とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

シシ年、旅はじめ①:伝わるものと、変えるもの。

「2019年こそは節分前夜の吉田神社追儺式を見るぞ!」
とは去年の秋から決めていたのだが、
そんな最中の12月後半に お知らせが舞い込んできた。
「2/3は京都でトーシカ踊ります」
トーシカ=東京鹿踊の方からである。

いや、もうその土日ピンポイントで京都居ますし!
えっ しかも神社で奉納とかじゃなくイベントなの?
まさかの、他県の芸能がいくつも見れちゃうの?
しかも、真冬には嬉しい屋内イベント!

ということで 棚から落ちてきた牡丹餅を
有り難く食べることにした管理人であった。
(/・ω・)/ヤッター!

ちなみに、このイベント↓でした。

目次

 


鹿たちの舞台裏

いつもは離れてポチッと見ていることが多いが、
今回は裏側まで入れていただいた。
装束やカシラなども 近くで見放題である。

  ツノつけてもらってるよ! /
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この「角を付ける」という光景、
実はどの鹿踊りの団体でも見ることができるワケではない。
というのも本来、角は取り外しできる構造ではないのだとか。
しかし、地域から出て様々な場所で踊ることを考えると
これが取り外しできることで格段に持ち運びの利便性up!
シシたちが 伝承されている地域から
県内外へ出向くようになった現代だからこその進化かも。
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  ツノ付いてカッコよくなったよ! /
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続いて、躍っているときは背中に垂れている「ながし」。
甕と、龍と、いかついオジサン。
この組み合わせは…そう。スサノヲのヤマタノオロチ退治。
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アマテラスの弟・スサノオ
あまりのヤンチャぶりに高天原を追い出された。
その後、出雲のあたりを歩いていると
老夫婦が泣いているのを見つけて事情を尋ねる。
彼らには娘が8人いたが 越ノ国のヤマタノオロチ
年に一度現れては一人ずつさらって喰うのだという。
「それで、このクシナダヒメが最後の娘なんです」
すると、天界の問題児っぷりはどこへやら
「オロチを退治するから娘を私の妻にくれないか」
と申し出たスサノヲ。まるで童話の王子様である。
しかも、武力にモノを言わすのでなく頭を使い
8つの甕に入った酒を用意させたのだった。
この ナガシの絵は甕を挟んで対峙したスサノヲとオロチ。
そして 現れたヤマタノオロチは酒に惹かれ、
8つの頭をそれぞれの甕に垂らし酒を飲み始める。
ややすると酔いが回り、オロチは眠ってしまった。
すかさずスサノヲが十拳剣(とつかのつるぎ)で切り付け
有言実行を遂げるという物語である。

…あれ?
神社に奉納してるのをよく見るけど、
装束には仏教要素も多いんだよって話したかったのに
なんか日本神話っぽいナガシ撮っちゃった感ある(;゚Д゚)
まぁ、絵はそれぞれ違って
不動明王と俱利伽羅龍とか仏教色強いのもあるんですわ。

そして、カシラの迫力もさることながら
遠目でのインパクトは絶対これで決まってる「ササラ」。
その付け根付近には五色の布が付いている。
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(覚えている限りでは)赤・白・水色・群青・黄の5色。
五行を表しているというコトなんだろうか。
この5色の布が、躍ると吹き流しのように靡く。
今回まで気づかなかったのだが、
この布 カレンダーを捲るように一枚めくると
一番表面に来る色を変えられるのだ。

「今回、何色にする?」
「今日節分だからなんかそれっぽく」
「節分っぽさって何w」
恵方が東北東だから…」
「東は青ですよ」
「いやむしろ節分って境目でしょ」
「じゃあ黄色じゃない?」
「中央ですね」
「ってゆうか黄色珍しくない?」
「今までなかったよね」

…なんか楽しいぞ!そんな風に選んでたのね!

そして、唐突に始まる新旧「大口袴」展示会(笑)
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馬の尻尾のザイ(髪の毛部分)、鹿の角、木のカシラ、麻の布。
そんな自然素材(?)に包まれて、
仏教や神道道教の思想やモチーフが花を添えるシシのデザイン。
そんな控室で管理人のテンションが上がる中、
シカさんたちの準備が整ってきた。

    じゃーん! /
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本来何の棚なのかよく分からないが、
丸窓も相まって なんか丁度よくカシラが並んでいる。
さて、控室を堪能したので公演会場へ。

備中神楽~松尾明神さん降臨!~

さて、最初に登場したのは備中神楽・芳友会の方たち。
ところで、先ほど鹿踊の流しに酒甕が描いてあったけど、
そんな恐ろしい八岐大蛇もイチコロの絶品アルコール
一体どこの誰が作ったの?
というと…この方が生産者です!
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この方は松尾明神さん。酒造りの神様である。
オロチ退治の物語の中ではモブ感ハンパないけど、
備中神楽では大人気の神様。
というのも、この神様がひとたび登場すると
会場は笑いの渦に巻き込まれるのである。

神楽って、
お面付けた人がコブシ効いた声でなんか言ってるけど
よく分からないし なんか長いけど一体いつ終わるの?
という あまりテンション上がらないイメージかもしれない。

しかし!松尾明神さんと太鼓の掛け合いは まるで漫才!
今回も
「皆さんホントにたくさん来ていただいて」
「空席以外は皆満席だ」
から始まり「ストトン節」の替え歌など
笑いと拍手の絶えない公演となった。

実はこの方、岡山県神社庁所属の神楽師さんであるばかりか
大学時代は落語研究会に在籍していたり、
ケーブルテレビで「いちからかぐら」という番組を持ち
神楽を落語風に紹介したりしている方なのだ。
笑いと神楽のプロですな(;゚Д゚)!

小学校に入る前から神楽をやっている神楽師さんが
「神楽は神が遊ぶ姿。つまり楽しいものなんです」
と言い切ると説得力がある。

この備中神楽も、もとは荒神神楽といって神事的で、
土地神のさらに親的な「臍乃緒荒神」に奉納されていたという。
演じるのはもちろん神職のみ。
しかし、京都で国学を学んでいた西林国橋さんとゆう人が
「なんか日本神話テーマにした神楽とかイケてない?」
と、能や狂言 日本の神話を参考に演目を追加。
神職のみならず太夫さんなど演者も広がりを見せ、
演劇的な娯楽要素が増えたため人気が出たという。

それが文化・文政時代に
備中神楽に起きた大革命なのだけれど、
それから200年くらい経った今では最早それが「伝統」。

伝統って「古くてずっと変わってない」んじゃなく
あとに続く人が どんどん どんどん繋がって行って
それがいつのまにか伝統に「なっていく」わけで。

ゆく川の流れは絶えずして
しかも元の水にあらず

という感じ。な気がした。
「なんかずーっとそこに川流れてるよなぁ」
と思っても、二度と同じ水が流れることは無い。
昔からその地域にあると思われていても実は、
当時めちゃくちゃ流行った歌とか装飾を取り込んで
「あ、こうゆうのカッコいいんじゃね?」
みたいに、ある時急に尖がった特徴ができたり
他の地域の芸能のいいところを参考にしてみたり。
環境や時代が変わる境目に巻き込まれて
「今まで通り続ける」ために変化が必要だったり。
同じように在り続けるためには、
同じままではいられないのかもしれない。

それは積み重ねてきたものを無くしてしまうことだ、
という意見もきっとあるし、そうして
元の形が分からなくなってしまった芸能もたくさんある。
だから、変わっていく時は姿や作法や意味を
文字や言葉にだけでも残してもらえたらいいな。
と他力本願なことを考える管理人であった(´・ω・`

 

讃岐獅子舞~可愛くもカッコイイ!リアルな獅子頭

さて、そんなことをしみじみと考えていると
なんだかサラつやな可愛い動物が現れた!
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800もの獅子が棲む、日本一小さな県!
獅子舞王国・香川県から
中組獅子保存会さんの毛獅子が京都に来てくれた。
まぁ獅子舞といえばツルッとした 漆でピカピカの
赤いカシラに緑の布というのが想像しやすいが、
讃岐獅子舞のカシラは和紙でできているという。
そのため細かいデザインや細工が可能で
一般的な伎楽系の獅子舞より動物的な顔をしている。
しかも、毛獅子というからには毛が生えているのである。
マルチーズの様な耳だが「猫獅子」とも呼ばれ、
長い前髪の下では 口の周りにも綺麗にヒゲが植わっている、
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最近、地元・群馬の3匹獅子や 東北のシシたちなど
一人立ち(1人が1匹のシシを演じる)ばかり見ていたので、
2人が1つのユタン(布)をかぶって舞う獅子舞は久々。
一糸乱れぬ太鼓と鉦の音に、
ちょっとガムランみたいな気分になりつつ観賞。
東北だと金属といえば手平鉦な印象だし
地元の群馬だと祭で鉦って祇園祭の山車くらいだなー。
と、慣れない音に緊張していると獅子がバッと顔を上げる。
顔が見えた!しかし管理人のiPhoneショボすぎてブレブレ!
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現在、香川では毎年10月の地域ごとの秋祭りだけでなく
11月に「獅子舞王国さぬき」というイベントを開催。
様々な地域の獅子舞が 舞を披露し また交流しているという。

しかし 小さな香川県に800もの獅子となると、
最早 地区ごとに獅子がいるのは当たり前。
最初は「それがどうかしたの?」みたいな感じで
それを「貴重なこと」と思う人は少なかったとか。

ちょっと違うかもしれないけど、
東京の大学行ったら 自分が方言使ってることに気づいた。
地元にいる時は方言かどうかすら意識したことなかったし。
って感覚に近いんだろうか。

他と比べて初めて
「えっ?他の県には無いの?」
「うちってこんなにあったの?スゴイの?」
と気づく。気づくとさらに
「守ろう」「盛んにしよう」「うちの売りはコレ!」
という意識が出てくるというインフレスパイラル。
中組獅子保存会代表の方も
「他の団体と交流しようってゆうのは本当に最近の話」
「他を見て初めて、井の中の蛙どころじゃないって気づいた」
というような話をされていた。

管理人も(大した数とは言えないが)
いろんな地域の芸能を見ているうちに、
単純に「単体を」楽しむだけでなく自分の中で
「あれ?これってあの県のアレにそっくり」
「えっ、こんなの見たことない。スゴイ面白い」
というような「比較の楽しみ」を感じることがある。

もちろん祭が好きだから比較を楽しく感じる
ということもあるかもしれないが、
その「あれ?」や「えっ」を感じられたら
「どれも同じに見えるんだけど…」
「どこが見どころかよく分からないよ」
という方にも活路が拓ける(?)かもと思ったり。

 

東京鹿踊~所狭しと空を切るササラ!~

全く同じことが鹿踊にも言えて
むしろ鹿踊に留まらず様々な芸能で
舞歌に同じ歌詞や似た部分があったりする。

それって自分の県だけ見ていたりすると
全然違和感なく当たり前とスルーしてしまうのだが、
他の県の思いもよらない芸能と繋がって
芸能が伝わってきた道筋まで見えてきそうな時もある。

東京鹿踊さんが踊るのは東北の鹿踊という芸能で
腰に太鼓をくくり 背中には長いササラを付け
鹿を模したカシラを付けて踊る。

もちろん、岩手の中だけでも
「アソコとココは隣村だけどカシラが全然違う」
「あの村は、あっちの村から教わったから似てる」
「ココは一時途切れたけど昔教えた村から逆に教えてもらった」
というような繋がりがあるのだけれど、
県をまたいでも地域間でいろんなつながりが垣間見える。

例えば岩手の鹿踊で太鼓を打ちながら歌う中に
「太鼓の調べキリリと締めて ササラを揃え」
という歌詞が登場するが、
管理人の地元・群馬の獅子舞でも
「太鼓の胴をキリリと締めて ササラをしゃんとすりこめよ」
と似たような歌を唄う。(なんか以前も別の記事に書いたかもしれない…)

とにかく、他の地域と関わったり比べることで
「自分の所のモノがどちらからやってきたのか?」
「同じ文化、そんな方まで波及してるの?」
が見えてきたりするワケだ。
そうすることで、さっきの方言の話じゃないけど
「あれ?ココ他と違う。うち独自だ」という気付きが
ルーツの掘り起こしになったりもするんだなぁ、と。

ちなみに今回見たのは「二人狂い」!
今まで見たことなくて(いつもは三人狂いを見ることが多い)
「なんかいつも三匹で輪になってるけど、今日は二匹だ…」
「よく分かんないけど、三匹の時よりリアル戦闘感ある」
と素人丸出しで見ていた管理人だったとさ。

正しいか分かんないけど、ガン付け合ってる感がスゴイ
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こうやって闘ってる野生鹿↓いる!
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長いササラがしなって 床を打ったり
互いのササラを触れ合わせながら跳ねる鹿に、
会場が静かに「おぉー…!」ってなってるのが嬉しい。
(自分がやっているわけじゃないのに)
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ディスカッションの時

・発信した芸能”だけ”の知名度じゃなく、
 芸能を通して地域を知ってもらえたらと活動している。
文化財とかって「保存」に力が入りがちだけど、
 実は同時に「活用」していくことが必要だと思う。

という話が出ていて 1人でボンヤリ
「芸能って地域の血みたいなもんだなぁ」
と考えていた。

どちらかだけが元気って状況は無くて、
体に元気がなけりゃ新しい血球は作られなくて
血液はうまく代替わりできないし。
そうすると古い血球だけじゃ血液自体の質が落ちる。
逆に、血がうまく巡れば体も健康な状態になる。
日本全国、良い血液が流れてくれたらうれしいなぁ
(*´ω`*)

 

綾傘鉾 棒振り囃子~地元・京都の厄神退治~

そして大取は、地元・京都の綾傘鉾さん。
祇園祭へ鉾目的で行った人にとっては
「綾傘鉾って小さいね…」
なんて言われているのを目撃してしまったことがあるが、
鉾は大きさじゃないですよ!奥さん!
もちろん長刀鉾の大きさには感嘆しちゃいますが!

知ってる方には今更だが、
この綾傘鉾の特徴は何と言っても「棒振り」。
このシマシマの棒を、最初は緩やか~に回す。
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そして、太鼓と鉦の音が激しくなるにつれて
ものすごい勢いで棒を振り回す!
なんでも、最初の優雅な動きで疫神をおびきよせ
近づいてきたところで跳ね飛ばす!
とか聞いたことがある。スゴイ物理的な疫病除け。

ちなみに、
浴衣の腰や袖口のあたりに三角模様がある。
鱗紋といって水や蛇と関連深かったり、
あとは「カド」のある鱗で身を護る意味もあるとか。

シシ踊りの装束でも、
袖口に鱗紋が付いていたりするのもある。

祇園祭本番では棒を振る人は
赤熊(しゃぐま)をかぶって白布で顔を覆うが
今回は宵祭と同じく浴衣に素顔!
去年、祇園祭を昼に見に行った時は熱すぎて
「赤熊、なから暑そうだわ…」という
ぐったりコメントしか浮かばなかった思い出…。

今回、控室で囃子方の人から聞くまでは
「綾傘鉾の囃子方と六斎念仏の関係って?」
「なんかよく同じような地域とか文脈でみるけど…」
と思っていたが、
どうやら昔から 壬生六斎念仏の講員が
綾傘鉾の囃子方として奉仕することになっているとか。

最初はなんでそうなったとかkwsk
と思ったが、本番前だし
そもそも人に話しかけるの苦手過ぎて諦めた
(´・ω・`)

 

観賞を終えて

しかしまぁそんなわけで、
綾傘鉾としてだけでなく六斎念仏でも
子どもに教えたり 口伝だったものを楽譜化したり
他の六斎念仏の団体さんの復活を手伝ったり
色々な取り組みをしているのだそうだ。

そして、まずは絶やさないために
「変えてはいけないこと」を固めつつ
「次世代のために変えなければいけないこと」
「次世代の感性で変えていこうと思うこと」
を考えていかなくては、というような話もあった。

そしてもちろん絶えないことが大事だが、
もし一旦なくなってしまった物を復活させるには
同じような芸能をやっている団体の協力が必要だ。
中には、その芸能が始まったころに
自分の村が どこかの村に踊りを教えたことで
自分の村で踊りが途絶えてしまったときに
逆に教え返してもらって復活したという所もある。

どこかに分けて、広めておくことで
大モトが消えてしまっても
分灯から また灯をもらって点けることができる。
なんだか「不滅の法灯」のようだ。

伝承自体は芸能をやっている方にしかできないが
それを支えるのは芸能を楽しむ人 観る人すべて。
最初は神事や弔いのためだけにやっていた儀式も、
その「芸」の域に達した「能」力に
みんなが「おおー!」「すっげー!」「おもしろい!」
って注目したからこそ 人の感性に合わせて
さらにカッコよく 激しく 美しく洗練されたんじゃないか
と思ったり。
これからも、芸能を見てテンション上がったり
それを燃料に神社や信仰、地域のこと知っていけたらな
と思ったイベントでしたとさー!

折角京都に行ったので、
今回は東京鹿踊の方たちと
神社仏閣巡りご一緒させていただきました。
でも、ここまででいいかげん長くなったので…
また次回の記事で(/・ω・)/!