。

ところが、明治時代になり国家神道的な圧力がかかったり
さらに 女人禁制の解禁、登山のレジャー化などが重なる。
そうして神秘性が薄れたという背景もあり富士信仰は衰退。
最盛期には86軒あった御師さんも現在は40軒となり、
実際に御師として活動している家は2軒しかないらしい。
浅間神社HPより)

しかし、今回の祭りでも 祭の法被を着た人とは別に
行衣に身を包んだお年寄りたちを見ることができた。
行を積む方たちが行衣に御朱印を集めるのは
なにも富士講に限ったことではないが、
場所とタイミングからし富士講員さんなのだろう。
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たくさんの朱印が付いた行衣、ステキだなぁ…
と その姿を見送り神社に向かって歩く管理人でしたとさ。

*5柱の渡御*
さて、富士信仰から祭の話に戻るが
さきほどの神輿と御影は どんな動きをするのかというと。

まず浅間神社から諏訪神社へ浅間さまが遷される。
多くの神社の遷座祭のように絹垣に遮られての移動は、
威勢のいい神輿渡御と対照的に神事然としている。
その後、神社から神輿に相乗りになったカミサマたちが出発。
そして神社から富士山駅方面へ参道を下り
鳥居と神社の中ほどにある「御旅所」へ向かう。
(先程の神輿・御影の写真はこの時に撮ったモノ)

この間、御影は決して神輿を追い越すことは無いらしい。
噴火という自然の猛威を神の「荒魂」と崇めつつも、
それが人を守る神々の「和魂」を超えることは無い!
という噴火抑止への願いが垣間見える。

ちなみに、小さな祭に行くことが多いせいか
御旅所というと「石の台と屋根だけ」的な
神事の間に神輿を置いておく小屋…
というようなイメージがあったのだが、
予想に反して この豪華さである↓
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神紋は、コノハナサクヤヒメらしい桜。
神輿が2台並んで入るとあって豪華な御旅所である。
写真を撮った時は神輿到着前だったが、
既に待ち構える人で御旅所はごった返していた。
そして、こちらに神輿が到着すると
間も無く「迎え神楽」として富士太々神楽が舞われる。

いつもならいつまでしつこく見ているが、
同伴者が居たので、今回神楽はちょっとだけ。
見られたのは「綿津見の舞」。
神輿への参拝の列に並んでいると、
ちょうど奥の扉から舞手の人が出てきた。
参拝客に交じって、神輿に一礼。御影に一礼。
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舞の奉納自体は、御旅所横の舞台で行われる。
御神輿の真ん前でやる、とかじゃないのがチョット意外。
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こうして歓迎されながら、カミサマたちはこちらで一泊。
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そして、神輿が通り過ぎた街中では
ものすごい勢いで大松明を燃やす準備が始まる。
道の端に準備してあった土を
スコップやネコ車を手に どんどん道路中央の枠の中へ!
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この上に大松明を置き、
金鳥居から浅間神社に向かって順次火をつけていく。
このメインの通りはもちろんのこと、
ここから外れた細い路地でも
各家の前に組まれた松明に火を灯す。

そして、実は街中が明るすぎて見えづらいのだが
富士山にある多くの山小屋でも同様に松明を燃やす。
祭の最中に富士山がよく見える暗めの場所へ行くと、
その山頂へ細々と続く光の道を見ることができると思う。
(山開きの日などにも光の道が見えるが、
 これは御来光を拝もうとする登山者の
ヘッドライトの列)

今回は1日目しか見られなかったのだけれど、
御旅所に一泊した神輿は2日目に氏子地域を練り歩き、
夜に神社境内へと戻っていく。
境内へ戻った神輿は高天原とよばれる広場
浅間神社拝殿前の神楽殿諏訪神社の間あたり)
を奇数回グルグルと練り歩き、
それに氏子や参拝者が続く様子は圧巻だという。
この時に参拝者が無病息災や安産を願って
すすきで作った玉串を持つことから
特に2日目を「すすき祭り」と呼ぶのだとか。

*北口本宮富士浅間神社

さて、祭の流れを把握したところで
神社から下ってきた神輿と それを追う人の群れに逆流。
松明に火が灯るまでの間で神社に向かうとする。
進んでいくと、急に町がプツッと終わり
道のむこうに急に鎮守の森が広がるような印象。
鳥居をくぐると木々に遮られて急に暗くなり、
今時珍しくロウソクが灯された燈籠が並んでいる。
暗い参道に 火が灯って神社へと続いていく様は幻想的だった。

町はまだ明るいが、鬱蒼とした鎮守の森に囲まれ
境内は日の入り後のように暗かった。
ので、ここからは夜撮カメラアプリでの写真となります!
画像の粗さや手振れは どうか御見逃しくだせぇ
(;´・ω・)
まず、こちらが浅間神社。参拝者で賑わっている。
こちらから見て、拝殿のむこうに富士山がある。
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拝殿に上がってみると、奥にはピッカピカの本殿が!
今日は長野のほうから来ました、と挨拶。
そして上を見上げると、大きな天狗面が2つ飾ってあった。

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烏天狗と大天狗なのだろう。
「大天狗のほうが格上」「迦楼羅天のような顔」
というイメージの烏天狗だけれど、
なんかここのは烏天狗も鼻が長くて鷲鼻に近いくちばし。
烏天狗のほうが貫禄あるような…。

そして、大天狗といえば
口を真一文字に結んでいる絵が多いが
ココのは口が開いている!
烏天狗と大天狗で阿吽になっているようだ、

さて、富士講の発展に寄与した御師
山岳で修行を行う行者さんたち。
なので富士山で天狗と言われても不自然ではない。
しかし、ためしに「浅間神社 天狗」で検索検索ぅ!
(*゚▽゚)ノ
すると、意外にもヒットせず。
出てくるのは今回の北口本宮か小御嶽神社ばかり。

ちなみに急に出てきた「小御嶽」とは、富士山の前身。
この小御嶽を土台に噴火と堆積を繰り返し
小御嶽を覆うように山は高くなって現在の標高になったらしい。
そして、いまは山梨側の富士山5合目に
小御嶽の頂上部分が少しだけ出ている状態だそうだ。
その付近は「天狗の庭」と呼ばれ、
そこにある小御嶽神社にも天狗面が飾られているという。
祭神はコノハナサクヤヒメの姉・イワナガヒメ

富士山土産で天狗とかあまり無いので、
富士山全体としては天狗推しではないようだが…
御師町として栄えた富士吉田では
小御嶽の天狗信仰も富士山と併せて大切にされていたようだ。

ちなみに、拝殿の横をぐるっと回って
ずらっと並んだ境内社たちを通り越すと西宮が現れる。
西宮は重要文化財にも指定されていて、
アマテラスさんやトヨウケさん、金毘羅さんが居る御宮。
その横にさらに通路は続いていく。
その通路と西宮の間に 小ぢんまりと建っているのが
「小御嶽遥拝所」である。
あまり目立たない場所ではあるが
小御嶽が重要な場として扱われたことがコトが分かる。
さらにその通路の奥へと鎮守の森の中を進んでいくと
小高い丘に鳥居と小さな祠がある「大塚丘」に着く。

ここは北口本宮浅間神社の「モト」ともいえる場所。
なんでも、ヤマトタケルが 当地を訪れた際に
富士山に向かって祈願した場所だという。

さっきから喋ってばかりで写真がないぞ!
位置関係とか様子が分かりづらいぞ!
と言われそうだが、
もはや暗すぎて写真撮れませんでしたm(_ _)m

ちなみに、この大塚丘からはさらに奥へと道が続き
そのまま富士山の登山口となっている。

さて、まっくらけで怖いので 早く戻ろ(´・ω・)
先程の小御嶽遥拝所や西宮まで戻ると、
通路があって浅間神社の裏が通れるようになっている。
神社の構造によっては裏から本殿が全部見えたりするが
ココは厳重に壁がありそうはいかないようだ。
なーんだ。と思っていると…
ま、まさかの、本殿裏の壁に恵比須&大黒コンビが祀られている!
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なんじゃこれは。コノハナサクヤヒメとどんな関係が!?
大黒様はオオクニヌシ、恵比寿様はコトシロヌシと同一視される。
と考えてみるのはどうだろう。

アマテラスが地上も天津神によって統治しようとした時
地上を統治していたのがオオクニヌシだ。
アマテラスが派遣したタケミカヅチたちは地上に降臨し
オオクニヌシを訪ねて国譲りの交渉をする。
すると大国主は「俺の息子のコトシロが答えるよ」と。
なので釣りをしているコトシロヌシに訊いてみると
「承知した」と答えて舟を柴垣に変えて隠れてしまった。
(なんでやねん)

これで穏便に国譲りか、という時に異議を唱えたのが
もう一人の息子 諏訪神社主祭神タケミナカタだった。
結局は武力で対抗しようとしたタケミナカタ
彼より強いタケミカヅチに追われ諏訪に逃げ込むに至る。

そうして天津神に譲られた地上を治めたのが
コノハナサクヤヒメの夫・ニニギである。
こうしてみると全く無関係という訳でもないのか?
いや、でも実は単純に 富士講とか流行ったので
江戸の人に人気の大黒&恵比須【祀ってみた】的な?

ちなみに、この恵比須様たち
彩色が鮮やかで「新しいのかな」と思いきや
東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎の作品らしい。
見落としがちな場所にある恵比須社だが、
「投げた小銭が穴に入ると願いが叶う」
というアトラクション要素もあるので是非御参拝を。

さて、チラッとタケミナカタの話が出たが
この吉田の火祭りは浅間神社諏訪神社の祭り。
しかも、調べてみればココは モトは諏訪神社だという。
現在でこそ浅間神社境内社となっているが、
実は諏訪神社のほうが先にあり その境内に浅間大神を勧請。
富士信仰の興隆とともに勢力を増した浅間大社
もともとあった諏訪神社を飲み込むような形で発展したらしい。
現在、諏訪神社浅間神社の向かって右にあり
完全に浅間神社メインのような様相を呈している。

楼門のような拝殿に提灯が灯っている。
本殿は暗くて見えづらい。
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神紋は、長野で見慣れた諏訪梶や明神梶でなく
一枚の「梶の葉」となっている。
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冒頭で「なぜ松明を燃やすのか」と言ったが、
実はこれに関しては未だによく分かっていないらしい。
サクヤさんが燃え盛る産屋で無事出産したことに因む、
という説もあるが、管理人は もうひとつの説が好きだ。
それは、タケミナカタが諏訪へと敗走する途中のハナシ。
どうやらミナカタさんは諏訪へたどり着く前に
このあたりでミカヅチさんに追いつかれそうになったとか。
そのとき、吉田の住民たちが松明を持って
「神さん!たいへん逃げて、えれぇずら。ここで休んでけし!」
と(言ったかどうかわからないが)村人総出で出迎えたのである。
それを見た追手・タケミカヅチたちは援軍と勘違い。
「これはしばらく様子を見た方が…」と追跡の手を緩めた。
おかげで、吉田で数日の暇を得たタケミナカタ
無事諏訪まで逃げ伸びることができたというのである。

なんか、人と神様のフラットな関係というか
こういう逸話は好きだなぁ。

ちなみにタケミナカタさんは蛇神とされることも多いが、
神社→御旅所へと神輿が参道を下ると同時に
その参道と並行して流れる2本の川を蛇たちが下るので
渡御の前には川を清浄にしておかなければならない。
という言い伝えがあるのだとか。

今回はこのあたりまでしか調べられなかったけれど、
この話で行くとタケミナカタさんは
諏訪市よりもさきに富士吉田市を通ったわけで。
諏訪大社からの勧請かな?でも周りにはないけど何故?」
と思っていたが実は富士吉田のほうが先なのかも?

どうやら諏訪と富士吉田は方言や風習に類似点があったり
諏訪大社系の神事に似た名称を持つ祭事もある…
なんてハナシも聞いたので
だんだんと そのへんも掘り下げていきたいなぁ。
と思ったのでした。

そうこうしていると、
いつの間にか点火が進んでいたようで。
楼門手前の 最も本殿に近い松明に最後の点火!
最近管理人の形態のケータイはポンコツで、
ビデオに音が入らなかったりするので正確には文字に起こせないが
「ちゃんと火が付いたら拍手をお願いします」
みたいなことをもっと厳かな言葉づかいで言っていた。と、思う。
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暗くて提灯しか見えないが、
この火を付けているのは「世話人」さんという方たち。
火をつけるのが最も目立つ仕事かもしれないが、
実際は春先から松明の奉納者集めに奔走したり
祭の前などはお仕事も休んで世話人に徹するとか。

お諏訪さまの御膝元・諏訪の御柱祭りもそうだし
きっと日本中の祭りがそうだけれど
見る人にとってはたった数日の非日常でも
春咲く花が 冬より前から咲くための力を蓄えるように
地元の人は 観光客が知らないようなたくさんの準備を
かなりの時間をかけてやっているワケですな。

そうゆう地面の中で伸びる根のような努力あってこその
誰もが振り向くような大樹の祭。

でも、こんなに有名なのに
本当の由来や 元々の姿は謎も多い。
単に「やってることが変わってる」だけじゃなく
すぐには理解しきれない 踏み込んだら出られない
そんな沼のような所があってこその「奇祭」かな。
と思った旅でしたー。
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*おまけ*
御師さんのうちか分からないけれど、
家の横にたくさんの神棚がくっついてるみたいな
ちょっと変わった家を発見。こんなの初めて見た! 

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藩の境のオニとシシ。

御無沙汰しておりましたが、
岩手県北上市の「みちのく芸能まつり」に行ってきました!
(=゚ω゚)ノ♪

ちょうど涼しくなってきた夕方から
駅チカの大通りに居るだけで
県内はもちろん県外の民俗芸能もいくつか見れちゃう!
という観光客にやさしい祭りでもあるが…
実は、駅前だけじゃなく
いろんな場所でいろんなことをやっている。

土曜の朝、まず向かったのは「国見山」。
目的地は、北上展勝地から歩いて1時間ほどの如意輪寺さん。
(おそらく多くの方は歩いていかないと思うが)

道中ではカラスウリの花らしきものも見ることができた。
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朝にだけ咲き、すぐ萎びてしまう不思議な形の花。
見たくてもタイミングを逃してしまうことが多いが、
何だか今日は運が向いている気がしてきた( *´艸`)

そして道を進むと 傍らに大きめの鳥居が。
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階段を上ると草がワサワサの境内。
その草むらの中に、紅紋アゲハがいた。
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背中側はビロードのような黒でステキだが、
実は羽をたたむと羽の裏も体も
アカハライモリのように派手なヤツ!

蝶々はさておき、なかなか立派な拝殿である。
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手前は草が管理人の背丈ほどあるが、
拝殿の周りは さすがに短く刈り込まれている。
戸の両わきには剣。不動明王の剣だろうか。
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鳥居の額には「国見山神社」とあったが、
モトは「偵岡(ものみおか)神社」というらしい。

坂上田村麻呂が北へと攻めていった時
その拠点となったのが胆沢城(いさわじょう)。
その胆沢郡の北東の隅を「偵岡」と呼んだのだそうだ。
偵察の「偵」。見晴らしのよい 小高い「岡」。
その名前から何となく想像が付くかもしれないが、
偵岡は 敵の動きをいち早く察知できる場所のことだ。
勿論、護りの要所なので神様をお招きする。
そうして作られたのが、元祖・偵岡神社である。

そして、その偵岡神社の「遥拝所」として作られたのが
この国見山の偵岡神社だということらしい。

モトからあった極楽寺の僧侶が神社の別當となり、
神社では僧によって舞や祝詞が上げられていたという。

坂上田村麻呂が出てきた時点で
否応なく戦勝祈願色が強くなってくるが、
その祭神は農耕神であるウケモチとも稲荷神とも。

不思議な感じもするが、
地方地方で狩猟や雑穀の耕作が行われていた時代
大陸からやってきて全国へ広がった稲というものは
朝廷の「国の統一の象徴」だったのかもしれない…
と管理人は勝手に思っている。
だって、これだけ縦長の国土を持つ国だもの。
国内の気候の差はかなり激しいものである。
それなのにすべての地域で同じ作物を作ろうとする、
というのは ある意味不自然な感じがしないだろうか。

そんなことを考えながら神社を後にすると、
先程からたくさん立っていた看板に写真が付いている。
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「国見山神社登り口付近で撮影」

…おう。さっき 通ってしもうたやんけ!
こうゆうのは鳥居くぐる前に言ってもらわんとッ!
Σ(・ω・ノ)ノ!

まぁ今年は熊大量発生ですし。
鈴は持ってきてますけども。

そして、極楽寺を越えて辿り着いた「如意輪寺」さん。
朝の9時から、コチラで護摩法要が行われる。
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御堂の横には小さな小屋(?)があった。
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中を覗いて見ると、石仏が居る。
結構ユルイ感じで細かいところはよく分からないが、
手を見ると智拳印を結んでいるように見える。
大日如来なんだろうか。
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来月9月ごろになると、
住職さんが株分けで増やした曼珠沙華が見ごろとなり
それを見に来る観光客も多いというハナシ。
しかし、夏真っ盛りの8月も花が元気にしていた。
管理人のお気に入りはコチラ。
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この花の近くに、屋敷墓のような
草木に囲まれた墓石的なモノがあって。
そこのすぐそばにあった
舟の形に刈り込んだ植木が印象的だった。
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この如意輪寺がどういう寺院かと言うと、
山にポツンと寺があったのではなく
この国見山全体が巨大な敷地を持つ寺院だったらしい。
そのため、現在でも山中では広範囲にわたり
神社や御堂、塔etc…さまざまな遺構が散在する。

そもそもココは、あの征夷大将軍坂上田村麻呂
戦勝祈願のために毘沙門天を祀った山らしい。
いまでも北麓には「立花毘沙門堂」があるが、
この像は田村麻呂が奉納したモノだったりするのか…?

昔の国見山がどのような様子であったか、
それを描いた屏風が如意輪寺さんにあるらしい。
今回はあまり長居しなかったのだけれど
是非今度行ったら堂内もゆっくり観てみたい。

さて、ここで行われた護摩法要の火は
祭の各会場に分火される。
ココが祭りの始発と言ってもいいのかもしれない。

そんなわけで、次なる会場で火を待ち構えるため
再び盛岡駅へ速足で移動。
北上展勝地、いつも思うのだけど
もっと橋が多ければ駅まで近いのに…(´・ω・)
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朝から片道1時間強の道のりを往復し、
「さすがにちょっとウンザリしたわ」
と思っていたところで
芸能公演のリハに向かっていた知り合いに
偶然発見され車内から撮られる案件発生(笑)

しかし、なんだ。
こうやって群馬を離れ東北の地に来ても
偶然管理人の姿を発見して連絡して戴ける
というのはなんだかうれしいですな(*'ω'*)

*岩崎城址の合同供養*

さて、気を取り直して岩崎城址へ。
(と、サラッと言ったが最寄り駅から徒歩45分)
さっきより歩行時間は短いが気温が上がっていてツライ。
着いた頃には水を浴びたような汗をかいていた。

さあさあ。もう既に鬼だらけですよ!
各団体の大口ゴザ(腰に付けている四角いヤツ)が
後ろから見るとキレイなこと!壮観!
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岩手と鬼と おもうこと。」の中盤でも少し触れたが、
この鬼剣舞北上市奥州市周辺に伝わる芸能。
仏教や修験道要素の強い念仏踊り(念仏剣舞)の一種だが、
五大明王を表す迫力ある面から「鬼剣舞」の名が付いたという。

鬼剣舞を初めに踊ったのは、
修験道の僧とも役小角とも言われるわけだが。
それから時は経ち、
鬼剣舞は 北上の開祖・黒沢尻五郎に愛され
出陣や凱旋のたびに舞われたという。
さらに、ここ 岩崎城の主・岩崎弥十郎
主君を館に招き もてなしとして鬼剣舞を見せたとか。
その際、その見事な舞に感銘を受けた主君から紋を賜り
今も鬼剣舞の装束には「笹竜胆」があしらわれている。

現在、この岩崎城址には剣舞供養碑↓が建てられ
鬼剣舞にとって大切な場所の1つとなっているのだそうだ。
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そして、その剣舞供養碑と
広場を挟んで向かい合うように立つ「和賀忠親弔魂碑」。
武将である彼は 領地奪還のため花巻城を攻めるも
南部軍の反撃に圧され、この岩崎城に籠城。
落ち延びた先の国分尼寺で自害したとされる。
戦史としては悲劇的な印象のある彼だが、
仏教などの信仰を庇護することに力を入れ
彼の時代に多くの民俗芸能も花開いたと言われている。

弔魂碑前のロウソクに灯されたのが、
法輪寺さんの護摩から分火された火。
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火が灯ると、弔魂碑に囃子が奉納される。
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そして、いよいよ舞の奉納!
トップバッターは、地元・岩崎鬼剣舞
演目は「一人加護」。
この一人加護を舞えるのは、白面の舞手。
つまり、団体の中で最も上手い「一剣舞」だけ。
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ヒェー!カッコいい(*´Д`*)‼︎
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三番庭の狂いとか狐剣舞が好きだけれど
久々に見る一人加護、ステキだ(*´ω`*)

さて、ここまで徒歩で頑張って来たが
わたしは12時半までにさくらホールに行きたいのだ…
しかし、もはや到底間に合わない。
バス停まで歩いたところで、乗り合わせが悪すぎる。

こんな時は…テレレレッテテー♪
「乗せてもらう」ー!(ドラえもん風に)

そんなわけで、地元出身で歴史・旅行好き
とゆうおじいちゃんの車にお世話になった。
鬼剣舞見たの?あの岩崎城は、どうゆう場所かわかる?」
管理人が質問の意図を量りかねて静かにしていると
「あれはね、藩の境ちかくにある城だったわけ」と話は続く。
ココらへんは かつて南部藩仙台藩の境目だった。
ということは、度々争いの砦となる城というコトである。

そしてアイヌ語地名の話もしてくれた。
「岩崎城の横に夏油川ってのがあるでしょう」
そう。岩崎城は地形に恵まれ、
2つの川に守られた舌状地帯に建てられている。
その1つが夏油川。(川より温泉のほうが有名だろうか)
この夏油(げとう)という地名、
見るたびに「珍しい読み方だな」と思っていたが、
アイヌ語だから こんな無理な当て字になっているんだ」
とおじいちゃんが言っていた。

意味までは言っていなかったので帰ってから調べると、
「クッ(崖)」が「オ(ある)orトォ(険しい)」場所
というのがアイヌ語での意味らしい。
そして、アイヌ語地名なのはアイヌの人々が居たからで。
この辺りにも当たり前に住んでいたアイヌの人たちを
坂上田村麻呂が軍を進めては要塞を作り追い込んでしまった。
その要塞が、胆沢城であり志波城なわけで。
だからここはアイヌ民族とヤマト民族の境でもあったわけ。
と、そんな話だった。

勇ましい戦と。様々な死。
それが繰り返される藩の境・民族の境だからこそ、
鬼のように猛々しい明王たちが
念仏に乗せて舞う「鬼剣舞」が生まれたのかもなぁ。
なんて思いながらおじいちゃんの話を聞いていた。

*躍るササラ*

さて、面白い話を聞かせていただき
あっと言う間に さくらホールに到着!
公演にも余裕で間に合いました。車ってスゴイね!
(*'ω'*)
「躍るササラ 日高見の丘 シシオドリ大図鑑躍動の狂宴」!
コチラの公演では、シシたちが一堂に会し
涼しい部屋に座りながらにしてたくさんの団体が見られる。
逢いたかったシシに相見えつつ
熱中症予防の小休止までできるなんて…。贅沢!

様々な団体が登場するのですべて写真付きで紹介したいが、
とりあえず今回の記事では藩境つながりで
金津流野手崎獅子躍さん。
今回は「三光の儀」「礼庭」を見ることができた。
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遠すぎて画像が荒いが、
この舞台前方に立っている3本の御幣↑が「三光」。
つまり月、星、太陽を表しているという。
三光の儀は、そこに向かって
「これから躍らせていただきます」とゆう儀式。

続いて「礼庭」。
一番始まりの「さあ、みんな おどるぞ!」とゆう躍り。

〽昔より三式礼とは申せども
 一礼申して 立てや我がツレ 立てや我がツレ

〽南風 そよりそよりと吹くならば
 今年の稲穂は 八穂で八石 八穂で八石

未来の成功(大豊作)をあらかじめ祝って
現実となるよう願う「予祝」的な唄であるが。
さて、一体どれくらい豊作なのか。
1石は約180リットル。米俵1つは約72リットルらしい。
つまり「八穂で八石」は 1つの穂から
なんと俵2.5個分のコメが穫れる程のハイパー豊作!
すごいな。もはや豊作とかじゃなく品種改良の域。
Σ(・ω・ノ)ノ!

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金津流は、春日流や行山流と同じく太鼓踊り系。
頭の上には赤い華鬘結び。ながーいササラを付けている。
馬の尻尾で作られたザイはどことなく おどろおどろしい。

そんな共通点はありつつの、
ターコイズブルー(?)が目を引く春日流に対し
カシラや装束では赤が際立っているように見えたり。
中立のササラに黒い横線があったり。
パッと見ではそんな差があった。
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鳥居に向かっているシシたちを見ると、
華鬘結びの下 後頭部あたりに
四角いプレートの様な「金津次橋」の文字が見える。
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次橋は岩手でなく宮城県
現在の大崎市松山にあった次橋村のことだとか。
そこから犬飼さんという人によって江刺に伝授。
いまも複数の地域に金津流の踊りが受け継がれている。

躍るのを見て一番感じたのは
堅固さというか厳しさ?みたいな印象だった。
管理人は普段 屋外での奉納を見ることが多いので、
ホールでの音響がそうゆう印象になったのかもしれないが…
足さばきやカシラの振り方、重心など
素人ながらに どこがどうとは言えないのだが
なんだかバリアを張られているようなビリビリを感じた。
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司会の方からは、
これまた藩の境に近い奥州市江刺の芸能なので
「境を守る」という意味での重厚さや猛々しさ
なんてのもあるかもしれないですね。
というようなハナシもあったので、
あながち間違った印象でもなかったのか…?

この後は、幕踊り系の長野獅子踊り(岩手・遠野)。
子供たちの踊るカワイイ 子踊り、中太鼓、太刀振りを従え
ヤマドリの羽とかんながら(カンナで削った薄い木)を纏い、
種瓢(たねふくべ)とともにバッサバサ踊る!
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岩手の太鼓踊り系は だいたいシシのみが踊るけれど
幕踊り系は人とシシがともに踊ったり入れ替わりながら踊る。
というのが多い気がする。
ちなみに種瓢とは、夕顔の実(ふくべ)のうち
若いうちに干瓢(かんぴょう)にされず
翌年の種を取るために完熟するまで置いておくもののコト。
子孫繁栄や豊穣を連想させるアイテム。

続いて、お初にお目にかかる萩野鹿子踊り(山形・新庄)!
眼光鋭い他のシシとは全く違い、
ミステリアスな前髪に隠れて目が見つからない(あるのか?)
そして、シシの多くはキレイにそろった歯が見えているのだが
これは…顔が平べったすぎて歯もない!?
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知ってる物の中で一番近いのは河童かな…。
(現物は見たことないけど)
というこのカシラ、実はカモシカを模しているのだとか。
昔、カモシカを真似て踊ってみたら豊作になったので
それから踊られるようになったという。
岩手の太鼓踊り系のような大きな太鼓でなく
小さ目の鞨鼓(かっこ)をつけ脚絆を履いている所は
我らが群馬県の3匹獅子舞にちょっと似ていて親近感。
背中に「十日」という幟が見えているが、
後ろから見ると「十日雨」と書かれている。
そして、もう一方のシシは「五日風」の幟。
それが交互に来れば稲の実りが良いということらしい。

そして、最初に紹介した金津流野手崎獅子躍と同じく
岩手の太鼓踊り系である春日流八幡鹿踊(花巻)。
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水色(特にターコイズブルー)好きの管理人は
コチラの装束が大好きなので、
初めて芸人の春日(オー〇リー)を見た時
「こやつ…春日なのに水色じゃなくピンクだと…?」
という謎の感覚に襲われた(発想がおかしい)

いや、そんなことはさておき
今回見られたのは「二番庭」。
こちらも豊作を予祝する歌となっている。

〽白瀧の 水を引かせてかけたなら
  今年のお穀は八穂で八石
〽八穂で八石とるならば
  この御屋敷に 倉は七並み
〽七並みの倉の御子息は
  二階やぐらに昼寝して
   銭の枕に 金の手遊び

前の歌の最後を受けて
次の歌の初めの歌詞とする感じの歌。
「八穂で八石」は野手崎獅子躍と同じだが、
その結果 そこの息子が
おカネを枕に昼寝をして黄金で手遊びする
という様子まで歌われている。

ちなみに、昔 奈良で踊りを奉納した折に
春日大社から「春日」の名を賜ったことにより
春日流という名前になったそうだ。

後半の伊勢流なども見たかったが、
まだまだ外回り(?)でも見たいものがあったので
さくらホール公演は前半で退散。

始まりはシンプルに、
大切な人や生活に欠かせない獣たちへの眼差し。
でもそれが、人の願いをどんどん吸い上げ
地域ごとに少しずつ姿を変えていく。
たくさんのシシたちを一度に見て、
それをすごく感じるさくらホール公演だった。
(*'ω'*)

*おまけ*
詩歌の森公園で久々に見た「七頭舞」も
相変わらずステキでした(*´ω`*)
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キツネとヤギと冠稲荷。

たまには近場に…ということで、
群馬県太田市にある「冠稲荷神社」に行ってきた。

古墳時代から信仰の地であり
神社としては1125年、新田氏の始祖・源義国が創建。
源氏ゆかりの社だというコトで、
なんとあの源義経伏見稲荷を分霊を鎮祭したとか。
その際、神様を冠の中に勧請して連れてきたので
「冠稲荷」と呼ばれるようになったのだそうだ。
その後も、数々の武人の信仰厚く
幕府討伐に向かう新田義貞が祈願に訪れ金木犀を残したり
乃木希典将軍の石碑が残るなど当時の勢いが偲ばれる。

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大きな鳥居に 深い鎮守の森。
入口からしてかなり立派な面立ちであるが、
この神社のすごいところは神社そのものだけではない。

婚活から…
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恋愛・結婚が成就した暁には結婚式…
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さらに お子様が生まれたら
保育園やら 七五三のレンタル衣装・撮影まで…
手広くガッチリやっている感じの神社なのだ!

勿論、悪い意味で言っているわけではないですよ!
(/・ω・)/!

宗教法人とはいえ出ていくものは出ていくので、
よほどの観光地や有名神社でない限り
純粋な神社収入(?)のみでは限界がある。
神社が生き残れるかという問題には
いかに本業以外で収益を上げられるか?
という問題も付いて回るのだ…と、思う。
(知ったようなこと言ってすいません)

ちなみに、上の写真は甲鳥居だが
南鳥居の扁額に漆を塗ったのは
なんとタモリさんらしい(;゚Д゚)

さて、神社自体に話題を戻して
メインの鳥居(甲大鳥居)の横には、猿田毘古社。
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なんと、大幣が置いてあって
セルフでバサバサやる方式らしい。斬新!

そしてその横に「ペット社殿」というものがあるが、
ペットの神様(?)を祀ってあるのか
ペットのことを願う社なのか
ペットが参拝する社なのか…は、謎。
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コチラも鈴が置いてあり、
セルフでシャンシャンする方式。
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広い境内の中央にある木瓜(ぼけ)は県の天然記念物。
(何の下調べもしなかった所為で 開花には早すぎた…)
他にも新田義貞公が戦勝祈願に植栽した金木犀など、
普段はあまり神社で見かけないような
可愛らしい花の多い神社である。

境内には、どこが何社か分からなくなるくらい
色々な社がひしめき合っている。
その1つ・七福神社には巨大な絵馬が。
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縁起物として有名な松のほか、
よく見ると椿が彫られているのが分かる。
椿は縁結び・魔除けの力があるとされ
縁結び推しの冠稲荷らしいデザインだな~と思ったり。

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八坂神社と諏訪神社が並んでいる。
2人とも若かりし頃は喧嘩っ早かったことを考えると
うまくやっているのか心配になったりするが…。
2人とも愛妻家であることを考えると
意外と話が合うのかもしれない( *´艸`)
と妄想したり。

そして、こちらは厳島社。
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ちゃんと弁天様が住みやすいように(?)
周りは池のようになっていた。

中はこんな様子。
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広々としたお住まいである。
目が悪くてよく見えないのだが、座像のようだ。
神道系の宗像三女神というよりは
仏教系の弁財天(それも八臂弁財天)だろうか。

帰宅してから調べると、
頭上に宇賀神(おじいさんの顔をした蛇)を乗せた
宇賀弁財天だと書かれていた。
江ノ島の弁天様のような御姿なのだろう。
さらに、ここの像は両脇に毘沙門・大黒を従え
周りには童子がたくさん集まっているという
なんだか珍しい構図である。

やぁしかし、管理人が普段行っている
イイ感じに鄙びた田舎神社とは違いますなぁ!
とピカピカさに圧倒されていると…
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ひときわごうか な しゃでん があらわれた!
▷にげる
▶︎さんぱいする

拝殿はピッカピカだし、
彫刻はカラフルだし 建物大きいし。
ってゆうか、なんか鹿の頭飾ってあるじゃないか。
ここは諏訪大社前宮か。御頭祭なのか。(独り言です)
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はぁ、この豪華さ。さすがは日本七稲荷の1つ!

ちなみに、ほかの6社は というと
京都の伏見、愛知の豊川、大阪の信田。
北区の王子、湯島の妻恋、佐野の一瓶塚。
まだ妻恋稲荷と一瓶塚稲荷には行ってないなぁ。
「近いんだし いつでも行けるだろう」
と思っているうちに後回しになっている。

…そして、拝殿もカラフルだが
さらにスゴいのが 市重要文化財にもなっている本殿↓。
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説話の一場面が題材なんだろうか。
中国の仙人みたいな人たちがたくさん彫ってある。
そして、パッと見 四方の角には白い動物がいて
稲荷神社だけに白狐さんだろうと思ってしまうのだが…。
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じつは!ヤギさんも混ざっている(右)。
冠稲荷さんのブログによれば、
山羊は昔から日本人にとって
農作業や畜産など多方面でなじみ深い動物らしい。
そうかぁ。確かにヤギミルクは飲んだことある。
でも、耕作民文化圏のお祭とか見てると
踊りの中に馬や牛は出てきてもヤギいないよ…?
まさか群馬県太田市周辺に限って農耕ヤギ文化が?

冠稲荷さんのブログに書いてあったので、
間違いないと思うのだけど。ムズムズが残る。
「あのへんはヤギの踊りがあるがね!」
「うちは農業用にヤギ飼ってるんさ」
という方や、
他にヤギ関連(?)の稲荷神社をご存知の方
もし居たら情報をお恵みください…(´・ω・)

ヤギとキツネ、というと もう1つ。
乗物(ヴァーハナ)の白牛を日本人に認識されず
日本に入国した途端 白ヤギと一緒に描かれた
摩訶迦羅天ことマハーカーラ(シヴァ)さんと

ジャッカルと群れ死肉をむさぼっていたはずが
日本に入国したら急激に上品になり
いつの間にか狐にまたがる天女になっていた
荼枳尼天ことダーキニーさんを思い出す…。

が、ダーキニーはシヴァの力に威圧され
彼に服従した獰猛な女神たちである。
キツネさん(ダーキニー)メインの稲荷神社で
その征服者たるシヴァ(ヤギもとい白牛)
と一緒に彫刻されているとは考えづらい。

やはりインドでなく純粋に
日本の農耕文化の中での農耕神と家畜なのかなぁ。
(まだモヤモヤしている)

拝殿の奥に本殿、というのは普通の造りだが。
その本殿よりさらに後ろに
竹の生えた小さな丘のような場所があった。
本殿の真後ろなので何かあるのではと登ってみると、
石造りの祠が3つならんでいた。
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全てに白狐さんがいらっしゃるが、
それぞれが何社なのかは よく分からなかった。

その上、帰ってから本殿の御祭神を調べると
驚くほどの大所帯過ぎて3柱どころではなかった!

ウカノミタマ・ウケモチという稲コンビのほか

太田神というどう見ても地元っぽい神様、
スサノヲ・クシナダ夫婦
オオナムチ・スクナヒコの開拓コンビ、
品陀和気神・市杵島毘売神・菅原道眞天照大御神
大宮能売神・菊理日売神・大物主・健御名方・祓戸四神
果ては仏教圏の薬師菩薩明神まで。

なんと鮮やかな本殿には20柱もの神様が!
乗車率は通勤ラッシュの山手線並みである。

そして、拝殿まで戻ってみると
その横にはなんと…狐にまたがる稲荷大神
か、顔出しパネルが…!
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この発想にビックリやでぇ。
誰が記念撮影すんねん!
と思わず(内心)関西弁になりつつ、
日も暮れてきたので帰路へ着くべく戌亥鳥居へ。

途中には、陶器の白狐さまを納める「白狐社」。
見てみると、お稲荷スタジアム状態!
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かなり満席に近いですな。ワールドカップ決勝戦並み。
大小様々の白狐さんがひしめく光景はなかなかのもの。
奥行きのある下段に至っては、もはや兵馬俑の如し!
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普段は目には見えない人の願いというものの
膨大さ多様さを まざまざと見せられているような気分である。

神無月に出雲に集まる神々たちは
1年間自分に集められた願いを並べ、
どれを先に叶えるか会議するという話を聞いたが。
ここに居並ぶ白狐さんたちも
奉納した人の願いを提示し合い
この大会議室で話し合いをしているだろうか。
と考えると少し楽しい。
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絵馬と一緒だと安心するそうです(笑)
なんだか可愛らしいですな(*´ω`*)

ちなみに狐さんは蚕の天敵・ネズミを食べるので
稲作のみならず養蚕の守り神でもある。
実物は拝殿にでも仕舞われているのだと思うが、
駐車場にある「繭扁額」の写真を見ることができた。
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一つひとつの繭の下にある
木の札に何と書いてあるのかが気になる…。
地域ごとの生産者だろうか。
それとも繭の品種か何かだろうか。

是非実物を見られる機会があれば
文字が何と書いてあるか読んでみたいなぁ
(/・ω・)/!

ところで、管理人はひそかに
群馬って三匹獅子舞の宝庫だな~と思っている。
個々の知名度ではやはり東北の獅子舞に勝てないが、
県内かなり多くの地域で
未だに多数の地元獅子舞が受け継がれている!
という意味では群馬もなかなかなではないか…と。

そんな獅子舞の1つ「細谷冠稲荷の獅子舞」↓
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コチラは案内板にあった写真だが、
3月の初午大祭・7月の祇園祭に見ることができるそうだ。
現在まで伝わっている演目は 三匹獅子舞でよく見られる
「四方固め」「雌獅子隠し」など5演目。
是非見に行きたいなぁ(*'ω'*)

ちなみに、初午大祭は大々的にポスターも出て
獅子舞の時間もネットで調べれば大体わかる。
が、7月にやる祇園祭に関しては
あまりタイムテーブルがヒットしなかった。

問い合わせてみると、
祭の日は朝9:30ごろに神輿が神社を出発。
それと一緒に獅子舞は地区内を回り、
10:30から11:00前後に神社に帰ってきたら
最後に舞を神社に奉納するらしい。

その日のまわり具合によって
多少時間は前後するらしいのだが…。
今後の自分のための覚書の意味も込めてメモ。

今回はあまりの暑さと無計画さで
祇園祭に見られる獅子舞を見逃してしまったので…
次のチャンスは来年の初午だな。
という訳で、大してまとまってませんが今回はこの辺で。
(=゚ω゚)ノ