とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

報恩寺の五百羅漢さんたち。

*報恩寺羅漢堂*
岩手に「チャグチャグ馬コ」を見に行ってきた。
その記事はまた改めて書くと思うけれど、
馬ッコたちと滝沢村→盛岡駅周辺まで歩いたついでに
五百羅漢さんがあるという斑鳩峰山・報恩禅寺さんに行ってきた。
立派な門である!f:id:ko9rino4ppo:20160614225140j:image
門扉にはこれまた立派な彫刻が。
麒麟かな。竜馬かな。
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そしてこちら↓が目的の羅漢堂。
ここの像たちは1731年に作られたものらしい。
と、羅漢さんたちの胎内にあった墨書きに書いてあるそうだ。
外からは格子越しであまりよく見えないが、
そんなに高くない拝観料で写真も好きに撮らせてもらえるので
是非ちゃんと入ってみていただきたい場所。f:id:ko9rino4ppo:20160614225242j:image
そしてこちら↓が堂内。
本尊の廬舎那仏様を中央に、周りには羅漢さんがズラリ。f:id:ko9rino4ppo:20160614225258j:image
f:id:ko9rino4ppo:20160614225353j:image居眠りしてるんじゃなくて、きっと何か考えているのかな。
片手を上げているものが多いけれど、これは?
インドのサドゥの人たちの中には、
「片手を挙げ続ける」という修行をする人がいる。
あとは、挙げている角度で言うと
蔵王権現さんとかもこんな角度だった気がする。
片手を挙げてるこのポーズも、
よく見る割に全然調べたことなかったなぁ。
どんな意味があるんだかはずっと気になっているところ。
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そしてこちら↑は両脇…のように見えるのだが、
パンフレットには前立ちと書いてある。
この向かって左の八歳竜女は、
文字通り「八歳の娘であり蛇の姿をした畜生である」。
とよく説明されるのだが娘という時点で人間なのではないのか。
体は蛇で頭は女児ということなのか、それとも八歳のメス蛇なのか。
モトの姿はイマイチ想像しがたい…。

ともかく彼女は仏教の革新の1つとでも言おうか。
というのも、それまで基本的に男性に向けられ
「女性はむしろ夜叉のようなもの!」
とかメタクソ言われていた仏教の中にあって、
彼女・八歳竜女は初めて成仏した「女性」なのである。
成仏した証として男の姿になった!
というのはなんだかちょっと女身成仏として納得いかないが、
まぁ法華経にそう書いてあるのだから仕方ないだろう。

一方こちら↓は双髻を結っている。
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ちょっと仏像に興味がある人なら、
この双髻と中腰感で何となく誰だかわかるだろうか。
安倍文殊院にあるのが有名かもしれないが、
文殊菩薩の勧めで多くの人々を訪ね修行をし、
普賢菩薩のもとで悟りを開いた「善財童子」である。

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ひょうきんなポーズのものから、
いまにも乱闘を始めそうなのまでいる。
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こちら、ファッションもさまざま。
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乗り出してこっち見てる人がいる!

…とこんな風にかなり楽しんできたわけだが、
ひとしきり見終わってから受付のおじいさんが
(服装をよく覚えていないがあれは住職さんだったのか?)
この羅漢堂について話をしてくれた。

*羅漢チャンネル*
そう。今回は別に
仏像や羅漢さんを紹介したかったわけじゃなく、
その話を少し書きたかったわけですよ。
ここまで長かったけど。

まずこの羅漢堂が何を表現しているかということ。
この羅漢堂の正面には毘盧遮那仏がいるわけだが、
まずそれはお釈迦様の顔をしてはいるけれど
お釈迦様の姿を写した像ではないんですよ。
というはなし。

「盧遮那仏だけではなく御前立の二体も
 釈尊十大弟子も五百羅漢さんも、
 そこに人が集っている様子であるように見えながら
 それは人や一人一人の仏・羅漢ではなく
 このお堂の中全体が一つの宇宙を表しているんです。」

別にこれは具体的に、
「この仏さまは〇〇星で…」
みたいな話ではない。

私だって、
修行をしているわけではないし
仏教だって別に詳しくない。
だからこそ「空(くう)」とかそうゆう解釈論的なとこより
動物と戯れたり空を飛んでみたりおなかから仏様が現れたり、
そうゆう目に見える神通力を行使する羅漢に惹かれるわけだが。

でもなんかこの説明の
「御堂全体が一つの宇宙」という言葉で
すごく御堂の包容力がupした感じがした。

そして、さらに気に入ったのは時代背景の話。
この羅漢像たちがどんな時代に作られたのか。
それは、大飢饉の時代。
「今年はちょっと不作だ」ってレベルじゃなく、
何十年も飢えが続くような大飢饉の中で。

お寺ってゆうのは普通、
一定の立場(出家したとかね)の人以外にとっては
死者を弔ってその成仏を願ったりする場所。
でも、
死んだ人は食べてしまえ。弔う余裕もない。
そんな時代に「死んだ人」でなく
「生きている人」の心の拠り所になるよう作られた。
それがこの羅漢堂なんですよという話。

だからこそいまも、
生きている私たちがふらっと立ち寄っただけで
このズギャァアアン!ってゆうパワーを感じられるわけ。
もともとこの五百羅漢のパワーチャンネルは、
生きてる人に合わせてあるからね。

なんかすごく腑に落ちた。

*おまけ・修行三昧と睨み龍*
ちなみに、管理人が神様や神社のことを調べると
全く抜けられなくなるのと同じように。
羅漢さんたちにとって修業は楽しいことのようだ。
受付のおじいちゃんはそう言っていた。

ただ、楽しいけどあくまでも修行ですよー。
ここは神聖な場で、邪気は入ってこられないし。
そんな意味もあって、
天井には八方睨み龍が描いてあるのだそうだ。

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ほんとうに、中にいるとそこは
羅漢たちが修行することに心を傾け
ひたすら自由に集中する「修行三昧」の宇宙。
盛岡にお越しの際は、是非!
羅漢堂で修行天国な宇宙遊泳をお楽しみあれー。