とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

ダイブで祓う 出来島あばれ神輿。

今回おじゃましたのは、
熊谷市出来島地区の「出来島あばれ神輿」。

去年のこの時期は
地元・前橋市の大胡で「あばれ獅子」を見た気がするが、
何かと暴れたい時期ですかね。 \暑いぞコノ野郎!/ 的な?

…にしても、熊谷の祭りと聞いて
「熊谷って駅大きいよね?都会だよね?駅から近いかな!?」
と期待したのだが、管理人がバカだった。熊谷と言えども広いのだ。
今回の目的地・出来島地区は
埼玉側の熊谷駅からも 群馬県側の細谷駅からも徒歩約2時間!

ということで2時間歩く覚悟を決めて、
駅近くの冠稲荷神社に寄りたいので細谷駅から行くことに。
歩いていると何やら看板が。
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出ました。全国放送で(たぶん)一番群馬が出る番組。
太田やきそばは知ってるけど、モツ煮も有名だったのね…。
群馬県みんなのに知らなかったわ。

そしておよそキツネとは思えない
ハムスター風の狐が描いてある冠稲荷神社を過ぎ…
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またしばらく歩くとお寺がまさに新築中。
ほうほう。こーなってんのかぁ。
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そしてやっと利根川周辺にたどり着いたが、
ここからが妙に長く感じる。
なにせ 向こう岸に見えているのは出来島地区なのに、
橋が架かっているのが遥か彼方なので橋まで超歩く!
蒸し暑いよぅ。朝は小雨だったから油断したよぅ。

川のあちらとこちらで行政区は違えども、
一昔前までは船による往来が盛んであり
文化的な交流や商売での行き来も多かったと聞く。
うん。そうだよね。舟つかうの、正解だよ。
橋まで歩くなんてやってられないよ!
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↑何だろう この塔…。(朦朧)

そして、やっと橋を渡る管理人。
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今年の梅雨は雨が少なく、水量が減っていると聞く。
が、表面は穏やかながらも底ではズンズンと海へ向かっている。
上毛かるたでも「坂東一の川」と称される利根川である。
見ていると少しだけ元気が出てくるような気がする。

この川のまわりで 昔の人たちは
アンバさまに商船や渡し舟・漁船の安全を願い、
摩多利神に病が流行らぬよう願ってきたわけか…。
と 1人でしみじみ。

「ついていけねぇ!」「何の呪文を唱えてるんだこいつは!」

という方はサラッとスルーしてやってください(笑)
もしアンバさまについて興味を持って戴いたら、
福島県の海岸沿いの神社を訪れた記事の後半
久ノ浜諏訪神社の項でも少しだけアンバさまに触れています。

摩多利神さんが気になった方は
群馬県前橋市関根町の金剛寺さんの記事もどうぞー。
(過去記事の押し売り(´・ω・`))


そして、橋の上から 草むらの中で休むネコ発見!
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きっと猫は今も誰にも見られていないつもりだし
草が長いから この角度から見ている自分以外に
この猫を発見した人は一人もいないはずだ。
と思うと不思議な気分になってくる。
誰にも行き先を伝えずに遠くへ行った時の気分と似ている。

いま世界中の誰もどこにいるか知らない者の位置を
自分だけが知っているという不思議な感じ。

そんなことをして少しぶっ飛びながら歩いていると、
川沿いに神社らしいものを発見!
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堤防の横の細い敷地にちょっと窮屈そうに神社が!
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拝殿らしい拝殿は無く、
金属の骨組みと合板の屋根に守られた本殿のようなものが。
扁額には八幡宮と書いてあるのが見えた。
地図で調べても載っていないので神社庁への登録が無いか
神主さんの居ない神社なのかもしれないが彫刻はなかなか見事。
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そして、覆殿(と言っていいのか この骨組みを)の横を通り
本殿裏の方へ行ってみるともう一つ小さい社があった。
真ん中の御札には「三峯」の文字が見える。
そして両脇の札には「御眷属拝借」云々と書かれている。
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三峯といえば秩父の三峯山。
三峯神社といえばオオカミ狛犬であることからも、
狼信仰圏であり「御眷属様」といえばオオカミである。

オオカミ信仰(大口真神・御眷属様)は
武甲山・三峯山など秩父の山々のほか、
御岳山など奥多摩エリアもシマとしている。

さらには山岳での信仰にとどまらず、
畑を荒らす害獣を食べる→農民に人気!
繭をかじるネズミも食べる→養蚕農家も助かる!
とゆうかんじで農村にも「御眷属様」は広まった。
そんなわけで関東の農村(特に養蚕が盛んだった地域)では
ふと 御眷属様の札を見かけることは多い。
このあたりの村でも、講を組んで三峯山に行ったんだろうか。

さぁ、しかし今日は狼信仰の話でなく
八坂神社のあばれ神輿である。
しかし、出来島地区の地図(go〇gle map)を拡大して
ようよう確認しては見るものの八坂神社という神社は無い。
神輿の巡行経路もタイムテーブルも何もわからないが
とりあえず主催の神社に行けば何とかなると思ったのに!

でも、管理人はどこへいっても
まずお稲荷さんに挨拶することにしている。
ので、とりあえず「伊奈利神社」という神社に向かってみた。

すると…

伊奈利神社が八坂神社になっているではないか!
鳥居の上の小さな扁額には「伊奈利」の文字が見えるが、
それよりはるかに大きな文字で「 八 坂 神 社 」と書かれている!
しかも、網戸のような謎のシースルー素材(笑)
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境内には地域のジジババが集まって
こぢんまりながら活気と懐かしさがあってイイ感じである。
祝日的な旗や、ガンガンに回っている扇風機もイイ。
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さて、今あばれ神輿は地区内を練り歩き
家々の入り口で暴れているところだろうとは思う。
が、管理人は少し疲れた。(暑すぎた…)
しばし、この境内で休憩だ。

そして、夕方4時ごろに神輿が渡御するということで
4時ちょっと前に川べりに移動してみる。
超高そうな一眼レフを持っているおじいちゃんたちに
「去年はここから入ったよ」
と聞いたので、とりあえずこちらで待機。
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後で調べると、この土手には昔、
参道と旧社殿があったとのことだった。
伊奈利神社が昔はもっと川の近くにあったのか。
それとも、昔はココに八坂神社があったが
伊奈利神社に合祀されているのか?もう少し調べてみよう。

そして、待機すること数分。
関係者らしきおじさんたちが現れ、
「今年は水位が低いからもっとあっちから入るんだ」
と教えてくれた。ので、カメラおじいちゃんたちと移動。
上流から現れた舟のおじいちゃんも加わり、
水の深さを見たり 川底の大きな石や流木をどける作業が始まった。
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だいたい、大人がまっすぐ立って腕を真横に広げて
水面が腕の高さになるくらいの場所を選んで飛び込むらしい。
そして、同じ深さでも場所によって流れの速さが違うので
なるべく流れの無い場所を選んでいるようだ。

おじいちゃんたち、かっこよすぎです!
全てがサマになっている!
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そして、地区を練り歩いていた神輿が登場!
鳥居を持ったおじいちゃんに続き土手に降りてくる。
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もっとこっちだ!まっすぐ入れろや!もっと前来い!
等々オラオラしながら神輿は川へ入ってゆく。
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そして、ついに飛び込むのか?
とおもいきや、いったん神輿を完全に川底に沈めて
おじさんたちは一升瓶で日本酒の回し飲みを始める!
「誰かライター無ぇかー!」といいながら、タバコも吸い始める!
ちょいワル祭りかっΣ(;゚Д゚)
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そしてみんなでウェイウェイしながら
フタの開いた一升瓶を川に落とすハプニングもありつつの、
その次の人からは川の水混じりの日本酒を飲むという…。
なんだか笑顔になってしまう雰囲気である。

見ていた地元のおじいさんの話では
昔のあばれ神輿は地区の練り歩きももっと激しく、
お賽銭をケチる家では門を壊す勢いで暴れたらしい(笑)
ちなみに 何もそれは出来島に限った話ではなく、
「暴れ〇〇」と名の付く門付けや神事・祭りでは
大体そんなノリだったらしい。暴れ獅子もそうだったのか?

そんなことを考えているうちに、
川の中では酔った男たちが神輿を取り囲み始めた。
「神輿を手荒く扱うほど神様が喜ぶ」
と言って橋桁にぶつけたりする祭は見たことがあるが、
なんと川の中に神輿を縦に立てる!
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そして、がっちりしたオジサンが神輿の上にしゃがむと
その肩に法被姿のオニーサンが乗り…
オジサンがぐわっと立ち上がってオニーサンを持ち上げる!
…この地区の男性は日頃から、
2本の棒にバランスよく立つ練習をしているんだろうか。
そして! ついに!
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飛んだ!
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このあと、周りにいるオジサン&オニーサンも
順次飛び込んでいく。
かっこよく飛び込める人もいるが
中には棒の上でバランスをとるのがやっとで
半ば落ちるように飛び込んでいる人もいたり(笑)
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それを見て、土手で見ている人↓も
「がんばれー」「今の何だ!」「いけー」
と運動会でも見ているかのように盛り上がっている。
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まぁ、そんな様子を動画でどうぞ。


出来島あばれ神輿


なぜ飛び込むようになったかまでは分からないが、
この「神輿を川に入れる」というのは
対岸の集落との文化的交流から来ているらしい。

そもそも、昔 このあたりで「祇園祭」といえば
世良田(善財の群馬県太田市)の祇園祭だったのだそうで。
出来島周辺の人々も川を渡って祇園祭を見に行ったとか。

そして次第に周辺でも世良田の影響を受けた祭りが拡がり、
いつしか出来島地区では 世良田八坂神社の神輿を新調すると
その「お古」を貰って祭に担ぐようになったのだそうだ。
その受け渡しの際、世良田の神輿を川に流し 出来島で引き上げた。
そこから出来島の「神輿を水に沈める動作」が出来上がったのだ!
というが…飛び込む動作は一体どこからなんだ。
現在使用されている神輿は、
昭和9年に地元の職人さんが作ったモノらしい。
簡素なので飛び込むという行為にばかり目が行ってしまいがちだが、
なかなか歴史のある神輿なのである。

そうして対岸から多大な影響を受けて生まれた
「出来島あばれ神輿」。
謎も多いが、川に飛び込むことで禊(みそぎ)のように
災厄を洗い清め流し去るという意味がある、らしい。

ちなみに、この出来島地区の少し内陸には
「男沼小学校」などの名称が見られることから分かるように、
むかし(中世の頃)は このあたりを男沼と呼んだそうだ。

そして刀水橋~さっきの八幡神社あたりは「女沼(めぬま)」。
(現在は「妻沼」という表記になっている)
この妻沼地域には熊谷が誇る
もう一つの「あばれ神輿」が残っているのだそうで。
ソチラのあばれ神輿は「立てて飛び込む」のでなく、
川に担ぎ込まれた神輿の上で複数の男性が
四方から よじ登って力比べをするのだそうだ。

その神輿はぶつける用ではないので見た目も少し豪華で、
また作られた時代も少し古いとか(明治初めごろらしい)。
葛和田大杉神社の例祭でみられるとのことなので、
今度はぜひそちらも見たい!
熊谷市指定無形民俗文化財になっているらしい)

ちなみにスッカリ失念していたが、利根川の群馬側は太田。
そして小泉駅という名前に惑わされて認識できていなかったが
少し歩くと大泉だった。グンマーのブラジリアンタウン(?)である。
見るつもりはなかったのだが奇しくも「大泉まつり」が行われ、
思いもよらぬタイミングでグンマーのブラジルを体験した管理人。

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町の中では当たり前のように
ワガママボディ―の女性たちが踊っている!
そして普通に路地でDJ的なオニーサンが
大音量で曲を流して道はディスコ状態に。
道が混んでいたせいで管理人は電車を一本逃し
結果的に40分くらい次発を待つ羽目となったのであった…。

なんかこう見るとブラジルのコスチュームって
ペルー寄りな所もあるのね…
外国の文化についてはほんとに全然ヒヨコ並みだわ…。

そんな喧騒から逃れて、再び上毛電鉄
時期によっては祭列車になっているが、今時期は風鈴列車らしい。
風鈴と女子高生、いいねぇ。
体力に余裕があれば、もっとブラジルを楽しみたかったが
おとなしく風鈴に囲まれて女子高生を眺めながら帰りますー。
もう歩き過ぎと蒸し暑さで限界~(´・ω・`)
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京都で ちょびっと祇園祭。

ちょびっと、というのも
最近管理人はお恥ずかしながら夏バテになり
日中ちょっと無理すると夜間ひっくり返っている…
というような情けない状態なのである。

というわけで、今回は京都で行われている祇園祭
宵山だけを少しかじる程度。

祇園祭といえば毎年碁盤目状の洛中を巡行する
豪華絢爛な鉾が注目の的である。
が、曳きまわすだけが祇園祭ではない。
祇園祭というのは実に1ヶ月も続く祭なのである。

まず8月になると1日から「吉符入り」が始まる。
町により日程は異なるが一般的には各町内で
打ち合わせをしたり 鉾に御神体をお祀りしたり
八坂神社の清祓いを受けるのが吉符入りだそうだ。
「吉符(キップ)」というのは、
その年の御稚児さんと禿さんの名前を書いた紙のことで、
コレを神前に納めることから吉符入りと言うのだとか。
ちなみに「清祓い」は簡単に言えば「お祓い」。
神事に先立ってお祓いを受けるのである。
※ただし、役行者(えんのぎょうじゃ)山だけは
 清祓いでなく護摩焚きを行うらしい。
 祀っている役行者修験道の開祖であるためだろうか。

そして2日には「鬮(くじ)取式」が行われ、
市長さん立ち合いのもと巡行の順番が決まるのだそうだ。
これは神社とかでなくナント市役所でやるらしい!

その頃から「社参」や「お千度」といって
各町の代表者や稚児さんが祭りの無事と成功を願い
八坂神社へ御参りをする。

そして1つ目の山場が10日である。
この日から各町が山鉾建て・曳き初めを始め、
八坂神社の神職さんは御幣を作り、
神輿を清めるための水を鴨川から汲み上げ、
その神輿を迎えるための提灯行列が組まれ、
夜には四条大橋で「神輿洗式」が行われる!

14日からは宵山が始まり、にわかに祭らしくなってくる。
さらに15日は、ひそかにいろいろ重要な準備が整う。
…まぁ「ひそかに」やっているワケではないのだが、
巡行と比べるとどうしても地味に思われがち と言う意味だ。
たとえば早朝に「斎竹」を建てたり
※斎竹=巡行の初めに稚児が切る綱を結んでおく竹
夜に行われる「宵宮祭」では八坂神社の神様が神輿に遷る。
伝統芸能や「式庖丁」を見ることができるのもこの日だ。

さて、そのまた翌日16日。ついに前祭の宵山最終日である。
各町にある山鉾を見ようという人
翌日の巡行を見るために京都に一泊しようという人
地元の祇園さん好きの人
色々な人が押しかけて京都中心部はヤバい状態に。
安全確保のため歩行者天国となっているというのに、
歩けども歩けども思うようには進まず
部分的に一方通行となっているため最短ルートを選べない。
結果的に3時間以上歩き回った挙句 全ての鉾は見られなかった。
この日でなくもっと日程を前にずらすべきだったのだ…。

*放下鉾*
まぁ悔やんでいても始まらないので、
体力の範囲内で見られたものを載せていく。
まずはこちら、放下鉾である。
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この写真では全然確認できないが、
「鉾頭」と呼ばれる棒の先っちょ部分には丸が3つ。
2つ並んだ丸の上にもう1つ丸が乗った形をしている。
(説明下手すぎなので、望遠レンズ所有者の写真ググってください…)
後で読んだ説明ではこの三つの丸
太陽・月・星の「三光」が差す様子を表しているとか。


この鉾では、天王座と呼ばれる人形を祀る場所に
「放下僧」の人形を祀っていることからこの名が付いたという。
放下とは、品玉(しなだま)や輪鼓(りゅうご)
つまり今でいうジャグリングやディアボロのことだ。
それを演じる放下僧は、僧とは言っても本物の僧侶ではなく
お坊さんの格好をした大道芸人のような人。芸能者である。
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かなり強い夕立の直後だったためか、
どの鉾も懸装品の絨毯などにはビニールがかかっていて
なんともうまく撮れない。うぬぬ(;´・ω・)

*月鉾*
次は、天王座にツクヨミノミコトの人形を祀る月鉾。
鉾頭には三日月(新月型と言われている)が付いている。
この三日月、なんと18金だという話である…。
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そして、この写真ではガッカリするほど見えないが
屋根裏の草花図は なんと あの丸山応挙が描いたとか…。
どこかの国が前からずっと探していた(←曖昧すぎ)
貴重な国宝級タペストリーの一部が
(何町のか忘れたけど)鉾の懸装品になっていた!
という番組もやってたし…まさに動く美術館ッ(;゚Д゚)!
祇園さんの鉾、恐るべし。

*函谷鉾*
さて、祇園さん初心者の管理人には
そろそろ鉾の違いが分からなくなってきたが…
漢文が好きなので函谷関のことはなんとなくわかる。
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この鉾に祀られている人形は「田文(孟嘗君)」。
この人物は斉の出身でありながら、
秦の王様が「宰相にしてみよう」と言うほど人望が厚かった。
というのも食客(居候)から非常に評判が良かったのだ。

食客」は一般的に能力の高いものを養う代わりに
食客は養ってくれている人に仕え助けるという中国の風習である。
しかし、田文は才知や武芸の光るものだけでなく
とにかく何か一芸に秀でていれば取り立てて食客としていた。

そんな彼が訳あって秦の王から逃れねばならなくなり、
命からがら函谷関に辿り着いたことがあった。
まだ、夜明け前であり普段なら関は開かない。
しかし、そこで鶏の鳴き真似がうまい食客が鶏のふりをして
関守は朝が来たと思い込み関を開けたために一行は命拾いをした。

そんなエピソードから
「下らないと思える特技も役立つことがある」
と言う意味の「鶏鳴狗盗」という故事が生まれたのである。

その故事にちなんでか、
装飾にも鶏があしらわれているようだ。
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長刀鉾
祇園祭の花形と言っても過言ではないコチラの鉾。
真木(屋根の上の棒)の上に さらに長刀が付いているために
それはもうエラい高さである。
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ちなみに鉾は市街をぐるぐると巡行するが、
八坂神社と京都御所には絶対に
刃が向かないような角度になっている…という話である。
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こちらもビニールがかかってはいるが、
赤と黒が基調となった絨毯と
囃子手の手元から垂れる水引の赤がマッチしていて綺麗だ。

*神輿と神楽*
花形の姿を拝んだところで、八坂神社へ。
カミサマを乗せた神輿がキラキラと並び、
「今夜は人間にゆっくり姿を見せてやろう」
とでも言う感じの堂々たる姿でドッシリ構えている。
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その先で演じられているのが
「京都島根県人会」さんによる石見神楽である。
石見神楽と言えばなんといっても
大蛇を退治するスサノヲの立ち回りであるが…

人混みがすごくて まともに撮れたのは恵比須様だけ。
まぁ背が小さいのに頑なに自撮り棒を購入しない罰ですな。
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↑奇跡的にカメラマンのフラッシュと同時に撮ったので
夜の境内にもかかわらず結構鮮明に撮れたとさ。
漁夫の利!

揉みクチャになりながら神楽を見ていたが、
背伸びをし続けてついには足が攣ったので退散。
街に戻って鉾の続きを見る!

その途中で何ともカワイイ消防団柴犬に遭遇
(*´ω`*)カワイスギル
もうずいぶんお年寄りだという話で、
歩き方もどことなくヨタついているがカワイイ。
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そして、商店なのか単に自宅の出窓なのか分からないが
プチ鉾↓を発見した。
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手作りかお土産品か不明だが、かわいらしい。
そして、はっきりした名前過ぎて
逆に胡散臭さを感じてしまう神社を発見(←失礼だ)
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このあたりは繁昌町というそうなので、
きっとちゃんと歴史ある地域の神社なんだろう。

*山がたくさん置いてあったのだが*
この付近には、太子山・木賊山・油天神山・芦刈山
という4つほどの山(+ちかくに伯牙山も)があるのだが…
骨組みだけなのでほぼ見分けがつかない!
見るタイミングを誤った(;゚Д゚)

しかし、太子山なら真ん中の木は杉のはず。
ということは木賊山だろうか…。
「何言ってんだ、ここがこうだから〇〇山だよ!」
「全くこれだから初心者は…」
という方がいらっしゃったら是非教えてくだされ…。
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「木賊(とくさ)」というのは調べていただければ分かるが
たまに料亭の玄関周りなどに生えている
小さくて葉っぱの無い竹のような何とも言えない植物だ。
ただ、トクサ(=砥草)と呼ばれるだけあって
その茎は研磨のための道具として重用されてきた。
(ちなみに、目に利く生薬でもある)
この山は「木賊」という謡曲をテーマにしていて、
子供をさらわれ長野で木賊を刈る翁の人形を祀る。
御神体のおじいちゃんは非常に物悲しい様子だが、
謡曲の最後では息子と知らず出会った若者が我が子と分かり
2人で喜び合うという大団円なのでご安心くださいー。

さぁそして、
「飾りが無くて何山だかわからないシリーズ」第二弾!
他の白熱電球山(?)とは一線を画す柔らかな光を放つ山。
こちらは、おそらく「油天神山」であろうと思われる。
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というのも、油天神山は数年前に提灯の電球を新調して
ロウソクの灯りにより近い暖色で揺らぎのあるLEDに換えた。
という話を聞いたのである。
天神という名前からもわかるように、
昔町内にあった天神社から勧請して作られた山だそうだ。
他の山では人形と傘が飾られることが多いが、
ここは「いかにも神社です」というような感じで
飾りつけ後には山の正面には鳥居が設置される。

そしてシリーズ第三弾のコチラは…
多分「芦刈山」。
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観光客らしき女性が隣にいる男性に
「芦刈山って金太郎の?」
と言っていたが それは足柄山です…(;´・ω・)
※足柄山は山名であり、祇園祭に足柄山はない。

「芦刈」は世阿弥謡曲であり、
御神体は妻と別れて芦を刈って生計を立てる男性。
その男が妻が三年ぶりに再会し和歌を交わしたのち
めでたく夫婦に戻り都に換えるという題材という話だそうだ。
そのため、授与品には縁結び・夫婦円満の御利益があるとか。
残念ながら写真を撮れなかったが、
御神体の神面は運慶の流れを汲む仏師さんの作品だとか!

*岩戸山*
そしてやっと分からないエリアから抜け出した。
コチラは岩戸山で 御存知「アマテラスの岩戸隠れ」が題材。
岩戸「山」というが、車輪がついていて曳山となっている。
屋根も付いていて鉾なんじゃないかと思ってしまうが、
山だった名残で屋根の上には鉾頭でなく松が付けてある。
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ここまで囃子手さんは少年~青年が多い気がしていたが、
なんかここはベテラン感がすごい!
悪い意味じゃないですよ?
若い継承者がいることは伝統芸能にとって財産だとは思うが、
なんといっても着流しや祭ファッションが一番似合うのは
やっぱりオジサン~おじいちゃんですからね!管理人大歓喜

それはさておき御神体はアマテラスとタヂカラオ(戸隠大明神)。
そして、アングル的に全然写っていないが
屋根の上になぜか天瓊矛をもったイザナギが立っている。

イザナギはアマテラスのお父さんなので
天岩戸の話には全然出て来ないのに何故こんなところに…。

ということで岩戸山保存会のHPを見てみると、
八坂神社の社記録に残るもっとも古い記録では
「岩戸山」という山があると記録されているらしい。

ところがどっこい応仁の乱で京都が焼け野原になった後、
しれっと この地域の山は「あまのさかほこ山」に変わっていた。
アマテラス人形が応仁の乱で消失したかどうかは不明だが、
ココで一旦、主役はイザナギ人形になったのかもしれない。
時代は下り桃山時代になってから。
狩野永徳が描いた「洛中洛外図屏風」を見てみても、
飾られているのはイザナギ人形一体のみだという。
ただし、その手前に設置された鳥居には鶏がいるらしい。
ので 岩戸山であった名残はあるようだ。

そして江戸時代に描かれた絵ではアマテラス復活。
豊臣秀吉が行った区画整理により協力する町が増えたり
江戸時代に町人が経済力をモリモリつけてきた御蔭だろうか。

というわけで、
一部ではあるが御神体を屋根の上に祀る珍しい山である。


*四条傘鉾*

そしてまた少し歩いて 移動 移動。
こちらは、パッと見ですぐにわかる「四条傘鉾」である。
提灯にも「傘」の文字がたくさん。
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名前の通り傘の形↓をしている。
(クリーニング屋さん目立ち過ぎ…)
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実は、この形態は鉾の中でも古い歴史を持つそうだ。
四条傘鉾に関しては応仁の乱よりも前からあるらしい!
(明治時代に一旦は途絶えたが、様々な資料を元に復元したとか)
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形のほか、この鉾に特徴的なのは囃子と「棒ふり踊り」。
こちらも鉾の巡行とともに一旦は途絶えたが、
滋賀県・瀧樹神社に伝わる「ケンケト踊り」を参考に復元。
小学生の男子たちが振袖・袴で踊る可愛らしい姿が見られる。
ケンケトで頭につける孔雀の羽は取り入れなかったらしく、
普通に笠をかぶって踊っていた。
鹿踊りのササラみたいで個人的には好きなのだが、
地域ごとに祭りの色とゆうものがあるから仕方あるまい…。

この、傘に大勢の人が集まり進んでいく様子は、
スサノオヤマタノオロチを退治したときに
オロチ配下であった鬼たちが主人を捨てて
スサノオに傘を差し天竺まで送ったという話に基づくとか。
※傘は高貴な人や神がその下に居るという象徴
ちなみに蘇民将来の話では、この話は
スサノオ牛頭天王スサノオと同一視される疫病の神)
大蛇→巨旦(蘇民将来に宿を貸さなかったいじわる)
に変換されることもある。

蘇民将来の話は疫の神様、八坂神社。で触れたので割愛。
ちなみに、同じく疫病を鎮める祭で
桜の時期に行われる「やすらい祭」でも傘が登場し、
この傘の中に入ると病気にならないと言われている。

*船鉾*
やっとたどり着いたぜ!船鉾町!
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こちら↓が鉾の中で唯一 船の形をとる「船鉾」。
山鉾が天を突くような縦長なイメージなのに対して、
道いっぱいに船が浮いているようなその姿は圧巻である。
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では、誰の船かとゆうと「三韓征伐」の神功皇后である。
もちろん祀られている人形は神功皇后だが、
彼女を主祭神とし 住吉・鹿島・磯良の三明神が周りを固める。
住吉明神は三柱で1つの名前を持っている神様。
住吉(スミヨシ)は古くは「スミノエ」と読んだらしいので、
スミノエ=澄みの江。つまり澄んだ入江の神様とゆうことになるとか。
住吉明神は、単体では「鶏鉾」にも祀られている。

一方の磯良明神(阿曇族磯良)とゆうのは
安曇族(福岡ルーツの海人系氏族)の祖先にあたる神様で、
トヨタマヒメの子=オオワダツミの孫ということだ。
神功皇后三韓を攻めるため神々に協力を乞うた時、
多くの神が馳せ参じたが 磯良は
「わたしは海中に長く棲み、顔には牡蠣・鮑などが付いて醜い」
と恥じて姿を現さなかったと言われている。
そこで すでに皇后の仲間になっていた住吉明神が、
海上に舞台を作り神楽を舞わせることを進言。
楽しそうな様子に誘い出された磯良は協力することとなり、
無事 三韓を攻略することができたという。
舟鉾の人形は、その磯良が味方になり
潮盈珠・潮乾珠を皇后に納める場面を表現しているそうだ。

鹿島明神はタケミナカタなので武神。
安曇族にタケミナカタなんて…長野を感じますね…
(*´ω`*)
カミサマは氏族とともに戦い旅をする。
カミサマの旅路は氏族の歴史ですなぁ。

そして、他の山鉾の装飾も絢爛だが
ここの懸装品もまた「もはや彫刻か」という厚みで圧巻。
肉入り縫いという和風ステッチの一種だそうだ。
レベルがカンストした絨毯みたいなイメージ(/・ω・)/!
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ちなみに、神功皇后は「占出山」にも祀られている。
皇后は身重にもかかわらず武装して出航し、
凱旋の後に無事出産を果たした女性であることから
「占出山の曳行順が早い年は地域の女性はお産が軽い」
といわれるとのこと。
そしてなんと今年の占出山は「山一番」!
つまり長刀鉾に続く二番手での巡行となったのだ。
長刀鉾は「くじ取らず」と言って毎年先頭と決まっている。

今年は皆さん安産ですかね(*´ω`*)

まぁ、そのような理由で船鉾・占出山ともに
御利益は「安産」といわれ妊婦さんに腹帯を授与している。
ちなみに、その御神徳はかなりのものらしく、
明治天皇がお生まれになる時などは
船鉾の御神体の「神面」が宮中へ参内したというから驚きだ。


そして、祇園祭は「動く美術館」だけではない。
祭り期間中にいくつかの家で行われる「屏風祭」。
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ここは屏風が祇園祭の絵なので手前にも山鉾を飾っているが
屏風のほか調度品や舶来品など家に伝わる貴重な品を
皆さんにも見ていただこうというのが「屏風祭」である。

昔はもっと多くの家が行っていたそうだが、
現在ではずいぶん数が減ってしまったそうだ。

今日はもう、これ以上無理せず眠ることとした。

長刀鉾の辻回し*
翌朝は、まだ観光客で混まなそうな早朝に伏見稲荷へ。
そして神社をいくつか見た後に
四条河原町交差点で辻回しを少し見て退散することとした。

…出雲阿国像の頭にイイ感じでカラスが…。

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管理人が伏見稲荷に向かう時(午前5:50ごろ)、
すでに交差点では場所取りをしているカメラマン多数。
なので、辻回し30分前に交差点に戻って写真を撮ろうなんて
祇園祭ナメきってるかなーとも思ったが伏見稲荷に行きたい!

そして、お稲荷エネルギーを頂いて帰ってくると…
もはや視野の下半分は人混み!(身長150cmは負け組)

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そしてスゴイとこ(アーケード上↓)に人いる!
新聞社の人か?実行委員か?警備担当?
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しかし、みんな少しでも近くでみようと
通行止めになっている車道へどんどん広がり
歩道でもなるべく前の方にズンズン動いていく。
え る し っ て い る か ?(byデスノート
こういうときは、やたらに近づくより
少しでも高いところに居た方が視界が開けるのだ!

ほら↓さっきよりマシ。
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そして長刀鉾が来るまでみんなが何をしているのか見ていると
十字路周辺が勤務先の人たちが休日にも関わらず続々と出勤し
職場の窓を開いて(ベランダがある店はビール片手に出てきて)
超余裕で祭見物を始めるではないか!VIPすぎる!

ちなみに管理人の後ろに居た地元夫婦
(多分旦那さんは山鉾に乗ったことがある)曰く、
「山鉾には神様が乗ってるんだから上から見ちゃいけない」。
確かにそうだ。神様を見下ろすことになってしまうな。

そしてそして、
信号の高さをはるかに超える山鉾もあるため、
なんと辻回しを行う道の信号は折り畳み式↓になっていた!
業者が来て、道にあった信号機をくるっと歩道の方へ!
京都の町すげー!
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そしてついに長刀鉾登場!
昨日は近すぎて全体がよく見えなかったが、
長刀の先は地上約21m。重さ約11.1t。
こんなに大きいが、重さは全体の3番目なのだそうだ。
(最重量は月鉾11.8tだそうだ)

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小説「夜は短し歩けよ乙女」に登場する
李白さんの「電車」を描写するとき森見富美彦は
この山鉾たちを頭に浮かべていたのではとなんとなく思った。
「贅を尽くした3階建ての自家用車」だもん。
絶対ビジュアルはこれしかないよな(自己完結)。

そして、いよいよ辻回し。
管理人が取ったのは数秒の短い動画なので、
もっと良い画質・長い映像が見たい方は他の方の動画へGo
(=゚ω゚)ノ


2017.7 京都・祇園祭 長刀鉾の辻回し

前祭のみ、しかもすべては見られなかったが
いままで「夏の京都はやばい」という噂にビビって
祇園祭は行ったことが無かったので楽しかったー。

この「前祭」の1週間後に
同じく山鉾を曳く「後祭」を行い、
かつての祇園祭の再現ともいえる花傘巡行が行われ、
月末には再度「神輿洗」が行われて天王さんは神社へ帰る。
こうして1ヶ月に及ぶ祇園祭は幕を閉じるのだ。

今回は超高級な感じのお祭りだったので、
次回は是非 庶民的でもみくちゃになる感じ(?)
の お祭りに行けたらなーとおもいます!

 

 

珪素神宮のおさかな鳥居。

駅から住宅地を通って大杉神社へ下って行き、
こんどはまた坂をいくらか上がる。
数分しか歩いていないが民家は少なくなってゆき
建物があったかと思いきや
もはや使われたくなった特別養護老人ホームの廃墟だった。
管理人は真っ暗な部屋では睡眠が取れないほどのビビりなので、
晴れた日の昼でなければびくびくしながら歩いていただろう。

さて、鳥居が無ければ入ってみようとは思えない藪が現れた。
アンリ・ルソーの絵のように陰鬱で鬱蒼とした藪である。
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藪に入る寸前、ふと近くに張られた柵を見ると
ハチを捕えるためのコバエホイホイのようなものを発見。
え!?ハチいんの?(まぁいるよね日本なら大体どこでも)
ということで今度は雰囲気でなく具体的な天敵にビビり始める。
※何度も言うようだが管理人は一度ハチに刺されている。二度目はやばい。
上着の袖を引っ張って指の先まで隠し、
フードをかぶってファスナーを鼻のあたりまで閉める!
もし神社に参拝し終えた人が正面からやってきたら、
小さいながら不審者と思われること請け合いである。
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しかし、そんな心配は杞憂に終わる。
短い藪を抜けると急に開けた場所に出る。
ちょっとレトロっぽく作ったベンチも置かれてはいるものの、
見てのとおり↑人っ子ひとり居ない境内である!

実は、なぜこの神社に来たかといえば
この日の朝のニュースか何かでこの神社が出ていたのだ。

テレビというのは恐ろしいもので、
「千葉のどこかゴミの埋め立て地のようだった場所を
 フラワーパークに作り替えて今人がたくさん来てるよ!」
というコーナーと繋げて
「そこから銚子電鉄で数駅、外川駅近くの神社だよ!」
と紹介されて
この手前の鬱蒼とした藪を映さずに神社だけを撮れば
「なんとなく人がそこそこ来るところかな」
と感じるではないか!

しかし、みんなはそんなテレビマジックに騙されなかったのか
朝のニュースを見て昼に銚子に着く機動力が無かったのか
どちらにしろ管理人の予想を上回る人の居なさだ(笑)

境内は芝生。
拓けている範囲は比較的綺麗に芝が刈ってあった。
しかし、神社は緩やかな崖っぽいところに建っていて
一歩斜面に出れば草がモッコモコに生えている↓
そして、その向こうには海。
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現在も神社の壁には「長九郎稲荷」と書かれ、
境内の由緒書でも長九郎稲荷について触れている。

それによれば、この外川を開拓したのは
紀州から来た崎山次郎右衛門という人物なのだそうだ。
その人についてきた長九郎という漁師は、
銚子が良い港であることに惚れ込み外川に定住。
彼が子々孫々の代までの大漁と繁栄を願って祀ったのが
この長九郎稲荷であるとのことだ。

このあたりは見晴らしがよいため「日和見山」の名で呼ばれ
漁師が出航の可否を判断するのによく登ったそうだ。
なので、そこに漁師の祀ったお稲荷さんがあるのも
自然な話なのかもしれない。

が、この神社が有名なのは
祭神や由来からではなく この鳥居↓である。
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イワシ・サンマ・タイ だろうか?
手前の鳥居にはウナギの彫刻もあるようだ。

拝殿はシャッターが閉まっていて
中がどうなっているのか全く分からない。
そこにはボロボロになった張り紙?(シール?)が貼られ、
ココにあるタイの鳥居と思しきイラストが描かれている。
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イラストの扁額には長九郎稲荷でなく「珪脳神」と書かれ、
「日本珪素医科学 学会」そして主催者の名前が!
もはや宗教法人ではないかもしれないB級スポット感がすごい。

一応、神社の歴史としては
上記のように長九郎さんがお稲荷様を祀ったのち
永らく長九郎(またはチョボクリ)稲荷として親しまれた。
2002年には老朽化してしまった神社を直すため、
地元の女性たちがお金を出し合って社殿を新築したという。
しかし、3.11の東日本大震災で全壊。
それと同時に(津波の影響と思われるが)漁獲量は0に。

その後は某会社?の会長さんが私財を投じて再建した
と書かれているが現在どういう状況なのかはよくわからない。
ただ、社殿に張られた「〇〇さん方とは無関係です」という
語気の強い注意書きからは何となくトラブルの匂いが…。

社殿脇には、小さなキツネさんたちが身を寄せ合っている。
御神体と思しき鏡もあるが、雨ざらしでいいのだろうか…?
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ここのキツネさんたちは、
ねじり鉢巻きではなく ほっかむりタイプらしい。

そして、長九郎稲荷の現状とともに謎なのが
コチラの金の鳥居。
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扁額には「心叶」とだけ書かれている。
海の方へ向かっていて、鳥居の先は草ボーボー。
ただ、その先にある廃墟の手前に手すりの残骸が見えるので
かつては海方面からの参道と階段があったのかもしれない。
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※家に帰ってから別の方が数年前に訪れた際のブログを拝見したら
 以前は階段は登れる状況で 廃墟もココまでの惨状ではなかったようだ。


そして何より意味不明なのは鳥居の土台部分である。
単に参拝経路を図示しているつもりかもしれないが、
4カ所にペイントされた足跡が謎すぎる!
そして四隅から中心に向かって謎の矢印が(;゚Д゚)!
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オカルトか?オカルトなのか?
我らが群馬県にある河童神社にも匹敵するB級スポットじゃ…。
管理人は別に「神社って歴史を感じて癒されるよね☆」
みたいな人じゃないので珍スポットどんと来いだが、
それにしても分からないことが多すぎた(笑)
別の神社の祭りで近くに来たら、また寄ってみよう。
鳥居が増えているかもしれないし倒壊しているかもしれない。

今回は本当に、
普段行くような神社が「神社」としての姿を残しているのは
とてもすごいことなのだとなんとなく感じる旅だった。
見慣れた古い建築物というのは つい 何もしなくても
今までと同じくこの先も何十、何百年この姿だろう。
と思い込んでしまう。
が、みんなが「神社だ」と認識しているあの木造の姿で
あの姿のまま建ち続けるためには
直せる職人とオカネ、直そうと思う人たちが必要なのである。

地域や時代によって独特な建築や信仰が生まれる、
というのは当たり前のことで
当時は斬新だったものが今や伝統となっているというのも
決して珍しいことではない。
カミサマや神社の姿が独自の変化を遂げていくことも
現在神様と認識されている方々を見れば自然なことだと分かる。
ただ、それは是非「みんなに支えられる」カミサマであって欲しい。
と思いましたとさ。

あと ココが何法人だかは分からないけれど、
一般的な神社でも「奉納する鳥居のデザインを選べる」のは
面白いかもなー。と思ったり。(鳥居水族館みたいにしたりね)
「あの鳥居私が奉納したのよ」「たまには自分の鳥居見に行こうかな」
そんな風に思ってくれる人が増えたり、
みんなの鳥居を見ていたら自分もその仲間に入りたくなって
「小さいのでも奉納してみようかな」なんてのもいいかもしれない。
それでそれが名物みたいになったら参拝者も増えるし
みんなが神社にもっと愛着を持ってくれる気がするのでした。

次回はA級感のある京都のことでも書きたいと思います。
後祭りが始まってしまう前に祇園祭についても書きたいなー。

イカリとカメと大杉神社。

銚子電鉄アジサイ

貯めこんでいた神社を消化していくぞー。
というわけで、浅草の鷲神社の記事はまだ書いていないが、
千葉の神社の記事を少し進めますー。

今回は銚子電鉄に乗って千葉の先っちょへ。
銚子周辺は街路樹や線路沿い等なにかとアジサイが咲いていて
管理人の中で勝手に「アジサイな街」のイメージが定着。
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緑の可愛い電車に乗って、アジサイのあいだを潜り抜け、
終点・外川駅に到着~。
駅周辺はレンタサイクルの人がたまに通る程度だが
少し歩いて住宅地を歩くと、案外人がいる。
(私鉄の終点とて、我らがグンマーと比べちゃいけないか…)
そのまま住宅地を抜けると
おお…当たり前だけど普通に港町じゃ…。
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海が苦手と言っておきながら今年はしょっぱなから
江ノ島(児玉神社)・福島(秋義神社)・和歌山(恵比須ノ宮)
と…海の間近にある所ばかりに遠出している気がする。
そういう年なんだろうか。

*大杉神社*

さて、外川駅から徒歩10分ほどでコチラの大杉神社に到着。
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狛犬はかなり顔面崩壊気味である…。
潮風の吹く町というのはモノが劣化しやすいイメージだが
石やコンクリートもそうなんだろうか?
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そしてこちらの狛犬は草食系(*´ω`*)
葉っぱを食んでいる(笑)
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その奥には階段の上に広がる境内。
木の種類や草の生え方のせいなのか、
なんとなく海の近く(群馬より)南寄りに来たなぁ…
と感じる。木の種類には詳しくないが、
なんとなく草木の形と気候って繋げて覚えているモノなんだろうか。
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たとえば、花の名前が分からなくても
植物がたくさん生えている堤防の写真を見れば
なんとなく「夏っぽい」か「秋っぽい」かは判断できる。
それは無意識に、春にはどんな色の花が咲いている
秋にはこんな形の種が付くと覚えているからじゃないだろうか。

*謎の棒が埋まっている*

まぁまぁ、それはさておき
境内の隅っこに鬼の金棒のようなものが刺さっている。
エクスカリバー的なヤツだろうか。
埋まっている部分がどんな形状だかわからないが、
鬼の金棒のように先端が丸くて先に行くほど太いとしたら
まさに「鬼のような」怪力でないと
こんな風に地面に刺せないのではないだろうか?
これは一体なんなんだ…。
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同じ千葉で金棒と言えば、篠籠田(しこだ)の獅子舞で
三匹獅子舞を先導する「金棒もち」が思い浮かぶ。
しかし、その「金棒」とは鬼の棍棒のようなものではなく
地蔵菩薩の錫杖のような細めの金属棒である。

だったら何なんだ。海の近くだからまさか…
碇の上の部分か?かえしの部分は埋まっているのか?
でもそれって危なくない?碇ってこんな細いんだっけ?
とアレコレ考えていたが、
同日に訪れた川口神社で「埋まっていない碇」を発見!
謎は解けたのであった(/・ω・)/イェイ!

後ほど外川駅で拾った情報によると、
私のような山しかない県の人間には思いもよらぬことだが
「航行の途中で他の船が落とした碇を発見する」
というのはタマにあることなのだそうで。

海の神様は大層金物を嫌うので、
漁師たちは落ちている碇を発見したら
その怒りに触れないよう必ず拾って帰って来たのだとか。
その拾ったものを神社に置いたり埋めたりするらしいので、
この大杉神社や川口神社のほかにも
碇の置いてある神社があるのかもしれない。
海のカミサマは女性を嫌い、死体を好む。
その特徴が鍛冶のカミサマに似ている気がしたので、
かってに海神は金属そんなに嫌いじゃないと思っていた…。

まぁ、実際問題として浅瀬に碇が沈んでいたら
座礁(って言うんだろうか)的なことも起こり得るし
お互い、鎖が切れて知らずに落としちゃうこともあるから
見つけたら拾おうね という暗黙の了解が伝承化したのかな。

*大杉神社と摂社たち*
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さて、本題にたどり着く前にヨリミチしてしまったが
肝心の大杉神社に近づいてみる。

遠目に見ると小さめだなぁという印象。
しかし、近づいてみると彫刻がなかなかスゴイ。
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社殿の正面両脇の彫刻。
滝を昇る鯉も 表面は劣化しているとはいえ
透かし彫りのように深く掘られた部分があり
同じ水でも流れ落ちる滝と滝壺、水しぶきが
遠近感のある表現で彫られている。
向かって右側は木目の出方もとってもキレイだ。
個人的にはとっても気に入った(*´ω`*)

ではこの社にはどんな神様がいるのか?
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銚子は利根川が海に流れ込む土地 ということもあり、
この土地で「大杉神社」と言われれば
アンバさま総本宮・大杉神社からの勧請かと予想される。
茨城県稲敷に鎮座し、利根川流域をシマとする神社である)
そこの主祭神は倭大物主櫛甕玉命(オオモノヌシ)だ。
一方、今回の大杉神社はサルタヒコさんを祀っている。

祭神が違うから別系統か?と考えることもできるが、
サルタヒコの容姿が天狗風であることを考慮に入れたい。
今回は中まで見ることはできなかったが、
どうも社中には烏天狗と天狗の面があるという話だ。
モトは稲敷の大杉神社から勧請したオオモノヌシ様であったが
天狗の面が祀られているために
いつしか祭神がサルタヒコとされた可能性も無くはない。
茨城の大杉神社にも大きな天狗面があり、
 烏天狗・鼻高天狗は「願い天狗・叶い天狗」と呼ばれ人気である。
 祭神でもない天狗がなぜ大杉神社のマスコット的な立ち位置かは
 過去の記事津波と神社と 念仏おどりの中で
 後半「久ノ浜諏訪神社」の項に書かせていただいてますー。


*カメ信仰*

祭神考察はこれくらいにして もう一つ注目したいのが、
神社横に無造作に立てかけてある流木のようなものだ。
あまりに無造作過ぎて重要なものだというセンサーが全く働かず
惜しくも写真を撮ってこなかったのだが…。
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写真の右下。
社殿と柱の間に かろうじて板切れの様なものが写っている。
これ、俗にいう「カメの枕」なんだそうだ。

カメの枕というのは、
(実際カメはどういうつもりか分からないが)
たまに海面に木片を抱えたカメがいるのだそうだ。
ウミガメとて魚ではないのでたまには
ゆっくり肺呼吸をしたくて浮き輪代わりにしているのか、
はたまた「いかにもカメです」という風に浮いていると
天的に狙われるため木片と一緒に浮いているのか。

とにかく人間(ことに漁師)にとってコレが何なのかといえば
漁運を引き寄せる御守りである!
枕を抱えているウミガメを発見したら、
その枕をもらう代わりに必ず持っていた木片をあげるそうだ。
(たしかに、もらう一方では逆にバチが当たりそうだ)
持っていた木片を取られても逃げもせず、
相手が急に差し出してきた木片を甘んじて受け取るとは…
水中では体当たりをしてきたりすると聞いたことがあるが、
野生動物にあるまじきおとなしさだ。

ここではカメの枕しか発見できなかったが、
(というより現地に居る時はソレにすら気づかなかった)
銚子には「亀の子さま」と呼ばれる社や石碑が点在するらしい。
これは、神様とされるウミガメを誤って殺してしまった場合や
既に死んでしまっているのを発見した場合に建てたものらしい。

このように漁師さんたちに大事にされているカメを見ると、
「ああ、浦島太郎がカメを助けたのは
 心優しいからでなく漁師として当然だったのか」
と、何となく思う管理人だったとさ。

そんな感じでカメは大事なので、
昔このあたりの人が決してカメを食べなかったそうだ。
食べてしまうとどうなるかと言うと、
舟は高波に襲われ転覆し、乗組員は一人も助からないとか。
(それを知らないヨソモノ漁師がカメを食べて命を取られたという伝承がある)
次に千葉に来るときは、亀の子さま巡りもいいかもしれないな。
(*'ω'*)ヨシ!

そして、大杉神社のすぐ隣にも特徴的な社があるので覗いてみる。
詳細は分からないが、まず目を引くのが無数の穴。
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最初は「何だコレ?珊瑚か何かでできてるの?」と思ったが、
見たことある中でコレに近いのは「タフォニ」かもしれない。
(見たと言っても、ニュースか何かでだが)
石造の世界遺産か何か古い寺院的なものが
風化してボロボロになってしまい保護が追っつかない!
みたいな内容だったような気がする。
(´・ω・`)ウロオボエ…
その風化でできる造形にそっくりだ。
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中には恵比寿様の像↑があるので
大漁と安全な航行を願った恵比須宮なのだろうか。

隣にある空き家のような社↓も
少しだけポコポコ穴が開いてはいるが、
恵比須様のいらっしゃる社ほどの芸術的劣化ではない。
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このあたりでは珍しくない劣化の仕方なのだろうか?
この空き家も、あと数年放っておくと
ああいう芸術的な様相を呈してくるんだろうか?
管理人は今まであまり見たことなかった劣化の仕方だったので、
誰もいない境内で1人で変なテンションになっていた。

さらにその右には、お稲荷様が。
このあたりのお稲荷様は圧倒的に鉢巻き↓が多い。
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やはり漁師町だからか。漁師風なのか。
(適当なこと言ってすいません)
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中を覗いて見ると、いくつもの石の祠のようなものが。
周辺にあったいくつかの稲荷社を
災害や区画整理などの際に合祀したんだろうか。
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そしてやはり、陶器の狐さんたちまでもが
前掛けではなく鉢巻をしている。
普段は前掛けキツネを見る機会が多いので
なんとなくカルチャーショックである。
今度海辺の町に行くときは
狐たちの服飾(?)にも注意してみよう…。

さて、今回は日帰りだった上に
休日だからとぐうたら二度寝などして出発が遅かったので
日が暮れる前に目的の「長九郎稲荷」へ急ぎましたー。
現場(?)に行ってみると、
思った以上に怪しさいっぱいの神社だったので
次回はその話題で(=゚ω゚)ノ

良縁まねく今戸神社。

待乳山聖天から徒歩数分、今戸神社に到着した。
境内は広くて砂っぽくて校庭みたいな印象。
※個人の感想です
淺草だけあって団体客がワサワサと歩いていた。
ここの狛犬はゲージで飼われているようだ。
お顔がよく見えない…(´・ω・`)シュン
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さて、こちらが拝殿。
装飾はピンクベージュと抹茶ラテ色(?)で可愛らしい。
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幟に「縁結び」とあるのは
イザナミイザナギを祭神としていることからだとか。
しかし、イザナギは「見るなのタブー」に引っかかった
日本初の男性ではあるまいかと管理人は思っている。
黄泉の国へ行き、体が朽ちてしまったイザナミ
「元に戻れるよう黄泉の者と掛け合おう」とまで言ったのに
「だからまだ私を見ないで」という約束を破り朽ちた姿を覗き見。
あまつさえ、その醜さに腰を抜かしそうになった男である。
(;´・ω・)ヤレヤレ
その結果、夫婦喧嘩が勃発しイザナミも元には戻れなかった。
まぁ、話によっては最後にククリヒメが登場して
2人を仲直りさせるパターンもあるわけだがいずれにしろ、
良縁に恵まれたら女性との約束をしっかり守って
末永くお幸せになってほしいものである。

とはいえ、御利益だけには頼っていられない。
この今戸神社では「縁結び会」と称して
婚活パーティー的なものが催されているようだ。
日程は今戸神社さんのHPで随時upされているようなので、
みなさま御興味があれば。
管理人は弁天様にウッカリ願掛けをしたことがあるので
そのへんは半ばあきらめている(笑)
弁天様は嫉妬深いカミサマといわれており、
御参りに来たカップルを別れさせるとか
弁天様の力が強い土地の女性に美人は生まれないとか
そんな噂の絶えない神様である(;゚Д゚)

さて、参道の花壇付近には
「こんなに水やるか」という数の猫ジョウロが。
管理人も大学の頃このジョウロ使ってたなぁ…
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そして、絵馬にも境内の各所にも招き猫が!
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そして拝殿を覗いて見ると(いや、覗かなくても)
巨大な招き猫が何体か見えている!
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というのも、この今戸神社
「招き猫神社」として有名なのだそうだ。
何故?なぜ猫でなく招き猫なんだ…というところであるが、
調べてみるとこの今戸は「招き猫発祥の地」なのだという。

諸説あるが、古くは焼き物の産地であった今戸。
むかしむかし、この付近の花川戸というところに
貧しさが極まり泣く泣く愛猫を手放した老婆がいた。
すると夢枕に愛猫が現れ
「おばあちゃん、聴いてほしいにゃん!
 私の姿を人形にしてみて欲しいんだにゃー。
 そしたらおばあちゃん幸せになれる気がするにゃ!」
と言ったのだそうだ。
捨てられてなお御利益をもたらすとは、
老婆はさぞかし愛猫を大切にしていたのだろう。

バイタリティあふれる老婆はさっそく
地元の特産・今戸焼で猫人形を作った!
窯元だったという記述もないのにそんなに簡単に!?
とも思うが、それほど今戸焼は身近だったということか?
しかも、おばあちゃんは一個でなく たくさん作り
浅草三社権現の境内でそれを売った!
すると、焼物猫はバカ売れ。
おばあちゃんは生活が楽になったのだとさ。
御利益と言うよりバイタリティの賜物な気もするが、
御利益とかお告げって実はそういうモノなのかもな。
なんてゆうか、
ちょっとしたアイデアやきっかけが降りてきて
でも結局それを実現できるように頑張った人にだけ
結果が与えられる。
全てが神様の力で成功へ転がっていくわけではないのだ。
と、いう気がした。

ともかく、そんな今戸に建っていることから、
この今戸神社は「招き猫発祥の地」を名乗っている。
とはいっても実は、昔からずっとではなく
最近になってから名乗ったのだという話もちらほら。
なんでも、今戸焼の招き猫の特徴は
一般的な招き猫のように正面を向いているのでなく
体は横向きに座って顔だけをこちらに向けているのだとか。
(この今戸焼の横向き猫は〇〆(まるしめ)猫というらしい)
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発祥の地を名乗るならその辺も徹底してもらいたいような…
という気もするが、境内にいる猫はどれも正面を向いている。
〇〆猫以外にも今戸にこういうタイプの招き猫がいるなら
どことなく可愛くないとて許せるのだが。
せっかくそんな特徴的な招き猫の出身地なら
是非そのタイプを推していただきたい!
そこんとこ どうなんでしょう。

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まぁ、〇〆ちゃんを推すかどうかは
とやかく言わずに今戸神社さんに任せるとして…
デカい猫に視線を奪われがちだが 脇に小さな福禄寿がいる。
ここは「浅草七福神」のチェックポイントにもなっているのだ。

今回七福神巡りをするつもりは特になかったのだが、
淺草に来たからにはと寄ってみた浅草神社浅草寺が恵比須・大黒。
吉原神社が弁財天、待乳山聖天毘沙門天、ここが福禄寿。
そして次に訪れた鷲神社が寿老人のチェックポイントである。
この辺りの神社を回ると自然にコンプリートできるのかもしれない。

そして、猫のインパクトが大きくて忘れるところだったが
ここの御祭神はもう一柱いる。應神天皇である。
應神天皇は「三韓親征」の神功皇后の息子。
身重ながら兵を率いて勝利をおさめた皇后の功績から
その戦いの最中、皇后の胎中に居た應神天皇
戦勝をもたらす御神徳があるとも言われている。

もともとこの今戸神社は戦勝祈願のための神社。
源頼義・義家が奥州の安倍の貞任・宗任討伐に先立ち
京都の石清水八幡宮のカミサマをお招きしたのが始まりである。
ちなみに、このとき もう一カ所
皆様御存知の「鶴岡八幡宮」にも八幡様をお招きした。
つまり、今戸神社には鶴岡八幡宮と同じ神様がいらっしゃるのだ。
どうも最近イザナギ夫婦の縁結び・新参の招き猫に押されているが
勝負事、スポーツなどの試合前にも是非御参拝あれ
(=゚ω゚)ノ

*蛇足*
そういえば、拝殿にある大きな招き猫の後ろの棚に
猿バージョンの招き猫(?)が見えるのだが…
申年にでも作ったんだろうか。
(我らが群馬県はダルマが名産なので干支ダルマとかあるが、
モトの形状が違い過ぎるため巳と辰が正体不明の物体となる)
これ「招か猿」として流行らせたらどうだろうか。
これを置いておくと悪縁・貧乏 招かざる!
なかなかイイのではないだろうか。
いや、もともとそうゆう商品として作られてたらすいませんね。

大根好きの待乳山聖天さん。

浅草神社今戸神社への道のりで待乳山聖天という看板を見つけた。
この日は非常に暑かったので
「いや、もういいんじゃない?寄り道は…」
という気分になりかけたが、一応前を通ってみた。
すると、なんだか木陰で涼しそうではないか!
というわけで
涼しさの誘惑に負けたのか
神様欲に負けたのかわからないが、
待乳山金龍院さんにお邪魔した次第である。

*出世観音・歓喜地蔵*
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入るとすぐに、ユルめな顔の観音様が出迎えてくれる。
説明によると1600年ごろに作られたものらしく、
昭和11年、境内を整備しているときに
頭だけ土の中から見つかったという話である。
(学業・芸道にご利益があるのだそうだ)

そして少し階段を上がると
地蔵会議か!というほどの地蔵集合エリアが。
…手前の方は受付ですかね。(コラ
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このエリアのカドに
牢名主のような(?)重みで鎮座しているのが
こちら↓「歓喜地蔵尊」。
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古来より霊験あらたかな子育て地蔵として信仰されたが
幾多の火災にあって像容をとどめていないのだそうだ。
確かに、覗いてみるとどうゆう状態の像なのかわからない。
↓首から胸あたりが見えているんだろうか?

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*聖天と十一面観音さま*

さて、いろいろ気になる仏像もあるが主役の話に戻る。
待乳山「聖天」様ということは
ヒンドゥーで言うところのガネーシャである。
インド料理屋さんでシヴァ神とともに
息子・ガネーシャの壁掛けが飾られていることもあるので
そのお姿を拝んだことがある人も多いはずだ。

象の頭に、ふくよかな太鼓腹。
アジアン雑貨店などにもたまに置いてあったりする。
では、このお姿は日本に入ってきてどう変わったのだろう?
ネットで「歓喜天」と調べると画像が見られるが
どう言うわけだか2匹の象が抱き合う姿になっているのだ!
いつから増えたんじゃ!(しかも痩せたぞ)

そんな謎のカミサマ・聖天さまだが、
では一体浅草と何の関連が?というと…

昔々、ここ待乳山周辺で旱魃が起きたそうな。
作物は育たず水は無く、民衆がほとほと困り果てていると
十一面観音が聖天さまの姿で現れて救ってくれましたとさ!

という伝説から 十一面観音を本尊とする金龍院は
いつしか「聖天さん」として親しまれるようになったそうだ。
どうして十一面の姿のままで現れなかったのか?
とゆう話はまた後で。

とりあえず境内に入ると、
あちこちに巾着&大根モチーフが。
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二股大根は大黒さまモチーフ!とゆう感じがするのだが
歓喜天も大根が好きなんだろうか?

巾着については、
ガネーシャが財や富の神であることから「砂金袋」であるとも
ガネーシャの好物「モーダカ」と形が似ているからとも言われる。
米粉の皮で、ココナッツやスパイスで作った餡を包んで蒸す
甘くてエスニックなプチ肉まんみたいなものだ。
蒸したてはモチモチで、とってもおいしい。
管理人もモーダカ大好きだが、
年中食べているとガネーシャのようなお腹になってしまうので控えたい…

大根については、後で調べたら
ガネーシャの頭は「片牙の象」であるため、
欠けたほうの牙の代わりになりそうな大根を喜ぶのだとか。
しかし、それだけなら「二股」である必要が無い。
(いや、むしろ二股大根つけてたらおかしいよね)

 

ということで、聖天さんの過去について少し探ってみる。
ヒンドゥー教でも財宝神として大人気を博しているが
ガネーシャは元来身体の障害や畸形の神とも言われている。
そして仏教でも歓喜天はモトモトは悪神。
しかし 病を振り撒き災いをもたらす彼の前に ある日
「民を苦しめるのをやめたらアタシを抱かせてあげる☆」
と大胆な感じのセクシー美女が現れた。
聖天さまはすんなりこの取引に応じ、
歓喜」を得ることと引き換えに改心し護法善神となった。

つまり男女和同に関連深いカミサマなのである。

そこで、12月上旬に「大黒さまの嫁」として
二股大根を供える地域があることを思い出したい。
(主に東北とか、雪深いところだったとおもう)
これは夫婦和合と豊作の象徴であるとも言われているので
それと同じく聖天さまの二股大根も
女性との性的なかかわりを象徴しているのでは?
というのはどうだろうか。

先ほど紹介した待乳山聖天の言い伝えも
考えようによっては
「十一面観音が聖天の姿で現れた」のでなく
十一面観音が現れて聖天を籠絡し、
メロメロになった聖天(改心ver.)が行いを改め
民衆を救いにやってきたの、かも、しれない。

…まぁいつもどおり妄想が入っていて
確定的根拠に欠けておりますな。
(´・ω・`)ゴリョウショウクダサイ


ちなみに、
ここは浅草七福神の「毘沙門天」ともなっている。
古くから、聖天さまのボディーガードとして
木造の毘沙門天像をお祀りしているんだという話である。
本堂に上がれば見られるんだろうか…とも考えたが、
誰かが本堂にいたので遠慮してしまった。
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本堂横には大根の箱が山積みに。
一体、1日に何本の大根が奉納されて
それは古くなったらどうしているのだろうか…?

是非とも、民衆を救った聖天さまにならって
炊き出しなどに活用していただきたいところ。
もしくは、たくあんにして売るなんてのも楽しいですな。
ご利益満点・聖天たくあん!いかがだろうか。

ちなみに、目撃したとき思わず笑ったが
境内には超ちいさいケーブルカーみたいのがある。
「階段を上ることが困難な方に配慮したのだろう」
とゆうことで勝手に納得したが
エレベーターじゃないところがなんとも楽しげである。
ちなみに終着点は数メートル下の
住職さんの私宅みたいなところ…だったように見えた。
※でも普通にお客さんが使っていいやつです!
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そしてそのまま本堂の裏にまわると、
なかなか大事にされていそうな お稲荷さん発見!
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赤いキツネ…じゃなくて緑…の、キツネ!?

狐の前掛けは赤が多いイメージだが、
ここの狐さんは緑のようだ。
手前にある定食屋の湯飲み入れみたいのを開けてみると
大きなオアゲが入っている。おいしそうである。
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そして、そのまま本堂の周りを一周して
ケーブルカーと反対側に出ると宝塔みたいなものがある。
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説明を読んでみると
銅像宝篋印塔(どうぞう-ほうきょういん-とう)というらしい。
「宝篋印塔」とは宝篋印陀羅尼という経文を格納(?)する塔。
宝篋印塔にもいろいろな形状があるが、
こういう笠の付いた物は江戸時代中期以降のトレンドだそうだ。
造立当時の形がほぼ完全に現在に伝わっているモノは貴重で
台東区有形文化財に指定されている。

とっても貴重なものらしいのだが
大根と巾着だらけのキャラ立ちする本堂と
唐突に現れるケーブルカーなどに押されて
インパクトを感じる人が少なそうなところがかわいそうである。
(´・ω・`)

ちなみに待乳山(まつちやま)は
モトは「真土山」と表記したとゆう話がある。
とゆうのも、江戸時代 この界隈は埋め立て地も多く
大雨・長雨のたびに沼のようになっていたのだそうだ。
そんな中にあって、この待乳山周辺だけは
真(まこと)の土、つまり地盤のしっかりした小高い丘であった。
ということで真土山、なんだとか。

確かに、
今でこそアスファルトの道に囲まれているが
待乳山が題材となった浮世絵を見てみると
小舟が通れるほどの川に囲まれ
周辺の道から待乳山へは橋が架かっていた様子である。

*おまけ*

門から出てすぐ、庚申塔エリアがあった。
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青面金剛の彫刻はなく猿だけのもの。
 上部には月と太陽が彫ってある。

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↑劣化したのか強盗の目出し帽のような顔に見える…

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↑だいぶかけてしまった部分が多いようだ。
 顔は、故意に割られてしまった可能性もある。
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↑表面の滑らかさと二頭身感がカワイイ

石仏・庚申塔好きの方も是非お立ち寄りくださいー。

突如寄ることになった待乳山聖天だが
結構面白スポットでしたとさ。
次回は招き猫神社・今戸神社へ。
ゾウさん(歓喜天)の次は、ネコさんです!
(=゚ω゚)ノ

彫刻だらけの桐生天満宮。

桐生駅北口から北東に向かって歩くと、
群馬大学工学部の少し手前に鳥居が見える。
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五叉路のようにも見えるが、
鳥居左に見える道っぽいのは参道の一部。
十字路に参道がせり出して見晴らしが悪い状態だが、
車はスピードを緩めずバンバン曲がってくる。
なので、信号待ちの時は要注意。

参道を歩いてややすると、太鼓橋↓が。
大体の神社がそうであるように立ち入り禁止。

*太鼓橋*
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というのも、神社参道に架かる橋は
そもそも人でなくカミサマのための橋。
つまり特別な日に渡ったり降り立つ場所なのである。

余談だが、
かの有名な伊勢神宮にも「宇治橋」という橋がある。
コチラは、普通に参拝者も通れる橋であるが、
冬至の前後数日は橋の「俗世」側から「神域」を見ると
ちょうど橋の延長線上・正面の鳥居から日が昇るという。

日食が「太陽が死ぬとともに、新しく生まれ変わる時」
と表現されることがあるが
太陽の力が一年で一番弱まるとされる冬至もまた
伊勢神宮祭神が橋に降り立つ「特別な日」…
なの、かも、知れない。

かも、というのは定説というワケではないからで
「偶然か」と言われることもあるし
その日に特別な神事が設定されているわけでもない。
しかし、星回りにうるさい(?)古代人が
太陽の女神のおわす神社の設計をするのに
太陽の動きを計算しないなんてことがあるだろうか。
逆に夏至の日には夫婦岩からの日の出が見えるというし
これは絶対わざとだろうと管理人は思っている。

…何の話だったっけ。
(´・ω・`)アラ?

とにかく!
伊勢神宮の神域と俗世を隔てる五十鈴川に限らず、
三途の川も「あの世」と「この世」の境界。
イザナギも、黄泉の国のイザナミにあった後に
川で身を清めてから生者の世界に戻った。

そんな感じで、日本人の心象としては
「川」は極めて境界性の高い存在で。
だからこそソコを渡ることを可能にする「橋」は、
カミサマと人をつなぐ特別な装置なのだろう。

現在ではそれが簡略化され、
「川は無いけど橋があれば境界性表現できるよね」
的な感じで(ex.鎌倉・鶴岡八幡宮
水の無い参道の真ん中に太鼓橋だけがドーン!
という光景も珍しくはない。

もしくは昔は橋の下に水があったが
地形や水位変化のため今は無くなった…
という考え方もありだろうか。
諏訪大社下社春宮の下馬橋とかそうかも)

まぁ大手の神社は置いといて、
桐生天満宮の話に戻りましょー。
(*'ω'*)ソウシマショー。

*財福稲荷社*
さて、太鼓橋の左には新しそうな小さい社がある。
扁額を見ると「財福稲荷」とある。
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末社の中の1つだった御稲荷さんから神霊を招き、
古くから伝わる「財福稲荷」の名前を掲げて
お祀りし直したのだそうだ。(公式ホームページより)

個人的に気になったのは、その稲荷社横にある灯籠。
稲荷社よりずいぶん古そうな上に、なんだか石っぽくない。
特に 土台部分。なんだこれ。鉄?
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素材は分からないが、ちょっと変わった感じの燈篭だ。
鉄なら、南蛮灯篭というやつだろうか?
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*拝殿*
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そして拝殿の前まで行くと、
狛犬↓は濃いめの小澤征悦風(?)
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今生まれ落ちたばかりのような
ツルッツルな「撫で牛」ちゃんもいます。
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おみくじを結ぶ場所↓は、なかなか独特な形態。
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境内をよく見ると、色々な所に
この「一陽来復↓」の札が貼られている。
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知識不足かもしれないが、
これ 早稲田の穴八幡で冬至に配るやつ?
それとも群馬にも一陽来復のお札があるのか?

一陽来復」の意味としては、
冬が極まって終わり、また春が来ること。
冬が極まるというのはつまり冬至のことでもある。
転じて、悪いことが去り運気が上を向き始めること。

しかし、それと天満宮にどんな関係が?
天満宮菅原道真)は北極星信仰と関連深い
と言われたりするが、
冬至という「陰」の極まる時が
「北」を象徴する北極星とつながるんだろうか。

ちょっと想像の域を出ないなぁ。

*祭神について*
そもそも、この桐生天満宮
天満宮」と言う名前なので主祭神菅原道真だろう!
と思っていたのだが、
実は西暦100年ごろはアメノホヒが祀られていたそうだ。
西暦100年なんて昔過ぎて 何があった年なのかよく分からないが、
聖徳太子摂政になる約500年前。
日本神話で言ったらヤマトタケルのお父さんの時代である。

さて、このアメノホヒという神様は誰かと言うと
あの アマテラスの息子である。
息子とはいっても、おなかを痛めて生んだのではなく
彼女が鬟(みずら)に巻いていた勾玉から生まれた神だ。

5人兄弟だが、その後の日本神話にちゃんと登場するのは
彼の兄・アメノオシホミミくらい。
お兄ちゃんはかなりのヘタレで、
そして、アメノホヒ自身も かなりのゆとり世代(?)。

母・アマテラスはまず兄に
「ぼうや、地上を平定してきてちょうだい」
と言ってみたがアメノオシホミミ
「地上は物騒でヤバそうだからボク行かない」
という感じだったので弟にお遣いを頼むことにした。
オオクニヌシを説得して国を譲ってもらってきて」

そうして、アメノホヒ
「はーい」と降臨してみたものの、
説得しているうちに懐柔されてしまった。
そして…

「平定のために地上に降臨してみたけど、
 逆にリスペクトしちゃた的な?
 オオクニヌシさんパネェっすわー。
 俺、マジ地上気に入ったんでしばらく帰らないから!
 (=゚ω゚)ノサーセン☆彡」

と、連絡も無しに3年間帰ってこなかった。

彼は「天穂日」という太陽信仰圏の農耕神らしい名前で、
いかにも太陽の女神・アマテラスの子という感じがする。
が、彼は結局 オオクニヌシを祀る出雲国造一族の祖神となった。
つまり、天津神代表・アマテラスを母に持ちながら
彼の子孫は国津神代表・オオクニヌシを祀っている。
ちょっと変わった神様なのだ。

ちなみに、彼が慕ったオオクニヌシ
しばしばオオモノヌシと同一視されてきた。
この桐生天満宮の近くに「美和神社」があるのだが、
そこの主祭神はオオモノヌシなのである。
こんな北関東まで遥々招かれたのに奇遇にも側に居られて
アメノホヒもきっと喜んでいることだろう。

そして、あと一組。
名前自体は知名度が低いが、活躍の場は多い
「祓戸四柱大神(はらえど-よはしらの-おおかみ)」である。
あらゆる災いや罪・穢れを祓い清めるカミサマで、
瀬織津姫神・速開都姫神気吹戸主神・速佐須良姫神
の4人ユニットである。

セオリツヒメは単体で祀られることも多いだろうか。
本土では川や瀧の女神とされることが多く、
その激しい流れで穢れを海へ押し流すのだそうだ。

そして、荒れ狂う潮の狭間におわす
大海の女神・ハヤアキツヒメが、
その罪や穢れを残すことなく飲み込む。
その様子は大祓詞では「かか吞む」と表現されるが、
この「かか」とは一説に蛇のことと言われ
つまり蛇のように大きな口をあけ一瞬で丸呑みする!
という様子らしい。(大学のころ本で読んだ気がする)
なかなかの迫力である。

そして、飲み込まれたのを見計らって
風神・イブキドヌシはその長く強い息で
根の国(死者の国)まで罪と穢れを吹き飛ばす。
…管理人は、ハヤアキツに飲み込まれたものを
どう吹き飛ばしているのかずっと疑問に思っている。
まさか彼女ごと一旦根の国に送るのか?

最後に、根の国におわすハヤサスラヒメが
その名のごとく罪や穢れを流離(さすら)わせ、
どこかへ失われてしまうという。
最後はなんだか、なんとなく無くなる感じなのだ。

…とまぁ、多彩な神様がいらっしゃる天満宮である。


*ゴテゴテ本殿*
さて、祭神の話でだいぶ尺を使ってしまったが
この神社で特筆すべきはこの本殿の彫刻!
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上には上がいるので「これが最強」とは言えないまでも
いままで管理人が見た中では一・二を争うゴテゴテ。
蚊に刺されながら写真を撮りまくる価値はある本殿である。

あまり良い写真を撮ってこられず
彫刻の立体感が半減なのが悔しいところだが…
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それにしても
何の彫刻も施していない場所を探すほうが大変なほど
いたるところ彫刻だらけである。
ゴテゴテ大好きなので堪りませんなぁ。
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いまでも所々に彩色の形跡が見られるとのことだが、
境内には設計図というか完成予想図として描かれた絵↓が
説明版に掲載されている。
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な、なんと。超ド派手ではないか。
好みとしては今のほうが好きだが、
この彫刻の質と量でこの彩色だったらと思うと…
それはそれは素晴らしいお姿だったことは想像に難くない。

末社たち*

立派な神社だけあって、後ろに回って見ると
たくさんの社が並んでいる。灯篭?もたくさん。
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奥にある「春日社」は、目立たない場所にあり姿も控えめながら
桐生市指定文化財になっているそうだ。
人(社?)は見かけによりませんなぁ。

あとは「神道七福神」を祀ったという宝船神社↓とか。
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そして、管理人が気になったのがこちら↓f:id:ko9rino4ppo:20170528061214j:image
「機神神社」という扁額がかかっている。
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手水鉢は、水は張られていないが
そこには生糸の巻かれた糸車↓とおもわれるマークが。
マークというか、これが神紋なんだろうか?
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県外の方には富岡製糸場のほうが有名になってしまったが
群馬は製糸業だけでなく銘仙(織物)も有名なのである!

上毛カルタ群馬県民御用達ご当地カルタ)でも
「繭と生糸は 日本一」のほか
県都前橋 生糸(いと)の町」
「日本で最初の 富岡製糸」
銘仙織り出す 伊勢崎市」そして
「桐生は日本の機(はた)どころ」と…

44枚しかない札のうち、実に5句が生糸や織物に関するものだ。

そのため、機織や養蚕に関する神社は多いといえる。
この神社、機の神様ということはタクハタチヂヒメとかだろうか。f:id:ko9rino4ppo:20170528003622j:image
社内はちょっとモノが多いが、非常に明るい。
天満宮本殿ほどではないが、小規模ながら精巧な彫刻。

ちなみに、機織の女神・タクハタチヂヒメは
タカミムスビの娘とかオモイカネの妹といわれ、
天皇の祖先となったニニギの母。
つまり、先ほどのヘタレお兄ちゃんアメノオシホミミの妻。
まぁヘタレというか、慎重で 手柄は人にとらせるタイプ
といった方が良いだろうか。

*追記*
ちなみに、絹・織物関連といっては何だが
ここ桐生天満宮がどうしてこんなに豪華かというと
徳川家代々の祈願所となっていたからなのかもしれない。

とくに、関ヶ原の合戦に際しては
軍旗に使う絹糸を神前に供えて祈願し、勝利を収めた。
その凱旋をきっかけに境内では織物市が開かれるようになり、
後の桐生織物繁栄の礎になったとも言われている。

未開の地グンマーとか言われてるけどね、
昔はスゴかったんだから!
古墳だってバンバン立ってるし!
埴輪だっていっぱい出るんだから!