「ケガレと差別の民俗学」 礫川全次
今日はこの本のメモ。
いつものことながら、読書まとめでなくメモなので散らかり放題。
・ケガレによって差別が生まれている?
→実は、差別があって次にケガレと言う概念が持ち込まれたのでは。
→つまり、穢れているというのは合理化であって差別の原因ではない。
参考:沖浦和光『ケガレ―差別思想の深層』
・ケガレという観念が太古から存在したか?
→原初的な概念であると妄信している人も多いがそんなことはないはず。
→イメージでは、血液や死、女性について穢れが語られることが多い…
→しかし鉄器時代以前、日本人が狩猟民族だったと考えたら
血や死を単に「穢れ」としていたというのは辻褄が合わない!
+α:古くは神主的立場の人物のことを「ハフリ」と呼んだそうだ。
これは「屠る」と同じ語源の言葉(or「屠る」の語源)と推測できる。
→つまり神職・聖職にある者が獣を捌く(=供える)役割を担っていた可能性。
参考:辻本正教『ケガレ意識と部落差別を考える』
参考:田中香涯『血穢考』
・ケガレとは何なのか
“穢れは一つの状態である。
故にこれは見方によりて常に変化し決して絶対のものではない”
“穢れ即ち不完全なるもの(中略)
如何なる状態を以て穢れとなすべきかは、何を完全となすべきかによって定まる”
引用:中央融和事業協会発行『融和事業研究』(1928)掲載
瀧本豊之輔「けがれ」
→ケガレというのは神道の思想だが、
女性や血液への排斥は仏教(特に真言宗や浄土信仰)から生まれたもの。
→butその仏教すら日本では始め女性によって担われるところが大きかった。