とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

河童と妙見様と。

先日行ってきた遠野にて。

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常堅寺内にある河童ヶ淵。

河童駒引きなどの伝説で有名な場所ですが…。

 

その淵沿いの祠には、
河童のぬいぐるみや胡瓜が所狭しと置かれています。

その中に…

何か紅白の肉まんみたいなものが。 

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見えますか?

左のダンボールの中です。

何だろうと思いつつ、
その場では分からないので一旦スルー。

その手前には、
薬壺を持った河童と
子供に授乳するカッパの像がありました。 

薬壺に関しては「河童の妙薬」のハズです。

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*河童の妙薬
悪さをしたり窮地から救われた河童が、
お詫びや恩返しのために人にもたらす万能薬。
日本各地に伝承が残る。

じゃあ、この授乳している河童は? 

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(というか、カッパって母乳で育つんですね…)
と思い、少し調べてみたり。

もともと河童は間引きされた子供である
という伝承も農村地帯には多く残っています。

また、現在では「水子」とは
出生前に命を失った子のことですが、
戦前は乳幼児期に亡くなった子も指す言葉でした。

昔は「七つまでは神のうち」という言葉があって、
幼子の魂はいつ神の元に帰ってもおかしくない
というほど乳幼児の死亡率は高かったのです。

このように子供と水は縁が深く、
河童は困窮の中での辛い子殺しを背負った存在。

そのため、河童は水神様であると同時に
生き伸びることができた命を見守る神様なんです。

特に農村地域では子供だけでなく、
お母さんも栄養不足だったかもしれません。
粉ミルクも無い時代ですから、
母乳が出ないお母さんたちは子供の命のため
懸命に祈ったのではないでしょうか。

そんな、
時代や地域の背景が見え隠れする河童ヶ淵です。

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こうして母乳と信仰を調べるうち、
最初の写真の紅白肉まん(仮)の正体が判明。

これに似たものが、
伊勢の妙見様に供えられていたそうです。

妙見様の正式名は「北辰妙見菩薩」。
菩薩=柔和な神様を想像しがちですが、
北辰とは北極星のこと。
北からの異民族の攻撃を憂えた中国の王が
北方守護の軍神として祀った神様なんです。

天の中央に君臨する帝や武神に相応しく、
高貴な正装や毘沙門天のような甲冑姿。

このゴツい神様が、なぜ母乳の神様に…?

と思うのですが、
伊勢の度会氏が祀った妙見様は
「乳の神さん」の代表格らしいです。

現在ではよみうりランドにいらっしゃいますが、
昔は伊勢神宮の外宮に祀られていたのです。

度会(わたらい)氏とは、
代々伊勢の神官を勤める家系。
その昔、
度会高主という神官の娘が
増水した大贄川に流されてしまいます。
いくら探しても娘は見つからず、
代わりに見つかったのが妙見菩薩像。

以来、妙見菩薩を祀り
高主は双子の息子に恵まれて、
その妙見様は出産に関する御利益で賑わいました。
当然そこに、母乳に関する祈願も含まれます。

そこで供えられたのが紅白肉まん(仮)。
※実際は乳房を模った布なんですが。

もとは布ではなく、紙に米を包んだものだったそうです。
それに母乳の出が悪いお母さんは針で12の穴をあけ、
逆に出の良すぎるお母さんは穴をあけずに供える。
それが段々と布に変化していったらしいです。

そして江戸時代になると
岩手でも伊勢講などが組まれ、
伊勢参りも行われるようになってきます。
その中で岩手の人が伊勢の妙見様の紅白肉まん(仮)を見て、
「ああ、コレを地元でもやろう!」
と思ったのではないでしょうか。

所々予測の域を出ないので、
アバウトな部分もありますが…
そんな流れでもともと東北にあった河童信仰と
紅白布の乳房を供える伊勢の習慣が融合したと思われます。

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余談ですが、
日本にはなんと男性的でない妙見菩薩様がいます。
それは、秩父にいる妙見様(何と、女性です!)。
武甲山に住む男神と相思相愛の仲と言われていますが、
武甲山の神様には正妻が居るのです。
そのため、二人が逢えるのは「秩父夜祭」の夜だけだとか。

※二人の逢瀬は奥様公認だそうです(-ω-。)

なぜここの妙見様が女性になったのかも
追い追い調べたいですね♪( ´θ`)ノ