とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

瑞光寺さんの雪鯨橋。

今回は、和歌山・太地(たいじ)に行くのだが
高崎→(50min.)→東京→(2.5h)→新大阪→(4h)→太地
とブッ続けで電車に乗るのも辛いので、
新大阪で小休止がてら淀川区にある瑞光寺さんに来てみた。f:id:ko9rino4ppo:20170504230732j:image
瑞光寺さんは、小さいながらも歴史は古く
なんとあの聖徳太子が建てたと言われている。
本尊さんは十一面観音さんだそうな。

とまぁお寺さんの概要はそんなところだが、
普段神社に行くことが多い管理人がなぜ寺院にきたかというと…
前々から見たい見たいと思っていた
「雪鯨橋(せつげいきょう)」を見るためだ。
大阪は東京から3時間弱で着くし、
行きづらい場所ではないはずなのだがなぜか来たことがなかった。

さて、雪鯨橋とは何なのかといえば、
鯨の骨で作った橋である。
Wikipediaさんによれば、鯨の骨でできた橋というのは
日本でここにしかないらしい。

どうも、管理人は
狩猟や漁業に観点の深い神社仏閣が気になる。

というわけで、こちらが雪鯨橋。
f:id:ko9rino4ppo:20170504230302j:imageやはり骨なので風雨で劣化してしまい、
現在のものは6代目に当たるそうだ。
北海道沖で獲れたイワシクジラの下顎骨と扇骨(人間でいう肩甲骨)、
そして南極海で獲れたクロミンククジラの脊椎を使用している
と書いてある。そして、先代の欄干だった骨は…f:id:ko9rino4ppo:20170504230356j:image
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壁際に普通に並べられている!
盗まれたりしないんだな。案外治安いいな大阪!
ちなみに、山門も鯨の骨である。f:id:ko9rino4ppo:20170504230624j:image
でも、そもそもなぜ
殺生が禁じられている仏教の寺院に鯨の骨が?
とおもって調べてみると…
昔ここの偉いお坊さんが不漁つづきのの哀れな漁民に
泣き付かれて一度は断ったが根負けして祈祷をしてあげました。
とさ。さぁ!
コーヒールンバの節に乗せて歌ってみよう!
(オイコラΣ(’・д・))

まぁコーヒールンバはさておき、
だいたい発端はそんな感じ。
初めは
「仏様の教えに背くことになりますから、
 魚や鯨が獲れるようになどと祈祷はできません」
と言っていた彼も、貧しく飢えた様子の村人を放っておけず
結局は祈祷をすることとなった。
するとなんと鯨が獲れたではないか!

昔は鯨一本 七里が賑わう、鯨一疋 八郷潤すetc
(つまり一匹水揚げすれば
 7つの里(or8つの郷)が一度に食料や収入を得るほど)
と言ったそうで1匹獲れれば村人はずいぶん助かったことだろう。
さて、これを調べていて管理人は知ったのだが
この僧・潭住さんが行脚で訪れた村こそ、
これから行こうとしている和歌山県・太地だったのだ。

なんという偶然だろう!
しかも、太平洋戦争で焼失し
しばらくは架かっていなかった雪鯨橋が復活したのは
太地町の協力あってのことだという。
なんだかテンション上がって来た!

というわけで今回はさっぱり切り上げて
明日以降に備えます!

海をみまもる 津守神社。

先日書いた記事の久ノ浜から海を眺めると
左の方に海に突き出したような島みたいのが見える。
近くに居たおばあちゃんに聞いたら、殿上岬というらしい。

そして、その岬を眺めていたら
重いブーツで18km歩いたがために足はロクに上がらず
舗装路すら足を引きずって歩いているというのに…
見つけてしまったんだなぁ。鳥居を!
ここに!
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さて、足を引きずりながら歩くこと数分
工事中の橋の下に低い橋がみえた。
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橋の下はもう、すぐに海だ。
ちょうど大久川が海に注ぐ河口であり
津波の時はきっと押し寄せる津波がこの川をさかのぼったのだろう。
そうして大勢の人や物をさらった海かと思うと
当日は穏やかだったが空恐ろしかった。
※管理人はグンマーで育った山の民なので、
 そもそも海というもの自体が未知の領域であり怖い。
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その橋を渡り、緩やかなアスファルトの上り坂を歩いていく。
平地でも股関節が痛いので、緩やかでも坂であればさらに痛い。
そのうえ、ダメ押しのように…
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きゅうなかいだん が あらわれた!
▶︎たたかう
▷にげる

だぁれも人がいないので、
遠慮なくうめきながら登る。
そして、拝殿に到着。

通常よりお正月らしい縄の懸り方。
そして戸口のミカンが…干からびている!
あまり頻繁にはお手入れが入っていないのかもしれない。
(´・ω・`)

福島県神社庁HPに載っていないので御祭神がわからない…

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拝殿を見て、鳥居の方を振り返ると
登って来た時には気づかなかったが海が綺麗に見えた。
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さらに拝殿の脇の草の中を登っていくと、
大きな石碑のようなものがある。
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戒道大龍女 龍道大龍王
とあってなんだか仏教チックな雰囲気が出ている。
ココでの意味は情報が少なすぎてわからないが、
秋田・善寶寺で信仰されている龍神と同名である。

どうやら調べてみると善寶寺さんの龍道大龍王とは
法華経に登場する「八大龍王」の一人沙迦羅龍王らしい。
サーガラ=大海という意味らしいので、
沙迦羅龍王(サーガラ・ナーガラージャ)は8人の中でも
特に海に関連深い龍王様なんだろうか。

ちなみに戒道大龍女は、彼の奥さんではなく
三女である善女龍王(または八歳竜女)の別名らしい。
岩手にある報恩寺の記事でも少し触れたが、
彼女は龍王の娘というよりかは
「初めて成仏した女性」として有名神。しかも八歳で。
成仏した証に男性になったというトンデモ展開のため、
絵や仏像では女性でないこともあるのだが…。

このパパと娘、東北ではちょくちょく
海産物の供養塔や 漁業関係者の海上安全祈願
農村の雨乞いを龍がかなえた伝説などに登場する。

ココの場合、立地的に海上安全祈願かなあ。
「津守」神社だし。
3.11以降、東北で「津」と見ると津波を連想してしまうが
津とは船の停泊する場所=港のコト。
津守というのも「港やその周辺を守る」という意味のはず。
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上空から見ると津守神社はこんな感じの地形で
この津守神社の建つ「殿上岬」というでっぱり(?)は、
その北が港として利用されている。

この近くは南からの波浪が強く難破も多かったそうで、
南に岬が立ちはだかり波風を防いでくれる殿上岬は
まさに久ノ浜港にとっては「津守」だったのだ。

東日本大震災でも、津波は画像右下からやってきて
南寄りから殿上岬にぶつかるようにやってきたらしい。
そのため港は海に近い割には浸水は少なかったとのこと。

しかし殿上岬にぶつかった波と南からの津波
まともに大久川に流れ込んだため、
大久川周辺(特に津波の力の加わる側であった秋義神社側)
は川に沿ってだいぶ内陸まで浸水し火災も起きたという話だ。


地形というのはなんとすごいんだろう、
としみじみしながら海の方を見る。
すると、体を張って港を守っているばかりか
沖に出た舟までも見守れそうな風景だった。
管理人の写真がショボいので感動が伝わりづらいが…
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痛みに耐えて登った誰もいない神社から
この深い紺色の海と町を眼下に眺めて、
その海岸からは供養として
日蓮宗のお坊さんたちの少し変わった節回しの読経が聞こえたり
エイサーの太鼓の音なども風に乗って聞こえる。

管理人にはこれ以上ないようなご褒美である。
この風景を自分への今年の誕生日プレゼントとしよう。

(*‘ω‘ *)ではまた次回~

津波と神社と 念仏おどり。

ちょっと3月は色々処理できずマゴマゴしているうちに
なんとブログを書かずに終わってしまった。
大反省。

ということで、
ちょっと3/11に福島へ出かけた時のことを思い出して
とりあえず1つ記事を書きたいと思いますー(´・ω・`)

管理人は誕生日が3.11なので
・自分への誕生日プレゼントに民俗芸能や神社を巡る
東日本大震災を自分の中で少しでも色褪せさせない
という目的で毎年3.11付近は東北の神社や祭りに出かけている。

今回は、いわき駅付近に泊まり
目的地の久ノ浜まで神社を巡りながら歩いた。
総歩行距離18km前後だろうか。

「東北は寒かろう」みたいな安直な発想から
今回ブーツで来わけたが、これまた
「脚に重りをつけて修行しているのか」
というような重たいブーツを履いてきてしまった。
山道でないにしろ18kmという移動距離を考えれば、
このチョイス 愚の極み以外の何物でもない。

久ノ浜に着くころには股関節が疲労しまくり
足が何センチも上がらなくなっていた(笑)

まぁ私の股関節のことはさておき東北には
「想定外」と言われた大津波にもかかわらず
波にさらわれず残った神社が多数現存している。

今回はそうした神社を巡ったので
その中のいくつかをご紹介~(*´ω`*)

*四倉諏訪神社

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まずはこちら。
いわき市四倉町西にある諏訪神社
海岸線からは700mほどではあるが、
高台に登らなければ海は全く見えない。

しかし、この写真に写っている白い鳥居は
東日本大震災の揺れで倒壊し
津波も鳥居まで到達したそうだ。
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階段を上ってみると、
手水鉢はタツノオトシゴデザイン!
なんとかわいいんだ!初めて見た!
(/・ω・)/♪

富山県・八尾の「蚕手水鉢」が管理人の中では歴代1位だが
造りが雑ではない点、このタツノオトシゴいい勝負!
(あくまで管理人のテンションupランキング)

さて、上がってみれば
見慣れた(?)梶の御神紋が。
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別に長野出身じゃないけれど、
去年御柱祭ホリックになっていたからね。
すっかりお諏訪さまは親しみのある神様になりました。
(一方的に…笑)
確かに神社自体立派な神社だけれど、
大きな階段を上がった高台にあるのでさらに立派に見える。
津波が鳥居までで止まったことを考えても やはり、
津波を想定し「拝殿・本殿が安全な高さ」に建てられたのだろう。


拝殿の脇には摂社として
船玉神社」の扁額がかかった神社が。
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群馬・埼玉辺りにある「飯玉神社」が
稲魂(または稲の神ウカノミタマ)を祀る社であるように
船玉とは「船の魂」のことだろうか。
だとしたら、舟orその守神を祀る神社なのだろうか。
漁業や海水浴場に携わる地域らしい神社である。

そこからまたしばらく歩き、道なりに進む。
海に向かっているはずなのにどんどん山に入っていくような
「あれ?道まちがった?」的な不思議な感じに。

しかし、突然視界が開けたかと思うと
その遠く先はもう広い海だった。
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波立薬師まで行くと、もう道を渡れば海である。
現在も海沿いは津波の名残で更地が広がっていて、
話を聞いたタクシー運転手さんが
「アレだいたいは除染の人が買ったらしい」
と話す真新しい建売だけがまばらに建つ。
「地元の人はもう津波のコト考えたら買いづらいよココは」
と、自分も地元民だというドライバーさん。

この運転手さんも被災した時は一時、
我らが群馬県あたりに避難していたという。
不思議な御縁である。

あんなことがあった海ではあるが、
堤防ができてしまい街からは海が見えないのは
やはり寂しいし海が見たい。と運転手さんは言う。

パチンコ屋とビジネスホテルや旅館は
除染業者さんで潤っている。
いまも、常磐線は竜田-浪江の区間は運休である。

それを聞いて この風景を見ると
震災なんてとうに忘れて電気を使いまくっている
関東の生活なんなんだろうなぁと思ってしまう管理人だった。

そういえば震災ついでに、
先ほど紹介した諏訪神社のある「四倉」は
おそらく災害地名では?と管理人は思っている。

「倉(くら)」が付く地名というのは
「抉(えぐ)る」「刳(く)る」を意味するらしい。
つまり、津波で抉られる土地。
実はココだけでなく、
福島第二原発のある「波倉」もそうだと言われている。
さらには、ところ変わって有名どころ「鎌倉」も。
内陸部では洪水で川の濁流に削られる土地に
「倉」「暮」の字が使われることもあるようだ。

勿論、数ある地名の「倉」という字が
すべて同じ意味とは限らない。
しかし、災害地名の一般的なルールに沿って
全国の地名を見てみるのも何かの役に立つかもしれない。

それで何かが起きた時に被害が防げるなら。
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愛宕神社

しばらく海沿いを道なりに道なりに。
すると、そんなに新しくなさそうな神社発見。
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手前に何もないことから、
ココも津波に遭ったことは想像に難くない。
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神社に近づくと、鳥居の手前に小さな石標。
津波到達地点」。
少し高台にはなっているモノの、
先ほどの四倉諏訪神社が海から700mほどなのに対して
コチラは海から100mちょっと。
しかし、その距離の差にも関わらず
どちらの神社も鳥居の手前辺りで浸水が止まっている。
不思議なもんだな。

古めかしい「愛宕神社」の文字も
津波の被害をまぬがれたからこそ古くさいままなのだ。
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境内からは、堤防越しに海が見えている。


*久ノ浜諏訪神社
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さらに北上すると、
久ノ浜の諏訪神社が。
拝殿の中を覗くと天狗の面が飾られている。
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単に、修験道とかかわりの深い土地でしたよー
という理由かもしれないけれど(´・ω・`)デモ…
いわき周辺の地図を見た時いくつか
「大杉神社」の文字を見たのが気になる。

今回の福島では大杉神社には行ってみなかったが、
名前からし茨城県稲敷の大杉神社から分祀したのかな?
と感じた(裏を取った方がいいとは思うが)

その大杉神社は名前の通り
大きな杉の木が御神木となっている。
その杉は昔、常総内湾の船乗りたちにとって
船が自分の位置を知る指標になったため
大杉神社は海上安全の守り神ともされたのだそうだ。
※今はレーダーやらGPSやら便利なものがたくさんあるが、
 船乗りさんたちは海上から見える山の形や大木の位置関係
 そして夜は星や月の位置から現在地や天気を測っていた。

そのころ、土地の名前から大杉神社は
安婆さまor安波さまと呼ばれていたそうで。
さらに、海だけでなく利根川による水運が発展し
その信仰は利根川流域に広がった。
全盛期には仙台・千島方面にまで拡大したというから驚きだ。

さて、これが天狗面と何の関係があるかというと
昔、常陸海尊という有名な御坊様がいましたとさ。
この海尊が大杉神社の御神徳でたくさんの奇跡を起こした!
という伝説が残っているわけだが、
その容姿は赤ら顔に高い鼻。目は碧眼だったといわれている。
今考えれば「外国人だったのかなぁ」という気がするけれど、
もう当時の日本人は「天狗様だ!大杉神社の眷属・天狗様が奇跡を!」
みたいな感じでアゲアゲになったんだろう。
そこから大杉神社=アンバさまは天狗の姿で描かれることも増えた。
また海の神様であり「安波さま」という名前も手伝って
波を安らがせるカミサマというイメージがかなり強かったらしい。

長々した話になってしまったが、
何度も津波に晒された福島で 大杉神社はもちろん
大杉神社でない神社にも天狗面が浸透している!
というのはちょっと興味がある。
ここ以外に波立薬師や四倉周辺の神社でも天狗面を見た。

またゆっくり行ける時に
福島のアンバさま関連神社めぐりとかしたいなあ。
さっきの「愛宕神社」もモトは修験道系の神社であり
(現在はイザナミカグツチかもしれないが)
愛宕太郎坊天狗or愛宕権現を祀ることの多かった場所だ。
福島は、けっこう天狗圏なのかもしれないなぁ
(*'▽')
狛犬はなかなかユルイ顔をしていて可愛かった。

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*秋義神社*
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そしてついに、秋義神社に到着。
地図には秋義神社と表示されているが、
地元では単に稲荷神社と呼ばれている様子。
海から本当に50mほどかもしれない。
本当に周りは何もなく、すべて押し流されたのだろうと思う。

説明書きを読むと
3.11では奇跡的に回拝柱と鳥居が倒れるにとどまったこと、
昔から大火が起こり 疫病が流行り 高波の被害を受けるたびに
鬼渡神社 秋葉神社 稲荷神社と名を変えて
先人の心の拠り所になってきたことが書かれていた。
本殿も、道理でいろいろなカミサマがいそうだ。
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なにかのニュース番組で、
「東北の沿岸部にあるいくつかの神社は津波到達線上にあった」
という話が出ていた。
つまり、先ほどの四倉諏訪神社愛宕神社のように
鳥居は被害を受けたが拝殿・本殿は無事だったパターン。
テレビでは、宮城にある「浪分(なみわけ)神社」が
名前の分かりやすさからもずいぶん取り上げられたようだが、
そのほかの神社もずいぶん同じパターンがあったようだ。
また、今回紹介した中にはなかったが
神社の名前自体が津波に関するモノも東北には多い。

神社は、古くさいもので。
でもだからこそ昔からの生き残る知恵が詰まった場所だ。
先人の多くが神社の名前や立地に
かつての災害時「安全だった場所」の情報を詰め込んだ。

それを今回どれくらい活かせただろうか。
どれくらい、その情報は今に伝わっていただろうか。
別に被害にあった人が悪いというのじゃない。
日本全体が、世界全体が、きっとそうゆう状況で
その中で偶然今回は東北だった。そうゆうことなんだろう。

伝統芸能や神社が見直されてきたとしても
まだまだそれは直接の担い手以外にとって
珍しい・美しいという意味での「文化的な」とか
普通に生活が成り立ったうえで楽しむ「余暇的」な
というレベルでの「見直された」なのかもしれない。

今回福島に行った1週間後に
人前で少し神社や祭りの話をさせていただく機会があった。
福島で「津波到達線上神社」を巡りながらいろいろ考えて、
その時に「伝承」というモノに関して
・伝承というものは語らないと力を失ってしまう
・語るということは災害情報をファイリングするようなもの
 新人にファイルの存在と内容を伝えるとともに更新する作業。
・それを途絶えさせてしまうのは
 先輩が作ったファイルをなくしてしまうのと一緒。
というような話をさせてもらった。

今回の震災をきっかけに、
今度は次の地震まで生きる伝承を。
と願った。願うだけじゃ足りないよな。
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震災の時間に合わせて、黙祷が行われた。
堤防で黙祷している人は、管理人以外おそらく地元の人。
学生さんも多かったが、ただ行事としてやっているのではない
今も顔が思い浮かぶような近しい方が亡くなったのでは
と感じる表情が印象的だった。

黙祷後、地元の「じゃんがら念仏踊り」と沖縄のエイサー。
不思議なコラボに見えるが、
エイサーの方の代表さんの話では
東北のお坊さんが念仏踊りを広めながら全国を歩いたときに
琉球の貴族王族に人気を得て芸能として発展したのが
「エイサー」なんだそうだ。
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エイサー↓って、よく聞くけれどそもそも何かというと
盆の時期に踊られる「盆踊り」の一種。
本土の盆踊りと様相はかなり違うが
仏教行事である「盆」と踊り念仏ルーツの「エイサー」!
と考えるとマッチしているのかもな。
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そして、こちら↓が「じゃんがら念仏踊り」!
コレを見るために、
1時間に1本しかない電車を2本ほど逃した管理人であった。
(だって、予定表にあった時間と全然違ったんだもん…)
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じゃんがら念仏踊りは、
このいわきを中心にいくつかの地域で伝わっている。
本来は8月中ごろに新盆を迎えた家々を回る民俗芸能。
供養のほか、農業に関連して豊作や雨乞いのために踊られる
と説明されているものもあった。

鉦(金属の楽器)と太鼓を使って踊る。
じゃんがらというのは、
その2つの音「じゃん」「ぐわら」が語源だそうだ。

ちなみに長崎にもじゃんがら踊りというのがあるが
やはり鉦と太鼓を使う。
そして踊られる時期や目的も似ている。
※ラーメン屋「九州じゃんがら」さんは
 この長崎のほうのじゃんがら踊りがモトらしい…

もとはお坊さんが民衆の慰安をしつつ
識字率の悪い土地にも念仏と仏教を普及させるために
娯楽の要素を含んだ「踊り念仏」を始めたというが、

使う楽器や太鼓と体の位置、
バチの動きや輪になって踊るところ、
そして供養だけでなく農業にかかわりが深いところなどは
韓国の農楽(プンムルノリ/ 풍물놀이 )にもつながる気がしてくる。

ちなみにプンムルノリでは
金属を使った鉦が星(天)を表し
皮を張った太鼓が人(地)を表して
その2つが輪のなかで調和することが
天地の調和がとれた状態を表現している。
と、長鼓(チャング)をやっている先生に聞いたことがある。

そうか、
材質にまで意味があるのね、とそのとき思ったものだった。
まぁプンムルの思い出は置いといて。
(*‘ω‘ *)ダッセンシタゼィ

途中で切れている、
というか前半は踊っていないので
踊っているのは本当に最後の数分だが動画どうぞ。
(´・ω・`)粗茶デゴザイマス…


じゃんがら念仏踊り(2017.3.11 久ノ浜)

じゃんがらは鹿踊りや盛岡さんさ踊りのように、
身体の正面に太鼓を横向きにつけて踊る。
けれど、その位置はひざ上くらいと低め。
太鼓のバチは一般的な和太鼓のように太い木の棒でなく、
細めの木の先端に毛皮?のようなものが巻いてある。

ただ、よく見ると一番先端は木が出ていて
その端っこに毛か糸のようなものが挿してある。

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あー コレの意味とかも知りたいなー
あの巻いてあるのは毛皮なのか何なのか
先端の木が出てるところでたたいてるのか、
繊維が巻いてあるとこでたたいてるのか?

訊けばよかったー!
結構長いこと広場で待機してたじゃん
じゃんがら念仏の方たち!

ま、そんなこんなで穏やかな2017年の3.11でした。
このあと、足が疲れてバキバキの中
ちょっと遠くに鳥居が見えたもんで行ってきました!
次回はそちらの神社のことを書きますー。
(/・ω・)/♪

二度目の「君の名は。」※ネタバレ含む

映画館で二度目の「君の名は。
何度見てもいいなぁ。
…というわけで今回はネタバレを含むかもしれません。

ネタバレされたくない方はコチラ!

君の名は。 - とまのす(1回目の感想です)


※ほぼ妄想です。ガイドブックとか持ってて
 「ちげーよ!インタビューにこうだって書いてあったぞ!」
 という方は教えてください
 (´・ω・`)ガイドブックホシイ…

 

*水宮家と三葉ちゃんについて*
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ヒロインである三葉のほうが
妹の四葉よりも活躍するのは当然の話なのだが。

普通に考えたら、不思議な力を持った女の子の方が
四葉」っぽいと思わないか?
ほら、四葉のクローバーとか言うし。
奇跡と幸運の象徴みたいな。

それなのに「三葉」が一番すごい力がある女の子だって、
あやしいなぁ。しかも、三葉の読みは
「みつば」ではなく「みつは」。

そして彼女の名字は「宮水」。
「口噛み酒」の神楽を奉納した時の装束は
龍の髪飾りに、龍の鈴である↓

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龍や蛇というのは
一般的に水の神の化身とされることが多い。
そこから考えても ほぼ間違いなく、
宮水神社は水とその神様を祀る御宮である。
(たぶん…)
そもそも「水の御宮」だから宮水なのだろうし。


そうかんがえれば、
「みつは」も水の女神であるミヅハノメから取ったのでは?
と勝手に妄想せざるを得ない。

ミズハノメは、
多くの島や神の産み親であるイザナミ
火の神・カグツチを産んだことで女性器に大火傷を負い
苦しみながら死ぬ間際にその尿から生まれた女神である。
三葉の母親がすでに他界してしまったというのも、
なんとなくそれを連想させる。

死んでゆくイザナミと産まれるミヅハノメ
神という清い存在の死という穢れ。
尿という汚物から生まれた清らかな水の神。

その正と負のあわいに生まれた女神の名を持つ
「みつは」だからこそ
過去と未来、男と女、生と死という
真逆の事象の中を行ったり来たりできるのでは…

なんてのは妄想し過ぎだろうか。

*「かたわれどき」と糸守*

作中で、三葉の祖母は三葉の作った口噛み酒を
「アンタの半分」と表現する。
口噛み酒を作るということは
自分が失われても残る「自分の半身」を作る
一種の呪術を行使することなのだと言える。

不思議な「入れ替わり」の夢を見るのは
代々水宮家の女性である。
また、口噛み酒を奉納できるのも
同じく水宮家の女性だけである。

なので、入れ替わりの能力は水宮家だけのものだ
とも考えられるのだが、

「黄昏(誰そ彼)時」を意味する「かたわれどき」
は糸守全体に浸透している方言であるし、
瀧が図書館で借りた本に「糸守の伝統工芸」として
三葉たちが作っていた組紐が取り上げられている。
つまり、もとは集落皆が組紐を作ることができたのだ。

考えようによっては、
以前は糸守の皆が多かれ少なかれ持っていた能力が
約200年ほど前に起きたという「繭五郎の大火」以来
その方法も使い方も失われ
水宮家にかろうじて形だけ残ったとも考えられる。

謎なのは、この大火の規模と被害。
「水宮家に伝わる書物も皆焼けたので
 今や口噛み酒の意味は誰も分からない」
と三葉の祖母は言う。

昔の水宮家の人たちはその意味を知っていたというなら
水宮家の大人たちは火災で死んでしまったのだろうか。
書物が燃えても人が生き残れば
口頭で伝えたり再び文書に起こすことができたはずではないか。

それとも、詳細を記してある書物を代々守ってきたが
記してある内容は知らないまま大火に遭ったのだろうか。

「糸守」地区、つまり
作中で祖母の使う言葉「ムスビ」の象徴ともなる
「糸」を守る、という名の村でその糸の原料となる
「繭」の名を持つ繭五郎が大火を起こしたことには
きっと作品的に意味があるはずなのだが…。

三葉が母が死にかけたことで産まれたミヅハノメならば
繭五郎は母に大火傷を負わせたカグツチなのだろうか。
だとしたら、
繭五郎の大火が三葉の「入れ替わり」に何か一役買っているんだろうか。
それとも単に伝統(神、イザナミ)を殺しかけた男(男神カグツチ
と、その消えかけた伝統の中に生まれてきた少女(女神、ミヅハノメ
というだけの話なんだろうか?
※そもそも「三葉がミヅハノメと関係ある」という前提を
 疑わずに話を進めていることがキケンだろうか…。

この辺はガイドブックでも買った後でまた要検討ですな。

*時系列と水宮神社について憶測*

作中で、テッシーが検索した記事に
「糸守湖は1200年前の隕石落下によってできた隕石湖」
と書いてある。
つまり、糸守には1200年前にも隕石が落ちている。
そして今回隕石が落ちたのは2013年。
前回は813年ごろということだろうか。

その時代であれば、
もう世の中に神社というものは存在したはず。
だが、ここが山深い村であったことや
山頂付近であることを考えれば
この地域の祭祀は神社より古い形態を残していて

いま御神体を屋根のように守る大きな岩は
もとは天体や太陽を祀る磐座(いわくら)
=祈りをささげるため座る場所や祭壇だった
と考えることもできる。

もとは天体全般を祭祀対象としていたが、
1200年前の彗星落下の際に
岩の下に隠れた村民がその様子を
岩陰の天井に残しそれを信仰した可能性もある。

もしくは、
作中に登場はしないが
彗星を見ていないはずの時代の誰かに対し
彗星を見た水宮家の女性が「入れ替わり」を行って
彗星落下の事実を後世に伝えるために
岩に彗星を描かせた可能性もある。

※…と思うのは、
 1200年前の絵にしては色彩がはっきり残っているためだ。

蛇足だが、
この御神体がある場所は
山頂にある窪地。つまりカルデラの可能性がある。
だとすればここでも
火山(火の神、カグツチ)により
窪地・水のある土地(水の神、ミヅハノメ)が生まれる。
という構図となる。
(いや、その考えに取り憑かれているだけかな…)

さらに、813年の隕石落下から数十年か数百年経って
隕石の落下によってできた窪地が豊かな湖となり
その周辺には人が集まるようになったはずだ。
その時代に、糸守湖の水神を祀るため作られたのが
現在の水宮神社だろう。

その時代にも御神体のある山頂は信仰されていたが、
若者の脚をしても辛い道のりである。
自然と信仰の中心は山頂(奥宮的な位置づけ)から
今の水宮神社(里宮的位置づけ)に移っていっただろう。
実際日本にある神社でも、観光客に有名な神社は
どこかしらの奥宮の里宮である場合も多い。

作中で代々続く神事とド田舎にうんざりした三葉が
神社の階段を下って糸守湖に向かって叫ぶシーンがある。
これは、つまり水宮神社の参道が
まっすぐ糸守湖の方を向いているということだ。
三葉・四葉姉妹が神楽を舞った神楽殿も
湖の方を向いているように見える。
(作中で建物の位置関係が分からなかったので違うかもしれない)

これは、長野の諏訪大社諏訪湖の位置関係に似ている。
今でこそ諏訪大社から諏訪湖は(多分)見えないが、
昔は諏訪湖の水位が今より高く
もっと諏訪大社の近くギリギリくらいまでは
諏訪湖だったと言われている。

もしそうだったとしたら、
諏訪大社の境内からも水宮神社と同じように
鳥居を通して湖が見えていただろう。

前回見た時よりは
「〇年前」とか人の名前や
神社と周辺の位置関係を気にして見ていたつもりだったが、
全然、考えてもわからないことがいっぱいである。

これはもう、3回目を見に行くしかない!
(/・ω・)/ヨッシャ

命の源、泥宮(どろのみや)。

*正月早々、過酷な目に遭う*
正月のうちにダルマの記事とか書こう!と思いつつ
書かずに七草粥を食べ終えてしまった。
そんな1/7です。今年もよろしくお願いいたします。

毎年1/7には芦ノ尻の道祖神さんを新調するということで…
まぁ朝早くから電車に乗って、
さらに最寄「篠ノ井駅」からバスで50分少々。
「それもう最寄りじゃないじゃん?」
と言いたくなるところだが恐ろしいことに
その市営バス(大岡方面行)の終点「支所前」で降車したのち
さらに徒歩1時間で目的地に到着するのである。

乗車スキルもないのに冬の長野北半球に行こうなんて
そんな無計画なヤツは私くらいかもしれないが、
もし同じ方法で行こうとしている勇者がいたら
このバスは超本数が少ないので注意してくだされ。

そんな疲労困憊状態で、
体力を回復するべく別所温泉へ。
こちらは上田駅から鉄道が通っていて
温泉自体も別所温泉駅から徒歩15分くらい。
そして、回復したところで泥宮に向かった。


生島足島神社のこと*

そもそも、泥宮とは何なのかということになると
まず生島足島神社を紹介すべきかもしれない。
今回は忙しかったので寄らなかったが、
泥宮の最寄駅「塩田町」の隣「下之郷」に
生島足島(いくしまたるしま)神社である。

長野に住んでいる(神社に造詣の深くない)友人が、
生島足足(いくしまタルタル)神社とか
島島生足(しましまなまあし)神社とか
好き勝手な誤字メールをしてきたことがあったが、
違う。全然違う!(;゚Д゚)ヤメロ!

まぁ、その名前の通り
万物を生かす「生島大神」と
万物に足るを与える「足島大神
の2柱が主祭神となっているわけだが。

古式ゆかしい神社では本殿が無く
「拝殿の向こうにある山や木や池が御神体です」
というパターンがたまにあるのだけれど、
この生島足島神社の場合は
本社(内殿)があるが床板の無い造りになっていて
そこに見えている地面自体が御神体とされている。

そして、今回訪れた泥宮は
その旧鎮座地(モトあった場所)ではないか?
と言われている場所なのである。

方々の解説によると、
土は土でも稲を育む「泥」が元々の御神体では?
とのことなので…

生島足島神社も神池と神島を混ぜて
日本でも珍しい「泥の上に建つ社殿」にしたら…
だめですかね。すいませんね。

生島足島神社は本殿の建つ神島と
 それを濠のように囲む神池から成る。

*上窪池と泥宮*
駅から歩いて15分ほど。
道祖神に比べたら何のことはない近さだ。
その泥宮の道を挟んで反対側に貯め池がある。
現在は「上窪池」と呼ばれているが、
江戸時代ごろまでは「泥池」と呼ばれていたらしい。
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寒くて、昼過ぎだというのに薄氷が張っている
(;´・ω・)
この「泥池」は「泥宮」と一対のものと考えられていたそうな。
そして、ため池の水は周辺の稲田を潤すことから
単に泥への信仰でなく「稲」の特別視ありきの泥信仰なのでは。
とも考えられる。

そうすれば信州に逃げて来たタケミナカタ
諏訪に着く前に生島足島のもとに参じ、
狩猟的性格が強い神であるにもかかわらず
2柱の神に粥を作って奉じた!
という謎神話も少し辻褄が見えてきそうだ。

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鳥居は金属製らしき両部鳥居(前後に小さい柱があるやつ)。
両部鳥居は神仏習合と関連深い形式だが、
新しそうなので土地の歴史と関連付けるのは難しいのかな…。
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そして、この聖火リレーできそうな形の正月飾り。
群馬では見たことなかったのだけど、
今回 上田付近で結構よく見る。後で調べよう。
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ちゃんと拝殿もお正月らしい感じになっている。
扁額には「泥宮大神」の文字。
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社殿は、ちゃんと本殿があるパターン。
本殿は貯め池の方を向いているような感じで建っている。
なので、この池自体が御祭神というのではなさそうだ。
しかしなにか、この池の泥を何かするような神事が
あったりするんだろうか。
あったらうれしいが、例祭がいつなのかも不明。
今後も要サーチですな。

境内には地蔵菩薩みたいなヘアスタイルの青面金剛が。
しかし結構足先まで立体的に作られてるし、
足元の動物もくっきり残っている。
クオリティ高め(*´ω`*)
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さて、駅へ戻る途中、道端に薬師堂を発見。
どんな薬師如来が居るのか覗いて見ると…。
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なんか白塗りっぽいのとか、
頭巾じゃないモノかぶってるのとか
大きさも作風もいろいろ!
薬師如来しかいなかったところに
地域の人がお地蔵さんとか作って奉納したんだろうか…
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御堂の隅っこには、
なんか大名が乗る籠みたいなやつが。
何を運ぶんだろうか。
しかし年に一度の神事に使うにしては
ホコリかぶりすぎてる気もするな。
何に使うんだ…誰かに聞きたいのに誰も歩ってない…。

そして、その薬師堂の裏には小さな神様宅が。
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参道がかなり狭いが、
祠の大きさにしては立派な鳥居。
扁額には「飯綱大明神」と書いてある。
うちの方や東京なら絶対に
このポジションは「稲荷大明神」だろう。
飯綱とは、さすが長野とゆうべきか。
飯綱大明神は飯縄山から発生した神様で、
狐に乗った烏天狗の姿で描かれることも多い。
(東京・高尾山にも飯綱様の像がある)
狐憑きと似た意味での「イイヅナ(イヅナ)使い」は
この飯縄山付近の管狐使いのこととも言われる他、
イイヅナは狐ではなくオコジョに似た動物であり
その動物霊を使役する呪術師がイヅナ使いとも言われている。

ちなみに飯縄山の「イイヅナ」はオコジョのことではなく
砂のように見えるが食べられる菌類の一種で
もとは飯砂と表記していたというのが定説である。

飯縄山はスキーリゾートとして有名かもしれないが
妙高・戸隠などと同じ北信五岳。
天狗伝説も残る修験道の名所である。
飯綱大権現については
高尾山の記事で書いた気がするので割愛。

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なんか、印象だけれど
神社か寺院かにかかわらず
長野は信仰が濃いよね…と思った。

いろんな県に接してるのに
ちゃんと濃い文化があるというか。
多分外から何かが入ってきても
それに競り負けない土地の神様がいるんだろうか。

もうこれからは雪シーズンだから無理だけれど、
また長野の遅い春が来たら少しずつ散策していこう。

秩父夜祭、逢瀬の祭り。

先週末は、秩父夜祭に行ってきた。

そもそも秩父という響き自体が好きなのだが、
秩父夜祭は山の神様がかかわる祭りのわりに
かなり駅チカでみられるところも気に入っている。

夜祭というだけあって
夜に雪洞(ぼんぼり)を揺らしながら練り歩く屋台!
というイメージが強いとは思うが…

屋台自体の装飾を見るなら日中がオススメ。
コチラは、本町笠鉾。
金箔を押した上に彩色が施されている!絢爛!
(*'ω'*)❤
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人混みで出会った地元の人によると、
屋台は基本的に男性しか乗れないのだが
中に座っている舞手の人だけはOKなのだとか。
(ちなみにこれは花柳流の方らしい)

笠鉾屋台曳行の見どころの一つ「ギリ回し」は、
スムーズに回転する姿もさることながら
10数トンの屋台が大きく傾く緊張感に歓声が上がる。
管理人も揉みクチャになりながら
ショボくて短い動画を撮ってきた。
↓傾く!このギリ回しの際のお囃子は「玉入れ」と呼ばれる。

秩父夜祭・本町屋台2

↓人混みの中で方向転換する屋台は
 波の中で舵を切る舟のようで感動。

秩父夜祭・本町屋台


そして、中町通りに出ると中町屋台が!
水引幕は亀。龍の彫刻も細かくてカッコイイぞー。

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秩父祭りに登場するのは
笠鉾2台&屋台4台=合計6台なのだが
中町屋台の鬼板↓はこの6台の中で一番大きいのだそうだ。
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ちなみに、破風(屋根っぽいところ)を境に
下が懸魚(げぎょ)、上が鬼板と呼ばれている。
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後幕↑の刺繍は鯛。

この刺繍はそれぞれ様々な柄で、
秩父祭り屋台の中で最も古いという「宮地屋台」は
猩々(ショウジョウ)↓である。
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宮地は、秩父神社に合祀される以前に妙見宮があった土地。
だから「宮地」という地名なのだそうな。
ちなみに、この合祀の際に妙見ちゃんは
7つの井戸を渡って秩父神社に行ったと言われている。
これらの井戸は今も実際に残っていて、
秩父神社境内に詳しい場所の案内看板がある。
それにちなんで宮地屋台は屋台倉をでてから宮参りまでに
「曳き踊り」を7回上演するんだそうな。
※曳き踊り=町会所や門前や辻で上演する
      長唄・踊り手による所作行事。

というわけで宮地屋台は、
特に妙見ちゃんとのかかわりが深い屋台である!


この3台以外は夜撮ったので、
残念ながら刺繍はうまく撮れなかった…
もっと早くから秩父神社に張り込むべきだった。

*そもそも何の祭なの?*

秩父夜祭は、
その知名度の割に何の神様のどんな祭りなのか捉えきれない。
というより知名度が高いのは笠鉾・屋台の曳行のみ?
的な所がある。

実際その起源は分かっていないようではあるが、
秩父神社武甲山の北面にあり
秩父神社の梟の彫刻は北を見つめ
秩父神社に居る妙見様は北極星の神様
ということから
北辰信仰テイストの強い祭ではないかとのことだ。

また、曳行の際には屋台などに先立って
各町内から「御供物」が運ばれて行く。
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そのため、一年間武甲山から得た恵みを
山の神に還す祭なのではないかと言われたりもするとか。

観光客に有名なのは12/2の宵祭と12/3の本祭だが、
12/4に「蚕糸」祭 12/5には産業発展交通安全祈願祭
そして最終日の12/6には「新穀」奉献感謝祭と続いてゆき
最後に例大祭完遂奉告祭をもって5日間の祭が終わるのだ。

そんなところからも収穫祭的要素が窺えますな。
そもそも秩父祭自体が
モトは御蚕祭と呼ばれていたらしいし!
(*'▽')

そして、一番神話的なのが
「山神さま&妙見さま逢瀬day」説!

3日の夜にもっとも有名な
御旅所への「神幸」が行われるわけだが、
この場所は秩父神社武甲山の間。
夜祭は2人の神様が年1回の逢瀬を楽しむ日
( *´艸`)
と言われているのだ。

↓御旅所から見た武甲山
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なんで年1回なの?もっと逢えばいいのに!
と言いたくもなるが、実は…
妙見様は愛人ちゃんなのだ。
では正妻は誰なのかというと、コチラ!
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梶の神紋!奥山の大木、里に下りて神となる!
ヨイサー(/・ω・)/ッ!お諏訪様だよ!
(テンション高いな…)

…それにしたって、
正妻なのにこんな小さいお住まいなんて。
しかも秩父最大の祭りは主人と愛人の祭りなんて。
本拠地でないとはいえ可哀想すぎやしないか?

と考えてみた。
そういえば諏訪にも北斗星のカミサマが居たけど
(北斗神社。めっちゃ階段がすごいヤツ)f:id:ko9rino4ppo:20161210011052j:imagef:id:ko9rino4ppo:20161210011153j:image
あれは祢宜太夫・守屋氏の屋敷神だとか聞いたなぁ。
諏訪大社No.3の守屋氏はNo.1諏訪氏と何度も争った…
と聞くと「北極星の神様とお諏訪さまが敵対」も納得。
しかし諏訪氏氏神は夫・タケミナカタの方だぞ。
この考え方じゃ妻・ヤサカトメとばっちりじゃないか。

まぁ、そんなことを思いながらお諏訪さまの近くをブラブラしていたら
「女神さんが可哀想だから」と言って
毎年夜祭の日にはお諏訪さまに会いに来る
とゆう地元のおじいちゃんが来た。
いい人だ…(*´Д`)

さて、こちらの立派な神社が
愛人ちゃん・妙見さまのいる秩父神社
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お諏訪さまと比べ物にならない大きな境内である。
今回は既に長くなりつつあるので、
秩父神社に関しては別記事でまた…。

さて、いよいよ夜!
18:30だか19:00に秩父神社を出発した一行が
19:30ごろに やっと聖人通りにさしかかる。

聖人通りは、中町通りを御旅所方向に曲がった角から
秩父鉄道の線路を渡る前までの通り。
込み合ってはいるが、屋台がよく見えるスポット。
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これは御供物。箱の上に縄が乗っている。
この縄は、4/4に行われた御田植祭りで使われた
「藁の龍神」である。

↓近くで見るとこう。
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そして、大天狗のような面をかぶり猿田彦
続いて御幣束らしきもの。
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御神輿が来た。
ココにはヤサカトメだけが乗っているのか、
それともヤオモイカネとかも入ってるのか。
せっかくの逢瀬なのに合祀された神様同伴とかないわ…

といろいろ考えていると、
神馬が来た!
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警官さんが散々「フラッシュたかないで!」
と言うのに観光客が全くフラッシュ撮影をやめない。
この一頭目は落ち着いていたが、二頭目はかなり興奮気味。

たしかに秩父が誇る観光資源ではあるが、
その前に地元に伝わる「神事」であり
第一、馬がビビっているじゃないか…
というトコロも考えていただきたいものだな。

ただ、近くにいた地元のおばあさんの話では
神馬が荒れるほど翌年は豊作なのだとか。

そして、いよいよ
昼間は付いていなかった雪洞を纏い、
各町の笠鉾・屋台が登場!
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こちら、6台の中でも最大の笠鉾。
下郷笠鉾!なんと高さ7m、重さは20t程度あるとか。

そして、こちら↓は
もう一つの笠鉾・中近笠鉾!

秩父夜祭・中近笠鉾

胡弓のような音が幾重にも重なって聞こえただろうか。
笠鉾や山鉾には「鳴り」と言って
ワザと車輪がこすれて鳴るように作ってあるものがある。

軸と触れる部分を綿密に調整したり
地域によってはチョーク粉をまぶして鳴るようにしたり
祭りによって差はあるが、どうやって鳴らしてるのだろう…。

ちなみに、神幸祭の最中は御旅所(手前の道含む)や
秩父神社と一部の道路は完全に通行止め・入退場禁止となる。
そのため、通行止めになる前にチラッと撮ったものだが
御旅所の妙見ちゃんが座る場所は この鳥居の奥。
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右端に少し写っている屋根の下に
亀石という石があって(妙見ちゃんは亀に乗っている)
御旅所でいろいろやっている間はココに御幣が立つ。

そして、翌朝撮ったが
御旅所入口には神社例大祭で立てるようなのぼりばた。
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ほぼ山車の紹介で終わってしまったけれど、
次回は秩父神社自体について書こうと思います~
(*´ω`*)

さいごにおまけで
本町屋台の天井の鳴き龍とオニーサンたち!
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鴻池朋子「根源的暴力vol.2あたらしいほね」

ずいぶん経ってしまったが、
8月に鴻池朋子さんの展示を見に行った。
人の勧めで「絶対好きだと思うよ」と言われて行ったが、
あとで調べたら「焚書」↓書いた人だったのね。

焚書 World of Wonder

焚書 World of Wonder

 

 数年前、絵が気に入って買った絵本だったが、
あの時よりさらにパワーアップしてるというか
今回は「気に入った」でなく「揺さぶられる」感じがした。


*名前が付く前のカミサマ*
普段神社のことを書いていることがほとんどなので、
なんでいきなり美術展のブログになったんだ
(゚д゚)⁉
と思うかもしれないが…まぁまぁ。
普段管理人が考えていることとは関係あるのだ。

とりあえず今回、神社は出てこない。
なので神社好きで読んでくれていた方は…
次回以降また神社の話題に戻るのでお許しください!
|д゚)

あと、今回はいつにも増して長いです…。
*なぜ鴻池さんの作品に惹かれるのか*

鴻池さんの絵や立体作品を見る時、
管理人は その獣や山、雪、魚の持つ
「命」や「鼓動」もしくは「死」に圧倒される。
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古く、人は神話や民話の中で
猿や蛇や鬼の嫁となり、雪女や鶴や熊を娶ってきた。
また、川や山の声を聞くこともあった。
そしてその前後には、融和が見られることもあれば
知恵比べや取引、そして争いや破壊が発生することもある。


これらは「語り」の世界のことではあるが、
実際に自分でないもの(=自然、動物、異民族etc)との
コミュニケーションを図ってきた「経験」の記録でもある。
と、管理人は思っている。

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現代においては、
結構いろいろなものが調節・制御可能になってきて
環境や人でないものに「圧倒される」経験や
もしくは「取引をする」という感覚は
おそらく昔より薄れていると思う。

鴻池さんの描くものは何処となく
そうして普段忘れられている
かなわない存在からの圧力や、
その中で生きようとするもがき
みたいな「やりとり」を感じさせる。
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*カミサマとの距離感*

話は変わるが柳田国男
「カミの零落の三段階」という話を書いていた。
妖怪は神の零落した姿であるという考えを前提に、
神であったものがどのように妖怪化していくのか?
を整理した3段階である。

これを管理人なりに噛み砕くと

①人が畏れ遠ざける段階。
 触れなければ何事もないが不安も解消されない。

②人が畏れながらも近づいてゆく段階。
 内心まだ気味悪がっているが、
 その力を祀ったり試して防ぐ手段を探り始める。

③畏れを持たず滑稽なものとして扱う段階。
 笑い話や風刺画の題材などにもなり娯楽的になる。

…となるかな、と考えている。
河童などを想像してもらえばわかりやすいだろうが、
自然に関しても大体構造は同じで

①ただ災害を受け止め、起きないよう祈る段階

②災害を起こすもの(逆に恵みを与えるもの)
 に名前や形を与え、意思疎通を図る段階

③物語(民話、神話)が発達し、
 災害などへの対処の手段が語られる段階

という三段階があるような気がする。

※ただし③は必ずしも理論的な解決策でない。
 伝承には以下のように、経験をもとに推測して、
 「あの時と逆の対応をすれば被害に遭わない」
 と安心するための心理的解決(仮)も多い。

 ・災害前に、正体の分からない声に挑発的な応答をした。
  ex.1)やろか水の「やろうか」に「よこさばよこせ」と返す。
  →つまり、返事をしなければ災害は起こらない!
 
・被害者は悪い行いをしていたからこうなった。
  ex.1)狐を懲らしめたので一族に子が生まれなくなった
  →つまり自分はそうしなければ災害に遭わない!

で、話がズレたが3段階説の話である。
ソレと美術展がどう関係あるんじゃい!というと
普段管理人が書いている神社の記事は
神様がどうとか〇〇信仰だとか
3段階で言う②から③の段階の話が多い。
つまり「どう扱うか」が決まった後のハナシだ。

でもこの美術展では冒頭で話したような
「まだ恐れられている状態」
「漠然とした自分以外の存在」
つまり①と②の間くらいの感覚を感じることができる。
…なので、たまにはそうゆうことも書いてみようかなと。


*生活者という巫女*

上の三段階説で
③の段階(orその先)に行ってしまった「現代人」たちを
①と②の狭間につなげてくれる鴻池さんは
ある意味で魔女的もしくは巫女的だと思う。

今でこそ巫女さんというのは
神社にいて赤い袴をはいて御守りとかを売っている!
…というイメージだが、
知っての通り彼女らは御守りの売り子さんではない。
舞を奉納したり 供物を上げたり
つまりカミサマに仕えている人なのだ。

私たちには見えない神様に 巫女さんが仕え
定期的に御供えを換えたり
また神事を執り行い舞を舞うことで、
私たちは神様がそこに居て
コレを食べたりアレを見たりしてるんだな…
と感じることができる。

また、神様の声が聞こえない我々一般ピープル
神様の声を通訳してくれるのも巫女さんだった。
神がかりとなり、神の信託を聞いた卑弥呼などが
そういう意味での巫女としてイメージしやすいだろうか。

あとは、亡くなった人の口寄せを行い
民俗行事にも関わるイタコさんたちも巫女と言っていいと思う。
また、宮古島や沖縄のユタやノロも
古い巫女さんの形を残している文化だと思う。
つまり、巫女さんは神様と我々をつなぐ人なのだ。

自然側の 波のような霧のような声をキャッチして、
ちょっと鈍くなってしまった現代人に
わかりやすいチャンネルに変換して発信するのが巫女。
そう考えると、鴻池さんもそんな存在な気がした。

彼女を巫女と呼ぶとすれば、
使っているのは古代の女性たちと同じ力かもしれない。
混然とした自然の中に存在している 有用植物を集め
食事を作り、糸を紡ぎ、布を織った女性たちのことだ。

彼女らもまた自然の中で生きる「生活者」であり
だからこそ自然に耳を傾けその変化や性質を知る必要があり
巫女的な存在であることができたと思う。

しかし、今となっては神道の巫女さんは
なんとなくスピリチュアルというか神事・祭事寄りで、
日常的な生活とは縁遠いかんじがしてしまう。

それが悪いわけではないが、
そうすると神様や祭(祀り)というのは
どんどん生活から離れてプワプワ浮いてしまう。

一方、この美術展では
日常と離れた精神的芸術性でなく
自然の中で生き抜いていく「生活者」的な魅力を感じた。

それはきっと鴻池さん自身が
作品制作だけでなく服などを「作る」ことも等しく
「自然の領域に踏み込んで 切り取ってくること」だ
と考えて制作しているからだろうという気がする。
(想像でなく、この認識については対談で言っていたことだ)
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その服について、そして女性の使う魔法について、
作品中で語られている部分があるので見てみる。
ココでは「ある女性の語り」として
「白鳥の王子」の刺草(イラクサ)のシャツ
「シンデレラ」の灰まみれの服
などを例に語られている。

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彼女にとっての本当の衣装は舞踏会のドレスではなくて、
この灰まみれの服こそが大事な花嫁衣裳なんですよ。
私が魔法という超自然的な救いの手を差し伸べるのは、
彼女が灰をまとってから。

そういう変身の道具が、動物の皮や刺草や灰だったり、
私のこの魔法の杖が木の枝だったりするように、
文化から離れて、より自然なものに近づくのは、
おとぎ話の「魔法」っていうものが、
自然の力によって起こっているからなんですね。
人間が古来より抱いてきた自然への驚異の念、
それの名残なんですよ。

*見るということ*

見る、ということに関して
管理人はあまり意識していないのかもしれない。
それは反対に「見るな」という禁忌も
あまり気にしていないというか、
だからこそいつも拝殿の中を覗いては
写真まで撮っていたりもするわけなのだが。

日本にとどまらず世界中の民間伝承において
「見るなのタブー」
の威力(?)はすごいと思う。

国内では「鶴女房」「浦島太郎」が有名だと思うが、
それ以前に黄泉の国のイザナミ
妻のモモソヒメと蛇神・オオモノヌシ
トヨタマビメの出産etc…
日本神話だけでも見るなのタブー山盛りである。
外国のものでは「パンドラの箱」「青髭
あたりが身近だろうか。

見るという行為自体はある意味能動的なのだが、
禁止されていたり隠されていたりするものを見るには
結構な決心と行動力が必要となる。

しかし、どの民間伝承・童話でも
その禁止された真実を見る勇気や行動力は
評価を受けることは少ない。
だいたいは、禁忌を破ったことで真実を知り
多くのケースでは夫婦でいられなくなったり
生命が危機にさらされる。

それでも、ひとりとして
カリギュラ効果に抗い抜いた主人公はいない。
今回の展示でも、たびたび「見ている」顔が
作品の中に登場する。
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解説はついていないので本当の意味は分からないが、
それは大体のぞき込むような場所に作られていて
鑑賞者は「なんだろう?」と近づいていくと
急にその大きな目と目が合ってハッとする。
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それは、のぞき込む私たちに対し
ただ見られるに任せる風景でなく
意思をもって覗き返す自然なのかもしれないし

考え方によっては
その視線に出会ってハッとしている
私たち自身の表情なのかもしれない。
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おそらく
祖母の布団に居るオオカミを見た赤ずきん
ジル・ド・レの部屋を覗いてしまった少女も
オオモノヌシの正体を見たモモソヒメも
こんな顔だっただろうと思いながら見ていた。

その「目」に加えて印象的なのは
小さく開かれた口。
これもまた巨大な本の中で言及されていて、
口は「食べものを取り込む」
つまりは他の生き物だった命と一体化する器官であり
また「外界の物が出入りする危うい場所」とも書かれている。
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その危うい場所が、
新たなものを見て場合によっては警戒すべき
というような表情の中にあって
あろうことか「閉ざされ用心する」のでなく
ガードせず「開かれている」のだ。

実際びっくりすれば口は開いてしまうものかもしれないが、
それはある意味
自分にとって未知の物や脅威となり得るものも
拒否せず自分の中に取り込んでいる表情なのかもしれない。

…話題が「口」に移ってしまったが、
「見る」ということに話を戻す。
これについても鴻池さんは文章で書いてくれている。
(先ほどの魔法と自然の次のページだと思う)

同じおとぎ話であっても
結末にはバリエーションがあることについて、
「おとぎ話では結末が必ずしも大事ではない」
「それよりも「見る」ってことのほうが大事」と。
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最後の段落だけ文字に起こすと、

赤ずきんも森で寄り道をして、
初めて見る美しい草花に心奪われ、
狼と出会ってしまいますよね。
そうしたら赤ずきんがもと来た道を、
何ごともなかったかのように帰って行くっていうのは、
やはりあり得ない。
何かを見てしまうことで、赤ずきん自身
これまでとは違うものになってしまったわけですから。
たとえ命が助かったとしても、
もはや、同じものではいられないんです。

と書かれている。
見ることで、相手の関係だとかよりも
自分自身が同じものではいられない。
これは結構インパクトがあった。

そうして、これを読んでから
もう一度ここまでで見た展示を思い出す。
そうすると、何となく思うのは

ああ、自分もここの入り口を入ってから
いろんなものを見た。
もう入る前の自分と同じものではいられないのか。
ということ。

*駆け引きと信仰*

さて、見るという人間寄りの話をしたけれど
また話は自然との関係に戻る。
現代では感じることの少ない感覚かもしれないが
生きることは環境(自然)への間借りである。
衣食住という基本だけ考えても
着るものの毛皮や布は動植物の命に踏み込んで戴くのだし、
食べるものも同じく、自分以外の命を取ってきて自分が永らえる。
住む場所も 自分が住む間はほかの動植物を制限することになる。

そういう関係の中で、
必ず「駆け引き」が存在する。

勿論それは物理的な意味でも
狩ろうと近づけばケガを負うこともあったり
漁場や狩場に近い集落は津波や山崩れに遭いやすい。

しかし、それとは別に
自然災害など 何かどうしようもない事態になった時や
命を奪うことへのうしろめたさを感じた時にも
人は「駆け引き」を持ち出してくる。

無論、これは人が自然を擬人化することで生まれる
架空の駆け引きで
実際効果の程は微妙なものだが。

人は相手が「意思」や「声」を持っていると考えることで
相手が人間でなくとも
自分と相手を同じように尊重する能力を持っている。

たとえば、あまりに幼い子は
「自分がこれをやられたら痛いだろう」とは考えないが、
少し成長すれば
相手が「痛い!」と言わないヌイグルミだとしても
大切に抱っこしたりすることができる。

これは、身近に世話してくれている人との関わりなどから
「他者も自分と似た痛覚や感情を持っている」と学習したり
「実際反応を見聞きせずとも相手に自分を投影し想像する力」
が発達してくるためだ。

と同時に、人の心理には
自分の力でどうにもならないものへの
理不尽さや恐怖を克服するためのステップがある。

例えばキュブラー・ロスの「5段階モデル」。
これは死を宣告された人が受容するまでの精神の動きを、
以下の5段階に分類したものだ。

①否認(事実なのか、どうゆうことなんだ)
②怒り(不幸にも選ばれた。なぜ自分なのか)
③取引(条件を提示し回避しようとする)
抑鬱(回避できないと悟る。対処できない絶望)
⑤受容(自分なりの意味を見出したり納得する)

この「③取引」の部分だ。
上段で書いた「相手に自分を投影する能力」と
「取引を持ち出して状況を打開しようとする心理」。
これが、自然を擬人化して
コミュニケーション可能な存在とみなし
祀ることで災害等を回避しようという発想の下地な気がする。

上記はモトが「死の受容モデル」だから例が微妙だが、
どうすることもできない自然災害についても同じく
「アレが悪かったなら改めますから」
「コチラはこれを差し出すので助けて」
と言った心理的な駆け引きが発生するし、
また狩猟の対象となった動物などに対しても
「この部位は人間がもらい、こちらは山の神に」
「一年に一度弔う(祀る)日をもうけよう」
といった具合に神との分配・祭祀等が行われる。
そうした恐怖心・うしろめたさへの対処の過程で
カミサマや信仰というものが生まれるのだろうと思う。

作品展の中では、
先ほどの魔法と自然や
「見る」ことについてなど
たびたび大きな本が展示されていて
以下のページには人と道具について書いてある。
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「ヒトと道具のはじまりを考えたとき、
 道具とは人が自然に対して働きかけるためのもの、
 人と自然をつなぐためにあるものだと思うんですね。」

と書かれている。
この「道具」という言葉をそのまま「信仰」に書き換えると、
そのまま人とカミサマ(自然)の関係になると思う。

つまり、信仰も道具であった。
人が自然に働きかけるため、つながるための。
という具合に。

歴史を重ねるにつれて信仰というものは
人を集団としてまとめ上げるために利用されたり、
贅を尽くしても許される権力顕示の場となったり、
人から人に向けられるものになってしまった気がする。

しかし本来、人と自然のつながりを考えずには
語れないはずということは忘れないでおきたい。

なんだか内容が固いし
エラく抽象的な話になってしまったが、
そうゆうことを考えさせられた展示だったとさ
(/・ω・)/♪

↓今回の展示で最大の作品。
  縫い合わされた皮に海から頭を出した火山や
 冬眠しているような様子の動物などが描かれている。
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