とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

秩父夜祭、逢瀬の祭り。

先週末は、秩父夜祭に行ってきた。

そもそも秩父という響き自体が好きなのだが、
秩父夜祭は山の神様がかかわる祭りのわりに
かなり駅チカでみられるところも気に入っている。

夜祭というだけあって
夜に雪洞(ぼんぼり)を揺らしながら練り歩く屋台!
というイメージが強いとは思うが…

屋台自体の装飾を見るなら日中がオススメ。
コチラは、本町笠鉾。
金箔を押した上に彩色が施されている!絢爛!
(*'ω'*)❤
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人混みで出会った地元の人によると、
屋台は基本的に男性しか乗れないのだが
中に座っている舞手の人だけはOKなのだとか。
(ちなみにこれは花柳流の方らしい)

笠鉾屋台曳行の見どころの一つ「ギリ回し」は、
スムーズに回転する姿もさることながら
10数トンの屋台が大きく傾く緊張感に歓声が上がる。
管理人も揉みクチャになりながら
ショボくて短い動画を撮ってきた。
↓傾く!このギリ回しの際のお囃子は「玉入れ」と呼ばれる。

秩父夜祭・本町屋台2

↓人混みの中で方向転換する屋台は
 波の中で舵を切る舟のようで感動。

秩父夜祭・本町屋台


そして、中町通りに出ると中町屋台が!
水引幕は亀。龍の彫刻も細かくてカッコイイぞー。

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秩父祭りに登場するのは
笠鉾2台&屋台4台=合計6台なのだが
中町屋台の鬼板↓はこの6台の中で一番大きいのだそうだ。
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ちなみに、破風(屋根っぽいところ)を境に
下が懸魚(げぎょ)、上が鬼板と呼ばれている。
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後幕↑の刺繍は鯛。

この刺繍はそれぞれ様々な柄で、
秩父祭り屋台の中で最も古いという「宮地屋台」は
猩々(ショウジョウ)↓である。
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宮地は、秩父神社に合祀される以前に妙見宮があった土地。
だから「宮地」という地名なのだそうな。
ちなみに、この合祀の際に妙見ちゃんは
7つの井戸を渡って秩父神社に行ったと言われている。
これらの井戸は今も実際に残っていて、
秩父神社境内に詳しい場所の案内看板がある。
それにちなんで宮地屋台は屋台倉をでてから宮参りまでに
「曳き踊り」を7回上演するんだそうな。
※曳き踊り=町会所や門前や辻で上演する
      長唄・踊り手による所作行事。

というわけで宮地屋台は、
特に妙見ちゃんとのかかわりが深い屋台である!


この3台以外は夜撮ったので、
残念ながら刺繍はうまく撮れなかった…
もっと早くから秩父神社に張り込むべきだった。

*そもそも何の祭なの?*

秩父夜祭は、
その知名度の割に何の神様のどんな祭りなのか捉えきれない。
というより知名度が高いのは笠鉾・屋台の曳行のみ?
的な所がある。

実際その起源は分かっていないようではあるが、
秩父神社武甲山の北面にあり
秩父神社の梟の彫刻は北を見つめ
秩父神社に居る妙見様は北極星の神様
ということから
北辰信仰テイストの強い祭ではないかとのことだ。

また、曳行の際には屋台などに先立って
各町内から「御供物」が運ばれて行く。
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そのため、一年間武甲山から得た恵みを
山の神に還す祭なのではないかと言われたりもするとか。

観光客に有名なのは12/2の宵祭と12/3の本祭だが、
12/4に「蚕糸」祭 12/5には産業発展交通安全祈願祭
そして最終日の12/6には「新穀」奉献感謝祭と続いてゆき
最後に例大祭完遂奉告祭をもって5日間の祭が終わるのだ。

そんなところからも収穫祭的要素が窺えますな。
そもそも秩父祭自体が
モトは御蚕祭と呼ばれていたらしいし!
(*'▽')

そして、一番神話的なのが
「山神さま&妙見さま逢瀬day」説!

3日の夜にもっとも有名な
御旅所への「神幸」が行われるわけだが、
この場所は秩父神社武甲山の間。
夜祭は2人の神様が年1回の逢瀬を楽しむ日
( *´艸`)
と言われているのだ。

↓御旅所から見た武甲山
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なんで年1回なの?もっと逢えばいいのに!
と言いたくもなるが、実は…
妙見様は愛人ちゃんなのだ。
では正妻は誰なのかというと、コチラ!
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梶の神紋!奥山の大木、里に下りて神となる!
ヨイサー(/・ω・)/ッ!お諏訪様だよ!
(テンション高いな…)

…それにしたって、
正妻なのにこんな小さいお住まいなんて。
しかも秩父最大の祭りは主人と愛人の祭りなんて。
本拠地でないとはいえ可哀想すぎやしないか?

と考えてみた。
そういえば諏訪にも北斗星のカミサマが居たけど
(北斗神社。めっちゃ階段がすごいヤツ)f:id:ko9rino4ppo:20161210011052j:imagef:id:ko9rino4ppo:20161210011153j:image
あれは祢宜太夫・守屋氏の屋敷神だとか聞いたなぁ。
諏訪大社No.3の守屋氏はNo.1諏訪氏と何度も争った…
と聞くと「北極星の神様とお諏訪さまが敵対」も納得。
しかし諏訪氏氏神は夫・タケミナカタの方だぞ。
この考え方じゃ妻・ヤサカトメとばっちりじゃないか。

まぁ、そんなことを思いながらお諏訪さまの近くをブラブラしていたら
「女神さんが可哀想だから」と言って
毎年夜祭の日にはお諏訪さまに会いに来る
とゆう地元のおじいちゃんが来た。
いい人だ…(*´Д`)

さて、こちらの立派な神社が
愛人ちゃん・妙見さまのいる秩父神社
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お諏訪さまと比べ物にならない大きな境内である。
今回は既に長くなりつつあるので、
秩父神社に関しては別記事でまた…。

さて、いよいよ夜!
18:30だか19:00に秩父神社を出発した一行が
19:30ごろに やっと聖人通りにさしかかる。

聖人通りは、中町通りを御旅所方向に曲がった角から
秩父鉄道の線路を渡る前までの通り。
込み合ってはいるが、屋台がよく見えるスポット。
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これは御供物。箱の上に縄が乗っている。
この縄は、4/4に行われた御田植祭りで使われた
「藁の龍神」である。

↓近くで見るとこう。
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そして、大天狗のような面をかぶり猿田彦
続いて御幣束らしきもの。
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御神輿が来た。
ココにはヤサカトメだけが乗っているのか、
それともヤオモイカネとかも入ってるのか。
せっかくの逢瀬なのに合祀された神様同伴とかないわ…

といろいろ考えていると、
神馬が来た!
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警官さんが散々「フラッシュたかないで!」
と言うのに観光客が全くフラッシュ撮影をやめない。
この一頭目は落ち着いていたが、二頭目はかなり興奮気味。

たしかに秩父が誇る観光資源ではあるが、
その前に地元に伝わる「神事」であり
第一、馬がビビっているじゃないか…
というトコロも考えていただきたいものだな。

ただ、近くにいた地元のおばあさんの話では
神馬が荒れるほど翌年は豊作なのだとか。

そして、いよいよ
昼間は付いていなかった雪洞を纏い、
各町の笠鉾・屋台が登場!
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こちら、6台の中でも最大の笠鉾。
下郷笠鉾!なんと高さ7m、重さは20t程度あるとか。

そして、こちら↓は
もう一つの笠鉾・中近笠鉾!

秩父夜祭・中近笠鉾

胡弓のような音が幾重にも重なって聞こえただろうか。
笠鉾や山鉾には「鳴り」と言って
ワザと車輪がこすれて鳴るように作ってあるものがある。

軸と触れる部分を綿密に調整したり
地域によってはチョーク粉をまぶして鳴るようにしたり
祭りによって差はあるが、どうやって鳴らしてるのだろう…。

ちなみに、神幸祭の最中は御旅所(手前の道含む)や
秩父神社と一部の道路は完全に通行止め・入退場禁止となる。
そのため、通行止めになる前にチラッと撮ったものだが
御旅所の妙見ちゃんが座る場所は この鳥居の奥。
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右端に少し写っている屋根の下に
亀石という石があって(妙見ちゃんは亀に乗っている)
御旅所でいろいろやっている間はココに御幣が立つ。

そして、翌朝撮ったが
御旅所入口には神社例大祭で立てるようなのぼりばた。
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ほぼ山車の紹介で終わってしまったけれど、
次回は秩父神社自体について書こうと思います~
(*´ω`*)

さいごにおまけで
本町屋台の天井の鳴き龍とオニーサンたち!
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鴻池朋子「根源的暴力vol.2あたらしいほね」

ずいぶん経ってしまったが、
8月に鴻池朋子さんの展示を見に行った。
人の勧めで「絶対好きだと思うよ」と言われて行ったが、
あとで調べたら「焚書」↓書いた人だったのね。

焚書 World of Wonder

焚書 World of Wonder

 

 数年前、絵が気に入って買った絵本だったが、
あの時よりさらにパワーアップしてるというか
今回は「気に入った」でなく「揺さぶられる」感じがした。


*名前が付く前のカミサマ*
普段神社のことを書いていることがほとんどなので、
なんでいきなり美術展のブログになったんだ
(゚д゚)⁉
と思うかもしれないが…まぁまぁ。
普段管理人が考えていることとは関係あるのだ。

とりあえず今回、神社は出てこない。
なので神社好きで読んでくれていた方は…
次回以降また神社の話題に戻るのでお許しください!
|д゚)

あと、今回はいつにも増して長いです…。
*なぜ鴻池さんの作品に惹かれるのか*

鴻池さんの絵や立体作品を見る時、
管理人は その獣や山、雪、魚の持つ
「命」や「鼓動」もしくは「死」に圧倒される。
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古く、人は神話や民話の中で
猿や蛇や鬼の嫁となり、雪女や鶴や熊を娶ってきた。
また、川や山の声を聞くこともあった。
そしてその前後には、融和が見られることもあれば
知恵比べや取引、そして争いや破壊が発生することもある。


これらは「語り」の世界のことではあるが、
実際に自分でないもの(=自然、動物、異民族etc)との
コミュニケーションを図ってきた「経験」の記録でもある。
と、管理人は思っている。

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現代においては、
結構いろいろなものが調節・制御可能になってきて
環境や人でないものに「圧倒される」経験や
もしくは「取引をする」という感覚は
おそらく昔より薄れていると思う。

鴻池さんの描くものは何処となく
そうして普段忘れられている
かなわない存在からの圧力や、
その中で生きようとするもがき
みたいな「やりとり」を感じさせる。
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*カミサマとの距離感*

話は変わるが柳田国男
「カミの零落の三段階」という話を書いていた。
妖怪は神の零落した姿であるという考えを前提に、
神であったものがどのように妖怪化していくのか?
を整理した3段階である。

これを管理人なりに噛み砕くと

①人が畏れ遠ざける段階。
 触れなければ何事もないが不安も解消されない。

②人が畏れながらも近づいてゆく段階。
 内心まだ気味悪がっているが、
 その力を祀ったり試して防ぐ手段を探り始める。

③畏れを持たず滑稽なものとして扱う段階。
 笑い話や風刺画の題材などにもなり娯楽的になる。

…となるかな、と考えている。
河童などを想像してもらえばわかりやすいだろうが、
自然に関しても大体構造は同じで

①ただ災害を受け止め、起きないよう祈る段階

②災害を起こすもの(逆に恵みを与えるもの)
 に名前や形を与え、意思疎通を図る段階

③物語(民話、神話)が発達し、
 災害などへの対処の手段が語られる段階

という三段階があるような気がする。

※ただし③は必ずしも理論的な解決策でない。
 伝承には以下のように、経験をもとに推測して、
 「あの時と逆の対応をすれば被害に遭わない」
 と安心するための心理的解決(仮)も多い。

 ・災害前に、正体の分からない声に挑発的な応答をした。
  ex.1)やろか水の「やろうか」に「よこさばよこせ」と返す。
  →つまり、返事をしなければ災害は起こらない!
 
・被害者は悪い行いをしていたからこうなった。
  ex.1)狐を懲らしめたので一族に子が生まれなくなった
  →つまり自分はそうしなければ災害に遭わない!

で、話がズレたが3段階説の話である。
ソレと美術展がどう関係あるんじゃい!というと
普段管理人が書いている神社の記事は
神様がどうとか〇〇信仰だとか
3段階で言う②から③の段階の話が多い。
つまり「どう扱うか」が決まった後のハナシだ。

でもこの美術展では冒頭で話したような
「まだ恐れられている状態」
「漠然とした自分以外の存在」
つまり①と②の間くらいの感覚を感じることができる。
…なので、たまにはそうゆうことも書いてみようかなと。


*生活者という巫女*

上の三段階説で
③の段階(orその先)に行ってしまった「現代人」たちを
①と②の狭間につなげてくれる鴻池さんは
ある意味で魔女的もしくは巫女的だと思う。

今でこそ巫女さんというのは
神社にいて赤い袴をはいて御守りとかを売っている!
…というイメージだが、
知っての通り彼女らは御守りの売り子さんではない。
舞を奉納したり 供物を上げたり
つまりカミサマに仕えている人なのだ。

私たちには見えない神様に 巫女さんが仕え
定期的に御供えを換えたり
また神事を執り行い舞を舞うことで、
私たちは神様がそこに居て
コレを食べたりアレを見たりしてるんだな…
と感じることができる。

また、神様の声が聞こえない我々一般ピープル
神様の声を通訳してくれるのも巫女さんだった。
神がかりとなり、神の信託を聞いた卑弥呼などが
そういう意味での巫女としてイメージしやすいだろうか。

あとは、亡くなった人の口寄せを行い
民俗行事にも関わるイタコさんたちも巫女と言っていいと思う。
また、宮古島や沖縄のユタやノロも
古い巫女さんの形を残している文化だと思う。
つまり、巫女さんは神様と我々をつなぐ人なのだ。

自然側の 波のような霧のような声をキャッチして、
ちょっと鈍くなってしまった現代人に
わかりやすいチャンネルに変換して発信するのが巫女。
そう考えると、鴻池さんもそんな存在な気がした。

彼女を巫女と呼ぶとすれば、
使っているのは古代の女性たちと同じ力かもしれない。
混然とした自然の中に存在している 有用植物を集め
食事を作り、糸を紡ぎ、布を織った女性たちのことだ。

彼女らもまた自然の中で生きる「生活者」であり
だからこそ自然に耳を傾けその変化や性質を知る必要があり
巫女的な存在であることができたと思う。

しかし、今となっては神道の巫女さんは
なんとなくスピリチュアルというか神事・祭事寄りで、
日常的な生活とは縁遠いかんじがしてしまう。

それが悪いわけではないが、
そうすると神様や祭(祀り)というのは
どんどん生活から離れてプワプワ浮いてしまう。

一方、この美術展では
日常と離れた精神的芸術性でなく
自然の中で生き抜いていく「生活者」的な魅力を感じた。

それはきっと鴻池さん自身が
作品制作だけでなく服などを「作る」ことも等しく
「自然の領域に踏み込んで 切り取ってくること」だ
と考えて制作しているからだろうという気がする。
(想像でなく、この認識については対談で言っていたことだ)
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その服について、そして女性の使う魔法について、
作品中で語られている部分があるので見てみる。
ココでは「ある女性の語り」として
「白鳥の王子」の刺草(イラクサ)のシャツ
「シンデレラ」の灰まみれの服
などを例に語られている。

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彼女にとっての本当の衣装は舞踏会のドレスではなくて、
この灰まみれの服こそが大事な花嫁衣裳なんですよ。
私が魔法という超自然的な救いの手を差し伸べるのは、
彼女が灰をまとってから。

そういう変身の道具が、動物の皮や刺草や灰だったり、
私のこの魔法の杖が木の枝だったりするように、
文化から離れて、より自然なものに近づくのは、
おとぎ話の「魔法」っていうものが、
自然の力によって起こっているからなんですね。
人間が古来より抱いてきた自然への驚異の念、
それの名残なんですよ。

*見るということ*

見る、ということに関して
管理人はあまり意識していないのかもしれない。
それは反対に「見るな」という禁忌も
あまり気にしていないというか、
だからこそいつも拝殿の中を覗いては
写真まで撮っていたりもするわけなのだが。

日本にとどまらず世界中の民間伝承において
「見るなのタブー」
の威力(?)はすごいと思う。

国内では「鶴女房」「浦島太郎」が有名だと思うが、
それ以前に黄泉の国のイザナミ
妻のモモソヒメと蛇神・オオモノヌシ
トヨタマビメの出産etc…
日本神話だけでも見るなのタブー山盛りである。
外国のものでは「パンドラの箱」「青髭
あたりが身近だろうか。

見るという行為自体はある意味能動的なのだが、
禁止されていたり隠されていたりするものを見るには
結構な決心と行動力が必要となる。

しかし、どの民間伝承・童話でも
その禁止された真実を見る勇気や行動力は
評価を受けることは少ない。
だいたいは、禁忌を破ったことで真実を知り
多くのケースでは夫婦でいられなくなったり
生命が危機にさらされる。

それでも、ひとりとして
カリギュラ効果に抗い抜いた主人公はいない。
今回の展示でも、たびたび「見ている」顔が
作品の中に登場する。
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解説はついていないので本当の意味は分からないが、
それは大体のぞき込むような場所に作られていて
鑑賞者は「なんだろう?」と近づいていくと
急にその大きな目と目が合ってハッとする。
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それは、のぞき込む私たちに対し
ただ見られるに任せる風景でなく
意思をもって覗き返す自然なのかもしれないし

考え方によっては
その視線に出会ってハッとしている
私たち自身の表情なのかもしれない。
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おそらく
祖母の布団に居るオオカミを見た赤ずきん
ジル・ド・レの部屋を覗いてしまった少女も
オオモノヌシの正体を見たモモソヒメも
こんな顔だっただろうと思いながら見ていた。

その「目」に加えて印象的なのは
小さく開かれた口。
これもまた巨大な本の中で言及されていて、
口は「食べものを取り込む」
つまりは他の生き物だった命と一体化する器官であり
また「外界の物が出入りする危うい場所」とも書かれている。
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その危うい場所が、
新たなものを見て場合によっては警戒すべき
というような表情の中にあって
あろうことか「閉ざされ用心する」のでなく
ガードせず「開かれている」のだ。

実際びっくりすれば口は開いてしまうものかもしれないが、
それはある意味
自分にとって未知の物や脅威となり得るものも
拒否せず自分の中に取り込んでいる表情なのかもしれない。

…話題が「口」に移ってしまったが、
「見る」ということに話を戻す。
これについても鴻池さんは文章で書いてくれている。
(先ほどの魔法と自然の次のページだと思う)

同じおとぎ話であっても
結末にはバリエーションがあることについて、
「おとぎ話では結末が必ずしも大事ではない」
「それよりも「見る」ってことのほうが大事」と。
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最後の段落だけ文字に起こすと、

赤ずきんも森で寄り道をして、
初めて見る美しい草花に心奪われ、
狼と出会ってしまいますよね。
そうしたら赤ずきんがもと来た道を、
何ごともなかったかのように帰って行くっていうのは、
やはりあり得ない。
何かを見てしまうことで、赤ずきん自身
これまでとは違うものになってしまったわけですから。
たとえ命が助かったとしても、
もはや、同じものではいられないんです。

と書かれている。
見ることで、相手の関係だとかよりも
自分自身が同じものではいられない。
これは結構インパクトがあった。

そうして、これを読んでから
もう一度ここまでで見た展示を思い出す。
そうすると、何となく思うのは

ああ、自分もここの入り口を入ってから
いろんなものを見た。
もう入る前の自分と同じものではいられないのか。
ということ。

*駆け引きと信仰*

さて、見るという人間寄りの話をしたけれど
また話は自然との関係に戻る。
現代では感じることの少ない感覚かもしれないが
生きることは環境(自然)への間借りである。
衣食住という基本だけ考えても
着るものの毛皮や布は動植物の命に踏み込んで戴くのだし、
食べるものも同じく、自分以外の命を取ってきて自分が永らえる。
住む場所も 自分が住む間はほかの動植物を制限することになる。

そういう関係の中で、
必ず「駆け引き」が存在する。

勿論それは物理的な意味でも
狩ろうと近づけばケガを負うこともあったり
漁場や狩場に近い集落は津波や山崩れに遭いやすい。

しかし、それとは別に
自然災害など 何かどうしようもない事態になった時や
命を奪うことへのうしろめたさを感じた時にも
人は「駆け引き」を持ち出してくる。

無論、これは人が自然を擬人化することで生まれる
架空の駆け引きで
実際効果の程は微妙なものだが。

人は相手が「意思」や「声」を持っていると考えることで
相手が人間でなくとも
自分と相手を同じように尊重する能力を持っている。

たとえば、あまりに幼い子は
「自分がこれをやられたら痛いだろう」とは考えないが、
少し成長すれば
相手が「痛い!」と言わないヌイグルミだとしても
大切に抱っこしたりすることができる。

これは、身近に世話してくれている人との関わりなどから
「他者も自分と似た痛覚や感情を持っている」と学習したり
「実際反応を見聞きせずとも相手に自分を投影し想像する力」
が発達してくるためだ。

と同時に、人の心理には
自分の力でどうにもならないものへの
理不尽さや恐怖を克服するためのステップがある。

例えばキュブラー・ロスの「5段階モデル」。
これは死を宣告された人が受容するまでの精神の動きを、
以下の5段階に分類したものだ。

①否認(事実なのか、どうゆうことなんだ)
②怒り(不幸にも選ばれた。なぜ自分なのか)
③取引(条件を提示し回避しようとする)
抑鬱(回避できないと悟る。対処できない絶望)
⑤受容(自分なりの意味を見出したり納得する)

この「③取引」の部分だ。
上段で書いた「相手に自分を投影する能力」と
「取引を持ち出して状況を打開しようとする心理」。
これが、自然を擬人化して
コミュニケーション可能な存在とみなし
祀ることで災害等を回避しようという発想の下地な気がする。

上記はモトが「死の受容モデル」だから例が微妙だが、
どうすることもできない自然災害についても同じく
「アレが悪かったなら改めますから」
「コチラはこれを差し出すので助けて」
と言った心理的な駆け引きが発生するし、
また狩猟の対象となった動物などに対しても
「この部位は人間がもらい、こちらは山の神に」
「一年に一度弔う(祀る)日をもうけよう」
といった具合に神との分配・祭祀等が行われる。
そうした恐怖心・うしろめたさへの対処の過程で
カミサマや信仰というものが生まれるのだろうと思う。

作品展の中では、
先ほどの魔法と自然や
「見る」ことについてなど
たびたび大きな本が展示されていて
以下のページには人と道具について書いてある。
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「ヒトと道具のはじまりを考えたとき、
 道具とは人が自然に対して働きかけるためのもの、
 人と自然をつなぐためにあるものだと思うんですね。」

と書かれている。
この「道具」という言葉をそのまま「信仰」に書き換えると、
そのまま人とカミサマ(自然)の関係になると思う。

つまり、信仰も道具であった。
人が自然に働きかけるため、つながるための。
という具合に。

歴史を重ねるにつれて信仰というものは
人を集団としてまとめ上げるために利用されたり、
贅を尽くしても許される権力顕示の場となったり、
人から人に向けられるものになってしまった気がする。

しかし本来、人と自然のつながりを考えずには
語れないはずということは忘れないでおきたい。

なんだか内容が固いし
エラく抽象的な話になってしまったが、
そうゆうことを考えさせられた展示だったとさ
(/・ω・)/♪

↓今回の展示で最大の作品。
  縫い合わされた皮に海から頭を出した火山や
 冬眠しているような様子の動物などが描かれている。
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君の名は。

レイトショーで新海誠監督の「君の名は。」見に行ってきた。
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まぁ、この作品がどんなに綺麗か
どんなところがどうだという総評や
あの部分はこういう意味だとゆう解釈は、
いろんな人がいろんな所でしてくれているだろう。
後、もちろんネタバレしてほしくない人もいるだろう。

なので書きたいことだけ書くけれど
管理人的には「災害と神事の伝承」というところが
意外につぶさに描かれていてステキだった
(*´ω`*)

もっと個人的に言えば
なぜ自分がこんなにいつも神社のことを書いているのか言語化できた。

これぐらい↓は内容をバラシても許されるだろうか。
この話のヒロインは田舎の神社の子である。
そして神社に伝わる神事の担い手であるわけで、
祖母は毎度村に伝わる話を彼女らに話している。

ヒロイン姉妹は少し聞き飽きて耳タコであるが、
要は 大火事で村が壊滅状態となったことがあり
いまヒロイン姉妹が継承している神事は
「意味」の伝承が失われ「形」のみが残った。
そして今も形だけが語り継がれて行われているとゆう話だ。

しかし(何が起きるとは言わないが)
作中で今度こそその「形」の伝承までもが
完全に消え去ろうかという事態に見舞われる。

アニメだからこそ劇的な展開にはなるが、
これ自体は今も日本中で起きていることなのではないか。
意味が失われても、その形を続けている人たちがいる。
形が一度失われていても演じていた人
(さらに言えば映像だけでも誰か残していれば)
形は記憶されている。

だが、逆に後継者がいても
その土地でその形を伝承していかない場合もある。
それを再び形になるまで復興するか、
人に伝えて残すか、残さないかは当事者次第だが。

そういう部分含め、
絶滅危惧神事の若い担い手に関して
アニメにありがちな特殊な設定とかじゃなく
結構リアルに近いんじゃないかと感じた。

作中で登場人物たちは色々印象に残るセリフを言うが、
管理人が一番共感したのは
主人公の一人・タキが就職面接で志望理由を話す場面だ。
彼もテンパってゴニャゴニャだったし、
そんなにはっきり記憶できていないけど、
「日常的にそこにあるものが ある日突然なくなる
 というのは例えこの東京でもあることだから、
 心にも残る風景(建物?)を作りたいと思って…」
みたいなことを言っていた気がする。

実際彼は内定をまだ一個も取れていないので、
この言葉はあまり大人たちに響いてないようなのだが。
でも、曖昧さや無力感も含めてタキの気持ちは
自分が神社の写真を撮っているときの気持ちに結構近い気がした。

自分が何を想定して
「いつかこの神社が無くなってしまうかも」
「いつかこの神事が途切れてしまうかも」
と思っているのか分からない。そこは漠然とだが。

東日本大震災熊本地震が起きて、
実際 学生の頃に行ったことがあった神社が
いくつか無くなっているのである。

だから、例えばこのブログにのせた祭りが
数年後何かの理由で続けられなくなるかもしれないし
ココに書いた神社が明日天災で無くなってしまうかもしれないと、
とてもリアルに想像することがある。

国宝や文化財になっているモノが天災の被害を受ければ
全国の人はすぐにそれを知るし
資料もたくさんあるから修復も早いかもしれない。

でも、村社の例祭なんかはどうなのだろう。
その地域の人以外あまり見に来る人もなく
もし、その地域が壊滅的な被害を受けることがあったら。
誰がその小さな、いまさらもう
どんな神様がいたかも分からない社を立て直すだろうか。
その土地の人の暮らしを守るための神事を
他の土地で暮らす誰が覚えているだろうか。

だから、有名どころの祭りも見たいし
華やかな祭りも撮りたいけれど、
なるべく小さな祭りを見つめていたいのである。

顔が見える人に確かに伝える「口承」は大事だが、
誰が見ているか分からなくとも
紙に書いたモノがこの世に存在するのでなくとも

ここに浮かべて不特定多数の目に触れ
その中の何人かは最後までちゃんと読んでくれて
たまにはシェアまでしてくれたりする。
管理人の記事に限らず
ネットに浮かんだ全てについて言えることだ。

語り手(発信者)不在時も
聞き手(読み手)が受け取ることが出来
語り手(配信者、シェアラー)になれる
とゆうのも1つの伝承の形になり得るのかもしれない。
と、思うことがある。
伝承ならぬ「電承」とでも言おうか。

大袈裟だと思うかもしれないが、
いつもなんとなく考えていたことが
この映画を見て言語化できそうかも、とゆう気分になったので。
自分が忘れないためにも書いておかせてもらった。


*蛇足・その1*

ミツハの家は神社だが、いわゆる里宮だ。
集落の南西にある山を越えたあたりに奥宮があるらしい。
そして、ココは何か
東北の「不地震地」のような場所なのかもしれないと思った。
地震地とは、地震が来ても揺れの少ない土地のことだ。
こうした土地には、それらしき地名が残り
地震が来たとき逃げ込むべき場所として語り継がれていたりする。

まぁ作中の天災は
地震津波とは頻度が違うし
奥宮の地名はわからないのだが。

しかし前回の被災後に安全な土地に奥宮が作られ
やがて通いづらい奥宮より
里宮が信仰の中心になったのではないだろうか。

そして、
ミツハの祖母が語る「繭五郎の大火」によって
神事の意味だけでなく
奥宮の場所の意味や里宮との関係も 語る人はなく
記録も消えてしまったのかもしれない。

※作中の「入れ替わり」という不思議な力を
 この奥宮や神酒や災害回避とつなげると…と考えると
 キリがないしネタバレになってしまうので
 実際の神社に言える部分だけ書いていきますー。

この奥宮もそうだが信仰の場とゆうのは本来、
生きようとする土地の者みんなにとって
意味のある場所だったハズだ。

天候の変化をいち早く知らせる山であったり、
大きな津波に飲み込まれずに残った土地だったり、
日照りの時も そこだけは水が絶えない川だったり。

つまり、誰でも意味を知っていた。

それが段々と生活と信仰は離れてしまい、
生活は技術を介して地に接するようになり、
人は風や雲を読めなくなり 重要な場も忘れ、
信仰は空に浮いているような感じになってしまう。
そうして意味が忘れられてしまえば。

次の天災が来るまでに
人は「伝える」ことも忘れてしまうはずだ。
生き残った人が、
次に誰かが生き残るために伝えていたものを。

そう思うと、
昔々のおとぎ話を聞くような心地であっても
語る人すら 本当の意味を知らなくても
伝承をつなぐ!
というのは重要な責務のようにすら思えて来る。

*蛇足・その2*
とつぜんだが作中で、
かなりハッキリ背景に道祖神が描かれるシーンがある。
道祖神は大抵
道の分岐点や集落の出入り口(境)に祀られる。
ミツハが酷い転び方をしたあの時
物理的な道だけでなく時間・未来・そして2人の分かれ道を
おそらくあの道祖神は見守っていたのだと
管理人は勝手に思ったのだとさ。

ちょっとネタバレしてしまったかもしれないが、
自分が神社や祭りについて思うところを
再確認できた映画鑑賞でした~。
(*'ω'*)

石灰岩と武甲山。

久々の秩父(/・ω・)/!
狼信仰の国であり、秩父夜祭の舞台であり
豊かな山々に囲まれた…何かと憧れる土地ですな。
※個人の感想です

さて、武甲山の(現在の)山頂には
御嶽神社の山宮がある。
里宮は「横瀬駅」つまり表参道側にあるのだが、
今回はもろもろの都合上 裏参道である「浦山口駅」から出発。

横瀬駅の方が温泉もあったりするのだが、
駅からはバスもなくタクスィーを使うしかないので
貧乏人には優しくない。

そんなわけで浦山口駅に降りたわけだが、
案内板が分かりづらい(; ・`д・´)!
いや、単に方向音痴なだけか?

駅からしばらく「こっちかな」などと
それらしき方向に進んだのだが。
友人とともに適当に進んだら、
なんか間違った方向に来て登山口を見失った。
(登山口に入るまでに30分くらいかかってしまった…)

方向音痴仲間の皆さんのために書いておくと、
登山口はごくごく駅の近く。
駅から歩いてすぐ道の左側に
ザバザバ水が出ている地点があって
それを過ぎて結構すぐ左側に入る。
橋立堂や鍾乳洞の前を通過するコースなので、
とりあえず「28番札所橋立堂」をめざす。
そこまでたどり着けばもう分かれ道はあまりないので、
(おそらく)迷わないと思われる。

お土産処か骨董屋のような店があり、
その駐車場を過ぎるとすぐに
けっこう傾斜の激しい稲荷神社がある。
(帰り道に寄ったので写真は最後に(*'ω'*))

その前を通り過ぎてしばらく歩くと、金の鳥居が!

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鳥居の向こうには石碑。

武甲山御嶽神社裏参道橋立口は
奥橋立の開発に伴い路線変更を余儀なくされ
旧参道に建立された鳥居も老朽化原形を失いしにより
これが再建を営み神霊を慰め奉るべく発起せしに
秩父セメント株式会社の全面的協賛を得て
ここにその竣功をみる
これ偏えに広大無辺なる御神德に他ならず
大神の御稜威のもと山に活きるすべての諸びとたちの
安泰と国土の安寧を加護賜らんことを祈念するものなり

と書かれている。
そうか。秩父セメントか。うん。

無論セメント産業は秩父の発展に貢献しているけれど、
その原料はこの武甲山から採掘される石灰だ。
この採掘事業のために武甲山北斜面では
骨のように白い石灰岩が露出して痛々しい。
この採掘事業の勢いは、
神奈備山(円錐に近く美しい形で神が宿るとされる)
である武甲山の標高が変わってしまうほどである。

人間が産業を興すたびに数々の神域も
経済発展の糧になって消えて行った、
というのは何もココだけの話ではないのだが…
神の山がここまで堂々と今も採掘され続けるというのは
複雑というか何とも言えない。

だからこそ、
(そうすればチャラというもんでもないが)
ココの神様たちのために工事やお金が必要になったら
秩父セメントさんには奮発してもらいたいなと
そして現にそうしてくれているみたいだなと。
この石碑を見て思った。

そこを通り過ぎるとしばらくは比較的緩やかだが、
川の岩の上を渡ったあたりからなんだかしつこく激しい道に!
かなり疲れたところで、なんか開けたところに出たので
「やった、これでもうすぐ頂上か?」
と思いきや、デカい看板が。
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…熊が出んのかーい!
いや、知ってたよ。知ってましたとも。
だからこそ、クマ除け鈴を持ってきたのさ!
チャグチャグ馬コの馬具を作ってる、
塩釜馬具店(岩手)特製の鈴だぞ
(/・ω・)/ガオーッ!

まぁしかし、なんとなく高尾山感覚で
「しばらく開けた斜面を登ったあたりで頂上か」
と思い込んだのが悪かった。
しばらく歩くと、また道が狭く激しく草だらけに!
ぬか喜びだった!どこまで続くんじゃ…
(´・ω・`)ツカレタヨゥ…

と思ってマップを見てみると、
なんとまだ半分くらい!
派手なキノコを探して何とかテンションを保つ。
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しかもだんだんガスってきたよ。
霧に体温奪われる。
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そしてやっと頂上に着くころには…
霧が!無駄に神々しい!
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そして武甲山御嶽神社↓到着!
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スモーク焚いた舞台セットみたいんなってる…
そして管理人のお目当て!
「オイヌさま」ことオオカミさん↓である。
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吽形は、なんだか上下に牙が突き出し
ちょっとワニを思わせるような口。
阿形は、ちょっと剽軽な印象でかわいらしい!

狛狼(?)の中にはキツネっぽいのもいるのだが
一般的には狐たちより大きく裂けた口と鋭い牙、
そしてストイックに浮いたアバラ骨と、
後ろに伏せた耳(あるいは洋犬のように垂れている)。
これが神使狼さんたちの特徴である。

埼玉県・秩父では、この御嶽神社のほか
三峯神社etc数社でもこの「神使狼」を見ることができる。
モノによってずいぶん面白い顔をしているので、
秩父にお立ち寄りの際はぜひ狼めぐりをしていただきたい!

そして、
東京では奥多摩に狼を神の眷属とする神社が点在。
以前に記事を書いた武蔵御嶽神社や、
その奥にある大嶽神社とか。

あとは…
東京砂漠にお住まいでエブリデイ忙しくて
ティティブやらOku-Tamaくんだりまで行ってられるか!
奥多摩は東京じゃないんだ!という方は
渋谷御嶽神社でもオオカミに会えるので落ち着いてくれ。
(´・ω・`)

さて、脱線したが
中を覗くと本殿が収まっているらしい感じなので
拝殿ではなく覆殿なのかもしれない。
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では、ここにいる神様は誰なのか。
ヤマトタケル蔵王権現
そのへんが祭神として妥当な所と思うのだが。

実はね…
埼玉県神社庁のHPにも書いてなかったわけですよ。
というかむしろ里宮の方しか検索に引っかからないし、
その里宮も祭神とか明記されてなかったし。
宮司宅の電話番号だけは載っているので
電凸せよとゆうことなんですかね(´・ω・`)

ヤマトタケルに関しては、
東国征討に向かった彼が武甲山に甲冑を奉納して
関東鎮護としたのが「武甲山」の名前の由来らしいし、
オオカミを神使とする神社には
ヤマトタケルが祀られていることが多い。
なのでタケルさんでも不自然ではないのだが。

しかし、山頂には御嶽神社とは別に
ヤマトタケルを祭神とする白鳥御剣神社↓が存在する。
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わざわざ別にあるとゆうことは、
タケルさんは白鳥御剣神社にいるのだろうか?
しかし、この白鳥御剣神社もまた
埼玉県神社庁の検索には引っかからないので
正確な所はよく分からない。

ちなみに、神社庁フィルターで行くと
埼玉県内でヤマトタケルを祭神として登録しているのは、
金鑚神社と我野神社だけのようだ。

一方の蔵王権現に関しては、
山が削れてしまう以前
武甲山の頂上には蔵王権現社があって
この山全体が修験道の聖地であったらしい。

そのため、御嶽神社にもこのような↓
熊野修験アイテムが設置されていたりする。
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そもそも この社殿、名前こそ御嶽神社であるが、
旧山頂の蔵王権現社を移築したものらしい。
ということは、今もメインでお住まいなのは蔵王権現

まぁそのへんは、
横瀬にある歴史民俗資料館に行くと
おそらく詳しく分かると思われるので…。
今度時間があるときに行ってみよう。
(今回は登山が目的だったため平地を巡れなかった)

ともあれ、ヤマトタケルが先勝祈願し
関東鎮護として武甲山を選んでいる時点で
既に武甲山は力のある山だったのだろう。

名前の付いた神様が招かれる以前から
人々にとって重要な山であったというのは、
今や採掘で失われてしまった「旧山頂」に
かつて縄文時代の遺跡や巨石群が存在した!
ということからも推測できる。

そんな貴重なモノが、
むざむざ失われた無念さに採掘場を睨んでみる。
が、あまりの霧に何も見えず!
おどろきの白さ!

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ともあれ、
友人が作ってくれたお弁当を食べ、
密かに機嫌を直した管理人だったとさ。
(*´ω`*)ウマシ
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そして神社エナジーと弁当エナジーを補給したところで
レッツ下山!
足に負担は来るものの、
登りよりは完全に楽なので結構サクサク。
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水が綺麗ですなー。見るだけで生き返る心地。

そして川の近くで小休止中
登山マップ上に「橋立神社」なるものを発見し、
これはどこだとキョロキョロ探す。
登山道と橋立川が交わったちょっと先のようだが…
無いぞ!無い!
すごく小さなものなのか?
それとも朽ち果てて消滅してしまったのか?

落ち着かない気分で半ばあきらめたころ、
行きには気づかなかったシブい鳥居の祠を発見。
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森との一体感ありすぎ!
そして鳥居の扁額を読んでみると…
「橋立神社」と書いてあるぞ(/・ω・)/イェーイ!

橋立川の神様なら女神様かな?
神仏習合で弁天様とか?それとも龍神?
と思って祠に近づいてみる。
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なんと、この祠にも
修験アイテムが安置されている…。
そして扁額はというと↓
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じゃーん。
オオヤマツミさんでしたー。
そこは神道系神様で来るのね。

と言っても、ここも元は違う神様だったのを
明治時代とかに日本神話の神様にチェンジした!
という可能性も十分あるわけだが。

まぁともあれ
橋立神社が無くなってなくてよかったね。
(昔はもっと大きかったかもしれないが)

さて、いよいよ下山も終盤。
こちらが冒頭で紹介した「傾斜の激しい稲荷神社」。
まぁ、下諏訪の北斗神社ほどじゃないですけどね。

最初に友人が「どうする?寄る?」と言ってくれたが
帰りも通るんだから、まず武甲山に登ってみて
帰りに筋肉がまだ大丈夫だったら登ろう(;´・ω・)
という結論に達したのだった。賢明だった。
f:id:ko9rino4ppo:20161006194419j:image
登ってみると、
眉間にシワの寄ったキツネが出迎えてくれた。

左)あぁん?なんだオメーら。冷やかしかッ⁉
右)ふん、まぁそう吠えんなよ。
  噛み付くのは悪さしてからで良かろ。
f:id:ko9rino4ppo:20161006201152j:imagef:id:ko9rino4ppo:20161006201202j:image
…みたいな顔してますよ。すいませんね。
冷やかしじゃないけど覗いて写真撮ります。許して。

階段の両わきは草ボーボー、虫ワラワラな割に
お社の扉は結構新しそうで建てつけもいい。
大事にしてもらってるのね。
f:id:ko9rino4ppo:20161006201140j:image

…と思いきや…。
f:id:ko9rino4ppo:20161006194322j:image
なんか鏡餅変色してますけど!
しかももう10月ですけど!鯉のぼりが!
手前の発泡スチロールタッパーにも
ラップに包まれ正体の分からないものが!
扉も大事だけど、御供えも新鮮なのを是非…。

くたびれ切った筋肉には
ちょっと恐い急階段でしたとさ↓
f:id:ko9rino4ppo:20161006201221j:image
おかげさまで無事
武甲山に登って降りてこられましたよ。
キツネさん、オオカミさん
オオヤマツミさんもありがとう。
というわけで今回も無事に一日が終了。


秩父駅から見ると、
武甲山のちょうど採掘されている側が見えるので
痛々しさマシマシだが…(写真撮り忘れた)
登山道から見えるコチラはそうでもないな。
f:id:ko9rino4ppo:20161006201043j:image
にしても、昔は珊瑚だったものが押されて押されて
こんな山の中で しかもこんなに盛り上がってるなんて
今じゃ想像つかないし 昔の人だって
あの珊瑚の島が山になるなんて思ってなかっただろう。

私の好きな絵本の中に
「さかなになった武甲山」というのがある。

さかなになった武甲山 (赤い糸文庫 愛蔵版)

さかなになった武甲山 (赤い糸文庫 愛蔵版)

 

(前半は端折るが)

採掘され悲鳴を上げる武甲山を見て
両神山が怒り狂い大雪を降らせて武甲山を魚に戻し
そして やさしかった海に帰してあげるという話だ。
幼いころの管理人には、

どうして山が海へ帰るのか分からなかったし
むしろそこまで気にしてなかったのだけど。
そうゆうことだったんだね。
もともと、ほんとに武甲山は海で生まれたんだ。
と、この山を登りながら考えていた。

 

いつか、採掘が進んで
あの霧をまとった奥宮も山が低く低く削られるたび
下へ下へ移築されて里宮のようになってしまうんだろうか。
平らな地面のあっちとこっちに
里宮と奥宮がちょんちょんと並んで、
なんでこっちが奥って呼ばれてるんだろうね?
昔はここに山があったらしいよ?

なんてことに。
なりませんように。
ということで、今回はこのへんで~。
('ω')ノ

八尾の蚕と八幡様。(+α曳山)

姉倉比売神社・おわらの胡弓の記事で書いたように、
この八尾は養蚕で栄えた地域だ。
八尾の蚕種は非常に質が良いと言われ、
全盛期には全国シェアの1/4を誇ったと言われている。
また、今でこそどこにでも薬局があって
家庭の「配置薬」というものは勢力を弱めつつあるが、
「富山の薬売り」というのは言葉としては御存知ではないだろうか。
その、薬だけでなく薬を包む和紙でも富山は収益を上げていた。

というわけで、
後で写真を載せる曳山を見ていただければ分かるように
富山の祭りは庶民が築いた文化とはいえかなり豪華絢爛なのである。

若宮八幡宮の蚕手水鉢*
さて、まぁ豪華絢爛は置いといて
その大事なお蚕様を守るために
人々はやはり神様にお願いしたのである。
中でも大きな神社として残っているのがこちら
若宮八幡宮」。
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朝日で 鎮守の森が青々と照らされ
まだ夜のあいだ人が踏み入らなかった静かな空気。
早朝の神社は気持ちがいいなー(*´ω`*)
※朝には弱い方だが、寝ていないので早朝に行けた。

さて、お目当ては手水鉢なのだ↓
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繭型の鉢!蚕の口から水が出る!
(ちょっと、蚕の土台が雑なのが玉に瑕)
ぜひお金が集まったら土台もうまいこと蚕っぽくしてほしい。

拝殿のほうに進んでいくと、何かの石碑がある。
…タ、タイムカプセル…だと…?
f:id:ko9rino4ppo:20160903131220j:image
そうか、ほんとのタイムカプセルってやつは
小学校で埋めて高校で掘り出すレベルじゃないのか。
2093年て…気が遠くなりそうだよ。

狛犬は結構古そうな感じで
顔が劣化気味。
f:id:ko9rino4ppo:20160903131421j:imagef:id:ko9rino4ppo:20160903131440j:image
さて、こちらの扁額。
拝殿の真ん中はもちろん「八幡宮」だが、
この左の扁額には「蠺羪宮」と書かれている。
f:id:ko9rino4ppo:20160903131513j:image
なんだか画数が多いが「蚕養宮」の繁体である。
そもそもなぜここが「若宮」八幡宮なのかといえば、
元は「蚕養社」という神社だったこの社殿に
お隣の八幡様から八幡神をお招きしたからなのである。

なので今でこそ八幡様の表札はかかっているが、
蚕の守り神様のほうが古参なのである。
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早朝とはいえ、雰囲気がある。
社殿の中の釣燈篭にはカイコガや桑葉が彫られているらしいが
残念ながら中はうまく覗けなかった。
例祭など拝殿が解放されているときにまた行ってみるしかあるまい。
(今回思ったのだが、前橋から富山は2時間ほどだから近い)

*八幡様と曳山祭り*
さて、こちらが先ほどの
若宮八幡の八幡神の実家(?)八幡宮である。
さほど離れていないのだが、
コチラは杜が深くないせいか近づきやすい雰囲気。
「人の世界寄り」とでも言おうか。


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とはいえ、社殿はなかなか年季が入っている。
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そしてこの八幡様の春季例祭として行われるのが
「八尾曳山祭」なのである。
実際の祭りは5月の頭に行われるが、
曳山展示館でのステージを見に行った際に
写真を撮ってきたのでそちらを何枚か載せてみる。

まず、群馬の祭りばかり行っていると
「獅子舞は三頭が当たり前」
みたいなアタマになってくるが富山は二頭。
コチラ↓の角があるのがオスである。
f:id:ko9rino4ppo:20160903132325j:image
そして、こちら↓がメス。
白髪(?)交じりの長いタテガミからのぞく
爛々とした目が迫力がある。
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顔立ちとしては、
よく年賀状に書かれる伎楽系獅子舞寄りだろうか。
(あの赤い顔で緑の布をかぶってやるやつ)
ちなみに、あの伎楽系獅子舞も
一頭だと思われることが多いが雄雌がいる。

ちなみに、今回の八尾の雌雄獅子は分からないのだが
あの伎楽系獅子頭のオスは「宇津(うづ)」
メスは「権九郎(ごんくろう)」という名前なのだ。
男らしすぎないか!?ホントにメスだと思って名付けた?
というのが、個人的にすごいインパクト強かった。

八尾曳山祭では、
絢爛な曳山に先立って獅子舞が道を清め
そこを神輿が御渡したあとに
お待ちかねの曳山が回される。

その曳山がこちらだ!
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↑これも実際展示してあるものを撮ったのだが、
 人形部分が見やすいように明るさ調整していたら
 背景がうまいこと消えてしまった。

ちなみに、御神体というか人形は
普段はこのように曳山から降りているらしい。
周りの雰囲気からすると、どこかの神社の中なんだろうか。
それとも、専用の居室(?)があるのか?
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しかし、これだけ絢爛な文化を生み出した養蚕も
世界大戦後急速に衰えてしまった。
そして、現在八尾には養蚕農家は一軒もないのだそうだ。
しかし、その素晴らしさ故 八尾の祭りは注目度が高く
曳山・おわらともに全国から見に来る人が大勢いる。

ぜひ、その祭りの美しさをカメラに収めるだけでなく
その美しい祭りを支えてきた養蚕業や
その養蚕から派生した民間信仰にも興味を持って戴きたいところ。

*おまけ*
曳山の各部分の名称が
曳山展示館の壁に張ってあった。
自分の役に立つかもと思って一応撮っておいたやつ。
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ちなみに、昼は瓔珞と彫刻が美しいけれど
夜はそれを外して提灯が付きますよー。
昼だけ見て満足するなかれ。

おわらと胡弓と蚕と。

心身ともに休憩のためしばらくサボっていたが、
やっと更新再開(;´・ω・)

前回は養蚕と関連深い姉倉比売神社の話をしたが、
今回の富山行きの目的は この「おわら風の盆」。

…といっても、
結構シニア世代には通じるのだが
友人などに「なにしてきたの」といわれて
おわら風の盆を見てきました」と答えると
なんじゃそら的な反応が多いワケだ。

御柱に続いてこのザマとは
 一体何祭りなら知っとるんじゃいキミら!」

と叫びたくなる管理人である。

おわら風の盆の語源*
この「おわら風の盆」の語源については
今回富山で外国人にも聞かれたのだが
(そして自分の英語力のなさを呪った)
正確なところは分かっていない。
以下、管理人の外国人観光客に対する説明↓

”owara” has some word roots.

first,place name."oohara"or"owara"village.
おわらには複数の語源があって、1つは地名。

second「大藁」.(←ノートに書いた)

「大」means「big or many」
and「藁」means「straw」.
many straw is metaphor of good harvest.
そして2つめは豊作を連想させる「大藁」。

Third"大笑"(これもノートに書いた)

"大"as I said sometime ago.
and"笑"means laugh.
maybe it to imagine"happiness"or"fortun".
3つめが「大笑」。おそらくこれは幸や福を表す。

Then,"風"means strong wind.
This region has a terrain that produces strong wind!
So,ritual to quell wind has been performd.
「風」に関しては、
ここの地形は
強風を生み出してしまう。
そのため風鎮祭が行われてきた地域なのである。


Finally,”盆”is traditional event of Japan.
It is similar to Halloween.
During this event,
The spirits of ancestors to homecoming on ground.
最後に「盆」は日本の伝統行事。
これはハロウィンに似て祖霊が地上に里帰りする期間。

ちなみに、これをめちゃくちゃカタカナ英語で発音した!
ああ、数ある旅行先からこの場所この祭りを選んで
奇しくも管理人に声をかけてくれたこの人に
もっとちゃんとした説明をしたかったのに!
「盆=ハロウィンに似た行事」で済ますな!

※いつも当ブログを読んでくれている方は
 盆の記事も読んでくれたかもしれないが、
 あの内容を英語で説明する能力が無いのだ。

…しかしまぁ「おわら風の盆」の語源はそんな感じ。
(英語得意な人は間違い探しをして笑ってやってくれ)

語源の話は諸説あるのでこれくらいにする。
この踊りの始まりは文献が残っておらず、
はっきりいつから始まったかは分かっていないのだ。

八尾の住民が加賀藩から貰った「御墨付」の文書を
一度は町のエライ人に取られたんだけど、
取り返したぜ!やったー!
…とゆうことで
町衆が三日三晩無礼講で踊り明かしたのが
この踊りの起源と言われている。
(その割に旋律は哀愁漂い、音もなく美しい所作で踊るのね)

さて、
この行事 観光的メインは9/1,2,3なのだが、
8/20~30の期間を「前夜祭」と称して
日々 八尾の町々で輪踊りなどが行われているらしい。

地元の人にとっては約半月にわたる祭り。
それ以上に、
謡や胡弓を練習している期間のことを考えたら
一年がこの祭りに向かって進んでいるような感覚があるんだろうか。

管理人の地元には、残念ながらここまで大きな祭りがなく
その感覚はつかみきれないのであるが。

しかし街並みを見れば
古い家はもちろん 最近建てた家も
「通りでの流しを家から見る」
ことを前提に作られている、という気がした。
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どこもかしこも通りに面して塀が並んでいる
閉鎖的な「最近の住宅」というものと比べると、
住人の視線が自然と屋内から通りに向く構造
っていいものだな(*´ω`*)
と一人で考えていた。

さて、暗くなってくると
いよいよ町々で「おわら」が始まる。

学校だかの敷地を演舞場として
チケット代なども取っているのだが、
今回そちらにはお邪魔しなかった。

公式ホームページで
町の地図や踊る時間なども大体書かれているので
もし来年見に行く方はそちらを見ていただきたいが。
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今回はとりあえず
町で踊る姿を見るためにまず東新町・西新町エリアへ。
地図でいうと手前が駅なので、
駅から歩いて地図の一番奥である。

ココは町並みも昔っぽくて、
道も石畳風になっている。
ただし、ここで携帯で写真を撮ろうと思うと
(あまりに観光客が両脇にいるため)
この美しい街並みを背景に
暗闇の中のおわらを綺麗に撮るのは至難の業。

↓…この人込みである。f:id:ko9rino4ppo:20160918102550j:image
ちなみに、かなり四方八方からフラッシュがたかれるので
人様のフラッシュとタイミングを合わせて利用する手もあるが
それはそれでピントが合わず苦労を強いられるのであった↓
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踊り自体を解説付きで知って
ゆっくり近くで見たいなら、
上新町方面に少し歩いて「曳山展示場」で
ステージを見るのがオススメである。
八幡様の祭りで町を練り歩く
豪華絢爛な「曳山」も見られてオトク。
※ただしステージは撮影禁止である。
 (曳山の写真は次回の記事にでも載せようと思う)

そこで聞いた話では、
稲作の作業を簡略化して表現した所作が多く、
その合間に仏教圏らしい合掌のような動作が入るのだという。

さて管理人的には、
ライトが綺麗に当たっているので撮影向きかな
と思うのはこちら↓の聞名寺さんの舞台。
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この聞名寺さんは、
さっき言ったように民衆が三日三晩踊り続けたのを
盆の行事として取り入れ慣例化させたお寺とも言われている。

全部は回れてないので、もっと穴場があるのか
もしくはケチらず演舞場で見るのが一番なのか、
その辺までは分からない。

あとは、
御花代を出してくれた家ということなのか
個人宅の前で おわらを踊る場面も見られる。
地元の人に教えてもらったのだが、
踊り手でなく白い浴衣を着た男性たちが
先に次の家の前に立って そこに踊り手が追いつくので
その白い人を追って家の前で待っておけば
踊りも正面から見られるし
家の灯りがあるので写真も撮りやすいらしい。

↓管理人は正面に陣取れなかったのでこんな写りだが、
 確かにあと少し左に入れれば正面から撮れた。
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越中おわら節と胡弓*
さて、観光案内のようになってしまったが
おわら風の盆といえば踊りのほか胡弓が特徴的である。
なのですこしこの「胡弓」の話をしたい。f:id:ko9rino4ppo:20160918103143j:image
胡弓の「胡」は胡麻・胡蝶・胡瓜などを見てもわかるように
中国の北方・西方の民族から伝わった物であることを表す。
(「胡」は「顎髭を生やした者」の意味。北方民族の蔑称)

はじめは早とちりをして
「このあたりに稲とともに大陸文化が伝来したのか?」
などと思っていたのだが、
おわらの旋律に胡弓が仲間入りしたのは明治40年代だそうだ。

浄瑠璃修行を経験し三味線や歌に明るかった
輪島塗の職人・松本勘玄という人が、
越後瞽女の奏でる胡弓を聞いて
おわらの旋律に胡弓を取り込むべく研究を重ねた結果
今の旋律が生まれたというのだ。

さて、瞽女さんといえば養蚕だっ!
(/・ω・)/ワッショイ!
…と言われても困ると思うが、
この瞽女さんと、八尾でも盛んだった養蚕には
昔から深い縁があるのだ。

そもそも瞽女(ごぜ)とは盲目の女性芸能者のこと。
主に三味線や琴など弦楽器を奏で唄を歌い
それを門付け芸として行うことで生計を立てていた。
実に、一年の中で300日ほどを旅して過ごしていたとも。

今の時代ではそうそう成り立たない職なので
世界大戦以降急速にその数は減ってしまったのだが、
農村に娯楽の少なかった時代は
農閑期の瞽女の訪問を心待ちにしていた集落も多かったらしい。

さて、神事・神話etcの中でも
「他に比べ欠けている部分がある」者が
神に近い力を持っている、巫女的な存在になる、
というのはよく聞かれる話なのだが。
(東北のイタコさんなどもその一つだろうか)

この瞽女さんたちも、農村に娯楽を提供するほか
「お蚕様を拝んでほしい」
と頼まれることがあったようである。
特に女性が担い手である養蚕のほか安産祈願などは
瞽女さんに拝んでもらうことが多かったという話もある。
そんなわけで、養蚕の盛んな土地では特に瞽女さんが歓迎された。

我らが群馬県も養蚕と絹織物で栄えた土地だが、
昔は越後瞽女の「上州番」と呼ばれる集団が来てくれて
祈願に娯楽に大変お世話になっていたようだ。
新潟から群馬まで来てくれたことを考えれば
越中八尾は拠点である長岡などに近く、
瞽女さんの往来も盛んだったのかもしれない。

養蚕と八尾に関しては
前回の姉倉比売神社の記事でも触れたが、
八尾と養蚕・越中の気候と養蚕のことも書きたいところ。
(長くなるので次回にまわしますが…(´・ω・`)

瞽女さんに興味を持ってくれた方にはぜひ、
ジェラルド・グローマー先生の著書↓

瞽女と瞽女唄の研究

瞽女と瞽女唄の研究

 

 を読んでいただきたい!
コレのほかにも岩波新書から出ている
瞽女うた」も つぶさに瞽女たちを見つめた一冊。



*おわら節の歌詞*
さて、
おわら風の盆」の踊りは
越中おわら節」という歌にのせて踊られる。
さっきの瞽女さんが唄って歩いたこともあり、
案外、長野の諏訪のほうでも知っている人は多かったらしい。
(畑中先生の「蚕 絹糸を吐く虫と日本人」に書いてあった)

この歌の中でおそらくもっとも有名な歌詞は
越中立山、加賀では白山、駿河の富士山三国一だよ」
ではないかと(勝手に)思っているのだが、

実は上記の「長囃し」などのほかにも
おわら節には無限に歌詞がある。

というのも、今でこそオジサンが歌うことが多いが
お蚕様を育て糸を紡ぐ娘たちの作業唄だったからである。
様々な娘たちが越中の四季を唄い、
小鳥の愛らしさを唄い、母を思って唄い、
恋した相手を思って唄い、
いつか読んだ物語や憧れの都のことを唄った。

民謡というのは聞き取りづらく
好きでもなければ聴く機会なども無いので
まぁ、親しみづらいとは思うのだが。
歌詞を読んでみれば若い女の子が
身の回りの小さなことを素朴に歌ったり
友達との笑い話にしたり。そんな歌なのだ。

おわら節の歌詞が
たくさん載っているサイトなどもあるので、
時間のある方はぜひ見てみてほしい。

ツグミって可愛い鳥ね。
 柿をつついて口紅付けたみたいになってるの」

「あなただと思って何も言わずに抱きついたら
    なんと諏訪神社さんの立石だったのよ?」

みたいな歌詞に癒される。
唄の歌詞まではよく聞こえないが、
女踊りと男踊りをそれぞれ少しずつ撮ってきたので
おわら節の雰囲気も併せて聴いてみてほしい。
(女性前列バージョンは、少しピントが微妙…)

おそらく、見終わった後に関連動画が表示されるので
もっと良い画質、もっと見やすいのが見たい!という方は
ぜひ全国の皆さんが良いビデオカメラで撮ったおわらを
色々さがしてご覧くださいー。
管理人はiPhonしか持っていない映像弱者なので…。


おわら風の盆(男性前列ver.)


おわら風の盆(女性前列ver.)


とまぁこんな感じで夜が更けて、
公式(観光客向け)プログラムは21時ごろ終了なのだが、
街角では夜明けごろまで皆さんが
交代しながらチラホラ踊っているのである。

それを見ようと思っている観光客なのか地元の人なのか、
普通に銀行の駐車場とか道端に雑魚寝している人も結構いて
終電後の越中八尾はなかなかフリーダムな雰囲気となっていた。

*見送りおわら*
これが、管理人の見たかったポイントの中の1つ。
夜の暗闇の中で大勢で踊るおわらも幻想的なのだが、
夜明けまでおわらを見た人が始発に乗ってゆくのを見送る
「見送りおわら」である。

実は管理人は、
コレ最終日の朝でないと見られないと思っていた。
(これを撮ったのは9/2の朝である)
しかも、実はこの時は朝まで越中八尾にいたのではなく
富山から始発に乗って睡眠不足過ぎてボンヤリしながら
笹津(越中八尾の二駅先)を目指していたので、
越中八尾に停車した瞬間驚いたのである。

胡弓の音がする!?棚ボタじゃないか!
まさか「見送りおわら」に送ってもらえるなんて!

暗い中で全員笠で顔を隠している、
まさに「盆」「異界との境」というイメージから一転。
朝焼けの中、この時ばかりは笠を外して踊ってくれる!
(しかも、私の席から近い子がとっても美人さん!)
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感動である。
もはや棚ボタに混乱して
何に感動しているのか分からないが…

朝の清々しすぎる空気の中の胡弓の哀調と
まさに風の国という大きな風に踊り子の浴衣がはためく姿と。
あまり人もいない車両の中、
一人で地味に鼻水を垂らしている管理人だった。
(最近涙腺がユルい。歳かもしれない。)

粕川・月田のささら。

*1日目*
群馬県前橋市粕川にある近戸神社。
前回来た時には蜂に怯えながら
群馬県最古の狛犬を見て帰ったわけだが。
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8/27、今日は拝殿もオープン!
お祭りがあるときの神社はイイですな~(*´ω`*)
血が通って生き生きしてる感じ。
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そして、親切にもタイムテーブルが!
助かるー!明日も来るからすごく助かる!

小さな末社たちもみんな
新しい幣束をもらって気分一新だな。
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勿論、古狛ちゃんも新品の幣束。
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見ての通り結構降っているのだが、
雨天に関係なく決行なので出発!
今日は神社境内には行かず
神社裏の獅子舞練習場から町会長さん宅へ向かう。f:id:ko9rino4ppo:20160828215510j:imagef:id:ko9rino4ppo:20160828215555j:image
ムシムシと暑い上に、ここ数日の雨。
草たちの生命力はMAX。
どこもかしこも鬱蒼としている。
そして、コレ↓が月田のささら の「ささら」である。
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おそらく東北の人で獅子舞(鹿踊)が好きな人などは
「え!?ささらって人が手にもって音を鳴らす楽器じゃ…」
と思うかもしれない。
たしかに獅子(鹿)に関する民俗芸能では
「ササラスリ」等と呼ばれる人がそういう楽器をもっている。
しかし、
もともとの「箲(ささら)」が竹や枝を束ねた洗浄用具
ということを考えれば形状としてはこちらの方が
楽器のささらより原型に近いのかもしれない。

さて 明日が本祭りなので、今日は宵祭りなわけだが。
まず町会長宅で とゆうのは、昔
神様に奉納するより先に村の長に
「これから獅子舞やらせていただきます」
と挨拶代わりに舞ったのが今も残っているらしい。
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真ん中の、角1本のがメス。
両脇の、角2本のがオスである。
バチ自体が比較的短いのに
こんなに真ん中を持つとゆうのは大変そうだ。
バチ自体の重さとか長さに頼れず手の筋肉すごく疲れそう。
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先ほど、ささらに書いてあったとおもうが
この獅子舞は天下一日挟(てんかいちひばさみ)流という流派。
獅子舞の中には歌が残っておらず囃子のみのモノもあるので
歌が残っているのは結構 貴重なことなのかもしれない。
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*2日目*
本祭りにあたる2日目。
この日は午前から祭りが始まる。
そして午後15時ごろ神社を出発した一行は
近戸神社の「外ノ宮」へむかう。
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石造りの鳥居の向こうには長い橋が。
そこには粕川が流れ、
渡ったところに近戸神社・外ノ宮がある。
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外ノ宮には御旅所があるが、
拝殿を備えた一般的な「神社」らしきものはない。
パッと見はこんな感じだ↑
正面に見えているのは「御旅所」と呼ばれるもの。
ココの場合は神輿の目的地にあたるが、
祭りによっては
神輿の巡幸の途中途中に設けられた休憩所を指す。
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結構新しそうなモノで、
天井には龍が描かれている。

そしてその左手前にあるのがこちらの石社。
一番上に乗っている本体こそ
よくある摂社と変わり映えしない大きさだが…
しかしこの城のような石垣。立派(*'ω'*)!
この手前の少し広い部分に近戸神社の神輿を乗せるのである。
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…なんて事前偵察をしているうちに、一行が到着!
提灯を持った重役っぽい人に先導され、
神輿が鳥居をくぐる!
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神輿はいつ見てもキレイだなー。
瓔珞(ようらく)がジャラジャラ揺れてステキだー。
ベリーダンスのヒップスカーフについてるコインみたい。
(え、なんか違う(゚д゚)?)
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続いて笛↓
この笠の飾りも何なのか気になるんだけどなー。
雨じゃなけりゃビニールはついていないんだろうか。
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そして、ささら。
…おい、引っかかってるぞ。
大丈夫か?通れるのか?
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もうね、草すごすぎて見えないけど
川が流れてるんだな。この下。
ちなみに、この橋は「ささら橋」と呼ばれている。
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橋のゲタには「月田のささら」のレリーフが。
周りが草モリモリなので、結構正面に行かないと見えない。
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さて、神輿が据え置かれて神事開始。
獅子舞も始まった。
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しかし、獅子舞をゆっくり見ていると
もう一つの見どころ「御川降り(おかおり)神事」が
アッという間に終わってしまうので、
この藪の裏側に回り込む。

回り込むと言っても、すぐには回り込めない。
いったんこの広場を後にして、
先ほどの橋が架かった川の堤防を少し歩き
トウモロコシ畑を回ってその畑の奥に入ると
この藪の向こうに出ることができるのだ。

この藪の中にある
非常に狭い川で行う神事なので、
神職さんの背後から見るよりも正面からのほうが
邪魔にならずよく見えるに違いない。

…というプランだ。しかし…。
ちょっと出遅れたか⁉と思ったので
長靴ながらに猛ダッシュしたのだが…。
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間に合ってない!もう終わった後!
本当に一瞬の神事なのだ。

なにせ、風呂桶一杯分ほどの酒粕
この川に流すだけなのだから。

くっそ~。
しかも私が遠慮して、
「神聖な行事だし神職さんのお側には寄れまい」
と遠慮していたのにカメラマンに取り囲まれとる!

悔しいので、神事は終わっちゃったけど
現場の写真を撮ってみる。
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一瞬「ん?農業用水路か?ドブか?」
と思うような細々とした流れである。
ココに酒粕流すのだ。

しょんぼりしながら、
喉の渇きに耐えかねて道端の自販機で水を買う管理人。
するとなんと…!
ピコピコという電子音とともに
液晶の数字がゾロ目になり
「30秒以内にもう一本選んでください!」
と自販機が催促するではないか!
こんなもの生まれてこのかた当たったことがないのに!

おかおり神事を見逃したノロマへの
赤城の神の慰めなのか?
なんだかわかんないけどいただきます!
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さて、お気付きかもしれないが、
この酒粕を川に流す神事こそが
ココの地名と川の名称
すなわち「粕川」の由来なのである。

なぜ酒粕を流すのかについては、
「昔 この上流にある三夜沢赤城神社(親神)は
 神事が無事終わったことを子神に知らせるため
 下流酒粕を流した」
というのが形式的に残ったモノらしい。

以前、灼熱地獄の中
死ぬような思いで折り畳み自転車をこぎ
三夜沢赤城神社→二宮赤城神社
をハシゴした管理人だが。

おそらく三夜沢赤城神社が親神だとすれば
子神とは二宮赤城神社のことだろうと言われている。
三夜沢が奥宮(元宮)で
二宮が里宮と考えられているからだ。

さらに、この二社間は
年に二回神輿が巡幸するのだが。
それは二宮にいる娘神が
三夜沢の父神に衣替えの服を届けるため
とも言われている。

いずれにせよ、
その二社の間で神事の完遂を知らせるために
この川を使っていたらしいのだ。

その赤城神社の神事が近戸神社と関係あるのか?
というところだが、
その長い道のりの間で神輿の休憩所になったのが
この周辺の近戸神社だと言われている。

近戸神社はいくつもあるので、
どの近戸神社が休憩所になったかは分からないが…
今の地図で考えれば
2つの神社を結ぶ道から一番逸れていないのは
大胡神社だろうか。
※大胡神社の旧称は近戸神社である

ただし、村史などをみると
そこに「月田近戸神社」と地名が書かれているので
この村の近戸神社も間違いなく休憩所だったのだろう。

祀っている神様も赤城神社と同じだったりするし。
(オオナムチ&豊城入彦)
ここまでくると、なんで名前を分けたかの方が不思議だな。
そして依然として
長野の千鹿頭(ちかとう)神社との関係も判明しないし…。
まだまだ鍛錬が足りないなぁ。

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さて、外ノ宮での獅子舞が終わると
一行はまた近戸神社まで戻ってくる。
あたりも暗くなり始め、提灯がキレイだ。
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そしてここで!
注目の演目「雌獅子隠し」開演!

結構どの三頭立て獅子舞にもあるような気がするが、
「一頭のメスをめぐり、二頭のオスが競い合う」という
至極動物的な演目である。
その表現は流派によってさまざまだが、
月田の獅子は争い方が激しめだぜ!


月田のささら(近戸神社・雌獅子隠し)

この、いつもは人っ子一人いない境内に人があふれて
「おお~!」とかどよめいたり
その様子を見て笑ったりしているのが、
管理人はとっても好きだ。

なんとなく、こういうのを見るといつも思う。
人がやってる祭りは「天の岩戸」の再現なのではないか。
まぁアメノウズメは巫女の祖というのだから
その踊りが祭りのルーツなのは「当たり前」と言われれば
それまでなのだが…

今回は特に強くそれを感じた。

アメノウズメは、
胸を露わにし、着物の紐を股に垂らすという
ある意味「やりすぎだよお前」ラインに立ちながら
剽軽なダンスで神々を笑わせて楽しませ
岩戸の隙間からアマテラスがそれを覗く。

雄獅子がこれでもかというほど
組み合っては観客のほうになだれ込み、
まぁ映像にあるように私も結構激突されたが
負けてる方の獅子の滑稽なしぐさに笑い
今年も若人が思い切り舞っていることに歓声を送る
その人の輪を
今日限り開いている拝殿の扉から
赤城の神は覗いて顔をほころばせているだろうなぁ、と。

日本語が下手すぎて
この感動をうまく伝えられないのだが…

こういうときに管理人は

祭りこそ神と人とをつなぐもの
そしてその神とは
山や川や雨など自然そのものであると同時に
それに圧倒されながらも意思疎通を図ろうとする
昔の人の気持ちソノモノなのだと強く感じる。

さて、ちょっとマジメくさったところで
今回は終了。
今回散歩している間に
いろいろ石仏など見かけたので
ちょっと時間があったらその写真とかも
ちゃんと由来を調べて書きたいのだけど…。

なんか写真アップロードするだけ(´・ω・`)
とかになりそうな予感だなコレ。