とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

遊郭しのぶ 吉原神社。

*吉原神社*

今週来てみたのは、東京都台東区の千束にある「吉原神社」。
小さいながらも、御朱印をもらう人などで賑わっている。
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狛犬↓は、どことなくエキゾチック(?)な面立ち。
ペルシア系というか、なんというかね。
※個人の感想です
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さて 吉原といえば遊郭だが、
ここ千束は特に「新吉原」と呼ばれた場所。
最初の吉原(元吉原)は人形町のあたりだったが、
後ほどこちらに移転したのだそうだ。

この吉原神社にはどんな神様がお住まいかというと、
おなじみ ウカノミタマノカミである。

吉原の出入口というのは非常に限られていたわけだが、
その出入口・大門付近に玄徳(よしとく)稲荷。
そして、敷地の四隅を囲むように
榎本・九郎助・明石・開運という4つの稲荷社があった。

そのためだろうか。
新年を迎える江戸の町では「獅子舞」が演じられたが
年末の吉原では獅子でなく 「狐舞」が行われたという。
御幣と鈴を持ち 狐の面をかぶって踊る姿は、
吉原の年の瀬の風物詩としていくつかの錦絵に残っている。

そういえば
女衒に買われた少女が勝気で美しい花魁になる姿を描く
「さくらん」安野モヨコ・作)でも、
年末の大掃除をする場面で狐舞が描かれていた。

必需品を堅実に売る商売ではないからこその
客足の流れの速さ 流行れば湯水のように湧く銭。
まさに御客様あっての「水」商売である。
お稲荷様は出世・繁盛が得意分野であるから
朝な夕なに手を合わせざるを得なかったことだろう。

そしてさらに、
妖狐・妲己の如く美貌で城も国も傾けるが傾城。
※傾城(ケイセイ)は遊女の異名
女郎は色恋を演じて狐の如く客を化かす。
狐と遊女にはそんなイメージのつながりも
もしかしたらあったのかもしれない。

そんなわけで花街をぐるりと囲んだ5つの稲荷社が、
明治に入って1つに集められ大門付近に合祀された。
そして吉原に隣接していた弁財天も同居することになり、
これが現在の吉原神社のモトとなったのである。
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↑拝殿の提灯には、ちゃんとすべての稲荷社・辨天様の名前が。

*お穴様*

さて、その拝殿の向かって右に
末社のような小さな社がある。
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説明書きを見ると「お穴様」と書かれていて、
なんでもカミサマは社の中ではなく
なんと地中にいらっしゃるのだとか。
祭神が何かなどは詳しく書かれていなかったのだが、
なんだか気になる神様である。

ちなみに 上野・穴稲荷も別名:お穴様と呼ばれているが
この吉原神社のお穴様との関連はハッキリしない。
ただ、その「御穴」という名称から穴稲荷は
性病予防の神として非常に信仰されていた!
と聞いたことがある。
だとすれば、こちら千束のお穴様も名称からして
同様の御利益が期待されたと考えても良いのだろうか?
(もしくは、上野から吉原へ御招きしたとか…)

御穴様のそばには天燈鬼・龍燈鬼↓。
この2人のファンとしては、
木造の精巧な像とはまた違う様子も可愛らしい。
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*弁天堂本宮*
さて、吉原神社から歩いて数分の場所に
現在吉原神社に分祀された弁天様の本宮がある。
管理人は個人的にはコチラの方が好き。

まず、ココが昔どういう場所だったかと言うと
吉原に接する「花園池」という池であったそうだ。
そして、その池に浮かぶ島に弁天堂があったという。

花園池の弁天堂なんて、花街らしいなぁ
と思うが、花街が花園なのは「男性にとって」である。

飢饉の絶えない雪深い田舎から買われてきたら
毎日綺麗な服を着て満足な食事なんて夢のようだろうが、
一方で年季が明けるまでは 辛くとも病になろうとも
身分のある人に見初められ請け出される他は、
死ななければ大門から出ることはできなかった。
そして、年季を待たずして亡くなれば無縁仏として
死体遺棄の如く寺に放り込まれたと言われている。

病気をもらいませんように。
客が付いてくれますように。
今日のお座敷も無事過ごせますように。

先に紹介した五稲荷をはじめ弁天様・お穴様にも
吉原の女性たちはどれほど願ったことだろうか。

そんな身の上を苦にした遊女たちの放火も度々あり、
また敷地内での火事が延焼することもあり、
この吉原では おおよそ20年に一度ほどの頻度で
「大火」と言うにふさわしい大火事が起きた。

その中でも最も大きな被害をもたらしたのは
関東大震災による火災ではないかと言われ、
本宮の境内中央には遊女の慰霊のため観音像↓が作られた。
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境内に入ってすぐ、敷地の真ん中に高い岩があり
周りは花や石仏で囲まれている。
そしてその岩の上に観音像が衣を靡かせ立っている。
写真を撮るとちょうど木々の間から光が差して
まるで観音様から後光が差しているようである!

境内にはいくつかの新聞記事や写真が張ってあるので
是非訪れた際には見て読んでいただきたいのだが、
コチラ↓が関東大震災による火災の様子である。
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黒煙と炎の中で 逃げ惑う女性たちが描かれている。
この時、ここまでの大きな火災にもかかわらず
吉原では商品である遊女たちが逃げ出さないようにと
大門を閉めて閉じ込めたとも言われている。

そして、逃げ場を失いながらもどうにか助かろうと
池に飛び込んだ遊女たちは折り重なり
溺死した者もいれば圧死した者もいたのだそうだ。

当時どれくらいの規模の池で
吉原にはどれほどの女性がいたか分からないが
境内の写真を見る限りでは最早
池に水など溜まる余地もないほど人が折り重なっている。

逃げ場を失ったのは門が閉まったせいであり
つまりそれは火災ではなく人災ではないか…というところだが
こんな吉原未曽有の大災害であってもその死者の数は、
年季を待たずに亡くなり寺に投げ込まれた遊女の数には
遠く及ばないというのだから悲しい話だ。

現在は弁天堂を囲むほどの池は無く、
小さな池で所狭しと鯉が泳いでいる。
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新しくなった弁天堂に鮮やかな壁画を描いたのは
美大の学生さんやOBさんだという話だ。
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中を覗くと、中央には見慣れた姿の小さな弁天様。
江ノ島に祀られている「妙音弁財天」と同様、
一切の衣をお召しになっていないようだ。
そして、奥にどっしりと構えるのは八臂弁財天だろうか。
手の本数はよく見えないが、六臂は珍しいので八臂か…?
頭の上には宇賀神(ウガジン)も居るようだ。
じいさん顔の蛇で、微妙に気持ち悪いカミサマだったりする。
(ココのは髪を二つに結っているので女性かもしれない)
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吉原神社の方は「神社」なので合祀された弁天様も
「祭神:イチキシマヒメ」とされてしまっているが。
コチラの本宮では「宮」とはいうモノの
本来の仏教的なお姿を見ることができる。

水商売というのも、
昔よりは自由な働き方ができるようになっただろうが
昔と最も変わらない仕事かもしれないとよく思う。
知人がそういう世界で生きているので、
なんとなく管理人としては 
他人事とは思えないと言ったらおかしいが。
そんな感覚がある。

まぁ浅草という土地柄、
歌舞伎町のように夜のおねぇさんは多くないが
無念の遊女を弔うにとどまらず
現代のおねぇさんたちもお守りください。
と手を合わせる管理人だったとさ。

ちなみに、
この吉原神社の近所に浄閑寺という寺院がある。
近所と言っても少し歩くが、
そこが吉原の「投げ込み寺」であり今も慰霊塔がある。
時間と興味がある方は、
是非そちらにも寄ってみていただきたい。