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とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

近戸神社で(゚д゚)ハッ!(+α 阿夫利神社)

いまどきなかなかお目にかからない、
車掌さんが切符をカシャッとやってくれる上毛電鉄f:id:ko9rino4ppo:20160606210524j:image

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北原ゆうきちゃんに見送られて、
中央前橋駅から粕川駅まで出発~。
粕川駅で降りると、周りは一面の麦畑。
農家のおじいさんたちが軽トラに乗りながら、
こんな時間にこんなところを歩いている女子、
いったい何が目的だんべ?
とこちらを見ている。
 
阿夫利神社
歩いていると、畑や民家の隣に突然神社が。
目的の神社ではないのだが、
習性で鳥居や鎮守の森を見つけると吸い寄せられてしまう。
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拝殿らしい建物には「神明宮」と書いてあるが、
こんなところでいきなりアマテラス…?
と思っていると、神社のわきに新しそうな鳥居があり
そこには「阿夫利神社」と書いてある。f:id:ko9rino4ppo:20160606210713j:image
しかしその向こうには神社らしい神社はなく、末社のような小さな祠ばかり。
祠たちの扁額部分を見てみると、
養蚕の神様の聖地「蚕影山」。
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そしてこの写真の向って左、鳥居の主と思しき
「阿夫利大神宮」。
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阿夫利神社とは、いかにも当て字っぽい
なんだか気になる名前…。
と思って「あふり」で検索すると大量にラーメン屋がヒット!
なんでじゃ((((;゚Д゚)!
と動揺しつつ、ちゃんと漢字で検索すると…。
 
前回の記事で石尊大権現さんが少し出てきたが、
その神奈川県伊勢原の大山にあるのが
大山阿夫利神社」だったのである。
神仏習合時代の神様は石尊大権現と天狗たち。
「阿夫利」の名前は「雨降」と書かれた時代もあり、
雨乞いの対象でもあったそうだ。
 
気になることに、
最近まで大山阿夫利神社神社本庁に属さず
阿夫利神社本庁という形で単独で運営していたらしい。
(by Wikipedia
 
おそらくだが、なかなか力があったからこそ
それが可能だったのだろうと思われる。

今回の粕川のように、
前橋の中でもちょっと山寄りには
前回書いたように石尊大権現の祠や石塔が多い。
石尊大権現を祀る神社は神仏分離以降
ほぼ祭神を大山祇(オオヤマツミ)としてきたので
単に山岳信仰文化圏だから石尊様、と思っていたけれど。

石尊大権現さんがたくさん居るのは、
大山阿夫利神社の勢力圏だったからなのかもしれない。
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しかしこの神明宮の提灯がついた拝殿は
もとから神明宮だったのか?と見てみれば、奥の角っこに
大山阿夫利神社□□記念と書かれた白黒写真が!f:id:ko9rino4ppo:20160606211630j:image
□の部分は目が悪いのと、
写真をアップにしても見えなかったので確認はできないが…
この神社に神奈川から阿夫利神社の石尊さまをお招きした時の写真なんだろうか。
拝殿の瓦などは結構古そうなので、
もとは阿夫利神社として建てた建物を神明宮としたんだろうか。
(例えば神社本庁の傘下に入ったタイミングとか…)
 
*近戸神社*
そしてそこから徒歩でしばらく。
(と言っても30分はかからない)
群馬県前橋市粕川町月田。
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レトロなタバコ屋を通り過ぎ…
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近戸神社が現れる。今回のお目当て神社である。
今回は、
群馬最古の狛犬があるとゆう話で目的地を決めたわけで。
もったいぶっても仕方ないので、
サラッと出してしまうとコレがその狛犬
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なんともいえない、丸っこい体つきである。
平面的な尻尾もまた塔婆(?)のようで特徴的。
パグ系のブサカワ狛犬である。(いや、可愛いくないかな…)
ちなみにこちら、鳥居入って両脇とかでなく
境内奥の藪っぽいところに2匹並んで仲良く座っている。
一匹破損してしまったので代替わりしたらしい。

そしてさらに奥に進むと獅子舞の練習場があり、
そして細い道を挟んで向こう側には…!
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何とも言えない数の庚申塔が!
知らない人が見たらお墓かと思ってしまうような量!
しかもなんか真ん中に向かって、
ここに立っていると庚申塔に囲まれてる感がすごい!
そして一対の大きいサル!
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と、庚申塔エリアを堪能したところでまた境内に戻る。
拝殿は、真ん中に「近戸神社」の扁額。
そして向かって左に「蠶玉山大神」の扁額。f:id:ko9rino4ppo:20160608124254j:imagef:id:ko9rino4ppo:20160608124820j:image
なんかココまで、
狛犬のことしか考えてなかったんだけれど…
たぶん現物を見て少し落ち着いたんでしょうね。
いろんな回路がつながってきましたよ。
そして(゚д゚)ハッ!と。
近戸近戸って、土地かなんかの名前かと思ってましたけどねー。
こないだ会ったばっかりの神様がいるじゃん!ってね。

長野ですよ!
洩矢神の孫にして、
御頭祭に供える鹿を狩る役目を担っていたのではという!
チカトさまじゃないですか!?
そうでなければ、こんな片田舎で
赤城大神の御膝元で正一位なんて不自然じゃん!

と、一人でテンション上がったところで
またスズメバチに追いかけられて
コソコソ逃げ回る管理人(;´Д`A
どうやら狛犬の藪付近は巣があるらしい。
裏手を探索できず…。

しかたなく、表のほうで説明版を読んだりする。
ふと見ると携帯の電池は残り3パーセント。
仕方なく何かの資料になるかとこの辺を写真に撮ってみた。
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天井は、最近修復したのか保存がいいのか
以外にも鮮やかな格子天井。家紋?
そして壁には神馬の絵のほか、切り絵のような月田の獅子舞。
(画面のノイズは汚いガラス越しに撮った為のもの。オーブじゃないよ。)
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そして、もっと何かわかるのではと別の近戸神社へ。
まずは同じ月田にある近戸神社。粕川を挟んで対岸である。
(とはいっても、先の近戸神社はそんなに川から近くない)
微妙に公園を兼ねているためか舗装がされていたり、
吊り橋みたいな感じの橋があったりして
鳥居が古そうなのだがありがたみは薄め…
御旅所?の天井の竜も、
神獣というよりどことなく妖怪じみているような…
(※勝手な偏見です!)
ということで早々に後にしてしまった。

続いて前橋市笂井(うつほい)町にある近戸神社へ。
小学校のすぐ隣であるが、全く人はいない。
(まぁ、そりゃそうか。休日の夕暮れだし。)
入ってみると、そう大きくはなく、拝殿の屋根もトタン風。
もう暗くなり始めていて確認できなかったけれど、
こういうトタン風の板で萱葺を覆っている神社も結構ある。
葺き替える萱と人が足りないんだろうか。

こないだ子供向けの本の
「神社とお寺の違い」みたいなページを読んだら、
お寺は瓦葺き、神社は萱葺と書かれていた。
見てる中には結構瓦葺の神社もあるけど、
あれはもともと権現様とか(そうゆう神仏グレーゾーンの)
がいるお寺を神社にしたんだろうか。

そうかんがえると、
見た目はしょぼいけど萱葺を存続できなくなって
トタン屋根にしている神社のほうが…
実はホンモノだったりするんだろうか。

さておき、ここの説明を読むと
祭神は
オオナムチ、大日孁(オオヒルメ、アマテラスの別名)
オオヤマツミ菅原道真公。

末社の扁額部分を見ると、
この辺でおなじみの絹笠神社、阿夫利神社のほか
全国チェーン琴平神社秋葉神社愛宕神社…etc。

さて、ここから。
「笂井とゆう地名を付けたのは南朝の藤原さんという役人。
奈良にいた時の氏神様をここにお招きして、
その春日の末社として祠を立てて「千鹿頭明神」と称した」

ほらやっぱりチカトウ様じゃないか!
ふんふん、それで(=゚ω゚)?

「大胡城主の牧野さんが御神徳に着目して、
 城内に社殿を作り近郷の総鎮守となった」と。

殿様に気に入られると強いよね。
しかし元は春日の末社だったって?
じゃあなぜ今、末社だった千鹿頭(近戸)が社名に?

鹿?まさか鹿つながり?
南朝の藤原さんってことは、
藤原氏だから氏神春日大社を勧請したわけでしょ。
で、春日の神使いは鹿。
でもその名残だっていうなら何故祭神は
タケミカヅチでもフツヌシでもないのかは疑問…。

説明板には
北条氏の兵乱で社殿や記録を焼失」
とあったので、
春日様だったことはいったんリセットされちゃって
名前だけが残って「近戸さま」だった時代が長くて、
その後神仏分離かなんかで
「ちゃんと神道の神様祀りなさいよ?」って言われて、
じゃぁ、月田の近戸神社もオオナムチだし そうしようか?
みたいになったんだろうか。

月田の近戸神社に倣ったなら
豊城入彦もいていいはずなのだが…
その辺も気になる。

あと、別に長野から招いたとかは全然書いてない。
でも諏訪大社も春日の神様・タケミカヅチが乗っ取ったし
(人聞きが悪いかな…)
その時から東方に流れた藤原氏
鹿を神使とする春日様と一緒に
同じく鹿である千鹿頭さまも祀るようになったとか
同一視して大事にしていたとかあるのかな…?

だとすれば、
長野土着の神様が霊験によって近隣の県に広まった
と考えるよりも信仰が広範囲に広がっていることは納得できる。

蛇足だけれど、
アマテラスという天津神でなく
オオヒルメという名前には
天皇さんとか関係なく単に太陽神(自然神)として祀ってる
みたいなニュアンスを感じて個人的には好き。

電池切れで
最後は写真がまったくなくなってしまったけれど、
地元で千鹿頭様に再会できた楽しい散歩だった
♪( ´▽`)