とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

盆に、もう一度 産まれる。(牡鹿半島編)

前回の石巻市街から、バスで約1時間。
絶え間ない霧雨の中、牡鹿半島の中ほど・荻浜に到着。
半島の先端エリアにも見たい展示は多かったが、
神社にも時間を使いたいので中部エリアだけにしておく。
このアートフェスのポスターにも使われている名和晃平の作品。

結構メインの展示っぽいから混むんだろうか、
海辺だけれど何時に行くのが綺麗に見えるんだろうか、
とかいろいろ考えてみたがイマイチ海辺の風景のことは分からない。
山で湖を撮る時は、朝霧があったり あまり日が高くない時間が綺麗だ。
ということで一番先にココを目指してみた。
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この地域では震災以前から牡蠣の養殖が盛んであり、
被災後も徐々に復興して 現在は養殖が再開されている。
県道から「牡蠣剥き場」を通り抜け、灯台へ向かう径。
昨日から降り続く雨で、浜への道はぬかるんでいる。
そして、あんまり人はいない。

今回は「有名だからとりあえずコレを見よう」というわけではなく、
名和晃平の作品との出会いは2009年「VOCA展」。
チラシに写真が載っていたから目玉作品の1つだったんだろう。
ビー玉のような透明な球で覆われた 鹿だったと思う。
その時は これってどんな意味かなぁ。とボンヤリ思っていたが
それから度々名和さんの作品に出会うにつれ、
雪とか 鍾乳洞とか 雲とか そういう自然しか作れない美しさを
ポッと会場に出現させる”魔法”のような印象を受けるようになった。

その名和さんが牡鹿半島に展示した「White Deer(Oshika)」
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この日のシカさんは 霧雨の中、
多くを奪い 多くを与えてきた海をジッと見ていた。
本当に鹿の角は 生命力あふれる夏の森のようで美しい。
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そのほか、この周辺には鈴木康弘さんの「ファスナーの船」↓もある。
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浮いているだけでもカワイイのだが、
これが動くと水に広がるV字の軌跡が まるで
見えないファスナーを開いたように見えるという作品だ。

そして県道まで戻ると「はまさいさい」という食堂があるわけだが、
その脇に急な参道が続いている。
震災前(つまり管理人が大学生だったころ)来たことがあったので、
それ以降どうなっているのか気にはなって居たのだが…
結局、福島や岩手に行くことが多く今回まで来られていなかった。

注連縄を見ていただいてもわかるように風が強く、
強風×霧雨のタッグを前に 管理人の傘など何の効力も示さなくなっていた。
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この神社は「羽山姫神社」と呼ばれる。
読みがどこにも書いていないが、ここの住所が「葉山」なので
ハネヤマヒメでなくハヤマヒメなんだろう。
宮城県神社庁の神社検索では「葉山神社」として登録されている。
境内でキノコの大群(?)発見。大きさもなかなかのモノ。
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なんとなく、今年は宮城にかかわらずキノコが多い印象がある。
梅雨が明けてからの長雨のせいか?
さておき、この神社は大漁・水難除け・家内安全の神様だそうだが、
境内には案内板は無いように見える。
神社庁の登録では祭神は「羽山姫」ではなく「羽山津見」。

ハヤマツミはカグツチの死体から成った神とされている。
「成った」ってどういうこと?というと…

男神と女神から「産まれる」のでなく何かの拍子に、
例えばイザナギが黄泉の国から帰還し川で身を清めたときに
左右の目からアマテラスとツクヨミ
鼻からスサノオが発生(?)したというパターンだ。

そのイザナギは黄泉の国へ行く前、
カグツチ出産により妻が命を失ったという
怒りと悲しみから我が子・カグツチを斬り殺した。

そのカグツチの「手」から生まれたのがハヤマツミ。
同時に、山の神の代表格・オオヤマツミなども生まれている。
(この時カグツチから生まれたのは山の神ばかりである)
たくさん生まれた山の神だが、その中でハヤマツミは何の神か
というと勿論「ハヤマ」のカミということになる。
枕草子などで「山の端(やまのは)」といえば
山と空が接する場所。つまり山の輪郭のことだが、
逆にハヤマは「端山」または「麓」と表記されて
山の「麓(ふもと)」という意味となるらしい。
つまり、大勢いる山祇の中では里に近い山祇ともいえる。

想像の域を出ないが、
この荻浜のように沿岸で牡蠣の養殖をしたり
逆に津波の被害を受けたりする場所では
海を見渡すことが出来 すぐ避難場所となる「ふもと」は
「てっぺん」より大きな意味を持っているのかもしれない。
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以前 例祭は9月上旬に行われ、神輿が出ていた。
住宅地だけでなく湾内も巡行していた記憶がある。
後で調べたら 3.11当時、
祭に使う神輿もこの高台に保管されていたため無事だそうだ。
震災後に例祭を撮影した写真もネット上で何枚か発見。
地元ではないが少しホッとした。

そして、ここの狛犬も洋風というか
なんとなくガーゴイルを思わせる顔立ちをしている。
体もスラッとして、小顔である。
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そこからバスで少々移動すると荻浜小学校に着く。
やや高台にある校舎のため震災自体での被害は少なかったが、
学区内の住人が移転し児童数は一桁となってしまったため休校中だ。
移転した住人が戻るメドは立たず、
このアートフェスが終わったら閉校となる可能性もある。

この会場では、地元に根付いた作家さんの展示が多いということだ。
コチラの教室にはクジラの骨などを使った作品。
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音楽室。
母校ではないが、きっと誰もが懐かしいと感じる雰囲気。
ココには毎日朝を撮り続けた静かな藍色の写真が並ぶ。
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まだ「一日が始まった」という明るさに満ちていない
夜の寒さが横たわった朝だ。
海や、草や、石、人の作ったモノ。
いろんなものが藍色に包まれている。

そして図書室。
そういえば管理人は非常に本を読むのは好きだったが
小学校の図書室に居る時間は短く、
いつも借りては下校の道すがら歩きながら読んでいた覚えがある。
グンマーの歩道に人が少ないから成せる業かもしれない…。
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屋上に出ると、磯の香り。
タコなどが干してあり漁師さんの写真が展示されている。
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以前の荻浜小学校は、
小規模校ながら地元の産業や文化とつながりの深い
地域密着型の教育が特色だったと聞く。
この学校らしい展示なのかもしれない。
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猟師さんとは話したことがあるが、
漁師さんは直接会ったこともほとんどないなぁ。
小学生だった管理人に沖縄の浜辺で
巨大なタカラガイをくれたオジサンは漁師さんだっただろうか。
とか、なんだかいろんなことが思い出される。

そして敷地内には、近くで採集した枝でできた動物たち。
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やはり鹿なんだな。
上空(写真では校舎2階と3階の境目)には鳥もいる。
校舎内でも、いたるところに小さな鹿などがいた。

すごくリアルに作られているわけではないが、
雨の中 誰もいない中庭で対峙した鹿は
その大きさや存在感がどことなくホンモノっぽく感じた。

そのまま体育館へ行くと
パルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」が展示されている。
2012年に都心のほうで同名の個展があったが、
そこで見た時よりも現実的に感じた。
被災地で見るからだろうか。海のそばで見るからだろうか。
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作家さんにとってカテゴライズというのは失礼なのかもしれないが、
ポップな絵で シビアだけれどどこか人間を抱きしめたくなる
管理人の中では今日マチ子さん↓と似た色合いを感じる作家さんだ。

みつあみの神様

みつあみの神様

 
いちご戦争

いちご戦争

 

さておき、
「幽霊でもいいから」というタイトルには
大事な人であれば たとえどんな形でも戻ってきてほしい
と そう思うのではないかという想いが込められているそうだ。
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外にあったモノも家にあったモノも
全てがひと固まりのガレキの山になってしまった、
きっと あの光景を見たからこそ生まれた この感じ。

一方のこちらは
人の作ったものは皆無な海と山の世界に
制服姿の女子学生が描かれている。
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遠くに大きな水の壁。
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絵は全体的に水色が多く陰影がはっきりしている。
勿論水を扱った作品だからということもあるが、
2012年の個展の時にこんな説明だか記事を読んだ。
「色覚障害を持つ人にもバリアのない絵を」
どういうことかと言うと 色覚障害を持つ多くの人は
赤と緑の差が分かりづらい。
色覚異常の種類にもよるが)

普通に見えている人にとっては
いわゆる「反対色」である2色の違いが分からない
というのはどう見えているのか分かりづらいかもしれないが…
たとえば翡翠と桜貝の色を想像してほしい。
つまり彩度や明度が同じくらいの赤系統・緑系統の色が並ぶと
そこから赤と緑の色味の情報だけが抜けてしまうので、
おなじような黄味がかった灰色に見えるという。

どうもうまく想像できないな…という方には、
色覚異常の状態をシュミレート出来るスマホアプリもある。
コレでその辺の風景を見ると、
抜け落ちている色が多いので違和感を感じると思うが
このパルコキノシタさんの「幽霊でもいいから」の絵を見ると
違和感が少なく見えるはずだ。

さて、話がズレてしまったが、この荻浜小学校の中に
もう1つ同作者の作品がある。
「います」という作品で、会期中も作者が仏像を彫り続けている。
ので、本人に会えるチャンスもあったようだ。
残念ながら管理人は本人には会えなかったのだが…。

この作品は 円空が作ったような素朴で小ぶりな仏像を3978体。
つまり東日本大震災における石巻の死者・行方不明者の数だけ作る。
というものである。
ネット上では「インスタ映えする」みたいな記事も多かったが、
管理人はなんとなく写真を撮れなかった。
岩手の遠野伝承館にある「オシラ堂」を思い出したからかもしれない。

岩手の民間信仰である「オシラサマ」。
馬と娘 または男女の2柱1組とされることが多く、
昔は各家に一組ずつ 遠野の多くの家に祀られたという。
それがここ最近では
「古民家や神事を維持し続けられない」という人もいて
このオシラ堂にある千体のオシラサマの中には
そうした家から引き取ってきた物もあるということだが。
霊感とか何にもない管理人と言えども
2柱で一族を守れるほどのカミサマが一堂に千体集まっている
その光景には眩暈のようなものを感じた覚えがある。

その感覚と、少し似ていた。
でもそれよりは少し暖かく、
本当はそれぞれに家があり家族がある この人たちを
家族に訊きもせず撮って良いだろうか?
という不思議な遠慮という感じだった気がする。

でも、その光景は圧巻だったので
行けなかった方は是非 ネット上にたくさん写真があると思うので
いろいろ見ていただきたいとは思う。

3978という数字で済まされず重みを感じてほしいから
本来漫画家だった作者は「立体」を作ったそうだが、
もう1つ 海の力で起きた災いを 「山の力」で取り戻せるだろうか、
という気持ちから仏像の材料には 石巻の木が使われているそうだ。

誰も来ない 雨の中。
しばらく木仏と向かい合ってボンヤリする ステキな時間だった。
余談だけど、この方は学校教諭だった時期もあるので
そういう意味でも小学校ってゆう展示スペースと親和性高い人かもな
と考えたりもした。

さらにそこから歩いて数分。
檀家のほとんどが被災し地域の家屋も津波に遭い
本堂も流されてしまったという洞仙寺さんがある。

そんな被災状況にも関わらず 寺にあった聖観音像は、
本堂が流された際にその瓦礫の上に無傷で残っていた!
というから驚きだ。
その観音様を祀る「みまもり観音堂」ができたということで、
今回はその真新しい御堂も拝んできた。
観音様の足元には 震災の犠牲者の数とほぼ同じ
約2万個の石が 写経をして納められているという。

そんな洞仙寺さんの敷地内に
管理人の好きなChim↑Pom(チン↑ポム)の作品がある。
学生のころから「何なんだコノ人たちのめちゃくちゃなエネルギー!」
と思って その動画や作品を見てきたのだけれど。
そんな彼らが 福島第一原発の事故後まもなく、
渋谷駅構内に展示されている岡本太郎「明日への希望」の
第五福竜丸の下に なんと煙を上げる第一原発を描き足した(貼った)。
日本の被爆の系譜をたどる超有名な絵と
展示場所の都合で不自然に欠けたスペースを生かした
イムリーなその反応に大興奮したのを覚えている。

そのChim↑Pomが今回「ひとかけら」と題して出展。
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突如、地下へ続いていく入口登場。
階段を下りていくと、冷凍の食品庫のような分厚いビニルカーテン。
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「手放しで安心して見られるような作品じゃないだろう」
という変な期待から チラッとカーテンを捲ってみる。
冷気!圧倒的冷気! よく見たら、カーテンの裾には霜。
入り口に防寒着があるが、とりあえず着ないで入ってみる。
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コレ↑は写真なので明度を調整できるが、
真っ暗い中で宝石ケースのようなものだけが眩く光っている状態。
このケースの中で、遺族たちの涙が 凍らせてある。
そういう作品である。

作品の見た目だけで言えば
おそらく「凍らせて」も「乾燥させて」も
あまり変わらないと言ってしまえるかもしれない。
涙は水ではないので 乾燥させても結晶が残る。

それでも敢えて
涙の展示ケースの中だけを冷やすのでなく
この寒いコンテナの中で 真っ暗な中で観るようになっている。
なにか、意味はあるのかもしれないと思った。

例えば、防護も無く長時間留まると命にかかわること。
例えば、単純に寒さと暗さに晒されること。
例えば、こんなにも大掛かりに守ろうとしないと消えてしまうこと。

見る人によって 感じ方も感想も大きく分かれそうだが
管理人はそんなことを考えた。

さぁ、皆様お忘れかもしれないが
管理人は霧雨×横風によりずぶぬれなのである。
それがヒョイと冷凍コンテナに入ったので
それはもう服が凍りそうな寒さでしたとさ…。

そしてずぶ濡れな上に冷え切ったまま バスを待つこと数十分。
やっと石巻駅行きのバスが。
寒さにボンヤリしたまま 牡鹿半島脱出。渡波駅ちかくで下車。
少し歩くと、伊去波夜和気命(いこはやわけのみこと)神社がある。
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この神社津波の被害を受けた神社であり、
地震で崩れた鳥居は今も参道脇に寄せられ
土台からは残った鳥居の足元部分だけが立っている。f:id:ko9rino4ppo:20170913211724j:image
イコハヤワケというのは単体の神様の名前でなく

・サルタヒコ
タケミカヅチ
・フツヌシ
・アマテラス
・トヨウケ(クライナタマ)

の5柱のユニット名らしい。
前回の記事でも紹介した通りタケミカヅチとフツヌシは
東北を平定したと言われるカミサマたち。
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サルタヒコは地祇(クニツカミ)でありながら
アマテラスから遣わされた天津神を案内したという特徴から、
塩土老翁シオツチノオジ)と同一視されることも多い。
シオツチノオジ(=塩竃明神)は
陸奥国一ノ宮・鹽竈神社の祭神であり宮城にとって大事な神様。
タケミカヅチ・フツヌシが東北を平定し去った後も
宮城に残り漁業や塩作りを教えた神とされている。

太陽の女神・アマテラスと穀物神・トヨウケは
それぞれ かの伊勢神宮の 内宮と外宮におわすカミサマ。

そんな感じで、天津国寄りのメンバーになっております。

境内には可愛らしい色の絵馬が奉納された絵馬堂や
結構堂々たる大きさの道祖神さんが。金精さまと言うべきか。
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境内の掲示板には津波襲来後の写真。
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鎮守の森があったために瓦礫が堰き止められて
拝殿・本殿は何とか倒壊せず。
拝殿に逃げ込んだ周辺の住人も助かったという。

そしてここの狛犬も…
全く狛犬らしくない。
なんかやっぱりガーゴイル風とでも言おうか…。
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実は狛「犬」じゃなくてこの辺の神社には
犬じゃないやつがいるとか…(それはないか)
と考えていると、なんかちょっと見慣れた感じの狛犬発見。
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…なんか口が真正面過ぎる気もするけど…

あと、この辺の祠はちゃんとカーテン(?)があって
中が見えないようになっているものが多かった。
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確かに 大きい神社の神事とかでは
御神体が見えないように白い布で覆って遷座したりするのに、
一般的な祠はオープンな感じで落ち着かなそうだ。
これなら神様たちも安心(?)だろう。
今度行くことがあったら、
どの辺までが祠に布をかける文化圏か見てきたいところ。

ちなみに、境内の奥のほうには
2013年にライオンズクラブの寄進により完成した祖霊社がある。
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なんといってもインパクトがあったのは、
この現代風というかレゲエ的色彩のイザナギイザナミ夫婦。
※個人の感想です
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なんというか、
今まで見た日本神話の神様の絵の中で
おそらく一番パワーを感じた。

このあとは渡波駅から終点・女川まで電車の旅。
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駅前にはいくつが店が並び
地元の美味しそうなものも色々売っていて、
なんと新生・女川駅には温泉ができていた。
しかしいつものことながら弾丸ツアーなので、
ここでは低血糖を起こさない程度に美味しいものをつまむ。
駅前のほんの数十mは店が並んでいるが、
その先には未だ復興を待つ土地があった。
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もうだいぶ長くなってしまったところで、
牡鹿半島からは出たことだし
ココらで一度切ろうと思う。
この日に寄った鼻節神社については次回別記事で。

今回の宮城旅行では、
仙台に転勤した大学の友人に会うこともでき
宿まで提供してくれた。
いやぁ日々ふらついている野良管理人を泊めてくれる
皆皆様に感謝ですなー。
(*´ω`*)