とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
f:id:ko9rino4ppo:20180319223640p:image
シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

難しいことは一旦さておき、実物を観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
f:id:ko9rino4ppo:20180319223813j:image
管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
f:id:ko9rino4ppo:20180319224003p:image
1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
f:id:ko9rino4ppo:20180319224113p:image
輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
f:id:ko9rino4ppo:20180319224035p:image
ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
f:id:ko9rino4ppo:20180319223930j:image
この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
f:id:ko9rino4ppo:20180319223922j:image
まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りのように1人が1匹の獅子になるものがあります。

「1人立ち」の獅子舞と言われるもので、東日本に多いようです。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)