とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

イカリとカメと大杉神社。

銚子電鉄アジサイ

貯めこんでいた神社を消化していくぞー。
というわけで、浅草の鷲神社の記事はまだ書いていないが、
千葉の神社の記事を少し進めますー。

今回は銚子電鉄に乗って千葉の先っちょへ。
銚子周辺は街路樹や線路沿い等なにかとアジサイが咲いていて
管理人の中で勝手に「アジサイな街」のイメージが定着。
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緑の可愛い電車に乗って、アジサイのあいだを潜り抜け、
終点・外川駅に到着~。
駅周辺はレンタサイクルの人がたまに通る程度だが
少し歩いて住宅地を歩くと、案外人がいる。
(私鉄の終点とて、我らがグンマーと比べちゃいけないか…)
そのまま住宅地を抜けると
おお…当たり前だけど普通に港町じゃ…。
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海が苦手と言っておきながら今年はしょっぱなから
江ノ島(児玉神社)・福島(秋義神社)・和歌山(恵比須ノ宮)
と…海の間近にある所ばかりに遠出している気がする。
そういう年なんだろうか。

*大杉神社*

さて、外川駅から徒歩10分ほどでコチラの大杉神社に到着。
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狛犬はかなり顔面崩壊気味である…。
潮風の吹く町というのはモノが劣化しやすいイメージだが
石やコンクリートもそうなんだろうか?
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そしてこちらの狛犬は草食系(*´ω`*)
葉っぱを食んでいる(笑)
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その奥には階段の上に広がる境内。
木の種類や草の生え方のせいなのか、
なんとなく海の近く(群馬より)南寄りに来たなぁ…
と感じる。木の種類には詳しくないが、
なんとなく草木の形と気候って繋げて覚えているモノなんだろうか。
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たとえば、花の名前が分からなくても
植物がたくさん生えている堤防の写真を見れば
なんとなく「夏っぽい」か「秋っぽい」かは判断できる。
それは無意識に、春にはどんな色の花が咲いている
秋にはこんな形の種が付くと覚えているからじゃないだろうか。

*謎の棒が埋まっている*

まぁまぁ、それはさておき
境内の隅っこに鬼の金棒のようなものが刺さっている。
エクスカリバー的なヤツだろうか。
埋まっている部分がどんな形状だかわからないが、
鬼の金棒のように先端が丸くて先に行くほど太いとしたら
まさに「鬼のような」怪力でないと
こんな風に地面に刺せないのではないだろうか?
これは一体なんなんだ…。
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同じ千葉で金棒と言えば、篠籠田(しこだ)の獅子舞で
三匹獅子舞を先導する「金棒もち」が思い浮かぶ。
しかし、その「金棒」とは鬼の棍棒のようなものではなく
地蔵菩薩の錫杖のような細めの金属棒である。

だったら何なんだ。海の近くだからまさか…
碇の上の部分か?かえしの部分は埋まっているのか?
でもそれって危なくない?碇ってこんな細いんだっけ?
とアレコレ考えていたが、
同日に訪れた川口神社で「埋まっていない碇」を発見!
謎は解けたのであった(/・ω・)/イェイ!

後ほど外川駅で拾った情報によると、
私のような山しかない県の人間には思いもよらぬことだが
「航行の途中で他の船が落とした碇を発見する」
というのはタマにあることなのだそうで。

海の神様は大層金物を嫌うので、
漁師たちは落ちている碇を発見したら
その怒りに触れないよう必ず拾って帰って来たのだとか。
その拾ったものを神社に置いたり埋めたりするらしいので、
この大杉神社や川口神社のほかにも
碇の置いてある神社があるのかもしれない。
海のカミサマは女性を嫌い、死体を好む。
その特徴が鍛冶のカミサマに似ている気がしたので、
かってに海神は金属そんなに嫌いじゃないと思っていた…。

まぁ、実際問題として浅瀬に碇が沈んでいたら
座礁(って言うんだろうか)的なことも起こり得るし
お互い、鎖が切れて知らずに落としちゃうこともあるから
見つけたら拾おうね という暗黙の了解が伝承化したのかな。

*大杉神社と摂社たち*
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さて、本題にたどり着く前にヨリミチしてしまったが
肝心の大杉神社に近づいてみる。

遠目に見ると小さめだなぁという印象。
しかし、近づいてみると彫刻がなかなかスゴイ。
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社殿の正面両脇の彫刻。
滝を昇る鯉も 表面は劣化しているとはいえ
透かし彫りのように深く掘られた部分があり
同じ水でも流れ落ちる滝と滝壺、水しぶきが
遠近感のある表現で彫られている。
向かって右側は木目の出方もとってもキレイだ。
個人的にはとっても気に入った(*´ω`*)

ではこの社にはどんな神様がいるのか?
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銚子は利根川が海に流れ込む土地 ということもあり、
この土地で「大杉神社」と言われれば
アンバさま総本宮・大杉神社からの勧請かと予想される。
茨城県稲敷に鎮座し、利根川流域をシマとする神社である)
そこの主祭神は倭大物主櫛甕玉命(オオモノヌシ)だ。
一方、今回の大杉神社はサルタヒコさんを祀っている。

祭神が違うから別系統か?と考えることもできるが、
サルタヒコの容姿が天狗風であることを考慮に入れたい。
今回は中まで見ることはできなかったが、
どうも社中には烏天狗と天狗の面があるという話だ。
モトは稲敷の大杉神社から勧請したオオモノヌシ様であったが
天狗の面が祀られているために
いつしか祭神がサルタヒコとされた可能性も無くはない。
茨城の大杉神社にも大きな天狗面があり、
 烏天狗・鼻高天狗は「願い天狗・叶い天狗」と呼ばれ人気である。
 祭神でもない天狗がなぜ大杉神社のマスコット的な立ち位置かは
 過去の記事津波と神社と 念仏おどりの中で
 後半「久ノ浜諏訪神社」の項に書かせていただいてますー。


*カメ信仰*

祭神考察はこれくらいにして もう一つ注目したいのが、
神社横に無造作に立てかけてある流木のようなものだ。
あまりに無造作過ぎて重要なものだというセンサーが全く働かず
惜しくも写真を撮ってこなかったのだが…。
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写真の右下。
社殿と柱の間に かろうじて板切れの様なものが写っている。
これ、俗にいう「カメの枕」なんだそうだ。

カメの枕というのは、
(実際カメはどういうつもりか分からないが)
たまに海面に木片を抱えたカメがいるのだそうだ。
ウミガメとて魚ではないのでたまには
ゆっくり肺呼吸をしたくて浮き輪代わりにしているのか、
はたまた「いかにもカメです」という風に浮いていると
天的に狙われるため木片と一緒に浮いているのか。

とにかく人間(ことに漁師)にとってコレが何なのかといえば
漁運を引き寄せる御守りである!
枕を抱えているウミガメを発見したら、
その枕をもらう代わりに必ず持っていた木片をあげるそうだ。
(たしかに、もらう一方では逆にバチが当たりそうだ)
持っていた木片を取られても逃げもせず、
相手が急に差し出してきた木片を甘んじて受け取るとは…
水中では体当たりをしてきたりすると聞いたことがあるが、
野生動物にあるまじきおとなしさだ。

ここではカメの枕しか発見できなかったが、
(というより現地に居る時はソレにすら気づかなかった)
銚子には「亀の子さま」と呼ばれる社や石碑が点在するらしい。
これは、神様とされるウミガメを誤って殺してしまった場合や
既に死んでしまっているのを発見した場合に建てたものらしい。

このように漁師さんたちに大事にされているカメを見ると、
「ああ、浦島太郎がカメを助けたのは
 心優しいからでなく漁師として当然だったのか」
と、何となく思う管理人だったとさ。

そんな感じでカメは大事なので、
昔このあたりの人が決してカメを食べなかったそうだ。
食べてしまうとどうなるかと言うと、
舟は高波に襲われ転覆し、乗組員は一人も助からないとか。
(それを知らないヨソモノ漁師がカメを食べて命を取られたという伝承がある)
次に千葉に来るときは、亀の子さま巡りもいいかもしれないな。
(*'ω'*)ヨシ!

そして、大杉神社のすぐ隣にも特徴的な社があるので覗いてみる。
詳細は分からないが、まず目を引くのが無数の穴。
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最初は「何だコレ?珊瑚か何かでできてるの?」と思ったが、
見たことある中でコレに近いのは「タフォニ」かもしれない。
(見たと言っても、ニュースか何かでだが)
石造の世界遺産か何か古い寺院的なものが
風化してボロボロになってしまい保護が追っつかない!
みたいな内容だったような気がする。
(´・ω・`)ウロオボエ…
その風化でできる造形にそっくりだ。
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中には恵比寿様の像↑があるので
大漁と安全な航行を願った恵比須宮なのだろうか。

隣にある空き家のような社↓も
少しだけポコポコ穴が開いてはいるが、
恵比須様のいらっしゃる社ほどの芸術的劣化ではない。
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このあたりでは珍しくない劣化の仕方なのだろうか?
この空き家も、あと数年放っておくと
ああいう芸術的な様相を呈してくるんだろうか?
管理人は今まであまり見たことなかった劣化の仕方だったので、
誰もいない境内で1人で変なテンションになっていた。

さらにその右には、お稲荷様が。
このあたりのお稲荷様は圧倒的に鉢巻き↓が多い。
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やはり漁師町だからか。漁師風なのか。
(適当なこと言ってすいません)
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中を覗いて見ると、いくつもの石の祠のようなものが。
周辺にあったいくつかの稲荷社を
災害や区画整理などの際に合祀したんだろうか。
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そしてやはり、陶器の狐さんたちまでもが
前掛けではなく鉢巻をしている。
普段は前掛けキツネを見る機会が多いので
なんとなくカルチャーショックである。
今度海辺の町に行くときは
狐たちの服飾(?)にも注意してみよう…。

さて、今回は日帰りだった上に
休日だからとぐうたら二度寝などして出発が遅かったので
日が暮れる前に目的の「長九郎稲荷」へ急ぎましたー。
現場(?)に行ってみると、
思った以上に怪しさいっぱいの神社だったので
次回はその話題で(=゚ω゚)ノ

良縁まねく今戸神社。

待乳山聖天から徒歩数分、今戸神社に到着した。
境内は広くて砂っぽくて校庭みたいな印象。
※個人の感想です
淺草だけあって団体客がワサワサと歩いていた。
ここの狛犬はゲージで飼われているようだ。
お顔がよく見えない…(´・ω・`)シュン
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さて、こちらが拝殿。
装飾はピンクベージュと抹茶ラテ色(?)で可愛らしい。
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幟に「縁結び」とあるのは
イザナミイザナギを祭神としていることからだとか。
しかし、イザナギは「見るなのタブー」に引っかかった
日本初の男性ではあるまいかと管理人は思っている。
黄泉の国へ行き、体が朽ちてしまったイザナミ
「元に戻れるよう黄泉の者と掛け合おう」とまで言ったのに
「だからまだ私を見ないで」という約束を破り朽ちた姿を覗き見。
あまつさえ、その醜さに腰を抜かしそうになった男である。
(;´・ω・)ヤレヤレ
その結果、夫婦喧嘩が勃発しイザナミも元には戻れなかった。
まぁ、話によっては最後にククリヒメが登場して
2人を仲直りさせるパターンもあるわけだがいずれにしろ、
良縁に恵まれたら女性との約束をしっかり守って
末永くお幸せになってほしいものである。

とはいえ、御利益だけには頼っていられない。
この今戸神社では「縁結び会」と称して
婚活パーティー的なものが催されているようだ。
日程は今戸神社さんのHPで随時upされているようなので、
みなさま御興味があれば。
管理人は弁天様にウッカリ願掛けをしたことがあるので
そのへんは半ばあきらめている(笑)
弁天様は嫉妬深いカミサマといわれており、
御参りに来たカップルを別れさせるとか
弁天様の力が強い土地の女性に美人は生まれないとか
そんな噂の絶えない神様である(;゚Д゚)

さて、参道の花壇付近には
「こんなに水やるか」という数の猫ジョウロが。
管理人も大学の頃このジョウロ使ってたなぁ…
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そして、絵馬にも境内の各所にも招き猫が!
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そして拝殿を覗いて見ると(いや、覗かなくても)
巨大な招き猫が何体か見えている!
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というのも、この今戸神社
「招き猫神社」として有名なのだそうだ。
何故?なぜ猫でなく招き猫なんだ…というところであるが、
調べてみるとこの今戸は「招き猫発祥の地」なのだという。

諸説あるが、古くは焼き物の産地であった今戸。
むかしむかし、この付近の花川戸というところに
貧しさが極まり泣く泣く愛猫を手放した老婆がいた。
すると夢枕に愛猫が現れ
「おばあちゃん、聴いてほしいにゃん!
 私の姿を人形にしてみて欲しいんだにゃー。
 そしたらおばあちゃん幸せになれる気がするにゃ!」
と言ったのだそうだ。
捨てられてなお御利益をもたらすとは、
老婆はさぞかし愛猫を大切にしていたのだろう。

バイタリティあふれる老婆はさっそく
地元の特産・今戸焼で猫人形を作った!
窯元だったという記述もないのにそんなに簡単に!?
とも思うが、それほど今戸焼は身近だったということか?
しかも、おばあちゃんは一個でなく たくさん作り
浅草三社権現の境内でそれを売った!
すると、焼物猫はバカ売れ。
おばあちゃんは生活が楽になったのだとさ。
御利益と言うよりバイタリティの賜物な気もするが、
御利益とかお告げって実はそういうモノなのかもな。
なんてゆうか、
ちょっとしたアイデアやきっかけが降りてきて
でも結局それを実現できるように頑張った人にだけ
結果が与えられる。
全てが神様の力で成功へ転がっていくわけではないのだ。
と、いう気がした。

ともかく、そんな今戸に建っていることから、
この今戸神社は「招き猫発祥の地」を名乗っている。
とはいっても実は、昔からずっとではなく
最近になってから名乗ったのだという話もちらほら。
なんでも、今戸焼の招き猫の特徴は
一般的な招き猫のように正面を向いているのでなく
体は横向きに座って顔だけをこちらに向けているのだとか。
(この今戸焼の横向き猫は〇〆(まるしめ)猫というらしい)
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発祥の地を名乗るならその辺も徹底してもらいたいような…
という気もするが、境内にいる猫はどれも正面を向いている。
〇〆猫以外にも今戸にこういうタイプの招き猫がいるなら
どことなく可愛くないとて許せるのだが。
せっかくそんな特徴的な招き猫の出身地なら
是非そのタイプを推していただきたい!
そこんとこ どうなんでしょう。

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まぁ、〇〆ちゃんを推すかどうかは
とやかく言わずに今戸神社さんに任せるとして…
デカい猫に視線を奪われがちだが 脇に小さな福禄寿がいる。
ここは「浅草七福神」のチェックポイントにもなっているのだ。

今回七福神巡りをするつもりは特になかったのだが、
淺草に来たからにはと寄ってみた浅草神社浅草寺が恵比須・大黒。
吉原神社が弁財天、待乳山聖天毘沙門天、ここが福禄寿。
そして次に訪れた鷲神社が寿老人のチェックポイントである。
この辺りの神社を回ると自然にコンプリートできるのかもしれない。

そして、猫のインパクトが大きくて忘れるところだったが
ここの御祭神はもう一柱いる。應神天皇である。
應神天皇は「三韓親征」の神功皇后の息子。
身重ながら兵を率いて勝利をおさめた皇后の功績から
その戦いの最中、皇后の胎中に居た應神天皇
戦勝をもたらす御神徳があるとも言われている。

もともとこの今戸神社は戦勝祈願のための神社。
源頼義・義家が奥州の安倍の貞任・宗任討伐に先立ち
京都の石清水八幡宮のカミサマをお招きしたのが始まりである。
ちなみに、このとき もう一カ所
皆様御存知の「鶴岡八幡宮」にも八幡様をお招きした。
つまり、今戸神社には鶴岡八幡宮と同じ神様がいらっしゃるのだ。
どうも最近イザナギ夫婦の縁結び・新参の招き猫に押されているが
勝負事、スポーツなどの試合前にも是非御参拝あれ
(=゚ω゚)ノ

*蛇足*
そういえば、拝殿にある大きな招き猫の後ろの棚に
猿バージョンの招き猫(?)が見えるのだが…
申年にでも作ったんだろうか。
(我らが群馬県はダルマが名産なので干支ダルマとかあるが、
モトの形状が違い過ぎるため巳と辰が正体不明の物体となる)
これ「招か猿」として流行らせたらどうだろうか。
これを置いておくと悪縁・貧乏 招かざる!
なかなかイイのではないだろうか。
いや、もともとそうゆう商品として作られてたらすいませんね。

大根好きの待乳山聖天さん。

浅草神社今戸神社への道のりで待乳山聖天という看板を見つけた。
この日は非常に暑かったので
「いや、もういいんじゃない?寄り道は…」
という気分になりかけたが、一応前を通ってみた。
すると、なんだか木陰で涼しそうではないか!
というわけで
涼しさの誘惑に負けたのか
神様欲に負けたのかわからないが、
待乳山金龍院さんにお邪魔した次第である。

*出世観音・歓喜地蔵*
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入るとすぐに、ユルめな顔の観音様が出迎えてくれる。
説明によると1600年ごろに作られたものらしく、
昭和11年、境内を整備しているときに
頭だけ土の中から見つかったという話である。
(学業・芸道にご利益があるのだそうだ)

そして少し階段を上がると
地蔵会議か!というほどの地蔵集合エリアが。
…手前の方は受付ですかね。(コラ
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このエリアのカドに
牢名主のような(?)重みで鎮座しているのが
こちら↓「歓喜地蔵尊」。
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古来より霊験あらたかな子育て地蔵として信仰されたが
幾多の火災にあって像容をとどめていないのだそうだ。
確かに、覗いてみるとどうゆう状態の像なのかわからない。
↓首から胸あたりが見えているんだろうか?

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*聖天と十一面観音さま*

さて、いろいろ気になる仏像もあるが主役の話に戻る。
待乳山「聖天」様ということは
ヒンドゥーで言うところのガネーシャである。
インド料理屋さんでシヴァ神とともに
息子・ガネーシャの壁掛けが飾られていることもあるので
そのお姿を拝んだことがある人も多いはずだ。

象の頭に、ふくよかな太鼓腹。
アジアン雑貨店などにもたまに置いてあったりする。
では、このお姿は日本に入ってきてどう変わったのだろう?
ネットで「歓喜天」と調べると画像が見られるが
どう言うわけだか2匹の象が抱き合う姿になっているのだ!
いつから増えたんじゃ!(しかも痩せたぞ)

そんな謎のカミサマ・聖天さまだが、
では一体浅草と何の関連が?というと…

昔々、ここ待乳山周辺で旱魃が起きたそうな。
作物は育たず水は無く、民衆がほとほと困り果てていると
十一面観音が聖天さまの姿で現れて救ってくれましたとさ!

という伝説から 十一面観音を本尊とする金龍院は
いつしか「聖天さん」として親しまれるようになったそうだ。
どうして十一面の姿のままで現れなかったのか?
とゆう話はまた後で。

とりあえず境内に入ると、
あちこちに巾着&大根モチーフが。
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二股大根は大黒さまモチーフ!とゆう感じがするのだが
歓喜天も大根が好きなんだろうか?

巾着については、
ガネーシャが財や富の神であることから「砂金袋」であるとも
ガネーシャの好物「モーダカ」と形が似ているからとも言われる。
米粉の皮で、ココナッツやスパイスで作った餡を包んで蒸す
甘くてエスニックなプチ肉まんみたいなものだ。
蒸したてはモチモチで、とってもおいしい。
管理人もモーダカ大好きだが、
年中食べているとガネーシャのようなお腹になってしまうので控えたい…

大根については、後で調べたら
ガネーシャの頭は「片牙の象」であるため、
欠けたほうの牙の代わりになりそうな大根を喜ぶのだとか。
しかし、それだけなら「二股」である必要が無い。
(いや、むしろ二股大根つけてたらおかしいよね)

 

ということで、聖天さんの過去について少し探ってみる。
ヒンドゥー教でも財宝神として大人気を博しているが
ガネーシャは元来身体の障害や畸形の神とも言われている。
そして仏教でも歓喜天はモトモトは悪神。
しかし 病を振り撒き災いをもたらす彼の前に ある日
「民を苦しめるのをやめたらアタシを抱かせてあげる☆」
と大胆な感じのセクシー美女が現れた。
聖天さまはすんなりこの取引に応じ、
歓喜」を得ることと引き換えに改心し護法善神となった。

つまり男女和同に関連深いカミサマなのである。

そこで、12月上旬に「大黒さまの嫁」として
二股大根を供える地域があることを思い出したい。
(主に東北とか、雪深いところだったとおもう)
これは夫婦和合と豊作の象徴であるとも言われているので
それと同じく聖天さまの二股大根も
女性との性的なかかわりを象徴しているのでは?
というのはどうだろうか。

先ほど紹介した待乳山聖天の言い伝えも
考えようによっては
「十一面観音が聖天の姿で現れた」のでなく
十一面観音が現れて聖天を籠絡し、
メロメロになった聖天(改心ver.)が行いを改め
民衆を救いにやってきたの、かも、しれない。

…まぁいつもどおり妄想が入っていて
確定的根拠に欠けておりますな。
(´・ω・`)ゴリョウショウクダサイ


ちなみに、
ここは浅草七福神の「毘沙門天」ともなっている。
古くから、聖天さまのボディーガードとして
木造の毘沙門天像をお祀りしているんだという話である。
本堂に上がれば見られるんだろうか…とも考えたが、
誰かが本堂にいたので遠慮してしまった。
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本堂横には大根の箱が山積みに。
一体、1日に何本の大根が奉納されて
それは古くなったらどうしているのだろうか…?

是非とも、民衆を救った聖天さまにならって
炊き出しなどに活用していただきたいところ。
もしくは、たくあんにして売るなんてのも楽しいですな。
ご利益満点・聖天たくあん!いかがだろうか。

ちなみに、目撃したとき思わず笑ったが
境内には超ちいさいケーブルカーみたいのがある。
「階段を上ることが困難な方に配慮したのだろう」
とゆうことで勝手に納得したが
エレベーターじゃないところがなんとも楽しげである。
ちなみに終着点は数メートル下の
住職さんの私宅みたいなところ…だったように見えた。
※でも普通にお客さんが使っていいやつです!
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そしてそのまま本堂の裏にまわると、
なかなか大事にされていそうな お稲荷さん発見!
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赤いキツネ…じゃなくて緑…の、キツネ!?

狐の前掛けは赤が多いイメージだが、
ここの狐さんは緑のようだ。
手前にある定食屋の湯飲み入れみたいのを開けてみると
大きなオアゲが入っている。おいしそうである。
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そして、そのまま本堂の周りを一周して
ケーブルカーと反対側に出ると宝塔みたいなものがある。
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説明を読んでみると
銅像宝篋印塔(どうぞう-ほうきょういん-とう)というらしい。
「宝篋印塔」とは宝篋印陀羅尼という経文を格納(?)する塔。
宝篋印塔にもいろいろな形状があるが、
こういう笠の付いた物は江戸時代中期以降のトレンドだそうだ。
造立当時の形がほぼ完全に現在に伝わっているモノは貴重で
台東区有形文化財に指定されている。

とっても貴重なものらしいのだが
大根と巾着だらけのキャラ立ちする本堂と
唐突に現れるケーブルカーなどに押されて
インパクトを感じる人が少なそうなところがかわいそうである。
(´・ω・`)

ちなみに待乳山(まつちやま)は
モトは「真土山」と表記したとゆう話がある。
とゆうのも、江戸時代 この界隈は埋め立て地も多く
大雨・長雨のたびに沼のようになっていたのだそうだ。
そんな中にあって、この待乳山周辺だけは
真(まこと)の土、つまり地盤のしっかりした小高い丘であった。
ということで真土山、なんだとか。

確かに、
今でこそアスファルトの道に囲まれているが
待乳山が題材となった浮世絵を見てみると
小舟が通れるほどの川に囲まれ
周辺の道から待乳山へは橋が架かっていた様子である。

*おまけ*

門から出てすぐ、庚申塔エリアがあった。
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青面金剛の彫刻はなく猿だけのもの。
 上部には月と太陽が彫ってある。

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↑劣化したのか強盗の目出し帽のような顔に見える…

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↑だいぶかけてしまった部分が多いようだ。
 顔は、故意に割られてしまった可能性もある。
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↑表面の滑らかさと二頭身感がカワイイ

石仏・庚申塔好きの方も是非お立ち寄りくださいー。

突如寄ることになった待乳山聖天だが
結構面白スポットでしたとさ。
次回は招き猫神社・今戸神社へ。
ゾウさん(歓喜天)の次は、ネコさんです!
(=゚ω゚)ノ

彫刻だらけの桐生天満宮。

桐生駅北口から北東に向かって歩くと、
群馬大学工学部の少し手前に鳥居が見える。
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五叉路のようにも見えるが、
鳥居左に見える道っぽいのは参道の一部。
十字路に参道がせり出して見晴らしが悪い状態だが、
車はスピードを緩めずバンバン曲がってくる。
なので、信号待ちの時は要注意。

参道を歩いてややすると、太鼓橋↓が。
大体の神社がそうであるように立ち入り禁止。

*太鼓橋*
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というのも、神社参道に架かる橋は
そもそも人でなくカミサマのための橋。
つまり特別な日に渡ったり降り立つ場所なのである。

余談だが、
かの有名な伊勢神宮にも「宇治橋」という橋がある。
コチラは、普通に参拝者も通れる橋であるが、
冬至の前後数日は橋の「俗世」側から「神域」を見ると
ちょうど橋の延長線上・正面の鳥居から日が昇るという。

日食が「太陽が死ぬとともに、新しく生まれ変わる時」
と表現されることがあるが
太陽の力が一年で一番弱まるとされる冬至もまた
伊勢神宮祭神が橋に降り立つ「特別な日」…
なの、かも、知れない。

かも、というのは定説というワケではないからで
「偶然か」と言われることもあるし
その日に特別な神事が設定されているわけでもない。
しかし、星回りにうるさい(?)古代人が
太陽の女神のおわす神社の設計をするのに
太陽の動きを計算しないなんてことがあるだろうか。
逆に夏至の日には夫婦岩からの日の出が見えるというし
これは絶対わざとだろうと管理人は思っている。

…何の話だったっけ。
(´・ω・`)アラ?

とにかく!
伊勢神宮の神域と俗世を隔てる五十鈴川に限らず、
三途の川も「あの世」と「この世」の境界。
イザナギも、黄泉の国のイザナミにあった後に
川で身を清めてから生者の世界に戻った。

そんな感じで、日本人の心象としては
「川」は極めて境界性の高い存在で。
だからこそソコを渡ることを可能にする「橋」は、
カミサマと人をつなぐ特別な装置なのだろう。

現在ではそれが簡略化され、
「川は無いけど橋があれば境界性表現できるよね」
的な感じで(ex.鎌倉・鶴岡八幡宮
水の無い参道の真ん中に太鼓橋だけがドーン!
という光景も珍しくはない。

もしくは昔は橋の下に水があったが
地形や水位変化のため今は無くなった…
という考え方もありだろうか。
諏訪大社下社春宮の下馬橋とかそうかも)

まぁ大手の神社は置いといて、
桐生天満宮の話に戻りましょー。
(*'ω'*)ソウシマショー。

*財福稲荷社*
さて、太鼓橋の左には新しそうな小さい社がある。
扁額を見ると「財福稲荷」とある。
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末社の中の1つだった御稲荷さんから神霊を招き、
古くから伝わる「財福稲荷」の名前を掲げて
お祀りし直したのだそうだ。(公式ホームページより)

個人的に気になったのは、その稲荷社横にある灯籠。
稲荷社よりずいぶん古そうな上に、なんだか石っぽくない。
特に 土台部分。なんだこれ。鉄?
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素材は分からないが、ちょっと変わった感じの燈篭だ。
鉄なら、南蛮灯篭というやつだろうか?
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*拝殿*
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そして拝殿の前まで行くと、
狛犬↓は濃いめの小澤征悦風(?)
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今生まれ落ちたばかりのような
ツルッツルな「撫で牛」ちゃんもいます。
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おみくじを結ぶ場所↓は、なかなか独特な形態。
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境内をよく見ると、色々な所に
この「一陽来復↓」の札が貼られている。
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知識不足かもしれないが、
これ 早稲田の穴八幡で冬至に配るやつ?
それとも群馬にも一陽来復のお札があるのか?

一陽来復」の意味としては、
冬が極まって終わり、また春が来ること。
冬が極まるというのはつまり冬至のことでもある。
転じて、悪いことが去り運気が上を向き始めること。

しかし、それと天満宮にどんな関係が?
天満宮菅原道真)は北極星信仰と関連深い
と言われたりするが、
冬至という「陰」の極まる時が
「北」を象徴する北極星とつながるんだろうか。

ちょっと想像の域を出ないなぁ。

*祭神について*
そもそも、この桐生天満宮
天満宮」と言う名前なので主祭神菅原道真だろう!
と思っていたのだが、
実は西暦100年ごろはアメノホヒが祀られていたそうだ。
西暦100年なんて昔過ぎて 何があった年なのかよく分からないが、
聖徳太子摂政になる約500年前。
日本神話で言ったらヤマトタケルのお父さんの時代である。

さて、このアメノホヒという神様は誰かと言うと
あの アマテラスの息子である。
息子とはいっても、おなかを痛めて生んだのではなく
彼女が鬟(みずら)に巻いていた勾玉から生まれた神だ。

5人兄弟だが、その後の日本神話にちゃんと登場するのは
彼の兄・アメノオシホミミくらい。
お兄ちゃんはかなりのヘタレで、
そして、アメノホヒ自身も かなりのゆとり世代(?)。

母・アマテラスはまず兄に
「ぼうや、地上を平定してきてちょうだい」
と言ってみたがアメノオシホミミ
「地上は物騒でヤバそうだからボク行かない」
という感じだったので弟にお遣いを頼むことにした。
オオクニヌシを説得して国を譲ってもらってきて」

そうして、アメノホヒ
「はーい」と降臨してみたものの、
説得しているうちに懐柔されてしまった。
そして…

「平定のために地上に降臨してみたけど、
 逆にリスペクトしちゃた的な?
 オオクニヌシさんパネェっすわー。
 俺、マジ地上気に入ったんでしばらく帰らないから!
 (=゚ω゚)ノサーセン☆彡」

と、連絡も無しに3年間帰ってこなかった。

彼は「天穂日」という太陽信仰圏の農耕神らしい名前で、
いかにも太陽の女神・アマテラスの子という感じがする。
が、彼は結局 オオクニヌシを祀る出雲国造一族の祖神となった。
つまり、天津神代表・アマテラスを母に持ちながら
彼の子孫は国津神代表・オオクニヌシを祀っている。
ちょっと変わった神様なのだ。

ちなみに、彼が慕ったオオクニヌシ
しばしばオオモノヌシと同一視されてきた。
この桐生天満宮の近くに「美和神社」があるのだが、
そこの主祭神はオオモノヌシなのである。
こんな北関東まで遥々招かれたのに奇遇にも側に居られて
アメノホヒもきっと喜んでいることだろう。

そして、あと一組。
名前自体は知名度が低いが、活躍の場は多い
「祓戸四柱大神(はらえど-よはしらの-おおかみ)」である。
あらゆる災いや罪・穢れを祓い清めるカミサマで、
瀬織津姫神・速開都姫神気吹戸主神・速佐須良姫神
の4人ユニットである。

セオリツヒメは単体で祀られることも多いだろうか。
本土では川や瀧の女神とされることが多く、
その激しい流れで穢れを海へ押し流すのだそうだ。

そして、荒れ狂う潮の狭間におわす
大海の女神・ハヤアキツヒメが、
その罪や穢れを残すことなく飲み込む。
その様子は大祓詞では「かか吞む」と表現されるが、
この「かか」とは一説に蛇のことと言われ
つまり蛇のように大きな口をあけ一瞬で丸呑みする!
という様子らしい。(大学のころ本で読んだ気がする)
なかなかの迫力である。

そして、飲み込まれたのを見計らって
風神・イブキドヌシはその長く強い息で
根の国(死者の国)まで罪と穢れを吹き飛ばす。
…管理人は、ハヤアキツに飲み込まれたものを
どう吹き飛ばしているのかずっと疑問に思っている。
まさか彼女ごと一旦根の国に送るのか?

最後に、根の国におわすハヤサスラヒメが
その名のごとく罪や穢れを流離(さすら)わせ、
どこかへ失われてしまうという。
最後はなんだか、なんとなく無くなる感じなのだ。

…とまぁ、多彩な神様がいらっしゃる天満宮である。


*ゴテゴテ本殿*
さて、祭神の話でだいぶ尺を使ってしまったが
この神社で特筆すべきはこの本殿の彫刻!
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上には上がいるので「これが最強」とは言えないまでも
いままで管理人が見た中では一・二を争うゴテゴテ。
蚊に刺されながら写真を撮りまくる価値はある本殿である。

あまり良い写真を撮ってこられず
彫刻の立体感が半減なのが悔しいところだが…
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それにしても
何の彫刻も施していない場所を探すほうが大変なほど
いたるところ彫刻だらけである。
ゴテゴテ大好きなので堪りませんなぁ。
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いまでも所々に彩色の形跡が見られるとのことだが、
境内には設計図というか完成予想図として描かれた絵↓が
説明版に掲載されている。
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な、なんと。超ド派手ではないか。
好みとしては今のほうが好きだが、
この彫刻の質と量でこの彩色だったらと思うと…
それはそれは素晴らしいお姿だったことは想像に難くない。

末社たち*

立派な神社だけあって、後ろに回って見ると
たくさんの社が並んでいる。灯篭?もたくさん。
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奥にある「春日社」は、目立たない場所にあり姿も控えめながら
桐生市指定文化財になっているそうだ。
人(社?)は見かけによりませんなぁ。

あとは「神道七福神」を祀ったという宝船神社↓とか。
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そして、管理人が気になったのがこちら↓f:id:ko9rino4ppo:20170528061214j:image
「機神神社」という扁額がかかっている。
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手水鉢は、水は張られていないが
そこには生糸の巻かれた糸車↓とおもわれるマークが。
マークというか、これが神紋なんだろうか?
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県外の方には富岡製糸場のほうが有名になってしまったが
群馬は製糸業だけでなく銘仙(織物)も有名なのである!

上毛カルタ群馬県民御用達ご当地カルタ)でも
「繭と生糸は 日本一」のほか
県都前橋 生糸(いと)の町」
「日本で最初の 富岡製糸」
銘仙織り出す 伊勢崎市」そして
「桐生は日本の機(はた)どころ」と…

44枚しかない札のうち、実に5句が生糸や織物に関するものだ。

そのため、機織や養蚕に関する神社は多いといえる。
この神社、機の神様ということはタクハタチヂヒメとかだろうか。f:id:ko9rino4ppo:20170528003622j:image
社内はちょっとモノが多いが、非常に明るい。
天満宮本殿ほどではないが、小規模ながら精巧な彫刻。

ちなみに、機織の女神・タクハタチヂヒメは
タカミムスビの娘とかオモイカネの妹といわれ、
天皇の祖先となったニニギの母。
つまり、先ほどのヘタレお兄ちゃんアメノオシホミミの妻。
まぁヘタレというか、慎重で 手柄は人にとらせるタイプ
といった方が良いだろうか。

*追記*
ちなみに、絹・織物関連といっては何だが
ここ桐生天満宮がどうしてこんなに豪華かというと
徳川家代々の祈願所となっていたからなのかもしれない。

とくに、関ヶ原の合戦に際しては
軍旗に使う絹糸を神前に供えて祈願し、勝利を収めた。
その凱旋をきっかけに境内では織物市が開かれるようになり、
後の桐生織物繁栄の礎になったとも言われている。

未開の地グンマーとか言われてるけどね、
昔はスゴかったんだから!
古墳だってバンバン立ってるし!
埴輪だっていっぱい出るんだから!

遊郭しのぶ 吉原神社。

*吉原神社*

今週来てみたのは、東京都台東区の千束にある「吉原神社」。
小さいながらも、御朱印をもらう人などで賑わっている。
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狛犬↓は、どことなくエキゾチック(?)な面立ち。
ペルシア系というか、なんというかね。
※個人の感想です
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さて 吉原といえば遊郭だが、
ここ千束は特に「新吉原」と呼ばれた場所。
最初の吉原(元吉原)は人形町のあたりだったが、
後ほどこちらに移転したのだそうだ。

この吉原神社にはどんな神様がお住まいかというと、
おなじみ ウカノミタマノカミである。

吉原の出入口というのは非常に限られていたわけだが、
その出入口・大門付近に玄徳(よしとく)稲荷。
そして、敷地の四隅を囲むように
榎本・九郎助・明石・開運という4つの稲荷社があった。

そのためだろうか。
新年を迎える江戸の町では「獅子舞」が演じられたが
年末の吉原では獅子でなく 「狐舞」が行われたという。
御幣と鈴を持ち 狐の面をかぶって踊る姿は、
吉原の年の瀬の風物詩としていくつかの錦絵に残っている。

そういえば
女衒に買われた少女が勝気で美しい花魁になる姿を描く
「さくらん」安野モヨコ・作)でも、
年末の大掃除をする場面で狐舞が描かれていた。

必需品を堅実に売る商売ではないからこその
客足の流れの速さ 流行れば湯水のように湧く銭。
まさに御客様あっての「水」商売である。
お稲荷様は出世・繁盛が得意分野であるから
朝な夕なに手を合わせざるを得なかったことだろう。

そしてさらに、
妖狐・妲己の如く美貌で城も国も傾けるが傾城。
※傾城(ケイセイ)は遊女の異名
女郎は色恋を演じて狐の如く客を化かす。
狐と遊女にはそんなイメージのつながりも
もしかしたらあったのかもしれない。

そんなわけで花街をぐるりと囲んだ5つの稲荷社が、
明治に入って1つに集められ大門付近に合祀された。
そして吉原に隣接していた弁財天も同居することになり、
これが現在の吉原神社のモトとなったのである。
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↑拝殿の提灯には、ちゃんとすべての稲荷社・辨天様の名前が。

*お穴様*

さて、その拝殿の向かって右に
末社のような小さな社がある。
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説明書きを見ると「お穴様」と書かれていて、
なんでもカミサマは社の中ではなく
なんと地中にいらっしゃるのだとか。
祭神が何かなどは詳しく書かれていなかったのだが、
なんだか気になる神様である。

ちなみに 上野・穴稲荷も別名:お穴様と呼ばれているが
この吉原神社のお穴様との関連はハッキリしない。
ただ、その「御穴」という名称から穴稲荷は
性病予防の神として非常に信仰されていた!
と聞いたことがある。
だとすれば、こちら千束のお穴様も名称からして
同様の御利益が期待されたと考えても良いのだろうか?
(もしくは、上野から吉原へ御招きしたとか…)

御穴様のそばには天燈鬼・龍燈鬼↓。
この2人のファンとしては、
木造の精巧な像とはまた違う様子も可愛らしい。
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*弁天堂本宮*
さて、吉原神社から歩いて数分の場所に
現在吉原神社に分祀された弁天様の本宮がある。
管理人は個人的にはコチラの方が好き。

まず、ココが昔どういう場所だったかと言うと
吉原に接する「花園池」という池であったそうだ。
そして、その池に浮かぶ島に弁天堂があったという。

花園池の弁天堂なんて、花街らしいなぁ
と思うが、花街が花園なのは「男性にとって」である。

飢饉の絶えない雪深い田舎から買われてきたら
毎日綺麗な服を着て満足な食事なんて夢のようだろうが、
一方で年季が明けるまでは 辛くとも病になろうとも
身分のある人に見初められ請け出される他は、
死ななければ大門から出ることはできなかった。
そして、年季を待たずして亡くなれば無縁仏として
死体遺棄の如く寺に放り込まれたと言われている。

病気をもらいませんように。
客が付いてくれますように。
今日のお座敷も無事過ごせますように。

先に紹介した五稲荷をはじめ弁天様・お穴様にも
吉原の女性たちはどれほど願ったことだろうか。

そんな身の上を苦にした遊女たちの放火も度々あり、
また敷地内での火事が延焼することもあり、
この吉原では おおよそ20年に一度ほどの頻度で
「大火」と言うにふさわしい大火事が起きた。

その中でも最も大きな被害をもたらしたのは
関東大震災による火災ではないかと言われ、
本宮の境内中央には遊女の慰霊のため観音像↓が作られた。
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境内に入ってすぐ、敷地の真ん中に高い岩があり
周りは花や石仏で囲まれている。
そしてその岩の上に観音像が衣を靡かせ立っている。
写真を撮るとちょうど木々の間から光が差して
まるで観音様から後光が差しているようである!

境内にはいくつかの新聞記事や写真が張ってあるので
是非訪れた際には見て読んでいただきたいのだが、
コチラ↓が関東大震災による火災の様子である。
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黒煙と炎の中で 逃げ惑う女性たちが描かれている。
この時、ここまでの大きな火災にもかかわらず
吉原では商品である遊女たちが逃げ出さないようにと
大門を閉めて閉じ込めたとも言われている。

そして、逃げ場を失いながらもどうにか助かろうと
池に飛び込んだ遊女たちは折り重なり
溺死した者もいれば圧死した者もいたのだそうだ。

当時どれくらいの規模の池で
吉原にはどれほどの女性がいたか分からないが
境内の写真を見る限りでは最早
池に水など溜まる余地もないほど人が折り重なっている。

逃げ場を失ったのは門が閉まったせいであり
つまりそれは火災ではなく人災ではないか…というところだが
こんな吉原未曽有の大災害であってもその死者の数は、
年季を待たずに亡くなり寺に投げ込まれた遊女の数には
遠く及ばないというのだから悲しい話だ。

現在は弁天堂を囲むほどの池は無く、
小さな池で所狭しと鯉が泳いでいる。
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新しくなった弁天堂に鮮やかな壁画を描いたのは
美大の学生さんやOBさんだという話だ。
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中を覗くと、中央には見慣れた姿の小さな弁天様。
江ノ島に祀られている「妙音弁財天」と同様、
一切の衣をお召しになっていないようだ。
そして、奥にどっしりと構えるのは八臂弁財天だろうか。
手の本数はよく見えないが、六臂は珍しいので八臂か…?
頭の上には宇賀神(ウガジン)も居るようだ。
じいさん顔の蛇で、微妙に気持ち悪いカミサマだったりする。
(ココのは髪を二つに結っているので女性かもしれない)
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吉原神社の方は「神社」なので合祀された弁天様も
「祭神:イチキシマヒメ」とされてしまっているが。
コチラの本宮では「宮」とはいうモノの
本来の仏教的なお姿を見ることができる。

水商売というのも、
昔よりは自由な働き方ができるようになっただろうが
昔と最も変わらない仕事かもしれないとよく思う。
知人がそういう世界で生きているので、
なんとなく管理人としては 
他人事とは思えないと言ったらおかしいが。
そんな感覚がある。

まぁ浅草という土地柄、
歌舞伎町のように夜のおねぇさんは多くないが
無念の遊女を弔うにとどまらず
現代のおねぇさんたちもお守りください。
と手を合わせる管理人だったとさ。

ちなみに、
この吉原神社の近所に浄閑寺という寺院がある。
近所と言っても少し歩くが、
そこが吉原の「投げ込み寺」であり今も慰霊塔がある。
時間と興味がある方は、
是非そちらにも寄ってみていただきたい。

岩櫃山のおひざもと。

まだ和歌山で行った速玉神社の記事を書いていないが、
先週末は地元で ぶらり鉄道の旅。
吾妻のほうまで行ってみた。
今回の神社は駅から近いので気軽でオススメ。
(前日は炎天下9~10km歩いて、疲弊した)

吾妻線郷原駅で下車。岩櫃山の麓である。
岩櫃(いわびつ)、と聞くと
あの「真田丸」のカッコイイ音楽が思い出されますね!
(*'ω'*)ソウデスネ!
しかし、先日東京の友人に訊いたら
なぜか上田城とセットで「長野」と記憶されていて
管理人はちょっとショックを受けた。

有名=「群馬じゃないだろう」
って発想やめてよ!岩櫃は群馬よ!
(ノД`)・゜・。

*密岩神社*

さて、余談は良いとして
今回来てみたのはコチラ「密岩神社」。
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御覧の通り、非常に新しく小さめな神社である。
しかし、切り立った岩櫃山を背にすると
ちょっと印象が違ってくるだろうか。
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実は、今回訪れた密岩神社は「里宮」。
御参りしやすいように人里に作られた御宮である。

奥宮は、ご想像いただけると思うが
あの背面にそびえる岩櫃山の山中にある。
「昭和の末より落石が増え立ち入りが困難になった」
とのことで、管理人が生まれたころにはもう
奥宮への参拝は できなかったのかもしれない。

そして、平成25年にようやく
里宮への遷座式を行うことができたのだそうだ。
しかし、いろいろな方のブログを読んでみると
「今はもう遠くから様子を窺えるのみ」
というようなことが書いてあるので、
遠目に見ることはできるのだろう。
「誰がどうやって建てたのか」
という場所に建っているらしいので是非見たい!
(*'ω'*)

さて 神社の謂れを読むと、
岩櫃城主・吾妻太郎齋藤基国(もとくに)は
永禄6年、武田方・真田幸隆に攻められ妻子と離散。
当時第三子を身籠っていた妻は
城から逃れ岩櫃山の洞窟で子供を産んだのだそうだ。
そして その子を里人に託し、自らは夫探しの旅に出た。
しかし夫は一向に見つからず。

結局彼女は精根尽き果て岩櫃に帰り着いたが、
山中の洞窟で息を引き取ったのだそうだ。
すると一筋の煙とともに観音様が現れ、
また彼女の亡骸もろとも消えていったという。
そんな彼女を哀れんだ里人が彼女の霊を
「密岩権現」として手厚く祀ったのが密岩神社だ。
ということである。
神社だけれど観音様がかかわってくるあたり、
仏教圏っぽさ、山っぽさ感じるなぁ。

さて、中を覗いて見ると銅板葺きの屋根がまばゆい!
そして、赤い「てるてる坊主」のようなものがある。
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説明を見ると「ほうずき」と呼ばれるそうで、
真綿を赤い布で包み、乳首を模しているという。

以前、遠野の記事河童と妙見様と。 - とまのす
似たようなものについて書いたことがある。
そちらは紅白の布で作る饅頭もとい乳房的な形で、
中には米を入れるのだったような気がする。
多少の差はあれど効果は同じく
奉納すれば「乳の出がよくなる」といわれている。

今となっては
母乳が出なくても、いろんな便利製品がある。
別に「真田丸で有名な岩櫃山ですよ」
という雑な売り出しだけでも観光客は来る。
むしろ「ほうずき」に興味を持ってくれる人は
一体どれくらいいるというのか。
社殿の中を覗かず六文銭の旗と山を背景に
この小さな神社の写真を撮って帰る人も多いだろう。

そんな時代に、
よくぞこの信仰を里宮に引き継いでくれた!
そしてよくぞ神社の案内板で
「ほうずき」について言及してくれた!
(*´ω`*)ホウビヲトラス!(←何様)

昔の人にとって何が死活問題だったのか。
どんな願いを持っていたのか。
その形跡を守り 誰もが見られる場所に安置し、
「何だろうアレ」で終わらぬよう説明まで書いてある。
なんだかありがたいなぁと思った管理人だったとさ。

ちなみに、この辺は超自然が豊かで
次の神社に向かう道すがら
管理人はデカいハチの巣↓を見つけてしまった。
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蜂に刺されたことがある人間としては
身が引き締まる思い(?)である。

郷原名神社*

密石神社の謂れが少々独特であり
また貴重な民間信仰の形跡が残っているとはいえ、
社殿自体が新しく小さいのは事実である。
渋くて鄙びた神社が好みの方は、
舘ひろしが好きなのにジャニーズにしか会えなかった
みたいな気分になるだろう。

そんな方は、徒歩十数分なので
こちらの榛名神社↓も是非行ってほしい。
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天気が良すぎてよく写っていない…
(天気が良すぎて液晶も全然見えてなかった)

注連縄↓は、ほぼ鳥居の真ん中。
ずいぶん低い位置にある。
頭を下げて 敬って入りなさいということか。
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階段を昇っていくと、
予想よりも広い境内が広がっていた。
正面に榛名神社拝殿↓。左に社務所(かな?)。右には神楽殿。
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重厚な屋根に渋い壁。
拝殿の後ろは鬱蒼とした森のようになっている。
さらに、近寄ってみると彫刻がステキ!細かい!
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龍や獅子も凄みのある顔で、
拝殿に近づく者を睨み 祭神を守護している感じがする。
管理人は単なる飾りのようにまっすぐ前を向いているのより
こうして↓首を曲げてしっかり参拝者を見ている彫刻が好きだ。
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名神社の横には御堂がある。
入母屋造りだし、コレも神社か?
と一瞬思ったが、瓦に卍が描かれている。
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手前には木の柱↓のようなものが立っていて、
「寅薬師瑠璃光如来開帳供養碑」と書かれているようだ。
寅薬師ってなんだ?新種の如来
と思って調べてみると、ここの場合の意味は分からないが
寅の日・寅の刻に彫り終えたので寅薬師!
と呼ばれる仏像があったり、
単に虎の日に薬師様にお参りすることも寅薬師と言うそうだ。
(本当に仏教音痴ですいません)
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皆さんご存知・阿弥陀如来さんが
西方にある「極楽浄土」担当なのに対し、
薬師如来は東方にある「瑠璃光浄土」の担当者である。
極楽浄土はよく聞くけど、瑠璃光浄土ってなに?
というと、極楽浄土が「未来」なのに対して
瑠璃光浄土は「現在」であるとされる。

つまり、如来の中では珍しく
現世での苦しみを救ってくれるのである!
なので、薬師如来は言わずもがな庶民に大人気。

ちなみになぜ瑠璃光浄土・瑠璃光如来というかというと、
「瑠璃色の光をもって衆生を病苦より救う」
と言われているためだ。
瑠璃色とは、ラピスラズリの色。
ちなみに、薬師如来は肌の色も青だと言われている。

「病苦を退け現世を救う、チーム如来の救急担当!
 瑠璃色ドクター・薬師です☆」

…どうして私の頭の中の仏様たちは
自己紹介が今時のアイドルっぽいんだろう…
(´・ω・`)

さて、薬師如来に関してはこれくらいにして
御堂を見てみる。小さなのぞき窓(?)である。
扉両わきには可愛らしい色合いのお飾り。
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そして、中は暗くてよく見えないが
照らしてみると厨子のようなものがあったり。
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そして、この写真ではうまく映っていないが
横の壁に懸っている額。(写真ではほぼ影になってしまった)
ココには、竹藪を歩く虎が描かれていた。
やはり寅薬師だけあって、虎とは縁が深いのか。

如来さんたちについて*

ちなみに、以前の記事では
大日・阿閦・阿弥陀・宝生の4人を
「ニョライジャー・フォー」として紹介している。

金剛界五仏といえば、これに不空成就を合わせた5人だし、
知名度高い如来ベストスリーと言ったら
釈迦・阿弥陀と来て3番目は大日か薬師かというところか。

しかし高野山で焼失した仏像が阿閦だったか薬師だったか?
みたいな話からこの2仏が同一視されたり…。

いやはや如来のユニット事情も複雑ですな。

*石仏がいっぱい*

さて、
この地を見守る岩櫃山と、隣に居並ぶ観音山。
これらの山はともに修験道が盛んだったと言われている。
石仏の種類が豊富だったりするのはそんな文化のおかげなのか?
それとも、保存状態がいいというだけで
昔はどこの地域も御堂の周りはこうだったのだろうか。
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御堂の回りには石仏や石塔がずらり。
この石仏以外にも境内には双体道祖神もいくつかあり
石仏好きには楽しいハズである。

コチラを向いている石仏を見てみると、
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一番奥は立像で錫杖を持っているが
地蔵菩薩のように坊主頭ではないようだ。
…ということは十一面観音なのか?
でも頭の上に顔無いように見えるんだけど。
(錫杖を持っている仏さまが他に思いつかない)

その隣は頭が無くなってしまっているが坐像のようだ。

そしてその隣はリボンのような髪飾りで髪を結っ…
違う、なんか動物の頭↓乗ってる!?
目と口があるように見えるのは私だけか?
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馬か?でも馬頭観音ならもっと持物も多いし
正面で合わせた手は馬口(まこう)印では?
でもほかに動物の頭乗ってる仏像あったっけ…

そしてその隣は奪衣婆か姥神。
一番手前に立っているのが地蔵菩薩だろう。

一方、向かって右側は手前が地蔵菩薩
しかし次の厳しい顔の僧侶みたいのは…?
しかも、中学生くらいのリアルサイズで妙な存在感。
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石仏って、大体詳しい解説とかはどこにもなくて
知識があるか、その地域の信仰に詳しいか
石仏マニアで経験豊富でなければ正体もわからない。

でもそこが楽しい。分からなくても楽しい。
なんか、立派な金属や木造の仏像とかよりすごく
生活の場に近い気がして。
(まぁ、分かればもっと楽しいことに違いはないのだが)
たまに、何だこのビジュアル、みたいのもあって。

たとえば長野の布引観音の奪衣婆とか、
同行者曰く「漫☆画太郎」の絵みたいだったし。

ああ、長野の石仏と言えば
長野県千曲市の霊諍山いきたいなぁ。
明らかにかわいくない猫神様見てきたい。

ああ、長野の猫神様と言えば
もりわじん作の「猫薬師」様も見たいんだった。
伊那だったっけ…長野の引力底知れないなぁ。

最初に 有名=群馬じゃない みたいな発想やめてよ
って言ってみたけど
これが、信越と北関東の差…?
(まさかの地元ディスりで終わるな(;゚Д゚)!)

辰砂と熊とニシキトベ。

前回の記事で
主人公的なカムヤマトイワレビコと敵対し
日本書紀ではたった一言
「誅された(悪いやつなので討たれた)」
と、登場した瞬間に退場したような地元勢力がいた。
という話をした。

今回は、その関連神社などに行ったわけではなく
単なる妄想記録に留まるので…
まぁなんとか短めに終えようと思います。
(有言不実行フラグ)

皇軍の東征*
まずは、
このカムヤマトイワレビコ
なぜどんなふうに熊野の地まで来たのか?
というのを少しご紹介。


さて、最初にイワレビコがいたのは
九州の「高千穂」というところである。
今も神楽などが観光資源となっている、
神話の里らしい場所であるわけだ。

が、しかし、日本を治めようとするには
いささか端っこ過ぎたということだろうか。
塩土老翁シオツチノオジ)という
海流や塩作りに長けた おじいちゃん神様から
「大和っちゅうイイ場所があるぞ。先客の天津神がおるが」
という助言を受け、イワレビコは兄のイツセとともに
「大和を俺らのものにしてソコ本拠地にしよー!」
ということで東へ攻めていくことにした。

大和というのは今でゆう奈良あたり。
どうやって行くのかというと、
瀬戸内海を航行していく。

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分かりやすいように適当にラインを引いてみたが、
実際は瀬戸内海に面する色々な土地に立ちより
各地で歓迎を受けたりちょっと長居しつつ舟を進めた。
なので「こんな航路じゃないはずだぞ!」
というツッコミはナシでお願いします。すいません。

さて、そうこうして海を渡り終えた兄弟とその軍は
淀川をさかのぼる形で上陸することにした。
しかし、ちょっと遡上したあたりで
生駒の地元勢力ナガスネヒコ軍に迎え撃たれる。
そして、イワレビコの兄・イツセは
この戦いで敵軍の矢に当たり重傷を負ってしまう。

このナガスネヒコ
別に一匹狼の荒くれヤンキーではない。
ニギハヤヒという、
古事記にも日本書紀にも登場するカミサマに仕えていた。
シオツチおじいちゃんが「先客」と言っていたカミサマだ。
このニギハヤヒは、アメノホアカリと同一視されて
アマテラスの子孫だという説もあるカミサマ。
天磐舟(あまの-いわふね)に乗ってやってきたのだ。

…しかし、
この2人に深入りすると話題が完全にズレるので、
とりあえずスルーして東征の話に戻りましょう。
(´・ω・`)ソウシマショウ

さて、重傷を負ったイツセは
「俺らアマテラスの子孫なのに
 太陽に向かって戦ったのが悪かったかなぁ」
と考えて、
まさに今回管理人が乗った「くろしお号」の如く
紀伊半島をぐるっと迂回して大和を攻めることにした。

しかし、和歌山に入り
紀の川を渡るあたりでイツセは傷がもとで死亡。
さらに、そこからいくらも離れないうちに
イワレビコ軍は地元勢力・ナクサトベ軍と相見える

ココで少し「ナクサトベ」という名前に注目。
諏訪大社に祀られる
タケミナカタの妻・ヤサカトメは
諏訪の土地を治めた酋長。
アマテラスの岩戸隠れで
八咫鏡を作ったイシコリドメ
技術者集団のリーダーではないか?
と言われているカミサマであるが、
その2人の「トメ」とは女性リーダーのこと。
ならば、ナクサ「トベ」も女性と考えるのが自然だろう。

このナクサトベも、
日本書紀では簡単に殺されてしまう。
そして、カムヤマトイワレビコは彼女の亡骸を
頭・胴・脚の3つに分けて埋めたと言われている。
この3ヶ所の墓は今でも神社として残っているので、
次回和歌山へ行くときにはぜひ訪ねてみたい。

さて、日本書紀にはそんな記述が残る一方で

実は彼女とその軍が獅子奮迅したからこそ
イワレビコはさらに迂回せざるを得なくなったのでは?
つまりナクサトベは戦死したものの
軍としては負けなかったのでは?

と、日本書紀とは違った角度から彼女を見つめた
コチラ↓の本も、是非お手に取っていただきたい。

なんとあの最後の軍人・小野田寛郎さんもかかわった本だ。

名草戸畔 古代紀国の女王伝説〜増補改訂版〜

名草戸畔 古代紀国の女王伝説〜増補改訂版〜

 

 さあ、オモチロそうな本だが話を日本書紀に戻しますよー。
(/・ω・)/ハイハイ~モドロウネ~
さきのイワレビコは交戦の後、さらに先へ軍を進める。
すると紀伊半島の先端辺りで
また新たな女性酋長の軍が立ちはだかる。
彼女の名は「ニシキトベ」という。

*ニシキトベの「ニ」*
日本書紀では一言で「誅され」てしまうので
情報はかなり少ないのだが
地名やその名前などからちょっと妄想してみたい。

まず、先程のナクサトベと同じく
女性酋長であろうと思われる名前である。
(異説:トメ・トミ・ナガは蛇の意ともいうが)
ではニシキとは?やはり地名なのか?

色々な表記はあるようだが、
もっとも使われている「丹敷戸畔」を見ると
自然と「丹」という字に目が行く。
丹とは、深紅色の鉱石・辰砂(シンシャ)のこと。
水銀や、古来は漢方薬や顔料の材料でもあった。
高野山の丹生都比売(ニウツヒメ)神社など、
和歌山というのは「丹」の付く神社や地名が多く
産出地であった形跡と考える学者さんも多いそうだ。

なんの考察もなく一気に吹っ飛ぶが、
ニシキトベというのは個人の名前でなく
・丹(辰砂)を産出する土地
・辰砂を採掘する集団
の酋長のこと!というのは早計だろうか。

丹が産出された高野山三重県多気町より
ちょっと南過ぎるのが気になるトコロだが…。

*蜘蛛なのか熊なのか*
さて、これを読んでくれている方は、
神社や神話や歴史とか…
そういうモノが比較的好きな方だと思う。

なので土蜘蛛というのもご存知かもしれないが、
土蜘蛛とは天皇勢力に抗った土豪のこととされる。
(妖怪にも土蜘蛛というのはいるが、それは後発品)

奈良・一言主神社には土蜘蛛塚があることで有名だが、
これも神武天皇(つまり、イワレビコである)が
殺した土蜘蛛たちの怨念がよみがえることを恐れ
頭・胴・脚に分けて埋めた跡だという話だ。

場所的には、葛城山なので
まずイワレビコを迎え撃ったナガスネヒコの本拠地
生駒からそう遠くない山である(徒歩8時間程度はあるが)。

そして、埋められ方はナクサトベそっくりである。
古来 墓石は死者が蘇らないための重しだった説もあるが、
土蜘蛛の首長と交戦するたび3分割して埋めるとは。
イワレビコがいかに土蜘蛛を恐れていたか伝わってくる。
※ナクサトベの墓所は別にあるので、
 一言主神社に埋まっているのは彼女ではないと思われる。
 地理的にはナガスネヒコの本拠地に近いが、
 神話の中では一応 ナガスネヒコは戦死はしていない。
 ニギハヤヒイワレビコ服従するつもりなのに、
 仕えている彼が服従しようとしなかったので
 主君・ニギハヤヒの刃にかかって死んだのである。
 わざわざニギハヤヒが殺したナガスネヒコ

 イワレビコが3分割して埋めるだろうかと考えると、
 土蜘蛛塚に葬られたのは名の残っていない他の土蜘蛛か。

まぁ考えてもわからないことだらけだが、
もうひとつ土蜘蛛の語源というのもイマイチ不明だ。
今でも地面に穴を掘り指サック状の巣を作る
「地蜘蛛(ジグモ)」というクモは存在するが、
調べてみる限り土蜘蛛というのはクモの種類でなく
人間にしか使われない呼称のようだ。

以前の高幡不動尊の記事の中で、
高野山空海に触れたことがあった。
その時に
坑道で採掘し穴蔵に住まう様子から「土蜘蛛」と。
そうよばれているのでは?という話をしたのだが。

今回調べていたら、
騎馬民族は来なかった」の佐原眞先生が
「つちぐも」は土隠り(つちごもり)を語源とする
という説を出していたりもした。
なんだかそっちの方が納得できる気もする。
(佐原先生ファンだからか?)
蜘蛛という言葉と穴蔵というイメージは
自分の中ではあまりしっくりこなかった。
そうか、隠る(こもる)かぁ。

あとは「熊野=隈野」だった と聞いたことがある。
つまり、権力の届く範囲の「キワ」の土地という意味。
同じように考えると「土」にはそのままの意味だけでなく、
「人の住む(住める)土地」という意味もある。
もし土蜘蛛が「土隈(つちくま)」の転訛だとしたら、
人が(政府の決めた規律の中で)住む土地のフチ。
つまり政府の力が届く臨界点に居てまつろわぬ民が
土蜘蛛だったのではないか…なんて妄想したり。

あとは、「くま」と言えば古事記では
イワレビコが地元勢力に出会ったらしき場面は
「近くの草藪を熊が現れたり消えたりする」
という書き方をされている。
もしや土地の神かと殺すと、その悪神の吐く毒気で
兵は気を失いイワレビコまでも意識を失った。
(そしてそこにタカクラジが剣を持ってくる)

この記述に関しても、
「熊をトーテムとする先住民だったのでは」とか、
辰砂から水銀を作る際に出る有害成分を含んだ蒸気を
敵軍に「浴びせる」という戦法を駆使していたのでは。
とかいろいろな説があるようだ。
ただ、水銀を錬成する際に出るガスの有害性を考えると
皇軍の「一度寝てしまうが目を覚ます」という効果は
何か疑問が残る。

どちらかというと、
丹(辰砂)自体にある「鎮静・催眠効果」のほうが
しっくりくると感じるのは管理人だけか。
ちなみにWikipedia先生に訊いてみると、
体内で溶け出さない形態である辰砂の粉末のほうが
気体や液体の状態より体への影響は少ないのだそうで。
丹を飲んでいるなんて中世の話かと思ったら、
現在でも中国では漢方として利用されているのだとか…。

まぁしかし妄想の域を出ないので
このあたりでやめておきましょうかね(笑)

*蛇足*
今回熊野に関して考えたのはこれくらいだけれど、
和歌山を歩いて気になることが出て来た。

今回、ヤマトイワレビコ神武天皇)に先立って
大和に天降っていたニギハヤヒノミコト
彼は書物によっては名前が非常に長く、
アマテルクニテル・アメノホアカリ・クシタマニギハヤヒ
という。別名を3つ並べたのでなく、これで1つだ。
天を照らし、国を照らす神。穂が明らむ(熟す)神。
なんとなく太陽信仰や農業神のにおいがする。
名前が共通するアマテラスや、
「ホツマツタエ」のアマテルとの関連も気になる。

そして、彼はナガスネヒコを従えているわけなのだが。
この、ナガスネというのは「足が長い」という意味だ。
(土蜘蛛の別名・八束脛(ヤツカハギ)も同様)
この名前が、テナガ・アシナガの「足長」を連想させる。
気がする。

手長足長は長野に多くの伝説が残り、
タケミナカタの家臣としてやってきたという話もあれば、
諏訪大社タケミナカタ服従した土着神ともされる。

しかし、もしナガスネヒコと足長が関係あるなら
足長はいつから諏訪に居たのだろう?

足長神社の祭神は、現在はアシナヅチ
「足無椎」とかいて、蛇形の神ではとも言われている。
そのアシナヅチだとすれば出雲のカミサマということになる。
九州から出雲を通り東へと逃げたタケミナカタ
出雲を通った際に付き従いやってきたというのが自然だろうか?

また、ニシキトベの話で異説として書いたが
トメ・トベ・トミ・ナガ・ナが蛇を表すとしたら、
「ナガ」スネヒコ・ナクサ「トベ」・ニシキ「トベ」は
蛇の形をした神またはそれを祖先とした氏族
ということになるのだろうか。
だとしたら、龍・大蛇の姿と言われるタケミナカタ
彼の兄であり、同じく蛇神とされるコトシロヌシ
その妻・ヤサカ「トメ」、そして
手長足長神社の祭神で夫婦とされるテナヅチアシナヅチ
同じ部族ということになったりするのだろうか。

そしてまた、ナガスネヒコニギハヤヒ(アマテルクニテル)
に仕えるが最終的に彼に殺され
ナクサトベ・ニシキトベはイワレビコに誅され
タケミナカタコトシロヌシは父・オオクニヌシもろとも
アマテラスの遣わせたタケミカヅチに降伏し国を譲った。
ことごとく、太陽に縁のあるカミサマにやられている。

その辺の関係が、もうちょっと整理したいなー
やっぱり民族間の闘争で
蛇を祖先(orトーテム)にする狩猟民族が
太陽を信仰する農耕民族に負けていった歴史を表しているの?

あぁ~。もっと勉強しないと何にもわからない!
(ノД`)・゜・。大反省!

 

*関連神社*

今回は、神社の話が少なかったので

自分用メモも兼ねて和歌山の関連神社。

☆ナクサトベの墓所

・頭:宇賀部神社(おこべさん)

・胴:杉尾神社(おはらさま)

・脚:千種神社(あしがみさま)

☆ニシキトベ関連

・墓:和歌山県串本町二色に石塔があるらしい

・神社:熊野三所大神社 摂社