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とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

高幡不動尊と水銀の女神。

*仁王門~奥殿*
八王子に住んでいた頃にも何度か来てはいたが、
当時神社仏閣に興味がなかったのか 何も覚えていない。
(いや、興味がなければ行かないか…)
今日は多摩動物園公園に行ったので、お不動さんにも寄ってみた。
こちら↓が仁王門。
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単に「高幡不動尊」と呼ばれることが多いが、
正式名称は真言宗智山派の「高幡山金剛寺」さんである。

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仁王様の瞳は金色。あごヒゲを生やしているようだ。
そして門をくぐってすぐの「不動堂」には、
名前通り不動明王が!
写真禁止とは書いていないものの、
大抵はイケナイ場合が多いので迷っていると…
何の遠慮もなく手前のオバサンがズズイと進み出て
大きなシャッター音を響かせながら携帯で撮影会している。

便乗して撮るか、
いや観音様でなく よりによって不動明王だぞ。
なんだか怒られそうな気がしたのでやめておいた。

ちなみにこの不動堂は、この不動明王ではなく
建物が重要文化財となっている。
何でも東京都最古の文化財建築物らしい!
昔はもっと山の中にあったが、
「1335年8月4日の暴風雨により倒壊したので移築した」
と、ゆう記録があると高幡不動尊HPに書かれていた。
(年だけでなく月日も記録されていることに感心した)

重文に指定されているのは、
不動堂ではなく奥殿の不動明王トリオ↓である。
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この不動尊は「丈六不動」と呼ばれ、
かつては日本最大の不動明王像だったとも言われている。
「丈六」とは1丈6尺。つまり5m前後くらいのコト。
実はコレがお釈迦様の身長だと言われているのだ!
( ゚Д゚)デ、デカイ…

ほんとかウソかは別として、
また「1尺」の長さも時代や国によって違うので、
まぁこの辺はおおらかに捉えてほしいのだが。
このお不動様も、座っている状態で2mちょっと。
光背を合わせると3mほどという話なので
立ち上がれば丈六=4m越えということになるはず。

丈六の仏像は立像にしてしまうと
作るのも納めるのも大変なのか(憶測です)
坐像であることが多い。
そのため、
古い言葉で「あぐら」のことを丈六ともいう。

ちなみに、両脇の二童子も合わせた重さは1100kg!
1tを超えているのだ。
この重さは今でも不動尊の中で最大級らしい。
というのも、丈六の不動明王像の中で
オリジナルが3体揃っているモノは滅多のないのだとか。

脇侍を務めるのは
向かって右が矜羯羅(こんがら)童子、
向かって左は制多迦(せいたか)童子。

・キンカラは「成すべきことを問い忠実に行う」
・セータカは「隷属する者」
という意味のサンスクリット語らしい。

小学校の時、知り合いのオッサンに
「背筋が伸びてて背が高いのがセイタカ童子
 考えがこんがらかって
 主人の顔を伺っているのがコンガラ童子だよ」
と教わったのを今でも覚えている…
小学生に覚えやすいこじつけ教えると
どんな適当な内容でも一生忘れないですな(´・ω・`)
※日本津々浦々には、このポーズでないヤツも居ます!

今回管理人は動物園に行く途中だったので入らなかったが、
この「奥殿」は寺宝館となっていて
建物の中に入るといろいろ見ることができるようだ。
本堂である大日堂に安置されていた大日如来像etcも
この奥殿内で見ることができるので皆様是非。

上杉憲顕墳*
さて、その奥殿の前を通り過ぎると
こちら境内案内には「上杉憲顕の墳」と書いてあるが…
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…墳ってゆうから、もっとこう
土が盛ってある感じを想像してたんだけど!
お地蔵さまとか周りにたくさんあって、
しかも「水子」的な文字が見える塔婆も立って、
まるで水子供養の地蔵堂みたいですけど⁉

「憲顕」でググる足利尊氏のいとこも出てくるのだけど
上杉「憲秋」で調べれば確実に この人が出てくるはず。

まぁ役職も両親も功績も、どれも言ったところで
マニアしか分からなそうなので深入りしないが…(オイ
分倍河原の戦い」という戦で先陣を務めるも
敵の猛攻で深手を負い、高幡不動で自害した人物だそうだ。
京王線沿いを敗走したワケですな。

この墳、憲顕自体は知名度はあまり高くなさそうだが
「百箇日忌払」の場としての伝承が残っているそうだ。
百か日とは、故人が亡くなって100日目。
初七日や四十九日と同じく
命日からの日数で決まっているイベントの1つだ。

初七日から四十九日までは
故人は一週間おきに7つの裁判を受ける。
この間、生き残った人たちは裁判がうまくいくよう
裁かれる故人に「善」を送って応援するのだ。
これが「追善供養」である。

7人の中で一番有名な裁判官は閻魔王だろう。
少しマニアックな方は陰陽道で重要とされる
「泰山符君=泰山王」も知っているかも?

まぁその7人+百か日・一周忌・三回忌の担当者を
あわせて「十王」というわけだが
じゃあ無事に裁判も終わった100日目
生きている人たちは何をするの?というと
「卒哭忌」
つまり泣くことを卒業するのである。

そのときに、ただ卒業するだけでなく
今まで喪に服し、死を見つめていたわけだから
その死のオーラを洗い流して日常に戻る必要がある。

どうすればいいんだよドラ〇も~ん!
しょうがないなぁ、そんなときはコレ!
「憲顕の墳」!

…ということで、
この墳にお参りして「忌払い」をしたのだ。
今は行われていないらしいが
昔はこの墳の石にお茶を注いでお参りしたため、
「茶湯石」とも呼ばれていたのだとか。

高幡不動境内の神様たち*
そして、さらに進むと稲荷神社がある。
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光も適度に入って、樹が豊かで、近くに水も通っている。
なんだか気持ちのイイ場所にあるお稲荷さんだ。
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ちいさな狐たちが
びっしりと行儀よく並んでいる。

境内案内の地図では、
この稲荷神社の場所にしか鳥居が描いていない。
なので、境内にいる日本の神様はお稲荷さんだけかな?
…というと、実は違う。

一番奥にある大日堂の近くに
「五部権現社」というヤツがあるんだな。
何の神様がいるか分からない社というのは、
結構スルーされがちな世の中だね。世知辛いね。

説明板には
源頼義が奥州平定に先駆け八幡神を勧請し」
「のちに稲荷・丹生・高野・清龍権現が合祀された」
と書かれている。

一番の古参は戦の神様・八幡様なのだ。
そしてまぁ稲荷は有名だからいいとして(扱いが雑)

稲荷が伏見稲荷だとすれば清龍権現は
伏見稲荷の近所・醍醐寺の境内にある清龍宮かも。
…でも清流とか清瀧とか青龍とかって、
同音異字多すぎて全然違ってる可能性もあるなぁ。

一方、丹生・高野はペアで出てくれば
大体間違いなく真言宗総本山・高野山にある
丹生比売と狩場明神のはず。
ココ(高幡不動尊真言宗のお寺だしね。

空海と水銀の姫*
…ここまで観光案内的にサクッと来たけど、
意外な所で深い穴にはまってしまった。

金剛峰寺を開いた空海さん。
超もてはやされた宗教のカリスマ開祖の話か!

…と思いきや、いきなり時代は
空海さんの幼少期までスッ飛ぶのであった。
何の役にも立たないトリビアだが、空海の幼名をご存じだろうか。
佐伯真魚というのだ。さえき・まお(まな)。
管理人はこの名前が大好きである
あがた森魚、とかも好きだ)

さておき、このマオちゃんの名字に御注目である。
空海という芸名(?)になってしまって分からなかったが、
実はマオちゃんは佐伯氏の出身なのであった。

だからなんだ、佐伯さんなんて結構いるだろ!
と言うなかれ。佐伯氏というのは「土蜘蛛」の一氏族。
土蜘蛛というのは穴に住む、
つまり鉱山などで採掘を行いその周辺に住まう人々。
もしくは山岳を生業・生活の場とする人々。
八束脛(やつかはぎ)、国樔(くず)、そして佐伯などは
朝廷にまつろわぬ地方勢力として書物に名前が残っている。

さぁ。そんな土地で育ったマオちゃん。
紆余曲折を経て和歌山にたどり着いた。
そして彼を高野山に招き入れてくれたのが例の神様。

まず、狩場明神さんは名前の通り
猟犬を連れた狩人の姿でマオちゃんの前に現れる。
そして、彼を丹生姫様のもとまで案内したのであった!

そしてこの丹生姫が自分の神領である山を
マオちゃんに譲ったことで
高野山に金剛峰寺が開かれたのである。

さて、この女神様の名前は丹生であるが、
「丹」とは「硫化水銀(辰砂)」のことである。
それを生む、という名の女神が居るということは
つまり高野山には硫化水銀の鉱脈があるのだ。
そしてその丹を精錬することで水銀ができる。

今や水銀が毒だということは常識だが、
当時は不老不死の妙薬とされていた。

また、日本では古くから赤い顔料が重要視されるが
鉄を酸化して作られるベンガラと並んで
硫化水銀から得られる朱も
身体に塗って魔除けとしたり鳥居の塗装に使われるなど
重要な顔料として利用され、また献上品ともなった。

その原料を生む山となれば、
やはりそこにはそれを掘ることを生業にする人々が居ただろう。
空海高野山を訪れた際に大きな試練もなく
スムーズに狩場明神に案内され丹生姫が土地を譲ったところから、
空海がこの土地に入るのにあまり苦労しなかったことが窺える。

実際のところは分からないが
もともと鉱脈を探り山に暮らした佐伯氏の出自。
その空海は丹生の山の人々にとって
あまり「よそ者」感が無かったのかもしれない。

そんなわけで
鉱物の縁で出合った空海と丹生姫。
今日も高幡不動・大日堂の隣でヒッソリと
シェアハウスしつつ真言宗の寺を見守っているのである。

三分の一くらいが高野山のハナシになってしまったが
まぁ皆さま高幡不動にお越しの際は
立派なお不動様主従だけでなく、
静かに参拝者やお堂を見守る神様たちにも
ぜひ顔を見せて御挨拶してみてくださいな。
(/・ω・)/♪