とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

すみつけ祭り

きのう(2014/2/11) 

玉村町上福島地区(福島県ではなく群馬県です・ω・)

で行われた「すみつけ祭」を覗いてきました。

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子供たちが炭をつけた大根を持ち、

天狗の面を付けた大人に続いて地区内をまわり

住民の頬や額に大根を押し付けて炭をつけて回ります。

 

天狗面と御神体

埼玉の神社からお借りしているとか。

 

玉敷神社という神社で、

主祀神は大己貴(オオナムチノミコト)。

オオクニヌシと同一視されることの多い神様です。

 

もともとは埼玉郡の総鎮守で

久伊豆大明神と呼ばれていた神社らしいです。

 

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↑こんな感じの大根で、野菜スタンプみたいにやります。

 

江戸時代、

ころんで鍋炭が顔についてしまった女中だけが

のちのち流行病にかからなかったのが起源だとか。

 

炭をつけてもらうと一年間健康に過ごせるそうです。

(私もやってもらいました!)

 

 

 

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余談になりますが、

住民が他の住民に対して

「汚れるものを付けて回る」というお祭り。

 

そう考えて真っ先に思い浮かんだのが

宮古島・平良地区の「パーントゥ」でした。

 

こちらは、神に扮した3人の青年が

特定の井戸の底から汲んだ泥(くさいらしい)を

自らの全身に塗ったのちに、

地区内の人を追い掛け回して塗りたくり、

新築の建物や壁などにも塗りたくって回る!

という激しい祭り。

 

こちらは、もともと憑いていた悪霊を

泥を付けることで落とすという意味合いだとか。

※もっと詳しい説明は

 ウィキペディアor国指定文化財データベース

 

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(追記)

 

後で調べてみたら、パーントゥよりも

大分県宇目で行われる「木浦鉱山すみつけ祭」のほうが

由来や方法が近いみたいです。

宇目でも一年の無病息災を願って、

「神から人間へ」ではなく人間同士が炭を付けあいます。

 

こちらの起源は、

鉱山の落盤事故で唯一生き延びた人が

炭で顔が真っ黒だったため。

または、

鉱山労働者の夫婦が

顔に炭を付けあってふざけていたために仕事に遅れ

落盤事故を免れたため。

と伝わっているようです。


*2019/5追記* 

大分県の「木浦鉱山すみつけ祭」に関して、
この記事を書いた当初(2014)は大分合同新聞社さんの
祭のオンライン記事を参考にさせていただいていたが、
久々に見てみると記事がリンク切れとなっていた。

「宇目三大祭」と言われた当祭が2018年の開催を最後に
400年の歴史に幕を閉じたらしいと分かったのは、
昨年 古民家雑誌(と言って良いのだろうか)を手に取った時。
(一般社団法人住まい教育推進協会 発行「ジャパトラ 2018年5月号」)

去年か。2014年に この記事を書いて祭りを知ってから
すぐに行こうとすれば見られたのに何てことだろう。
と まず思ったのだが。

運営していた方のブログなども読むと
やめるのは決定ではないが継続も難しい状態のよう。
読み進めていると
地元の産業と共にある、地元のための祭なのだなぁ
と思うような言葉がたくさん書かれていた。
(「木浦すみつけ祭り」,https://blog.goo.ne.jp/mokupo001,2019/5アクセス)

例えば祭を知って 管理人が見に行けたとしても
祭はやはり2018年で最後となったのだろう。
そのとき見られたとしても単純に
「ああ、無くなる前に見れてよかった」
「もう見れないから貴重な写真が撮れたなぁ」
とかゆう風には思えないよなぁと思った。

だからといって
無くならないために何かできたかと言ったら
どれだけおこがましいんだと怒られそうだ(誰に)

でも
何もできなくても 自分が見に行くことが
地域の人や祭りにとって足しになっていなくても
やっぱり見に行きたかったなぁ。

何で見に行きたいかとか 実はもう
自分でもよく分からないんだけれど、
理由とか分からなくても行きたい。

でもただ分からないままでは
自分の好きな祭のこと誰にも伝わらないし。
でも自分の中に貯めておくだけじゃ
その場で感じたものは冷めていってしまうので。
いつもハッキリした言葉にできないまま
色んな事を長々と話すのだけれど。
今後もまた皆様よろしくお願いいたしますね。
(唐突に終わる)