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とまのす

ちいさくゆっくり民俗学。

秩父夜祭、逢瀬の祭り。

先週末は、秩父夜祭に行ってきた。

そもそも秩父という響き自体が好きなのだが、
秩父夜祭は山の神様がかかわる祭りのわりに
かなり駅チカでみられるところも気に入っている。

夜祭というだけあって
夜に雪洞(ぼんぼり)を揺らしながら練り歩く屋台!
というイメージが強いとは思うが…

屋台自体の装飾を見るなら日中がオススメ。
コチラは、本町笠鉾。
金箔を押した上に彩色が施されている!絢爛!
(*'ω'*)❤
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人混みで出会った地元の人によると、
屋台は基本的に男性しか乗れないのだが
中に座っている舞手の人だけはOKなのだとか。
(ちなみにこれは花柳流の方らしい)

笠鉾屋台曳行の見どころの一つ「ギリ回し」は、
スムーズに回転する姿もさることながら
10数トンの屋台が大きく傾く緊張感に歓声が上がる。
管理人も揉みクチャになりながら
ショボくて短い動画を撮ってきた。
↓傾く!このギリ回しの際のお囃子は「玉入れ」と呼ばれる。

秩父夜祭・本町屋台2

↓人混みの中で方向転換する屋台は
 波の中で舵を切る舟のようで感動。

秩父夜祭・本町屋台


そして、中町通りに出ると中町屋台が!
水引幕は亀。龍の彫刻も細かくてカッコイイぞー。

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秩父祭りに登場するのは
笠鉾2台&屋台4台=合計6台なのだが
中町屋台の鬼板↓はこの6台の中で一番大きいのだそうだ。
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ちなみに、破風(屋根っぽいところ)を境に
下が懸魚(げぎょ)、上が鬼板と呼ばれている。
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後幕↑の刺繍は鯛。

この刺繍はそれぞれ様々な柄で、
秩父祭り屋台の中で最も古いという「宮地屋台」は
猩々(ショウジョウ)↓である。
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宮地は、秩父神社に合祀される以前に妙見宮があった土地。
だから「宮地」という地名なのだそうな。
ちなみに、この合祀の際に妙見ちゃんは
7つの井戸を渡って秩父神社に行ったと言われている。
これらの井戸は今も実際に残っていて、
秩父神社境内に詳しい場所の案内看板がある。
それにちなんで宮地屋台は屋台倉をでてから宮参りまでに
「曳き踊り」を7回上演するんだそうな。
※曳き踊り=町会所や門前や辻で上演する
      長唄・踊り手による所作行事。

というわけで宮地屋台は、
特に妙見ちゃんとのかかわりが深い屋台である!


この3台以外は夜撮ったので、
残念ながら刺繍はうまく撮れなかった…
もっと早くから秩父神社に張り込むべきだった。

*そもそも何の祭なの?*

秩父夜祭は、
その知名度の割に何の神様のどんな祭りなのか捉えきれない。
というより知名度が高いのは笠鉾・屋台の曳行のみ?
的な所がある。

実際その起源は分かっていないようではあるが、
秩父神社武甲山の北面にあり
秩父神社の梟の彫刻は北を見つめ
秩父神社に居る妙見様は北極星の神様
ということから
北辰信仰テイストの強い祭ではないかとのことだ。

また、曳行の際には屋台などに先立って
各町内から「御供物」が運ばれて行く。
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そのため、一年間武甲山から得た恵みを
山の神に還す祭なのではないかと言われたりもするとか。

観光客に有名なのは12/2の宵祭と12/3の本祭だが、
12/4に「蚕糸」祭 12/5には産業発展交通安全祈願祭
そして最終日の12/6には「新穀」奉献感謝祭と続いてゆき
最後に例大祭完遂奉告祭をもって5日間の祭が終わるのだ。

そんなところからも収穫祭的要素が窺えますな。
そもそも秩父祭自体が
モトは御蚕祭と呼ばれていたらしいし!
(*'▽')

そして、一番神話的なのが
「山神さま&妙見さま逢瀬day」説!

3日の夜にもっとも有名な
御旅所への「神幸」が行われるわけだが、
この場所は秩父神社武甲山の間。
夜祭は2人の神様が年1回の逢瀬を楽しむ日
( *´艸`)
と言われているのだ。

↓御旅所から見た武甲山
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なんで年1回なの?もっと逢えばいいのに!
と言いたくもなるが、実は…
妙見様は愛人ちゃんなのだ。
では正妻は誰なのかというと、コチラ!
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梶の神紋!奥山の大木、里に下りて神となる!
ヨイサー(/・ω・)/ッ!お諏訪様だよ!
(テンション高いな…)

…それにしたって、
正妻なのにこんな小さいお住まいなんて。
しかも秩父最大の祭りは主人と愛人の祭りなんて。
本拠地でないとはいえ可哀想すぎやしないか?

と考えてみた。
そういえば諏訪にも北斗星のカミサマが居たけど
(北斗神社。めっちゃ階段がすごいヤツ)f:id:ko9rino4ppo:20161210011052j:imagef:id:ko9rino4ppo:20161210011153j:image
あれは祢宜太夫・守屋氏の屋敷神だとか聞いたなぁ。
諏訪大社No.3の守屋氏はNo.1諏訪氏と何度も争った…
と聞くと「北極星の神様とお諏訪さまが敵対」も納得。
しかし諏訪氏氏神は夫・タケミナカタの方だぞ。
この考え方じゃ妻・ヤサカトメとばっちりじゃないか。

まぁ、そんなことを思いながらお諏訪さまの近くをブラブラしていたら
「女神さんが可哀想だから」と言って
毎年夜祭の日にはお諏訪さまに会いに来る
とゆう地元のおじいちゃんが来た。
いい人だ…(*´Д`)

さて、こちらの立派な神社が
愛人ちゃん・妙見さまのいる秩父神社
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お諏訪さまと比べ物にならない大きな境内である。
今回は既に長くなりつつあるので、
秩父神社に関しては別記事でまた…。

さて、いよいよ夜!
18:30だか19:00に秩父神社を出発した一行が
19:30ごろに やっと聖人通りにさしかかる。

聖人通りは、中町通りを御旅所方向に曲がった角から
秩父鉄道の線路を渡る前までの通り。
込み合ってはいるが、屋台がよく見えるスポット。
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これは御供物。箱の上に縄が乗っている。
この縄は、4/4に行われた御田植祭りで使われた
「藁の龍神」である。

↓近くで見るとこう。
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そして、大天狗のような面をかぶり猿田彦
続いて御幣束らしきもの。
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御神輿が来た。
ココにはヤサカトメだけが乗っているのか、
それともヤオモイカネとかも入ってるのか。
せっかくの逢瀬なのに合祀された神様同伴とかないわ…

といろいろ考えていると、
神馬が来た!
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警官さんが散々「フラッシュたかないで!」
と言うのに観光客が全くフラッシュ撮影をやめない。
この一頭目は落ち着いていたが、二頭目はかなり興奮気味。

たしかに秩父が誇る観光資源ではあるが、
その前に地元に伝わる「神事」であり
第一、馬がビビっているじゃないか…
というトコロも考えていただきたいものだな。

ただ、近くにいた地元のおばあさんの話では
神馬が荒れるほど翌年は豊作なのだとか。

そして、いよいよ
昼間は付いていなかった雪洞を纏い、
各町の笠鉾・屋台が登場!
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こちら、6台の中でも最大の笠鉾。
下郷笠鉾!なんと高さ7m、重さは20t程度あるとか。

そして、こちら↓は
もう一つの笠鉾・中近笠鉾!

秩父夜祭・中近笠鉾

胡弓のような音が幾重にも重なって聞こえただろうか。
笠鉾や山鉾には「鳴り」と言って
ワザと車輪がこすれて鳴るように作ってあるものがある。

軸と触れる部分を綿密に調整したり
地域によってはチョーク粉をまぶして鳴るようにしたり
祭りによって差はあるが、どうやって鳴らしてるのだろう…。

ちなみに、神幸祭の最中は御旅所(手前の道含む)や
秩父神社と一部の道路は完全に通行止め・入退場禁止となる。
そのため、通行止めになる前にチラッと撮ったものだが
御旅所の妙見ちゃんが座る場所は この鳥居の奥。
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右端に少し写っている屋根の下に
亀石という石があって(妙見ちゃんは亀に乗っている)
御旅所でいろいろやっている間はココに御幣が立つ。

そして、翌朝撮ったが
御旅所入口には神社例大祭で立てるようなのぼりばた。
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ほぼ山車の紹介で終わってしまったけれど、
次回は秩父神社自体について書こうと思います~
(*´ω`*)

さいごにおまけで
本町屋台の天井の鳴き龍とオニーサンたち!
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鴻池朋子「根源的暴力vol.2あたらしいほね」

ずいぶん経ってしまったが、
8月に鴻池朋子さんの展示を見に行った。
人の勧めで「絶対好きだと思うよ」と言われて行ったが、
あとで調べたら「焚書」↓書いた人だったのね。

焚書 World of Wonder

焚書 World of Wonder

 

 数年前、絵が気に入って買った絵本だったが、
あの時よりさらにパワーアップしてるというか
今回は「気に入った」でなく「揺さぶられる」感じがした。


*名前が付く前のカミサマ*
普段神社のことを書いていることがほとんどなので、
なんでいきなり美術展のブログになったんだ
(゚д゚)⁉
と思うかもしれないが…まぁまぁ。
普段管理人が考えていることとは関係あるのだ。

とりあえず今回、神社は出てこない。
なので神社好きで読んでくれていた方は…
次回以降また神社の話題に戻るのでお許しください!
|д゚)

あと、今回はいつにも増して長いです…。
*なぜ鴻池さんの作品に惹かれるのか*

鴻池さんの絵や立体作品を見る時、
管理人は その獣や山、雪、魚の持つ
「命」や「鼓動」もしくは「死」に圧倒される。
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古く、人は神話や民話の中で
猿や蛇や鬼の嫁となり、雪女や鶴や熊を娶ってきた。
また、川や山の声を聞くこともあった。
そしてその前後には、融和が見られることもあれば
知恵比べや取引、そして争いや破壊が発生することもある。


これらは「語り」の世界のことではあるが、
実際に自分でないもの(=自然、動物、異民族etc)との
コミュニケーションを図ってきた「経験」の記録でもある。
と、管理人は思っている。

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現代においては、
結構いろいろなものが調節・制御可能になってきて
環境や人でないものに「圧倒される」経験や
もしくは「取引をする」という感覚は
おそらく昔より薄れていると思う。

鴻池さんの描くものは何処となく
そうして普段忘れられている
かなわない存在からの圧力や、
その中で生きようとするもがき
みたいな「やりとり」を感じさせる。
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*カミサマとの距離感*

話は変わるが柳田国男
「カミの零落の三段階」という話を書いていた。
妖怪は神の零落した姿であるという考えを前提に、
神であったものがどのように妖怪化していくのか?
を整理した3段階である。

これを管理人なりに噛み砕くと

①人が畏れ遠ざける段階。
 触れなければ何事もないが不安も解消されない。

②人が畏れながらも近づいてゆく段階。
 内心まだ気味悪がっているが、
 その力を祀ったり試して防ぐ手段を探り始める。

③畏れを持たず滑稽なものとして扱う段階。
 笑い話や風刺画の題材などにもなり娯楽的になる。

…となるかな、と考えている。
河童などを想像してもらえばわかりやすいだろうが、
自然に関しても大体構造は同じで

①ただ災害を受け止め、起きないよう祈る段階

②災害を起こすもの(逆に恵みを与えるもの)
 に名前や形を与え、意思疎通を図る段階

③物語(民話、神話)が発達し、
 災害などへの対処の手段が語られる段階

という三段階があるような気がする。

※ただし③は必ずしも理論的な解決策でない。
 伝承には以下のように、経験をもとに推測して、
 「あの時と逆の対応をすれば被害に遭わない」
 と安心するための心理的解決(仮)も多い。

 ・災害前に、正体の分からない声に挑発的な応答をした。
  ex.1)やろか水の「やろうか」に「よこさばよこせ」と返す。
  →つまり、返事をしなければ災害は起こらない!
 
・被害者は悪い行いをしていたからこうなった。
  ex.1)狐を懲らしめたので一族に子が生まれなくなった
  →つまり自分はそうしなければ災害に遭わない!

で、話がズレたが3段階説の話である。
ソレと美術展がどう関係あるんじゃい!というと
普段管理人が書いている神社の記事は
神様がどうとか〇〇信仰だとか
3段階で言う②から③の段階の話が多い。
つまり「どう扱うか」が決まった後のハナシだ。

でもこの美術展では冒頭で話したような
「まだ恐れられている状態」
「漠然とした自分以外の存在」
つまり①と②の間くらいの感覚を感じることができる。
…なので、たまにはそうゆうことも書いてみようかなと。


*生活者という巫女*

上の三段階説で
③の段階(orその先)に行ってしまった「現代人」たちを
①と②の狭間につなげてくれる鴻池さんは
ある意味で魔女的もしくは巫女的だと思う。

今でこそ巫女さんというのは
神社にいて赤い袴をはいて御守りとかを売っている!
…というイメージだが、
知っての通り彼女らは御守りの売り子さんではない。
舞を奉納したり 供物を上げたり
つまりカミサマに仕えている人なのだ。

私たちには見えない神様に 巫女さんが仕え
定期的に御供えを換えたり
また神事を執り行い舞を舞うことで、
私たちは神様がそこに居て
コレを食べたりアレを見たりしてるんだな…
と感じることができる。

また、神様の声が聞こえない我々一般ピープル
神様の声を通訳してくれるのも巫女さんだった。
神がかりとなり、神の信託を聞いた卑弥呼などが
そういう意味での巫女としてイメージしやすいだろうか。

あとは、亡くなった人の口寄せを行い
民俗行事にも関わるイタコさんたちも巫女と言っていいと思う。
また、宮古島や沖縄のユタやノロも
古い巫女さんの形を残している文化だと思う。
つまり、巫女さんは神様と我々をつなぐ人なのだ。

自然側の 波のような霧のような声をキャッチして、
ちょっと鈍くなってしまった現代人に
わかりやすいチャンネルに変換して発信するのが巫女。
そう考えると、鴻池さんもそんな存在な気がした。

彼女を巫女と呼ぶとすれば、
使っているのは古代の女性たちと同じ力かもしれない。
混然とした自然の中に存在している 有用植物を集め
食事を作り、糸を紡ぎ、布を織った女性たちのことだ。

彼女らもまた自然の中で生きる「生活者」であり
だからこそ自然に耳を傾けその変化や性質を知る必要があり
巫女的な存在であることができたと思う。

しかし、今となっては神道の巫女さんは
なんとなくスピリチュアルというか神事・祭事寄りで、
日常的な生活とは縁遠いかんじがしてしまう。

それが悪いわけではないが、
そうすると神様や祭(祀り)というのは
どんどん生活から離れてプワプワ浮いてしまう。

一方、この美術展では
日常と離れた精神的芸術性でなく
自然の中で生き抜いていく「生活者」的な魅力を感じた。

それはきっと鴻池さん自身が
作品制作だけでなく服などを「作る」ことも等しく
「自然の領域に踏み込んで 切り取ってくること」だ
と考えて制作しているからだろうという気がする。
(想像でなく、この認識については対談で言っていたことだ)
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その服について、そして女性の使う魔法について、
作品中で語られている部分があるので見てみる。
ココでは「ある女性の語り」として
「白鳥の王子」の刺草(イラクサ)のシャツ
「シンデレラ」の灰まみれの服
などを例に語られている。

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彼女にとっての本当の衣装は舞踏会のドレスではなくて、
この灰まみれの服こそが大事な花嫁衣裳なんですよ。
私が魔法という超自然的な救いの手を差し伸べるのは、
彼女が灰をまとってから。

そういう変身の道具が、動物の皮や刺草や灰だったり、
私のこの魔法の杖が木の枝だったりするように、
文化から離れて、より自然なものに近づくのは、
おとぎ話の「魔法」っていうものが、
自然の力によって起こっているからなんですね。
人間が古来より抱いてきた自然への驚異の念、
それの名残なんですよ。

*見るということ*

見る、ということに関して
管理人はあまり意識していないのかもしれない。
それは反対に「見るな」という禁忌も
あまり気にしていないというか、
だからこそいつも拝殿の中を覗いては
写真まで撮っていたりもするわけなのだが。

日本にとどまらず世界中の民間伝承において
「見るなのタブー」
の威力(?)はすごいと思う。

国内では「鶴女房」「浦島太郎」が有名だと思うが、
それ以前に黄泉の国のイザナミ
妻のモモソヒメと蛇神・オオモノヌシ
トヨタマビメの出産etc…
日本神話だけでも見るなのタブー山盛りである。
外国のものでは「パンドラの箱」「青髭
あたりが身近だろうか。

見るという行為自体はある意味能動的なのだが、
禁止されていたり隠されていたりするものを見るには
結構な決心と行動力が必要となる。

しかし、どの民間伝承・童話でも
その禁止された真実を見る勇気や行動力は
評価を受けることは少ない。
だいたいは、禁忌を破ったことで真実を知り
多くのケースでは夫婦でいられなくなったり
生命が危機にさらされる。

それでも、ひとりとして
カリギュラ効果に抗い抜いた主人公はいない。
今回の展示でも、たびたび「見ている」顔が
作品の中に登場する。
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解説はついていないので本当の意味は分からないが、
それは大体のぞき込むような場所に作られていて
鑑賞者は「なんだろう?」と近づいていくと
急にその大きな目と目が合ってハッとする。
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それは、のぞき込む私たちに対し
ただ見られるに任せる風景でなく
意思をもって覗き返す自然なのかもしれないし

考え方によっては
その視線に出会ってハッとしている
私たち自身の表情なのかもしれない。
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おそらく
祖母の布団に居るオオカミを見た赤ずきん
ジル・ド・レの部屋を覗いてしまった少女も
オオモノヌシの正体を見たモモソヒメも
こんな顔だっただろうと思いながら見ていた。

その「目」に加えて印象的なのは
小さく開かれた口。
これもまた巨大な本の中で言及されていて、
口は「食べものを取り込む」
つまりは他の生き物だった命と一体化する器官であり
また「外界の物が出入りする危うい場所」とも書かれている。
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その危うい場所が、
新たなものを見て場合によっては警戒すべき
というような表情の中にあって
あろうことか「閉ざされ用心する」のでなく
ガードせず「開かれている」のだ。

実際びっくりすれば口は開いてしまうものかもしれないが、
それはある意味
自分にとって未知の物や脅威となり得るものも
拒否せず自分の中に取り込んでいる表情なのかもしれない。

…話題が「口」に移ってしまったが、
「見る」ということに話を戻す。
これについても鴻池さんは文章で書いてくれている。
(先ほどの魔法と自然の次のページだと思う)

同じおとぎ話であっても
結末にはバリエーションがあることについて、
「おとぎ話では結末が必ずしも大事ではない」
「それよりも「見る」ってことのほうが大事」と。
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最後の段落だけ文字に起こすと、

赤ずきんも森で寄り道をして、
初めて見る美しい草花に心奪われ、
狼と出会ってしまいますよね。
そうしたら赤ずきんがもと来た道を、
何ごともなかったかのように帰って行くっていうのは、
やはりあり得ない。
何かを見てしまうことで、赤ずきん自身
これまでとは違うものになってしまったわけですから。
たとえ命が助かったとしても、
もはや、同じものではいられないんです。

と書かれている。
見ることで、相手の関係だとかよりも
自分自身が同じものではいられない。
これは結構インパクトがあった。

そうして、これを読んでから
もう一度ここまでで見た展示を思い出す。
そうすると、何となく思うのは

ああ、自分もここの入り口を入ってから
いろんなものを見た。
もう入る前の自分と同じものではいられないのか。
ということ。

*駆け引きと信仰*

さて、見るという人間寄りの話をしたけれど
また話は自然との関係に戻る。
現代では感じることの少ない感覚かもしれないが
生きることは環境(自然)への間借りである。
衣食住という基本だけ考えても
着るものの毛皮や布は動植物の命に踏み込んで戴くのだし、
食べるものも同じく、自分以外の命を取ってきて自分が永らえる。
住む場所も 自分が住む間はほかの動植物を制限することになる。

そういう関係の中で、
必ず「駆け引き」が存在する。

勿論それは物理的な意味でも
狩ろうと近づけばケガを負うこともあったり
漁場や狩場に近い集落は津波や山崩れに遭いやすい。

しかし、それとは別に
自然災害など 何かどうしようもない事態になった時や
命を奪うことへのうしろめたさを感じた時にも
人は「駆け引き」を持ち出してくる。

無論、これは人が自然を擬人化することで生まれる
架空の駆け引きで
実際効果の程は微妙なものだが。

人は相手が「意思」や「声」を持っていると考えることで
相手が人間でなくとも
自分と相手を同じように尊重する能力を持っている。

たとえば、あまりに幼い子は
「自分がこれをやられたら痛いだろう」とは考えないが、
少し成長すれば
相手が「痛い!」と言わないヌイグルミだとしても
大切に抱っこしたりすることができる。

これは、身近に世話してくれている人との関わりなどから
「他者も自分と似た痛覚や感情を持っている」と学習したり
「実際反応を見聞きせずとも相手に自分を投影し想像する力」
が発達してくるためだ。

と同時に、人の心理には
自分の力でどうにもならないものへの
理不尽さや恐怖を克服するためのステップがある。

例えばキュブラー・ロスの「5段階モデル」。
これは死を宣告された人が受容するまでの精神の動きを、
以下の5段階に分類したものだ。

①否認(事実なのか、どうゆうことなんだ)
②怒り(不幸にも選ばれた。なぜ自分なのか)
③取引(条件を提示し回避しようとする)
抑鬱(回避できないと悟る。対処できない絶望)
⑤受容(自分なりの意味を見出したり納得する)

この「③取引」の部分だ。
上段で書いた「相手に自分を投影する能力」と
「取引を持ち出して状況を打開しようとする心理」。
これが、自然を擬人化して
コミュニケーション可能な存在とみなし
祀ることで災害等を回避しようという発想の下地な気がする。

上記はモトが「死の受容モデル」だから例が微妙だが、
どうすることもできない自然災害についても同じく
「アレが悪かったなら改めますから」
「コチラはこれを差し出すので助けて」
と言った心理的な駆け引きが発生するし、
また狩猟の対象となった動物などに対しても
「この部位は人間がもらい、こちらは山の神に」
「一年に一度弔う(祀る)日をもうけよう」
といった具合に神との分配・祭祀等が行われる。
そうした恐怖心・うしろめたさへの対処の過程で
カミサマや信仰というものが生まれるのだろうと思う。

作品展の中では、
先ほどの魔法と自然や
「見る」ことについてなど
たびたび大きな本が展示されていて
以下のページには人と道具について書いてある。
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「ヒトと道具のはじまりを考えたとき、
 道具とは人が自然に対して働きかけるためのもの、
 人と自然をつなぐためにあるものだと思うんですね。」

と書かれている。
この「道具」という言葉をそのまま「信仰」に書き換えると、
そのまま人とカミサマ(自然)の関係になると思う。

つまり、信仰も道具であった。
人が自然に働きかけるため、つながるための。
という具合に。

歴史を重ねるにつれて信仰というものは
人を集団としてまとめ上げるために利用されたり、
贅を尽くしても許される権力顕示の場となったり、
人から人に向けられるものになってしまった気がする。

しかし本来、人と自然のつながりを考えずには
語れないはずということは忘れないでおきたい。

なんだか内容が固いし
エラく抽象的な話になってしまったが、
そうゆうことを考えさせられた展示だったとさ
(/・ω・)/♪

↓今回の展示で最大の作品。
  縫い合わされた皮に海から頭を出した火山や
 冬眠しているような様子の動物などが描かれている。
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神様つどう柳森神社。

先日、神田古本まつりに行く前に、
秋葉原ガンダムカフェの駅を挟んで反対側
神田川のほとりにある柳森神社に来た。
(あれ、2行目の説明必要だったか…?)
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秋葉原というとマニアックな部品が売っていたり
メイドさん(というかメイドカフェの店員さん)が居たり…
というゴチャゴチャした街のイメージが強いが、
この周辺は結構のどかな感じである。

柳森神社というだけあって、
境内の周りには柳の木が植わっているようだ。
昔はもっとワッサリ森っぽかったんだろうか?

インターネットでこの神社を調べたら、
あっさりと「江戸三森の1つ」と書いてあった。
三森の解説ナシかい!常識の範疇なの!?
…と思いつつ調べると、あと2つは
・新橋の烏森(からすもり)神社
日本橋の椙森(すぎもり)神社
だそうだ。
(そういえば「烏森口改札」って見たことある)

いずれも創建を中世に遡る古参神社だそうだが…
3つもあって1つも行ったことがないなんて、
まだまだ修行が足りませんな(´・ω・`)

いつものことだが
どんな神社なのかあまり知らずに御邪魔したので、
まず境内が案外広くて「ほぅ…」と思った。

そりゃ地価の高い都会だって、
拝殿がピッカピカでデーン!
て感じの広い神社はたくさんありますけども。
なんてゆうか、1個の大きい社殿じゃなく
いろんな神様の古くからの寮みたいな感じで良かった。

で、その神様たちを紹介するコーナー。


*怪力と石のチカラ*
まず、こちら↓は「力石」。
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これは「おもかる石」とはまた別なので
参拝者が持ち上げるワケではない。
昔、力士や力自慢の者たちが
「どれくらい重い石を持ちあげられるか」
と互いに競ったときに使われた石だそうで、
まぁ腕相撲のような一種の娯楽という感じだろうか。

ただ、説明版を読んでみるとそれだけでなく
「道切」のような役割を果たした場合もあったのでは?
とゆう説が書かれている。

道切というのは、道祖神のように
集落と集落のあいだや 集落と野山のあいだに立ち
集落に疫病などが入ってくるのを防ぐためのもの。

石というもの自体 古代から信仰対象だったわけだし、
それにプラスして特別な力(怪力)を持つ人は
何か神様に似たような感じで扱われる場合がある。
ex)お相撲さんに抱っこしてもらうと赤ちゃんが丈夫に育つ

なので、力持ちの人が持ち上げた石!
というのはなんかダブルで効力がありそうである。
実際それがこうして神社に奉納されたりしているわけだしね。

ちなみに、道切には
道祖神などのような「石」のほか
集落同士をつなぐ道に張られた「注連縄」や
集落入口の「大わらじ」「笊(ざる)」などがある。
※笊の編み目を 目に見立て 多くの目に見張らせ、
 または大わらじを履くような巨人が居ると思わせ、
 恐ろしいものを追い返すという考え方からか。

富士講
東京都内にも、いくつか「富士塚」があるようだが、
ココの塚は残念ながら失われているとのこと。
その名残と言っては何だが、
境内にあった富士塚の碑が複数残っている。
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月待ち講や ゑびす講etc
民間信仰にはよく「講」が出てくるが、
富士講もその一つである。

「講」の多くは地縁による信仰集団のことで、
集まって寝ずに飲食を共にするものや
普通に神社で行う年間行事的な祭りに近いものなど
形態はさまざまである。

では富士講は何をするかというと
普段は自分の家や近所で祭壇を作ったり拝んだり
そういう一般的な宗教っぽいことをやるらしい。
そして特徴的なのは富士詣。つまり富士登山である。
富士山の山体や神霊を信仰対象とし、
そこに詣でるための登山ということになる。
なので、修行として山を駆け回る修験道とは
またちょっと違う感じの山岳信仰ということか。
(しかし、修験道富士講の興隆に一役買ったのも事実)

そして、山に籠るのでなく詣でる形態の信仰だからこそ
近所に塚を作り信仰の拠所とすることができたのかも。
(全然深く分かっていないのに勝手に納得して申し訳ない…)

その人気たるや、
江戸幕府が危機感を持ち、禁止令を出すほどに。
しかし、厳しい罰もない禁止令では
ほぼ人気が収まることはなかったらしい。

そんな富士講が衰退したのは、
明治時代の国家神道による圧力と
その後の登山のレジャー化・女人禁制の解禁による
富士山の観光地化が原因と言われることが多い。

登ることが信仰の1つであった富士講員にとって
信心もないハイキング野郎どもがバンバン登ってきて
写真など撮るようになったのは興ざめだっただろう。

そうして、富士詣とともに富士講自体も衰退し
今回の柳森神社境内にあったと思われる富士塚
いまは碑を残すのみになってしまったのである。


↓力石・富士講碑群の横に手水鉢があり、
 その先はこんな感じで、神様村(?)みたいになっている。
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*柳森稲荷*

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この柳森神社のメイン。
狐が両脇に控え、賽銭箱は稲穂の紋。
主祭神は倉稲魂(くらいなたま)とのこと。
倉稲魂はウカノミタマと同一視されることも多い。
というか、倉稲魂とかいてウカノミタマと読む場合もある。
(本気と書いてマジと読む、並みに読めない。)

ウカノミタマについては何度か記事にも書いて、
そこで「稲の束を持つおじいさんの姿」と紹介したかもしれない。
しかし、それは東寺の縁起に登場する稲荷神の化身の姿であり
日本書紀など神道系の資料では女神と考えられているそうだ。
たしかに、穀物・食物の神であるオオゲツヒメウケモチ
女神と思われる記述があるので その方が自然かも。

さて、お稲荷さんなのは分かったが
ではなぜここに神社が建ったのだろう?というと。

なんでも、江戸城を建てた太田道灌さんが
江戸城の鬼門除けに 柳の森と神社を作ったらしい。
江戸城徳川家康が建てたんじゃないんですよ?
ちなみに、神様は京都・伏見から勧請したそうだ。

それにしても、こんなに優しそうな狐は初めて見た。
牙は大きく鋭く、眉間も中々いかつい。
しかし、この優しいまなざしを見よ…!
(まなざしを見てほしくて画像縮小してません)
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そして、このほかにも境内には
「明徳稲荷神社」↓が。
新潟の加茂市若宮にあるやつなのか、
東京都中央区にあるやつか。
どこからココへ来たのかは謎。
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*狐から、お狸様に⁉︎*
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そしてコチラが柳森神社の看板娘(?)
「おタヌキ様」こと福寿社である。

もともとは、五代将軍・徳川綱吉の母(桂昌院さん)が
江戸城内で大事にしていた「福寿稲荷」だったそうだ。
稲荷ということはもちろんキツネが居たはずなのだが、
ではいつの間にタヌキに…?というと。

桂昌院さんは将軍の妻になる前、
名前を「お玉」といって、八百屋の娘だったのだ!
彼女が町人から一転、輿に乗って将軍に嫁いだので
「玉の輿」という言葉が生まれたと言われているが…

彼女が他者を抜いて出世したことから
「他抜き」の御利益がある福寿社☆ということで
江戸城の女中たちに「お他抜きサマ」と大人気!
ついでに、町人から将軍の妻になっただけにとどまらず
子宝に恵まれ、さらには その子が五代将軍に!

ということで現代も、妊活中・安産祈願の御夫婦や
出世したい人々・玉の輿に乗りたい女性etc…
かなり広い層から支持を集めているらしい。
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↑管理人が一瞬ネズミかと思った「たぬき尊像」。
タヌキ像というと キ〇タマの付いたオスが多いが、
上記のエピソードからおなかの大きなメスのタヌキである。
…しかし、もうちょっと可愛く作ってもいいのでは…。

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ついでに、オスも瞳孔開いている感じで
あんまり可愛くない。

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これは可愛い。電気入れて庭に置きたい。

神田川を見守る金比羅さん*
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金毘羅さんと言えば、象頭山や「こんぴらふねふね」など
四国(香川)というイメージが強い。

しかし、もとはインドのガンジス河の女神・ガンガーの
ヴァーハナ(乗り物)であるワニ「クンビーラ」が
日本に入ってきたモノ。
そのため、海運や舟全般の安全を守る神とされる。
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まぁそのようにヒンディーの神であり
つまり日本では仏教色強めと分類されつつ
金毘羅宮というかたちで神社などに居たので、
当然神仏分離の際に大打撃を受けたのは言うまでもない。

信仰の発祥地・象頭山金光院は廃寺に追い込まれ、
全国の金毘羅宮は強制的に「琴平神社」にされ、
主祭神はオオモノヌシに変えられてしまった。

特にその動きは本州に激しかったのか、
現在も金毘羅大権現として残り祀られているのは
北海道や山陰・四国がほとんど。
ただ、我らが(?)八王子の高尾山薬王院には
「金毘羅社」というのがあって金毘羅様がいる。

金毘羅様は舟のカミサマだが、
水辺だけでなく海を見下ろす山の上に祀られたりする。
そのせいもあってか
山岳系の天狗たちとも親和性が高いらしく、
天狗は金毘羅様の眷属であるとされている。

金毘羅様の神紋が「羽団扇」なのも、
大天狗のマストアイテム・羽団扇と関係あるんだろうか。
※天狗の頭領の羽団扇は
 眷属に献上させた羽でできているとされる。

厳島・江島大明神*
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水の神様と言えば、こちらも。
江島大明神ということは祭神は
タギリ・イチキシマ・タギツ=宗像三姉妹。
もしくは、神仏習合で弁天様もいるかも。

江の島にある江島神社は、

役小角が開き 空海が岩屋本宮を建て
源頼朝が戦勝祈願のために八臂弁財天を奉納!
後宇多天皇が蒙古軍を避けた御礼に勅額を奉納!

という霊験あらたかな神社である。
芸事や治水だけでなく勝負事にも御利益がある…
かもしれない。

弁天様と言えば、
美人で琵琶を持った二臂の姿がメジャー。
しかし、八臂↓となると途端に重厚感が!
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サントリー美術館「水―神秘のかたち」図録より)

太平の世となり
技芸に優れた美人三姉妹となった宗像三女神
しかし、もとは荒海を渡る者を守った水の神である。
その三姉妹が人に加勢するため合体した姿こそ
戦女神・八臂弁財天!
その強さたるや、
心優しく美しいシヴァの妻・パールヴァティー
戦闘の女神・ドゥルガーに変身したが如し!
(/・ω・)/フォオオオオ!

…ってゆう妄想がね、止まりませんよ。
あくまで妄想ですけど(´・ω・`)
変なテンションですいませんね。

ついでに言うと、
弁天様のヒンドゥー教での姿は
シタールを抱えた「サラスヴァティー」。
なのでパールヴァティーは今回別に関係ない。

社の脇の木の間には、ちゃんと鱗紋の入った板が。
どこの部分だかわからないが社のパーツか?

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*アキバの秋葉大権現
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さて、アキバだけに、アキバ大明神ktkr!
(ふざけてるわけではないぞ)
何しろ、秋葉原という地名は
大火を繰り返し火除地となった土地に
江戸城内から鎮火社を勧請したことに始まる。

実際勧請されたのは「鎮火社」にお住まいの

・火産霊(ホムスビ。カグツチのこと)
・ミズハノメ
ハニヤスヒメ(いずれもイザナミの子)

だったらしいのだが、
当時火伏の神として秋葉大権現が流行っていたため
庶民からは「秋葉の原」と言われたことに由来するのだ。

鎮火社はいつのまにか秋葉社と呼ばれるようになり、
現在の秋葉原駅が建つに伴って台東区に引っ越した。
そして、いまも「秋葉神社」でありながら
祭神としては上記の3神を祀っているのである。


管理人は、いつもの悪い癖で
「ココも明治の神仏分離神道の神様にやられたのか⁉」
と思っていたのだが どうやら元々神道の神様が居たのに
庶民が秋葉さん扱いしていた、という話のようだ。

この柳森神社にお招きされたのは
秋葉原駅になった土地に鎮火社があった頃なのか
台東区に引っ越した後なのか不明だが…
天皇の勅命で勧請された由緒ある鎮火社の分社。
小さいながらも強力そうである。

個人的には、廃墟好きのせいか
このサビサビの屋根も堪らなく好き。

*幸神社*

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境内に居る時は「さいわい/じんじゃ」か?と思ったが、
調べると「さいのかみのやしろ」と書かれている場合も。
結局、正式な名前は分からないが
敢えてそう呼んでいる人がいるということはそうなのか?

ともあれ、この神社については
柳森稲荷の拝殿横に説明板があった。
その説明の大筋は以下の通り。

元は芝増上寺付近にあり
当時「岸の稲荷」「幸稲荷」とよばれていた。
創建は後小松天皇の御代であるらしい。
増上寺が敷地を拡げるにあたり岸の住民は
神田に代地を受けて移動。伴って幸稲荷も転地。
現在の富山町の一隅に祠を設立した。
その後太平洋戦争が激化し、
幸稲荷の堂守が夜半 御神体を着物の袖に巻き
柳森稲荷の宮司を訪ねて来たという。
そして「御神体を預かってほしい」と頼むので、
一度は断ったが結局宮司は預かることとした。
そして驚くべきことには それから間もなく
祠のあった富山町の一帯が空襲で灰燼に帰した。
そして昭和22年正式に柳森神社に合祀された。

確かにご神体にとっては幸いだったが、
はたして堂守は助かったのかが非常に心配である。
ともあれ、そのような経緯で幸神社はココに来たのだ。

秋葉神社と金毘羅様は
正式にどこから移動してきたのか分からないが
江島大明神さんは神田川の対岸から
(堤防を作るにあたって移動したとかなんとか)
おタヌキさまはなんと江戸城内から
秋葉神社ももとはと言えば城内の鎮火社)
そして幸神社は増上寺付近から。

境内社のモトあったおおよその場所
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こんなに方々から引っ越してくるなんて、
川のほとりで火災の心配が少なかったから?
それ以外にも理由が?

今も昔も、多くの人に選ばれる場所やモノは
偶然でなく何かしらの理由があるハズなので、
できればそこまで調べたかったですなー
(*´з`)
今度都内の図書館で
地域史コーナーでも読み漁ってみるかな。

*おまけ*
境内には、とても人懐こい猫がいる。
このお兄さんは、おそらく管理してる人か?
ヨシヨシされて猫メロメロである。
可愛い。ゴハンもらい過ぎたのか、
ちょっとコロコロしている。

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君の名は。

レイトショーで新海誠監督の「君の名は。」見に行ってきた。
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まぁ、この作品がどんなに綺麗か
どんなところがどうだという総評や
あの部分はこういう意味だとゆう解釈は、
いろんな人がいろんな所でしてくれているだろう。
後、もちろんネタバレしてほしくない人もいるだろう。

なので書きたいことだけ書くけれど
管理人的には「災害と神事の伝承」というところが
意外につぶさに描かれていてステキだった
(*´ω`*)

もっと個人的に言えば
なぜ自分がこんなにいつも神社のことを書いているのか言語化できた。

これぐらい↓は内容をバラシても許されるだろうか。
この話のヒロインは田舎の神社の子である。
そして神社に伝わる神事の担い手であるわけで、
祖母は毎度村に伝わる話を彼女らに話している。

ヒロイン姉妹は少し聞き飽きて耳タコであるが、
要は 大火事で村が壊滅状態となったことがあり
いまヒロイン姉妹が継承している神事は
「意味」の伝承が失われ「形」のみが残った。
そして今も形だけが語り継がれて行われているとゆう話だ。

しかし(何が起きるとは言わないが)
作中で今度こそその「形」の伝承までもが
完全に消え去ろうかという事態に見舞われる。

アニメだからこそ劇的な展開にはなるが、
これ自体は今も日本中で起きていることなのではないか。
意味が失われても、その形を続けている人たちがいる。
形が一度失われていても演じていた人
(さらに言えば映像だけでも誰か残していれば)
形は記憶されている。

だが、逆に後継者がいても
その土地でその形を伝承していかない場合もある。
それを再び形になるまで復興するか、
人に伝えて残すか、残さないかは当事者次第だが。

そういう部分含め、
絶滅危惧神事の若い担い手に関して
アニメにありがちな特殊な設定とかじゃなく
結構リアルに近いんじゃないかと感じた。

作中で登場人物たちは色々印象に残るセリフを言うが、
管理人が一番共感したのは
主人公の一人・タキが就職面接で志望理由を話す場面だ。
彼もテンパってゴニャゴニャだったし、
そんなにはっきり記憶できていないけど、
「日常的にそこにあるものが ある日突然なくなる
 というのは例えこの東京でもあることだから、
 心にも残る風景(建物?)を作りたいと思って…」
みたいなことを言っていた気がする。

実際彼は内定をまだ一個も取れていないので、
この言葉はあまり大人たちに響いてないようなのだが。
でも、曖昧さや無力感も含めてタキの気持ちは
自分が神社の写真を撮っているときの気持ちに結構近い気がした。

自分が何を想定して
「いつかこの神社が無くなってしまうかも」
「いつかこの神事が途切れてしまうかも」
と思っているのか分からない。そこは漠然とだが。

東日本大震災熊本地震が起きて、
実際 学生の頃に行ったことがあった神社が
いくつか無くなっているのである。

だから、例えばこのブログにのせた祭りが
数年後何かの理由で続けられなくなるかもしれないし
ココに書いた神社が明日天災で無くなってしまうかもしれないと、
とてもリアルに想像することがある。

国宝や文化財になっているモノが天災の被害を受ければ
全国の人はすぐにそれを知るし
資料もたくさんあるから修復も早いかもしれない。

でも、村社の例祭なんかはどうなのだろう。
その地域の人以外あまり見に来る人もなく
もし、その地域が壊滅的な被害を受けることがあったら。
誰がその小さな、いまさらもう
どんな神様がいたかも分からない社を立て直すだろうか。
その土地の人の暮らしを守るための神事を
他の土地で暮らす誰が覚えているだろうか。

だから、有名どころの祭りも見たいし
華やかな祭りも撮りたいけれど、
なるべく小さな祭りを見つめていたいのである。

顔が見える人に確かに伝える「口承」は大事だが、
誰が見ているか分からなくとも
紙に書いたモノがこの世に存在するのでなくとも

ここに浮かべて不特定多数の目に触れ
その中の何人かは最後までちゃんと読んでくれて
たまにはシェアまでしてくれたりする。
管理人の記事に限らず
ネットに浮かんだ全てについて言えることだ。

語り手(発信者)不在時も
聞き手(読み手)が受け取ることが出来
語り手(配信者、シェアラー)になれる
とゆうのも1つの伝承の形になり得るのかもしれない。
と、思うことがある。
伝承ならぬ「電承」とでも言おうか。

大袈裟だと思うかもしれないが、
いつもなんとなく考えていたことが
この映画を見て言語化できそうかも、とゆう気分になったので。
自分が忘れないためにも書いておかせてもらった。


*蛇足・その1*

ミツハの家は神社だが、いわゆる里宮だ。
集落の南西にある山を越えたあたりに奥宮があるらしい。
そして、ココは何か
東北の「不地震地」のような場所なのかもしれないと思った。
地震地とは、地震が来ても揺れの少ない土地のことだ。
こうした土地には、それらしき地名が残り
地震が来たとき逃げ込むべき場所として語り継がれていたりする。

まぁ作中の天災は
地震津波とは頻度が違うし
奥宮の地名はわからないのだが。

しかし前回の被災後に安全な土地に奥宮が作られ
やがて通いづらい奥宮より
里宮が信仰の中心になったのではないだろうか。

そして、
ミツハの祖母が語る「繭五郎の大火」によって
神事の意味だけでなく
奥宮の場所の意味や里宮との関係も 語る人はなく
記録も消えてしまったのかもしれない。

※作中の「入れ替わり」という不思議な力を
 この奥宮や神酒や災害回避とつなげると…と考えると
 キリがないしネタバレになってしまうので
 実際の神社に言える部分だけ書いていきますー。

この奥宮もそうだが信仰の場とゆうのは本来、
生きようとする土地の者みんなにとって
意味のある場所だったハズだ。

天候の変化をいち早く知らせる山であったり、
大きな津波に飲み込まれずに残った土地だったり、
日照りの時も そこだけは水が絶えない川だったり。

つまり、誰でも意味を知っていた。

それが段々と生活と信仰は離れてしまい、
生活は技術を介して地に接するようになり、
人は風や雲を読めなくなり 重要な場も忘れ、
信仰は空に浮いているような感じになってしまう。
そうして意味が忘れられてしまえば。

次の天災が来るまでに
人は「伝える」ことも忘れてしまうはずだ。
生き残った人が、
次に誰かが生き残るために伝えていたものを。

そう思うと、
昔々のおとぎ話を聞くような心地であっても
語る人すら 本当の意味を知らなくても
伝承をつなぐ!
というのは重要な責務のようにすら思えて来る。

*蛇足・その2*
とつぜんだが作中で、
かなりハッキリ背景に道祖神が描かれるシーンがある。
道祖神は大抵
道の分岐点や集落の出入り口(境)に祀られる。
ミツハが酷い転び方をしたあの時
物理的な道だけでなく時間・未来・そして2人の分かれ道を
おそらくあの道祖神は見守っていたのだと
管理人は勝手に思ったのだとさ。

ちょっとネタバレしてしまったかもしれないが、
自分が神社や祭りについて思うところを
再確認できた映画鑑賞でした~。
(*'ω'*)

旅別明神と石明神。

*若宮愛宕神社
高幡不動尊から高幡不動駅を通過して
反対口に出ると「若宮愛宕神社」というのがある。
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千木が男神とも女神とも言えない角度だが…
まぁそれは置いといて「若宮」↓というからには、
このあたりに大きな愛宕神社があって
そこから愛宕さんをお招きしたのだろうか。
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しかし、見当たらない( ゚Д゚)!
グーグルマップで辺りの神社を見てみるが、
愛宕神社が1つもない!

土方歳三サマの墓所がある♡と大人気の
愛宕山」石田寺を勝手に怪しんでみたが、
現在本堂に居るのは地蔵菩薩である。
愛宕権現に対応する本地仏が「勝軍地蔵尊」だとはいえ
「勝軍」ではない地蔵菩薩も同一視していいものか…。

そこで日野市のHPを読んでみると、
若宮神社はかつて高幡山麓にあった愛宕社を
 この土地にモトからあった別旅明神社に合祀したもの」
とあるので、勧請元の神社は既に無いようだ。

さて、ここで気になったのが
急に出てきた別旅(わかたび)明神である。

同HPによると、前回の記事に写真を載せた
金剛寺の丈六不動と深い関わりがあるようで。

言い伝えによると、昔の高幡山金剛寺には
不動三尊でなく不動明王しか居なかったのだという。
それを見た旅の若い僧侶が
「こんな立派な明王様に脇侍が居ないのは残念だ」
と言って境内の一室で脇侍二体を作り上げた。

その出来栄えがあまりに見事だったので
村の者は僧侶をもてなし宴を開いた。
翌日、村人たちが彼を見送ると不思議なことに
いくらか歩いたあたりで僧侶は忽然と消えたという。
「これは神仏の化身に違いない!」
とのことで村人一同、この僧侶が消えた地点に社を建て
「別旅(わかたび)明神」と名付けて祀ったそうだ。

よく読めば
「今でも神輿が高幡不動境内まで巡幸する」
と書かれているので、やはり高幡山の麓
現在の高幡不動尊境内に愛宕社があったのだろう。

*石田村と石明神社*
日野市の神社のことを調べついでに、もうひとつ。
記事の冒頭でも少し触れた、
新撰組ファンの聖地・愛宕山石田寺(せきでんじ)。
この寺は石田村にあったので石田寺というらしい。
今でもこの辺りは「日野市石田」という町名だ。

そして石田寺から西に少し歩くと、石明神社がある。
しかし、この神社の所在地はかつて「新井」だったそうな。
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いまでは、浅川を境に北が石田・南が新井となっている。
かつては川の北まで新井村だったのか、
もしくは川の流れが変わって昔より南を流れているのか、
逆に石明神社が川向うに移築されたのか…。

川というのは大体カーブの外側が削られるので、
敢えてカーブの外側に移築させるのは不自然かもしれないが
実は 江戸時代初期、多摩川が氾濫した折に
石田村の北側の村域は大洪水に見舞われ流失。
そこにあった石田村鎮守社も流されてしまった。
それ以来新井村鎮守・石明神社は
隣村である石田村も守ってきたというのだ。

なので、もしかすると
ちょっと石田村寄りに移築された…
なんて可能性もあるのだろうか。
(社殿も比較的新しそうだったし)

*川を抑える「セキ」大明神*

まぁそんなわけで2つの村を守る石明神社であるが、
「セキ/ミョウジン/シャ」なのか
「いしあけ/ジンジャ」なのか…

地元の人が何と呼んでいるか分からない。
古くは「石/大明神」と呼ばれていたというのを見ると
前者の方が元の区切りに近い気はする。

さらに、この神様がなぜココに居るのか考えてみると。

江戸初期に石田村の鎮守社がサッパリ流されたほか、
愛宕山石田寺の「北向観音」も1544年の氾濫で
上流の寺から流れ着いて安置されたらしいと書かれている。
年号からして二つの氾濫は別物のようなので
多摩川は大雨のたび氾濫していたと考えられる。

そして、多摩川よりさらに石明神社により近い
「浅川」も大雨のたび氾濫したという記録がある。
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この2つの川がちょうど交わる又の部分に、
この石明神社は鎮座しているのである。
その立地から、もともとは氾濫を防ぐための
「堰(せき)」の神である!
…という説もあるようなので、
それを考えても「いし」でなく「セキ」なのだろう。

ちなみに現在の祭神はサルタヒコさんとなっている。
道の分岐を守り「石」が御神体となることも多い道祖神と、
道案内の神である「猿田彦」を同一視してそう決めたんだろうか?
何にしろ きっと、明治時代の神社の統合や
「土地の神→神道の神」の入れ替えの結果だろう。
(と考える悪い癖。決めつけは間違いのモトだよな…)

まぁともあれ。
こうして元の意味や関連する災害などが記録されているって
いいことだなぁと思った管理人でしたとさ。
(*'ω'*)

高幡不動尊と水銀の女神。

*仁王門~奥殿*
八王子に住んでいた頃にも何度か来てはいたが、
当時神社仏閣に興味がなかったのか 何も覚えていない。
(いや、興味がなければ行かないか…)
今日は多摩動物園公園に行ったので、お不動さんにも寄ってみた。
こちら↓が仁王門。
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単に「高幡不動尊」と呼ばれることが多いが、
正式名称は真言宗智山派の「高幡山金剛寺」さんである。

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仁王様の瞳は金色。あごヒゲを生やしているようだ。
そして門をくぐってすぐの「不動堂」には、
名前通り不動明王が!
写真禁止とは書いていないものの、
大抵はイケナイ場合が多いので迷っていると…
何の遠慮もなく手前のオバサンがズズイと進み出て
大きなシャッター音を響かせながら携帯で撮影会している。

便乗して撮るか、
いや観音様でなく よりによって不動明王だぞ。
なんだか怒られそうな気がしたのでやめておいた。

ちなみにこの不動堂は、この不動明王ではなく
建物が重要文化財となっている。
何でも東京都最古の文化財建築物らしい!
昔はもっと山の中にあったが、
「1335年8月4日の暴風雨により倒壊したので移築した」
と、ゆう記録があると高幡不動尊HPに書かれていた。
(年だけでなく月日も記録されていることに感心した)

重文に指定されているのは、
不動堂ではなく奥殿の不動明王トリオ↓である。
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この不動尊は「丈六不動」と呼ばれ、
かつては日本最大の不動明王像だったとも言われている。
「丈六」とは1丈6尺。つまり5m前後くらいのコト。
実はコレがお釈迦様の身長だと言われているのだ!
( ゚Д゚)デ、デカイ…

ほんとかウソかは別として、
また「1尺」の長さも時代や国によって違うので、
まぁこの辺はおおらかに捉えてほしいのだが。
このお不動様も、座っている状態で2mちょっと。
光背を合わせると3mほどという話なので
立ち上がれば丈六=4m越えということになるはず。

丈六の仏像は立像にしてしまうと
作るのも納めるのも大変なのか(憶測です)
坐像であることが多い。
そのため、
古い言葉で「あぐら」のことを丈六ともいう。

ちなみに、両脇の二童子も合わせた重さは1100kg!
1tを超えているのだ。
この重さは今でも不動尊の中で最大級らしい。
というのも、丈六の不動明王像の中で
オリジナルが3体揃っているモノは滅多のないのだとか。

脇侍を務めるのは
向かって右が矜羯羅(こんがら)童子、
向かって左は制多迦(せいたか)童子。

・キンカラは「成すべきことを問い忠実に行う」
・セータカは「隷属する者」
という意味のサンスクリット語らしい。

小学校の時、知り合いのオッサンに
「背筋が伸びてて背が高いのがセイタカ童子
 考えがこんがらかって
 主人の顔を伺っているのがコンガラ童子だよ」
と教わったのを今でも覚えている…
小学生に覚えやすいこじつけ教えると
どんな適当な内容でも一生忘れないですな(´・ω・`)
※日本津々浦々には、このポーズでないヤツも居ます!

今回管理人は動物園に行く途中だったので入らなかったが、
この「奥殿」は寺宝館となっていて
建物の中に入るといろいろ見ることができるようだ。
本堂である大日堂に安置されていた大日如来像etcも
この奥殿内で見ることができるので皆様是非。

上杉憲顕墳*
さて、その奥殿の前を通り過ぎると
こちら境内案内には「上杉憲顕の墳」と書いてあるが…
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…墳ってゆうから、もっとこう
土が盛ってある感じを想像してたんだけど!
お地蔵さまとか周りにたくさんあって、
しかも「水子」的な文字が見える塔婆も立って、
まるで水子供養の地蔵堂みたいですけど⁉

「憲顕」でググる足利尊氏のいとこも出てくるのだけど
上杉「憲秋」で調べれば確実に この人が出てくるはず。

まぁ役職も両親も功績も、どれも言ったところで
マニアしか分からなそうなので深入りしないが…(オイ
分倍河原の戦い」という戦で先陣を務めるも
敵の猛攻で深手を負い、高幡不動で自害した人物だそうだ。
京王線沿いを敗走したワケですな。

この墳、憲顕自体は知名度はあまり高くなさそうだが
「百箇日忌払」の場としての伝承が残っているそうだ。
百か日とは、故人が亡くなって100日目。
初七日や四十九日と同じく
命日からの日数で決まっているイベントの1つだ。

初七日から四十九日までは
故人は一週間おきに7つの裁判を受ける。
この間、生き残った人たちは裁判がうまくいくよう
裁かれる故人に「善」を送って応援するのだ。
これが「追善供養」である。

7人の中で一番有名な裁判官は閻魔王だろう。
少しマニアックな方は陰陽道で重要とされる
「泰山符君=泰山王」も知っているかも?

まぁその7人+百か日・一周忌・三回忌の担当者を
あわせて「十王」というわけだが
じゃあ無事に裁判も終わった100日目
生きている人たちは何をするの?というと
「卒哭忌」
つまり泣くことを卒業するのである。

そのときに、ただ卒業するだけでなく
今まで喪に服し、死を見つめていたわけだから
その死のオーラを洗い流して日常に戻る必要がある。

どうすればいいんだよドラ〇も~ん!
しょうがないなぁ、そんなときはコレ!
「憲顕の墳」!

…ということで、
この墳にお参りして「忌払い」をしたのだ。
今は行われていないらしいが
昔はこの墳の石にお茶を注いでお参りしたため、
「茶湯石」とも呼ばれていたのだとか。

高幡不動境内の神様たち*
そして、さらに進むと稲荷神社がある。
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光も適度に入って、樹が豊かで、近くに水も通っている。
なんだか気持ちのイイ場所にあるお稲荷さんだ。
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ちいさな狐たちが
びっしりと行儀よく並んでいる。

境内案内の地図では、
この稲荷神社の場所にしか鳥居が描いていない。
なので、境内にいる日本の神様はお稲荷さんだけかな?
…というと、実は違う。

一番奥にある大日堂の近くに
「五部権現社」というヤツがあるんだな。
何の神様がいるか分からない社というのは、
結構スルーされがちな世の中だね。世知辛いね。

説明板には
源頼義が奥州平定に先駆け八幡神を勧請し」
「のちに稲荷・丹生・高野・清龍権現が合祀された」
と書かれている。

一番の古参は戦の神様・八幡様なのだ。
そしてまぁ稲荷は有名だからいいとして(扱いが雑)

稲荷が伏見稲荷だとすれば清龍権現は
伏見稲荷の近所・醍醐寺の境内にある清龍宮かも。
…でも清流とか清瀧とか青龍とかって、
同音異字多すぎて全然違ってる可能性もあるなぁ。

一方、丹生・高野はペアで出てくれば
大体間違いなく真言宗総本山・高野山にある
丹生比売と狩場明神のはず。
ココ(高幡不動尊真言宗のお寺だしね。

空海と水銀の姫*
…ここまで観光案内的にサクッと来たけど、
意外な所で深い穴にはまってしまった。

金剛峰寺を開いた空海さん。
超もてはやされた宗教のカリスマ開祖の話か!

…と思いきや、いきなり時代は
空海さんの幼少期までスッ飛ぶのであった。
何の役にも立たないトリビアだが、空海の幼名をご存じだろうか。
佐伯真魚というのだ。さえき・まお(まな)。
管理人はこの名前が大好きである
あがた森魚、とかも好きだ)

さておき、このマオちゃんの名字に御注目である。
空海という芸名(?)になってしまって分からなかったが、
実はマオちゃんは佐伯氏の出身なのであった。

だからなんだ、佐伯さんなんて結構いるだろ!
と言うなかれ。佐伯氏というのは「土蜘蛛」の一氏族。
土蜘蛛というのは穴に住む、
つまり鉱山などで採掘を行いその周辺に住まう人々。
もしくは山岳を生業・生活の場とする人々。
八束脛(やつかはぎ)、国樔(くず)、そして佐伯などは
朝廷にまつろわぬ地方勢力として書物に名前が残っている。

さぁ。そんな土地で育ったマオちゃん。
紆余曲折を経て和歌山にたどり着いた。
そして彼を高野山に招き入れてくれたのが例の神様。

まず、狩場明神さんは名前の通り
猟犬を連れた狩人の姿でマオちゃんの前に現れる。
そして、彼を丹生姫様のもとまで案内したのであった!

そしてこの丹生姫が自分の神領である山を
マオちゃんに譲ったことで
高野山に金剛峰寺が開かれたのである。

さて、この女神様の名前は丹生であるが、
「丹」とは「硫化水銀(辰砂)」のことである。
それを生む、という名の女神が居るということは
つまり高野山には硫化水銀の鉱脈があるのだ。
そしてその丹を精錬することで水銀ができる。

今や水銀が毒だということは常識だが、
当時は不老不死の妙薬とされていた。

また、日本では古くから赤い顔料が重要視されるが
鉄を酸化して作られるベンガラと並んで
硫化水銀から得られる朱も
身体に塗って魔除けとしたり鳥居の塗装に使われるなど
重要な顔料として利用され、また献上品ともなった。

その原料を生む山となれば、
やはりそこにはそれを掘ることを生業にする人々が居ただろう。
空海高野山を訪れた際に大きな試練もなく
スムーズに狩場明神に案内され丹生姫が土地を譲ったところから、
空海がこの土地に入るのにあまり苦労しなかったことが窺える。

実際のところは分からないが
もともと鉱脈を探り山に暮らした佐伯氏の出自。
その空海は丹生の山の人々にとって
あまり「よそ者」感が無かったのかもしれない。

そんなわけで
鉱物の縁で出合った空海と丹生姫。
今日も高幡不動・大日堂の隣でヒッソリと
シェアハウスしつつ真言宗の寺を見守っているのである。

三分の一くらいが高野山のハナシになってしまったが
まぁ皆さま高幡不動にお越しの際は
立派なお不動様主従だけでなく、
静かに参拝者やお堂を見守る神様たちにも
ぜひ顔を見せて御挨拶してみてくださいな。
(/・ω・)/♪

石灰岩と武甲山。

久々の秩父(/・ω・)/!
狼信仰の国であり、秩父夜祭の舞台であり
豊かな山々に囲まれた…何かと憧れる土地ですな。
※個人の感想です

さて、武甲山の(現在の)山頂には
御嶽神社の山宮がある。
里宮は「横瀬駅」つまり表参道側にあるのだが、
今回はもろもろの都合上 裏参道である「浦山口駅」から出発。

横瀬駅の方が温泉もあったりするのだが、
駅からはバスもなくタクスィーを使うしかないので
貧乏人には優しくない。

そんなわけで浦山口駅に降りたわけだが、
案内板が分かりづらい(; ・`д・´)!
いや、単に方向音痴なだけか?

駅からしばらく「こっちかな」などと
それらしき方向に進んだのだが。
友人とともに適当に進んだら、
なんか間違った方向に来て登山口を見失った。
(登山口に入るまでに30分くらいかかってしまった…)

方向音痴仲間の皆さんのために書いておくと、
登山口はごくごく駅の近く。
駅から歩いてすぐ道の左側に
ザバザバ水が出ている地点があって
それを過ぎて結構すぐ左側に入る。
橋立堂や鍾乳洞の前を通過するコースなので、
とりあえず「28番札所橋立堂」をめざす。
そこまでたどり着けばもう分かれ道はあまりないので、
(おそらく)迷わないと思われる。

お土産処か骨董屋のような店があり、
その駐車場を過ぎるとすぐに
けっこう傾斜の激しい稲荷神社がある。
(帰り道に寄ったので写真は最後に(*'ω'*))

その前を通り過ぎてしばらく歩くと、金の鳥居が!

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鳥居の向こうには石碑。

武甲山御嶽神社裏参道橋立口は
奥橋立の開発に伴い路線変更を余儀なくされ
旧参道に建立された鳥居も老朽化原形を失いしにより
これが再建を営み神霊を慰め奉るべく発起せしに
秩父セメント株式会社の全面的協賛を得て
ここにその竣功をみる
これ偏えに広大無辺なる御神德に他ならず
大神の御稜威のもと山に活きるすべての諸びとたちの
安泰と国土の安寧を加護賜らんことを祈念するものなり

と書かれている。
そうか。秩父セメントか。うん。

無論セメント産業は秩父の発展に貢献しているけれど、
その原料はこの武甲山から採掘される石灰だ。
この採掘事業のために武甲山北斜面では
骨のように白い石灰岩が露出して痛々しい。
この採掘事業の勢いは、
神奈備山(円錐に近く美しい形で神が宿るとされる)
である武甲山の標高が変わってしまうほどである。

人間が産業を興すたびに数々の神域も
経済発展の糧になって消えて行った、
というのは何もココだけの話ではないのだが…
神の山がここまで堂々と今も採掘され続けるというのは
複雑というか何とも言えない。

だからこそ、
(そうすればチャラというもんでもないが)
ココの神様たちのために工事やお金が必要になったら
秩父セメントさんには奮発してもらいたいなと
そして現にそうしてくれているみたいだなと。
この石碑を見て思った。

そこを通り過ぎるとしばらくは比較的緩やかだが、
川の岩の上を渡ったあたりからなんだかしつこく激しい道に!
かなり疲れたところで、なんか開けたところに出たので
「やった、これでもうすぐ頂上か?」
と思いきや、デカい看板が。
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…熊が出んのかーい!
いや、知ってたよ。知ってましたとも。
だからこそ、クマ除け鈴を持ってきたのさ!
チャグチャグ馬コの馬具を作ってる、
塩釜馬具店(岩手)特製の鈴だぞ
(/・ω・)/ガオーッ!

まぁしかし、なんとなく高尾山感覚で
「しばらく開けた斜面を登ったあたりで頂上か」
と思い込んだのが悪かった。
しばらく歩くと、また道が狭く激しく草だらけに!
ぬか喜びだった!どこまで続くんじゃ…
(´・ω・`)ツカレタヨゥ…

と思ってマップを見てみると、
なんとまだ半分くらい!
派手なキノコを探して何とかテンションを保つ。
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しかもだんだんガスってきたよ。
霧に体温奪われる。
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そしてやっと頂上に着くころには…
霧が!無駄に神々しい!
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そして武甲山御嶽神社↓到着!
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スモーク焚いた舞台セットみたいんなってる…
そして管理人のお目当て!
「オイヌさま」ことオオカミさん↓である。
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吽形は、なんだか上下に牙が突き出し
ちょっとワニを思わせるような口。
阿形は、ちょっと剽軽な印象でかわいらしい!

狛狼(?)の中にはキツネっぽいのもいるのだが
一般的には狐たちより大きく裂けた口と鋭い牙、
そしてストイックに浮いたアバラ骨と、
後ろに伏せた耳(あるいは洋犬のように垂れている)。
これが神使狼さんたちの特徴である。

埼玉県・秩父では、この御嶽神社のほか
三峯神社etc数社でもこの「神使狼」を見ることができる。
モノによってずいぶん面白い顔をしているので、
秩父にお立ち寄りの際はぜひ狼めぐりをしていただきたい!

そして、
東京では奥多摩に狼を神の眷属とする神社が点在。
以前に記事を書いた武蔵御嶽神社や、
その奥にある大嶽神社とか。

あとは…
東京砂漠にお住まいでエブリデイ忙しくて
ティティブやらOku-Tamaくんだりまで行ってられるか!
奥多摩は東京じゃないんだ!という方は
渋谷御嶽神社でもオオカミに会えるので落ち着いてくれ。
(´・ω・`)

さて、脱線したが
中を覗くと本殿が収まっているらしい感じなので
拝殿ではなく覆殿なのかもしれない。
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では、ここにいる神様は誰なのか。
ヤマトタケル蔵王権現
そのへんが祭神として妥当な所と思うのだが。

実はね…
埼玉県神社庁のHPにも書いてなかったわけですよ。
というかむしろ里宮の方しか検索に引っかからないし、
その里宮も祭神とか明記されてなかったし。
宮司宅の電話番号だけは載っているので
電凸せよとゆうことなんですかね(´・ω・`)

ヤマトタケルに関しては、
東国征討に向かった彼が武甲山に甲冑を奉納して
関東鎮護としたのが「武甲山」の名前の由来らしいし、
オオカミを神使とする神社には
ヤマトタケルが祀られていることが多い。
なのでタケルさんでも不自然ではないのだが。

しかし、山頂には御嶽神社とは別に
ヤマトタケルを祭神とする白鳥御剣神社↓が存在する。
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わざわざ別にあるとゆうことは、
タケルさんは白鳥御剣神社にいるのだろうか?
しかし、この白鳥御剣神社もまた
埼玉県神社庁の検索には引っかからないので
正確な所はよく分からない。

ちなみに、神社庁フィルターで行くと
埼玉県内でヤマトタケルを祭神として登録しているのは、
金鑚神社と我野神社だけのようだ。

一方の蔵王権現に関しては、
山が削れてしまう以前
武甲山の頂上には蔵王権現社があって
この山全体が修験道の聖地であったらしい。

そのため、御嶽神社にもこのような↓
熊野修験アイテムが設置されていたりする。
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そもそも この社殿、名前こそ御嶽神社であるが、
旧山頂の蔵王権現社を移築したものらしい。
ということは、今もメインでお住まいなのは蔵王権現

まぁそのへんは、
横瀬にある歴史民俗資料館に行くと
おそらく詳しく分かると思われるので…。
今度時間があるときに行ってみよう。
(今回は登山が目的だったため平地を巡れなかった)

ともあれ、ヤマトタケルが先勝祈願し
関東鎮護として武甲山を選んでいる時点で
既に武甲山は力のある山だったのだろう。

名前の付いた神様が招かれる以前から
人々にとって重要な山であったというのは、
今や採掘で失われてしまった「旧山頂」に
かつて縄文時代の遺跡や巨石群が存在した!
ということからも推測できる。

そんな貴重なモノが、
むざむざ失われた無念さに採掘場を睨んでみる。
が、あまりの霧に何も見えず!
おどろきの白さ!

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ともあれ、
友人が作ってくれたお弁当を食べ、
密かに機嫌を直した管理人だったとさ。
(*´ω`*)ウマシ
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そして神社エナジーと弁当エナジーを補給したところで
レッツ下山!
足に負担は来るものの、
登りよりは完全に楽なので結構サクサク。
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水が綺麗ですなー。見るだけで生き返る心地。

そして川の近くで小休止中
登山マップ上に「橋立神社」なるものを発見し、
これはどこだとキョロキョロ探す。
登山道と橋立川が交わったちょっと先のようだが…
無いぞ!無い!
すごく小さなものなのか?
それとも朽ち果てて消滅してしまったのか?

落ち着かない気分で半ばあきらめたころ、
行きには気づかなかったシブい鳥居の祠を発見。
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森との一体感ありすぎ!
そして鳥居の扁額を読んでみると…
「橋立神社」と書いてあるぞ(/・ω・)/イェーイ!

橋立川の神様なら女神様かな?
神仏習合で弁天様とか?それとも龍神?
と思って祠に近づいてみる。
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なんと、この祠にも
修験アイテムが安置されている…。
そして扁額はというと↓
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じゃーん。
オオヤマツミさんでしたー。
そこは神道系神様で来るのね。

と言っても、ここも元は違う神様だったのを
明治時代とかに日本神話の神様にチェンジした!
という可能性も十分あるわけだが。

まぁともあれ
橋立神社が無くなってなくてよかったね。
(昔はもっと大きかったかもしれないが)

さて、いよいよ下山も終盤。
こちらが冒頭で紹介した「傾斜の激しい稲荷神社」。
まぁ、下諏訪の北斗神社ほどじゃないですけどね。

最初に友人が「どうする?寄る?」と言ってくれたが
帰りも通るんだから、まず武甲山に登ってみて
帰りに筋肉がまだ大丈夫だったら登ろう(;´・ω・)
という結論に達したのだった。賢明だった。
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登ってみると、
眉間にシワの寄ったキツネが出迎えてくれた。

左)あぁん?なんだオメーら。冷やかしかッ⁉
右)ふん、まぁそう吠えんなよ。
  噛み付くのは悪さしてからで良かろ。
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…みたいな顔してますよ。すいませんね。
冷やかしじゃないけど覗いて写真撮ります。許して。

階段の両わきは草ボーボー、虫ワラワラな割に
お社の扉は結構新しそうで建てつけもいい。
大事にしてもらってるのね。
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…と思いきや…。
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なんか鏡餅変色してますけど!
しかももう10月ですけど!鯉のぼりが!
手前の発泡スチロールタッパーにも
ラップに包まれ正体の分からないものが!
扉も大事だけど、御供えも新鮮なのを是非…。

くたびれ切った筋肉には
ちょっと恐い急階段でしたとさ↓
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おかげさまで無事
武甲山に登って降りてこられましたよ。
キツネさん、オオカミさん
オオヤマツミさんもありがとう。
というわけで今回も無事に一日が終了。


秩父駅から見ると、
武甲山のちょうど採掘されている側が見えるので
痛々しさマシマシだが…(写真撮り忘れた)
登山道から見えるコチラはそうでもないな。
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にしても、昔は珊瑚だったものが押されて押されて
こんな山の中で しかもこんなに盛り上がってるなんて
今じゃ想像つかないし 昔の人だって
あの珊瑚の島が山になるなんて思ってなかっただろう。

私の好きな絵本の中に
「さかなになった武甲山」というのがある。

さかなになった武甲山 (赤い糸文庫 愛蔵版)

さかなになった武甲山 (赤い糸文庫 愛蔵版)

 

(前半は端折るが)

採掘され悲鳴を上げる武甲山を見て
両神山が怒り狂い大雪を降らせて武甲山を魚に戻し
そして やさしかった海に帰してあげるという話だ。
幼いころの管理人には、

どうして山が海へ帰るのか分からなかったし
むしろそこまで気にしてなかったのだけど。
そうゆうことだったんだね。
もともと、ほんとに武甲山は海で生まれたんだ。
と、この山を登りながら考えていた。

 

いつか、採掘が進んで
あの霧をまとった奥宮も山が低く低く削られるたび
下へ下へ移築されて里宮のようになってしまうんだろうか。
平らな地面のあっちとこっちに
里宮と奥宮がちょんちょんと並んで、
なんでこっちが奥って呼ばれてるんだろうね?
昔はここに山があったらしいよ?

なんてことに。
なりませんように。
ということで、今回はこのへんで~。
('ω')ノ