読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

神様つどう柳森神社。

先日、神田古本まつりに行く前に、
秋葉原ガンダムカフェの駅を挟んで反対側
神田川のほとりにある柳森神社に来た。
(あれ、2行目の説明必要だったか…?)
f:id:ko9rino4ppo:20161102211552j:image
秋葉原というとマニアックな部品が売っていたり
メイドさん(というかメイドカフェの店員さん)が居たり…
というゴチャゴチャした街のイメージが強いが、
この周辺は結構のどかな感じである。

柳森神社というだけあって、
境内の周りには柳の木が植わっているようだ。
昔はもっとワッサリ森っぽかったんだろうか?

インターネットでこの神社を調べたら、
あっさりと「江戸三森の1つ」と書いてあった。
三森の解説ナシかい!常識の範疇なの!?
…と思いつつ調べると、あと2つは
・新橋の烏森(からすもり)神社
日本橋の椙森(すぎもり)神社
だそうだ。
(そういえば「烏森口改札」って見たことある)

いずれも創建を中世に遡る古参神社だそうだが…
3つもあって1つも行ったことがないなんて、
まだまだ修行が足りませんな(´・ω・`)

いつものことだが
どんな神社なのかあまり知らずに御邪魔したので、
まず境内が案外広くて「ほぅ…」と思った。

そりゃ地価の高い都会だって、
拝殿がピッカピカでデーン!
て感じの広い神社はたくさんありますけども。
なんてゆうか、1個の大きい社殿じゃなく
いろんな神様の古くからの寮みたいな感じで良かった。

で、その神様たちを紹介するコーナー。


*怪力と石のチカラ*
まず、こちら↓は「力石」。
f:id:ko9rino4ppo:20161102211620j:image
これは「おもかる石」とはまた別なので
参拝者が持ち上げるワケではない。
昔、力士や力自慢の者たちが
「どれくらい重い石を持ちあげられるか」
と互いに競ったときに使われた石だそうで、
まぁ腕相撲のような一種の娯楽という感じだろうか。

ただ、説明版を読んでみるとそれだけでなく
「道切」のような役割を果たした場合もあったのでは?
とゆう説が書かれている。

道切というのは、道祖神のように
集落と集落のあいだや 集落と野山のあいだに立ち
集落に疫病などが入ってくるのを防ぐためのもの。

石というもの自体 古代から信仰対象だったわけだし、
それにプラスして特別な力(怪力)を持つ人は
何か神様に似たような感じで扱われる場合がある。
ex)お相撲さんに抱っこしてもらうと赤ちゃんが丈夫に育つ

なので、力持ちの人が持ち上げた石!
というのはなんかダブルで効力がありそうである。
実際それがこうして神社に奉納されたりしているわけだしね。

ちなみに、道切には
道祖神などのような「石」のほか
集落同士をつなぐ道に張られた「注連縄」や
集落入口の「大わらじ」「笊(ざる)」などがある。
※笊の編み目を 目に見立て 多くの目に見張らせ、
 または大わらじを履くような巨人が居ると思わせ、
 恐ろしいものを追い返すという考え方からか。

富士講
東京都内にも、いくつか「富士塚」があるようだが、
ココの塚は残念ながら失われているとのこと。
その名残と言っては何だが、
境内にあった富士塚の碑が複数残っている。
f:id:ko9rino4ppo:20161102211651j:image
月待ち講や ゑびす講etc
民間信仰にはよく「講」が出てくるが、
富士講もその一つである。

「講」の多くは地縁による信仰集団のことで、
集まって寝ずに飲食を共にするものや
普通に神社で行う年間行事的な祭りに近いものなど
形態はさまざまである。

では富士講は何をするかというと
普段は自分の家や近所で祭壇を作ったり拝んだり
そういう一般的な宗教っぽいことをやるらしい。
そして特徴的なのは富士詣。つまり富士登山である。
富士山の山体や神霊を信仰対象とし、
そこに詣でるための登山ということになる。
なので、修行として山を駆け回る修験道とは
またちょっと違う感じの山岳信仰ということか。
(しかし、修験道富士講の興隆に一役買ったのも事実)

そして、山に籠るのでなく詣でる形態の信仰だからこそ
近所に塚を作り信仰の拠所とすることができたのかも。
(全然深く分かっていないのに勝手に納得して申し訳ない…)

その人気たるや、
江戸幕府が危機感を持ち、禁止令を出すほどに。
しかし、厳しい罰もない禁止令では
ほぼ人気が収まることはなかったらしい。

そんな富士講が衰退したのは、
明治時代の国家神道による圧力と
その後の登山のレジャー化・女人禁制の解禁による
富士山の観光地化が原因と言われることが多い。

登ることが信仰の1つであった富士講員にとって
信心もないハイキング野郎どもがバンバン登ってきて
写真など撮るようになったのは興ざめだっただろう。

そうして、富士詣とともに富士講自体も衰退し
今回の柳森神社境内にあったと思われる富士塚
いまは碑を残すのみになってしまったのである。


↓力石・富士講碑群の横に手水鉢があり、
 その先はこんな感じで、神様村(?)みたいになっている。
f:id:ko9rino4ppo:20161102211922j:image


*柳森稲荷*

f:id:ko9rino4ppo:20161102211944j:image
この柳森神社のメイン。
狐が両脇に控え、賽銭箱は稲穂の紋。
主祭神は倉稲魂(くらいなたま)とのこと。
倉稲魂はウカノミタマと同一視されることも多い。
というか、倉稲魂とかいてウカノミタマと読む場合もある。
(本気と書いてマジと読む、並みに読めない。)

ウカノミタマについては何度か記事にも書いて、
そこで「稲の束を持つおじいさんの姿」と紹介したかもしれない。
しかし、それは東寺の縁起に登場する稲荷神の化身の姿であり
日本書紀など神道系の資料では女神と考えられているそうだ。
たしかに、穀物・食物の神であるオオゲツヒメウケモチ
女神と思われる記述があるので その方が自然かも。

さて、お稲荷さんなのは分かったが
ではなぜここに神社が建ったのだろう?というと。

なんでも、江戸城を建てた太田道灌さんが
江戸城の鬼門除けに 柳の森と神社を作ったらしい。
江戸城徳川家康が建てたんじゃないんですよ?
ちなみに、神様は京都・伏見から勧請したそうだ。

それにしても、こんなに優しそうな狐は初めて見た。
牙は大きく鋭く、眉間も中々いかつい。
しかし、この優しいまなざしを見よ…!
(まなざしを見てほしくて画像縮小してません)
f:id:ko9rino4ppo:20161102212020j:image
そして、このほかにも境内には
「明徳稲荷神社」↓が。
新潟の加茂市若宮にあるやつなのか、
東京都中央区にあるやつか。
どこからココへ来たのかは謎。
f:id:ko9rino4ppo:20161102212056j:image

 

*狐から、お狸様に⁉︎*
f:id:ko9rino4ppo:20161102212446j:image
そしてコチラが柳森神社の看板娘(?)
「おタヌキ様」こと福寿社である。

もともとは、五代将軍・徳川綱吉の母(桂昌院さん)が
江戸城内で大事にしていた「福寿稲荷」だったそうだ。
稲荷ということはもちろんキツネが居たはずなのだが、
ではいつの間にタヌキに…?というと。

桂昌院さんは将軍の妻になる前、
名前を「お玉」といって、八百屋の娘だったのだ!
彼女が町人から一転、輿に乗って将軍に嫁いだので
「玉の輿」という言葉が生まれたと言われているが…

彼女が他者を抜いて出世したことから
「他抜き」の御利益がある福寿社☆ということで
江戸城の女中たちに「お他抜きサマ」と大人気!
ついでに、町人から将軍の妻になっただけにとどまらず
子宝に恵まれ、さらには その子が五代将軍に!

ということで現代も、妊活中・安産祈願の御夫婦や
出世したい人々・玉の輿に乗りたい女性etc…
かなり広い層から支持を集めているらしい。
f:id:ko9rino4ppo:20161102212600j:image
↑管理人が一瞬ネズミかと思った「たぬき尊像」。
タヌキ像というと キ〇タマの付いたオスが多いが、
上記のエピソードからおなかの大きなメスのタヌキである。
…しかし、もうちょっと可愛く作ってもいいのでは…。

f:id:ko9rino4ppo:20161103105857j:image
ついでに、オスも瞳孔開いている感じで
あんまり可愛くない。

f:id:ko9rino4ppo:20161103105919j:image
これは可愛い。電気入れて庭に置きたい。

神田川を見守る金比羅さん*
f:id:ko9rino4ppo:20161103110411j:image
金毘羅さんと言えば、象頭山や「こんぴらふねふね」など
四国(香川)というイメージが強い。

しかし、もとはインドのガンジス河の女神・ガンガーの
ヴァーハナ(乗り物)であるワニ「クンビーラ」が
日本に入ってきたモノ。
そのため、海運や舟全般の安全を守る神とされる。
f:id:ko9rino4ppo:20161103110440j:image
まぁそのようにヒンディーの神であり
つまり日本では仏教色強めと分類されつつ
金毘羅宮というかたちで神社などに居たので、
当然神仏分離の際に大打撃を受けたのは言うまでもない。

信仰の発祥地・象頭山金光院は廃寺に追い込まれ、
全国の金毘羅宮は強制的に「琴平神社」にされ、
主祭神はオオモノヌシに変えられてしまった。

特にその動きは本州に激しかったのか、
現在も金毘羅大権現として残り祀られているのは
北海道や山陰・四国がほとんど。
ただ、我らが(?)八王子の高尾山薬王院には
「金毘羅社」というのがあって金毘羅様がいる。

金毘羅様は舟のカミサマだが、
水辺だけでなく海を見下ろす山の上に祀られたりする。
そのせいもあってか
山岳系の天狗たちとも親和性が高いらしく、
天狗は金毘羅様の眷属であるとされている。

金毘羅様の神紋が「羽団扇」なのも、
大天狗のマストアイテム・羽団扇と関係あるんだろうか。
※天狗の頭領の羽団扇は
 眷属に献上させた羽でできているとされる。

厳島・江島大明神*
f:id:ko9rino4ppo:20161103110453j:image
水の神様と言えば、こちらも。
江島大明神ということは祭神は
タギリ・イチキシマ・タギツ=宗像三姉妹。
もしくは、神仏習合で弁天様もいるかも。

江の島にある江島神社は、

役小角が開き 空海が岩屋本宮を建て
源頼朝が戦勝祈願のために八臂弁財天を奉納!
後宇多天皇が蒙古軍を避けた御礼に勅額を奉納!

という霊験あらたかな神社である。
芸事や治水だけでなく勝負事にも御利益がある…
かもしれない。

弁天様と言えば、
美人で琵琶を持った二臂の姿がメジャー。
しかし、八臂↓となると途端に重厚感が!
f:id:ko9rino4ppo:20161113131542j:image
サントリー美術館「水―神秘のかたち」図録より)

太平の世となり
技芸に優れた美人三姉妹となった宗像三女神
しかし、もとは荒海を渡る者を守った水の神である。
その三姉妹が人に加勢するため合体した姿こそ
戦女神・八臂弁財天!
その強さたるや、
心優しく美しいシヴァの妻・パールヴァティー
戦闘の女神・ドゥルガーに変身したが如し!
(/・ω・)/フォオオオオ!

…ってゆう妄想がね、止まりませんよ。
あくまで妄想ですけど(´・ω・`)
変なテンションですいませんね。

ついでに言うと、
弁天様のヒンドゥー教での姿は
シタールを抱えた「サラスヴァティー」。
なのでパールヴァティーは今回別に関係ない。

社の脇の木の間には、ちゃんと鱗紋の入った板が。
どこの部分だかわからないが社のパーツか?

f:id:ko9rino4ppo:20161103110521j:image

*アキバの秋葉大権現
f:id:ko9rino4ppo:20161103110554j:image
さて、アキバだけに、アキバ大明神ktkr!
(ふざけてるわけではないぞ)
何しろ、秋葉原という地名は
大火を繰り返し火除地となった土地に
江戸城内から鎮火社を勧請したことに始まる。

実際勧請されたのは「鎮火社」にお住まいの

・火産霊(ホムスビ。カグツチのこと)
・ミズハノメ
ハニヤスヒメ(いずれもイザナミの子)

だったらしいのだが、
当時火伏の神として秋葉大権現が流行っていたため
庶民からは「秋葉の原」と言われたことに由来するのだ。

鎮火社はいつのまにか秋葉社と呼ばれるようになり、
現在の秋葉原駅が建つに伴って台東区に引っ越した。
そして、いまも「秋葉神社」でありながら
祭神としては上記の3神を祀っているのである。


管理人は、いつもの悪い癖で
「ココも明治の神仏分離神道の神様にやられたのか⁉」
と思っていたのだが どうやら元々神道の神様が居たのに
庶民が秋葉さん扱いしていた、という話のようだ。

この柳森神社にお招きされたのは
秋葉原駅になった土地に鎮火社があった頃なのか
台東区に引っ越した後なのか不明だが…
天皇の勅命で勧請された由緒ある鎮火社の分社。
小さいながらも強力そうである。

個人的には、廃墟好きのせいか
このサビサビの屋根も堪らなく好き。

*幸神社*

f:id:ko9rino4ppo:20161113132058j:image
境内に居る時は「さいわい/じんじゃ」か?と思ったが、
調べると「さいのかみのやしろ」と書かれている場合も。
結局、正式な名前は分からないが
敢えてそう呼んでいる人がいるということはそうなのか?

ともあれ、この神社については
柳森稲荷の拝殿横に説明板があった。
その説明の大筋は以下の通り。

元は芝増上寺付近にあり
当時「岸の稲荷」「幸稲荷」とよばれていた。
創建は後小松天皇の御代であるらしい。
増上寺が敷地を拡げるにあたり岸の住民は
神田に代地を受けて移動。伴って幸稲荷も転地。
現在の富山町の一隅に祠を設立した。
その後太平洋戦争が激化し、
幸稲荷の堂守が夜半 御神体を着物の袖に巻き
柳森稲荷の宮司を訪ねて来たという。
そして「御神体を預かってほしい」と頼むので、
一度は断ったが結局宮司は預かることとした。
そして驚くべきことには それから間もなく
祠のあった富山町の一帯が空襲で灰燼に帰した。
そして昭和22年正式に柳森神社に合祀された。

確かにご神体にとっては幸いだったが、
はたして堂守は助かったのかが非常に心配である。
ともあれ、そのような経緯で幸神社はココに来たのだ。

秋葉神社と金毘羅様は
正式にどこから移動してきたのか分からないが
江島大明神さんは神田川の対岸から
(堤防を作るにあたって移動したとかなんとか)
おタヌキさまはなんと江戸城内から
秋葉神社ももとはと言えば城内の鎮火社)
そして幸神社は増上寺付近から。

境内社のモトあったおおよその場所
f:id:ko9rino4ppo:20161103110933j:image
こんなに方々から引っ越してくるなんて、
川のほとりで火災の心配が少なかったから?
それ以外にも理由が?

今も昔も、多くの人に選ばれる場所やモノは
偶然でなく何かしらの理由があるハズなので、
できればそこまで調べたかったですなー
(*´з`)
今度都内の図書館で
地域史コーナーでも読み漁ってみるかな。

*おまけ*
境内には、とても人懐こい猫がいる。
このお兄さんは、おそらく管理してる人か?
ヨシヨシされて猫メロメロである。
可愛い。ゴハンもらい過ぎたのか、
ちょっとコロコロしている。

f:id:ko9rino4ppo:20161102211846j:image