とまのす

ちいさくゆっくり、民俗さんぽ

八尾の蚕と八幡様。(+α曳山)

姉倉比売神社・おわらの胡弓の記事で書いたように、
この八尾は養蚕で栄えた地域だ。
八尾の蚕種は非常に質が良いと言われ、
全盛期には全国シェアの1/4を誇ったと言われている。
また、今でこそどこにでも薬局があって
家庭の「配置薬」というものは勢力を弱めつつあるが、
「富山の薬売り」というのは言葉としては御存知ではないだろうか。
その、薬だけでなく薬を包む和紙でも富山は収益を上げていた。

というわけで、
後で写真を載せる曳山を見ていただければ分かるように
富山の祭りは庶民が築いた文化とはいえかなり豪華絢爛なのである。

若宮八幡宮の蚕手水鉢*
さて、まぁ豪華絢爛は置いといて
その大事なお蚕様を守るために
人々はやはり神様にお願いしたのである。
中でも大きな神社として残っているのがこちら
若宮八幡宮」。
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朝日で 鎮守の森が青々と照らされ
まだ夜のあいだ人が踏み入らなかった静かな空気。
早朝の神社は気持ちがいいなー(*´ω`*)
※朝には弱い方だが、寝ていないので早朝に行けた。

さて、お目当ては手水鉢なのだ↓
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繭型の鉢!蚕の口から水が出る!
(ちょっと、蚕の土台が雑なのが玉に瑕)
ぜひお金が集まったら土台もうまいこと蚕っぽくしてほしい。

拝殿のほうに進んでいくと、何かの石碑がある。
…タ、タイムカプセル…だと…?
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そうか、ほんとのタイムカプセルってやつは
小学校で埋めて高校で掘り出すレベルじゃないのか。
2093年て…気が遠くなりそうだよ。

狛犬は結構古そうな感じで
顔が劣化気味。
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さて、こちらの扁額。
拝殿の真ん中はもちろん「八幡宮」だが、
この左の扁額には「蠺羪宮」と書かれている。
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なんだか画数が多いが「蚕養宮」の繁体である。
そもそもなぜここが「若宮」八幡宮なのかといえば、
元は「蚕養社」という神社だったこの社殿に
お隣の八幡様から八幡神をお招きしたからなのである。

なので今でこそ八幡様の表札はかかっているが、
蚕の守り神様のほうが古参なのである。
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早朝とはいえ、雰囲気がある。
社殿の中の釣燈篭にはカイコガや桑葉が彫られているらしいが
残念ながら中はうまく覗けなかった。
例祭など拝殿が解放されているときにまた行ってみるしかあるまい。
(今回思ったのだが、前橋から富山は2時間ほどだから近い)

*八幡様と曳山祭り*
さて、こちらが先ほどの
若宮八幡の八幡神の実家(?)八幡宮である。
さほど離れていないのだが、
コチラは杜が深くないせいか近づきやすい雰囲気。
「人の世界寄り」とでも言おうか。


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とはいえ、社殿はなかなか年季が入っている。
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そしてこの八幡様の春季例祭として行われるのが
「八尾曳山祭」なのである。
実際の祭りは5月の頭に行われるが、
曳山展示館でのステージを見に行った際に
写真を撮ってきたのでそちらを何枚か載せてみる。

まず、群馬の祭りばかり行っていると
「獅子舞は三頭が当たり前」
みたいなアタマになってくるが富山は二頭。
コチラ↓の角があるのがオスである。
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そして、こちら↓がメス。
白髪(?)交じりの長いタテガミからのぞく
爛々とした目が迫力がある。
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顔立ちとしては、
よく年賀状に書かれる伎楽系獅子舞寄りだろうか。
(あの赤い顔で緑の布をかぶってやるやつ)
ちなみに、あの伎楽系獅子舞も
一頭だと思われることが多いが雄雌がいる。

ちなみに、今回の八尾の雌雄獅子は分からないのだが
あの伎楽系獅子頭のオスは「宇津(うづ)」
メスは「権九郎(ごんくろう)」という名前なのだ。
男らしすぎないか!?ホントにメスだと思って名付けた?
というのが、個人的にすごいインパクト強かった。

八尾曳山祭では、
絢爛な曳山に先立って獅子舞が道を清め
そこを神輿が御渡したあとに
お待ちかねの曳山が回される。

その曳山がこちらだ!
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↑これも実際展示してあるものを撮ったのだが、
 人形部分が見やすいように明るさ調整していたら
 背景がうまいこと消えてしまった。

ちなみに、御神体というか人形は
普段はこのように曳山から降りているらしい。
周りの雰囲気からすると、どこかの神社の中なんだろうか。
それとも、専用の居室(?)があるのか?
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しかし、これだけ絢爛な文化を生み出した養蚕も
世界大戦後急速に衰えてしまった。
そして、現在八尾には養蚕農家は一軒もないのだそうだ。
しかし、その素晴らしさ故 八尾の祭りは注目度が高く
曳山・おわらともに全国から見に来る人が大勢いる。

ぜひ、その祭りの美しさをカメラに収めるだけでなく
その美しい祭りを支えてきた養蚕業や
その養蚕から派生した民間信仰にも興味を持って戴きたいところ。

*おまけ*
曳山の各部分の名称が
曳山展示館の壁に張ってあった。
自分の役に立つかもと思って一応撮っておいたやつ。
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ちなみに、昼は瓔珞と彫刻が美しいけれど
夜はそれを外して提灯が付きますよー。
昼だけ見て満足するなかれ。

おわらと胡弓と蚕と。

心身ともに休憩のためしばらくサボっていたが、
やっと更新再開(;´・ω・)

前回は養蚕と関連深い姉倉比売神社の話をしたが、
今回の富山行きの目的は この「おわら風の盆」。

…といっても、
結構シニア世代には通じるのだが
友人などに「なにしてきたの」といわれて
おわら風の盆を見てきました」と答えると
なんじゃそら的な反応が多いワケだ。

御柱に続いてこのザマとは
 一体何祭りなら知っとるんじゃいキミら!」

と叫びたくなる管理人である。

おわら風の盆の語源*
この「おわら風の盆」の語源については
今回富山で外国人にも聞かれたのだが
(そして自分の英語力のなさを呪った)
正確なところは分かっていない。
以下、管理人の外国人観光客に対する説明↓

”owara” has some word roots.

first,place name."oohara"or"owara"village.
おわらには複数の語源があって、1つは地名。

second「大藁」.(←ノートに書いた)

「大」means「big or many」
and「藁」means「straw」.
many straw is metaphor of good harvest.
そして2つめは豊作を連想させる「大藁」。

Third"大笑"(これもノートに書いた)

"大"as I said sometime ago.
and"笑"means laugh.
maybe it to imagine"happiness"or"fortun".
3つめが「大笑」。おそらくこれは幸や福を表す。

Then,"風"means strong wind.
This region has a terrain that produces strong wind!
So,ritual to quell wind has been performd.
「風」に関しては、
ここの地形は
強風を生み出してしまう。
そのため風鎮祭が行われてきた地域なのである。


Finally,”盆”is traditional event of Japan.
It is similar to Halloween.
During this event,
The spirits of ancestors to homecoming on ground.
最後に「盆」は日本の伝統行事。
これはハロウィンに似て祖霊が地上に里帰りする期間。

ちなみに、これをめちゃくちゃカタカナ英語で発音した!
ああ、数ある旅行先からこの場所この祭りを選んで
奇しくも管理人に声をかけてくれたこの人に
もっとちゃんとした説明をしたかったのに!
「盆=ハロウィンに似た行事」で済ますな!

※いつも当ブログを読んでくれている方は
 盆の記事も読んでくれたかもしれないが、
 あの内容を英語で説明する能力が無いのだ。

…しかしまぁ「おわら風の盆」の語源はそんな感じ。
(英語得意な人は間違い探しをして笑ってやってくれ)

語源の話は諸説あるのでこれくらいにする。
この踊りの始まりは文献が残っておらず、
はっきりいつから始まったかは分かっていないのだ。

八尾の住民が加賀藩から貰った「御墨付」の文書を
一度は町のエライ人に取られたんだけど、
取り返したぜ!やったー!
…とゆうことで
町衆が三日三晩無礼講で踊り明かしたのが
この踊りの起源と言われている。
(その割に旋律は哀愁漂い、音もなく美しい所作で踊るのね)

さて、
この行事 観光的メインは9/1,2,3なのだが、
8/20~30の期間を「前夜祭」と称して
日々 八尾の町々で輪踊りなどが行われているらしい。

地元の人にとっては約半月にわたる祭り。
それ以上に、
謡や胡弓を練習している期間のことを考えたら
一年がこの祭りに向かって進んでいるような感覚があるんだろうか。

管理人の地元には、残念ながらここまで大きな祭りがなく
その感覚はつかみきれないのであるが。

しかし街並みを見れば
古い家はもちろん 最近建てた家も
「通りでの流しを家から見る」
ことを前提に作られている、という気がした。
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どこもかしこも通りに面して塀が並んでいる
閉鎖的な「最近の住宅」というものと比べると、
住人の視線が自然と屋内から通りに向く構造
っていいものだな(*´ω`*)
と一人で考えていた。

さて、暗くなってくると
いよいよ町々で「おわら」が始まる。

学校だかの敷地を演舞場として
チケット代なども取っているのだが、
今回そちらにはお邪魔しなかった。

公式ホームページで
町の地図や踊る時間なども大体書かれているので
もし来年見に行く方はそちらを見ていただきたいが。
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今回はとりあえず
町で踊る姿を見るためにまず東新町・西新町エリアへ。
地図でいうと手前が駅なので、
駅から歩いて地図の一番奥である。

ココは町並みも昔っぽくて、
道も石畳風になっている。
ただし、ここで携帯で写真を撮ろうと思うと
(あまりに観光客が両脇にいるため)
この美しい街並みを背景に
暗闇の中のおわらを綺麗に撮るのは至難の業。

↓…この人込みである。f:id:ko9rino4ppo:20160918102550j:image
ちなみに、かなり四方八方からフラッシュがたかれるので
人様のフラッシュとタイミングを合わせて利用する手もあるが
それはそれでピントが合わず苦労を強いられるのであった↓
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踊り自体を解説付きで知って
ゆっくり近くで見たいなら、
上新町方面に少し歩いて「曳山展示場」で
ステージを見るのがオススメである。
八幡様の祭りで町を練り歩く
豪華絢爛な「曳山」も見られてオトク。
※ただしステージは撮影禁止である。
 (曳山の写真は次回の記事にでも載せようと思う)

そこで聞いた話では、
稲作の作業を簡略化して表現した所作が多く、
その合間に仏教圏らしい合掌のような動作が入るのだという。

さて管理人的には、
ライトが綺麗に当たっているので撮影向きかな
と思うのはこちら↓の聞名寺さんの舞台。
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この聞名寺さんは、
さっき言ったように民衆が三日三晩踊り続けたのを
盆の行事として取り入れ慣例化させたお寺とも言われている。

全部は回れてないので、もっと穴場があるのか
もしくはケチらず演舞場で見るのが一番なのか、
その辺までは分からない。

あとは、
御花代を出してくれた家ということなのか
個人宅の前で おわらを踊る場面も見られる。
地元の人に教えてもらったのだが、
踊り手でなく白い浴衣を着た男性たちが
先に次の家の前に立って そこに踊り手が追いつくので
その白い人を追って家の前で待っておけば
踊りも正面から見られるし
家の灯りがあるので写真も撮りやすいらしい。

↓管理人は正面に陣取れなかったのでこんな写りだが、
 確かにあと少し左に入れれば正面から撮れた。
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越中おわら節と胡弓*
さて、観光案内のようになってしまったが
おわら風の盆といえば踊りのほか胡弓が特徴的である。
なのですこしこの「胡弓」の話をしたい。f:id:ko9rino4ppo:20160918103143j:image
胡弓の「胡」は胡麻・胡蝶・胡瓜などを見てもわかるように
中国の北方・西方の民族から伝わった物であることを表す。
(「胡」は「顎髭を生やした者」の意味。北方民族の蔑称)

はじめは早とちりをして
「このあたりに稲とともに大陸文化が伝来したのか?」
などと思っていたのだが、
おわらの旋律に胡弓が仲間入りしたのは明治40年代だそうだ。

浄瑠璃修行を経験し三味線や歌に明るかった
輪島塗の職人・松本勘玄という人が、
越後瞽女の奏でる胡弓を聞いて
おわらの旋律に胡弓を取り込むべく研究を重ねた結果
今の旋律が生まれたというのだ。

さて、瞽女さんといえば養蚕だっ!
(/・ω・)/ワッショイ!
…と言われても困ると思うが、
この瞽女さんと、八尾でも盛んだった養蚕には
昔から深い縁があるのだ。

そもそも瞽女(ごぜ)とは盲目の女性芸能者のこと。
主に三味線や琴など弦楽器を奏で唄を歌い
それを門付け芸として行うことで生計を立てていた。
実に、一年の中で300日ほどを旅して過ごしていたとも。

今の時代ではそうそう成り立たない職なので
世界大戦以降急速にその数は減ってしまったのだが、
農村に娯楽の少なかった時代は
農閑期の瞽女の訪問を心待ちにしていた集落も多かったらしい。

さて、神事・神話etcの中でも
「他に比べ欠けている部分がある」者が
神に近い力を持っている、巫女的な存在になる、
というのはよく聞かれる話なのだが。
(東北のイタコさんなどもその一つだろうか)

この瞽女さんたちも、農村に娯楽を提供するほか
「お蚕様を拝んでほしい」
と頼まれることがあったようである。
特に女性が担い手である養蚕のほか安産祈願などは
瞽女さんに拝んでもらうことが多かったという話もある。
そんなわけで、養蚕の盛んな土地では特に瞽女さんが歓迎された。

我らが群馬県も養蚕と絹織物で栄えた土地だが、
昔は越後瞽女の「上州番」と呼ばれる集団が来てくれて
祈願に娯楽に大変お世話になっていたようだ。
新潟から群馬まで来てくれたことを考えれば
越中八尾は拠点である長岡などに近く、
瞽女さんの往来も盛んだったのかもしれない。

養蚕と八尾に関しては
前回の姉倉比売神社の記事でも触れたが、
八尾と養蚕・越中の気候と養蚕のことも書きたいところ。
(長くなるので次回にまわしますが…(´・ω・`)

瞽女さんに興味を持ってくれた方にはぜひ、
ジェラルド・グローマー先生の著書↓

瞽女と瞽女唄の研究

瞽女と瞽女唄の研究

 

 を読んでいただきたい!
コレのほかにも岩波新書から出ている
瞽女うた」も つぶさに瞽女たちを見つめた一冊。



*おわら節の歌詞*
さて、
おわら風の盆」の踊りは
越中おわら節」という歌にのせて踊られる。
さっきの瞽女さんが唄って歩いたこともあり、
案外、長野の諏訪のほうでも知っている人は多かったらしい。
(畑中先生の「蚕 絹糸を吐く虫と日本人」に書いてあった)

この歌の中でおそらくもっとも有名な歌詞は
越中立山、加賀では白山、駿河の富士山三国一だよ」
ではないかと(勝手に)思っているのだが、

実は上記の「長囃し」などのほかにも
おわら節には無限に歌詞がある。

というのも、今でこそオジサンが歌うことが多いが
お蚕様を育て糸を紡ぐ娘たちの作業唄だったからである。
様々な娘たちが越中の四季を唄い、
小鳥の愛らしさを唄い、母を思って唄い、
恋した相手を思って唄い、
いつか読んだ物語や憧れの都のことを唄った。

民謡というのは聞き取りづらく
好きでもなければ聴く機会なども無いので
まぁ、親しみづらいとは思うのだが。
歌詞を読んでみれば若い女の子が
身の回りの小さなことを素朴に歌ったり
友達との笑い話にしたり。そんな歌なのだ。

おわら節の歌詞が
たくさん載っているサイトなどもあるので、
時間のある方はぜひ見てみてほしい。

ツグミって可愛い鳥ね。
 柿をつついて口紅付けたみたいになってるの」

「あなただと思って何も言わずに抱きついたら
    なんと諏訪神社さんの立石だったのよ?」

みたいな歌詞に癒される。
唄の歌詞まではよく聞こえないが、
女踊りと男踊りをそれぞれ少しずつ撮ってきたので
おわら節の雰囲気も併せて聴いてみてほしい。
(女性前列バージョンは、少しピントが微妙…)

おそらく、見終わった後に関連動画が表示されるので
もっと良い画質、もっと見やすいのが見たい!という方は
ぜひ全国の皆さんが良いビデオカメラで撮ったおわらを
色々さがしてご覧くださいー。
管理人はiPhonしか持っていない映像弱者なので…。


おわら風の盆(男性前列ver.)


おわら風の盆(女性前列ver.)


とまぁこんな感じで夜が更けて、
公式(観光客向け)プログラムは21時ごろ終了なのだが、
街角では夜明けごろまで皆さんが
交代しながらチラホラ踊っているのである。

それを見ようと思っている観光客なのか地元の人なのか、
普通に銀行の駐車場とか道端に雑魚寝している人も結構いて
終電後の越中八尾はなかなかフリーダムな雰囲気となっていた。

*見送りおわら*
これが、管理人の見たかったポイントの中の1つ。
夜の暗闇の中で大勢で踊るおわらも幻想的なのだが、
夜明けまでおわらを見た人が始発に乗ってゆくのを見送る
「見送りおわら」である。

実は管理人は、
コレ最終日の朝でないと見られないと思っていた。
(これを撮ったのは9/2の朝である)
しかも、実はこの時は朝まで越中八尾にいたのではなく
富山から始発に乗って睡眠不足過ぎてボンヤリしながら
笹津(越中八尾の二駅先)を目指していたので、
越中八尾に停車した瞬間驚いたのである。

胡弓の音がする!?棚ボタじゃないか!
まさか「見送りおわら」に送ってもらえるなんて!

暗い中で全員笠で顔を隠している、
まさに「盆」「異界との境」というイメージから一転。
朝焼けの中、この時ばかりは笠を外して踊ってくれる!
(しかも、私の席から近い子がとっても美人さん!)
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感動である。
もはや棚ボタに混乱して
何に感動しているのか分からないが…

朝の清々しすぎる空気の中の胡弓の哀調と
まさに風の国という大きな風に踊り子の浴衣がはためく姿と。
あまり人もいない車両の中、
一人で地味に鼻水を垂らしている管理人だった。
(最近涙腺がユルい。歳かもしれない。)

粕川・月田のささら。

*1日目*
群馬県前橋市粕川にある近戸神社。
前回来た時には蜂に怯えながら
群馬県最古の狛犬を見て帰ったわけだが。
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8/27、今日は拝殿もオープン!
お祭りがあるときの神社はイイですな~(*´ω`*)
血が通って生き生きしてる感じ。
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そして、親切にもタイムテーブルが!
助かるー!明日も来るからすごく助かる!

小さな末社たちもみんな
新しい幣束をもらって気分一新だな。
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勿論、古狛ちゃんも新品の幣束。
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見ての通り結構降っているのだが、
雨天に関係なく決行なので出発!
今日は神社境内には行かず
神社裏の獅子舞練習場から町会長さん宅へ向かう。f:id:ko9rino4ppo:20160828215510j:imagef:id:ko9rino4ppo:20160828215555j:image
ムシムシと暑い上に、ここ数日の雨。
草たちの生命力はMAX。
どこもかしこも鬱蒼としている。
そして、コレ↓が月田のささら の「ささら」である。
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おそらく東北の人で獅子舞(鹿踊)が好きな人などは
「え!?ささらって人が手にもって音を鳴らす楽器じゃ…」
と思うかもしれない。
たしかに獅子(鹿)に関する民俗芸能では
「ササラスリ」等と呼ばれる人がそういう楽器をもっている。
しかし、
もともとの「箲(ささら)」が竹や枝を束ねた洗浄用具
ということを考えれば形状としてはこちらの方が
楽器のささらより原型に近いのかもしれない。

さて 明日が本祭りなので、今日は宵祭りなわけだが。
まず町会長宅で とゆうのは、昔
神様に奉納するより先に村の長に
「これから獅子舞やらせていただきます」
と挨拶代わりに舞ったのが今も残っているらしい。
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真ん中の、角1本のがメス。
両脇の、角2本のがオスである。
バチ自体が比較的短いのに
こんなに真ん中を持つとゆうのは大変そうだ。
バチ自体の重さとか長さに頼れず手の筋肉すごく疲れそう。
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先ほど、ささらに書いてあったとおもうが
この獅子舞は天下一日挟(てんかいちひばさみ)流という流派。
獅子舞の中には歌が残っておらず囃子のみのモノもあるので
歌が残っているのは結構 貴重なことなのかもしれない。
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*2日目*
本祭りにあたる2日目。
この日は午前から祭りが始まる。
そして午後15時ごろ神社を出発した一行は
近戸神社の「外ノ宮」へむかう。
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石造りの鳥居の向こうには長い橋が。
そこには粕川が流れ、
渡ったところに近戸神社・外ノ宮がある。
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外ノ宮には御旅所があるが、
拝殿を備えた一般的な「神社」らしきものはない。
パッと見はこんな感じだ↑
正面に見えているのは「御旅所」と呼ばれるもの。
ココの場合は神輿の目的地にあたるが、
祭りによっては
神輿の巡幸の途中途中に設けられた休憩所を指す。
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結構新しそうなモノで、
天井には龍が描かれている。

そしてその左手前にあるのがこちらの石社。
一番上に乗っている本体こそ
よくある摂社と変わり映えしない大きさだが…
しかしこの城のような石垣。立派(*'ω'*)!
この手前の少し広い部分に近戸神社の神輿を乗せるのである。
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…なんて事前偵察をしているうちに、一行が到着!
提灯を持った重役っぽい人に先導され、
神輿が鳥居をくぐる!
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神輿はいつ見てもキレイだなー。
瓔珞(ようらく)がジャラジャラ揺れてステキだー。
ベリーダンスのヒップスカーフについてるコインみたい。
(え、なんか違う(゚д゚)?)
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続いて笛↓
この笠の飾りも何なのか気になるんだけどなー。
雨じゃなけりゃビニールはついていないんだろうか。
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そして、ささら。
…おい、引っかかってるぞ。
大丈夫か?通れるのか?
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もうね、草すごすぎて見えないけど
川が流れてるんだな。この下。
ちなみに、この橋は「ささら橋」と呼ばれている。
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橋のゲタには「月田のささら」のレリーフが。
周りが草モリモリなので、結構正面に行かないと見えない。
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さて、神輿が据え置かれて神事開始。
獅子舞も始まった。
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しかし、獅子舞をゆっくり見ていると
もう一つの見どころ「御川降り(おかおり)神事」が
アッという間に終わってしまうので、
この藪の裏側に回り込む。

回り込むと言っても、すぐには回り込めない。
いったんこの広場を後にして、
先ほどの橋が架かった川の堤防を少し歩き
トウモロコシ畑を回ってその畑の奥に入ると
この藪の向こうに出ることができるのだ。

この藪の中にある
非常に狭い川で行う神事なので、
神職さんの背後から見るよりも正面からのほうが
邪魔にならずよく見えるに違いない。

…というプランだ。しかし…。
ちょっと出遅れたか⁉と思ったので
長靴ながらに猛ダッシュしたのだが…。
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間に合ってない!もう終わった後!
本当に一瞬の神事なのだ。

なにせ、風呂桶一杯分ほどの酒粕
この川に流すだけなのだから。

くっそ~。
しかも私が遠慮して、
「神聖な行事だし神職さんのお側には寄れまい」
と遠慮していたのにカメラマンに取り囲まれとる!

悔しいので、神事は終わっちゃったけど
現場の写真を撮ってみる。
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一瞬「ん?農業用水路か?ドブか?」
と思うような細々とした流れである。
ココに酒粕流すのだ。

しょんぼりしながら、
喉の渇きに耐えかねて道端の自販機で水を買う管理人。
するとなんと…!
ピコピコという電子音とともに
液晶の数字がゾロ目になり
「30秒以内にもう一本選んでください!」
と自販機が催促するではないか!
こんなもの生まれてこのかた当たったことがないのに!

おかおり神事を見逃したノロマへの
赤城の神の慰めなのか?
なんだかわかんないけどいただきます!
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さて、お気付きかもしれないが、
この酒粕を川に流す神事こそが
ココの地名と川の名称
すなわち「粕川」の由来なのである。

なぜ酒粕を流すのかについては、
「昔 この上流にある三夜沢赤城神社(親神)は
 神事が無事終わったことを子神に知らせるため
 下流酒粕を流した」
というのが形式的に残ったモノらしい。

以前、灼熱地獄の中
死ぬような思いで折り畳み自転車をこぎ
三夜沢赤城神社→二宮赤城神社
をハシゴした管理人だが。

おそらく三夜沢赤城神社が親神だとすれば
子神とは二宮赤城神社のことだろうと言われている。
三夜沢が奥宮(元宮)で
二宮が里宮と考えられているからだ。

さらに、この二社間は
年に二回神輿が巡幸するのだが。
それは二宮にいる娘神が
三夜沢の父神に衣替えの服を届けるため
とも言われている。

いずれにせよ、
その二社の間で神事の完遂を知らせるために
この川を使っていたらしいのだ。

その赤城神社の神事が近戸神社と関係あるのか?
というところだが、
その長い道のりの間で神輿の休憩所になったのが
この周辺の近戸神社だと言われている。

近戸神社はいくつもあるので、
どの近戸神社が休憩所になったかは分からないが…
今の地図で考えれば
2つの神社を結ぶ道から一番逸れていないのは
大胡神社だろうか。
※大胡神社の旧称は近戸神社である

ただし、村史などをみると
そこに「月田近戸神社」と地名が書かれているので
この村の近戸神社も間違いなく休憩所だったのだろう。

祀っている神様も赤城神社と同じだったりするし。
(オオナムチ&豊城入彦)
ここまでくると、なんで名前を分けたかの方が不思議だな。
そして依然として
長野の千鹿頭(ちかとう)神社との関係も判明しないし…。
まだまだ鍛錬が足りないなぁ。

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さて、外ノ宮での獅子舞が終わると
一行はまた近戸神社まで戻ってくる。
あたりも暗くなり始め、提灯がキレイだ。
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そしてここで!
注目の演目「雌獅子隠し」開演!

結構どの三頭立て獅子舞にもあるような気がするが、
「一頭のメスをめぐり、二頭のオスが競い合う」という
至極動物的な演目である。
その表現は流派によってさまざまだが、
月田の獅子は争い方が激しめだぜ!


月田のささら(近戸神社・雌獅子隠し)

この、いつもは人っ子一人いない境内に人があふれて
「おお~!」とかどよめいたり
その様子を見て笑ったりしているのが、
管理人はとっても好きだ。

なんとなく、こういうのを見るといつも思う。
人がやってる祭りは「天の岩戸」の再現なのではないか。
まぁアメノウズメは巫女の祖というのだから
その踊りが祭りのルーツなのは「当たり前」と言われれば
それまでなのだが…

今回は特に強くそれを感じた。

アメノウズメは、
胸を露わにし、着物の紐を股に垂らすという
ある意味「やりすぎだよお前」ラインに立ちながら
剽軽なダンスで神々を笑わせて楽しませ
岩戸の隙間からアマテラスがそれを覗く。

雄獅子がこれでもかというほど
組み合っては観客のほうになだれ込み、
まぁ映像にあるように私も結構激突されたが
負けてる方の獅子の滑稽なしぐさに笑い
今年も若人が思い切り舞っていることに歓声を送る
その人の輪を
今日限り開いている拝殿の扉から
赤城の神は覗いて顔をほころばせているだろうなぁ、と。

日本語が下手すぎて
この感動をうまく伝えられないのだが…

こういうときに管理人は

祭りこそ神と人とをつなぐもの
そしてその神とは
山や川や雨など自然そのものであると同時に
それに圧倒されながらも意思疎通を図ろうとする
昔の人の気持ちソノモノなのだと強く感じる。

さて、ちょっとマジメくさったところで
今回は終了。
今回散歩している間に
いろいろ石仏など見かけたので
ちょっと時間があったらその写真とかも
ちゃんと由来を調べて書きたいのだけど…。

なんか写真アップロードするだけ(´・ω・`)
とかになりそうな予感だなコレ。

ボーダレスタイム「盆」。

今年も盆が終わりましたねぇ。
管理人は1年の行事の中で盆が一番好きです。
「いや、結構そういう人は多いんじゃないかな」
と勝手に思っています。

小さいときは単純に 盆提灯が好きで。
あの水色っぽい、内側が電動で回転するやつ。
描いてある草花が水色の灯りの中で
ゆっくり回って綺麗だったんですよねー。

祭りの、暗い夜の中で ぽつぽつ灯る
赤い提灯しか見たことがなかった管理人。
昼の座敷の中で水色の提灯が灯るのが
幻想的で好きでした。幼稚園ながらに。

(*´ω`*)

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うちの仏壇などお見せして恐縮だが、
いつもより豪華な提灯や
ワサワサと御供えが上がっているのは、
なんとなくうれしい感じがする。

いつもカミサマの話をして
真面目に祀ってるかと思えば
神棚にダルマだのなんだの置きすぎだろ!
配置を考えろ!
と言われそうだが…

ともかく盆というのは
「現代人がナチュラルに霊性と関わる」というか。
「闇」とか「恐れ」とかの手伝い無しに
人が霊性を意識できる貴重な期間かなと。

しかしなんだかキュウリの馬とナスの牛を作って
玄関先で火を燃やすこの行事は、
夏休みで祖父母の家へ遊びに行った時の風物詩…的な
まぁ古くからの風習だろう…的な

逆に身近すぎて「ウン、日本の風物詩だな」と
単純に納得してしまいそうになるのがキケンな行事。

実はこの行事、国際色豊かな行事なのだ。
勿論、この みんなが懐かしむような情景は
日本独自のモノではあるのだが。

*お盆という名称*
何なんだろうか。
あの、ご飯とかを乗せて食卓まで運ぶヤツだろうか。

こないだ話した知人が
「覆水盆にかえらず」ってのは
「某お寺の跡継ぎ・覆水くんは
 お盆に里帰りしない悪い子なんだよ」
転じて
仏教由来の行事に参加しない仏教徒
「自分の専門分野で無責任な行いをすること」
の意味なのだ!

とホラを吹いていた。
オイコラ。嘘を教えるんじゃない(゚д゚)!

…全然話がずれてしまったが、
「お盆」とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略。

モトモトの盂蘭盆会はバリバリの仏教行事で、
中国でも最初は僧侶に飲食物を供えたりしていたらしい。
しかし、そこに儒教の「孝(=親に対する忠行)」が流入
そして先祖の霊に供物を備えて供養する行事になり、
さらには「施餓鬼」と言って餓鬼になってしまった先祖に
施しをして飢えと渇きから救う行事となった。

対象は完全に宗教的実行者である「僧侶」から
血縁関係者である「先祖」にシフトしてしまったのだ。

そして朝鮮半島を経て大体日本にもこの形で
「盆」が入ってきたのだと思うが…
大陸と我らが島国ではこの「施」の対象が微妙に違う!
という話である。
(管理人が実際行って韓国とかの人に訊いたわけではないが)

韓国などは儒教の影響が強く、
この「先祖」には直系の親or父系の男親しか含まれないとか。
ところが日本は超ザックリしていて、
なんかもう今までに死んだ人は家族も何も関係なく
1つの「ご先祖様だんご」みたいなカタマリ~(´ω`。)
的なイメージらしいのだ。

なので、日本ではお盆時期
家の中だけでなく通りにも施餓鬼棚が設置されたりして
どこのおうちの先祖さんでもテイクフリーですよ~。
って感じがすごい出てる。
(無論地域によるが)

ちなみに
サンスクリット語を音訳した仏教用語
というのは沢山あるが、
この「盂蘭盆」も「ウランバナ(倒懸)」
つまり「逆さにぶら下がっている」という意味だという説がある。

日本でもユウレイさんたちは
「足がない」というイメージで描かれる以前は
「逆さにつるされている」という姿だった。
(歌舞伎を描いた錦絵などを見るとそうゆうのがある)
それは「吊るされるタイプの刑に処された」というよりは
真っ逆さまに地獄へ堕ち
未だ救われていないことの象徴であるらしいのだが。

だとすれば盂蘭盆会ウランバナ会)は
「逆さ吊りにされている先祖を救うぞ会」ということか。

ちなみにWikipedia先生によると
さらにこのサンスクリット語ウランバナ」の語源は
古代イラン語の「ウルヴァン(=霊魂)」であるらしい。

その古代イランで信仰されたゾロアスター教では
森羅万象各々に宿る小さな神々を「フラヴァシ」と呼ぶそうだが
人間のウルヴァン(霊魂)の中で最も清い部分にもまた
この小さな神が宿っているそうだ。

太古の宗教ではこのような考え方が多いかもしれないが、
管理人はこの宗教・自然観を聞いたとき
仏教より日本神道の考え方に近く感じて親近感が湧いた。

多くの日本の人が仏式の葬式しか知らない
というのを管理人は結構残念に思っているのだが、
神道式の葬式は、そもそも葬式でなく「神葬祭」という。

葬式では、故人が浄土に行けるようお経をあげたりするが、
神葬祭では、
産土の神・家の神棚・先祖の魂が入っている祖霊舎
「この人が帰幽しました(亡くなりました)よ~」と報告。
そして故人もまた祖霊の一員になり家に留まるための儀式を行うのだ。

ココからは完全な想像だが、
この「祖霊の一員になるための儀式」こそつまり
ルヴァン(霊魂)の清らかでないモノを
ワサワサとピーリングして
清らかなタマゴ肌の「フラヴァシ」を取り出し
それを「ご先祖様だんご」に練りこむ作業なのでは?
と、管理人は考えている。

*盆商戦*
朝鮮半島・中国→インド
そしてさらにはイランにまで遡ってみたが、
今度は逆に現代日本の盆の話。

コチラ↓近所のスーパーの盆コーナーである。
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大体は常設のお線香コーナー横に設置されるが、
ココの商品をちょっと覗いて見る。

お寺さんに納めるオカネ用の「御仏前」袋、
提灯に使う「ローソク」が左の小さな棚にある。
そして正面の棚にあるのが 下から
・まこも(ムシロみたいなやつ)、
・おがら(その後ろの木の枝みたいなやつ)
・その横の白い棚にあるのが盆花(蓮など)の造花
・そして蓮の葉っぱの造花
・後ろの棚には様々な果物をかたどった飴
・盆提灯(緑・白2種類あるようだ)
そして食品サンプルと言っていいのか…
ナマモノではないので毎年使えそうな
・キュウリ馬とナス牛

以上。
提灯以外はほとんど、
さっき少し話した「精霊棚(盆棚)」グッズだ。

ちょっと商品名が写っていなかったので
これが本当に真菰(まこも)なのか…
管理人も心配なのだが、おそらくそうだろう。

実際は両端が畳のフチのような布で補強されていて、
左右はわざとパラパラと突き出すように作られている。
そして仏教行事らしく五色の糸で編んであるものもある。
これは台の上に敷いてその場を清浄に保つ働きがある。

そして「おがら」。
漢字では苧殻と書き、その名の通り
※古代布の原料となる麻=苧麻(ちょま)という
糸を作るために皮を使った麻の殻。
つまり糸の材料にならない茎の中心部分だ。

迎え火・送り火として玄関先で火を焚くときに
この「おがら」を焙烙(ほうろく)に入れて燃やす他、
今は馬と牛を作るときに脚→割り箸のことが多いが
正式には「おがら」を使うことになっている。

精霊棚に使う盆花はお墓の花と同様
トゲがないものなら良いとされているが、
セットとして上記のモノに
蓮の造花が付いていることも多い。

いまでは家族の構成員も少なく
生の果物をたくさん供えても
傷む前に食べきれないという背景もあってか
最近こうした果物の形の飴をよく見かける。

このセットで作るより本格的な精霊棚には
「水の子」といって小さく切ったキュウリなどを
器に入れた水に入れたり
水(閼伽水)とミソハギ(禊萩)を添えて
蓮の葉に盛ったりするのだが。

これは普段何も口にできず
喉も細くなってしまっている餓鬼が
呑み込みやすいようにという心配りである。

それを考えると、考えようによっては
「丸ごとの果物ではなく飴」
というのも一理ある!と言えるかもしれない。

お年寄りと同じで、
喉の通りが悪いのだ(´・ω・`)

そして提灯が二種類置いてある。
一番上の棚の岐阜提灯は、
六寸とサイズが小さく手ごろなヤツ。
岐阜は古くから提灯を伝統工芸として売り出している。
鮮やかな花の絵や卵型が可愛い提灯。

その下も手軽な「こんばん提灯」。
こちらはなぜ「こんばん」と書かれているか分からないが
うちの行っているお寺では毎年一番よく見る提灯だ。
繰り返し使う提灯に対して「今晩」しか使わない、
という意味なのか…もっと深い意味があるのか?
まだまだ勉強不足である。

ちなみに我が家は弓張り提灯といって
普通の、家紋が入っているやつを使っている。
普通というが、持ってみると結構デカいものだ。
(仏壇の写真の端に少し写っているが)

こうゆう家紋入りのは繰り返し使う一方、
上記2つは送り迎え専用なので
使い終わったら送り火の時に
提灯自体に一度火をつけて紙に包んで処理する。

ちなみにホウズキも
この時期スーパーではよく売っているが
これは盆花として飾るほか
提灯に見立ててご先祖様の道しるべにしたり
昔は
御備えに十分な食料が用意できないと
その代わりにホウズキで補うという使用法も。

ちなみに御供えの主食(?)は
お米ではなく素麺が一般的らしい。
これも「水の子」と同じく喉の通りの問題だろうか。
(しかし乾麺のまま供えてあることが多い)

そして名残惜しいが
数日経つと ご先祖様たちは
また向こう側へ帰っていく。

盆の、スペシャルなボーダレスタイム終了だ。
また霊的な世界と現代社会は
かなり厚い壁で隔絶されてしまう。

管理人はお盆休みとかない仕事なので、
大抵は運よく送り迎えどちらかに参加できても
じいちゃんたちが霊界から帰ってきている間
とくに何もできずに気づいたら
テレビとかで京都・五山送り火の中継とかやってて
あ。今日仕事してる間にもう帰っちゃったのか…
ということが多いのだが。

おそらく
じいちゃんが遠いどこかに居る時も毎日
仏壇の前で朝晩お経をあげている祖母には
「今日はそこにじいちゃんが帰ってきている」
というのは特別な気分なんだろう。

通販でセット買って
説明書見ながら適当にやる。

って感じでも全然いいから
この行事がちゃんと続いてほしいなぁと思っている。

*カミサマトンボ*
ただの蛇足なのだが、
画面下の白い茎に黒いトンボがとまっている。
管理人はこのトンボが好きである。
羽がビロードのように黒く、
この季節 よくド田舎の神社にいる。
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ちょうど先祖の霊が帰ってくる時期に
大量に現れるので、
「ご先祖様がトンボの姿で帰ってきた」
もしくは
「稲の出来栄えを見に来てくれた」
と言って、神様トンボという名前で呼ぶのだ。


ちなみに、都心生まれ都心育ちの人には
「なんで今更盆の話だ。1ヶ月前に終わっただろ」
と言われそうだが、
農業をやっている地域は特に
8月に盆をやるのが普通なのだ。

東京あたりが7月に盆をやるのは、
「旧暦の」7月が盆だったからなのである。
あとは日本全国同時に盆だと色々
経済的とか交通的に、滞ったり混乱が起きるからだ。

世は盆踊りラッシュだが
管理人はもう夏季休暇がない。
(3日しかないので既に祭りに使ってしまった)
方々の盆踊りを泣く泣く見逃している今日この頃だ。
(´・ω・`)

上野国八ノ宮・火雷神社。

火雷神社境内*
天然の鳥居かという立派な松が出迎えてくれた、
コチラは群馬県佐波軍玉村町火雷神社
「火雷」は「ほのいかづち」とも「からい」とも読まれる。
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そんなに大々的でもなく、
この村の神社ですよというような風貌で鎮座しているが
ここは上野国八ノ宮である。
前回記事を書いた七ノ宮・小祝神社の1個下だ。
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どの神様宅か分からないのだが、
前回見たときは普通に建ってるだけだった。
なんか今回は地鎮祭みたいに囲われてる。

なんだろう。
今日はこの神様にとって特別な日なのか?

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本殿を見てみると、
ぐるりと一周七福神デザインのようだ。
恵比寿・寿老人(か?)↑
毘沙門天・大黒天・福禄寿↓
(福禄寿ってはしご架けて剃髪してもらってたのか…)
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そして弁財天・布袋様↓
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この七福神はあんまり好きな顔ではないが、
その上や横の彫刻も細かくて手は込んでいるみたいだ。


こちらが拝殿。
小祝神社ほどではないが、
ちょっと可愛らしい彫刻がパラパラとある。
梅の花。菅原道真公が居るからだな、きっと。
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そして、なぜか船があるんだな。
この日は前に書いた「玉村五料の水神祭」を見に行った日。
なので目的の神社にたどり着く前に火雷神社で藁舟を見つけて
ちょっと驚いた管理人だった。

もしかして、
あの地鎮祭みたいになっていた祠と関係あるんだろうか。

一応この神社の例祭なども調べてみたが、
4月と10月にこの神社の例祭と小祭りがあるだけで
あとは重要無形文化財の「ムギマキゴシンジ」のみだ。
群馬県内に「麦蒔御神事」はいくつかあるようだが、
それぞれに謂れが少しずつ違ったりする。

ココのは
10月の最後の午の日・丑の刻に神事を行う。
大きな音を出してはいけないので
宮司さんもコソコソした声で祝詞をあげるらしい。
境内には注連縄が張られ、
翌11月の初午の日まで境内に踏み入ることはおろか
氏子さんたちは大声でしゃべることも禁止!
ちなみに約束やぶるとエラい災害が起きるぞ。

というかんじなんだそうだ。

さて、拝殿を覗いてみる。
左の額には昔の境内のような白黒写真が飾られている。
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奥にある燈篭は、遠くてよく見えないが
透かしの入ったきれいなデザイン。
上のトンガリ部分も水煙宝珠のようになっている。

そして向かって右には、
軍艦らしき写真がある。
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軍艦フェチ諸兄ならばこの写真だけで
名前くらい軽く言い当てられるのだろうけど…
にわか艦これ提督な管理人には分からん。

この火雷神社に関連深いといえば、
勧請モトが奈良県葛城市・笛吹神社内にある
葛木坐火雷(かつらぎいますほのいかづち)神社である。
ということは雲竜型航空母艦・葛城か?
と言いたいところだが、
葛城は飛行甲板上にこんなに突起物はなかったような気もする。

それなら我らが赤城神社を艦内社とする
航空母艦・赤城だろうか。
(ココも赤城のふもとなので)
…考えてもわからないので無責任だが放っておこう。

そしてこちら↓が、八坂神社遷座記念の額。
主祭神火雷神だが、
八坂神社ということは牛頭天王かスサノヲがお住まいのはず。
道真公がココにお住まいのように、
スサノヲもまた本殿でシェアハウス中なのかもしれない。

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玉村八幡宮宮司さんが遷座担当者だったようだ。
たしかに現在、この辺の神社のことは
玉村八幡宮のHPに結構詳しく載っているので…
八幡様の宮司さんがこの辺の神社も兼務しているのか?


*ホノイカヅチノカミについて*
さて、この火雷神社主祭神火雷大神
火と雷ってこと?
とおもうが、火の神でなく雷神。
八雷神(やくさいかづちのかみ)という名前もある。

日本神話ではどこで登場するかというと、
火の神・カグツチを産んだことで
火傷を負い死んでしまったイザナミが再登場するシーン。
黄泉に住まう彼女の「私の姿はまだ見ないでください」
という言葉を守らなかった夫・イザナギ
ウジが湧き、その体に稲妻をまとった妻をチラ見して
度肝を抜かしたシーンである。

このイザナミがまとっている稲妻こそが
ココの祭神・火雷大神なのだ。

今回訪問した玉村の火雷大神は、
(先ほどの軍艦の写真の時にも話に出たが)
奈良県葛木・笛吹神社境内にある
葛木坐火雷神社」からお招きしたと言われている。

この「笛吹神社」の祭神は天香山(あまのかぐやま)のみこと。
昔このあたりに居た笛吹連の神様だと言われている。
そのアマノカグヤマノミコトでなく、
どうして末社のホノイカヅチノカミをお招きしたのか?

…と思ったのだが、
玉村の火雷神社書物に初登場するのは796年。
奈良の火雷神社の歴史を調べると、
社の衰退により笛吹神社に吸収合併されたのは927年。

つまり、このホノイカヅチ@玉村は
衰退&吸収される前の「元祖・火雷神社」の神様なのだ。
それならはるばる招かれたというのも納得か。

次回は、利根川を挟んで
この火雷神社と対峙している倭文神社
記事を書くのが遅すぎて行った神社が溜まっていく…。

|д゚)ヒエー!

上野国七ノ宮・小祝神社。

高崎市石原町にある小祝神社に来てみた。
そこそこの難読神社だが、「おぼりじんじゃ」と読む。
寺が隣接しているせいか…
神社名が書いてある石碑はどことなく墓石チック。
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境内の面積は広くはないが、
実は 我らが群馬県の「七の宮」である。
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苗字や地名で「二宮」というのがよくあるが、
これもおそらくは昔むかし
土地の二の宮に関連深かったことが由来だろう。

ちなみに群馬の一の宮以下は

一ノ宮=貫前(ぬきさき)神社
二ノ宮=二宮赤城神社or三夜沢赤城神社
三ノ宮=三宮神社
四ノ宮=甲波宿禰(かわすくね)神社
五ノ宮=若伊香保神社
六ノ宮=榛名神
七ノ宮=今回来た小祝神社
八ノ宮=火雷神社
九ノ宮=倭文(しどり)神社

これは律令制ができたころにできた考え方らしく、
律令制の国ごとに社格が最も高いものから「一の宮」としたのだ。

結構人気の高い榛名神社がまさかの六番目
というところでも分かっていただけると思うが、
この順番は決して神様の位の高さで決まるわけでもなければ
神社の豪華さや大きさで決まるわけでもないらしい。

昔、国司さんは自分の任務地の神社を
順番に参拝しなければならないという決まりがあった。
なので、その参拝した順番なのではないか?
という説も出ている。

また「神位の高さがあまり関係ない」
というところとも少し関係しているが、
「全国でどれくらいの規模の神様か」というよりは
地元で強く信仰された神様が選ばれているようだ。
という話もある。

さて、拝殿を見てみると、
なかなかハデハデで可愛らしい感じの装飾である。
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瓦もかなり豪華な感じの模様が。
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そしてその下には霊亀に乗ったおじいさんが!
波の造りがめちゃくちゃ細かい!
そして表面だけじゃない彫り!
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さらに虹梁はじめ、
いろんなものが竜宮城的な感じで
ハデな可愛さである。
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どことなく竜宮城ってゆうか中国っぽいってゆうのは
この亀に乗ったおじいさんと言い
なんとなく仙道思想っぽい装飾なせいかなぁ。

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本殿裏↓はさらにスゴイぞ!
本殿を建て替えたのは享保の頃、ということなので
色はさすがに塗りなおしていると思うが
なるほど、当時こんな感じのデザインと造りしてたのか。
すごいなー。なんだこの彫刻!と一人で感心。

境内にあった案内によると拝殿と幣殿は後から作ったので
はじめは本殿だけが立っていたらしいということだった。

「山とかが信仰対象で建築物は拝殿のみ」
という諏訪大社形式と逆パターン!
なんというか、まぁ
普通の末社とかは全部この本殿のみパターンなわけだが。

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そして、
この神社が文化的に評価されているポイントの1つが
この本殿裏にはめ込まれた彫刻。
これは後付けでなく作った当初からはめ込まれているらしく、
こうした形式の装飾では小祝神社が県内最古なんだそうだ。

ところで、
この本殿裏の小さな鳥居↑って何なんだろうか。
祭神がスクナヒコナさんだから、
そのサイズに合わせて作ってある?

ということは、
神様って本殿裏から出入りしてるのか!?

まぁ、裏の神域内に神木が切られた跡↓みたいのあったし?
昔は本殿の裏に薬師堂があったらしいし?
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裏側が、実はなんか大事なスポットなんだろうか。
(ざっくり適当なこと言いすぎだな…)

さて、
この神社は建物こそ少々新しそうに見えるが、
敷地内で多数の縄文土器が出土したりしている。

他に 古い信仰である証拠と言っては何だが、
享保年間に本殿を作った際の記録では
「御神体は石」と明記されているらしい。
巨石かはわからないが、原始の石信仰!
ミシャグジ様!

なので、この形(神社)になる前から
この土地の人にとって
祭祀的に重要な地位を占める場だった!
と考えていいのかもしれない。

また古い文献では、小祝神社は
「おぼり」ではなく「おはふり」神社と書いてあるらしい。
昔読んだ本で
神官を表す「祝(ほうり、はふり)」という語は
「屠り(ほふり、はふり)」と同じ意味である。
古く神官とは生贄を屠ることを許された職だったのだ。
という文を読んだのを思い出した。

縄文時代から祭祀的な場だったのであれば、
そうした古い時代の生贄を伴うような祭祀や
その神官の名称が残っていても不自然ではない。
この神社も古くはそうした場だったんだろうか。

さて、妄想は止まらないが
巳待塔を発見したのでちょっとコレの話。
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巳待塔というのは、
庚申塔などと同じく特定の集団が「講」として
ある神様を信仰する中で作ったものだ。

巳待講の神様は蛇を神使とする弁財天さんで、
繭を襲うネズミを蛇が食べてくれることなどから
養蚕農家であるメンバーがほとんどのようだ。

やっぱり群馬は養蚕関係の信仰が盛りだくさんだなぁ。

(=゚ω゚)
今回は七ノ宮だったが、
八・九ノ宮もこないだ行ってきたので
近々何か書こう…。

大胡祇園の天王さん&暴れ獅子!

さて、昨日に続き上毛電鉄で数駅。
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ちなみに大胡方面へ行く電車は、
この時期おまつりラッシュなので祭り仕様。
天井からは提灯や水鉄砲、法被などが下がっていて
夏休みの高校生も相まってイイ感じに夏だ。
(もっと大きな写真で見ていただきたいが、
 顔が判別できない大きさで、とか気にするとね…)

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午前の天王さんの御渡りより早く着いたので、
ちょっと散策。
お、何だこの石碑は?
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…えっ!
すごい貫禄ある顔の馬頭観音
なんてゆうか、明王様みたいな憤怒相を想像してたけど
なんかおでこにシワあるし意外と年寄り!?
馬もすごく立体的!

こんなところで何気なく出会ったけど、
今までで一番インパクトある馬頭観音かも。

民俗学とかカミサマとかと別に
単純に馬が大好きなので二重にテンションが上がる。
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その横には…「ムンカスタスウヱル之碑」とある。
〇〇スウェルという名前の競馬馬は結構いるが、
この名前はヒットしない。
と思ってよく見ると、
上のほうに「國有種牡馬」と書いてあるではないか。

国有種牡馬というのはおそらく、
日露戦争後に馬の改良政策が持ち上がったころの話だ。
日本の軍馬がダメダメだったので、
国有の種牡馬と民間の牝馬を交配させる計画が練られた。
群馬はその際に全国で数個の「種馬所」が設置されたのだが、
もしやそれが大胡だったんだろうか。

この土地がムンカスタスウェルにとって
一体どんな場所だったのか分からないのだが。
とにかく、国有の種牡馬なんてきっと
そのころの話なんじゃないかと思う。


*天王さんの御渡り*
変な所で時間を食ってしまったが、
コチラが当日の神様ポイント。八坂神社だ。
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…え?

これ神社ッすか?って人もいるかもしれないが、
中にはちゃんと本殿もあって注連縄もあるし。
れっきとした神社なのだ。
超コンパクトな、近代神社である!

題名にもあるように祇園祭なので、
当然、京都でなくとも主役は牛頭天王だ。
つまり、あの御神輿に天王さんが乗ってるのだな。
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そしてこの顔を見ると誰もが
「あ、天狗だ」と思うだろうけども、
これが道端によくいる(?)サルタヒコだ。

そして神馬ちゃんが…寝とるやないかーい!
かわいすぎる!居眠り!
お兄さん、至近距離でガン見しすぎ!
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練り歩く際の御旅所的な感じだろうか、
ちゃんと太鼓とかも設置されている。
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さて、いよいよ神輿が八坂神社の神域から人間界へ!
注連縄をくぐるために、屋根の上の鳳凰が取ってある!
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神馬ちゃんも目を覚まし、先頭でスタート。
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な、なんと、全然車が規制されておらず
神馬をバンバン追い抜いてゆく!
不良っぽいバイクもブイブイ言いながら通っていったが、
神馬、動じず。大したもんだ。
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そして神輿に先立って青年会さんが
「御賽銭お願いしまーす!」と言いながら走り回る。
お賽銭を渡すと、御榊でパッパッと払うような動作をして
箱に持っている塩をくれる。
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そしてついに行列が進み始めた(*'▽')
御榊の後ろに鉾(だと思う)。
そしてその後ろに八坂神社の御神輿。
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本場京都の祇園祭では絢爛な山車のような山鉾が出るが、
おそらくはこの榊の後ろの鉾も同じ役割ではないかと思う。
子供が乗っていて非常にかわいいが、
将軍様みたいな帽子を腰に下げているので
偶然乗せてもらったのでなくそうゆう役目で乗っているんだろう。

さて、この鉾は
本場京都ではもともと鉾(武器)ではなく
尖った木(神様の依代)だったと言われている。

そう考えると、
祇園の山鉾にも大胡の鉾にも子供が乗っている
というのも、憑子・尸童(よりまし)が原型なんだろうか。

ともかく、木の枝だったころは
悪い神様をアンテナ的に集めた後は
木ごと煮るなり焼くなり処分してしまえばよかったが…
京都ほど豪華な山鉾を作ってしまえばそうは行くまい。

なのでせめて(効果があるか分からないが)
京都の祇園祭は山鉾を午前に曳き終えて早く仕舞うらしい。
大胡の祇園祭でも天王御渡は午前で
暴れ獅子が午後なのはそういうわけだろうか?
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鳳凰も無事付いて、立派である。
個人的に、なんだかあの神輿についている小さい鳥居が好き。
いつも住んでる本殿から、
分身みたいに小さな姿で出てきて
神輿に乗り込むカミサマを想像すると可愛すぎる。

そしてこちらが先ほどのサルタヒコだが、
道案内の神、道を拓く神だというのに
どういうわけかしばらくは鉾より神輿より後ろ。
という状態だった。どっかでフォーメーション変えるのか?
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というところで、ちょっと用事があっていったん家へ。
いやー。電車で十数分で祭り会場に着くってなんて楽なんだ!

*暴れ獅子*
さて、用事と昼寝を終えて再び大胡へ。
よいさ、よいさ、の掛け声とともに
超男らしい獅子が登場!
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獅子舞の獅子頭同様、
中は空洞になっている。
だがおそらく、耳は動かない。
(獅子舞の頭は耳がピコピコ動く仕組み)
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暴れ獅子の先頭には、
提灯を持った兄さんたちがいる。
この人たちが獅子が寄る家の前に立って
目印になるのだ。
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そして、午前と同じく
お賽銭をもらって塩を授与する兄さんも。
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しばし休憩。みんなでお茶飲んだり。
暑いから倒れないように気を付けないとね。

と、補給したところで再び出発!
そして町内の家々を…襲撃!
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疫病を追い払うために激しく暴れるというが、
まさに襲撃というのが一番シックリくる。

ただし、とにかく暴れまわっているというわけでなく
先導してる提灯の兄さんのひとりが
「オイ、ヒトんちぁ触んじゃねぇぞ!(゚д゚)ゴルァ」
と凄む。どうやら、民家に被害がないように
かなり気を付けて運営しているようだ。

そしてよく見ると、
門の近くに獅子を担いでいない兄さんたちが集まり
ドカンドカン押してくる獅子を押し返して
いわば緩衝材になっているようだ。

このように門戸を襲撃するほか、
広場などで獅子がすごい勢いで回転するのも
結構迫力がある。
大変なのは布の一番後ろを持っている兄さんである。
よく見ると回転する獅子頭のまわりを飛び回っている。
そして、この動画 よく見ていると
歩道周辺で飛んできた兄さんを避けて縁石につまずき
尻もちをついているおっちゃんが小さく映っている。


暴れ獅子(大胡駅前)


ちなみに、駅舎やテント、店には結構容赦ない。
大胡駅も襲撃を受け、後で見たら庇に獅子の塗料がついていた。

さて、獅子の塗料というところで
上の写真でも兄さんたちがみんな赤錆みたいな色で
一体どうしたことだろうと感じたかもしれないが。

この暴れ獅子はベンガラで彩色されて、
毎年どこか破損するので毎年作り直しているという。

ベンガラは古来から
人を埋葬するときにこれで化粧をして
あの世に生まれなおすように願ったと言われたり、
古墳の内壁の装飾に使われたりと重要な顔料だ。
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この祭りでも、
獅子頭をおいて青年会の兄さんたちが休んでいる間は
子供たちが集まってきて獅子頭をべたべた触り
手に着いた顔料を自分の顔に塗りたくっている↑
※一応、不自然だがお子さんたちの顔はぼやかしてみた。

そして、このJA広場での休憩の後は…
お約束の「警備本部襲撃」!
これこれ。これが見たくて待ってたのだよ!
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獅子頭が向かってくると同時に、
警察官たちが総員、長机を思い切り押さえる!
そして次の瞬間…
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ドカーン!
腕っぷし強そうな警官さんたちが押さえてるとあってか
ここが一番容赦ないぶつかり方な気がする( *´艸`)

写真ではイマイチ伝わらないので最後に動画を貼って
今回は終わり~。


暴れ獅子(JA広場前 警備本部襲撃)

けっこうな夕立が来た後だったので、
テント後方から撮っていた管理人に
屋根にたまっていた水が思い切り降ってきたよ(´・ω・`)