シシが集まる立石寺。
もう1ヶ月以上たってしまったが、
岩手県・北上市で8/4に「みちのく芸能まつり」を見た翌日、
8/5に山形県山形市にある宝珠山立石寺(りっしゃくじ)さんに行ってきた。
(山寺、といったほうが分かりやすいという方が多いらしい)
ここは清和天皇の勅願により、860年に慈覚大師が開いた天台宗の山。
山寺といっても1つの堂宇を指しているわけではなく、
その山一帯が山寺と呼ばれているという。
今回行ったのは、登山口側から上ってすぐにある「根本中堂」。
ブナで作られた建物としては国内最古ともいわれている。
堂内には「不滅の法灯」が灯っている。
え?それって何?という方もいると思うが、
まずはじめに最澄さんが比叡山延暦寺の根本中堂において
「後世まで 仏法を照らし伝え続けてくれるように」
との願いを込めて灯したと言われている。
それが同じく天台宗の寺院である立石寺にも分灯されたわけだが、
なんと 大本である延暦寺の法灯が消えてしまったことがある。
皆さんご存知、織田信長の“延暦寺焼き討ち”である。
幸い、この立石寺に分灯してあったため
比叡山の灯は立石寺からの分灯で復活したという。
ちなみに、立石寺も一度 仙台伊達氏の肩を持ったために
仙台藩に対抗する氏族に攻められ灯が消えてしまったらしい。
根本中堂から向かって左のほうへ行くと、日枝神社がある。
この山寺の鎮守社となっているようだ。
あれ?神社はサラッとだね?めずらしい。
と言われそうだが、今回は「磐司祭」を見に来たのだ。
磐司とは、山寺ができる以前にこの土地で権力を持っていた
マタギ・磐司磐三郎のことだと言われている。
慈覚大師が
「仏様の教えはこうでね、それで、殺生はやめてほしいのです」
というような話をしつつ、この山一帯を譲ってほしいと話した。
これに感じ入った磐司磐三郎は、殺生をやめ山を譲るばかりか
自らも出家し開山を助けたとも言われている。
なんという説得力。慈覚大師、カリスマ営業マンではないか。
まぁそんなことで、マタギの頭領が猟をやめ
殺生もしないと誓ったことで救われたのは動物たちだ。
イノシシやシカたちが喜びと感謝で舞を舞ったのが
この磐司祭でシシ踊りが奉納される由来らしい。
現在では、二人の功績をたたえるとともに
山の霊たちを供養する祭りとして続いている。
*夜行念仏*
これは磐司祭の中で行われた奉納なので昼間だが、
本来は磐司祭の前夜に行われているとのこと。
夜行念仏講の講員さんが鉦を鳴らしながら
夕暮れから夜にかけて山中の各所(御堂や祠)で
回向文(えこうぶん)または回向念仏と呼ばれるものを唱えて回る。
夜までに目指すのは「奥の院」。
そこには、亡くなった方の写真や髪
そして「ムカサリ絵馬」などが置かれているという。
ムカサリ絵馬とは山形周辺に残る習俗で、
とくに夭折した者の死後の幸福を祈り供養するため
架空の結婚式や入学式など
「生きていたら迎えるはずだった祝い事や豊かな生活」
を描いた絵馬である。
1960年代、ビートルズが大ブームだった頃までは
奥の院の手前にあるにある華厳堂や中性堂には
身内を亡くした参詣者(オツヤ-キャク)たちが詰め、
普段は存分には語れない故人との思い出や悲しみを
残された者同士で語り合いながら
夜行念仏が回ってくるのを待ったと言われている。
当時の様子が比較的細かに記されているのがコチラ。
- 作者:須藤 功
- 発売日: 2000/02/29
- メディア: 単行本
この本によると、
オツヤキャクのもとに講中が到着すると
遺族たちも一緒に御詠歌を詠じたという。
これが済むと、オツヤキャクは講中の金剛杖から
垂(シデ)をちぎって御守りとしたという。
この角材のような杖が「金剛杖」。
そこから下がっている紙が「垂(シデ)」。
講中は、経文が書かれた帷子をつけている。
…ッと思ってみていたら肩にトンボが!
山形のトンボは懐っこいのか、
後で会った知り合いの腕にも長時間とまっていた…。
*長瀞猪子踊り*
夜行念仏が終わり、シシの一番手として登場したのは
東根市長瀞(ながとろ)地区に伝わる長瀞猪子踊り。
春先に地元の日枝神社で踊りを奉納するため
新聞では「春を告げるシシ」などと紹介されることもある。
慈覚大師が東根周辺を歩いた際に
「この一帯は泥だからば拓けば肥沃な土地が現れるだろう」
ということで碁点山を切り開き、長瀞地区を開墾。
長瀞猪子踊自体は先祖供養や五穀豊穣を願う芸能だが、
山寺に関しては長瀞地区を開墾してくれた慈覚大師への
感謝のために奉納されるようになったという。
猪子踊という名前の通り、
イノシシをかたどったカシラをつけて踊る。
カシラの額には「南無阿弥陀仏」と書かれたお札が。
現在はわからないが、
かつては山寺への奉納の日 立石寺の世話役たちが
天童のあたりまで迎えを出したという。
そうしてそこから道踊りが始まり
山寺までの道では家々が香を焚き
道を清めて迎えたという。
なんと素敵な光景だろうか(*'ω'*)!
こちらは花笠+女装姿の「ササラ」。
岩手のシシ踊りに馴染みがある方にしてみれば
ササラ=背中に付いてる長い棒
というイメージだと思うが、こちらのササラは棒ササラ。
竹などで作った楽器である。
顔を隠し、直立したまま棒ササラで拍子をとる。
埼玉の三匹獅子舞に登場する「花笠」と似た感じがする。
そしてシシと共に踊るのは「かねぶち(鉦打ち)」。
岩手の幕踊り系で言う「たねふくべ」のような感じだろうか。
見たところ結構高齢とお見受けするが、
シシとともにこの躍動感!ほぼ残像!↓
かなり短めのバチや小さ目の太鼓など
群馬の三匹獅子舞に似た感じもあり親近感…。
ちなみに、この激しいのは
山中ではぐれた雄雌のシシが
無事再開を果たし喜びの舞を舞うという場面。
*土橋獅子踊り*
さて、次に登場したのは土橋地区に伝わる土橋獅子踊り。
一説には、土橋地区の住人が福井県・永平寺から
獅子踊りの免許皆伝を受けて当地に伝わったとか。
何と言っても特徴的なのはそのカシラ!
額には太陽や月、金色の御幣束が付いている。
頭には、ヤマドリの羽。歯が大きめで顔は長細い。
何というか、個人的には龍のような印象を受けた。
先程の長瀞猪子踊りに比べ、かなり背が高い。
7頭で広い会場がいっぱいに!
ちなみに、これら山寺に関わるシシたちは
みんな背中に斧を付けている。
これは山寺から頂いたモノといわれている。
地区によって色々な名前で呼ばれているとも聞いたが
通行人の会話の聞きかじりなので詳細は分からなかった…。
カメラ目線いただきましたー(/・ω・)/!
(いや、ちょうどこっち向きそうな場所に構えてただけだけど)
ちなみに、地方(じかた)の人たちはこんな感じの装束。
*沢渡獅子舞(さわたりししまい)*
いや、もうね。何といっても
このレトロかわいいフォント、好き(*'ω'*)!
そして現れたのは、カラフルな3匹のシシたち。
いや、太鼓 小ぃさッ!でんでん太鼓くらいしかない!
しかも鞨鼓じゃなくて上向きについてるの斬新!
顔はどうやら、長瀞と同じくイノシシ風。
カシラから下がった前幕は、顔を覆う程度の大きさ。
そして、この団体にもササラが。
山形のシシでは一般的なのかもしれない。
今度はなんと、四方に鳥居まで付いとるー!
どの団体もササラは女装、というのは
どんな由来があってのことなんだろうか。
女の子や子供がやる地方もあるようだけど。
ちなみに、こちら↓が「棒ササラ」。
粗い茶筅のように加工した竹の突起のあいだに、
両脇をギザギザにカットしたヘラ状の竹を差し込み
ギロのような音が出る楽器(説明下手だな…)。
獅子よりも太鼓が前というフォーメーション。
コミカルな動きの獅子とは対照的に 太鼓は威勢がいい。
基本的にしゃがんだ姿勢が多い。
四本足で動くなど、動作的には一番リアルに近いシシかも?
この「シャキーン!」みたいな動きがカワイイ。
何を表現している動きかは明らかではないらしい。
そして、こちらの団体も腰には山寺から頂いた斧。
入退場の際の先導役・天狗も大きな斧を持っていた。
*高擶聖霊(たかだま しょうりょう)菩提獅子踊*
さきほどの土橋獅子踊りの流れを汲むシシ。
永平寺→土橋地区→高擶地区と踊りが伝わったという。
途中 何度か途絶えたが、
平成10年に「獅子踊り会」ができて復活を遂げたとか。
「聖霊菩提」という名前からは
まさに霊を弔うための踊りだというコトが分かる。
土橋から伝わったというだけあって、
背の高さやカシラの形には近いものがある。
目は少しハッキリして大きめ。歯は短め。
シシの額には「南無阿弥陀仏」と書かれた札。
演目は、管理人の好きな「かかす」!
(/・ω・)/♪
様々な地域のシシおどりに
「かかす(かかし)」という演目はあるけれど、
管理人が見たものはこんなような筋書きが多かった。
“ 畑に立つ案山子(かかし)を発見したシカが
「なんだこいつ?人か?ちがうのか?」
と、おっかなびっくり集まってきて警戒するが
生き物ではないとわかり案山子の周りで遊ぶ ”
とても動物らしくカワイイ一場面である。
しかし、高擶のシシはちょっと違う。
この「かかす(藁人形)」は悪いモノの集まり。
それを祓う かかすバスターズなシシたちなのである!
さて、かかす↑が立っている。
「悪いことしちゃうぞ~。悪霊だぞー!」
そこへ前幕をバッサバサ振りながらシシが登場。
マタドールみたいでカッコイイな(*'ω'*)!
という謎の感想を抱きつつ幕の下を見ていると、
意外と近代的な装束であることが分かる。
袴も短くて(特に前に立ってる方)動きやすそう!
そして、三匹の獅子が かかすを攻撃!
しかし、一回では倒さない。
解説によると回数で振りが決まっているわけではなく
リーダー格のシシが指示を出して倒すので
いつ倒すかは その人にしか分からないらしい。
動きが一番動物っぽかったのは沢渡だけれど、
この高擶のシシが鳴くのも管理人は好き。
ザッと振り返ったり、攻撃するときに
「ウオッ」「グオ!」と鳴き声が聞こえる。
金津流の鹿子躍りでも、
仲立が鋭く息を吐くような「シュゥーッ」という音を出す。
それは鳴き声ではなく合図らしいと聞いたけれど…
なんかこういうの動物み感じるから好きだなぁ。
ちなみに、こちらも肩の後ろに斧。
*唐楽招旭踊(からおぎ あさひおどり)*
さて、ついに最後の団体となる高瀬地区のシシたち。
何だか名前が華やかですな。装束も可愛い。
カシラの輪郭は土橋や高擶にも似ているけれど、
目の周りの金のモシャモシャした感じの縁取りが
どことなく香港のライオンダンスの獅子みたい。
なんか、シースルーの前幕すごく前が見やすそう!
こちらも慈覚大師と磐司の伝説を起源とする踊りで、
2人への感謝をカモシカが踊った様子を真似たという。
御幣束が目立つが、ちゃんと斧も持っている。
「いただきました~」という顔(*´ω`*)
プルプルと首を振る動作が多い。
会場にいた先生によると、
日本にいない動物をモデルにした
外来の芸能・獅子舞が全国に広まっているのに対し
シシおどりは(名前は似ているが)東日本にしか無い。
南限は静岡県掛川、北限は北海道だという。
その中でも東北は鎮魂や供養のため躍られる。
対して関東は3匹が多く、雨乞いや厄払いのため踊る。
というのが「シシおどりの概要」。
まぁ宇和島とか例外はあるだろうし、
管理人は西日本に行く頻度が極端に少ないので
そうだとも違うとも言えないのだが…
姿や動きの似た系統があり、また逆に
近隣でもびっくりするほど違うシシが居て。
色々謎も多いシシたち。
今後もいろんなシシに出会えるといいな。
たまには西のほうにも行ってみたいな。
そんなことを思った磐司祭でした(/・ω・)/!
ちなみに、山寺せっかくいったから
山を一回りしようと思ったけれど、
偶然会った知り合いに蕎麦に誘われて食欲に負けました(笑)
また今度来たときは、ぜひ上のほうまで散策します!