*茅野駅から上社への道で*
自動車超初心者の管理人、今回も諏訪大社へは徒歩で向かう。
もはや、グーグルマップに頼らなくても辿り着けるようになった。
今回はちょっと違う道を通ってみよう!と歩いていると、
小さな十字路の向こう、道の突き当りに鳥居が。
なんだなんだ?行ってみよう。
葛井神社、か。「葛井」ってなんだ?
いや、ほんとは九頭井だったりするんじゃないか?
八龍神社が八立神社って表記されるようにさ。
と、何の根拠もないのに表記に不信を抱きながら接近。
このへんの注連縄は、鳥居の左右に縄を縛り付け
余った注連縄の端を垂らしてあるようなのが多い気がする。
鳥居をくぐってすぐ右にあるのは、
「津島牛頭天王」の石碑。
津島の天王さんといえば愛知の津島神社。
エレクトリカルパレードのような天王祭の巻藁船、
一度といわず実物を見てみたいんだよなぁ…
しかし、なんでこんなところに愛知県の天王さんが。
コレ気に入った!かわいい。ツリーハウスか!
案内板を見てみると「葛井神社千本欅」。
神社の御神木であるとともに上原区の氏神様でもあるそうだ!
妖怪ポストか妖精の家かという可愛い状態になっているが、
昭和になって落雷や火災で傷んだ巨木を
元気なところまで切って屋根を付けて保護し、
それでも風雨で根元が腐食した!ということで
最近になって庇(ひさし)も作ったんだそうな。
庇の下には小さな神棚のようなパーツがあり、
おそらくは家の神棚に神様のお札を置くように
氏神様としてのお札が…
…!?
昆布茶、だと!?何故ここに!
しかしきっとその奥の白い紙が氏神様のお札だろう。
ズームしてみてみたら、諏訪護国神社の昆布茶だった。
何か有り難い謂れがあるのだろう…としておこう。
そしてこちらが拝殿。
相変わらず諏訪の神社たちは風通しがよさそうだ。
(ガラス張りにはなってるけど)
拝殿の中の右のほうは物置状態になっているのが惜しいが
この開放感のある拝殿は嫌いじゃない。
そしてこちらが拝殿内。わきは散らかっているが、
さすがにご神体周辺はスッキリきれいである。
向こう側の扉の透かし彫りを見てみると、
なんと御神紋は梶。根は四本に見えるので諏訪梶。
つまり上社と同じ紋である。
後で調べたら、諏訪大社の摂社だということだった。
この後まわったいくつかの神社も、神紋が梶らしきところがあった。
*御神体である清池*
そしてこちらが葛井神社の御神体といわれる清池。
古風な鳥居らしきものがいい感じ。
ここ清池は「ここに住む魚はすべて片目である」
また「池に幣帛を投げ込むと遠州のサナギ池に浮かんでくる」
など、諏訪七不思議のうちいくつかの舞台でもある。
片目、と聞いて(読んで)「ん?」と思ったが。
片目の魚の伝承が残る土地は
眼病平癒に御利益があるか、産鉄文化圏であることが多い。
なぜなら、製鉄に使う炉の温度を炎の色で確かめていたため
産鉄民の人々は片目で高温・高照度の炎を見続けるため、
片方の目だけ失明することが多かったといわれている。
そう思った瞬間、神紋も
「どうして諏訪関係の親睦は欅が多いのに梶?」
とモヤモヤしていたのだが
「なんか、こじつけかもしれないけど梶=鍛冶!?」
と変な風に腑に落ちてしまったりしたのだった。
いつもどおり、何の裏付けもないんだけど。
あとは「遠州のサナギ池」ね。
しらべても具体的にどこなんだかわからなくて
ただ「サナギ」には「猿擲(猿投)」の字が当てられる。
ということはわかった。
あとは、サナギなんてどういうことなの。
サナギがいっぱいある池とかならちょっと気持ち悪いね。
…と思ったりしたけれど、
今は亡き、諏訪大社の「湛え神事」で
サナギとよばれる鉄鐸が使用されていたらしいと
どなたかのブログに書いてあった。
もしやそのサナギなのか?そしてまた鉄!
ついでにいうと、
諏訪湖の御神渡りを見物に来た僧が
「手長」につまみ出されて遠州のサナギ池にワープさせられ
諏訪に戻ってくるのに七日かかったという話が。
手長は、恐ろしく手の長い人(神?)で
足長とともに語られることが多い。
そのうち書くけど、
この上諏訪に手長神社・足長神社がある。
諏訪に行くたびに、
いままで「?」だったことが少しづつつながりはするのだが。
まだまだ全部うまくつながるほど理解できていないみたい。
むしろ全部理解なんてできないのだろうけど、
だからこそ考えるのをやめられない諏訪ですな。
ちなみに、江戸のころまでは
葛井神社には本殿はなかったらしいので。
諏訪大社(前宮以外)とおなじく拝殿のみがあって
池が御神体となっていたんだろうなー。と考えられる。
*おまけ*
大社さんに負けないほど立派な御柱!