とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

「差別から見る日本の歴史」 ひろたまさき

 今回は比較的まともに最初から最後まで通してのまとめ。

差別からみる日本の歴史

差別からみる日本の歴史

 

 

●原始における差別と集団自衛

人間は争いをやめない(常に勝者と敗者がいる)もしくは優越感により自己承認する(他人を貶めることをやめない)と言われるが、本書にもあるように共同体の災厄や危機を切り抜けるために出された犠牲が「排除」を生むこともある。これが原始における排除の基本的な構造。

 

●身分制の中の被差別民

時代が下り、人間が自然(狩猟や採集による生活)から自立すると均一な質(身分)の人間同士のコミュニティが生まれる。

戸籍における賤民制の始まりは16~17cの「人畜改帳」だと本書では述べられている。これは戦争のため人夫や牛馬の徴発が目的のため男性を中心に障害や病気が注記された。これは権力による病人・障害者の差別だが、兵農分離ではさらに人が職業や身分で差別されることとなる。つまり兵農分離は兵と農の分離であるとともに「兵農」と「それ以外」の分離でもあったということになる。17c後半には障害や病気が特記されなくなる代わりに「遊民」「雑業民」が特記され始め、権力からでなく地域共同体からの排除が始まった。身分は細かく分かれ、身分によって人は職業も権利も「身分相応」に制限されてゆく。ではこの身分制の中で劣等処遇を受けた者やこぼれ落ちた者はどうしていたのか。

 

●被差別民についての文献

歴史学者の網野善彦は著書「無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」で夫のもとから逃げた妻や罪人でさえ世間から切り離す力を持つ強力な「縁切り寺(駆け込み寺)」について語っている。駆け込み寺という言葉は聞いたことのある方が多いと思うが、興味深いのは、こうして世間との縁を切る機能が「聖」の属性を持つ寺だけでなく「俗」に含まれる公界所(市場など)にも与えられていたことだ。こうして当時の市場などには下人や奴婢・咎人が走り入り職人や芸能人が集まり障害者や病人が住んだ。

※黒田日出男はこうした「排除される側の集団」を1まとめに扱う網野氏に対して「非人や乞食、障害者や癩病患者など被差別者の中にもまた差別があった」と批判している。

 

●民衆と部落解放

 学校で習う歴史では明治4年の部落解放令で賤民制は廃止されるが、本書で扱われている美作血税一揆は詳しくは扱われない。この後も戸籍における記述の問題などは起こってくるが、この一揆は部落解放の妨げになったのが民衆だったことを示している。

 

●美作血税一揆

この一揆は被差別部落民にのみ向けられたものではなく「新政府反対一揆」だったと認識して差し支えないと思う。しかし、その政府が部落解放令を出していたことでその対象であった被差別部落も標的にされ部落襲撃や焼き打ちが行われた。

当時、被差別民の中にもこれもで自分たちが担ってきた役へのケガレ観念があったことは明らかで、そのため部落解放令と同時に「それらの諸役に携わらないこと」を申し合わせるなどの活動を行っていた。しかし、彼らが牛馬の処理などを行わなくなることで自分たちにその仕事が回ってくるのではないか(もしくは差別がなくなることでそうした職に携わっていた「ケガレ者」が自分たちのコミュニティに流入してくるのではないか)という民衆の懸念と血税一揆の流れの中で被差別民たちの活動は踏みつぶされてしまった。

 

中高の日本史で多くの人が豊臣秀吉の「刀狩」による「兵農分離」や「士農工商」、明治維新による「四民平等」「部落解放令」という言葉を覚える。でも、その裏で兵農分離は「兵農」と「それ以外」の分離だった。政府が部落解放令を出したことで、新政府への不満と解放されるはずの賤民階級への差別は混ぜこぜになって美作血税一揆を起こした。制度が変わってゆくことで権力からの差別は共同体からの差別に変化し、ミクロな差別は場合によってはマクロな差別より更に細かい網目で対象を一網打尽にしてしまう。

 

と言っても始まらない。アレはあれなりに権力を追って現在の内閣にまで話を繋げなきゃいけない本だと思うし。でも、こういう異形メインの読み解きかたを知らずに教科書日本史だけを正史と信じて生きていくのは勿体ないような気がしてしまう。

ここでは異形が貴族に投げつけた「つぶて」についても語られる。「民衆からの視点」「反乱」という共通点があるので近々ジョルジュ・ルフェーブルのフランス革命分析とか読んでみたい。