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とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

八王子養蚕つながり①:蚕種石~諏訪神社

神社仏閣 東京 八王子 子の権現 民間信仰

*蚕種石(こたねいし)*

前回紹介した清水寺を出発して
「蚕 絹を吐く虫と日本人」の畑中先生が
「本当にわかりにくいとこにある」
と仰った蚕種石を目指す。
学生時代に居た地域だが2月の相原は、とにかく寒い。

情報も少ない中、
この辺りと思われる住所のあたりを
ぐるぐるぐるぐる歩き回る。見つからない。寒い。
と、救いの神のようにグーグルマップに現れた
小さな建物の名前。
「エースコーポこたねいし」。
絶対このアパートのとこだ…!
(*´Д`)タスカッタ…

行ってみると、地図を見てさえ
「こんな細いとこから入るの?私道!?」
という道から入ってやっと到着。

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まさにエースコーポこたねいしの敷地の角に
畑中先生の「蚕」のラストを飾った蚕種石が…(涙)
しかもその近くのマンホールを見ると、
これは…お蚕様のお食事・桑の葉Σ(・ω・ノ)ノ!

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なんとなんと。
しかもエースコーポこたねいしの玄関には、
先生が言った通り
あの「オオカミの護符」まであるではないか!

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オオカミと養蚕の関連については、
私はまだ書けるほどよくわかっていないので
これは自分への宿題。
無論キツネと同じく「蚕の天敵・ネズミを食べる」
ということでオオカミも蚕の守り神!
ということもあるだろうけれど…
それ以外にも何かもうちょっと知識がほしいところ。
世田谷にある砧(きぬた)の三峰神社にでも行って、
その記事を書くことがあったらそのころまでには…
調べておきたいですφ(..)

写真で見た蚕種石には
結構ぴったりサイズの注連縄が掛かっていたが。
今回実際見たものは園芸用の支柱の様なもので
注連縄がちょっと支えられている。緩いらしい。
ということは、毎年掛け替えたりしているのだろうか。

蚕種石のそばにある説明書きによれば、
神武天皇の遠征の際
九州から馳せ参じた「天種子命」が
非常に優れた武勲をあげたのにあやかろうと
他の臣下たちが彼の姿として
清めた石を祀ったらしいのだが…。
その祀った時点で 既にこの石は
今と同じ「蚕種石」という名前だったようだ。
なぜだ。なぜ「天種子石」ではないのだ( ゚Д゚)!


確かに説明の後半で天種子命が
妻を娶ったのち九州で豪族を従えて
養蚕に励んだとは書いてあるものの…

この石は彼の養蚕の功績でなく
遠征の武勲にあやかるためのモノだというのに
なぜ急に「蚕」の文字が登場するのだ!
なぜこの繭玉形のものが彼の姿なのだ!

まさか…彼は蚕(いや、繭?)だったのか…
(; ・`д・´)
だとすれば、これを無理やりつなぎ合わせると
この「武勲」とは単なる戦争や征夷ではなく、
中央集権国家になりつつあった日本で
他の産業に従事していた地方民に
圧力で養蚕を行わせ税として生糸を納めさせる
という過程を隠喩的に描いたものだった!
という意味があったりして…|д゚)

ちなみに天種子命は
今回調べるまで知らなかった神様。
説明書きによれば、
滋賀県にある伊香具坂神社というところでは
彼を祀っているらしい。
知名度は高くないのかもしれないけれど、
あの中臣氏の遠い祖先だと伝えられているそうだ。
中臣氏の祖先ということは、
天児屋命アメノコヤネノミコト)と関係があるのか?
とおもったら、天種子さんはアメノコヤネの孫だそうな。
コヤネおじいちゃん…(*´ω`)

そして大東亜戦争でどこかに埋もれてしまった
オリジナル蚕種石のことを知り、
もう一度この地に蚕種石を!ということで
この家の家主さんが祭主となって有志十数人と
現在のリニューアル蚕種石を作ったそうである。

ちなみに
リニューアルしたのが昭和と、結構最近なので
説明書きにある祭主さんの名前は今も
エースコーポこたねいしに隣接する
大家さんらしきお宅の表札に 普通に書いてある!

 

諏訪神社と子権現*

蚕種石の名前の由来にちょっと釈然としないまま、
蚕種石から30分ちょっと歩いて
東京都八王子市鑓水にある諏訪神社へ。

ここもまたどこにあるんだかわかりづらく、
一個手前の坂道に入ってしまったらやはり私道…
突き当りは民家で、
その手前の家の住民に不審そうに見られた。
はずかしー(*ノωノ)
気を取り直して、正しい道へ。
曲がり角手前に、ザックリした感じの看板があった。

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そして坂を上ると、急に参道。

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人気のない神社なのだが親切にトイレの表示。
(ニンキでなく、ひとけ、である)

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この諏訪神社
もとは子権現(ねのごんげん)という土地の鎮守で、
地域の生糸商人(鑓水商人と呼ばれた)が
たくさんのお金を寄進したという記録が残っている。
また、それだけでなく境内にある旧本殿には
養蚕にまつわる絵馬が奉納されていると聞く。
(=゚ω゚)ノイッテミヨー!

先ほどの写真の階段を上ると、
神楽殿のような建物のある広場があり
さらにそこから上へ行く階段がある。
登り切ると正面に立派な拝殿と思しき建物が。

ん…。
御朱印、セルフサービス。

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ほしい人はこのケースに2種類入っているので
好きなほうを選んで賽銭箱に200円入れる。
なんだか田舎の農産物無人直売所みたいなノリ。

三つの社の名前が並記されている。
この諏訪神社を調べると度々
「子権現の境内に諏訪・八幡社を招いた」
という言い回しが使われていることに気付く。
つまり、ここは子権現さまの土地。
しかし合祀した際に、知名度の高い諏訪神社
ネームバリューで主導権を握ってしまったのかも。
(;´・ω・)

拝殿には鰐口と並んで鈴もついている。
何かの記事で書いたかもしれないが、
大体は寺院に鰐口・神社に鈴(例外はある)。

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八幡宮諏訪神社は神社、
子権現はお寺扱いなのかもしれない。

八幡宮といえば祭神はだいたい
八幡大神=誉田別尊=応神天皇
「比売大神 (ひめのおおかみ)= 宗像三女神
そして応神天皇の母「神功皇后 =息長足姫命」。
ヒメノオオカミがタマヨリビメになったりと、
女神さまに多少のバリエーションはあるけれど
応神天皇神功皇后はかならず祀られている。

そして諏訪大社
国譲り神話で建御雷と争った「タケミナカタ
そして彼の奥さん「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」
を祀っていることが多い。

そして寺院扱いらしき子権現だが。
そもそも「権現」という言葉は、

みんなの知っている日本の神様って
仏教の神様が
みなさんを救うために使う仮の姿なんですよ。
つまり、本当は皆さんを救っているのは
仏教の神様なのですよー(=゚ω゚)ノ

という仏教布教視点の言葉。
それが明治時代の廃仏毀釈神仏分離令により
「日本の神々と仏教の神は別!一緒にするな!」
「その方は仏教でなく古式ゆかしき日本の神だ!」
ということで、
権現という号も使用禁止になり
その号を使っていた仏教の神様は「〇〇の神」に改名。
権現様のいた寺院もそれに伴い神社にされたり、
さらには神社にするためにあいまいな神様を抹消し
日本神話に有名どころで性質の似た神様と置き換える始末。

そんな嵐の後で、
ここの子権現様が「子神社」にならず
お寺風に鰐口を設置してもらえているというのは、
なんだか昔の信仰の跡が残っていてうれしい感じもする。

この拝殿の奥にその三社の本殿が並んでいて
(写真は禁止と明記してあり流石に撮れなかった)
それらもバッチリ彫刻が施された市の有形文化財

そしてその左、
少し坂っぽいものを上ったところに
子権現の旧本殿はある。
そんなに大きな構造物ではない。
大きさで言えば神社仏閣の後ろにある、
末社たちとそんなに変わらない大きさかもしれない。

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↑本殿が雨風をしのぐための覆殿。

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千羽鶴がワッサリ。

ここに手を合わせたあたりから
怪しいと思っていた天気は一気に崩れ、
小雨に降られるし少し薄暗くなってきたので
なんだか雰囲気が出てきた。
(;´・ω・)チョットコワイ

なんとなく怖いような気分のまま、
しかしせっかくここまで来たんだし と
旧本殿の横に入り込んで格子状の覆殿の内側を見学。
いくつもの絵馬があり、
その多くはどうやら女性が描いてあるようだ。
が、何をしている絵なのかハッキリみえない。
(顔が消えているのがさらに怖い…(´Д`))

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このちょっとふくよかな女性が描いてある絵馬は
このまわりにあるのは繭かなぁ…
というこのが推測できる程度。

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この真ん中のすぼんだ楕円形みたいなものは
いろいろなブロガーの方が「繭」だと言っているもの。
しかし、群馬県の養蚕関連のお土産品を見ても思うけれど
繭って真ん中へこんでないよなー。
楕円に見えて真ん中へこんでるって言ったら
それむしろ生糸の束と混同してるんじゃないだろうか…。

大体、生糸の束にしたって
なんか上下が均等じゃないなんて
まるで足跡みたいで変だよねぇ…
なんか直感的に、繭じゃない気がする!
(でも何かわからないし、他の人は繭って言ってる…)
「オオカミと蚕」とともにこれも宿題ですな
(;´・ω・)

今回はいろいろ釈然としないままだけれど、
子の権現敷地内で雨に降られながら撮った
お稲荷社の写真で一旦〆ますー。
(=゚ω゚)ノ
次回は「絹の道」を通って
諏訪神社の次に寄った道了堂跡あたりのことを書く予定。

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追記:
繭っぽくない足跡型金属板は宿題…
と言っていたら、
なんと群馬県でその謎が解けた…!
やっぱり繭じゃなかったみたい。
記事書いたらリンク張ります(*'ω'*)