読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

上野国七ノ宮・小祝神社。

神社仏閣 群馬 スクナヒコナ ミシャクジ様

高崎市石原町にある小祝神社に来てみた。
そこそこの難読神社だが、「おぼりじんじゃ」と読む。
寺が隣接しているせいか…
神社名が書いてある石碑はどことなく墓石チック。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194442j:image
境内の面積は広くはないが、
実は 我らが群馬県の「七の宮」である。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194819j:image
苗字や地名で「二宮」というのがよくあるが、
これもおそらくは昔むかし
土地の二の宮に関連深かったことが由来だろう。

ちなみに群馬の一の宮以下は

一ノ宮=貫前(ぬきさき)神社
二ノ宮=二宮赤城神社or三夜沢赤城神社
三ノ宮=三宮神社
四ノ宮=甲波宿禰(かわすくね)神社
五ノ宮=若伊香保神社
六ノ宮=榛名神
七ノ宮=今回来た小祝神社
八ノ宮=火雷神社
九ノ宮=倭文(しどり)神社

これは律令制ができたころにできた考え方らしく、
律令制の国ごとに社格が最も高いものから「一の宮」としたのだ。

結構人気の高い榛名神社がまさかの六番目
というところでも分かっていただけると思うが、
この順番は決して神様の位の高さで決まるわけでもなければ
神社の豪華さや大きさで決まるわけでもないらしい。

昔、国司さんは自分の任務地の神社を
順番に参拝しなければならないという決まりがあった。
なので、その参拝した順番なのではないか?
という説も出ている。

また「神位の高さがあまり関係ない」
というところとも少し関係しているが、
「全国でどれくらいの規模の神様か」というよりは
地元で強く信仰された神様が選ばれているようだ。
という話もある。

さて、拝殿を見てみると、
なかなかハデハデで可愛らしい感じの装飾である。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194508j:image
瓦もかなり豪華な感じの模様が。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194528j:image
そしてその下には霊亀に乗ったおじいさんが!
波の造りがめちゃくちゃ細かい!
そして表面だけじゃない彫り!
f:id:ko9rino4ppo:20160803194559j:image
さらに虹梁はじめ、
いろんなものが竜宮城的な感じで
ハデな可愛さである。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194617j:image
どことなく竜宮城ってゆうか中国っぽいってゆうのは
この亀に乗ったおじいさんと言い
なんとなく仙道思想っぽい装飾なせいかなぁ。

f:id:ko9rino4ppo:20160803194658j:image
本殿裏↓はさらにスゴイぞ!
本殿を建て替えたのは享保の頃、ということなので
色はさすがに塗りなおしていると思うが
なるほど、当時こんな感じのデザインと造りしてたのか。
すごいなー。なんだこの彫刻!と一人で感心。

境内にあった案内によると拝殿と幣殿は後から作ったので
はじめは本殿だけが立っていたらしいということだった。

「山とかが信仰対象で建築物は拝殿のみ」
という諏訪大社形式と逆パターン!
なんというか、まぁ
普通の末社とかは全部この本殿のみパターンなわけだが。

f:id:ko9rino4ppo:20160803194717j:image
そして、
この神社が文化的に評価されているポイントの1つが
この本殿裏にはめ込まれた彫刻。
これは後付けでなく作った当初からはめ込まれているらしく、
こうした形式の装飾では小祝神社が県内最古なんだそうだ。

ところで、
この本殿裏の小さな鳥居↑って何なんだろうか。
祭神がスクナヒコナさんだから、
そのサイズに合わせて作ってある?

ということは、
神様って本殿裏から出入りしてるのか!?

まぁ、裏の神域内に神木が切られた跡↓みたいのあったし?
昔は本殿の裏に薬師堂があったらしいし?
f:id:ko9rino4ppo:20160804061959j:image
裏側が、実はなんか大事なスポットなんだろうか。
(ざっくり適当なこと言いすぎだな…)

さて、
この神社は建物こそ少々新しそうに見えるが、
敷地内で多数の縄文土器が出土したりしている。

他に 古い信仰である証拠と言っては何だが、
享保年間に本殿を作った際の記録では
「御神体は石」と明記されているらしい。
巨石かはわからないが、原始の石信仰!
ミシャグジ様!

なので、この形(神社)になる前から
この土地の人にとって
祭祀的に重要な地位を占める場だった!
と考えていいのかもしれない。

また古い文献では、小祝神社は
「おぼり」ではなく「おはふり」神社と書いてあるらしい。
昔読んだ本で
神官を表す「祝(ほうり、はふり)」という語は
「屠り(ほふり、はふり)」と同じ意味である。
古く神官とは生贄を屠ることを許された職だったのだ。
という文を読んだのを思い出した。

縄文時代から祭祀的な場だったのであれば、
そうした古い時代の生贄を伴うような祭祀や
その神官の名称が残っていても不自然ではない。
この神社も古くはそうした場だったんだろうか。

さて、妄想は止まらないが
巳待塔を発見したのでちょっとコレの話。
f:id:ko9rino4ppo:20160803194750j:image
巳待塔というのは、
庚申塔などと同じく特定の集団が「講」として
ある神様を信仰する中で作ったものだ。

巳待講の神様は蛇を神使とする弁財天さんで、
繭を襲うネズミを蛇が食べてくれることなどから
養蚕農家であるメンバーがほとんどのようだ。

やっぱり群馬は養蚕関係の信仰が盛りだくさんだなぁ。

(=゚ω゚)
今回は七ノ宮だったが、
八・九ノ宮もこないだ行ってきたので
近々何か書こう…。