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とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

太地にのこる 捕鯨の足跡。

*クジラの町*
先日の記事ではとりあえず
飛鳥神社と恵比須ノ宮だけに触れたわけだが。
今回はもう少し「人-神」の形跡でなく
「人-鯨」の足跡を辿る内容を書いていこうと思う。

そんな管理人をまず迎えてくれたのは
親子のクジラ像である。
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今まで、大きなクジラ像と言えば
上野の東京科学博物館にあるやつしか見たことが無かった。
しかし、前回も書いたように管理人は海が怖いのだ。
少し坂の横を覗けばすぐ 港や 波立つ海があって、
丘にいても色々な方向から波音が聞こえてくる太地。
地面に立っていても大海の真ん中に立たされているような
空恐ろしい気分になるわけである。

海に慣れ親しんだ人は「こわがりすぎ」と笑うだろうが、
その恐怖の中でこの巨大な像と
あろうことか目が合ってしまったのである。
魚とは違う、こちらの心の中まで見えていそうな目である。

像ですらこの有様であるから、
幼少期に渡嘉敷島あたりを船で通ったとき
船からザトウクジラの尾が見えた時は何とも言えず
眩暈がするような気分だった。
(人様はお金まで払っても見たがる光景なのだが)

まぁ、もはやこうなると
すべてからクジラ圧力(?)を感じ
こんな平面に書かれた絵ですら
「トンネルに入ると周りをクジラに囲まれるのでは」
という謎の発想に至るようになる。(クジラ恐怖症か)
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*クジラを供養する*
そんな謎の恐怖症に震えていた管理人だが、
昨日の記事に書いた「てつめん餅」を食べて
少し元気を取り戻した。

そして、その亀八屋さんから少し歩くと
コチラの東明寺さん↓に到着。
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海に面した街の神社仏閣は高台にあることが多いが、
東明寺さんも道から幾分階段を上って本堂という立地。
津波が意識されているだろうという気はする。

階段を上がるとすぐ、
植込みの中に魚籃観音様らしき像があった。
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魚籃観音というのは、
魚の入ったカゴを持っているのが特徴で
魚売りの美しい娘の姿で漁村に現れた観音様だ。
日本では、千手観音や十一面観音に比べると
だいぶマイナーな観音様ではあるが…
こうした漁業の盛んな港町などでたまに見かけたり
刺青として背中に彫ってある人も見かける。

そして、こちら↓が
お目当ての「鯨供養碑」である。
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説明を読むと、
捕鯨に携わっていた浜八兵衛さんが建てたそうで
「鯨の殺生の罪が許されるよう皆で法華経を唱えた」
というようなことが書いてあるのだそうだ。

日本には色々な供養塔があるが、
このように文が書かれているとは限らない。
単に「〇〇供養」と書かれた石碑から、
人がどのような気持ちで建てたのかというのは
なかなか見えづらい。

なので「鯨の冥福を祈って」的な建前でなく
「自分たちの罪が許されるよう」という
本心に近い言葉が明記された この供養碑は貴重だ。
動物を殺さざるを得ない生業の人が感じた
「恐怖」「うしろめたさ」がよく表れた文だと思う。

*日本の供養・インドの供養*

突然だが、
管理人は「日本の信仰の特徴は?」と聞かれたら
なんとなくこの「供養」という概念が
その答えの1つではと思っている。

いつかの記事で もしかしたら書いたかもしれないが、
供養という言葉自体はサンスクリット語を意訳したものだ。
しかし、ヒンドゥー教での「供養(プージャー)」と
日本の「供養」というものは考え方が少し違うと思う。

そもそも対象からして「プージャー」は
神様や力を持った霊に向けられていることが多い。
そして、それは
神や霊に香や食物を「供え」て
その力を「養う」という意味合いが強い。

一方で日本の「供養」の対象は
亡くなった人、狩った動物、食べた魚介
使い古した道具にまで至る。
しかし神様がその対象になることは少ない。
それは、どこか大事に手を合わせ「弔う」と同時に
どこか「憐れむ」ような「償う」ような…
そしてその殺生を「許されたい」というような。
そんな気持ちが底の方に流れているからなのかもしれない。

*大背美流れ*

しかし うしろめたさ、とは書いたが
何も人が一方的に強い立場からクジラの命を奪って
自分たちは良い思いばかりをしていたというわけではない。
というのはこちらの碑の謂れからもわかる。
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こちらは「漂流人記念碑」。
記念碑というと、どうしても良いことのようだが…
コレは古式捕鯨で100人ほどの漁師が一度に犠牲になった
「背美流れ」を後世に伝えるため建てられた碑である。

日本で起きた海難事故の中でも最も大規模な部類
といわれるこの「背美流れ」は明治11年の年末のこと。
不漁続きで逼迫した状況だった太地で鯨発見が知らされた。
それは非常に大きい上に子連れのセミクジラだったという。
古くから太地では「親子の背美は夢にも見るな」と言われ、
通常であれば捕鯨の対象にすることはなかったはずだった。

しかし、もはやなんとしても鯨を獲らねば
村は年も越せないような状況だったということだろうか。
太地の鯨方は午後に漁へ出て、普段は獲らない母鯨を捕えた。
しかし、その時点で既に翌朝になっていた上に
西 つまり沖の方への風が強く、
いつにもまして大きな鯨をつないだ舟は沖へと流された。
そのうえ寒さの冴える年末のことである。

そこまでが今でいうクリスマス。12/25のこと。
船団の中には沖に米と水を届けてもらう必要があるため
一端村に戻って状況を報告したものが居たそうで、
この時点ではまだ漁が続けられる可能性があったようだ。

しかし、いよいよ26日ごろには村も大騒ぎになり始めた。
そして、沖では一度捉えた鯨を手放し
帰港を優先せざるを得ないという判断が成された。
泣く泣く鯨の綱を切り 舟同士を綱でくくって漕ぐが、
食料も尽き 体温も奪われ 体力も残り少ない状況。
一向に浜に近づくことはできず
ついには舟同士の綱も切って何艘かでも帰港を試みた。
しかし結局は風で運よく陸に打ち上げられた三艘程度が
マグロ船に助けられて生還したのみであった。

というのが「背美流れ」の大筋である。
この鯨方は全盛期1000人ほどで構成されていたとはいうが、
洋式捕鯨への転換期には構成員も多少減っていたはずだ。
そのうえ不漁で逼迫した最中100人もの働き手が亡くなる
というのは鯨方が壊滅状態になるには十分だっただろう。

しかし、それ以降も洋式捕鯨の導入などはありつつも
現在まで捕鯨の町として名を残している。

*燈明崎*
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さて、そんな漂流人記念碑を通り過ぎ
しばらく歩くと「燈明崎(とうみょうざき)」に着く。
先程の背美流れでも「鯨発見の知らせがあった」と書いたが、
古式捕鯨では高台から海を見張り、
鯨を見つけると狼煙を上げて海上の鯨方に知らせたそうだ。
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「燈明崎」の石碑の手前に
お地蔵さまと神道っぽいカミサマがいた。

「古式捕鯨支度部屋跡」↓は今はただの空き地。
高台の見張り場(山見)で働いた人たちが
休息や食事をとる場所が「支度部屋」である。
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そして、山見台の正面(?)には小さめの神様。
鳥居は大きめでしっかりしている。
地図などにはあまり社名は乗っていないが、
どうやら御崎神社というらしい。
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おおきくはないが、恵比須ノ宮と同じくらいだろうか。
放置されてボロくなっているという印象は無く、
お賽銭箱なども比較的最近新調してもらったようだ。
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位置関係としては、こんな感じ。
写真左側から歩いてきたわけだ。
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そして、これが山見台跡。
ここで夜明けくらいから海を見張り鯨を探していたわけか。
先程の案内図が無ければここが先端かと思ってしまうが、
この山見台の先に「燈明崎」の名前の所以たる燈明台がある。

その燈明台がこちら↓だ。役目としては「灯台」。
夜間に通る舟に場所を知らせるための灯りである。
現在は使用されておらず、
山見台も燈明台も資料を基に復元されたもの。
つかわれていたころは鯨油を燃料としていて、
一晩灯すのに3~4合は必要だったようだと書かれている。
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ちなみに、さきほど御崎神社の写真を見ていただくと
背景に石垣が写っているのが見える。
説明板によれば、これは燈明台を管理していた
新宮藩士の住居跡ではないかとのことだった。

海が怖いという割に、そこら辺に登るのは好きなので
この写真の後ろに写っている柵の二段目くらいに登って
海の写真を撮ってきた(/・ω・)/
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そして、いったん引き返して
もう一つの山見・梶取崎へ向かう。
燈明崎から梶取崎へは遊歩道でつながっているが、
燈明崎から引き返し遊歩道の方へ曲がる分かれ道に
コチラ金刀比羅神社↓がある。
注連縄ではなくロープっぽい綱がカワイイ(?)。
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拝殿は瓦葺き。壁や柱は簡素な感じがした。
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金毘羅(こんぴら)宮ではなく
金刀比羅(ことひら)神社という名前から、
ああ、ここにも神仏分離令の形跡が…。
と考えながら本殿を見に拝殿裏へ。
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…!?
覆殿?覆殿なの?
何この珍しい形状…。

この中の本殿がどんな感じなのか気になったが、
雨が降る中ガッツリした覆殿に囲まれて暗くて見えなかった。
この辺の神社はこんな感じなのか?と思ったが、
別に飛鳥神社はこういう感じじゃなかったよな…。

ちなみに燈明崎から梶取崎への遊歩道には、
数メートルおきにこのような↓
鯨図鑑のようなパネルが立っている。
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これは「背美流れ」の時に現れたセミクジラである。


文字が小さい上にはがれてしまっているのが残念だが
名前の由来や生態、見た目の特徴など細かく解説してあって
読んでいると なかなか楽しい。

雨の中、花も瑞々しく綺麗!
(雨女なので雨はあまり気にしていない)
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木の根元に、小さめのカニも見つけたが
写真を撮る前にどこかへ逃げてしまった…(´・ω・`)

さて、数十分歩くと梶取崎に到着。
東明寺さんのものほど古くはないが、
古式捕鯨船の上の鯨が乗ったデザインの鯨供養碑がある。
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ここには、先ほどの燈明台よりだいぶ近代的な灯台があるが
その最上部についているのは風見鶏ならぬ風見クジラ。
かわいいぞ!(*‘ω‘ *)
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この灯台の脇から、古式捕鯨に使われた「狼煙場跡」に行けるのだが…
先端へと歩いていくと、
先ほどの燈明崎よりも海に突き出ている形状なのか
両脇が波の音に囲まれているのにまだ先へと道が伸びている。
え?なに?怖いんですけど。どこまでつづいてんの?
こんな細いとこがそんな先まで伸びてて大丈夫なん?
と頑張ってはみたが…

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結局この↑狼煙場跡を写真に撮るや否や
逃げるように灯台まで走って戻った。
無理。海、無理。
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そして、もう海沿いは嫌なので
内陸を突っ切って「くじら博物館」へ向かう。

途中、抱壷庵さんという陶芸工房を見つけて
「たまにはお土産でも買ってみるか」と覗いたものの
奥の方に人の気配はあるが店には一向にだれも出てこない。
鍵が開いているので勝手にドアを開けて
しばらく商品を見てのんびりしていたが人は来ない。
選んでも店員さんがいないので買えないと悟り、退散。
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この鯨のレリーフ?も売っているようだ。かわいい。
そして、さらに歩いて博物館到着。
結論から言うと、抱壷庵の方はどうやら
博物館で絵付け体験コーナーをやっていたようだ。
それならそうと「博物館でやってます」という張り紙がほしい。
ちなみに商品は、博物館のお土産売り場で買うことができた。

展示は古式捕鯨の様子のジオラマ↓や
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ほぼ実物大と思われる、
天井から吊られた鯨と捕鯨船の模型↓など
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昔のクジラ漁の様子が具体的に分かるものが多かった。
コチラ↓は鯨銛の種類の解説。
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壁いっぱいに貼られた捕鯨船のデザイン画も
シャープで素敵である。

そして、こちら↓が実物の1/10の模型。
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コレを見ていた女性が
「え?コレのたった10倍て、小さない?小さいやろ!」
とずっと言っていたが、たしかに。
鯨というから大きな「船」で獲るかと思いきや
木の葉のような「舟」である。

一隻で引っ張ってくるのでなく、
「勢子舟で追って 網舟が張っている網に追い込む」
という方式ではあるがなんとすごいのだろう。

そんな歴史的・文化的展示がある一方で
あちらの柱には実物大のオスの性器の模型が。
そして、向かい側の柱にはメスの性器模型が。
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2階にもまた別のオスの性器の模型が飾られているが
これまた「ミサイルか」という大きさであり
地元の「珍宝館」(一般的に言う宝物館)を思い出した。
そのほか、内臓や噴気孔、そしてイルカの胎児などの
ホルマリン漬けコーナーなどもあり
充実しているがおなか一杯感もある博物館だった。

ちなみに、そう巨大な博物館ではないが
鯨オンリーに関する博物館では世界最大級らしい。

さて、今回は
和歌山に来ておきながら熊野古道には行けなかったが
次の記事では宿泊した新宮にある
熊野にまつわる社について書く予定ですー。
(*'▽')

*おまけ*
紀伊本線は、ターコイズブルー
可愛いワンマン列車でした(*´ω`*)
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恵比須ノ宮の鯨鳥居(+α 飛鳥神社)

*電車の中で一苦労(雑談です)*
そんなこんなで、
大阪で見た雪鯨橋がこれから行く太地と深い関係にあった!
とゆう事実に御縁を感じながら電車に揺られること約4時間。
遠い。遠いぞ。
しかも後ろの席の女の子はテンションが上がってしまい、
アナ雪のLet it goを熱唱している。
車内で"ありのままの"元気を振りまかないでくれ…
と思いながらイヤホンで本家の歌声を聴いていたが、
幸い 女の子は和歌山あたりで降りた。

今回はそう長い滞在ではないので、
静かになったところで回る優先順位を決めるため情報収集。
いつも準備万端なほうではないので土壇場まで何か調べている…
(;´Д`A

そして悟った。これは、1日の滞在では足りない。
そして、太地にはあまり泊まるところがないことに気づき
特急のデッキで新宮のビジネスホテルに
片っ端から電話をかけまくる。
ゴールデンウィークに当日予約。
我ながら行き当たりばったりすぎるぞ!

しかも、やっと空いていそうなホテルがあったものの
名字を聞き取ってもらえない。
「それでは、ーーー様、1名様で本日ご宿泊ですね」
どうもさっきから砺波(となみ)と言われている気がする。
そして、念のため言い直すも
「あ、泊(とまり)様ですか!」
「ん…タミル、様ですか?」
おい、だんだん日本人じゃなくなってきているぞ⁉︎
中央アジア系?
特急からかけているから電波が悪いか?
いや、私の滑舌が悪いのかもしれない。
相手のせいにしてはいけない。
相手もあまりの聞き取れなさに動揺しているんだ。
「うーん、ミヤコにマルで、トマル、です」
「港に丸ですね?」
「ええと、東京都の都、に、牛若丸の丸、です」
「うしわかまる…」
「あー、えーと、数字の九に一本足したやつです」
こちらもあまりの伝わらなさに動揺しているのか
牛若丸とか九に一本たすとか、
全然わかりやすくない例しか出てこない。
丸ノ内とか、日の丸とか、他にもっとあっただろ!

*太地に到着*
まぁ紆余曲折を経て無事本名で予約ができ一件落着。
ちなみに、砺波は富山 泊は沖縄でよくそう間違われる。
そんな事件はあったが、無事 太地に到着。
タクシーなどは見当たらない、
駅前も特にコンビニもない、
特急が止まるのが不思議なような駅である。
しかも、予報は晴れだと友人たちが言っていたのに
私の雨女の力が予報を上回り まごうことなき雨である。
仕方なくフードをかぶって出発。

駅から少し歩くと、もう海である。
そしてそのまま
まずは、午前に売り切れてしまうこともあるという
太地名物・てつめん餅を求めて亀八屋さんへ。
住宅地、と言ってもかなり趣のある
撮影に使えそうな感じの場所にある。
看板は出ているが、
商品を見えるところに並べて売っているわけではないので
ウッカリ通り過ぎるところだった。

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私の前に買っていったおじさんは地元の人っぽいが、
どこかへ手土産にするのか10個くらい買っていった。
対して私は消極的に1個。
今日1日これしか食べない予定なので、
白と緑(よもぎ?)1つづつ買っても良かった気もした。
が…持って歩く間に雨でビチョビチョになるのは目に見えていた。
1ヶ110円なり。お安い。
あんこは管理人の好きな水分少なめ、こしあん。
まわりのモチはたよりない程に柔らかい。
うまし(*´ω`*)
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食べる前は
「名物ってクジラ肉とかじゃないの?」と思っていたが、
これは名物と呼ばれてしかるべき。

*薄命美男子とサビサビの剣*
なんとなくライトノベルの題名風だな…。
(´д` ;
なんというか雨の中傘もささずに
餅をかじりながら歩くというワイルド状態ではあるが
次の目的地「飛鳥神社」に到着。f:id:ko9rino4ppo:20170506145356j:image
詳しい説明版などはないが、
熊野信仰において重要な土地である「阿須賀神社」と
名前の音だけでなく祭神も同じようだ。
(その阿須賀神社についてはまたの機会に書くとして…)
祭神・コトサカノミコトは一般的に
縁切りの神として知られている。
一体何との縁を切る神社として建ったのだろう?

いや、単に
お隣・那智勝浦でブイブイいわしてる神様を
土地の守り神様として勧請したのか?
なぜコトサカノミコトかはわからないが、
捕鯨の町の氏神様なので絵馬は鯨である。
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ちなみに管理人には
「絵馬があったら片っ端から人の願いを読む」
という悪趣味な習慣があるが、
この神社にあった絵馬は たった1つ。
なかなか切実で具体性のある願いで、個人的にはいい。
そして、自分のある性格を変えたいという願いだった。
つまり、考えようによっては現在の自分の一部との縁切りだ。
叶うといいなあ。神様ではないながらに応援してます。

さて、この神社は御神体に少し特徴がある。
まぁ端的にいえば古い剣なのだが、
海に落ちていて漁師の網にかかったものなので
塩水でひどく錆びているという。
では誰が海に剣を落としてしまったのかというと、
平維盛(たいらのこれもり)という人物である。
源平好き(?)もしくは中世好きであればご存知かもしれないが、
平清盛の孫である。

早くに父を失い立場が微妙であったことなどから
度々周囲とぶつかっては止められ、戦の成績もふるわず、
二十代にして敗走の末に亡くなったという不遇な人物である。
しかし、美人薄命とでもいうのか
容姿は光源氏の再来と言われるほど端麗で、
初めて大将となった際の鎧兜姿は なんと周囲の男どもをして
「絵にも描けぬほど美しい」とさえ言わしむる程だったそうだ。
それは相当だな。

そんな彼が最後どのように亡くなったかには諸説あるわけだが、
一説には補陀落渡海(ふだらく-とかい)したと言われている。
つまり、入水自殺である。
補陀落とは観音様が住む山の名前(ポータラカの音写)。
そこに海を越え旅立つということなのだろう。
中世、那智では比較的盛んに補陀落渡海が行われたそうだが
一般的には高僧などが行うことが多かったようだ。
維盛も、落ち延びてから出家して熊野三山へ詣でた後に
那智の海岸から沖へ漕ぎ出したといわれている。

既に出家してこれから死のうという人間が
剣を帯びていただろうかという疑問もなくはないが、
僧が行う補陀落渡海でも決して浮き上がれぬよう
体に108の石を縛り付けたりすることがあるらしいので
もてる武具をすべて身に着けていた可能性もなくはない、か?
ちょっと細かい状況はわからないが、
ともかくその際に彼が落としたといわれている剣が
この飛鳥神社の御神体とされている。
もちろん、実物を見ることはできないわけだが。

*鯨鳥居と対面*
さて、この飛鳥神社の近くに
管理人がかねてよりお目にかかりたかった
小さな御宮「恵比須ノ宮」がある。f:id:ko9rino4ppo:20170506145605j:image
お宮自体は小さなものであるが、
鯨の肋骨で作った「鯨鳥居」ゆえに知る人ぞ知る神社である。
クジラとえびすと障害者 - とまのすを書いた頃だが、
管理人は「障害者と信仰」という視点で
一時期エビス(ヒルコ)にハマっていたことがある。
そのときに先の雪鯨橋と鯨鳥居を知った。



国内に現存する鯨鳥居は2つしか無いと言われ、
1つがこの和歌山・恵比寿ノ宮。
もう1つは長崎・海童神社のものである。
昔は日本統治時代の台湾や、色丹などにも数個あったらしいが。
そちらもきっと政治的な意味でも
神社ごとなくなっていたりするのかなぁ。

現在は、まだ一部の捕鯨が許可されているため
まぁなんとか劣化しても新調可能だ。が。
今後もし捕鯨が全面禁止になるか鯨が絶滅してしまえば
鯨鳥居は作れないということになる。

風雨による浸食ならば
コーティングか何がで防げそうなものだが、
万一 戦火や震災、津波で突然失われてしまえば
まぁおそらく守りようもない。

神社が昔の姿であり続けられるのは、
人の世が平穏なだけでなく生きものも豊かであり
その恵まれた状態であっても人が神様を重んじて
その住まいを保つことを忘れない。
という案外難しい条件が揃っているときなのだ。
そういう意味でも、
今や2つしかないが今後も鯨鳥居がずっとあってほしい
と思う管理人だったとさ。

管理人のたそがれは置いといて、
この恵比須ノ宮は小さいながら歴史はそこそこ古く
あの井原西鶴の「日本永代蔵」にもその様子が記されている。
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本当に大きさで言えば
どこかの末社かと思ってしまうような小ささなのだが
井原西鶴の文章を読むと、
そのころ既に盛んに信仰されていたようだ。
もしかしたら、昔はもう少し大きかったのかもしれない。

そもそも西鶴さんがどうしてこの土地を訪れたかというと、
「横手節」という小唄を聞いたからである。
まぁ江戸ではなく大阪の人とはいえ、
今でも4時間かかるのに当時は何日かかったのだろう。
だというのに、
「面白い小唄があったからその発祥の地を訪ねてみよう」
という軽い動機で すごいバイタリティだな…。

そしてちなみに
「日本永代蔵」というのはどういう本かといえば、
町人物といわれる庶民の生活を扱ったジャンルであり
裕福なやつはどうやって裕福になったかとゆうのがテーマ。
この本の2巻目に太地の鯨獲りの名手の話が出てくるわけだが、
その名手が盛んに拝んでいたというのがこの恵比須ノ宮である。
現代語訳しか読んだことがないのだが、
そこでは「鯨恵比須」と書かれていたような気がする。
そして、当時の様子では「高さは3丈ばかりもある」と。
つまり9~10メートルくらいということか。
まぁ読み物なのでもしかしたら誇張はあるかもしれないが
今よりもずいぶん立派なものであったらしい。
また文中で名手「天狗源内」が
例年より参るのが遅くなってしまい慌てて行くが
もう自分よりほかに参る人もいないようで
神楽を奉納したいと言うも遅い時間なので適当に済まされた…
というエピソードが書かれている、
なので、日中は参る人が多く
神楽も舞われるような宮だったのだろう。

*おまけ*
恵比須ノ宮の正面に
対面するようにこの石がある。
石棒や金精様というには少し前のめりで
ねずみ男のような親しみを覚えるのだが…。
これは一体なんだったんだ。
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そんなこんなで、
この後はくじら博物館や鯨供養碑
そして古式捕鯨の形跡をめぐって歩きました。
そちらはまた次の記事で書きます~。
相変わらずまとめるのが遅い管理人ですいません。

瑞光寺さんの雪鯨橋。

今回は、和歌山・太地(たいじ)に行くのだが
高崎→(50min.)→東京→(2.5h)→新大阪→(4h)→太地
とブッ続けで電車に乗るのも辛いので、
新大阪で小休止がてら淀川区にある瑞光寺さんに来てみた。f:id:ko9rino4ppo:20170504230732j:image
瑞光寺さんは、小さいながらも歴史は古く
なんとあの聖徳太子が建てたと言われている。
本尊さんは十一面観音さんだそうな。

とまぁお寺さんの概要はそんなところだが、
普段神社に行くことが多い管理人がなぜ寺院にきたかというと…
前々から見たい見たいと思っていた
「雪鯨橋(せつげいきょう)」を見るためだ。
大阪は東京から3時間弱で着くし、
行きづらい場所ではないはずなのだがなぜか来たことがなかった。

さて、雪鯨橋とは何なのかといえば、
鯨の骨で作った橋である。
Wikipediaさんによれば、鯨の骨でできた橋というのは
日本でここにしかないらしい。

どうも、管理人は
狩猟や漁業に観点の深い神社仏閣が気になる。

というわけで、こちらが雪鯨橋。
f:id:ko9rino4ppo:20170504230302j:imageやはり骨なので風雨で劣化してしまい、
現在のものは6代目に当たるそうだ。
北海道沖で獲れたイワシクジラの下顎骨と扇骨(人間でいう肩甲骨)、
そして南極海で獲れたクロミンククジラの脊椎を使用している
と書いてある。そして、先代の欄干だった骨は…f:id:ko9rino4ppo:20170504230356j:image
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壁際に普通に並べられている!
盗まれたりしないんだな。案外治安いいな大阪!
ちなみに、山門も鯨の骨である。f:id:ko9rino4ppo:20170504230624j:image
でも、そもそもなぜ
殺生が禁じられている仏教の寺院に鯨の骨が?
とおもって調べてみると…
昔ここの偉いお坊さんが不漁つづきのの哀れな漁民に
泣き付かれて一度は断ったが根負けして祈祷をしてあげました。
とさ。さぁ!
コーヒールンバの節に乗せて歌ってみよう!
(オイコラΣ(’・д・))

まぁコーヒールンバはさておき、
だいたい発端はそんな感じ。
初めは
「仏様の教えに背くことになりますから、
 魚や鯨が獲れるようになどと祈祷はできません」
と言っていた彼も、貧しく飢えた様子の村人を放っておけず
結局は祈祷をすることとなった。
するとなんと鯨が獲れたではないか!

昔は鯨一本 七里が賑わう、鯨一疋 八郷潤すetc
(つまり一匹水揚げすれば
 7つの里(or8つの郷)が一度に食料や収入を得るほど)
と言ったそうで1匹獲れれば村人はずいぶん助かったことだろう。
さて、これを調べていて管理人は知ったのだが
この僧・潭住さんが行脚で訪れた村こそ、
これから行こうとしている和歌山県・太地だったのだ。

なんという偶然だろう!
しかも、太平洋戦争で焼失し
しばらくは架かっていなかった雪鯨橋が復活したのは
太地町の協力あってのことだという。
なんだかテンション上がって来た!

というわけで今回はさっぱり切り上げて
明日以降に備えます!

黒沢尻の火除祭。

単独行動が好きだけれど、今回は家族で岩手県・北上へ。
桜を見るために岩手⁉︎え?神社はいかないの?
もう群馬で見たからいいよ…神社行かないのかよー…
と、久々の集団行動にテンション下がった上に
ちょっと前から扁桃腺が腫れて調子が悪い。

しかし、よくよく調べてみれば今日明日(4/22-23)
北上駅近くの諏訪神社で火除祭があるというではないか。
一緒に行くが別行動という約束を取り付け、
急にテンションが上がってきた! 

*4つの山車*

到着後、泊まっているホテルの近くで
谷地鬼剣舞の公演をしているというので見に行く。

が、寒いので見終えたらソソクサと部屋に帰り 昼から入浴。
そして火除祭の山車夜間巡行まで布団をかぶって寝る!
これ絶対熱あるよ…とぼんやり思いながら英気を養う。

山車に明かりが灯っているところを見たいので、
そろそろ暗くなるかという頃を待って出発。

まだ明るさの残る17時半。
土地勘のない場所な上、急に見ることにしたので情報不足。
(ノД`)・゜・。
とりあえず、
山車が動き始める前にどこに停めてあるか把握したいと
歩き回ること数分、まず通りがかりに黒沢尻十二区を発見!
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コチラは短刀を手に 巨大な鯉に飛びかかる鬼若丸。
牛若丸ならぬ「鬼若丸」って誰なのか?というと
答えは、武蔵坊弁慶(幼名が鬼若だったと言われている)。
その幼いころの乱暴者だった弁慶が、
村人を困らせる大鯉を短刀1つで仕留めるという場面だ。

このテーマは、こうした人形山車だけでなく
どうやら刺青などのデザインとしても人気らしい。
管理人は刺青が好きだが、過去に3人くらいに
「鬼若の鯉退治」を見せてもらったことがある。

そして、諏訪神社付近の路地に黒沢尻三区・黒沢尻七区の山車を発見。
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三区は「風神雷神」。
管理人は突風の国・グンマーの民なので、特に風神様が気に入った!
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が有名だが、
やはり立体というのは迫力がスゴイなぁ。
どうやって作るんだろう。

そして、七区は「徳川家康の鷹狩」。
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この時間、山車を一旦停めて
氏子さんたちは各々の公民館などに居るらしい。
ので、とりあえず山車自体をゆっくり撮影できる。

ちなみに各地区では山車絵↓を配っているようで、
その地区や山車が通る予定の道沿いの商店などでは
山車絵をガラスに張っているところも多かった。
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山車絵は、年ごとにデザインを変える山車の
いわば「完成予想図」のような物と聞いたことがある。
山車絵の束を持っている人を見かけたが、
地元ッティ同士でかたまって話していたので
コミュ障な管理人は話しかけることができなかった。
みんな!オラにコミュ力を分けてくれ!(泣)

ちなみに、三区の「風神雷神」の山車絵の横には
「見返し 弁財天」という文字が書かれている。
この見返しとは、メインとなる正面の人形の裏のデザイン。
山車が通り過ぎた後を目で追うと見える位置に
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このように弁天様がいらっしゃるのだ。

同じように、鬼若丸の後ろには
吉野山 静」
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家康の後ろには「鶏舞」。
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風神雷神と弁財天は、風雨を司る神と水を司る神。
鬼若(弁慶)と静御前は共に義経を支えた人。
大抵の場合、見返しは
「メインの人形と関連深い人物で女性」
というイメージが(勝手に)あるのだが、
「家康の鷹狩り」の見返しはなぜ「鶏舞」なのか。
(鶏舞は民俗芸能であり南部神楽の一演目)

私の勉強不足で家康との関係が見えてこないんだろうか。
それとも単に地元の民俗芸能だからなの?
あと、管理人の見たことある鶏舞って
もっと派手な服だったけど…
こんな喪服みたいなブラック衣装もあるのか?
管理人も、まだまだ精進が必要ですな~
(*´з`)

ちなみに、見返りが女性でないのは
こちら↡黒沢尻六区の山車も同じ。
表は「六」の文字が入った纏を掲げる火消しの姿。
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見返しは北上の民俗芸能「鬼剣舞」の
一剣舞(白い面を付けた舞手)である。
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1日目は探し回ってもこの六区の山車が見つからなかったが、
2日目の午前「なんとか全ての山車を見たい!」と
六区公民館を再訪すると 公民館付近に停車していた。
ラッキー!

さて。「なんとか見たい」とゆうのも
今年は山車を4つとも見られるチャンス。
実は、毎年全ての山車が参加するわけではないのだ。
十二区・七区は毎年だが、
三区は2年出て1年休む・六区は1年出て2年休む。
という感じのリズムなのだと聞いた。
つまりこんな感じ↓だろうか。
※イメージです。ちょっと違うかもしれない。

三 区●●○●●○●●○●●○
六 区●○○●○○●○○●○○
七 区●●●●●●●●●●●●
十二区●●●●●●●●●●●●


三区が休みの時に六区が必ず出るように合わせれば
毎年安定して三台の山車が出ることになるが
今回のように4地区出揃うことがあるということは、
山車が2個しか出ない年もあるのだろうか?


*北上諏訪神社*

ともあれこれらの山車が、
祭1日目の夜・2日目の昼前後に自由巡行するほか、
こちら諏訪神社↓境内で出し物を奉納したりもする。

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長野に通い詰めておなじみとなった諏訪神社
神紋↓はやはり「梶(かじ)」だが、
本家諏訪大社の諏訪梶・明神梶と違い 根っこが無い。
丸で囲んであって、葉っぱがトゲトゲしているから
「丸に立ち鬼梶」とでもゆうのだろうか?
※家紋に詳しくないので適当ですすみません。
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北上駅から徒歩10分ほどと街中にありながら、
なかなか静かで立派な末社もたくさん並んでいた。

さて、そんな末社の中の1つであり
今日の主役(?)がコチラ↓
黒沢尻諏訪神社境内末社秋葉神社である!
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桜を見に来た観光客の中には
諏訪神社の祭りだと思っている人や
2日目の花魁道中にしか興味が無い人もいるようだが…。
小さいながら幟も立って
「今日は私のとこのお祭りです(/・ω・)/」とゆう顔をしている。
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 秋葉様と言えば火災除けの神様として有名だが、
ではどうして春に火除祭なのか。

今となっては、
乾燥したなか火気を使う冬の方が火災リスクは高そうだが
春は風が強い季節である。

今年糸魚川で起きた大規模火災でお分かりのように、
木造は一軒が燃え上がると延焼が速い。
特に建物の密度が高い場所ほど火は瞬く間に家々を渡っていく。
あれをみると、昔の火消し(消防士)とゆうのは
火を消すのでなく燃え広がらないよう
現場周辺の家を壊すのが主な仕事だったとゆうのがよくわかる。

さて、交通の要所として栄えた黒沢尻でも、
昔から多くの民家や店 芝居小屋などが立ち並んでいた。
もちろん建物は全て木造なので火事のリスクは高い。
そんなわけで秋葉神社火除祭のみならず
各地域で火除祭が催されて来たようだ。

鉄道が通り 繁栄の中心地が動き、
また近年では火除も神頼みではなくなり、
少子化も進むetc…様々な背景が重なる現在。
黒沢尻でも十数台あったとゆう山車は4台に…
(しかも、毎年は出せない地区もある)とゆう状況。

栄えた歴史や人の願いの姿を残すためにも、
なんとか観光客を巻き込んで頑張っていただきたいものです!
さて、そんなことを考えてるうちに夜が来た。
山車に灯りが点いた!
さっきは氏子の気配がなかった山車が子供であふれてきた。

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提灯をよく見れば、灯りがゆらめいている。
覗いて見れば、すべての提灯にちゃんとロウソクが使われていた。

山車側面の花の飾りでは、電飾のような小さな電球を使っているらしい。
コチラは牡丹だろうか?
山車上部には八重桜のような飾りも付き豪華である。
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そしてなんと、1日目の夜は自由巡行のためか
交通規制がない(゚д゚)!
なので、普通に路地にバスも入ってくる!
擦れ違えるのかコレ!?f:id:ko9rino4ppo:20170502124108j:image
弁天様も、灯りが付くとひときわ お美しい!
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そして、なんといっても今回地味に見たかったのが
コチラ↓
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ガスバーナー灯。
近づくと確かにバーナーらしい「ボーッ」とゆう音がする。
提灯にロウソクはまだわかるが、
これはあんまりほかの山車で見たことないかも。

動いているところもどうぞご覧ください
m(_ _)m


黒沢尻三区 山車(2017.4.22)

今回管理人は体調不良のため見られなかったが、
2日目の昼過ぎには全ての山車が神輿に先導されて行列を成す。
しかも、その後ろには花魁道中が付き随うらしい。
見たかった。
見たかったが、もはや寒気もぼんやり感も限界である。
泣く泣く、新幹線に乗り込み 次に意識が戻るともう大宮だった。
今回は不完全燃焼だなぁ。

*追記*
ちなみに一日目に鬼剣舞を見た後、
めちゃくちゃ話しかけてくるおじいちゃんがいたのだが。
この火除祭とともに行われる花魁道中について
「アレは地元の男子高生とかがやる」と話していた。

少し気になって調べてみると、
魁道中は「黒沢尻歌舞伎保存会」さんがやっているらしい。
この黒沢尻歌舞伎というのは地芝居の1つで、
明治時代、北上の芝居小屋で演じられた歌舞伎が前身だろう
と保存会さんのHPに書かれていた。
この芝居小屋は寿座と呼ばれ、
明治時代に建てられ平成9年までは残っていたそうだ。

花街でなく歌舞伎ルーツの花魁道中だから
男子が演じているということか~。
そんなところにも
地元の文化の歴史がチラ見えする火除祭となりました。
おじいちゃん、情報をありがとう~(*´ω`*)

 

 

 

 

 

海をみまもる 津守神社。

先日書いた記事の久ノ浜から海を眺めると
左の方に海に突き出したような島みたいのが見える。
近くに居たおばあちゃんに聞いたら、殿上岬というらしい。

そして、その岬を眺めていたら
重いブーツで18km歩いたがために足はロクに上がらず
舗装路すら足を引きずって歩いているというのに…
見つけてしまったんだなぁ。鳥居を!
ここに!
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さて、足を引きずりながら歩くこと数分
工事中の橋の下に低い橋がみえた。
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橋の下はもう、すぐに海だ。
ちょうど大久川が海に注ぐ河口であり
津波の時はきっと押し寄せる津波がこの川をさかのぼったのだろう。
そうして大勢の人や物をさらった海かと思うと
当日は穏やかだったが空恐ろしかった。
※管理人はグンマーで育った山の民なので、
 そもそも海というもの自体が未知の領域であり怖い。
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その橋を渡り、緩やかなアスファルトの上り坂を歩いていく。
平地でも股関節が痛いので、緩やかでも坂であればさらに痛い。
そのうえ、ダメ押しのように…
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きゅうなかいだん が あらわれた!
▶︎たたかう
▷にげる

だぁれも人がいないので、
遠慮なくうめきながら登る。
そして、拝殿に到着。

通常よりお正月らしい縄の懸り方。
そして戸口のミカンが…干からびている!
あまり頻繁にはお手入れが入っていないのかもしれない。
(´・ω・`)

福島県神社庁HPに載っていないので御祭神がわからない…

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拝殿を見て、鳥居の方を振り返ると
登って来た時には気づかなかったが海が綺麗に見えた。
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さらに拝殿の脇の草の中を登っていくと、
大きな石碑のようなものがある。
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戒道大龍女 龍道大龍王
とあってなんだか仏教チックな雰囲気が出ている。
ココでの意味は情報が少なすぎてわからないが、
秋田・善寶寺で信仰されている龍神と同名である。

どうやら調べてみると善寶寺さんの龍道大龍王とは
法華経に登場する「八大龍王」の一人沙迦羅龍王らしい。
サーガラ=大海という意味らしいので、
沙迦羅龍王(サーガラ・ナーガラージャ)は8人の中でも
特に海に関連深い龍王様なんだろうか。

ちなみに戒道大龍女は、彼の奥さんではなく
三女である善女龍王(または八歳竜女)の別名らしい。
岩手にある報恩寺の記事でも少し触れたが、
彼女は龍王の娘というよりかは
「初めて成仏した女性」として有名神。しかも八歳で。
成仏した証に男性になったというトンデモ展開のため、
絵や仏像では女性でないこともあるのだが…。

このパパと娘、東北ではちょくちょく
海産物の供養塔や 漁業関係者の海上安全祈願
農村の雨乞いを龍がかなえた伝説などに登場する。

ココの場合、立地的に海上安全祈願かなあ。
「津守」神社だし。
3.11以降、東北で「津」と見ると津波を連想してしまうが
津とは船の停泊する場所=港のコト。
津守というのも「港やその周辺を守る」という意味のはず。
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上空から見ると津守神社はこんな感じの地形で
この津守神社の建つ「殿上岬」というでっぱり(?)は、
その北が港として利用されている。

この近くは南からの波浪が強く難破も多かったそうで、
南に岬が立ちはだかり波風を防いでくれる殿上岬は
まさに久ノ浜港にとっては「津守」だったのだ。

東日本大震災でも、津波は画像右下からやってきて
南寄りから殿上岬にぶつかるようにやってきたらしい。
そのため港は海に近い割には浸水は少なかったとのこと。

しかし殿上岬にぶつかった波と南からの津波
まともに大久川に流れ込んだため、
大久川周辺(特に津波の力の加わる側であった秋義神社側)
は川に沿ってだいぶ内陸まで浸水し火災も起きたという話だ。


地形というのはなんとすごいんだろう、
としみじみしながら海の方を見る。
すると、体を張って港を守っているばかりか
沖に出た舟までも見守れそうな風景だった。
管理人の写真がショボいので感動が伝わりづらいが…
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痛みに耐えて登った誰もいない神社から
この深い紺色の海と町を眼下に眺めて、
その海岸からは供養として
日蓮宗のお坊さんたちの少し変わった節回しの読経が聞こえたり
エイサーの太鼓の音なども風に乗って聞こえる。

管理人にはこれ以上ないようなご褒美である。
この風景を自分への今年の誕生日プレゼントとしよう。

(*‘ω‘ *)ではまた次回~

津波と神社と 念仏おどり。

ちょっと3月は色々処理できずマゴマゴしているうちに
なんとブログを書かずに終わってしまった。
大反省。

ということで、
ちょっと3/11に福島へ出かけた時のことを思い出して
とりあえず1つ記事を書きたいと思いますー(´・ω・`)

管理人は誕生日が3.11なので
・自分への誕生日プレゼントに民俗芸能や神社を巡る
東日本大震災を自分の中で少しでも色褪せさせない
という目的で毎年3.11付近は東北の神社や祭りに出かけている。

今回は、いわき駅付近に泊まり
目的地の久ノ浜まで神社を巡りながら歩いた。
総歩行距離18km前後だろうか。

「東北は寒かろう」みたいな安直な発想から
今回ブーツで来わけたが、これまた
「脚に重りをつけて修行しているのか」
というような重たいブーツを履いてきてしまった。
山道でないにしろ18kmという移動距離を考えれば、
このチョイス 愚の極み以外の何物でもない。

久ノ浜に着くころには股関節が疲労しまくり
足が何センチも上がらなくなっていた(笑)

まぁ私の股関節のことはさておき東北には
「想定外」と言われた大津波にもかかわらず
波にさらわれず残った神社が多数現存している。

今回はそうした神社を巡ったので
その中のいくつかをご紹介~(*´ω`*)

*四倉諏訪神社

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まずはこちら。
いわき市四倉町西にある諏訪神社
海岸線からは700mほどではあるが、
高台に登らなければ海は全く見えない。

しかし、この写真に写っている白い鳥居は
東日本大震災の揺れで倒壊し
津波も鳥居まで到達したそうだ。
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階段を上ってみると、
手水鉢はタツノオトシゴデザイン!
なんとかわいいんだ!初めて見た!
(/・ω・)/♪

富山県・八尾の「蚕手水鉢」が管理人の中では歴代1位だが
造りが雑ではない点、このタツノオトシゴいい勝負!
(あくまで管理人のテンションupランキング)

さて、上がってみれば
見慣れた(?)諏訪梶の御神紋が。
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別に長野出身じゃないけれど、
去年御柱祭ホリックになっていたからね。
すっかりお諏訪さまは親しみのある神様になりました。
(一方的に…笑)
確かに神社自体立派な神社だけれど、
大きな階段を上がった高台にあるのでさらに立派に見える。
津波が鳥居までで止まったことを考えても やはり、
津波を想定し「拝殿・本殿が安全な高さ」に建てられたのだろう。


拝殿の脇には摂社として
船玉神社」の扁額がかかった神社が。
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群馬・埼玉辺りにある「飯玉神社」が
稲魂(または稲の神ウカノミタマ)を祀る社であるように
船玉とは「船の魂」のことだろうか。
だとしたら、舟orその守神を祀る神社なのだろうか。
漁業や海水浴場に携わる地域らしい神社である。

そこからまたしばらく歩き、道なりに進む。
海に向かっているはずなのにどんどん山に入っていくような
「あれ?道まちがった?」的な不思議な感じに。

しかし、突然視界が開けたかと思うと
その遠く先はもう広い海だった。
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波立薬師まで行くと、もう道を渡れば海である。
現在も海沿いは津波の名残で更地が広がっていて、
話を聞いたタクシー運転手さんが
「アレだいたいは除染の人が買ったらしい」
と話す真新しい建売だけがまばらに建つ。
「地元の人はもう津波のコト考えたら買いづらいよココは」
と、自分も地元民だというドライバーさん。

この運転手さんも被災した時は一時、
我らが群馬県あたりに避難していたという。
不思議な御縁である。

あんなことがあった海ではあるが、
堤防ができてしまい街からは海が見えないのは
やはり寂しいし海が見たい。と運転手さんは言う。

パチンコ屋とビジネスホテルや旅館は
除染業者さんで潤っている。
いまも、常磐線は竜田-浪江の区間は運休である。

それを聞いて この風景を見ると
震災なんてとうに忘れて電気を使いまくっている
関東の生活なんなんだろうなぁと思ってしまう管理人だった。

そういえば震災ついでに、
先ほど紹介した諏訪神社のある「四倉」は
おそらく災害地名では?と管理人は思っている。

「倉(くら)」が付く地名というのは
「抉(えぐ)る」「刳(く)る」を意味するらしい。
つまり、津波で抉られる土地。
実はココだけでなく、
福島第二原発のある「波倉」もそうだと言われている。
さらには、ところ変わって有名どころ「鎌倉」も。
内陸部では洪水で川の濁流に削られる土地に
「倉」「暮」の字が使われることもあるようだ。

勿論、数ある地名の「倉」という字が
すべて同じ意味とは限らない。
しかし、災害地名の一般的なルールに沿って
全国の地名を見てみるのも何かの役に立つかもしれない。

それで何かが起きた時に被害が防げるなら。
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愛宕神社

しばらく海沿いを道なりに道なりに。
すると、そんなに新しくなさそうな神社発見。
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手前に何もないことから、
ココも津波に遭ったことは想像に難くない。
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神社に近づくと、鳥居の手前に小さな石標。
津波到達地点」。
少し高台にはなっているモノの、
先ほどの四倉諏訪神社が海から700mほどなのに対して
コチラは海から100mちょっと。
しかし、その距離の差にも関わらず
どちらの神社も鳥居の手前辺りで浸水が止まっている。
不思議なもんだな。

古めかしい「愛宕神社」の文字も
津波の被害をまぬがれたからこそ古くさいままなのだ。
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境内からは、堤防越しに海が見えている。


*久ノ浜諏訪神社
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さらに北上すると、
久ノ浜の諏訪神社が。
拝殿の中を覗くと天狗の面が飾られている。
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単に、修験道とかかわりの深い土地でしたよー
という理由かもしれないけれど(´・ω・`)デモ…
いわき周辺の地図を見た時いくつか
「大杉神社」の文字を見たのが気になる。

今回の福島では大杉神社には行ってみなかったが、
名前からして茨城県稲敷の大杉神社から分祀したのかな?
と感じた(裏を取った方がいいとは思うが)

その大杉神社は名前の通り
大きな杉の木が御神木となっている。
その杉は昔、常総内湾の船乗りたちにとって
船が自分の位置を知る指標になったため
大杉神社は海上安全の守り神ともされたのだそうだ。
※今はレーダーやらGPSやら便利なものがたくさんあるが、
 船乗りさんたちは海上から見える山の形や大木の位置関係
 そして夜は星や月の位置から現在地や天気を測っていた。

そのころ、土地の名前から大杉神社は
安婆さまor安波さまと呼ばれていたそうで。
さらに、海だけでなく利根川による水運が発展し
その信仰は利根川流域に広がった。
全盛期には仙台・千島方面にまで拡大したというから驚きだ。

さて、これが天狗面と何の関係があるかというと
昔、常陸海尊という有名な御坊様がいましたとさ。
この海尊が大杉神社の御神徳でたくさんの奇跡を起こした!
という伝説が残っているわけだが、
その容姿は赤ら顔に高い鼻。目は碧眼だったといわれている。
今考えれば「外国人だったのかなぁ」という気がするけれど、
もう当時の日本人は「天狗様だ!大杉神社の眷属・天狗様が奇跡を!」
みたいな感じでアゲアゲになったんだろう。
そこから大杉神社=アンバさまは天狗の姿で描かれることも増えた。
また海の神様であり「安波さま」という名前も手伝って
波を安らがせるカミサマというイメージがかなり強かったらしい。

長々した話になってしまったが、
津波が多く起きる福島で 大杉神社があることはもちろん
大杉神社でない神社にも天狗面が浸透している!
というのはちょっと興味がある。
ここ以外に波立薬師や四倉周辺の神社でも天狗面を見た。

またゆっくり行ける時に
福島のアンバさま関連神社めぐりとかしたいなあ。
さっきの「愛宕神社」もモトは修験道系の神社であり
(現在はイザナミカグツチかもしれないが)
愛宕太郎坊天狗or愛宕権現を祀ることの多かった場所だ。
福島は、けっこう天狗圏なのかもしれないなぁ
(*'▽')
狛犬はなかなかユルイ顔をしていて可愛かった。

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*秋義神社*
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そしてついに、秋義神社に到着。
地図には秋義神社と表示されているが、
地元では単に稲荷神社と呼ばれている様子。
海から本当に50mほどかもしれない。
本当に周りは何もなく、すべて押し流されたのだろうと思う。

説明書きを読むと
3.11では奇跡的に回拝柱と鳥居が倒れるにとどまったこと、
昔から大火が起こり 疫病が流行り 高波の被害を受けるたびに
鬼渡神社 秋葉神社 稲荷神社と名を変えて
先人の心の拠り所になってきたことが書かれていた。
本殿も、道理でいろいろなカミサマがいそうだ。
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なにかのニュース番組で、
「東北の沿岸部にあるいくつかの神社は津波到達線上にあった」
という話が出ていた。
つまり、先ほどの四倉諏訪神社愛宕神社のように
鳥居は被害を受けたが拝殿・本殿は無事だったパターン。
テレビでは、宮城にある「浪分(なみわけ)神社」が
名前の分かりやすさからもずいぶん取り上げられたようだが、
そのほかの神社もずいぶん同じパターンがあったようだ。
また、今回紹介した中にはなかったが
神社の名前自体が津波に関するモノも東北には多い。

神社は、古くさいもので。
でもだからこそ昔からの生き残る知恵が詰まった場所だ。
先人の多くが神社の名前や立地に
かつての災害時「安全だった場所」の情報を詰め込んだ。

それを今回どれくらい活かせただろうか。
どれくらい、その情報は今に伝わっていただろうか。
別に被害にあった人が悪いというのじゃない。
日本全体が、世界全体が、きっとそうゆう状況で
その中で偶然今回は東北だった。そうゆうことなんだろう。

伝統芸能や神社が見直されてきたとしても
まだまだそれは直接の担い手以外にとって
珍しい・美しいという意味での「文化的な」とか
普通に生活が成り立ったうえで楽しむ「余暇的」な
というレベルでの「見直された」なのかもしれない。

今回福島に行った1週間後に
人前で少し神社や祭りの話をさせていただく機会があった。
福島で「津波到達線上神社」を巡りながらいろいろ考えて、
その時に「伝承」というモノに関して
・伝承というものは語らないと力を失ってしまう
・語るということは災害情報をファイリングするようなもの
 新人にファイルの存在と内容を伝えるとともに更新する作業。
・それを途絶えさせてしまうのは
 先輩が作ったファイルをなくしてしまうのと一緒。
というような話をさせてもらった。

今回の震災をきっかけに、
今度は次の地震まで生きる伝承を。
と願った。願うだけじゃ足りないよな。
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震災の時間に合わせて、黙祷が行われた。
堤防で黙祷している人は、管理人以外おそらく地元の人。
学生さんも多かったが、ただ行事としてやっているのではない
今も顔が思い浮かぶような近しい方が亡くなったのでは
と感じる表情が印象的だった。

黙祷後、地元の「じゃんがら念仏踊り」と沖縄のエイサー。
不思議なコラボに見えるが、
エイサーの方の代表さんの話では
東北のお坊さんが念仏踊りを広めながら全国を歩いたときに
琉球の貴族王族に人気を得て芸能として発展したのが
「エイサー」なんだそうだ。
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エイサー↓って、よく聞くけれどそもそも何かというと
盆の時期に踊られる「盆踊り」の一種。
本土の盆踊りと様相はかなり違うが
仏教行事である「盆」と踊り念仏ルーツの「エイサー」!
と考えるとマッチしているのかもな。
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そして、こちら↓が「じゃんがら念仏踊り」!
コレを見るために、
1時間に1本しかない電車を2本ほど逃した管理人であった。
(だって、予定表にあった時間と全然違ったんだもん…)
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じゃんがら念仏踊りは、
このいわきを中心にいくつかの地域で伝わっている。
本来は8月中ごろに新盆を迎えた家々を回る民俗芸能。
供養のほか、農業に関連して豊作や雨乞いのために踊られる
と説明されているものもあった。

鉦(金属の楽器)と太鼓を使って踊る。
じゃんがらというのは、
その2つの音「じゃん」「ぐわら」が語源だそうだ。

ちなみに長崎にもじゃんがら踊りというのがあるが
やはり鉦と太鼓を使う。
そして踊られる時期や目的も似ている。
※ラーメン屋「九州じゃんがら」さんは
 この長崎のほうのじゃんがら踊りがモトらしい…

もとはお坊さんが民衆の慰安をしつつ
識字率の悪い土地にも念仏と仏教を普及させるために
娯楽の要素を含んだ「踊り念仏」を始めたというが、

使う楽器や太鼓と体の位置、
バチの動きや輪になって踊るところ、
そして供養だけでなく農業にかかわりが深いところなどは
韓国の農楽(プンムルノリ/ 풍물놀이 )にもつながる気がしてくる。

ちなみにプンムルノリでは
金属を使った鉦が星(天)を表し
皮を張った太鼓が人(地)を表して
その2つが輪のなかで調和することが
天地の調和がとれた状態を表現している。
と、長鼓(チャング)をやっている先生に聞いたことがある。

そうか、
材質にまで意味があるのね、とそのとき思ったものだった。
まぁプンムルの思い出は置いといて。
(*‘ω‘ *)ダッセンシタゼィ

途中で切れている、
というか前半は踊っていないので
踊っているのは本当に最後の数分だが動画どうぞ。
(´・ω・`)粗茶デゴザイマス…


じゃんがら念仏踊り(2017.3.11 久ノ浜)

じゃんがらは鹿踊りや盛岡さんさ踊りのように、
身体の正面に太鼓を横向きにつけて踊る。
けれど、その位置はひざ上くらいと低め。
太鼓のバチは一般的な和太鼓のように太い木の棒でなく、
細めの木の先端に毛皮?のようなものが巻いてある。

ただ、よく見ると一番先端は木が出ていて
その端っこに毛か糸のようなものが挿してある。

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あー コレの意味とかも知りたいなー
あの巻いてあるのは毛皮なのか何なのか
先端の木が出てるところでたたいてるのか、
繊維が巻いてあるとこでたたいてるのか?

訊けばよかったー!
結構長いこと広場で待機してたじゃん
じゃんがら念仏の方たち!

ま、そんなこんなで穏やかな2017年の3.11でした。
このあと、足が疲れてバキバキの中
ちょっと遠くに鳥居が見えたもんで行ってきました!
次回はそちらの神社のことを書きますー。
(/・ω・)/♪

二度目の「君の名は。」※ネタバレ含む

映画館で二度目の「君の名は。
何度見てもいいなぁ。
…というわけで今回はネタバレを含むかもしれません。

ネタバレされたくない方はコチラ!

君の名は。 - とまのす(1回目の感想です)


※ほぼ妄想です。ガイドブックとか持ってて
 「ちげーよ!インタビューにこうだって書いてあったぞ!」
 という方は教えてください
 (´・ω・`)ガイドブックホシイ…

 

*水宮家と三葉ちゃんについて*
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ヒロインである三葉のほうが
妹の四葉よりも活躍するのは当然の話なのだが。

普通に考えたら、不思議な力を持った女の子の方が
四葉」っぽいと思わないか?
ほら、四葉のクローバーとか言うし。
奇跡と幸運の象徴みたいな。

それなのに「三葉」が一番すごい力がある女の子だって、
あやしいなぁ。しかも、三葉の読みは
「みつば」ではなく「みつは」。

そして彼女の名字は「水宮」。
「口噛み酒」の神楽を奉納した時の装束は
龍の髪飾りに、龍の鈴である↓

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龍や蛇というのは
一般的に水の神の化身とされることが多い。
そこから考えても ほぼ間違いなく、
水宮神社は水とその神様を祀る御宮である。
(たぶん…)
そもそも「水の御宮」だから水宮なのだろうし。


そうかんがえれば、
「みつは」も水の女神であるミヅハノメから取ったのでは?
と勝手に妄想せざるを得ない。

ミズハノメは、
多くの島や神の産み親であるイザナミ
火の神・カグツチを産んだことで女性器に大火傷を負い
苦しみながら死ぬ間際にその尿から生まれた女神である。
三葉の母親がすでに他界してしまったというのも、
なんとなくそれを連想させる。

死んでゆくイザナミと産まれるミヅハノメ
神という清い存在の死という穢れ。
尿という汚物から生まれた清らかな水の神。

その正と負のあわいに生まれた女神の名を持つ
「みつは」だからこそ
過去と未来、男と女、生と死という
真逆の事象の中を行ったり来たりできるのでは…

なんてのは妄想し過ぎだろうか。

*「かたわれどき」と糸守*

作中で、三葉の祖母は三葉の作った口噛み酒を
「アンタの半分」と表現する。
口噛み酒を作るということは
自分が失われても残る「自分の半身」を作る
一種の呪術を行使することなのだと言える。

不思議な「入れ替わり」の夢を見るのは
代々水宮家の女性である。
また、口噛み酒を奉納できるのも
同じく水宮家の女性だけである。

なので、入れ替わりの能力は水宮家だけのものだ
とも考えられるのだが、

「黄昏(誰そ彼)時」を意味する「かたわれどき」
は糸守全体に浸透している方言であるし、
瀧が図書館で借りた本に「糸守の伝統工芸」として
三葉たちが作っていた組紐が取り上げられている。
つまり、もとは集落皆が組紐を作ることができたのだ。

考えようによっては、
以前は糸守の皆が多かれ少なかれ持っていた能力が
約200年ほど前に起きたという「繭五郎の大火」以来
その方法も使い方も失われ
水宮家にかろうじて形だけ残ったとも考えられる。

謎なのは、この大火の規模と被害。
「水宮家に伝わる書物も皆焼けたので
 今や口噛み酒の意味は誰も分からない」
と三葉の祖母は言う。

昔の水宮家の人たちはその意味を知っていたというなら
水宮家の大人たちは火災で死んでしまったのだろうか。
書物が燃えても人が生き残れば
口頭で伝えたり再び文書に起こすことができたはずではないか。

それとも、詳細を記してある書物を代々守ってきたが
記してある内容は知らないまま大火に遭ったのだろうか。

「糸守」地区、つまり
作中で祖母の使う言葉「ムスビ」の象徴ともなる
「糸」を守る、という名の村でその糸の原料となる
「繭」の名を持つ繭五郎が大火を起こしたことには
きっと作品的に意味があるはずなのだが…。

三葉が母が死にかけたことで産まれたミヅハノメならば
繭五郎は母に大火傷を負わせたカグツチなのだろうか。
だとしたら、
繭五郎の大火が三葉の「入れ替わり」に何か一役買っているんだろうか。
それとも単に伝統(神、イザナミ)を殺しかけた男(男神カグツチ
と、その消えかけた伝統の中に生まれてきた少女(女神、ミヅハノメ
というだけの話なんだろうか?
※そもそも「三葉がミヅハノメと関係ある」という前提を
 疑わずに話を進めていることがキケンだろうか…。

この辺はガイドブックでも買った後でまた要検討ですな。

*時系列と水宮神社について憶測*

作中で、テッシーが検索した記事に
「糸守湖は1200年前の隕石落下によってできた隕石湖」
と書いてある。
つまり、糸守には1200年前にも隕石が落ちている。
そして今回隕石が落ちたのは2013年。
前回は813年ごろということだろうか。

その時代であれば、
もう世の中に神社というものは存在したはず。
だが、ここが山深い村であったことや
山頂付近であることを考えれば
この地域の祭祀は神社より古い形態を残していて

いま御神体を屋根のように守る大きな岩は
もとは天体や太陽を祀る磐座(いわくら)
=祈りをささげるため座る場所や祭壇だった
と考えることもできる。

もとは天体全般を祭祀対象としていたが、
1200年前の彗星落下の際に
岩の下に隠れた村民がその様子を
岩陰の天井に残しそれを信仰した可能性もある。

もしくは、
作中に登場はしないが
彗星を見ていないはずの時代の誰かに対し
彗星を見た水宮家の女性が「入れ替わり」を行って
彗星落下の事実を後世に伝えるために
岩に彗星を描かせた可能性もある。

※…と思うのは、
 1200年前の絵にしては色彩がはっきり残っているためだ。

蛇足だが、
この御神体がある場所は
山頂にある窪地。つまりカルデラの可能性がある。
だとすればここでも
火山(火の神、カグツチ)により
窪地・水のある土地(水の神、ミヅハノメ)が生まれる。
という構図となる。
(いや、その考えに取り憑かれているだけかな…)

さらに、813年の隕石落下から数十年か数百年経って
隕石の落下によってできた窪地が豊かな湖となり
その周辺には人が集まるようになったはずだ。
その時代に、糸守湖の水神を祀るため作られたのが
現在の水宮神社だろう。

その時代にも御神体のある山頂は信仰されていたが、
若者の脚をしても辛い道のりである。
自然と信仰の中心は山頂(奥宮的な位置づけ)から
今の水宮神社(里宮的位置づけ)に移っていっただろう。
実際日本にある神社でも、観光客に有名な神社は
どこかしらの奥宮の里宮である場合も多い。

作中で代々続く神事とド田舎にうんざりした三葉が
神社の階段を下って糸守湖に向かって叫ぶシーンがある。
これは、つまり水宮神社の参道が
まっすぐ糸守湖の方を向いているということだ。
三葉・四葉姉妹が神楽を舞った神楽殿も
湖の方を向いているように見える。
(作中で建物の位置関係が分からなかったので違うかもしれない)

これは、長野の諏訪大社諏訪湖の位置関係に似ている。
今でこそ諏訪大社から諏訪湖は(多分)見えないが、
昔は諏訪湖の水位が今より高く
もっと諏訪大社の近くギリギリくらいまでは
諏訪湖だったと言われている。

もしそうだったとしたら、
諏訪大社の境内からも水宮神社と同じように
鳥居を通して湖が見えていただろう。

前回見た時よりは
「〇年前」とか人の名前や
神社と周辺の位置関係を気にして見ていたつもりだったが、
全然、考えてもわからないことがいっぱいである。

これはもう、3回目を見に行くしかない!
(/・ω・)/ヨッシャ