とまのす

ちいさくゆっくり、民俗学。

お菓子と調理のかみさま。

普段は寒空の下、
寂れた小さな神社を巡ることが多いが。

京都に来ましたよ。京都(=゚ω゚)ノ!
神仏過密都市(?)であるのみならず、
私の好きな森見登美彦の小説で
よくその大波乱の舞台となる街。

とくに好きなのは
黒髪の乙女が大活躍の
夜は短し歩けよ乙女」。

というわけで、
京都駅から出たら三条通りまで歩いて
彼女と鯉屋の東堂さんが出会った
バー「月面歩行」のモデルらしき店へ。
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午前だからしまっているだろうけれど、
ドアだけでも拝みたいので2Fへ!
本当にアパートの扉のようなドアに
小さく店名が貼ってあるのみ。
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これは分かる人しか来まい。
しかし、看板をよく見てみるとなんとなんと。
all 200yen の文字とカクテルの写真。
「宝石を飲んでいるよう」という
乙女の言った形容に相応しい
キラキラなカクテルたちの写真。
ホームページを見てみると、
関西を中心として東京にまで支店があるが
200yenは創業からのコダワリらしい。


ちなみに今回の滞在は京大の学生寮を宿にしていたが、
黒髪の乙女と「私」が待ち合わせをした店
喫茶・進々堂も京大から歩いてちょっと
古本屋が並ぶ通りの先にある。
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私は珈琲が飲めないので
がっつりとカレーを食べたが、
給食カレーのようでスパイシー過ぎず
また真っ赤な福神漬けなどもついて
懐かしい味。
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私も是非、
これをたべて乙女のように、
いろんなことに飛び込める女性に!
なむなむ!

と乙女にあやかって
進々堂信仰を発足させたところで…

いつもどおり神社めぐりに戻る。

吉田神社
小説の中ではパンツ総番長が
恋愛成就のため願掛けをした神社
として扱われているが…

吉田神社の節分祭りは京で一番の歴史がある!
とも言われ京の鎮守神として名高い神社。
鬼は外福は内と大豆を撒くのでなく
追儺としての色が残っている貴重な節分祭だ。

吉田というのは後に神職の名字となったが、
もともとはココ一帯が吉田山と呼ばれ
そこに勧請した神社だからだそうな。
神職・吉田さんが作ったのが吉田神道

本殿はタケミカヅチ・イハイヌシ・
アメノコヤネ・ヒメガミの4柱を祀り
拝殿は4軒同じ大きさで並んでいる。

たしか八王子の養蚕関連史跡めぐりの記事で
アメノコヤネ中臣鎌足を輩出した中臣氏の祖先、
と書いた気がするけれど
そんな彼は春日大権現とも呼ばれている。
(=゚ω゚)ノトゥース!
つまり、シカで有名な春日大社の神様なのだ!

そしてヒメガミというのは特定の神様の名前ではなく
大体の場合は合祀されている神様の奥様という意味。
ここのヒメガミさんはミセス・アメノコヤネである。
なので、この夫婦神にあやかって
吉田神社は恋愛成就・夫婦円満の御利益がある!
と言われているのである。
パンツ総番長の願掛けにはちゃんと根拠があったのだ。

そしてタケミカヅチ
アメノコヤネと同じく中臣氏が祀った神であり
鹿島神社では地震抑えの神ともされている。
一方、イハイヌシと同一視されるフツヌシは、
香取神社にこれまた地震抑えの神として祀られている。
そして「国譲り」の際はタケミカヅチと共に天下って
国の統治権天津神のモノにしたのである。

この二人の話は少し長くなりそうなので また
彼らが主役の神社に行ったときにでも回そうかな…
(´・ω・`)

そして本堂より人気( ゚Д゚)!
とも言われる「大元宮」がこちら。f:id:ko9rino4ppo:20160325070119j:image
「歩けよ乙女」でも樋口さんが
ココの神様たちの御利益がある!という御守りを
学生相手に売りたたくシーンがあるが。

境内には真ん中の「虚無大元尊神」の社を中心に
まわり一面ぐるっと神様がお住まいに!
その数なんと3132座+アマテラス・トヨウケビメ
大元宮にお参りすれば
日本全神社に参拝したに等しい霊験が、という
ちょっとチートな場所である。

境内には他にも
三社神社や竹中稲荷などいろいろあるが、
今回は珍しいところで
料理とお菓子の神様を訪問したい。

*菓祖神社*
本殿から広場に降りて、
ちょっと違う方向に登ったトコロにある。
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社自体は新しくしたらしく
年季が入っていないのが残念だが…

これが日本に橘を持ってきた
田道守命(たじまもりのみこと)と、
日本で初めてまんじゅうを作ったという
林浄因命(はやしじょういんのみこと)
を祀った神社である。

なんでお菓子なのに橘?
と思う方もいるかもしれないが、
モトは「菓子」と書いて「くだもの」と読んだそうだ。
そう思えば菓子の菓が草かんむりなのは
ご納得いただけるだろうか(*'ω'*)

「く」とは「木(き)」の古称で
「だ」は「けだもの」の「だ」と同じく助詞。
つまり「木のモノ」という意味の言葉。

今でも果物と野菜の違いとして
木に生るのが果物、そうでないのが野菜。
と言われたりする。
(だからメロンやスイカは野菜とされる場合がある)

多くの人が穀物を主に食べていた時代、
田道守によってもたらされた橘は
不足しがちなビタミンの
貴重な摂取源だったはず(∩´∀`)∩!

食べれば風邪も引きづらく
そのうえ傷の治りも早いだなんて…
まさに神様の恵み・橘!

ただ、Wikipediaによれば
その後 砂糖などで作る菓子ができ、
それと区別するために
果物は「水菓子」と呼ばれるようになり、
しかしこれまた寒天や葛を使った水菓子の発明で
その名称まで奪われ「果物」になったのだという…。
なんて可哀想なんだ(;´・ω・)

ちなみに菓祖神社の神様2人は
和歌山の橘本神社と
奈良の漢國神社内の林神社から来た。
和歌山と奈良の各神社には
各々「饅頭祭」「みかん祭り」があるそうだ。

饅頭祭りには
日本全国の製菓店が商品を供えるのだそうで、
是非一度見てみたい光景のひとつである。

ハヤシさんだと思っていたので
中国で禅の勉強をした日本人かと思っていたが、
現在の漢國神社のあたりに居住していた
と聞くと渡来したリンさんなのかもしれない。

ちなみに橘をもってきた田道守さんも
朝鮮系渡来民の祖神・アメノヒボコを祖先とする
とされているので渡来人の家系と思われる。

ともあれ
日本人の知っている「肉まん」のように
野菜や肉を餡とした中華式饅頭。
肉を食べてはいけない仏教徒な日本人のために
肉→小豆に改造した林さんは
お店を出して見事饅頭の神様(?)になったのだった。

ちなみに、私は勝手に
このとき肉を小豆にしたものが「まんじゅう」
野菜餡のみを残したものが「おやき」
ではないかとおもっている。

ちなみに我らが群馬式おやきは
(群馬でも地域差はあるだろうが)
生地の中に餡として野菜があるのでなく
生地にフキノトウなどを混ぜて焼く。
全くフカフカモチモチしていない。
長野式のほうがおいしい。
(´・ω・`)タベタイ…

*山陰神社*
さて、そこからまた少し違う方向へ行くと
山陰神社というのが建っている。
これまた新しそうな社であるのだが。
まず、読みはサンインでなくヤマカゲである。
藤原山陰という人を祀っているのだ。
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説明書きを見ると、
そもそもこの吉田神社を建てたのがこの人らしい。

本殿には中臣氏の祀っていた神様がたくさんいるのに、
吉田神社を建てたのは藤原氏
と、こんがらかるかもしれないが
皆さんご存知の中臣鎌足
死ぬ間際に藤原姓を名乗り藤原氏の祖となった。

鎌足次男が日本史に絶対出てくる不比等
(むちまろ・房前・うまかい・まろ四兄弟の父)
その房前の子が魚名、その魚名の夜叉孫が山陰である。

そしてさらに説明書きを読むと
「あらゆる食物を調理調味づけられた」と書かれている。

…ってどうゆうこと?神話の話?
やおよろずの食品に味を付けたの?
と思って調べてみると、
この人は「四条流庖丁式」の始祖だという。
つまり神話とかでなく現実の功績。
そしてこの「庖丁流」というのはつまり
調理法や料理の作法の流派のことだそうで。
(調理に流派があること自体知らなかった( ゚Д゚)

それより古くにも
当然別の作法や定番調理法があったようだけれど、
最初の人でなく それを一新した彼がなぜか
庖丁や調理調味の神様になったわけですな。

いやー。
お饅頭の神様がいらっしゃることも
菓子がモトは果物のことであったことも
調理の神様というものがいることも
ちっとも知らなかった。
単なる勉強不足かもしれないけれど、
遠出すると新しい神様に出会えるもんだな(*'ω'*)

京都では神社めぐりばかり行って記事を書かず
写真をため込んでしまったので
サクサク記事にしないと忘れそう…(汗=゚ω゚)

ではまた次回(;´∀`)