とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

盆に、もう一度 産まれる。(牡鹿半島編)

前回の石巻市街から、バスで約1時間。
絶え間ない霧雨の中、牡鹿半島の中ほど・荻浜に到着。
半島の先端エリアにも見たい展示は多かったが、
神社にも時間を使いたいので中部エリアだけにしておく。
このアートフェスのポスターにも使われている名和晃平の作品。

結構メインの展示っぽいから混むんだろうか、
海辺だけれど何時に行くのが綺麗に見えるんだろうか、
とかいろいろ考えてみたがイマイチ海辺の風景のことは分からない。
山で湖を撮る時は、朝霧があったり あまり日が高くない時間が綺麗だ。
ということで一番先にココを目指してみた。
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この地域では震災以前から牡蠣の養殖が盛んであり、
被災後も徐々に復興して 現在は養殖が再開されている。
県道から「牡蠣剥き場」を通り抜け、灯台へ向かう径。
昨日から降り続く雨で、浜への道はぬかるんでいる。
そして、あんまり人はいない。

今回は「有名だからとりあえずコレを見よう」というわけではなく、
名和晃平の作品との出会いは2009年「VOCA展」。
チラシに写真が載っていたから目玉作品の1つだったんだろう。
ビー玉のような透明な球で覆われた 鹿だったと思う。
その時は これってどんな意味かなぁ。とボンヤリ思っていたが
それから度々名和さんの作品に出会うにつれ、
雪とか 鍾乳洞とか 雲とか そういう自然しか作れない美しさを
ポッと会場に出現させる”魔法”のような印象を受けるようになった。

その名和さんが牡鹿半島に展示した「White Deer(Oshika)」
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この日のシカさんは 霧雨の中、
多くを奪い 多くを与えてきた海をジッと見ていた。
本当に鹿の角は 生命力あふれる夏の森のようで美しい。
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そのほか、この周辺には鈴木康弘さんの「ファスナーの船」↓もある。
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浮いているだけでもカワイイのだが、
これが動くと水に広がるV字の軌跡が まるで
見えないファスナーを開いたように見えるという作品だ。

そして県道まで戻ると「はまさいさい」という食堂があるわけだが、
その脇に急な参道が続いている。
震災前(つまり管理人が大学生だったころ)来たことがあったので、
それ以降どうなっているのか気にはなって居たのだが…
結局、福島や岩手に行くことが多く今回まで来られていなかった。

注連縄を見ていただいてもわかるように風が強く、
強風×霧雨のタッグを前に 管理人の傘など何の効力も示さなくなっていた。
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この神社は「羽山姫神社」と呼ばれる。
読みがどこにも書いていないが、ここの住所が「葉山」なので
ハネヤマヒメでなくハヤマヒメなんだろう。
宮城県神社庁の神社検索では「葉山神社」として登録されている。
境内でキノコの大群(?)発見。大きさもなかなかのモノ。
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なんとなく、今年は宮城にかかわらずキノコが多い印象がある。
梅雨が明けてからの長雨のせいか?
さておき、この神社は大漁・水難除け・家内安全の神様だそうだが、
境内には案内板は無いように見える。
神社庁の登録では祭神は「羽山姫」ではなく「羽山津見」。

ハヤマツミはカグツチの死体から成った神とされている。
「成った」ってどういうこと?というと…

男神と女神から「産まれる」のでなく何かの拍子に、
例えばイザナギが黄泉の国から帰還し川で身を清めたときに
左右の目からアマテラスとツクヨミ
鼻からスサノオが発生(?)したというパターンだ。

そのイザナギは黄泉の国へ行く前、
カグツチ出産により妻が命を失ったという
怒りと悲しみから我が子・カグツチを斬り殺した。

そのカグツチの「手」から生まれたのがハヤマツミ。
同時に、山の神の代表格・オオヤマツミなども生まれている。
(この時カグツチから生まれたのは山の神ばかりである)
たくさん生まれた山の神だが、その中でハヤマツミは何の神か
というと勿論「ハヤマ」のカミということになる。
枕草子などで「山の端(やまのは)」といえば
山と空が接する場所。つまり山の輪郭のことだが、
逆にハヤマは「端山」または「麓」と表記されて
山の「麓(ふもと)」という意味となるらしい。
つまり、大勢いる山祇の中では里に近い山祇ともいえる。

想像の域を出ないが、
この荻浜のように沿岸で牡蠣の養殖をしたり
逆に津波の被害を受けたりする場所では
海を見渡すことが出来 すぐ避難場所となる「ふもと」は
「てっぺん」より大きな意味を持っているのかもしれない。
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以前 例祭は9月上旬に行われ、神輿が出ていた。
住宅地だけでなく湾内も巡行していた記憶がある。
後で調べたら 3.11当時、
祭に使う神輿もこの高台に保管されていたため無事だそうだ。
震災後に例祭を撮影した写真もネット上で何枚か発見。
地元ではないが少しホッとした。

そして、ここの狛犬も洋風というか
なんとなくガーゴイルを思わせる顔立ちをしている。
体もスラッとして、小顔である。
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そこからバスで少々移動すると荻浜小学校に着く。
やや高台にある校舎のため震災自体での被害は少なかったが、
学区内の住人が移転し児童数は一桁となってしまったため休校中だ。
移転した住人が戻るメドは立たず、
このアートフェスが終わったら閉校となる可能性もある。

この会場では、地元に根付いた作家さんの展示が多いということだ。
コチラの教室にはクジラの骨などを使った作品。
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音楽室。
母校ではないが、きっと誰もが懐かしいと感じる雰囲気。
ココには毎日朝を撮り続けた静かな藍色の写真が並ぶ。
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まだ「一日が始まった」という明るさに満ちていない
夜の寒さが横たわった朝だ。
海や、草や、石、人の作ったモノ。
いろんなものが藍色に包まれている。

そして図書室。
そういえば管理人は非常に本を読むのは好きだったが
小学校の図書室に居る時間は短く、
いつも借りては下校の道すがら歩きながら読んでいた覚えがある。
グンマーの歩道に人が少ないから成せる業かもしれない…。
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屋上に出ると、磯の香り。
タコなどが干してあり漁師さんの写真が展示されている。
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以前の荻浜小学校は、
小規模校ながら地元の産業や文化とつながりの深い
地域密着型の教育が特色だったと聞く。
この学校らしい展示なのかもしれない。
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猟師さんとは話したことがあるが、
漁師さんは直接会ったこともほとんどないなぁ。
小学生だった管理人に沖縄の浜辺で
巨大なタカラガイをくれたオジサンは漁師さんだっただろうか。
とか、なんだかいろんなことが思い出される。

そして敷地内には、近くで採集した枝でできた動物たち。
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やはり鹿なんだな。
上空(写真では校舎2階と3階の境目)には鳥もいる。
校舎内でも、いたるところに小さな鹿などがいた。

すごくリアルに作られているわけではないが、
雨の中 誰もいない中庭で対峙した鹿は
その大きさや存在感がどことなくホンモノっぽく感じた。

そのまま体育館へ行くと
パルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」が展示されている。
2012年に都心のほうで同名の個展があったが、
そこで見た時よりも現実的に感じた。
被災地で見るからだろうか。海のそばで見るからだろうか。
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作家さんにとってカテゴライズというのは失礼なのかもしれないが、
ポップな絵で シビアだけれどどこか人間を抱きしめたくなる
管理人の中では今日マチ子さん↓と似た色合いを感じる作家さんだ。

みつあみの神様

みつあみの神様

 
いちご戦争

いちご戦争

 

さておき、
「幽霊でもいいから」というタイトルには
大事な人であれば たとえどんな形でも戻ってきてほしい
と そう思うのではないかという想いが込められているそうだ。
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外にあったモノも家にあったモノも
全てがひと固まりのガレキの山になってしまった、
きっと あの光景を見たからこそ生まれた この感じ。

一方のこちらは
人の作ったものは皆無な海と山の世界に
制服姿の女子学生が描かれている。
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遠くに大きな水の壁。
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絵は全体的に水色が多く陰影がはっきりしている。
勿論水を扱った作品だからということもあるが、
2012年の個展の時にこんな説明だか記事を読んだ。
「色覚障害を持つ人にもバリアのない絵を」
どういうことかと言うと 色覚障害を持つ多くの人は
赤と緑の差が分かりづらい。
色覚異常の種類にもよるが)

普通に見えている人にとっては
いわゆる「反対色」である2色の違いが分からない
というのはどう見えているのか分かりづらいかもしれないが…
たとえば翡翠と桜貝の色を想像してほしい。
つまり彩度や明度が同じくらいの赤系統・緑系統の色が並ぶと
そこから赤と緑の色味の情報だけが抜けてしまうので、
おなじような黄味がかった灰色に見えるという。

どうもうまく想像できないな…という方には、
色覚異常の状態をシュミレート出来るスマホアプリもある。
コレでその辺の風景を見ると、
抜け落ちている色が多いので違和感を感じると思うが
このパルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」の絵を見ると
違和感が少なく見えるはずだ。

さて、話がズレてしまったが、この荻浜小学校の中に
もう1つ同作者の作品がある。
「います」という作品で、会期中も作者が仏像を彫り続けている。
ので、本人に会えるチャンスもあったようだ。
残念ながら管理人は本人には会えなかったのだが…。

この作品は 円空が作ったような素朴で小ぶりな仏像を3978体。
つまり東日本大震災における石巻の死者・行方不明者の数だけ作る。
というものである。
ネット上では「インスタ映えする」みたいな記事も多かったが、
管理人はなんとなく写真を撮れなかった。
岩手の遠野伝承館にある「オシラ堂」を思い出したからかもしれない。

岩手の民間信仰である「オシラサマ」。
馬と娘 または男女の2柱1組とされることが多く、
昔は各家に一組ずつ 遠野の多くの家に祀られたという。
それがここ最近では
「古民家や神事を維持し続けられない」という人もいて
このオシラ堂にある千体のオシラサマの中には
そうした家から引き取ってきた物もあるということだが。
霊感とか何にもない管理人と言えども
2柱で一族を守れるほどのカミサマが一堂に千体集まっている
その光景には眩暈のようなものを感じた覚えがある。

その感覚と、少し似ていた。
でもそれよりは少し暖かく、
本当はそれぞれに家があり家族がある この人たちを
家族に訊きもせず撮って良いだろうか?
という不思議な遠慮という感じだった気がする。

でも、その光景は圧巻だったので
行けなかった方は是非 ネット上にたくさん写真があると思うので
いろいろ見ていただきたいとは思う。

3978という数字で済まされず重みを感じてほしいから
本来漫画家だった作者は「立体」を作ったそうだが、
もう1つ 海の力で起きた災いを 「山の力」で取り戻せるだろうか、
という気持ちから仏像の材料には 石巻の木が使われているそうだ。

誰も来ない 雨の中。
しばらく木仏と向かい合ってボンヤリする ステキな時間だった。
余談だけど、この方は学校教諭だった時期もあるので
そういう意味でも小学校ってゆう展示スペースと親和性高い人かもな
と考えたりもした。

さらにそこから歩いて数分。
檀家のほとんどが被災し地域の家屋も津波に遭い
本堂も流されてしまったという洞仙寺さんがある。

そんな被災状況にも関わらず 寺にあった聖観音像は、
本堂が流された際にその瓦礫の上に無傷で残っていた!
というから驚きだ。
その観音様を祀る「みまもり観音堂」ができたということで、
今回はその真新しい御堂も拝んできた。
観音様の足元には 震災の犠牲者の数とほぼ同じ
約2万個の石が 写経をして納められているという。

そんな洞仙寺さんの敷地内に
管理人の好きなChim↑Pom(チン↑ポム)の作品がある。
学生のころから「何なんだコノ人たちのめちゃくちゃなエネルギー!」
と思って その動画や作品を見てきたのだけれど。
そんな彼らが 福島第一原発の事故後まもなく、
渋谷駅構内に展示されている岡本太郎「明日への希望」の
第五福竜丸の下に なんと煙を上げる第一原発を描き足した(貼った)。
日本の被爆の系譜をたどる超有名な絵と
展示場所の都合で不自然に欠けたスペースを生かした
イムリーなその反応に大興奮したのを覚えている。

そのChim↑Pomが今回「ひとかけら」と題して出展。
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突如、地下へ続いていく入口登場。
階段を下りていくと、冷凍の食品庫のような分厚いビニルカーテン。
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「手放しで安心して見られるような作品じゃないだろう」
という変な期待から チラッとカーテンを捲ってみる。
冷気!圧倒的冷気! よく見たら、カーテンの裾には霜。
入り口に防寒着があるが、とりあえず着ないで入ってみる。
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コレ↑は写真なので明度を調整できるが、
真っ暗い中で宝石ケースのようなものだけが眩く光っている状態。
このケースの中で、遺族たちの涙が 凍らせてある。
そういう作品である。

作品の見た目だけで言えば
おそらく「凍らせて」も「乾燥させて」も
あまり変わらないと言ってしまえるかもしれない。
涙は水ではないので 乾燥させても結晶が残る。

それでも敢えて
涙の展示ケースの中だけを冷やすのでなく
この寒いコンテナの中で 真っ暗な中で観るようになっている。
なにか、意味はあるのかもしれないと思った。

例えば、防護も無く長時間留まると命にかかわること。
例えば、単純に寒さと暗さに晒されること。
例えば、こんなにも大掛かりに守ろうとしないと消えてしまうこと。

見る人によって 感じ方も感想も大きく分かれそうだが
管理人はそんなことを考えた。

さぁ、皆様お忘れかもしれないが
管理人は霧雨×横風によりずぶぬれなのである。
それがヒョイと冷凍コンテナに入ったので
それはもう服が凍りそうな寒さでしたとさ…。

そしてずぶ濡れな上に冷え切ったまま バスを待つこと数十分。
やっと石巻駅行きのバスが。
寒さにボンヤリしたまま 牡鹿半島脱出。渡波駅ちかくで下車。
少し歩くと、伊去波夜和気命(いこはやわけのみこと)神社がある。
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この神社津波の被害を受けた神社であり、
地震で崩れた鳥居は今も参道脇に寄せられ
土台からは残った鳥居の足元部分だけが立っている。f:id:ko9rino4ppo:20170913211724j:image
イコハヤワケというのは単体の神様の名前でなく

・サルタヒコ
タケミカヅチ
・フツヌシ
・アマテラス
・トヨウケ(クライナタマ)

の5柱のユニット名らしい。
前回の記事でも紹介した通りタケミカヅチとフツヌシは
東北を平定したと言われるカミサマたち。
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サルタヒコは地祇(クニツカミ)でありながら
アマテラスから遣わされた天津神を案内したという特徴から、
塩土老翁シオツチノオジ)と同一視されることも多い。
シオツチノオジ(=塩竃明神)は
陸奥国一ノ宮・鹽竈神社の祭神であり宮城にとって大事な神様。
タケミカヅチ・フツヌシが東北を平定し去った後も
宮城に残り漁業や塩作りを教えた神とされている。

太陽の女神・アマテラスと穀物神・トヨウケは
それぞれ かの伊勢神宮の 内宮と外宮におわすカミサマ。

そんな感じで、天津国寄りのメンバーになっております。

境内には可愛らしい色の絵馬が奉納された絵馬堂や
結構堂々たる大きさの道祖神さんが。金精さまと言うべきか。
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境内の掲示板には津波襲来後の写真。
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鎮守の森があったために瓦礫が堰き止められて
拝殿・本殿は何とか倒壊せず。
拝殿に逃げ込んだ周辺の住人も助かったという。

そしてここの狛犬も…
全く狛犬らしくない。
なんかやっぱりガーゴイル風とでも言おうか…。
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実は狛「犬」じゃなくてこの辺の神社には
犬じゃないやつがいるとか…(それはないか)
と考えていると、なんかちょっと見慣れた感じの狛犬発見。
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…なんか口が真正面過ぎる気もするけど…

あと、この辺の祠はちゃんとカーテン(?)があって
中が見えないようになっているものが多かった。
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確かに 大きい神社の神事とかでは
御神体が見えないように白い布で覆って遷座したりするのに、
一般的な祠はオープンな感じで落ち着かなそうだ。
これなら神様たちも安心(?)だろう。
今度行くことがあったら、
どの辺までが祠に布をかける文化圏か見てきたいところ。

ちなみに、境内の奥のほうには
2013年にライオンズクラブの寄進により完成した祖霊社がある。
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なんといってもインパクトがあったのは、
この現代風というかレゲエ的色彩のイザナギイザナミ夫婦。
※個人の感想です
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なんというか、
今まで見た日本神話の神様の絵の中で
おそらく一番パワーを感じた。

このあとは渡波駅から終点・女川まで電車の旅。
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駅前にはいくつが店が並び
地元の美味しそうなものも色々売っていて、
なんと新生・女川駅には温泉ができていた。
しかしいつものことながら弾丸ツアーなので、
ここでは低血糖を起こさない程度に美味しいものをつまむ。
駅前のほんの数十mは店が並んでいるが、
その先には未だ復興を待つ土地があった。
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もうだいぶ長くなってしまったところで、
牡鹿半島からは出たことだし
ココらで一度切ろうと思う。
この日に寄った鼻節神社については次回別記事で。

今回の宮城旅行では、
仙台に転勤した大学の友人に会うこともでき
宿まで提供してくれた。
いやぁ日々ふらついている野良管理人を泊めてくれる
皆皆様に感謝ですなー。
(*´ω`*)

盆に、もう一度 産まれる。(石巻市街 編)

盆も、もう過ぎちゃいましたねー。
しばらく記事を書くのをサボっていたが、
神社へはちゃんと行ってたよ(=゚ω゚)ノ!
しかし、今回は神社少なめ記事。

今年の盆は石巻へ行っていたので
「何の祭に行ったの?」
と友人たちに訊かれた。

ご期待に沿えなくて申し訳ないが、
今回の目的は日本的な祭でなく芸術祭だったのだ。

「Reborn-Art Festival 2017」。

3.11の被災地でもある石巻市街と牡鹿半島
アート作品や音楽・料理などの展示・提供が行われている。
地域と運営者や作者、そして訪れた人たちで
地域が前に進む力を「生み出す」とともに、
Art(語源は「生きる術」という意味のArs)を「再生」するイベント。
(あくまでこれは管理人の理解で、正しい原文はイベントHPを読んでいただきたい)

単に芸術作品で人集めをして被災地を元気に!
というだけでなく、
生きる術という意味でのアートを再興する。
というのは なるほどフムフムと納得。

とはいえ折角石巻まで来たので
地元の神社にもいくつか行ったわけで…
なんか石巻にはこういう↓体型(?)の狛犬が多い。
犬やライオンのようにどっかり座る!というよりは、
猫のように狭い範囲にシュッと座っているような。
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そして、かたやシュッとしていない狐。
これは別に石巻全域の狐がこうというわけではなく、
市街にある「鹿島御子神社」の境内に居た狐だ。
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何みたいとも言い難いが、初めて見る雰囲気の狐である。
ポケモンのスリーパー系(?)
なんでこんなにホリが深い しかめっ面なんだ…。

さておき、この鹿島御子神社にいるカミサマについてだが、
「鹿島」といえば鹿島神宮などに祀られるタケミカヅチ
地震除けの神としても名高いが、もとは武神である。
管理人が大好きな諏訪大社におわすタケミナカタは、
このタケミカヅチとの力比べに負けたため諏訪に逃げ込んだという。

鹿島御子、ということは そのタケミカヅチのお子さん!
という意味であるが、残念ながら 父ほどのエピソードが残っていない。
天足別(アマノタリワケ)という名前だとは伝わっていて、
父のタケミカヅチやフツヌシ親子とともに東北平定を行ったという。

東北へ遠征してきた彼らの船は 現在の石巻周辺に停泊。
一説には、その碇(いかり)が海底の石を巻き上げたので
その土地に「石巻」という名が付いたとも言われている。

そのためか宮城には アマノタリワケの名を頂く神社が多く
鹿島天足別神社・鹿島天足和氣神社などがある。
(いずれも、読みは「かしま-あまたらしわけ」・祭神はタケミカヅチ
また、福島・南相馬市にも 同名の「鹿島御子神社」がある。

東北を平定した後、タケミカヅチたちは地元に帰ったが
アマノタリワケはこの地にとどまり治安を守ったともいう。

その位置や伝承の内容から、これらの神社群は
大和民族の東北平定・開拓の拠点となった場所か?
と考えることもできなくはない。
現に、石巻から電車で数十分で「多賀城駅」だが、
歴史の授業で出てきた通り多賀柵は「対蝦夷」の軍事拠点。
その近くの塩竃神社周辺は「塩竃丘陵」と呼ばれる地形であり、
かつては勢力の境界だったと伝わっている。

宮城県伊達政宗推しのため 多賀柵は観光資源としてイマイチだが…
今やアラサーとなった管理人もかつては
胆沢城と多賀城の位置がどうしても覚えらえない中学生であった。
ので、厄介なコイツ(多賀城)のことはよく覚えている。

まぁ話がズレた上にいつも通り神社の話ばかりしているが、
宮城がかつてそうした土地であったということを踏まえると
神社におわす神様がどのような立場で鎮座しているのか分かりやすい。

ちなみに、鹿島御子神社拝殿のすぐ隣には道真公が祭られていて
その社は「日和山天満宮」という。
銚子の長九郎稲荷の記事にも「日和山」という地名が登場したが、
沿岸の港町にはよく同じ名前の山がある。
漁師さんたちが天候を予測するため海や空の様子を見た場所だろう。
この神社があるのも日和山という山であり、
このように↓河口や海の様子がよく見える。
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ちなみに御覧のとおり日和は最悪である。
すいませんねぇ皆さん、連休なのに 雨女が来たせいでねぇ…。

しかし、そんな雨のなか参道にはヒマワリが咲いている。
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管理人は、花のつぼみ
とくに、柔らかく優しげなのではなく
こうやって中身を守ろうとするアーマーのようなのが好きだ。
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実は、このヒマワリを植える活動を引っ張っているのは
フラワーアクティビスト・志穂美悦子さん。
若い人は知らないかもしれないがアクション女優であり
あの長渕剛の妻でもある!

もちろん、彼女だけが中心となって植えたのではなく、
地元の方や 被災した鹿島御子神社の再建を望む方など
いろんな人の協力の賜物だ。

今回の芸術祭とは直接関係はないようだが、
ヒマワリで被災地を元気づけようとゆう考えのもと
海が見える参道の石段に1000粒の種が蒔かれたそうだ。

なんとなくだが「海が見える参道」と考えたときに、
私たち「コチラ側」から海がみえて その場所にヒマワリ。
というだけでなく海の彼方に行ってしまった人たちの
「アチラ側」からも ちゃんと見える場所かもしれないと感じた。
もちろん、体が海の奥へ行ってしまった人たちも
もう気持ちは家族の近くに戻っている!と考える人も多いと思う。
だから、これは管理人がふと「海からでも見えるね」と思った。
というだけの話だ。

市街地側から神社までは店があり住宅があり
そこには「暮らし」を感じるのだけれど。
その石段を下りて鬱蒼とした樹の中を抜けていくと、
その先は本当に何とも言えなかった。
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春に行った福島では神社参道に
津波到達地点」という石碑が多かったように思うが、
こう「襲来の地」と書かれると痛みが増す感じがする。

そして 芸術祭に行ったにもかかわらず、
ここに作品があるとは全然知らなかったのだが…
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増田セバスチャンさんのNew Generation Plant #2。
透明なキノコのような植物の中身は
この人の作品らしい極彩色だ。

もっといい表現があるのかもしれないが、
管理人の目にはいささかビビッドすぎる。
初めて他の作品を東京で見たとき
きゃりーぱみゅぱみゅかよ!圧が強いよ!」
と思ったら、きゃりーの美術演出自体 この人だったという…。

しかし、重要なのはその色使いだけではなかった。
というのを知ったのはCINRA.NETに掲載されたインタビュー記事。

https://www.cinra.net/interview/201704-masudasebastian

このキノコの中身は彼と共同で制作した美大生たちが集めたものであり、
この集めるということによって
美術畑にいた美大生たちは社会の中のアートの位置を知り
作品には若者のエネルギーが詰まっていったという。
是非興味がある方は読んでみてほしい。

このキノコ的なもののすぐそばには
震災後に作られた可愛らしいお地蔵さまがあるが、
周りは建物がほぼ無い。更地にただただ草が生えている。

信号機は一方が赤、もう一方が黄色の点滅。
車両はトラックがほとんどだった気がする。
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ただただ、日本製紙石巻工場へ続いていくまっすぐな砂利道。
こんな店も無い道を身長150cmの管理人が歩いていると
車両の誘導をしている警備員さん的な人が 
「子供が迷ったか?なんだろう?」
というような顔で見ていた(ような気がする)。

ここを少し進んで海側へ曲がると間もなく
草だらけになった土地に小さな稲荷神社がある。
「善海田(ぜんかいだ)稲荷」という少し変わった名前だ。
実は震災後、ココのご神体は 先ほどの鹿島御子神社に移された。
津波で 社殿が基礎部分のみを残して押し流されたからだ。

製紙工場を背景に、
ティム・バートンの絵本のような独特な木が印象的だ。

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一度は土台だけになり、周りは瓦礫だらけだったそうだが
小さな石の祠にはキレイに御札が納められ 狐の姿も見える。
大事にしてもらっているようだ。
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神社としては1000年以上の歴史があったらしく、
古くは「川口與志宇美明神」と呼ばれていたそうだ。
なので元は「ゼンカイ」でなく「よしうみ」だったことがわかる。
また、川口というのは(まぁ地名かもしれないが)
近海でなく河口での漁を見守っていた明神様ということかもしれない。

以前の例祭の様子などを写真で見ると
ずいぶんにぎやかな様子だったのが窺える。
こうやって伝統は少しずつ形を変えていくんだろうか。
形は変わってもいいから10年、20年経ったときに
「平成の震災以前は例祭が賑やかに行われていた」
という文字だけの姿になってしまわないよう
鹿島御子神社の祭としてでも何とか続いてくれたらと思う。

そして、コチラの善海田稲荷の本拠地(祠)も
善海明神の歴史と震災の碑として、
(社殿がこの場所に再び建つことは無くとも)
ずっと地域の人に大事にして行ってもらえたらいいな。
しかし 今は「ココに住んでいて被災した人たち」に守られているが、
月日が経って「ココで育った人」が居なくなったら?
それとも、その頃にはまたここにも人が住むだろうか?

そういえばメディアや書籍で、
「震災後に幽霊の目撃談が多数報告されている」
という内容をよく見かけるが
この地区は津波の被害が大きく度々その記事の舞台となる。

色々な本や記事を読んでみるが、
その体験談の1つ1つが「恐がらせようとしている」のでなく
見えないのに確かに「かつて そばに居た人を感じる」話だからこそ、
それはただの怪談でなく 人と人の物語になり
災害や死というモノの受け止めかたの形を教えてくれる。

今まで読んだ中で一番印象的だったのは
「死者が生きている者をケアする」という一文。

災害に遭ったり身近な人を亡くした人が
どのように考え、苦しんだり乗り越えていくかというのは
どちらかと言うと民俗学より心理学の範疇かもしれない。
が、この話が個人の体験から語りになり集まることで
この類の話は今後 民俗みを帯びていくような気がする。

あまり専門書寄りにならず、
町の書店さんでも置いてありそうなのはこのへんか。

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 
魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

 

「霊性の震災学」は、「学」と付いているだけあって
客観的・分析的な空気を少し感じる。
「魂でもいいから、そばにいて」は
電車で読むと多分泣くので一人で部屋で読もう。
(´・ω・`)←電車で読んで鼻垂らしてた張本人 


畑中先生が「蚕」の出版記念イベントで言った
「タクシーに幽霊じゃなく河童が乗ったら精神的復興のしるし」
というような言葉をふと思い出した。

大切な人を失った人たちが その見えない姿を語り、
その語りが降り積もって いつかその集合体が
ある人と その大切な人の話から 災害と 人と 奪われた人と
というボンヤリした輪郭で描かれるようになったとき。
それが、幽霊が妖怪に姿を変える時なのかもしれない。

そんなことを考えながら、また人里に戻ってきた。
先程の善海田稲荷さんが守っていたであろう「川口」。
旧北上川の河口である。
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河口の中州に作られた「中瀬公園」。
宇宙船のような独特な形の建物は石ノ森萬画館
何をかくそう宮城は、漫画家・石ノ森章太郎の故郷である。
彼の出身は登米市石森町であるが石巻は第二の故郷とも言われ、
石巻駅や市街のいたるところに
サイボーグ009仮面ライダーの像や装飾がある。

ここも震災、というか津波でだいぶ被害を受けたが
震災の翌年末には営業を再開したと聞いている。
残念ながら、管理人は石ノ森章太郎の漫画を読んだことが無い。
ので、あまりグッと来なかったわけだが
道行くオジサンたちが少年のように写真を撮りまくるのを見て
ああ、さすが巨匠なのだなぁと勝手にしみじみしていた。

さて、この中瀬には作品を見に来たわけだが
レーザーによる作品なので暗くなってからでないと見られない。
なので、先に腹ごしらえとする。
朝から何も食べておらず管理人の血糖値はもはや低血糖寸前である。
毎度被災地周辺に来たら
なるべく全国チェーンでなく地元のモノを買おうと思っている。
でももうフラフラなのであまり歩きたくない。
ので、すぐそこにある「いしのまき元気いちば」へ。

2階には何やら温かい食べ物もあるようだが、
疲れているのでそんなに食べられる気がしない。
というわけで、1階の販売コーナーでかりんとうとブッセを購入。
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普段あまり好んで洋菓子は食べないが、
ずんだなら食べてみてもいいかもしれない…。
ということで、店の外にあるベンチで大きなリュックを下ろし
ずんだブッセを食べましたとさ。やわらかい味で うまし。
空腹で大してパッケージを見ずに買ってしまったが、
かりんとう酒粕味だった。これも優しい味。
酒粕味ってあんま粕漬けとかのイメージしかないけど、
甘酒的な感じで甘いお菓子にも合うのね。

そんなこんなで、
出入り口すぐのベンチで遠慮なくモグモグし
あまつさえ居眠りなどしていたら暗くなってきた。
ので、もう一度 中津へ。
中津の先の方に展示があるため、
海が苦手な管理人にとっては結構な恐怖である。
小さな中津は先に行くほど両わきから水の音がする。
川なのに、もう すぐそこが海のせいで
流れるのでなく打ち寄せる音がする。

もともと自由の女神があった所より さらに先。
(…と言っても地元の人しか分からないか)
近づくとだんだん見えてくる光。
カールステン・ニコライ「石巻のためのstring(糸)」。
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ただまっすぐ上へ伸びる光線。
私は、震災で親しい人をだれも亡くさなかった。
だから、そういう人たちがこれを見てどう感じるか分からない。
ただ、いくら心の中で「空の上に居る」と考えても
届かない誰かの存在を描き切れないこともあると思う。

そんな時、雲のむこうと 自分の建つ地面が
一本の糸で繋がっているのが本当に見えたら。
思い描くのと何か違う 確かなつながりを感じるかもしれない。

震災と津波で、本当にたくさんの
モノや人が目の前から消えてしまった。
そのあとで、見えないものの存在や力を感じる一方
見えるもの 触れられるもののチカラってすごかったと思う。
…そんなことを少し考えた。

もう1つ印象的だったのが雨。
管理人は雨女なので、もちろん着いた時から降り続いていた。
昼間は何とも思わなかったが、
この光の糸が地上から雲の上に向いているのを見て
ああ、それとは反対に、空から地面に雨が降っている。と思った。

この糸が 地面に残った人たちが空へ向ける気持ちなら、
この雨は 遠くへ行った人たちが地上へ向ける気持ちだろう。
いや、むしろ 盆だから
想いとか気持ちとかじゃなくて 本人たち”そのもの”かもしれない。
そんな気持ちになった。
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私も神式葬儀経験者ではないので正確な所までは分からないが、
神道の弔い」というのは仏教とずいぶん違う。
日本の仏教では、
死後・葬式後も亡くなった方は「個人」として三途の川を渡り
裁判(?)や刑を受けたり、阿弥陀様のもとで説法を聞いたりする。
そして葬儀や法事というのは、
地獄での刑が軽くなり早く浄土に行けるようエールを送ること。
(というイメージを勝手に持っている。)
エールと言うと語弊かもしれないが、
①いいところに行くには 故人の生前の善行が足りない
②お経をあげたりして徳や行を補充してあげる
③合格ラインまで押し上げてあげよう!というイメージか。

一方、神道の葬儀はというと
それは、故人が「人」だったころにくっついた汚れを落とす
いわば「ピーリング作業」ではないか?と管理人は認識している。
そしてツルツルの綺麗な状態になったら、
すでに他界したご先祖様のカタマリみたいなものの一部になる。
そのカタマリが、カミサマ的に この世の生活をサポートしている…
というようなイメージを持っている。
「ご先祖様のカタマリってなんやねん!」
と言いたい方もいそうなので その場合は、
カミサマの国に行くのに相応しくなるよう
けがれを落とす「お風呂」が葬儀であるとでも言おうか。

ここでいう神様というのはあくまでも
仰々しく国家や勢力を感じる(アマテラス的な)神様でなく、
ご先祖様たちが みんなでその家系の末裔を見守るというような
素朴な 国家レベルでの記録には残らないくらいのカミサマである。

何が言いたかったか分からなくなってきたが、
盆というモノを仏式に考えれば
「家の門で迎え火を焚いて先祖をお迎え」
というよくある盆の風景になる。
でも(盆自体仏教行事だが)神式に考えたら、
「ご先祖様のカタマリが 地域に帰ってくる」
という状態になるんだろうか。
この雨みたいに、どんどん空から降ってきて
田んぼや 建物や 人に沁みこんでいくんだろうか。

そんな風に考えれば、
盆に1日中 雨に降られるのも悪くないと思った。
次回は、やはり雨の中 牡鹿半島に行ってきた記録の予定です。
(=゚ω゚)ノ!

ダイブで祓う 出来島あばれ神輿。

今回おじゃましたのは、
熊谷市出来島地区の「出来島あばれ神輿」。

去年のこの時期は
地元・前橋市の大胡で「あばれ獅子」を見た気がするが、
何かと暴れたい時期ですかね。 \暑いぞコノ野郎!/ 的な?

…にしても、熊谷の祭りと聞いて
「熊谷って駅大きいよね?都会だよね?駅から近いかな!?」
と期待したのだが、管理人がバカだった。熊谷と言えども広いのだ。
今回の目的地・出来島地区は
埼玉側の熊谷駅からも 群馬県側の細谷駅からも徒歩約2時間!

ということで2時間歩く覚悟を決めて、
駅近くの冠稲荷神社に寄りたいので細谷駅から行くことに。
歩いていると何やら看板が。
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出ました。全国放送で(たぶん)一番群馬が出る番組。
太田やきそばは知ってるけど、モツ煮も有名だったのね…。
群馬県みんなのに知らなかったわ。

そしておよそキツネとは思えない
ハムスター風の狐が描いてある冠稲荷神社を過ぎ…
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またしばらく歩くとお寺がまさに新築中。
ほうほう。こーなってんのかぁ。
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そしてやっと利根川周辺にたどり着いたが、
ここからが妙に長く感じる。
なにせ 向こう岸に見えているのは出来島地区なのに、
橋が架かっているのが遥か彼方なので橋まで超歩く!
蒸し暑いよぅ。朝は小雨だったから油断したよぅ。

川のあちらとこちらで行政区は違えども、
一昔前までは船による往来が盛んであり
文化的な交流や商売での行き来も多かったと聞く。
うん。そうだよね。舟つかうの、正解だよ。
橋まで歩くなんてやってられないよ!
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↑何だろう この塔…。(朦朧)

そして、やっと橋を渡る管理人。
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今年の梅雨は雨が少なく、水量が減っていると聞く。
が、表面は穏やかながらも底ではズンズンと海へ向かっている。
上毛かるたでも「坂東一の川」と称される利根川である。
見ていると少しだけ元気が出てくるような気がする。

この川のまわりで 昔の人たちは
アンバさまに商船や渡し舟・漁船の安全を願い、
摩多利神に病が流行らぬよう願ってきたわけか…。
と 1人でしみじみ。

「ついていけねぇ!」「何の呪文を唱えてるんだこいつは!」

という方はサラッとスルーしてやってください(笑)
もしアンバさまについて興味を持って戴いたら、
福島県の海岸沿いの神社を訪れた記事の後半
久ノ浜諏訪神社の項でも少しだけアンバさまに触れています。

摩多利神さんが気になった方は
群馬県前橋市関根町の金剛寺さんの記事もどうぞー。
(過去記事の押し売り(´・ω・`))


そして、橋の上から 草むらの中で休むネコ発見!
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きっと猫は今も誰にも見られていないつもりだし
草が長いから この角度から見ている自分以外に
この猫を発見した人は一人もいないはずだ。
と思うと不思議な気分になってくる。
誰にも行き先を伝えずに遠くへ行った時の気分と似ている。

いま世界中の誰もどこにいるか知らない者の位置を
自分だけが知っているという不思議な感じ。

そんなことをして少しぶっ飛びながら歩いていると、
川沿いに神社らしいものを発見!
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堤防の横の細い敷地にちょっと窮屈そうに神社が!
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拝殿らしい拝殿は無く、
金属の骨組みと合板の屋根に守られた本殿のようなものが。
扁額には八幡宮と書いてあるのが見えた。
地図で調べても載っていないので神社庁への登録が無いか
神主さんの居ない神社なのかもしれないが彫刻はなかなか見事。
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そして、覆殿(と言っていいのか この骨組みを)の横を通り
本殿裏の方へ行ってみるともう一つ小さい社があった。
真ん中の御札には「三峯」の文字が見える。
そして両脇の札には「御眷属拝借」云々と書かれている。
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三峯といえば秩父の三峯山。
三峯神社といえばオオカミ狛犬であることからも、
狼信仰圏であり「御眷属様」といえばオオカミである。

オオカミ信仰(大口真神・御眷属様)は
武甲山・三峯山など秩父の山々のほか、
御岳山など奥多摩エリアもシマとしている。

さらには山岳での信仰にとどまらず、
畑を荒らす害獣を食べる→農民に人気!
繭をかじるネズミも食べる→養蚕農家も助かる!
とゆうかんじで農村にも「御眷属様」は広まった。
そんなわけで関東の農村(特に養蚕が盛んだった地域)では
ふと 御眷属様の札を見かけることは多い。
このあたりの村でも、講を組んで三峯山に行ったんだろうか。

さぁ、しかし今日は狼信仰の話でなく
八坂神社のあばれ神輿である。
しかし、出来島地区の地図(go〇gle map)を拡大して
ようよう確認しては見るものの八坂神社という神社は無い。
神輿の巡行経路もタイムテーブルも何もわからないが
とりあえず主催の神社に行けば何とかなると思ったのに!

でも、管理人はどこへいっても
まずお稲荷さんに挨拶することにしている。
ので、とりあえず「伊奈利神社」という神社に向かってみた。

すると…

伊奈利神社が八坂神社になっているではないか!
鳥居の上の小さな扁額には「伊奈利」の文字が見えるが、
それよりはるかに大きな文字で「 八 坂 神 社 」と書かれている!
しかも、網戸のような謎のシースルー素材(笑)
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境内には地域のジジババが集まって
こぢんまりながら活気と懐かしさがあってイイ感じである。
祝日的な旗や、ガンガンに回っている扇風機もイイ。
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さて、今あばれ神輿は地区内を練り歩き
家々の入り口で暴れているところだろうとは思う。
が、管理人は少し疲れた。(暑すぎた…)
しばし、この境内で休憩だ。

そして、夕方4時ごろに神輿が渡御するということで
4時ちょっと前に川べりに移動してみる。
超高そうな一眼レフを持っているおじいちゃんたちに
「去年はここから入ったよ」
と聞いたので、とりあえずこちらで待機。
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後で調べると、この土手には昔、
参道と旧社殿があったとのことだった。
伊奈利神社が昔はもっと川の近くにあったのか。
それとも、昔はココに八坂神社があったが
伊奈利神社に合祀されているのか?もう少し調べてみよう。

そして、待機すること数分。
関係者らしきおじさんたちが現れ、
「今年は水位が低いからもっとあっちから入るんだ」
と教えてくれた。ので、カメラおじいちゃんたちと移動。
上流から現れた舟のおじいちゃんも加わり、
水の深さを見たり 川底の大きな石や流木をどける作業が始まった。
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だいたい、大人がまっすぐ立って腕を真横に広げて
水面が腕の高さになるくらいの場所を選んで飛び込むらしい。
そして、同じ深さでも場所によって流れの速さが違うので
なるべく流れの無い場所を選んでいるようだ。

おじいちゃんたち、かっこよすぎです!
全てがサマになっている!
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そして、地区を練り歩いていた神輿が登場!
鳥居を持ったおじいちゃんに続き土手に降りてくる。
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もっとこっちだ!まっすぐ入れろや!もっと前来い!
等々オラオラしながら神輿は川へ入ってゆく。
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そして、ついに飛び込むのか?
とおもいきや、いったん神輿を完全に川底に沈めて
おじさんたちは一升瓶で日本酒の回し飲みを始める!
「誰かライター無ぇかー!」といいながら、タバコも吸い始める!
ちょいワル祭りかっΣ(;゚Д゚)
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そしてみんなでウェイウェイしながら
フタの開いた一升瓶を川に落とすハプニングもありつつの、
その次の人からは川の水混じりの日本酒を飲むという…。
なんだか笑顔になってしまう雰囲気である。

見ていた地元のおじいさんの話では
昔のあばれ神輿は地区の練り歩きももっと激しく、
お賽銭をケチる家では門を壊す勢いで暴れたらしい(笑)
ちなみに 何もそれは出来島に限った話ではなく、
「暴れ〇〇」と名の付く門付けや神事・祭りでは
大体そんなノリだったらしい。暴れ獅子もそうだったのか?

そんなことを考えているうちに、
川の中では酔った男たちが神輿を取り囲み始めた。
「神輿を手荒く扱うほど神様が喜ぶ」
と言って橋桁にぶつけたりする祭は見たことがあるが、
なんと川の中に神輿を縦に立てる!
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そして、がっちりしたオジサンが神輿の上にしゃがむと
その肩に法被姿のオニーサンが乗り…
オジサンがぐわっと立ち上がってオニーサンを持ち上げる!
…この地区の男性は日頃から、
2本の棒にバランスよく立つ練習をしているんだろうか。
そして! ついに!
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飛んだ!
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このあと、周りにいるオジサン&オニーサンも
順次飛び込んでいく。
かっこよく飛び込める人もいるが
中には棒の上でバランスをとるのがやっとで
半ば落ちるように飛び込んでいる人もいたり(笑)
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それを見て、土手で見ている人↓も
「がんばれー」「今の何だ!」「いけー」
と運動会でも見ているかのように盛り上がっている。
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まぁ、そんな様子を動画でどうぞ。


出来島あばれ神輿


なぜ飛び込むようになったかまでは分からないが、
この「神輿を川に入れる」というのは
対岸の集落との文化的交流から来ているらしい。

そもそも、昔 このあたりで「祇園祭」といえば
世良田(善財の群馬県太田市)の祇園祭だったのだそうで。
出来島周辺の人々も川を渡って祇園祭を見に行ったとか。

そして次第に周辺でも世良田の影響を受けた祭りが拡がり、
いつしか出来島地区では 世良田八坂神社の神輿を新調すると
その「お古」を貰って祭に担ぐようになったのだそうだ。
その受け渡しの際、世良田の神輿を川に流し 出来島で引き上げた。
そこから出来島の「神輿を水に沈める動作」が出来上がったのだ!
というが…飛び込む動作は一体どこからなんだ。
現在使用されている神輿は、
昭和9年に地元の職人さんが作ったモノらしい。
簡素なので飛び込むという行為にばかり目が行ってしまいがちだが、
なかなか歴史のある神輿なのである。

そうして対岸から多大な影響を受けて生まれた
「出来島あばれ神輿」。
謎も多いが、川に飛び込むことで禊(みそぎ)のように
災厄を洗い清め流し去るという意味がある、らしい。

ちなみに、この出来島地区の少し内陸には
「男沼小学校」などの名称が見られることから分かるように、
むかし(中世の頃)は このあたりを男沼と呼んだそうだ。

そして刀水橋~さっきの八幡神社あたりは「女沼(めぬま)」。
(現在は「妻沼」という表記になっている)
この妻沼地域には熊谷が誇る
もう一つの「あばれ神輿」が残っているのだそうで。
ソチラのあばれ神輿は「立てて飛び込む」のでなく、
川に担ぎ込まれた神輿の上で複数の男性が
四方から よじ登って力比べをするのだそうだ。

その神輿はぶつける用ではないので見た目も少し豪華で、
また作られた時代も少し古いとか(明治初めごろらしい)。
葛和田大杉神社の例祭でみられるとのことなので、
今度はぜひそちらも見たい!
熊谷市指定無形民俗文化財になっているらしい)

ちなみにスッカリ失念していたが、利根川の群馬側は太田。
そして小泉駅という名前に惑わされて認識できていなかったが
少し歩くと大泉だった。グンマーのブラジリアンタウン(?)である。
見るつもりはなかったのだが奇しくも「大泉まつり」が行われ、
思いもよらぬタイミングでグンマーのブラジルを体験した管理人。

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町の中では当たり前のように
ワガママボディ―の女性たちが踊っている!
そして普通に路地でDJ的なオニーサンが
大音量で曲を流して道はディスコ状態に。
道が混んでいたせいで管理人は電車を一本逃し
結果的に40分くらい次発を待つ羽目となったのであった…。

なんかこう見るとブラジルのコスチュームって
ペルー寄りな所もあるのね…
外国の文化についてはほんとに全然ヒヨコ並みだわ…。

そんな喧騒から逃れて、再び上毛電鉄
時期によっては祭列車になっているが、今時期は風鈴列車らしい。
風鈴と女子高生、いいねぇ。
体力に余裕があれば、もっとブラジルを楽しみたかったが
おとなしく風鈴に囲まれて女子高生を眺めながら帰りますー。
もう歩き過ぎと蒸し暑さで限界~(´・ω・`)
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京都で ちょびっと祇園祭。

ちょびっと、というのも
最近管理人はお恥ずかしながら夏バテになり
日中ちょっと無理すると夜間ひっくり返っている…
というような情けない状態なのである。

というわけで、今回は京都で行われている祇園祭
宵山だけを少しかじる程度。

祇園祭といえば毎年碁盤目状の洛中を巡行する
豪華絢爛な鉾が注目の的である。
が、曳きまわすだけが祇園祭ではない。
祇園祭というのは実に1ヶ月も続く祭なのである。

まず8月になると1日から「吉符入り」が始まる。
町により日程は異なるが一般的には各町内で
打ち合わせをしたり 鉾に御神体をお祀りしたり
八坂神社の清祓いを受けるのが吉符入りだそうだ。
「吉符(キップ)」というのは、
その年の御稚児さんと禿さんの名前を書いた紙のことで、
コレを神前に納めることから吉符入りと言うのだとか。
ちなみに「清祓い」は簡単に言えば「お祓い」。
神事に先立ってお祓いを受けるのである。
※ただし、役行者(えんのぎょうじゃ)山だけは
 清祓いでなく護摩焚きを行うらしい。
 祀っている役行者修験道の開祖であるためだろうか。

そして2日には「鬮(くじ)取式」が行われ、
市長さん立ち合いのもと巡行の順番が決まるのだそうだ。
これは神社とかでなくナント市役所でやるらしい!

その頃から「社参」や「お千度」といって
各町の代表者や稚児さんが祭りの無事と成功を願い
八坂神社へ御参りをする。

そして1つ目の山場が10日である。
この日から各町が山鉾建て・曳き初めを始め、
八坂神社の神職さんは御幣を作り、
神輿を清めるための水を鴨川から汲み上げ、
その神輿を迎えるための提灯行列が組まれ、
夜には四条大橋で「神輿洗式」が行われる!

14日からは宵山が始まり、にわかに祭らしくなってくる。
さらに15日は、ひそかにいろいろ重要な準備が整う。
…まぁ「ひそかに」やっているワケではないのだが、
巡行と比べるとどうしても地味に思われがち と言う意味だ。
たとえば早朝に「斎竹」を建てたり
※斎竹=巡行の初めに稚児が切る綱を結んでおく竹
夜に行われる「宵宮祭」では八坂神社の神様が神輿に遷る。
伝統芸能や「式庖丁」を見ることができるのもこの日だ。

さて、そのまた翌日16日。ついに前祭の宵山最終日である。
各町にある山鉾を見ようという人
翌日の巡行を見るために京都に一泊しようという人
地元の祇園さん好きの人
色々な人が押しかけて京都中心部はヤバい状態に。
安全確保のため歩行者天国となっているというのに、
歩けども歩けども思うようには進まず
部分的に一方通行となっているため最短ルートを選べない。
結果的に3時間以上歩き回った挙句 全ての鉾は見られなかった。
この日でなくもっと日程を前にずらすべきだったのだ…。

*放下鉾*
まぁ悔やんでいても始まらないので、
体力の範囲内で見られたものを載せていく。
まずはこちら、放下鉾である。
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この写真では全然確認できないが、
「鉾頭」と呼ばれる棒の先っちょ部分には丸が3つ。
2つ並んだ丸の上にもう1つ丸が乗った形をしている。
(説明下手すぎなので、望遠レンズ所有者の写真ググってください…)
後で読んだ説明ではこの三つの丸
太陽・月・星の「三光」が差す様子を表しているとか。


この鉾では、天王座と呼ばれる人形を祀る場所に
「放下僧」の人形を祀っていることからこの名が付いたという。
放下とは、品玉(しなだま)や輪鼓(りゅうご)
つまり今でいうジャグリングやディアボロのことだ。
それを演じる放下僧は、僧とは言っても本物の僧侶ではなく
お坊さんの格好をした大道芸人のような人。芸能者である。
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かなり強い夕立の直後だったためか、
どの鉾も懸装品の絨毯などにはビニールがかかっていて
なんともうまく撮れない。うぬぬ(;´・ω・)

*月鉾*
次は、天王座にツクヨミノミコトの人形を祀る月鉾。
鉾頭には三日月(新月型と言われている)が付いている。
この三日月、なんと18金だという話である…。
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そして、この写真ではガッカリするほど見えないが
屋根裏の草花図は なんと あの丸山応挙が描いたとか…。
どこかの国が前からずっと探していた(←曖昧すぎ)
貴重な国宝級タペストリーの一部が
(何町のか忘れたけど)鉾の懸装品になっていた!
という番組もやってたし…まさに動く美術館ッ(;゚Д゚)!
祇園さんの鉾、恐るべし。

*函谷鉾*
さて、祇園さん初心者の管理人には
そろそろ鉾の違いが分からなくなってきたが…
漢文が好きなので函谷関のことはなんとなくわかる。
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この鉾に祀られている人形は「田文(孟嘗君)」。
この人物は斉の出身でありながら、
秦の王様が「宰相にしてみよう」と言うほど人望が厚かった。
というのも食客(居候)から非常に評判が良かったのだ。

食客」は一般的に能力の高いものを養う代わりに
食客は養ってくれている人に仕え助けるという中国の風習である。
しかし、田文は才知や武芸の光るものだけでなく
とにかく何か一芸に秀でていれば取り立てて食客としていた。

そんな彼が訳あって秦の王から逃れねばならなくなり、
命からがら函谷関に辿り着いたことがあった。
まだ、夜明け前であり普段なら関は開かない。
しかし、そこで鶏の鳴き真似がうまい食客が鶏のふりをして
関守は朝が来たと思い込み関を開けたために一行は命拾いをした。

そんなエピソードから
「下らないと思える特技も役立つことがある」
と言う意味の「鶏鳴狗盗」という故事が生まれたのである。

その故事にちなんでか、
装飾にも鶏があしらわれているようだ。
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長刀鉾
祇園祭の花形と言っても過言ではないコチラの鉾。
真木(屋根の上の棒)の上に さらに長刀が付いているために
それはもうエラい高さである。
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ちなみに鉾は市街をぐるぐると巡行するが、
八坂神社と京都御所には絶対に
刃が向かないような角度になっている…という話である。
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こちらもビニールがかかってはいるが、
赤と黒が基調となった絨毯と
囃子手の手元から垂れる水引の赤がマッチしていて綺麗だ。

*神輿と神楽*
花形の姿を拝んだところで、八坂神社へ。
カミサマを乗せた神輿がキラキラと並び、
「今夜は人間にゆっくり姿を見せてやろう」
とでも言う感じの堂々たる姿でドッシリ構えている。
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その先で演じられているのが
「京都島根県人会」さんによる石見神楽である。
石見神楽と言えばなんといっても
大蛇を退治するスサノヲの立ち回りであるが…

人混みがすごくて まともに撮れたのは恵比須様だけ。
まぁ背が小さいのに頑なに自撮り棒を購入しない罰ですな。
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↑奇跡的にカメラマンのフラッシュと同時に撮ったので
夜の境内にもかかわらず結構鮮明に撮れたとさ。
漁夫の利!

揉みクチャになりながら神楽を見ていたが、
背伸びをし続けてついには足が攣ったので退散。
街に戻って鉾の続きを見る!

その途中で何ともカワイイ消防団柴犬に遭遇
(*´ω`*)カワイスギル
もうずいぶんお年寄りだという話で、
歩き方もどことなくヨタついているがカワイイ。
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そして、商店なのか単に自宅の出窓なのか分からないが
プチ鉾↓を発見した。
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手作りかお土産品か不明だが、かわいらしい。
そして、はっきりした名前過ぎて
逆に胡散臭さを感じてしまう神社を発見(←失礼だ)
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このあたりは繁昌町というそうなので、
きっとちゃんと歴史ある地域の神社なんだろう。

*山がたくさん置いてあったのだが*
この付近には、太子山・木賊山・油天神山・芦刈山
という4つほどの山(+ちかくに伯牙山も)があるのだが…
骨組みだけなのでほぼ見分けがつかない!
見るタイミングを誤った(;゚Д゚)

しかし、太子山なら真ん中の木は杉のはず。
ということは木賊山だろうか…。
「何言ってんだ、ここがこうだから〇〇山だよ!」
「全くこれだから初心者は…」
という方がいらっしゃったら是非教えてくだされ…。
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「木賊(とくさ)」というのは調べていただければ分かるが
たまに料亭の玄関周りなどに生えている
小さくて葉っぱの無い竹のような何とも言えない植物だ。
ただ、トクサ(=砥草)と呼ばれるだけあって
その茎は研磨のための道具として重用されてきた。
(ちなみに、目に利く生薬でもある)
この山は「木賊」という謡曲をテーマにしていて、
子供をさらわれ長野で木賊を刈る翁の人形を祀る。
御神体のおじいちゃんは非常に物悲しい様子だが、
謡曲の最後では息子と知らず出会った若者が我が子と分かり
2人で喜び合うという大団円なのでご安心くださいー。

さぁそして、
「飾りが無くて何山だかわからないシリーズ」第二弾!
他の白熱電球山(?)とは一線を画す柔らかな光を放つ山。
こちらは、おそらく「油天神山」であろうと思われる。
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というのも、油天神山は数年前に提灯の電球を新調して
ロウソクの灯りにより近い暖色で揺らぎのあるLEDに換えた。
という話を聞いたのである。
天神という名前からもわかるように、
昔町内にあった天神社から勧請して作られた山だそうだ。
他の山では人形と傘が飾られることが多いが、
ここは「いかにも神社です」というような感じで
飾りつけ後には山の正面には鳥居が設置される。

そしてシリーズ第三弾のコチラは…
多分「芦刈山」。
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観光客らしき女性が隣にいる男性に
「芦刈山って金太郎の?」
と言っていたが それは足柄山です…(;´・ω・)
※足柄山は山名であり、祇園祭に足柄山はない。

「芦刈」は世阿弥謡曲であり、
御神体は妻と別れて芦を刈って生計を立てる男性。
その男が妻が三年ぶりに再会し和歌を交わしたのち
めでたく夫婦に戻り都に換えるという題材という話だそうだ。
そのため、授与品には縁結び・夫婦円満の御利益があるとか。
残念ながら写真を撮れなかったが、
御神体の神面は運慶の流れを汲む仏師さんの作品だとか!

*岩戸山*
そしてやっと分からないエリアから抜け出した。
コチラは岩戸山で 御存知「アマテラスの岩戸隠れ」が題材。
岩戸「山」というが、車輪がついていて曳山となっている。
屋根も付いていて鉾なんじゃないかと思ってしまうが、
山だった名残で屋根の上には鉾頭でなく松が付けてある。
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ここまで囃子手さんは少年~青年が多い気がしていたが、
なんかここはベテラン感がすごい!
悪い意味じゃないですよ?
若い継承者がいることは伝統芸能にとって財産だとは思うが、
なんといっても着流しや祭ファッションが一番似合うのは
やっぱりオジサン~おじいちゃんですからね!管理人大歓喜

それはさておき御神体はアマテラスとタヂカラオ(戸隠大明神)。
そして、アングル的に全然写っていないが
屋根の上になぜか天瓊矛をもったイザナギが立っている。

イザナギはアマテラスのお父さんなので
天岩戸の話には全然出て来ないのに何故こんなところに…。

ということで岩戸山保存会のHPを見てみると、
八坂神社の社記録に残るもっとも古い記録では
「岩戸山」という山があると記録されているらしい。

ところがどっこい応仁の乱で京都が焼け野原になった後、
しれっと この地域の山は「あまのさかほこ山」に変わっていた。
アマテラス人形が応仁の乱で消失したかどうかは不明だが、
ココで一旦、主役はイザナギ人形になったのかもしれない。
時代は下り桃山時代になってから。
狩野永徳が描いた「洛中洛外図屏風」を見てみても、
飾られているのはイザナギ人形一体のみだという。
ただし、その手前に設置された鳥居には鶏がいるらしい。
ので 岩戸山であった名残はあるようだ。

そして江戸時代に描かれた絵ではアマテラス復活。
豊臣秀吉が行った区画整理により協力する町が増えたり
江戸時代に町人が経済力をモリモリつけてきた御蔭だろうか。

というわけで、
一部ではあるが御神体を屋根の上に祀る珍しい山である。


*四条傘鉾*

そしてまた少し歩いて 移動 移動。
こちらは、パッと見ですぐにわかる「四条傘鉾」である。
提灯にも「傘」の文字がたくさん。
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名前の通り傘の形↓をしている。
(クリーニング屋さん目立ち過ぎ…)
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実は、この形態は鉾の中でも古い歴史を持つそうだ。
四条傘鉾に関しては応仁の乱よりも前からあるらしい!
(明治時代に一旦は途絶えたが、様々な資料を元に復元したとか)
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形のほか、この鉾に特徴的なのは囃子と「棒ふり踊り」。
こちらも鉾の巡行とともに一旦は途絶えたが、
滋賀県・瀧樹神社に伝わる「ケンケト踊り」を参考に復元。
小学生の男子たちが振袖・袴で踊る可愛らしい姿が見られる。
ケンケトで頭につける孔雀の羽は取り入れなかったらしく、
普通に笠をかぶって踊っていた。
鹿踊りのササラみたいで個人的には好きなのだが、
地域ごとに祭りの色とゆうものがあるから仕方あるまい…。

この、傘に大勢の人が集まり進んでいく様子は、
スサノオヤマタノオロチを退治したときに
オロチ配下であった鬼たちが主人を捨てて
スサノオに傘を差し天竺まで送ったという話に基づくとか。
※傘は高貴な人や神がその下に居るという象徴
ちなみに蘇民将来の話では、この話は
スサノオ牛頭天王スサノオと同一視される疫病の神)
大蛇→巨旦(蘇民将来に宿を貸さなかったいじわる)
に変換されることもある。

蘇民将来の話は疫の神様、八坂神社。で触れたので割愛。
ちなみに、同じく疫病を鎮める祭で
桜の時期に行われる「やすらい祭」でも傘が登場し、
この傘の中に入ると病気にならないと言われている。

*船鉾*
やっとたどり着いたぜ!船鉾町!
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こちら↓が鉾の中で唯一 船の形をとる「船鉾」。
山鉾が天を突くような縦長なイメージなのに対して、
道いっぱいに船が浮いているようなその姿は圧巻である。
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では、誰の船かとゆうと「三韓征伐」の神功皇后である。
もちろん祀られている人形は神功皇后だが、
彼女を主祭神とし 住吉・鹿島・磯良の三明神が周りを固める。
住吉明神は三柱で1つの名前を持っている神様。
住吉(スミヨシ)は古くは「スミノエ」と読んだらしいので、
スミノエ=澄みの江。つまり澄んだ入江の神様とゆうことになるとか。
住吉明神は、単体では「鶏鉾」にも祀られている。

一方の磯良明神(阿曇族磯良)とゆうのは
安曇族(福岡ルーツの海人系氏族)の祖先にあたる神様で、
トヨタマヒメの子=オオワダツミの孫ということだ。
神功皇后三韓を攻めるため神々に協力を乞うた時、
多くの神が馳せ参じたが 磯良は
「わたしは海中に長く棲み、顔には牡蠣・鮑などが付いて醜い」
と恥じて姿を現さなかったと言われている。
そこで すでに皇后の仲間になっていた住吉明神が、
海上に舞台を作り神楽を舞わせることを進言。
楽しそうな様子に誘い出された磯良は協力することとなり、
無事 三韓を攻略することができたという。
舟鉾の人形は、その磯良が味方になり
潮盈珠・潮乾珠を皇后に納める場面を表現しているそうだ。

鹿島明神はタケミナカタなので武神。
安曇族にタケミナカタなんて…長野を感じますね…
(*´ω`*)
カミサマは氏族とともに戦い旅をする。
カミサマの旅路は氏族の歴史ですなぁ。

そして、他の山鉾の装飾も絢爛だが
ここの懸装品もまた「もはや彫刻か」という厚みで圧巻。
肉入り縫いという和風ステッチの一種だそうだ。
レベルがカンストした絨毯みたいなイメージ(/・ω・)/!
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ちなみに、神功皇后は「占出山」にも祀られている。
皇后は身重にもかかわらず武装して出航し、
凱旋の後に無事出産を果たした女性であることから
「占出山の曳行順が早い年は地域の女性はお産が軽い」
といわれるとのこと。
そしてなんと今年の占出山は「山一番」!
つまり長刀鉾に続く二番手での巡行となったのだ。
長刀鉾は「くじ取らず」と言って毎年先頭と決まっている。

今年は皆さん安産ですかね(*´ω`*)

まぁ、そのような理由で船鉾・占出山ともに
御利益は「安産」といわれ妊婦さんに腹帯を授与している。
ちなみに、その御神徳はかなりのものらしく、
明治天皇がお生まれになる時などは
船鉾の御神体の「神面」が宮中へ参内したというから驚きだ。


そして、祇園祭は「動く美術館」だけではない。
祭り期間中にいくつかの家で行われる「屏風祭」。
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ここは屏風が祇園祭の絵なので手前にも山鉾を飾っているが
屏風のほか調度品や舶来品など家に伝わる貴重な品を
皆さんにも見ていただこうというのが「屏風祭」である。

昔はもっと多くの家が行っていたそうだが、
現在ではずいぶん数が減ってしまったそうだ。

今日はもう、これ以上無理せず眠ることとした。

長刀鉾の辻回し*
翌朝は、まだ観光客で混まなそうな早朝に伏見稲荷へ。
そして神社をいくつか見た後に
四条河原町交差点で辻回しを少し見て退散することとした。

…出雲阿国像の頭にイイ感じでカラスが…。

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管理人が伏見稲荷に向かう時(午前5:50ごろ)、
すでに交差点では場所取りをしているカメラマン多数。
なので、辻回し30分前に交差点に戻って写真を撮ろうなんて
祇園祭ナメきってるかなーとも思ったが伏見稲荷に行きたい!

そして、お稲荷エネルギーを頂いて帰ってくると…
もはや視野の下半分は人混み!(身長150cmは負け組)

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そしてスゴイとこ(アーケード上↓)に人いる!
新聞社の人か?実行委員か?警備担当?
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しかし、みんな少しでも近くでみようと
通行止めになっている車道へどんどん広がり
歩道でもなるべく前の方にズンズン動いていく。
え る し っ て い る か ?(byデスノート
こういうときは、やたらに近づくより
少しでも高いところに居た方が視界が開けるのだ!

ほら↓さっきよりマシ。
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そして長刀鉾が来るまでみんなが何をしているのか見ていると
十字路周辺が勤務先の人たちが休日にも関わらず続々と出勤し
職場の窓を開いて(ベランダがある店はビール片手に出てきて)
超余裕で祭見物を始めるではないか!VIPすぎる!

ちなみに管理人の後ろに居た地元夫婦
(多分旦那さんは山鉾に乗ったことがある)曰く、
「山鉾には神様が乗ってるんだから上から見ちゃいけない」。
確かにそうだ。神様を見下ろすことになってしまうな。

そしてそして、
信号の高さをはるかに超える山鉾もあるため、
なんと辻回しを行う道の信号は折り畳み式↓になっていた!
業者が来て、道にあった信号機をくるっと歩道の方へ!
京都の町すげー!
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そしてついに長刀鉾登場!
昨日は近すぎて全体がよく見えなかったが、
長刀の先は地上約21m。重さ約11.1t。
こんなに大きいが、重さは全体の3番目なのだそうだ。
(最重量は月鉾11.8tだそうだ)

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小説「夜は短し歩けよ乙女」に登場する
李白さんの「電車」を描写するとき森見富美彦は
この山鉾たちを頭に浮かべていたのではとなんとなく思った。
「贅を尽くした3階建ての自家用車」だもん。
絶対ビジュアルはこれしかないよな(自己完結)。

そして、いよいよ辻回し。
管理人が取ったのは数秒の短い動画なので、
もっと良い画質・長い映像が見たい方は他の方の動画へGo
(=゚ω゚)ノ


2017.7 京都・祇園祭 長刀鉾の辻回し

前祭のみ、しかもすべては見られなかったが
いままで「夏の京都はやばい」という噂にビビって
祇園祭は行ったことが無かったので楽しかったー。

この「前祭」の1週間後に
同じく山鉾を曳く「後祭」を行い、
かつての祇園祭の再現ともいえる花傘巡行が行われ、
月末には再度「神輿洗」が行われて天王さんは神社へ帰る。
こうして1ヶ月に及ぶ祇園祭は幕を閉じるのだ。

今回は超高級な感じのお祭りだったので、
次回は是非 庶民的でもみくちゃになる感じ(?)
の お祭りに行けたらなーとおもいます!

 

 

珪素神宮のおさかな鳥居。

駅から住宅地を通って大杉神社へ下って行き、
こんどはまた坂をいくらか上がる。
数分しか歩いていないが民家は少なくなってゆき
建物があったかと思いきや
もはや使われたくなった特別養護老人ホームの廃墟だった。
管理人は真っ暗な部屋では睡眠が取れないほどのビビりなので、
晴れた日の昼でなければびくびくしながら歩いていただろう。

さて、鳥居が無ければ入ってみようとは思えない藪が現れた。
アンリ・ルソーの絵のように陰鬱で鬱蒼とした藪である。
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藪に入る寸前、ふと近くに張られた柵を見ると
ハチを捕えるためのコバエホイホイのようなものを発見。
え!?ハチいんの?(まぁいるよね日本なら大体どこでも)
ということで今度は雰囲気でなく具体的な天敵にビビり始める。
※何度も言うようだが管理人は一度ハチに刺されている。二度目はやばい。
上着の袖を引っ張って指の先まで隠し、
フードをかぶってファスナーを鼻のあたりまで閉める!
もし神社に参拝し終えた人が正面からやってきたら、
小さいながら不審者と思われること請け合いである。
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しかし、そんな心配は杞憂に終わる。
短い藪を抜けると急に開けた場所に出る。
ちょっとレトロっぽく作ったベンチも置かれてはいるものの、
見てのとおり↑人っ子ひとり居ない境内である!

実は、なぜこの神社に来たかといえば
この日の朝のニュースか何かでこの神社が出ていたのだ。

テレビというのは恐ろしいもので、
「千葉のどこかゴミの埋め立て地のようだった場所を
 フラワーパークに作り替えて今人がたくさん来てるよ!」
というコーナーと繋げて
「そこから銚子電鉄で数駅、外川駅近くの神社だよ!」
と紹介されて
この手前の鬱蒼とした藪を映さずに神社だけを撮れば
「なんとなく人がそこそこ来るところかな」
と感じるではないか!

しかし、みんなはそんなテレビマジックに騙されなかったのか
朝のニュースを見て昼に銚子に着く機動力が無かったのか
どちらにしろ管理人の予想を上回る人の居なさだ(笑)

境内は芝生。
拓けている範囲は比較的綺麗に芝が刈ってあった。
しかし、神社は緩やかな崖っぽいところに建っていて
一歩斜面に出れば草がモッコモコに生えている↓
そして、その向こうには海。
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現在も神社の壁には「長九郎稲荷」と書かれ、
境内の由緒書でも長九郎稲荷について触れている。

それによれば、この外川を開拓したのは
紀州から来た崎山次郎右衛門という人物なのだそうだ。
その人についてきた長九郎という漁師は、
銚子が良い港であることに惚れ込み外川に定住。
彼が子々孫々の代までの大漁と繁栄を願って祀ったのが
この長九郎稲荷であるとのことだ。

このあたりは見晴らしがよいため「日和見山」の名で呼ばれ
漁師が出航の可否を判断するのによく登ったそうだ。
なので、そこに漁師の祀ったお稲荷さんがあるのも
自然な話なのかもしれない。

が、この神社が有名なのは
祭神や由来からではなく この鳥居↓である。
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イワシ・サンマ・タイ だろうか?
手前の鳥居にはウナギの彫刻もあるようだ。

拝殿はシャッターが閉まっていて
中がどうなっているのか全く分からない。
そこにはボロボロになった張り紙?(シール?)が貼られ、
ココにあるタイの鳥居と思しきイラストが描かれている。
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イラストの扁額には長九郎稲荷でなく「珪脳神」と書かれ、
「日本珪素医科学 学会」そして主催者の名前が!
もはや宗教法人ではないかもしれないB級スポット感がすごい。

一応、神社の歴史としては
上記のように長九郎さんがお稲荷様を祀ったのち
永らく長九郎(またはチョボクリ)稲荷として親しまれた。
2002年には老朽化してしまった神社を直すため、
地元の女性たちがお金を出し合って社殿を新築したという。
しかし、3.11の東日本大震災で全壊。
それと同時に(津波の影響と思われるが)漁獲量は0に。

その後は某会社?の会長さんが私財を投じて再建した
と書かれているが現在どういう状況なのかはよくわからない。
ただ、社殿に張られた「〇〇さん方とは無関係です」という
語気の強い注意書きからは何となくトラブルの匂いが…。

社殿脇には、小さなキツネさんたちが身を寄せ合っている。
御神体と思しき鏡もあるが、雨ざらしでいいのだろうか…?
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ここのキツネさんたちは、
ねじり鉢巻きではなく ほっかむりタイプらしい。

そして、長九郎稲荷の現状とともに謎なのが
コチラの金の鳥居。
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扁額には「心叶」とだけ書かれている。
海の方へ向かっていて、鳥居の先は草ボーボー。
ただ、その先にある廃墟の手前に手すりの残骸が見えるので
かつては海方面からの参道と階段があったのかもしれない。
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※家に帰ってから別の方が数年前に訪れた際のブログを拝見したら
 以前は階段は登れる状況で 廃墟もココまでの惨状ではなかったようだ。


そして何より意味不明なのは鳥居の土台部分である。
単に参拝経路を図示しているつもりかもしれないが、
4カ所にペイントされた足跡が謎すぎる!
そして四隅から中心に向かって謎の矢印が(;゚Д゚)!
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オカルトか?オカルトなのか?
我らが群馬県にある河童神社にも匹敵するB級スポットじゃ…。
管理人は別に「神社って歴史を感じて癒されるよね☆」
みたいな人じゃないので珍スポットどんと来いだが、
それにしても分からないことが多すぎた(笑)
別の神社の祭りで近くに来たら、また寄ってみよう。
鳥居が増えているかもしれないし倒壊しているかもしれない。

今回は本当に、
普段行くような神社が「神社」としての姿を残しているのは
とてもすごいことなのだとなんとなく感じる旅だった。
見慣れた古い建築物というのは つい 何もしなくても
今までと同じくこの先も何十、何百年この姿だろう。
と思い込んでしまう。
が、みんなが「神社だ」と認識しているあの木造の姿で
あの姿のまま建ち続けるためには
直せる職人とオカネ、直そうと思う人たちが必要なのである。

地域や時代によって独特な建築や信仰が生まれる、
というのは当たり前のことで
当時は斬新だったものが今や伝統となっているというのも
決して珍しいことではない。
カミサマや神社の姿が独自の変化を遂げていくことも
現在神様と認識されている方々を見れば自然なことだと分かる。
ただ、それは是非「みんなに支えられる」カミサマであって欲しい。
と思いましたとさ。

あと ココが何法人だかは分からないけれど、
一般的な神社でも「奉納する鳥居のデザインを選べる」のは
面白いかもなー。と思ったり。(鳥居水族館みたいにしたりね)
「あの鳥居私が奉納したのよ」「たまには自分の鳥居見に行こうかな」
そんな風に思ってくれる人が増えたり、
みんなの鳥居を見ていたら自分もその仲間に入りたくなって
「小さいのでも奉納してみようかな」なんてのもいいかもしれない。
それでそれが名物みたいになったら参拝者も増えるし
みんなが神社にもっと愛着を持ってくれる気がするのでした。

次回はA級感のある京都のことでも書きたいと思います。
後祭りが始まってしまう前に祇園祭についても書きたいなー。

イカリとカメと大杉神社。

銚子電鉄アジサイ

貯めこんでいた神社を消化していくぞー。
というわけで、浅草の鷲神社の記事はまだ書いていないが、
千葉の神社の記事を少し進めますー。

今回は銚子電鉄に乗って千葉の先っちょへ。
銚子周辺は街路樹や線路沿い等なにかとアジサイが咲いていて
管理人の中で勝手に「アジサイな街」のイメージが定着。
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緑の可愛い電車に乗って、アジサイのあいだを潜り抜け、
終点・外川駅に到着~。
駅周辺はレンタサイクルの人がたまに通る程度だが
少し歩いて住宅地を歩くと、案外人がいる。
(私鉄の終点とて、我らがグンマーと比べちゃいけないか…)
そのまま住宅地を抜けると
おお…当たり前だけど普通に港町じゃ…。
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海が苦手と言っておきながら今年はしょっぱなから
江ノ島(児玉神社)・福島(秋義神社)・和歌山(恵比須ノ宮)
と…海の間近にある所ばかりに遠出している気がする。
そういう年なんだろうか。

*大杉神社*

さて、外川駅から徒歩10分ほどでコチラの大杉神社に到着。
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狛犬はかなり顔面崩壊気味である…。
潮風の吹く町というのはモノが劣化しやすいイメージだが
石やコンクリートもそうなんだろうか?
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そしてこちらの狛犬は草食系(*´ω`*)
葉っぱを食んでいる(笑)
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その奥には階段の上に広がる境内。
木の種類や草の生え方のせいなのか、
なんとなく海の近く(群馬より)南寄りに来たなぁ…
と感じる。木の種類には詳しくないが、
なんとなく草木の形と気候って繋げて覚えているモノなんだろうか。
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たとえば、花の名前が分からなくても
植物がたくさん生えている堤防の写真を見れば
なんとなく「夏っぽい」か「秋っぽい」かは判断できる。
それは無意識に、春にはどんな色の花が咲いている
秋にはこんな形の種が付くと覚えているからじゃないだろうか。

*謎の棒が埋まっている*

まぁまぁ、それはさておき
境内の隅っこに鬼の金棒のようなものが刺さっている。
エクスカリバー的なヤツだろうか。
埋まっている部分がどんな形状だかわからないが、
鬼の金棒のように先端が丸くて先に行くほど太いとしたら
まさに「鬼のような」怪力でないと
こんな風に地面に刺せないのではないだろうか?
これは一体なんなんだ…。
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同じ千葉で金棒と言えば、篠籠田(しこだ)の獅子舞で
三匹獅子舞を先導する「金棒もち」が思い浮かぶ。
しかし、その「金棒」とは鬼の棍棒のようなものではなく
地蔵菩薩の錫杖のような細めの金属棒である。

だったら何なんだ。海の近くだからまさか…
碇の上の部分か?かえしの部分は埋まっているのか?
でもそれって危なくない?碇ってこんな細いんだっけ?
とアレコレ考えていたが、
同日に訪れた川口神社で「埋まっていない碇」を発見!
謎は解けたのであった(/・ω・)/イェイ!

後ほど外川駅で拾った情報によると、
私のような山しかない県の人間には思いもよらぬことだが
「航行の途中で他の船が落とした碇を発見する」
というのはタマにあることなのだそうで。

海の神様は大層金物を嫌うので、
漁師たちは落ちている碇を発見したら
その怒りに触れないよう必ず拾って帰って来たのだとか。
その拾ったものを神社に置いたり埋めたりするらしいので、
この大杉神社や川口神社のほかにも
碇の置いてある神社があるのかもしれない。
海のカミサマは女性を嫌い、死体を好む。
その特徴が鍛冶のカミサマに似ている気がしたので、
かってに海神は金属そんなに嫌いじゃないと思っていた…。

まぁ、実際問題として浅瀬に碇が沈んでいたら
座礁(って言うんだろうか)的なことも起こり得るし
お互い、鎖が切れて知らずに落としちゃうこともあるから
見つけたら拾おうね という暗黙の了解が伝承化したのかな。

*大杉神社と摂社たち*
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さて、本題にたどり着く前にヨリミチしてしまったが
肝心の大杉神社に近づいてみる。

遠目に見ると小さめだなぁという印象。
しかし、近づいてみると彫刻がなかなかスゴイ。
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社殿の正面両脇の彫刻。
滝を昇る鯉も 表面は劣化しているとはいえ
透かし彫りのように深く掘られた部分があり
同じ水でも流れ落ちる滝と滝壺、水しぶきが
遠近感のある表現で彫られている。
向かって右側は木目の出方もとってもキレイだ。
個人的にはとっても気に入った(*´ω`*)

ではこの社にはどんな神様がいるのか?
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銚子は利根川が海に流れ込む土地 ということもあり、
この土地で「大杉神社」と言われれば
アンバさま総本宮・大杉神社からの勧請かと予想される。
茨城県稲敷に鎮座し、利根川流域をシマとする神社である)
そこの主祭神は倭大物主櫛甕玉命(オオモノヌシ)だ。
一方、今回の大杉神社はサルタヒコさんを祀っている。

祭神が違うから別系統か?と考えることもできるが、
サルタヒコの容姿が天狗風であることを考慮に入れたい。
今回は中まで見ることはできなかったが、
どうも社中には烏天狗と天狗の面があるという話だ。
モトは稲敷の大杉神社から勧請したオオモノヌシ様であったが
天狗の面が祀られているために
いつしか祭神がサルタヒコとされた可能性も無くはない。
茨城の大杉神社にも大きな天狗面があり、
 烏天狗・鼻高天狗は「願い天狗・叶い天狗」と呼ばれ人気である。
 祭神でもない天狗がなぜ大杉神社のマスコット的な立ち位置かは
 過去の記事津波と神社と 念仏おどりの中で
 後半「久ノ浜諏訪神社」の項に書かせていただいてますー。


*カメ信仰*

祭神考察はこれくらいにして もう一つ注目したいのが、
神社横に無造作に立てかけてある流木のようなものだ。
あまりに無造作過ぎて重要なものだというセンサーが全く働かず
惜しくも写真を撮ってこなかったのだが…。
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写真の右下。
社殿と柱の間に かろうじて板切れの様なものが写っている。
これ、俗にいう「カメの枕」なんだそうだ。

カメの枕というのは、
(実際カメはどういうつもりか分からないが)
たまに海面に木片を抱えたカメがいるのだそうだ。
ウミガメとて魚ではないのでたまには
ゆっくり肺呼吸をしたくて浮き輪代わりにしているのか、
はたまた「いかにもカメです」という風に浮いていると
天的に狙われるため木片と一緒に浮いているのか。

とにかく人間(ことに漁師)にとってコレが何なのかといえば
漁運を引き寄せる御守りである!
枕を抱えているウミガメを発見したら、
その枕をもらう代わりに必ず持っていた木片をあげるそうだ。
(たしかに、もらう一方では逆にバチが当たりそうだ)
持っていた木片を取られても逃げもせず、
相手が急に差し出してきた木片を甘んじて受け取るとは…
水中では体当たりをしてきたりすると聞いたことがあるが、
野生動物にあるまじきおとなしさだ。

ここではカメの枕しか発見できなかったが、
(というより現地に居る時はソレにすら気づかなかった)
銚子には「亀の子さま」と呼ばれる社や石碑が点在するらしい。
これは、神様とされるウミガメを誤って殺してしまった場合や
既に死んでしまっているのを発見した場合に建てたものらしい。

このように漁師さんたちに大事にされているカメを見ると、
「ああ、浦島太郎がカメを助けたのは
 心優しいからでなく漁師として当然だったのか」
と、何となく思う管理人だったとさ。

そんな感じでカメは大事なので、
昔このあたりの人が決してカメを食べなかったそうだ。
食べてしまうとどうなるかと言うと、
舟は高波に襲われ転覆し、乗組員は一人も助からないとか。
(それを知らないヨソモノ漁師がカメを食べて命を取られたという伝承がある)
次に千葉に来るときは、亀の子さま巡りもいいかもしれないな。
(*'ω'*)ヨシ!

そして、大杉神社のすぐ隣にも特徴的な社があるので覗いてみる。
詳細は分からないが、まず目を引くのが無数の穴。
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最初は「何だコレ?珊瑚か何かでできてるの?」と思ったが、
見たことある中でコレに近いのは「タフォニ」かもしれない。
(見たと言っても、ニュースか何かでだが)
石造の世界遺産か何か古い寺院的なものが
風化してボロボロになってしまい保護が追っつかない!
みたいな内容だったような気がする。
(´・ω・`)ウロオボエ…
その風化でできる造形にそっくりだ。
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中には恵比寿様の像↑があるので
大漁と安全な航行を願った恵比須宮なのだろうか。

隣にある空き家のような社↓も
少しだけポコポコ穴が開いてはいるが、
恵比須様のいらっしゃる社ほどの芸術的劣化ではない。
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このあたりでは珍しくない劣化の仕方なのだろうか?
この空き家も、あと数年放っておくと
ああいう芸術的な様相を呈してくるんだろうか?
管理人は今まであまり見たことなかった劣化の仕方だったので、
誰もいない境内で1人で変なテンションになっていた。

さらにその右には、お稲荷様が。
このあたりのお稲荷様は圧倒的に鉢巻き↓が多い。
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やはり漁師町だからか。漁師風なのか。
(適当なこと言ってすいません)
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中を覗いて見ると、いくつもの石の祠のようなものが。
周辺にあったいくつかの稲荷社を
災害や区画整理などの際に合祀したんだろうか。
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そしてやはり、陶器の狐さんたちまでもが
前掛けではなく鉢巻をしている。
普段は前掛けキツネを見る機会が多いので
なんとなくカルチャーショックである。
今度海辺の町に行くときは
狐たちの服飾(?)にも注意してみよう…。

さて、今回は日帰りだった上に
休日だからとぐうたら二度寝などして出発が遅かったので
日が暮れる前に目的の「長九郎稲荷」へ急ぎましたー。
現場(?)に行ってみると、
思った以上に怪しさいっぱいの神社だったので
次回はその話題で(=゚ω゚)ノ

良縁まねく今戸神社。

待乳山聖天から徒歩数分、今戸神社に到着した。
境内は広くて砂っぽくて校庭みたいな印象。
※個人の感想です
淺草だけあって団体客がワサワサと歩いていた。
ここの狛犬はゲージで飼われているようだ。
お顔がよく見えない…(´・ω・`)シュン
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さて、こちらが拝殿。
装飾はピンクベージュと抹茶ラテ色(?)で可愛らしい。
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幟に「縁結び」とあるのは
イザナミイザナギを祭神としていることからだとか。
しかし、イザナギは「見るなのタブー」に引っかかった
日本初の男性ではあるまいかと管理人は思っている。
黄泉の国へ行き、体が朽ちてしまったイザナミ
「元に戻れるよう黄泉の者と掛け合おう」とまで言ったのに
「だからまだ私を見ないで」という約束を破り朽ちた姿を覗き見。
あまつさえ、その醜さに腰を抜かしそうになった男である。
(;´・ω・)ヤレヤレ
その結果、夫婦喧嘩が勃発しイザナミも元には戻れなかった。
まぁ、話によっては最後にククリヒメが登場して
2人を仲直りさせるパターンもあるわけだがいずれにしろ、
良縁に恵まれたら女性との約束をしっかり守って
末永くお幸せになってほしいものである。

とはいえ、御利益だけには頼っていられない。
この今戸神社では「縁結び会」と称して
婚活パーティー的なものが催されているようだ。
日程は今戸神社さんのHPで随時upされているようなので、
みなさま御興味があれば。
管理人は弁天様にウッカリ願掛けをしたことがあるので
そのへんは半ばあきらめている(笑)
弁天様は嫉妬深いカミサマといわれており、
御参りに来たカップルを別れさせるとか
弁天様の力が強い土地の女性に美人は生まれないとか
そんな噂の絶えない神様である(;゚Д゚)

さて、参道の花壇付近には
「こんなに水やるか」という数の猫ジョウロが。
管理人も大学の頃このジョウロ使ってたなぁ…
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そして、絵馬にも境内の各所にも招き猫が!
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そして拝殿を覗いて見ると(いや、覗かなくても)
巨大な招き猫が何体か見えている!
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というのも、この今戸神社
「招き猫神社」として有名なのだそうだ。
何故?なぜ猫でなく招き猫なんだ…というところであるが、
調べてみるとこの今戸は「招き猫発祥の地」なのだという。

諸説あるが、古くは焼き物の産地であった今戸。
むかしむかし、この付近の花川戸というところに
貧しさが極まり泣く泣く愛猫を手放した老婆がいた。
すると夢枕に愛猫が現れ
「おばあちゃん、聴いてほしいにゃん!
 私の姿を人形にしてみて欲しいんだにゃー。
 そしたらおばあちゃん幸せになれる気がするにゃ!」
と言ったのだそうだ。
捨てられてなお御利益をもたらすとは、
老婆はさぞかし愛猫を大切にしていたのだろう。

バイタリティあふれる老婆はさっそく
地元の特産・今戸焼で猫人形を作った!
窯元だったという記述もないのにそんなに簡単に!?
とも思うが、それほど今戸焼は身近だったということか?
しかも、おばあちゃんは一個でなく たくさん作り
浅草三社権現の境内でそれを売った!
すると、焼物猫はバカ売れ。
おばあちゃんは生活が楽になったのだとさ。
御利益と言うよりバイタリティの賜物な気もするが、
御利益とかお告げって実はそういうモノなのかもな。
なんてゆうか、
ちょっとしたアイデアやきっかけが降りてきて
でも結局それを実現できるように頑張った人にだけ
結果が与えられる。
全てが神様の力で成功へ転がっていくわけではないのだ。
と、いう気がした。

ともかく、そんな今戸に建っていることから、
この今戸神社は「招き猫発祥の地」を名乗っている。
とはいっても実は、昔からずっとではなく
最近になってから名乗ったのだという話もちらほら。
なんでも、今戸焼の招き猫の特徴は
一般的な招き猫のように正面を向いているのでなく
体は横向きに座って顔だけをこちらに向けているのだとか。
(この今戸焼の横向き猫は〇〆(まるしめ)猫というらしい)
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発祥の地を名乗るならその辺も徹底してもらいたいような…
という気もするが、境内にいる猫はどれも正面を向いている。
〇〆猫以外にも今戸にこういうタイプの招き猫がいるなら
どことなく可愛くないとて許せるのだが。
せっかくそんな特徴的な招き猫の出身地なら
是非そのタイプを推していただきたい!
そこんとこ どうなんでしょう。

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まぁ、〇〆ちゃんを推すかどうかは
とやかく言わずに今戸神社さんに任せるとして…
デカい猫に視線を奪われがちだが 脇に小さな福禄寿がいる。
ここは「浅草七福神」のチェックポイントにもなっているのだ。

今回七福神巡りをするつもりは特になかったのだが、
淺草に来たからにはと寄ってみた浅草神社浅草寺が恵比須・大黒。
吉原神社が弁財天、待乳山聖天毘沙門天、ここが福禄寿。
そして次に訪れた鷲神社が寿老人のチェックポイントである。
この辺りの神社を回ると自然にコンプリートできるのかもしれない。

そして、猫のインパクトが大きくて忘れるところだったが
ここの御祭神はもう一柱いる。應神天皇である。
應神天皇は「三韓親征」の神功皇后の息子。
身重ながら兵を率いて勝利をおさめた皇后の功績から
その戦いの最中、皇后の胎中に居た應神天皇
戦勝をもたらす御神徳があるとも言われている。

もともとこの今戸神社は戦勝祈願のための神社。
源頼義・義家が奥州の安倍の貞任・宗任討伐に先立ち
京都の石清水八幡宮のカミサマをお招きしたのが始まりである。
ちなみに、このとき もう一カ所
皆様御存知の「鶴岡八幡宮」にも八幡様をお招きした。
つまり、今戸神社には鶴岡八幡宮と同じ神様がいらっしゃるのだ。
どうも最近イザナギ夫婦の縁結び・新参の招き猫に押されているが
勝負事、スポーツなどの試合前にも是非御参拝あれ
(=゚ω゚)ノ

*蛇足*
そういえば、拝殿にある大きな招き猫の後ろの棚に
猿バージョンの招き猫(?)が見えるのだが…
申年にでも作ったんだろうか。
(我らが群馬県はダルマが名産なので干支ダルマとかあるが、
モトの形状が違い過ぎるため巳と辰が正体不明の物体となる)
これ「招か猿」として流行らせたらどうだろうか。
これを置いておくと悪縁・貧乏 招かざる!
なかなかイイのではないだろうか。
いや、もともとそうゆう商品として作られてたらすいませんね。