とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

権現様と、山開き。

*賢治と鹿踊りの里*

仕事を終え、その足で群馬から岩手へ。
賢治と鹿踊の里・花巻(/・ω・)/!
いや、実際そう呼ばれてるか分からないけど、
管理人の中での花巻のキャッチコピーです(笑)

駅前で管理人を迎えたのは、大胆な鹿リメイク自販機。
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右のササラが折れているので直してあげたいけれど、
ガムテも何も持っていないので諦めた。
(ちかくにコンビニもないし)

花巻駅ちかくのネットカフェに泊まる予定なのだが、
新花巻→花巻の終電が終わっていた。
あえなくタクシーを利用することとなり、
到着早々から財布に大打撃をくらったのであった。

翌日は「宮沢賢治童話村」へ。
児童文学というにはあまりに深淵で 時に難解。
子供の時分、賢治さんの童話は特に好きではなかった。
ただ、まだ芸能とゆうものを知らなかった管理人を
鹿踊りと出会わせてくれたのは 賢治さんである。
そしてまた、森というものについて
それまで読んだ童話では単なる「背景」だったが
恐ろしさや人ならぬ美しさをもつ「世界」なのだ!
と認識させてくれたのも賢治さんだった。

そんな原点回帰も兼ねて気楽に観光。
たまにはいいもんですね(*´ω`*)
といいつつ、ここに至るまでには
朝方 釜石へ行って偶然鹿に出会ったり、
田舎道で終バスを逃したおばあちゃんに出会い
ヒッチハイクして御礼におこわを貰ったり…etc
いつも通り歩きまくりな半日だったわけだが。

童話村の建物内は、
日差しの強い屋外とは打って変わって
暗め&涼しめの安らぎ空間。
銀河鉄道の世界を再現した一面の宇宙のような部屋。
有名な作品の場面が再現されたミニチュア。
その建物を出ると、いくつかの小さなログハウスがあり
星のこと 石のことなど テーマごとの展示がある。
管理人が一番好きなのは、この石の展示。
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(この写真だと広そうに見えるがそんなではない)
小学校の教室ほどの部屋に、鉱物と その名前。
そして賢治さんがその鉱物を登場させた文章が展示されている。

夜は、明日一緒に登ってくれる友人と合流。
閉店(?)ギリギリではあったが、
日帰り温泉も楽しみフル充電。


早池峰山の山開き*

そして翌日。ついに!今年の山開きですよ!早池峰山
霧がすごくて全然山頂見えないけど(;゚Д゚)!
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皆さん、固有種だからか
この「ハヤチネウスユキソウ」↓に非常に注目していた。
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もう霧がすごいせいで、
ウスユキソウの白いホワホワに水滴がついて
なんというか正体分からなくなってる。
名和晃平氏の作品みたいな感じである。

しかし管理人はミヤマオダマキ↓が好みだなぁ、
と一人で思っていたり。
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ガレ場を進んでいくと、一瞬だけ霧が晴れて
(というか風に吹き飛ばされて?)
遠くに登山口のあたりが見えた。
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友人の話では、天気が良い日に登れば
登山口のさらに下まですべて見渡せるらしい。
というコトは、逆に
里からも山頂まで綺麗に見えるというコトだ。

里からよく見える山だからこそ、
早池峰の信仰は
直接山の恵みを生業とする人々に留まらない。
水の神として、里を見守る神の座として、
農家からも厚い信仰を受けてきたそうだ。
また直接山に入る猟師や樵(きこり)のみならず、
木材を扱う建築関係者も早池峰に無事故を願うという。

さらに登ると
八合目付近の名所(難所?)梯子。
※登っているのは管理人でなく友人です
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現在のものは分からないが、
以前コチラに懸っていたハシゴは
沿岸部の方が奉納したものだったとのこと。

実は早池峰山というのは、
天候が安定していれば海からもハッキリ見えるらしい。
山々の位置から船の場所を測っていた昔の人にすれば、
自分の位置を知る標であり
風や霧が出て その姿が消えたら荒天の前触れ。
漁師さんの安全さえ守ってきた山なのである。
(奉納した方が単に沿岸部に住んでいたか漁師さんかは不明)

頂上に近づくと気温もぐんと下がり
雪渓に出会うこととなった。
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そしてやっとの思いで頂上へ!
いやもう、霧がすごくて!あたり一面真っ白!
しかも超強風で寒すぎる!Σ(・ω・ノ)ノ!
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お、奥宮の前に権現様がいらっしゃる!
(*'ω'*)オオー!
さっそくお近づきに!
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千本木龍頭神舞(群馬・伊勢崎)や
青笹獅子踊(岩手・遠野)の長いタテガミとはまた違う、
本海獅子舞番楽(秋田・鳥海)的な短いタテガミ。
※本海の獅子はタテガミが色とりどりの端切れ布なので
 権現様とはまた少し様子が違うのだが。長さに限った話。

この早池峰山に伝わる早池峰神楽では、
権現舞」という演目で このシシを使う。
権現とは、神や仏が「人に見える姿となり現れること」。

なので、この権現様というのは
「神の先導」として露払いをするシシや
「動物を模して」供養のため躍るシシとは
少しちがうのかもしれない。
「カミサマ自身」が人前に顕現するために、
姿を変え 獅子頭に身をやつしているということだろうか。

ちなみにこの黒い獅子頭の「権現様」は
今回観た早池峰に限らず黒森、石鳩岡など
各地の神楽に登場する。
タレ目だったり耳が大きくて可愛らしかったり
微妙に違いがあって面白いので、
是非いろんな権現様を見ていただきたい!

老いも若きも山頂に集まり、
吹きすさぶ風と霧に見舞われながら祝詞を聞き
皆で奥宮に向かって頭を下げ
何かを願ったり思ったり感謝しているのだろう。
というのは素敵な光景だった。
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それが終わると、権現舞の奉納!
権現様が登場する前に、
曲芸的要素のある下舞(したまい)が舞われる。
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舞手は扇や鈴木を投げ上げては舞いながらキャッチ!
ちなみに鈴木ってなんやねん。というと、
ちょっと小さくてハッキリ見えないかもしれないが
この右手に持っている 麻で作られたフサ+鈴をつけた木。
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これが早池峰神楽で言う「鈴木」なのである。
巫女さんが持つ神楽鈴や鉾先舞鈴と違い、
鈴は少なく小さいので そんなにシャンシャン言わない。
こんな強風で 足元は石ゴロゴロの中…と
感心しながら見ていた。

下舞が終わると、ついに権現様が始動!
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獅子頭を完全にかぶる前に、
舞手が自ら左手に持った獅子頭と見つめ合うような
この動作↓が印象的だなぁと。
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そして、少し舞ったあとに「あげものほめ」。
奉納されたお酒などを権現様が
一つひとつ「うん、いいネ」と確認している感じスキ。
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そして皆さんお待ちかねの「胎内くぐり↓」。
権現様のカシラと尾先のトンネルをくぐることで
子供が健やかに成長するとも 人が浄化されるとも言われる。
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そのあとは、首都圏の獅子舞でもみられる
頭上でパクッとやってくれる「頭かじり」。
それが終わると権現様は柄杓を持って四方を回り、
火伏のおまじないにピッと水を撒く。
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とんでもなく寒い中、
少量ではあるが水が飛んでくるだろうか
という本来の趣旨とは関係ないスリルも味わえましたとさ。
(*'▽')

早池峰神楽について*
早池峰神楽早池峰山麓の内川目という地域に伝わる神楽。
地域内には「岳」「大償」という集落があり、
それぞれが別の団体として神楽を舞っている。
しかし、その2つを合わせて「早池峰神楽」という。
というのも、2つの神楽は大モトは同じで
内川目「金沢」にある田中神社の山伏神楽だという。
しかしそれが、岳の早池峰神社と 大償の大償神社
それぞれの地域で神社に奉納するために伝承された。

演目などは ほぼ同じらしいのだが、
微妙なリズムなどに違いがある(らしい)。
管理人のリズム感の悪さは相当なものなので、
観たところで差は分からないのだが…。

1つ、明確な差として
岳神楽に登場する山神の面は口を結んだ「吽形」。
対して 大償の山神は猛々しく口を開いた「阿形」。
一説には、岳と大償は「一対の舞」であるから
このように対照的な面になったという説があるという。

早池峰神楽囃子方は4人。
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太鼓を担当する方が「胴取(胴前)」。
その両脇には手平金を打つ「銅鈸子方」。
(写真左下に写っているのが手平金)
舞台や屋内で神楽が舞われる場合は
観客からは この3人しか見えない。

なぜなら、舞台後方には幕が張られ
一番奥にいる「笛方」は その幕向こうにいるからだ。
この幕から向こうは舞台裏であり「彼岸」とされている。
人ならぬ世界、神様の世界だ。
ふがいないことに、圧倒的勉強不足で
なぜ笛が彼岸で打楽器は此岸なのか分からないが…。
であるから、面をつけた神々たちも 幕の奥からやってくる。

しかし、庭先で行われる「門打ち」や山頂での奉納は
幕が無いので笛方さんも普通に見ることができる。

写真を見ていただいても分かる通り、
なんだか太鼓のバチの先端が変わった形をしている。
なぜあの形なのか気になる…(; ・`д・´)
これは宿題だな。

普段平地をひたすら歩いている管理人には
山道は非常に苦しく帰宅後3日ほど筋肉痛に苛まれたが…
山頂で当日だけ配布される「山開き絵馬」にもありつき、
良い山開きとなりましたとさー。
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今年度もいろんな神様やお祭りに出会うため
足腰も体調もイイ調子でありますように、
と書こうかどうしようか。
でもあんまり「おねがい」はしない方針なんだよね。
(大体神前では「あいさつ」しかしていない)
と悩み、いまだに白紙(?)のままです(´・ω・`)

かえりに早池峰神社に寄ったけれど、
長くなりそうだから一旦 山の話題で切り上げますー。

シシの故郷の菅原神社。

4/21朝、管理人は新幹線に乗りながら考えていた。
とりあえず岩手には向かっているが、
日曜日は結局どこに何を見に行こうか。

候補としては
中根子・地蔵堂の上根子神楽
大迫・大償神楽 春の舞
舞川・菅原神社の鹿子踊り

駅から近い上根子神楽に一票、
3年に一度と貴重な菅原神社例祭に一票、
かねてより憧れている大償神楽に一票、
東京や東北六魂祭で見たことがあり
なんとなく愛着を感じている上根子神楽・鹿子踊りに各一票…

うーん、こいつは接戦だ。
車に乗れればハシゴもできるが、
二級危険運転士である私がレンタカーなど借りたら
地域の皆さんにもレンタカー屋にも家族にも迷惑だろう。

…というようなことをSNSでつぶやいていたら
友人になっていただいている鹿子踊りの踊り手さんが
「一関でピックアップできるかメンバーにきいてみようか」
という超☆棚ぼた提案が!!!何と恐れ多い!
例えばジャニヲタに置き換えてみてくださいな。
「地方でライブあるけどペーパードライバーだから歩いていく」
ってツイートしたら 偶然ソレを見たアイドル自身に
「これからゲネプロだから車でピックアップしてあげる」
って言われたようなもんですよ!
ジャニヲタじゃないのでよく分かってないし、
そもそもライブのリハもゲネプロっていうか分からんけど。

ちなみに、舞川と一関の距離感はこんな感じ。
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まぁそんなこんなで今年の運を使い果たすレベルの僥倖により
なんと行山流舞川鹿子踊りの練習を拝むことが出来、
さらには採りたての たらぼ(たらのめ)の天ぷらと
お風呂&フカフカお布団を恵んでいただいたのであった。
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↑敷地内で採らせていただいた たらぼ。

そんなわけで(遅くまで飲んではいたが)
心身ともにハイオク満タンな朝を迎え、
泊めてくださった鹿子踊りの方たちとともに伝承館へ。
(神社直行でなくココで準備をするとのこと)
みなさんが慌ただしく準備をする中
置いてある装束などを少し見学させていただいた。

その後は 一旦お暇して単独で神社へ。
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のどか~な風景である。
たんぽぽも咲いて、いい季節。

岩手には巨石が多いというが、
石碑や庚申塔など全体的に大きい。そして多い。
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境内では既に今年厄年の方が集まり、神輿の準備。
(御輿を担ぐのは厄男さんたちなのだそうだ)
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前日の夜聞いた話では、
菅原神社の神事自体は毎年やるのだが、
今回のように「お祭り」的な行事となるのは3年に一度。
なので、担ぎ手は本厄+前厄・後厄の方も入って
ちょうどよく3年周期で回っているのだとか。
ちなみに神輿を担げるのは男性だけらしく、
女性はスーツに神社の法被という姿で後ろの方に控えていた。

そして、なにより気になっていたホルスタイン神牛と対面!
ピックアップを提案してくれた方がやっているシシ踊りが
「行山流舞川鹿子踊り」というものだと知った時、
どこの神社をホームにしている踊りなのか調べていて
この衝撃的な神牛の写真を見つけたのである。
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何より面白いのは、同じ方が作ったであろう説明板に
「道真公のピンチに どこからともなく黒い牛が現れて」
とゆうようなことが堂々と書いてあることである…
(*´ω`*)黒くないやんけ…

このカラーリングに関しても昨晩訊いてみた。
私の知り合い(40代)の方は
「そういえばアレ誰がいつ塗っちゃったかな」
と言っていたが、泊めていただいた家のおじいちゃんが
「や、アレ最初からああだった」と。
奉納された当時を知っている方が言うなら間違いない!
さらに「牛ったらこういうもんだと思ってたのかもね」と。
まぁたしかに酪農の盛んな土地で育ったら
「牛=ホルスタイン!」
とゆう刷り込みも当然といえば当然か…?
とにかく長年気になっていた牛さんについても
いろいろ聞けてよかった~。

神社の拝殿はこんな↓感じ。
中は薄暗くて上手く取れなかったが、
入った両脇に左大臣・右大臣がいる様子。
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神輿の出発までまだ時間があるようなので、
境内社を見てみる。
立て札があって非常に助かった…。
なければどなたが座す神社だか分からず
眺めて終わってしまった。

まずこちら↓は「若木神社」と書いてある。
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管理人の知っている若木神社と同じ神様であれば
秋田生まれの天然痘・疱瘡除けの神様のはず。
発疹の出る病気に効くとあって、
本家若木神社では皮膚病平癒を願う人もいたとか。
(読みは「おさなぎ」神社ですよー)

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次は「大日霊(おおひるめ)神社」。
オオヒルメはアマテラスさんと同じ神様とされることが多い。
アマテラスはイザナギ夫婦の三貴子であり
また天皇家と関わりの深い伊勢神宮におわすので、
どことなく「最高神」的な特別感を醸しているが…
それに対し「オオヒルメ」は彼女を単に
太陽の女神(+それに伴い農耕神)的な意味で祀る
というニュアンスが強いような気がする。

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そして山神社。
山の神といえば箱根駅伝…ではなく
オオヤマツミやオオヤマクイ、オオモノヌシ。
そのあたりが連想されるだろうか。
しかし、社でなく石仏風の像のみが祀られている。

御幣?大幣?を持っているので、
山岳密教系の仏様とかではなさそう。
社殿はないが神道系なのだろうか?
それとももっと古層の土着系の…
姥神さまとかソレ系の神様なんだろうか。
社殿で覆わず覆殿的に屋根だけで守られている。

管理人が気になったのは、
屋根の骨組みに付けられている
この(玉入れの)玉のようなもの。

岩手という空間的繋がりで 思い出したのは
遠野のカッパ淵にあった紅白饅頭のようなもの。
そちらはどうやら妙見信仰に基づく乳神さん
(布で乳房を象ったものを作り母乳が出るよう祈願)
だったのだが今回は形がちょっとソレっぽくない。
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どうなんだろう。
その手のものは どの地方でも、
乳房を象るというだけあって饅頭型が多い。
しかしこれはちょっと米俵型である。
赤いのに関しては、もはや唐辛子のような形だ。
遠野の紅白饅頭との関連性、自信がなくなってきた。

「何言ってんの?山神様と紅白の布と言ったらアレだよ」
という方がいたら是非ご教示願います…

さらに、その三社の後ろには手すりと坂があり
登ると横には本殿が見える。
拝殿とは結構な高低差だ。
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そして、その手すりの先には八臂弁財天。
頭上に鳥居があるので宇賀神も乗っていると思われる。
(宇賀神=おじいさんの顔をした蛇体の神様)
不明瞭だが、頭上の鳥居の中の
こんもりしたモノがそうだろうか…。
余談だが、サッカー選手の宇賀神の名字を見たときは驚いた。
何地方のどんな氏族出身か非常に興味ある。
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しかし、この大きな川のない舞川で
しかもこの水害もなさそうな高い土地で
なぜ弁財天なのか?
と、実際神社にいるときは思った。

しかし 帰って地図を見れば舞川は広く、
北上川に近い平地までもが舞川なのである。
それも、北上川が大きく湾曲した弧の外側。
洪水などで川が決壊すれば外側の方が被害は大きいだろう。
そして、管理人の行った地域は一関市街から見ると山だが
地形のわかる地図で見ると山あいの低地だった。

実際に災害が起きているか検索すると、
思いの外すぐにたくさんの記事がヒットした。
それだけ被害が大きかったということなのだろう。
具体的には、昭和のカスリン・アイオン台風。
2度とも磐井川が氾濫し市街地は被災。
カスリン台風では死者・行方不明者100人超え。
アイオン台風に関しては473人が犠牲になっている。

後者の方が氾濫時の水位は低かったようだが、
2年連続で台風に見舞われたために
前年の被害から復旧途中での被災であり、
また夜間だったことも被害拡大の要因かもしれない。
詳細は、参考にさせて戴いたこちらを読んでいただきたい。
伝えたい、あの記憶 - 一関市

こちらの画像は
岩手河川国道事務所さんのホームページから。
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この地図の「第3遊水池」あたりから下が
(画像には入りきらないが)舞川地区となる。
低地の周りに堤防を築き 氾濫をプールすることで、
被害が市街地に及ぶことを防ぐという方法である。

うーん、結局この弁天様は
水害が多い地域だからというより
水害の際に助かる場所と示す弁財天さんか?
それとも水害に見舞われていた地域から
合祀みたいな形でやってきたんだろうか?

前日に一回神社を下見して、
生き字引なおじいちゃんに聞いてみればよかった…
と後悔(´;ω;`)
ちなみに弁天様の近くに小さめの梵鐘があった。
災害用時の警報用か、純粋に仏教的梵鐘かは謎。


さて、管理人がそんなことをしていると
定刻になったようで拝殿の前に神輿が移動。
本殿→神輿へと神様に移動していただくのだろう。
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そうしているうちに準備を終えた鹿さんたちが、
太鼓の音とともに道を歩いて登場。鳥居の前に並ぶ。
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もともと門付け芸(寿ぎや供養のため家々を回って演じる芸能)
であるため、踊るときに歌う「舞い歌」のほか
その場所を褒める「褒め歌」というものがある。

相変わらず 完全には聞き取れないが
というか管理人は日常生活でも
人の言っていることを年中聞き違えているので諦めよう。

立った状態で始めに歌っているのは
「太鼓の調べきりりと締めてささらを揃え」
(調べ=太鼓の皮を張っている調べ紐のこと?)
つまり自分たちの仕度について言及しているみたい。
そして褒め歌は
「参り来てこれの(や)鳥居(を)見申せば
  二本柱は白金(しろかね)の
 笠(かさ)と貫(ぬき)には黄金(こがね)なるもの」
と聞こえる。違ってるかもしれないけど…

つまり、神社に到着してみたら
なんてすばらしい鳥居なんだろう!
って感じで褒めてるんですな。
管理人は殆ど神社以外で見たことがないので、
門褒め・家褒め・庭褒めなどは聞いたことない。
神社では この「鳥居褒め」が多いように思う。

本来は結構即興性を求められるものらしく、
昔、ある屋敷の家長が
「ちょっと仲立(シシのリーダー的な人)を困らせてみよう」
と褒めづらいような料理を出してみたり、
また武家の方は賜りづらいような刀や冠(だったか?)
をあげると言ってみたり…etc
みたいな記録が残っているらしいのだが
(それぞれ別の本に書いてあったような気が。出典忘れ)
いずれの場合も見事に即興で褒め歌を返され
一本取られたね、みたいな笑い話が多いようである。

さて、
それが終わると、いよいよ氏子地域への行列。
ただ登るのも(そこそこ)しんどい階段を
ゆっくりと注意深く神輿が降りてくる。
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階段もさることながら、この注連縄も難関っぽかった。
鳳凰がバサバサぶつかっている(;゚Д゚)
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さらに、神籬(ひもろぎ)・猿田彦・御供物と続き…f:id:ko9rino4ppo:20180425214148j:image
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道に出てからは法螺貝を持った方がその前に立っていた。
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階段は草履→道ではちゃんと高下駄になっていた。

その後ろに民謡流し的な方々が続き、
鹿子踊りがしんがりをつとめるというフォーメーション。
(民謡流しのBGMが、やや不調だった…)f:id:ko9rino4ppo:20180425214414j:image
鹿さんたちのそばにいたので気づかなかったが、
道に出てからは いつの間にか神馬ちゃんが合流していた。
鹿さんたちを見に来たはずが 馬愛がはみでて、
ストーカーのように神馬ちゃんの周りをウロウロし
あらゆる角度から写真を撮りまくる管理人。
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行列の休憩中、
馬を眺めてニヤニヤいている私に気づいたのか
馬を曳くお兄さんが 配られているジュースをくれた。
(子供だと思われたか?)
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前髪まとめてる!Kawaii!…ビニテ、取るとき痛くない?
そして目の上擦りむいてしまっている…。

飼い主さんらしきおじさんに話しかけると、
なんと「チャグチャグ馬コ」の先頭馬を勤めている子だとゆう。
草モリモリ食べてんのに鼻とか頤とか触りまくってごめん…
可愛くて つい(*´ω`*)

大きなおしり!きれいな模様!
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…そういうえば、以前 チャグチャグ馬コを見ていて
他の観光客の方が自分のお子さんに
「みてごらん、道産子だよ!おおきいね!」
と言っているのを見て訂正したい気持ちでいっぱいだったことが。
道産子じゃない!道産子は日本の在来馬で、小さいんだ!
ばんえい競馬の「ばん馬」と勘違いしていないか父さん!

道産子ちゃんは木曽馬や与那国馬などと同じ国産馬。
基本的に日本の在来馬はモンゴルの馬がルーツらしく、
体型もソレに準じている様な感じだ。
ポニーよりはスラッとした体型で、おとなしめ。
身体も強く扱いやすい とっても日本に向いた馬なのだ。

だが、北海道の開拓や産業の効率化を進め
更には戦争へと向かう時代が来た。
御上の意向で 馬匹の大型化が図られるようになり、
小型の馬である在来馬は去勢を余儀なくされ
一度は絶滅してしまったりもした。
(そして今も、天然記念物に指定されはしたが減少し続けている)

そんな流れの中、日本にやってきたのが
フランス生まれの「ペルシュロン種」。
ちなみに この子もノルマンディー地方出身らしい。
せっかく遠く東の果て・日本に来て、
地元に根付いてくれたペルちゃんたち。
現在はこうした祭事以外にはあまり仕事がないそうだ。

祭りを守るためには馬っこたちは必要で、
でも農耕も機械化され荷物もトラックな現代。
馬を飼っていることで上がる生産性と比べると
経済的な負担の方が上回ってしまうことがほとんどらしい。

普段乗馬クラブでお仕事している
アラブ馬ややサラブレッドたちですら、
結婚式場や歴史祭り的なものにバイトに行っている。

祭りを担ってくれている馬や飼い主さんのためにも
保護したり指定するだけでなく
良いお仕事が色々広がったらいいなと思う。
森を傷つけない 木材の馬搬とかね。
…ハッΣ( ・∀・)馬が可愛すぎて脱線した…

特に今回の祭りでは ここに寄ったりはしないが、
行列の途中にお寺さん発見。
曹洞宗の常川寺(じょうせんじ)さんというらしい。
山門前には石碑・石仏が何体かあった。
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表面が磨耗してしまい、
仏さんの種類までは判別が難しい。
(分かる人は分かるかもしれないが)
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そして、左側に小さめのお堂。
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中はこんな感じだった。
四角っぽい帽子をかぶった像がいくつも転がっている。
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仏様じゃないっぽいいけど閻魔様かな。
それとも、ほかの十王様たちも全員揃っているんだろうか。
(閻魔様が有名だが、地獄の裁判官は10人います)
そして真ん中には掛け軸。ご本尊様一尊の絵ではなさそう。
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13尊いらっしゃるので、おそらく「十三佛」。
亡くなった方が無事極楽へいけるよう手助けしてくれる
と言われている仏様たちだ。

そして池。棚田の名残みたいな自然な感じの池。
姿はよく見えないが大きい鯉的な魚が
たまに「ボシャッ」と虫を食べにあがってくる。
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季節も良かったのか、花がたくさんで美しい。
その花たちに囲まれて、道の脇に猟友会さんの鳥獣供養塔。
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曹洞宗なので、禅宗らしい彩色なしの彫刻。
でもかなり造りが細かくて素敵。
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さて、無事行列が終わった後
一行は舞川市民センターへ。
といっても学校の体育館レベルの大きさで、
管理人の町内の公民館とは全くレベルが違う。

そして広場に神輿を置き、
神職さんや氏子総代らしき人たちが集まっている。
御神輿を担いだ=厄年の方たちと神事をしているみたい。
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それが終わると、いよいよ鹿さんたちの出番!
(*´ω`*)
こないだ多摩動物公園では雌鹿隠しだったけど、
今回は…三人獅子?三人狂い?(←演目聞き逃したやつ)


菅原神社例祭(2018.4.21)


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相変わらずの跳躍力!
しかも今回は若シカさんが多く平均年齢低めらしく。
春の始まりにエネルギー補給できた!
この充電を使って来たるGWに備えるぞ!
(と書いているのはGW真っ只中。更新遅くてすいません)

動物園で、ししおどり。

先週末、多摩動物公園

【動物園×伝統芸能×NGO
日本の伝統文化のなかに生きる動物たち

というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。
実際伝統芸能を継承している人や
そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、
そして日々実際の動物に触れている人などを
パネリストとして招いたイベントである。
これは興味深い。

そしてなにより そのシンポジウムに伴い
シシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

誰も一緒に行ってはくれないが、
知っている方が踊るということもあり
ひとり動物園に挑むこととした。
(´・ω・`)マァ、イガイト ヘイキナモンデスヨ…。

*行山流舞川鹿子躍*

午後の部は13時から と分かってはいたのだが、
八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。
動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、
おもに宮城・岩手・愛媛に伝わっている。
え、愛媛?1つだけ離れ過ぎじゃない?
と思うかもしれないが、仙台藩主・伊達政宗の息子が
愛媛に封ぜられ宇和島藩主となったため伝播したのだそうだ。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍
(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。
岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りで、
ココの団体さんは鹿子躍と書いて「ししおどり」と読む。
流派や地域によって獅子/鹿/鹿子・踊/躍(り)と
表記にはかなりバリエーションがあるのだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、
どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。
現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、
猟師さんが関わる話が多いように思う。
というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり
シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。
だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、かの有名な宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では
 主人公の男は お百姓さんである。
 宮沢賢治が肉食を厭い菜食に努めたことなども関係あるだろうか…。

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、
盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり
墓前で舞われる地域もあるという。

難しいことは一旦さておき、実物を観ましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。
鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、
力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず
両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。
(管理人は幕踊りの中なら橋野鹿踊りがスキである)

今日見られたのは「雌獅子(女鹿)隠し」。
他地域の風流系獅子舞でも演じられる頻度が高い演目。

地域や流派によって筋書きは微妙に違う。
「複数のオスが1頭のメスをめぐって争う」
…という設定までは大体一緒だが、
「どちらかが勝って もう一方は負けてしまう」
という3匹獅子舞によくあるストーリーのほか
「一方が仲間を呼んで勝ち、もう一方も仲間を呼んで反撃」
という8頭で踊るものもあり。

今回は、解説のおねえさんによると
「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」
という 平和的(?)な話のようだ。

余談だが 我が群馬県前橋市粕川で見られる
近戸神社「月田のささら」の場合は、
オス同士が実際に取っ組み合いをしながら
周りで見ている観客に突っ込んでくるという…
臨場感200%の乱闘系雌獅子隠しである(笑)
参考までに過去記事貼っておきます。いい祭りです。
http://tomanosu.hatenablog.com/entry/2016/08/31/221500

 

*ささらのこと*
さて、管理人は群馬県民なので
一人立ち(1人が一頭を演じる)&太鼓系
という獅子舞が多く シシ踊りにはあまり違和感はない。
しかし、初めて見た時に衝撃を受けたのが
背中に付いた「ささら」↓である。
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管理人は獅子舞やシシ踊りを見ながらひそかに
「ササラほど定義が曖昧なものも中々あるまい」
とよく思っているのだが、
掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。
切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。
(埼玉の三匹獅子舞ではよく楽器としてのササラを見る)
支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。
(これは飯舘の三匹獅子舞などで見られる)
細い板状のものを連ねて音を出す
びんざさら・こきりこささら等も勿論ササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、
どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは
「稲穂が擦れ合う音」を表す楽器だったという話がある。
また割竹を紙で飾ったモノも 形状は結構違うが、
「千穂竹」と呼ばれ稲の豊作を連想させる名前だ。
少しだけ統一感が見えてきたか…?

そう考えると
冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、
死んだ者への弔いだけではなく
生ける者の世の五穀豊穣も願われているのかもしれない。
だからこそ、狩猟文化の中で生まれたと思しき踊りが
広く稲作を行う人々にも愛されたのではと感じた。

ササラに関して、もうひとつ。
シシ踊り自体に 弔いや供養という
この世からの「送り」方向の願いがある一方、
舞川鹿子踊のように天へ向かって伸びるささらは
カミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられている。
つまりカミを「迎える」方向の願いも背負っているのだ。
※一般に神籬とは、通常カミのおわす場所(神社など)以外において
 例えば野外での神事をする場合などに一時的に神様の依代となるモノ。

お迎えするのは、どのような神様なのだろうか。
鹿に扮し 自らが鹿のカミの依代となって踊るのか、
それとも ササラで地面を打ち、清めるため
ササラに力のあるカミを呼び力を借りるのか。
はたまた あの世とこの世が繋がるという盆に踊るなら
カミになった祖先たちが下りる場所を見出しやすいよう
祖先たちを迎える目印として踊るのか。

考えるばかりで本当のところは分からない。
おそらくシシ踊りが始まった当時と比べれば、
観る者・踊る者 その他様々な人たちの願いを纏い
込められた願いや意味も重層化してきているとは思う。

*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながら
シシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。
カシラから垂れている布を「前幕」「幕垂」と呼ぶのだが、
たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲んでいる。
これは「九曜紋」といって仙台藩主・伊達家の家紋。
芸能推進派ではなかった伊達の殿さまだが
「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」
とシシ踊りを踊ることを許可してくれたそうで。
藩主の家紋=許可証 のような意味があるのでは
と聞いたことがある。
なので、シシ踊りの幕垂には
九曜紋を染め抜いてあることが多いのだという。

下の写真(真ん中の鹿さん)を見ていただくと、
調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)も
井桁つなぎ(線路のような模様)の中に九曜紋が見える。
画面右端の鹿さんは、調べ隠しの柄が「つなぎ輪違い紋」。
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輪違い紋は 完全に重なることも 離れることもない様子から
仏教の金剛界胎蔵界を表しているとか
切れることなく連綿と続き縁起の良い柄だとか
色々な意味があるらしい。
舞川鹿子踊の装束ではどんな意味なんだろうか…。

そして腰のあたりの四角い布
(手前の鹿さん↑が付けている日の丸扇の柄のヤツ)は、
袴の上から四角い飾りをつけているように見えるが
実は袴(大口袴)の後ろ部分が変形を遂げたモノ。
つまり、袴の一部。

その上にもう一つ綺麗な布が重なっているが、
この頭から足首まで垂らしている鮮やかな布は、
管理人が知る限りでは「ながし」と呼ばれている。
例えば上の写真手前の鹿さんのは蓮の花や三鈷杵など
仏教的なテーマの絵が描かれているようである。
こういうところを見るとやはりシシ踊りも、
仏教とか念仏踊りの影響は強いのだろうか。
(地域によっては、同じく念仏踊りルーツの剣舞と併せて踊られたりするらしい)
その他、 龍や獅子、和歌など「ながし」の主題は様々。
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ちなみにながしのフチの色は大体みんな赤だった。
中立(ナカダチ)という中心的存在の鹿と女鹿の2頭だけが群青。
(どの流派もそうという訳ではない。地域によって装束は結構違う)
そしてこの綿の入ったフチ部分は
最後 長い紐状に余っている(?)ので、
それを頭の上で「華鬘(けまん)結び」にしている。
カシラの上の赤い部分がそれだ↓。
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この角度では全然見えないが、
真後ろの上のほうから見ると中国の飾り紐のようで美しい。
(多分画像検索とかで見られるので見ていただきたい)

全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、
見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!
しゃがんでいる状態から中腰になっただけで
動悸がしている管理人には到底たどり着けない境地だ…。
(´・ω・`)
最近あまり山奥や湿原に入らないので
鹿というのは夜にしか出会わなくなったのだが…
(夜なら会うんかい!とツッコまれそうだが、近所の山道沿いに鹿でる)
テレビなどで見ると軽やかなジャンプも
自分の半径2m以内でやられると迫力があるものである。


*人と獣とについて考える*

さて、衣装についていくつか話したが、
太鼓系のカシラの角はホンモノの鹿角のことが多い。
それも、立派に三又に分かれたもの。
また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。f:id:ko9rino4ppo:20180323235624j:image
どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。
これらを身に着け、首を振り、跳ねまわり
太鼓を打ち鳴らして、ササラで地面を打つうちに
動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。
管理人はそんな風に思っているのである。

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも
「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が
「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ
人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ。

そして宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で
野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が
自分も鹿になったような心持になり
鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、
鹿が人のような感情を持って野に在る様子を
人が鹿となって躍る芸能だと思う。

そこには、行き来が可能な
つまり動物として同等な人と鹿がいると思う。
その関係を都会に住む人が想像するのは難しいだろうか。

動物は人間から餌をもらい
人間が入れておきたいと思う時には籠に入れる。
自由に歩き回れる動物はよく慣れているものだけ。

そんな世界から一歩出て、
一匹の動物同士として一対一で出会うとき。
と思い出してみる。


*イノシシ遭遇事件から考えること*
 (かんがえごとと妄想です)

当の本人にとっては笑い事ではないのだが、
管理人は馬に乗る人間なので
山に近い厩舎に通っている時期があった。
早朝に馬にカイ(ごはん)をやろうと屋外の倉庫へ行くと
今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと
鉢合わせてしまったのである。(朝食を探しに来ていたのだろう)

イノシシは肉食獣ではないが、
危険を感じれば突進してくるし
どういう訳か人に噛み付く動物である。
柴犬程度のイノシシにぶつかられただけで
すねの骨にヒビが入ったおじいさんを知っているので、
こんな豚より大きいみたいなイノシシ無理だわ。
と結構冷静に考えた思い出がある。

「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」
という可能性がある状況で、
どう出てくるか相手を注意深く見ているはずなのに
相手から見えている自分を見ているような
変な気持ちになったのを覚えている。

力関係が逆の立場で
これから鹿を撃とうとする猟師さんも
鹿を通して 鹿を撃とうとしている自分とかを
見たような気分になったりするんだろうか。

それとも生命の危機を感じている側だけが
「自分が相手ならどう出る?」「どうにか助かろう」
と解決策を考えるために用いる感覚なんだろうか。

もし相対する二者に共通の感覚なら、
狩猟を日常的に仕事にしている猟師さんたちは
結構な頻度で鹿との入れ替わりを体験していることになる。
そう考えたら、
単に鹿を弔う踊りだから鹿の格好をする
というよりは
最後の瞬間互いの中に入り込み合った相手を
つまりは一瞬自分であったモノを弔うために
躍るあいだ 相手(と同じ立場のもの)で在ろう。
という感覚…とかあったりするんだろうか。

なんだか複雑なことをゴチャゴチャ言ってしまったが、
すべてはイノシシ事件に起因する妄想である。
(=゚ω゚)ノ


*日本人の供養観*

前に、お盆か何かの記事で書いたような気もするけど
ちょっと思い出せないのでもう一度書こうと思う。
日本の供養というものの捉えられ方というのは
他のアジアの国とちょっと違う感じなのだ。
なんとなく、「弔う」と「供養」って同じような
死んだものをねんごろに悼む
みたいな意味で使われていないだろうか。

中国での「供养」は
神仏や祖先に対し「御供えして養う・祀る」という
文字通りというか本来の意味が強いようだ。
さらに驚いたのは、
生きている老人や配慮が必要な者に
「力添えをしたり貢いだり、食わせていく」
という日常的な意味もあるというトコロ。

また インドの「プージャー(供養)」は
カミサマなどに香や食べ物などをお供えして
お迎えし→丁重にもてなし→帰っていただく
という形式が取られることが多いだけに
その対象は良いものも恐ろしいものも
神や鬼神など信仰される存在であることが多い。

そこに来ると日本の供養というのは、
人や動物のみならず針や包丁など
日常的によく使う無機物にまで及ぶ。
なんというか、日本の供養は水平線上だな。
とよく思うのである。
国外の供養は神様や祖先とか
なんとなく「上」に向かって営まれている感じ。
でも、日本のは 崇めまくり目線でもなく、
かわいそうに。救ってあげる。
みたいな上から目線でもない感じがする。

そういう、垂直軸でなく水平軸な思考が
人と動物の「境が曖昧な」関係のモトなのかもと思った。

そんなところで今回も、
まとまりなく&唐突に〆ますー。

みなさん、もうすぐ4月ですね。
4/4は、シ(4)シ(4)の日ですね(*'▽')♡
※今一人で勝手に制定しました
シシ踊りは主に宮城・岩手の民俗芸能とお話ししたけれど、
獅子舞の中にもシシ踊りのように1人が1匹の獅子になるものがあります。

「1人立ち」の獅子舞と言われるもので、東日本に多いようです。
意外と地元にもあるかもしれないですよ?
奇祭や華やかなお祭りは TVにもよく取り上げられるけど、
ぜひいろんな情報源からシシ情報を吸い込んで
お気に入りのシシ芸能を見つけてみては!
(どんな過ごし方やねん。平日真っ只中やぞ)

カミの通い路、御神渡り。

2018年、節分すぎに5年越しの御神渡りが出た!
と聞いてから幾日が経っただろうか。
今すぐにでも見に行かねば!という気持ちのまま、
土日に研修が入ったりなんだりという災難(?)に巻き込まれていた。

 

諏訪への道

今週こそ行くぞ!
と思い立った週の中頃 長野に住む知人から連絡が。
「きみは御神渡りを見たか!」
そう頻繁に連絡を取るわけではない方から
このタイミングで こんな連絡が舞い込むなんて。
これはもう御神託と言ってしかるべきであろう!
(いや、神様じゃなくて知人からの連絡だけど)

朝に晩に昼休みに 諏訪の気温をチェック!
どうか私が会いに行くまで溶けないで…(ノД`)・゜。

そんな1週間を終え、金曜の仕事終わりでそのまま駅へ。
新幹線に乗り、長い 長い 篠ノ井線に揺られ…
この時間を利用して寝ようと考えていたのに
不思議なおじいちゃんに一時間以上話しかけられ続け…
とにかく着いたぞ!諏訪!
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御柱を曳いた縄!ヨイサー(/・ω・)/!
そして、下諏訪には何回も来ているはずなんだけど
なんか今回衝撃を受けたのが
改札にあった「万治の石仏」のプチレプリカ。
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え…。こんなん前もありましたっけ?
※調べたら2012年からあるようです。御柱に夢中で前回気付かなかっただけか…
とにかく、この日はさっさとネットカフェに赴き
早起きに備えて明日への英気を養うことに。
だってせっかく御神渡りというスペシャルな状態を見るなら
まずは超キレイな朝焼けタイムに見たいのだ!
(勿論、昼も夕方も見ます)

 

御神渡りを拝む

というわけで一夜明けて、諏訪湖に向かって出発。
諏訪に来るたびに会っていたけど、冬に会うのは初めてだ!
とドキドキしながら歩いていくと…

ふぉおおおおお(* ゚Д゚)!
今日も諏訪湖が美しい!
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凍ってる!ホントに凍ってる!
しかも天気に恵まれて富士山まで見える!
そのまま諏訪湖沿いに歩き、勧めてもらった赤砂岬へ。
岬から左を見ると「高木」方面へ伸びる亀裂。
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右を見ると、亀裂は「小坂」のほうから伸びている…
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本当に、うねるような軌跡だ。
絶対コレ見た昔の人「お諏訪さまは大蛇に違ぇねえ」ってなったはず!

ココから見ただけでは、
「小坂のシタテルヒメ姉ちゃんが弟嫁に会いに行った軌跡では」
と思ってしまうような亀裂の走り方だが、
湖畔に張ってあった御神渡りマップを見るとその全貌が分かった。
(分かりやすいように文字を加えさせていただきました)
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下座は「くだりまし」と読み、神様が湖に入った場所。
反対に上座は「アガリマシ」と読み、湖から上がった場所。

今いるのが赤砂なので、
一枚目の写真がアガリマシに向かう道。
二枚目のは、小坂から来たように見えたが
タケミナカタさんは小坂方面で諏訪湖に入ったのでなく
「すわっこランド」のあたりから諏訪湖に入り
お姉さんの居る小坂(小坂鎮守神社)方面にふらっと寄って
赤砂岬をかすめて下社のヤサカトメに逢いに行った…。
みたいな形の御神渡りである。

ちなみに「一之御神渡り」というのがメイン的な感じで、
初めに現れた南北方向に延びる亀裂のこと。
諏訪湖の下のほうに青線で示された「二之御神渡り」というのは
一之御神渡りと同じ方向(南北)に走る亀裂のこと。
古くは「かさねての御渡」とも呼ばれたそうだ。

今回は一之御神渡りがV字のような形なので
同じ方向に走っているかはわかりづらかったかもしれない。
結構短く、しかも上川が流れ込んでいるので
管理人が見に行った週には 既に溶けてしまっていたが…。
年によっては一之御神渡りと同じくらいの距離割れたり
綺麗に南北方向の亀裂が2つ入ることもあるようだ。

 

御神渡りをめぐるカミサマたちの話

ちなみにアガリマシの近くにペロッと出ているのが
「佐久之御神渡り」。
定義としては「一、二之御神渡りに交差するもの」だとか。
つまり東西方向に延びる第三の(?)御神渡りである。
佐久市にある新海三社神社のオキハギ(タケミナカタJr.)が
湖上を歩む父に会いに来た跡とも
小坂鎮守神社に居る姉に会いに行く跡とも言う。

ただし、日本神話で語られる系図を考えれば
小坂鎮守神社に居るシタテルヒメ
地祇・オオクニヌシと 水神・タギリヒメの子。
そのオオクニヌシ諏訪大明神タケミナカタの父でもある。
(めちゃくちゃモテるから奥さん何人もいる)
なので、新海三社から「姉に」会いに来るとすれば
オキハギとともに祀られているタケミナカタではないか。

オキハギが伯母・シタテルヒメの弟となるには、
タケミナカタはタギリヒメ(つまり異母姉妹の母)を妻に
ということにならないと成り立たない。
オキハギはヤサカトメとタケミナカタの子だというし、
タケミナカタと荒船の貫先神の子 説もあるが(; ・`д・´))
いくつかの伝承が混ざっていつの間にかそう伝わったと思いたい。

しかし、管理人は誰が誰の姉とか子とか細かいことより、
「昔の諏訪に住む人々は この夫婦神から
 養蚕や稲作など多くを学び共に暮らした時期が長く
 タケミナカタとヤサカトメ双方のことがとても好きだった。
 喧嘩して別居した二人をいたく心配していたが、
 御神渡りを見て(夏も通っていたが、御渡ができて村人にバレた)
 タケミナカタが別居後も下諏訪へ通い続けていたことを知り
 みんな 安心したし嬉しかった」
という話が好きだ。

美しいヤサカトメのことが大好きで 喧嘩したのは後悔してて、
でも通ってるのが人間にバレると恥ずかしいから…と
夜に舟を出して諏訪湖をコッソリ渡る姿。
「いつも威厳と生きる知恵を与えて神様らしくしていなきゃ!」
みたいな「神様の見栄」を張ってしまう可愛らしささえ感じる。
もう完全に妄想だが、
様々な知恵を与え 既に村人に慕われているのに
「バレたら村人に笑われちゃうんじゃないか…」という自信の無さ。
九州方面から逃げ伸びて新しい土地に住むと決めた神様の
「まだ完全なホームとは思えない」というような心細ささえ垣間見える。
なんだか余計、お諏訪さまが好きになれる民話である。

かなり様々な話が伝わっていて、
話によっては家を飛び出したヤサカトメから
諏訪湖の上が歩ける時だけ来ていいわよ」
「来てもいいけど一年に一回だけよ」
みたいな条件が出されるパターンもあるらしい。
ともあれ今年もタケミナカタさんのヤサカトメ愛は
バッキバキに絶好調である( *´艸`)
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それにしても
別居されるほどの喧嘩をする「些細な事」っていったい何なんだ。
浮気か?秩父の妙見ちゃんか、荒船の貫先ちゃんのことなのか?
(どちらも養蚕や織物にまつわるカミサマなのが気になる)
ともあれ、朝の御神渡りを心行くまで観賞したので風呂へ向かう。
まだ朝の6時だが、本日目指すお風呂はなんと5:30からやっているのだ。

 

下諏訪の温泉へ

何を隠そう下諏訪は至る所お湯だらけ。
駅前にもホカホカしたモニュメントがある。
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そして下社の程近く。
実家が風呂工事中で2日入れていなかったので
水道水の銭湯でもありがたく戴けるような気持ちだが…
折角なのでコチラで。
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下社秋宮の近所にある、旦過(たんが)の湯!
仏教に詳しい方は旦過という単語をご存知なのだろうか?
(管理人は調べるまで全く知らず…)

禅宗の修行僧のことを「雲水」というが、
自分の実家などの寺を出て修行用の寺に赴いた雲水さんは
初めに庭詰というものを行うとされる。
「玄関先で入門を乞うが断られ続け それでも乞い続ける」
というものだそうで数日間玄関先に居ることになるとか。
この時に寝泊まりに使う部屋が旦過寮だそうだ。

庭詰が終わると課されるのが旦過詰。
庭詰のときに泊まった小さな 満足な灯りもない部屋の中で
寝食以外はひたすら坐禅を組み続けるらしい!
コレをクリアしたら、そこで初めて入門が認められる。

旦過寮は永平寺総持寺のモノが有名らしいのだが、
長野もかなり仏教色も濃い土地である。
まぁ言わずもがな信州で一番有名な寺は善光寺だろうが、
この下諏訪にある有名な寺といえば「慈雲寺」。
下社春宮の鬼門を守るために、大祝・金刺氏が建てたお寺。
(勿論、開山したのは金刺さんではない。建長寺の住職さんだ)
このお寺は曹洞宗 つまり禅宗の寺で、
その雲水さんのために開かれた旦過寮が旦過の湯のモトだとか。
現在は建物もキレイで温泉ホカホカ~♪な感じだが、
実際に寮だった頃は やはり厳しかったのだろうか…。
ちなみに諏訪周辺には武田信玄公関連の温泉が山ほどあるが、
慈雲寺・旦過の湯ともに信玄公の庇護厚く、
特に温泉は「切り傷にも効く!」と武士たちも訪れたとか。
現在は脱衣所や浴場は地元のおばあちゃんだらけ。
「おはよー」「おつかれさまー」「お先ー」と挨拶を交わして
なんだか部活の朝練に来た女子高生の部室みたいだな。
とちょっと楽しくなった。

公衆浴場としてはお安く、
大人 230円と(首都圏の銭湯に比べて)かなり良心的。

そして、驚くべきは その泉温。まさかの58℃だという。
もちろん湯船の湯は水でうめてあるが、
それでも44℃と46℃の2択。あ、あついΣ( ゚Д゚)!
寒い中歩いて目は覚めていたつもりだが、
さらにもう一段階 目が覚めそうなパンチのある熱さだった。

数分後に入ってきた 地元のおばあちゃんが
「あらぁ、若い人には熱いでしょ。露天の方がぬるいよ」
と教えてくれたが、その頃には体は温まりきっていた。
(もう少し早く来てほしかった…)

後で調べて知ったのだが、
この旦過の湯 下諏訪一熱い湯なのだそうだ。
地元のおばあちゃんたちは平気で46℃に入ってはいるが、
お湯に触れていた部分だけクッキリと赤くなっていた。
いくら切り傷に効くとはいえ、傷がある状態で入ったら
目が覚めるどころではない激痛なのでは…。
まぁともあれ久々のお風呂な上 急速に体が温まり、
清潔感とか体温とか いろんなものが回復。
身も心もスッキリした状態で神社へ向かうことができる!

もう長くなってしまったので、
この後に行った神社はまた順次…!
↑さばくのが間に合っていない(´・ω・`)

*おまけ*
この後に行った上諏訪も、
間欠泉が見られるところや宿など温泉関連の施設が多い。
そして、上諏訪駅はなんとホームに足湯が!
入浴を終えて上諏訪に着いたのが8時だったのだが
残念ながら足湯は9時(いや、10時だったか?)からだそうで入ってみられなかった。
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御篝神事で、バーニング節分。

前回は下見ということで桐生賀茂神社を訪れたわけだが、
今回は「御篝神事」本番である。

毎年2/3(節分)の夜に行われるというが、
夜とは一体 ゴールデンタイムなのか深夜なのか?
桐生市役所に確認したところ、
メインとなる「火投げ」は午後19~21時ごろ行うとのこと。
良心的な時間でよかった…。

そして、その前に氏子さんたちは18時ごろから
①人形(ひとがた)に名前・生年月日を書き
②体の悪いところに当てて人形に災厄を移す
③人形と氏子さんが一緒にお祓いを受ける
④豆まき
⑤境内中央に積んだ浄薪に御札や達磨なども乗せる
⑥点火
という流れで火投げを迎えるのだとか。

なんとゆうか、
小正月に行う「どんど焼き」的な⑤と
④の豆まきが組み合わさっているという不思議な行事だ。
ということは、この地域は1月にはどんど焼きはしないのか?
とゆう疑問が湧いてくる。気になる。いや、まぁ各家庭ではやるのかな。

最初から見たかったが、少々出遅れた。
神社に近づくと、
鎮守の杜の上空に巻き上がる火の粉が見える勢い!
前回の写真を見ていただければ分かるように、
鎮守の森がそんなに小さいわけではないのだが…。

車を停め、鳥居をくぐると
想像をはるかに上回るバーニング具合だった。
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水しぶきの如く 火の粉が吹き上がっている!
寒さに備えてコート下に着るウル◯ラライトダウンと
裏起毛のジョギング用ズボンを用意していた管理人。
しかし、炎の勢いが凄すぎて寒さはほぼ感じず。

そして なんとなく
「火を投げ合うとは言え 束ねた藁的なモノだろう…」
と勝手に想像していた管理人。
しかし、いざ見てみれば50cmはあろうかという棒ではないか。
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↑このガンガン焚いている火に、どんどん棒をくべていく。
そして、氏子さんたちがその中から
イイ燃え具合のをチョイスして持っていくシステム。

ああ、そういえば説明書きにも
「火を付けた薪」って書いてあったかも…。
そんなもの投げたら危ないだろうという勝手なバイアスで、
薪→藁に脳内変換されていた…。

さて、なぜ火を投げ合うか気になるところだが
実は詳細な起源は分からないらしい。
しかし「賀茂神社傅承記」という文政十三年(1830)の書物で
既にこの神事について記載されていることから
遅くとも江戸時代には行われていたと考えられているとか。
参考:桐生市ホームページ「御篝神事」(H28/7更新),
< http://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/event/1010673/1001900.html >

戦後に一旦は途絶えたというが、その後に復活。
現在は保存会などもでき安定した運営が行われているそうだ。

というわけで、まずはどんな様子か動画をどうぞ。


2018.2.3 御篝神事


1クール(?)3回以上投げるので、
意外とシャッターチャンスはあるのだが…
今回初めて夜間撮影用アプリを使って撮ったので
なかなか調整がうまくいかず。
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↑他の人のフラッシュで漁夫の利な撮影。

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↑ボウリングの如く美しいホームで薪を投げるおじさん

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まぁトイカメラでお遊びをしたような写真だが、
少しでも様子が伝わればとゆうことで一応載せてみる。

そんなことをしていたら、
対面に立っていた氏子さんの薪が大きく弧を描き
管理人から1mほどの場所でカメラを構えていた方に命中。
大きなカメラのおかげでケガは免れたように見えたが、
御篝神事、恐るべし。

その後も、すぐそばで火を回していた氏子さんの薪が
前方でなく後ろに飛んでくる案件などが発生。
(手を離すのが遅すぎたんだろうか)

先日の下見の際にはひっそりしていた拝殿も、
平時はポッカリと広い境内も、今日は人であふれている。
ワケイカヅチさんも喜んでいるだろうか。
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氏子さんによると
終わる時間は「火の燃え加減次第」とのこと。
どうやら火力が強いと時間が短いらしい。
今回は20時ちょっと過ぎには終わったので、
火力が結構強かったということだろうか…。

火投げが終わると
氏子さんたちが浄薪を囲んで三本締めをし、
御篝神事は無事終了となる。
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さぁ、遠足は帰るまでが遠足。ここで全てが終了ではないのだ!
鳥居の外に消防車が待機していたので
「万が一のために待機しているのかな」と思っていたら、
火投げが終わった後 境内に入って来た。
そして、薪を差していたドラム缶を浄薪のそばへ寄せ
火のついているモノを1ヶ所に集めたのち、全力で放水!
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煙が朦々と立ち上がり、大火事の現場さながらである。
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な、なんてゆうか消防士さんが放水してる現場初めて見た。
近所で火事は何回か起きてるけど、
ここまで消火活動をちゃんと見たことはなかった…。
こんなすごいホース2本がかりで水をかけまくっているに、
一度燃えた薪というのは意外といつまで消えないもので。
かなり長い時間放水が行われていた。

火の粉もだいぶ飛んでいたため、
燃えていたものだけでなく境内の木の枝にも放水。
「建物当てないように気を付けろよ!」
と隊長(?)的な人が声をかけたりしながらやっていた。
確かに、あの水圧が神楽殿に当たれば
彫刻の一つや二つくらいは吹っ飛びそうだ。

かなり入念に放水し、境内はビッチャビチャである。
明日の朝全部凍っているのではと思うと恐ろしいが、
無事に火も消えたようで全てが終了。

ちなみに、火が燃えているうちは暖かく
火投げのインターバルには見物人も注連縄の中に入り
ボーボー燃えている浄薪の火に当たることができる。
が、この消火活動を見守っている時間は寒い。
さすがに火が消えれば冬の桐生が寒くないはずないよね。
終了後は、超震えながら岐路に着く管理人だったとさ。

今回の御篝神事に限らず、
湯かけ祭りとか春駒とか 独特な祭も多い。
なんか最近よう雪も降るけど、
信越や東北に比べたらイージーモードなので…
是非来年の冬はグンマーの祭事を見にきてね。
(*'ω'*)

田立の花馬、300周年。

最近海沿いが多かったけれど、
やっと山間部だよー。元気が出てきたよー。
とゆうことで10月1日、長野県南木曽町田立に行ってきた。
(すみません、半月くらいモタモタ記事書いてました)

 

花馬について

祭り好き&馬好きな管理人には堪らない、
おうまさんの祭りである!
しかも、今回は何気なく行ってみたら
偶然にも300年記念祭とゆうスーパーラッキー!
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300年前って言ったらアレだ。
だいたい 吉宗が将軍に即位して、
大岡越前が江戸の御奉行様になった頃。
そう具体的に考えてみると なんだか圧巻ですな。

そんな花馬祭りだが、一体何のお祭りか。
簡単に言えば豊作や家内安全を願う祭りである。
そして、こちらが主役の「花馬」ちゃん。
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この鞍に付いた無数の「花」は、
竹を割いたものに色とりどりの紙や札を付けて作られる。
公益財団法人 八十二文化財団さんHP(http://www.82bunka.or.jp/
に「花は稲穂を表し365本」と書かれていた。
リンクを貼ったトップから「田立の花馬祭り」を検索しても
この祭礼の概要については情報が見られるのだが、
「信州の文化財」→「ふるさとの文化財を守り伝える心」のページに
「Vol.19 花馬の歴史とともに」という記事もある。
実際運営に携わる方の話す様子が書かれているので是非!
※リンク先として設定するURLはトップページのみ許可されているとのことで、
 このような形で記載させていただきました。

記事にもあるように、花馬を担当するのは
木曽を中心に飼育された在来馬・木曽馬。
以前 木曽馬に乗りに行ったことがあるが、
ポニーより落ち着きがあり
サラブレッドより気候の変化に強いという。
小柄で愛らしい馬である(*´ω`*)

駅前での待機タイムに、
近所のデイサービスか老人ホームから
車いすに乗った御婦人方が来て花馬と記念写真撮影会。
花馬は匂いを嗅いだり 袖を口でモシャモシャしたり、
おばあちゃんたちに興味津々である。
おばあちゃんたちも「近くで座って見ると大きいわ!」
など ちょっと緊張しながら楽しんでいる様子だった。

ちなみに、日本全国には木曽馬のほか
南国の宮古馬・与那国馬、北国の道産子
元寇の際に活躍したと言われている対馬馬(対州馬
在来馬の中でも小柄な野間馬、トカラ馬
いまもほぼ自然のままの姿を見ることができる御崎馬
など現在でも出会える在来馬が存在する。

モトは小柄で温厚で日本の風土に合った馬であり、
農耕のおともとして生きてきた馬も多かった。
しかし、戦争がはじまると日本は
洋種のような「大きな馬」を作ることに力を入れ
在来種たちを増やすことに制限がかけられた。
そして 日本が直接的に参加する戦争が終わった後も
農作業は機械化の一途をたどり農耕馬は姿を消したという。
いまや、こうした在来種は
「貴重であり残していきたい種」でありながら
彼ら自身に「お仕事」が少ないので
飼育費を賄っていくのはなかなか困難だという話も聞く。
サラブレッドやアラブ馬などの洋種に関しても
「競馬のために量産されている」という現状があり、
 勝てなければすぐに競馬界から放り出されてしまうらしい。
 そんな中で乗馬馬の祭参加は多少なりクラブの収入源
 さしてはお馬が生きていくための資金となるので
 乗馬をやっていた者としては在来種オンリー推しでは
ないのだが…。

まぁそれはさておき、花馬たちは 田立駅を出発したら
徒歩10分ほどの五宮神社までゆっくり練り歩く。
田立は中央本線の駅で神社までも近く、
祭自体も 昼の12時過ぎから14時半ごろまで。
県外の方にも優しい祭である。

行列が始まると、
五色の幟を先頭に 笛 太鼓 その後に花馬たちが続く。


田立の花馬祭り 2017.10.1


鞍につけた土台に無数に刺さっているのが「花」。

1頭目の花の真ん中には 神籬(ひもろぎ=神様の依代)、
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頭目には太陽自体やその化身を表すという菊、
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頭目が南宮神社の紋である月の幟旗を付けているという。
日月紋と書いてある説明もあるが、
日月紋って満月と太陽(つまり両方欠けの無い円)が
だったような気がする…。
この幟旗を見る限り、新月紋に見えるけどなぁ…。
まぁこれはまたあとで考えよう。
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普段はこの3頭での行列となるのだが、
今回は300年記念のためか1頭増量されていた!
花馬ちゃん×4頭での行列でラブリー増し増し!
(*'ω'*)タマラン~♪
駅から行列が出発すると神社でも準備が始まる。
五宮神社は拝殿自体が装飾や彩色の少ない木造だが、
そこに赤みを帯びた瓦が葺いてある。
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背広を着た男性たちが拝殿に所狭しと座り、
神職さんが巫女装束を着た子たちを伴って神事を開始。
行列が境内に到着すると、
神職さん&小さな巫女さんたちも社殿から降りて合流。
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その後ろに行列が付き従うようにして 境内を3周する。
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ちなみに、管理人はあまり見たことが無かったが
ココの太鼓は自分で前に付けて叩く「三匹獅子」方式でなく
なんと「前の子の背中につけたの↓を後ろの上級生が叩く」方式!
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そのあとにワサワサと花馬たち。
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境内に所狭しと並び五色の幟がたなびく様子や
行列の合間合間から
馬の背で揺れる花が見え隠れする様子は美しい。

何よりこの祭で「祭らしい」と思ったのは、
この境内に地区住民が集まることで
色々な「見えない紐」的なものが見えるような気がすることだった。

介護が必要になって
自力では外に出歩けなくなったおじいちゃんが、
車いすに乗ってヘルパーさんと神社に来た。
昔の仲間と思しき 他のおじいちゃんたちと話し、
孫が行列する姿を見に来たおばあちゃんたちに囲まれ、
「なんだよもう、めっきり見なくなって。久しぶりだね」
「昔っからすぐ〇〇さんの周りには綺麗どころが集まるな!」
と話しかけられて みるみる笑顔が元気そうになっていく。
介護の仕事をしていた管理人としては嬉しい瞬間である。

お母さんともだちか、互いに母になった同級生か
「□□さんちは?何人衣装着た?」
「うちはもう全員よ。上も下も」
「じゃあその年は子供が少なかったのかなー。うちは1人」
「それがもう全員仕事して家出たんだもんねー」
娘さんは今どこで 働く女性になっているんだろうか。
花馬は、時間の紐も人の紐も結んでいく。
境内で様々な会話を耳にして、そんな風に感じた。

祭というやつは 神輿・山車とかでなく
神事やモノ、コトを見に集まっている地元の人自体が
祭の真価かな…と感じる時がある。
時間も短く規模は小さいかもしれない花馬祭りだが、
そういう意味では良い祭だなぁと1人でウルウルしていた。
管理人ももうアラサーなので涙腺がユルいわ。
(´・ω・`)

さて、ここまでは のどかでまったりとした祭なわけだが…
行列が境内を3周すると ついに「花取り」が始まる!
境内いたるところにある この張り紙。
フライングゲット禁止令。
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…これ「待て」って命令形で書いて
あとで「っ」足してないか?(笑)
命令したくなるほど激しい取り合いなのか?
と思って成り行きを見守っていると…


田立の花馬祭り2017.10.1(花取り)

花馬たちが境内中央に整列すると、
合図の太鼓が鳴るが早いか
人々が猛然と馬に付いた花をむしり取る!
まさにむしり取るという表現が相応しい気がする!

別に毛とかをむしられるわけではないが、
屈強なニンゲンたちが猛然と走り寄り
何がなんだかわからぬうちに取り囲まれて
鞍についている何かをバリバリもぎ取られる…。
馬にしてみれば恐怖でしかない。
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嵐が去った後の馬はと言えば、
当然ビビりまくりで跳ね回っている↑
よしよし。かわいそうに。
ちなみに、今回4頭目も花を付けているが
花取りには参加せず後ほど地域の方に配るのだとか。

*五宮神社について*
さて、その舞台となる五宮神社だが
境内の説明板によると名前の通り
下記の5つの神社が合祀されてできた神社であるという。
南宮社・八幡社・太平社・熊野白山神社神明社
このうち、神明社以外の4社では
合祀前から花馬祭りが行われていたという話だ。
なかでも1762年には大旱魃が起き、
雨乞いのためになんと12頭の花馬が行列した記録があるとか。
(毎年3頭と決まったのは合祀された1908年かららしい)

現在 神社があるは、
合祀前の5社のうち「南宮社」があった場所である。
「南宮」という名前から想像するに
岐阜県不破にある南宮大社からの勧請だろうか。
その場合、祭神は製鉄の神・金山彦の可能性が高い。

鉄は その普及まで力を振るっていた青銅器より強く、
鉄器を早期に導入した軍は向かうところ敵なしだったともいう。
(不破という地名も「戦に破れ不(ず)」から来ていると言われたりする)
鉄が普及した後も製鉄に携わる職人のみならず武将の信仰も厚く
かの有名な木曽義仲も戦勝祈願や城付近の産土神として
南宮神社を勧請したと伝わっている。
地理的にも、同様の戦勝祈願で建てられた神社だろうか?

祭神が金山彦だとすれば神紋は「巴」のハズ…
だが、幟に描かれた神紋は「月」である。
(説明には「日月(じつげつ)紋」とある)

どういうこと?日月紋は天皇家しか使えないのでは?
…と調べてみると、
「かつて後醍醐天皇の息子が足利尊氏との戦において
南宮神社に戦勝祈願をし その折に家紋を賜った」のだという。
彼の名前は宗良親王といって 和歌の世界で有名な人物。
なので管理人は柔和という勝手なイメージを持っていたが…。
信濃の宮」とも呼ばれ一時は長野を拠点に戦をしていたそうだ。

ともあれ 親王の家紋であれば日月紋というのも納得。
ちなみに、彼の墓は長野県大鹿村のモノが有名かと思うが
実はこの田立からほど近く旧・恵那郡高山にもお墓があるそうだ。

蛇足だが、
この恵那郡の「エナ」とは胎盤の古い呼び方。
このエナというのは昔は結構重視されていて、
古代日本のみならず 東南アジアなどでも
人ならざる姿ではあるが新生児の守護を担う兄弟とも
新生児の分身のようなモノとも言われ
場所や埋め方などにもかなり気を使ったという。
「胞衣壷(エナツボ)」と言って、
胎盤を入れて埋めるための壷などが作られた時期もあった。
そしてなんと…この恵那郡にある恵那山に埋まっているのは、
かの天照大神の胞衣だというのだ。
…あれ?イザナギの目から生まれたんじゃなかったっけ。
胎盤ないよな…?まぁいいか。

東禅寺さんの蚕霊様*

今回はいつにも増して脱線が酷かったが、
駅と神社の間にある東禅寺さんについて書いて終わりたい。
神社ばかりで寺院に来る機会は意外と少ないのだが
(違いが分からない人には神社仏閣好きなんだねと言われる)
今回は花馬ちゃんが超ゆっくり歩くので途中でコチラに寄った。
すると…観音堂の奥に神社系のものがあるではないか!
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おりんと線香があるところは、さすが寺院。

装飾を見ると、稲荷社のようである。
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…Σ(;゚Д゚)ハッ 
今回、一軒もお稲荷さんに挨拶しとらんやんけ!
右の狐「おいおい、全国の神社で一番多いお稲荷様だぜ?」
左の狐「むしろ、偶然出会わなくてもソッチから出向けよなー」
そんな風に言われている気分である。
屋根は、瓦でなく杮(こけら)葺き。
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「カキはこけらとも読むのかー。自慢してやろう」
と思った方はストップである。杮(こけら)と柿(かき)は
なんと違う漢字なのである。
「…何回見返しても同じなんですけど?(´・ω・`)」
というのも御尤もで、明朝体やゴシック体ではもはや違わない。
ただ、元来「こけら」は
「木へん+なべぶた+巾」の3パーツから成る漢字であり
「木へん+市」から成るカキとは異なる字なのである。
自慢したい人は「実は違う字なんだぜ」と言いましょう!
(友人と杮について話す機会がいかほどあるかは疑問だが)

そして、この稲荷社らしき社の周りには
馬の絵が描かれた四角い紙が何枚も紐で付けられている。
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ちなみにこの紙は、
五宮神社の境内社にも付いていて「丙申 初午」
と書かれているモノもあった。
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丙申ということは去年(2016年)のもの。
去年のものをつけることになっているのか、
去年のが付きっぱなしなだけなのだろうか。

しかし、稲荷・馬と来たら何となく蚕を連想しますね…
と思っていると、稲荷社らしきものの横に木の札が。

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なんと田立の養蚕家連が「蚕霊様本尊」を寄進したという。
稲荷社ではなく養蚕の神様・蚕霊(こだま)神社ということか?
しかし蚕霊様の本尊がなぜ毘沙門天なんだろうか…
毘沙門天ってネズミ連れてたよね?どっちかって蚕の敵っぽいけど…
一応「毘沙門天 養蚕」で検索検索ぅ(=゚ω゚)ノ

すると、なんと大量に引っかかったのが「宮城県」。
角田市・福應寺周辺の地域ではムカデが毘沙門天の使いとされ、
ネズミはムカデを嫌うため養蚕の守り神とされているそうだ。
その毘沙門堂には養蚕農家から奉納されたムカデ絵馬があるという。

…まぁしかし、
宮城から木曽まで文化が伝播することは不可能ではないが、
途中の地域に似た風習があるわけでもなさそうだ。
そうすれば、関連が深いとは言えない。これは宿題ですなー。

なんとなく、
このペラペラの四角いものに馬が描いてある感じ
ルンタに似てるなーと思うのは管理人だけだろうか。
チベットやネパールで見られる祈祷旗(タルチョー)のなかでも
特に馬(風の馬)が描かれたものを「ルンタ」と呼ぶ。
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まぁまさか関連があるとも思えないが
花馬の幟が五色であり
青(緑)・黄・赤・白・黒(藍)の5色が
それぞれ空・穀・太陽・水・土を表しているという話で。
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タルチョーは青・白・赤・緑・黄と決まっていて
それぞれ天・風・火・水・地を表すというのと重なって見えた
タルチョーは、はためくたびに経文を唱えたことになり
旗に描かれた風の馬には「願いが早く届く」や「教えが万里へ広がる」
といった意味が込められているらしい。
チベットを扱う映像作品には
ルンタ(風馬旗)という題が付くことも多く
チベットの精神性を語る上でも現在を論じるうえでも
何か大切な象徴的なイメージなのかなと思ったりする。

急に思い出したので唐突に宣伝するが(なんでやねん)
チベット仏教や馬が好きな方には是非見ていただきたい、
バルタバス率いる「ジンガロ」の公演「Lonta」。
仮面舞踏(チャム)なども見られたりする。

騎馬オペラ・ジンガロ / ルンタ [DVD]

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 管理人がリンクを張った時点では
「購入:2人」になっているが、このうち一人は管理人である。
ということは、あと一人しかAmazonで買った人がいないのか…。
われながらニッチ過ぎる。

最後の最後まで脱線したが、木曽の花馬祭りでしたとさ。
うかうかしているとすぐ冬になってしまいますね(*´з`)
まだ夏に行った神社や祭りでまとめ切れていない記事が…。
更新が超牛歩ですが、またお付き合いください。



鼻節神社の三角扁額。

さて、前回までは石巻を巡る旅だったが、
もう少し北東・七ヶ浜に気になる神社を発見した。
というわけでちょっと足を延ばしてみようと思う!

が、調べてみると最寄り駅と呼べる駅が無い。
駅から歩くと数時間では済まないので半ば諦めていたが、
七ヶ浜町民バス ぐるりんこ]が近くまで通っているらしい!
バスは苦手だが背に腹は代えられまい。

てゆうか町民バスって他県民も乗ってOKなの?
いくつか系統があるけどよく分かんないよ。
間違ったのに乗っちゃったら近くの停留所通らない。

そんなことを考えていたら こともあろうに、
「乗ろうとした時間は平日のみ運行」というマヌケ事案が発生。
休日ダイヤのバスまで1時間休憩という強制イベントとなった。
…色々不安はあるが、本塩釜駅前から乗車。
車掌さんが聞いている地元のラジオを聴きながら
病院や学校前、仮設住宅前などを巡り約30分。
七ヶ浜町の先端「館下」に到着。
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田んぼがあり あとは道路がどこかへつながっている。
そして開店前のようだが道の駅のようなモノが一軒ある。

道の駅(らしきもの)は
神社を見た後なら開いているだろう…
ということでまずは目的の神社へ行くことにする。
グーグルマップが無ければまず通らない、
ちょっと広めの私道のような道を通り神社に到着。
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今回の目的地・鼻節神社である。
管理人的には、あまりに海に近く先端にあって
あとは名前が気になってアンテナに引っかかった。

ただ、バスに揺られ(そして酔い)ながら調べたところ
アニメ「かんなぎ」に出てくる神社のモデルと判明。
俗にいう”聖地”というヤツである。
鳥居の前に痛車が停まっていたのも納得…。

管理人はアニメ(むしろテレビ自体を)ほぼ見ないので
どんな感じで画面に登場しているかは分からない。
しかし、一応記事を書く前に漫画「かんなぎ」全12巻を読んでみた。
残念ながらナギちゃんは、水に関係あるカミサマではなかった。
※アニメを作るにあたり具体的なロケ地を、ということで選定されたので、
 漫画のキャラ設定に鼻節神社が関わってこないのは当然の話ではあるが。

かんなぎ聖地巡礼者じゃないので、
ファンの喜びそうなアングルとか分からないからね!
適当に撮っていくからね!(電池がもう無いし!)

*鼻節神社*
先程の赤い鳥居をくぐると道が2つに分かれている。
そして、どう考えても歩きやすそうな方をえらぶと
コチラの「裏参道」となる。
立派で表参道っぽいが、これが裏なのである。
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階段がすべて苔むしているのか
最強に滑るのでご注意を(雨の後だったせいか?)
そして今年は、ココでもキノコが豊作。
タマゴタケっぽいキノコ↓などが出迎えてくれた。
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ツルツルの階段を上っていくと、
電話ボックスくらいの御堂的なモノが。
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覗いて見たら、神馬舎でしたとさ。
なかなかリアルな造りで
特に耳の反り具合とか鼻先がイイ感じ。
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その奥には、山神社・稲荷神社・天神社。
それぞれ、字山神・字三月田・字八ヶ森にあったものが
明治24年にコチラ鼻節神社に合祀されたと言われている。
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そして不動明王の剣のようなものがある…
と思いながら歩みを進め、ふと狛犬を見てみると
なぜか大量のダンゴムシ?ワラジムシ?が付いていて
虫嫌いならば あわや悲鳴をあげそうなグロ画像に。
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そして、千葉でのことを参考にすると
海に落ちていたものを誰かが拾った碇だろうか。
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かなり無造作に置かれている。
碇自体が有り難いものと言うわけでなく、
海に落ちているとワダツミさんが怒るから拾ってきた。
という意味であれば丁寧に置く意味はないということだろうか…。
拝殿は小さいながらも新しく、綺麗になっている。
神社では鈴だけのことが多いが
お寺でよく見るような鰐口も設置されていた。
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祭神はサルタヒコもとい岐(くなと)の神。
※加えて、アメノタヂカラオ または
 「鼻(=花)」の文字からコノハナサクヤヒメと言う異説も。

鎮守の森の木立のむこうには海が広がっている。
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さて、拝殿周りをザッと見たところで
管理人的メインイベント「表参道の鳥居」を見に行く。
バスから降りて陸路でここまで来たのが裏参道だが、
表参道は陸でなく海からのアプローチとなっている。
勿論海が怖いので海のほうまではいかないが、
この表参道の鳥居が見たいのだ。

結構な高台だと思っていたが、
表参道への石段を下りていくと波音が近づいてくる。
そしてとっても虫が多い。ブンブン飛んでくる。
波音と蜂の恐怖に怯えながら、
石段横に生えているキノコを心の拠り所にして下っていく。
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そして、階段を下りきると
今朝まで降っていた雨の水が小川のように流れていた。
長靴持ってくればよかったー!(;゚Д゚)
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でもそれ以前に、もう波の音が結構そこまで近づいて…
ブログ的には「表参道から見える海!」とか撮りたいが
もはや、ここから先には一歩も進める気がしない。

*表参道の鳥居について*
いいんだ。私の目的は海ではなく
この鳥居なんだ…!
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皆さんが見慣れているのは
おそらく長方形の扁額だろうと思うが、
ココの扁額は三角形なのである。
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どうして三角形なのかはわからないが、
この後に寄った吉田神社も三角扁額のある神社。
(携帯の電池が限界を迎えたので写真はここまでだが…)

一般的に 水神である弁財天の神紋が
鱗や波を表す三角形であることを考えると、
やはり「水神信仰の場であるから」三角形なんだろうか。

海無し県の出身者にとって猿田彦といえば岐(くなと)。
つまり枝分かれや辻の守り神 ひいては道・案内の神。
しかし、彼を猿田神(さたのかみ)と呼ぶ土地もあり、
その「さた」とは岬と似たような意味だという説もある。
九州最南端の佐多岬・四国最西端の佐田岬など
「さた」と付く岬が多いのもそのためだろうか…。

ともかく、だとすれば猿田彦は 陸の道に限らず
海に突き出した土地から航行をも見守る神ということになる。
水神では無くとも、水の安全に関わる神という意味で
サルタヒコを祀る神社に水と繋がりそうな三角扁額があっても
まぁ不自然ではないと言ってよさそうだ。

*鼻節という名前について*
では祭神について少し考えたところで、
次に「鼻節神社」の名前の由来は?と調べてみると、
なんと「猿田彦神の鼻は長く、節があったため」と書かれている。
長い鼻に さらに節 ってどうゆうことやねん。
異様すぎるし、地形が由来かと思っていたので予想外すぎ!

とゆうのも、「鼻」は(主に西日本で)
岬を表す言葉として使われることがあるからだ。
ちなみに、鼻節神社付近に「花渕」という地区があり、
その土地を治めていたのは花淵家という地方豪族だったそうで。
とすれば、神社名も元はハナブシでなくハナブチだったかもしれない。
「淵・渕」は水を湛えた場所、
「縁」は境界または最も外側、という意味がある。
「海に突き出た土地のフチの部分」という意味の地名であれば
「鼻縁」が一番地形や立地にふさわしい表記だろうか。
地形が先か、権力者の名前が土地と神社に付いたのか。

あとは、もはや妄想だが
ハナプ(ブ)シ はアイヌ語地名だ!というのはどうだろう。
そうすれば
「朝廷が蝦夷平定の拠点とした宮城、
 それも鹽竈神社の摂社であるハナフシ神社が
 蝦夷の人々が使っているアイヌ語の名前ではうまくない」
という理由で無理な由来をこじつけてまで
大和民族風に漢字表記されたことも納得である。

猿田彦の鼻に節」は鼻節神社だけでなく
鹽竈神社の社伝にも同じような内容が書いてあるそうで。
陸奥の国一ノ宮の社伝にケチ付けたいわけじゃないんだけど。
いつもの妄想癖ですよ(*´з`)そんなこともあるかなーって。
まぁサルタヒコ自体がもはや鼻節神と呼ばれたりもしていて
調べれば調べるほどいよいよ分からなくなってきました…。


*大根神社について*
ところで、この神社の裏番長ではないかというのが
拝殿の脇にひっそり建つ小さい祠。
我々が普段見られるのは 小さい社だけだが、
なんと ココから7kmほど沖合にある岩礁の上
つまりは海中に本当の社殿があるのだという。
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双子のように社が並んでいるが、
実際の大根神社(というか奥宮という扱いらしい)も
東宮・西宮 2つの社殿があるという。
ちなみに松島湾七ヶ浜町東松島市に囲まれているが
この東宮と西宮は別の行政区に属しているそうだ。
Wikipedia先生によると、
東松島の宮戸島沖には現在も大根島が現存。
また、鼻節神社は垂水山という山に建っているが、
東松島には垂水鼻という岬があるそうだ。
海上にあった大根神社を中心に
地名なども対を成していたということだろうか。
ちなみに御祭神は住吉神・大海神・猿田彦らしい。
ああ、もしかして三角扁額も
住吉さんやワダツミさん関係なのか?

でも、近くにある吉田神社
祭神がアメノウズメだがやはり三角扁額がある。
(アメノウズメはサルタヒコ(鼻節神)の妻神)
もはや三角=海神関係という既成概念が間違ってるのか?
ちょっと三角扁額については情報が少なすぎて
もっといろんなところを回ってみたいところ。

余談だが今も大根海神社例祭は行われ、
例祭では海中の社殿付近からアワビを獲って
最も大きなものを神饌として供えるという。
また、干潮の時には実際に
社殿の一部が見えることもあるのだとか!

例祭気になるなぁ。7月かぁ。
来るのは大変だけど是非見たいなぁ。

そんなこんなで携帯の電池が切れてしまったので
今回はこの辺で。
この後、ちゃんと道の駅に寄って
土地のモノをいろいろ買いましたとさ。

モチロンお土産だけでなく自分にも。
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「招福 ネコの手マドレーヌ」
朝から何も食べていなかったので超おいしくいただきました
(*´ω`*)