とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

シシが集まる立石寺。

もう1ヶ月以上たってしまったが、
岩手県北上市で8/4に「みちのく芸能まつり」を見た翌日、
8/5に山形県山形市にある宝珠山立石寺(りっしゃくじ)さんに行ってきた。
(山寺、といったほうが分かりやすいという方が多いらしい)
ここは清和天皇の勅願により、860年に慈覚大師が開いた天台宗の山。

山寺といっても1つの堂宇を指しているわけではなく、
その山一帯が山寺と呼ばれているという。
今回行ったのは、登山口側から上ってすぐにある「根本中堂」。
ブナで作られた建物としては国内最古ともいわれている。
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堂内には「不滅の法灯」が灯っている。
え?それって何?という方もいると思うが、
まずはじめに最澄さんが比叡山延暦寺の根本中堂において
「後世まで 仏法を照らし伝え続けてくれるように」
との願いを込めて灯したと言われている。

それが同じく天台宗の寺院である立石寺にも分灯されたわけだが、
なんと 大本である延暦寺の法灯が消えてしまったことがある。
皆さんご存知、織田信長の“延暦寺焼き討ち”である。
幸い、この立石寺に分灯してあったため
比叡山の灯は立石寺からの分灯で復活したという。
ちなみに、立石寺も一度 仙台伊達氏の肩を持ったために
仙台藩に対抗する氏族に攻められ灯が消えてしまったらしい。

根本中堂から向かって左のほうへ行くと、日枝神社がある。
この山寺の鎮守社となっているようだ。
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あれ?神社はサラッとだね?めずらしい。
と言われそうだが、今回は「磐司祭」を見に来たのだ。
磐司とは、山寺ができる以前にこの土地で権力を持っていた
マタギ・磐司磐三郎のことだと言われている。

慈覚大師が
「仏様の教えはこうでね、それで、殺生はやめてほしいのです」
というような話をしつつ、この山一帯を譲ってほしいと話した。
これに感じ入った磐司磐三郎は、殺生をやめ山を譲るばかりか
自らも出家し開山を助けたとも言われている。
なんという説得力。慈覚大師、カリスマ営業マンではないか。

まぁそんなことで、マタギの頭領が猟をやめ
殺生もしないと誓ったことで救われたのは動物たちだ。
イノシシやシカたちが喜びと感謝で舞を舞ったのが
この磐司祭でシシ踊りが奉納される由来らしい。
現在では、二人の功績をたたえるとともに
山の霊たちを供養する祭りとして続いている。

*夜行念仏*

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これは磐司祭の中で行われた奉納なので昼間だが、
本来は磐司祭の前夜に行われているとのこと。
夜行念仏講の講員さんが鉦を鳴らしながら
夕暮れから夜にかけて山中の各所(御堂や祠)で
回向文(えこうぶん)または回向念仏と呼ばれるものを唱えて回る。
夜までに目指すのは「奥の院」。
そこには、亡くなった方の写真や髪
そして「ムカサリ絵馬」などが置かれているという。
ムカサリ絵馬とは山形周辺に残る習俗で、
とくに夭折した者の死後の幸福を祈り供養するため
架空の結婚式や入学式など
「生きていたら迎えるはずだった祝い事や豊かな生活」
を描いた絵馬である。

1960年代、ビートルズが大ブームだった頃までは
奥の院の手前にあるにある華厳堂や中性堂には
身内を亡くした参詣者(オツヤ-キャク)たちが詰め、
普段は存分には語れない故人との思い出や悲しみを
残された者同士で語り合いながら
夜行念仏が回ってくるのを待ったと言われている。
当時の様子が比較的細かに記されているのがコチラ。

神と舞う俳優たち: 伝承芸能の民俗 (写真叢書)

神と舞う俳優たち: 伝承芸能の民俗 (写真叢書)

  • 作者:須藤 功
  • 発売日: 2000/02/29
  • メディア: 単行本

この本によると、
オツヤキャクのもとに講中が到着すると
遺族たちも一緒に御詠歌を詠じたという。
これが済むと、オツヤキャクは講中の金剛杖から
垂(シデ)をちぎって御守りとしたという。
この角材のような杖が「金剛杖」。
そこから下がっている紙が「垂(シデ)」。
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講中は、経文が書かれた帷子をつけている。
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…ッと思ってみていたら肩にトンボが!
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山形のトンボは懐っこいのか、

後で会った知り合いの腕にも長時間とまっていた…。

長瀞猪子踊り*

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夜行念仏が終わり、シシの一番手として登場したのは
東根市長瀞(ながとろ)地区に伝わる長瀞猪子踊り。
春先に地元の日枝神社で踊りを奉納するため
新聞では「春を告げるシシ」などと紹介されることもある。
慈覚大師が東根周辺を歩いた際に
「この一帯は泥だからば拓けば肥沃な土地が現れるだろう」
ということで碁点山を切り開き、長瀞地区を開墾。
長瀞猪子踊自体は先祖供養や五穀豊穣を願う芸能だが、
山寺に関しては長瀞地区を開墾してくれた慈覚大師への
感謝のために奉納されるようになったという。

猪子踊という名前の通り、
イノシシをかたどったカシラをつけて踊る。
カシラの額には「南無阿弥陀仏」と書かれたお札が。
現在はわからないが、
かつては山寺への奉納の日 立石寺の世話役たちが
天童のあたりまで迎えを出したという。
そうしてそこから道踊りが始まり
山寺までの道では家々が香を焚き
道を清めて迎えたという。
なんと素敵な光景だろうか(*'ω'*)!

こちらは花笠+女装姿の「ササラ」。
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岩手のシシ踊りに馴染みがある方にしてみれば
ササラ=背中に付いてる長い棒
というイメージだと思うが、こちらのササラは棒ササラ。
竹などで作った楽器である。
顔を隠し、直立したまま棒ササラで拍子をとる。
埼玉の三匹獅子舞に登場する「花笠」と似た感じがする。

そしてシシと共に踊るのは「かねぶち(鉦打ち)」。
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岩手の幕踊り系で言う「たねふくべ」のような感じだろうか。
見たところ結構高齢とお見受けするが、
シシとともにこの躍動感!ほぼ残像!↓
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かなり短めのバチや小さ目の太鼓など
群馬の三匹獅子舞に似た感じもあり親近感…。
ちなみに、この激しいのは
山中ではぐれた雄雌のシシが
無事再開を果たし喜びの舞を舞うという場面。

*土橋獅子踊り*
さて、次に登場したのは土橋地区に伝わる土橋獅子踊り。
一説には、土橋地区の住人が福井県永平寺から
獅子踊りの免許皆伝を受けて当地に伝わったとか。

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何と言っても特徴的なのはそのカシラ!
額には太陽や月、金色の御幣束が付いている。
頭には、ヤマドリの羽。歯が大きめで顔は長細い。
何というか、個人的には龍のような印象を受けた。
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先程の長瀞猪子踊りに比べ、かなり背が高い。
7頭で広い会場がいっぱいに!

ちなみに、これら山寺に関わるシシたちは
みんな背中に斧を付けている。
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これは山寺から頂いたモノといわれている。
地区によって色々な名前で呼ばれているとも聞いたが
通行人の会話の聞きかじりなので詳細は分からなかった…。
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カメラ目線いただきましたー(/・ω・)/!
(いや、ちょうどこっち向きそうな場所に構えてただけだけど)
ちなみに、地方(じかた)の人たちはこんな感じの装束。
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*沢渡獅子舞(さわたりししまい)*

いや、もうね。何といっても
このレトロかわいいフォント、好き(*'ω'*)!
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そして現れたのは、カラフルな3匹のシシたち。
いや、太鼓 小ぃさッ!でんでん太鼓くらいしかない!
しかも鞨鼓じゃなくて上向きについてるの斬新!
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顔はどうやら、長瀞と同じくイノシシ風。
カシラから下がった前幕は、顔を覆う程度の大きさ。

そして、この団体にもササラが。

山形のシシでは一般的なのかもしれない。
今度はなんと、四方に鳥居まで付いとるー!
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どの団体もササラは女装、というのは
どんな由来があってのことなんだろうか。

女の子や子供がやる地方もあるようだけど。
ちなみに、こちら↓が「棒ササラ」。
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粗い茶筅のように加工した竹の突起のあいだに、
両脇をギザギザにカットしたヘラ状の竹を差し込み
ギロのような音が出る楽器(説明下手だな…)。

獅子よりも太鼓が前というフォーメーション。
コミカルな動きの獅子とは対照的に 太鼓は威勢がいい。
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基本的にしゃがんだ姿勢が多い。
四本足で動くなど、動作的には一番リアルに近いシシかも?

この「シャキーン!」みたいな動きがカワイイ。

何を表現している動きかは明らかではないらしい。
そして、こちらの団体も腰には山寺から頂いた斧。
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入退場の際の先導役・天狗も大きな斧を持っていた。
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*高擶聖霊(たかだま しょうりょう)菩提獅子踊*

さきほどの土橋獅子踊りの流れを汲むシシ。
永平寺→土橋地区→高擶地区と踊りが伝わったという。
途中 何度か途絶えたが、
平成10年に「獅子踊り会」ができて復活を遂げたとか。

聖霊菩提」という名前からは
まさに霊を弔うための踊りだというコトが分かる。
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土橋から伝わったというだけあって、
背の高さやカシラの形には近いものがある。
目は少しハッキリして大きめ。歯は短め。
シシの額には「南無阿弥陀仏」と書かれた札。

演目は、管理人の好きな「かかす」!
(/・ω・)/♪

様々な地域のシシおどりに
「かかす(かかし)」という演目はあるけれど、
管理人が見たものはこんなような筋書きが多かった。
“ 畑に立つ案山子(かかし)を発見したシカが
 「なんだこいつ?人か?ちがうのか?」
 と、おっかなびっくり集まってきて警戒するが
   生き物ではないとわかり案山子の周りで遊ぶ ”
とても動物らしくカワイイ一場面である。

しかし、高擶のシシはちょっと違う。
この「かかす(藁人形)」は悪いモノの集まり。
それを祓う かかすバスターズなシシたちなのである!
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さて、かかす↑が立っている。
「悪いことしちゃうぞ~。悪霊だぞー!」
そこへ前幕をバッサバサ振りながらシシが登場。
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マタドールみたいでカッコイイな(*'ω'*)!
という謎の感想を抱きつつ幕の下を見ていると、
意外と近代的な装束であることが分かる。
袴も短くて(特に前に立ってる方)動きやすそう!

そして、三匹の獅子が かかすを攻撃!
しかし、一回では倒さない。
解説によると回数で振りが決まっているわけではなく
リーダー格のシシが指示を出して倒すので
いつ倒すかは その人にしか分からないらしい。
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動きが一番動物っぽかったのは沢渡だけれど、
この高擶のシシが鳴くのも管理人は好き。
ザッと振り返ったり、攻撃するときに
「ウオッ」「グオ!」と鳴き声が聞こえる。

金津流の鹿子躍りでも、
仲立が鋭く息を吐くような「シュゥーッ」という音を出す。

それは鳴き声ではなく合図らしいと聞いたけれど…
なんかこういうの動物み感じるから好きだなぁ。
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ちなみに、こちらも肩の後ろに斧。

*唐楽招旭踊(からおぎ あさひおどり)*

さて、ついに最後の団体となる高瀬地区のシシたち。
何だか名前が華やかですな。装束も可愛い。
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カシラの輪郭は土橋や高擶にも似ているけれど、
目の周りの金のモシャモシャした感じの縁取りが
どことなく香港のライオンダンスの獅子みたい。
なんか、シースルーの前幕すごく前が見やすそう!

こちらも慈覚大師と磐司の伝説を起源とする踊りで、
2人への感謝をカモシカが踊った様子を真似たという。
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御幣束が目立つが、ちゃんと斧も持っている。
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「いただきました~」という顔(*´ω`*)
プルプルと首を振る動作が多い。

会場にいた先生によると、
日本にいない動物をモデルにした
外来の芸能・獅子舞が全国に広まっているのに対し
シシおどりは(名前は似ているが)東日本にしか無い。
南限は静岡県掛川、北限は北海道だという。
その中でも東北は鎮魂や供養のため躍られる。
対して関東は3匹が多く、雨乞いや厄払いのため踊る。
というのが「シシおどりの概要」。

まぁ宇和島とか例外はあるだろうし、
管理人は西日本に行く頻度が極端に少ないので
そうだとも違うとも言えないのだが…
姿や動きの似た系統があり、また逆に
近隣でもびっくりするほど違うシシが居て。
色々謎も多いシシたち。
今後もいろんなシシに出会えるといいな。
たまには西のほうにも行ってみたいな。

そんなことを思った磐司祭でした(/・ω・)/!
ちなみに、山寺せっかくいったから
山を一回りしようと思ったけれど、
偶然会った知り合いに蕎麦に誘われて食欲に負けました(笑)
また今度来たときは、ぜひ上のほうまで散策します!

藩の境のオニとシシ。

御無沙汰しておりましたが、
岩手県北上市の「みちのく芸能まつり」に行ってきました!
(=゚ω゚)ノ♪

ちょうど涼しくなってきた夕方から
駅チカの大通りに居るだけで
県内はもちろん県外の民俗芸能もいくつか見れちゃう!
という観光客にやさしい祭りでもあるが…
実は、駅前だけじゃなく
いろんな場所でいろんなことをやっている。

土曜の朝、まず向かったのは「国見山」。
目的地は、北上展勝地から歩いて1時間ほどの如意輪寺さん。
(おそらく多くの方は歩いていかないと思うが)

道中ではカラスウリの花らしきものも見ることができた。
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朝にだけ咲き、すぐ萎びてしまう不思議な形の花。
見たくてもタイミングを逃してしまうことが多いが、
何だか今日は運が向いている気がしてきた( *´艸`)

そして道を進むと 傍らに大きめの鳥居が。
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階段を上ると草がワサワサの境内。
その草むらの中に、紅紋アゲハがいた。
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背中側はビロードのような黒でステキだが、
実は羽をたたむと羽の裏も体も
アカハライモリのように派手なヤツ!

蝶々はさておき、なかなか立派な拝殿である。
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手前は草が管理人の背丈ほどあるが、
拝殿の周りは さすがに短く刈り込まれている。
戸の両わきには剣。不動明王の剣だろうか。
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鳥居の額には「国見山神社」とあったが、
モトは「偵岡(ものみおか)神社」というらしい。

坂上田村麻呂が北へと攻めていった時
その拠点となったのが胆沢城(いさわじょう)。
その胆沢郡の北東の隅を「偵岡」と呼んだのだそうだ。
偵察の「偵」。見晴らしのよい 小高い「岡」。
その名前から何となく想像が付くかもしれないが、
偵岡は 敵の動きをいち早く察知できる場所のことだ。
勿論、護りの要所なので神様をお招きする。
そうして作られたのが、元祖・偵岡神社である。

そして、その偵岡神社の「遥拝所」として作られたのが
この国見山の偵岡神社だということらしい。

モトからあった極楽寺の僧侶が神社の別當となり、
神社では僧によって舞や祝詞が上げられていたという。

坂上田村麻呂が出てきた時点で
否応なく戦勝祈願色が強くなってくるが、
その祭神は農耕神であるウケモチとも稲荷神とも。

不思議な感じもするが、
地方地方で狩猟や雑穀の耕作が行われていた時代
大陸からやってきて全国へ広がった稲というものは
朝廷の「国の統一の象徴」だったのかもしれない…
と管理人は勝手に思っている。
だって、これだけ縦長の国土を持つ国だもの。
国内の気候の差はかなり激しいものである。
それなのにすべての地域で同じ作物を作ろうとする、
というのは ある意味不自然な感じがしないだろうか。

そんなことを考えながら神社を後にすると、
先程からたくさん立っていた看板に写真が付いている。
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「国見山神社登り口付近で撮影」

…おう。さっき 通ってしもうたやんけ!
こうゆうのは鳥居くぐる前に言ってもらわんとッ!
Σ(・ω・ノ)ノ!

まぁ今年は熊大量発生ですし。
鈴は持ってきてますけども。

そして、極楽寺を越えて辿り着いた「如意輪寺」さん。
朝の9時から、コチラで護摩法要が行われる。
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御堂の横には小さな小屋(?)があった。
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中を覗いて見ると、石仏が居る。
結構ユルイ感じで細かいところはよく分からないが、
手を見ると智拳印を結んでいるように見える。
大日如来なんだろうか。
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来月9月ごろになると、
住職さんが株分けで増やした曼珠沙華が見ごろとなり
それを見に来る観光客も多いというハナシ。
しかし、夏真っ盛りの8月も花が元気にしていた。
管理人のお気に入りはコチラ。
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この花の近くに、屋敷墓のような
草木に囲まれた墓石的なモノがあって。
そこのすぐそばにあった
舟の形に刈り込んだ植木が印象的だった。
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この如意輪寺がどういう寺院かと言うと、
山にポツンと寺があったのではなく
この国見山全体が巨大な敷地を持つ寺院だったらしい。
そのため、現在でも山中では広範囲にわたり
神社や御堂、塔etc…さまざまな遺構が散在する。

そもそもココは、あの征夷大将軍坂上田村麻呂
戦勝祈願のために毘沙門天を祀った山らしい。
いまでも北麓には「立花毘沙門堂」があるが、
この像は田村麻呂が奉納したモノだったりするのか…?

昔の国見山がどのような様子であったか、
それを描いた屏風が如意輪寺さんにあるらしい。
今回はあまり長居しなかったのだけれど
是非今度行ったら堂内もゆっくり観てみたい。

さて、ここで行われた護摩法要の火は
祭の各会場に分火される。
ココが祭りの始発と言ってもいいのかもしれない。

そんなわけで、次なる会場で火を待ち構えるため
再び盛岡駅へ速足で移動。
北上展勝地、いつも思うのだけど
もっと橋が多ければ駅まで近いのに…(´・ω・)
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朝から片道1時間強の道のりを往復し、
「さすがにちょっとウンザリしたわ」
と思っていたところで
芸能公演のリハに向かっていた知り合いに
偶然発見され車内から撮られる案件発生(笑)

しかし、なんだ。
こうやって群馬を離れ東北の地に来ても
偶然管理人の姿を発見して連絡して戴ける
というのはなんだかうれしいですな(*'ω'*)

*岩崎城址の合同供養*

さて、気を取り直して岩崎城址へ。
(と、サラッと言ったが最寄り駅から徒歩45分)
さっきより歩行時間は短いが気温が上がっていてツライ。
着いた頃には水を浴びたような汗をかいていた。

さあさあ。もう既に鬼だらけですよ!
各団体の大口ゴザ(腰に付けている四角いヤツ)が
後ろから見るとキレイなこと!壮観!
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岩手と鬼と おもうこと。」の中盤でも少し触れたが、
この鬼剣舞北上市奥州市周辺に伝わる芸能。
仏教や修験道要素の強い念仏踊り(念仏剣舞)の一種だが、
五大明王を表す迫力ある面から「鬼剣舞」の名が付いたという。

鬼剣舞を初めに踊ったのは、
修験道の僧とも役小角とも言われるわけだが。
それから時は経ち、
鬼剣舞は 北上の開祖・黒沢尻五郎に愛され
出陣や凱旋のたびに舞われたという。
さらに、ここ 岩崎城の主・岩崎弥十郎
主君を館に招き もてなしとして鬼剣舞を見せたとか。
その際、その見事な舞に感銘を受けた主君から紋を賜り
今も鬼剣舞の装束には「笹竜胆」があしらわれている。

現在、この岩崎城址には剣舞供養碑↓が建てられ
鬼剣舞にとって大切な場所の1つとなっているのだそうだ。
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そして、その剣舞供養碑と
広場を挟んで向かい合うように立つ「和賀忠親弔魂碑」。
武将である彼は 領地奪還のため花巻城を攻めるも
南部軍の反撃に圧され、この岩崎城に籠城。
落ち延びた先の国分尼寺で自害したとされる。
戦史としては悲劇的な印象のある彼だが、
仏教などの信仰を庇護することに力を入れ
彼の時代に多くの民俗芸能も花開いたと言われている。

弔魂碑前のロウソクに灯されたのが、
法輪寺さんの護摩から分火された火。
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火が灯ると、弔魂碑に囃子が奉納される。
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そして、いよいよ舞の奉納!
トップバッターは、地元・岩崎鬼剣舞
演目は「一人加護」。
この一人加護を舞えるのは、白面の舞手。
つまり、団体の中で最も上手い「一剣舞」だけ。
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ヒェー!カッコいい(*´Д`*)‼︎
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三番庭の狂いとか狐剣舞が好きだけれど
久々に見る一人加護、ステキだ(*´ω`*)

さて、ここまで徒歩で頑張って来たが
わたしは12時半までにさくらホールに行きたいのだ…
しかし、もはや到底間に合わない。
バス停まで歩いたところで、乗り合わせが悪すぎる。

こんな時は…テレレレッテテー♪
「乗せてもらう」ー!(ドラえもん風に)

そんなわけで、地元出身で歴史・旅行好き
とゆうおじいちゃんの車にお世話になった。
鬼剣舞見たの?あの岩崎城は、どうゆう場所かわかる?」
管理人が質問の意図を量りかねて静かにしていると
「あれはね、藩の境ちかくにある城だったわけ」と話は続く。
ココらへんは かつて南部藩仙台藩の境目だった。
ということは、度々争いの砦となる城というコトである。

そしてアイヌ語地名の話もしてくれた。
「岩崎城の横に夏油川ってのがあるでしょう」
そう。岩崎城は地形に恵まれ、
2つの川に守られた舌状地帯に建てられている。
その1つが夏油川。(川より温泉のほうが有名だろうか)
この夏油(げとう)という地名、
見るたびに「珍しい読み方だな」と思っていたが、
アイヌ語だから こんな無理な当て字になっているんだ」
とおじいちゃんが言っていた。

意味までは言っていなかったので帰ってから調べると、
「クッ(崖)」が「オ(ある)orトォ(険しい)」場所
というのがアイヌ語での意味らしい。
そして、アイヌ語地名なのはアイヌの人々が居たからで。
この辺りにも当たり前に住んでいたアイヌの人たちを
坂上田村麻呂が軍を進めては要塞を作り追い込んでしまった。
その要塞が、胆沢城であり志波城なわけで。
だからここはアイヌ民族とヤマト民族の境でもあったわけ。
と、そんな話だった。

勇ましい戦と。様々な死。
それが繰り返される藩の境・民族の境だからこそ、
鬼のように猛々しい明王たちが
念仏に乗せて舞う「鬼剣舞」が生まれたのかもなぁ。
なんて思いながらおじいちゃんの話を聞いていた。

*躍るササラ*

さて、面白い話を聞かせていただき
あっと言う間に さくらホールに到着!
公演にも余裕で間に合いました。車ってスゴイね!
(*'ω'*)
「躍るササラ 日高見の丘 シシオドリ大図鑑躍動の狂宴」!
コチラの公演では、シシたちが一堂に会し
涼しい部屋に座りながらにしてたくさんの団体が見られる。
逢いたかったシシに相見えつつ
熱中症予防の小休止までできるなんて…。贅沢!

様々な団体が登場するのですべて写真付きで紹介したいが、
とりあえず今回の記事では藩境つながりで
金津流野手崎獅子躍さん。
今回は「三光の儀」「礼庭」を見ることができた。
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遠すぎて画像が荒いが、
この舞台前方に立っている3本の御幣↑が「三光」。
つまり月、星、太陽を表しているという。
三光の儀は、そこに向かって
「これから躍らせていただきます」とゆう儀式。

続いて「礼庭」。
一番始まりの「さあ、みんな おどるぞ!」とゆう躍り。

〽昔より三式礼とは申せども
 一礼申して 立てや我がツレ 立てや我がツレ

〽南風 そよりそよりと吹くならば
 今年の稲穂は 八穂で八石 八穂で八石

未来の成功(大豊作)をあらかじめ祝って
現実となるよう願う「予祝」的な唄であるが。
さて、一体どれくらい豊作なのか。
1石は約180リットル。米俵1つは約72リットルらしい。
つまり「八穂で八石」は 1つの穂から
なんと俵2.5個分のコメが穫れる程のハイパー豊作!
すごいな。もはや豊作とかじゃなく品種改良の域。
Σ(・ω・ノ)ノ!

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金津流は、春日流や行山流と同じく太鼓踊り系。
頭の上には赤い華鬘結び。ながーいササラを付けている。
馬の尻尾で作られたザイはどことなく おどろおどろしい。

そんな共通点はありつつの、
ターコイズブルー(?)が目を引く春日流に対し
カシラや装束では赤が際立っているように見えたり。
中立のササラに黒い横線があったり。
パッと見ではそんな差があった。
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鳥居に向かっているシシたちを見ると、
華鬘結びの下 後頭部あたりに
四角いプレートの様な「金津次橋」の文字が見える。
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次橋は岩手でなく宮城県
現在の大崎市松山にあった次橋村のことだとか。
そこから犬飼さんという人によって江刺に伝授。
いまも複数の地域に金津流の踊りが受け継がれている。

躍るのを見て一番感じたのは
堅固さというか厳しさ?みたいな印象だった。
管理人は普段 屋外での奉納を見ることが多いので、
ホールでの音響がそうゆう印象になったのかもしれないが…
足さばきやカシラの振り方、重心など
素人ながらに どこがどうとは言えないのだが
なんだかバリアを張られているようなビリビリを感じた。
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司会の方からは、
これまた藩の境に近い奥州市江刺の芸能なので
「境を守る」という意味での重厚さや猛々しさ
なんてのもあるかもしれないですね。
というようなハナシもあったので、
あながち間違った印象でもなかったのか…?

この後は、幕踊り系の長野獅子踊り(岩手・遠野)。
子供たちの踊るカワイイ 子踊り、中太鼓、太刀振りを従え
ヤマドリの羽とかんながら(カンナで削った薄い木)を纏い、
種瓢(たねふくべ)とともにバッサバサ踊る!
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岩手の太鼓踊り系は だいたいシシのみが踊るけれど
幕踊り系は人とシシがともに踊ったり入れ替わりながら踊る。
というのが多い気がする。
ちなみに種瓢とは、夕顔の実(ふくべ)のうち
若いうちに干瓢(かんぴょう)にされず
翌年の種を取るために完熟するまで置いておくもののコト。
子孫繁栄や豊穣を連想させるアイテム。

続いて、お初にお目にかかる萩野鹿子踊り(山形・新庄)!
眼光鋭い他のシシとは全く違い、
ミステリアスな前髪に隠れて目が見つからない(あるのか?)
そして、シシの多くはキレイにそろった歯が見えているのだが
これは…顔が平べったすぎて歯もない!?
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知ってる物の中で一番近いのは河童かな…。
(現物は見たことないけど)
というこのカシラ、実はカモシカを模しているのだとか。
昔、カモシカを真似て踊ってみたら豊作になったので
それから踊られるようになったという。
岩手の太鼓踊り系のような大きな太鼓でなく
小さ目の鞨鼓(かっこ)をつけ脚絆を履いている所は
我らが群馬県の3匹獅子舞にちょっと似ていて親近感。
背中に「十日」という幟が見えているが、
後ろから見ると「十日雨」と書かれている。
そして、もう一方のシシは「五日風」の幟。
それが交互に来れば稲の実りが良いということらしい。

そして、最初に紹介した金津流野手崎獅子躍と同じく
岩手の太鼓踊り系である春日流八幡鹿踊(花巻)。
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水色(特にターコイズブルー)好きの管理人は
コチラの装束が大好きなので、
初めて芸人の春日(オー〇リー)を見た時
「こやつ…春日なのに水色じゃなくピンクだと…?」
という謎の感覚に襲われた(発想がおかしい)

いや、そんなことはさておき
今回見られたのは「二番庭」。
こちらも豊作を予祝する歌となっている。

〽白瀧の 水を引かせてかけたなら
  今年のお穀は八穂で八石
〽八穂で八石とるならば
  この御屋敷に 倉は七並み
〽七並みの倉の御子息は
  二階やぐらに昼寝して
   銭の枕に 金の手遊び

前の歌の最後を受けて
次の歌の初めの歌詞とする感じの歌。
「八穂で八石」は野手崎獅子躍と同じだが、
その結果 そこの息子が
おカネを枕に昼寝をして黄金で手遊びする
という様子まで歌われている。

ちなみに、昔 奈良で踊りを奉納した折に
春日大社から「春日」の名を賜ったことにより
春日流という名前になったそうだ。

後半の伊勢流なども見たかったが、
まだまだ外回り(?)でも見たいものがあったので
さくらホール公演は前半で退散。

始まりはシンプルに、
大切な人や生活に欠かせない獣たちへの眼差し。
でもそれが、人の願いをどんどん吸い上げ
地域ごとに少しずつ姿を変えていく。
たくさんのシシたちを一度に見て、
それをすごく感じるさくらホール公演だった。
(*'ω'*)

*おまけ*
詩歌の森公園で久々に見た「七頭舞」も
相変わらずステキでした(*´ω`*)
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権現様と、山開き。

*賢治と鹿踊りの里*

仕事を終え、その足で群馬から岩手へ。
賢治と鹿踊の里・花巻(/・ω・)/!
いや、実際そう呼ばれてるか分からないけど、
管理人の中での花巻のキャッチコピーです(笑)

駅前で管理人を迎えたのは、大胆な鹿リメイク自販機。
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右のササラが折れているので直してあげたいけれど、
ガムテも何も持っていないので諦めた。
(ちかくにコンビニもないし)

花巻駅ちかくのネットカフェに泊まる予定なのだが、
新花巻→花巻の終電が終わっていた。
あえなくタクシーを利用することとなり、
到着早々から財布に大打撃をくらったのであった。

翌日は「宮沢賢治童話村」へ。
児童文学というにはあまりに深淵で 時に難解。
子供の時分、賢治さんの童話は特に好きではなかった。
ただ、まだ芸能とゆうものを知らなかった管理人を
鹿踊りと出会わせてくれたのは 賢治さんである。
そしてまた、森というものについて
それまで読んだ童話では単なる「背景」だったが
恐ろしさや人ならぬ美しさをもつ「世界」なのだ!
と認識させてくれたのも賢治さんだった。

そんな原点回帰も兼ねて気楽に観光。
たまにはいいもんですね(*´ω`*)
といいつつ、ここに至るまでには
朝方 釜石へ行って偶然鹿に出会ったり、
田舎道で終バスを逃したおばあちゃんに出会い
ヒッチハイクして御礼におこわを貰ったり…etc
いつも通り歩きまくりな半日だったわけだが。

童話村の建物内は、
日差しの強い屋外とは打って変わって
暗め&涼しめの安らぎ空間。
銀河鉄道の世界を再現した一面の宇宙のような部屋。
有名な作品の場面が再現されたミニチュア。
その建物を出ると、いくつかの小さなログハウスがあり
星のこと 石のことなど テーマごとの展示がある。
管理人が一番好きなのは、この石の展示。
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(この写真だと広そうに見えるがそんなではない)
小学校の教室ほどの部屋に、鉱物と その名前。
そして賢治さんがその鉱物を登場させた文章が展示されている。

夜は、明日一緒に登ってくれる友人と合流。
閉店(?)ギリギリではあったが、
日帰り温泉も楽しみフル充電。


早池峰山の山開き*

そして翌日。ついに!今年の山開きですよ!早池峰山
霧がすごくて全然山頂見えないけど(;゚Д゚)!
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皆さん、固有種だからか
この「ハヤチネウスユキソウ」↓に非常に注目していた。
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もう霧がすごいせいで、
ウスユキソウの白いホワホワに水滴がついて
なんというか正体分からなくなってる。
名和晃平氏の作品みたいな感じである。

しかし管理人はミヤマオダマキ↓が好みだなぁ、
と一人で思っていたり。
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ガレ場を進んでいくと、一瞬だけ霧が晴れて
(というか風に吹き飛ばされて?)
遠くに登山口のあたりが見えた。
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友人の話では、天気が良い日に登れば
登山口のさらに下まですべて見渡せるらしい。
というコトは、逆に
里からも山頂まで綺麗に見えるというコトだ。

里からよく見える山だからこそ、
早池峰の信仰は
直接山の恵みを生業とする人々に留まらない。
水の神として、里を見守る神の座として、
農家からも厚い信仰を受けてきたそうだ。
また直接山に入る猟師や樵(きこり)のみならず、
木材を扱う建築関係者も早池峰に無事故を願うという。

さらに登ると
八合目付近の名所(難所?)梯子。
※登っているのは管理人でなく友人です
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現在のものは分からないが、
以前コチラに懸っていたハシゴは
沿岸部の方が奉納したものだったとのこと。

実は早池峰山というのは、
天候が安定していれば海からもハッキリ見えるらしい。
山々の位置から船の場所を測っていた昔の人にすれば、
自分の位置を知る標であり
風や霧が出て その姿が消えたら荒天の前触れ。
漁師さんの安全さえ守ってきた山なのである。
(奉納した方が単に沿岸部に住んでいたか漁師さんかは不明)

頂上に近づくと気温もぐんと下がり
雪渓に出会うこととなった。
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そしてやっとの思いで頂上へ!
いやもう、霧がすごくて!あたり一面真っ白!
しかも超強風で寒すぎる!Σ(・ω・ノ)ノ!
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お、奥宮の前に権現様がいらっしゃる!
(*'ω'*)オオー!
さっそくお近づきに!
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千本木龍頭神舞(群馬・伊勢崎)や
青笹獅子踊(岩手・遠野)の長いタテガミとはまた違う、
本海獅子舞番楽(秋田・鳥海)的な短いタテガミ。
※本海の獅子はタテガミが色とりどりの端切れ布なので
 権現様とはまた少し様子が違うのだが。長さに限った話。

この早池峰山に伝わる早池峰神楽では、
権現舞」という演目で このシシを使う。
権現とは、神や仏が「人に見える姿となり現れること」。

なので、この権現様というのは
「神の先導」として露払いをするシシや
「動物を模して」供養のため躍るシシとは
少しちがうのかもしれない。
「カミサマ自身」が人前に顕現するために、
姿を変え 獅子頭に身をやつしているということだろうか。

ちなみにこの黒い獅子頭の「権現様」は
今回観た早池峰に限らず黒森、石鳩岡など
各地の神楽に登場する。
タレ目だったり耳が大きくて可愛らしかったり
微妙に違いがあって面白いので、
是非いろんな権現様を見ていただきたい!

老いも若きも山頂に集まり、
吹きすさぶ風と霧に見舞われながら祝詞を聞き
皆で奥宮に向かって頭を下げ
何かを願ったり思ったり感謝しているのだろう。
というのは素敵な光景だった。
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それが終わると、権現舞の奉納!
権現様が登場する前に、
曲芸的要素のある下舞(したまい)が舞われる。
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舞手は扇や鈴木を投げ上げては舞いながらキャッチ!
ちなみに鈴木ってなんやねん。というと、
ちょっと小さくてハッキリ見えないかもしれないが
この右手に持っている 麻で作られたフサ+鈴をつけた木。
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これが早池峰神楽で言う「鈴木」なのである。
巫女さんが持つ神楽鈴や鉾先舞鈴と違い、
鈴は少なく小さいので そんなにシャンシャン言わない。
こんな強風で 足元は石ゴロゴロの中…と
感心しながら見ていた。

下舞が終わると、ついに権現様が始動!
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獅子頭を完全にかぶる前に、
舞手が自ら左手に持った獅子頭と見つめ合うような
この動作↓が印象的だなぁと。
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そして、少し舞ったあとに「あげものほめ」。
奉納されたお酒などを権現様が
一つひとつ「うん、いいネ」と確認している感じスキ。
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そして皆さんお待ちかねの「胎内くぐり↓」。
権現様のカシラと尾先のトンネルをくぐることで
子供が健やかに成長するとも 人が浄化されるとも言われる。
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そのあとは、首都圏の獅子舞でもみられる
頭上でパクッとやってくれる「頭かじり」。
それが終わると権現様は柄杓を持って四方を回り、
火伏のおまじないにピッと水を撒く。
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とんでもなく寒い中、
少量ではあるが水が飛んでくるだろうか
という本来の趣旨とは関係ないスリルも味わえましたとさ。
(*'▽')

早池峰神楽について*
早池峰神楽早池峰山麓の内川目という地域に伝わる神楽。
地域内には「岳」「大償」という集落があり、
それぞれが別の団体として神楽を舞っている。
しかし、その2つを合わせて「早池峰神楽」という。
というのも、2つの神楽は大モトは同じで
内川目「金沢」にある田中神社の山伏神楽だという。
しかしそれが、岳の早池峰神社と 大償の大償神社
それぞれの地域で神社に奉納するために伝承された。

演目などは ほぼ同じらしいのだが、
微妙なリズムなどに違いがある(らしい)。
管理人のリズム感の悪さは相当なものなので、
観たところで差は分からないのだが…。

1つ、明確な差として
岳神楽に登場する山神の面は口を結んだ「吽形」。
対して 大償の山神は猛々しく口を開いた「阿形」。
一説には、岳と大償は「一対の舞」であるから
このように対照的な面になったという説があるという。

早池峰神楽囃子方は4人。
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太鼓を担当する方が「胴取(胴前)」。
その両脇には手平金を打つ「銅鈸子方」。
(写真左下に写っているのが手平金)
舞台や屋内で神楽が舞われる場合は
観客からは この3人しか見えない。

なぜなら、舞台後方には幕が張られ
一番奥にいる「笛方」は その幕向こうにいるからだ。
この幕から向こうは舞台裏であり「彼岸」とされている。
人ならぬ世界、神様の世界だ。
ふがいないことに、圧倒的勉強不足で
なぜ笛が彼岸で打楽器は此岸なのか分からないが…。
であるから、面をつけた神々たちも 幕の奥からやってくる。

しかし、庭先で行われる「門打ち」や山頂での奉納は
幕が無いので笛方さんも普通に見ることができる。

写真を見ていただいても分かる通り、
なんだか太鼓のバチの先端が変わった形をしている。
なぜあの形なのか気になる…(; ・`д・´)
これは宿題だな。

普段平地をひたすら歩いている管理人には
山道は非常に苦しく帰宅後3日ほど筋肉痛に苛まれたが…
山頂で当日だけ配布される「山開き絵馬」にもありつき、
良い山開きとなりましたとさー。
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今年度もいろんな神様やお祭りに出会うため
足腰も体調もイイ調子でありますように、
と書こうかどうしようか。
でもあんまり「おねがい」はしない方針なんだよね。
(大体神前では「あいさつ」しかしていない)
と悩み、いまだに白紙(?)のままです(´・ω・`)

かえりに早池峰神社に寄ったけれど、
長くなりそうだから一旦 山の話題で切り上げますー。

シシの故郷の菅原神社。

4/21朝、管理人は新幹線に乗りながら考えていた。
とりあえず岩手には向かっているが、
日曜日は結局どこに何を見に行こうか。

候補としては
中根子・地蔵堂の上根子神楽
大迫・大償神楽 春の舞
舞川・菅原神社の鹿子踊り

駅から近い上根子神楽に一票、
3年に一度と貴重な菅原神社例祭に一票、
かねてより憧れている大償神楽に一票、
東京や東北六魂祭で見たことがあり
なんとなく愛着を感じている上根子神楽・鹿子踊りに各一票…

うーん、こいつは接戦だ。
車に乗れればハシゴもできるが、
二級危険運転士である私がレンタカーなど借りたら
地域の皆さんにもレンタカー屋にも家族にも迷惑だろう。

…というようなことをSNSでつぶやいていたら
友人になっていただいている鹿子踊りの踊り手さんが
「一関でピックアップできるかメンバーにきいてみようか」
という超☆棚ぼた提案が!!!何と恐れ多い!
例えばジャニヲタに置き換えてみてくださいな。
「地方でライブあるけどペーパードライバーだから歩いていく」
ってツイートしたら 偶然ソレを見たアイドル自身に
「これからゲネプロだから車でピックアップしてあげる」
って言われたようなもんですよ!
ジャニヲタじゃないのでよく分かってないし、
そもそもライブのリハもゲネプロっていうか分からんけど。

ちなみに、舞川と一関の距離感はこんな感じ。
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まぁそんなこんなで今年の運を使い果たすレベルの僥倖により
なんと行山流舞川鹿子踊りの練習を拝むことが出来、
さらには採りたての たらぼ(たらのめ)の天ぷらと
お風呂&フカフカお布団を恵んでいただいたのであった。
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↑敷地内で採らせていただいた たらぼ。

そんなわけで(遅くまで飲んではいたが)
心身ともにハイオク満タンな朝を迎え、
泊めてくださった鹿子踊りの方たちとともに伝承館へ。
(神社直行でなくココで準備をするとのこと)
みなさんが慌ただしく準備をする中
置いてある装束などを少し見学させていただいた。

その後は 一旦お暇して単独で神社へ。
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のどか~な風景である。
たんぽぽも咲いて、いい季節。

岩手には巨石が多いというが、
石碑や庚申塔など全体的に大きい。そして多い。
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境内では既に今年厄年の方が集まり、神輿の準備。
(御輿を担ぐのは厄男さんたちなのだそうだ)
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前日の夜聞いた話では、
菅原神社の神事自体は毎年やるのだが、
今回のように「お祭り」的な行事となるのは3年に一度。
なので、担ぎ手は本厄+前厄・後厄の方も入って
ちょうどよく3年周期で回っているのだとか。
ちなみに神輿を担げるのは男性だけらしく、
女性はスーツに神社の法被という姿で後ろの方に控えていた。

そして、なにより気になっていたホルスタイン神牛と対面!
ピックアップを提案してくれた方がやっているシシ踊りが
「行山流舞川鹿子踊り」というものだと知った時、
どこの神社をホームにしている踊りなのか調べていて
この衝撃的な神牛の写真を見つけたのである。
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何より面白いのは、同じ方が作ったであろう説明板に
「道真公のピンチに どこからともなく黒い牛が現れて」
とゆうようなことが堂々と書いてあることである…
(*´ω`*)黒くないやんけ…

このカラーリングに関しても昨晩訊いてみた。
私の知り合い(40代)の方は
「そういえばアレ誰がいつ塗っちゃったかな」
と言っていたが、泊めていただいた家のおじいちゃんが
「や、アレ最初からああだった」と。
奉納された当時を知っている方が言うなら間違いない!
さらに「牛ったらこういうもんだと思ってたのかもね」と。
まぁたしかに酪農の盛んな土地で育ったら
「牛=ホルスタイン!」
とゆう刷り込みも当然といえば当然か…?
とにかく長年気になっていた牛さんについても
いろいろ聞けてよかった~。

神社の拝殿はこんな↓感じ。
中は薄暗くて上手く取れなかったが、
入った両脇に左大臣・右大臣がいる様子。
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神輿の出発までまだ時間があるようなので、
境内社を見てみる。
立て札があって非常に助かった…。
なければどなたが座す神社だか分からず
眺めて終わってしまった。

まずこちら↓は「若木神社」と書いてある。
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管理人の知っている若木神社と同じ神様であれば
秋田生まれの天然痘・疱瘡除けの神様のはず。
発疹の出る病気に効くとあって、
本家若木神社では皮膚病平癒を願う人もいたとか。
(読みは「おさなぎ」神社ですよー)

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次は「大日霊(おおひるめ)神社」。
オオヒルメはアマテラスさんと同じ神様とされることが多い。
アマテラスはイザナギ夫婦の三貴子であり
また天皇家と関わりの深い伊勢神宮におわすので、
どことなく「最高神」的な特別感を醸しているが…
それに対し「オオヒルメ」は彼女を単に
太陽の女神(+それに伴い農耕神)的な意味で祀る
というニュアンスが強いような気がする。

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そして山神社。
山の神といえば箱根駅伝…ではなく
オオヤマツミやオオヤマクイ、オオモノヌシ。
そのあたりが連想されるだろうか。
しかし、社でなく石仏風の像のみが祀られている。

御幣?大幣?を持っているので、
山岳密教系の仏様とかではなさそう。
社殿はないが神道系なのだろうか?
それとももっと古層の土着系の…
姥神さまとかソレ系の神様なんだろうか。
社殿で覆わず覆殿的に屋根だけで守られている。

管理人が気になったのは、
屋根の骨組みに付けられている
この(玉入れの)玉のようなもの。

岩手という空間的繋がりで 思い出したのは
遠野のカッパ淵にあった紅白饅頭のようなもの。
そちらはどうやら妙見信仰に基づく乳神さん
(布で乳房を象ったものを作り母乳が出るよう祈願)
だったのだが今回は形がちょっとソレっぽくない。
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どうなんだろう。
その手のものは どの地方でも、
乳房を象るというだけあって饅頭型が多い。
しかしこれはちょっと米俵型である。
赤いのに関しては、もはや唐辛子のような形だ。
遠野の紅白饅頭との関連性、自信がなくなってきた。

「何言ってんの?山神様と紅白の布と言ったらアレだよ」
という方がいたら是非ご教示願います…

さらに、その三社の後ろには手すりと坂があり
登ると横には本殿が見える。
拝殿とは結構な高低差だ。
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そして、その手すりの先には八臂弁財天。
頭上に鳥居があるので宇賀神も乗っていると思われる。
(宇賀神=おじいさんの顔をした蛇体の神様)
不明瞭だが、頭上の鳥居の中の
こんもりしたモノがそうだろうか…。
余談だが、サッカー選手の宇賀神の名字を見たときは驚いた。
何地方のどんな氏族出身か非常に興味ある。
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しかし、この大きな川のない舞川で
しかもこの水害もなさそうな高い土地で
なぜ弁財天なのか?
と、実際神社にいるときは思った。

しかし 帰って地図を見れば舞川は広く、
北上川に近い平地までもが舞川なのである。
それも、北上川が大きく湾曲した弧の外側。
洪水などで川が決壊すれば外側の方が被害は大きいだろう。
そして、管理人の行った地域は一関市街から見ると山だが
地形のわかる地図で見ると山あいの低地だった。

実際に災害が起きているか検索すると、
思いの外すぐにたくさんの記事がヒットした。
それだけ被害が大きかったということなのだろう。
具体的には、昭和のカスリン・アイオン台風。
2度とも磐井川が氾濫し市街地は被災。
カスリン台風では死者・行方不明者100人超え。
アイオン台風に関しては473人が犠牲になっている。

後者の方が氾濫時の水位は低かったようだが、
2年連続で台風に見舞われたために
前年の被害から復旧途中での被災であり、
また夜間だったことも被害拡大の要因かもしれない。
詳細は、参考にさせて戴いたこちらを読んでいただきたい。
伝えたい、あの記憶 - 一関市

こちらの画像は
岩手河川国道事務所さんのホームページから。
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この地図の「第3遊水池」あたりから下が
(画像には入りきらないが)舞川地区となる。
低地の周りに堤防を築き 氾濫をプールすることで、
被害が市街地に及ぶことを防ぐという方法である。

うーん、結局この弁天様は
水害が多い地域だからというより
水害の際に助かる場所と示す弁財天さんか?
それとも水害に見舞われていた地域から
合祀みたいな形でやってきたんだろうか?

前日に一回神社を下見して、
生き字引なおじいちゃんに聞いてみればよかった…
と後悔(´;ω;`)
ちなみに弁天様の近くに小さめの梵鐘があった。
災害用時の警報用か、純粋に仏教的梵鐘かは謎。


さて、管理人がそんなことをしていると
定刻になったようで拝殿の前に神輿が移動。
本殿→神輿へと神様に移動していただくのだろう。
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そうしているうちに準備を終えた鹿さんたちが、
太鼓の音とともに道を歩いて登場。鳥居の前に並ぶ。
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もともと門付け芸(寿ぎや供養のため家々を回って演じる芸能)
であるため、踊るときに歌う「舞い歌」のほか
その場所を褒める「褒め歌」というものがある。

相変わらず 完全には聞き取れないが
というか管理人は日常生活でも
人の言っていることを年中聞き違えているので諦めよう。

立った状態で始めに歌っているのは
「太鼓の調べきりりと締めてささらを揃え」
(調べ=太鼓の皮を張っている調べ紐のこと?)
つまり自分たちの仕度について言及しているみたい。
そして褒め歌は
「参り来てこれの(や)鳥居(を)見申せば
  二本柱は白金(しろかね)の
 笠(かさ)と貫(ぬき)には黄金(こがね)なるもの」
と聞こえる。違ってるかもしれないけど…

つまり、神社に到着してみたら
なんてすばらしい鳥居なんだろう!
って感じで褒めてるんですな。
管理人は殆ど神社以外で見たことがないので、
門褒め・家褒め・庭褒めなどは聞いたことない。
神社では この「鳥居褒め」が多いように思う。

本来は結構即興性を求められるものらしく、
昔、ある屋敷の家長が
「ちょっと仲立(シシのリーダー的な人)を困らせてみよう」
と褒めづらいような料理を出してみたり、
また武家の方は賜りづらいような刀や冠(だったか?)
をあげると言ってみたり…etc
みたいな記録が残っているらしいのだが
(それぞれ別の本に書いてあったような気が。出典忘れ)
いずれの場合も見事に即興で褒め歌を返され
一本取られたね、みたいな笑い話が多いようである。

さて、
それが終わると、いよいよ氏子地域への行列。
ただ登るのも(そこそこ)しんどい階段を
ゆっくりと注意深く神輿が降りてくる。
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階段もさることながら、この注連縄も難関っぽかった。
鳳凰がバサバサぶつかっている(;゚Д゚)
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さらに、神籬(ひもろぎ)・猿田彦・御供物と続き…f:id:ko9rino4ppo:20180425214148j:image
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道に出てからは法螺貝を持った方がその前に立っていた。
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階段は草履→道ではちゃんと高下駄になっていた。

その後ろに民謡流し的な方々が続き、
鹿子踊りがしんがりをつとめるというフォーメーション。
(民謡流しのBGMが、やや不調だった…)f:id:ko9rino4ppo:20180425214414j:image
鹿さんたちのそばにいたので気づかなかったが、
道に出てからは いつの間にか神馬ちゃんが合流していた。
鹿さんたちを見に来たはずが 馬愛がはみでて、
ストーカーのように神馬ちゃんの周りをウロウロし
あらゆる角度から写真を撮りまくる管理人。
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行列の休憩中、
馬を眺めてニヤニヤいている私に気づいたのか
馬を曳くお兄さんが 配られているジュースをくれた。
(子供だと思われたか?)
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前髪まとめてる!Kawaii!…ビニテ、取るとき痛くない?
そして目の上擦りむいてしまっている…。

飼い主さんらしきおじさんに話しかけると、
なんと「チャグチャグ馬コ」の先頭馬を勤めている子だとゆう。
草モリモリ食べてんのに鼻とか頤とか触りまくってごめん…
可愛くて つい(*´ω`*)

大きなおしり!きれいな模様!
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…そういうえば、以前 チャグチャグ馬コを見ていて
他の観光客の方が自分のお子さんに
「みてごらん、道産子だよ!おおきいね!」
と言っているのを見て訂正したい気持ちでいっぱいだったことが。
道産子じゃない!道産子は日本の在来馬で、小さいんだ!
ばんえい競馬の「ばん馬」と勘違いしていないか父さん!

道産子ちゃんは木曽馬や与那国馬などと同じ国産馬。
基本的に日本の在来馬はモンゴルの馬がルーツらしく、
体型もソレに準じている様な感じだ。
ポニーよりはスラッとした体型で、おとなしめ。
身体も強く扱いやすい とっても日本に向いた馬なのだ。

だが、北海道の開拓や産業の効率化を進め
更には戦争へと向かう時代が来た。
御上の意向で 馬匹の大型化が図られるようになり、
小型の馬である在来馬は去勢を余儀なくされ
一度は絶滅してしまったりもした。
(そして今も、天然記念物に指定されはしたが減少し続けている)

そんな流れの中、日本にやってきたのが
フランス生まれの「ペルシュロン種」。
ちなみに この子もノルマンディー地方出身らしい。
せっかく遠く東の果て・日本に来て、
地元に根付いてくれたペルちゃんたち。
現在はこうした祭事以外にはあまり仕事がないそうだ。

祭りを守るためには馬っこたちは必要で、
でも農耕も機械化され荷物もトラックな現代。
馬を飼っていることで上がる生産性と比べると
経済的な負担の方が上回ってしまうことがほとんどらしい。

普段乗馬クラブでお仕事している
アラブ馬ややサラブレッドたちですら、
結婚式場や歴史祭り的なものにバイトに行っている。

祭りを担ってくれている馬や飼い主さんのためにも
保護したり指定するだけでなく
良いお仕事が色々広がったらいいなと思う。
森を傷つけない 木材の馬搬とかね。
…ハッΣ( ・∀・)馬が可愛すぎて脱線した…

特に今回の祭りでは ここに寄ったりはしないが、
行列の途中にお寺さん発見。
曹洞宗の常川寺(じょうせんじ)さんというらしい。
山門前には石碑・石仏が何体かあった。
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表面が磨耗してしまい、
仏さんの種類までは判別が難しい。
(分かる人は分かるかもしれないが)
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そして、左側に小さめのお堂。
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中はこんな感じだった。
四角っぽい帽子をかぶった像がいくつも転がっている。
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仏様じゃないっぽいいけど閻魔様かな。
それとも、ほかの十王様たちも全員揃っているんだろうか。
(閻魔様が有名だが、地獄の裁判官は10人います)
そして真ん中には掛け軸。ご本尊様一尊の絵ではなさそう。
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13尊いらっしゃるので、おそらく「十三佛」。
亡くなった方が無事極楽へいけるよう手助けしてくれる
と言われている仏様たちだ。

そして池。棚田の名残みたいな自然な感じの池。
姿はよく見えないが大きい鯉的な魚が
たまに「ボシャッ」と虫を食べにあがってくる。
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季節も良かったのか、花がたくさんで美しい。
その花たちに囲まれて、道の脇に猟友会さんの鳥獣供養塔。
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曹洞宗なので、禅宗らしい彩色なしの彫刻。
でもかなり造りが細かくて素敵。
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さて、無事行列が終わった後
一行は舞川市民センターへ。
といっても学校の体育館レベルの大きさで、
管理人の町内の公民館とは全くレベルが違う。

そして広場に神輿を置き、
神職さんや氏子総代らしき人たちが集まっている。
御神輿を担いだ=厄年の方たちと神事をしているみたい。
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それが終わると、いよいよ鹿さんたちの出番!
(*´ω`*)
こないだ多摩動物公園では雌鹿隠しだったけど、
今回は…三人獅子?三人狂い?(←演目聞き逃したやつ)


菅原神社例祭(2018.4.21)


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相変わらずの跳躍力!
しかも今回は若シカさんが多く平均年齢低めらしく。
春の始まりにエネルギー補給できた!
この充電を使って来たるGWに備えるぞ!
(と書いているのはGW真っ只中。更新遅くてすいません)

動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

難しいことは一旦さておき、実物を観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
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管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
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輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
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ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
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この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りのように1人が1匹の獅子になるものがあります。

「1人立ち」の獅子舞と言われるもので、東日本に多いようです。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)

カミの通い路、御神渡り。

2018年、節分すぎに5年越しの御神渡りが出た!
と聞いてから幾日が経っただろうか。
今すぐにでも見に行かねば!という気持ちのまま、
土日に研修が入ったりなんだりという災難(?)に巻き込まれていた。

 

諏訪への道

今週こそ行くぞ!
と思い立った週の中頃 長野に住む知人から連絡が。
「きみは御神渡りを見たか!」
そう頻繁に連絡を取るわけではない方から
このタイミングで こんな連絡が舞い込むなんて。
これはもう御神託と言ってしかるべきであろう!
(いや、神様じゃなくて知人からの連絡だけど)

朝に晩に昼休みに 諏訪の気温をチェック!
どうか私が会いに行くまで溶けないで…(ノД`)・゜。

そんな1週間を終え、金曜の仕事終わりでそのまま駅へ。
新幹線に乗り、長い 長い 篠ノ井線に揺られ…
この時間を利用して寝ようと考えていたのに
不思議なおじいちゃんに一時間以上話しかけられ続け…
とにかく着いたぞ!諏訪!
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御柱を曳いた縄!ヨイサー(/・ω・)/!
そして、下諏訪には何回も来ているはずなんだけど
なんか今回衝撃を受けたのが
改札にあった「万治の石仏」のプチレプリカ。
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え…。こんなん前もありましたっけ?
※調べたら2012年からあるようです。御柱に夢中で前回気付かなかっただけか…
とにかく、この日はさっさとネットカフェに赴き
早起きに備えて明日への英気を養うことに。
だってせっかく御神渡りというスペシャルな状態を見るなら
まずは超キレイな朝焼けタイムに見たいのだ!
(勿論、昼も夕方も見ます)

 

御神渡りを拝む

というわけで一夜明けて、諏訪湖に向かって出発。
諏訪に来るたびに会っていたけど、冬に会うのは初めてだ!
とドキドキしながら歩いていくと…

ふぉおおおおお(* ゚Д゚)!
今日も諏訪湖が美しい!
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凍ってる!ホントに凍ってる!
しかも天気に恵まれて富士山まで見える!
そのまま諏訪湖沿いに歩き、勧めてもらった赤砂岬へ。
岬から左を見ると「高木」方面へ伸びる亀裂。
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右を見ると、亀裂は「小坂」のほうから伸びている…
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本当に、うねるような軌跡だ。
絶対コレ見た昔の人「お諏訪さまは大蛇に違ぇねえ」ってなったはず!

ココから見ただけでは、
「小坂のシタテルヒメ姉ちゃんが弟嫁に会いに行った軌跡では」
と思ってしまうような亀裂の走り方だが、
湖畔に張ってあった御神渡りマップを見るとその全貌が分かった。
(分かりやすいように文字を加えさせていただきました)
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下座は「くだりまし」と読み、神様が湖に入った場所。
反対に上座は「アガリマシ」と読み、湖から上がった場所。

今いるのが赤砂なので、
一枚目の写真がアガリマシに向かう道。
二枚目のは、小坂から来たように見えたが
タケミナカタさんは小坂方面で諏訪湖に入ったのでなく
「すわっこランド」のあたりから諏訪湖に入り
お姉さんの居る小坂(小坂鎮守神社)方面にふらっと寄って
赤砂岬をかすめて下社のヤサカトメに逢いに行った…。
みたいな形の御神渡りである。

ちなみに「一之御神渡り」というのがメイン的な感じで、
初めに現れた南北方向に延びる亀裂のこと。
諏訪湖の下のほうに青線で示された「二之御神渡り」というのは
一之御神渡りと同じ方向(南北)に走る亀裂のこと。
古くは「かさねての御渡」とも呼ばれたそうだ。

今回は一之御神渡りがV字のような形なので
同じ方向に走っているかはわかりづらかったかもしれない。
結構短く、しかも上川が流れ込んでいるので
管理人が見に行った週には 既に溶けてしまっていたが…。
年によっては一之御神渡りと同じくらいの距離割れたり
綺麗に南北方向の亀裂が2つ入ることもあるようだ。

 

御神渡りをめぐるカミサマたちの話

ちなみにアガリマシの近くにペロッと出ているのが
「佐久之御神渡り」。
定義としては「一、二之御神渡りに交差するもの」だとか。
つまり東西方向に延びる第三の(?)御神渡りである。
佐久市にある新海三社神社のオキハギ(タケミナカタJr.)が
湖上を歩む父に会いに来た跡とも
小坂鎮守神社に居る姉に会いに行く跡とも言う。

ただし、日本神話で語られる系図を考えれば
小坂鎮守神社に居るシタテルヒメ
地祇・オオクニヌシと 水神・タギリヒメの子。
そのオオクニヌシ諏訪大明神タケミナカタの父でもある。
(めちゃくちゃモテるから奥さん何人もいる)
なので、新海三社から「姉に」会いに来るとすれば
オキハギとともに祀られているタケミナカタではないか。

オキハギが伯母・シタテルヒメの弟となるには、
タケミナカタはタギリヒメ(つまり異母姉妹の母)を妻に
ということにならないと成り立たない。
オキハギはヤサカトメとタケミナカタの子だというし、
タケミナカタと荒船の貫先神の子 説もあるが(; ・`д・´))
いくつかの伝承が混ざっていつの間にかそう伝わったと思いたい。

しかし、管理人は誰が誰の姉とか子とか細かいことより、
「昔の諏訪に住む人々は この夫婦神から
 養蚕や稲作など多くを学び共に暮らした時期が長く
 タケミナカタとヤサカトメ双方のことがとても好きだった。
 喧嘩して別居した二人をいたく心配していたが、
 御神渡りを見て(夏も通っていたが、御渡ができて村人にバレた)
 タケミナカタが別居後も下諏訪へ通い続けていたことを知り
 みんな 安心したし嬉しかった」
という話が好きだ。

美しいヤサカトメのことが大好きで 喧嘩したのは後悔してて、
でも通ってるのが人間にバレると恥ずかしいから…と
夜に舟を出して諏訪湖をコッソリ渡る姿。
「いつも威厳と生きる知恵を与えて神様らしくしていなきゃ!」
みたいな「神様の見栄」を張ってしまう可愛らしささえ感じる。
もう完全に妄想だが、
様々な知恵を与え 既に村人に慕われているのに
「バレたら村人に笑われちゃうんじゃないか…」という自信の無さ。
九州方面から逃げ伸びて新しい土地に住むと決めた神様の
「まだ完全なホームとは思えない」というような心細ささえ垣間見える。
なんだか余計、お諏訪さまが好きになれる民話である。

かなり様々な話が伝わっていて、
話によっては家を飛び出したヤサカトメから
諏訪湖の上が歩ける時だけ来ていいわよ」
「来てもいいけど一年に一回だけよ」
みたいな条件が出されるパターンもあるらしい。
ともあれ今年もタケミナカタさんのヤサカトメ愛は
バッキバキに絶好調である( *´艸`)
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それにしても
別居されるほどの喧嘩をする「些細な事」っていったい何なんだ。
浮気か?秩父の妙見ちゃんか、荒船の貫先ちゃんのことなのか?
(どちらも養蚕や織物にまつわるカミサマなのが気になる)
ともあれ、朝の御神渡りを心行くまで観賞したので風呂へ向かう。
まだ朝の6時だが、本日目指すお風呂はなんと5:30からやっているのだ。

 

下諏訪の温泉へ

何を隠そう下諏訪は至る所お湯だらけ。
駅前にもホカホカしたモニュメントがある。
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そして下社の程近く。
実家が風呂工事中で2日入れていなかったので
水道水の銭湯でもありがたく戴けるような気持ちだが…
折角なのでコチラで。
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下社秋宮の近所にある、旦過(たんが)の湯!
仏教に詳しい方は旦過という単語をご存知なのだろうか?
(管理人は調べるまで全く知らず…)

禅宗の修行僧のことを「雲水」というが、
自分の実家などの寺を出て修行用の寺に赴いた雲水さんは
初めに庭詰というものを行うとされる。
「玄関先で入門を乞うが断られ続け それでも乞い続ける」
というものだそうで数日間玄関先に居ることになるとか。
この時に寝泊まりに使う部屋が旦過寮だそうだ。

庭詰が終わると課されるのが旦過詰。
庭詰のときに泊まった小さな 満足な灯りもない部屋の中で
寝食以外はひたすら坐禅を組み続けるらしい!
コレをクリアしたら、そこで初めて入門が認められる。

旦過寮は永平寺総持寺のモノが有名らしいのだが、
長野もかなり仏教色も濃い土地である。
まぁ言わずもがな信州で一番有名な寺は善光寺だろうが、
この下諏訪にある有名な寺といえば「慈雲寺」。
下社春宮の鬼門を守るために、大祝・金刺氏が建てたお寺。
(勿論、開山したのは金刺さんではない。建長寺の住職さんだ)
このお寺は曹洞宗 つまり禅宗の寺で、
その雲水さんのために開かれた旦過寮が旦過の湯のモトだとか。
現在は建物もキレイで温泉ホカホカ~♪な感じだが、
実際に寮だった頃は やはり厳しかったのだろうか…。
ちなみに諏訪周辺には武田信玄公関連の温泉が山ほどあるが、
慈雲寺・旦過の湯ともに信玄公の庇護厚く、
特に温泉は「切り傷にも効く!」と武士たちも訪れたとか。
現在は脱衣所や浴場は地元のおばあちゃんだらけ。
「おはよー」「おつかれさまー」「お先ー」と挨拶を交わして
なんだか部活の朝練に来た女子高生の部室みたいだな。
とちょっと楽しくなった。

公衆浴場としてはお安く、
大人 230円と(首都圏の銭湯に比べて)かなり良心的。

そして、驚くべきは その泉温。まさかの58℃だという。
もちろん湯船の湯は水でうめてあるが、
それでも44℃と46℃の2択。あ、あついΣ( ゚Д゚)!
寒い中歩いて目は覚めていたつもりだが、
さらにもう一段階 目が覚めそうなパンチのある熱さだった。

数分後に入ってきた 地元のおばあちゃんが
「あらぁ、若い人には熱いでしょ。露天の方がぬるいよ」
と教えてくれたが、その頃には体は温まりきっていた。
(もう少し早く来てほしかった…)

後で調べて知ったのだが、
この旦過の湯 下諏訪一熱い湯なのだそうだ。
地元のおばあちゃんたちは平気で46℃に入ってはいるが、
お湯に触れていた部分だけクッキリと赤くなっていた。
いくら切り傷に効くとはいえ、傷がある状態で入ったら
目が覚めるどころではない激痛なのでは…。
まぁともあれ久々のお風呂な上 急速に体が温まり、
清潔感とか体温とか いろんなものが回復。
身も心もスッキリした状態で神社へ向かうことができる!

もう長くなってしまったので、
この後に行った神社はまた順次…!
↑さばくのが間に合っていない(´・ω・`)

*おまけ*
この後に行った上諏訪も、
間欠泉が見られるところや宿など温泉関連の施設が多い。
そして、上諏訪駅はなんとホームに足湯が!
入浴を終えて上諏訪に着いたのが8時だったのだが
残念ながら足湯は9時(いや、10時だったか?)からだそうで入ってみられなかった。
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御篝神事で、バーニング節分。

前回は下見ということで桐生賀茂神社を訪れたわけだが、
今回は「御篝神事」本番である。

毎年2/3(節分)の夜に行われるというが、
夜とは一体 ゴールデンタイムなのか深夜なのか?
桐生市役所に確認したところ、
メインとなる「火投げ」は午後19~21時ごろ行うとのこと。
良心的な時間でよかった…。

そして、その前に氏子さんたちは18時ごろから
①人形(ひとがた)に名前・生年月日を書き
②体の悪いところに当てて人形に災厄を移す
③人形と氏子さんが一緒にお祓いを受ける
④豆まき
⑤境内中央に積んだ浄薪に御札や達磨なども乗せる
⑥点火
という流れで火投げを迎えるのだとか。

なんとゆうか、
小正月に行う「どんど焼き」的な⑤と
④の豆まきが組み合わさっているという不思議な行事だ。
ということは、この地域は1月にはどんど焼きはしないのか?
とゆう疑問が湧いてくる。気になる。いや、まぁ各家庭ではやるのかな。

最初から見たかったが、少々出遅れた。
神社に近づくと、
鎮守の杜の上空に巻き上がる火の粉が見える勢い!
前回の写真を見ていただければ分かるように、
鎮守の森がそんなに小さいわけではないのだが…。

車を停め、鳥居をくぐると
想像をはるかに上回るバーニング具合だった。
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水しぶきの如く 火の粉が吹き上がっている!
寒さに備えてコート下に着るウル◯ラライトダウンと
裏起毛のジョギング用ズボンを用意していた管理人。
しかし、炎の勢いが凄すぎて寒さはほぼ感じず。

そして なんとなく
「火を投げ合うとは言え 束ねた藁的なモノだろう…」
と勝手に想像していた管理人。
しかし、いざ見てみれば50cmはあろうかという棒ではないか。
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↑このガンガン焚いている火に、どんどん棒をくべていく。
そして、氏子さんたちがその中から
イイ燃え具合のをチョイスして持っていくシステム。

ああ、そういえば説明書きにも
「火を付けた薪」って書いてあったかも…。
そんなもの投げたら危ないだろうという勝手なバイアスで、
薪→藁に脳内変換されていた…。

さて、なぜ火を投げ合うか気になるところだが
実は詳細な起源は分からないらしい。
しかし「賀茂神社傅承記」という文政十三年(1830)の書物で
既にこの神事について記載されていることから
遅くとも江戸時代には行われていたと考えられているとか。
参考:桐生市ホームページ「御篝神事」(H28/7更新),
< http://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/event/1010673/1001900.html >

戦後に一旦は途絶えたというが、その後に復活。
現在は保存会などもでき安定した運営が行われているそうだ。

というわけで、まずはどんな様子か動画をどうぞ。


2018.2.3 御篝神事


1クール(?)3回以上投げるので、
意外とシャッターチャンスはあるのだが…
今回初めて夜間撮影用アプリを使って撮ったので
なかなか調整がうまくいかず。
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↑他の人のフラッシュで漁夫の利な撮影。

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↑ボウリングの如く美しいホームで薪を投げるおじさん

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まぁトイカメラでお遊びをしたような写真だが、
少しでも様子が伝わればとゆうことで一応載せてみる。

そんなことをしていたら、
対面に立っていた氏子さんの薪が大きく弧を描き
管理人から1mほどの場所でカメラを構えていた方に命中。
大きなカメラのおかげでケガは免れたように見えたが、
御篝神事、恐るべし。

その後も、すぐそばで火を回していた氏子さんの薪が
前方でなく後ろに飛んでくる案件などが発生。
(手を離すのが遅すぎたんだろうか)

先日の下見の際にはひっそりしていた拝殿も、
平時はポッカリと広い境内も、今日は人であふれている。
ワケイカヅチさんも喜んでいるだろうか。
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氏子さんによると
終わる時間は「火の燃え加減次第」とのこと。
どうやら火力が強いと時間が短いらしい。
今回は20時ちょっと過ぎには終わったので、
火力が結構強かったということだろうか…。

火投げが終わると
氏子さんたちが浄薪を囲んで三本締めをし、
御篝神事は無事終了となる。
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さぁ、遠足は帰るまでが遠足。ここで全てが終了ではないのだ!
鳥居の外に消防車が待機していたので
「万が一のために待機しているのかな」と思っていたら、
火投げが終わった後 境内に入って来た。
そして、薪を差していたドラム缶を浄薪のそばへ寄せ
火のついているモノを1ヶ所に集めたのち、全力で放水!
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煙が朦々と立ち上がり、大火事の現場さながらである。
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な、なんてゆうか消防士さんが放水してる現場初めて見た。
近所で火事は何回か起きてるけど、
ここまで消火活動をちゃんと見たことはなかった…。
こんなすごいホース2本がかりで水をかけまくっているに、
一度燃えた薪というのは意外といつまで消えないもので。
かなり長い時間放水が行われていた。

火の粉もだいぶ飛んでいたため、
燃えていたものだけでなく境内の木の枝にも放水。
「建物当てないように気を付けろよ!」
と隊長(?)的な人が声をかけたりしながらやっていた。
確かに、あの水圧が神楽殿に当たれば
彫刻の一つや二つくらいは吹っ飛びそうだ。

かなり入念に放水し、境内はビッチャビチャである。
明日の朝全部凍っているのではと思うと恐ろしいが、
無事に火も消えたようで全てが終了。

ちなみに、火が燃えているうちは暖かく
火投げのインターバルには見物人も注連縄の中に入り
ボーボー燃えている浄薪の火に当たることができる。
が、この消火活動を見守っている時間は寒い。
さすがに火が消えれば冬の桐生が寒くないはずないよね。
終了後は、超震えながら岐路に着く管理人だったとさ。

今回の御篝神事に限らず、
湯かけ祭りとか春駒とか 独特な祭も多い。
なんか最近よう雪も降るけど、
信越や東北に比べたらイージーモードなので…
是非来年の冬はグンマーの祭事を見にきてね。
(*'ω'*)