とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

カミの通い路、御神渡り。

2018年、節分すぎに5年越しの御神渡りが出た!
と聞いてから幾日が経っただろうか。
今すぐにでも見に行かねば!という気持ちのまま、
土日に研修が入ったりなんだりという災難(?)に巻き込まれていた。

しかし!今週こそ行くぞ!
と思い立った週の中頃 長野に住む知人から連絡が。
「きみは御神渡りを見たか!」
そう頻繁に連絡を取るわけではない方から
このタイミングで こんな連絡が舞い込むなんて。
これはもう御神託と言ってしかるべきであろう!
(いや、神様じゃなくて知人からの連絡だけど)

朝に晩に昼休みに 諏訪の気温をチェック!
どうか私が会いに行くまで溶けないで…(ノД`)・゜。

そんな1週間を終え、金曜の仕事終わりでそのまま駅へ。
新幹線に乗り、長い 長い 篠ノ井線に揺られ…
この時間を利用して寝ようと考えていたのに
不思議なおじいちゃんに一時間以上話しかけられ続け…
とにかく着いたぞ!諏訪!
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ヨイサー(/・ω・)/!御柱の年でなくとも御柱推し炸裂!
そして、下諏訪には何回も来ているはずなんだけど
なんか今回衝撃を受けたのが
改札にあった「万治の石仏」のプチレプリカ。
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え…。こんなん前もありましたっけ?
とにかく、この日はさっさとネットカフェに赴き
早起きに備えて明日への英気を養うことに。
だってせっかく御神渡りというスペシャルな状態を見るなら
まずは超キレイな朝焼けタイムに見たいのだ!
(勿論、昼も夕方も見ます)

御神渡り
というわけで一夜明けて、諏訪湖に向かって出発。
諏訪に来るたびに会っていたけど、冬に会うのは初めてだ!
とドキドキしながら歩いていくと…

ふぉおおおおお(* ゚Д゚)!
今日も諏訪湖が美しい!
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凍ってる!ホントに凍ってる!
しかも天気に恵まれて富士山まで見える!
そのまま諏訪湖沿いに歩き、勧めてもらった赤砂岬へ。
岬から左を見ると「高木」方面へ伸びる亀裂。
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右を見ると、亀裂は「小坂」のほうから伸びている…
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本当に、うねるような軌跡だ。
絶対コレ見た昔の人「お諏訪さまは大蛇に違ぇねえ」ってなったはず!

ココから見ただけでは、
「小坂のシタテルヒメ姉ちゃんが弟嫁に会いに行った軌跡では」
と思ってしまうような亀裂の走り方だが、
湖畔に張ってあった御神渡りマップを見るとその全貌が分かった。
(分かりやすいように文字を加えさせていただきました)
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下座は「くだりまし」と読み、神様が湖に入った場所。
反対に上座は「アガリマシ」と読み、湖から上がった場所。

今いるのが赤砂なので、
一枚目の写真がアガリマシに向かう道。
二枚目のは、小坂から来たように見えたが
タケミナカタさんは小坂方面で諏訪湖に入ったのでなく
「すわっこランド」のあたりから諏訪湖に入り
お姉さんの居る小坂(小坂鎮守神社)方面にふらっと寄って
赤砂岬をかすめて下社のヤサカトメに逢いに行った…。
みたいな形の御神渡りである。

ちなみに「一之御神渡り」というのがメイン的な感じで、
初めに現れた南北方向に延びる亀裂のこと。
諏訪湖の下のほうに青線で示された「二之御神渡り」というのは
一之御神渡りと同じ方向(南北)に走る亀裂のこと。
古くは「かさねての御渡」とも呼ばれたそうだ。

今回は一之御神渡りがV字のような形なので
同じ方向に走っているかはわかりづらかったかもしれない。
結構短く、しかも上川が流れ込んでいるので
管理人が見に行った週には 既に溶けてしまっていたが…。
年によっては一之御神渡りと同じくらいの距離割れたり
綺麗に南北方向の亀裂が2つ入ることもあるようだ。

御神渡りをめぐるカミサマたちの話*

ちなみにアガリマシの近くにペロッと出ているのが
「佐久之御神渡り」。
定義としては「一、二之御神渡りに交差するもの」だとか。
つまり東西方向に延びる第三の(?)御神渡りである。
佐久市にある新海三社神社のオキハギ(タケミナカタJr.)が
湖上を歩む父に会いに来た跡とも
小坂鎮守神社に居る姉に会いに行く跡とも言う。

ただし、日本神話で語られる系図を考えれば
小坂鎮守神社に居るシタテルヒメ
地祇・オオクニヌシと 水神・タギリヒメの子。
そのオオクニヌシ諏訪大明神タケミナカタの父でもある。
(めちゃくちゃモテるから奥さん何人もいる)
なので、新海三社から「姉に」会いに来るとすれば
オキハギとともに祀られているタケミナカタではないか。

オキハギが伯母・シタテルヒメの弟となるには、
タケミナカタはタギリヒメ(つまり異母姉妹の母)を妻に
ということにならないと成り立たない。
オキハギはヤサカトメとタケミナカタの子だというし、
タケミナカタと荒船の貫先神の子 説もあるが(; ・`д・´))
いくつかの伝承が混ざっていつの間にかそう伝わったと思いたい。

しかし、管理人は誰が誰の姉とか子とか細かいことより、
「昔の諏訪に住む人々は この夫婦神から
 養蚕や稲作など多くを学び共に暮らした時期が長く
 タケミナカタとヤサカトメ双方のことがとても好きだった。
 喧嘩して別居した二人をいたく心配していたが、
 御神渡りを見て(夏も通っていたが、御渡ができて村人にバレた)
 タケミナカタが別居後も下諏訪へ通い続けていたことを知り
 みんな 安心したし嬉しかった」
という話が好きだ。

美しいヤサカトメのことが大好きで 喧嘩したのは後悔してて、
でも通ってるのが人間にバレると恥ずかしいから…と
夜に舟を出して諏訪湖をコッソリ渡る姿。
「いつも威厳と生きる知恵を与えて神様らしくしていなきゃ!」
みたいな「神様の見栄」を張ってしまう可愛らしささえ感じる。
もう完全に妄想だが、
様々な知恵を与え 既に村人に慕われているのに
「バレたら村人に笑われちゃうんじゃないか…」という自信の無さ。
九州方面から逃げ伸びて新しい土地に住むと決めた神様の
「まだ完全なホームとは思えない」というような心細ささえ垣間見える。
なんだか余計、お諏訪さまが好きになれる民話である。

かなり様々な話が伝わっていて、
話によっては家を飛び出したヤサカトメから
諏訪湖の上が歩ける時だけ来ていいわよ」
「来てもいいけど一年に一回だけよ」
みたいな条件が出されるパターンもあるらしい。
ともあれ今年もタケミナカタさんのヤサカトメ愛は
バッキバキに絶好調である( *´艸`)
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それにしても
別居されるほどの喧嘩をする「些細な事」っていったい何なんだ。
浮気か?秩父の妙見ちゃんか、荒船の貫先ちゃんのことなのか?
(どちらも養蚕や織物にまつわるカミサマなのが気になる)
ともあれ、朝の御神渡りを心行くまで観賞したので風呂へ向かう。
まだ朝の6時だが、本日目指すお風呂はなんと5:30からやっているのだ。

*下諏訪の温泉へ*

何を隠そう下諏訪は至る所お湯だらけ。
駅前にもホカホカしたモニュメントがある。
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そして下社の程近く。
実家が風呂工事中で2日入れていなかったので
水道水の銭湯でもありがたく戴けるような気持ちだが…
折角なのでコチラで。
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下社秋宮の近所にある、旦過(たんが)の湯!
仏教に詳しい方は旦過という単語をご存知なのだろうか?
(管理人は調べるまで全く知らず…)

禅宗の修行僧のことを「雲水」というが、
自分の実家などの寺を出て修行用の寺に赴いた雲水さんは
初めに庭詰というものを行うとされる。
「玄関先で入門を乞うが断られ続け それでも乞い続ける」
というものだそうで数日間玄関先に居ることになるとか。
この時に寝泊まりに使う部屋が旦過寮だそうだ。

庭詰が終わると課されるのが旦過詰。
庭詰のときに泊まった小さな 満足な灯りもない部屋の中で
寝食以外はひたすら坐禅を組み続けるらしい!
コレをクリアしたら、そこで初めて入門が認められる。

旦過寮は永平寺総持寺のモノが有名らしいのだが、
長野もかなり仏教色も濃い土地である。
まぁ言わずもがな信州で一番有名な寺は善光寺だろうが、
この下諏訪にある有名な寺といえば「慈雲寺」。
下社春宮の鬼門を守るために、大祝・金刺氏が建てたお寺。
(勿論、開山したのは金刺さんではない。建長寺の住職さんだ)
このお寺は曹洞宗 つまり禅宗の寺で、
その雲水さんのために開かれた旦過寮が旦過の湯のモトだとか。
現在は建物もキレイで温泉ホカホカ~♪な感じだが、
実際に寮だった頃は やはり厳しかったのだろうか…。
ちなみに諏訪周辺には武田信玄公関連の温泉が山ほどあるが、
慈雲寺・旦過の湯ともに信玄公の庇護厚く、
特に温泉は「切り傷にも効く!」と武士たちも訪れたとか。
現在は脱衣所や浴場は地元のおばあちゃんだらけ。
「おはよー」「おつかれさまー」「お先ー」と挨拶を交わして
なんだか部活の朝練に来た女子高生の部室みたいだな。
とちょっと楽しくなった。

公衆浴場としてはお安く、
大人 230円と(首都圏の銭湯に比べて)かなり良心的。

そして、驚くべきは その泉温。まさかの58℃だという。
もちろん湯船の湯は水でうめてあるが、
それでも44℃と46℃の2択。あ、あついΣ( ゚Д゚)!
寒い中歩いて目は覚めていたつもりだが、
さらにもう一段階 目が覚めそうなパンチのある熱さだった。

数分後に入ってきた 地元のおばあちゃんが
「あらぁ、若い人には熱いでしょ。露天の方がぬるいよ」
と教えてくれたが、その頃には体は温まりきっていた。
(もう少し早く来てほしかった…)

後で調べて知ったのだが、
この旦過の湯 下諏訪一熱い湯なのだそうだ。
地元のおばあちゃんたちは平気で46℃に入ってはいるが、
お湯に触れていた部分だけクッキリと赤くなっていた。
いくら切り傷に効くとはいえ、傷がある状態で入ったら
目が覚めるどころではない激痛なのでは…。
まぁともあれ久々のお風呂な上 急速に体が温まり、
清潔感とか体温とか いろんなものが回復。
身も心もスッキリした状態で神社へ向かうことができる!

もう長くなってしまったので、
この後に行った神社はまた次回の記事で順次…!
↑さばくのが間に合っていない(´・ω・`)

*おまけ*
この後に行った上諏訪も、
間欠泉が見られるところや宿など温泉関連の施設が多い。
そして、上諏訪駅はなんとホームに足湯が!
入浴を終えて上諏訪に着いたのが8時だったのだが
残念ながら足湯は9時(いや、10時だったか?)からだそうで入ってみられなかった。
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御篝神事で、バーニング節分。

前回は下見ということで桐生賀茂神社を訪れたわけだが、
今回は「御篝神事」本番である。

毎年2/3(節分)の夜に行われるというが、
夜とは一体 ゴールデンタイムなのか深夜なのか?
桐生市役所に確認したところ、
メインとなる「火投げ」は午後19~21時ごろ行うとのこと。
良心的な時間でよかった…。

そして、その前に氏子さんたちは18時ごろから
①人形(ひとがた)に名前・生年月日を書き
②体の悪いところに当てて人形に災厄を移す
③人形と氏子さんが一緒にお祓いを受ける
④豆まき
⑤境内中央に積んだ浄薪に御札や達磨なども乗せる
⑥点火
という流れで火投げに備えるのだとか。

なんとゆうか、
厄除けというのは基本的に正月~節分が多いが
そこに小正月に行う「どんど焼き」的な⑤と
④の豆まきが組み合わさっているという不思議な行事だ。
ということは、この地域は1月にはどんど焼きはしないのか?
とゆう疑問が。気になる。
ということで最初から見たかったが、少々出遅れた。

「食事のプライオリティが低い」と言われる管理人だが、
今回は単独行動ではなかったため まったり夕飯…
という、らしくないことをしていた結果である(笑)
いや、ガストの明太スパ美味しかったから全然いいんだけどね。

遅ればせながら車を停めようと神社に近づくと、
境内の外からでも 巻き上がる火の粉が見える勢い!
前回の写真を見ていただければ分かるように、
鎮守の森がそんなに小さいわけではないのだが…。

車を停め、鳥居をくぐると
想像をはるかに上回るバーニング具合だった。
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水しぶきの如く 火の粉が吹き上がっている!
寒さに備えてコート下に着るウル◯ラライトダウンと
裏起毛のジョギング用ズボンを用意していた管理人。
しかし、炎の勢いが凄すぎて寒さはほぼ感じず。

そして なんとなく
「火を投げ合うとは言え 束ねた藁的なモノだろう…」
と勝手に想像していた管理人。
しかし、いざ見てみれば50cmはあろうかという棒ではないか。
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↑このガンガン焚いている火に、どんどん棒をくべていく。
そして、氏子さんたちがその中から
イイ燃え具合のをチョイスして持っていくシステム。

ああ、そういえば説明書きにも
「火を付けた薪」って書いてあったかも…。
そんなもの投げたら危ないだろうという勝手なバイアスで、
薪→藁に脳内変換されていた…。

さて、なぜ火を投げ合うか気になるところだが
実は詳細な起源は分からないらしい。
しかし遅くとも江戸時代には行われていた記録があるとか。
戦後に一旦は途絶えたというが、その後は無事復活。
現在は保存会などもでき安定した運営が行われているそうだ。

というわけで、まずはどんな様子か動画をどうぞ。


2018.2.3 御篝神事

事前に見たネット情報では
「火投げは3投ワンクールで、30分毎に全部で3クール行われる」
と書かれていたりしたが、1クールは明らかに3回以上投げていた。
(何投かした後「ラストスリー!」的なこと言ってたので間違いない)

なので意外とシャッターチャンスはあるのだが、
今回初めて夜間撮影用アプリを使って撮ったので
なかなか調整がうまくいかず。
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↑他の人のフラッシュで漁夫の利な撮影。

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↑ボウリングの如く美しいホームで薪を投げるおじさん

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まぁトイカメラでお遊びをしたような写真だが、
少しでも様子が伝わればとゆうことで一応載せてみる。

そんなことをしていたら、
対面に立っていた氏子さんの薪が大きく弧を描き
管理人から1mほどの場所でカメラを構えていた方に命中。
大きなカメラのおかげでケガは免れたように見えたが、
同行者に聞いたら「いや、顔に命中してたっぽい」だそうな。
御篝神事、恐るべし。

その後も、すぐそばで火を回していた氏子さんの薪が
前方でなく後ろに飛んでくる案件などが発生。
(手を離すのが遅すぎたんだろうか)

先日の下見の際にはひっそりしていた拝殿も、
平時はポッカリと広い境内も、今日は人であふれている。
ワケイカヅチさんも喜んでいるのではないだろうか。
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氏子さんによると
終わる時間は「火の燃え加減次第」とのこと。
どうやら火力が強いと時間が短いらしい。
今回は20時ちょっと過ぎには終わったので、
火力が結構強かったということだろうか…。

火投げが終わると
氏子さんたちが浄薪を囲んで三本締めをし、
御篝神事は無事終了となる。
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さぁ、遠足は帰るまでが遠足。ここで全てが終了ではないのだ!
鳥居の外に消防車が待機していたので
「万が一のために待機しているのかな」と思っていたら、
火投げが終わった後 境内に入って来た。
そして、薪を差していたドラム缶を浄薪のそばへ寄せ
火のついているモノを1ヶ所に集めたのち、全力で放水!
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煙が朦々と立ち上がり、大火事の現場さながらである。
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な、なんてゆうか消防士さんが放水してる現場初めて見た。
近所で火事は何回か起きてるけど、
ここまで消火活動をちゃんと見たことはなかった…。
こんなすごいホース2本がかりで水をかけまくっているに、
一度燃えた薪というのは意外といつまで消えないもので。
かなり長い時間放水が行われていた。

火の粉もだいぶ飛んでいたため、
燃えていたものだけでなく境内の木の枝にも放水。
「建物当てないように気を付けろよ!」
と隊長(?)的な人が声をかけたりしながらやっていた。
確かに、あの水圧が神楽殿に当たれば
彫刻の一つや二つくらいは吹っ飛びそうだ。

かなり入念に放水し、境内はビッチャビチャである。
明日の朝全部凍っているのではと思うと恐ろしいが、
無事に火も消えたようで全てが終了。

ちなみに、火が燃えているうちは暖かく
火投げのインターバルには見物人も注連縄の中に入り
ボーボー燃えている浄薪の火に当たることができる。
が、この消火活動を見守っている時間は寒い。
さすがに火が消えれば冬の桐生が寒くないはずない。
終了後しばらくは、同行者の車で震えている管理人だった。

今回の御篝神事に限らず、
湯かけ祭りとか春駒とか 冬の群馬は奇祭の宝庫!
なんか最近よう雪が降るけど、
信越や東北に比べたらイージーモードなので…
是非来年の冬はグンマーの奇祭見にきてね
(*'ω'*)

ワケイカヅチと白瀧姫。

管理人は、神社へ行く以外の外出は極度に少ない。
加えて去年の夏バテを引きずって
ここのところ体力の回復に努めていたので…
久々の上電(上毛電鉄 *'ω'*)!
中の装飾は…犬だらけ!「戌年」だからだな!
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上電のこういう感じホント好き。
通学に使ってる子たちに比べたら利用回数低いけど、
粕川やら大胡やら桐生やら お祭り行くとき重宝してます!
上電、応援してます!

さて、そんなわけで終点・西桐生で一旦下車。
徒歩数分のJR桐生駅から両毛線で小俣へ。
今回の目的地は群馬県桐生市にある賀茂神社なのだが、
どっこい最寄り駅は桐生でなく小俣なのである。

ちなみに、桐生の賀茂神社では毎年2/3節分の夜に
桐生市指定重要無形民俗文化財でもある「御篝神事」が行われる。
白装束の氏子さんたちが火のついた薪を投げ合う奇祭だそうだ。
今回はその下見も兼ねての 突撃!となりの賀茂神社、である。

 

*小俣 伏見稲荷神社*
さて、目的地までは徒歩30分ほど。
そんなにド田舎ではなく比較的大きな通りに沿って歩く。
すると、途中で稲荷神社を発見。
交差点にふっと現れた そんなに広くない神社。
だが、かなり立派な鳥居↓がドーンと立っている。
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正面に見える白壁の建物は、
社務所かと思いきや「以学文庫」と書いてある。
え、なになに?地域史の本とか置いてあるの?
それなら面白そうだけど、誰もいる気配がない。

敷地面積の割にシッカリした授与所もあって、
見本の御守りも日焼けしてないしケースも汚れていない。
管理は行き届いている風だが、やはり人はいない。
例祭の日に来ればいいのか?そんなに遠くないし。

軒下には絵馬↓が奉納されている。
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絵馬といえば、お願いを描く五角形ないし長方形の板!
というイメージの方が多いかもしれないが、
モトは神様への供物や御礼としてホンモノの馬を奉納していた。
それを、絵で代用するようになったのが絵馬のはじまりらしい。

社殿を見てみると、鳥居や授与所のわりには小さい印象。
鈴は、とても大きい(軒が低いので余計にそう感じるのか)。
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しかし新しそう&キレイになっていて
氏子さんや宮司さんに大事にされてる感。
オカネを入れて自由に持っていくおみくじあり。
御参拝の折には是非どうぞ(=゚ω゚)ノ
管理人は年始に引いたので、
しばらく新しいのは引かないでおきます…。

 

*桐生 加茂神社*
さぁ、この橋から向こうは群馬県桐生市
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ちなみに栃木県民の方はご存じだろうが
先程の「小俣」は栃木県足利市だ。
群馬県桐生市の神社へ行くのに最寄り駅は栃木県とゆう…
なんかこのへん、県が入り組んでるんだよね(´・ω・`)

県境である渡良瀬川を渡ると、住宅地へ突入。
道、合ってんの…?と思っていると
「加茂神社 旧参道」という立て札が現れた。
そして公民館を過ぎ お寺に差し掛かったところで…
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見えた!奥に鳥居が!
そして鎮守の森が…予想より大きい!

鳥居をくぐると、すぐ右手にメインの鳥居とは別に鳥居。
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扁額には「賀茂御祖神社」と書かれている。
カモミソではなく かも-みおや と読み、
読んで字の如く「親」が祀られている神社。
祭神はカモタケツヌミ(賀茂建角身)・タマヨリヒメと思われる。
「本殿に居るワケイカヅチの両親ってことだね!御親だし!」
と早まるなかれ。おじいちゃんと、お母さんである。

そして、左手には「八坂神社」の扁額がかかった鳥居。
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祠は3つ。真ん中は祠の扁額に「天王社」と彫られている。
なので真ん中は牛頭天王もといスサノオがお住まいなんだろう。

京都の八坂神社のことを考えると、
現在は中御座(つまり中央)にスサノオ
東御座にクシナダ・カムオオイチヒメ・サミラ(全部奥さん)
西御座に8人の息子と、クシナダの両親(アシナヅチ&テナヅチ
が祀られているので、
ここの場合も両脇は后神と御子神(+義父母)か?

その八坂神社の隣には御神輿が保管されていた。
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神輿の四方に「ドリル刃かな?」とゆうような
ギュルギュルした形の柱が付いてる。
今時はこういうデザインなのか?

その横に「豊機神社」があるが、最後に行くとする。
さて、こちらがメインの賀茂神社
桐生には、天満宮や美和神社など
なんとなく西の都からお呼びした神様が多い。
おそらく先程の御祖神社も この賀茂神社も、
賀茂御祖神社(通称・下賀茂神社)と
賀茂別雷神社(通称・上賀茂神社)からの勧請とおもわれる。
※以前、群馬の八ノ宮・火雷神社の記事では
 この桐生にある賀茂神社について「奈良の高鴨神社から」と書いたが、
 高鴨神社の主祭神はアジスキタカヒコネである。
 こちらは上述のとおりワケイカヅチ主祭神なので、
 高鴨でなく上賀茂神社からお呼びしたのだろうと思う。


神社って例祭の日以外は閉まっていることも多いのだけど、
ココは結構オープンな感じだった。提灯の神紋は「二葉葵」。
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祭神は、賀茂別雷命(かも-わけいかづちの-みこと)。
先程の御祖神社におわすタマヨリヒメの息子さんである。

少し日本神話に詳しい方は
「あれ?お母さんはタマヨリヒメ?トヨタマヒメの妹の?」
と思うかもしれないのだが、
実はタマヨリヒメというのは固有名詞ではないのだとか。
魂(たま)の依代(よりしろ)となることができる女性、
つまり巫女的な性質のある女性たちをこう呼ぶらしい。

こちらのタマヨリヒメはカモタケツヌミの娘。
タケツヌミは賀茂氏の祖先にして カミムスビの孫。
そして神武天皇を導いた日本建国の立役者でもある。
※光を放ってナガスネヒコの目をくらませた金鵄なのか
 熊野から大和への道案内をした八咫烏なのか混同されているが、
 結局どちらもタケツヌミの化身だということになっている。

おじいちゃんとお母さんは分かったけど、
じゃあ お父さんは誰なのか?と言うと、
京都・乙訓坐火雷神社の祭神・ホノイカヅチとされている。
(群馬の八ノ宮・火雷神社佐波郡玉村にあります。小さめ神社。)
ただ、スサノオやニニギのように恋をして結婚♡
というわけではなく

丹塗矢に姿を変え賀茂川を流れてきたホノイカヅチ
賀茂川で遊んでいたタマヨリヒメが拾ってお持ち帰り。
寝所に矢を置いておいたら いつの間にか懐妊したよ!
という斬新な通い婚の結果である。
斬新と言えど、かの(?)オオヤマクイもオオモノヌシも
これと同様の方法で女性にアプローチしている。
当時の神様の間で流行していた方法なのかもしれない…。

さておき、そんなこんなで生まれたワケイカヅチだが
肝心のタマヨリヒメも誰の子だかわかっていなかったとか。
そんなある日、宴会をしていたタケツヌミは
よちよち歩きのワケイカヅチに杯を持たせて言ってみた。
「この酒はおいちいから、おまえのパパにもあげまちょうねー」
するとなんとワケイカヅチは屋根を突き破って空へ!
そうして雷神であるホノイカヅチが父親だと分かったとさ。

…あれ?屋根突き破った後、ワケイカヅチってどうなったんだ?
地上には戻ってこなかったの?(´・ω・`)ハテ…

ちなみに、ワケイカヅチの名前の解釈としては
①「別雷」稲妻を別(わか)つほどの力を持つ神
②「若雷」若々しく力のみなぎる雷の神
などがあるらしい。

さて、拝殿横を通り本殿のほうへ進むと、燈籠↓発見。
何気なく立っているが、市の指定文化財
造立年が分かるものでは桐生最古(1378年)の石燈篭だとか。

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遠目ではわからないけれど、
いや、もう苔でモッサモサですよ。
近づくと小さな森みたいな感じでイイ(*'ω'*)
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そして本殿。
なんか上泉(前橋)とか伊勢崎とか太田とか、
結構県内の神社、彫刻がすごいなーって思うこと多い。
ココも例にもれず本殿は全面彫刻。
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彩色もちゃんと残っているみたいだけれど
修復とかしてもらってるのだろうか。
ベンガラ色の部分は結構最近直したかなという感じ。
色が落ちてないし、彫刻のエッジがはっきり。

本殿右奥には、関東の地震除けコンビ・鹿島&香取社。
つまりフツヌシとタケミカヅチが並んでいる。
地震メインじゃなくて武神なんスけど…と言われそうだが)
鳥居が…他の境内社は石なのになぜか木材…!
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2つだけ並んでいるように見えるが、
奥まで行ってみると両脇にも小さな祠がズラリ。
(暗い写真ですみません)
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2つの祠の横にある石塔は…
一文字目がうまく読めない。土?丑?立?
そして3文字目も微妙。幸?桒?
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近くにあった祠には、お稲荷様っぽい装飾。
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この季節はこういう奥に分け入っても
全然 蚊も蜂もいなくて本当に平和ですね(/・ω・)/!

そして、最後にとっておいた豊機神社!
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鳥居から、まっすぐ階段が続いている。
鳥居の奉納は明治と書かれていた。
階段を昇っていくと、両脇に燈籠が立っている。
最初の一対には「糸まき」↓の装飾。
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そして2つ目は、一見 幾何学模様のようだが
機織りに使う「杼(ひ)」↓が4つ組み合わさった絵。
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幸い、上がるのがきついほど長い階段ではない。
(まあまあ長いかもしれないが)
秩父武甲山の麓にある稲荷神社↓や
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信州・諏訪大社付近にある北斗神社↓に比べたら…
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(管理人の中での二大 鬼直線階段です)

話はズレたが、全国的には機織りの女神といえば
タカミムスビの子(or孫)でありニニギの母である
タクハタチヂヒメが祀られていることも多い。

またおとなりの足利にある「織姫神社」は
天棚機姫の娘or孫・ヤチヂヒメが祭神とされている。

たまにはタナバタヒメとヤチヂヒメは同一人物だとか、
挙句の果てには そこへタクハタチヂヒメまで混ざることも。

しかし、桐生で機織りの女神様といえば
なんといっても白瀧姫サマである。
桐生にある白滝神社も、白瀧姫とヤチヂヒメを祀っている。
上記のような神話の中の女神様とは違い、
白瀧姫は身分こそ高いが人間の女性とされている。

時は昔、平安京がまだできた頃の話。
我が群馬県桐生市川内町あたりから宮仕えした男がいた。
東京が首都である現在すら「未開の地グンマー」と言われる場所。
京が中心だった時代、都の人からして見れば
もはや場所すら見当のつかないような場所だったかもしれない。
(いや、埴輪と古墳すごいから逆に昔のほうが…的な可能性も…)

さておき、どうやら彼は宮中の庭掃除係として働いていたらしい。
御簾の奥にいる姫(官女であったとされている)を垣間見て
一瞬で恋に落ちてしまう。
身分の違いを思い、諦めようとするも諦めきれず、
彼は思い切って歌合わせの際に彼女に歌を送った。
当たり前だが、当時の歌といえば和歌である。
ギターを弾きながら歌う自作ラブソングではない。

すると、なんと彼の歌は中々センスが良かったのである。
最初は「私、身分高いのよ。そんなに恋い焦がれないで」
みたいな返歌をしていた姫だったが、
彼女のお父さんが彼の歌と一途さをベタ褒め。
天皇も「いいんじゃない」と言い出す始末。
姫は身分違いのお掃除ボーイの家へ嫁に行くことになった。
その才色兼備な姫が 白瀧姫である。

上州がどんなところかも知らずに
庶民の家に嫁に来ることになった京都のお嬢様。
色々心配ではあるが、ともあれ彼女は
都で習得した養蚕や絹織物を桐生の人々に教えてくれた。

このエピソードも様々な地域で
少しずつ脚色されたりしながら伝えられてきたため、
本当のところというのは分からないわけだが。
姫は単に桐生の人々に機織りや養蚕を教えただけでなく、
彼女自身も織った布を京へ納めていたとも言われている。

この白瀧姫がみんなに教えた機織りって、
どんな布を作っていたのだろうか。
まず、養蚕も教えたというのだから材料は繭だろう。
繭といえば絹。絹と言えばツルツルで薄手の布だろうか。
が、その後の記録に残る桐生の織物「仁田山織」は
ツルツルのヤツでなく「紬」のような生地と考えられる。

そもそも、みんなが知っているピカピカの生糸というヤツは
御存知と思うが繭玉を煮て一本一本の糸口を探し出し
その一本一本を均一に撚り合わせて糸にするのだ。
生産性を上げるには結構大規模な施設や作業場所、
そして言うまでもなくそれなりに高い技術が必要なわけで。

それに比べれば、紬に使う糸というのは
繭を煮てほぐし、広げてワタ状態にしたものから
こより的な感じでネジネジしながら太めの糸を作っていく。
使う繭も、穴が開いたものなどでも使える。
なので、難易度がやや低く広めやすいのである。

それまで関東北部からの調(税を布で納める)は
苧麻(ちょま)を原料としたものが多かったらしい。
※からむし織についてはこちらの過去記事で紹介してます。
が、丁度この桓武天皇あたりの時代から
「あしぎぬ(ふとぎぬ)」とよばれる布も納付され始めたとか。
名前から、紬の糸のように太めの糸で作る絹製品と思われる。
白瀧姫の話には そんな時代背景が垣間見えている、のかも。

も…もしや歌ウマなシンデレラボーイが
「奇跡的に姫様をお嫁さんにできた」のではなく、
地方から納付される布の品質を上げるために
養蚕と機織りに長けた美女を地方に「お持ち帰りさせる」作戦!?
おのれ孔明!謀ったな!(; ・`д・´)

いや、まぁそれは妄想だとしても…。
なんにせよ、これがキッカケで
桐生は織物の街としての第一歩を踏み出したようだ。
ちなみに先程 桐生の織物を「仁田山織」と呼んだが、
仁田山というのは今でいう石尊山(@小俣)のこと。
白瀧姫が「アレは京にあった山と似た山じゃ」と言ったので
ニタヤマという名前になってしまったとか…。
…ホントかよ(;゚Д゚)!

そんな仁田山織は
京都などの上質な布に比べれば当然質は低く、
長い間「田舎反物」の代名詞とされてきたのだそうだ。
昔の書物や歌舞伎などのセリフを見ると
「優れたものと一見似ているが劣っているもの」
というような意味で「仁田山」が慣用句化しているとか。
しかし、逆に考えれば 質が劣る代わりに安価であり、
全国に広く流通しているからこそ
誰にでも通じる慣用句として使われるのだろう。

上方や西洋の技術を吸収し、
「桐生は日本の機どころ」(上毛かるた
となるには少し時間がかかったモノの、
白瀧姫のもたらした技術は
確実に仁田山の麓を潤したのである。

そんな彼女が祀られているのが「豊機神社」。
保護色で見えずらいが、後ろの崖に同化して祠がある。
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本殿と拝殿の位置関係…にも見えるがコレは一体。
ちなみに、文献によっては 賀茂神社には
アメノハヅチオノミコトも合祀されているらしい。
香取・鹿島社の両脇にあった祠のどれかかも知れないが、
機織の神ということを考えると
できれば(?)ここに一緒にいてほしい。

ちなみに、この豊機社の奥は山なわけだが
社の左を見ると上のほうへ道が続いている。
そちらにどうやら「賀茂山祭祀跡」というのがあるらしい。
行ってみようかとも思ったが、ちょっとやそっとでは着かなそうだ。
いやぁ、そういうのはもうちょっと暖かくなってから…
という軟弱な思考が働き、管理人は山を後にしたとさ。

追記:
あとでいくつかのブログを読むと、
どうやら暖かくなると草が伸びて行けなくなるので
奥まで行きたいなら冬が良いそうである。
御篝神事の日にでも登ってみるか…?

締めて寿ぐ、しめかざり。

あけましておめでとうございます
(=゚ω゚)ノ!

色々な体調不良や、仕事関連の研修やらで
気づけばブログを2ヶ月以上サボってしまった。大反省。

さて、そんな管理人だが 去年12月あたまに浅草へ行って
「新年を寿ぐ しめかざり展」を観てきた。

個人的に衝撃だったのは、
”しめかざり研究家”だと思っていた森須磨子せんせいが
なんと”グラフィックデザイナー”だったことである…。
(そこかよ!とツッコまれそうだが本当にびっくりしたのだ)

さて、本や商品名などで「しめ」かざりの表記を見てみると
「注連」の他にも「締め」「〆」「七五三」など様々。
何故こんなにいろいろな表記があるのか?ということで、
しめかざり…というか「しめ縄」のことから調べてみる。

*はじめての しめなわ*

日本の歴史に初めてシメナワが登場したのはいつなのか?
古事記にも日本書紀にも同じような場面があるが、
アマテラスが天岩戸から出てきた直後
「もう二度と隠れることが無いように」
とフトダマノミコトが岩戸を縄で封鎖したとされている。

この縄は古事記で「尻久米(しりくめ)縄」
日本書紀では「端出之(しりくへ)縄」と表記されている。

シ、シメ縄でなくシリクメ(ヘ)縄!?
どういう意味だ(;゚Д゚)?

双方に共通する「シリ」とは「端」または「最後」だろう。
そして「クヘ」の漢字を見ると「出ている」という意味のようだし、
一方の「クメ」を調べると「出る」or「組む」という意味だとか。
たしかにシメナワの端は藁が出ているor編んだり結ってある…。
どうやらこの「形状」を表した言葉がシリクメ(ヘ)のようだ。

蛇足だが、昔の人はトンボの交尾の状態を
「尻組す」と言い現わしていたようである。
今では「蛇の交尾の様子を模したもの」と言われる注連縄だが、
シリクメ縄だったころはトンボとも関係あったのだろうか…。

「シメ」の表記ゆれ問題*

さて、
では現在まで続いている発音「シメ縄」はどんな意味なのか?

この「シメ」は古く「標」と書いたようで、
「不可侵な」というような意味の言葉らしい。
身分の高い人間が占有する土地=標野(シメノ)などにも
その”境界”を表すため標縄(シメナワ)が張られたとか。
つまり、コチラは形状ではなく縄の「働き」を表す言葉。

その他「〆、締め」の字も用いられるがコチラは
その不可侵の場を閉鎖するという「働き」を表すモノか。
いやしかし…
締めるという言葉は紐状のものを固く結んだ状態も表す。
藁どうしを「撚り合わせた」縄の「形状」を表しているのか…?
むむむ(´・ω・`)

まぁ分からないことを追求するのはやめて、
最もよく見かける「注連縄」という表記の話に移りたい。
調べてみるとこちらの「注連」は中国から来た言葉らしい。

なんでも、昔の中国では家から葬式行列が出発したら
亡くなった方の霊が自宅にカムバックしないよう
家の出入り口に縄を張ったのだとか。
その縄を「注連」と呼び、その表記が日本に流入
「不可侵」の意味を持つ語「シメ」と出会い、
「注連とかいてシメと読む」という結果になったらしい!

*七五三縄とカミサマ集団*

だんだん注連縄のコト分かってきたような気がしますね!
(/・ω・)/ソウデスネ!
あとは「七五三縄」という表記だ。
これも熟字訓っぽいが、中国から来たんだろうか?

すると どっこい、コチラは日本発らしい。
(とはいっても陰陽思想など中国的な部分はあるが)
なんでもモトは 読んで字の如く、
下に7・5・3本の房を垂らしたシメ縄をこう呼ぶとか。
残念ながら管理人は そういうシメ縄には
未だ出会ったことが無いのだが…(´・ω・`)ショボン

この7・5・3本の房には
①それぞれの本数が特定の神様を表す!
②奇数であることが大切!
という2つの意味があるらしい。

まず、①については それぞれの藁房が

7本=神世(かみのよ)七代
5本=地神(ちじん)五代
3本=日向(ひゅうが、ひむか)三代

という神様の集団を表しているとされている。

神世七代とはイザナギイザナミ夫婦以前7代のカミサマ。
天と地ができる期間(=天地開闢)に居たとされる。
ちなみにそれぞれお名前は

●クニノトコタチ
●トヨグモ
○クニノサツチ(日本書紀のみ)
●ウイジニ&スイジニ
○ツヌグイ&イクグイ(古事記のみ)
●オオトノジ&オオトノベ(オオトマベ)
オモダル&(アヤ)カシコネ
イザナギ&イナザミ

●の神様は日本書紀古事記両方に登場するもの。
○の神様はどちらかにしが登場しないもの。

ザックリ言うと、それぞれの名前は
天と地/陰と陽さえ区別のなかった混沌から
天地が分かれ、草木が生じ、人が成る!
という「世界のはじまり」を神格化したもの。

次に「3・5」は内容がかぶっているが、
下記の①~⑤が「地神五代」。③~⑤が「日向三代」。

①アマテラス
アメノオシホミミ
③ニニギ
④ホオリ
ウガヤフキアエズ

さっきの七代より逸話も多く知名度が高いラインナップである。
七代は単純に現れた順であり親子関係は無かったが、
こちらの五代は神話上、実の親子である。

アマテラスとスサノオの誓約でアメノオシホミミが生まれ、
オシホミミと機織りの女神・タクハタチヂヒメの間にニニギ誕生。
そのニニギの妻・コノハナサクヤは燃える小屋でホオリを産み、
ホオリと結ばれたトヨタマヒメウガヤフキアエズを出産。
(フキアエズと育ての親・タマヨリヒメの子が神武天皇

余談だが「3・5」はこの5柱でなく
アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)で生まれた

【三女神】
タギリヒメ
イチキシマヒメ
タギツヒメ

【五男神
アメノオシホミミ
アメノホヒ
アマツヒコネ
イクツヒコネ
クマノクスビ

 と考える場合もあるらしい。
いずれにせよ天津神(アマテラス系)の系譜である。

はじめは高天原にいたアマテラス一族(?)だが
葦原の中つ国(日本の国土)を統治するために
彼女は孫であるニニギを地上に遣わせた。
(というか息子に行かせようとしたがヘタレで駄目だった)

コレを「天孫降臨」というわけだが、
その降臨したのが高千穂。つまり宮崎県だ。
「七五三」のシメ縄もどうやら宮崎県に多いようなので…
アマテラス族(?)の地元であることを示す形なのかも?
(新潟の注連飾りでも7・5・3の房が見られるが)

…なんだかカミサマの列記で尺を使ってしまったが、
もうひとつの「奇数であることが大切」について。
唐突だが、陰陽説では「偶数は陰/奇数は陽」に分類される。

3/3に桃の節句、5/5に端午の節句、7/7に七夕の節句
というのがあって現代日本人にも馴染みの深い行事かと思うが、
これらは全て厄病や災禍を除けるための行事である。
これらの日は「陽」に分類される奇数が重なるため
特に陽の気が強く「悪い気を払い除けやすい日」とされたのだ。

同じような理由で、3・5・7という奇数を重ね
強い「陽」の気で神社に近づく悪い気を神域に入らせまい
とするのが七五三のシメ縄であるという。

また、シメ縄は神域との大事な境界であり綻んでは困る。
奇数は「割れない」ことから「切れない」につながり、
奇数の装飾により丈夫なしめ縄となる!ともされたようだ。
そのため「5・3・1」本の房を垂らしたシメ縄もあるらしい。

*しめかざり色々*

なんだかもうこのまま注連縄の話で終わるのではないか?
むしろ話長くて疲れてきたし、この辺で終わりでいいよ…。
という感じになってきた方も居そうなものだが、
肝心の注連飾りについてまだ何も触れていない。
ので かまわず続けるが、
各自 休憩するなり中断するなり良きに計らってくだされ。

さて、この注連飾りというヤツは
松の内」に他県へ旅行に行くと必ず新種を発見する。
キリがない感じがテンション上がるというか、
疲れ切ったところでまた知らない形の飾りに出会うと
テンションが上がり 更に別の形を求め足を延ばしてしまう…
チェーンスモーカーならぬチェーンシメナワー。
もはや依存症に認定されるべき領域に近づいている感もある。

まぁそれは冗談としても、
実際キリが無いので一般的なモノを見てみたい。
(拙い絵で、伝わらない部分もあるかと思いますが…)

私は関東在住なので、
あくまで関東で一般的なモノ ということになるが…
普通の家庭で玄関先に飾るといえばコチラのいずれかだろう。
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玉飾りは、輪飾りの下に藁を垂らした形のものが土台だが、
扇や水引、鯛・海老・橙、ウラジロユズリハetc…
所狭しと縁起物が装備され、もはや輪の部分は見えない。
酉の市の熊手さながらである。

一方の輪飾りは、それに比べると装飾がアッサリで
最近は花屋さんなどでも「アレンジメントの延長」的に
洒落乙な可愛らしいものが売っていたりする。

あとは、さらに簡易的な「輪〆」だろうか。
コチラは水回りや台所などに設置するモノ。
敷地内にいるカミサマのところなどにも飾る。
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なので、うちの場合で言えば
年末に来年のための御札などを買ったときに
コレを7個くらい買ったりする。
玉飾りや輪飾りは華やかで人間の目も楽しませてくれるが、
コチラの輪〆のほうは純粋に神様に向けて
「ココは清浄なので来ていただいて大丈夫な場所です」
と知らせたり依代にするイメージがある。

ちなみに、
玄関に飾るような輪飾りと区別するため輪〆と呼んだが
この簡易版も関東では「輪飾り」と呼ばれることが多い。
実際「輪〆」と呼ぶことが多いのは岐阜方面、
関西の一部では「ちょろ」と呼ぶ…など名称は地域によりけり。

関西といえば、京都などに行くとよく見る注連飾りがある。
下の絵のような牛蒡(ごぼう)締めに前垂れを付けたものだ。
真ん中に付いた札には左右に大きく「門」の文字。
その真ん中には「蘇民将来之子孫」と書かれている。
旅をしている牛頭天王を一晩泊めるという善行により
蘇民将来とその子孫のみが疫病の脅威から逃れた…
という話に基づくモノであると思われる。
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京都では祇園祭で配られる(いや、買うのか?)
粽(ちまき)を玄関先に飾っている家も多い。
蘇民将来の札も牛頭天王関係だし、
この牛蒡締めの飾りも八坂神社とかで売るんだろうか。

そして上の絵の右側。
長野県上田周辺の神社でよく見かけたのが
この「おやす」である。
見かけた時は何なのか分からなかったが、
お椀締めとも呼ばれ「カミサマの食器」らしい。
門の両わき(神社の場合鳥居の両足)に飾ったり
家の中の神様がいる場所に置いたりするようで、
実際ここに炊いたお米を入れる家もあるとか。

そんなことを調べていたら
おやすの作り方動画を見つけたので、
同じく長野で作られるというしゃもじと一緒に作ってみた。
(かなりミニチュアだが…)
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あとは、本来どこの地方に多い形か分からないが
淺草の住宅街で大根締めの注連縄で作った宝船を見たことがある。
そのほか、宝珠締め・豊年締めなど名前をあげたら本当にキリがない。
高千穂に伝わる、中国の「飾り結び」のような注連飾りも印象的だ。
そんなふうに、注連飾りの形というのは地域・家により様々。

余談だが、
年末年始に↓「餅と日本人」という本を読んだ。 

 

餅と日本人―「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論

餅と日本人―「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論

 

 

 その中に「家の数だけ餅の形や風習がある」
というようなことが書かれていて
餅を送ることは送る側と送られる側の関係を表すとともに、
送る側と送られる側の家同士で 信仰や風習が交わること
というようなことが書かれていた。

上で書いたおやすに関しても、
「簡単なものではあるが作れる人がかなり減ってきた」
 という背景があって動画が作成されたらしい。

大量生産したものを全国へ発送することも簡単になり、
離れた店のものもインターネットでポチるだけで届く。
離れた地域にも新幹線や飛行機で行けるようになり、
地元ではない場所で家庭を持つ人も昔より増えたことだろう。

そんな環境の中、
今はまだ残ってはいるものの
「地域性」というものはだいぶ薄れた気がする。
勿論、上記のような風潮も時代の流れであり
民俗というものは人の生活とともに変化し続けるものである。
なので「このころから全国に同じ型の注連飾りが増え始める」
という一つの流れとして見ることもできるのだが…。

しかし、こうした風習や民芸の形というものは
その地域の伝承や産業、気候風土
そしてそれに伴う人々の願いが詰まったものだ。
それが 引き継ぐ人がいなくなって消えていくのは
淋しいような気がする。

自分で作れないまでも、
うちの地域ではこの神社でこんな形の飾りを買って…
いつも公民館で年末に打っていたお飾りはこんな意味があって…
というようなことを是非知って
人や地域と出会うたび 風習が交わる感覚を感じる人が増えたらな。
と、少し思った。

というのも、今回
自分とは違う地方に住んでいる友人・知人に
地元のお正月のことを聞いてみたワケけだが…
こと正月飾りに関しては
「何か親が飾って正月過ぎるといつの間にかなくなってた」
というような話が多かったからだ。
(雑煮に関する多少の差異などは聞くことができたけれど)

しきたりに囚われろというわけではないが、
改めてこの正月は そういうモノたちが
(昔からそれらを守ってきた御年寄だけでなく)
今まさに仕事をしたり勉強に励む世代によって
この先も永く作られたり飾られて行くといいな…。
と願った管理人であった。

そんな願いも込めて、
宮崎に残る「亀飾り」風のモノを作ってみたが…
なんか見た時は確かしっぽが稲穂だったような気がする。
部屋にあるクラフトテープ的なヤツで作ったので、
しっぽ(蓑)が超剛毛に…(;゚Д゚)
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*追記*
本文の中で当たり前のように
「牛蒡締め」とか「大根締め」と言ったきり
特に説明もなく流してしまったが…。

注連縄には太さによっていろいろ名前がある。
ので、その一部がこちら↓
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(字を間違ってしまったが)鼓胴注連が個人的には好き。
中でも印象的だったのは大学のころ青森で見たもの。
鬼の居る鳥居を見に行って出会った注連縄なので、
撫牛子とかその辺か…?
(当時は今のように記録を残していなかったので微妙)
鳥居から下がった注連縄は、
この絵のように緩やかに中心が太いのでなく
細い注連縄の真ん中だけがポッコリと
ネズミを呑んだ蛇のように太くなっていて
その上のミニチュア米俵が付けてあったのを覚えている。

注連縄は1年に一度は換えるだろうけれど、
形状は毎回同じようなものを作るはずだ。
今年とか 青森に行く機会があったら、
また鬼鳥居を巡って あの注連縄に再会できたらいいなぁ

また、注連縄は藁の束を捩じって
その捩じった束をさらに二本三本と撚って作るわけだが…
その綯い方が右か左かによっても分類できる。
人が日常的に使う縄は「右綯い」
カミサマに使う縄は「左綯い」と決まっている地域が多い。
コチラ↓が「左綯い」。
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一方、一部の地域では祀られている神様の性別によって
男神は右綯い、女神は左綯いとされる場合もあるらしい。
皆さんも、正月に地方に行く機会がありましたら是非
地域の注連飾り 楽しんでみてくだされ(=゚ω゚)ノ
(注連縄なら一年中楽しめるのでこちらもオススメ)

田立の花馬、300周年。

最近海沿いが多かったけれど、
やっと山間部だよー。元気が出てきたよー。
とゆうことで10月1日、長野県南木曽町田立に行ってきた。
(すみません、半月くらいモタモタ記事書いてました)

*花馬について*

祭り好き&馬好きな管理人には堪らない、
おうまさんの祭りである!
しかも、今回は何気なく行ってみたら
偶然にも300年記念祭とゆうスーパーラッキー!
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300年前って言ったらアレだ。
だいたい 吉宗が将軍に即位して、
大岡越前が江戸の御奉行様になった頃。
そう具体的に考えてみると なんだか圧巻ですな。

そんな花馬祭りだが、一体何のお祭りか。
簡単に言えば豊作や家内安全を願う祭りである。
そして、こちらが主役の「花馬」ちゃん。
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この鞍に付いた無数の「花」は、およそ360本ほど。
竹を割いたものに色とりどりの紙や札が付いている。
花馬はもちろん、木曽を中心に飼育された在来馬・木曽馬だ。
以前 木曽馬に乗りに行ったことがあるが、
ポニーより落ち着きがあり
サラブレッドより気候の変化に強い
小柄で愛らしい馬である(*´ω`*)

駅前での待機タイムに、
近所のデイサービスか老人ホームから
車いすに乗った御婦人方が来て花馬と記念写真撮影会。
花馬は匂いを嗅いだり 袖を口でモシャモシャしたり、
おばあちゃんたちに興味津々である。
おばあちゃんたちも「近くで座って見ると大きいわ!」
などと ちょっと緊張しながら楽しんでいる。

アニマルセラピーですなぁ。
管理人は学生のころ馬に乗っていた時期があるので、
馬=結構身近な動物だと感じているわけだが
そうでない人にとっては日常的なペットとは違う良さがあるよね。
セラピードッグとかの「かわいい」という感じに
+αで「大きい」という緊張や「初めて生で見た」という興奮とか
心にもいろいろな動きがあるはずだ!

ちなみに、日本全国には木曽馬のほか
南国の宮古馬・与那国馬、北国の道産子
元寇の際に活躍したと言われている対馬馬(対州馬
在来馬の中でも小柄な野間馬、トカラ馬
いまも自然のままの姿を見ることができる御崎馬
など現在でも出会える在来馬が存在する。

モトは小柄で温厚で日本の風土に合った馬であり、
農耕のおともとして生きてきた馬も多かった。
しかし、戦争がはじまると日本は
洋種のような「大きな馬」を作ることに力を入れ
在来種たちを増やすことに制限がかけられた。
そして 日本が直接的に参加する戦争が終わった後も
農作業は機械化の一途をたどり農耕馬は姿を消していった。
いまや、こうした在来種は
「貴重であり残していきたい種」でありながら
彼ら自身に「お仕事」が無いので
飼育費を賄っていくのはなかなか困難だ。

農耕馬や林業の現場での馬搬を復活させるか?
(馬搬は、一部やっている方はいるが非常に少ない)
観光地で観光資源の一部として乗馬・ふれあいを行うか?
管理人が考えられるのはそんなところである。
なので、そんな感じで求人(馬)倍率が低い中
日本の祭りで もっと在来馬が活躍出来たらいいのに。
小さくて温厚だからホースセラピーにも向いてるのよ!
ということだ(/・ω・)/♪
サラブレッドやアラブ馬などの洋種に関しても
「競馬のために量産されている」という現状があり、
 勝てなければすぐに競馬界から放り出されてしまう。
 そんな中で乗馬馬の祭参加は多少なりクラブの収入源
 さしてはお馬が生きていくための資金となるので
 乗馬をやっていた者としては在来種オンリー推しでは
ないのだが…。

まぁそれはさておき、花馬たちは 田立駅を出発したら
徒歩10分ほどの五宮神社までゆっくり練り歩く。
田立は中央本線の駅で神社までも近く、
祭自体も 昼の12時過ぎから14時半ごろまで。
県外の方にも優しい祭である。

行列が始まると、
五色の幟を先頭に 笛 太鼓 その後に花馬たちが続く。


田立の花馬祭り 2017.10.1


鞍につけた土台に無数に刺さっているのが「花」。

1頭目の花の真ん中には 神籬(ひもろぎ=神様の依代)、
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頭目には太陽自体やその化身を表すという菊、
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頭目が南宮神社の紋である月の幟旗を付けているという。
日月紋と書いてある説明もあるが、
日月紋って満月と太陽(つまり両方欠けの無い円)が
だったような気がする…。
この幟旗を見る限り、新月紋に見えるけどなぁ…。
まぁこれはまたあとで考えよう。
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普段はこの3頭での行列となるのだが、
今回は300年記念のためか1頭増量されていた!
花馬ちゃん×4頭での行列でラブリー増し増し!
(*'ω'*)タマラン~♪
駅から行列が出発すると神社でも準備が始まる。
五宮神社は拝殿自体が装飾や彩色の少ない木造だが、
そこに赤みを帯びた瓦が葺いてあるという少し珍しい姿。
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背広を着た男性たちが拝殿に所狭しと座り、
神職さんが巫女装束を着た子たちを伴って神事を開始。
行列が境内に到着すると、
神職さん&小さな巫女さんたちも社殿から降りて合流。
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その後ろに行列が付き従うようにして 境内を3周する。
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ちなみに、管理人はあまり見たことが無かったが
ココの太鼓は自分で前に付けて叩く「三匹獅子」方式でなく
なんと「前の子の背中につけたの↓を後ろの上級生が叩く」方式!
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そのあとにワサワサと花馬たち。
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境内に所狭しと並び五色の幟がたなびく様子や
行列の合間合間から
馬の背で揺れる花が見え隠れする様子は美しい。

何よりこの祭で「祭らしい」と思ったのは、
この境内に地区住民が集まることで
色々な「見えない紐」的なものが結ばれることだった。

介護が必要になって
自力では外に出歩けなくなったおじいちゃんが、
車いすに乗ってヘルパーさんと神社に来た。
昔の仲間と思しき 他のおじいちゃんたちと話し、
孫が行列する姿を見に来たおばあちゃんたちに囲まれ、
「なんだよもう、めっきり見なくなって。久しぶりだね」
「昔っからすぐ〇〇さんの周りには綺麗どころが集まるな!」
と話しかけられて みるみる笑顔が元気そうになっていく。
介護の仕事をしていた管理人としては嬉しい瞬間である。

お母さんともだちか、互いに母になった同級生か
「□□さんちは?何人衣装着た?」
「うちはもう全員よ。上も下も」
「じゃあその年は子供が少なかったのかなー。うちは1人」
「それがもう全員仕事して家出たんだもんねー」
娘さんは今どこで 働く女性になっているんだろうか。
花馬は、時間の紐も人の紐も結んでいく。
境内で様々な会話を耳にして、そんな風に感じた。

祭というやつは 神事や神輿・山車そのものだけでなく
見に集まっている地元の人の紐をどれだけ結ぶかが
祭の真価かな…と感じる時がある。
時間も短く規模は小さいかもしれない花馬祭りだが、
そういう意味では良い祭だなぁと1人でウルウルしていた。
管理人ももうアラサーなので涙腺がユルいわ。
(´・ω・`)

さて、ここまでは のどかでまったりとした祭なわけだが…
行列が境内を3周すると ついに「花取り」が始まる!
境内いたるところにある この張り紙。
フライングゲット禁止令。
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…これ「待て」って命令形で書いて
あとで「っ」足してないか?(笑)
命令したくなるほど激しい取り合いなのか?
と思って成り行きを見守っていると…


田立の花馬祭り2017.10.1(花取り)

花馬たちが境内中央に整列すると、
合図の太鼓が鳴るが早いか
人々が猛然と馬に付いた花をむしり取る!
まさにむしり取るという表現が相応しい気がする!

別に毛とかをむしられるわけではないが、
屈強なニンゲンたちが猛然と走り寄り
何がなんだかわからぬうちに取り囲まれて
鞍についている何かをバリバリもぎ取られる…。
馬にしてみれば恐怖でしかない。
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嵐が去った後の馬はと言えば、
当然ビビりまくりで跳ね回っている↑
よしよし。かわいそうに。
ちなみに、今回4頭目も花を付けているが
花取りには参加せず後ほど地域の方に配るのだとか。

*五宮神社について*
さて、その舞台となる五宮神社だが
名前のごとく下記の5つの神社が合祀されてできた神社である。
南宮社・八幡社・太平社・熊野白山神社神明社
このうち、神明社以外の4社では
合祀前から花馬祭りが行われていたという話だ。
なかでも1762年には大旱魃が起き、
雨乞いのためになんと12頭の花馬が行列した記録があるとか。
(毎年3頭と決まったのは合祀された1908年かららしい)

現在 神社があるは、
合祀前の5社のうち「南宮社」があった場所である。
「南宮」という名前から想像するに
岐阜県不破にある南宮大社からの勧請だろうか。
その場合、祭神は製鉄の神・金山彦の可能性が高い。

鉄は その普及まで力を振るっていた青銅器より強く、
鉄器を早期に導入した軍は向かうところ敵なしだったともいう。
(不破という地名も「戦に破れ不(ず)」から来ていると言われたりする)
鉄が普及した後も製鉄に携わる職人のみならず武将の信仰も厚く
かの有名な木曽義仲も戦勝祈願や城付近の産土神として
南宮神社を勧請したと伝わっている。
地理的にも、同様の戦勝祈願で建てられた神社だろうか?

祭神が金山彦だとすれば神紋は「巴」のハズ…
だが、幟に描かれた神紋は「月」である。
(説明には「日月(じつげつ)紋」とある)

どういうこと?日月紋は天皇家しか使えないのでは?
…と調べてみると、
「かつて後醍醐天皇の息子が足利尊氏との戦において
南宮神社に戦勝祈願をし その折に家紋を賜った」のだという。
彼の名前は宗良親王といって 和歌の世界で有名な人物。
なので管理人は柔和という勝手なイメージを持っていたが…。
信濃の宮」とも呼ばれ一時は長野を拠点に戦をしていたそうだ。

ともあれ 親王の家紋であれば日月紋というのも納得。
ちなみに、彼の墓は長野県大鹿村のモノが有名かと思うが
実はこの田立からほど近く旧・恵那郡高山にもお墓があるそうだ。

蛇足だが、
この恵那郡の「エナ」とは胎盤の古い呼び方。
このエナというのは昔は結構重視されていて、
古代日本のみならず 東南アジアなどでも
人ならざる姿ではあるが新生児の守護を担う兄弟とも
新生児の分身のようなモノとも言われ
場所や埋め方などにもかなり気を使ったという。
「胞衣壷(エナツボ)」と言って、
胎盤を入れて埋めるための壷などが作られた時期もあった。
そしてなんと…この恵那郡にある恵那山に埋まっているのは、
かの天照大神の胞衣だというのだ。
…あれ?イザナギの目から生まれたんじゃなかったっけ。
胎盤ないよな…?まぁいいか。

東禅寺さんの蚕霊様*

今回はいつにも増して脱線が酷かったが、
駅と神社の間にある東禅寺さんについて書いて終わりたい。
神社ばかりで寺院に来る機会は意外と少ないのだが
(違いが分からない人には神社仏閣好きなんだねと言われる)
今回は花馬ちゃんが超ゆっくり歩くので途中でコチラに寄った。
すると…観音堂の奥に神社系のものがあるではないか!
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おりんと線香があるところは、さすが寺院。

装飾を見ると、稲荷社のようである。
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…Σ(;゚Д゚)ハッ 
今回、一軒もお稲荷さんに挨拶しとらんやんけ!
右の狐「おいおい、全国の神社で一番多いお稲荷様だぜ?」
左の狐「むしろ、偶然出会わなくてもソッチから出向けよなー」
そんな風に言われている気分である。
屋根は、瓦でなく杮(こけら)葺き。
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「カキはこけらとも読むのかー。自慢してやろう」
と思った方はストップである。杮(こけら)と柿(かき)は
なんと違う漢字なのである。
「…何回見返しても同じなんですけど?(´・ω・`)」
というのも御尤もで、明朝体やゴシック体ではもはや違わない。
ただ、元来「こけら」は
「木へん+なべぶた+巾」の3パーツから成る漢字であり
「木へん+市」から成るカキとは異なる字なのである。
自慢したい人は「実は違う字なんだぜ」と言いましょう!
(友人と杮について話す機会がいかほどあるかは疑問だが)

そして、この稲荷社らしき社の周りには
馬の絵が描かれた四角い紙が何枚も紐で付けられている。
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ちなみにこの紙は、
五宮神社の境内社にも付いていて「丙申 初午」
と書かれているモノもあった。
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丙申ということは去年(2016年)のもの。
去年のものをつけることになっているのか、
去年のが付きっぱなしなだけなのだろうか。

しかし、稲荷・馬と来たら何となく蚕を連想しますね…
と思っていると、稲荷社らしきものの横に木の札が。

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なんと田立の養蚕家連が「蚕霊様本尊」を寄進したという。
稲荷社ではなく養蚕の神様・蚕霊(こだま)神社ということか?
しかし蚕霊様の本尊がなぜ毘沙門天なんだろうか…
毘沙門天ってネズミ連れてたよね?どっちかって蚕の敵っぽいけど…
一応「毘沙門天 養蚕」で検索検索ぅ(=゚ω゚)ノ

すると、なんと大量に引っかかったのが「宮城県」。
角田市・福應寺周辺の地域ではムカデが毘沙門天の使いとされ、
ネズミはムカデを嫌うため養蚕の守り神とされているそうだ。
その毘沙門堂には養蚕農家から奉納されたムカデ絵馬があるという。

…まぁしかし、
宮城から木曽まで文化が伝播することは不可能ではないが、
途中の地域に似た風習があるわけでもなさそうだ。
そうすれば、関連が深いとは言えない。これは宿題ですなー。

なんとなく、
このペラペラの四角いものに馬が描いてある感じ
ルンタに似てるなーと思うのは管理人だけだろうか。
チベットやネパールで見られる祈祷旗(タルチョー)のなかでも
特に馬(風の馬)が描かれたものを「ルンタ」と呼ぶ。
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まぁまさか関連があるとも思えないが
花馬の幟が五色であり
青(緑)・黄・赤・白・黒(藍)の5色が
それぞれ空・穀・太陽・水・土を表しているという話で。
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タルチョーは青・白・赤・緑・黄と決まっていて
それぞれ天・風・火・水・地を表すというのと重なって見えた
タルチョーは、はためくたびに経文を唱えたことになり
旗に描かれた風の馬には「願いが早く届く」や「教えが万里へ広がる」
といった意味が込められているらしい。
チベットを扱う映像作品には
ルンタ(風馬旗)という題が付くことも多く
チベットの精神性を語る上でも現在を論じるうえでも
何か大切な象徴的なイメージなのかなと思ったりする。

急に思い出したので唐突に宣伝するが(なんでやねん)
チベット仏教や馬が好きな方には是非見ていただきたい、
バルタバス率いる「ジンガロ」の公演「Lonta」。
仮面舞踏(チャム)なども見られたりする。

騎馬オペラ・ジンガロ / ルンタ [DVD]

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 管理人がリンクを張った時点では
「購入:2人」になっているが、このうち一人は管理人である。
ということは、あと一人しかAmazonで買った人がいないのか…。
われながらニッチ過ぎる。

最後の最後まで脱線したが、木曽の花馬祭りでしたとさ。
うかうかしているとすぐ冬になってしまいますね(*´з`)
まだ夏に行った神社や祭りでまとめ切れていない記事が…。
更新が超牛歩ですが、またお付き合いください。



鼻節神社の三角扁額。

さて、前回までは石巻を巡る旅だったが、
もう少し北東・七ヶ浜に気になる神社を発見した。
というわけでちょっと足を延ばしてみようと思う!

が、調べてみると最寄り駅と呼べる駅が無い。
駅から歩くと数時間では済まないので半ば諦めていたが、
七ヶ浜町民バス ぐるりんこ]が近くまで通っているらしい!
バスは苦手だが背に腹は代えられまい。

てゆうか町民バスって他県民も乗ってOKなの?
いくつか系統があるけどよく分かんないよ。
間違ったのに乗っちゃったら近くの停留所通らない。

そんなことを考えていたら こともあろうに、
「乗ろうとした時間は平日のみ運行」というマヌケ事案が発生。
休日ダイヤのバスまで1時間休憩という強制イベントとなった。
…色々不安はあるが、本塩釜駅前から乗車。
車掌さんが聞いている地元のラジオを聴きながら
病院や学校前、仮設住宅前などを巡り約30分。
七ヶ浜町の先端「館下」に到着。
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田んぼがあり あとは道路がどこかへつながっている。
そして開店前のようだが道の駅のようなモノが一軒ある。

道の駅(らしきもの)は
神社を見た後なら開いているだろう…
ということでまずは目的の神社へ行くことにする。
グーグルマップが無ければまず通らない、
ちょっと広めの私道のような道を通り神社に到着。
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今回の目的地・鼻節神社である。
管理人的には、あまりに海に近く先端にあって
あとは名前が気になってアンテナに引っかかった。

ただ、バスに揺られ(そして酔い)ながら調べたところ
アニメ「かんなぎ」に出てくる神社のモデルと判明。
俗にいう”聖地”というヤツである。
鳥居の前に痛車が停まっていたのも納得…。

管理人はアニメ(むしろテレビ自体を)ほぼ見ないので
どんな感じで画面に登場しているかは分からない。
しかし、一応記事を書く前に漫画「かんなぎ」全12巻を読んでみた。
残念ながらナギちゃんは、水に関係あるカミサマではなかった。
※アニメを作るにあたり具体的なロケ地を、ということで選定されたので、
 漫画のキャラ設定に鼻節神社が関わってこないのは当然の話ではあるが。

かんなぎ聖地巡礼者じゃないので、
ファンの喜びそうなアングルとか分からないからね!
適当に撮っていくからね!(電池がもう無いし!)

*鼻節神社*
先程の赤い鳥居をくぐると道が2つに分かれている。
そして、どう考えても歩きやすそうな方をえらぶと
コチラの「裏参道」となる。
立派で表参道っぽいが、これが裏なのである。
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階段がすべて苔むしているのか
最強に滑るのでご注意を(雨の後だったせいか?)
そして今年は、ココでもキノコが豊作。
タマゴタケっぽいキノコ↓などが出迎えてくれた。
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ツルツルの階段を上っていくと、
電話ボックスくらいの御堂的なモノが。
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覗いて見たら、神馬舎でしたとさ。
なかなかリアルな造りで
特に耳の反り具合とか鼻先がイイ感じ。
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その奥には、山神社・稲荷神社・天神社。
それぞれ、字山神・字三月田・字八ヶ森にあったものが
明治24年にコチラ鼻節神社に合祀されたと言われている。
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そして不動明王の剣のようなものがある…
と思いながら歩みを進め、ふと狛犬を見てみると
なぜか大量のダンゴムシ?ワラジムシ?が付いていて
虫嫌いならば あわや悲鳴をあげそうなグロ画像に。
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そして、千葉でのことを参考にすると
海に落ちていたものを誰かが拾った碇だろうか。
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かなり無造作に置かれている。
碇自体が有り難いものと言うわけでなく、
海に落ちているとワダツミさんが怒るから拾ってきた。
という意味であれば丁寧に置く意味はないということだろうか…。
拝殿は小さいながらも新しく、綺麗になっている。
神社では鈴だけのことが多いが
お寺でよく見るような鰐口も設置されていた。
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祭神はサルタヒコもとい岐(くなと)の神。
※加えて、アメノタヂカラオ または
 「鼻(=花)」の文字からコノハナサクヤヒメと言う異説も。

鎮守の森の木立のむこうには海が広がっている。
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さて、拝殿周りをザッと見たところで
管理人的メインイベント「表参道の鳥居」を見に行く。
バスから降りて陸路でここまで来たのが裏参道だが、
表参道は陸でなく海からのアプローチとなっている。
勿論海が怖いので海のほうまではいかないが、
この表参道の鳥居が見たいのだ。

結構な高台だと思っていたが、
表参道への石段を下りていくと波音が近づいてくる。
そしてとっても虫が多い。ブンブン飛んでくる。
波音と蜂の恐怖に怯えながら、
石段横に生えているキノコを心の拠り所にして下っていく。
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そして、階段を下りきると
今朝まで降っていた雨の水が小川のように流れていた。
長靴持ってくればよかったー!(;゚Д゚)
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でもそれ以前に、もう波の音が結構そこまで近づいて…
ブログ的には「表参道から見える海!」とか撮りたいが
もはや、ここから先には一歩も進める気がしない。

*表参道の鳥居について*
いいんだ。私の目的は海ではなく
この鳥居なんだ…!
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皆さんが見慣れているのは
おそらく長方形の扁額だろうと思うが、
ココの扁額は三角形なのである。
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どうして三角形なのかはわからないが、
この後に寄った吉田神社も三角扁額のある神社。
(携帯の電池が限界を迎えたので写真はここまでだが…)

一般的に 水神である弁財天の神紋が
鱗や波を表す三角形であることを考えると、
やはり「水神信仰の場であるから」三角形なんだろうか。

海無し県の出身者にとって猿田彦といえば岐(くなと)。
つまり枝分かれや辻の守り神 ひいては道・案内の神。
しかし、彼を猿田神(さたのかみ)と呼ぶ土地もあり、
その「さた」とは岬と似たような意味だという説もある。
九州最南端の佐多岬・四国最西端の佐田岬など
「さた」と付く岬が多いのもそのためだろうか…。

ともかく、だとすれば猿田彦は 陸の道に限らず
海に突き出した土地から航行をも見守る神ということになる。
水神では無くとも、水の安全に関わる神という意味で
サルタヒコを祀る神社に水と繋がりそうな三角扁額があっても
まぁ不自然ではないと言ってよさそうだ。

*鼻節という名前について*
では祭神について少し考えたところで、
次に「鼻節神社」の名前の由来は?と調べてみると、
なんと「猿田彦神の鼻は長く、節があったため」と書かれている。
長い鼻に さらに節 ってどうゆうことやねん。
異様すぎるし、地形が由来かと思っていたので予想外すぎ!

とゆうのも、「鼻」は(主に西日本で)
岬を表す言葉として使われることがあるからだ。
ちなみに、鼻節神社付近に「花渕」という地区があり、
その土地を治めていたのは花淵家という地方豪族だったそうで。
とすれば、神社名も元はハナブシでなくハナブチだったかもしれない。
「淵・渕」は水を湛えた場所、
「縁」は境界または最も外側、という意味がある。
「海に突き出た土地のフチの部分」という意味の地名であれば
「鼻縁」が一番地形や立地にふさわしい表記だろうか。
地形が先か、権力者の名前が土地と神社に付いたのか。

あとは、もはや妄想だが
ハナプ(ブ)シ はアイヌ語地名だ!というのはどうだろう。
そうすれば
「朝廷が蝦夷平定の拠点とした宮城、
 それも鹽竈神社の摂社であるハナフシ神社が
 蝦夷の人々が使っているアイヌ語の名前ではうまくない」
という理由で無理な由来をこじつけてまで
大和民族風に漢字表記されたことも納得である。

猿田彦の鼻に節」は鼻節神社だけでなく
鹽竈神社の社伝にも同じような内容が書いてあるそうで。
陸奥の国一ノ宮の社伝にケチ付けたいわけじゃないんだけど。
いつもの妄想癖ですよ(*´з`)そんなこともあるかなーって。
まぁサルタヒコ自体がもはや鼻節神と呼ばれたりもしていて
調べれば調べるほどいよいよ分からなくなってきました…。


*大根神社について*
ところで、この神社の裏番長ではないかというのが
拝殿の脇にひっそり建つ小さい祠。
我々が普段見られるのは 小さい社だけだが、
なんと ココから7kmほど沖合にある岩礁の上
つまりは海中に本当の社殿があるのだという。
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双子のように社が並んでいるが、
実際の大根神社(というか奥宮という扱いらしい)も
東宮・西宮 2つの社殿があるという。
ちなみに松島湾七ヶ浜町東松島市に囲まれているが
この東宮と西宮は別の行政区に属しているそうだ。
Wikipedia先生によると、
東松島の宮戸島沖には現在も大根島が現存。
また、鼻節神社は垂水山という山に建っているが、
東松島には垂水鼻という岬があるそうだ。
海上にあった大根神社を中心に
地名なども対を成していたということだろうか。
ちなみに御祭神は住吉神・大海神・猿田彦らしい。
ああ、もしかして三角扁額も
住吉さんやワダツミさん関係なのか?

でも、近くにある吉田神社
祭神がアメノウズメだがやはり三角扁額がある。
(アメノウズメはサルタヒコ(鼻節神)の妻神)
もはや三角=海神関係という既成概念が間違ってるのか?
ちょっと三角扁額については情報が少なすぎて
もっといろんなところを回ってみたいところ。

余談だが今も大根海神社例祭は行われ、
例祭では海中の社殿付近からアワビを獲って
最も大きなものを神饌として供えるという。
また、干潮の時には実際に
社殿の一部が見えることもあるのだとか!

例祭気になるなぁ。7月かぁ。
来るのは大変だけど是非見たいなぁ。

そんなこんなで携帯の電池が切れてしまったので
今回はこの辺で。
この後、ちゃんと道の駅に寄って
土地のモノをいろいろ買いましたとさ。

モチロンお土産だけでなく自分にも。
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「招福 ネコの手マドレーヌ」
朝から何も食べていなかったので超おいしくいただきました
(*´ω`*)

盆に、もう一度 産まれる。(牡鹿半島編)

前回の石巻市街から、バスで約1時間。
絶え間ない霧雨の中、牡鹿半島の中ほど・荻浜に到着。
半島の先端エリアにも見たい展示は多かったが、
神社にも時間を使いたいので中部エリアだけにしておく。
このアートフェスのポスターにも使われている名和晃平の作品。

結構メインの展示っぽいから混むんだろうか、
海辺だけれど何時に行くのが綺麗に見えるんだろうか、
とかいろいろ考えてみたがイマイチ海辺の風景のことは分からない。
山で湖を撮る時は、朝霧があったり あまり日が高くない時間が綺麗だ。
ということで一番先にココを目指してみた。
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この地域では震災以前から牡蠣の養殖が盛んであり、
被災後も徐々に復興して 現在は養殖が再開されている。
県道から「牡蠣剥き場」を通り抜け、灯台へ向かう径。
昨日から降り続く雨で、浜への道はぬかるんでいる。
そして、あんまり人はいない。

今回は「有名だからとりあえずコレを見よう」というわけではなく、
名和晃平の作品との出会いは2009年「VOCA展」。
チラシに写真が載っていたから目玉作品の1つだったんだろう。
ビー玉のような透明な球で覆われた 鹿だったと思う。
その時は これってどんな意味かなぁ。とボンヤリ思っていたが
それから度々名和さんの作品に出会うにつれ、
雪とか 鍾乳洞とか 雲とか そういう自然しか作れない美しさを
ポッと会場に出現させる”魔法”のような印象を受けるようになった。

その名和さんが牡鹿半島に展示した「White Deer(Oshika)」
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この日のシカさんは 霧雨の中、
多くを奪い 多くを与えてきた海をジッと見ていた。
本当に鹿の角は 生命力あふれる夏の森のようで美しい。
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そのほか、この周辺には鈴木康弘さんの「ファスナーの船」↓もある。
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浮いているだけでもカワイイのだが、
これが動くと水に広がるV字の軌跡が まるで
見えないファスナーを開いたように見えるという作品だ。

そして県道まで戻ると「はまさいさい」という食堂があるわけだが、
その脇に急な参道が続いている。
震災前(つまり管理人が大学生だったころ)来たことがあったので、
それ以降どうなっているのか気にはなって居たのだが…
結局、福島や岩手に行くことが多く今回まで来られていなかった。

注連縄を見ていただいてもわかるように風が強く、
強風×霧雨のタッグを前に 管理人の傘など何の効力も示さなくなっていた。
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この神社は「羽山姫神社」と呼ばれる。
読みがどこにも書いていないが、ここの住所が「葉山」なので
ハネヤマヒメでなくハヤマヒメなんだろう。
宮城県神社庁の神社検索では「葉山神社」として登録されている。
境内でキノコの大群(?)発見。大きさもなかなかのモノ。
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なんとなく、今年は宮城にかかわらずキノコが多い印象がある。
梅雨が明けてからの長雨のせいか?
さておき、この神社は大漁・水難除け・家内安全の神様だそうだが、
境内には案内板は無いように見える。
神社庁の登録では祭神は「羽山姫」ではなく「羽山津見」。

ハヤマツミはカグツチの死体から成った神とされている。
「成った」ってどういうこと?というと…

男神と女神から「産まれる」のでなく何かの拍子に、
例えばイザナギが黄泉の国から帰還し川で身を清めたときに
左右の目からアマテラスとツクヨミ
鼻からスサノオが発生(?)したというパターンだ。

そのイザナギは黄泉の国へ行く前、
カグツチ出産により妻が命を失ったという
怒りと悲しみから我が子・カグツチを斬り殺した。

そのカグツチの「手」から生まれたのがハヤマツミ。
同時に、山の神の代表格・オオヤマツミなども生まれている。
(この時カグツチから生まれたのは山の神ばかりである)
たくさん生まれた山の神だが、その中でハヤマツミは何の神か
というと勿論「ハヤマ」のカミということになる。
枕草子などで「山の端(やまのは)」といえば
山と空が接する場所。つまり山の輪郭のことだが、
逆にハヤマは「端山」または「麓」と表記されて
山の「麓(ふもと)」という意味となるらしい。
つまり、大勢いる山祇の中では里に近い山祇ともいえる。

想像の域を出ないが、
この荻浜のように沿岸で牡蠣の養殖をしたり
逆に津波の被害を受けたりする場所では
海を見渡すことが出来 すぐ避難場所となる「ふもと」は
「てっぺん」より大きな意味を持っているのかもしれない。
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以前 例祭は9月上旬に行われ、神輿が出ていた。
住宅地だけでなく湾内も巡行していた記憶がある。
後で調べたら 3.11当時、
祭に使う神輿もこの高台に保管されていたため無事だそうだ。
震災後に例祭を撮影した写真もネット上で何枚か発見。
地元ではないが少しホッとした。

そして、ここの狛犬も洋風というか
なんとなくガーゴイルを思わせる顔立ちをしている。
体もスラッとして、小顔である。
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そこからバスで少々移動すると荻浜小学校に着く。
やや高台にある校舎のため震災自体での被害は少なかったが、
学区内の住人が移転し児童数は一桁となってしまったため休校中だ。
移転した住人が戻るメドは立たず、
このアートフェスが終わったら閉校となる可能性もある。

この会場では、地元に根付いた作家さんの展示が多いということだ。
コチラの教室にはクジラの骨などを使った作品。
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音楽室。
母校ではないが、きっと誰もが懐かしいと感じる雰囲気。
ココには毎日朝を撮り続けた静かな藍色の写真が並ぶ。
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まだ「一日が始まった」という明るさに満ちていない
夜の寒さが横たわった朝だ。
海や、草や、石、人の作ったモノ。
いろんなものが藍色に包まれている。

そして図書室。
そういえば管理人は非常に本を読むのは好きだったが
小学校の図書室に居る時間は短く、
いつも借りては下校の道すがら歩きながら読んでいた覚えがある。
グンマーの歩道に人が少ないから成せる業かもしれない…。
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屋上に出ると、磯の香り。
タコなどが干してあり漁師さんの写真が展示されている。
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以前の荻浜小学校は、
小規模校ながら地元の産業や文化とつながりの深い
地域密着型の教育が特色だったと聞く。
この学校らしい展示なのかもしれない。
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猟師さんとは話したことがあるが、
漁師さんは直接会ったこともほとんどないなぁ。
小学生だった管理人に沖縄の浜辺で
巨大なタカラガイをくれたオジサンは漁師さんだっただろうか。
とか、なんだかいろんなことが思い出される。

そして敷地内には、近くで採集した枝でできた動物たち。
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やはり鹿なんだな。
上空(写真では校舎2階と3階の境目)には鳥もいる。
校舎内でも、いたるところに小さな鹿などがいた。

すごくリアルに作られているわけではないが、
雨の中 誰もいない中庭で対峙した鹿は
その大きさや存在感がどことなくホンモノっぽく感じた。

そのまま体育館へ行くと
パルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」が展示されている。
2012年に都心のほうで同名の個展があったが、
そこで見た時よりも現実的に感じた。
被災地で見るからだろうか。海のそばで見るからだろうか。
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作家さんにとってカテゴライズというのは失礼なのかもしれないが、
ポップな絵で シビアだけれどどこか人間を抱きしめたくなる
管理人の中では今日マチ子さん↓と似た色合いを感じる作家さんだ。

みつあみの神様

みつあみの神様

 
いちご戦争

いちご戦争

 

さておき、
「幽霊でもいいから」というタイトルには
大事な人であれば たとえどんな形でも戻ってきてほしい
と そう思うのではないかという想いが込められているそうだ。
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外にあったモノも家にあったモノも
全てがひと固まりのガレキの山になってしまった、
きっと あの光景を見たからこそ生まれた この感じ。

一方のこちらは
人の作ったものは皆無な海と山の世界に
制服姿の女子学生が描かれている。
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遠くに大きな水の壁。
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絵は全体的に水色が多く陰影がはっきりしている。
勿論水を扱った作品だからということもあるが、
2012年の個展の時にこんな説明だか記事を読んだ。
「色覚障害を持つ人にもバリアのない絵を」
どういうことかと言うと 色覚障害を持つ多くの人は
赤と緑の差が分かりづらい。
色覚異常の種類にもよるが)

普通に見えている人にとっては
いわゆる「反対色」である2色の違いが分からない
というのはどう見えているのか分かりづらいかもしれないが…
たとえば翡翠と桜貝の色を想像してほしい。
つまり彩度や明度が同じくらいの赤系統・緑系統の色が並ぶと
そこから赤と緑の色味の情報だけが抜けてしまうので、
おなじような黄味がかった灰色に見えるという。

どうもうまく想像できないな…という方には、
色覚異常の状態をシュミレート出来るスマホアプリもある。
コレでその辺の風景を見ると、
抜け落ちている色が多いので違和感を感じると思うが
このパルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」の絵を見ると
違和感が少なく見えるはずだ。

さて、話がズレてしまったが、この荻浜小学校の中に
もう1つ同作者の作品がある。
「います」という作品で、会期中も作者が仏像を彫り続けている。
ので、本人に会えるチャンスもあったようだ。
残念ながら管理人は本人には会えなかったのだが…。

この作品は 円空が作ったような素朴で小ぶりな仏像を3978体。
つまり東日本大震災における石巻の死者・行方不明者の数だけ作る。
というものである。
ネット上では「インスタ映えする」みたいな記事も多かったが、
管理人はなんとなく写真を撮れなかった。
岩手の遠野伝承館にある「オシラ堂」を思い出したからかもしれない。

岩手の民間信仰である「オシラサマ」。
馬と娘 または男女の2柱1組とされることが多く、
昔は各家に一組ずつ 遠野の多くの家に祀られたという。
それがここ最近では
「古民家や神事を維持し続けられない」という人もいて
このオシラ堂にある千体のオシラサマの中には
そうした家から引き取ってきた物もあるということだが。
霊感とか何にもない管理人と言えども
2柱で一族を守れるほどのカミサマが一堂に千体集まっている
その光景には眩暈のようなものを感じた覚えがある。

その感覚と、少し似ていた。
でもそれよりは少し暖かく、
本当はそれぞれに家があり家族がある この人たちを
家族に訊きもせず撮って良いだろうか?
という不思議な遠慮という感じだった気がする。

でも、その光景は圧巻だったので
行けなかった方は是非 ネット上にたくさん写真があると思うので
いろいろ見ていただきたいとは思う。

3978という数字で済まされず重みを感じてほしいから
本来漫画家だった作者は「立体」を作ったそうだが、
もう1つ 海の力で起きた災いを 「山の力」で取り戻せるだろうか、
という気持ちから仏像の材料には 石巻の木が使われているそうだ。

誰も来ない 雨の中。
しばらく木仏と向かい合ってボンヤリする ステキな時間だった。
余談だけど、この方は学校教諭だった時期もあるので
そういう意味でも小学校ってゆう展示スペースと親和性高い人かもな
と考えたりもした。

さらにそこから歩いて数分。
檀家のほとんどが被災し地域の家屋も津波に遭い
本堂も流されてしまったという洞仙寺さんがある。

そんな被災状況にも関わらず 寺にあった聖観音像は、
本堂が流された際にその瓦礫の上に無傷で残っていた!
というから驚きだ。
その観音様を祀る「みまもり観音堂」ができたということで、
今回はその真新しい御堂も拝んできた。
観音様の足元には 震災の犠牲者の数とほぼ同じ
約2万個の石が 写経をして納められているという。

そんな洞仙寺さんの敷地内に
管理人の好きなChim↑Pom(チン↑ポム)の作品がある。
学生のころから「何なんだコノ人たちのめちゃくちゃなエネルギー!」
と思って その動画や作品を見てきたのだけれど。
そんな彼らが 福島第一原発の事故後まもなく、
渋谷駅構内に展示されている岡本太郎「明日への希望」の
第五福竜丸の下に なんと煙を上げる第一原発を描き足した(貼った)。
日本の被爆の系譜をたどる超有名な絵と
展示場所の都合で不自然に欠けたスペースを生かした
イムリーなその反応に大興奮したのを覚えている。

そのChim↑Pomが今回「ひとかけら」と題して出展。
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突如、地下へ続いていく入口登場。
階段を下りていくと、冷凍の食品庫のような分厚いビニルカーテン。
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「手放しで安心して見られるような作品じゃないだろう」
という変な期待から チラッとカーテンを捲ってみる。
冷気!圧倒的冷気! よく見たら、カーテンの裾には霜。
入り口に防寒着があるが、とりあえず着ないで入ってみる。
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コレ↑は写真なので明度を調整できるが、
真っ暗い中で宝石ケースのようなものだけが眩く光っている状態。
このケースの中で、遺族たちの涙が 凍らせてある。
そういう作品である。

作品の見た目だけで言えば
おそらく「凍らせて」も「乾燥させて」も
あまり変わらないと言ってしまえるかもしれない。
涙は水ではないので 乾燥させても結晶が残る。

それでも敢えて
涙の展示ケースの中だけを冷やすのでなく
この寒いコンテナの中で 真っ暗な中で観るようになっている。
なにか、意味はあるのかもしれないと思った。

例えば、防護も無く長時間留まると命にかかわること。
例えば、単純に寒さと暗さに晒されること。
例えば、こんなにも大掛かりに守ろうとしないと消えてしまうこと。

見る人によって 感じ方も感想も大きく分かれそうだが
管理人はそんなことを考えた。

さぁ、皆様お忘れかもしれないが
管理人は霧雨×横風によりずぶぬれなのである。
それがヒョイと冷凍コンテナに入ったので
それはもう服が凍りそうな寒さでしたとさ…。

そしてずぶ濡れな上に冷え切ったまま バスを待つこと数十分。
やっと石巻駅行きのバスが。
寒さにボンヤリしたまま 牡鹿半島脱出。渡波駅ちかくで下車。
少し歩くと、伊去波夜和気命(いこはやわけのみこと)神社がある。
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この神社津波の被害を受けた神社であり、
地震で崩れた鳥居は今も参道脇に寄せられ
土台からは残った鳥居の足元部分だけが立っている。f:id:ko9rino4ppo:20170913211724j:image
イコハヤワケというのは単体の神様の名前でなく

・サルタヒコ
タケミカヅチ
・フツヌシ
・アマテラス
・トヨウケ(クライナタマ)

の5柱のユニット名らしい。
前回の記事でも紹介した通りタケミカヅチとフツヌシは
東北を平定したと言われるカミサマたち。
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サルタヒコは地祇(クニツカミ)でありながら
アマテラスから遣わされた天津神を案内したという特徴から、
塩土老翁シオツチノオジ)と同一視されることも多い。
シオツチノオジ(=塩竃明神)は
陸奥国一ノ宮・鹽竈神社の祭神であり宮城にとって大事な神様。
タケミカヅチ・フツヌシが東北を平定し去った後も
宮城に残り漁業や塩作りを教えた神とされている。

太陽の女神・アマテラスと穀物神・トヨウケは
それぞれ かの伊勢神宮の 内宮と外宮におわすカミサマ。

そんな感じで、天津国寄りのメンバーになっております。

境内には可愛らしい色の絵馬が奉納された絵馬堂や
結構堂々たる大きさの道祖神さんが。金精さまと言うべきか。
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境内の掲示板には津波襲来後の写真。
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鎮守の森があったために瓦礫が堰き止められて
拝殿・本殿は何とか倒壊せず。
拝殿に逃げ込んだ周辺の住人も助かったという。

そしてここの狛犬も…
全く狛犬らしくない。
なんかやっぱりガーゴイル風とでも言おうか…。
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実は狛「犬」じゃなくてこの辺の神社には
犬じゃないやつがいるとか…(それはないか)
と考えていると、なんかちょっと見慣れた感じの狛犬発見。
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…なんか口が真正面過ぎる気もするけど…

あと、この辺の祠はちゃんとカーテン(?)があって
中が見えないようになっているものが多かった。
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確かに 大きい神社の神事とかでは
御神体が見えないように白い布で覆って遷座したりするのに、
一般的な祠はオープンな感じで落ち着かなそうだ。
これなら神様たちも安心(?)だろう。
今度行くことがあったら、
どの辺までが祠に布をかける文化圏か見てきたいところ。

ちなみに、境内の奥のほうには
2013年にライオンズクラブの寄進により完成した祖霊社がある。
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なんといってもインパクトがあったのは、
この現代風というかレゲエ的色彩のイザナギイザナミ夫婦。
※個人の感想です
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なんというか、
今まで見た日本神話の神様の絵の中で
おそらく一番パワーを感じた。

このあとは渡波駅から終点・女川まで電車の旅。
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駅前にはいくつが店が並び
地元の美味しそうなものも色々売っていて、
なんと新生・女川駅には温泉ができていた。
しかしいつものことながら弾丸ツアーなので、
ここでは低血糖を起こさない程度に美味しいものをつまむ。
駅前のほんの数十mは店が並んでいるが、
その先には未だ復興を待つ土地があった。
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もうだいぶ長くなってしまったところで、
牡鹿半島からは出たことだし
ココらで一度切ろうと思う。
この日に寄った鼻節神社については次回別記事で。

今回の宮城旅行では、
仙台に転勤した大学の友人に会うこともでき
宿まで提供してくれた。
いやぁ日々ふらついている野良管理人を泊めてくれる
皆皆様に感謝ですなー。
(*´ω`*)