とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

神長官守矢資料館で聴き込み。

前回は諏訪大社について
「なんとなく分かった気になる」記事を書いたが、
今回は「段々わからなくなる」感じになりそう
(´Д` )

まさにアレだ。
時を重ねるごとに1つずつ貴方を知っていって、
さらに時を重ねて1つずつ分からなくなって
(byポ◯ノグラフィティ)
ってヤツだよ。まったく。
(´Д` )
とりあえずこの記事では
実際に見たり聞いたりしたことだけ書いて
妄想は次回まわそうと思う。

まずとにかく、
事実から書くと守矢氏とゆう家系が
諏訪大社の神長官を世襲してきたわけだ。
この神長官とゆうのは、
前回「現人神だ」と書いた最高神官の下にいる。
No.2だ。
(ちなみに神長官は下社には無い役職)

しかしながら彼らは、
元からタケミナカタの神官だったワケではない。
彼らが祀っていたのは、
モレヤ神とゆう土着の神だったらしい。
漢字で書く場合「洩矢」と表記される。

と、ここまでは確からしい。
では、なぜ現在はタケミナカタが鎮座しているか?

タケミナカタは国譲りに応じなかったため、
天ツ神であるタケミカヅチにメタメタにされた。
命からがら逃げたタケミナカタは諏訪に着き
土着のモレヤ神を追い出し住み着いた!

とゆうのが通説。これに関しては、

タケミナカタ
 ↓
大和政権により土地を追われた
九州の稲作or漁業民族

とゆう解釈が為されている。
つまり内陸である諏訪へ逃亡してきた民族が、
諏訪湖周辺の土地を奪ったわけである。

「中央集権に伴う民族抗争の隠喩」説。
その辺までは、まぁ分かる。
ただ、この辺から
いくら情報が増えても上手く組み合わさらない!
みたいな感じになってくる。

とにかく、何か分かるかもしれないと
今回 上社より先にまず
知る人ぞ知る「神長官守矢史料館」に向かった。
諏訪大社でなく、神長官守矢氏に関する資料館である。

そこで見たり聞いたりした結果、
いくつか情報を入手。

まず祭神などに関して
諏訪大社は御存知の通りタケミナカタ
上社の大祝は諏訪氏・神長官は「守矢」氏。
ちなみにNo.3禰宜太夫は「守屋」氏だという。
下社の大祝は金刺氏。(これも九州から来た一族だ。)
神紋は梶(諏訪梶・明神梶)である。

一方の洩矢神社は 「洩矢」神を祭神としている。
それをもともと祀っていたのは守矢氏で、
洩矢神社の神紋は「丸に一つ柏」。
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そして、諏訪大社洩矢神社ともに
拝殿後方の山は守屋山である。
(同じ山の違う方角の麓にあるわけだ)
※ただし、洩矢神社には一般的な「本殿」がある。
この時点でもはや、モリヤには3通りの表記がある。

さらに守屋山中の国道125号沿いには
「守屋神社」とゆう神社があるのだが。
鳥居の扁額には「物部守屋神社」と書かれているのだ。
あの崇仏派・蘇我入鹿たちと対立した
廃仏派の物部さんが祭神とされているとか。
神紋は守屋神社が「丸に三ツ柏」。
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洩矢神が諏訪土着の神と聞くと、
同表記の洩矢神社が最も古く信仰の根幹?
というのが自然な流れだが、

実は!この(物部)守屋神社は「里宮」であり
守屋山頂上には「守屋神社 奥宮」があるのであった!
※今回はココまでは行けていない。

頂上におわすのが守屋神社
しかも山の名前も「守屋」山というのだから
まさか守屋神社が信仰のメイン?
ということになるではないか。

しかし、そこで守矢資料館の人に聞いてみると
物部守屋神社は諏訪信仰と関係ない」とのこと。
関係ない!?そんなにハッキリと?
しかも神紋も洩矢神社と同系統なのに?
山頂にもあるのに!?

疑問は残るが、
物部守屋神社の話はこれ以上聞けなそうである。
このあたりの地域では諏訪大社のみならず
かなり小さい社さえ御柱を立てるのだが、
この守屋神社だけは立てないというし。
拝殿の後ろに本殿はないものの、
少し坂を上がったところに本殿らしきもの
そしてそのさらに上に野ざらしの祠
という特殊な構造も気になっていたのに…

仕方なく各神様について訊きはじめる。
洩矢神は土着の草木や石といった自然物の神様、
タケミナカタは九州から来た
稲作or漁民(水辺)の神様という話だった。
※狩猟の神・風の神とされることもある。

ちなみに洩矢神への信仰は単一神に対する信仰でなく
蛇神ソソウや、それと習合されたミシャグヂ神、
そして猟神チカトなど諸々に対する信仰の集合体らしい。

諏訪大社からは近くもないが、
諏訪にはいくつかの「千鹿頭神社」が存在する。
読みは「ちかとう」だということを考えると
猟神チカトの神社だったんだろうか。

守矢資料館の方によると、
諏訪大社の「御頭祭」に使う鹿は
かつて千鹿頭神社の神職が納めていたのでは…
という話があるとゆうことだった。

すっかり「御頭祭」について書き忘れていたが、
守矢資料館に入るとすぐに
ウサギの串刺しやら鹿の首やらがあって、
これが御頭祭の再現なのだそうだ。
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狩猟の成功や五穀豊穣などを願う神事で
多くの獣の肉や頭が供えられたと記録されている。
なお今は剥製の鹿を使用して行われるそうなので、
動物愛護団体からの抗議の的は専ら
正月に行われる「蛙狩り神事」に集中している。
(冬眠中の蛙を串刺しにして供える神事である!)
資料館の人は「御贄柱(おんね)」に関して、
「子供を生贄にしていた時代もあったらしい」
と話してくれたが、時代が下って
「殺しかけるところで止める」形になった、
さらには柱のみで代用するようになったetc
いろんな説や段階があるようなので
詳細は書かないでおこうと思う。

そして最後にヤサカトメに関しては
社殿や地域史によって系譜にもズレがあり、
ヤサカヒコの娘orワダツミの娘などまちまちで
名前からして八坂(多くの坂)を統べる女神では?
というくらいしか推測できないらしい。
ちなみにこのヤサカトメは
日本神話には登場しないので信濃独自の神様。
と考えるのがよさそうだ。

蛇足だが、この夫婦に関して
諏訪湖の御神渡で氷のヒビが入ることを
「竜が走る」と言ったりするらしい。


と、とりあえずわかったことに関してはこれくらい。
詳細に関しては謎が多い、とゆうのが多い。
次回はこのパーツを使って妄想ばかりする予定。
(=゚ω゚)ノ