とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

シシ年、旅はじめ②:シシの足跡、めぐる古都。

前回に引き続いて京都になるが、
シンポジウム&公演でもお世話になった東京鹿踊さんの
シシオドルーツアー(訳:シシ踊りのルーツ巡るツアー)
にご一緒させていただけることとなった(*'ω'*)

鹿踊での「シシ」は鹿だが、
昔、狩猟の対象となる大きめの動物は皆 シシと呼ばれた。
鹿は「かのしし」。羚羊は「かもしし」。猪は「いのしし」
もののけ姫でも、「シシ神さま」が山・生命の神として登場するし
アシタカは「アカシシに乗った少年」と言われていましたね!

彼らは信仰の対象となることも多く、
ここ京都でも方々の寺社にその姿が残っている。
いざ、シシや東北に縁のある寺社へ!

護王神社

まずは手始めに、今年の干支さんにご挨拶に伺う。
ココは上京区にある護王神社
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チョイと見ただけでも境内にあふれかえるイノシシ像たち!
手水鉢も、舞殿の両脇に構えるのも みんなイノシシ!
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そしてコチラ↑は、
みんなの願いを受け付けている「願掛け猪」。
護王神社では一般的な「絵馬」も売っているが、
折角なので 御参拝の折には この
座立亥串(くらたていぐし)↓を使ってみては?
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イノシシの付いた可愛い紙札である。
氏名と願い事を2本の串に同じように記入。
片方は 先ほどの願掛け猪の周りに刺し、
もう一方は持ち帰って家で大事にお祀りする…
という、護王神社独自の願掛けなのである!

さて、ところで
何故こんなにイノシシ推しなの?というと。

日本史にも出てきたが 昔むかし
弓削道鏡という僧侶が法王となって権力を振るい、
ついには天皇の座をも奪おうとウソをついた!
「宇佐八幡の御神託で私を天皇にって言ってたよ」

困った天皇は、和気清麻呂さんを呼び出した。
「ねぇ、道鏡がなんかスゴイこと言ってるけどアレ本当?」
清麻呂さんは真意を訊きに九州へ。すると八幡神が言うのです。
「いやいや、後継者は皇族にしなよ」
「ってゆうか危ないから道鏡とか追放しちゃいなYo」

さっそく京へ帰って、天皇にコレを報告。
当然、計画を台無しにされた道鏡は激おこである。
「お前なんか、鹿児島に流罪なんだから!」
清麻呂は穢麻呂(きたなまろ)と改名させられたうえ、
流される途中で道鏡からの刺客に足の腱まで切られた。
しかし、そんな満身創痍状態でも清麻呂さんは
八幡様に感謝を述べるため宇佐八幡宮へ立寄ろうとする。

すると、どこからともなく大群のイノシシが現れ
彼の一行を取り囲み 守りながら宇佐八幡へ誘導!
不思議な水で足も治癒し、1年後には帰京も叶った。
そんな彼の神霊は今もイノシシたちに守られ、
この護王神社に鎮座しているというわけである。
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*東寺・三十三間堂

この後は東寺・三十三間堂を案内していただいた。
…のだが、なにせ仏像さんたちというのは
国宝とかに指定されると撮影禁止になってしまう。
しかも、この2軒はシシ文脈(?)で行ったワケではない。
ので、感想だけにとどめようと思う。

どちらも共に、仏像が山とある「天国のような場所」だ。
えーと、これはアレですよ。
①鎌倉仏師好きの管理人にとってはパラダイスですよね(*´ω`*)
②仏様たちがまさにそこに居る!浄土を見ているようです!
…ってゆうダブルミーニングですわ。
まあ、そんなのは置いといてε-(´∀`; )

いや、でもほんとにね。
日本の仏教は、仏を人に「体感させる」仕掛けだらけだ。
と東寺・三十三間堂を見てあらためて思ったワケです。
たしかに寺院とゆうのは修行場であり信仰拠点なのだけど、
同時に劇場だな と。某アイドル的な。逢いに行ける仏。

雑誌で見て憧れていただけの あの子のライブを、
息遣いが聞こえるほど近くで見られる!
自分の応援の声が、あの子に聞こえてる。
そしたら、もっと好きになる!
それと同じだと思うわけですよ。

経典に出てくるとか聞いたなぁ、というレベルだったのが
まさに目の前に来迎されたかの如く
天部に守られ菩薩に囲まれた如来が自分と対峙している!
「なんて勇ましい四天王じゃ…これなら守って下さるに違いねぇ」
「見ろ、阿弥陀様だ。浄土ってのは、こんなに有難ぇトコか…」
そして、手を合わせているのを 静かに見ていてくれるのだ。

仏像だけではない。仏様たちを視覚化する仏画、掛け佛。
のみならず、教えや念仏の文字情報を簡素化し
目を楽しませ 容易に実践できる踊りへ変身させた踊念仏など。

「ありがたーいモノなのよ?簡単に届かないのよ?」
「お空のたかーく、海の果てにいるのよ?」
と遠ざけるのでなく
教えを知る者が まだ知らない者へ 仏をググっと近づける。
日本の仏教にはそんな部分がある気がした。


六波羅蜜寺

さあ、精神のチャンネルが仏教に合ってきた所で
東山区六波羅蜜寺へ!
仏像ファンでなくても、京都詳しくなくても、
みんなこの人↓ 覚えてますよね?
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六波羅蜜寺さんのパンフレットから拝借しています)

口からなんか出てるこの人が、この六波羅蜜寺の開祖。
さぁ、名前 覚えてますか(=゚ω゚)ノ?
円仁じゃないよ、行基じゃないよ。「空也」だよ!
薄い着物に草鞋という簡素な姿からは考えづらいが、
実は醍醐天皇の第二皇子だと言われている。
若くして出家し、五畿七道を歩いて修行を積んだ彼。
京に戻ってからも豪華な寺院に籠ることなく、
常に民衆の中にいて「市(いち)の聖」と親しまれた。

京都で疫病が猛威を振るうと彼は 自ら十一面観音を彫り、
台車に乗せて市中を曳いて歩いたという。
そして仏前に献じた梅昆布茶(皇服茶)を病人に与え、
踊りながら念仏を唱え ついには病魔をやっつけたのだとか。

そんな彼が今に残る「念仏踊り」の起源というが、
もう一つ彼が起源とされている踊りがある。
それがズバリ「鹿踊」である!

彼が山に庵を結んで暮らしていたとき、
よく庵のそばへ戯れに来る鹿たちがいたという。
空也上人も彼らを可愛がっていたのだが、
ある日その中の1頭が猟師に撃たれてしまう。
悲しんだ空也は その猟師から毛皮と角をもらい受け、
それを身に着け 生前の鹿を真似て踊り 供養したとか。

このエピソードが東北の一部のシシ踊りで
「シシ踊りの始まり」として紹介されている。
(個人的には、春日流に多い気がしている)

その供養の後も 鹿皮を腰に巻き 角を杖に付け、
一生肌身離さなかったとも言われている。
そこには「僧侶としての生命への慈しみ」を越えた
「彼自身として可愛がった鹿を失った悲しみ」
みたいなものを感じる。
(それが悟り的には好ましいか分からないが)
そうゆう揺らぎのある人間くささに人は惹かれるから
空也も、踊念仏も、鹿踊りも今なおファンが多いのだ。
という気がした。


鹿踊りの起源には
鹿に関わる供養の物語が深く関わってくるようだが、
これにもいくつかパターンがあって
・狩猟の対象である鹿を猟師が供養する
・鹿の盾になって弾に当たった猟師の妻を鹿が弔う
(その様子を見た猟師が感じ入ってそれを模す)
など流派や地域によって様々な言い伝えが残っているようだ。

そして、どの話も 単に仏教的(儀式的?)な供養でなく
愛着を持っていた鹿への「明日からは戯れに来ないのだな」
人の糧になる動物への「すまない」や「ありがとう」
亡くなった妻への「なぜ」「自分は平気で鹿を撃っていた」
そして妻を弔う鹿への「獣も人と同じ感覚を持っているのか」
という複雑で締め付けられるような感情を伴う気がしている。
もしかすると踊るというコトは、
失われた「相手の命」だけでなく
解きほぐす必要がある「自分の感情」との対峙でもある。
だからこそ、芸能は人の気持ちの拠り所になれる
…のかもしれない。と思った管理人だったとさ。


清水寺

はい、妄想が長くなったところで
皆さんご存知 修学旅行の定番・清水寺ですよ~。
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工事用足場で掛造りがパワーアップした感じが逆にレア!(笑)
まぁね、いいんですよ舞台のほうは。
もちろん、堂内にある仏像たちは素晴らしかったけれども。
やっぱり玉眼(仏像の目に水晶を用いる技法)の魅力は
暗がりで仏像がロウソクの灯りに照らされたとき最高潮に達しますな!

でも、今回の目的はコチラ!
阿弖流為アテルイ)・母禮(モレ)の碑!
シシ直通の史跡ではないけど、
シシ踊りの宝庫・東北と京都の関わりが垣間見える場所。
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モレって、漢字のイメージのせいで女性的なんだけど
阿弖流為の弟とも腹心の部下とも言われていて。
アテルイは これまた教科書にも載ってるけれど
アイヌというか蝦夷の強くてエライ人(ザックリだな)。
蝦夷に攻めてきた坂上田村麻呂が非常に強いので、
この2人は投降することで戦を終えようとしていた。

そして田村麻呂さんも
「敵ではあるけど優秀な武人だし人望も素晴らしい」
と感じ、朝廷に2人を許してもらえるよう掛けあうと言った。
単に人徳に厚いという考え方もできるが、
「民衆が慕うトップを生かしたほうが平和に統治できる」
という知略に富んだ部分もあったかもしれない…。

いずれにせよ、そう悪い雰囲気ではなく
あくまで赦しを請うために京へ向かった3人。
しかし、田村麻呂の願いは空しく 朝廷は
「いや、絶対ダメだから。危ないし許せないし!」
の一点張りでついにはアテルイとモレを処刑。
2人は枚方に埋葬され、塚が残っているという。

当然、北の民衆たちは田村麻呂の計略と考えた。
「なんてヤツなんだ。嘘をついて連れて行って殺した!」
そうして長いこと、田村麻呂さんは嫌われていた(´・ω・`)
しかし、時代が経つにつれ
「実はそういう状況だったのか」と明らかになってきた。
そしてついに、平安京ができて1200周年となった1994年!
胆沢の人たちからの申し出により、
2人のことを後世に伝える石碑が建ったのであった。

芸能の中には陣中や出陣に際し踊られたものもあって、
争いや苦しみがあったからこそ生まれた濃い文化もある。
でも、その芸能をきっかけに そうゆう過去を知ることで
二度とそうならないように過ごしていきたいものである。


奈良公園

さて、京都から一時離脱し 一路奈良へ。
管理人は高校の修学旅行で高熱を出して
東大寺の前で集合写真を撮って
即ホテルへ連れ戻された思い出しか無いので。
なんかいつもは一人で祭や神社巡ってるけど
大勢で旅するこのタイミングで奈良来たかったわけ。
修学旅行リベンジ。
夕方には京都へ戻らねばならないので、
管理人だけは超弾丸奈良だけども…。

というコトで、やってきました奈良公園
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管理人の住まいは群馬の中ではまぁまぁ都会、
というか住宅地なんだけれど ちょっと上ると山なわけで。
確かに道端とかでこっち見てるヤツとかいるけれど、
なんかもっとイカツいし。居ても2頭くらい。
ココは、チマい鹿いっぱいいて すっごい可愛いんだけど
自然界では見ない密度なのでシュールな気分に。
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鹿せんべい売りが 客寄せのために破片を撒いたら
さらに鹿が一気に集まってきた。
鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿!鹿がゲシュタルト崩壊しそうである。

一番好きなパーツは おしりのクッションみたいな毛。
夜、林の中で見るとコレだけ目立って可愛いんだわ。
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…イヤー、すいませんね、
完全にシカ愛でるモードになってて。神社の話しろよってね。
(;´・ω・)
さぁさぁ。管理人のタイムリミットが近づいてきた。
ひとまず春日大社にちょっとだけ入ることに。

手水鉢の鹿、トナカイみたいに巨大…。
公園にいる実物とは大違い。
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春日大社といえばシカ。だから奈良には鹿がいる。
岩手・水沢のあたりでも、鹿踊のはじまりとして
「神使を模した踊りを春日大社に奉納したのが発端」
と伝えている地域があるらしい。
それほどに、昔から春日といえばシカだったのである。
しかし、このシカどっから来たの?モトからいたの?
とゆうかなんでシカなの?というと。

春日大社の祭神は
タケミカヅチ・フツヌシ・アメノコヤネ夫婦。
このタケミカヅチさんは常陸(茨城)の神様で
今も茨城の鹿島神宮に祀られている。
そこから白鹿に乗って奈良の三笠山にお呼ばれした。
そうか、茨城から鹿に乗ってきたのね。
と、鹿島神宮を見てみると 確かにここにもシカがたくさん。
でもタケミカヅチ自体には別に鹿要素をあまり感じない。
…鹿どっから来たんだ?と、古事記を見てみると
天迦久(あめの-かく)という神霊が登場する。

高天原にいるアマテラスさんは、
「地上も天つ神が治めたほうが良くない?」
と考えて談判の使者を選定していた。
(当時は国つ神であるオオクニヌシたちが統治していた)
「そうだ。アメノオハバリとかイイじゃん。
 ちょっとカクちゃん、行って伝えてきてよ」
このカクちゃんが鹿の形をした神霊なのである。
伝言を聞いたアメノオハバリだったが、
「マジ恐縮なんだけど、俺的には息子が適任と思うんよ」
と息子を推薦。この息子がタケミカヅチさんなのである。

談判の時は カクちゃんに乗って行ったわけじゃないし、
カヅチさんとカクちゃんの関わりはこの瞬間だけ。
これってミカヅチさんでなく、アマテラスの使いでは…。
と管理人的にはちょっと納得いかないのだが、
この一瞬の出来事によって地名も香島→鹿島になったとか。
カクちゃんどんだけインパクトあんねん!Σ(・ω・ノ)ノ!

そして藤原氏常陸から奈良へ彼を勧請した時、
カヅチさんの分霊は鹿島神宮の鹿に乗せられ
なんと1年かけて奈良までやってきたという。
えっ、鹿の神霊に乗って天降った的な神話じゃなくて
リアルに鹿に乗って来たなんて…鹿も大変だったな。
なので、この奈良にいる鹿たちは
昔むかし茨城にいた鹿たちの子孫らしいという話だ。 

鹿の疑問が解決したところでもう1つ、
藤原氏はなんで茨城の土地の神様を奈良に呼んだんだ?

この話をするには もしかするとこの神様を
タケミカヅチでなく鹿島様と呼ぶべきかもしれない。
今では同一視…というか鹿島様が呑まれてる感あるが、
モトは別々の存在だったはずだ。

鹿島様は日本神話には登場しない、
鹿島(香島)に昔からいた土地の神様である。
蝦夷に攻め入る少し前、
朝廷は その全段階として東国支配を頑張っていた。
その時 東国へ派遣された氏族の中に「中臣氏」がいたワケ。
中臣鎌足が一番有名だが、藤原氏の祖となる氏族である。
彼らは東国に派遣されると、
土地神である鹿島様に戦勝祈願をしたらしい。
また、鹿島様は元々 操船や水運の神とも言われる。
東へ攻め続けるつもりだった朝廷にとっては、
立地的にも神徳的にもベストな神様だったのだ。

しかし、シシおどりの起源を調べていると、
タケミカヅチ藤原氏)と鹿島は
最初から友好的な関係だったわけではない
と感じるエピソードが。

タケミカヅチは ある時、常陸国に天降った。
すると彼を追い出そうとする鹿島の民たちが野に火を放つ!
絶体絶命のピンチに どこからともなく無数のシカが現れ
自らの体に水を浴びては火中を駆け回り
ついには火を消し止めタケミカヅチを救ったという。

…ミカヅチさんめちゃくちゃ抵抗されとるやんけ。
まぁ、九死に一生を得たミカヅチさんは
「鹿たち!消火してくれてマジでありがとね!」
というコトで鹿たちを模した踊りを踊った。
これを秩父の畠山氏が赴任先の田野畑に伝えたのが、
あの めちゃくちゃ鹿っぽさのある菅窪鹿踊とされている。

まぁそんな感じで 東国支配は何とかうまくいって
常陸は東国 そしてそれに続く蝦夷制圧の拠点となった。
当然 しがない地方神だった鹿島様の株はダダ上がり。
藤原(中臣)氏も中央政府での勢力を増したのであった。
中臣鎌足藤原不比等あたりからは もう
権力・信仰バブル状態だったのではないかと思っている。

藤原氏が手柄を上げたぞ!昇進だ!
都の大事な所を守る神社には やっぱりあの神様だね!
あの藤原一族の神社なんでしょ?ステキ!
鎌足さま病気だから、奥様がお寺建てたそうよ?
今度平城京に引っ越すから お寺も移動するんですって。
今度は息子の不比等さんが新しい御堂を建てるらしいわよ!

…ってゆうのは、あくまで想像だけど。
ちなみに、
鎌足の奥さんが病気平癒を願って建てた「山階寺」が
現在の興福寺の大モトではないかと言われているそうだ。
そして、不比等が建てたお堂が興福寺の「中金堂」。

管理人はそろそろ京都に戻って吉田神社へ行くけど
東京鹿踊の皆さんは興福寺まで行くらしい。
いいなぁ、いいなぁ(ノД`)・゜・。
大人気アイドル・阿修羅は置いといて、
中金堂の不空羂索観音さんに会いたかったよ私は…。

彼、世間的には知名度どうなんだろうか?
アモーガ(空しからぬ)パーシャ(羂索=投げ縄)
という名が表す通り その手には縄を持ち、
一切の衆生の信心が「空しいモノ」にならぬよう
信心する者は洩れなく投げ縄でとらえて救い上げる菩薩様。
もともとインドでは狩猟の神様だった名残か、
その肩には鹿皮を纏っているのだ!なんてワイルド!

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実物見れなかったし写真も取れなかったから
居ても立ってもいられなくて描いたよもう!
100分de名著ならぬ10分de菩薩!
(もはや奈良でのんびりできないの残念過ぎて何言ってるか分からない)
今度奈良に行った時は、
絶対もっとのんびりするんだ…中金堂も行くんだ…
と心に決めつつ 独り京都へ戻る管理人だったとさ。

*おまけ*

さぁ、京都に付いたので最後に
ちょっとだけこの塔頭に立ち寄りたい。

亥年はじめの シシめぐりの旅は、
イノシシに始まりイノシシに終わる!
ということで建仁寺の中にある「禅居庵」である。
こちらでは 摩利支天さんが御本尊様となっている。

コチラの摩利支天さん、
日本では武将に人気があった関係で
「猪に立ち乗りしてるイカツいおっさん」
とされているが実はインド・チベットでは美女!
陽炎を神格化した「マリーチー」と呼ばれる女神様で、
陽炎であるがゆえに何人たりとも傷つけることができない。
だから武将にも人気だったのである。
「強くなる」でなく「傷を負わない」故に勝てる、
というのは もっともな考え方ですな。

マリーチーのタンカ(チベット仏画)とか検索して戴くと
大陸にいたころからイノシシに乗っていたことが分かる。
なので、日本に来てからも摩利支天といえばイノシシ。
禅居庵の中はどこもかしこもイノシシ!!

手水鉢はもちろん、おみくじの入れ物も…
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そして狛イノのバリエーション豊か過ぎる…
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奉納されている額には、びっしりイノシシの大群!
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いやぁ、マリーチーのみならずヴァジュラヴァラーヒーとか
チベットの女神様は意外とイノシシ要素あるから、
さがしてみると意外と日本の寺院の中にもイノシシ居るかも。

今回の京都では、いろんなシシに逢いつつ
何だか日本史の授業の端々を思い出した管理人でした。
そして仏像みると、もっと見たさが止まらなくなりますな。
炭水化物食べて血糖上がると、もっと炭水化物取りたくなる的な。
(なんか違うか…)
今回 合間合間に行っていた吉田神社については、
一緒に書くとわけわかんなくなるので次回に回します~。
(/・ω・)/デハマタ!