とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

金の目のシシ、溝祭。

ちょうど桜も満開の4/7(日)、
高崎市吉井の溝祭・三宮神社へ。
いや、溝祭ってゆう祭りに行くワケじゃなく
ミゾマツリという地域ね。
田畑の水路とか、そういう溝に神様がいて
その方たちが豊作をもたらしてくれると。
そういう発想に基づいてつけられた地名だというコトだ。
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自転車には非常に良い気候なので、
うちの近所の川に沿って吉岡へ向かう。
各地にある一宮とか二宮と言うのは
昔の人が、各地の神社に付けた順位と言う。
順位と言うか順番と言うか、
これには社格or神階だとか国司が参拝した順だとか
色んな考え方があって定かではないらしい。
群馬(上野国)では、
一ノ宮が貫前(ぬきさき)神社。二ノ宮が赤城神社
そして三ノ宮が今回訪れた三宮神社である。
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さて、現在この三宮神社に祀られているのは
ヒコホホデミトヨタマヒメ夫婦と
そしてスクナヒコナ

なぜこの3人の組み合わせなのか分からないが、
この三宮は温泉で有名な伊香保神社の里宮ではと言われている。
伊香保神社の祭神はスクナヒコナとオオナムチであり、
そのスクナヒコナがココにいるのではないかと思う。
(なんでスクナヒコナだけ里宮に居るかと言われると見当がつかないが)
2人は日本の地形を作ったので山の神とされることもあり、
また医薬の祖というコトで温泉の神と言われることも。
那須玉造温泉など国内各所に点在する「温泉神社」も
多くは祭神としてこの2人が採用されている。
そういう点では伊香保にもぴったりの神様なのだろうと思う。

一方、伊香保神社には居ないヒコホホデミ夫婦。
この名前に聞き覚えが無くても
海幸彦・山幸彦の話は知っているという方はいるはずだ。
釣針を持った兄と、弓矢を持った弟の話なのだが、
弟・山幸彦がヒコホホデミ(またはホオリ)とされる。

2人はたまには道具を交換してみることにしたが、
てんで獲物は取れず「やっぱいつも通りにしよ」となる。
が「ゴメン兄ちゃん、俺、釣針なくしちゃった…」
と言うヒコホホデミに兄ちゃん激怒。
彼も代わりに自分で釣針を作ってみたりしたが、
兄ちゃんはキレ続けていて受け取ってくれそうも無い。
なので海へ探しに行くことにしたのだが、
海の神様でもないので沈んだ釣針が見つかるハズなかった。
(でも普通に海中に探しに行けるあたりは神様だよね…)

そんな時、海の中で困っている彼を見つけたのは
ワダツミの愛娘・トヨタマちゃん。
「ねぇパパ、なんか外で困ってる人がいるの」
そうしてワダツミの屋敷に招かれた彼は事情を話し、
ワダツミは周辺の魚たちに釣針について訪ねてくれた。
結果、無事に釣針は見つかったのだが
「ねぇ、ワシ見つけてあげるのタダとは言ってないよね」
ということでトヨタマヒメと結婚することになった彼。
そんな立派な神様の娘(しかも可愛い)と結婚なんて、
ラッキーじゃない。と思うが彼は地上が恋しい。
しばらく海中で生活したが 物憂げな彼を心配した妻が
「ねぇパパ、可哀想だから返してあげて」
と交渉し、彼は陸へ帰れることとなったのだった。

別れ際にトヨタマちゃんはヒコホホデミに言う。
「おなかに貴方の子がいるの。産屋を建てて待ってて」
なので家に戻った彼は産屋を建て彼女を迎える。
そして出産は絶対に見ないでほしいと言われるが、
そこは「みるなのタブー」のお約束というか
彼は産屋の中を覗いてしまう。
すると、そこでは和邇(わに)が産褥に苦しんでいた。
無事ウガヤフキアエズという男の子が誕生したが、
本当の姿を見られたことを恥じて彼女は海へ帰ってしまう。

前後や帰った後のことをいろいろ省いているが、
これが2人の出会いから別れまでである。
ヒコホホデミ
オオヤマツミの娘・コノハナサクヤが
火を放った産屋の中で産んだ子供であるからし
山とも火とも縁が深いカミサマと言える。
度重なる噴火と、それにより形成された岩がちな姿から
厳つ峰(いかつほ)と呼ばれていた伊香保には
マッチした神様と言えるのかもしれない。
(それならなぜ山宮である伊香保には居ないのかと聞かれると焦る)

…とまぁ、そんな3人がいるのだが
そうした日本神話の神様が いつから居たのか分からない。
中世に書かれたという「神道集」では
伊香保の神は山に居る時には本地は薬師
里に下りては本地は十一面観音であると書かれている。
また、伊香保の神は男女2柱であり
男体は伊香保、女体は渋川保三宮におわすともいう。
同一の神が本地仏を変えながら山と里を行き来するか、
男女の伊香保神が山と里に分かれて祀られるか。

信仰に「どちらが本当」は無いかもしれないが、
女性が入山できない時代などは特に
里宮は女性の崇敬厚かっただろうと想像する。
周産期医療も発達していなかった時代、
女神にあやかりたい女性も多かったはずだ。
そういう意味では、同一神であろうと2柱であろうと
里宮は女神様のほうが腑に落ちる感じはするなぁ。

さて、最近、獅子の話が多くて 神社の話できてないかな?
と思ったので神様の話を少し長めにしてしまったが、
この神社にも獅子舞が伝わっている。

通常4月の第一日曜に春祭りだと聞いていたが、
今年はちょうど地方選の時期と重なり
県内の獅子は日程がズレたり今年やりませんという所も。
三宮はどうなんだろう?と役場に問い合わせるが分からず。
困っていたら 最近よく獅子舞に誘っていただく友人が
「会長さんと連絡付くから確認しますよ」と言ってくださり、
無事見に行くことができたのだった。
いつも皆様の厚意に甘えっぱなし…(ノД`)・゜・。

境内で忙しそうにして居たおじいちゃんに声をかけると
「獅子は最初8時半過ぎっからだろ」と教えていただいた。
少し時間があるので境内を見て回った後、鳥居付近へ。
実はこの神社 高速道路にほど近いのだが、
大きな道からは一本奥まっていて参道は落ち着いた雰囲気。
神社横の建物で支度を済ませた一同は、
一旦参道の始点まで移動して そこから鳥居へ向かう。
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陣羽織を着けた成人のカンカチに先導され、
獅子と その後ろに子供のカンカチたち。
階段をのぼり境内へ上がると、宮廻りをする。
舞いながら、拝殿・本殿の周りを時計回りに1周。
時折、獅子が駆け足のように大股で進むところが
個人的には可愛らしくてツボ。
それが終わると、獅子舞は一旦 神社横の建物へハケる。

拝殿は赤と黒で、どっしり存在感。
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拝殿横には、大きな扁額が奉納されていて
太々神楽三樂講設立記念 昭和二十三年四月吉日」
と書かれている。
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タイムテーブルを見せてもらうと、
獅子舞と太々神楽が交互に奉納するような形で
獅子たちは2庭ごとにインターバルを入れることができるし
見る側はずっと居ても何かしら見られるという感じだった。

獅子の宮廻り後は拝殿で式典が行われるほか
社務所にも人が集まり感謝状の贈呈や会計報告が行われてる。
神事(祭)と自治的な行事が ちゃんとリンクしてるのね。

その間、獅子舞の方たちは休憩。
休憩している獅子舞保存会さんにチョロチョロ近づくと
まず声をかけてくださったのは会長さんの奥様。
「私も獅子舞のことはあまり知らなかったけど、
 主人が会長をやるようになって手伝ってるうちに
 何となく色んなこと聞いたり覚えて来たんですよ」
と、非常に話しやすい方で 人見知りの管理人も一安心。
事前に連絡を取ってもらったので
会長さんも資料などをいくつか用意してくださっていた。

それによると、溝祭の里には
1583年(江戸時代)頃より稲荷流佐々良獅子舞があって
別名「雨乞い獅子」とも呼ばれていたという。
そうして代々伝わってきた舞の唱歌を、
1877年(明治)柳田權八さんという方が文字起こし。
その後も1915年(大正)の大祭にあたり、
竹内さん、小谷野さんという方が權八さんの本をもとに
獅子舞や資料の復元に努めたと書かれていた。
そうした先人たちの努力により保持されてきた獅子は
1936年(昭和)、靖国神社の大祭での奉納に至ったという。

口伝であったことを文字化した柳田さんの偉業に
芸として伝える・教えるにとどまらず
「さらに確実で伝わりやすい形で残していこう」
というような意気込みを感じる。

以前、溝祭のシシ見に行きたいなぁとネットで調べた時に
小さな写真で獅子の御顔を拝んだことがあった。
群馬県教育文化事業団「ぐんま地域文化マップ」)
そのとき、よく見えないけれど他の獅子と違う
なんだか不思議な感じがしたのだったが…

実物を見て、その理由が明らかに!
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そう。瞳が描かれていないのである。
金一色の眼というの初めて見たなぁ。
会長さんも近場に限らず獅子を見て回るとのことだが
「私も他ではどこも見たことはないんです」と。
修繕に出した際に、職人さんの方からも
「何故目が無いのか、描いても良いか」や
「こんな目くら獅子は居ない」と言われたそうで…。
しかし、会長さん(当時まだ会長さんでは無かった)は
他にこうしたシシが居ないか必死で資料を探したそうで、
「ある資料で、東京の方に1カ所あると読んだんですよ」と。
その情報も助けに、何とか職人さんを説得。
よく聞く「直しに出したらデザイン変わった」を
見事まぬがれたということだった。よかった…。

その話を伺った後、
町内の役員さん達の行事も一通り終わったようで
再び獅子舞の出番となる。
場を清める「沢の平」と、「剣の舞」という演目。

間近でカシラだけを見た時よりも、
瞳の無い「不思議な感じ」が引き立つ。
一般的な獅子頭が ある意味キャラクター的なのに対し
動物的と言うかなんというか、そんな印象を持った。
剣の舞では、剣を咥えさせる前に獅子に塩をまき
獅子は剣を咥える前と後に「伸脚」のような恰好で片膝をつき
バチを持った両手を「回旋」の様に大きく回す。
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いずれの剣が勝っているかと競い合う獅子。
このタッツケ袴の生地、爽やかな柄で好きだなぁ。
こんな柄の夏着物あったら可愛いだろうなぁ。
( *´艸`)
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まぁまぁ、雑談は置いといて。
剣の舞が終わると、また舞殿のほうでは
太々神楽が始まり禊祓いの舞・猿田の舞などが行われる。
その間、「雨乞い」について伺うことができた。
先ほどの資料にも「雨乞い獅子」と書かれていたが
ココの獅子は古くより、日照りが続くと
吉岡町内にある船尾滝まで登り雨乞いをしたという。

町内と言っても吉岡町と言うのは非常に長細い。
吉岡の先端にギリギリ船尾滝が入るという感じで、
この三宮神社からは11kmほど離れている。
地名が少し分かる人向けに言うと
伊香保榛東村より少し榛名山山頂寄りにある。
船尾滝は地酒の名前にもなる そこそこ有名な滝で、
昔は神聖視され一般人は入れない場所だったという。
(現在は土砂崩れと言う意味で近づけないが…)
ちなみに、水源は榛名湖である。
気になるのは、ここに掛かる「おんべ氷橋」。
御幣を口語的に「おんべ」というが
儀礼を行っているとそれが凍るほど寒い橋
だったということだろうか?(妄想)

ともかく、こうした雨乞いというのは
水道の整備とともに自然に任せる必要性が薄れ
各地で行われなくなっていったのだと思うが。
「いまでも船尾滝まで登るんですよ、真似ごとですけど」
と会長さんが仰っていたのが嬉しかった。
定期的に行くワケではないようなのだが、
形式的にでも祭礼以外での奉納が続いているとは!

会長さん自身、子供の時分を思い出すと
獅子舞での雨乞いは記憶にないそうなのだが
神社で雨乞いのために火を焚くことがあったという。
「子供心に、なぜ雨を降らせるのに火を燃すか不思議でした」
と当時の素朴な疑問も伺うことができた。
火と言うと思いつくのは護摩だけれど、
そういう修験道的な儀礼が行われていたんだろうか。
いずれにせよ貴重なお話(/・ω・)/!
地元の方の記憶って、本当に
ありがたく大切なものだなぁとしみじみ…。

しみじみしていると神楽のターンが終わったようで、
獅子たちが再び境内へ。今度は子供の獅子舞である。
コチラの演目は「ぼんでん」。
県内でもボンゼンとかボンデンとか発音に多少違いはあるが
ザックリ言うと幣(へい、ぬさ)のこと。
今までブログに乗せてきた中で、
大人の身長より大きなものを持っているのは
羽場日枝神社の獅子舞くらいか。
…と書こうとしたが
見返してみたら見切れてた!写ってない!(動揺)
しかも、秋田の梵天祭も、行ったのブログ書き始める前だ
…というわけで、今までブログに写真を載せた中では
一番大きいボンデンになりますかね。
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当日、演目の初めのアナウンスで言っていたのは
「ボンデンは神様へつながるもので
 その周りに獅子が集まって地域の人々の願いを
 ボンゼンへ注入して神様へ送り届けているのでは」
というイメージだった。たしかにそれ、分かりやすい!

ただ、獅子舞に関する資料というのは
先人の努力により まとまりを持って残っているが
以前 地区内の東漸寺に保管されていた衣装や資料が
明治時代に火災に見舞われ一旦は焼失しているという。
特に演目や衣装の意味付けについては明文化されておらず
今では正確には分からないということだった。
そのため、上記のように意味などは
他の地域での祭や祭具を参考に想像するしかないとのこと。

その話の中でも、ボンデンと発音は濁るが
秋田にある梵天と同じものだろうという話も出た。
いやぁ、管理人は そもそも
なぜ梵天と呼ぶのか とかも非常に気になってまして…
梵天耳かきとかね。山伏の梵天袈裟とかね。
どれが一番先に出てきて、
どれがどれを語源にそうなったのか。
そう思って調べてたら、
トイレのスッポンすら梵天と呼ぶ地域があるらしくて。
何だ。もう棒の先に何か付いてれば梵天か。
チュッパチャップスも梵天なのか!?
…オイ(´・ω・`)シッカリセェ…

でもなんか、梵天(=ブラフマー)は
インドの神話では一番最初の創造神だし
仏教でも梵天さんは結構高いところにいる。
「一番上のモノ」とかそういう意味なんだろうか。
棒の「一番上」になんかついてるヤツ、的な。
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ちなみに、コチラのボンデンは紙だけでなく
結構たくさん麻も入っている。
会長さんは
アイヌが儀式に使うものの中にも
 このボンデンと似たようなものがあったので
 アレがぼんでんの元ではないかと思っています」
とも話されていた。
機能や見た目からすると、会長さんが仰っていたのは
イナウ(木幣)のことかなぁと管理人は考えている。
本州の「削り花」や「ケズリカケ」のような感じで…
(といってうまく伝わる気がしないので画像検索をお願いします)
木の棒を刃物や鉋で薄く削り、花のようにしたものである。
そういえば本州では「大幣(おおぬさ)」などのように
御幣のことを「へい」でなく「ぬさ」と呼んだりするが、
アイヌでは祭壇のことをヌサと呼んだりするなぁ。
アイヌ語が本州で転じて祭壇に置くものをヌサと呼んだか
逆に交易が始まってから本州から伝播した言葉か
それとも偶然出会ってぜんぜん別物なのか。
時間を作って調べてみなければ。

話がずれてしまったが、
午後は大久保屋台囃子保存会さんも見ることができた。
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ここ溝祭は正式には吉岡町 大久保 字宮という場所で
大久保地区には現在5つの屋台があり夏祭りで見られる。
かつて養蚕で得た収益で各地域が屋台を購入したのだそうで、
現在は不定期となっているが以前は10年に一度
本祭例というコトですべての屋台が列を成し、
この溝祭三宮獅子舞が先導して地区内を回ったという。

後で会長さんの奥様から
「前回は橋が開通した時かしら、まだ娘が小さかったの」
という話があった。
ということは平成になってから掛かった平成大橋だろうか。
もしそうなら平成3年くらいのはずなので20年以上前…?
と思ったが、立地を考えてみれば新坂東橋かもしれない。
だとすれば2010年の春に開通したので ちょうど9年ほど前か。
どうやら、そろそろ大祭礼をやろうかという話もあるようだ。
あれかなぁ。改元記念ってことでやってくれないかしら。
準備とか大変なのだろうと思うけれど見てみたいな。

その話し合いなどもあり会長さんもお忙しいとのことで、
管理人も一旦 獅子舞保存会さんから離れ神楽を見学。
ちょうど蛭児(ヒルコ)の舞をやっていた。
エビスさまと同じ神様とされる「ヒルコ」さんは
漁業の神様とされ よく釣りをしている。
今まで見た物では、ヒルコさんが最初に魚を釣って
通りがかったヒョットコが「それちょうだい!」
と何とか頼み込んで手に入れた鯛を人に取られたり、
もしくは恵比須様の御供のヒョットコが
恵比須様が鯛を釣って魚籠に入れるそばから
それをどこかへやってしまうという話が多かった。
が…今回は最早、どれがヒルコさんなのかすら…
だって、面的にはコレがヒルコでは?って思うけど
この人、ドクター役なんだよ(´・ω・`)?
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お帽子かぶって、Dr.コトーみたいなバッグ持って。
で、なんでドクターが来たかって、
最初はオカメっぽい面の人が魚を釣ってたんだけど
それを盗人に取られてショックだかやられたかで倒れる。
暫くして、普通に釣りをしに来たヒョットコ。
撒き餌みたいに見てる人たちにお菓子を撒いて、
魚を釣るんだけど そのあと倒れてる人を発見。
舞殿の柱とかに隠れたり抱きついてビビりまくる。
そうそうしてるとこのドクターが来たので
ヒョットコは助けを求める。
釣りをする、のでなく釣り人を助けるのがヒル
という解釈であればヒルコさんが医者でも納得できるけど
いや、もう近くに立っているおじいちゃんに
「どれがヒルコさんですか」て訊けばよかった。
ちなみに治療に用いられたのはコチラ。
…いや待て、これで治療できるか(;゚Д゚)!
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見てるおじいさんは「ああ、注射だw」とゴキゲン。
かなりハッキリとした金精様ではないか…。
これを倒れたひとに刺して
「意識戻らんなぁ」と言うように2人で様子を見ている。
シュール…倒れたオカメに あの棒が刺さっているのを
観客たちが見守る この状況…!
釣りをするのは男性が多いところ、何となく
最初の釣り人がオカメの面だったのは得心行ったが。
初めて見たパターンのヒルコさんに
テンションが上がるとともに動揺しつつ、
管理人もみんなと一緒にしばらくそれを見守っていた。

話し合いから戻られた会長さんが声を掛けてくださり、
演目が「女獅子隠し」から「ぼたんの舞」に変更とのこと。
その後は予定通りに「天神林」「おいと」となって終了。
ちなみに、ぼたんの舞に使われた立派な椿は
会長さん宅の御庭にある椿を少し切ったのだとか。
これで「少し」て…結構おおきいですやん。
立派な御庭が目に浮かびます…(*´ω`*)

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大人のカンカチさんは陣羽織に鉢巻き。
鉢巻に付いている金属の丸い飾りが、
今年見たところは3つが多かったのだけれど
ここ三宮の獅子舞は2つだった。
あの金の丸の意味を聞いてみたけれど、
会長さんでもご存知ではないとのことだった。
カンカチは本来、獅子3匹に対し1人らしい。
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なので、子供の獅子舞では
本来のカンカチの子だけが獅子と同じ装束で
その他のカンカチは普段着に法被姿。
獅子の装束を着た一人だけが、
通常の金属のカンカチ棒を持っている。
他の子は樫の棒を代用しているとのことで、
(全員金属のところが殆どなので)木である理由を伺うが
「全員金属だとうるさくなってしまうので」
とのことだった。なるほど。

太鼓のバチは朴の木でできているが、
カンカチ棒は棒同士をぶつけた時に樫くらい固くないと
すぐにボコボコになってしまうのだそうだ。

カシラの内側を見せていただくと、こんな感じ。
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向かって右側が獅子の鼻先なワケだが
顎の下に当たる部分に薄っすら弧を描いた段差が見える。
以前は頭の入る部分がもっと大きく、
この線のあたり=おでこな感じだったのだそうで。
今の人の頭にマッチするカゴの大きさにはなったものの、
中の人の頭より かなり獅子のカシラが前に出ているので
気を付けないとシシが猫背に見えてしまうとか。

子供用のカシラはプラスチックで作成し
なんと瞳も入っているのだった。
なぜ敢えて目を入れたのか不思議だが…。
ちなみに、剣の舞で使用した剣は
なかなか真に迫る見た目で重さもズシッとしている。
実はこれ、現在笛方をやっている方が
ステンレス?を削って作ってくれたのだそうだ。
↑材質名を教えていただいたのに記憶が曖昧になってしまった。
でもアルミだとかなり軽くなってしまうのでステンレスと言っていたはず…。

この笛方さん、
普段はケーナ(あのアンデスの笛)を吹いているそうで。
本当に芸能って話を聞けば聞くほど 何てゆうか
「他の楽器や踊りできる人」が多くてビックリさせられる…。
会長さんも他の団体の笛を習ってみたり、
東北の方の人とか、神楽とシシやってます、とか。
この楽器やるにはこっちが分かってないとうまく合わないから
これもこれもやってるうちに出来るようになっちゃいましたとか。
アレですよもう。芸能バイリンガル的な…。
管理人などはひとつの楽器ですらヒエーってなってるのにね。

笛と言えば、会長さんが「唱歌」ではなく
笛の「どの穴を押さえるか」で表現した譜面を作ったそうで。
通常は、と言うか日本の楽器と言うのは口承することを前提に
音階や間などを言葉で表現する方法が採られてきた。
三味線で言えば「口三味線」とかがソレ。
(管理人は三味線しか分からないので三味線で言うけれど)
例えば「チリタラ」と言われたら
人差し指で3、薬指で4を押さえた状態から

チ=両方押さえたままバチを打つ
リ=人差し指(3)のみ押さえて薬指で弦をはじく
タ=両方の指を離して撥で弦をすくう
ラ=解放弦のまま人差し指で弦をはじく

と弾く、という具合に。

このゴシャゴシャした情報が4文字で伝わるのが
唱歌というモノなのである。
ただしこの方法、師匠と練習する時間が短いと
なかなか活用しづらいのが欠点の1つ。

また現在は学校でも五線譜に触れる機会しかないため
笛を全て五線譜に落とし込んで子供に教える団体も。
しかし、それでは細かな「ため」や「間」が伝わらない!
それじゃ本来の笛とどことなく違ってしまう!イカン!

というわけで、基本的にはまず
唱歌を歌って覚えてもらうのだけども
このような感じ↓の譜面(?)を会長さんが作成。

と●●○●○○
ろ  ↓2回たたいて下へ
お●●●●○○


ろ●●●●●○
 
管理人はリコーダー以外の笛は吹いたことが無いので
見てみただけではもちろんどう吹くのか皆目わからないが…
唱歌の横に「笛のどの穴を押さえるか」が書かれ
1人で練習していて指の動きが曖昧になった時などに
効果がありそうだという気がした。

終盤、子供たちによる御神輿の奉納が行われた。
約4年前に寄贈された新しい御神輿だが、
装飾は細かく見事なモノ。

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そして、誰もが心待ちにしていた(?)餅まき!
「市杵島の舞」「天狐の舞」「国治の舞」が続く間、
餅まきを待ちわびる子供たちがワイワイ騒いでいる。
世の中美味しいモノなんていっぱいあるのに
子供が餅に熱狂できるってイイことだ…と思うの半分、
ゆっくり神楽を観させてくれ…と思うの半分。
(子供の押し合いへし合いに巻き込まれた)
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狐が片手で餅を投げながら面の口に餅を咥える。
モグモグ。ほおばっているような仕草、可愛い。
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すると子供たちが一斉に騒ぎ始める!
「あー!キツネ!食べてるー!」
「俺の餅が減る―(;゚Д゚)!」
「早く餅よこせー!くれー!」
「餅食わせろー(゚Д゚)ノ!」
キミら、もはや暴動とか打ちこわしじゃないかwww

でもまぁ、食べ物につられてでもいいから
「よく分からんけどあの高いとこでは楽しいことやる」
みたいな意識が小さい子たちに根付いてくれたらなぁ。
これで、餅まき「する側」に興味を持ったり
そんでもって神楽に興味持ってくれたらいいんだけどなぁ。
最後は役員さんぽい方たちが一斉に餅まき。
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管理人は子供に圧倒されて餅拾えなかったけれど、
お祭りでよく会う方が「あれ?1個も持ってないの」と
お餅を1枚 恵んでくれたとさ。ありがとうございます!
帰ってからあっためて食べたけど、
はぁ、なっから美味しー(*´ω`*)
味付けしてない団子とか餅が大好きです。

そんな感じで、一日まるまる楽しめる
溝祭三宮神社の春祭りでしたー!