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とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

秩父神社の妙見様。

秩父神社の神輿たち*

前回の記事にも同じ写真を乗せたが、
秩父夜祭翌日の朝に撮ったので
写真手前の公道には車輪の跡が付いている。
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コチラ↑が一番新しそうな御神輿。
昨日の夜 屋台を引き連れて練り歩いたのは、
この御神輿なのだろうか。
徳川家の三つ葉葵の御紋が付いている。

そしてコチラ↓はちょっと古い御神輿。
手前にあった板を読んでみると、
この社にゆかりのある者を募り千人講を結成。
そのメンバーで昭和58年に奉納したものらしい。
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ちなみに秩父神社で一番古い神輿は
神社近隣の「まつり会館」で展示されている。
これは写真には取れなかったが、なんと埼玉県内最古。
結構古い神社のある埼玉で最古とは…中々ですな。

ちなみに、その「まつり会館」には
笠鉾が三層の笠を付けた状態で展示されている。

ん?笠鉾ってゆうんだから笠ついてんじゃないの?
と言われそうだが、実は秩父夜祭では
笠鉾は笠を付けていないのだ!
Σ(゚д゚)ガーン
曳行の順路に電線が引かれたことが原因であり、
実際の祭事で笠を付けている姿が見られるのは
秩父夜祭と対比される「川瀬祭り」のときだとか。

その姿は非常に美しいので、
皆様是非、夏も秩父へ!
ヽ(・ω・)ノソレッ

※川瀬祭りまで待てないセッカチさんは
 祭り会館へお越しくださいませ。

そして、秩父神社に戻って…いよいよ拝殿!
何とも色鮮やかで、さらに彫刻が見事!
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笠鉾や屋台を「動く陽明門!」と言っているあたりで、
日光でもないのに東照宮ネタ?あやし~|д゚)
と思ってはいたが、
この社殿 徳川家康さんが造営したらしい。
さっきのNew御神輿に三つ葉葵の御紋が入っていたのも、
それなら納得ですな…。

そして、その社殿に施された彫刻の数々!
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これ↓は「子育て虎」として有名な彫刻で
日光東照宮の「眠り猫」などを彫った名匠
左甚五郎の作品と言われている。
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…これジャガーじゃないの?と言うなかれ。
どうしてこの柄になったか分からないが
今のように動物園なども無い世の中で甚五郎さんが
寅年・寅の日・寅の刻うまれのタイガーマン家康のために
一頭入魂で彫った彫刻である。

そして、虎がいれば龍もいる!
こちらも甚五郎さん作といわれる「つなぎの龍」。
身体の周りに彫刻なのか実際の鎖なのか
この龍の動きを封じるように鎖がかかっている。
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この彫刻には伝説が残っている。
昔この近くの池でたびたび龍が暴れたらしいのだ。
そのあと不思議と 彫刻の下に水たまりができるのを見て、
人々がこの彫刻を鎖で縛りあげると
それ以来池で龍が暴れることはなかった…という話だ。

扁額の周りの緻密な龍↓もさることながら
右側の鶴と亀も遠近感・立体感があってイイ感じ。
ちなみに今は「秩父」と書かれるけれど、
本来のチチブ神社の表記は「知知夫」のようだ。
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そしてコレ↓は「お元気三猿」と呼ばれている三猿像。
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日光のが「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対して
見てるし聞いてるし喋っている(*´Д`)!
そんなところからも、また
祭神の妙見様(もしくはアメノミナカヌシ)が
人の寿命を司ると言われる北極星の神であることからも、
長寿に御利益のある「お元気」三猿と呼ばれるのだ。

そして、こちら↓が「北辰の梟」。
社殿後ろ(=北向きの面)に居て、
身体はキチンと本殿内の神様の方を向きながら
目は信仰対象である北極星を見つめている。
顔を真後ろに向けられる梟ならではのポーズである。
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秩父神社の神様とは*

秩父夜祭で愛人・妙見ちゃんの話をしたせいか
妙見菩薩が最前面に出てしまったわけだが…。

もともとはチチブの初代国造・知知夫彦さんが作った神社。
彼は自分の御先祖様と言われている
八意思兼(ヤゴコロオモイカネ)を祀ることにした。
その名前の意味は「多くの思慮を併せ持つ神」。
思想や思考、知恵の力を神格化した神様である。

前にも話したが、アマテラス岩戸隠れ事件でも
「みんなで楽しそうにするといいんじゃね?」
「少し開いたら鏡をアマテラスに向けるのもアリだな」
と提案したのは彼だった。

そして時代は下り、
この神社を作った知知夫彦自身も神として合祀。
しかし、律令制がくずれ豪族のパワーはダウン。
国造一族がベースだった知知夫神社も落ち目になった。


さらに、追い打ちをかけるように
鎌倉時代 落雷で社殿が消失。
建て直しにあたり宮地地区にあった妙見宮を合祀。

このころの妙見様は、
平良文という武将の戦勝祈願を見事にかなえ
彼を祖とする秩父平氏の間でも人気者に!
※この戦いで良文は平将門の旧領を獲得したので、
 平将門に勝って乱を治めたと言う説もある。
 しかし将門と戦ったのは良文の兄・国香であり
 良文はむしろ将門に味方して
 妙見菩薩の加護で将門&良文が逆転Vだった。
 という話もある。
 

まぁ、落ち目の古株と大人気の新人を比べれば
民衆の気持ちが 乗りに乗っている妙見様に向くのは
至極当然な流れだっただろう。

その勢いといったらもう、
こんな大きな「妙見様扁額」ができてしまうくらいだ。
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かくして
明治の神仏分離トームが吹き荒れるまでの間、
秩父神社では妙見様がセンターを務めてきた。
秩父神社」でなく「秩父妙見宮」と呼ばれていたほどだ。

今でも秩父夜祭で主役を張っている時点で
実質的なセンターは妙見様なのかもしれないが、
一応神仏分離の結果
妙見様は 同じく北極星の神である神道のカミサマ
「アメノミナカヌシ」と名前を変え、
ヤオモイカネとチチブヒコも返り咲いた。

秩父神社の女神様*

ちなみに本殿に居る神様はそのあたりだが、
忘れてはいけないのが
「柞乃杜(ははそのもり)」の女神様。

ハハソとはコナラの仲間の古称だそうで、
この神社の鎮守の森はふるくから「柞の杜」と呼ばれた。
柞(ハハソ)は「母巣」「母蘇」とも表記され、
和歌の世界では「母」という言葉を導く枕詞でもあった。

そんなイメージで、
この森の神様も女神様となったわけだ。
そしてなんと、妙見様が社に招かれる以前は
夜祭で武甲山の山神と逢瀬を重ねていたのは
この女神様だったともいわれている。

そもそも、
妙見様というのは男神であることが多い。
様々な宗教に北極星信仰があるためか
その像容はかなり様々だが…

妙見菩薩を考案した中国でも
仏教の故郷インドでも
死と寿命の神は男性神だったはずだ。
(エジプトや日本は女性だけど)

「乳の神さん」として有名な
伊勢神宮(外宮)の妙見堂の妙見様ですら、
本人(?)は武装した男性神である。
※この武人がどうして乳神サマなのかは
 こちらの記事(河童と妙見様)の後半で。

そのため、この秩父の妙見様は
柞の杜の女神様とミックスされたために
途中から女性になったのでは?
と考える方が自然な気がするんだな。

…もし
「適当なこと言いやがって!」
秩父の妙見様は最初から女よ!」
等々なにか知っている方がいたら教えてください…
(; ・`д・´)

ちなみに、
四方を守る四神というものがいるけれど
北を守っているのは「玄武」というカメである。
そして、このカメさんはしっぽが蛇なのである。
武甲山の蛇神と、秩父の妙見ちゃんが乗っているカメ。
ふたつ合わせて玄武に…とか考えてしまうわ。

山の神様が蛇神だなんて
別にそれだけ聞けば珍しくもなんともないんだが(゚д゚)。


秩父祭り4日目*
先日の夜祭の記事にも書いたのだが、
秩父夜祭は宵祭(2日目)と本祭(3日目)で終わりではない。
4日目は蚕糸祭。
その年の農作物の実りや蚕糸の出来を感謝する、
地域が地域のために行う祭事という感じがして好きだ。

うちの群馬も蓄光繭とか黄金繭とかあるけど、
秩父秩父でいろんな色や品種を作ってるみたいですな。
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観光名産品協同組合が
自信を持ってお勧めする一品たちを奉献!
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…JA養蚕部会は分かるけど、
こんにゃく部会なんてのもあったのね…
(手前の紙にそう書いてあった)
他のイモ類とか野菜とは分ける必要があるんだろうか。
それとも、トマト部会とか各農産物ごとに部会が⁉
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そんな秩父祭は5日間であるが、
元来この期間は地産の絹市を開く期間だったのだ。
そういう意味では
この4日目の蚕糸祭が本祭でも良いくらいなのでは…。
と、個人的には思っている。

すっかり屋台・笠鉾が主役になっちゃってるけど
あの絢爛な屋台と笠鉾でさえ、例祭の「付け祭」であり、
全国から絹市に来る絹バイヤー(?)たちに
見せるために始まった説もあるというのだから…

サービス精神というかもてなし好きというか。
それとも「どや!」という感じなのか、
逆に「あなたたちが買ってくれるからこんなの作れたよ」
という感謝のフィードバックなのだろうか。
まぁ確かに富山・八尾も、
繭売ってスゴイ山車作ったりしてるけど。

その、屋台・笠鉾行事が
今やユネスコ無形文化財ですよ!
大したもんだなぁ。おめでとー!
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「有名になって混む」だけでなく、
この地域の歴史や祭りの由来が広く知られて
観光行事でなく神事として広まってくれることを
願う管理人でしたとさ。


*おまけ*
秩父夜祭と言えば、
絢爛な笠鉾のバックに悠然と広がる
大輪の花火でしょう!
と、いうところだが
曳行を後ろで見ていた地元ッティが言ってたんですよ。

「明日市役所勤めてる友達がアレのカスめっちゃ拾う」

そう。羊山公園から打ち上げている花火たちの忘れ形見。
それを拾う行程は「黒玉拾い」と呼ばれる。
ちゃんと名前までついているのだ。
市役所職員だけでなく、消防、打ち上げた業者
そしてもちろん観光協会も協力する。

観光客は
「もっとバンバンあげてくれないと写真うまく写らない」
などと勝手なことをおっしゃるが、
そこは何とかうまくシャッターを切ってくれ。
そんなに打ち上げたら黒玉の山ができてしまうわ!

我々外部の者にとっては一夜の祭でも
それは地域にとっては一年かけてきた祭事であり
祭りの場は生活の場である。

秩父に限らず祭事では 観光気分で
持ってきちゃいけないものを持ってきたり
入っちゃいけないところに入ったり
触っちゃいけないものを触ったり
捨てちゃいけないところに捨てたり
撮っちゃいけないものを撮ったりするのはやめよー。

※これの最たるものが岡本太郎のイザイホー事件。
 (岡本太郎は観光気分ではなかったかもしれないが)
 あんまりやりすぎると、今まで見れていた貴重な行事が
 誰も見られなくなる可能性もあるという事例である。